【少女たちのドミノ遊び】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2017-03-20
表彰式が終わったサブ体育館の中から馬原先生が札幌駅に電話して運行状況を尋ねてみた。すると現在台風が接近中で今夜北海道を横断する見込みということで、留萌線(深川〜留萌〜増毛)は運休中、函館本線(函館〜札幌〜深川〜旭川)も遅れが出ており、こちらも運休すべきかどうか検討中、今乗車してもどこまで行けるか保証できないと言われた。台風が今夜中に通過してしまえば明日朝から線路を点検して問題無ければ明日は運行できるが、それも確約はできない、などといったことであった。
念のためバス会社にも電話してみたが、こちらは今日は午後から運休しているということであった。
それで教頭先生と電話連絡の上、札幌市内または近郊に宿泊しましょうということになった。函館本線が動いているから、留萌線との分岐点である深川まではいけるかも知れないが、深川で宿を探すよりは札幌の方がいいし、本当に深川まで行けるかどうかも怪しい。そして明日になればJRが動かなくてもバスなら動くであろう。急遽、教頭先生の方で空いている宿を探した所、幸いにも札幌近郊の江別市内で旅館を確保することができた。
「大部屋をひとつ確保したんだけどいいよね?」
と教頭先生。
「大丈夫です。女の子ばかりだから。まあ修学旅行気分ということで」
と馬原先生。
今いる会場まで送迎バスを運行してくれるということであったので、それを待つことにする。
「女の子だけで構成していると、こういう時便利ね」
「そうそう。男子が混じってたらどうしても2部屋必要になるもんね」
「そういう場合はやはり男子は野宿だな」
「結局男女差別か」
この時点では誰も千里の性別問題には気付いていない。そもそも馬原先生自身千里の性別のことを知らない。
表彰式が終わったのが14時で、馬原先生が教頭先生と話し合い札幌近郊に1泊することを決め、旅館が確保できたたのが14時半頃である。旅館の送迎バスは16時頃到着するということであった。
そこで馬原先生は部長の小野さんと、もうひとりしっかりしてそうな小春を指名して、タクシーで最寄りのしまむらまで往復させ、メンバー全員分の替えの下着を買ってきてもらうことにした(上着は元々札幌まで来る時に着ていたものが使用できる)。この費用は先ほどの教頭との会談で、教頭が個人的にポケットマネーで払ってくれることになっている(最終的にはまだ入院中であった校長先生が個人的に出してくれた)。
ふたりに買物に行ってもらっている間に、馬原先生は27人の児童全員の保護者に電話で連絡しては、交通機関が動かないので滞在延長になってしまう旨を説明し、理解を求めた。保護者の中には発生する費用の負担について心配する者もあったが、これについては馬原先生も現時点では何とも言えないと言わざるを得なかった。
「ああ、この天候では無理ですよね。お世話掛けます」
だけで終わってしまうありがたい親もあったが、10分近く話す羽目になる親もあり、先生も最後の方は精神的にくたくたになっていたようである。
「先生お疲れ様でした」
と小野部長など数人の部員が先生をねぎらった。
先生の電話連絡が終わったのはもう送迎バスが旅館に到着する頃であった。
「取り敢えずお風呂入ろう」
入浴は、先生を含めて29人一度にという訳にはいかないので、旅館側とも話し合って時間帯を3つ設定してもらい、6年生11人を先に入れて次に5年生8人、そして最後に4年生9人および馬原先生いう順序にした。
17:00-17:30 6年生
17:30-18:00 5年生
18:00-18:30 4年生
むろんその時間帯をN小で独占する訳ではなく、他のお客さんと一緒ではあるが、この比較的早い時間帯はあまり混まないので、そこに分散して入れようという意図である。
6年生は到着してすぐにお風呂ということで、結構慌ただしくなったが、4年生は1時間待ちである。泊まることになった大部屋で何となく4年生9人で集まっておしゃべりしていたら馬原先生が寄ってくる。
「今の6年生が卒業した後、5年生は阿部さんに合唱サークルに入ってもらってピアニストしてもらうことになったんだけど、4年生にもサブピアニストを作りたいのよね。地区大会の時とか焦ったもん。リサちゃんにお願いしようと思っていたんだけど、転校しちゃうでしょ。誰かいい子いないかな?」
阿部さんは地区大会の見学にも来ていたのだが、彼女もリサと同じでピアノはうまいのに歌はあまりうまくないという問題がある。それでピンチヒッターの歌唱にも参加しなかった。しかし合唱に興味はあるということで、ピアニストをすることになったらしい。
蓮菜は千里をチラッと見た。
「千里に弾かせる手もあるんですけどね。この子、正式にピアノ習っているわけじゃないけど、かなり弾くから。でも“ずっとソプラノの声が出続けるなら”歌の方に参加してもらった方がいいですもんね」
蓮菜は千里の《声変わり》が来るのではないかという懸念を込めているのだが、その意図は千里以外には伝わっていない。いや、千里にも伝わっているかどうか怪しい。
蓮菜は千里の「気付いてない」状態と「気付いていないふりをしている」状態の区別がつかないと、いつも思っていた。
千里はもし女優になったら(たぶん男性俳優にはならないだろう)、物凄い女優になるかもという気もする。
「あら、村山さんは歌が凄くうまいもん。ピアニストに使うと歌唱のパワーダウンになるからもったいないのよね。確かに非常時には頼むかも知れないけどね」
と馬原先生も蓮菜の懸念には気付かずに言う
結局、美那が2年生の時までピアノ習っていてその後も自宅の電子キーボードを弾いているということで、後で打診してみようということになった。
「男子でもよければ田代君はかなりうまい」
と千里は言う。しかし蓮菜は嫌そうな顔をする。蓮菜と田代君の2人は仲が良いのか悪いのか、さっぱり分からないとみんな思っている。
「男子だと着替えの時に1人離れていてもらわないといけないから、そういう時に連絡事項とかあった時に連絡漏れが発生しやすいと思うんだよね。それに今回みたいな事態があった場合も、男子が混じっていると面倒だもん」
と蓮菜。
「それはあるかもね。スカート穿いても問題ないような男子ならいいだろうけどね」
などと千里が言うと、穂花は思わず突っ込みたくなったが、やめておいた。今千里の性別問題を出すことは混乱を招くだけだ。でも千里、今日はお風呂とかどうするつもりだろう?と穂花は懸念した。
こないだの体育の時間はみんな千里のパンティに触っていたが、本当に女の子になる手術うけちゃったのだろうか。しかし本当に手術を受けたのなら、そのことが学校からも説明があり「女子の皆さん、仲良くしてやってね」とか言われるのではという気もしていた。現在の状態はみんなが面白がって千里を女子トイレに連れ込んだり、女子と一緒に着換えさせている状態だ。
ところで、4年生の9人というのは、1組の蓮菜・穂花・千里・小春・佐奈恵、2組の映子・紗織・美都・リサだが、この中で千里の性別のことを知っているのは“座敷童”の小春は別として、同じ1組の蓮菜・穂花・佐奈恵である。ただ、この中で蓮菜は千里が「女の子のふりをして行動する」ことをかなり許容しているし、佐奈恵の場合は、千里は既に手術して女の子になっているのではと思っている。
そういう訳で、実はいちばん微妙だったのが穂花だったのである。
千里と最も付き合いの長いリサは最初から千里を女の子と思い込んでいる。彼女は極端に勘が悪い。とはいっても、リサは小学1年の時から千里と付き合っており、何度も一緒にお風呂に入ったり、一緒にプールに行ったりしていて、千里の裸も幾度となく見ており、当然お股に何も付いてないのも見ているので、それで男の子と思えという方が無理な面もある。
ところで、佐奈恵が半ば信じているように、実は千里が○年生の○月にどこどこの病院で手術を受けて女の子になった、という噂は数種類の時期と場所のバリエーション付きで3年生頃から流布している。
・1年生の夏休みにアメリカの性転換で有名な病院で特例として手術した。
・1年生の冬休みにタイの性転換専門の病院で密かに手術した。
・2年生の夏休みに東京の大学病院で手術して男性器は除去し卵巣と子宮を移植した。
・2年生の冬休みに仙台の婦人科医院で手術して男性器は全部取って卵巣を移植した。
・3年生の春休みに盛岡の泌尿器科で手術して男性器を女性器に改造した。
・3年生の夏休みに札幌の総合病院で手術して妊娠も可能な完全な女の子になった。
・3年生の秋に旭川の美容外科で手術して戸籍上も女の子になった。
何となく手術を受けた時期が近くなるにつれ近い場所の病院で受けたことになっている傾向もあるようだ。多段階で受けたという説もいくつかある。
・1年生の入学式直前に旭川の外科医院で睾丸を取り、3年生の夏休みに札幌の大学病院で女の子の形にして戸籍も年末までに女の子に変更した。
・入園前に留萌市内で睾丸を取り、入学前に旭川でちんちんを取り、2年の時に札幌で女の子の形にし、3年の時に東京で卵巣と子宮を移植して、4年になる前に戸籍上も女の子になった。
・出産直後に分娩室内で睾丸を除去して出生届は女児で出した。入園前に旭川の病院で割れ目ちゃんを作り、2年の時に札幌の病院で膣と子宮を作り、3年の時に東京の大学病院で卵巣を移植した。
とにかく色々な噂があるものの、既におちんちんもたまたまも存在していないという点は一致している。実際千里のお股を見たことのある子はかなり居るものの、誰1人としておちんちんを見ていない。だから、既に無いのだろうというのは、かなり信じられているし、卵巣もあるらしいとか、実は赤ちゃんも産めるらしいというのもその中の半分くらいの子が信じている。
千里本人はその手の噂を肯定も否定もせず、聞いても笑っている。
「でもさすがに分娩室内でタマタマ除去はありえないでしょ?」
と千里も言った。
「いや時々あるらしいよ。女の子が欲しかったのに生まれた子が男の子だったら、出産後30分以内ならその場で睾丸もちんちんも取っちゃって出生届は女で出していいと、法的にも認められているらしい。親戚の同級生の叔母さんの友だちの友だちの友人夫婦に生まれた子をそれで女の子に変えて娘として育てたんだって。割れ目ちゃんは赤ちゃんの内に作ると型崩れするから小学生になってから作ったとか。そこ男の子ばかり4人生まれていたから5人目はとうとう女の子に変えちゃったらしい。でもその子凄い美人で、親も本人も女の子にして良かったと言ってるって」
「話があやしすぎる。そんな法律も無いし。もっとも男の兄弟ばかりで末っ子を女装させて育てるケースは割とあるけどね」
と千里は言う。
「それならちんちん取っちゃうケースもあるよ」
なお、「戸籍上も女の子になった」という噂が広まった発端は実は千里の持っている《自転車免許証》(学校で試験して発行しているもの)の性別が女の方に○が付いていたことである。これは4年生の一学期、千里のことを担任の我妻先生が女子と思い込んでいたので性別女で発行してしまったものを、先生が千里の性別に気付いた後も訂正するのを忘れていたからである。他に千里の診察券が女になっているのとか図書館のカードが女になっているのを見た子もいる。病院の診察券の性別というのはかなり強い証拠だ。
もっとも蓮菜などは「自転車免許証も図書館のカードも性別を男にしたら、絶対現場で揉める」と言っている。
しかしそういう訳で千里は今年の春以来、女子と一緒に身体測定を受けることを他の女子たちに許容されている状態である。但し千里は女子の先頭で受けさせ、千里が他の女子の下着姿を見ないように一学期の間は保健委員の蓮菜がコントロールしていた。
ただ、実際には千里は様々な機会にかなり多数の女子とお互いの下着姿を見せているし、千里の裸まで目撃した子も結構居るので蓮菜の配慮も今更な感はあった。
4年生が馬原先生と一緒にお風呂に行ったのは18時少し前であった。小野さんたちが買ってきてくれた下着の替えと旅館の浴衣を持って行く。タオルは脱衣場に多数置いてあるらしい。
その脱衣場に入るが、千里は何の照れもなく女湯の脱衣場に入っていく。穂花はじっと千里を見ているが、その視線に気付いているのは蓮菜だけである。脱衣場では今あがってきた5年生の子たちと交錯する。
「みんな同じ下着に浴衣だから、自分のが分からなくならないように籠じゃなくてロッカーを使ってね」
と先生が言っているが
「6年生では分からなくなった子が出たみたいだけど、どうせ次は洗濯してから着るからいいよね、ということにしたらしいです」
と浴衣を着たばかりの5年生が言っていた。
「あらあ。最初に注意しておくべきだったね」
穂花が千里を見ているが、千里は自分が見られていることに気付いていないのか、気付いていないふりをしているのか。
みんな色々おしゃべりしながら脱いで行く。千里は普通にポロシャツを脱ぎ、スカートを脱ぐ。パンティが露出するが、パンティに「その下に何かある」ような形は見えない。ここまでは、けっこう千里も他の女子に曝している。問題はその先だ。
千里が女の子シャツを脱ぐ。まだ4年生だから胸は無くて当然である。
が、ここで少し騒ぎが起きる。
「映子ちゃん、胸少し膨らんでる」
と佐奈恵が言う。
「あ、ほんとだ」
と言って、蓮菜も千里も!そちらを見る。
「映子ちゃん、生理来た?」
「まだだけど、きっとそろそろ来るよとみんなに言われてる」
「もうこの身体は女になりかけてるもん。いつ生理来てもおかしくないよ」
と蓮菜。
「乳首もかなり立ってるね」
と言って千里は指先で、映子の乳首に触っている!?
穂花は「ちょっと待て〜?」と思った。もし千里が男の子であったとしたらこれは痴漢だ。重大犯罪だ。
一瞬頭に血が上った状態でそんなことを考え、ふと千里を見ると、もうパンティも脱いでタオルであの付近をさりげなく隠している。
しまったぁ!千里がパンティを脱ぐ瞬間を見逃した!
「穂花どうかしたの?入らないの?」
と佐奈恵に言われる。
「あ、入る入る」
と言って慌てて自分も脱いで、他の子と一緒に浴室に入ろうとした時である。
「N小学校の村山千里さん、いらっしゃいますか?」
と脱衣場に旅館の仲居さんが入って来て言う。
「はい」
「おうちの方から電話が入ってます」
「はい。すぐ行きます」
と言って千里は
「みんな先に入っててね〜」
と言って、急いで服を着ている。千里は下着だけつけると浴衣を羽織って、仲居さんの所に駆け寄った。
穂花は千里がパンティを穿く瞬間、あそこが見えないかと注視していたもののよく分からなかった。
しかし・・・今電話が掛かってこなかったら、千里は本当に女子と一緒にお風呂に入るつもりだったのか??
穂花は浴室に入るとまずは洗い場で身体を洗い、髪も洗い、それから浴槽に入る。
ここはとても広い浴室である。脱衣場も広かったが、浴室も多数の浴槽が並んでいる。織姫(おりひめ)の湯とか小野小町(おののこまち)の湯とか、色々名前も付いているようだ。電気風呂とかジェットバスとか水風呂まである。リサは紗織を誘って、あちこちの浴槽を冒険して歩いていたようだ。大半の子は最も広い「ピリカメノコの湯」に入っていた。ピリカメノコというのはアイヌ語で「美少女」の意味である。ピリカと光るような女(め)の子ということか。ここは近隣の温泉から運んだお湯を使用しているということで、少しぬるぬるしているが、温泉の湯だけあって、疲れが取れていくような気分だった。
お風呂から上がって大部屋に戻ると、部屋に食卓が並べられていた。
「4年生全員戻ったかな?」
「リサちゃんがトイレ行ってます」
「じゃ、それ待とうか」
そのリサは千里とおしゃべりしながら戻って来た。ふたりはフランス語で話しているので内容は分からないが「オノコマシ」という単語が聞こえたのは何だろうと思った。
「始めるよ」
「すみませーん」
と言ってリサと千里が空いている席に着く。リサは映子と紗織の間、千里は穂花と蓮菜の間である。蓮菜の向こう隣に佐奈恵が座っている。
「では今日はみんなお疲れ様でした。そして優勝おめでとう!」
と馬原先生が言い、小野部長が音頭を取って、サイダーやコーラで乾杯して食事は始まった。
「千里はお風呂どうしたの?」
と穂花は訊く。
「電話はすぐ終わったから、すぐ入ったよ」
と千里は言っている。
そういえば千里の長い髪は濡れているようだ。
「ね、千里。ここだけの話。千里、男湯に入った?女湯に入った?」
と穂花は小さな声で訊いたが、千里は微笑んで
「想像に任せる」
とだけ答えた。
穂花は腕を組んだが、その会話が聞こえたのか聞こえてないのか、千里の向こう側に座っている蓮菜は苦笑しているようにも見えた。
なお、夕食の料理の内容は旅館にありがちな、お刺身・天麩羅・茶碗蒸し・小鉢、それに固形燃料を使った卓上コンロで調理する豚肉と野菜の煮物であった。御飯とお味噌汁はお代わり自由ということで、たくさんお代わりしてる子もいる。
わいわいとおしゃべりしながら、またさすが合唱サークルだけあって歌なども出て、楽しく食事は終わる。
そのあと、旅館の人が食卓を片付け、今度は布団を29枚敷いてくれる。
「壮観だなあ」
「予め言っておくけど枕投げは禁止」
「それ一度やってみたかったのに〜」
布団も結局食事の時と同じ並びで寝た。千里の性別に関して、もやもやとしたものが残る穂花だったが、夜中トイレに起きたら、ちょうど蓮菜がトイレから出てくる所だった。穂花は蓮菜に訊いてみた。
「ねぇ、千里ってお風呂結局どちらに入ったのかな」
「さあ。知らない。でもこれだけは言える」
「うん?」
「電話が掛かってこなくて、あのまま千里が私たちと一緒に女湯に入っててもたぶん何も問題は起きなかった」
「うーん・・・・」
と悩んでから訊く。
「千里ってやはりもうちんちん無いの?」
「知らない。でも、もしあったとしても、それを絶対他人には見せない。病院のお医者さんにも隠し通したとか自慢してたことあるよ。だからあの子、病院の診察券は女になってる。誰にも見せないなら、無いのと同じかもね」
「何か哲学的になって来た」
「そもそもさ、千里が脱衣場に居た時、みんな何か緊張したりしてた?」
と蓮菜は訊く。
穂花は少し考えてから言った。
「何も。ふつうに女子だけがいるのと変わらなかったと思う」
「あと、千里は私と穂花の間に寝てるけど、それで緊張したり、千里に警戒したりする?例えば、千里、夜中に私を襲ったりしないよね?とか」
「千里が女の子を襲うことはありえない」
「それで答え出てるじゃん。じゃ先に戻ってるね。おやすみー」
と言って蓮菜は部屋の方に戻って行った。
穂花はトイレを済ませてから部屋に戻り、ちらりと隣で熟睡しているっぽい千里を見てから自分も布団に潜り込んだ。
そして睡魔に吸い込まれるように眠りに落ちていく間際、あることに気付いた。
リサが言ってた「オノコマシ」って小野小町(Ono no Komachi)のことでは?フランス語では chi は「シ」と発音すると聞いた気がする。リサはあちこちの湯を探訪していた。ひょっとして、リサは千里が小野小町の湯に入っている所に遭遇したのでは?つまり千里はやはり女湯に入った??
千里たちは翌24日(日)の午後になってやっと動き出した電車に乗り、日曜日の夕方、何とか留萌に辿り着いた。
「お疲れ様〜」
と母。
「疲れた〜。でも優勝できたからいいや」
と千里。
「おお、それはめでたい」
と父。
千里はずぶ濡れになった合唱サークルの制服上下、その時着ていた下着と靴下、更にその後着た白いポロシャツと青いスカート、その下に着た下着、をまとめて液体洗剤を使って洗濯機に掛けた。それを後で室内に干すことになるが、その程度は平気である。
その日の夕食では父が「千里の優勝祝い」と言って、ビールを開けて飲んでいた。
「津気子、お前も飲まない?」
などと父は言うが、千里が
「お父ちゃん、お母ちゃんは手術してからまだ1ヶ月も経ってないんだよ。そんなの飲んでたら身体良くならないよ」
と言って停める。
「そうか。まだまだ治るのに掛かるか」
などと言って父は不満そうである。
しかし千里は最近父がこれまでより少しだけおとなしくなり、あまり強引ではなくなったことを感じていた。やはり睾丸を私のに交換したせいかな〜?などと思う。本当に睾丸が無くなったのは千里なのだが、むしろ父の方が去勢効果が出ているような感じだ。
9月25日(月)朝の全体朝礼では合唱サークルの道大会優勝・全国大会進出が報告され、千里たち28人の児童と馬原先生が壇上に上り、賞状とトロフィーを披露して全校児童から拍手をもらった。昼休みには音楽室に集まって、入院中の校長に代わり教頭先生から、あらためておめでとうの言葉をもらった。
この日の6時間目、学活の時間。
我妻先生は「明日は健康診断がありますので、女子は朝起きて1番のおしっこを採って持って来てください」と言って、先生自ら、女子全員に採尿キットと書かれた小袋を配った。
「男子は要らないんですか?」
と質問があるが
「女子だけの検査があるんです」
と言いながら、先生は配っていく。
先生は留実子の所に配らずに通過してしまったが、すぐ後ろの席の鞠古君が
「先生、花和も女です」
と言ったので
「あ、ごめんごめん」
と言って、戻ってそこにもキットを置いた。
そして、先生は次は鞠古君の後ろの席の千里の机の上にもキットの袋を置いた。鞠古君は再度注意すべきか一瞬悩むような顔をしたものの、そのまま放置した!
そして先生は最後の穂花の所に置いた後で
「あれ?説明用に1個余分に持って来たつもりだったけど、数え間違ったかな?」
などと言っている。
穂花も先生が千里の所に配ったのに気付いていたので、それが余計なのではとは思ったものの、まあいっかと思う。千里も自分でそれを申告する訳が無いだろう!
「一応使い方を説明します。恵香ちゃん、ちょっと貸してね」
と言って、恵香の所に配ったキットを開けて中身を取り出す。
「折りたたみ式の採尿カップと、大きめの醤油差しみたいなスポイト、それに提出用の紙袋が入っています。朝起きて1番のおしっこをこの採尿カップに採って、そこからこのスポイトで吸い上げ、しっかりふたを締めてください。提出用の袋には、学年・組と出席番号・氏名を書き、その中にスポイトだけを入れて提出してください。採尿カップは家でゴミに捨ててください」
「スポイトを入れる前に名前を書いた方がいいですよね」
と玖美子が補足する。
「そうだね。スポイトを入れた後で名前を書こうとするとちょっと大変だよね」
と先生も言う。
「あと朝1番に採り忘れないように、トイレにこのキット置いておくといいですね」
と蓮菜。
「うん。それだと忘れにくいよね」
「でもこの採尿カップ結構小さいですね」
という声も出る。
「うん。でも何とか頑張ってそれで採って」
と先生。
「男はホースが付いてるから、わりとちゃんと入れられるけど、女は大変だな」
と田代君が言う。
「田代、そのホース取り外して、ホースの無い状態で練習してみる?。このカップ貸してあげようか?」
と蓮菜。
「琴尾が自分のホースを切り取って試してみればいいと思うよ」
と田代。
例によってこの2人のやりとりは、他の子からは黙殺されている。
翌26日朝。千里は教室で言われていたように、採り忘れないよう昨夜の内にキットをトイレに置いておいた。
そして採尿カップを組み立て、おしっこの出てくるのはこのあたりかなあ〜?という感じの付近に当てて、少しおしっこを出してみる。あ、もっと奥だ!と思って位置を調整する。
これって随分後ろの方から出るんだよなあ、とあらためて思う。このくらいの量でいいかな、と思うところでいったんおしっこを停め、カップからスポイトで吸い上げる。充分な量が取れたので、残りを放出する。カップ内の残尿も便器の中に捨てる。そしてカップは畳んでトイレの汚物入れに捨てた。
この時期、千里はまだこの「汚物入れ」の意味がよくは分かっていない。
その日は朝の会の時に提出用袋に入れられた採尿袋を女子の保健委員である蓮菜が集めた。蓮菜はひとりひとり名前が袋に書かれているかを確認しながら集めていた。蓮菜は千里の提出袋も無表情で集めて行った。
この日の3時間目体育の時間の最初に健康診断をしますと言われる。それで千里は、他の女子と一緒に2組の教室に行き、他の子とおしゃべりしながら体操服に着換えてから、保健室に行った。
例によって千里は列の先頭に並ばせている。なおこの日、保健室の佐々木先生は出張で不在であった。代わりに5年生を担任している女先生、松下先生が(この時間授業が無かったこともあり)見てくれている。
朝提出した尿はいったん病院か検査センターに運ばれて検査された上でその報告書が届いているようである。
千里は出席番号23なので、報告書も後ろの方に入っているが、蓮菜はそれを取り出して先頭に置いた。その千里が入って来て、体操服の上下を脱いで下着姿になり、身長と体重を測る。蓮菜が身長計と体重計の数字を読み、松下先生がそれを記録する。その間に本来の女子先頭である恵香が入って来て体操服を脱ぎ出すが、恵香は千里がそこに居ても別に気にしない。恵香は千里の裸を何度も見ているし、千里も恵香の裸を何度か見ている。
ふだんは身長と体重を測られるだけなのだが、今日は白衣を着た女性のお医者さんがいて、千里は「上半身裸になってください」と言われるので、女の子シャツを脱いでお医者さんの前の椅子に座った。4月に年度初めの健診を受けた時の先生とは違う先生である(あの先生は小児科医、今日の先生は実は婦人科医である)。千里が健診を受けている間に恵香は身長と体重を測定する。お医者さんは千里の身体の線を観察し、特に胸を見ているようだ。
「乳首が少し立ってますね」
「はい。春過ぎくらいから、立つようになりました(ということにしとけと言われたからなあ)」
「なるほど、なるほど」
と言ってから今朝の尿検査の結果を見ている。そして目を丸くしている。
「あなた、生理はもう来てるよね?」
「いえ、まだですけど」
「だったら、今にもすぐ来るよ。おり物とか出てない?」
「あ、少しあるかな」
「これって明日生理が来てもおかしくない状態だと思う。お母さんと相談して取り敢えずパンティライナーとか買って付けておくといいよ」
「はい。母に相談してみます」
松下先生が「数値が高いですか?」とお医者さんに尋ねる。
「これは成人女性の女性ホルモン値に近いですね」
とお医者さんは答えた。
蓮菜と恵香が顔を見合わせていた。
この会話は、お医者さん・松下先生のほかは、この2人だけが聞いたのである。
千里は頭痛とか腹痛とかが強くなることは無いかなどとも尋ねていたが、千里は正直に、今月の初め頃数日頭痛と腹痛が辛かったことを言う。するとお医者さんは、生理の周期が始まっているので女性ホルモンの分泌リズムによって、そういうのが発生しているんですよと説明してくれた。
それで千里は解放され下着を身につけ体操服も着て「ありがとうございました」と言ってカーテンの向こうに行く。交替で恵香の次の美那が入ってくる。恵香が上半身も裸になってお医者さんの前に座った。
その日の夕方、小春が千里に言った。
「さすがに千里がお母ちゃんにパンティライナー買ってなんて言ったら仰天されるだろうからさ、私が買ってきたから、これ付けておくといいよ。千里はパンティライナー付けたほうがいいかも知れないと思っていた」
と言って千里にパンティライナーの30個入りパックの入った黒いビニール袋を渡した。
「ありがとう」
「この黒い袋のまま、自分の机の引き出しとかに入れておくといい。無くなったら、また買ってきてあげるから。100円ショップで自分で生理用品入れを買ってそれにいつも数枚入れておくといい」
「うん。じゃ、その時はまた教えて」
「OKOK」
「私、生理も来るの?」
「そのあたりのメカニズムが千里はまだよく分かってないよね。千里には卵巣はあるけど、子宮が無いから生理は来ないよ(ということにしておこう)」
「そっかー。来たらいいのに」
「まあでも20歳頃までには千里にも生理が来ると思うよ」
と小春は優しく言った。
9月29日(金)の夕方、神社で遊んでいる子たちのグループでリサの送別会をした。
出席したのは千里の世代では、千里・蓮菜・恵香・美那・留実子・小春。他は年下の外人さんの子供たちが20人ほどである。日本人も数人混じっているが、このグループに入る前は孤立していた子や、いじめられていた子が多い。
千里たちの世代は最近は自分たちが遊ぶのではなく、下の子たちの「面倒を見てあげる」立場になっている。
小学1〜2年生の頃、性別問題から、千里は男子たちとはあまり遊びたくなく、女子たちからは距離を置かれていた。しかし日本語がよく分からずに各々あまり友人を得られずにいた外人さんの子供たちとは仲良くなることができ、それが貴重な遊び相手になった。
千里はタマラからは英語、リサからはフランス語を習い、また彼女たちには千里が日本語を教えてあげた。彼女たちとは日本語ミックスで会話していたし、ほとんどの言語を理解する小春という存在が、このグループのコミュニケーションを良好に保った。
ただ、成長するにつれ、千里を理解してくれる女の子が、蓮菜・恵香・留実子など少しずつできてきて、千里も孤独ではなくなってきていた。留実子の場合は前の学校で本人が孤立していて、こちらに来て、千里という自分と似た立場の親友を得たことで、彼女自身救われたのだ。
送別会は社務所を兼ねている宮司さんのお宅で、各々の親が料理やおやつを持ち寄り、16時半から1時間ほど、歌を歌ったりして、楽しんだ。宮司さんまでフランス歌謡『オ・シャンゼリゼ』をフランス語で歌い、リサと母がそれに唱和する場面もあった。
この日は主として千里がリサの持ち込んだ電子キーボードを弾いて伴奏してあげていた。リサの母は「そのキーボードは記念に千里にあげる」と言ったので、千里ももらっておくことにした。(このキーボードは後に玲羅が使うようになり、25年後には玲羅の娘の遊び道具となる)
「千里、しかし何の曲でも弾くな」
と美那が感心していた。
「美那のほうが多分上手い」
「私はそんなにレパートリーが広くない。特に外国の民謡はよく分からない。ジャニーズもTOKIOとV6しか分からん」
千里はリサのお母さんにピアノを習ったので、フランスの民謡・童謡をかなり弾きこなす。他にもブラジル人とか中国人とかインド人の子供などもいるのであちこちの国の童謡を覚えた。またリサがジャニーズ・フリークなので、ジャニーズ系の曲も網羅的に覚えた。
送別会が終わった後、小さい子たちを先に帰し、千里たち4年生の子たちで後片付けをする。4年生だけと言っていたのだが、3年生の子2人も手伝ってくれた。たぶん来年度はこの子たちが「お世話係」の立場になっていくだろう。
リサは主賓だし、引越の準備もあるだろうし帰っていいよと言ったのだが「私も手伝う」と言って、テーブルを拭いたり、ホウキで畳を掃いたりしてくれていた。
10分か15分ほどできれいに片付く。でも本当に寂しくなるね、などと言っていた時、リサが「最後にまた留萌の温泉に入っておきたい。誰か付き合わない?」と言う。
「私も付き合いたいが、父ちゃんに御飯を食べさせなければ」
と美那の母。
「私も行きたいが塾があるし」
と恵香。
それで結局、千里・蓮菜・留実子・小春・リサがリサの母と一緒に温泉に行くことにした。
リサの母がRenault Twingoに子供たち5人を乗せて温泉に向かう(帰りは各々の子をそれぞれの自宅まで送り届けますよとリサの母は言った)。
それで温泉に着くが、リサの母は千里は女の子、留実子は男の子だと思っている。それでフロントでは「大人女1人、子供女4人・男1人」と言って鍵を出してもらっていた。
蓮菜は「うーん・・・」と腕を組んで考えたものの、気にしないことにしたようである。
「はい、るみ」
と言ってリサの母は青いロッカーの鍵を留実子に渡す。
「ありがとうございます」
と言って留実子はその鍵を受け取り、手を振って「殿」と書かれた暖簾をくぐり男湯の方に入って行った。
「ねえ、あれ大丈夫?」
と蓮菜が千里に訊いた。
「うん。大丈夫。実は私とるみちゃんの2人でここの温泉には何度も来ているんだよ」
と千里が言うと
「あんたたち色々悪いことしてるようだな」
と蓮菜は呆れたような顔で言った。
それで結局、リサ母娘と千里・蓮菜・小春の5人で女湯に入る。千里が何の照れもなく「姫」と染め抜かれた暖簾を通るので蓮菜は千里のそばに寄って小声で訊いた。
「ね、千里白状しなさいよ。キャンプの時も先週の札幌でも、あんたやはり女湯に入ったでしょ?」
すると千里は微笑んで
「ひ・み・つ」
と答えた。
千里はごく普通に服を脱いで他の子と一緒に浴室の方に行く。各々身体を洗って浴槽の中でまた集まる。
蓮菜はチラッと千里の“何もぶらさがっておらず割れ目ちゃんらしきものが見える股間”を見たものの、気にしないことにしたようである。しかし湯船の中では千里の胸にさわり
「これマジで胸が膨らんでくる前兆だと思うよ」
と小さい声で言う。
「女性ホルモン飲んでるの?」
と蓮菜は訊いたが、千里はそれには答えず
「蓮菜の乳首も立っているね。それに少し太くなりかけている」
と蓮菜の胸を見ながら言う。
「その遠慮無く女の子の胸を見るのが千里の凄い所だ」
と蓮菜は言った。
「普通の男装女子なら、照れや遠慮が出るけど、千里にはそれが無い」
などとも蓮菜は言っている。
「るみちゃんは少し膨らみかけているんだよ」
と千里は少し難しい顔をして言った。
「それであの子、男湯入れるわけ?」
「必死で隠すと言っていた。むろんお股も隠す」
「危ないなあ。それ変な男の人と2人きりとかになった場合に襲われたりしたらものすごく危険」
「襲われるって?」
と千里は意味が分からないので尋ねる。
「うーん。何というか・・・」
と蓮菜は少し考えていたが
「でもるみちゃんの腕力なら、変なことしようとした男はぶん殴って倒すかも知れないな」
と自分を納得させるように言った。
「でも私、留萌、好きだったよ」
とリサが言った。
「特に昔はたくさん漁船が出入りしていて、賑やかで。外人さんもたくさんいたのに」
などとリサは言っている。
「釧路は今でもたくさん漁船が活動していて、スケソウダラとか、イカとかもいっぱい獲れているから、リサが引っ越して来た直後くらいの留萌に雰囲気が似ているかも知れないね」
と小春が言った。
「それだといいなあ。私、日本語あまりうまくないし、言葉の通じる子がいるといいんだけど」
「リサ、本当はもっと日本語話せるでしょ?」
「日本語でもだいたい行けるけど、微妙なニュアンスが伝えにくい所もあるんだよ。それがフランス語の通じる、小春・千里・蓮菜にはディレクト(ダイレクト)に伝えられてこちらもストレスがたまらなくて済んでいた」
1年ほど前、蓮菜がこのグループに参加した頃はまだ蓮菜はフランス語が分からなかった。しかし千里にも教えられてかなり覚えたので、今蓮菜は日常的な会話ならフランス語でもかなり話せる。同時期に参加した恵香は最初から諦めていたようでフランス語を全く覚えていない。
「リサ、向こうではミニバスか何かやるといいよ。スポーツやっていると言葉無しでお互い心が通じ合ったりするよ」
と千里は言った。
「ミニバスかぁ。それもいいなあ。私たちあのバスケットゴールで随分遊んだね」
「うん。今はベルちゃんたちがいちばんハマっている感じだけどね」
9月30日(土)の夕方、リサの一家は旅立って行った。
千里は出発前、リサとハグしあい、涙を流して別れを惜しんだ。
翌日、10月1日(日)の午前中。
村山家に電話が掛かってくるので千里が取ると宮司さんである。
「あ、千里ちゃん。悪いけど、神社の境内で小さな子供たちが遊んでいるのを見ていてくれないかなと思って」
「いいですよ」
「できたらお母さんと一緒に」
「はい。何かあったんですか?」
「実は孫が乗っていたバスが事故を起こして」
「え〜〜〜!?」
「大怪我しているらしいので行ってくる。もしかしたら1週間くらい掛かるかも知れない」
千里はこれは大人が話を聞いた方がいいと思い、母を呼んで代わってもらった。
「分かりました。宮司さんが不在の間は、お母さんたちでチームを組んで、ローテーションで子供たちの見守りをしますから」
「助かります!」
それでその日は千里と津気子が神社に行って子供たちを見守ったが、津気子は子供たちを見ながらあちこちに連絡し、留実子の母、蓮菜の母、玖美子の母など、数人の「外人の子たちに理解があり、最低限英語が話せる女性」でローテーションを組むことにした。
昼過ぎ、町内会長さんが来て
「宮司さん、半月くらい入院するかも」
と言った。
「宮司さんがですか!?」
「実はね」
と言って町内会長さんが、向こうの状況を説明した。
バスの事故は死者が4名も出る大事故で、宮司のお孫さんなど重傷者も10人いるらしい。
「どこを怪我なさったんですか?」
「下半身の損傷が大きくて、重傷者の中には両足切断の人が2人、片足切断の人が3人いるんですよ」
「きゃー」
「宮司のお孫さんは両足骨折ですが、足自体は切断せずに済みました。ところがですね」
と言って、チラッとスカートを穿いている千里と、その向こうに座っている女子中学生っぽい風貌の小春を見る。
「私たちは平気ですよ」
と小春が言ったので町内会長さんはその先を話した。
「実は股間を強打しまして。睾丸破裂・陰茎骨折裂傷で。損傷が酷かったのでやむを得ず両方とも切除したんですよ」
千里はポーカーフェイスでその話を聞いたが、母は
「そんな。若いのに可哀相!」
と言った。
「それでですね。彼のお父さん、つまり宮司の息子さんが、まだ高校生なのにペニスと睾丸を失うのはあまりにも辛いと言って、自分のペニスと睾丸を息子さんに移植してくれとおっしゃったんですよ」
「移植できるんですか?」
「血液型が同じなので可能だそうです。札幌の医大の外科の先生が移植の経験がおありだそうで、その先生が執刀して移植することになりました」
「でもお父さんはおちんちん無くなってもいいんですか?」
「それでですね。その話を聞いた宮司さんが、だったら自分のペニスと睾丸を息子に移植してくれと」
「え〜!?」
「ドミノ移植ですか?」
と小春が言った。
「そうです。性器のドミノ移植です」
「それいっそ、宮司さんのをお孫さんに移植するのではいけないんですか?」
と母が訊く。
「宮司さんのは実際にはもうほぼ機能を失っているのですよ」
「ああ・・・」
「だからそんなに衰えたものを移植しても仕方ないので、まだ充分現役の40代のお父さんのものを高校生のお孫さんに移植し、70歳の宮司さんのを40代の息子さんに移植するということで。息子さんはもう子作りは終わっているから機能を失っているものでも構わないと」
「なるほどー」
「明日、そのドミノ移植を実施するそうです」
「そうですか」
「それで宮司さんも一週間くらいは入院しないといけないのですよ。ただ老齢なので一週間で済まない可能性もあります。そこで念のため復帰まで2週間くらい見て欲しいという話で」
「大変ですね」
「ただそうなると秋祭りができないので、どこかから代わりの神職を呼べるように連絡をしたということです」
「あらあ」
千里は小春と顔を見合わせた。
2人とも考えたことは同じである。
せっかく、千里の父ちゃんの睾丸を移植して、そのおかげで最近宮司さんは随分体調を回復させてきていたのに、睾丸どころかおちんちんまで無くなってしまったら、宮司さんはおそらく急速に老け込むだろう。
小春は《心の声》で千里に言った。
『夜中に神社で対策を考えよう。私、呼びに来るから』
『うん。よろしく』
「それでお前たちはどうしろと言うんだ?」
と大神様は、小春と千里の話に、機嫌が悪そうに答えた。
「このままだと、宮司さんは急速に衰えてしまい、それでは大神様もお困りになられるのではないかと」
「うーん。。。こんなことなら元の宮司の睾丸は廃棄せずに、どこか豚の体内にでも保存しておくべきだったか」
などと大神様はおっしゃる。
「豚ですか?」
と千里は驚くが
「いや。豚の組織は人間の組織と親和性がある。豚の体内で人間の臓器を育てることが可能」
と小春が言うので、へー!と思う。
しかしその人間の臓器を育てた豚は、食べないよね?と千里はちょっとこの話に抵抗感を感じた。
小春が言う。
「それで私も、どこかに男性器が余ってないか、知り合いの狐とかに聞いて回っていたのですが、実はあるお方から「これを使いなさい」と言われて20歳くらいの男の子の男性器を頂いたんです」
「おぉ」
「そこでですね。今晩の内にこれをその男性器を失った高校生に移植してあげられませんか?」
「それを私がやるのか?」
「ちょっと複雑なことをして頂きたいのですよ」
「ん?」
「お父さんの方は既に子作りを終えているからどうでもいいのですが、この高校生はこれから結婚して子作りをしなければなりません」
「うん」
「それなのに赤の他人の睾丸が付いていてはまずいですよね?」
「ああ。分かった」
「さすが大神様」
「ふん。私にお世辞は不要だぞ、小春」
「恐れ入ります」
「つまりだ。そのお前がどこかから調達してきたおちんちんは高校生にくっつけて、睾丸は父親のを移植しようという魂胆だな」
「御意」
「そしてお前が調達してきた睾丸を父親に放り込む」
「そうすれば丸く収まりますよね?」
要するにこのようにするのである。
宮司 陰茎:本人の物 睾丸:そのまま(武矢の物)
息子 陰茎:本人の物 睾丸:小春が調達してきた物
孫 陰茎:小春が調達してきた物 睾丸:息子(本人の父)の物
「20歳の睾丸を入れたら、父ちゃん元気になって浮気するかも」
「それが実は男の娘にくっついていて、本人が取って欲しがっていたのを取り外してきた物なので、20歳なのに凄く弱い睾丸なんですよ」
「ふーん。。。。」
「だから浮気までする気にはならないと思います」
「まあいいや。それなら宮司は今の睾丸(本来は千里の父の睾丸)をそのまま使えるし」
「はい」
「何よりも秋祭りをちゃんとやってもらえそうだし」
「それがわりと重要かと」
「分かった。してやるから、小春案内せい」
「はい」
「千里は私が帰ってくるまで、この神社本殿で私の代理をしているように」
「私、神様の代理なんですか〜?」
「変なのが入って来ないように見ていてくれればいい」
「そのくらいなら何とかなるかも」
それで大神様と小春は出て行った。
千里が少し心細そうに本殿内部でひとりでいたら、何か黒い闇のようなものが迫ってくるのを感じた。
千里はすっくと立ち上がると、その黒い念のようなものに鋭い視線を向けた。すると、その黒いものが粉砕された。
「やっつけたかな?」
と千里は独りごとを言った。
千里がその黒い念を粉砕した後は、神殿内部まで侵入してくるものは無かった。近くにいくつかの同様の存在を感じるものの、千里がさっきのものを粉砕したことで恐れているようである。千里はここは絶対に気を弛めてはいけないと思った。こちらが弱みを見せたら、付け入られる。
小春と大神様は千里の感覚で3時間ほどで戻って来た。
「疲れた疲れた」
「お疲れ様!」
「宮司の孫はちんちんもタマタマも復活した。宮司も息子も今更手術を受ける必要は無いから、宮司は数日で戻って来るだろう」
「ありがとうございます」
「まあ朝になったら医者は仰天するだろうけどな」
「世の中には不思議なこともあるんですよ」
大神様は神殿内部を見回している。
「千里、ほんとにしっかり留守番していたようだね」
「結構緊張しました」
「やはり千里は私が思った通りの子だ」
と大神様はおっしゃる。千里は例によって大神様の姿も表情も見えないのだが、雰囲気的に、笑顔になっておられるようだ。
そしておっしゃった。
「お前の母ちゃんに伝えろ」
「はい」
「大腸の検査を受けろと」
「ダイチョーですか」
「それ治さないと死ぬぞと言え」
「はい!」
どうもこのことが、千里がお留守番をしてあげた報酬のようであった。
それで千里は翌10月2日(月)の夕方、夕食を一緒に作りながら母に言った。
「そうだ。お母ちゃん」
「うん?」
「こないだ神社でお母ちゃんが早く良くなりますようにってお祈りしてたらね、なんかよく分からないけどダイチョーって言葉が聞こえたんだけど、何だろう?それを治療しないとお母ちゃん、ちゃんと治らないよって言われた」
母はハッとした顔をした。
津気子は実は大腸にポリープができているのでは?という自覚症状が数年前からあったものの、検査を受けるのがおっくうなのと、《病院代が無い》という問題から、放置していたのである。千里から言われて、津気子はこれを放置してはいけないと思い直した。
そこで次の4日水曜日、放射線治療と投薬を受ける日に合わせて、津気子は大腸癌の検査を受けた。その結果、中規模のポリープが見つかり、10月の休薬期間中に内視鏡手術によって除去してもらうことにした。
医者からは「あと1年放置してたら、人工肛門にしないといけなかったよ」と言われた。
費用は乳癌の手術・治療の代金も含めて入っていた生命保険と道民共済からかなりの保険金が出たので、高額医療費の直接支払制度も使うことによって、ほとんど経済的な負担無しで治療することができた。
一方千里は毎日母の肝臓のメンテを大神様に言われた通りにしてあげていたのでこれで8月末の時点で大神様が言っていた、乳房・卵巣・肝臓・大腸という全ての危険箇所が治療され、津気子はこの年死なずに生きながらえることになった。
結果的に津気子の死のショックから翌年死ぬはずだった武矢も生きながらえることができたのである。この時点で小春や大神様は気付いていないが、実は睾丸を千里のものに交換し性格が以前より穏やかになったことで、船上で漁労長と衝突して船の指揮系統が混乱し、事故を招くはずだったのも回避されることになった。
しかし千里の寿命はあと2年数ヶ月、小春が巧みに大神様から聞き出したのでは2003年4月9日仏滅23:51に命の炎が燃え尽きる予定である。
「でも千里、私はあんたを死なせないからね」
と小春は決意を秘めた表情でつぶやいていた。
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【少女たちのドミノ遊び】(3)