【少女たちの代役作戦】(1)

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2000年7月下旬。
 
旭川に住んでいた祖父(父の父)十四春が亡くなった。75歳であった。祖父は1年ほど前に脳溢血の発作で倒れ、その後、寝たきりの生活をしていたのだが、その日の朝、息を引き取ったということであった。
 
十四春はニシン漁が盛んだった頃に留萌で漁師をしていた最後の世代である。尋常小学校を出てすぐに漁船に乗り、戦後間もない頃までニシン漁に従事していた。1950年に祖父が乗っていた船が廃船になったのを機に夕張に行って炭鉱夫を10年ほどやった。しかし坑内事故で怪我したことから炭鉱を辞めて旭川に出、郵便局に勤めた。祖父はそれまでずっと独身だったのが、ここで祖母・天子と知り合い結婚、まもなく千里の父・武矢が生まれた。武矢は祖父が36歳になって得た初めての子供である。その後、弟の弾児も生まれたが、武矢は中学を出るとスケトウダラ漁の漁船に乗るべく留萌に行った。武矢は自分の父の見果てぬ夢を追いかけたのである。
 
祖父は定年まで郵便局に勤め、定年退職した後、それと入れ替わるように弾児が郵便局員となった。若い頃は北海道の各地を回っていたものの、2年前から旭川市内の小さな郵便局(小さいが特定郵便局ではなく普通郵便局らしい)の副局長をしており、市内の十四春・天子が住むアパートに同居していた。
 
しかし、2人の息子が、本人の前半生の職業と後半生の職業を各々継いでくれたのは十四春にとっては幸せだったというべきだろう。
 

亡くなったという報せが入ったのが29日(土)先負で、その日の内に通夜をして翌日30日(日)仏滅に告別式という話であった。
 
父も漁が休みなので、すぐ旭川に行くことにする。
 
「私、おじいさんに会ったことなかった」
と玲羅が言った。
 
「小さい頃に一度会わせてるよな?」
と父が言う。
 
「うん。でも覚えてないかもね。去年倒れた後もお見舞いに行けなかった」
と母。
 
行けなかった主たる事情はお金の問題だろうなあと千里は想像した。会いに行くとなると、交通費だけでは済まない。お土産代とか飲み代!?まで考えると頭が痛かったろう。
 

千里と玲羅は小学生なので、葬式自体に参列する訳ではないのだが、黒っぽい服を着せられることになる。
 
「うーん。あんたたちあまり黒い服持ってないな」
「津気子、途中でジャスコにでも寄って買って行けばいい」
「そうしようかな」
 
それで留萌郊外のジャスコに寄る。父は車内で寝てるというので母と千里・玲羅の3人で店内に入った。
 
母はまず玲羅には黒いロングのワンピースを買った。子供は成長するからすぐ服が着れなくなる。しかしワンピースなら少し小さくなってもロング丈がミニ丈になる程度で何とかなるだろうという所である。
 
「あんたはこれにしようか」
と言って黒いジャケットとズボン、それに白いワイシャツを選ぶ。
 
「男の子にワンピース着せる訳にはいかないしなあ」
「私、ワンピースでいいけど」
「親戚が集まるんだから、そういう訳にはいかないよ」
「じゃ、せめてワイシャツじゃなくてブラウスにして」
「いいよ。そのくらい分からないし」
 
それで試着していたのだが、ズボンが合わない。
 
「私、ボーイズサイズは入らないよ」
「うーん。仕方ない。ガールズのを買うか」
「いつも私の服はガールズの買ってくれてるじゃん」
「まあそうだけどね」
 
それで結局、ガールズのジャケットとズボンを買った。左前袷なのだが、子供だしいいだろうと母は自分に納得させるかのように言った。
 

留萌を出たのが10時頃だが、途中ジャスコにも寄ったりしていたので、旭川に着いたのはもう15時近くであった。
 
祖父の両親は既に亡い。祖父には姉が1人と兄が3人と居たものの、2人が既に亡くなっており、2人は「出てこられない状態」だという話だった。代わりにその息子さんとか娘さんが来ていた。
 
喪主は故人の妻(千里の祖母)である天子が務めるが、天子は老齢でもあり、実際には長男の武矢が施主として葬儀を取り仕切ることになっていた。しかしその武矢は葬儀場に着くなり弾児と「おぉ、久しぶり」などと言って、一緒にお酒を飲み始める始末であり、母が顔をしかめていた。
 
結局母が、弾児の奥さんの光江さんと2人で葬儀社の人たちと打ち合わせをしていた。また弾児の同僚や、故人の元部下などの郵便局員さんが数人来ていて手伝ってくれていた。ちょうど土日なので局員さんたちも出てこられたようである。60代の堂々とした恰幅の加藤さんという男性が、祖父の元部下で今は岩見沢市で特定郵便局の局長をしているらしく、その人が葬儀委員長をさせてくれと申し出、してもらうことになった。この人は天子の従弟の奥さんの遠縁の親戚にもなるらしい。
 
やがてお通夜が始まる。この日土曜日にお通夜をして、明日日曜日に告別式という話であった。
 
ホールの方で通夜の準備が進む中、千里と玲羅を含む小学生や幼稚園生たち6〜7人は調理室の端でおやつをもらって食べていた。千里はトイレに行きたくなり部屋を出る。それで探していたのだが見つからない?その内玄関まで出てしまう。
 

「あんた誰だったっけ?」
と60代かなという感じの黒い和服の女性から声を掛けられる。
 
「武矢のこどもの千里です」
と名乗る。
 
千里としてはなかなか「娘」と名乗る勇気は無いものの、「息子」とは言いたくない、ということで性別を問わない「子供」という言い方を結構するのである。
 
「ああ、千里ちゃんか。あんた凄い霊感あるね」
と女性は言った。
「れいかんって何ですか?天子おばあちゃん」
「ああ、よく私が分かったね?」
「5年くらい前に会いましたよ」
 
「うん。もう5年くらいになるかね。年寄りにはそのくらい昨日のことのようだよ」
「年取ると時間の経つのが早くなるとか、お母ちゃんが言ってました」
「そうそう。小さい頃は時間の経ちかたって、カタツムリのようだけど、大人になると自転車のように過ぎていき、中年になると汽車のように速くなって年寄りになるとジェット機だよ」
 
「へー。時間って主観的なものだからでしょうかね」
「それまでの生きてた時間との対比になるから。1歳の子供にとって1年って自分が生きて来た時間と同じ時間だけど、60歳の人の1年は人生のほんの60分の1だから」
 
「私、分数ってよく分からない」
「あんた算数苦手?」
「苦手です。割り算も苦手」
「算数は大事だよ。しっかり勉強しなきゃ」
「はーい」
 

「あんたお稲荷さんの守護が付いてるね」
「お稲荷さんの境内でよく遊んでますよ」
「ふーん。そんなに強い守護が付いてるなら要らないかも知れないけど、これもあげるよ」
 
と言って天子は自分の財布の中から金色の値付けを出した。
「わあ、お猿さんだ」
「うん。日吉大社のお守り」
「ひよし?」
「お稲荷さんのお使いはキツネだけど、日吉さんのお使いはサルだから」
「へー。ありがとうございます」
と言って受け取る。
 
「それは私がウメさんからもらったものなんだよ」
「ウメって誰でしたっけ?」
「十四春(故人)のお母ちゃん、あんたの曾祖母さんだね」
「わあ、そんなのもらっていいんですか?」
「ウメさんが亡くなる時にもらったんだけど、私には強すぎてね。あんたなら使いこなせそうだし」
 
「へー。家の鍵に取り付けておこうかな」
と独り言のように言って、千里は鍵頭のホールに結びつけた。
 

そこに
「いや、うっかり隣と間違った」
などと言いながら、入って来た30歳前後の女性がいた。
 
「あら、あんた来られたんだ?」
と天子が声を掛ける。
 
「天子さん、こんにちは、この度はご愁傷様でした」
「ありがとうね。忙しいだろうに、わざわざ来てくれて」
「たまたま札幌に仕事で来ていたんですよ。うまくそちらがケリが付いたのでこちらまで来ました」
 
「お隣は何か大きな葬儀みたいね」
「それが入ってみたら、私の出た高校の理事長さんの葬儀だったんですよ」
「あらら」
「だから見知った顔がたくさんあって、思わずそちらにも香典出してきました」
「あらあら」
 

そんなことを言っていたら、
 
「おーい、忘れ物」
と言って、黒いハンドバッグを持ってこちらにやってくる、やはり30歳前後のブラックスーツ姿の男性がいる。千里は最初、今入って来た女性と夫婦かなと思ったのだが、違うようだ。
 
「きゃー! 私ったら、とんでもない忘れ物を」
「何か隣の葬儀場と間違って入って来てとか言ってたなと思って、持って来たよ」
「ありがとうございます。先生」
 
女性の母校の理事長さんの葬儀といっていたから、この人もそちらの学校の先生なのであろう。ただ年齢的にほとんど変わらないので直接習った先生とは思えない。あとで関わりが出来たのだろうか?
 
「中を開けたら何か分厚い札束が入っているみたいだし、君の名刺があったんで、隣にいると思うから僕が持っていくよと言って持って来た」
「そうなんです。札幌でお仕事して頂いた報酬を銀行に入金する前にそのままこちらに来ちゃったものだから」
 
「そりゃ無くしたら大変だったね」
と先生と呼ばれた男性が言う。
 
「拾っていただいたお礼の1割で30万円、差し上げますね」
「そんなにもらえないよ!」
「だったら、そちらの部への寄付ということで」
「それなら歓迎。いや、去年もインターハイに出場できたから、今年はダメだったけど、また来年こそはって期待されているんだけど、インターハイ狙うには、それなりの強化もしないといけないし。といって予算も無くてね」
 

「強くなったら強くなったで大変ですね。私たちの頃なんて地区大会の2〜3回戦で負けていたのに。私もポジション曖昧なまま何か適当に出て適当にプレイしていたから。それが先生が着任なさってから変わりましたからね」
 
「僕はたまたまだよ。やはり天地コンビとかが凄かったから」
「でもその天地コンビを見いだしたのが先生なんでしょ?」
「まああの子たちはバレー部の補欠だったんだよ。それで補欠ならこちらで人数足りないし貸してよと言って借りてきたら、その2人の活躍で地区大会優勝しちゃったからね」
 
「水に合ってたんでしょね〜」
「だよね。それでインターハイ2年連続出ちゃったし」
 
2人はしばらく立ち話していたのだが、受付の所にいた女性が
 
「あのぉ、そろそろ通夜が始まりますが」
と言うと
 
「わ、ごめん。じゃまた後で」
と言って先生と呼ばれた男性は隣の葬儀場に帰っていき、先生と立ち話していた女性もホールの中に入っていった。彼女はホールの中に入って行きながら、ちらりと千里を見て「あら?」といった感じの顔をした。
 

その様子を見送ってから千里は、ここに来た用事を思い出した。受付の所にいるお姉さん(弾児さんが勤める郵便局の局長さんの娘さん)洋子さんに尋ねる。
 
「済みません、洋子さん。トイレどこにあるか分かりませんか?」
「ああ、トイレならそちら左に行った所の奥だよ」
「ありがとうございます」
「でも私の名前覚えてくれたのね」
「さっきから何度かそう呼ばれていたから」
「すごいすごい」
 

それで千里は言われた方に行く。
 
すると、あったのは女子トイレである!
 
「まあいいよね」
 
と千里はひとりごとを言って、ふつうに女子トイレに入り、個室で用を達し流して出る。手を洗っていた所に60歳前後の女性が入ってくる。これは確か葬儀委員長を買って出てくれた加藤さんの奥さんだよな、と千里は思った。むろん千里は女子トイレで他の人と遭遇しても何も慌てない。
 
「あ、君、みさとちゃんだったっけ?」
「ちさとですが」
「あ、そんな名前だったかな。明日のお葬式の時、最後のお別れに花を捧げる役をやってもらおうと言ってたのよ。頼んでいい?」
「あ、はい」
「じゃ、ちょっと来て。衣装を手配するのに寸法を調べたいから」
 

それで加藤さんがトイレを終えるのを待ってから女性用控室に行く。ここはもうすぐ通夜が始まるというので全員ホールに移動したところなのでほぼ空っぽである。加藤さんがメジャーを取り出して、肩幅、胸回りや腰回り、それに肩から膝までの長さを測られた。
 
「ドレス丈は95cmでいいかな」
と加藤さんが言うのを千里は何となく聞き流していた。
 

その日はお通夜が行われた後、旭川市内のホテルに泊まる。弾児さんの家は2DKのアパートで、そこに弾児と奥さん、2人の息子、祖父母の6人が生活していた。元々祖父母が暮らしていたアパートに弾児一家が「取り敢えず」と言って同居して、そのままになっているらしい。子供がまだ小さいから何とかなっていたのだろうが、驚異的な人口密度である。とてもそこにこちらの一家までは宿泊はできない。
 
こちらは食事は葬儀場で仕出しを食べているので、もうお風呂に入って寝ようということになる。このホテルはお風呂は大浴場に行く方式なので、母は玲羅を連れてお風呂に行った。父はまだ少し飲み足りないなどと言って葬儀場で用意していたビールを数本持って来ており、それを飲んでいたので千里はひとりで大浴場に行った。
 
そして例によって男湯と女湯の暖簾が並んでいる所まで来て悩む。
 
うーん。。。。
 
悩んだ末、意を決して男湯の方に入ろうとしたら、ちょうどそこから出てきた男性が「わっ」と声を上げる。
 
「君、こちらは男湯! 女湯は向こう!」
「済みません!」
 
それで千里は反射的に女湯の暖簾に飛び込んでしまった。
 

「まあいいよね」
 
と言い訳するように自分に向かって言って、そのまま女湯の脱衣場で空いているロッカーを見つけて服を脱ぎ、中にしまう。愛用のキタキツネの髪留めも外して中に置いた。人が多い時間帯のようで、服を今脱いでいる女性、あがってきて身体を拭いている女性、服を着て少し涼んでいる女性などが居た。
 
概して若い女性が多い。ここ安ホテルみたいだから、たぶんあまりお金の無い若い旅行者とかが多いのかなと千里は思って見ていた。聞こえてくる会話も、大阪や九州っぽいことばが多く、北海道の言葉とはイントネーションが違う。
 
ロッカーを閉めて鍵を手首につけ、タオルを持ち「母や玲羅に会いませんように」と祈りながら浴室に入った。
 
玲羅たちの「波紋」を感じながら、そこから遠い場所で洗い場の空いている所を見つけて座り、身体を洗って髪も洗う。この時期の千里の髪は肩につくかどうかくらいの長さである。しっかりコンディショナーまで掛けてからそれを洗い流した時、目の端に母と玲羅が浴室から脱衣場に出るのを見た。ラッキー〜★ これで心配しなくて済む。
 

それで千里はのんびりと浴槽につかり、ふっと息をついた。母と玲羅が脱衣場でジュースとか飲んで時間を取ったりしている可能性もあるから、こちらも少し時間を掛けてからあがった方がいい。
 
千里は湯船の中で手足の筋肉をもみほぐしていた。
 
その時
「あら?」
と言って千里を見て、声を掛ける人があった。反射的に会釈する。50歳前後の女性がふたり並んでいる。えっと、これは確か・・・祖父の兄・啓次さんの息子の奥さんの克子さんと、もうひとりは祖父の姉サクラさんの息子・礼蔵さんの奥さんで竜子さんだったかな?と記憶をたどる。
 
「こんばんわ、克子おばさん、竜子おばさん」
「やはり千里ちゃんね。でもよく私たちの名前覚えてたね」
「私、人の名前覚えるのわりと得意です」
「すごーい」
 
「母と玲羅は先にあがってしまいました。私はゆっくり入っとこうと思って、まだ湯船につかっていたんですよ」
 
もうこうなれば開き直るしかない。
 
「そうそう。今、津気子ちゃんたちともおしゃべりしていた所なのよ。でも千里ちゃんって女の子よね?」
 
「まあ男の子なら女湯には居ませんよね」
「だよね〜。お通夜の会場で見かけた時に女の子と思っていたのに、さっき津気子ちゃんと話していた時に息子とか言うから、あれ?男の子だっけと思っていたところで」
「母はよく冗談で私のこと息子とか言うんですよ」
「それはひどい」
と言って克子さんは笑っている。
 
「克子おばさんはお住まいは長万部(おしゃまんべ)でしたっけ?」
「うん。私自身は十四春さんとは直接あまり交流が無かったんだけど、うちのお義父さんは、もうぼけてしまっていて、とても連れてこれないから私たち夫婦が代わりに来たのよ」
 
「ある程度離れて住んでいると、こういう時くらいしか会う機会が無いですよね〜。竜子おばさんは江別市でしたっけ?」
「うん。よく覚えてるね〜」
と言って竜子さんは感心している。
 

「あ、今気づいた。あんた凄い霊感がある」
と竜子さんが言う。
 
「霊感って何ですか?」
と千里は訊いた。そういえば昼間にも天子おばあちゃんから言われたよなあ。
 
「うーん。無自覚なのかなあ。千里ちゃん目をつぶって」
「はい」
 
それで千里が目をつぶる。
 
「あっと。念のため後ろ向いて」
「はい」
 
それで千里は後ろを向く。
 
「今私何本指を立てている?」
「右手は3本、左手は1本です」
と千里は即答する。
 
「うっそー」
と克子さんが驚いている。
 
「あんた透視能力がある。ひいばあさん譲りだね」
「とうし?」
 
「あんたのひいばあさんのウメさん、十四春さんやうちの姑サクラさんたちのお母さんが元イタコだったからね」
「へー」
 
十四春の兄弟は、上から望郎・サクラ・啓次・庄造・十四春で、竜子さんはサクラの息子の奥さん、克子は啓次の息子の奥さんである。望郎とサクラは既に亡い。竜子さんと克子さんは同い年で、それもあって意気投合してしまったらしい。
 
「ウメさんはイタコだから目が見えないんだけど、目明きさんと変わらない動きだったらしいよ。サクラさんが小さい頃、悪戯とかしてると、即叱られてたらしいし」
 
「なるほどー」
「目が見えないから運転免許は取れないんだけど、実は運転ができてしばしばダットサン11型を乗り回していたと言うし」
 
「それ本当に目が見えなかったんですか〜?」
と千里は訊いた。
 
「ほとんど見えているに等しかったから医者に診せられたこともあるらしいけど、これで見えるはずがないというお医者さんの診断だったらしいよ」
と竜子さん。
 
「何か面白そうな人ですね」
 
「実際本人も見える訳じゃなくて分かるんだと言っていたらしい」
「あ、私がさっき竜子さんの指の本数が分かったのもそんな感じです」
と千里は言う。
 
竜子さんが頷いている。
 
「でも村山の家系は、目の弱い人も多いみたいね」
と克子さんが言う。
 
「そうそう。ただ、目の弱い人も、霊感の強い人も、女だけに出るみたい。そういう遺伝なのかも知れないけどね」
「へー」
 
「天子さんが50代で失明してしまったし」
「しつめいって?」
「目が見えなくなることよ」
「天子おばあちゃん、目が見えないんですか?」
「うん」
 
「私、昼間天子おばあちゃんと話したけど、全然そんな感じしなかった」
「あの人も霊感が強いから。ひとりで買物とか行っちゃうらしいし。目が見えないなんて、気づかない人多いね」
「へー」
「もっともお店では買い物メモ店員さんに渡して品物選んでもらって、財布渡して代金取ってと言うらしい」
「なるほどー」
「自販機でジュースとか買いたいなと思ったら、通りがかりの親切そうな人を呼び止めて、私目が見えないので、代わりに○○のボタン押してくださいとか頼むんだって」
「そういう人なら、親切な人とだまそうとする人の区別もつくでしょうね」
「だと思う」
 
「あれ?でも天子さんはお嫁さんだから、元々の村山の家系ではないのでは?」
「天子さんはウメさんの姪なんだよ。だから十四春さんとは従兄妹同士の結婚」
「そうだったんだ!」
 
「サクラさんもずっと弱視だったんでしょ?」
と克子さんが言う。
 
「うん。かすかに見えていたみたい。でも外出にはサングラスが必須だったよ」
と竜子さん。
 
「サクラさんのお姉さんも生まれながら目が見えなかったらしいし」
と竜子さんは付け加えた。
 
「あれ?サクラさん、長女じゃなかったんだっけ?」
と克子さんが訊く。
 
「戸籍上は長女なんだよ。でも実際は次女で、その上にひとりいたらしい。でもその人のことは誰も知らないんだよね〜」
 
「その話は初めて聞いた。まあ昔は子供が成長して2〜3歳まで生きていたら、そろそろ出生届出すか、みたいな習慣だったみたいだしね」
と克子さん。
 
「そうそう。だからその人はどうなったのか誰も知らない」
と竜子さんは言った。
 

「千里ちゃんは中学生くらいだっけ?」
と克子さんが話題を変えるように言った。
 
「まだ小学4年生です」
 
「ほんと?何かしっかりした感じだから」
「中学生なら、もう少しおっぱいがあります」
「そうよね! 胸無いなと思ってたところ」
「中学生でこんなに胸が無かったらきっと男ですよ」
「中学生男子が女湯に入ってたら、通報されて警察につかまってるね」
 
「ですねー。でも最近、けっこう乳首が立ってる感覚があるから、そろそろ膨らんで来るのかなあとは思っているんですけどね」
「うんうん。これから少しずつ女の身体になっていく所ね」
と克子さんが優しく言った。
 
「今はまだ中性かな。こないだ冗談で男子用の水泳パンツ穿いて水泳の授業に出ようとしたら『だめ〜!』と言われてスクール水着着せられました」
「そりゃいくら胸が無いからといってムチャだよ!」
と竜子さんが呆れたように言った。
 

結局、克子さんたちとは10分近くおしゃべりしてから
「そろそろあがろうか」
と言って、一緒にあがった。脱衣場で身体を拭いて服を着ようとしていたら
 
「これあげる」
と言ってカツゲンをおごってくれたので
「ありがとうございます」
と言って、もらって飲んだ。
 

翌日。ホテルで朝食を取ってからチェックアウトする。葬儀場に向かう。車の中で、父が母に訊いていた。
 
「献花は誰がするんだっけ?」
「女の子ふたりだからね。千里が女の子だったら、玲羅とふたりでドレス着せてさせたい所だけど」
「気色悪いこと言うな」
「男じゃ仕方ないから、うちの玲羅ともうひとりは、庄造さんの曾孫のえっと・・・みどりちゃんだったかな、そんな名前の子がしてくれることになった」
と母は答えた。
 
どうも母もあまり付き合いの無い親戚の名前は不確かなようだ。千里はケンカって何だろう?とっくみあいのケンカするんじゃないよね?などと思いながらその話を聞き流していた。
 

葬儀場に着くと、玲羅はそのケンカというのの衣装を着せるからと言って母が連れていき、父は男性控室に行くと
「おお、兄貴、もう始めてるぞ」
という弾児さんの声に応じて、またまた酒盛りを始める。竜子さんの旦那さんの礼蔵さん、望郎さんの娘の夫・康夫さんも一緒だ。
 
千里は酔っ払い連中に絡まれてはたまらん、とそこから出てロビーで参列客が入ってくるのを見ていた。
 
するとそこに昨日千里に女子トイレの中で声を掛けた加藤さんが来る。
 
「あ、ちさとちゃん。衣装来ているから、こちらで着替えて」
と声を掛けたので
「はい」
と言って、一緒に近くの事務室に入った。
 
「サイズ測っているから合うと思うけど」
と言われて、ドレスを着せられる。この時、千里は自分がドレスを着せられていることに何の疑問も持っていない!
 
「うん。ぴったりね」
と加藤さんは笑顔である。
 

お花を捧げるのは葬儀の最後のほう、みんなの焼香が終わってからなのでまだ時間があるということであったので、その黒いドレスの格好のまままたロビーに行く。そこで会場を見ていたら、受付の所に立っていたお姉さんが
 
「これあげる」
と言ってジュースを2本くれたので
「ありがとうございます」
と笑顔で答えて受け取り、ふたを開けて飲む。
 
このお姉さんは昨日遅れてやってきて、間違って隣の葬儀場に入ってしまったとか言っていた人である。
 
お姉さんは
『その子、素直そうでいい子ね』
と千里に《心の声》で語りかけてきた。
 
『あれ?お姉さん、これが使えるんだ?』
と千里も同じく《心の声》で応じる。
 
『君、美郷ちゃんだっけ? 君はどうやってこれ覚えたの?』
『小さい頃、神社で遊んでたら、凄くきれいなおばあさんに教えてもらった』
『そのおばあさんって、人間?』
『ああ、人間じゃないと思う。姿は見えなかったから』
『姿が見えなくてもおばあちゃんと分かったの?』
『見えなくても、ふいんきで分かりますよ』
『ふんいき(雰囲気)かな?』
『あ、そうかも。私生身の人間とこの話し方で話したの初めて』
『なるほどね〜』
 
「そうだ、君ちょっと変わったお猿さん持ってるね」
と彼女は普通の声で言った。
「これですか?」
と言って千里は昨日天子からもらった猿の根付けを取り付けている合鍵ごと出す。
 
「ちょっと貸して」
「はい」
 
彼女はしばらくそれを握って目をつぶっていた。
 
「この子、疲れているみたいだったからメンテしてあげたよ」
と言って千里に返す。
 
「ありがとうございます」
と言って千里は笑顔で受け取った。
 

そんな会話をしていた時、入口の方から
 
「まだ始まってないかな?」
と言って小走りで走り込んで来た中年の夫婦があった。昨日ホテルの大浴場の中で遭遇した克子さんと、その夫の鐵朗さん(啓次さんの息子)だ。
 
「まだ大丈夫ですよ」
と受付の女性。
 
「あら、晃子ちゃん、来れたの?」
と克子さんが彼女に訊く。
 
「たまたま道内に用事があってきていたので。済みません。昨日はお客さんに呼び出されたものだからちょっと顔出しただけで帰っちゃって」
 
「へー。あんたも忙しそうだもんね」
「でもちょっと面白いもの見られたから」
と言って、晃子と呼ばれた女性は千里をチラっと見た。
 
克子さんも千里も気づく。
 
「今日は可愛いドレス着たね」
「なんかお花を供えるのをしてと言われました」
「あ、そうよね。玲羅ちゃんとふたりでするのかな?」
「え?どうだろう。玲羅も何かするみたいですけど」
 
「でもこういう服を着ていたら、さすがに息子とは言われないね」
「そうですね!」
 

それで克子と鐵朗は式場の中に入っていった。
 
やがて告別式が始まる。晃子さんも受付は郵便局関係者の洋子さんに任せて式場内に入った。その時、晃子さんが凄く大きな数珠を持っているのを見て、千里は「何だかすごーい」と思った。
 
お坊さんが入って来てお経が始まり、やがて弔電の紹介がある。それが一通り済んだところで焼香が始まる。最初に喪主の天子さんが焼香する。天子さんは目が見えないと聞いていたが、普通に歩いて行き焼香台の所でお香を取って目の前くらいに掲げたあと、香炉の中に投じた。そして振り返って導師にお辞儀をすると喪主席に戻る。本当にこの人目が見えないの〜?と千里は疑問を持った。
 
そのあと施主の武矢と津気子、それから弾児と光江、それから他の親族が続き、一般の参列者(多くが郵便局関係)が続いた。晃子さんも親族と一緒に焼香していた。
 
やがて加藤さんがやってきて千里を呼んだ。
 
「もうすぐだから来て」
「はい」
 
それで加藤さんに連れられて、式場奥の導師などが出入りするドアの所に行く。千里と同じようなドレスを着た少女がいる。こちらに顔を向けるのを見ると玲羅である。
 
「え!?」
と千里も玲羅も声をあげる。
 
「どうかした?」
と加藤さんは言ったのだが、ちょうどその時、焼香が終わったようである。最後を締めくくるように葬儀委員長を務める、加藤さんの旦那さんが焼香をしていた。
 
「はい、出番よ」
と加藤さんが言って、ふたりに花束を渡す。それを千里と玲羅がひとつずつ持つ。司会者が
 
「それでは最後に故人に花束の献花をします。献花するのは、村山美郷ちゃんと村山玲羅ちゃんです」
と言った。
 
それで千里と玲羅が花束を持って導師口から入る。喪主席の所にいる母が仰天した顔でこちらを見ているのを見るが千里はどうしたのかな?などと思いながら玲羅と一緒に花束を故人の棺の上に置く。そのまま一礼して導師口に戻った。
 

「ふたりともお疲れ様。こちらで着替えようね」
といって、千里と玲羅を事務室に連れて行った。
 
「じゃ着替えたらふたりとも会議室の方に行っててね。そちらであと少ししたらお昼が出るから。私は参列者のお見送りに行ってくる」
と言って加藤さんは出て行く。
 
「ケンカってお花をささげることだったの?」
と千里が尋ねる。
 
「そうだけど、なんでお兄ちゃんがドレス着て私と一緒にお花を捧げるのよ?」
と玲羅は逆に尋ねる。
 
「え?分からないけど、お花捧げてと言われたからはいと言ったんだよね」
「ドレス着せられて変に思わなかった?」
「別に。私、ドレスは今までも何度も着てるし」
「うーん・・・」
 
と玲羅は悩んでいるようであったが、千里は何を悩んでいるのだろう?と不思議に思っていた。取り敢えず、ふたりともドレスを脱いで、葬儀場まで来る時に着ていた服に戻った。
 

そういう訳で、千里はこの件に付いては何か変なこと(?)が起きていたこと自体に気づかないまま過ぎてしまったのであった。
 
実は千里はこの手の「本人も意識しないまま」起きている事件がわりと多い。
 
なお、本来、玲羅と一緒に献花をするはずだった美郷の方は、そんな役割に自分が指名されていたことなど全く知らないまま、控室で他の親戚の子供たちとおやつを食べたりおしゃべりしたりしていた。また千里の父は美郷ちゃんが千里と似た顔立ちだなと思ったものの、まさかそれが千里本人とは夢にも思わなかったのであった。加藤さんも美郷と千里を勘違いしたことには最後まで気づかないままであった。
 
しかし結果的には十四春は自分の孫娘(?)2人に送ってもらえたのである。
 

千里は4月に放送委員の鐘江さんに誘われて剣道部に入ったのだが、大してやる気のないまま入っているので、練習には月に2〜3度程度しか顔を出していなかった。
 
それでも元々運動神経が良いので、結構上達していく。更に気合いが凄いので、5年生の女子から「千里ちゃんと対峙すると勝てる気がしない」などと言われる。千里と同じクラスで、3年生の時から剣道部に入っているクラス委員の玖美子なども
 
「私負けそう」
などと言っていた。
 
「村山は気合いは凄いけど、実際には技術がまだまだだから、恐れずに打ち込んでいけば勝てる」
と鐘江さんなどは言うものの
 
「その打ち込みに行く以前の段階で気合いで負けちゃうんですよ」
と玖美子は言う。
 
それでも千里と玖美子はお互いちょうどいいくらいの練習相手ということで、千里が出てきた日には熱心に対戦していた。剣道部の練習は夏休みに入ってからも週3回くらいやっていたのだが、千里は週1回しか出ていっていなかった。
 

8月上旬の月火、千里たちの学校の4年生は近隣のキャンプ場にキャンプ体験に行った。任意参加ではあったが、4年生54人の内、44人が参加した。付き添いの先生は1組担任の我妻先生、2組担任の近藤先生、体育の桜井先生、それに教頭先生である。
 
本来は体育の三国先生と家庭科の菅原先生の予定だったのが、三国先生が先日の遠足の時に酔っ払ってしばらく校外活動は謹慎らしく、代わりにキャンプ指導で桜井先生が入り、男手も欲しいということで教頭先生が入ったらしい。
 
一行は月曜日の朝8:30に学校に集合して、そこから歩いてキャンプ場を目指す。例によって班単位でまとまって行動し、GPSも持たせるが、念のため各班で班長ではなくていいから機械に強い子が扱うように指示し、事前に操作方法のレクチャーも行った。
 
千里たちは遠足の時と同じ、高山君・鞠古君・田代君に、千里・留実子・蓮菜の6人で、班長は高山君だが、GPSは田代君が持つ。
 

遠足で行った白銀丘よりも距離的には遠いのだが、あの時ほど急な坂は無く、なだらかな傾斜が続いたので、そういう意味では楽だったが、食材を分担してリュックに入れているので重量があり、結果的にはキャンプ場に着いた頃にはみんなへばっていた。
 
少し休憩した後、お昼ご飯のカレー作りを始める。場所はキャンプ場そばの河原を使う。かまど作りに使う石がふんだんにあり、鍋を洗う水が調達できるし、火を使っても安心という一石三鳥の環境なのである。
 
ある程度の人数が必要なので、各クラス2グループずつ4グループに別れて作業した。1グループが11名である。
 
主として男子が石を組んでかまどを2つ作り、火をおこす。その間に主として女子が野菜やお肉を切って鍋に投入する。千里はもちろん他の女子と一緒に調理係、留実子はもちろん他の男子と一緒にかまど作りをした。留実子は1組の両方のグループのかまど作りに呼ばれた。
 
「花和、石の組み方がうまい。前やったことあるの?」
「父ちゃんに習った。空気の通る穴を開けておくのがコツだよ」
「へー。凄いね」
「何度か家族でキャンプしたよ」
「アウトドア派なんだ!」
 
「千里、ジャガイモの皮むきがうまい」
「いつもやってるからね」
「おうちでお料理手伝ってるの?」
「この春からうちのお母ちゃんがパートに出たから最近は毎日私が夕飯作ってる」
「主婦なんだ!」
 

お米は無理して飯盒などは使わず、キャンプ場の電気ジャーを借りて別途炊いたので、作業を始めてから1時間ほどで食べられるようになる。
 
「美味しい美味しい」
「山で食べるご飯は美味しいね」
「自分たちで作ったから美味しいのもあるね」
「学校から2時間半歩いたから美味しいのかも」
 
各班のカレーの出来を味見して回っていた桜井先生が
 
「ここのカレーはいちばんの出来かも」
などと言うので、隣のグループからまで「一口食べさせて」などと言って味見に来ていた。
 

食事が終わった後、主として女子は鍋や食器を川で洗い、その間に主として男子はかまどを崩して燃え残りの炭を集め、管理人さんに処理を依頼する。かまどの跡には水を十分掛けておく。
 
そういった作業が終わったのが1時半頃で、その後「宝探しゲーム」をする。キャンプ場の敷地内に多数の「宝」を隠してあるのを探し出すのである。但し必ず2人以上で行動すること、敷地の外には出ないことということであった。千里は留実子と組んで、あちこち歩き回った。
 
途中で蓮菜と田代君のペアに遭遇する。
 
「何か見つかった?」
と蓮菜から訊かれるので
「まだ3つしか見つからない」
と言って千里が「宝のカタログ」を3つ見せると
 
「うっそー。こちらはまだ1つも見つけてないのに」
と言われる。
 
「じゃ2個あげようか?」
と言ってカタログを2つ渡す。
 
「2個ももらっていいの?」
「どうせすぐまた見つかると思うし」
 
「どうやって見つけてるのか、見せて!」
と蓮菜が言うので、しばらく4人で行動する。
 
「あ、ここにあった」
と言って木の枝に引っかけてあるカタログを千里が見つける。
 
「あんなの良く見つけるね!」
「何か違和感があるんだよ。それで気づく。るみちゃん取れる?」
「任せて」
と言って留実子が木によじ登ってそれを取る。
 
「千里が探索係、るみちゃんが回収係か」
「ある意味、最強のペアかも知れん」
 
「ふつうの女子のペアだと、あんな高いところにあるやつは見つけても回収できないもんなあ」
 

その後も4人で一緒に行動したが、千里は更に2個見つけ、何も見つけきれずにいた、鞠古君と元島君のペア、恵香と佳美のペアにも1個ずつ分けてあげた。
 
宝のカタログに書かれているのは数字だけなのだが、宝探しが終わった所でそれを桜井先生の所で実際の賞品と交換してもらう。
 
千里と留実子がゲットしたのは、運動靴の交換券とショートケーキの交換券でいづれも地元のお店で交換可能なものである。千里も留実子も今履いている靴がけっこう痛んでいたのでちょうど良かった。
 
蓮菜たちに譲ったのが北海道グリーンランドの入場券とカードキャプターさくらの映画チケットで、まるでデートしろといわんばかりの賞品だ。
 
「まあせっかく当たったし、あんたと一緒に行ってやってもいいよ」
などと蓮菜は言っていた。全く素直じゃない。
 
鞠古君たちに譲ったのは旭川のレジャープールの入場券、恵香たちに譲ったのは和菓子屋さんの交換券であった。
 
「あんたたちでいちばん豪華な賞品を独占してるね」
と桜井先生が笑って言っていた。
 
宝のカタログは全部で50本あったらしいが、10本が金賞で、この4組でその内の6本を見つけ出したのである。
 

宝探しの後はキャンプ場内の集会所に入って、キャンプ場のスタッフさんの指導のもと、木の枝とドングリで人形作りをした。鞠古君が器用で、このグループは各々の人形に楽器を持たせて、合奏のようにした。蓮菜と田代君の人形がヴァイオリン、留実子のがヴィオラ、鞠古君のがチェロ、高山君のがクラリネット、千里のがフルートという感じである。
 
人形作りの後は、男子はキャンプファイヤーの薪割り、女子は夕食の調理ということになった。
 
もっとも教頭先生は
「最近こういうの男女で分けると苦情が来るらしいので、女子でも薪割りしたい人はしていいし、男子でも調理に参加したい人はしていいから」
 
と言った。それで蓮菜が「よし、薪割りに参加しよう」と言って田代君と一緒に頑張っていたし、鞠古君は「俺は調理に参加しようかな」と言って、参加して華麗な包丁さばきを見せていた。
 
「鞠古君、うまーい」
「おうちでもしてるの?」
「うちは共働きだからね〜。けっこう俺が作る日もあるよ」
「凄い、凄い」
 
「でも鞠古君、お姉さんいなかったっけ?」
「姉貴は全然料理はしない」
「ほほぉ」
「いい主夫になれるね」
「うん。料理苦手だけど可愛い女の子とか歓迎」
「ほほぉ」
 
なお、千里は当然調理組、留実子は当然薪割り組に入っていた。
 

お昼はキャンプっぽくするのに、河原にかまどを組んだのだが、夕食は集会所に付属する調理室でガスを使い、豚汁を作った。ご飯も電気ジャーで炊いた。この日は一般のキャンプ客も結構来ており、調理室を使う人たちもあるのでN小の児童たちは調理室内の2つの調理テーブルの内1つだけを使い、2個のコンロで煮たので、材料を切っては煮て少し煮えたらその鍋は下ろして次の鍋を煮るという形で進めることにした。余熱で煮えるのも計算に入れた調理である。
 
夕食の調理を始めたのが4時半すぎであったが、作業をしていたら教頭先生が回ってきて
 
「これお風呂の時間割ね」
と言って紙を数枚調理室に置いていった。
 
一般男性 16:30-17:30
N小男子 17:30-18:10
N小女子 18:20-19:00
一般女性 19:00-20:00
 
となっている。浴室がひとつしかないので、それを交代で使用するのである。
 
「男子の入った後に入るのか」
「でも私たちの入った直後に男子に入られるよりいい気がする」
「確かに確かに」
 
「でも18時20分からなら、だいたい調理のきりがついたあたりで行けばいいね」
 
「うん。そんな感じだね」
と鞠古君まで言っているので
 
「あんたはそろそろ行かなきゃ」
「あら、女子は18:20からでしょ?」
と鞠古君が言うので
「女子の時間帯に入りたければ手術してチンコ取ってからにしろ」
と恵香に言われて、ついでに美那に蹴りを入れられていた。
 
それで鞠古君は17:25くらいに調理室を出てお風呂に入りに行った。
 
そしてこの時点で誰も千里のお風呂問題のことに気づいていない。
 

そのあと、他の女子たちはまだおしゃべりしながら豚汁作りを続けていたのだが、18時近くになってから、様子を見に来た教頭先生が「あっ」と小さい声をあげて千里のそばに寄り
 
「村山君、ちょっと」
と小声で言って調理室の外に連れ出す。
 
「君、お風呂は?」
「うーん。どうしようかと思ってたんですけどね〜」
「男子の入浴時間はもう終わっちゃうよ」
「ちょっと他の男子のいる所には入りたくなくて」
「気持ちは分かるけど、汗かいてない?」
「かなり掻いてます。汗は流したいんですよね」
「だったら、18:10ぎりぎりを狙って行ったら?そしたら他の男子とあまり接触しなくて済むでしょ。女子は18:20からだから、少し時間オーバーして、それまでにあがればいいよ。10分間では慌ただしいけど」
 
「あ、その方式いいですね。じゃ、私。それで行きます」
「うんうん」
 

それで千里はそのまま離脱して集会所の隅に置いている自分の荷物からタオルとシャンプーセット(シャンプー・コンディショナー・ボディソープ)に替えの下着の入ったビニール袋を取り、管理棟の反対側の方にある浴室方面に向かう。千里が集会所を出る時、時計は18:03であった。
 
この管理棟は左端に集会所と調理室があり、途中に事務室や用具室、それに玄関と小ホールをはさんで、向こう側には若干の宿泊ができる部屋が並んでいる。そしてその先にトイレと浴室があるのである。浴室はだいたいおとな17-18人程度が同時に入れる広さだということであった。今回のN小の参加者は男子25名・女子19名だが、小学生なので十分収容能力がある。
 
それで浴室のドアを見て、少しためらった末にそこを開けようとしたら
 
「あ、ダメダメ」
と声を掛けられる。
 
25-26歳の男性だ。どうもキャンプ場のスタッフさんのようである。
 
「君N小学校の生徒?」
「あ、はい」
 
「女子は18:20からだから、もう少し待って。今はまだ男子が入っているよ」
「すみませーん!」
「男子があがった後で、スタッフが簡単に清掃した上で、女子を入れるから」
「分かりました」
 

ということで千里は男子が入っている時間帯にお風呂に突撃することはできなかったのである!
 
それでどうしようと思っていた所に、管理棟右端の通用口の所から30代くらいの女性が入って来た。一般の利用者さんのようである。
 
「すみません。キャンプ場のスタッフの方ですか?」
「あ、はい」
と風呂場のそばに立っていた男性は答える。
 
「散策していたのですが、子供とはぐれてしまって」
「お子さん何歳ですか?」
「小学1年生なんです」
「男の子?女の子?」
「男の子です。カオルというのですが」
「カオル君? どのあたりではぐれたんですか?」
「双子沼まで往復してきたんです。帰り、私と夫は疲れてしまって。子供だけ先に走っていくもので、ひとりでそんなに走って行ったら迷子になるよ、と言っていたのですが、こちらに戻って来ても見当たらないもので」
 
「それはいけない。何人か出て探しましょう」
とスタッフさん。
 
その時、千里は言った。
「私も協力しましょうか? 私、人探すの得意なんです」
「ほんとに?」
 

しかし千里が小学4年生なので、君自身が迷子になられては困ると言われ、結局千里はそのお母さんと一緒に探しに行くことにした。
 
日没は18:50である。30分程度以内に見つけ出さないと捜索作業自体が危険になってしまう。
 
千里はタオルや着替えなどを浴室近くにある洗面台の所に置くと、そのお母さんと一緒に外に出た。
 
千里は目をつぶって自分の感覚を研ぎ澄ます。
 
スタッフさんが数人動き回っているのを感じる。邪魔だなと千里は思った。その人たちの「波紋」のおかげで目的の波紋を探しづらいのである。
 
「カオル君の持ち物が何かないですか?」
「あ、はい。えっと持ち物はないですけど写真なら」
「見せて下さい」
 
お母さんが自分の携帯を開くと、待受画面に子供の写真が写っている。千里はじっとその子を見つめた。そして再度目をつぶって感覚を鋭敏にしていく。
 
「こちらに居ます」
と言って左手を指し示す。
 
「行ってみましょう」
「はい」
 

それで千里はその子の「波紋」を感じ取りながら道を歩いて行く。波紋が少しずつ強くなっていくのを感じる。
 
「だいぶ近づいてきましたよ」
「本当ですか?」
「泣いてますね」
「ああ・・・」
 
そして千里は管理棟を出てから10分ほどで、あまり人が通って無さそうな雑草で覆われた道の途中で、その子が崖からすべり落ち斜面途中に引っかかっているのを発見したのである。
 
「カオル!」
「おかあちゃん!」
 
と子供は泣きべそ顔である。お母さんが助けに降りようとするのを千里は止めた。
 
「これ危険です。男の人に任せましょう」
 
それでお母さんは自分の夫と、キャンプ場のスタッフさんに携帯で連絡を取る。
 
カオルは母親の顔を見て安心したのか動こうとしたのを千里が制止する。
 
「カオル君、動いたらダメ。今おとなの人が助けに来るからね。君、男の子だろ? 我慢してじっとしてなさい」
「でもぉ・・・」
「じっとしてなかったら、男の子らしくないと言われて、おちんちん取って女の子にされちゃうぞ。名前もカオリとかにされちゃうぞ」
 
「ちんちん取られたくない」
「だったら、じっとしてる。いいね?」
「うん。我慢する」
 

そんなことを言っていた時、ひとりの初老の男性が通りかかった。
 
「どうしたの?」
「子供が滑り落ちてしまって」
「おお、それはいけない。僕が助けてあげるよ」
「危ないですよ?」
「大丈夫。僕は山には慣れてるから」
 
そう言うと、男性は斜面をゆっくりと降りて行き、カオルを確保した。彼を背中にしょって斜面を登ってくる。
 
「はい、お母ちゃんとお兄さんだよ」
と言って、カオルを下に降ろす。
 
「お母ちゃん」
と言ってカオルが母親に抱きついた。
 
「お兄さんと一緒に歩いてたの?」
と初老の男性が千里に訊く。
「あまりお兄さんと言って欲しくないなあ。私は通りがかりのものです」
「ああ、今気づいた。君って魂が女の子だもんね。女の子になりたいの?」
「なりたいです」
「ふーん。僕の弟子になるなら女の子に変えてあげてもいいけど」
「変える?」
「僕は男を女に変えたり、女を男に変えたりできるんだよ。僕自身も去年までは女だったんだけどね。飽きたから男になってみた」
「それすごく興味あります」
 
そんな会話をしていた時、キャンプ場のスタッフさんがやってきた。やがて父親もやってくる。それで騒がしくなってしまったので、千里は初老の男性が言ったことは気になったものの、そっとその場を離れた。
 
 
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【少女たちの代役作戦】(1)