【少女たちのBA】(1)
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(C) Eriko Kawaguchi 2021-11-19
その日、照絵は買物に行こうとしたのだが、龍虎を放置して行く訳にはいかないので、連れていくことにする。服を着替えさせようと思ったが、あいにくほとんどの服が洗濯中である(赤ちゃんの成長は速いので、すぐサイズが合わなくなる)。照絵は龍虎の衣裳ケースを眺めてから呟いた。
「あんたこれ着る?」
2002年6月17日(月)、千里たちの小学校で今年最初の水泳の授業が行われた。この授業は市が昨年オープンさせた屋内温水プール“ぷるも”を使用した。
千里たちの小学校にもプールはあるが、温水プールでもないし、屋外に設置されたものなので、使えるのは7月上旬くらいから8月中旬くらいまでの短い期間である。しかし屋内プールなら気温などを気にせず使えるので、昨年から市内の小中学校の水泳の授業に開放されていた。ただ多数の学校で共用するので、ここを使えるのは月に1度くらいである。
それで次の水泳の授業は7/1の週に学校のプールでになる予定である。
千里たちはバスに乗って市の中心部まで来ると、引率の吉村先生(男性)・桜井先生(女性)に続いて入場する。係の人がカウンターで人数を数えている。両手にカウンターを持って、どうも男女別の人数を数えているようである。
千里は蓮菜や恵香たちとバスの中からおしゃべりしており、おしゃべりしながら入場し、おしゃべりしながら更衣室に入る。かなりの女子が自分を見ていることにまるで気付かないかのように、おしゃべりしながら服を脱ぐと、その下にスクール水着をつけている。周囲の女子の緊張感が弛むのを、蓮菜や恵香は感じるが、千里は本当に何も意識していないかのようである。
蓮菜が言った。
「みんなが気になっているようだからサイズ測定しよう」
「サイズ?」
と千里は訊き返す。
「まずアンダーバストを計りまーす」
と言って蓮菜は千里の第10肋骨の付近に水着の上からメジャー(なぜか持ってる)を当ててサイズを計る。
「55cmだね」
「さすが細い」
「トップバストを計りまーす」
と言って蓮菜は千里の胸の膨らみのいちばんある部分にメジャーを当てて計る。
「61cmかな」
「差は6cmか」
「そんなものだろうね。ゆみちゃんは何cm?」
「私もっと小さーい」
と優美絵は言っている。恵香が蓮菜のメジャーを借りて測ると、アンダー53cm, トップ60cmで差は7cmだった。
「ゆみちゃんブラ着けないの?」
「私に合うブラは無いよー」
「うーん・・・」
「ゆみちゃんだと4Sかなあ」
「いや、そんな小さなのはさすがに売ってない」
「千里は、ブラジャー着けてるよね。サイズは?」
と美那が訊く。
「まだジュニアブラだよ。2Sサイズ」
「2Sかぁ」
というので、周囲はホッとしている(ごく一部焦っている子もいる)。まだAカップとかを付けている子はほとんど居ない。千里が万一にもAカップだったら、嫉妬される所だ!
「千里はアンダーが小さいから、A60とかを着けるにはまだ数年かかる」
と蓮菜。
「そうだなあ。高校に入る頃までにはそのくらいまで進化したいなあ」
と本人。
蓮菜と千里がそんな会話をしているのをそばで聴いてて恵香は疑問を感じた。
この子、中学高校では女子制服を着るつもりだろうか??でもこれだけバストが発達してくると、男子制服は物理的に入らない気もする。
結局そのままシャワーを通ってプールサイドに出る。
男子は男子更衣室、女子は女子更衣室を通過してプールサイドに出るので、男女が自然にまとまっている。それでそのまま準備運動をしてから、3レベルに別れて授業は始まる。
A ターンができる子
B 25m泳げる子
C 25m泳げない子
レベル分けは自己申告である。千里はもちろんCレベルに入る。ここは圧倒的に女子が多い。7レーンある内の第7レーンを使い、プールサイドの棒に捉まってバタ足練習から始めた。
Bは1-3レーン、Aは4-5レーンを使用して自由に泳がせる。ただし1レーンはターンの練習用で2-3レーンが泳ぎ用である。Bに吉村先生が付いていて、Cは桜井先生が指導する。Aは放置だが、特に問題はないはずである。好きなだけ泳いでもらう。なお、2/3,4/5レーンは泳ぐ向きを分離して衝突をできるだけ避けるようにしている。ターンしたら右隣のレーンに移動して泳ぐ。また追いつかれたら、速やかに譲るというのもルールである。
C組はバタ足練習を10分くらいした後で、ビート板を持って足だけで進む練習に移る。これを更に10分くらいした所で、少し泳げる子は6レーンで泳ぐ練習。まだまだの子は引き続きビート板を使い7レーンで、足だけで進む練習と分ける。ここのプールは6-7レーンは水深が浅いので、泳げない子が溺れる恐れが少ない。ビート板を使っても沈みがちな優美絵は特別コースでひたすらバタ足練習をしている。
千里はまだビート板を使っていたが、桜井先生から
「千里ちゃんは6レーンに行こうか」
と声を掛けられ、仕方ないのでそちらに移動した。
千里がわりとしっかり泳ぐので、美那から
「千里、結構うまいじゃん」
と言われる。
「私肺活量あるから、息継ぎをあまりしない方がいいと言われた」
「ああ、息継ぎの時にどうしてもフォームが崩れるよね」
千里の場合、4年生の時から桜井先生に個人指導を受けていただけあり、フォームはしっかりしている。ただ、筋力が無いからどうしても遅い!時間が掛かるので、25mに到達する前に力尽きてしまうのである。だから千里の場合、筋力さえつけば25mは泳げるようになると言われていた。
実際この日は20mくらいまで何度も到達し
「Bクラスに昇格するのは時間の問題だね」
と桜井先生からも褒められた。
授業が終わり更衣室に移動する。プールサイドから通路を通る、シャワー室のところで男女別れるが、むろん千里は女子の方に行く。蓮菜たちとおしゃべりしながら水着を脱ぐ。
周囲の女子たちの視線が凄い!
千里・蓮菜・恵香の3人以外は、会話をやめ、沈黙し息を呑んで千里を見ている。
千里は、微かな膨らみのあるバストを堂々と曝しながらバスタオルで身体を拭く。
女子たちの視線が熱い!
女子たちの視線は千里の下半身にも注がれているのだが、千里は全く気にしていないし、気付かないかのようである。蓮菜と恵香も普段通りの表情で千里と会話している。
千里は完全ヌードの状態を10秒近く続けた上でショーツを穿いた。周囲の緊張感が少し薄れる。更にブラジャーも着けると、緊張感はほぼ和らぎ、周囲での会話も再開された。蓮菜と恵香はその“後”で、“着替え用バスタオル”を使って、自分たちも水着を脱いで普通の下着に着替えた。
「みんなの前でヌードを曝しなよ」
というのは、先週末に蓮菜から言われたことである。
「だって千里、修学旅行の時、お風呂はどうするつもり?」
「え?私は男子だから男湯に」
「入れる?」
「無理だよねー」
「男湯に入れないのなら女湯に入るしかない」
「うーん。消去法かな」
「だからあらかじめ千里のヌードをみんなに見てもらおうよ」
「どうやって?」
「月曜日は、ぷるもで水泳の授業がある」
「うん」
「水着を脱いで普通の服に着替える時は、どうしてもヌードを曝す」
「え?私、着替え用のバスタオルを持ってるけど」
「だからそれを使わないでヌードを曝すんだよ。そしたらみんな千里は女の子の身体なんだというのを再認識してくれるから」
「恥ずかしいよぉ」
「千里が痴漢として通報されないために必要なことだよ」
そういう訳で今回千里はわざとみんなの前にヌードを曝したのであった。
照絵が龍虎を抱っこひもで抱いて買い物していると、しばしば買物中のおばさんたち、また女性の店員さんからも声を掛けられた。
「可愛いお嬢さんですね」
「はい、10ヶ月なんですよ」
まあキティちゃんの服着てたら、女の子と思うよね〜。
「この子、美人さ〜ん、きっと可愛いお嫁さんになるよ」
「この子、女優さんになれるかもね」
あはは。女優というのもいいかもね。
2002年6月22日(土).
千里が参加している合唱サークルは、この日旭川で行われるコーラス・フェスティバルに参加することになった。
今回の参加者は引率の馬原先生と松下先生(女性)以外には、6年生8人、5年生10人、4年生12人の合計30人(ビアニストの6年美那と5年香織を含む)。6年生は具体的には下記である。
6年生:蓮菜・穂花・佐奈恵・千里・映子・紗織・美都+ピアニストの美那
穂花(ソプラノ)が部長、映子(アルト)が副部長である。
これに小春も入っていたのだが、最近小春は小学生のような容姿を長時間維持するのが困難になりつつある。それで「丸1日キープする自信が無い」と言って不参加である。小春は座敷童子なので、彼女の不在は千里・蓮菜以外には全く認識されていない。
今回演奏する曲は2曲である。
ひとつはKinki Kidsの『情熱』を女声二部合唱に編曲したもの。もうひとつは一昨年の『キタキツネ』、昨年の『流氷に乗ったライオン』と同じ、高倉田博さんの作品で『キツネの恋の物語』という曲である(合唱組曲『カイの情景』より)。
いづれも4月から練習を始めたので、特に難曲である『キツネの恋の物語』はまだまだ未完成なのだが、度胸付けに一度人前で歌っておこうということで、このフェスで歌うことにしたのである。
『キツネの恋の物語』にはソプラノソロ、アルトソロの他に篠笛が入っている。
4月に、その篠笛を吹く人を決めた時のことである。
「篠笛は・・・あれ?誰か篠笛のうまい子がいたよね?」
と馬原先生は言ったが、名前が思い浮かばないようである。
「卒業した去年の6年生に居たのでは?」
「そうだったのかなあ」
小春のことは、(本人が目の前にいないと)千里と蓮菜にしか分からない。美那が少し悩んでいたようだが、美那は小春との関わりがあまり大きくないので、思い出せないようである。
「村山さんが凄くうまいですよ」
という声もあったが、
「村山が歌う方から抜けると、声量が足りない」
と蓮菜が言ったので
「確かにそうだ」
という声が多数あがる。
「千里は3人分くらい声を出してるからなあ」
と新部長に指名された穂花も言う。
つまり千里が抜けると、ソプラノの音量が足りなくなるのである。それで結局篠笛は、鼓笛隊でファイフを(千里と並んで)先頭で吹いている映子が吹き、バックアップで祭りの篠笛を吹いたことがある4年生の由衣も練習することになった(祭りの篠笛は“囃子用”だが合唱で使うのは“ドレミ調律”なので彼女は最初『この篠笛、変〜!』と言っていた)。
なおこの曲の篠笛パートは、小春が書き、作曲者に承認をもらったものである。コンクールで使うことを考え、編曲許可証を頂いているが、高倉田博さんは
「『キタキツネ』の篠笛の譜面を書いた人かな。ほんとにいいセンスしてるね」
と言っておられた。
蓮菜は後で千里と美那・穂花にだけ話した。
「千里が篠笛の担当をした場合さ、千里が声変わりして高音が出なくなったので、篠笛の担当に回ったと思う子が出るかも知れない。そう思って、千里の性別に疑義を起こさないように、私は反対したんだよ」
「色々考えてるんだな」
と美那は言ったが、穂花は言った。
「千里が男の子かも知れないと思っている子はひとりも居ないと思う」
「それはそんな気もする」
と蓮菜も認める。
「そして実際千里は女の子だから声変わりは起きない」
「ああ、それは間違い無い」
と美那。
「でもやはり千里が抜けたらソプラノの声量が厳しくなると思うよ。特にこの曲の最高音の付近は出る子の人数が少ないから、どうしても歌っているふりだけの子が増える。伸び伸びと安定してハイDを出せるのは、私と千里に津久美ちゃんくらいだもん」
と穂花は言った。
「いや、DどころかCが出る子もそう多くは無い」
と蓮菜が言う。
本来ソプラノの担当音域はA5までだが、最近は小学生の合唱団でもソプラノにC6を要求する曲は多い。特に全国大会で上位を狙おうという学校ならD6まで使う曲を選ぶのは当然。ただ出せるのは現時点でN小では3人しか居ない。
「万一穂花が休みで津久美ちゃんがソロを歌った場合は、千里だけが頼りだね」
と美那は言った。
この曲のソプラノソロは穂花、アルトソロは5年生の希望の担当だが、昨年は本番前に事故があったりしたので、バックアップで、ソプラノソロは5年生の津久美、アルトソロは6年の紗織も練習している)
フェス当日は、朝9:10に留萌駅前に集まった。保護者の車数台に分乗して集まっている。千里と美那は蓮菜の母に乗せてもらった。
9時半発の留萌−旭川間の快速バスで旭川に出る。所要時間は約2時間で、時間的にはJRに乗るのと大差無いが、JRだと深川駅で乗り換えて、しかもそこで50分も待たなければならないので苦痛である。バスなら道中寝て行けるので、この選択となった。みんなJRを使わない訳である。今回は予めバス会社に言っておいたら増車してくれた。2号車は実質N小専用である。この快速は幌延発なのだが、2号車は留萌駅前発で9:20くらいに駅前に来たのですぐ乗り込んだ。そして1号車の到着後、一緒に発車した。
なおこの時期は、高速は秩父別(ちっぷべつ)までしかできていない。一応来月17日には秩父別−沼田間が開通する予定である。留萌までつながるのは2020年3月28日である!
旭川に到着したのは予定より少し早い11:20頃で、予約していた割烹料理店(わりと団体さん向け)に入り、早めのお昼御飯を食べた。御飯・味噌汁、カレイの煮付け、マダラのフライ、茶碗蒸し・炒り豆腐の小鉢、などという構成は「まるで普段の御飯みたい」と不評だった!留萌は漁業の街なので、夕食でのお魚の比率の高い家も多い。
BGMでZONEの曲が流れているのを聴いていて、どこからともなく声があがる。
「ロックもいいよね〜」
「ガールズバンドもいいよね〜」
「男の子と一緒にやると、女は歌だけ歌ってればいいみたいになりがちだもん」
「そうそう。女だけでやりたいよね」
「そういえばロックって何でロックって言うんだっけ?」
「あ、不思議に思ってた。なんで“岩”なんだろう」
これは松下先生が知っていた。
「ロック(Rock)はそれに先行して存在した“ロックンロール”(Rock'n Roll)が語源だけど、これはロック&ロール(Rock and Roll)の省略形。この言葉は直接的には1934年に3姉妹歌手ボズウェル・シスターズ(The Boswell Sisters)が発表した"Rock and Roll"という楽曲タイトルが元になっている」
↓"Rock and Roll" - the Boswell Sisters
https://youtu.be/6b5oWwFUhN0
「曲名から出たんですか!」
「まあ『浄瑠璃姫』の物語から“浄瑠璃”という言葉が生まれたのと同様だね」
と松下先生は言ったが、児童たちは誰も浄瑠璃(じょうるり)を知らなかった!
「更に元を辿ると、ロック&ロールの“ロック”は揺れるという意味でロッキングチェア(rocking chair)のロックだよ」
「あぁ」
「岩じゃなかったのか」
「ロールは回転するという意味。元々は海がしけて船が酷く揺れている状態をロック&ロールと言っていた」
と松下先生が言うと、千里は小さい頃に船に乗せられて酷く船酔いした時のことを思い出して、ぶるぶるっと震えた。
「そこから来て揺れて転げ回るようにスイングして演奏する音楽をロック&ロールと言ったんだね」
「船酔いするみたいな音楽ですか!」
実際にはその“船酔い”から来て、まるで船酔いでもしているかのように激しく揺れるようなセックスを20世紀初め頃に "rock and roll" と隠語的に言っていて、音楽のRock and Roll という言葉の成立にはそういう裏の意味もあるとされるが、さすがに松下先生は小学生の前では、その話は省略した。
BGMはZONEの大ヒット曲『secret base〜君がくれたもの〜』になっていた。BGMに合わせて歌っている子もいる。
「いい曲だよね〜」
「せつないよね〜」
「ところでシークレットベースってどういう意味?」
「秘密のベースギター?」
「違う違う。秘密基地だよ」
「そっか、米軍基地のこと“ベース”って言うもんね」
(基地のベースはBase, 野球の本塁もBase, ベースギターは Bass. イタリア読みするとバス)
「なんで基地が出てくるわけ?」
「ふたりだけの秘密の場所だよ」
ざわめきが起きる。小学生だけに、あまり深く意味を考えずに歌っていた子が多い。
「ふたりだけの秘密の場所って何するの?」
と訊く側も興奮気味である。
「そりゃすることは分かってる」
「きゃー!」
「そういう意味だったのか!?」
今気付いた子も多いが、こういう会話を聞いて分からない子もいる。“すること”って何だろう?などと考える。特に4年生などは首をひねっている。
「そんなことまでしたのに簡単に別れちゃっていいの?」
「だから10年後の8月に再会して結婚するんだと思うよ」
「結婚するのかな?」
「それは10年後にならないと分からない」
「なんで10年も待つの?」
「まだ結婚できる年齢じゃないからかもね」
「転校って言ってるから中学生くらいだよね?」
「小学生だったりして」
「え〜〜!?」
話が進展!?しているので、松下先生が注意した。
「あんたたち、万一“する”時はちゃんと“付け”させなさいよ」
「はい!」
松下先生の言葉の意味が分かった子は返事したが、何のことだか分からない子は???状態だったようだ(分からなかった子が圧倒的に多い)。でも“大人の会話”かなと感じた子が多かったようである。
なおこの曲は2001年に放送された『キッズ・ウォー3』の主題歌にもなっているが、昼ドラなので見ている子はほとんど居ないと思われる、また歌詞の内容は必ずしもドラマとはリンクしていない。ヒロインの女子中生を演じたのは井上真央(当時14歳)である。
駅前からは市内バスで会場まで行った。
1度に乗り切れないので2台に分かれて乗った(馬原先生・松下先生が各々に付きそう)。後の便に乗った子たちが到着したのが11:50くらいであった。
天気が良ければ歩いても良かったのだが、生憎今日は雨である。どっちみち服も行程中は普段着で、会場に入ってから(トイレに行った上で)合唱サークルの制服に着替えた。
その上で会場の指定のエリアに着席する。着席したのが12:10くらいだった。フェスは12時から始まっているが、最初はお偉いさんの挨拶が続くので、演奏はまだ始まっていない。
N小の出番は最後の方なのだが、色々な学校の演奏を聴いているとなかなか刺激になる。コンクールではなくフェスティバルなので、結構人数の少ない学校もあったし、2校・3校合同の演奏もあった。ピアノではなくギターで伴奏している学校もあった。また伴奏をミスったり、途中で止まってしまい楽譜を再確認して続きを演奏する、などというシーンもあった。
全体的にレベルは低く!音が合ってない所さえあるが、みんな楽しそうに演奏しているのが気持ち良かった。
「やはり音楽って楽しいのが基本だよね」
「そうそう。音で楽しむって書くんだもん」
N小の出番は16時過ぎであった。その後は昨年合唱コンクールで道大会に行った中学がラストを締めくくる。N小は小学校の中ではトリになるが、やはり2年連続で地区大会優勝した実績は大きい。
N小の2つ前にY女学院が歌った。1曲目は海善台司さんの『少年の嘆き』という無伴奏・無調曲で、ソプラノとアルトが各々全く別のメロディを歌う(つまりハーモニーも無い)という難しい曲である。千里は「分からん!」と思った。
2曲目は伊淵枡巳さんの『ユルリの春』という曲。こちらは普通の合唱曲でソプラノとアルトはハーモニーを作っている。でも頻繁に転調する。難易度の高い曲だし、あまり美しくないと千里は思った。
どちらの曲も会場は困惑している感じだった。
1曲目はN小の子たちも首をひねっていたが、2曲目を聞くと
「さすがうまいねー」
と言っていた。
でもY女の子たちは退場する時、こちらにかなり敵対的な視線を送っていた!
中学の有力校J中学の演奏(これも難解な曲だった:みんな首を傾げていた)の後、N小の児童がステージに並ぶ。馬原先生がピアニストの美那とアイコンタクトして『情熱』の前奏が始まる。そして歌い出す。
大ヒット曲なので、会場の反応がいい。F女学園・J中学と難解な曲が4つ続いたの後というのもあり、会場はホッとした様子で、手拍子なども起きていた。N小の子たちも楽しく歌っていた。
気持ち良く歌った所で2曲目に行く。
篠笛を吹く映子が前方に出て、指揮者の近くに立つ。2曲目の『キツネの恋の物語』を演奏する。
ピアノの前奏に続いて篠笛が4小節入って歌が始まる。
この歌はキタキツネの恋の様子を描写したもので、ソプラノとアルトの掛け合いがキタキツネのペアの恋模様を表現している。オスのキタキツネ(アルト)の呼びかけにメスのキタキツネ(ソプラノ)が応じるので、アルトが主導して歌は進行する。アルトが目立つというのはひじょうに珍しい形式の曲である。
クライマックスにはアルトのソロ(5年生の希望)、続いてソプラノのソロ(穂花)も入るようになっている。
フェスでは、篠笛の装飾音が入る中、アルトとソプラノのソロの掛け合いで盛り上がっていき、最後は美しいハーモニーで終止した。
この曲を知っている人はそう多くは無かったと思うが、リズミカルでアップテンポの曲であり、歌詞も楽しいものだったせいか、大きな拍手をもらった。
N小のメンバーも思ったよりうまく行ったので笑顔であった。
馬原先生が
「あんたたちは本番に強い」
と言って褒めていた。
最後の中学生(L女子中)の歌唱を席に戻りながら聴いた。
そして全学校の歌唱が終わった後は、このフェスティバルの幹事校F女学園中の部長さんとピアニストが壇上に上がり、会場のみんなで『北海道シャララ』を大合唱して、フェスティバルは終了した。
千里たちN小のメンツは、松下先生がみんなにハンバーガーをおごってくれたのを食べながらバスを待ち、この日の留萌行き最終バス(18時半発)で留萌に戻った。帰りも来る時と同様増車してもらったので、千里たちの乗る2号車は実質N小専用となった。
「女性ばかりだから安心して眠れるよね」
などという声もあがっていた。
「女だけだと恥ずかしい格好もできるよね」
などと言っている子もあったが、運転士さんが
「僕は男なので、僕が驚いて運転ミスしない程度にしといてね」
などと言っていた!
「でも私たちこれから制服を普段着に着替えるんですけど」
と5年生の梨志が言うと
「じゃ目を瞑って運転してるよ」
などと運転手さんは答え、車内が爆笑となった。
児童たちは着替え終わり、配られたお弁当を食べた後は、30分もしない内にみんな眠ってしまった。馬原先生も今日1日の疲れが出て眠くなったので少し寝ようかと思ったが、その時、先頭の座席に30代の女性が居て、運転士さんと眠気防止に?会話しているのを見て「あれ?付き添ってくれたの誰のお母さんだったっけ?」と思いながら眠りに落ちていった。
7月4-5日(木金)には、 5年生が旭川まで宿泊体験に行った。
剣道部は5年生が居ないと、女子は寂しいので、玖美子が
「千里剣道部に行くよ」
などと言って体育館に連行し、手合わせした。
玖美子、ノラン、千里の3人で1人が審判になり、あとの2人で試合形式の練習をする。
「え〜〜!?今の1本入ってた?」
とノラン。
「入ってた」
と玖美子・千里。
強い玖美子と千里に鍛えられて、ノランはこの2日だけでもかなり進化したようであった。
「外人仲間でエヴリーヌが『私も剣道部入ろうかなあ』とか言ってるんですけど」
「歓迎、歓迎。連れてきて」
「でも彼女、去年日本に来たばかりだから、たぶん大会の出場資格無いかも」
「それは構わないよ。試合に出なくても、練習だけでも楽しいよ」
この日は木刀(ぼくとう)を使って“形”(かた)の稽古もした。
防具を着けた竹刀(しない)による打ち合い稽古と防具を着けない木刀による形の稽古は剣道では稽古の両輪とされ、級位・段位の認定試験でも課されるが、実際は形(かた)はあまり練習されておらず、直前の付け刃(つけやいば)の人が多い。でもたまには練習しておく必要がある。
竹刀(しない)が発明される以前の江戸時代中期までは、実は道場ではひたすら木刀で形(かた)の稽古をしていた(*1).
竹刀は当たっても怪我しないように作られたものなので当てるのだが、木刀は当たると痛い(最悪怪我したり、希に死ぬこともある)ので、木刀による形(かた)の演武では、当てずに止める“寸止め”で行わなければならない。
ところが玖美子はこれがあまり上手くないので、当たる当たる。
「ちょっとぉ、ちゃんと止めてよ」
「ごめーん」
「へたすると死ぬこともあるんだからね」
「千里が死んだら、私が代わりに女装するから」
「何かよく分からない話だ」
「だって千里は女の子の癖に女装してるからね」
「私時々自分がよく分からなくなる」
(*1) 現在の竹刀は幕末頃に発明されたものだが、安土桃山時代にはこの前身に当たる“袋竹刀”というものが考案され新陰流などで使用されていた。細く割った竹に袋をかぶせてまとめたものである。但し当時も基本的には形練習に使用されており(寸止めに失敗して当ててしまっても木刀よりダメージが少ない)、打ち稽古が行われるようになったのは、防具が発達した江戸中期以降である。そして打ち稽古のために多くの流派が木刀ではなく袋竹刀を使うようになった。これが江戸時代後期とされる。
小春は、神社の境内で、小学生くらいの女の子を千里・蓮菜・恵香の3人に紹介した。
「こちら、小町ちゃん。この神社に常駐してもらうから、よろしく」
「小町です。よろしくお願いします」
「こないだのキタキツネちゃんだ!」
こないだは高校生くらいに見えたが、今日は小学生くらいの雰囲気である。
「どうも先日はお世話になりました。小春さんに声を掛けてもらったので、ここに居ようかなと思って。御飯の心配しなくていいよと言うし」
と小町は言っている。
「まあ鶴とかは食べられないけど、鶏も美味しいよと言った」
「鶴食べるの?」
「白鳥の方が美味しいですけど」
「うーん・・・」
「小学校にも行くの?」
「行ってないと、お巡りさんに叱られそうだから行こうと思います」
「何年に入るの?」
「どうしましょう?」
と小春に訊いている。
「3年生くらいにしとく?」
「じゃそれで」
「だったら、仁美ちゃんとかと同じ学年だ」
「うん。彼女たちにフォローしてもらおう」
「本当は何歳なの?」
と蓮菜が尋ねる。
「2歳です。一昨年の6月頃に生まれました」
「おお、若い!」
7月13-14日(土日)は神社の例祭があり、千里たちの集落全体が盛り上がる。この祭りで小町はかなり頑張っていた。どうも小春は祭りで色々仕事をするだけの体力が無いので若い小町をスカウトしたようである。千里や蓮菜たちも巫女衣装を着て、手伝えるだけ手伝った。
実際小春は「これが自分が見る最後の例祭かなあ」と思っていたが、そんなことは蓮菜たちには言わない。そしてこの時期小春が必死で考えていたのが、来年4月に死ぬ予定の千里をどうやって助けるかということであった。
「え?三発機より双発機の方が落ちにくいの?」
「うちの兄貴がそんなこと言ってた」
と留実子が言った。
それは飛行機のエンジンの数の問題であった。
「飛行機は搭載しているエンジンの半数以上が動いていれば飛び続けることができるようになっているんだって。例えばエンジンが0.1の確率で故障する場合」
と留実子が言ったら
「そんな壊れやすい飛行機には乗りたくない」
とみんな言う。
「いや。計算を簡単にするためのたとえだよ。本当はもっと故障確率は低いよ」
と留実子は言う。
「1発のエンジンが0.1の確率で壊れるなら、両方壊れる確率は0.1×0.1=0.01になって、双発機は単発機よりずっと安全」
「それは分かる」
千里以外!は全員この話を理解する。
「今、0.1の確率で壊れるエンジンを3機積んだ飛行機を考える。問題は三発機の場合、1機だけエンジンが生きていても機体を支えきれない。最低2個は動いていないといけないということなんだよ」
「あ、何となく分かった」
と蓮菜と玖美子が言うが、他の子たちはまだ分からない。
「この場合、こうなる」
3個とも壊れる確率 0.1×0.1×0.1 = 0.001
2個壊れる確率 3x0.1×0.1×0.9 = 0.027
1個壊れる確率 3x0.1×0.9×0.9 = 0.243
0個壊れる確率 0.9×0.9×0.9 = 0.729
検算(1) 1+3+3+1 = 8 (2
3)
検算(2) 1 + 27 + 243 + 729 = 1000
「何で3倍するの?」
と千里が訊くので恵香が「壊れる2個の選び方が3通りあるから」と説明してあげたが、それでも分からないようなので、千里は放置して話を進める!
●●●3個
●●○2個
●○●2個
●○○1個
○●●2個
○●○1個
○○●1個
○○○0個
↑2個壊れるパターン、1個壊れるパターンは各々3通りある。中学の数学で書くと、組みあわせの数 C を使って
3C
2= 3×2/2×1 = 6/2 = 3
3C
1= 3/1 = 3
「そういう訳で三発機で2個以上のエンジンが壊れる確率は0.028あって、双発機の2.8倍も落ちやすいんだよ」
「すごーい!」
と千里以外はこの話に驚いた(但し蓮菜と玖美子は少し前から気付いていた)。
「四発機ならどうなる?」
「計算してみればいいよ」
と玖美子が言って、書き出してみる。
4個とも壊れる確率 0.1×0.1×0.1×0.1 = 0.0001
3個壊れる確率 4×0.1×0.1×0.1×0.9 = 0.0036
2個壊れる確率 6x0.1×0.1×0.9×0.9 = 0.0486
1個壊れる確率 4x0.1×0.9×0.9×0.9 = 0.2916
0個壊れる確率 0.9×0.9×0.9×0.9 = 0.6561
検算(1) 1+4+6+4+1 = 16 (2
4)
検算(2) 1 + 36 + 486 + 2916 + 6561 = 10000
3個以上壊れる確率は 0.0037 で、双発機の墜落確率 0.01 より小さい。
「なるほどー。四発機だと双発機より安全か」
「三発機がまずいのか」
「三発機にも1個だけでも飛べるくらい強いエンジン積んだら?」
「それなら双発機で充分。わざわざ三発機にする意味が無い」
「あっそうか!」
この計算は、故障確率が例えば0.01だと
単発機 0.01
双発機 0.0001
三発機 0.000298
四発機 0.00000397
故障確率が例えば 1e-5 (10万分の1)だと
単発機 0.00001
双発機 1,0e-10 (100億分の1)
三発機 2,99998e-10 (100億分の2.99998)
四発機 3.99997e-15 (1000兆分の3.99997)
となる。現在の航空エンジンの故障確率はもっと低いはず。だいたい100年運用して1回壊れるかどうかくらいと言われる。(それでも全世界で2万機飛んでいたら年間100機くらい故障が発生してもおかしくない:だから整備が大事)
どっちみち、三発機は双発機の約3倍、墜落の危険があることになる。
むろん航空機事故はエンジンだけの問題ではない。きちんと整備していることで事故確率はもっと減らせるし、いい加減な整備で飛躍的に高まる。多くの航空機事故が、エンジンを留めるボルトの取り付けミスで起きていたりする。また操縦ミスや外的要因(落雷やバードストライクなど)で事故が起きる場合もある。
その日、照絵が自宅アパートで必死でスコアを書いていたら、ピンポンが鳴る。
「はーい」
と言って出たら、なんと英世の母である。
「お母さん!いらっしゃい」
と心で焦りながら笑顔で言い、
「散らかってますけど、取り敢えず中へ」
と言って上にあげる。
英世の母・詩子(うたこ)は笑顔で部屋に上がったが凍り付いた。
「確かに・・・散らかってるわね」
「ごめんなさい。でもこのスコアを今日の夕方までに仕上げないといけないので、気にはなってはいましたけど、放置して仕事してます」
「あんたも大変ネ!」
「申し訳無いです。コーヒーメーカーにコーヒー入ってますし、冷蔵庫に麦茶あるのでセルフサービスでお願い出来ますか」
「了解、了解」
その時、ベビーベッドに寝ていた龍虎が泣き出した。
「あ、ミルクかな」
と言って、粉ミルクをポットの湯(90℃程度)で溶くと、冷蔵庫で冷やしていたペットボトルの赤ちゃん用の水を開封して哺乳瓶に足して適温にする。
「そんなやり方があるんだ!」
とお母さんが驚いている。
ミルクの“本来の”作り方は、粉ミルクを70℃以上のお湯で溶き、哺乳瓶を流水などで冷やして40℃くらいまで冷やしてから与える。この冷やすのにどうしても時間が掛かるので、アイスノンに似たもので冷凍室に入れておいて哺乳瓶をそれでくるんで急冷するものなど、様々なグッズも出ている。
70℃以上で溶くのは雑菌を死滅させるためである。赤ちゃんは免疫力が弱いので、できるだけ無菌に近い状態でミルクを作る必要がある。また70℃以上のお湯を作るのも大変なので、常時70℃のお湯を出す赤ちゃん用ポットなども販売されている。
照絵は半分のお湯の量で粉ミルクを溶き、等量の0℃の水を加えて40-45℃にしてしまったのである。残った水はポットに足して沸騰ボタンを押しておく。開封してしまったものは次はそのままは使えない。
「とにかく急ぐ時にはこれが1番です。コストはかかりますけど」
「だろうね!」
それで照絵が龍虎にミルクを飲ませる。龍虎はお腹が空いていたようで、ゴクゴク飲んでいる。
「ででも、あんたたちいつ赤ちゃんできたのよ?」
「お友達から預かっているんですよ」
「そうだったんだ!いつ生まれたんだろうと思った」
「この子の誕生日は去年の8月20日です」
「だったら11ヶ月か。でも可愛い子だねー」
「すみません。ちょっとこの子にミルク飲ませておいてもらえません?私スコアが」
「OKOK」
と言って、英世の母は龍虎を受け取ると、膝に抱えたままミルクを飲ませてあげた。人見知りしないようで、ご機嫌が良い。
「でも可愛い女の子だね」
「すみません。よく間違われるんですが、男の子です」
「うっそー!?」
だってキティちゃんの、赤いロンパース着てるし!?
「男の子だなんて信じられないくらい可愛いですよね」
「なんか男の子にするの、もったいなーい」
「ね?」
「あれ?でもベビーベッドまであるの?」
「長期間預かっているので」
「長期って1〜2週間?」
「それが多分2〜3年になるだろうと」
「え〜〜〜!?」
2002年7月18-19日(木金)、千里たちN小6年生は札幌方面に修学旅行に行った。
北海道があまりにも広すぎるし、道外に出るには費用がかかることから、道内の小学校・中学校の修学旅行はだいたい道内である!千里たちは宿泊を伴う行事を4年生の時からしているが
4年 キャンプ体験 市内のキャンプ場(10km)
5年 宿泊体験 旭川方面(250km)
6年 修学旅行 札幌方面(460km)
と距離(↑は往復の距離)は伸びている。
でも1泊2日は動かない!(公立小学校の修学旅行は1泊2日と定められている)
貸切りバスでの往復になるが、バスは1クラス1台である。座席は最前列に“なかよし”学級(2組のバスは“すずらん”学級)の子と先生が座った他は、基本的に前に男子、後に女子である。バスでの移動が長時間になるので、男女を分けておかないと色々問題がある。実際の席決めは、クラス委員の蓮菜と中山君が中心になって行っている。なお、千里の席は女子の並び(蓮菜の隣)、留実子の席は男子の並びに設定した。
留実子の隣は同じサッカー部の鈴木君であるが、鈴木君は、留実子って実はちんちんあるのでは?と疑っている!(サッカー部の部員で留実子に恋愛感情を持つ子はいない。みんな留実子を“ほぼ男子”と思っている)留実子は試合のあるサッカー場で平気で男子と一緒に着替えるし、男子トイレを使う。男子のオナニーについても平気で話す。
当日は学校に6時半集合であった。実際は千里は6:10頃に校庭まで来た。蓮菜や恵香、美那などはもう来ていた。
「千里の靴が赤いのになってる」
「うん。新しいの買ったぁ」
「これミズノじゃん」
「千里がブランド物履いてるのは珍しい」
先月の遠足(6.14)の時以来履いていた黒いスニーカーは、友人たちから
「千里らしくない」
「まるで男の子みたい」
などと言われて不評だったし、母が適当に買った靴で、見た目に反してクッションが全く無く、実は遠足の後で足が痛くなった。さすが500円!の靴だと思った。
それで、例祭で神社の手伝いをしてもらったお金で新しいウォーキングシューズを買ったのである。この時、先日の遠足の反省でたくさん歩いても足に負担が掛からないよう、少し高かったが、しっかりしたメーカーのものを選んだ。
「色気無いパンツ穿いてる」
と言われる。千里はボトムは青いストレッチジーンズの9分丈のものを穿いてきている。蓮菜や恵香もやはり青いジーンズである。どちらもお母さんから
「あまり可愛いの穿くのは危険だから」
と言われたらしい。
「だってスカート禁止と言われたし」
と千里は言う。
今回の修学旅行は体操服は寝間着代わりに持って行くが、昼間の服装で
「女子のスカート禁止」
「キャラクタ物の服禁止」
が通達されている。
「女子のスカート禁止ということは男子はスカートでもいいんですか?」
と鞠古君が質問したので
「鞠古君がスカート穿いてきたいのなら止めないけど」
と我妻先生は言っていた。
それで本人「スカートにしようかなあ」などと言っていたが、留実子が殴った!ので、結局スカートは諦めたようである。
(鞠古君が留実子を殴ることはないが、鞠古君は留実子に頻繁に殴られている気がする)
蓮菜と恵香は“女子のスカート禁止”の対象には千里は入るのだろうかと少し悩んだのだが、本人は自分は女子と考え、スカート禁止に従ったようである。
しかし禁止でなかったらスカート穿きたかったのだろうか?と恵香は考えた。
「あれ?千里今日は髪留め2個付けてるんだ?」
「うん。変な寝方したら、寝癖が酷くて1個では押さえきれなかったんだよ」
「ああ、千里の髪、長いからね」
千里の髪の毛は胸くらいまである。父が「気持ち悪い。俺がバリカンで刈ってやる」というのから、日々逃げている。千里が見た目女子にしか見えないのはひとつはこの長い髪のせいもある、と蓮菜は観察している。
先日の遠足の時は「身体動かすのに邪魔にならないように」と言って髪はツインテールにまとめて、ウィンドブレーカーの中に入れていた。しかし今日はまとめもせずにストレートヘアをそのまま曝している。千里はこの修学旅行は女の子で通すつもりなんだろうな、と蓮菜は考えた。
6:35くらいに「整列して」と言われる。点呼が取られて、1組は留実子以外!揃っていることを確認する。我妻先生が電話を掛けていた。
校長先生のお話を聞き、トイレタイム!のあと、各クラスごと2台のバスに乗り込む。ここで6:48になって留実子が父の車に乗ってやってきて
「すみませーん」
と言い、バスの所に駆け寄った。
「こら遅刻」
と我妻先生はゲンコツを留実子の頭に軽く当てた。
(我妻先生はこれは男子にしかしない!我妻先生は留実子が女子というのはむろん知っているが、やはり留実子は男子扱いのようである)
我妻先生が「トイレに行く時間待ってあげるから」と言うので、留実子はすぐ校舎内のトイレまで行って来た。留実子がトイレで苦労しがちなのを配慮してくれたのもあるんだろうなと蓮菜は思った。
今回、付き添っている先生は、1組担任の我妻先生♀、2組担任の伊藤先生♂、なかよし担任の元原先生♀、すずらん担任の金津先生♂、特殊学級補助員の手島先生♀、教頭先生♂、保健室の祐川先生♀、体育の桜井先生♀、級外の神沢先生♂と横田先生♀、以上10名である。参加生徒は55名で、だいたい生徒5-6人に1人くらいになる。使用しているバスは正座席45席の大型バスである。
ツアーの参加者であることを示すワッペンを全員に配り、みんな胸やお腹に貼り付けていた。
ワッペンは男子用、女子用が異なっていて、男子は青いふちどりで半ズボンを穿いたエゾシカの“キタオ”君、女子は赤いふちどりでスカートを穿いたエゾシカの“キタエ”ちゃんである。“キタコ”でないのは“キタオ”と聞き間違いしやすいからである。
今回は先生たちも男性は“キタオ”、女性は“キタエ”を付けている。
今回の修学旅行に参加したのは、“学籍簿上は”1組が男16女12, 2組が男15女12 である。
さて、女子用のワッペンは全部で33枚配った。
「あれ?女子は教師も入れて30人と思っていたのに」
(1組女子12 + 2組女子12 + 女教師6 = 30)
「村山(千里)さんと花和(留実子)さんの分では」
「男子は教師も入れて35人のはずだけど34枚しか出てないよ」
「あ、それで2+1で数が合うかな」
などと先生たちは会話して納得した。よく考えたら辻褄が合ってないのだが、先生たちも深くは考えなかった。
なお遅刻してきた留実子にもちゃんと我妻先生が女子のワッペンを渡している。むろん千里は女子のワッペンをもらっている!!
バス酔いしやすい人に酔い止めの薬を飲む時間も与えた上で、7時に学校を出発した。なお、酔いやすい人は真ん中付近の席が揺れが少なく酔いにくいので、(前方に座る)男子では後端、(後方に座る)女子では前端に座らせている。
学校を出たバスはR239/R233/R275と走り、17日に開業したばかりの沼田ICから、深川留萌自動車道に乗る。深川JCTから道央自動車道に入り、少し走って、茶志内(ちゃしない)PAでトイレ休憩した。
出発前に学校でトイレに行ってはいるが、それから1時間半経っている。そもそも朝早く結構無理矢理起こされて出て来た子が多いし、それで特に女子はほぼ全員トイレに行く。当然長蛇の列となる(ここは女子トイレの個室は5つしかない)。
留実子は女子トイレの列に並んだ。
「るみちゃんも赤いワッペンしてたら女子トイレ使いやすいね」
などと美那が言う。
「うん。これで痴漢として通報される確率が低くなる気がする」
と留実子も言っていた。
「るみちゃん、私や蓮菜とかと一緒にトイレ行くようにするといいよ」
と、赤いワッペンを付け、女子トイレの列に並ぶ千里が言うので、こいつ完璧に開き直ってるなと佳美は思った。
留実子はしばしば男子トイレも使っているが(特にサッカーの試合に行ったような時)、彼女は小便器が使えないので、個室を使うことになる。しかし男子トイレの個室は競争率が高い。高速のSA/PAなどはまだいいが、商店などでは1個しか無かったりする。
(留実子が小便器の使い方をマスター!?するのは中学に入ってからである!)
それで修学旅行前日に桜井先生が留実子を呼んで釘を刺しておいたのである。
「あんた、修学旅行中はちゃんと女子トイレ使いなさいね」
「でも私、女子トイレに居ると通報される危険があるんですけど」
「必ずお友達と一緒に行こう。蓮菜ちゃんとか、千里ちゃんとかと一緒に行けば万一の時は弁明してくれるよ」
それで留実子は桜井先生のアドバイス通り、女子トイレを使うことにしたが、先生の言葉を回想して「つまり千里は女子トイレかぁ!」と思った。
30人の女子がトイレを使うのに20分近く掛かったので出発は8:50となった。茶志内PAではなく砂川SAに入ればトイレの個室は10個と倍あるのだが、基本的にツアーではSAをできるだけ避ける。それはSAだと売店に行って戻って来ない子がどうしても出るからである!
バスは道央自動車道を南下し、札幌ICを降りて、9:45に最初の見学地である北海道庁旧庁舎(通称:赤レンガ)に到着する。
ここは見たことのある子も結構いるのだが、初めての子も多く
「きれーい!」
という声があがっていた。
明治21年(1888)に建てられた優雅な趣のある建物で、1968年に近代的な庁舎が建てられるまで使用されたが、実は現在でも一部の部門が置かれて使用されている、現役の建物である。
この庁舎の前で最初の記念写真を撮る。右側(向かって左)に男子、左側に女子が並ぶ。留実子はサッカー部の鈴木君が「花和はこっち来い」と言って男子の並びに連れていった。千里は蓮菜と恵香の間に並んだ。
この赤レンガ庁舎、そして新庁舎、更には議事堂などをガイドさんの案内で1時間ほど掛けて見学した。結構歩くので新しい靴でよかったと千里は思った。
みんなから体力大丈夫?と心配されていた優美絵も頑張って歩いている。彼女はナイキのエアマックスを履いている。かなりいいお値段のする靴だ。多分千里の靴の4-5倍の値段がする。修学旅行に参加することを決断した時に、桜井先生が優美絵の御両親と話し合ってこの靴を使うことにしたらしい。
議事堂から通りに出て600mほど歩くと札幌市時計台がある。
「これが“日本三大がっかり”のひとつ、札幌市時計台でございます」
などとガイドさんが案内すると、どっと笑い声が出る。
“日本三大がっかり”とは、有名な割に小さかったりどこにでもありそうなものだったりしてガッカリするというもので、札幌市時計台、高知の播磨屋橋、沖縄守礼門の3つである(守礼門の代わりに長崎のオランダ坂が挙げられる場合も)。
建物の前で各自記念写真を撮る。ガイドさんは、写真の撮り手を探してそうな感じの子に声を掛けて撮ってあげていた。千里たちは、千里・蓮菜・恵香・美那・留実子・穂花で並び、小町が写真を撮ってくれた。
「小町ちゃんと小春ちゃんも並びなよ」
「だったら千里も入れて」
それで3人並んだ所を恵香が小町のデジカメ(Canon Powershot A200)で撮ってくれた。
「鞠古君、鞠古君」
と恵香が鞠古君を呼んで、留実子と2人並んでいる所も撮影してあげた。恵香は蓮菜と田代君も並ばせようとしたが、この2人は並ぶのを嫌がったので放置した。
時計台の中に入って見学する(ここは中まで入らない観光客が多い)。
それであまり知られていないが、内部には札幌農学校演武場・札幌市時計台の歴史に関する資料が展示されている。1階は多数のパネルや写真が並び、その内容をガイドさんが説明するのを聴きながら歩いて行く。2階に行くとベンチがあり、“クラーク博士”が座っているので、その隣に座って記念写真を撮る子が多数出てここは順番待ちになる。
時計台の時計の姉妹時計があり、その構造を見ることもできる。
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【少女たちのBA】(1)