【娘たちのベイビー】(4)

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「辞めたい?どうして」
 
コスモスは月嶋優羽(つじま・ことり)の言葉に戸惑いを隠せなかった。
 
「ここ1年ちょっと研修生として活動してきて、世の中にはこんな凄い人達がいるんだと思い知らされてしまって」
 
「まあ確かに今は凄い子が揃っているよね」
「ハナちゃんとか今年デビューするものと思っていたのに、まだ先みたいだし」
 
「あの子は今デビューさせれば売れるだろうけど、2〜3年で潰れると思う。これ本人にもしばしば言っているんだけど、あの子は才能はあるのに覚悟が無いんだ。まあ覚悟だけで才能がない私が言うのもなんだけどね。でも私はあの子に海浜ひまわり・千葉りいな・神田ひとみの轍を踏ませたくないんだよ」
 
とコスモスは言った。
 
恐らくそれが紅川会長の“目”とコスモス社長の“目”の違いなんだろうな、と優羽は思った。コスモス社長は第1回ロックギャルコンテストの審査員にも入っていた。きっとあの時点でコスモスさんが社長を継承する方針が決まっていたのではと優羽は思っている。
 
「社長は私をどう見ます?」
コスモスはしばらく考えていたが言った。
 
「ことりちゃんは、ハナちゃんと全く逆のタイプだね。覚悟はあるから今すぐデビューしても何とかしていくと思う」
 
「でも才能は無いんですか?」
 
コスモスは黙って棚の上に置かれたヴァイオリンケースを取ると開けて中身を取り出す。弦を指で弾きながらペグを巻いて音程を調整しているようだ。
 
「この音を聴いて」
と言って、弓を引く。
 
「今から3つ音を出すから、どれが最初の音と同じ音か答えて」
「はい!」
 
それでコスモスは指をずらしながら3つの音を弾いた。
 
「真ん中です!」
と優羽は答えた。
 
「不正解」
「だったら、3番目?」
「不正解」
「あれ〜?最初のでした?」
「不正解」
「うっそー!?」
 
「ことりちゃん、即答したでしょ」
「はい!」
 
「こういう時、長時間悩んでいるのはダメ。即答できるというのは芸人として大事。でも実はどれが正しい音か分かってなかったでしょ?」
 
「実はそうです」
 
「これがハナちゃんだと10秒くらい悩んでから、どれも違うということあります?などと言うんだな」
 
「それが才能と覚悟の違いかぁ!」
「ハナちゃんは普段わりと即決即行動しているみたいに見えるけど、あの子事前にいくつかのパターンを想定してよく考えている。だから想定外のことに弱い」
「うーん・・・」
 
「ことりちゃんは何も考えていない」
「あはは」
「考えていないから即行動できるんだな。間違っていたら修正すればいいと思っている」
「それピアノの先生にも言われたことあります」
「うん。ことりちゃん、わりと即興に強いもんね」
「ええ。けっこう自信あります」
 
「フレッシュガールコンテストの時も、ことりちゃん歌唱テストで堂々と違うメロディーで歌っちゃったもんね」
「わっ、あれ覚えておられましたか」
 
「あの能力は芸人として貴重だと思うよ。自分にできないことが起きた場合に、その場をもたせる力というのは大事だし、昔の芸人さんはそういう力が強かった。三波春夫は公演で歌っている最中に歌詞が飛んじゃったけど、堂々と全く違う歌詞で歌って演奏を終えたというエピソードがある。あまりにも堂々と歌ったから、それが正しい歌詞かと多くの観客が思った」
 
「すごーい!」
「その直前に歌った村田英雄は、何度も『すみません、間違いました』と言って最初からやり直した」
「うーん・・・」
 
「という話を村田英雄自身が話していたらしい。今は録音・録画が基本だから、間違ってもやり直せばいいと思っている人が多いけど、ライブでは折角乗っている観客に水を差しちゃうよね」
 
「ですねー」
 

「ことりちゃんは、ローズ+リリーのケイちゃんと似たタイプだと思う」
 
「へー!」
「ケイちゃんもライブで誤魔化すのがうまい」
「あはは」
 
「ケイちゃんも下積みが長いよね。小学5年生頃から様々な芸名で活動していたけど、売れていなかった。でもマリちゃんという物凄いカリスマ性のあるパートナーを見つけて、その引き立て役となることでブレイクしたんだよ」
 
「そんなに長かったんですか!」
「ことりちゃんも実はソロ歌手より、2〜3人のユニット売りの方がうまく行くかもね。誰かと組んで、あえてパートナーの引き立て役になることで自分を伸ばせる」
 
優羽は驚いた。
 
「実は自分でもそんな気がしてきていたんです」
「じゃパートナー探しの旅に出るの?」
 
「それもいいですけどね。でも、その前に一度リセットして頭を空っぽにしてみたくて。でも結果的には旅行に行ってくるのもいいかな。この1年間で随分いいお給料もらっちゃって貯金もできたから、ハワイとか行ってきてもいいかな」
 
「貯金できたのは偉いね。だったらアメリカかヨーロッパの音楽シーンを見に行っておいでよ。旅費も出してあげるからさ」
「あ、いえ、長期間の休みはご迷惑掛けると思うし、それで辞めたいのですが」
 
「うん。そういう話なら退所は問題無いよ。まあ旅行は退職金代わりかな。この1年間スタッフみたいなことも、随分してもらったし」
「けっこうそちらが楽しかったですけどね」
 
「うちをやめた後でもし他の事務所と契約する場合は私か紅川に連絡して。業界上必要な手続きがあるから」
「分かりました」
 
「ボディーガード兼通訳もつけてあげるよ。どこ行ってくる?」
 
「お金出してもらえるなら、南米とか見てこようかな」
「ああ。ラテンのリズムは身体で感じてくるといいかも。だったら元女子プロレスラーというボディガード付けてあげるよ」
「頼もしそう!」
「チケットも手配してあげるから、後でパスポート貸して」
 
「パスポート?」
「まさか持ってないとか」
「持ってません!」
「じゃ作ってからだな」
 

そういう訳で、優羽(ことり)の§§プロでの活動はアクアの初アルバムのPVに出たのが最後になってしまったのである。
 
優羽は結局、「南米?私も行きたい!」と言ったハナちゃん、保護者として付き添うことになったハナちゃんのお母さん(一応英語はできる)、そしてボディーガード兼通訳の女性と4人で、学校の冬休みにぶつけてブラジル、アルゼンチン、ペルーを巡ってきた。この体験は優羽にとっても、ハナちゃんにとっても物凄く大きな刺激となり、後々の音楽活動に強い影響を与えたと2人とも言っている。
 
「私、芸名付けてもらう時はルンバにしてもらおうかな」
「なんでルンバ?」
「サンバ、ボサノバ、タンゴ、マンボ、チャチャチャ、ビギン、ルンバ、サルサと並べるといちばん名前っぽい」
「確かにサンバと名乗ったらお産で呼ばれそうだ」
 
ボディーガードを務めてくれたのは川井唯(かわい・ゆい)という女性で、日本の永住権を持っているものの日系ペルー人の娘で現時点での国籍はアメリカ!?という人だった。10歳の時に来日し日本の小学校・中学校を出たので、スポーツでは日本人に準じて扱われ、インターハイの柔道にも日本人として出た。お父さん(200cm)ゆずりの恵まれた体格180cm 92kgで女子78kg超級BEST4まで行ったらしい。高校卒業後は大学(仏文科)に通いながら実は女子プロレスをしていたものの、怪我をして引退。現在は怪我を治した後、柔道に戻って道場で日々鍛錬をしているとのこと。柔道四段・黒帯の持ち主である。
 
「まあ女子トイレに入って行くとギョッとされるけどね」
「ああ・・・」
 
現時点での職業は翻訳家兼通訳である。最初はスポーツ用品店に勤めながら副業でやっていたが、そちらが忙しくなり、お店はやめて翻訳家の専業になった。年間500万円ほどの収入があるらしい。それで安定収入があるということで、日本の永住権を取れたとのこと(インターハイに出たことがあること、柔道の師範代もしていることも考慮された模様)。
 
言葉の方は両親がスペイン語を話していたのでそれは自然に覚え、10歳まではアメリカに住んでいたので英語も覚え、来日してから日本語も覚えて、大学時代に学校でフランス語、独学でポルトガル語を勉強したが、スペイン語の素養があるのですぐ覚えて現在ペンタリンガルである。彼女は日本語・スペイン語・英語のNativeとみなされるので翻訳の仕事は多いらしい。
 
そして実は彼女は桜野みちるの妹・玲香が所属する赤羽ドラゴンのギタリストなのである。その縁で今回優羽とハナちゃんのボディーガードを務めることになったようであった。
 
「赤羽ドラゴンでベース弾いてるマリアちゃんが実は男の娘なんだけどさ、この3人の内1人は男の娘です、というと真っ先にみんな私が男の娘、というより普通に男だろ?と言って、私が天然女だというと、じゃレイアだったのか!と言われる」
 
「マリアちゃんって凄く女らしいんだ!」
「温泉で男湯に入ろうとしたら従業員が飛んできて、こちらに入ってと言われて女湯に案内されちゃったから、そのまま入っちゃったという話がある。おっぱいもないし、ちんちん付いてるのに」
 
「うーん・・・」
優羽もハナちゃんも某アクアのことを考えていた。
 

11月の初旬、アクアは事務所に呼ばれて、これまでアクアのリハーサル役は主として高崎ひろかが務めていたのを、今後は主として研修生の秋田利美を使うことにするからと田所から言われた。
 
「ひろかちゃん、かなり忙しそうですもん」
「そうなんだよ。特にこれから年末に向かうとアクアちゃんもひろかちゃんも忙しくなる。それでまだ小学生だけど、利美ちゃんにお願いすることにした」
 
アクアがデビューした時点では、実際問題として代理が務まるような子はひろか以外に居なかった。同期の品川ありさは174cmと長身なので、155cmのアクアの代理は務まらない。20cmも身長が違うとライティングの設定が流用できないのである。158cmのひろかなら何とかなっていた。
 
「でも私の代理って忙しそうだけど大丈夫ですか?」
「利美ちゃんはサッカー少女で体力あるしね(実は“サッカー少年”であることを田所は知らない)。それにアクアちゃんは高校生だから原則として22時まででしょ?そのリハーサル役はだいたい20時までにはあがれるんだよ」
 
「ああ、それだったら問題ないですね」
 
もっともそれで利美はこの後、頻繁に学校を早引きするはめになる!
 

2015年11月19日(木).
 
アクアは桜野みちる、沢村マネージャーと3人で新幹線で大阪に向かった。この日大阪ビッグキューブホールで行われるBH音楽賞の授賞式に出席するためである。アクアとみちるのバックバンド、エレメントガードとチェリーズのメンバーは昨日のうちに大阪入りしている(この時、エレメントガードのドラムスはレイア、チェリーズのベースはハナちゃん)。
 
11月から2月頃に掛けては大小様々な音楽賞が発表されるが大きな賞の中ではこの賞がトップバッターである。
 
この授賞式の様子は生放送され、約1時間50分(実質80分)の放送時間の中で24組のアーティストが約2分半くらいずつ歌うことになっている。選考基準は“容赦無い”。今旬のアーティストのみが選ばれ、過去にどんなにビッグであった人でもこの1年ほど大きなヒットがなければ落とされる。そういう意味では大きな賞の中でこの賞が実はいちばん凄いのではないかと思っている、と桜野みちるは道すがら言っていた。
 
「私も去年今年は選ばれたけど来年選ばれる自信が無い」
と彼女は言っていた。
 

やがて本番が始まり、直前に発表された順番に歌っていくが、出番を待っている時、トントンと肩を叩かれた。
 
「おはようございます、丸山アイさん」
「おはようございます、アクアさん、桜野みちるさん」
 
「あれ?みちるさんと丸山さんって同い年ですかね?」
とアクアは今気付いたように言った。
 
「そうそう。ボクは10月生まれ、みちるさんは4月生まれでしたよね?」
「うん。4月26日」
「ああ、やはり牡牛座ですか?」
とアイは尋ねる。
 
「よく分かるね。4月生まれというと、牡羊座さんですね、と言われるのに」
「みちるさんは牡羊座の性格じゃないと思うなあ」
「そう?」
「牡羊座さんは行動してから考える。牡牛座さんは考えてから行動する」
「ああ、私は思い切りが悪いと言われることある」
「でも失敗が少ない」
「だったらいいんだけど」
 
「アクアちゃん、ボクの誕生日とか分かる?」
とアイは突然アクアに尋ねた。
 
するとアクアの脳内に“誰かさん”の声が響く。
 
「10月5日ですか?」
「正解。知ってた?」
「いいえ」
「それで当てられるのは、なかなか筋がいい」
とアイは笑いながら言ったが、みちるは今のやりとりがよく分からなかったようである。
 

「ところでアクアちゃんって、実際は男なんだっけ?女なんだっけ?」
とアイが尋ねる。
 
「男の子ですよー」
とアクアが言うが、みちるはアイに言った。
 
「私はアイちゃんの性別が分からない」
「“アイ”は自称女の子だよ」
「うーん・・・」
 
「ちなみに、中学の制服も高校の制服も男女両方のを持ってた」
「へー!!」
「アクアちゃんも男子制服だけじゃなくて女子制服持ってるでしょ?」
「持ってはいるけど、それで学校には行ってないですよ」
「ああ通学の時は自粛して学生服だけど、校内ではセーラー服なのね?」
「違いますよー」
 
みちるが吹き出していた。
 
アイとアクアがお風呂の中で遭遇するのは翌年の3月になるが、それが男湯であったか女湯であったかは、両者とも語らない!?
 

なお、この日のアクアの衣装は『ときめき病院物語』で佐斗志が着ていた中学の制服を、テレビ局の許可をもらって着ていた。
 
(『白い情熱』は『ときめき病院物語』の主題歌だが、同番組はΛΛテレビ、BH音楽賞はFHテレビ)
 
「どうせドラマで着ていた制服を着るなら佐斗志君の男子制服じゃなくて友利恵ちゃんの女子制服を着ればいいのに」
 
という声も一部に出ていて、ローズ+リリーのマリが
「アイちゃんの意見に賛成!」
と言っていた。
 

2015年11月25日(水)、アクアの3枚目のシングル『冬模様/スキーに行こうよ』が発売された。『冬模様』は岡崎天音(マリ)作詞・大宮万葉(青葉)作曲である。
 
アクアのCDのタイトル曲は最初「先生の娘さん同然でしょ?書いてあげてくださいよ」と加藤課長に言われて上島雷太が書いたが「息子みたいな子に書くのは照れくさくて」と上島が言ってケイに押しつけられ、2枚目はマリ&ケイで書いた。しかしケイは多忙で、アクアに歌わせるような手間の掛かる曲を作るのは負担になる。それでケイが「年の近い子が書いた方がいいよ」と言って青葉に押しつけ、3曲目は青葉が書くことになった。
 
6.26 上島→ケイ http://femine.net/j.pl/memories9/74/_hr010
7.30 ケイ→青葉 http://femine.net/j.pl/aoba4/64/_hr029
 
『スキーに行こうよ』は加糖珈琲作詞・東郷誠一作曲とされているが、実際には葵照子作詞・醍醐春海作曲である。東郷誠一の名前で曲を書いている人は何人もいるが、千里はネットでは“東郷誠一H”と識別されているらしい。
 
当日★★レコードでの記者会見では最初にアクアがいつものように生バンドをバックに2つの曲をショートバージョンで演奏する。このバンドは今回XANFUSの6人が務めてくれた。
 
Gt.mike B.kiji Dr.yuki KB.noir Fl.光帆 Recorder.音羽
 
最初はエレメントガードを使うつもりだったのだが、ドラムスが未だに決まらず(正確にはほぼ決まってはいるが正式契約ができず)コスモスはメンバーが確定してからお披露目したいと言った。ゴールデンシックスはツアー中、マリ&ケイ及びスターキッズはアルバム制作中。それでトラベリングベルズに頼もうと思ったら11/22に相沢さんの弟さんが亡くなり、相沢さんは奈良の実家に急遽里帰りした。それで困ってケイが音羽に連絡したら
 
「アクアちゃんの伴奏?やるやる!」
と引き受けてくれた。ついでに
「アクアちゃんにはぜひお姫様の衣装で」
と言ったが、それはコスモスに却下された。
 

そういう訳で今回のアクアの衣装は、侍風の和服(着流し)なのであった。着流しではあっても、正絹、紋入りで金糸なども使用した立派なものである。だいたい旗本クラスを意識している(時代考証は適当)。
 
アクアは最初青い和服と聞いて嬉しそうな顔をしたものの、武士風の衣装だったのでがっかりしたような顔をした。そしてつい言ってしまった。
 
「和服だというから、つい振袖と思っちゃった」
 
それを聞いたコスモスは言った。
「何だ。君は振袖が着たかったのか?」
「いえ、そういう訳では無いのですが」
とアクアは焦って言う。
 
「よしよし。次は君には振袖を着てもらおう」
とコスモスは楽しそうに言う。
 
「え〜〜〜!?」
とアクアは言葉だけではまるで嫌がっているようだが、顔は期待に満ちていた。
 
でもこの日は江戸時代の旗本の普段着風の着流しスタイルで歌ったのであった。
 
(下着は褌を着ける?と言われたもののアクアが拒否したので、結局普段着けているパンティの上にペティコート(蹴出の代わり)を着せた。上半身は普通の肌襦袢である)
 

歌唱終了後、席に座って記者会見となるが、ここでテーブルに並んだ人は下記である。
 
アクア、事務所社長の秋風コスモス、★★レコードの富永純子、作曲者?の東郷誠一、そして伴奏者代表で光帆である。
 
例によって東郷先生が暴走発言をして、それを光帆が止めるどころかどんどん煽る。記者たちは大爆笑の連続である。
 
「アクアは取り敢えず去勢すべきだな。年内に玉は取っちゃおう。手術代くらい僕が出してあげるよ」
「アクアはお正月明けたら学校にはセーラー服で通学しよう」
 
などと言うのを、富永さんが必死に止めていた。彼女は会見が終わってから「疲れたぁ!」と言っていた。
 

スペインでは10月4日、10月7日、10月11日に試合があったが、千里たちは4日と7日の試合に勝利、11日の試合は落とした。これでここまで2勝2敗となった(スペインでは夕方からの試合なので、日本では深夜に相当する)。
 
10月11日(日).
 
千里は富士スピードウェイで今季2度目のレースを走った(1度目は5月31日、北海道の十勝スピードウェイ)。これで順位認定され、千里は国際C級ライセンス(レース除外)の取得条件をクリアした。
 
正直、貴司とのことを考えるのに、超高速で走るサーキットでの走行がとても良かったのである。千里は自分に自信を取り戻しつつあった。
 

10月13日(火)には、千里・桃香・青葉・彪志で千葉の玉依姫神社に行く。ここに冬子・政子がシーサーの置物を持ち込み、鳥居のそばに設置した。そしてそこに青葉が沖縄の明智ヒバリから預かってきたシーサー兄弟(兄妹?)の魂を移した。ヒバリが管理しているウタキを守るシーサーたちの子供である。
 

 
「この子たち、沖縄の恩納村(おんなむら)のシーサーの子供なんでしょ?男の娘なのに赤ちゃん産んじゃったって凄いね」
と政子が言うが、千里は
 
「まあ産む時に女であれば何とかなるのでは?」
などと言う。青葉は内心
 
『それって、ちー姉は京平君を産む時は女になっていたということ?』
などと考えていた。
 
シーザー設置の帰り、彪志と別れてから、千里・青葉・桃香の3人で都内の産婦人科に行く。ここで和実の“卵子採取”を行った。実は先月にも1度試みたのだが、その時は失敗している。今回は桃香を連れてきたことで、曖昧に存在している和実の卵巣から、奇跡的に卵子を採取することができた。103回目の試行での成功であった。採取した卵子はすぐに仙台の病院へ運び淳の精子と体外受精させた。数日後に代理母さんの子宮に胚移植することになる。
 

千里はスペインで10月18日,24日の試合にも出た。18日は負けたが24日は勝って3勝3敗である。
 
40 minutesの方は10月25日に東京都秋季選手権(オールジャパン予選)の準々決勝に出て(勝利)、10月31日と11月1日には徳島県鳴門市に行き、全日本社会人選手権に参加。決勝まで進出するが、玲央美たちのジョイフルゴールドに敗れて2位であった。しかしこれでオールジャパンの出場権を得たので、東京都秋季選手権は11月3日の準決勝を辞退した。そちらは江戸娘が優勝して関東総合選手権に進出した。
 
徳島からの帰り、11月2日に千里は大阪で阿部子と遭遇する。阿部子は大きな荷物を抱えて困っていた。貴司と一緒に買物に出たのが、貴司は会社から呼び出しがあって行ってしまったらしい。千里はその荷物をマンションまで運んであげた。阿部子はついでにベビーベッドの位置の調整も千里に頼んだ。千里はその位置調整をした上で、ベッドを守っている結界も一緒に移動させた。
 
ところがここで阿部子は銀行からの連絡で外出してしまう。結果的に千里と京平が2人で取り残された。京平を抱っこして、直接おっぱいをあげると、京平は嬉しそうにしていた。
 
阿部子はなかなか帰って来ない。
 
千里は授乳しながらいつしかうとうととしていた。そして3年前の婚約破棄された時のことを思い出していた。長い夢で、夢の中で千里は自分と貴司が“結婚予定”だった2012年12月22日に再会したこと、その後も頻繁に貴司と会っていたこと、そして京平の身体を作った卵子の採取の時のことまで思い出していた。
 
ふと目が覚めると京平が不思議そうな顔で千里を見ていた。そしてそこに貴司の母・保志絵が来訪した。実は保志絵は京平の顔を直接見たのは初めてであった。貴司が阿部子と結婚した後で、このマンションに来たのも初めてだった。
 
やがて阿部子が戻ってきて、しばらく話をした上で、千里と保志絵は相次いでマンションを出る。ふたりは結局千里中央駅で待ち合わせてから一緒に伊丹空港に移動し、羽田まで並びの席に座りたくさん話し合った。千里は保志絵の前でも自分は貴司の妻でいることを宣言する。そして保志絵も自分は千里こそ貴司のお嫁さんだと思っていると言った。
 
(保志絵は羽田から旭川行きに乗り継いで帰った)
 

千里が保志絵と別れて経堂のアパートに帰宅すると、青葉も来ている。青葉はローズ+リリーの『ダブル』の音源製作のために東京に出てきていたのである。その夜も千里は“夢の続き”を見ていた。2年前、貴司から子作りへの協力を求められて気分がすっきりしないでいた時にミラを衝動買いして全国走り回ってきたら、少し気分がよくなったこと、ローキューツを辞めて40 minutesを設立した頃のこと。
 
ここ3年間のことをリプレイするかのように数回に分けた夢を見た千里は、今自分は本当に復活しようとしているのだと思った。自分は貴司の正当な妻としての自覚を取り戻したし、京平の母としての自覚も再認識した。
 
そして貴司から大学1年の時にもらったアクアマリンの指輪を左手薬指にはめると、『門出』という曲を書いた。
 
2015年11月3日の朝のことであった。
 
ちょうど書き上げた時に青葉が目を覚ました。『門出』の譜面を見て青葉は驚く。
 
「これ凄い曲だ」
「大西典香も引退しちゃったし、これ歌える人がいない気がする。青葉、大学とか行くのやめて、歌手になって、この歌を歌わない?」
 
「遠慮する。これケイさんも歌えるよ」
「そっかぁ!よし、ローズ+リリーに渡そう」
 
と言って、その後数日掛けてローズ+リリーを意識して編曲をし、11月12日にケイのマンションを訪れてCubaseのプロジェクトデータが入ったUSBメモリと、印刷したスコアを渡した。
 

しかしこの曲を書いたことで、千里は2012年7月以来3年5ヶ月の“失恋”が終了したのである。
 
結局は京平がこの世に生まれて来たことが、千里を完全に立ち直らせたのであった。
 
千里が『門出』をケイに渡したら、ケイは自分の書いた『振袖』という作品とカップリングしてCDを作りたいから音源製作に協力してと言った。それで11月19-21,25-27日にこの音源製作に参加して龍笛を吹いた。
 
★★レコードの氷川は、ローズ+リリーの今年のアルバム『The City』の出来に不満があったので、海外版の発売元となるFMIからの要請ということにして、このアルバムの海外版は、『The City』と『振袖』のセット販売にした。すると、やはり『振袖』と『門出』が凄い!ということで海外でも大いに売れたのであった。『The City』内の曲では、最後になって作り直した『灯海』と『ダブル』の評価が海外では高かった。
 
スペインでは千里たちのチームは11月1,8,15,29日に試合があり3勝1敗であった。ここまでの累計は6勝4敗である。
 
(11月22日には、音源製作にも参加しておらず、スペインでの試合も無かったのは“ポイント”)
 

11月4日(水).
 
龍虎は長野支香と2人でタクシーに乗り、さいたま市の高岡越春の家に行った。龍虎の父・高岡猛獅の父、つまり龍虎にとっては祖父に当たるのだが、実はその“祖父”というのが問題であった。
 
安普請の木造2階建てアパートの2階である。支香は鉄製の階段をのぼっていちばん奥の203号室の前に立ち、年代物のドアチャイムを鳴らす。「はーい」という高齢女性の声がして足音がし、ドアが開く。
 
「ご無沙汰しております。長野龍虎です」
と龍虎は玄関先で挨拶した。
 
「まあまあ、よく来たね。汚い所だけど、あがって」
 
と猛獅の母・高岡尚子は笑顔で言った。それで龍虎と支香はあがらせてもらい、尚子の案内で台所を通り、襖を開けて6畳の和室に通される。ここは1DKである。最近の建築なら洋室を設定する所だが1970年代に建てられた古いアパートなので和室である。その和室の畳が龍虎の軽い体重にもたわむので、ここ床抜けないよね?と少し不安になる。
 
「おお、良く来たな」
と正方形型の古ぼけたコタツに座っている高岡越春は言った。
 
尚子が龍虎と支香に煎茶を入れて出し、2人がそれを1口飲むと、越春はコタツのテーブルに頭を着けて言った。
 
「疑って済まなかった」
 

越春は、高岡猛獅が亡くなった後、様々な詐欺にひっかかった。猛獅にお金を貸していたとか、高価な楽器を貸していたとかいうのもあったが、猛獅の子供だという母子も3組も現れて、最終的に弁護士との話し合いで撤退した。そういう背景があったので、2007年に上島雷太が「猛獅さんの子供が居た」といって龍虎を連れて行った時「もう欺されるもんか」と言ったのである。
 
龍虎のことを上島が知った段階で、龍虎には戸籍が無かった。上島が雇った弁護士の尽力で2008年2月に戸籍を作ることができたが、この時審判の過程としてDNA鑑定を行い、龍虎が猛獅と夕香の子供であることはほぼ確定している。
 
この時DNA鑑定に協力してくれたのは、松枝・支香、猛獅の父の弟の息子(つまり猛獅の従弟)である高岡鶴道さんである。そして鑑定の結果このようなことが明らかになった。
 
・龍虎は松枝の女系子孫であるが、支香の子供ではない。
 
・龍虎は猛獅の祖父(越春の父・亀吉)の男系子孫であるが、鶴道の子孫ではない。
 

 
ここで、松枝には娘は夕香と支香しかいないので、論理的には夕香の子供であることになる。また亀吉には、息子は越春と鶴秋(鶴道の父)の2人しかおらず、鶴秋の子供は鶴道以外は全員女であり、越春の子供は猛獅だけであるから、論理的には龍虎はやはり猛獅の子供であるとしか考えられない。
 
万が一鶴道の姉妹の中に“女の子として育てられていた男の子”が居たとしたら、全くあり得ないことはないが!?
 

「まあ猛獅の子供でないというのなら、あんたが浮気してどこか他に息子を作っていて、その子供ということしかあり得ないね」
 
と尚子から言われて、越春は「浮気なんかしてない!」と怒っていたらしい。
 
「あら、だったら○子さんは?」
と指摘すると
 
「そんな昔のこと持ち出すな!」
と開き直っていたらしい。
 

他にも龍虎のDNAは鑑定に協力してくれた、松枝・支香、および鶴秋の3人と様々な遺伝子的類似があった。
 
それで龍虎は夕香の子供と法的にも認定されて夕香の戸籍に入れられたのだが、ふたりが婚姻届を出していなかったこともあり、また越春の姿勢に配慮して、父親欄の記載は留保させてもらうことにしたのである。審判文でも、越春が同意すれば猛獅を龍虎の父親欄に記載するとされた。
 
支香と龍虎は毎年年賀状、暑中見舞いを書き、越春と尚子の誕生日にはプレゼントをするなどしてきたが、越春の態度は頑ななままであった。尚子は返事を出したかったが、越春から停められていたらしい。
 

ところが今年龍虎が“アクア”としてデビューして、テレビ番組やドラマに出演する。尚子が
 
「ほら、龍ちゃん出てるよ、ちょっと見てごらんよ」
などと言われて、渋々見てみると、その顔形が猛獅の中学生の頃にそっくりであることに気付いた。
 
それで越春の態度は軟化し、一度会いたいと言ってきたので、日程を調整し、とりあえず支香と2人だけで会いに来たのである。
 
越春は龍虎が猛獅の子供、自分の孫であることを認めるとした上で、これまでずっと拒否していたことを謝った。
 
支香はやはり一昨年発覚したワンティスの楽曲の名義書換え問題が越春が軟化した下敷きだろうなと思った。あれで越春は人生観そのものが変わったのである。
 
ワンティスの楽曲の作詞者は高岡猛獅ということになっていたものの、実は高岡が書いていたのはごく初期だけで、売れるようになってからはほとんど夕香が書いていた。しかし事務所が「高岡君の作詞ということにしておかないとレコード会社が企画を通してくれないから」と言い、夕香も猛獅と結婚するつもりだったから、印税はどちらが受け取るのでも構わないと思っていたようだ。
 
しかし2人の死後も名義問題はそのままになっていて、本来は夕香の遺族が受け取るべき印税を猛獅の遺族である越春が受け取っていたことが一昨年の春、明らかになった。
 
越春は不当な利益を得ていたとして世間の批判にさらされた。越春は知らないこととはいえ申し訳無かったとして、自分の全財産を現金化して長野松枝に贈ると発表した。しかし松枝は受け取りを拒否したので、結局、越春はこのお金を全額東日本大震災の被災地に寄付することにした。松枝たちが東日本大震災で自宅が崩壊し家財道具もかなり無くして苦労したことを聞いていたのもある(自宅は借家だったので被害は実質家財道具の分だけ)。
 
越春と尚子はそれまでは猛獅が建ててくれた2階建て・4LDK2Sの家に住んでいたのだが、その土地家屋も売ってしまったので、現在は猛獅の遺品だけトランクルームに預けて、自分たちは1DKの古ぼけたアパート(築50年で家賃3万円)に住んでいる。
 
(実際には越春は猛獅が遺した借金の返済や事務所から請求された損害賠償に応じるため、当時この土地建物を担保に銀行からお金を借りて、その後、自分の給料と高岡の印税とで10年掛けて借金を返しているので“不当な利益”を得て“豪邸”を建てたというのは言い過ぎである。それに総二階の4LDK2Sは実際には建面積わずか20坪であり、結構コンパクトな家であった)
 

今回の話し合いでは、最初はすぐに龍虎の戸籍の父親欄に高岡猛獅と記載してもらおうという話になっていた。龍虎の戸籍を作った審判の時の審判文があるので、越春が同意書さえ出せば、即記載してもらえるはずである。
 
この機会に苗字も高岡にはできないのかという質問もあった。これは想定内で支香が弁護士に確認しておいたのだが、猛獅と夕香が既に死亡しているため、2人の婚姻届を出そうとしても無効であり、どうしても高岡の苗字にするには越春が養子にするしかないということだった。
 
孫ではなく養子にするのは、やはり違うと思うということで、苗字は長野のままでよいことにした。ところが話がまとまったかと思った時に越春はこんなことを言い出した。
 
「でも龍子ちゃんがこんなに売れた後で、今更祖父ですと法的に認定してもらうというのは何だかお金目当てみたいで気が引ける」
 
「それ猛獅が売れていた所に隠し子ですと名乗ってきた変な人たちがいたのと逆ね」
と尚子が少し遠い目をして言う。
 
すると龍虎が言った。
 
「その問題ですけど、もしよかったら私の父親欄はやはり空白のままにしておけませんか? 私は小学1年の時以来、今の里親の田代さん夫妻に育ててもらったので、今更父親欄を埋めると、田代さんたちが、子供を取られたみたいな気がすると思うんです」
 
「ああ、それはちょっと寂しいよね、田代のお父さん・お母さんにとっては。志水さんにとってもね」
と支香も言った。
 
それで再度話し合った結果、戸籍の記載は引き続き保留することにしたのである。そして戸籍には記載しなくても、自分たちはお互いに祖父母と孫という気持ちを持って今後は付き合っていこうということにした。
 
ただ永遠にそのままという訳にもいかないから、越春は2枚の公正証書を作ることにした。1枚は自分が、龍虎の父親欄に高岡猛獅の名前を記載することに同意するという文書で、これは作成した後、龍虎に預け、龍虎がその気になったらいつでも提出してよいことにする。もうひとつは、遺言書で、同様のことを記載しておく。つまり龍虎が越春の同意書を提出しなかった場合は、越春が亡くなった時点で、猛獅と龍虎の父子関係が戸籍に反映されることになる。
 

午前中いっぱいこの件で話し合った後、尚子が仕出しを取っていたので、それを一緒に食べてから、4人はタクシーでさいたま市郊外のトランクルームに行った。
 
「凄い・・・」
と龍虎は声をあげた。
 
「よく入っていますね」
と支香は言った。
 
「まあ芸術的な積み方をしているよね」
と尚子。
 
ここには猛獅が当時住んでいたマンションに遺していた楽器類、CD/DVD類、書籍、賞などの記念品、様々なミュージシャンと交換した品、などが大量に保管してあるのである。外国の超有名ミュージシャンがサインしたギターなどもあるらしい。
 
この荷物は元々は猛獅が亡くなった後は、越春の自宅の3部屋を占有して保管されていたものだが、自宅売却の際、ここに移された。その時、倉庫代をケチって、通常なら6畳程度の荷物を入れるようなサイズの倉庫に、強引に部屋3個分の荷物を“詰め込んだ”ので、密度が物凄い!
 
ただしここは空調が常時働いており、湿度も一定に保たれているので、保管品が極端に劣化することはない。
 
実は一昨年の名義書き換え問題が起きた時にこれもオークションなどで売却することも考えたのだが、売却すると貴重な資料が散逸してしまうとして上島や雨宮などが反対、場合によっては上島が買い取るからといって、それで越春も売却を断念したのである。
 
その後、この遺品の中に多数の猛獅が書いた詩が隠されていたことが判明し(発見したのは青葉)、更には夕香の作詞ノートまで発見されて(美術全集の箱にはさまっていたのを雨宮が発見した)、その全容はまだ完全には明らかになっていない。
 

この倉庫にある楽器などは好きなのを持って行っていいからと越春は龍虎に言ったが、龍虎は自分はまだ未熟なので、まだずっと先に考えたいと答えた。
 
最後にまた越春の家に戻って、帰る途中で支香が買ったケーキを4人で食べた。尚子がリプトンのティーバッグで紅茶を入れてくれた。最近では珍しくなった角砂糖が出てくるので支香は2個、龍虎は1個入れた。
 
「龍子ちゃん、ダイエットしてるの?」
と尚子から訊かれる。
 
「いえ。むしろもう少し体重増やしなさいといわれているのですが、ケーキが甘いから、紅茶はそんなに甘くなくてもいいかなと思って」
 
「確かに体重増やしたほうがいい。あんたホント細いもん!今何キロ?」
と尚子。
 
「37kgかな」
「あり得ない!最低40kgにしなさい。忙しそうだし、倒れちゃうよ」
「事務所の社長からも言われています!」
 

「実は春頃、歌を歌っている所とかもテレビで見たんだけど、その時はそんなに感じなかったんだよね。でも『ときめき病院物語』で龍子ちゃんが男の子の役を演じているのを見て、この子、男の子の格好したら猛獅の中学生時代とそっくりじゃんと思ったんだよ」
 
と越春は言った。
 
「あれ男役と女役の両方をしてと言われて『え〜!?』と思ったんですけどね」
と龍虎。
 
「同じ事務所の先輩ときょうだいの役をする予定だったんだよね。それが急に辞めちゃったから龍が1人で2役することになっちゃった」
と支香が言うと
 
「そんな経緯があったんだ!」
と越春も尚子も驚いていた。
 
「だけど今度の『ねらわれる学園』(←越春の発音通り)では、ずっと学生服着て、男の子役をしているんだね。確かに学生服姿もりりしくていいけど、アイドルなんだから、もっと可愛い格好もすればいいのに。今回は女の子役は無かったの?」
 
龍虎は一瞬支香と視線を交わしたが、今の時点ではたとえ祖父母といえども情報を明かしてはいけないと判断した。それで龍虎は答えた。
 
「男の子役だけですよ〜。『ときめき病院物語』は緊急だったからボクが女の子役までしましたけど、あれも来年の春から放送するPart 2 では、妹役は別の女優さんに代わって、ボクは佐斗志役だけになる予定ですし」
 
(実際この時点ではその予定だった)
 
「あら、なんで男の子役の方をするの?龍子ちゃんは友利恵役だけにして、お兄さん役を別の男性俳優さんがすればいいのに」
と尚子。
 
ちょっと待って。なんでボクにみんな女役をやらせようとするの〜?などと思いながら、龍虎は答えた。
 
「一応ボク、男の子なので基本的には男役しかしません」
 
「あら?宝塚の男役みたいな扱い?」
 
この時点で、長野夕香は重大な勘違いが起きているのではないかということに気付いた。どうも龍虎はまだ気付いていないようである。それで夕香は言った。
 
「あのぉ、念のため言っておきますけど、龍虎は男の子なんですけど、もしかして女の子と誤解したりはしてませんよね?」
 
「へ?」
と言って、越春も尚子もキョトンとしている。
 
「龍子ちゃんって女の子だよね?」
「ボク、男の子です〜!」
 
「うっそー!?」
と越春と尚子は驚いている。
 
「でも男の子なのに名前に“子”がつくの?」
「龍虎は空を飛ぶ龍に吼える虎です」
と言って、龍虎は自分の名前を紙に書いてみせた。
 
「その字だったの〜?」
 
「猛獅さんは、自分がライオンだから、息子は虎にしようと思って、この名前を付けたそうです」
 
「そうだったのか!」
「女の子だとばかり思っていた!」
 
龍虎は自分が男だったら、今日の話の結論が変わったりしないか心配したのだが、越春も尚子も、
 
「女の子でないのは残念だけど、男でも女でも可愛い孫であるのには変わらない」
と言ってくれた。
 
「ちなみに、女の子になっちゃう気は?あんたそもそも女の子にしか見えないんだけど?最近は簡単な手術で男を女にしたり、女を男にしたりできるらしいし」
 
「たしか埼玉医科大でそういう手術してたんじゃないかな?ニュースで聞いた気がする」
 
「手術して女の子になるというのは勘弁してください」
 
「だってこんなに可愛いのに男になっちゃうなんて、もったいない」
と尚子。
 
「まあ世間的にはそういう意見が多いです」
と言って、支香も苦笑していた。
 
「取り敢えず男みたいな声にならないように睾丸は取っちゃうとか?」
「嫌です」
 
「あんたが産む赤ちゃんの顔を見たいし」
と尚子が言うと
 
「まあこの子は男の子であったとしても、赤ちゃんくらい産むかもね。生理があるという疑惑もあるし」
と支香は言って笑っていた。
 
「あら、生理があるなら赤ちゃん産めるわね?」
 

なお、この和解を受けてアクアのファンクラブ会員番号は少し移動されることになった。これまで
 
87.高岡越春(予約) 88.長野支香 89.長野松枝 90.上島雷太 (81-90非公開)
 
となっていたのを
 
87.高岡越春 88.高岡尚子 89.長野支香 90.長野松枝 91.上島雷太 (81-91非公開)
 
とする。尚子が私もファンクラブ会員証欲しいというので1つずらすことにした。ずらさなくても支香を91にして松枝と上島は今の会員証をそのまま使ってもよかったのだが、それだと上島と支香が並びの番号になり、アルトさんが怒るだろうと忖度して!ずらすことにした。
 

11月4日の4人の話し合いは途中で志水照枝と田代夫妻(実はさいたま市内で待機していた)も呼んで7人での話し合いになり、田代夫妻が手配していた松花堂弁当で夕食とした。それで18時頃になって、今日はお互いいい話し合いができましたねなどと言って解散しようというのでタクシーを呼ぼうかと言っていた時、突然雨が降ってきた。
 
すると部屋の中に水滴が落ちてくる。
 
尚子が押し入れから紙おむつ!を持って来て水滴の落ちてきた所に置いた。
 
「雨漏り!?」
「雨漏り対策にはオムツがいちばん」
 
「そういう話は聞いたことがある」
 
「水滴が落ちてくるところはだいたい5ヶ所なのよね。そこにこれを置けば問題無い」
などと尚子は言っている。
 
龍虎が言った。
 
「おのぉ、思っていたんですけど、ここ2階で、階段を昇り降りするのも大変でしょ? 豪邸とかはプレゼントできないけど、私が家賃持ちますから、1階かあるいはエレベータの付いたマンションで、雨漏りの無い所に引っ越しません?」
 
「ああ、そのくらいはあんたが出してあげていいよ」
と支香も言った。
 
越春と尚子は顔を見合わせていたが、尚子が言った。
 
「だったら、孝行者の孫にそれは甘えようかな」
「はい!」
 
それでこの件は、龍虎は多忙すぎるし未成年なので、支香が適当な引越先を見つけてあげることにした。
 

2015年11月22日(日).
 
千里は毎月恒例の貴司とのデートをしたのだが、この日、阿部子が貴司の行動を怪しみ、ベビーシッターを呼んで京平のお世話をしてもらって、貴司の後を尾行した。千里と貴司はすぐに尾行に気付いたので、全然気付いていないふりをして普通に?デートをした。
 
帝国ホテルのラウンジで昼食→男子バスケットの試合を見る→別の体育館でバスケット練習→銭湯→地下鉄の駅で別れる
 
その後貴司が御堂筋線(北大阪急行に直行)の駅に入っていくので阿部子は慌てて同じ電車に乗るが、このままでは自宅に帰る時に貴司に見つかってしまう。どうしよう?と焦っている。ところが貴司は千里中央の1つ手前、桃山台で降りた。
 
貴司がいつもチームの練習で使っている体育館のある駅である。
 
そうか!練習するのか!と思い、阿部子は「良かったぁ」と思ってそのまま千里中央まで乗ってマンションに帰還した。
 
しかし実は貴司は桃山台駅で、A4 Avant を運転してきた千里に拾ってもらい、そこからホテルでデートをしたのであった! 阿部子の行動を全て見透かした上での心理的な盲点をついてのデートであった。
 

ホテルのベッドでお互い少し眠った後、貴司は千里に言った。
 
「結局さ、京平の身体を作った卵子って、千里の卵子なんだよね?」
「まさか。私は元男の子だったんだから、卵子なんかあるわけない」
と千里は答える。
 
「ある訳ないのか、それとも実はそうなのか、確かめさせてもらえない?」
「どうやって?」
 
「DNA鑑定をしたい。僕の遺伝子、千里の遺伝子、京平の遺伝子、そして念のため阿部子の遺伝子も採取して、DNA鑑定をしてくれる所に持ち込み、検査してもらう」
 
千里はしばらく考えていた。
 
「それ、こちらから持ち込むのではなく、まず鑑定会社に話をして、私と貴司と京平、そして阿部子さんと4人で行って、会社の人にサンプルを採取してもらわないといけないはず」
 
「僕と千里はいいよね?京平は何とかする。阿部子には秘密にしたいから、毛髪か何か取ればいいかな?」
 
「それも鑑定会社に相談すればいいと思う」
「分かった。だったら鑑定会社に話をして、サンプル採取には協力してくれる?」
「まあいいよ」
 
貴司はシャワーを浴びてから千里と一緒にホテルを出ると、タコ焼きをお土産に買ってマンションに帰還した。
 

アクアの4枚目のシングルについては、3枚目のシングルのタイトル曲を書いた青葉が大学受験で忙しいというので、ちょうど自分たちのアルバムに関する作業が終わりつつあったケイが再び書くことになった。つまりタイトル曲は
 
上島→ケイ→青葉→ケイ
 
とリレーされることになった。ところがアクアのシングルのカップリング曲を一貫して書いて来た東郷誠一Hこと醍醐春海(千里)はこの時期、物凄く忙しかった。
 
スペインでLFBのリーグ戦をスペイン全土に移動しながら戦いつつ、40 minutesで幾つもの大会に出場し、負けたら終わりのトーナメントの世界で戦っている。一方でレッドインパルスからは練習要員として1軍帯同を求められ、そちらの試合でも日本全国飛び回っている。しばしば千里は頭の中が混乱して、広川妙子にスペインで話しかけて「私日本語以外分からない」と言われたり、サンドラに日本語で話しかけて「それ何語だっけ?」と言われたりしていた。
 
その状態で「千里にしかできない」とケイから頼み込まれてケイたちの『振袖/門出』の音源製作にも協力したので、とてもアクアの曲まで書いていられない!と思った。アクアに渡す曲は仕上げに物凄く時間が掛かるのである。
 
それで11月23日、千里は青葉に電話を掛けて
 
「青葉、ぱーっとお金儲けたくない?」
と言った。
 
「そういう話は何だか怖いけどな」
と青葉は言っていたが、“誘導”に弱い青葉の弱点をついて、うまくこの仕事を押しつけてしまった。それでこの4枚目のシングルに関しては“東郷H”ではなく“東郷J”が書くことになったのである。
 
青葉はせっかく自分は大学受験で忙しいからと言って、ケイさんに代わってもらったのに!と思った
 

2015年12月5日(土)の夜、アクアはドラマの撮影が終わった後、鱒渕が運転する“白いアクア”に乗って、大田区蒲田のサテライト・オフィスに向かった。ここは信濃町のオフィスの機能を補うためのオフィスで、信濃町が営業の中心であるなら、蒲田は制作の中心である。音源製作や写真・動画撮影などができる設備が整っており、多数の楽器や大量の衣装もストックされている。ただ、信濃町からの移動に結構時間が掛かるため音源製作は新宿付近の貸しスタジオでおこなうことも多い。
 
アクアが到着した時には、スタジオには、秋風コスモス社長・川崎ゆりこ副社長、桜野みちる、品川ありさ、高崎ひろか、が既に来ていた。
 
「全員揃ったね。じゃ着換えよう」
「何をするんですか?」
と高崎ひろかが言うが
「まあ着換えてからのお楽しみ」
とコスモス社長は言った。
 
着付師さんが6人呼ばれていて、ここにいる6人に振袖を着付けしてもらうということであった。
 
「わあ、振袖ですか!」
とアクアが嬉しそうに言うのを、ありさとひろかが一瞬顔を見合わせたものの、
「龍ちゃんの振袖、可愛くなりそう」
などとありさは言った。
 
それで30分ほど掛けて振袖を着付けてもらった。着付け作業は“第1”と呼ばれている、もっとも広いスタジオでそのまま行われている。全員服を脱いで下着姿になり、その下着の上に肌襦袢・長襦袢と着て、その上に振袖を着る。ほんとうはふつうの下着は取って肌の上に肌襦袢のはずだが、この年は普通の下着の上に肌襦袢を着てもらった。
 
「さすが龍ちゃんの振袖は豪華」
とひろかが言う。
 
「舞ちゃん(桜野みちる)のと龍ちゃんのがいちばん高い。どちらも200万円の京友禅」
とコスモスが言う。
 
「すごーい!」
「私とエルちゃん(川崎ゆりこ)のは110万円くらい、クニちゃん(高崎ひろか)とあやちゃん(品川ありさ)のは100万円くらい」
 
「ひぇー!これ100万円ですか?」
「成人式の時はもっと豪華なのを買うといいよ」
「売れてればいいですけど」
 

「ところで何かの撮影ですか?」
と品川ありさが尋ねた。
 
「うん。実は年末年始のご挨拶のCMを撮ろうと思って」
とコスモスは言った。
 
「へー!」
 
「去年はうちのプロダクションもトラブル続きだったじゃん」
「ですね〜」
「でも今年は絶好調」
「おぉ!」
 
2014年春に海浜ひまわり、夏に千葉りいなが引退。デビューしたばかりの明智ヒバリがツアー中のステージで唐突に錯乱し、そのまま精神病院に入院。秋には17歳の神田ひとみが結婚するので引退させて欲しいと申し出て、紅川や田所たちが調整や交渉のため走り回ったのである。その中で品川ありさ・高崎ひろかの2人が引退したり休養したりした人たちの仕事を頑張ってカバーしてくれたので何とか§§プロは持ち堪えた。当時、§§プロはこのまま倒産するのでは?と思っていた人たちもいたし、紅川自身もう事務所を畳もうかと思っていた。
 
しかし今年1月にアクアがデビューすると、物凄い売上げを稼いでくれるようになり、§§プロは瀕死の状態から、業界でも最も注目されるプロダクションへと変貌した。4月にコスモスが社長に就任したのも、コスモスの若いセンスが良い方向に働き、売上げが物凄いことになって、急遽経理スタッフを増員し、事務用のコンピュータシステムも刷新したのである。
 
「今年の粗利は昨年の10倍らしいよ」
「それは凄い」
「誰かさんのお陰だな」
とありさたちは言っているが、アクアは自分のことを言われていることに全く気付いていない。「へー、そんなに売れているのか」などと思っている。
 
「まあそれでこんなに売上げが上昇したのも、ほんとに多くのファンの人たちに支えられたおかげだから、今年の締めくくり、12月30-31日に『今年はたいへんお世話になりました』とみんなで挨拶するCMを流そうと思ったのよ」
 
とコスモスは趣旨を説明した。
 
「それ年明けはどうするんですか?」
「今度は『今年もよろしくお願いします』というCMを流す」
「なるほどー」
「つまり2本CFを撮るわけ」
 

CM撮影と聞いて、アクアは急に心配になった。
 
「あのぉ。CMだったら、一般の人たちが見るんですよね?ボク振袖でいいんでしょうか?」
 
「他の子たちもみんな振袖着ているんだから、龍ちゃんも振袖でいいんだよ」
とみちるが言った。
 
「あ、みんな振袖ならボクも同じでいいのかな」
「そうそう」
 
それでスタジオにピアノが運び込まれてくる。カワイのグランドピアノ GX-7 である。指揮台と楽譜置きも設置される。
 
「エルちゃん、ピアノ弾いて。私が指揮する」
とコスモスが言った。
 
「何弾けばいいんですか?」
「C−G7−C。それでみんなで挨拶」
「音楽の時間の最初と最後の礼ですね」
「それな」
 
それで立ち位置も決める。4人が、ピアノ側から、ひろか・アクア・みちる・ありさと並んだ。カメラマンの男性が入って来て、カメラの位置などを調整している。
 

そしてそこまで出来た所で、西宮ネオンがマネージャーの山本君と一緒に入ってきた。ネオンは紋付き袴の姿である。山本は唯一の男性マネージャーなので、“唯一の男性タレント”西宮ネオンを担当している(男手も必要というので山本を雇用した直後にネオンがオーディションに合格したので、結果的に彼の専任に近い形になっている)。
 
「あれ〜?ネオン君は振袖じゃなくて紋付き袴なの?」
とアクア。
 
「僕は男だから振袖を着るわけない」
とネオン。
「じゃ、ボクは?」
 
「アクアは振袖でよい」
と、ありさ・ひろか・みちる。
 
「じゃ撮影するよ」
とコスモスが言う。ネオンはありさの隣に並んだので、こういう配列になる。
 
(ピアノ)ひろか・アクア・みちる・ありさ・ネオン
 
つまりトップアーティストである桜野みちるを中心に5人並んだ形である。
 
それでコスモスが青い指揮棒を振って、ゆりこがドーソードを根音とする和音を弾き、同時に全員お辞儀をしてから、一緒に
 
「今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします」
 
と言った。
 
 
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【娘たちのベイビー】(4)