【娘たちのドラゴンテイル】(3)

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11月10日に、スターキッズの楽曲制作が終わったのは、もう夜11時すぎだった。
 
さすがにこの時間から富山に帰る手段は無いので、青葉は
「明日は学校休もうかな」
と言った。ところが、それを聞いたゆまは
「それはいけない。私が車で送っていくよ。君たちどこ?」
と訊く。
「富山と金沢のちょうど中間付近にある高岡という所なんですが」
と青葉が言うと
 
「だったら私のポルシェで3時間だな」
とゆまは言った。
 
ちなみに、東京から高岡までは、最短と思われる上信越道経由で走っても440kmほどあり、普通の走り方をすればノンストップでも5〜6時間掛かる。
 
冬子が指摘する。
「3時間ってのは明らかにスピード違反」
 
「大丈夫だよ。オービスの場所は知ってるし、こんな夜中に警察も居ないって」
「車で行くなら速度制限守って」
と冬子。
 
「うーん。まあ、守っても5時間かな」
「それに1人でそんなに長時間走るのは無茶」
「誰か交替ドライバーが居た方がいいね」
 
そんな話になった時、千里が
「良かったら私が運転しようか?MTでも運転できるよ」
と言った。
 
青葉は「あれ〜?こないだは運転の自信が無いって言ってたのに体調良いのかな?」と思ったが、千里は見た感じ、顔色なども良いし、確かに8月に見た時からすると、かなりオーラがしっかりしているので、かなり回復してきているのかも知れないと思った。
 
それで鮎川ゆまのポルシェ・パナメーラで、青葉と空帆は高岡まで送ってもらうことになったのである。
 

千里の方は ESP 11/9 18:00-20:00 (JPN 11/10 2:00-4:00)に試合があった後は、11月10日は日曜日でお休み。次はESP 11/11 14:00 (JPN 11/11 22:00)からの練習に出れば良い。それで10日の夜は時間が自由に使えたのである。
 
ESP : Espania UTC+1 (CET)
JPN : Japan UTC+9
 
千里・ゆま・青葉・空帆の4人でタクシーに乗り、ゆまのポルシェが駐まっている駐車場に移動する。桃香はミラを運転して千葉に帰還する(駐車場代は七星さんがくれた)。冬子と政子は桃香のミラに同乗してマンションに戻る(正確にはマンションまでは冬子が運転した!)。スターキッズの多くは近くのホテルに泊まる。なお彪志は待ちくたびれてひとりで帰っていた!
 
そしてPorsche Panameraの運転席にゆま、助手席に千里、後部座席に青葉と空帆を乗せた状態で車は出発した。千里と青葉が姉妹なのに苗字が違う件に付いて説明したら、ゆまは「大変だったね」と言って涙を流していた。時間も遅いので上里SAで小休憩した後は青葉と空帆には眠るように言った。
 

運転は上里SAから大積PA(北陸道・長岡市)までを千里、その後をゆまが運転したのだが、上越JCTをすぎたあたりから雪が散らつき始める。
 
「あら〜雪だ」
「ゆまちゃん、この車のタイヤは?」
「ノーマル」
「雪道運転の経験は?」
「スタッドレスでなら少し走っているけど」
「交替しよう。ノーマルタイヤで雪道を走るにはコツがいるんだよ」
「そうか。千里ちゃん、北海道だもんね。頼む」
 
それで車を非常駐車帯に停めて運転交替した。
 
「ゆっくり走るね。セカンドに落としてエンジンの動力をできるだけダイレクトに伝えて、制御しやすくするんだよ」
「なるほど」
「そしてできるだけ速度を変えずに走るし、ハンドルもできるだけ切らない」
「そしたら前の車を追い越す時は?」
「雪道の高速で追い越しなんて自殺行為」
「うーん。。。あのスリルがたまらんのに」
「ノーマルタイヤでは無理だよ」
 
結局チェーン規制が掛かってしまい、魚津ICで下道に降りるハメになるが、かえって高速より道路の状態がよい。それで残り約60kmは、とっても空いている深夜の8号線をまあまあの速度で、1時間半で走り抜けることができた。朝4時半には空帆を自宅に届け、その後、青葉の家に無事帰りついた。
 

千里とゆまは青葉の家で少し仮眠させてもらい、10時頃に出発したが千里は
 
「ねぇ。どっちみちそろそろスタッドレス買い直そうと思っていたのなら、今日買っちゃおうよ」
と言った。
 
「それがいい気がするけど、今お金が無くて」
「私が出しておくから大丈夫だよ。おかげで高額所得者だし」
「醍醐春海の曲、無茶苦茶売れてるよね!」
 
それで高岡市内のオートバックスに寄ってブリザック4本セットを買い、タイヤ交換もしてもらった。交換したノーマルタイヤは荷室に積んだが、それで荷室にあった荷物は後部座席に移し、後部座席が満杯になってそこに座るのは不可能な状態になる(だいたいゆまの車内の荷物が異様に多い。楽譜集はいいとして少年ジャンプとか少年サンデーが大量にある!ちなみに、ゆまはnonnoとかMoreとかは読まない)。
 
「取り敢えずこれはクーペの状態かな」
「おっ。そう言えば格好良い気がする」
 
「でも女の子ならナプキンはせめて袋に入れておこう」
「それこないだナナ(宝珠七星)からも指摘された。散乱しているナプキンを警官とかに見られたら女装している変態男と誤解されるぞって」
「うーん。。。女装ではなく男装に見える気がする」
「うっ・・・」
 
ともかくも帰りも交替で運転したのだが、さすがに昼間は“上品に”運転したので、東京に帰り着いたのは夕方4時頃であった。
 

千里はいったん千葉に戻り、ゆまは冬子のマンションに寄って、お土産の「ますの寿し」を渡し、富山往復の報告をしたのだが、そこで話していたら、唐突に政子が
 
「出雲に行って神在月の行事を見て、蟹を食べたい」
と言い出す。
 
神在月の行事は旧暦で行われるので新暦では毎年日程が違うのだが、確認すると、今年の出雲大社の神在月の行事は11.13-11.19に行われ、特にエポックとなる神迎祭は11月12日、つまり明日の夕方から行われることが分かる。
 
しかし飛行機は満席である。冬子は新幹線で岡山まで行き、特急やくもで出雲に行くルートを提案したのだが、ゆまは自分のポルシェで往復しようと提案した。
 
「だって折角スタッドレス買ったから、慣らし運転」
などと言っている。
 
しかしゆまひとりでさすがに800km走らせる訳にはいかない。それで最初冬子が交替で運転しようと言ったが政子が反対する。
 
「冬は最近完全なオーバーワーク。長時間の運転は無理。昨夜ポルシェを運転してくれた千里を呼び出そう」
 
するとゆまも賛成する。
 
「千里さんなら心強い。あの人凄くうまい。それに普段インプレッサとか、RX-7/8とか、フェラーリとか、運転しているらしい」
 
「知らなかった!」
「A級ライセンスも見せてもらったよ」
「すごーい!」
 

それで千里はゆまから電話を受けたのだが、同乗する人を確認すると、ゆま・政子・冬子の3人ということである。だったら代役が利くなと思い、念のため《こうちゃん》を見るとOKサインをしているので、そちらに行くと言った。
 
そして《こうちゃん》にインプレッサを運転して冬子のマンションまで行ってもらい、自身は《すーちゃん》と交替でスペインに戻って、この日の練習(ESP 11/11(Mon)14:00-21:00 = JPN 11/11 22:00- 11/12 5:00)の用意をした。
 
それで千里に扮した《こうちゃん》が冬子たちの所に行き、4人でパナメーラに乗ってマンションから出ようとしたら、ゆまはいきなりコンクリート製の車止めにぶつけて、左のヘッドライトを破損してしまう。
 
それで結局、出雲往復は千里のインプレッサ・スポーツワゴンを使うことになった。
 
冬子はこのインプレッサのことを知らなかったので
「でも千里、こないだミラ買ったとか言ってなかった?」
と訊く。
 
「このインプは借り物〜」
と千里言う。
 
「長期間借りてるんでしょ?」
とゆま。
 
「そうそう。2009年の春以来、4年半借りっぱなし」
「それはほぼ私物化しているな」
 

インプは千里とゆまが交替で運転して、東名・名神・中国道・米子道と走り、11月12日(火)の明け方、韮山高原SAで休憩して朝御飯を食べた。ここは既に一面の雪景色だった。
 
ちなみに韮山高原SAまで運転したのは《こうちゃん》で、休憩後その先で助手席に乗ったのは千里本人である。
 
境内の駐車場は狭いこともあり、ご縁広場(道の駅)に車を駐め、歩いて出雲大社に参拝に行く。これは大鳥居を通って参拝することになるので、お勧めルートである。拝殿でお参りをしてから、千里は他の3人を須佐之男神(すさのおのかみ)を祭る素鵞社(そがのやしろ)に連れていき、そのお社(やしろ)の裏手にある岩に、全員触れてみるよう言った。
 
「何か流れ込んでくる!」
と政子が言う。
 
「物凄く癒やされる感じ。私、夏に青葉のヒーリングで創作の泉を再発見したと思っていたけど、今その泉とのパイプがしっかり確立していく感じ。これ5分くらい触っていたい」
と言って、実際には15分以上触っていた。
 
そして千里は何も言わずに岩に触りながら涙を流していた。
 
昨年7月6日の婚約破棄以来の色々な思いが全て洗い流されてしまうような気持ちに、千里は、なっていた。
 
嫌なことは忘れよう。私は前を見る女だ。だから自分が今からできることだけを考えて行こう。過去のことを悔やんだって、それは変更しようが無いのだから。千里はこの岩に癒やされながら、そんなことを考えていた。
 
3人3様にこの岩に癒やされたのだが、ただひとり、ゆまだけは
 
「何かあるんだっけ?全然分からない」
と言っていた。
 
千里が泣き笑いの表情で言った。
「ここって女性には効くけど、男性にはあまり効かないらしいんだよね」
 
「ほほお」
「つまり、ゆまは男の子なのか」
 
「それなら納得する!」
と本人が言っていた!!
 

お参りした後、出雲そばと、ぜんざいを食べる。ご縁広場まで歩いて戻り、吉兆館で48mの高さがあった時代の出雲大社の復元模型を見た。その後、政子が“日本一の大しめ縄”を見てないというが、さすがに歩き疲れたので、車で出雲大社の駐車場に移動して、神楽殿のしめ縄を見た。
 
それでご縁広場に戻ろうかと思ったのだが、駐車枠の外にもたくさん車が駐まっていて出られなくなっていた。
 
「仕方ない。放置で」
「これ神迎祭が終わるまで出られないのでは?」
「まあそれも好都合だね」
 
16時半頃に大勢の人たちと一緒に歩いて稲佐浜に移動し、神迎祭を見学したが、物凄く神秘的で全員感動した。そのあと“龍蛇様”に先導されて神職たちも見学者たちも一緒に大社まで戻る。そして神楽殿で神迎祭の後半も見学させてもらったが、意識が革命を起こすほど厳粛な儀式だった。
 
なお、神楽殿での行事が終わったのが21時すぎくらいで、ここまで見てから千里は《こうちゃん》を分離してから《すーちゃん》と交替でスペインに戻った。日本時間で22時からの練習に参加する。
 
JPN 11/12 22:00 = ESP 11/12 14:00
 
儀式が終わった後、駐車場に駐めているインプに戻る。運転席には千里(実際は《こうちゃん》)が座る。しかし周囲の車が出るまでは身動きが取れない。寒いのでアイドリングしながら待っていたら、赤いコートの女性がトントンと窓を叩いた。
 

運転席の千里(こうちゃん)が窓を開けると“彼女”は言った。
 
「すみません。そちらが品川ナンバーなのを見て。私、東京からヒッチハイクで来たんですが、このままお帰りになるのでしたら、もし良かったら東京まででなくてもいいので、岡山か京都付近あたりまででも乗せて頂けないかと思いまして」
 
政子が嬉しそうな顔をして冬子の袖を引いた。それは彼女の声が男声だったからである。
 
「すみません。私たち、まだ明日の神在祭(かみありさい)も見ますので」
と千里が答える。
 
「そうでしたか。あれ?神在祭って、今のがそうじゃないんですか?」
「今のは神迎祭(かみむかえさい)で、神在祭は明日の朝10時からですよ」
「ほんとですか!?」
「名前が紛らわしいですよね」
 
「良かったぁ!神在祭の写真をヒッチハイクで撮ってこいという罰ゲームだったんですよ」
と“彼女”は言っている。
 
「気付いて良かったですね!」
と、千里が言った。
 
しかし東京から出雲までヒッチハイクとか、なんて鬼畜な罰ゲームなんだ!?と冬子やゆまは思った。
 
(政子は“彼女”自身に関心を持っているので罰ゲームという話までは聞いていない。一方、千里(こうちゃん)は“介入”されていることを感じていた。この子との出会いはたぶん必然だ)
 
「ありがとうございました。でしたらどこかで野宿して明日を待ちます」
と言って彼女は車を離れようとしたが、政子が声を掛ける。
 
「待って。雪も降っているのに、野宿は辛いし、女の子は襲われますよ。私たち道の駅まで行くんですけど、そこまででも乗って行かれません?」
 
「いいんですか?」
 

千里は一瞬ゆまと顔を見合わせた。しかし頷き合う。
 
千里(こうちゃん)は彼女を同乗させることに抵抗感を感じるメンツがここに居ないか一瞬考えたのだが、誰もそういう人はいないと結論付けた。ゆまは一瞬この車がパナメーラのような気がしていたので、パナメーラは4人乗りだから乗せるのは困難と思ったのだが、すぐにインプレッサであることを思いだし、インプなら5人乗るじゃんと思い、頷いた。
 
定員問題については千里(こうちゃん)もすぐ気付き、結局は東京で出がけにゆまがパナメーラを車止めにぶつけて壊した時点で既に《誰かさんのシナリオ》が働いていたのだろうと考えた。
 
要するにこれは神様たち?のお遊びのようである。《こうちゃん》はワクワクした。多分この《お芝居》に参加するために自分はここに居るのだと思った。
 
多分・・・この子を本当の女の子に変えてあげてもいい!!
 
いつやっちゃおうかなぁ。今夜やったらダメかなあ?と《こうちゃん》は笑みが出そうなのを我慢しながら考えていた。
 

冬子が後部座席の真ん中に乗り、助手席の後ろに“彼女”を乗せた。
 
「お世話になります。鹿島信子(かしまのぶこ)と申します」
と彼女は丁寧に言ってお辞儀をしてから乗ってきた。
 
「信子ちゃん? 私は冬子、こちらは政子、運転席に居るのが千里、助手席に居るのはゆま」
と冬子がこちらの4人を紹介した。
 
「女の子同士だから、名前呼びでいいよね?」
と政子が笑顔で言う。
 
「そ、そうですね」
と言いつつも信子は照れていた。
 

千里(こうちゃん)が運転するインプレッサは途中コンビニに寄った上で、道の駅・湯ノ川まで走り、そこで車中泊する。信子はアルミの断熱シートを持っているということで、それで道の駅の施設の隅で寝るということだった。
 
千里に扮している《こうちゃん》が姿を消したまま付いてきている《すーちゃん》に視線をやる。《すーちゃん》は頷いて、信子を守るようにその傍で休んだ。
 

この日のレオパルダの練習は体育館の電気系統の不調で17時すぎに打ち切られた。これは日没してしまうと練習にならないので、その前に全員帰られるようにしようということでの早めの打ち切りである。
 
(11月12日のグラナダの日没は現地時刻18:02)
 
それで千里はシャワーを浴びて17:20頃に日本に戻してもらったが、この時、インプの車内に《こうちゃん》が居て、《すーちゃん》は道の駅の施設の中にいたので、《きーちゃん》は千里を《こうちゃん》と入れ替えた。これが日本時刻では11/13 1:20頃である。
 
みんな車内で寝ているので千里も寝るしかないようである。それでトイレに行ってきてからと思い、車を出て道の駅のトイレに向かう。すると冬子も起きたようで、一緒にトイレに行った。
 
冬子は千里を心配するように言った。
 
「千里、8月頃にもしかして何かあった?」
 
千里は泣くような笑うような混乱した表情で答えた。
 
「言えるようになった頃に、言うことにする」
「うん」
 
ただ千里はひとこと言った。
「私、悪い女かも」
 
冬子は少し考えてから答えた。
 
「たぶん開き直ればいいと思う」
 
すると千里も少し考えてから笑顔で答えた。
 
「そうする」
 
しかしこの夜《こうちゃん》は思っていたより早い時間に、千里の代わりにスペインに飛ばされてしまったので、信子に“おいた”をすることはできなかったのであった。
 

11月13日は早朝から出発する。信子は道の駅を出発する時まだ寝ているようだったので、
「何か困ったことがあったら遠慮無く連絡してね」
というメモを冬子の携帯番号と一緒に書いて残しておいた。
 
(冬子は迷惑電話対策で数ヶ月おきに電話番号を変更するので、こういう時に教える番号としては最適である)
 
朝山神社と須佐神社を見てから10時頃に出雲大社に戻り、神在祭の行事を見学した。信子ちゃんもどこかでこれを見学しているのかな?などと千里も冬子も考えていた。
 
この日は神在祭を見た後、万九千社を見てから松江に移動し、お昼には宍道湖七珍の料理を食べる。その後、八重垣神社・神魂神社・熊野大社・須我神社・玉造湯神社を見てから、日没の時間に日御碕神社に行った。夕日の日御碕神社は龍宮のように美しかった。
 
「ところで今夜も車中泊?」
「松江市内に宿を取っているよ」
「やった!」
「但し6畳の部屋1つだから、そこに4人寝る」
と冬子が言うと
 
「寝られるの〜?」
と不安そうな政子の声。
 
「私は高校時代の合宿で6畳に8人寝たりしてたよ」
と千里が言うので
 
「それは凄い!」
という声があがっていた。
 

「でも千里、インプレッサを自由に使えるのに、別にミラを買ったのね?」
と政子が訊いた。
 
「あれはリハビリ用、兼、街乗り用かな」
「へー!」
 
「大学1年の時に買ってファミレスへの通勤とかに使っていたスクーターが最近調子悪くて困ってたんだよね。それで主として通勤にミラを使う」
「なるほど」
 
「それと冬子に指摘されたけど、8月に私、ちょっと辛いことがあって落ち込んでたんだよ。偶然通りかかった車屋さんで3万円のミラを見て、あ!安い!と思って衝動買いして、それで青森から宮崎まで走って来たら、かなりスッキリした」
 
「3万円は凄い」
「たくさん走るとスッキリするよね」
「車の衝動買いかぁ」
「ストレスあった時は無駄遣いすると気持ちが晴れる」
「確かに確かに」
 

それで松江市内まで辿り着き、予約していた旅館に向かっていた時、政子が
 
「停めて停めて!」
と言うので千里はブレーキを踏み、車を脇に寄せて停める。するとすぐ近くに《鳥取方面》と書いたホワイトボードを掲げた信子がいた。
 
「まだ、このあたりにいたんだ?」
と助手席のゆまが窓を開けて声を掛けた。
 
「あ、どうも昨夜はお世話になりました」
と信子。
 
「大変そうね」
と政子。
 
「東京から出雲までも4日掛かりましたから、帰りもそのくらい掛ける覚悟で」
 
「着替えとかどうしてるの?」
「荷物になるから2着だけ持って来て実はもう2度着替えてしまいました」
「お風呂とかは?」
「トイレの中で、ボディ用のウェットティッシュで全身拭いてます」
 
すると政子が言った。
 
「私たち、今夜は松江市内の旅館に女の子4人で六畳の部屋1つに泊まり込むんだけど、信子ちゃんも一緒に泊まらない?」
 
するとさすがに信子は
 
「それはまずいですよぉ」
と信子は言っている。信子は当然性別問題を考えている。
 
「大丈夫だよ。信子ちゃん、女の子だもん」
と政子。
 
「え?でもちょっと私特殊事情が・・・」
「平気平気。こちらも変な人多いし」
と言っていたら、
 
「あれ?女の子4人と言いました?」
と言って信子がゆまを一瞬見る。それで冬子と千里は一瞬視線を交わした。
 
信子はゆまを男性と思っているのである。
 
「1部屋しか取れなかったから、ゆまちゃんも今夜は女装して女の子になってもらうから」
と政子が言うと
 
「わぁ。ゆまさんがいるなら、私もいいかなあ」
と信子は言った。
 

それで結局6畳の部屋に男1人女4人?で泊まり込むことになったのである。旅館で宿泊手続きをしていたら
 
「あれ?男の人も混じっているんですか?」
と番頭さんに訊かれる。
 
信子がギクッとした顔を見せたが、番頭さんは、ゆまを見ている!
 
それで千里が
「この子、男の子に見えるけど一応女なんですよ。スポーツとかするので髪を短くしてるんです」
と言うと
 
「ああ。女性5人だったらいいです」
と了承してくれた。
 
「食事を1人分多くしてもらえますか?」
「はい。それは大丈夫ですよ」
 

なお旅館代・食事代については、千里が
「冬子はお金持ちだから、遠慮無くおごってもらうといいよ」
と言ったので
「すみません。だったらおごちそうになります」
と信子も言っていた。
 
この日の夕食では、政子待望の松葉蟹ほか、アオリイカ・ヨコウなど海の幸をたっぷり食べた。政子がたくさん食べるし、千里やゆまも結構食べるので、松葉蟹は3杯完食し、その食べっぷりを気に入った旅館の人から紅ズワイガニの足まで5本もらったが、それもペロリと食べ尽くした。
 
この食事が終わった所で千里(本人)は《こうちゃん》と交替でスペインに戻り、レオパルダの練習に参加する。日本に戻ってきた《こうちゃん》は指を折ってワクワクした気持ちで信子を見つめていた。
 

信子が着換えを使い切ってしまったと言っていたので、冬子がお金を出してあげて、千里の運転でイオンまで行き、着換えを買ってきた。その後で、ゆまの提案で《性別暴露大会》をした。
 
千里が最初に自分は小学生の頃から女性ホルモンを摂っていて、高校1年生の時に性転換手術を受け、戸籍上も既に女性になっていると、初めて友人の前で早期に性別移行していたことを告白した(実際にはこういう勝手な告白をしているのは、こうちゃんである:こうちゃんは千里に卵巣があることを知らない)。
 
冬子は小学生の頃から女性ホルモンを摂っていたことは認めたものの、去勢したのは大学1年の時、性転換手術は2年の時と言って、ブーイングを受けた。
 
「だって冬の従姉が、冬は幼稚園の時、既におちんちんは無かったと証言している」
と政子が言うので、千里が苦しそうに笑っていた。
 
「私は戸籍上も肉体的にも女だけど、自分が女だというのに違和感がある」
とゆまが言うと
 
「え〜〜?男性じゃなかったんですか!?」
と信子が超絶驚いていた。
 
「私はレスビアンと分類されることが多いし、FTMだと思っている人も多いけど、実際にはそのどちらともつかない、微妙なポジションなんだよ」
と、ゆまは苦悩するように告白した。
 
「まあどっちみち恋愛対象は女性だよね?」
「うん。それだけは確か」
「つまり今夜の宿泊者の中で最大の危険人物」
と冬子が言う。
「今日は自粛する。お酒飲んで早めに寝ようかな」
とゆまが言うと
「お酒を飲むとかえって危険な気がする」
と冬子は言う。
「じゃお酒も自粛!」
 

信子は
「私はご覧の通り、女装者です。実は麻雀の罰ゲームで女装してヒッチハイクで出雲まで行って来いということになっただけで」
と最初言ったが
 
「信子ちゃんは視線が女の視線だし、女装に全く違和感が無い。長く女の子をやっている人でしかあり得ない」
と冬子・千里に指摘される。
 
それで彼女も「小さい頃から女の子になりたいと思っていた」と告白した。
 
その告白を聞いた時、“千里”の目がキラリと光ったことに、他の4人は誰も気付かなかった。
 
「普段からスカート穿くんでしょ?」
「5着持ってることは持ってるけど・・・」
「下着は女の子下着だよね?」
「実はタンスの中の7割くらいが女物。男物下着は体育の授業がある時とか銭湯に行く時とか」
「女物下着で銭湯に行けばいいのに」
「男湯で女物下着を曝すのは恥ずかしいです」
「女湯に入ればいいんだよ」
「無理です!」
 
「無理じゃないと思うけどなあ」
 

暴露大会の後でお風呂に行くが、あまり広くないということだったので、千里とゆま、冬子と政子というペアでお風呂に行った。ゆまは例によって先客の女性から悲鳴をあげられ、千里が「この子間違いなく女です」と弁明してあげた。
 
但し本当にゆまと一緒にお風呂に行ったのは、この日ずっと信子をガードしていて、夕方千里たちとの再遭遇を演出した《すーちゃん》である。
 
信子にも「入っておいでよ」と政子が言っていたが「私は特殊事情があるので、身体拭きで身体を拭いておきます」と言っていた。それで、深夜なら誰もいないから、夜中1時か2時頃に入りに行くといいよと、みんなで勧めておいた。
 

そして深夜2時。
 
信子は起きだしてお風呂に行ってみた。最初自粛して男湯に入ろうとしたのだが、男性従業員さんが中に居て
 
「わっ。お客さん、こっち男湯。女湯は隣!」
と言われる。
 
「済みません!間違いました!」
と言って戸を閉める。
 
それで恐る恐る女湯に入ると誰もいなかった。他に誰も居ないなら入ってもいいかなあと思い、服を脱いで浴室に入る。身体を洗うと、一週間ぶりなので物凄く気持ちが良かった。
 
やはり親切な人たちに出会えて良かった、と思いながら浴槽に浸かっていたら、入ってくる人があるのでギョッとする。しかしそれが“千里”だったのでホッとした。
 

「信子ちゃん、女湯に慣れてないみたい」
「ごめんなさい。私、女湯に入ったのは初めてで」
 
「冬子にしても私にしてもまだ男の子の身体だった頃から、女湯に入っていたよ」
と“千里”は言った。
 
「小さい頃ですか?」
「私は性転換手術を受けて本当の女の子の身体になったのは高校1年の時だけど、実際には小学校の時も中学校の時も、男湯に入ったことは一度もない。いつも女湯に入っていた」
 
「よく入れましたね!」
「うまくごまかしていたからね」
 
「どうやってごまかすんですか?」
「おっぱいは付け乳すればいいんだよ」
 
「そんなのがあるんですか?」
「うん。そうだ。今持ってるから着けてあげるね」
と言って千里はなにやら肌色の物体を取り出して、信子の胸に貼り付けてしまった。
 
「わっ」
 
どこから出したんだ??と信子は思う。
 
「触ってごらん」
「すごーい。まるで本物みたい」
「よく出来ているよね。君にあげるから」
「え〜いいんですか?」
 

「でも、お股の方はどうするんですか?」
「それは必死に隠す」
「やはり隠すんですか!」
「今君がしているみたいにね」
「あまり見ないでください」
 
「でも取っちゃうのがいい。お股に突起物が無くなれば、楽に女湯に入れる」
「まあ女の身体になっちゃえば、そうでしょうね」
 
「取っちゃいたいと思ったことない?」
と“千里”は訊いた。
 
信子は少し考えてから言った。
 
「無くなればいいのにと思ったことは何度もあります。でも突然無くなることはないし、性転換手術とか受けに行く勇気も無いし。そもそもお金も無いし」
 
「まあ手術代が高すぎるからね。もし福引きで性転換手術が当たったら受けたい?」
「そんなの福引きに無いですよ!」
「もしあったら?」
 
信子は少し悩んでから答えた。
「受けたいかも」
 
「じゃ、今すぐおちんちん取っちゃおうか?」
「え!?」
 
「サービス、サービス。福引きの大当たりということで」
と言うと、“千里”は信子のお股にある突起物を掴み、ぐいっと引っ張った。
 
そしたら取れちゃった!
 
え〜〜〜!?
 
と信子が思っているうちに“千里”は
 
「私は先に上がるね。もう他の女の子に見られても大丈夫だから、ごゆっくり」
と言って上がっていった。
 
信子は信じられない思いで何も無くなった自分のお股を眺めていた。
 

ハッとして目が覚める。
 
夢か!!
 
びっくりしたぁ。
 
と信子は思う。だいたい、おちんちんが引っ張っただけで取れたりはしないよなあ。でも、ボク本当に性転換手術受けたい気分になっちゃった。でも夢の中の千里さんとも話したけど、あまりにも手術代が高すぎるし、などと考える。
 
取り敢えずトイレに行ってくることにして、部屋を出てトイレに行く。ここ一週間ほどの女装生活で、もう女子トイレに入ることは抵抗が無くなっている。それで女子トイレに入り、個室に入って、おしっこをした。
 
この時、何か物凄い違和感を覚えた。
 
へ?
 
と思い、お股を覗き込んだ信子は仰天した。
 

11月14日(木).
 
6畳1間に泊まった5人は、政子を除いて4時半に起床した。信子が着替えた服は旅館の人から空いている段ボール箱をもらい、それに詰めて宅急便で東京に送った。そして寝ている政子は腕力のある千里が抱いてインプレッサの後部座席に乗せ、他の4人も乗り込んで5時前に出発した。
 
なお本物の千里は出発して間もなく、スペインでの練習を終えて、千里に扮している《こうちゃん》と交替で、インプレッサの助手席に戻った。
 
信子が何やら悩んでいる感じなので、冬子が尋ねた。
 
「信子ちゃん、何か悩んでるような顔してるけど、どうかしたの?」
 
「あ。いえ、大丈夫です。でも人生って多分何とかなりますよね」
 
「うん。人生って色々なことがあるけど、結構何とかなるもんなんだよ」
と冬子は答えた。
 
その信子は千里の方をチラッチラッと見ていたが、ここにいる本物の千里は昨夜起きたことについて何も知らない。
 

この日は朝から美保関(みほがせき)を目指していた。昨日の夕方は島根半島西端の日御碕(ひのみさき)で夕日を見たのだが、今朝は島根半島東端の美保関で朝日を見ようという趣旨なのである。
 
この日の朝日は大山(だいせん)の付近から登った。
 
それはまるで大山が太陽を噴出したかのような感じであった。
 
「凄く力強い太陽だ」
とゆま。
 
「活力があふれてくるみたい」
と信子。
 
「うん。昨夜の日御碕の夕日はただただ美しかったけど、この美保関の朝日は力強い。エネルギーが湧き上がってくるようだよ」
と冬子。
 
千里は無言だったが、この日の出は、自分の心の日の出だと思っていた。もう私は傷心の失恋者ではない。私は“私”を生きるんだ。
 
千里は心の中に硬く、本当の再出発を誓っていた。
 
そう思って太陽を見ていたら、それがやがて大山の上に出て、まるで人間のような姿になった。そしてその“人”は飛び上がり、大山と分離した。
 
この“人”と“ジャンプ”する所を認識したのは、この場では、冬子以外の4人であった。
 

境港に移動して朝御飯を食べたが、この時、朝日が人の形に見えて、その人がジャンプしたというのが話題になった。冬子が気付かなかったというと、みんな
 
「冬子は働き過ぎ。疲れている」
と言った。
 
政子がその朝日を見て詩を書いたから、曲を付けてと言って冬子に紙を渡す。すると信子は不思議そうにして
 
「曲を作るとか、バンド活動とかしてるんですか?」
と訊いた。
 
「うん。このふたりは一緒に曲作りをしてお小遣い稼ぎをしているんだよ」
と千里が言う。
 
「すごーい。コンペとかに出すんですか?」
「コンペもやるけど、当選しないよね」
 
などと言っていたら、信子も
「コンペって、苦労して作っても優勝者以外は無報酬ですからね」
と言う。
 
「あれ?もしかして信子ちゃんも作曲とかするの?」
とゆまが尋ねる。コンペの仕組みを知っているというのは音楽関係者ではと思われた。
 
「何度かコンペに参加したことありますけど、ダメでした」
「へー。信子ちゃんの作品を今度見せてよ」
 
「あ、はい。じゃ東京に戻ったら仲間で作ったCDを1枚お送りします。住所教えて頂けますか?」
 
「だったら私の所に送ってもらえば」
と言って千里が住所を書いて紙を渡す。
 

「でも仲間で作ったというと、信子ちゃんこそバンドしてるの?」
「はい。4人組のバンドなんです。私の担当はベース兼ボーカルで」
「おお、凄い」
 
「他の3人は女の子?」
「あ、いえ。全員男で」
「じゃ、信子ちゃんは紅一点のボーカルなんだね?」
と政子が言うと
 
「あ、あれ?あ、そうですね」
と言って、信子は焦っていた。紅一点などと言われた経験が無いのだろう。
 

信子とは“ハワイ”の道の駅で別れたが、千里は《すーちゃん》に彼女を東京に辿り着くまでガードしてあげてと頼んだ。
 
『ところで、こうちゃん、信子ちゃんに何かしたの?』
と千里は《すーちゃん》に直信で尋ねた。
『うーん。あいつの悪戯はいつものことだけど、今回のはちょっとした親切だよ』
と《すーちゃん》は言う。
 
『ふーん。親切ならいいか』
と千里も答えた。
 

千里たちのインプは信子を道の駅に置いたまま先に出発したのだが、道の駅を出てすぐに政子が言った。
 
「信子ちゃんは今日の方が昨日よりずっと女の子らしくなってなかった?」
 
「私もそう思った。昨日は男の娘だったけど今日は女の子になってた」
とゆまも。
 
「あの子、罰ゲームで女装したとか言ってたけど、絶対ハマっちゃったよね」
と冬子が言うと全員同意した。
 
「あの子の人生は多分変わったと思う」
「もうあの子は女の子としてしか生きていけないね」
「たぶん数年以内に性転換しちゃうよ」
「もう既に性転換していたりして」
 
「でもあんなに可愛かったら、ヒッチハイクで乗せた人に襲われたりしないかな」
と政子が心配して言ったが、
 
「大丈夫だよ。神様にあの子が東京に帰還するまで共に居てお守り下さいとお祈りしておいたから」
と千里が言った。
 
「へー」
「同行二人って感じかな」
「そうかもね」
 
実際にはこの後、《すーちゃん》が信子に付き添っていたのだが、その間に信子が、蔵田孝治夫妻、東堂千一夜夫妻、最後は上島雷太の車に乗せてもらったのは、絶対偶然じゃない!明らかに“操作”されている!と《すーちゃん》は思った。
 

千里は18時頃、《きーちゃん》と入れ替わって東京に行き、江東区の体育館で秋葉夕子との2度目の練習をした。ところがこの時、千里と夕子は偶然にもこの体育館で河合麻依子(旧姓溝口)とバッタリ遭遇した。
 
「お久しぶり〜」
「お久しぶり〜」
 
「千里、アジア選手権頑張ったね!」
「おお、私がアジア選手権に出たことを知っている人がこんな所に」
「ん?知らない人もいるの?」
「あまり知られていない気がする」
「うっそー!?」
 
「希良々ちゃんは?」
「旦那に預けてきた」
「へー!」
「こういうのは最初の教育が肝心なんだよ」
「なるほどー」
「妊娠中は全然練習ができなかったから、なまっちゃってなまっちゃって」
「いつもどこで練習してるの?」
「適当。空いてる時間と場所を見つけては、やってる」
 
「よかったら、毎週私たちと練習しない?」
「するする!」
 
そういう訳で2回目の練習で麻依子が合流して、この練習のメンツは3名になったのである。
 

この江東区の体育館での練習が終わった後は、今度はスペインに転送してもらった。つまりこの日はこのような位置交換が行われた。
 
18:00 車中=千里、東京=きーちゃん、スペイン=こうちゃん
step1 車中=きーちゃん、東京=千里、スペイン=こうちゃん
step2 車中=こうちゃん、東京=千里、スペイン=きーちゃん
22:00 車中=こうちゃん、東京=きーちゃん、スペイン=千里
 
千里のスペインでの練習が終わったのはスペイン時間の21時、日本時間の11/15午前5時である。
 
一方、冬子たちが乗っているインプレッサが東京に到着したのは、14日の夜23時頃であった。つまり、夕方以降、この車を運転したのは主として千里に扮した《こうちゃん》である。更に一部の区間《くうちゃん》に頼んで車をワープさせている。
 
普通に走っていればあり得ない時刻の到着だったのだが、あまりにもあり得ない時間なので、冬子はもう気にしないことにした。しかし実はワープ区間があったので冬子が懸念するほど、とんでもない速度は出ていなかったのである。
 

千里本人は朝5時に日本に戻ってきた後、先日青葉が買った土地の掃除に行くことにした。霊的なものは最初に行った時に掃除してしまったのだが、物理的なゴミが結構落ちていることに先日行った時気付いていたのである。それで何となく気分で巫女衣裳を着け、千葉市内に回送してもらっていたハイゼットに乗り、例の土地に行って掃除を始めた。
 
まずは軍手をつけて、大きめのゴミを拾い、燃えるゴミの袋・燃えないゴミの袋に入れていく。これは《りくちゃん》や《げんちゃん》たちも手伝ってくれた。1時間ほどもすると、ハイゼットの荷室にゴミ袋がたくさん積み込まれる。やはりハイゼットで正解だったようである。ミラでもインプでもこんなには積めない。
 
あらかた片付いた所で、竹ぼうきで庭を掃除していたら、何か“高貴な”存在が来たことを認識する(千里はこの手のものが見えない)。
 
「しかし汚い家だなあ」
と言っている。ああ、この人、青葉の後ろに居候している神様だ、と気付いたので
 
「その家は崩してきれいな祠を建てるから大丈夫ですよ」
と神様の方を向いて言った。
 

「そなた、私が見えるのか?」
と神様が驚いたように言う。
 
「ごめんなさい。私は見えないんです。でも感じることはできます。この感じは女神様ですよね。私も毎日は来られませんが、来られる範囲で来てお掃除くらいはしますので」
 
「そなたが《毎日》掃除してくれるのなら、ここに住んでもいいかな」
「私は《時々》しか来られませんけど、それで良かったら」
「ふむ。神様との付き合い方を知ってるな」
 
と女神様は楽しそうに言っていた。
 
基本的に神様と“約束”をしてはいけない。万一約束をしてそれを守れなかったら、恐ろしい罰が待っている。聖書マタイ伝に「誓ってはならない」とあるのは、とても意味深である。
 

女神様が廃屋を見詰めると、その家は一瞬で崩壊した。
 
「解体の手間を省いてやったぞ」
 
千里が見ると、どうも基礎のコンクリートも細かく破砕されたようである。電動ハンマーやシャベルカーなどで細かくする手間が省けた感じだ。
 
「まあ、築60-70年だったみたいだから、崩れることもありますよね」
と千里は言う。
「戦後間もない頃に建てた家だろ? その頃の家って適当な造りなのが多いんだよ」
と《姫様》。
 
「解体作業するつもりで来た工務店の人、廃材片付けの作業になっちゃいますね」
「工事費、少し安くなるかな?」
 
「あの子は同じだけ払うと思います。でも工期は短くなりますよ」
「それはよいことだ」
 
と女神様は楽しそうに言った。
 

信子は11月15日の夕方、東京に戻ると《ベージュスカ》の仲間、正隆のアパートまで行き、神在祭の写真を見せて旅の報告をした。正隆は都内に入ったらもう着換えていいよと言っておいたのだが、実際には信子は女装のまま正隆のアパートまで来たので、一緒に信子を迎えた三郎と目を合わせて頷いた。信子がクリスマスのライブで女装で歌ってもいいかなぁ、などというので
「ぜひやろう」
と勧めておいた。
 
信子はその日の夜遅く自分のアパートに戻ると、すぐに《ベージュスカ》と友好バンド《ホーン女子》の共同で作ったCDを千里の住所(千葉)に送った。これは16日の朝ポストから収集され(17日は日曜日なので)18日に配達された。それを聴いた千里はすぐにそのCDを冬子のマンションに持ち込んで聴かせる。
 
「凄くいいね!」
 
と冬子も驚くように言った。それで彼女たちのライブも聴きにいってみようということになり、信子に連絡したら12月25日のライブのチケットを5枚送ってくれるということだった。
 

一方、信子は東京までヒッチハイクで帰る時に乗せてくれたユーと名乗る男性(実は作曲家の上島雷太)と偶然再会し、ふと気付いたらホテルに行っていて、女性としての初体験をしてしまう。
 
「君可愛いし」
と口説くユーに対して
「私、女声も出せないし」
 
などと悩むように信子が言うので、ユー(上島)は彼女にボイストレーニングを受けることを勧め、良いトレーナーを紹介し、そのレッスン代まで出してくれた。信子は恐縮するが、ユーは下心とかとは関係無く、若い才能のある人を伸ばしたいのだと言っていた。
 
「それに君はもっと自分は女の子だという自信を持つべき。君って女の子にしか見えないから、男を装う方がトラブルになる」
とユーは言ったが、それって高校卒業する時に女子のクラスメイトたちにも言われたし、先日も千里さんや冬子さんに言われたなあと思った。
 

千里は“ディオチェスタ”に乗って、このディオチェスタやST250などを購入した中古バイク屋さんにやってきた。
 
「何か安いスクーターありませんか?」
とスタッフの人に声を掛けた。
 
「あ、そのディオチェスタ覚えてる。まだ動いてましたか?」
と見覚えのあるお兄さんが言った。
 
「ほとんど動きません。エンジン掛けてみます?」
「ええ」
と言って、スタッフの人が始動しようとするが掛からない!数回やってみるがダメである。
 
「これ掛かりませんよ。でも今これで乗り付けましたよね?」
「100回に1回くらいエンジンが掛かります」
「ああ、それはもう買い替え時ですね」
 
それで店内に展示してあるスクーターやバイクを見て回る。
 
「50ccがいいんですか?」
「ええ。私は大型二輪の免許も持っているんですけど、原付免許しか無い友人も使うので」
「大型二輪取られましたか!何に乗ってます?」
「ZZR-1400」
「すげぇ!」
「でも友人は教習所に行くお金が無いと言ってて」
「ああ。自動車学校も高いですもんねぇ」
 

「今、ディオチェスタはあまり安い在庫が無いんですよね〜」
「似たような感じのならいいですよ」
「好みとかあります?」
 
「荷物がたくさん入るのがいいんですが」
「ご予算は?」
「2万円くらいで」
「無茶言わないで下さい」
 
「ちなみにあのディオチェスタを下取りにとかできないですよね?」
「むしろ処分料を頂きたいですが」
「部品取りとかにできない?」
「だったら10万円以上お買い上げ下さったら、処分料無料という線で如何です?」
「うーん。そうねぇ。じゃもし10万以上買ったら」
 

それでお兄さんは千里を連れて店内を歩いていたが
 
「あ、これはどうです?」
と言って見せてくれたのはヤマハVOXである。価格は14万円と書かれている。
 
「ラゲッジが大きいね!」
「でしょ?これテニスラケットが入るってんでCMやってましたよ」
「すごーい!」
と言ってから、千里はよくよく荷室を見る。
 
「質問です。これメット(ヘルメット)入ります?」
「よく気がつきましたね。それが唯一の欠点なんです」
「メットの入らないメットインって意味無いじゃん!」
「困ったもんですね〜」
 
その時、お兄さんはハッとしたようにして言った。
 
「お客さん、新古車はダメですか?」
「お値段次第では」
「50ccにしては収納が広いんですよ」
 
と言って連れて行って見せてくれたのはYamaha BW'S(ビーウィズ)である。台湾ヤマハの製造で、北米仕様はZumaの名前で売られているスクーターだ。
 
「確かに収納広いね」
「ディオチェスタよりこちらが少し広いですよ」
「それに新しい」
「これ2012年型なんですよ」
「凄い。お値段は12万くらい?」
「勘弁して下さいよ。ここに書いてある通り20万円です。定価は23万2千円ですよ」
 
千里は腕を組んで考えた。
 
「16万では?」
「それも無茶です。新古車はあまり引けないんですよ」
「18万」
「これかなりお得ですよ〜」
「18万5千円」
「うーん・・・・・19万9千円でどうです?」
「18万8千円」
「いや、それが限界です」
「せめて19万ジャストで」
「無理ですよ〜」
 
とお兄さんは言ってから、考えるようにしていたがやがて言った。
 

「お客さん、収納がある方がいいんでしょ?だったらリアボックスの中古の32Lがあるんですが、それを取り付けましょうか」
「ああ、それはいいね!」
「まあお腹に入らない分をしっぽに収納しようと」
 
とお兄さんが言うので千里は一瞬、ドラゴンを倒した勇者ベオウルフ(Beowulf)が、倒したドラゴンのしっぽ(ドラゴン・テイル)を自分の鎧に取り付ける様を想像した。このバイクが BW'S だけど、ベオウルフも BW じゃん。
 
すると《こうちゃん》が『そういう想像は不快だ』と言う。
 
『別にこうちゃんを倒したりしないから』
『俺はむしろ、“しっぽの無い”女性が性転換手術を受けて“しっぽ”を身体に付けるのを連想した』
などと《こうちゃん》が言うので
『こうちゃん、性的欲求不満では?』
と言ってみる。
 
『それにBWはBoy to Woman とも読める』
と《こうちゃん》。
『何それ?』
と千里は訊いてあげる。
 
『少年が成人式の儀式で“しっぽ”を取り外して大人の女になる』
『こうちゃん、エロ漫画の読み過ぎ。でも、しっぽを取り外すのなら逆では?』
 
などと千里が《こうちゃん》と話していると《りくちゃん》が呆れていた。
 

「32Lってどのくらいだっけ?」
と千里は訊いた。
 
「見ます?」
「ええ」
 
それで見せてもらうと結構でかい。そしてわりとしっかりしている。多少の塗装の剥がれはあるものの、問題になるレベルではない。多分新品で買うと1万円くらいすると思った。買い取ったバイクから外したものなのだろう。
 
「いいですね、これ」
「これ取り付けて20万1200円でどうです?ここの剥がれている塗装は直しておきますよ」
 
「それは助かる。じゃ、お兄さん、格好良いからそれで」
「ありがとうございます」
「ディオチェスタの処分料も無料でいい?」
「いいですよ。お客さん美人だし」
 
千里はお兄さんと握手した。
 
そういう訳で、ディオチェスタの後継の通勤通学用スクーターとして千里はYamaha BW'S 49cc 2012年型 Blue (Deep purplish blue metallic)を買ったのである。
 
このスクーターは主として《てんちゃん》や《いんちゃん》が使うことになる。
 
 
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【娘たちのドラゴンテイル】(3)