【娘たちのドラゴンテイル】(1)

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バスケットボール日本女子代表は、アジア選手権を目前にして故障者が2名出たのに続き、インフルエンザの感染者が3名出て、急遽12人の内5人も交替して大会が行われるバンコクに向かうことになった。
 
シューターでも花園亜津子がインフルエンザでダウンした結果、千里がスペインから緊急召集され、単独バンコクに移動することになる。
 
念のため全員の健康診断・ウィルス検査をした上で新しい選手名簿を、交替する選手の診断書を添えて、大会事務局とFIBAに送ったのはもう交替が認められる30分前の21:30頃であった。
 
PG 6.入野朋美(1989) 13.鶴田早苗(1990)
SG 4.三木エレン(1975) 8.村山千里(1990)
SF 5.広川妙子(1984) 9.佐藤玲央美(1990) 11.湧見絵津子(1992)
PF 12.高梁王子(1992) 15.月野英美(1986) 10.渡辺純子(1992)
C 7.馬田恵子(1985) 14.石川美樹(1986)
 
9月11日に発表した名簿から大きく変わってしまった。ポイントガードなど2人ともに交替している。
 
北海道から緊急召集された絵津子と純子はちゃんと朝一番の成田行きに乗ってくれたので、日本国内組は全員この便で移動することができた。
 
10/23(Wed) NRT 12:00-16:30 BKK
 
一方、スペインのグラナダに居た千里はこのようにしてバンコクに移動した。
 
GRX 10/22(Tue) 17:25(IB8645 CRJ1000) 18:30 MAD
MAD 22:10(EK144 777-200LR) 10/23 7:15 DXB
DXB 8:50(EK418 777-300) 18:10 BKK
 
以前高梁王子がチェコからインドに短時間で移動した時と同様にドバイ(DBX)経由のエミュレート航空(EK)利用である(便利だが運賃が高い!)。
 
しかしおかげで日本組から1時間40分遅れで到着。充分誤差の範囲であった。それで23日の夕食はチームメイトと一緒に食べることができた。
 
もっとも玲央美や早苗・美樹たちには“手荒い歓迎”をされて
 
「痛い!痛い!ちょっとやめて」
と悲鳴をあげる羽目になった。
 

コーチ陣も他の選手も、千里の最近の試合の中でのプレイを見ていなかったので、まずは23日の夕食後、練習場所に指定された中学校の体育館で紅白戦をおこなった。
 
A 入野朋美 三木エレン 広川妙子 渡辺純子 月野英美 馬田恵子
B 鶴田早苗 村山千里 佐藤玲央美 湧見絵津子 高梁王子 石川美樹
 
千里を1回でも停めることができたのは馬田恵子だけだった。Aチームの他の5人は誰も停められなかった。
 
「8月に見た時とは別人だ。無茶苦茶強くなってる」
と月野英美が言った。
 
「じゃ村山君とエレン君、交替してみようか」
と戸田アシスタントコーチが言う。それでエレンがBチーム、千里がAチームに入って紅白戦をすると、Bチームのメンツで千里を1回でも停められたのは玲央美と王子だけであった。王子は逆を突かれたものの、そこから驚異的な反射神経でぎりぎりボールを弾いた。
 
「2年前の最強の時のレベルに戻っている」
と馬田恵子が言った。
 
2年前のアジア選手権の直前に、千里が“最強モード”になって恵子を全く寄せ付けなかったことがあった。恵子が言うのはその時のレベルまで回復しているということである(実はあの時は《こうちゃん》が千里に擬態して練習に参加し、恵子を鍛えていた)。
 

コーチ陣は千里の出来具合もだが、やはり直前に大幅に選手が入れ替わったので、連携などがちゃんとできるか不安があったようで、この日はAチームBチームを色々組み替えて練習試合を遅くまで続けたが、実際には、通常の攻撃パターンや守備連携だけでなく、スクリーン、ピック&ロール、トラップなどがサインも無しできれいに決まる。
 
「こんなにうまく行くとは・・・」
とコーチ陣が驚くほどであった。
 
ちなみに、王子や絵津子、月野美樹などは簡単にトラップに引っかかってしまった!
 
「いや、直前の入れ替えで、このメンツはU21で銅メダルを取った子たちが中核になってしまったんですよ。月野・石川の世代もその子たちとよく一緒に練習しているから、サインとか無しでも雰囲気ですべきプレイが分かる。私たちおばあちゃんが脳味噌を全力で働かせて付いていけば何とかなる」
 
と羽良口の離脱で副主将に指名された広川妙子が言うが
 
「あんたがおばあちゃんなら、私は?」
とエレンが言う。
 
「殿堂入りで」
「ふむふむ」
 

「ドラゴン・ジュニアバレエフェスティバルですか・・・」
 
龍虎たちはその日の先生の説明に戸惑った。
 
「政府系の団体が予算を出してくれて、取り敢えず、日本・中国・韓国・台湾の4ヶ国の持ち回りで、小中学生のバレエのフェスティバルをしようということなのよ。最初“アジアン”と銘打っていたんだけど、4ヶ国だけでアジアを名乗るのは厚かましいという意見もあってドラゴンという名前になったのよね」
 
「それで今年は第1回目で日本の横浜、来年は中国の上海で開くということ。それでうちのバレエ教室も今年15分間の枠をもらったの」
 
「15分ですか」
 
「うん。短いけど、その15分で、ロシア・中国・アラビア・フランス・スペインを2分ずつ、金平糖2分、花のワルツ3分くらい」
 
「花のワルツで全員出場か・・・」
「そうなのよ」
 
アジアというから、外国に行けるのかなと思ったら横浜ということで、ややガッカリしたものの、外国のバレエ教室の子供たちの演技を見るのも楽しみだな、と龍虎は思った。
 

そういう訳で、今年も龍虎たちは年末のバレエ教室の発表会に向けて練習を重ねていた。但し今年はそのアジアフェスティバルがあるので、2度の公演に臨むことになる。アジアの方はショートバージョンになりそうではあるが。
 
今年も演目は昨年と同じ『くるみ割り人形』である。このバレエ教室ではだいたい2年単位で演目を変えていく。来年は『シンデレラ』か『白鳥の湖』かどちらにしたいけどまだ決めていないということである。
 
2010-2011は『眠りの森の美女』をやって龍虎は3年生の時はコール・ド(群舞)に出ただけだったが、4年生の時は青い鳥(チャーミング王子)の役をもらい、可愛く!?青い鳥を踊った。昨年は『くるみ割り人形』になり、スペインの踊りの男性側を踊ったが、欠席者が出て急遽アラビアの踊りの女性側まで踊った。更にはチュチュを着て雪片の踊りの群舞にまで出た。
 
今年は最初フランスの踊り(の男性側)をしてみようかと言われたものの、この踊りでは男性は女性の踊り手を支えてあげないといけないし、また単独で踊るところでも多数のジャンプがあり、筋力が必要である。それで小柄で筋力の無い龍虎にはフランスの男性側は無理ということになった。
 
「フランスの踊りの女性側なら行けそうな気がするけど」
「女性役は勘弁してください」
 
それで龍虎は中国の踊りを踊ることになった。この踊りは、男1女1、女2、男2女1など、様々なパターンの振り付けがある。今回の振り付けでは龍虎が男性の衣裳、昨年アラビアを踊った鈴菜と日出美が女性の衣裳を着けて前面で踊り、小学3年生以下の子たち7〜8人が後ろで踊るという演出になった。つまり(龍虎が男なら)男1女2の組み合わせになる。実は男女の踊りがほぼ同じパターンで、リフトも無いので、龍虎でも踊れる。
 
「龍ちゃん、女の子の衣裳でもいいけど。女の子3人の振り付けに調整できるし」
「いえ。男の子の衣裳にさせてください。ジュテ(跳躍)は頑張ります」
 
それで鈴菜たちと同じデザインで、スカートをショートパンツに変更した形の中国っぽい衣裳を制作することにした。なお実際に服を作るのは直前である。11月中旬くらいに採寸することにしている。小学生は成長が早いので夏に作った服は冬に着られない恐れがある。
 

「そういえば今年は演奏順序が違うんですね」
とひとりの生徒が訊く。
 
「そうなのよ。昨年は“くるみ割り人形組曲”に近い順番だったんだけど、元の“バレエ・くるみ割り人形”の順序でやった方がいいのでは、という意見が結構あって、その順序に戻したのよね」
 
昨年:ロシア→アラビア→中国→フランス→スペイン(→金平糖)
今年:スペイン→アラビア→中国→ロシア→フランス(→金平糖)
 
「でも最後は花のワルツなんですね」
 
「うん。これはやはりそれで終わるのが美しいと思うのよね〜。バレエの順序なら、花のワルツをはさんで金平糖なんだけど」
 
金平糖はプリマが踊るので後に置かれていたのだろうが(実際には金平糖の後に終幕のワルツがある)、やはり小中学生の公演としては賑やかに終わりたいという趣旨だ。ちなみに今年、金平糖を踊るのは、昨年はフランスの踊りを踊った和絵さん(中2)である。今年は中学3年の女子生徒が居ないので、彼女が来年もこの教室に在籍していれば来年もプリマを務めるだろう。
 
ちなみに今年の唯一の中学3年生で昨年はフランスの踊りの男性側を踊った花丸君は「最上級生だし、金平糖を踊る?」と訊かれたものの「スカート穿くのは勘弁して下さい」と言って、くるみ割り人形(王子)役である。実は、くるみ割り人形役は、あまり見せ場が無い!行進曲では突っ立っているだけだし、雪片の踊りも前半だけで引っ込んでしまう。
 

練習は夏休み頃から始めたのだが、今年も1学年上(中学1年)の蓮花が夏休みの間は海外の別荘に行っており、練習に出て来ない。それでまたまた
 
「龍ちゃーん、こちらの練習も手伝ってよ」
と言われて、今年蓮花が踊るフランスの踊りの女性側!を結局踊ることになる。
 
「龍ちゃん、軽くてリフトしやすいんだよね〜」
「でも去年からはだいぶ体重増えましたよ」
「それでも軽い」
 
そんなことを言われながら、龍虎は練習していて、とても嫌〜な予感がするのであった。
 
ちなみに去年の発表会で直前に蓮花から「前で踊るの代わって」と言われた件だが、蓮花はサボリの常習犯で、練習不足から前面で踊る自信が無く、龍虎に代わってもらったのが真実だったらしい(実は足など痛めていなかった)。
 
なお大人の公演ではフランスの踊りと金平糖はトウ(つま先立ち)で踊る所があるが、この教室の公演でトウシューズを使うのは金平糖役の人だけである。それでフランスは普通のバレエシューズで踊れるように振り付けを調整している。この教室では小学生、または身長150cm未満の子はトウシューズ禁止である。龍虎は夏休みの時点で身長140cmくらいだったので、どっちみち禁止であった。
 
つまり少なくともプリマの金平糖を踊らされることは無い!・・・はず!?
 

ところでバスケット日本女子代表のインフルエンザ騒動の方だが、バスケットチームではバンコクに来たメンバー全員に1日2度の検査を受けさせていたものの、他に発症する者も出ず、関係者は胸をなで下ろした。
 
しかしNTC(ナショナル・トレーニング・センター)ではもっと騒ぎになっていた。バスケット女子で発症者が出たため23日は同時に合宿をしていたあと2つの競技団体の選手の健康診断も行われたのだが、その一方の団体から10人も感染者が見つかったのである。そちらは風邪だろうなどと思って市販薬(ドーピングには引っかからないもの)を飲みながら練習を続けていたという。B型インフルエンザで症状がA型ほど激しくないので、体調の悪いのを我慢していたらしい。
 
合宿は中止になり、チーム全員を発症の有無と関係無く、近くの病院に移して隔離。使用していた練習場や宿泊していた部屋を徹底的に消毒。もうひとつの競技団体にも2人感染者が見つかり即隔離されたが、そちらは合宿自体は継続した。
 
そういう訳で感染ルートはそちらのチームからという疑いが濃厚であった。そちらの選手の中に、実は横山や羽良口と同じ出身校の選手が複数居て、何度か個室でおしゃべりしていたらしい。その集まりに花園も1度同席していた。
 
なお一時自宅待機していたNTCのスタッフの中には発症者は出ず、そちらは大半が25日には業務に復帰したが、調理関係のスタッフは大事を取って27日からの復帰とした。むろん自宅待機していた間の給料もきちんと支払う。
 
なお、横山・羽良口・花園の3名は結局10月いっぱい、近くの病院で過ごして完治証明書をもらってから退院した。
 
また捻挫した武藤博美、古傷を痛めた黒江咲子も11月頭には再稼働できる状態になり、Wリーグ(11月8日開幕)には影響が出なかった。
 

バンコクではタイ・バスケットボール協会が手配してくれていたホテルは2人1室ベースだったのだが、万一にもこれ以上感染者を出してはいけないので、日本バスケットボール協会の負担で近くのホテルに余分に部屋を確保し、スタッフがそちらに泊まる形で1人1室、相互の部屋の訪問禁止というのを23日から25日まで続けたが、発症者は無かった。それで26日からは、2人1室の通常運用に戻した。部屋割りはこうなっている。
 
三木エレン・広川妙子
月野英美・石川美樹
馬田恵子・高梁王子
入野朋美・鶴田早苗
村山千里・佐藤玲央美
湧見絵津子・渡辺純子
 
「今回は部屋割りで全く悩まなかったです」
 
と協会のアシスタントとして同行している事務の坂倉さんが言っていた。確かにごく自然に組み合わせが決まってしまった。
 

千里がテーブルの上に白いだるまを置くので
 
「面白いものを持って来たね」
と玲央美は言った。
 
「私って転んでばかりだけどさ。また起き上がるよ」
と千里は言いながら、何度も何度もだるまを横にしては、それが起き上がるのを見ていた。
 
「千里って昔から3〜4人居るという疑惑があるけど」
と玲央美が言う。
 
「そうなの!?」
 
「本当に3人くらい居たら、ひとりが調子落とした時も他の子がそれをカバーできるかもね」
 
「うーん。それは検討に値するご意見」
と千里も答えた。
 
「それに千里が2人居たら、前半と後半で別の千里がプレイするとスタミナ切れの心配も無い」
「それは13人で戦うようなものだからアンフェアだと思う」
「ほほお」
「だから1試合交替で出ればいいんだよ」
「なるほどー。そのやり方を採用しようよ」
「あはは。私が2人か3人居たらね」
 

10月25日の深夜。バンコクのスワンナプーム空港に小学6年・4年・2年の3人の子供を連れた中年の女性が降り立った。
 
入国手続きで自分および子供3人分のパスポートと入国カードを提示する。係官が顔をしかめる。
 
「These documents shows your are 43 years old woman and three boys, aged 12, 10, 7. But you are adult lady and three girls」
「These are boys. Don't you look them like boys?」
「No」
 
それで係官は各々の子供に直接日本語で尋ねた。
 
「君は女の子だよね?」
「違います。私は男の子です」
「君は女の子でしょ?」
「違うよ。私は男の子だよ」
「君は女の子?」
「わたし、男の子」
 
「君たちスカート穿くの好きなの?」
「いつも穿いているよ」
 
係官は首をふったものの、結局4人をそのまま入国させてくれた。
 

2013年10月27日タイ・バンコク。バスケットボール女子アジア選手権が開幕した。
 
この選手権のシステムはこのようになっている。
 
レベル1,レベル2の各6ヶ国でリーグ戦を行う。レベル1で5〜6位になったチームとレベル2で1〜2位になったチームで入れ替え戦が行われる。レベル1で1〜4位になったチームで決勝トーナメントを行い、3位以上が来年の世界選手権に進出する。
 
2年前のアジア選手権、また千里たちが高3の時にやったU18アジア選手権、大学2年の時のU20アジア選手権と基本的に同じシステムである。2年前のフル代表のアジア選手権も基本的には同じだった。五輪前年だった2011年の場合は優勝チームだけが五輪に行けて、それより下は最終予選に回らなければならなかった。
 
千里や玲央美たちは、2008年のU18アジア選手権(インドネシア・メダン)でも、2010年のU20アジア選手権(インド・チェンナイ)でも優勝しているが、2011年のフル代表のアジア選手権(長崎県大村市)は中国に敗れてオリンピックに行けなかった。今回はリベンジの戦いである。
 
そして今回のA代表のアジア選手権が行われるのは3年前にU19世界選手権が開かれた日青センター(Bangkok Thai-Japan Youth Centre)の体育館である。
 
千里は体育館の屋根を見て、あそこにいたカマキリ大王様はお元気かな?などと思いを馳せていた。思えばU19世界選手権の時は、自分も玲央美も最悪の精神状態だった。しばらくバスケから離れていた。しかしあそこで自分は再生したのだった。
 
千里はあの時の事を思い出し、この地は自分が復活の狼煙(のろし)をあげるのにふさわしい場所だと思った。
 

直前に選手が大きく入れ替わったため、背番号も大きく変更せざるを得なくなり、ユニフォームも全員分が作り直しとなった。超特急で23日中に制作が行われたが、その日の便には間に合わず、結局羽田を深夜に出る便で、協会スタッフの人が持って来てくれた。
 
HND 10/24 1:35 (JL033 767-300) 6:05 BKK
 
それで千里たちは24日朝に新しいユニフォームに腕を通したが、千里が日本代表の(ロースターの)ユニフォームを着たのは2011年のアジア選手権(大村)に参加した2011.8.25以来2年2ヶ月ぶりである。
 
千里は武者震いをした。
 
2008.11 U18アジア選手権 インドネシア・メダン 優勝
2009.07 U19世界選手権 タイ・バンコク 7位
2010.09 U20アジア選手権 インド・チェンナイ 優勝
2011.07 U21世界選手権 アメリカ・ロサンゼルス 3位
2011.08 アジア選手権 日本・大村 3位
2012.06 五輪最終予選(千里不参加)トルコ・アンカラ 6位
2013.10 アジア選手権 タイ・バンコク
 

さて、今回レベル1にいるのは、中国・韓国・日本・台湾の東アジア4強と、インド、カザフスタンである。
 
10月27日、まずはカザフスタンとの試合があった。
 
この試合、千里や玲央美は軽く流す感じでプレイした。コーチたちも急造チームの連携を再確認するような使い方であった。
 
試合は94-59で日本が勝った。
 

初日の結果
KAZ59×-○94JPN TPE85○-×57IND KOR72○-×70CHN
暫定順位 1.JPN 2.TPE 3.KOR 4.CHN 5.IND 6.KAZ
 
「いやぁ、びっくりした。まさか中国が負けるとは」
「韓国頑張ったなあ」
 
むろん日本代表チームも観戦していたのだが、第1ピリオドも第2ピリオドも韓国がリードはしていたが僅差だったので中国は後半本気を出して追いつくだろうと思っていた。しかし韓国は最後まで頑張って、最後の中国の猛追を振り切り、逃げ切ったのである。
 
千里たちは一人で24得点取り笑顔でみんなから叩かれている!?ホン・ソヨンをじっと見つめていた。リバウンドにアシストに大活躍の185cmイ・ハイランも手強いぞと思って千里は見ていた。長身のセンターなのにこの試合で最もアシストが多かったのである。試合を見ていても、本当によくオフェンス・リバウンドを拾っていた。2年前に日本に勝つ原動力になったキム・ヘソンも今回は最初から出てホンに次ぐ18得点を取っている。この2人で韓国の得点の6割ほどを稼ぎ出している。
 

翌日10月28日。この日の対戦相手は台湾である。
 
台湾には先日の東アジア競技大会で不覚を取っている。それで敗戦した時の主力だった広川妙子や月野英美などが「リベンジさせて欲しい」と監督に訴え、
 
広川妙子/三木エレン/月野英美/石川美樹/馬田恵子
 
といったメンツで出て行った。今回のロースターの中ではすっかり“年長組”という感じになってしまったが、若い選手がたくさん入って来ていることから『まだまだ引退はせんぞ』という意気込みで、物凄く頑張った。
 
最終ピリオドではさすがに若い選手ほどの体力が無いので疲れが出たのと、向こうが必死の反撃をしたので少し点差が詰まったものの、それまでの貯金で逃げ切った。
 
この日は“若手”は彼女らを小休憩させるためにスポット的に使う程度に留めた。
 
この日の結果
IND62×-○109KOR KAZ62×-○103CHN JPN69○-×57TPE
暫定順位 1.JPN(2勝) 2.KOR(2勝) 3.CHN(1勝) 4.TPE(1勝) 5.KAZ(0勝) 6.IND(0勝)
 
中国と韓国は順当に勝って、現時点では日本と韓国が得失点率で1,2位を争っている。
 

そして3日目、10月29日。
 
今日はその1,2位争いをしている韓国との試合である。
 
日本にしても韓国にしても、日韓戦というのは異様に盛り上がる。この日は会場の日青センターに来てくれている応援団もやや騒然とした雰囲気だった。
 
選手の中にも興奮している感じの子がいる。
 
「なんかワクワクしますよね」
「やはり韓国戦は燃える」
「こういう雰囲気好き〜」
「今日は勝ってその勢いで中国もぶっ飛ばしましょう」
 
などといった声もある。
 

試合は最初ハイテンションの韓国選手たちが空回りする感じになって日本が先行したものの、その内落ち着きを取り戻してきて、結局前半は同点に終わる。
 
後半、キム・ヘソンが出てくる。2年前のアジア選手権では日本は彼女1人にやられたのである。
 
「千里、やってみる?」
「やらせて、やらせて」
 
それで千里が彼女にはマッチアップすることにした。
 
前回彼女は180cm 90kgの登録だったが、今回は182cm 96kgの登録になっている。しかし千里は「シンユウよりずっと小さいな」と思った。
 
スペインで身長のあるシンユウやリディアと対戦している時のことを思い起こす。キムは身長・体重もあるが足腰が強く、スピードもある。
 
しかしシンユウよりリディアより遅いと千里は思った。
 
そして千里はこの選手は今叩いておかないと、調子に乗ると“日本キラー”になると思った。
 
それで彼女にはわざと隙を見せて自分を抜こうとするように誘う。そして自分の所に充分近づいて来てから、左右どちらかを通り抜けようとする時に、巧みにスティールする。
 
スティールしたら玲央美や純子にパスして攻め上がる。
 
玲央美にしても純子にしてもひじょうに足が速い。まだ相手が戻りきらない内に制限エリアの近くまで行く。玲央美ならそこからスリーを撃つし、純子なら早く戻ってきたディフェンスを抜いてレイアップに行くか、逆サイドにいる玲央美か後ろから追ってきた千里にパスしてスリーを撃つかである。
 
そういう訳で日本は、千里がキム・ヘソンを完全封鎖したのである。
 
キムを下げてホン・ソヨンを入れてくる。彼女は1,2ピリオドにも出ていたのだが、広川妙子に押さえられていた。
 
千里がそのままマッチアップする。
 

182cmのキムがスモール・フォワード登録なのに対して176cmのホンはパワー・フォワード登録である。日本だって180cmの玲央美がスモール・フォワード登録だから、よその国のことは言えない。SFかPFかは本人の性格の問題である。そして器用なキムに対してホンはパワー勝負である。しかし192cmのシンユウといつもやっている千里にはホン程度の体格は全く問題にならない。
 
最初敢えてホンが突っ込んできたのに対して千里は逃げずに彼女を“反射”した。跳ね返されてホンが『うっそー!?』という感じの顔をしている。
 
もちろんホンのチャージングである。日本ボールになり攻め上がるが、スローインのボールをもらった千里は韓国側がみんな戻ってしまっているのを見るとスリーポイントラインの所まで行き、素早く撃つ。韓国側の『しまった!』という感じの顔。千里のスリーが怖いのは分かっていたはずが、日本の速攻を繰り返し見ていたので、つい意識から外れてしまったのである。
 
次の守備機会からはホン・ソヨンは戻らずにとにかく千里に早めに付いて自由にさせないようにしようとするが、パワー型の彼女に千里をマークするのは難しい。意識の隙に千里はどこかに行ってしまうので、キョロキョロする場面が多数見られた。
 
千里のマーカーはイ・ハイランに交替する。しかしホン以上にパワー型であるイにはとても千里のマーカーは務まらない。控えのポイントガードを投入するが、彼女は隙は見せずに千里をウォッチし続けるものの、千里が細かく動き回ると、脚力が付いていかず、結果的に振り切られてしまう。
 
それで結局このピリオドは日本がリードすることとなった。
 

第4ピリオド。
 
韓国はフォワード5人の構成で猛攻を掛け、一時は日本を逆転する。これに対して日本はタイムを取り、千里/玲央美/純子/王子/恵子
というラインナップを送り出した。
 
すると韓国は、取り敢えず千里の所は抜けない。玲央美の所も抜けない。王子の所も抜けない。一番マシに思える純子の所から突破しようとするが、千里がキム、玲央美がホン、王子がイと対峙しているので、純子と対峙しているパクには純子を抜くのは厳しい。
 
かくして攻めあぐねている内に24秒経ちそうになるので、結局キムがスリーを撃つも、きれいに千里にブロックされる。身長差が14cmあるのに完全にタイミングとコースを読まれてしまった。
 
結局日本ボールになる。すると王子はそのパワーとスピードでイを圧倒するし、玲央美は巧みなフットステップでホンを交わしてシュートを狙う。玲央美に対して離れて守るとスリーが飛んでくる。千里も近づけば瞬発力で突破されるし、離れると即スリーを撃たれる。この3人に気を遣いすぎると、純子も恵子もパワーのあるプレイヤーである。
 
それで結果的にこの後の韓国の“猛攻”は空振りになってしまう。あっという間に日本が再逆転。更に最後はずっと出ていたホンとイに疲れが見え始め、結構な差がついてしまった。
 
試合終了。
 
審判のコールの後、挨拶もなく引き上げようとした所を注意されて挨拶する。そして千里が若いキムに、純子がパクに各々韓国語で呼びかけて握手を求めると、向こうも笑顔になって応じてくれた。
 

本日の結果。
CHN97○-×36IND TPE87○-×57KAZ KOR71×-○78JPN
暫定順位 1.JPN(3勝) 2.KOR(2勝) 3.TPE(2勝) 4.CHN(2勝) 5.KAZ(0勝) 6.IND(0勝)
 
この時点で、日本と台湾の決勝トーナメント進出が確定した。またインドの脱落も決定した。
 
カザフは残り韓国とインドに勝ち、その韓国が台湾にも負けた場合、2勝同士になり、その場合韓国に勝っているので3位または4位になる可能性が残っている。インドの場合は残り日本とカザフに勝ったとしても、既に韓国にも中国にも負けているので5位にしかなることができない。中国は万一台湾と日本に負けてしまった場合、中国・韓国・カザフの得失点率の勝負になる可能性がある。
 

4日目10月30日(水).
 
この日の日本の対戦相手はインドである。2年前にも出ていたパルプリートは今回も代表に入っていた。向こうも日本に勝てるとは思っていないのでのびのびとプレイしていたが、千里は彼女とマッチングしていて、彼女が撃とうとしているのは停めずに全部撃たせてあげた。エレンからは「花園ちゃんみたいなことしてる」と言われたが、確かにここは亜津子でもパルプリートに撃たせていたのではという気がした。
 
今日の結果。
KAZ56×-○92KOR JPN81○-×40IND TPE63×-○85CHN
暫定順位|1.JPN(4勝) 2.KOR(3勝) 3.CHN(3勝) 4.TPE(2勝) 5.KAZ(0勝) 6.IND(0勝)
 
中国と韓国は順当に勝った。今日で韓国と中国も4位以上が確定、決勝トーナメントに進出することが決まった。一方カザフは脱落が決まった。日本は3位以上、台湾は2位以下が確定。残る順位は最終日の試合次第である。
 

5日目10月31日(木).
 
予選リーグの最終戦である。
 
第1試合ではインドがカザフスタンに勝って5位になった。そして第2試合が日本と中国の対戦となった。この後、韓国と台湾の試合が予定されている。そこで韓国が勝つと仮定した場合、この試合で中国が勝つと、日本・中国・韓国が4勝で並んで、得失点率の勝負になる可能性があった。日本はもちろん勝てば予選リーグ1位である。
 

中国は先の東アジア競技大会で日本に負けているだけに、最初からかなりのハイテンションだった。先日の大会で日本に負けたメンバーも入ってリベンジに燃えている感じである。
 
しかし日本はこの試合では、千里/玲央美/絵津子/純子/王子というメンツで始める。千里・絵津子・純子の3人は東アジア競技大会に出ていなかったメンツである。
 
向こうは日本チームのコアは王子と考え、王子対策と思われる体格の良い選手を入れている。また亜津子のスリーにもやられたので、その対策と思われる長身の選手を入れている。しかし王子対策の人は実際には王子のパワーに完璧に負けていたし、スリー対策の人は千里のシュートを全くブロックできない。実際問題として、千里と亜津子では同じスリーポイント・シューターでもかなり動きのタイプが違うので、亜津子のつもりで対峙しようとすると、まず千里の居る場所を“見つけられない”であろう。更に俊足の純子のスピードに付いていけるメンツが向こうには居なかった。
 
中国はタイムを取り、王子対策にはエースのリュウ(劉)を投入、千里対策には千里と以前U20で対戦したことのあるワン(王)を入れてきた。
 
しかし王子はリュウと互角の戦いをしたし、ワンは千里に全くかなわなかった。王は3年前よりかなり強くなっていた。しかし千里のこの3年間の成長がワンの成長を大きく上回っていたのである。純子対策には控えのポイントガードを入れてきたが、スピードでは何とか追いつけても、体格の差で純子が有利である。
 
結局前半だけで12点も点差が付いている。
 

第3ピリオドでは中国は長身の選手を並べてきたが、少なくとも、千里・玲央美・純子・王子・恵子には通用しない。それでこの戦略も空振りに終わってこのピリオドも日本のリードに終わる。
 
最後、中国は最強と思われる布陣で来て、このピリオドだけに限れば日本をリードした。しかし合計点数では及ばなかった。
 
やがて試合終了。中国の選手たちが天を仰いだ。
 
こうして日本は予選リーグを全勝で終えたのである。
 

この日の結果。
IND65○-×62KAZ CHN55×-○72JPN KOR58×-○63TPE
最終順位 1.JPN(5勝) 2.CHN(3勝) 3.KOR(3勝) 4.TPE(3勝) 5.IND(1勝) 6.KAZ(0勝)■IND(5-5) KAZ(6-6) CHN(2-4) JPN(1-1) KOR(2-4) TPE(2-4)
 
韓国と台湾の試合は台湾が勝ってしまった。その結果、中国・韓国・台湾が同じ3勝で並び、相互得失点率の勝負となった。
 
___ W L for agn( dif)
JPN 5 0 394 282(_112)|
CHN 3 2 410 305(_105)|3i(155-135)*1.1481
KOR 3 2 402 329(__73)|3i(130-133)*0.9774
TPE 3 2 355 326(__29)|3i(126-143)*0.8811
IND 1 4 260 434(-174)|
KAZ 0 5 296 441(-145)|
 
この結果決勝トーナメント準決勝は日本−台湾、中国−韓国、で行われることとなった。
 

青葉は2013年春に、彪志が進学したC大学の“七不思議”という話を聞いた。マジでやばそうな話から、都市伝説的なものまで様々だったが、青葉はその中の噴水の話にゾクゾクとする感覚があった。これはひじょうにまずい状態である。
 
彪志がその噴水のそばを通る場合もあると聞き、放置できないと判断。千葉に赴いて、壊れていた結界を正しく修復した。
 
その結果、その噴水の所に滞在していた女神様に気に入られてしまった。
 
その女神様はC大学が作られる前にそこにあった神社におられたのだが、大学建築の際に神社が正しい手順で移転されず、結果的にお社(やしろ)を失ったまま、この噴水の付近に曖昧に滞在していたらしい。青葉が確認した所、このC大学の西千葉キャンパス(弥生キャンパス)は1942年に東京帝国大学第二工学部が設置された時に校地とされたもので、1962年にC大学の文理学部と教育学部がここに移転してきて、その後、他の学部もここに集まり、C大学の中心キャンパスとなった。つまりその女神様の神社が移転されたのは恐らく1942年のことではないかと思われた。戦時中で全てがおざなりになったのかも知れないと青葉は思った。
 
この女神様《姫様》は青葉のことがすっかり気に入ったようで、この事件以降青葉の後ろに居候していたのだが、自分が安心して過ごせる神社が欲しいと青葉に言った。青葉がとてもそんなお金が無いというと、神社を建てられるくらい稼がせてやると言った。
 

青葉は冬子(ケイ)から創作の泉が枯渇しかかっているのが何とかならないか相談を受け、冬子の友人たちの協力も得ながら“泉の再発見”に導いた。そのことで冬子は青葉に3000万円払ってくれた。それで青葉はこのお金を活用して適当な場所に神社を作り、祠と鳥居を作ろうと考えたのである。
 
それで千葉市内に住んでいる彪志に頼んで、適当な土地を探してもらった。その結果、千葉近郊の山の上で、ちょうどC大学のキャンパスを見下ろすような位置に安く売りに出ている土地があるのを見つけたのである。
 
そこに先日は不動産屋さんに連れて行ってもらったのだが、夕方だったこともあり、よく分からなかった。それで昼間に一度自分でも行って見てみたいと思っていると青葉に言った。
 
「ただバス路線とかから外れてる場所だし、足をどうしようかと思ってるんだよ」
 
「あ、だったら、ちー姉に頼んでみようか?こないだ車買ったんだよ」
と青葉は答える。
 
「へー、それは凄い。何買ったの?」
「ミラだって。3万円だったらしい」
「3万?30万じゃなくて?」
「ちー姉って貧乏性だもん。スクーターも2万円で買ったと言ってたし」
「2万円のスクーターも凄いけど、3万円のミラはちょっと怖い」
 

バンコクに行っている千里たち日本女子代表の一行は、11月1日は休養日となった。それで千里は玲央美・絵津子・純子・王子と5人でバンコク市内のロビンソン・デパートに行った。王子たちがハメを外しすぎて不祥事!?を起こしたりしないよう、千里と玲央美はお目付役という感じである(王子は以前コールガールをホテルに呼ぼうとして高田コーチに叱られたことがある)。
 
むろん全員私服である。王子はアメリカ国内のトールサイズ婦人服専門店で買ったという可愛い服を着ている。おかげで高身長なのにちゃんと女性に見えるので純子が羨ましがっていた。玲央美は高身長でも女性にしか見えないのだが、純子は結構男に見える。それで男性1人(純子)が女性4人を案内しているように見られたりした。
 
「前回バンコクに来た時は、うっかりMade in Japanのをお土産に買っちゃったなあ」
などと王子が言っている。
 
「バンコクは中東から来る人が多いからね〜。中東から見ると日本もタイも近所かも」
「それ、日本から見るとチェコもオランダも近所みたいな感覚ですよね?」
「そうそう。九州の人から見ると、神奈川も栃木も全部“東京周辺”」
 
それでお土産にするインスタントラーメン、お香、などを買ってからおやつを食べてホテルに戻った。
 
その日の午後は有志だけ練習ということになっていたのだが、実際には全員が練習に参加した。特にここまで必ずしも活躍できなかった選手は練習に熱が入り、見学(今日は公式練習ではないので指導はしない)している戸田アシスタントコーチも頷くようにしていた。
 
この日の夕食はみんなでバンコク市内の日本料理店に行き、トンカツとか牛丼とか日本風のカレーライスに天麩羅にと、喜んで食べていた。千里もカツ丼と醤油ラーメンを食べた。
 

11月2日(土).
 
この日は14, 16時から入れ替え戦、18, 20時から準決勝2試合が予定されていた。しかし千里は午前中に日本で用事を済ませてくることにした。
 
午前7時(日本時間9時)、千里は日本国内で待機していた《すーちゃん》と交替で日本に戻った。そして西千葉駅に近い立体駐車場から、そこに駐めていたミラを出し、桃香のアパートに行った。
 
なお、インプは葛西に、それ以外の車・バイクはほとんど常総に置いている。ふだん市川に駐まっているのは貴司の A4 Avant である(A4 Avantは最近、ほとんど千里(せんり)のマンションには駐めていない)。
 
ディオチェスタは取り敢えず常総に搬送しておいたのだが、調子が悪くて《げんちゃん》か《こうちゃん》以外には起動不能な状態になっていた。
 
それで千里に代わってファミレスに勤めてくれている《すーちゃん》のために先日千里が市川ラボから千葉まで走って来た Gladius 400 を使ってもらっている。《すーちゃん》は個人的に普通免許と自動二輪免許を持っているので、ミラも Gladius 400 も運転できる。しかし《すーちゃん》と交替でファミレスに勤めてくれている《てんちゃん》の方は250cc程度のバイクでも自信無いと言っているし、四輪は無理と言っている(彼女は自分専用の自動運転車?のようなものを持っているのだが、他の車にぶつけずに運転する自信が無いと言っている。実際、一般のドライバーに《てんちゃん》の“車”は見えないだろうから危険である)。
 
それで《てんちゃん》はバスで通勤しているものの、夜勤が終わって朝帰る時に不便だとこぼしていた。
 
ファミレスは辞めるつもりだったのが、なかなか辞めさせてくれないのである。
 
「ミラはミラとして、やはりスクーターを1台買ってあげないといけないかなあ」
と千里はこの時期考えていた。
 

千里はそんなことも考えながらミラを運転して、桃香のアパート傍に停め桃香を起こし、助手席に乗せて彪志のアパートに行く。彼に後部座席に乗ってもらい、下見に行く土地へ向かった。
 
目的の場所は千葉市郊外の小高い丘の上にある。ミラはそこに行く坂を低速で登っていった。
 
「なんかスピードが落ちてるね」
と桃香。
「パワー無いからね。急な上り坂では、私ひとりしか乗ってなくても時速10kmくらいまで落ちることある」
と千里。
 
「しかし10kmまで落ちても停まらない限りは自分の足で歩くよりは楽だ」
「確かにこの坂は歩いては登りたくないですね」
 

千里はその場所の10mくらい手前の路上に駐めた。
 
千里の後ろの子たちが嬉しそうにしている。
 
『自由に処分していいよ』
『了解!』
 
それで彼らは飛んで行って“処分”を始めた。《たいちゃん》、《てんちゃん》、《びゃくちゃん》の3人が彪志・桃香・千里を守るために残った他は全員で掛かっているようである(この他《すーちゃん》がタイ、《いんちゃん》が市川に行っている)。
 
千里がゆっくりと車から降りたので先に降りていた桃香と彪志が待っていた。結果的に3人は千里の眷属たちの後に続く形になった。
 
「これはまた荒れ果ててるなあ」
と桃香が眺めて言う。
「20年くらい放置してた感じですね」
と彪志。
 
2人は眼前で千里の眷属たちが大活躍中であるのには全く気付かないようで、道路に立ったまま、ただ、崩壊しかかっている家屋を眺めていた
 

“処分”は5分ほどで終了した。千里は桃香たちに言った。
 
「この家の裏手に回ってみない?」
「うん」
 
道路から土地に踏み込み、家と林との間の狭い通路を通り向こう側に出る。雑木林を通り抜けて崖の所に出た。
 
「見晴らしが良い」
「あそこ、私たちの大学だね」
 
「ああ、ちょうどきれいに見えますね。ロケーションとしては良いなあ。でもここ、幽霊とか出ませんかね?」
と彪志。
 
「ここ何も居ないよ。きれいにしてる(きれいにしちゃったし)」
 
「時々思いますけど、千里さんって、少し霊感ありますよね」
「そうかな?まあ、テストの山勘は当たるよ」
「そういう勘は私も欲しいな」
 
千里は笑顔で言った。
 
「ここに決めていいと思う。(後ろの子たちの餌場としても)絶好の場所だし」
 
それでこの日の彪志たちの下見を元に、青葉が来週にも千葉に出てきて自分の目で確認することになった。
 

千里・桃香・彪志の3人はミラに乗って丘を降り(坂を降りるのはミラでも全く問題無い)、ファミレスでお昼を食べてから13時頃に解散した。これがタイでは11時頃である。
 
午前中身代わりを務めてくれていた《すーちゃん》と交替でタイに戻った千里は玲央美から
「すーちゃん、お昼に行こう」
と言われてから
「ありゃ。千里だったか」
と言われた。
 
「ごめーん。ちょっと用事を済ませてきた」
 
それで一緒にホテル内のレストランに行きお昼を食べる。さっき千葉のファミレスでハンバーグ定食を食べたばかりなのだが、またこちらでパッタイ(焼きそば)を食べる。
 
「千里はよくパッタイを食べている気がする」
とゲーン(タイカレー)を食べている玲央美が言う。
 
「世界選手権でタイに来た時、私いきなり性別検査に連れて行かれたのよね」
「ああ、行ってたね」
「それが深夜まで掛かって御飯を食べ損なって連れて行かれたレストランで、メニューの分かるのがパッタイしか無かったからそれを食べたのよね。そしたら朝からずっと絶食していた所で食べたからか美味しくて美味しくて」
 
「それは美味しさが5割増しになるなあ」
 
「それ以来、パッタイが大好きになったんだよね」
「ああ、そういうきっかけで好きになったものは残りそう」
 
ちなみに千里と交代で日本に戻った《すーちゃん》はケンタッキーに入り、ひとりでのんびりとフライドチキンを食べた。すーちゃんはフライドチキンが大好きで、しばしば《びゃくちゃん》などから『共食いしてる』と言われる。むろん普通の猛禽は小鳥くらい食べる。
 

淑子は3人の子供を連れてスワンナプーム空港に来ると羽田に行く便に空席があるのを確認し、フリーにしていた航空券の帰りの便を予約した。しかしパスポートを見たANAのカウンターの女性が戸惑うように言う。
 
「お客様。このパスポートと航空券は、女性のお客様と男の子3人になっておりますが、お連れになっているのは3人とも女の子ですよね?」
 
「ああ。それだけど、このいちばん上の子は戸籍上は男の子だけど医学的には女の子になったのよ。こちらが病院でもらった診断書」
と言って淑子は Ms Narumi Tanaka という名義の英文の診断書を提示した。
 
「ああ、そういうことでしたか。分かりました。下のおふたりもですか?」
「この子たちは今は中性かな。いづれ女の子になるかも知れないけど」
 
するとカウンターの女性は笑顔を作りながら言った。
「大変失礼しました。お客様のお子様で間違い無いのでしたら問題ありません」
 
それで便名・座席の記載されたチケットを発行してくれた。
 

飛行機に乗ってから、成美が母に言った。
 
「これで私、中学はセーラー服で通える?」
「もちろん。もっともあんたはそもそも小学校の書類が女子になっているから何も問題ないんだけどね。完全な女の子になったから、堂々とセーラー服で通えるよ。万一教育委員会から何か言われても何とかするよ。最悪理解してくれる私立に行く手もあるしね」
 
「よかった。学生服着ろとか言われたら、どうしようと思ってた。しっぽが無くなった自分の身体見て感激しちゃった」
 
「傷は痛まない?」
「思っていたほどは痛くなかったよ」
 
4年生の宏佳が言った。
 
「成美お兄ちゃんのことは、これからはお姉ちゃんって呼べばいいの?」
「そうだよ。もうお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんになったからね」
 
2年生の慶古が尋ねる。
 
「成美お兄ちゃんがお姉ちゃんになったのなら、宏佳お兄ちゃんもこれからはお姉ちゃん?」
 
「ううん。宏佳はまだお兄ちゃんでいいよ。ちんちんは付いてるから」
 
「ちんちん付いてたらお兄ちゃんで、無かったらお姉ちゃん?」
「そうそう。成美はおちんちん無くなっちゃったからね」
「私もそのうち、おちんちん無くなるのかなあ」
「もう少し大きくなったらね」
 
「宏佳も慶古も傷は痛くない?」
「もう全然痛くないよ」
 

11月2日20:00.
 
アジア選手権準決勝第2試合台湾対日本が始まる。この日の入れ替え戦ではインドはマレーシアに勝ち、タイがカザフスタンに勝って、インドはレベル1残留、タイはレベル1昇格を決めた。そして準決勝第1試合では韓国が中国を破っていた。つまりこの第2試合の勝者が明日韓国と決勝戦をすることになる。
 
そういう訳でこの日の台湾は物凄く燃えていた。台湾は先日の東アジア競技大会で日本に勝っている。ここは優勝する大チャンスという所だろう。
 
しかし今回の日本は最初から台湾を圧倒した。
 
千里/玲央美/絵津子/純子/王子
 
という超攻撃的布陣で出て行き、全く台湾を寄せ付けなかった。第2ピリオド以降は交替で休みながらプレイし、明日もあるのでこのメンツは第3ピリオドまでで下げたが、大差で日本が勝利した。
 
それで明日の決勝戦は日本と韓国でおこなわれることになった。
 

そして最終日11月3日。
 
先に行われた3位決定戦では中国が台湾に勝った。これで来年の世界選手権に進出するのは、日本・韓国・中国ということが決まった。
 
18:00.
 
日青センター体育館に日本と韓国のスターティング5が並んだ。
 
日本 千里/玲央美/絵津子/王子/恵子
韓国 チェ/パク/キム/ホン/イ
 
アジア選手権の決勝戦が始まる。
 
韓国はこれまで主としてゲームの後半に投入することが多かったキム・ヘソンを最初から使ってきた。おそらく千里対策だろうと思われたが、実際ゲームが始まると彼女はピタリと千里に付いた。
 
予選リーグの時の状況分析でも、結局千里にいちばんよく付いて行っていたのがキムだったのである。彼女はどうも前試合の千里の映像を見てかなり研究したのではと思われた。
 
しかし・・・ここまでの試合での千里は80%くらいの力で戦っていたのである。
 
この試合では千里は最初から全力でプレイした。
 
キムが「うっそー!?」という顔をしている。
 
かくしてキムは全く千里を停めきれない。キムは全く千里を突破できない。それで恐らくそうなった場合の次の策として考えていたのだろうが、向こうは千里をキムとパクの2人でダブルチームする作戦できた。
 
しかしこれをやると結果的に絵津子をほとんどフリーにしてしまうことになる。またチェでは玲央美のスピードに付いていけない。
 
それで結局第1ピリオドは日本が大きく韓国をリードすることになった。
 

第2ピリオド、韓国は消耗していたキムとホンを休ませ、長身の選手を並べてきたが、日本はこのピリオド絵津子に代わって出た純子が爆発。千里や王子に玲央美もどんどん得点し、ほとんどワンサイドゲームになってしまった。
 
前半終わって36-57とダブルスコアに近い。
 
第3ピリオドは千里・玲央美・王子を休ませ、その間にキムやホンが頑張って18-11と7点もリードする。韓国側応援団が物凄く盛り上がっていた。
 
しかし第4ピリオドで、この3人が戻ると韓国を寄せ付けず、14-27とこれもほぼダブルスコアで終了した。最後にボールを持っていたホンがほとんど遠投のようなシュートをするが、ボールはバックボードにも当たらなかった。
 

整列する。
 
「95-68, Japan won」
と審判が告げる。韓国選手たちは首を振りながら、今回はちゃんと日本選手たちと握手をして引き上げた。前回は僅差だったが、今回は大差になってしまったので、かえってスッキリしてしまったのかも知れない。
 
キムが千里と握手した時、彼女が「フラウ・チョンサン(『村山』の韓国語式発音)、予選リーグの時と別人だった」とドイツ語!?で言ったので、千里もドイツ語で「ひとり隠し球ね」と答えた。すると彼女は面白がって「それ私もマスターしようかな」などと言っていた。
 

そういう訳で今回のアジア選手権の成績は1.日本、2.韓国、3.中国、4.台湾となったのである。
 
20時から表彰式が行われた。先に個人表彰が行われた。
 
得点女王は王子、アシスト女王は玲央美、スリーポイント女王は千里と日本が3部門独占。リバウンド女王は韓国のイ・ハイランが取った。ベスト5は次のように発表された。
 
千里/玲央美/王子/イ(韓国)/リュウ(中国)
 
そしてMVPには王子が選ばれた。彼女はそんなものをもらえるとは思ってもいなかったようで「うっそー!?」と叫んでいた。
 
その後、チーム表彰となり、1〜3位のチームが表彰台に乗って、プレゼンターからメダルを掛けてもらった。
 
千里にとってはフル代表として初めての金メダルである。
 

なお、今回の女子アジア選手権の状況は、バスケット協会のfacebookには逐次報告されていたのだが、WWWサイトでは優勝したことが報告され、主将エレンの談話が載っただけで、そもそも選手が5人も直前に交替したこと自体、優勝報告の記事を良く読まないと分からないような状況だったし、日本代表サイトには最後まで交替前のロースターの写真が掲示されたままだった。それで、この大会に千里や絵津子・純子たちが参加していたことを知る人は少なかった!?
 
 
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【娘たちのドラゴンテイル】(1)