【娘たちの振り返るといるよ】(4)

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夕方、貴司を起こして服を着させ、広島駅まで一緒に行き、甘地に行くのを見送った。千里自身は常総ラボに移動してもらっていた《てんちゃん》と位置交換をしてもらい、この日は夜遅くまで《すーちゃん》に返球係やパスの相手をしてもらって自主練習をした。
 
「3日やってないと、なまってるな」
と千里は呟くが
 
「まあ忙しすぎたね」
と《すーちゃん》は言っていた。
 
千里は貴司が市川での練習を終えた頃、0時頃に常総での練習を終え、広島のホテルに戻してもらった。シャワーを浴びてぐっすりと眠った。
 

27日のお昼は鯛飯、28日のお昼はトンカツを食べた。この2日間はいづれも18時前に試合が終わったので、貴司はいつもの連絡で移動した。
 
そして貴司が市川で練習している間、千里は《てんちゃん》との入れ替わりで常総ラボで練習したので、《てんちゃん》はその間、夕方から夜中までホテルのベッドですやすやと眠っていた。
 
なお、貴司は毎日、姫路に向かう途中で女のような身体になり、広島に戻る途中で男の身体に戻っていた。そして男の身体で日中千里と過ごしていると千里はわざわざ、自分の身体をくっつけたり、貴司のあそこ付近に触ってみたり人目が無い時は抱き合ってキスしたりする。おかげで貴司はあそこが立ってしまうのだが、千里は絶対に逝かせてくれず、ひたすら生殺しである。貴司は脳内の血圧があがって、このままスイートデスしそうという気さえした。
 
実際には《こうちゃん》は自分たちの《いたづら》が千里にバレないようにするためもあるが、それより彼はマゾヒストなので、貴司が苦しむように、わざと男性器を戻していたのである。一方、千里は貴司を“再略奪”するため沢山ボディタッチをしたりして誘惑する。それで貴司は自分の性欲に苦しむハメになっていた。
 

広島での最終日29日の朝、甘地から戻ってきた貴司と一緒にマクドナルドで朝御飯を食べた時、千里は尋ねた。
 
「だけどさ、貴司なんで千里(せんり)から毎日AUDIで市川町まで往復してんの?」
「え?なんでって?」
 
「ちょっと計算してみたけど」
と言って千里は計算した紙を見せる。
 
「千里(せんり)のマンションから甘地まで往復160kmだから夜間でライトも使うし燃費10km/Lとするとガソリンを16L使う。今ハイオクはリッター160円くらいだから2560円。これに高速代が往復2160円で合計4720円」
 
千里にしては、しっかり計算しているなと貴司は思った。
 
(実は《きーちゃん》が計算して千里の筆跡で書いてくれたもの。《びゃくちゃん》以外の女性眷属は全員千里の筆跡が使える)
 
「一方ね」
と言って千里は別の紙を見せる。
 
「うん」
 
「(練習場のある)桃山台を18:40に出る北急(きたきゅう)に乗ると、大阪から姫路まで新快速で移動して播但線に乗り継いで、甘地駅に20:53に到着する」
 
「新快速!?」
 
「貴司、新幹線に乗る発想しか無かったでしょ?」
 
(実は千里もそうである。《きーちゃん》に指摘されるまで千里も気付かなかった。実は車で通うことを唆した《びゃくちゃん》も気付かなかったと言って謝っていた)
 
「新快速でそんなに早く着くの?」
「新幹線なら1時間43分、新快速なら2時間13分。新幹線なら3860円、新快速なら2230円」
「いや、桃山台−梅田間は通勤用の定期券が使えるから、この340円が要らない。1890円でいける」
 

「じゃそれで。しかも列車の中で寝て行ける」
「確かに。僕が移動する時間帯なら座れる確率は結構高いし、僕は立ったままでも眠れるよ」
 
「それ都会に住む人の基本能力だよね。帰りはそのまま市川ラボで泊まって、6:01の播但線に乗って姫路から新快速で大阪に来て、地下鉄に乗り継げば心斎橋到着は7:58」
 
「凄い」
 
「車で往復すれば4720円の所を鉄道を使えば3780円。約1000円安い。貴司、車で通うのやめて、電車にしなよ。その方が安いし、乗っている間は寝ていられるのが大きいよ。それに私、練習で疲れているのに運転して事故でも起こしたらと思うと心配」
 
千里が本気で心配しているのを見て貴司は感動した。そして言った。
 
「そうしようかな・・・」
 
しかし貴司は気付いた。
 
「でも待って。それだと僕、マンションに全く帰られないんだけど!?」
「週末は練習お休みなんだから、その時、マンションには帰ればいいね」
「あははは」
「洗濯物は市川ラボに置いてある洗濯機・乾燥機で洗えばいいよ」
 
「置いてあった!」
「ではそれで」
 

この日、ふたりでウィンターカップの男子決勝を見たあと帰ることにする。この日はお昼で大会は終わったので、ふたりで一緒に宮島に行くことにした。
 
広島グリーンアリーナそばの紙屋町西で広電に乗り、そのままのんびりと1時間ほどの行程で宮島口まで行く。広電はほんとにのんびりと走るので急ぐ人はJRに乗り換えた方がいいのだが、この日ふたりはゆっくりと沿線の風景を楽しんだ。
 
宮島に渡って一緒に厳島神社に参拝した。
 
「千里は何お願いしたの?」
「貴司がさっさと阿倍子さんと別れて私に再プロポーズしてくれますように」
「うっ・・・」
「貴司は?」
「オールジャパンに行けますように」
「まあ貴司としては上出来だね」
 

帰り道はもみじ饅頭を売っているお店が大量に並んでいる界隈を通る。
 
「お土産のもみじ饅頭どうしようか?今買っても硬くなっちゃうし」
「仕事始めは何日だっけ?」
「暦通りなら4日なんだけど、4日に出たら即5−6日が休みでしょ?社長がいっそその日も休みにしようよと言ったから、うちの会社は7日始まり」
 
「いい社長さんだ」
「だから今日買ってもけっこう日数が経っちゃうんだよね」
 
「私が広島の友だちに頼んで、7日に到着するように会社宛に送ってもらうよ」
「わあ。だったらそうしてもらおうかな」
「うん。何個必要?」
「会社に20個入りを3個、チームに1個かな」
「余裕を見て、4個・2個にする?」
「そうだね」
 
それで千里に1万円札を渡しておいた。
 

島内でけっこうゆっくりと時間を過ごした後、宮島口に戻って食事処で早めの晩御飯を食べたが、千里は2009年に日食を見に行った時、この近くの料亭で「私は男です」と主張する仲居さんと楽しく会話をしたなぁと思い出していた。
 
ところがこのお店で頼んだ牡蠣御膳を運んで来たのがその時の仲居さんだったので仰天する。
 
「あ!男だと主張した人だ」
「あら、あなたも40歳の男だと言ってた人だ」
 
ふたりは思わず握手した。
 
貴司が、なんだなんだ?という感じで戸惑っている。
 
「相変わらず毎日オナニーしてますか?」
と千里が訊くと
 
「当然です。朝立ちしますから、そのままオナニーします。あなたは男のまま?」
と元仲居さん。
 
「それが性転換手術したので女になってしまいました」
と千里。
「ああ、あなたは女になった方がいいと思ってましたよ」
 
「ちんちん無くなっちゃったのが寂しいですけどね。立ちションしようとして、あっ無い!と思います」
 
貴司は困惑したような顔をしている。
 

「ちんちんはあると便利ですから」
と仲居さん。
 
「でもそれでこの人とレスビアン婚したんです」
と千里は言う。
 
「へ?そちらは女性?」
「そうなんですよ。男装好きでまるで男みたいな格好してますけど、ちんちんはありませんから」
などと千里が言うので貴司は額に手をやって悩んでいる。
 
「でも結婚したんですか?おめでとうございます。そういえばお揃いの指輪してますね。でもそれ、金じゃないみたい」
「よく分かりますね。ステンレスなんですよ」
 
「面白い素材だ」
 
「丈夫で腐食にも強いのがいい点なんですけどね〜。ただし凄く硬いからサイズ直しは不可能だし、太って外れなくなったら指を切断するか1500度の高温で融かすか以外、外す方法が無い」
 
「それは怖い。ファンタジーとかには離婚できないように、填めると身体と一体化してしまう指輪とか出てきますけどね」
「ああ。浮気防止にはいいですね」
 
などと千里が言っているので、貴司は嫌そうな顔をしている。
 
「そうだ。プレゼントあげますよ」
と言って、彼女はシャモジを持って来てくれた。これも宮島名物である。
 
「わぁ、ありがとうございます」
「あの時は私も楽しかったですから」
と彼女は笑顔で言っていた。
 

JR宮島口駅で、千里は東京まで、貴司は甘地までの切符を買う。それで広島方面の電車に乗り、千里が2009年の時の出来事を話すと貴司は大笑いしていた。
 
http://femine.net/j.pl/college/45/_hr011
 
なお、雨宮先生・上島先生の素性は貴司にも明かしていない。単に女装好きの中年男性とそのお友だちの普通の男性とだけ言った。貴司はその2人は愛人関係なのだろうと想像したようである。
 
姫路駅で貴司だけ降りるので、座席で10秒くらいキスして別れた。貴司は千里の乗る新幹線が発車するのを見送ってくれたが、その新幹線が見えなくなったころ、貴司はまた女のような身体に戻ってしまい、ため息をつくことになる。
 
貴司の男性器はこの後、1月下旬に千里と会うまで消滅したままだった。
 

一方千里は東京までは行かず、新大阪で途中下車して、いったん千里(せんり)のマンションに行った。お肉などの食材をたくさん買ってきて、カレーやシチューを作る。お米も切れていたので再度行って買ってきてライサーに入れた。
 
お肉はカレー・シチューに使った以外は使いやすい量単位でまとめ日付を書いて冷凍する。そしてカレー・シチューが冷めるまでの間に掃除と洗濯をした。
 
「しかしここには阿倍子さんの痕跡が全く無いな」
と千里は呟いた。
 
実際問題として阿倍子は貴司からこのマンションの鍵を1個預かってはいるものの、まだ1度もこのマンションを訪れたことがない。貴司と阿倍子は実際には阿倍子の家(神戸市)でしか会っていないのである。
 
ある程度の掃除が終わった後は、自分でも御飯を食べ、シチューとカレーをジップロックに入れて日付を書き冷凍した。
 
そしてマンションのベッドでぐっすりと寝た!
 

翌日は爽快に目が覚めたので、朝御飯を食べ、ベッドに布団乾燥機を掛け、乾燥の終わった洗濯物をタンスにしまい、また常総ラボに居る《てんちゃん》と位置交換してもらい、午前中たっぷりと汗を流した。《てんちゃん》は昨日千里が広島から新大阪まで来た切符の残り区間を使って東京に戻る。
 
千里本人は練習が終わった後は、常総ラボで常備している食糧でお昼を食べてから、ZZR-1400に跨がって葛西に帰還した。
 
午後は仮眠していたのだが、夕方、黒いイブニングドレスを着、濃厚メイクした上で、タクシーに乗り、東京の新国立劇場(渋谷区だが新宿駅から歩いて20分くらいの距離である。実際には京王の初台駅の近く)まで行った。招待状を見せて中に入る。
 
この日は歌謡界で最も大きな賞であるRC大賞の授賞式が行われることになっていた。千里は名目上は堂本正登『七日半ライダー』(金賞)の作曲者としてここに招かれていて、同じテーブルに堂本および彼の事務所社長が来ているので彼らと握手して言葉を交わした。
 
しかし実は今年、千里は東郷誠一名義で書いた春川典子『ふたりの七夕』がRC大賞を受賞している。
 
正確にはこのCDは『竿灯祭りの夜/ふたりの七夕』の両A面で『竿灯祭りの夜』は東堂千一夜先生の作品、『ふたりの七夕』が東郷誠一名義である。東郷先生はこの手の賞の常連だが、春川典子にとっても東堂先生にとっても久しぶりのヒット曲であった。
 

春川は超豪華な振袖を着ていたが、東郷先生は千里に声を掛けて
 
「こちらの醍醐春海君が、本当の『ふたりの七夕』の作曲者だから」
と言って、春川典子と千里を握手させた。
 
「実は去年の金賞受賞曲・山村星歌の『みずいろの片思い』も彼女の作品」
 
と東郷先生は堂々と言うので、春川は感心していたが、傍に居る東堂先生は少々呆れている感じではあった。東郷先生は自分がゴーストライターを多数使っていることを全く隠す気が無い。
 
やがてON AIRのランプが付き、授賞式が行われるが、堂本の歌唱中にはハートライダーのドラマのシーンがずっと映っていた。その中に千里が特製のMD90/110改に乗って北海道の雪原を走るシーンも一瞬入っており、思わず笑みが漏れた。
 
(実際の横須賀−網走往復の敢行後、雨宮先生から『あんたが生きて帰ってきたから、映像公開するから』と言われ、再度北海道に(飛行機で)渡って撮影した時の映像である。ハートライダーの実際の出演者で撮影する予定だったが、北海道の雪上を走る自信のある出演者がいなかったので、結局千里が走らせ、その映像をテレビで見た少女Y(桜木八雲)が千里に連絡してきて、千里はそのバイクを彼女に譲ることになった)
 

12月31日は朝から桃香と東京駅で待ち合わせ、一緒に上越新幹線・はくたかの乗り継ぎで高岡に帰省した。
 
「千里、お父さんに勘当されて留萌には戻れないんだろ?だったら私と一緒に高岡に帰省するといい」
 
と誘われていたのである。それで昨年に引き続き、高岡への帰省となった。むろんチケットはあらかじめ千里(実際には《げんちゃん》)が新幹線利用で確保しておいた。桃香に任せると、普通列車乗り継ぎとかツアーバスで帰省などということになりかねない。
 
お昼過ぎには着いたので4人(桃香・千里・朋子・青葉)で氷見漁港まで行き、鰤のあまり大きくないものを1匹買ってきて、31日の晩は鰤の刺身を食べた。
 
「へー。じゃ青葉は推薦で高校に入るんだ?」
 
「夏にも言ったと思うけど、6月に高校の先生たちと会って、模試の成績が充分だから推薦で入れてくれるということらしい。実際こういう特殊なケースでは向こうも色々準備あるみたいだし」
 
「最初から女生徒としてバッくれてればいいのに」
と桃香が言う。
 
「私もそれに賛成。青葉はどこをどう見ても女生徒にしか見えないもん。学校側は何も配慮しなくてもいい」
と千里。
 
「そういう訳にはいかないよぉ」
と青葉は言っていた。
 

1月1日は4人で近くの神社に初詣に行ったが、境内で休んでいると、青葉の知り合いの女装っ娘が2人もやってきた。1人はMTF-GIDだが、もう1人はただの女装趣味だという話で、ガールフレンドと一緒にまるで女の子同士の連れのような感じで初詣に来ていた。
 
このMTF-GIDの子は呉羽ヒロミちゃんと言って、後にクロスロードのメンバーに加わることになる。
 
千里たちは1月3日の午後、はくたか+新幹線で千葉に帰還した。
 

貴司は1月6日の夜まで市川ラボに泊まり込んで、市川ドラゴンズのメンバーとたっぷり練習し、1月7日の早朝の電車で大阪に帰還。そのまま出社した。朝礼をしている最中に荷物が届き、大量のもみじ饅頭がみんなに配られることになる。貴司はみんなから
 
「なんで披露宴しないのさ? みんなでお祝いしてあげたのに」
などと言われて、これだと阿倍子との結婚式を挙げられないぞと焦った。人事課からも呼び出されて、扶養届けを出せと言われたが、これについては
 
「妻は高額所得者なので、扶養手当とか配偶者控除とか、それに健康保険の被扶養者証も不要です」
と言った。
 
「高額所得者ってどのくらい?」
「正確な額は把握していませんが、どうも数千万円はあるみたいです」
と答えたら、人事課の人はびっくりしていた。
 
しかしこれで貴司は阿倍子と結婚しても、扶養手当が申請できないし、健康保険証も申請できない!?
 
そしてその日は「勝手に祝賀会」と称して、みんなに連行されて焼き鳥屋さんでパーティーのような感じになった。さすがに市川に行けなかったので連絡を入れたが、千里(せんり)のマンションに帰宅すると
 
「お疲れ様。御飯作っておいたよ。チンして食べてね」
という千里のメモがあったのでびっくりした。
 
(結局朝御飯に食べた)
 

そういう訳で貴司は1月7日の夜の練習はキャンセルしたものの、8日からは桃山台での練習が終わった後、新快速で市川町に移動する。
 
「ほんとこれ楽だ〜」
と思う。それで練習に参加してから1階の貴司の居室に戻ると、何やら荷物が増えている!?
 
見ると中型の冷蔵庫、炊飯器、電磁調理器、ライサー、食器棚などが加わり、掃除機、ズボンプレッサー、髭剃りまである。炊飯器のそばに置かれているしゃもじは宮島口の料理店でプレゼントされたものだ。
 
テーブルの上にメモがある。千里の字である。
 
《生活に必要そうなものを取り敢えず用意しておいたよ。足りないものがあったらメールしてね》
 
などと書かれていた。
 
「つまり千里、ここに来たの!?」
と思わず声をあげる。
 
水屋にはけっこうたくさん食器が置かれているが、どうも大阪のマンションから持って来た食器が多いようである。食パン、乾燥ワカメ、削り節、塩・こしょう、カップスープの素、あさげ・ゆうげ、サトウのごはん、レトルトカレーなども置いてある。
 
冷蔵庫を開けてみると玉子・醤油・味噌・マーガリン・スライスチーズにマヨネーズ・ケチャップ・ソース、チューブのにんにく・しょうが、ウィンナーにハムなどが入っているし、冷凍庫にはお肉や料理のストックが入っている。日付を見るとこれはマンションの冷蔵庫の中身をまるごと移動してきた雰囲気である。
 
「あはは」
 
これ運び込むだけで1日掛かってないか?冷凍していた奴とかどうやって移動したんだろう?
 
(バッテリーバックアップの電気冷凍箱で移動している:実際に作業したのは、こうちゃん(ドライバー兼)の他、せいちゃん・げんちゃん・びゃくちゃんである。りくちゃんやとうちゃんは呆れて見ていた)
 

冷蔵庫の中にメモがある。
《私はいつも貴司と一緒。振り返るとそこに私は居るよ》
 
「え!?」
と思って振り返ると、後ろの壁に千里のヌード写真が貼られている!
 
びっくりしたが、要するにそのメモを残して、冷蔵庫と反対側の壁に自分の写真を貼っておいたのだろう。でも貴司はこの写真はそのまま貼ったままにしておくことにした!ついでに写真にキスをした。
 
ほかにバスルームのそばにワゴンがあり、バスタオル・フェイスタオルが大量に積まれていたが、これはどうも大阪のマンションにあったものの一部を持って来たようである。また衣裳ケースの中にかなり服が増えていたが、これは広島に行った時にしまむらで買った服を洗濯の上で全部ここに持って来たようだ。ご親切にも千里のブラとパンティまで2枚入れてあるので、思わず頬ずりした。
 
その日はテーブルの上に置かれていた《お夜食♥》と書かれていたハンバーグとスパゲティの皿を電子レンジでチンして食べた。そして
 
「千里、嬉しいよぉ」
と言ってからシャワーを浴びて寝た。
 
この時点で貴司は阿倍子のことはもうほとんど忘れている。
 

その阿倍子は困っていた。
 
今日この家を訪れた伯母とかなり激しい議論をした。向こうは裁判に訴えると言っていた。彼女は今すぐにでも阿倍子にこの家から出て行くよう要求したものの、阿倍子はそのような要求に応じるいわれは無いと主張。
 
4時間にわたる激論の末、向こうも1日や2日で引っ越すのは物理的に不可能であることも理解した上で、3月31日までに阿倍子がここから立ち退けば、自分もここにすぐには入居せず、所有権問題についてはあらためて話し合うというのでもいいと妥協した。つまり決着するまでここは空き家にしておこうという提案である。
 
要するに時効を中断させたいのだろう。
 
阿倍子もそれについては検討すると約束した。
 
それでこの日の話し合いはまとまったものの、阿倍子は頑張った反動で丸一日眠っていた。
 
そして起きてから考えた。
 
「でも出て行くとしてどうやってアパート借りよう?保証人になってくれる人も居ないし、お金も無いし」
 
阿倍子は途方に暮れていた。
 
「だいたいこの問題ではお母ちゃんが交渉して欲しいよぉ」
 

2013年1月13日(日)、千里は午前中の便(羽田7:55-9:35旭川)で旭川まで行き、レンタカーでアクアを借りて、最初にホームセンターで毛布と掛け布団・ロングクッションに枕を買ってから、留萌まで走った。
 
冬の北海道では寝袋か布団がないと、車内で休憩不能である(凍死したければ別)。ちなみにアイドリングしながら寝たりすると、寝ている内に雪が積もって排気口を塞ぎ、排気が車内に逆流して一酸化炭素中毒で軽く死ねる。これは北海道でなくても東北や北陸でもわりとよくある事故だ。
 
留萌まで来たのが12時頃なので、市中心部近くのスーパーに車を駐めて昼食をとると共に休憩した(早速布団が活躍する)。その後14時すぎに車をそこに駐めたまま成人式が15時から行われる文化センターに歩いて行く。文化センターの駐車スペースが少ないので、遠慮してこちらに駐めたのである。
 
しばらく待つと、玲羅がなんと理歌と一緒にやってくるので驚く。
 
「玲羅も理歌ちゃんも、成人式おめでとう!」
と声を掛ける。
 
「わあ、姉貴、ここに来ていたのか!」
「いや、留萌市内に安心して長居できる場所が無くて」
と千里は言う。
 
「うーん。。。」
と理歌が悩んでいる。
 
「でも待ち合わせてたの?」
「それが美容室で偶然会って」
「へー!」
 
「それで私たち悪だくみしたんですよ」
「何の?」
 
「兄貴のおちんちんは兄貴が千里姉さんに土下座して謝って再度愛を誓うまで2度と立たないようにと、ふたりで一緒に呪いを掛けたんです」
と理歌は言っている。
 
「ああ、それはいいね」
と千里は笑っていた。
 
でも私と接触してても悶々としなくて済むかもね、と千里は思ったが、男性はペニスが立たなくても性欲が脳内にあふれて悶々とすることを千里は知らない。
 
「あいつはいっそのこと去勢した方が、バスケだけに専念するかもという気がするよ」
と千里は言うが、現在、去勢された状態にあることも千里は知らない。
 
「あ、その意見に賛成。これまでも浮気のしすぎですよ」
と理歌は言っていた。
 

「そうそう。これふたりにお祝い」
と言って、千里は祝儀袋を1枚ずつ渡した。
 
「姉貴サンクス」
と玲羅。
「わっ。私にもいいんですか?」
と理歌。
 
「理歌ちゃんも私の妹だもん」
「ありがとうございます」
 
「2人とも、札幌への移動は明日?」
「会場は別なんだけどどちらも12時受付開始なのよね。だから今夜各々の家で晩御飯を食べてから8時の最終で一緒に移動しようかと言ってた」
と玲羅が言う。
 
留萌20:13-21:08深川21:13-22:24岩見沢22:32-(23:01森林公園)23:14札幌23:35-23:59あいの里教育大
 
なお、理歌の成人式会場は北区ニトリ文化ホール、玲羅の成人式会場は厚別区シェラトンホテル札幌で、どちらも12時受付開始で13:00-14:00である。札幌は区ごとに時間帯がずれている(お偉いさんの移動の都合か)のだが、偶然にも北区と厚別区は同じ時間なのである。
 
「でも理歌ちゃんのアパートは駅から遠いって言ってなかったっけ?」
「そうなんですよ。歩くと20分掛かるんです。だからタクシー呼びますよ」
 
「じゃ私が2人とも送っていくよ。20時くらいに留萌駅前で待ち合わせない?」
 
「あ、助かる。電車賃が浮くし」
と玲羅。
「じゃ私も千里お姉さんに送ってもらおうかな」
と理歌。
 
それでまた夕方待ち合わせることにしたのである。
 

千里はふたりが会場に入っていくのを見送り、歩いてスーパーの所まで戻った。トイレを借りてから食糧と飲物と買い、その後郊外の大型スーパーに移動して、そこの駐車場で仮眠した。
 
19時に起きだしてコーヒー、クールミントガムとおやつにレトルト食品などを買い、留萌駅に移動する。駅の駐車場で待っていると、まずは玲羅がバスでやってきた。
 
「姉貴、うち今晩はお寿司だったの。夜食に持って行くと言ってフードパックに詰めてきた」
「サンキュー」
 
それでアイドリングしながら(玲羅を待つ間はエンジンは停めて布団と毛布をかぶって休んでいた)そのお寿司を摘まんでいると、見覚えのあるティーダがやってくるので驚く。理歌はお母さんがミラココアで送ってくるかもと思っていたのだが、あの車は理歌のお父さんの車なのである(以前のセフィーロから買い替えた)。
 
千里は見つけてもらいやすいように車の外に出て立った。
 
ティーダから保志絵と理歌が降りてこちらに来る。ティーダは出発してしまう。
 
「千里ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです」
「私も札幌まで一緒に乗せてもらっていい?」
「はい」
 

それで保志絵が助手席に乗り、理歌は後部座席に乗った。
 
「取り敢えずこれ、今夜はすき焼きにしたから、少し容器に詰めてきたんだけど」
と言って渡されるので
「頂きます」
と言って受け取り、暖かい内に食べる。手作りのおにぎりももらったので、それも食べる。
 
「それと玲羅ちゃん、成人式おめでとう」
と言って保志絵が玲羅に祝儀袋を渡す。
 
「ありがとうございます!これでサックス代が払える」
などと玲羅は言っている。
 
「わぁ、すみませーん」
と千里も御礼を言う。
 

「ルートはカーナビに入れておいたんですが、ここから理歌ちゃんのアパートまで2時間、そこから玲羅のアパートまで30分くらいの予定です。お母さんは理歌ちゃんのアパートに泊まります?」
と千里は尋ねた。
 
「うん。その予定。理歌に振袖を着付けしてあげないといけないし」
「なるほどー!」
 
「だったら、玲羅今晩泊めてよ。明日振袖の着付けしてあげるから」
「OKOK。じゃ優芽子伯母さんには着付けしてくれる人確保したって電話しておこう」
「優芽子伯母さんに頼むつもりだったのね」
「うん。出遅れてしまって美容室はどこも満杯だった」
「ああ」
 

千里がすき焼きを食べ終わった所で保志絵は言った。
 
「千里ちゃん、夏に貴司が送って来た50万、それと先月送って来た100万、あらためて袴料の返却分として現金で持って来たんだけど」
 
と言って保志絵は分厚い1万円札入り封筒を見せた。
 
なるほど、それで貴司のボーナスの大半はそれに使われたのかと千里は納得した。
 
「母からも以前言ってもらったように、それは受け取り拒否です」
「分かった。だったら、これは私が取り敢えず預かっておくね」
「はい」
 
「それと指輪も持って来たんだけど」
と言って保志絵は水色のティファニーのジュエリーケースを2個持っている。千里はドキッとした。
 
「それはあらためて貴司さんからもらいたいんです。ですから、貴司さんがその気になるまで、お母さん預かっておいてもらえませんか?」
 
「分かった。だったら、この袴料の返却分150万円と2つの指輪、銀行の貸金庫に入れておくよ」
「わっ」
 
「だってこんな豪華な指輪、家に置いておいて、盗難とかにでもあったら大変だもん」
「確かに。でもそれ私が将来その指輪を受け取った後でも、同じことが言えますね」
「ほんとうだ!」
 

そこまで話が固まった所で、千里は車を出した。
 
保志絵が言う。
 
「私の気持ちは、貴司とあの女の結納式の時に千里ちゃんに言った通り。私は千里ちゃんこそ、貴司のお嫁さんだと思っているから」
 
千里は涙が出てきた。
 
「ありがとうございます。私も自分は貴司さんの妻だと本人の前で宣言してきました」
と千里は言う。
 
「貴司と会ったの?」
 
「12月22日、結婚式を挙げる予定だった日に、結婚式を挙げる予定だったNホテルで会いました。その後、29日の夕方まで一緒に過ごしました」
 
「うっそー!?」
「だったら、兄貴は千里姉さんと復縁するの?」
 
「それが自分は阿倍子さんと結婚すると言うんですよね〜」
「一週間、千里さんと一緒に過ごしておいて?」
 
「私も時々、貴司さんの発想には付いていけないと思う時もあります」
「私も付いていけない!」
 
どうも理歌と玲羅は呆れているようだ。
 
千里はこの場では取り敢えず貴司と毎月会う約束をしたことは言わなかった。
 

「でもそこまで行っているのなら、せめてこの結婚指輪のほうだけでも千里ちゃんに持っていて欲しいなあ」
 
と保志絵は言ったが
 
「それなら、これを持っていますから大丈夫です」
 
と言って、千里は車を脇に寄せて停めるとバッグの中から青いジュエリーケースを取り出した。ボックスを開くと、千里の誕生石であるアクアマリンの宝石がついたプラチナの指輪がある。
 
「この指輪は3年前、2009年11月7日に貴司さんから頂いたものです。貴司さんは婚約指輪として受け取って欲しいようでしたが、当時二股状態だったので、そちらと切れるまでは受け取れないと言いました。それでファッションリングとして受け取って欲しいと言われたので、その名目で受け取ったものです。貴司さんもこの指輪はあくまでファッションリングだから私が持っていていいと言いました。ですから私はこれを持っています」
 
このリングの内側には << Takashi to Chisato Love Forever >> という刻印がある。
 
「そしてこちらはいつも携帯に取り付けている指輪」
と言って、携帯から金色のステンレスの指輪を取り外して自分の左手薬指に填めた。
 
「そうか!それがあったか。でも千里ちゃんそれ入ったのね?」
「ええ。あの後けっこう身体を鍛えていたから指も太くなったかもと思ったのですが、入りました。実は練習不足なのかも」
などと千里は言っている。
 
「ちなみに貴司さんもちゃんと自分の携帯に取り付けている指輪入りましたよ」
「へー!」
と言ってから保志絵は
「じゃ貴司はあの指輪を自分の指に填めても、まだ千里ちゃんと結婚しないと言っているわけ?」
 
「全く困ったものです」
と千里。
「本格的に私、あの子の考えが分からなくなって来た」
と保志絵。
 

「ちなみにこれもありますよ」
 
と言って千里はバッグの中から、ビニール袋に入ったプラチナのような指輪を出す。
 
「それは?」
「お母さん、これ見ておられませんでしたっけ?」
と言って千里はその指輪を保志絵に手渡した。
 
「ビニールじゃん!」
「貴司さんの会社の製品でプラスチーナというものです。見た目はプラチナだけど、実はプラスチック。金属アレルギーの人のための製品なんです」
 
「ああ。そういえば聞いた」
 
この指輪は千里がもう廃棄すると言っていたので、桃香が処分してあげるよと言い、桃香に託したものである。実際には桃香はこの指輪を東京の宝石店に持ち込み、この指輪のサイズでダイヤの婚約指輪とプラチナの結婚指輪を作り、千里に贈ってプロポーズした。しかしアバウトな性格の桃香は、プラスチーナの指輪自体はアパートのゴミ箱に放り込んでいた!
 
それを見つけて千里は回収しておいたのである。
 

「だから私は心がくじけそうになったら、プラスチーナは別として、この2つの指輪を眺めています」
 
と千里は決意を秘めた表情で言った。そして後方確認して車を発進させる。
 
保志絵はしばらく黙って考えていた。そして5分くらいしてから言った。
 
「千里ちゃんの気持ちはだいたい分かった。だったらさ」
「はい?」
「貴司の奥さんと思っていてくれるなら、その資格で、貴司の従妹の結婚式に出てくれない?」
 
「へ!?」
「1月20日、来週の日曜なんだけど、用事入っている?」
「来週の日曜なら大丈夫です。空いてます」
「だったら札幌までの往復交通費は出すし、宿泊も確保しておくから」
「でも、そんな催しに私が出ていいんですか?」
「だって貴司のお嫁さんでしょ?」
 
「・・・はい」
千里は涙腺があふれてきた。
 
「でもその結婚式に貴司さんは?」
「あの子は試合があるんだって」
「あ、そうか。リーグ戦の最終戦だ」
「それで欠席だから、貴司の名代も兼ねて」
「分かりました」
 
「その時、左手の薬指にはティファニーの指輪を」
と保志絵は言ったが、千里は泣き笑いの表情で
「ステンレスので充分です」
と答えた。
 
「ではそれで。案内状はその千里ちゃんのバッグに入れておいていいかな」
「はい。ではお願いします」
「交通費も入れておくね」
「すみませーん」
 
それで保志絵は千里のバッグの中に案内状と《御車代》と書いた封筒を入れた。
 

そういう訳で、千里は来週、美沙の結婚式に出ることになったのである。服装に関しては従姉妹クラスはふつうのドレス(但し派手すぎない色)で良いということだった。いとこクラスは祝儀も不要で普通の祝賀会出席者同様会費のみでよいということだったので、それでいくことにした。
 
4人は札幌近郊のファミレスで夜食を食べて(お勘定は保志絵が払った)から、まずは理歌と保志絵を理歌のアパートに送り届け、その後、玲羅と2人で玲羅のアパートに行った。
 
玲羅は余分な寝具を持っていなかったのだが、千里が車中休憩用に買っていた布団類を部屋に運び込み、千里はそれで寝た。この寝具はそのまま玲羅の部屋に置いていくことにし「友だちが来た時にでも使うといいよ」と言っておいた。なお夕方買っておいたレトルト食品なども持ち込んだ。
 

翌日は朝から千里は玲羅の部屋を少し掃除した上で!朝御飯を作ってから玲羅を起こす。
 
「あまりにも散らかってたから掃除しといた」
「ごめーん」
「少し掃除しないと彼氏が来た時びっくりするよ」
「彼氏がいたらいいけどね〜」
 
それで朝御飯を食べて少し落ち着いた所で振袖を着せてあげる。そして11時頃アパートを出て玲羅を成人式会場に送っていく。その後、千里は新千歳空港に向かい、レンタカーを乗り捨て返却。それで東京に戻った。
 

龍虎たち5年生104人はその日体育館に集められた。
 
「ここまで6年生が鼓笛隊を編成して行事などの時に演奏していましたが、これをみなさんに引き継いでもらいたいと思います。それで再来月の卒業式の時に5年生が鼓笛演奏をして卒業生を送り出します」
 
と鼓笛隊担当となった増田先生(龍虎たちのクラスの担任)は説明した。
 
今年の6年生を含めた過去の鼓笛隊の演奏活動や練習風景をまとめたビデオがプロジェクターで流される。けっこうな歓声などもあがっていた。
 
「卒業式の時に演奏するのは、AKB48の『ヘビーローテーション』、EXILEの『銀河鉄道999』です」
 
と先生は言ったが、楽曲の知識が広い龍虎は、銀河鉄道999は“ゴダイゴの”と言って欲しかったなと思った。オリジナルがヒットしたの(1979)は増田先生が生まれる前ではあるけど。
 
先生は編成について説明する。
 
「現在5年生は男子57人、女子47人の104名いますので、これをこのようにパート分けしたいと思います」
と言って増田先生は、パート分けの人数をプロジェクターに表示させた。
 
木管セクション
ソプラノリコーダー(M12F8) アルトリコーダー(M4) ファイフ(F12)
 
金管セクション
トランペット(M4F2) メロフォン(M4) ユーフォニウム(F1) スーザフォン(M1) トロンボーン 4(M2F2)
 
打楽器セクション
スネアドラム(M12F4) テナードラム(M4) バスドラム(M2) シンバル(M2)
 
鍵盤セクション
ピアニカ(M4F4) 木琴(M4) ベルリラ(F4)
 
指揮セクション
ドラムメジャー(F1) サブメジャー(M2F1) カラーガード(F8)
 

龍虎は「ヴァイオリンは無いんだな」と思った。
 
(普通マーチングバンドにヴァイオリンは入らない)
 
だったらピアニカとかしたいなあと思う。木琴は男子のみ、ベルリラは女子のみということだから、木琴でも良いかな?
 
「実際に担当を決めてみると、得意楽器などの関係で少し人数が変動するかも知れません」
と先生は言っている。
 
「取り敢えず、各自これがやりたい!という楽器があったら、第3希望まで書いて各学級委員に提出してください」
 
と言って先生は各列の先頭の子に紙を渡す。各自1枚取って後ろに回す。最後の付近は適当に余った列から足りなかった列へ移動される。
 
「但しトランペットやトロンボーンなど金管楽器と横笛のファイフは難しいので、現在既に演奏できる人限定にします。スネアドラムなどは今から練習するというのでもいいです。なお各自の希望を元に編成して、どうしても数が合わない所は調整させてもらいます」
 
と先生は付け加えた。
 

集会が終わった後で、彩佳と桐絵はこそこそ話をした。
 
「さっきさ、先生が男57女47と言ったでしょ?そして表示させたパート割を念のため数えてみたら、やはり男子57、女子47だったのよね」
と彩佳は言う。
 
「なんか変?」
と桐絵。
 
「今5年生の各クラスの人数は、1組男19女15、2組男19女16、3組男20女15」
「ん?」
「つまり男58、女46のはずなんだよ」
「え?1人違う?」
 
「つまり増田先生は誰か1人男の子を間違って女の子として数えてしまった可能性がある」
「うーん・・・・」
 
「それ誰か分かる」
と隣で話を聞いていた宏恵が言った。
 
「私も分かった!」
と桐絵も言った。
 

1月19日(土).
 
千里はネイビーのドレスとベージュの羽織、逆配色でベージュのドレスに紺の羽織、3cmヒールのベージュのパンプス、黒のパンプス、それに真珠のネックレス(6mm/5mm)を持ち、羽田から新千歳行きの飛行機に乗った。
 
このドレスや先日のRC大賞の授賞式で着たフォーマルなどは全部三越でオーダーして作ったものである。身長が(普通の女性よりは)高い千里の場合、既製服では丈が短くなりすぎるし、それより袖が通らないのである。和服の場合はけっこう既製品でもいけるのだが、洋装の場合はかなり苦労していた。なおオーダーの際は必ず腕の太さを測ってもらう。これを標準サイズで作られるとマジで腕が通らない服になってしまう。
 
身長180cmの玲央美などもフォーマルやアフタヌーンドレスなどは全部オーダーだと言っていた。彼女の場合は、既製服では絶対無理だろう。
 
「女装用品売ってる店にあった服も袖が通らなかったんだよ」
 
と彼女は言っていたが、彼女ならそうだろう。千里の腕でさえ、男子日本代表である貴司より太いが、玲央美の腕は千里より遙かに太い。
 
真珠のネックレスは今日は6mmサイズのもの(購入価格12万円)と5mmのもの(購入価格3万円)を持って来た。先日の授賞式の時は8.5mmサイズのもの(購入価格150万円)をつけていたが、結婚式というのは、とにかく花嫁より目立つものは着けてはいけないので神経を使う。取り敢えず2ランク持って行ったのである。
 

式を挙げる予定のホテル近くにあるファミレスで、保志絵・理歌・淑子の3人と落ち合う。望信は仕事で明日の朝こちらに来るということであったが、その方が気楽だと思った。今の自分と貴司の微妙な関係を説明するのはひじょうに難しい。
 
「服装で迷ったので見て欲しいんですが」
と言って持って来たドレス・羽織のコーディネイト2種類を見せる。
 
「若いし明るいのがいいと思うよ。このベージュのドレスの方がいいんじゃないかな。羽織もベージュのにしよう」
と保志絵が言う。
 
つまりベージュ同士の組み合わせになる。
 
「私はピンクのドレスにダメ出しされて、ライトブルーのドレスになった」
と理歌は言う。
 
「そのあたり難しいよね〜」
 
靴もベージュのパンプスでいいだろうと言われた。
 
「本当は5cmヒールくらいがいいんでしょうけど、背が高くなりすぎると思って3cmヒールを持って来たのですが」
 
「うん、それでいいと思う」
 
真珠のネックレスは2つとも見せたが
「こっちが立派だからこちらにしよう」
と言われ6mmパールの方を着けることにした。
 
「これどちらも本真珠だ」
と淑子が言っている。
 
「貝真珠のもありますよ。これ800円で買ったものですが」
と言って千里は念のため持って来ていたもうひとつのネックレスを見せる。
 
「800円は凄い!」
「私の友人(桃香)など100円の貝真珠ネックレスを持ってますけど」
「100円〜〜〜!?それプラスチックじゃなくて?」
「ええ。見せてもらいましたが、確かに貝パールでした」
「それはまた凄いね」
 

「それでね、千里ちゃん」
「はい」
 
「取り敢えずこの指輪をあげる」
と言って、保志絵は青いジュエリーケースを取り出した。
 
「何でしょう?」
と千里は緊張して尋ねる。
 
保志絵がケースの蓋を開けると白金色の指輪が輝いている。石は付いていない。
 
「まるで結婚指輪のように見えます」
 
「これは私が千里ちゃんのために作った」
と言ったのは淑子であった。
 
千里は驚いて淑子を見る。
 
「今貴司と千里ちゃんの関係が微妙であるのはできるだけ理解しているつもり。だから貴司が作った結婚指輪は今は受け取れないという気持ちも分かる。だけど千里ちゃんは私の孫の嫁だから。私の孫嫁の証として、これを受け取ってくれないかな。このお金は私の年金から出した」
 
千里は涙が出てきてしまった。
 
保志絵が自分に指輪を渡そうとしたのなら、あくまで辞退していたところだが、淑子さんからの贈り物というのでは、断れないじゃん!
 
「分かりました。頂きます」
と千里が言うと
「あ、私が贈るから私が填めてあげるよ」
と言って、淑子が千里の左手薬指にそのプラチナの指輪を填めてくれた。
 
ステンレスの指輪も入るには入ったが、ややきつめであった。こちらは充分なゆとりがある。
 
「ありがとうございます。でもサイズぴったし」
「うん。貴司が作った結婚指輪を持ち込んで、同じサイズで作ってもらったからね」
「なるほどー!」
 

「そうだ。指輪を頂いた御礼に、この3人にだけ特別公開」
と言って、千里は自分の携帯を開くと、フォトフォルダーを開いて、その中の1枚の写真を見せる。
 
3人とも吹き出した。
 
貴司が“あられもない”格好で寝ている写真である。12月26日にホテルで休憩した時に撮影しておいたものだ。
 
「着実に略奪作戦を進めていますから」
と千里が言うと
 
「もう既にほとんど取り返している気がする」
と理歌は言った。
 
「あら?」
と言って保志絵は写真を拡大してスクロールし、貴司の左手の所を見ている。
 
「これもしかして、千里ちゃんが贈ったクロノグラフ?」
「そうなんです。結局、貴司さん、それをずっと着けているみたいで」
「へー!」
 
理歌は腕を組んでいる。
 
「だったら、やはりこの婚約は破棄されていない」
と保志絵は言った。
 

翌1月20日。
 
朝から望信がやってきたが、望信は千里の祝賀会への出席は全く問題無いと言った。
 
「色々聞いたけど、双方が渡した結納金は、現時点でお互いに相手が受け取ったままの状態。今朝貴司と電話で話したのだけど、貴司は千里ちゃんから贈られたクロノグラフを試合中とお風呂に入る時以外はいつも着けているらしい。それは貴司が千里ちゃんを自分の妻と認識していることだと、僕は解釈した。だから、千里ちゃんは現時点でも貴司の婚約者のままだと思う」
 
「千里姉さん、もう“元婚約者”と名乗るのはやめて“婚約者”を堂々と主張しようよ」
と理歌。
「そうしようかな」
と千里。
 
「それに7月以降も貴司と千里ちゃんは度々会っているし、12月22日から29日まではずっと一緒だったって?」
と望信は言う。
 
「まあそんな感じです。貴司さんにとっては、今は阿倍子さんが本命で、私は浮気相手なのかもしれませんけど」
と千里。
 
「でもそういう状態って過去にも何度かあったよね?」
と保志絵が言う。
 
「まあ何度“も”ありましたね」
と千里は苦笑する。
 
「そうそう。何回もあることが兄貴の問題点」
と理歌が投げ遣り気味に言う。
 
「それと今年の貴司の年賀状も千里さんの字だった」
と淑子が言う。
 
「まあ毎年のことですし」
と千里。
 
「それで僕も、だったら、千里ちゃんをお前の奥さんとして結婚式に出してもいいよね?と電話で貴司に再確認したら、何かごにゃごにゃ言ってたけど、YESかNOかと言われたらYESだと貴司も言った」
 
「そうですか」
と言って千里は少し涙腺が潤う思いだった。
 
「ということだから、今日は堂々と“細川千里”として出てよ」
とお父さん。
 
「分かりました。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
と千里は言った。
 
「はい、よろしくね」
と保志絵も笑顔で答えた。
 

午前中にホテル内の神殿で結婚式が挙げられたが、ここは狭いので千里たち、いとこは遠慮して、おじ・おばだけが列席した。
 
12:00から祝賀会が始まる。
 
ここには新郎新婦の友人のほか、新郎の親戚と新婦の親戚がいる。新婦の親戚は新婦の母の細川系と、新婦の父の布施系がいるわけだが、千里は細川系の親戚とはみな顔見知りなので、
 
「あら、今回は貴司さんは欠席?」
とか
「そちら赤ちゃんはまだ?」
などと言われ、年の比較的近い西紀ちゃん(4学年上だが既に2児のママ)や中高生の杏梨・桜花姉妹などとは、理歌とともに、かなり長時間おしゃべりをしていた。
 
思えば千里は高校3年生の時以来ずっと親戚の集まりに貴司の妻として出席しているのである。昨日淑子からもらった時は、ほんとにこれ着けてていいのかなぁと不安だった白金色のマリッジリングも、当然着けていていいという気分になってきた。
 

1月21日(月).
 
貴司は桃山台でのMM化学の練習を終えてから取り敢えずトイレに行った。ちんちんが無いのにも随分慣れてきはしたものの、少しため息を付く。
 
貴司は“事情あって”他の選手と一緒には着換えられないので、汗を掻いたままのジャージで、そのままみんなに
「お疲れ様」と言って、体育館を出る。
 
ところが体育館を出た所に千里がいるのでびっくりする。
 
「お、今日は奥さんがお出迎えか」
と近くに居たチームメイトたちから言われる。
 
「奥さん、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
と千里はにこやかに応じる。
 
「今日は私が貴司を市川町まで送っていくよ。後部座席で寝てて」
「うん」
 

千里はA4 Avantを持って来ていた。千里に言われたように後部座席に乗り込むと札幌のホテルの名前が入った袋がある。
 
「あ、美沙ちゃんの結婚式のか」
「そうそう。引き出物のケーキを持って来た」
「ありがとう」
「そこに貴司の分の領収書も入っているから」
「ああ。僕の名前でも受付したのね」
「うん。会費は私が立て替えておいたから後で精算」
「了解」
「お料理は理歌ちゃんが貴司の分まで食べていたから」
「OKOK」
 
「貴司汗掻いたままみたい。外は暗いし、着換えるといいよ」
 
と千里は言うが、千里に女のようになっている身体は見られたくない。でも遠慮するのも変なので、貴司は運転席の真後ろに行き、千里から見られないようにして服を脱いだ。
 
すると身体が男に戻っている!
 
これってもしかして千里と会うと男に戻って、千里から離れると女になるの!?
 

運転しながら唐突に千里が言った。
 
「あれ?貴司もしかしてブラジャーしてる?」
 
嘘!?この角度で見えるのか?
 
「あ、うん。してると身体が引き締められる感じでいいんだよ」
「まあいいよ。阿倍子さんのブラじゃないのね?」
「他の人のブラを着ける趣味は無いよ!」
「私のブラは着けてるくせに」
「うっ・・・」
 
「まあ阿倍子さんのでなければいいや。自分で買ったの?」
「うん。スポーツブラの方がいいみたいだから、スポーツ用品店で買った」
「へー。まあ自分で買うには無害だからいいよ」
「うん」
 
「でも貴司、何サイズのブラつけてんの?」
「えっと・・・C100かな」
「すごーい!そんなサイズのが存在するんだ?。貴司、私のブラサイズは知っているよね?」
「え?D70だよね?」
「おぉ、さすがいつも私のブラをくすねているだけのことはある」
「えっと・・・」
「阿倍子さんのサイズは?」
「え?」
貴司は考えてみたが、そもそも阿倍子の下着姿なども見たことがない。
 
「ごめーん。分からないや」
「彼女のブラはくすねてないの?」
「そんなことしないよ!」
「ふーん・・・」
 
千里はその答えを聞いて少し楽しい気分だった。
 

千里は寝ておくといいと言っていたのだが、貴司は結局市川に着くまでの間、ずっと千里とおしゃべりをしていた。
 
市川ラボでは
「外は寒いから体育館で見学するか、僕の居室で待ってて」
と言うと
「じゃ居室で待っている」
ということだった。
 
それで千里を居室に置いて体育館のある2階に登ろうとしたら、唐突に身体が女体化する。
 
うっ・・・。
 
結局慌ててトイレ(むろん女子トイレ)に飛び込み、スポーツブラを着けた。
 
この市川ラボでは貴司は女子選手ということになっているので、男子トイレを使おうとすると叱られる。そもそも男子トイレは個室が1つしか無いので、個室でしかおしっこできない貴司は女子トイレを使った方が合理的でもある。
 

なおこの日貴司は練習中はずっと女体だったが、練習が終わり、居室に戻ると男の身体になっていた。千里が
「お疲れ様」
と言って笑顔で迎えてくれるのでドキッとする。
 
千里はベッドで仮眠していたようである。
 
貴司はシャワーを浴び、着換えてから、ベッドに並んで座りおしゃべりをする。千里はけっこう貴司に触ってくる。しかし千里は絶対に貴司を逝かせてくれないし、それどころかなぜか勃起もしないので、また悶々とすることになる。勃起しないので千里は「あれ〜。このくらいでは気持ち良くない?」などと言って、かなり激しく触る。おかげで脳の血管が切れそうな気分になる。
 
(勃起しないのは、理歌と玲羅が掛けた呪いによる)
 
結局悶々としたまま3時頃に疲れ果てて眠ったが、起きたら千里が添い寝してくれていたので、感激した。
 
千里は冷蔵庫に入っている食材で朝御飯を作ってくれたので一緒に食べる。そしてまたA4 Avantで大阪まで送ってもらった。千里が「まだ寝不足の筈だから寝ていた方がいい」というので、帰りの車の中では貴司はずっと寝ていた。
 
貴司の身体は千里の車に乗っていた間はずっと男のままだったが、千里が会社の近くでおろしてくれ、その車を見送って、その姿が小さくなり、見えなくなった頃、貴司はまた女体に戻った。貴司はため息をついて会社の(男子)トイレの個室でスポーツブラを着けた。
 
こうして婚約破棄後2度目のデートは終了した。次のデート予定は2月17日である。
 
 
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【娘たちの振り返るといるよ】(4)