【娘たちの振り返るといるよ】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-10-19
2013年の1月、貴司の妹・理歌、千里の妹・玲羅が成人式を迎える。2人とも現在札幌付近(*1)の大学に通っていて住民票は札幌に移しているのだが、留萌では成人式を成人の日(今年は1月14日)ではなく前日の13日にすることで、旭川や札幌に出て行った子たちがこちらにも出席しやすいようにしている。
実際、保志絵が理歌本人に訊いてみたら、せっかくだから両方出席するということだった。12日に留萌に戻ってきて、13日に朝から髪をセットして着付けをしてもらう。そして留萌の成人式に出席した後、髪を崩さないように寝て、翌日は札幌市の成人式に出席するのである。
なお振袖はゴールデンウィークに、セット価格80万円のものを買ったのだが、父が10万と淑子が10万出してくれて、貴司に「可愛い妹のために少し寄付しなさい」と言ったら30万送金してきたので(*2)、残り30万円は本人負担とした。理歌は札幌の大学に入ってから少しずつ積み立てして22万円ほどの貯金ができていたので、それを全使用し、残りは「2012年内のバイト代で払う」ということにして、購入時には保志絵が出しておいた。
(*1)理歌が通う大学は札幌市北区にあり、理歌は大学から歩いて10分のアパートに住んでいる。玲羅が通う大学は札幌市の隣の江別市にあるが、玲羅は札幌市厚別区のアパートに住んでおり、大学まで1.4kmの距離を自転車で通学している。それで“札幌の女子大生”を自称しているが《札幌市内に住む女子の大学生》というのは間違い無い。しかし積雪している日は雪上を20分ほど歩くことになる。
(*2)当時貴司は千里への婚約指輪を買ったばかりでお金が無かったのでこの時は千里から30万借りて送金している。この30万円の処理については後述。
さて、玲羅も成人式である。玲羅の振袖について、母・津気子は2012年8月になって、千里に電話して訊いた。
「お金も無いし、あんたが2年前に着た振袖を貸してくれないかなあ」
すると千里は言った。
「振袖を貸すのは構わないけど、振袖って未婚女子の第1礼装だから、1着は持っていていいものだし作るといいよ。今からなら注文してギリギリ間に合うはず。お金は出してあげるからさ」
「でもあんた性転換手術したばかりでお金が無いのでは?」
「それは心配しないで」
それで直接玲羅と電話で話した所、結局千里が振袖を作った店で自分も作ろうかなぁということだったので、8月18日(土)に東京で会うことにした。
千里は性転換手術のあと高岡で療養中だったのだが、8月18日(土)、上越新幹線+特急《はくたか》で東京に出た。実はこの日は青葉も合唱の大会で前日から東京に行っているのだが、千里は青葉には会っていないし、青葉は千里が東京に出て来たこと自体知らない。一方玲羅は、急行《はまなす》+東北新幹線で東京に出てきた。
渋谷駅の改札口で落ち合う。
「手術の傷はまだ痛い?」
と玲羅から訊かれる。
「少しは楽になったかな」
「でも姉貴、実際問題として何の手術受けたのさ?性転換手術なんて、とっくの昔に終わっていたのに」
「うーん。それがどうもよく分からないのよね。死ぬかと思ったけど」
「本人も分からないのか。まあ死ななくて良かったね」
それで一緒に坂を少し昇って、例の呉服店に行く。予め電話していたこともあり、千里の振袖を作った時に見てくれた鈴木さんが
「いらっしゃい」
と歓迎してくれ、まずはお茶とお菓子など頂く。そして和服の“格”の話や製作技法などのお話を聞く。
それで一息ついたところで、取り敢えず浴衣を何枚か試着してみて、どういう系統の色合いや模様などが似合いそうかという見当をつける。
それから玲羅の全身写真・動画を撮影し、シミュレーターで似合いそうな服を選ぶ。この操作は玲羅が自分でした(千里はさっぱり分からない)。
生地が既に存在し、12月上旬までには仕立て上がるもので、セット価格ベースで予算90万円以内ということで、玲羅が絞り込んでいった結果、古典的な柄の藤色ベースの“友禅風”振袖にしようということになった。お値段はセット価格74万円で、消費税を入れると799,200円となる。
「税金が6万円もあるなんて!」
と玲羅が言っている。
「まあ高いよね。1億円の家を買うと消費税は800万円だよ」
と千里が言うと
「税金払うのに20年ローンが必要だ」
と玲羅は言っていた。
代金は千里が即お店の口座に振り込んだ。例によって現金で頂いたので浴衣か街着をプレゼントしますよと言われたが、もうさすがに北海道では寒くて浴衣は着られないので、街着を1着もらうことにした。
「街着の着方は優芽子おばちゃんあたりに習うといいよ」
「ああ。うちのお母ちゃんは怪しそうだもんね」
この振袖は11月に出来上がったという連絡があったので、玲羅自身で東京まで取りにきた。その場で着付けして記念写真も撮ってもらった。玲羅は東京に出てきたついでにサックスを買いたいと言った。
「どんなの買うの?」
「あまりお金無いし、ポールモーリアとかでもいいけどなあ」
「さすがにもう少しまともなメーカーのを買おう。予算はどのくらいまでいいの?」
「この振袖を買おうと思って15万貯金してたからその予算でと思って」
「ポールモーリアに興味あるのなら、カドソンは?ポールモーリアはカドソンと同じ工場で作られているんだよ。ただ調整されていないだけ」
台湾製の中でも品質に定評があるブランド(カドソンやイオなど)は、一般に台湾の工場に生産を依頼した発売元が、きちんと専門家の手で調整して販売している。この調整を経ていない楽器は、まずまともに鳴らない。
「カドソンはとっても高い気がする」
「だったらいっそヤマハの安いの買った方がいいかもね。一番安いのは14万だよ」
「そんなに安いのあったっけ!?」
それで台湾製のサックスも扱っている楽器店に行き、いくつか試奏もさせてもらったが、やはり台湾製のは、安いのはどうにもならない感じで、良いのはそれなりに高い!
「確かにこれなら姉貴の言うとおりヤマハがマシかも知れない気がしてきた」
それで結局YAS-280(14万), YAS-380(18万), YAS-480(23万)あたりかなという話になる。
380と480の最も大きな違いは、480はネックが交換可能であること。つまり、もっと上位のモデルを買いたいけど予算が・・・という場合、ネックだけ良いものに交換すると、音がグレードアップするのである。380はそれができない。
280の場合は省略できる部品をギリギリまで省略して品質をできるだけ落とさない範囲でローコスト化したものである。基本的にはサックス始めたいけど、続けられるかどうか分からないし、最初からあまり高い楽器は・・・というレベルの初心者用である。
「試奏を聞いた限りでは、玲羅の演奏はもうYAS-280のキャパシティを越えていると思う。280はやはり初心者でも何とか鳴る、という楽器だよ」
と千里は言った。
「じゃ380か480かな。でも予算が15万しかない」
「玲羅さ、さっき私が今回の交通費宿泊費にと渡した5万をこれに転用して今回の交通費は自分でクレカで払っておいたら?」
「あはは。実はクレカのリボ払いで払ってしまった」
実は8月に東京に来た時に千里からもらった交通費も他に転用してリボ払いにしたので、リボの残高が増えている。
「だったら20万投入できるね」
「それなら380を買っちゃおうかなぁ」
「そこで頑張って480を買っちゃう」
「え〜〜〜!?」
「そのクレカ限度額は?」
「50万円」
「だったら支払いまでに残り3万頑張ってバイトで稼ぐ」
「うーん・・・」
ここで23万リボ払いすると、ほぼリボ残高が限度額天井に張り付きそうである!バイト頑張らないとやばいなあと玲羅は思う。
「成人式のお祝いをもらったら、それも投入するとか」
と千里が言う。
「あ!それなら行けそうな気がした。姉貴、成人式のお祝いで3万くらいくれないよね?」
「それはさすがに1万で勘弁」
「じゃ残り2万バイトで頑張ろう」
「よしよし」
そういう訳で玲羅はYamaha YAS-480(23万円)を買ったのである。
9-11月の3ヶ月掛けて書き12月上旬に提出した論文(桃香が10ページ、千里が16ページと、どうかした卒論に近い分量の論文になった)、そしてその後おこなわれた面接で、千里も桃香も4月から大学院に入ることができることになった。それで結局桃香と千里の西千葉駅近くのアパートでの共同生活(千里的見解)も継続されることになった。
このアパートは桃香が契約者で家賃の半分は千里が払っているのだが、実際には千里は葛西のマンションにいることの方が多いし、桃香も誰かガールフレンドのアパートに泊まっていることが多い。実態としてここは数物科・生物科の女子たちの宿泊所である!
季里子との結婚生活を無理矢理別れさせられて落ち込んでいた桃香も秋に一時期千里と結婚し、しかしすぐに破談になった後、結局元々レズっ気のある女子2人とほぼ並行して付き合っているようである。
「季里子ちゃん、妊娠したらしいね」
とその日美緒は千里や朱音の前で言った。
「そうか。とうとう桃香も父親か」
と朱音が言う。
「父親は季里子ちゃんの今の旦那のはず」
と美緒。
「いや分からない」
「うん。どう見ても、桃香は時々季里子ちゃんと密会している」
と朱音。
へー!と千里は思った。
「桃香の元恋人の女の子から聞いた話だけど、季里子ちゃんは基本がビアンだから、男の人とのセックスでは全く快感を感じられないらしい。むしろ不快でしかないって。だから密かに桃香と会って性欲の補償をしているようだ」
桃香らしいなあと千里は思うが、それは阿倍子と結婚することにした貴司と自分が密会したのと似たようなものかも知れない気もした。
「そういうことなら、季里子ちゃんのお腹の中の子供の父親は桃香かもね」
と美緒。
「ね?あり得るよね?」
と朱音。
「でも精子あるんだっけ?」
「ちんちんあるから、精子もあるのでは?」
と美緒。美緒は実は一度桃香とセックスしたことがあるらしい。桃香が例によって夜中に寝ぼけて美緒を襲おうとしたら、美緒は逆に「しようしよう」と言って、やっちゃったという。
「ちんちんは私が2回切り落としたけどね」
と朱音。
「私も桃香のちんちん1回切り落としたよ」
と千里。
「何度切り落とされても、また生えてくるって凄いちんちんだ」
と美緒は言った。
「え?またちんちん生えて来たの?」
病院のロビーで永野夕子に会った長野龍虎は驚いて言った。
「参っちゃったよ。だから、またおちんちん切ってもらったの」
と夕子は言う。
永野夕子は普通の女の子だったはずが、昨年、クリちゃんが急に大きくなりはじめ、まるでおちんちんのようになってしまったので、それを今年の夏に手術して切ってもらったのである。ところがまた大きくなってきたので再度切ってもらったらしい。
「おちんちんを2回切る人は珍しいって、うちのお母ちゃんは笑ってたけど」
「それ全然笑い事じゃない気がするんだけど」
と龍虎は言う。
龍虎は今年も12月25日から30日まで恒例の検査入院をしていたのだが、そこで彼女と会ったのである。
「先生からマジで、いっそ男の子になりたい気は無いか?と聞かれた」
「でも夕子ちゃんは、自分は女の子だと思っているんでしょ?」
「うん。私もそう言った」
「心が女の子なんだから、身体だけ男になっても、男として生きていけないと思うよ」
と龍虎は言った。
でも自分は・・・・自分は男でいいんだっけ?と龍虎は自分の性別に関しては若干の疑念がある。
「うん。マジでお母ちゃん・お父ちゃんとも話し合ったけど、私は女の子なんだから、女の子の身体で居たいといって、それでちゃんと、おちんちん切ってもらったんだよ」
「それでいいと思うよ」
「今回は根っこから切ったからもう生えてくることは無いだろうと言われた」
「それ少し惜しいと思わなかった?」
「それ内緒」
と言って夕子が笑うので龍虎も釣られて笑った。
「龍虎ちゃん、突然おちんちん生えて来たらどうする?」
「悩んじゃうかも」
「だよね〜。私もけっこう悩んだけど、私は男にはなれない気がする」
「夕子ちゃん、女の子らしいもん」
「龍虎ちゃんも女の子らしいよ」
と夕子から言われて、龍虎はドキドキしていた。
ちなみに夕子は龍虎のことを女の子だと思い込んでいる。
さて、龍虎自身のおちんちんであるが、3年生の12月に4.2cmと言われていたのが4年生の12月には4.1cm, 3月には4cm, そして8月には3.4cmと言われたものの、ここで誤って女性ホルモン剤が渡されていたことが判明し、それを中止したら9月には3.8cmといわれ、わずか1ヶ月で4mm伸びていた。
「やはりもうすぐ思春期が始まるから、睾丸の働きが活発化しているんですよ。それで女性ホルモンの服用中止で男性ホルモンがしっかり働くようになったんですね」
と先生は言っていた。
龍虎はそれを何か寂しく感じていた。男になりたくないわけではないし、女になる気は無いものの、このまま男になってしまうのには違和感あるいは不快感のようなものも感じていた。それに・・・
ボクが男になってしまったら、彩佳たちとも今みたいに付き合えないかも知れないなあ。
小学1〜2年生では男女のへだてなく付き合っていても、5〜6年生になると男女それぞれ別れて遊ぶことが多くなる。しかし龍虎は“成長が遅い”こともあり、むしろ女の子の友人の方が多い状態で、ここまでは来ている。
むしろ男子でわりと気軽に話せるのは西山君くらいだ。
彼は男女両方の友人が多い。いわゆる女子に“警戒されない”タイプの子である。
今回の入院検査でも、血液や尿を取られて様々な検査をされるし、MRIで全身をくまなく検査される。撮影した映像は目視だけでなく人工知能でも腫瘍っぽいものが無いかチェックするらしいが、今回も腫瘍再発の兆候は無いことが確認された。
「手術してから4年5ヶ月だからね。それで再発の兆候は全く無いから、もうほぼ治癒とみなしていいだろうね」
と主治医の加藤先生は言った上で
「念のため来年の今の時期にも徹底的な検査をしましょうか。それで大丈夫なら、後は年に1度の簡単な経過観察だけということで」
と言った。
「ありがとうございます。制癌剤ももう3年ほど飲んでないですしね」
と長野支香は言う。
「そうそう。それを止めて様子を見ていても全く問題ないようだから、ほんとに治ったんだと思いますよ」
龍虎の身体の成長についても加藤先生は言った。
「やはり幼稚園から小学1年の掛けての時期に本当に身体が弱っていたから、身体が成長に使うはずだったエネルギーを病気と闘うために使っていたんだと思います。それで同じ年齢の他の子に比べたら2〜3年成長が遅れているけど、これから身長も伸びて、たぶん中学に入る頃には思春期も来ると思いますよ」
「この子、たぶん肉体的には小学3年生くらいですよね?」
「今身長と体重は・・・」
と言って加藤先生はカルテを画面で確認している。
「126cm, 26kgか。。。。これは小学2年生くらいかな」
「でも去年よりは増えているよね?」
「去年の12月は・・・123cm, 21kgだから、順調に伸びていますね」
「だったら問題無いですね」
「ええ。男の子は思春期に入って少ししたあたりで身長も体重も増えますから」
と言ってから加藤先生は
「おちんちんも長くなるよ」
と付け加えた。
「そのおちんちんの長さも少し心配していたのですけど」
と支香は言う。龍虎はギクッとする。
「8月には3.4cmまで縮んでいたようですが、9月に3.8cm, 今回の計測では4.4cm。やはり急速に成長しはじめたようですね」
と加藤は言った。
「4ヶ月で1cm伸びてますから、この調子でいけば、来年の12月には6-7cmになるかもね」
「そのくらいあれば、結構普通ですよね?」
「だと思います。小学3年生くらいで平均6cmですよ」
龍虎はおちんちんが急速に大きくなると言われて不安になったものの、小学3年生程度なら、まだいいかと思った。
おちんちんが無くなったり、あまりにも短くなりすぎて全部皮膚の中に埋もれている(去年の夏はそれに近かった)とかいうのは困るけど、あまり大きくもなって欲しくない気分だ。また“あのお薬”少し飲んじゃおうかなあ、などと龍虎は考えていた。
「お薬飲む手もあるけどね」
と青池さんは言った。
「どうやったら、もっと強くなれるんでしょうね」
と束の間の休憩時間に貴司は、青池さんに尋ねた時、彼女(彼?)は最初にそう言ったのである。
「お薬というと?」
「筋肉増強剤とか、覚醒剤とか、興奮剤とか」
「ドーピング違反ですよ!」
「覚醒剤って凄いよ。反射神経が20-30倍になるから」
「えっと・・・」
「それでベトコンのMig-17を駆ってアメリカのF4を6機まとめて撃墜したことある」
「あのぉ・・・青池さんっておいくつでしたっけ?」
「まあ副作用が辛いから、もう40年くらいやってないけど」
「しない方がいいと思いまーす」
ほんとにこの人何歳なんだ!?
「他には女子選手には男性ホルモン飲む奴もいる」
「それ生理が乱れたりするのでは?それも女子の場合、ドーピングですよね?」
「うん。男性ホルモン濃度が高い場合は、女子としての出場を拒否されるから、ちんちん取り付ける手術して男子の方に出ないといけない」
「えーっと・・・」
なんかこの人の話はどこからがジョークでどこまでがマジか分からないなあと貴司は思う。
「細川さん、ちんちん欲しい?」
「あれば便利だと思いますが」
「うん。あれは便利らしいね」
便利らしいね、と言うということは、やはり青池さん、女性なのかな?
「ちんちん取り付ける場合は、ちんちん要らないという男からぶんどる。最近、要らないという男が増えてるから、供給源はたくさんある」
「確かにそれはたくさんあるかも知れませんが・・・」
「まあでも女子のまま頑張りたいなら、ホルモンもちんちんもやめといた方がいい」
「取り敢えずやめときます」
「お薬使わないのなら、その分を練習でカバーするしかないね」
と青池さんは言う。
「その方がいいですー」
「見た所、細川さんはやはり下半身の筋力不足なんだよね」
「下半身ですか?」
「女性アスリートは概して下半身の方が上半身より筋肉が付きやすいんだけど、細川さんの筋肉は上半身が凄く発達しているのに、それに比べて下半身が弱い」
それは・・・自分が男だからかもという気がした。
「だから下半身を鍛えることによって、細川さんは進化すると思う。それで南田は毎日5kmのジョギングを課したんだよ」
「あのぉ、あれ男子の選手はマジで30km走っているんですか?」
「ああ、だいたいみんなサボってる。30kmも走ったら、その後とても足が動かないよ。せいぜい10km程度だよ」
「それ聞いて安心しました!」
と言いながら、10kmでもかなり凄いぞと貴司は思う。
「でも南田兄弟だけは別」
と青池さんが言うと、貴司も顔が引き締まる。
「あの2人は毎日40km走ってる」
「40〜〜〜!?」
それってマラソンの距離じゃんと思う。
「あいつらは足が速いから、40kmは2時間掛からない」
「ひぇ〜〜〜!」
「まあ、その後30分くらい休憩した後でふつうにバスケできるあいつらは化け物じゃないかという気がするね」
「いや、それは本当に凄いです」
なんかこの集団ってオリンピック上位レベルじゃないの?と貴司は思った。
2013年1月20日(日).
貴司たちMM化学のバスケットチームは今季リーグ戦の最終戦で、AL電機と激突した。ここまで両者ともに6勝0敗で、この試合を制した方がリーグ優勝である。
試合はかなり競った状態で進行するが、貴司のプレイは相手チームだけでなく、味方の選手にも驚かれるほどであった。
貴司は10月8日以来、ずっと市川ラボで市川ドラゴンズのメンバーと練習をしており、“背番号”も10から9に昇格している。貴司自身、自分のプレイにかなり自信を持てるようになっていた。
むろん“お薬”は飲んでない!
最後は1点ビハインドの場面からシュートしようとした所を相手に止められたが、これが相手ファウルとなり、フリースローとなる。
貴司はこれを2本ともきっちり決めて、逆転勝利。そしてMM化学の初優勝が決まった。
試合終了後の打ち上げの場で、キャプテンの藤元は今期限りで退部することを表明、次のキャプテンには年長の石原を指名した。本当は貴司を指名してもよかったところだが(実際次のキャプテンは貴司だろうと思っていたメンバーが多かったようである)、キャプテンになってしまうと辞めにくいだろうということから、敢えて回避したのである。
貴司自身もリーグ戦に区切りがついたので、藤元にも言われたように、プロチーム巡りをしようかなと思っていた。
さて。。。。
貴司たちが今季リーグ最終戦をおこなった1月20日は友引であった。そしてこの日、貴司の従妹・布施美沙(23)が札幌市内のホテルで結婚式を挙げることになっていた。
祝賀会については発起人を頼まず、自分でコーディネイトしたいと美沙は宣言した。美沙は自分のことは自分でコントロールをしたい性格なので、発起人が色々勝手な段取りや演出をすることを好まない。
それで基本的には美沙と新郎の原田さんの2人で色々な手配をした。単純な作業だけは親友の佐津紀と、美沙の長兄で優しい暢彦が手伝ってくれた。
暢彦は人の気持ちを読むのがうまく、こちらの希望をそのまま活かして作業し、よけいな口を挟まない性格である。勝ち気な美沙とは小さい頃、よく男女逆ならよかったのにとも言われていた。美沙は実際問題として暢彦の性別に疑惑を感じている。暢彦が女の子になりたいと言い出しても美沙は驚かない。友人も女性の友人の方が多いみたいだし。でもそういう優しい性格なので美沙は暢彦を信頼していたし、また次兄の武彦より話しやすいと思っていた。
結婚式・祝賀会の案内状については、少し悩んだものの、親戚は(多少の欠席者が出ることを想定した上で)いとこレベルまで送ることにし、母系統の親戚は母に、父系統の親戚は父に、リストアップと案内状発送を依頼した。
美沙の母・晴子はリストを考えている内に美沙のいとこの中で、誰が結婚していて誰が結婚していないか、結婚している場合、配偶者の名前は?というのが分からなくなってしまったので、案内状は個別の名前までは書かずに、各々10枚印刷同封して次の単位でまとめて送った。
(礼文)芳朗とその子の和雄・朝司・梨菜
(網走)洋造とその子の英世・独歩・西紀
(留萌)淑子、望信とその子の貴司・理歌・美姫
(枝幸)麗子とその子の杏梨・桜花
そして「各配偶者さま共々ぜひおいで下さい」と書いておいたのである!
ちなみに従姪・従甥クラスで最年長はたぶん芳朗の長男・和雄の子供で2004年生だったはずなので、その子が8歳だから、案内状が必要な人はいないはずである。
発送したのが11月上旬である。
案内状を受け取った(望信の妻)保志絵は悩んだ。自分と望信は出席でよい。淑子はその時点で体調が良ければ同伴することにする。美姫は受験生でセンター試験の当日なので欠席である。理歌は電話してみたら「美沙ちゃん?行く行く」と言っていたので問題無い。
問題が大いにあるのが貴司であった。保志絵としては貴司が結婚すると言っている篠田阿倍子は嫁として認めない方針なので、本来なら婚約者を連れて出席してもらってもいいのだが、貴司に
《1月20日に美沙ちゃんが結婚式をあげるけど貴司1人で出席する?》
とメールしてみた。すると意外にも
《その日は大阪実業団リーグ戦の最終戦があるから出られない》
という返事が来たのである。結果的には阿倍子が貴司の嫁として美沙の結婚式に出席するという事態は無くなったので、それでよしとした。
ところで千里と貴司は2012年12月22日の夜は朝まで一緒に大阪Nホテルで過ごすことになったのだが、この時貴司は「5月に借りた30万を返したい」と言った。
「なんだっけ?」
「理歌の振袖を作る時に借りた30万だよ」
「忘れてた!」
貴司は5月に母から「可愛い妹のために振袖代を寄付してあげて」と言われたものの、その時は千里に婚約指輪を贈ったばかりで全くお金が無かった。それで千里に相談すると、理歌ちゃんのためならというので千里は30万貸してくれたので、貴司はそれを母に送金しておいた。
貴司は、そのことがずっと気になっていたものの、千里と会う機会がなく、返せずにいた。それを今返したいというのである。
それで22日20時頃、遅めの夕食を食べに出た際、近くの三菱UFJ銀行のATMに寄り、30万円おろして銀行の封筒で千里に渡した。
千里はATMの前まで同行したのだが、銀行の封筒をもうひとつ取り、渡された30万円の半分15万円を片方の封筒に入れ、
「理歌ちゃんは私にとっても妹だから半々負担にしようよ」
と提案して、貴司に渡した。
それで貴司もそれを了承してその封筒を受け取った。つまり理歌の振袖には結局、貴司と千里が15万ずつ出したことになる。
それで近くのレストランでコース料理を食べていたら、ちょうどそこに偶然にも貴司の上司である高倉部長が来るので貴司は仰天する。思わず食べていた海老が喉に詰まってむせそうになる。
「こんにちは、部長」
と顔見知りの千里が笑顔で挨拶する。
「やあ、デートを邪魔したかな」
と部長も笑顔である。
「大丈夫ですよ。取り敢えず月曜までは一緒なので充分時間はありますから」
と千里。
「ああ。連休中デートするのね。どこか遠出するの?」
と部長が訊くので
「広島までウィンターカップを見に行ってくるんです」
と千里は答える。
「ああ、それはいいね!」
と言ってから部長は考えるようにする。
「でもウィンターカップって、いつからいつまでだっけ?」
「明日から29日までですよ」
「25日まででいいの?」
「折角の新婚旅行だから、お休み取れないの?と訊いたら仕事があるからと言うし」
と千里が言うと、部長が驚いている。
「君たち結婚したの!?」
「はい」
と言って千里が左手を見せる。薬指に金色の指輪が輝いている。
いつの間に着けた!?と貴司が驚くが、部長も驚いて
「結婚したのなら、言いなさい。それに式にも呼んで欲しかったなあ」
と貴司に言う。貴司はどう答えたらいいか焦っている。
「でも結婚式は挙げなかったんですよ」
と千里が言うと。
「ああ、最近はそういう人達も多いよね」
と部長は納得したようである。
「そうそう。細川さんからはこれも頂いているんですよね〜」
と言って千里はバッグの中から青いジュエリーケースを出すと、アクアマリンの指輪を出し、わざわざ内側の<< Takashi to Chisato Love Forever >>という刻印を部長に見せてから、左手薬指に重ねてはめた。
「それで私が指輪のお返しに贈ったのが細川がいつも填めているそのクロノグラフなんですよ」
と千里は言う。
「ああ。それは7月頃から、いつも填めてるね」
と部長。
このクロノグラフは7月6日に貴司がいったん千里に返したのだが、千里はショックで茫然自失状態だったので返されたことを認識していない。そして千里の眷属たちが《保護観察用》と称して、貴司の腕につけてしまった。これはお風呂に入る時とバスケをする時以外、貴司が外そうとしても外れない!更にお風呂からあがった後、バスケをした後、勝手に貴司の腕についてしまう!しかしそういう事情を千里は知らず、貴司の自分への気持ちなのだと解釈している。
高倉部長は頷いていたが、やがて言った。
「でも結婚したのなら、今年いっぱいお休みにするから、最後までウィンターカップを見ておいでよ」
「わぁ、ほんとにいいんですか?」
と千里は喜んでいる。
「うんうん。船越監督には言っておくよ。もみじ饅頭のお土産、部のみんなとチームのみんなによろしくね」
と高倉部長は笑顔で言った。
「貴司よかったね。これで決勝戦まで見られるね」
と千里は部長が向こうの席に行ってから言った。
「男子決勝戦のチケットは?」
「コネで何とかする」
「すごーい。でも千里その金の指輪は?」
「いつも携帯に付けている指輪だよ」
「あっ・・・」
「ちゃんと各々の指に入るサイズで作ったからね」
千里と貴司が各々の携帯に取り付けている金色のリングは、初代のものは2007年1月に理歌と美姫からプレゼントされたもので真鍮製だったが、2010年1月に酸化発色ステンレスのものに交換している。その時、お互いの指にちゃんと入るサイズで作った。
この指輪のサイズを計測したのは2011.1.23だが、千里の体内時計は2011.5.21であった。これは性転換手術から(体内時計で)既に3年半が経っており、高2〜高3のインターハイやウィンターカップ、U18アジア選手権、U19世界選手権まで経験した身体である。
この日、2012.12.22は体内時計では2014.7.6で指輪を作ってから3年ほど経っているが、3年前に千里の基本的な身体作りはほぼ完了した状態であった。そして当時少し余裕を持ったサイズで指輪を作っていたこともあり、今でもそれが左手薬指に入ったのである。
「貴司はその指輪入る?」
「待って」
と言って携帯から取り外して入れてみる。
「入った!」
「偉い偉い。ちゃんと節制していたね」
もっとも千里は3年半経っていても貴司は2年弱しか経っていない。
「ここの所のハードな練習のせいかも」
「ハードな練習って、最近MM化学の練習激しいの?」
「いやチームの練習は相変わらずぬるい。でもここ1月半ほど、ある場所に通っているんだよ」
「ある場所って風俗?」
「僕は風俗とか行かないよ!」
まあ確かにそういうのが好きじゃないみたいだよな、と千里は思う。でも浮気のしすぎ!
貴司はまず9月に日本代表の合宿の合間に、短期間だけ大阪まで往復するのもかえって辛いなと思っていた時、水流先輩に会ったこと。先輩に誘われて常総市の体育館に行き、“女装ビーツ”というチームの人たちと一緒に練習したこと。そのお陰でアジアカップを戦えたことを語る。
千里はその話を聞いていなかったので、背後にジロッと視線をやりながら聞いていた。《こうちゃん》が逃げようとするのを視線で制する。《びゃくちゃん》はバツが悪そうな顔をしている。
更に貴司は語る。
アジアカップの後で、急に千里の顔が見たくなって千葉まで行ってしまったが、結局会えなかったこと。その帰り、ふと思い立って常総市の体育館に寄ってみたら、女装ビーツのメンバーの白鳥さんという女性が居て、関西方面に住んでいるのなら、こちらに顔を出してみないかと言われ、兵庫県市川町の体育館で夜間に練習している市川ドラゴンズというチームを紹介してもらったこと。そしてその練習メンバーに入れてもらったこと。その市川ドラゴンズの練習が物凄くきついものの物凄くレベルが高く、最初の一週間だけでもかなりレベルアップして近畿実業団選手権で5位になり、2月の全日本実業団選手権に出場できるようになったことを語った。
「今は1月20日に行われる大阪リーグの最終戦でAL電機を倒すべく日々の練習に励んでいるんだよ」
と貴司は言った。
千里は話を聞きながら疑問を感じていた。
あの練習嫌いで浮気性の貴司がそんなにストイックにバスケのみに専念しているって何か変だ。
千里はいきなり貴司のお股に手をやった。
「わっ」
「付いてるな」
「なんで〜?」
「いや、貴司がそんなにストイックになったって、ひょっとして貴司、去勢でもしたんじゃないかと思ったけど、付いてるなと思って」
ギクッとする。千里勘が良すぎ。でも俺ってもしかして去勢した方がバスケがよくできるようになるとか?
「千里〜。触るならついでに逝かせて〜」
と言ってみたが
「それは阿倍子さんと別れてから言って」
と言われた。
しかし千里は言った。
「そんなにハイレベルな所があるなら、貴司そこで毎日練習すべきだと思う。せっかくの新婚旅行だもん。貴司、日中はウィンターカップ観戦で若い人の熱気を感じて、夜間は自分の練習、ということでいいんじゃない?」
「両方同時進行なの〜?」
「そのくらい頑張りたいんでしょ?」
貴司は考えた。
「そうだね。年末年始ちょっと頑張ろうかな」
千里は《こうちゃん》を見た。OKサインを出している。
「じゃ、毎日ウィンターカップを見た後、市川町に移動かな」
「うんうん」
「広島から市川町まで何時間くらい掛かるかなあ」
「もしかして車での移動を考えてる?」
「え?違うの?」
「それは無茶すぎる」
と言ってバッグからパソコンを取り出す。
「車で往復した場合、片道3時間半、走行距離は往復で520kmになるよ。だからガソリン代は・・・」
と言って《きーちゃん》を見たら教えてくれる。
「ガソリン代7500円、高速代が11800円で、合計19300円かかる」
「かなり掛かるね」
「やはりここは新幹線だよ」
と言って乗換案内のサイトを開く。
「こういう連絡があるよ」
広島18:56-19:57姫路20:11-20:44甘地
「運賃は新幹線の自由席で7870円。往復15740円。車での往復よりずっと安い。所要時間も半分で済む」
「ほんとだ」
「安いし速いし何より楽。これは新幹線の一択だね」
「そうしようかな。千里は夜はどうするの?」
「新婚さんは夜はベッドの上でぐっすり寝る」
「千里も一緒に練習しないの?」
「男子代表の貴司がギリギリ合格したチームに女子代表の私が入れる訳ない」
「あ、そうかも」
「それに私、明日の夜は年賀状書かないといけないし」
「ごめーん」
「私がゆっくり休める豪華なホテルを6日間用意してよ」
「豪華なホテル?」
「まあビジネスホテルでもいいよ」
「ごめん。そうさせて。今お金が足りない」
ボーナスが出たばかりだと思うけど、なぜ無いのだろうと千里は疑問に思ったものの、取り敢えずよいことにした。
「じゃ、お金大変そうだし、私も急に言い出したから、新幹線代は私があげるよ」
と言って千里は自分のバッグから三菱UFJ銀行の封筒を出して貴司に渡そうとした。しかし貴司は
「だったらこちらを使うよ」
と言って、さっき貴司が受け取った方の銀行の封筒を出した。
「ではそれで」
ということで、結局貴司は、千里に借りていたお金を返したのの半分を千里が負担するからといって貴司に返してくれたものを交通費に充てることにしたのである。
複雑にやりとりをしたので、2人ともお互いに、結局誰がこの交通費を負担したのか分からなくなってしまったのだが、結果的には貴司が自分で負担したことになるはず!?
「そうだ。甘地から広島に戻るのはどうすればいいんだろう?」
「練習は何時に終わるの?」
「だいたい夜中の0時頃」
「じゃさすがに新幹線は無いね」
「うん」
「だったら朝帰ってくればいいよ」
と言って乗り換え案内を見る。こういう連絡があった。
甘地6:00-6:29姫路6:54-7:56広島
「結局夜中は千里と一緒できずか・・・」
「今夜は朝まで付き合ってあげるから」
「うん」
「明後日以降は、私、朝、広島駅まで行ってるから、それで一緒に朝御飯食べてからジョギングで広島グリーンアリーナまで行こうよ」
「ジョギング・・・」
貴司はすぐ交通機関を使うことを考えるのだが、千里っていつもこういう発想だよなと思い、それは凄いと貴司は思っていた。
「広島駅からグリーンアリーナまでは2.2km。私たちの足なら12分で行くね」
と千里は言っている。
「それ電車待っているより速い気がする」
と貴司。
「歩いても20分でしょ」
「確かに。僕たちは電車に乗る意味無いね」
「まあ朝の運動で走るか人が多かったら歩こうよ」
「うん、そうしよう」
貴司はハッと気付いた。
「ねぇ、そういうスケジュールなら、AUDIで広島まで行く意味は?」
「無いね。だから明日の朝も新幹線で行こう」
「そうするか」
それで時間を確認すると、これが使えそうである。
大阪ビジネスパーク5:45-5:55心斎橋6:03-6:15新大阪6:25-7:56広島
「よし。予約しよう」
と言って千里はパソコンでJR西日本のサイトにアクセスしようとするが、貴司が停めた。
「それ僕が予約するよ。ホテルも」
「そうね。よろしく」
貴司も千里の機械音痴・ネット音痴は重々承知している。大阪から福岡へのチケットの手配を千里に頼んだら、予約が富山県の福岡駅行きになっていたので、ギョッとしたこともある。(ありがちな間違いではある)
広島へのチケットを予約したはずが、北広島市(北海道の札幌近郊)への予約になっているくらいあり得る!と貴司は思った。
貴司が千里のパソコンを使って予約をしてくれている間に千里は席を立って店外に出てから、まるで携帯でも掛けているような振りをして《きーちゃん》と話した。
『念のため確保しておいた男子決勝戦のチケット、郵送で私たちが泊まるホテルに送ってくれる?』
『OKOK。東京からの発送にすればいいよね?』
『うん。バスケ協会の封筒を使うともっともらしい』
『そのくらいの調達はできるからやっておくよ』
『サンキュー』
千里が席に戻ると貴司が
「明日のチケットも23日から28日までのホテルも予約した。デラックスシングル平均9000円」
と言う。
「平均?」
「曜日によって料金が違うんだよ」
「なるほどー」
「部屋面積を確認したら本来はダブルかツインくらいの広さの部屋でベッドはひとつ。そのベッドもセミダブルサイズ」
「おお、素晴らしい。貴司と一緒に寝られないのだけが残念だ」
「うーん。千里と寝たい」
「たぶん忙しくて一緒に寝る時間は無いね」
「なんかそんな気がする!」
「決勝戦のチケットも確保したよ。ホテルに送ってもらうことにしたから、ホテルの名前と住所教えて」
と千里。
「うん。これ」
と言って貴司が画面を示す。千里はそれを《きーちゃん》のスマホに送信した。(送信しなくてもちゃんと見ているのだが)
その後ふたりはコンビニで着換えを買ってからホテルに戻り、またダブルベッドの上に並んで腰掛け、千里が時々貴司にボディタッチしたり、わざわざ目の前で「目を瞑ってててね」と言って着換えたりして、貴司を生殺しにしたまま朝近くまで会話は続いた。
律儀だなあ。こんな時こそ私を押し倒しちゃえばいいのに、そしたら確実に阿倍子さんとの婚約は破棄にできるのにと千里は思ったが、貴司は頑張って我慢しているようだった。
貴司は変な所で頑なである。
もっとも、千里は知らないことだが、実際には半年にわたって睾丸の無い身体を使っていたので男性ホルモンが少なく、性欲が弱いのもあった。
4時近くになって
「もう寝ようか」
と言った後、貴司はカーペットの上で千里のコートをかぶったままあっという間に深い眠りに落ちたようだった。千里はふっと微笑むと、その上に毛布を掛けてあげた。
なお、この時期は千里は通常の時間の流れの外で《出羽の山駆け》に参加していた。4時で寝ることにしたのも、その時間から出羽に行くためである。千里はその日、本当に無心・無表情で丸一日の山駆けをした。安寿さんが
「千里の表情が怖い」
と言うくらいだった。そしてこの日は美鳳が心配して
『今日はさすがに少し寝なさい』
と言い、結局湯殿山の温泉に入った後、6時間くらい寝ている。
なお“新婚旅行”の間の山駆けは免除してもらい、1月下旬〜2月上旬にその分を追加することになった。
12月23日、大阪Nホテルの一室で千里は5時頃起きだしてフロントに行き、先に精算の手続きを済ませてから部屋に戻り、貴司を起こして部屋を出た。フロントに鍵を返却して5:45の地下鉄に乗る。貴司は眠ってしまったので、取り敢えずいいことにして、貴司の身体は《りくちゃん》に勝手に動かしてもらい、新幹線に乗り継いだ。《こうちゃん》なら絶対悪いことするに決まっているので、こういう時は《りくちゃん》を使う。
新大阪駅での“みどりの券売機”での切符購入も貴司のカードを勝手に財布から取って使い、千里がした。貴司は結局広島駅に到着する直前に目が覚めた。
「全然ここまでの記憶が無い」
などと言っていた。
まあ眠っていたのだから仕方ない。
広島駅の待合室で千里が(実際には《たいちゃん》が)コンビニで買っておいたお弁当を一緒に食べてからジョギングでグリーンアリーナに向かう。
「本当にジョギングするのか」
「目が覚めるでしょ?」
「確かに」
でも貴司は23日は観戦中にも結構眠っていた!この日のお昼は牡蠣飯弁当を食べた。またふたりとも着換えが無かったので、しまむらに行って大量に確保した。
「でもこれ荷物にならないかな?」
「宅急便で送ればいいよ」
「あ、そうだね」
この日は18時前に試合が終わったので、ふたりで歩いて広島駅まで行き、貴司が新幹線口に行くのを見送った。
そして千里は予約していたホテルに行きチェックインした。なお、代金は既に決済済みであった。この代金は2月12日に貴司の口座から引き落とされるはずである。
そして・・・部屋に入ると千里は頑張って年賀状を書いた。
この時、佳穂さんが「いい筆ペンあるよ」と言って、1本くれたので、それで住所・宛名、そして裏の挨拶と文章を書いていった。
「私も手伝うよ」
と《いんちゃん》と《たいちゃん》も言って、ふたりも佳穂さんから筆ペンを1本ずつもらい、宛名と定型文までは“千里の筆跡”で書いてくれたので、千里は個別の文章だけ考えながら書いた。(でもこれがいちばん大変である)
でもこの筆ペン、凄く書きやすいけど、何か仕掛けがありそうだなあ、などと思いながら千里は文章を書いていく。
書くのは遠距離順にする。
貴司が持って来たUSBメモリーに入ったExcelのデータを自分のパソコンにコピーし、郵便番号でソートした上で、遠い所優先で書いていったたのだが、このあたりの操作は《げんちゃん》にしてもらった:千里にExcelが扱えるわけがない!そしていんちゃんたちに手伝ってもらったおかげで、この日は北海道・関東方面の分約50枚を書くことが出来た。
「私が現地に持って行って投函してくる」
と《てんちゃん》が言い、この年賀葉書を持ってまずは自力(*3)で東京に飛び、早朝都内の郵便局で関東方面分を投函。羽田空港に移動して朝一番の飛行機で新千歳に飛び、札幌市内の郵便局で北海道分を投函してくれた(帰りは飛行機で東京に戻って取り敢えず葛西で待機してもらった)。
千里はおかげで0時過ぎには寝ることができた。この日は山駆けも免除してもらったので、ホテルのふかふかのベッドの上で朝までぐっすり眠った。
(*3)こうちゃん、りくちゃん、せいちゃん、とうちゃん、などは龍なので、自力で空を飛び、すーちゃんも鳥なので普通に空を飛び、げんちゃんは亀だがガメラのように空を飛ぶ。びゃくちゃんは虎なので基本は走って移動だが、その速度は特急列車並みである(彼女は実はバイク魔でもあるが、そのことを千里は知らない)。
きーちゃん、いんちゃん、たいちゃんは天女なので、その手の移動方法を持たない。彼女たちはもっぱら交通機関を使うか、りくちゃん、せいちゃんなどに乗せてもらう。きーちゃんはフォードT型の時代から車を運転していたらしいし、それ以前は馬車を走らせたり、馬自体で草原を駆けたりしていたらしい。
くうちゃんは神様なのでどこにでもすぐ行ける、というより遍在している。
てんちゃんは元々航海の神の娘であり、母から貸与された陸海空を行く3種の乗り物を持っており、その乗り物で移動する。ただし現代では陸を行くと、うっかり自動車などにぶつかりやすいのでたいてい空路か海路である。今回は空路を使っているが、速度は自動車並みらしい(びゃくちゃんとどちらが速いのかについて千里は敢えて問わない)。大阪から東京まで4時間ほど掛かるが、自動操縦式なので、本人は寝ていてもよい!のが便利な所である。千里が今回彼女に頼んだのは本人があまり疲れないで済むからであった。
なお、この乗り物は定員2名らしいが、他の眷属はあまり同乗したがらない。理由について、千里は敢えて問わない。
さて、広島駅から姫路方面に向かっていた貴司は、岡山をすぎたあたりで唐突に女のような形に変化し、慌ててトイレに行きスポーツブラを着けた。
「えーん。またちんちん無くなっちゃった」
実は、《こうちゃん》としては貴司を女子選手ということにして市川ドラゴンズに入れたので、練習中は女になっていてもらわないと困るのである。また貴司は男性器が無い方が集中して練習できると《こうちゃん》は考えていた。
貴司がため息をつきながら市川ラボに行くと、監督が
「あ、細川さん、細川さん専用の宿泊部屋を作ったから」
と言った。
「え!?」
どうも今まで倉庫として使っていた1階の部屋を改造して宿泊できるようにしたようである。貴司がこれまで使っていた宿泊室の中にあった荷物は全部そちらに移動されていた。なお1階倉庫の中にあった荷物は地下の倉庫に移動したらしい。
部屋は6畳ほどの広さのフローリングの洋間に、トイレと洗面台・シャワー付きバスまで完備されている!
「浴槽はおとな2人入れる広さにしようと思ったけど、居室が狭くなるからこのサイズで妥協した」
などと言っている。
大人2人って何のために!? それに、いつの間に工事したんだ!?
(昨夜、貴司が年末年始ずっとここに通う話が決まった時点で、この手の造作事が好きな《げんちゃん》が《せいちゃん》と2人で1日で改造したものである)
更に本棚とテーブル(LAN端子付き)、電子レンジ・オーブントースター・全自動洗濯機乾燥機まで置かれていて全部自由に使ってと言われた。
「この部屋は体育館に入らなくても直接出入りできるから。これ鍵ね」
「ありがとうございます。あのぉ、家賃は?」
「不要不要。オーナーさんが、別に減るもんでもなし、タダでいいと言ってた」
「ありがとうございます!オーナーさんにもよろしくお伝え下さい」
「OKOK」
この結果、市川ラボはこの後、すっかり貴司の“住所”になってしまうことになる。
「しかしダブルサイズのベッドまで置いてあるな。こんなにしてもらっていいのかなあ」
などと貴司は呟いたが、ダブルベッドを置いたのはここで千里が貴司と一緒に寝られるようにという《こうちゃん》の深慮(?)である。
貴司は23日、1日千里と過ごせて物凄く精神的に充実していたので、練習にも熱が入り
「今日は凄いな」
と青池さんから言われるほどだった。
0時すぎに練習を終え、みんなは帰るが貴司は1階の“細川さんの部屋”に行く。シャワーを浴びて身体を拭くと、裸のままベッドに眠り込んで熟睡した。
翌24日の朝は5時に目が覚めたので近くのコンビニ(この体育館の近くにはローソンがあり、これまでも夜食・朝食の調達に使っていた)でパンと牛乳を買ってから播但線に乗り、姫路で新幹線に乗り継ぐ。車内でパンを食べ牛乳を飲んでから仮眠しておいた。広島に着いた時、そっとお股に手をやると、ちんちんが復活していたので、思わず笑みがこぼれる。寝ている間に戻ったようである。胸も無くなっていた。
改札を出たところに千里がいるので、軽くキスをする。一緒にマクドナルドで朝御飯を食べ、またジョギングで会場に入った。
クリスマスイブなのでお昼はパーラーでケーキを食べた。
この日は19時半近くまで試合があったが、最後の時間帯の試合は見ないことにして18時すぎに一緒に会場を出て広島駅まで歩く。そして貴司がキスして改札口に消え、千里はホテルに戻って、残りの年賀状を書いた。この日も《いんちゃん》と《たいちゃん》が手伝ってくれた。
この日書いたのはだいたい大阪近辺のものばかりだったので《りくちゃん》が「郵便局に持って行ってくる」と言い、夜中に大阪中央郵便局まで飛んで行って投函してくれた。
眷属たちの協力のおかげで、この年の貴司の年賀状は全部1月1日にきちんと届いた。
なお千里は自分自身の年賀状はとっくに出している。それで例によって千里と貴司の共通の知人の所には、同じ筆跡で書かれた年賀状が届くことになる。
12月25日は23日同様18時前に試合が終わったので、全部の試合を見てから広島駅に移動した。この日はクリスマス本番だが、昨日ケーキを食べたので、今日はチキンを食べた。
26日のお昼は“みっちゃん”でお好み焼きを食べた。この日は15時前に試合が全部終わってしまったので、
「少しホテルで休んでいく?」
と誘って(誘惑して)、ふたりで一緒にホテルに戻った。
「でもシングルで借りている部屋に2人で入っていいのかな?」
「それなら大丈夫」
と言って千里はフロントで友人が泊まるので1部屋シングルが空いてないかと尋ねた。
「違うフロアになりますが1室ご用意できます」
「ではそこで」
それで料金を払い、鍵をもらったが、もちろん一緒に千里の部屋に入る。
「疲れているでしょ?ここセミダブルのベッドだから心地良いよ。夕方まで仮眠しているといいよ」
と千里は言った。
「そう?千里は?」
「悪いけど、ちょっとしておかないといけない作業があるのよ」
「分かった」
「シャワー浴びてくるといいよ」
「そうする」
それで貴司がシャワーを浴びて、服を着て出てくると、千里は机に向かってパソコンを開き、本当になにか作業をしているようだった。
千里は貴司を振り返って言った。
「服なんか着ないで裸で寝た方が疲れは取れるよ」
「そうかな」
「私が脱がせてあげようか?」
「千里は脱がないの?」
「脱いでもいいけど、私はベッドに入らずに作業を続けるから、私が裸の方が辛い気がするよ」
「そんな気がする!」
それで貴司は自分で裸になってベッドに横になり、すぐに眠ってしまったが、おちんちんが立っているのを見て、千里はつい触ってしまった。
「寝ているのに立っているなんて、貴司ってホントに助平なんだなあ」
などと呟くが、別に助平でなくても男性の器官は生理的な反応で立つ。このあたりも千里は男性の身体の仕組みが分かっていない。
千里が触っている内に貴司が眠ったまま、まるで逝きそうな反応をするので千里はそこで刺激を中止する。
そういう訳で結局生殺しである。
少し我慢汁が出たのは、縮むのを待ってから舐めてあげた。
「わーい。久しぶりに舐めちゃったよ」
と千里は喜んでいる!?
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【娘たちの振り返るといるよ】(3)