【娘たちのリサイクル】(5)

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千里たちは普通に6時にサービスパークがオープンしてから入り、ドラマで使用するチーム名《オータムガール》で登録する。小島秋枝という役名から採ったチーム名である。
 
6:30からブリーフィング(コース説明会)が行われ、6:40から1台ずつレッキに出発した。まずはスタート地点から北東方向、県道654号を通ってスイス村まで行き、ここから南下する丹後縦貫林道がスペシャルステージの舞台である。
 
まず角突山を越えるのがSS1(9.3km)。上世屋から成相山を通って駒返しの滝まで行くのがSS2(8.55km)、それから更に林道を走って大内峠そばまで行くのがSS3(4.9km)であった(走り屋さんが大好きな大内峠自体は通らない)。SS4/SS5/SS6は、SS1/SS2/SS3の繰り返しである。つまり同じルートを午前と午後の2度走ることになる。
 
この日はまずSS1/SS2/SS3を2回走った。1回目はゆっくりとメモを取りながら、2度目はそのメモの内容を再確認しながら走った。
 
その後2日目(Leg2)のレッキになる。これは1日目の逆コースである。
 
SS7はSS2の逆走(7.84km)、SS8はSS1の逆走(9.39km)になっている。同じルートでも順走と逆走では走り方はまるで違う。雨宮先生はかなり悩みながらノートを取っていたようである。そして最後にSS9は今回のメインルートからは外れて、スタート地点の北方にある道の駅・丹後王国まで行き、この道の駅の園内道路440mのコースを走る。この超短いコースがSS9である。これはこのラリーを観戦したい人たちのためのギャラリーステージである。そしてSS10/SS11/SS12は昨日同様SS7/SS8/SS9の繰り返しである。つまり道の駅にずっと居ると2度のステージを間近で観戦することができる。
 
この後半のレッキでは、SS7/SS8を2回走った後、丹後王国に移動し、SS9を2度走った。
 
千里たちは13時前にはスタート地点に戻り、レッキ用のゼッケンを返却して旅館に戻った。そしてふたりで一緒にノートの内容を整理した。山道で走っている最中に書いた文字は、どうしても字が乱れ、書いた本人も分からないことはよくある。最終的には清書するのだが、この過程と最終的にできあがったペースノートをテレビ局のスタッフが撮影していた。また尾崎さんとイルザが同様のことをしている様も撮影していた。
 

午後いっぱい休憩してから17時半頃、文化会館前に行く。18時からセレモニアルスタートが行われる。文化会館前にゲートが作られていて1台1台ここに付けては選手紹介後、選手にインタビューなどもし、市長さんが市旗を振ってスタートしていく。むろん本当のスタートは明日朝で、ここは単なるセレモニーである。例によって17:50にイルザと尾崎さんが乗った車を撮影用にセレモニアルスタートさせてもらって、そこをテレビ局のクルーが外側から3台のカメラ、車内からも1台のカメラで撮影していた。イルザがインタビューされているシーン(台本)もしっかり撮影したが、ここでインタビューした人は本物の司会者である。
 

千里たちはオープン参加なので、かなり後の方になる。結局18:32になって、やっと順番が回ってきて
 
「オータムガールの村山千里選手・雨宮三森選手です」
 
と紹介される。千里たちは特にインタビューも無しで、そのまま市長さんの市旗を合図にスタートした。テレビ局のスタッフはこれも念のため撮影していた。
 
セレモニアルスタートの後はそのままパルクフェルメ(管理駐車場)に入れる。ここでまた明日の競技開始まで主催者側で保管される。
 
「お疲れ様〜」
と言って降りて一般駐車場まで歩き、千里のインプに乗り換えて旅館に戻る。実際にはパルクフェルメでラリー用の車を降りた所で、東京の大田区総合体育館に行っている《きーちゃん》と入れ替わった。
 
このために《きーちゃん》には千里と全く同じレーシングスーツを身につけておいてもらった。
 

この日は19:00から初日カタール戦である。
 
貴司はスターターではなかったものの、第2ピリオドに出て行った。コートインしてすぐに巧みなフットワークで相手をかわして進攻。ゴール右側からシュートしようとしてブロックされそうになる。ここで貴司はゴール左側に走り込んできた背の高い選手(背番号とパンフレットを見て龍良正蔵という選手と知る)にボールを送り、彼がダンクでボールをゴールに叩き込む。
 
貴司とその選手がハイタッチする。
 
今ので貴司にはアシストが付いたはずである。
 
その後も、貴司は中盤のボールをよく支配し、得点こそあげないものの、スティールやアシストをよく決めている。
 
「MM化学ではバリバリ得点あげているのに、ここではプレイスタイルが違う」
と千里が呟くと
「点取る能力の高い選手が多いから、ここでは裏方に徹しているんだよ」
と《こうちゃん》が言った。
 

第3ピリオド、貴司がスリーポイントライン付近でドリブルをしていたら、右斜め後ろの死角から相手ポイントガードがあまり足音を立てないように近づいて来た。
 
「貴司!5時!」
と千里は叫んだ。
 
するとカタールの選手が貴司のドリブルを横取りしようとした瞬間、貴司はそのドリブルを左手に移した。そしてその選手が勢い余って前方に数歩ステップしたのを壁に使い、貴司は右から包囲網を突破してそのまま制限エリアに突入。きれいにレイアップシュートを決めた。
 
味方の選手とハイタッチした貴司がこちらを見た。一瞬千里と目が合う。
 
千里はドキっとした。
 
千里が笑顔で手を振ると、貴司も笑顔を返してくれた。
 
私、桃香と結婚しちゃったのに、これ精神的浮気かなぁ、などと千里は少し罪悪感を感じた。
 
この日はその後3回も貴司と目が合った。この日の試合は69-73で日本が勝った。
 

9月15日(土).
 
この日はラリー1日目である。ラリーではレグ1(Leg 1)という。これはラリーのみならずスポーツ一般で使用される言い方である。ホーム&アウェイ方式の1試合目をLeg1, 2試合目をLeg2といったりする。千里たちは今日も明日も、午前と午後で同じコースを2度走るがこれを各々セクション1、セクション2と呼ぶ。つまり今回のラリーは2レグ・4セクションの競技である。
 
千里たちは朝御飯を食べてから9時すぎに会場に入った。スタートは10:00である。まずはスイス村まで40分ほどリエゾンして行き、スペシャルステージが始まる。
 
スタートは10:48からである。千里たちは41番のゼッケンなので11:28のスタートとなった。
 
雨宮先生の指示に従って走って行く。道は傾斜が急だしジグザグで、一瞬たりとも気が抜けないコースだ。
 
「えっと・・・前の車との距離がどんどん縮まっていきますが」
「抜こう」
 
後ろから後続の車が迫ってきた場合は、追いつかれた側はすみやかに譲ることがルールとして定められている。千里たちの前の車もハザードを焚いて脇に寄ってくれたので安全に追い越すことができた。こちらもサンキューハザードを焚いておいた。
 
そういう訳で結局7分半ほどの走行の間に3台も抜いてしまった。
 
次のSSへ25分ほど掛けて移動する。そして次のステージでも3台抜く。SS3でも2台抜いて、結局午前中の競技で8つも先に進んでしまった。
 
午後はリグループと言って再び出走順に並べられ、1分単位で出走するのだが、千里たちが最初に抜いた車も含めて(千里たちより前に)5台も午前中だけでリタイアした車があり、千里たちのSS4スタートは36番目となった。先頭が13:57スタートだったが、14:32のスタートになった。
 
そしてこの午後の競技でも千里たちは7台抜いた。
 
なお今日の競技の様子はヘリコプターからテレビ局のクルーが撮影していたのだが、追い越す場面がたくさん撮れたのは、テレビ局としては嬉しい誤算だったらしい。
 

15日の競技が終わってサービスパークに戻ったのは15:55、サービス(給油と整備)を終えてパルクフェルメに移動し、車を降りたのが16時半すぎであった。千里は実際にはサービスパーク内で給油・整備が終わった時点で《きーちゃん》と入れ替わり、パルクフェルメへの移動は《きーちゃん》がしてくれた。
 
この日は16:30から台湾戦であった。この日も貴司は途中から出場して活躍し、試合は78-90で勝った。試合中、貴司とは6回も目が合った。
 

「細川君、客席の彼女と何度も視線を交わしていたね」
と貴司は前山に指摘された。
 
「ごめーん」
と貴司が謝ると、龍良がヘッドロックを掛けてくる。龍良の太い腕で押さえられると、マジで動けないし痛い!
 
「そんな浮ついた奴は今晩俺と付き合え」
と龍良が言ったが
「それセクハラだから」
と須川主将が言ってくれたので、この日の貴司の貞操は守られた!
 
「あ、その細川君の彼女という人から差し入れが入っていましたよ」
と事務の人が言うので貴司はドキッとした。
 
“彼女”って、どっちだ!?
 
それで出てきたのを見ると《生八つ橋》である。
 
「おお!これ好き!」
という声がいくつもあがり、生八つ橋は一瞬で無くなる。出遅れた貴司は1つも取れなかったが、前山が2個取ってくれていて1個貴司に渡してくれた。
 
「ありがとう」
と言って受け取る。前山君は気配りが凄いなと貴司は思った。
 
「彼女って京都に住んでるの?」
などと磯部さんが訊く。
 
「いや、そういう訳ではないのですが」
「来る途中で買ってきたのかな?」
と酒井が言う。
 
あ、そうかも知れないと貴司は思った。だったらこれを買ってきたのは阿倍子か?バスケットの大会なんて興味無いようなことを言っていたのだが、見に来てくれたんだろうか?と思うのと同時に千里と鉢合わせとかしないといいのだがと冷や汗を掻いた。
 
それで控室を出てNTCに移動中に貴司は阿倍子に
《こちらに来てるの?お土産ありがとう》
とメールを送った。
 
ところが阿倍子からの返信を見て肝を潰す。
《私、ずっと神戸にいるけど。お土産ってどなたからの?》
 
ひぇー!?だったらお土産を持って来たのは千里か?それとも理歌か誰かでもこちらに来ているのだろうか?と考えた。
 
恐る恐る千里にメールする。
《応援ありがとう。頑張れたよ》
 
敢えてお土産のことは書かなかった。すると千里から返信がある。
 
《凄く頑張ってるね。この活躍を元に来期はマジでどこかNBLのチームに入りなよ。お土産届いたかな?午前中、京丹後市に行ってたから現地で買って持ってきて事務の人に渡しておいたんだけど》
とあった。
 
お土産はやはり千里が持ってきたのか〜〜!?
 
と貴司は頭を抱えたが、お土産の御礼だけメールしておいた。
 
《お土産ありがとう。一瞬で無くなったよ》
《そう?だったらまた何か持って行ってあげるよ》
 

16日は貴司たちの試合は無い。それでこの日千里はずっと京丹後市でラリーをやっていた。
 
昨日の午後の競技で10組リタイアした人たちがあったらしい。その内千里たちより前の順番の人が4組あったので、結局千里たちは繰り上がって32番目のスタートとなった。
 
8:30にパルクフェルメを出てリエゾンして延利まで行き、9:26からSS7が始まる。千里たちは今日もここで2台、次のSS8で2台抜いた。10:42からSS9、道の駅・丹後王国でのギャラリーステージが行われる。440mのコースなのでむろん追越しなどは発生しないが、たくさん観客のいる所で走るのはなかなか楽しかった。
 
この丹後王国のステージでも、本番が始まる前の10:00に、イルザと尾崎さんが乗った車がこのコースを走り、道の駅に居た人たちから声援を受けていた。この440mは全部イルザが運転した。イルザは12時からは、道の駅の特設ステージでミニ歌謡ショーもおこない、かなり盛り上がったらしい。
 
ラリー本戦は最後のセクション4になる。また延利まで行ってSS10/SS11を走る。ここでもまた2台ずつ抜いた。そして最後に13:54から丹後王国でのSS12が行われ、その後杉谷の京丹後市役所前のゴールまで走って、全ての競技は終了した。
 

ゴールに辿り着いたのが14:20くらいで、そのままパルクフェルメに入れて、車両の再検査を受けた。そして全ての車両の検査が終わった所で車両管理は終了し、車をサービスパークに移動させる。
 
15:30に結果が発表され、千里たちの《オーガスト・ガール》はオープンクラスの2位に入っていた。
 
「うっそー!?」
「まあよく前の車抜いたしな」
 
なお選手権参加者の成績に照らしても30人中15位に入る立派な成績であった。
 
それで表彰台に乗って賞状と楯を頂いたが、この場面で撮影用にイルザたちを表彰台に乗せて撮影させてもらえないかとテレビ局が申し入れ、OKになったので1位・3位の人たちはそのまま、イルザと尾崎が2位の所に立ち賞状と楯を受け取るシーンの撮影も行った。
 
入賞してしまい、しかも2位というのはドラマ制作側も誤算だったらしいが、シナリオを書き換えると言っていた。
 

阿倍子は不安だった。
 
貴司ともう8月4日以来会っていないのである。その8月4日の前に会ったのは実は結納をした7月8日である。
 
実際問題としてここしばらくの貴司はひたすら代表合宿に出ていて、大阪に戻ってきたかと思うと、韓国や中国に仕事で出張している。社員選手って忙しいという話は聞いていたものの、ここまでとは思っていなかった。阿倍子はさすがに貴司との関係が自然消滅するのではという不安を持ち始めていた。
 
でもお腹の中の子の父親にはなってもらわなければならない。出産前に結婚するつもりなので胎児認知はしてもらっていない。結婚式は父の死で一周忌開けまで延ばしたものの婚姻届けは早く出したい。しかし貴司があまりに忙しくて、その話もできない。
 
ただ、今東京でやっているらしい大会が終わったら、しばらく代表活動は休みということだったので、戻ってきてくれたら話そうと阿倍子は思っていた。
 

9月16日(日).
 
阿倍子はこの日は貴司の試合が無いと聞いていたので、お昼休みを狙って電話してみた。
 
「お土産って結局何だったの?」
「ごめーん。あれ妹が持って来てくれていたんだよ。それを事務の人が恋人かと勘違いしたみたいで」
「何だ、そういうことだったのか。それでこちらにはいつ戻って来るの?」
「22日で大会は終わるから、23日にそちらに戻るつもり。お昼くらいに解散式があると思うから、夕方くらいになると思うけど」
 
「だったら、悪いけど23日の夜、うちに来てくれない?」
「まあいいよ」
 
夜遅く阿倍子の家を訪問した場合、セックスを求められないかという不安があるが、何とか切り抜けようと貴司は思った。
 
「そうだ。つわりとかはどう?」
「最近はだいぶ収まってきたかなあ」
「なかなかそちらに行けなくて悪い。そうだ妊婦教室とかも行ってきたら?」
「ああ、そんなのやってるんだっけ?」
「自治体でしてるはずだよ」
「そうだね。問い合わせてみようかな」
 
それで電話を切ったが、貴司は阿倍子がバスケのことを何も訊いてくれないことに不満を感じた。
 

龍虎はその日「またあのお薬飲んじゃおうかなぁ」と思い、両親とも居ない時間帯に、そっと机の引き出しを開けると、辞書の箱の中に入っている薬のシートを取り出した。
 
ドキドキしながら、1個取り出し、飲んでからたっぷりの水で流し込んだ。
 
この薬を飲むと速効で凄く女の子らしい気分になってしまう。それで龍虎は可愛いパンティとブラジャーにキャミソールを着て、アウターもキティちゃんのTシャツと、花柄のフレアースカートを穿いた。
 
まだ心臓がドキドキしている。なぜかちんちんも少し大きくなっている。
 
ボク、このまま女の子になっちゃったらどうしよう?などと考えている。
 
そしてシートを辞書の中にしまおうとして、ふと感じた。
 
このお薬、以前より増えてない!?
 

千里と雨宮先生は16日は地元の居酒屋で祝杯をあげ、そのままこの日は旅館に泊まり、翌17日、各々の車で自走して東京に戻った。賞状と楯は先生が
「こういうのはメインドライバーが持っておけばいい」
と言うので、楯は千里が持ち帰ることにした。賞状はカラーコピーを取って、原本の方を先生にお渡しした。
 

千里が東京に戻ったのは16時頃で、インプは《こうちゃん》に葛西へ回送してもらって千里は大田区総合体育館に行った。
 
この日の貴司たちは、16:30からインド戦で、この試合では貴司はスターターで出て行った。この日は控え組でスタートしたようである。この日は40分の内30分くらい出場して16得点10アシストの大活躍。試合は72-90で日本が勝った。
 
千里はこの日は丹後王国で買ったソーセージをボイル仕立ての状態で選手たちが控室に戻ってくる直前に届けた。ソーセージはまたまた一瞬で無くなった。
 
「おいしい〜〜!」
という声があがっていた。
 
「へー。丹後王国自家製ソーセージか」
「丹後って神奈川県だっけ?」
「京都でしょ。神奈川県は丹沢」
 
「へー。あれ?でも一昨日も京都のお土産だったのに」
「一緒に買っていたのを今日暖めて届けてくれたんじゃない?」
 
「選手たちを迎えてやってくださいよと言ったのですが、新入り選手の家族があまり出しゃばってはいけないから帰りますと言って帰られたんですよ」
と事務の人は言っていた。
 
「ああ、そういう奥ゆかしさはいいなあ」
 

18日は19:00から強豪のイラン戦であった。この試合では貴司は出番がほとんど無く、第3ピリオドに5分くらい出ただけであった。試合は71-65で負けた。
 
この結果、日本はBグループ2位となり、決勝トーナメントに進出した。準々決勝ではAグループ3位の中国と対戦することになる。千里は、これは厳しい相手になったなと思った。
 
千里は貴司にメールした。
 
《中国戦、頑張ってね。向こうの12番のスリーに気をつけて》
 

千里のメールを受け取った貴司は龍良に相談した。
 
「私の友人が中国の12番、白(パイ)選手のスリーに気をつけろと連絡してきたんですよ」
「パイのスリー!?」
 
龍良は白選手について全く知らなかったが、キャプテンや監督とも相談してすぐにこの選手に関する情報を集めた。
 
「これは怖い」
「全然知らなかったなあ」
「中国はこれまでこの選手を使っていなかったね」
「隠し球にしてたんだな」
 
前山選手が言う。
 
「15日、17日と京都のお土産届けてくれた、細川君の彼女がスリーの名手だよね?」
「あ、うん」
「去年のU21世界選手権でスリーポイント女王取った人だっけ?」
 
とSGの勝田さんが言う。同じシューティングガードとして千里にも注目していたのだろう。
 
「あ、はい」
 
「そうか。細川、だったらその彼女ともかなり1on1とかやってるだろ?」
と龍良。
 
「ええ。まあ、会う度に手合わせしているかな。僕たちのデートはいつも体育館なんですよ」
「ストイックなカップルだ」
 
「よし、だったら細川君、白の相手をして」
とキャプテンが言った。
 
「分かりました。頑張ります」
「何なら彼女をここに呼んで明日練習してもいいよ」
「すみません。あの子7月にちょっと手術受けて今リハビリ中なんですよ」
「ありゃりゃ」
「それは大変だったね」
「今回は直前に代表落とされたのが悔しかったから、リハビリが終わったらまた頑張ると言ってました」
「やはりリオ五輪では彼女たちの世代が中核になるでしょうしね」
と前山は言っていた。
 

貴司はその夜、千里のプレイシーンを集めたビデオをたくさん再生した。いつも持ち歩いているパソコンに入っているのである。千里がコート上で物凄く輝いているのを見ている内に貴司は涙を流してしまった。
 
「千里、ごめんな、ごめんな」
と言って、貴司は呟くように何度も声に出していた。
 

20日。準々決勝。中国は白(パイ)をスターターで使ってきた。それで貴司も最初から出て行った。
 
中国が攻めてきて白にボールが渡る。貴司は彼の動きを見ていてスリーだと判断。彼のシュートタイミングでジャンプして、きれいにブロックした。
 
シュートされたボールは放物線の軌道を描くが、その放物線の頂点より先の落下中に弾くとバスケットボールインタフェアになる。だからシュートされた直後の上昇中にブロックするしか無いのである。
 
(こういうルールが無かったら、ゴールそばに長身の選手がいると、その選手が全てのシュートをブロックしてしまうので、相手は全く得点できなくなる)
 
その後の貴司は白の動きやゲームの流れから、ここはスリーだとか、ここは突破してくると予測して白の動きを徹底的に封じた。
 
だって・・・千里の方がもっと凄いもん、と貴司は思っていた。
 
白が完全に封じられているので、中国はとうとう白を下げてしまった。白は第3ピリオドにも出て行ったが、また貴司にきれいに抑えられた。
 
そういう訳で、日本はこの試合、白をきれいに抑えることができたことから、強敵の中国に50-60で勝つことができたのである。貴司はみんなにもみくちゃにされていて、千里はその貴司の様子を見て満足して会場を後にした。
 

千里は京丹後から戻った後は、午前中は常総ラボに行って基礎トレーニングとシュート練習をし、午後からは葛西で作曲作業、夕方貴司の試合を見に行っては、夜はまた葛西で作曲作業をするという日々を送っていた。この時期は特にイルザのために書いた新曲のリファイン作業をずっとしていた。
 
それで千里は13日の朝「3日くらい留守にするね」と言って出てきて以来、千葉のアパートには戻っていない。
 
元々千葉のアパートに帰るのは月に5〜6回という生活だったので、その生活パターンに戻っただけである。千里は「3日くらい留守にする」と桃香に言い残しておいたことはきれいに忘れていた(千里は何でもすぐ忘れる性格)。
 

阿倍子は貴司から妊婦教室にでも行って来たら?と言われたことから、保健所に問い合わせてみた。すると22日(土)に次は行われますよということだったので、予約を入れることにした。
 
「それでは当日は筆記具と母子手帳、それに以前も妊婦教室に出ておられた場合はその時のテキストを持って来てくださいね」
と言われる。ここで阿倍子は当惑した。
 
「すみません。母子手帳ってどこでもらえるんでしょうか?」
「まだ母子手帳をもらっておられないんですか?」
「あ、はい。保健所に行けばいいですか?」
「母子手帳はお住まいの区の区役所のこども保健係でもらえますよ」
「分かりました!もらいに行ってきます」
 
阿倍子は以前結婚していた時は、母子手帳をもらうような週齢まで胎児が育ったことが無かったのである。
 
それで阿倍子は17日(月)、区役所に行ってこども保健係の場所を聞き、そこに行って「母子手帳が欲しいのですが」と言った。
 
「では妊娠届を出してください」
と言われ用紙を渡される。
 
しかし記入できない。
 
「すみません。分娩予定日とか分からなくて」
「病院で聞いてませんか?」
「すみません。まだ病院に行ってません!」
「妊娠してどのくらいです?」
「最終月経が6月上旬だったのですが」
「だったらかなり進んでますね。すぐ病院に行かれた方がよいです」
「あ、はい・・・」
と言って阿倍子が悩んでいるような顔をしているので職員さんが訊いた。
 
「受診するお金ありますか?」
「あ、えっと。彼から、この子の父親から借ります」
「まだご結婚はなさってないんですね?」
「ええ。そうなんです。ずっと彼、海外出張とかしてて」
 
その言葉で、職員はこの人の彼氏って外国人でこの人を放置して帰国してしまったのでは?と思った。
 
「彼とは連絡取れます?」
「はい。取れます」
「もし受診にお困りでしたら、再度ここで相談して下さい。何とかしますから」
「分かりました。済みません!」
 
職員さんはわざわざ自分の名刺までくれた。
 
阿倍子は昼休みを狙って貴司に連絡した。すると貴司は「取り敢えず10万送る」と言って即阿倍子の口座にお金を振り込んでくれた。それで阿倍子は病院に行った。
 

「流産しています」
と医師に言われて、阿倍子は信じられない思いだった。
 
「でも、でも、時々つわりもあるし。体温もずっと高温のままなんですけど」
「稽留流産(けいりゅう・りゅうざん)です。赤ちゃんが子宮内で死亡してしまったものの、何らかの理由で外に排出されずにそのまま留まっているんですよ」
 
「そんな・・・」
「これはこの状態になってから1ヶ月程経過しています。早く子宮内容除去術をした方がいいです。このままにしておくと子宮がそれを強引に排出しようとして、結果的に大出血になり、あなたの生命に危険が及ぶ場合もあります」
 
「でもでも、本当に赤ちゃんは死んでいるのですか?」
 
と阿倍子は医師に食らいつくように言った。
 
「納得できないとおっしゃる方も多いんですよね。何でしたら他の産婦人科にも行ってセカンドオピニオンをお求めになりますか?」
 
阿倍子は考えた。
 
「分かりました。行ってみます」
「はい。どこか心当たりはありますか?それともどこか紹介しましょうか?」
「何とか探してみます」
 
阿倍子はこの医師から紹介された病院なら同じ診断をするかもと思ったのである。
 
「はい。お大事に」
 

それで阿倍子は2日おいて20日、別の病院に行ってみた。わざわざ2日置いたのは日数を置けば、赤ちゃんが復活するかもという気がしたからである。
 
しかし医師の診断は同じだった。
 
「稽留流産です。これはその状態になってから既に6週間ほど経っています。あなたは妊娠16週のはずなのに、この胎嚢は10週程度のサイズなんですよ。ひじょうに危険なので、すぐにも掻爬手術をすべきです」
 
と医師は言った。
 
「分かりました。2〜3日考えさせてください」
「考えるのはいいですけど、これは一刻を争いますよ」
と医師が言うのを、強引に阿倍子はその病院を出た。
 

21日(金).
 
この日は19:00からカタールとの準決勝であったが、前日の活躍があったので貴司は40分の内18分も出してもらい、9アシスト・6スティールの大活躍であった。
 
試合は66-73で日本が勝ち、日本はとうとう決勝戦に進出した。
 
阿倍子が大変なことになっているとは全然知らない貴司は千里に
《今日はお土産無いのかなあ》
などとハーフタイムにメールしたので、この日は千里は虎屋の羊羹を差し入れてくれた。分けやすいように小型の羊羹がたくさん入っている箱である。
 
「おお、これ好き!」
とみんな言って、これも一瞬で無くなってしまった。
 
「細川君が代表落ちしても、細川君の彼女だけは代表に入れておきたいな」
などと磯部さんが言っていた。
 
あははは。磯部さん、さりげなく本音じゃない?今の発言の前半とか。磯部さんはスターターには入れない第7か第8の男くらいのポジションである。彼は多分貴司の存在を脅威に感じているように思われた。
 

桃香は、大学院の入試を受けさせてもらうための条件として課されたレポートをひたすら書いていたのだが、書き始めて10日ほどもすると、だいたい骨格ができてきた。ここから先は細かい論議や、省略してしまった証明をきちんと書いたりすれば何とかなりそうである。21日にはいったん大学に行き教官に現時点での状態を見てもらい、いくつか指摘された点も修正することにした。
 
しかしずっとアパートに籠もってレポートを書いていると、時々脳が酸欠になるような感覚がある。それに実はここしばらく桃香は食事にも困っていた。
 
千里は13日に「3日ほど戻らないから」と言って出かけたのだが、実際にはもう一週間ほど戻ってきていない。何度か「お腹空いたよぉ」とか「夜が寂しいよぉ」などとメールしてみたものの、「ごめーん適当に食べてて」とか「しばらく夜はセルフサービスでよろしく」などという返事である。
 
どうもバイト(?)が忙しい状態に入っているようだなと思う。
 
そして実は・・・・
 
桃香はかなり「女の子」に飢えていた。
 
季里子と別れて以来、もう3ヶ月近くセックスしていない。こんなに長くセックスしていないのはかなり久しぶりである。千里がいるとあそこを気持ちよくしてくれるけど、まだセックスはできないという。
 
「誰かいい子いないかなあ」
と浮気の虫、というより性欲が湧いてきていてたまらないのである。
 
(桃香はこのあたりの脳の構造が男性的である)
 

そういう訳で桃香はその日、夕食も兼ねて千葉市内のガールズオンリーバーにやってきた。
 
ここは入口に鍵が掛かっていて、呼び鈴を押し開けてもらわないと中には入れない。男子禁制のお店である。客の半分くらいがレスビアンだ。桃香はここには何度か来たことがあるのだが、呼び鈴を押して出てきたのが、初めて見るスタッフさんだった。案の定言われる。
 
「申し訳ありません。うちは男子禁制なんで」
「私、ボイ(*1)なんですよ」
「もしかしてMTFさんですか?うちはたとえ現在女性であっても過去に男性であった方はお断りしているのですが」
「正真正銘生まれた時から女です」
 
(*1)ボイとはボーイッシュの略で、見た目が男性的に見えるレスビアンのこと。女性的な装いが好きなレスビアン“フェム”に対する用語。性的な役割であるネコ(女役)・タチ(男役)とは無関係に見た目の問題でフェム・ボイと言う。ボイにはしばしばFTM(男になりたい女)の要素が混じっている人もいる。桃香も自分が純粋なレスビアンなのかFTMなのか、中学生の頃以来悩んでいるが、千里や優子も含めて多くの友人が桃香はFTMではないと断言する。
 
少し揉めていたら奥の方から見知ったスタッフさんが出てきた。
 
「あら、モモちゃんじゃん」
「この人、女性なんですか?」
「そう見えないよね。ふつうに男に見えるし、女だと言われると、おちんちん切って女になった人かと思われがち。でも天然女だよ」
 
「ごめんなさーい」
「いやいいです。よく間違われるし。女子トイレで通報されたこともあるし、こないだは家庭裁判所でもMTFと思われたし」
「あら性転換するの?」
「性転換した友人の代わりに書類持って行ったんですよ」
「なるほどねー」
 

それでともかくも中に入ることができた。
 
カウンターに座って、フォアローゼスのロックを頼み、店内を物色する。ひとりでテーブルに座っている女の子に気付く。飲み物を持ってそちらに移動する。
 
「ね、ね、君ひとり?」
「ごめーん。彼女と待ち合わせ」
「残念。でもそれなら彼女が来るまでおしゃべりしてていい?」
「まあいいよ」
 
その子とは20分くらい話したが、本当に彼女が来たので
「ごめん、ごめん。純粋におしゃべりしてただけだから」
とその彼女に言って席を立った。
 
桃香はこの日5人の女の子に声を掛けたが、彼女と待ち合わせ中の子が2人、ビアンではない自称ストレートの女の子が1人(でも10分くらいお話できた)、もう帰る所だった子が1人で、もうひとりは「ごめん。今日はひとりで飲みたいから」と言って断られた。
 
店内に2時間ほど滞在し、バーボンも10杯ほど飲んで、今日は戦果無しか。まあ少しビアンの女の子と話せたからいいかな、などと思い、帰ろうかなと思った時、凄く可愛い女の子がお店に入ってきてカウンターに座った。
 
「ね、ね、君ひとり?少し話さない?」
と桃香は断られることを予想しながら訊いた。
 
ところが彼女は
「いいよ、おごってくれるなら」
と答えた。
 
あれれれ?
 
(桃香と貴司は性格が似ている)
 

22日(土).
 
この日は16時半からイランとの決勝戦であった。イランとは予選リーグでも対戦してその時は71-65で負けている。日本は相手選手の分析などを再度して、必死の体制で臨んだ。
 
しかし必死なのは向こうも同じである。イランは最初から全開で来て、日本もかなり頑張ったのだが、第1ピリオドは13-11で2点ビハインドである。更に第2ピリオドも17-12で前半合計30-23で点差が開き始めた。
 
控室から日本選手たちが出てきた時、近くの廊下でじっと熱い目でこちらを見る千里の姿があった。貴司はそれを見て闘志を燃え上がらせた。
 
第3ピリオド出してもらった貴司は相手選手からどんどんスティールを決め、そのボールを龍良や須川などにつないで、日本は良いサイクルが回っていく。それでこのピリオド10-21とダブルスコアで、日本は40-44と試合をひっくり返した。
 
ところが第4ピリオドでイランは猛攻を加えてくる。日本も必死で対抗し、戦況は膠着していた。しかし第4ピリオド7分、ゴール下での微妙な争いで龍良がファウルを取られ、5ファウルで退場になってしまったのである。この場面でのエース退場は日本にはあまりにも痛かった。
 
この後、日本は防戦一方になり、イランはどんどん得点を重ねる。最後は何とか勝田のスリーで同点に追いついたものの、残り4秒でイラン側速攻からのミドルシュートがブザービーターとなり合計53-51で日本は敗れてしまったのであった。
 
試合終了後、龍良がみんなに
「申し訳無い。自分が退場になっていなければ」
と頭を下げて謝ったが
「いや、ショウちゃんは最初から、かなり狙われていた。やむを得ないよ」
とキャプテンの須川が言う。
「狙われるのは分かっていた。それを回避できなかった自分が未熟だった」
と龍良は言った。
 
しかし龍良が未熟と言ったら、他の選手は未熟以前の芽か双葉くらいである。
 
その龍良が表彰式の前に居なくなってしまい、みんな慌てて探していたら、もうフロアに入場しなければという時になって戻ってきた。
 
「龍良さん!?」
「いやあ、このくらいでは申し訳ないんだけど」
と龍良は照れていた。
 
彼は頭を丸坊主にしていた。
 
「床屋さんに行ったの?」
「体育館の近くの10分でやってくれる散髪屋で切ってもらった」
「ああ」
 

彼は準優勝の楯を受け取ってとキャプテンから言われたものの辞退して、山崎に受け取ってもらっていた。しかしベスト5に選ばれたので、これは本人が前に出て賞状と記念品を受け取った。しかし全く嬉しくなさそうであった。
 

龍虎の父はその日帰宅すると龍虎に
「たまにはお父さんと一緒にお風呂入ろう」
と言った。
 
「恥ずかしいよお」
と龍虎は言ったが、
「父と息子で恥ずかしがることはないだろう」
と言う。龍虎が悩んでいると
「それとも父と娘だっけ?」
と訊かれた。
「ボクは娘ではないと思う」
「だったら、一緒に入ろう」
「うん」
 
それで一緒にお風呂に入った。
 

シャワーを身体に当てて軽く洗った後で髪を洗い、コンディショナーも掛ける。龍虎はけっこう髪を長くしているのでコンディショナーが必要である。対してお父さんはトニック系のシャンプーをするだけでコンディショナーは使わない。このお風呂場では、お母さんと龍虎が使うシャンプー・コンディショナー、お母さんだけが使うトリートメントと、お父さんだけが使うトニックシャンプーが並んでいる。
 
龍虎は自分のバストのこと、何か言われないかな?と不安だったが、お父さんはそのことには何も言わなかった。
 
龍虎はお父さんの大きなおちんちんを見て、少しドキドキしていた。
 
お父さんは胸も無い。手術の跡が残っているのは10代の頃にはあったおっぱいを手術で取った跡である。お腹にも手術の跡が2つある。1つは卵巣を取った時、1つは子宮を取った時の手術跡だ。
 
「なんだ?俺の手術跡が珍しい?」
「ううん。ボクも手術跡あるし」
「まあ、それは生死の境を生き抜いた勲章だよ」
とお父さんが言うと、最初「生死」が「精子」に聞こえてギョッとしたが、生きるか死ぬかの境という意味と分かると、
「だよね。自分でもよく助かったなと思う」
と龍虎は答えた。
 
それで結局一緒に浴槽に入る。
 
いきなりお父さんにおちんちんを触られて、龍虎は「きゃっ」と女の子みたいな声をあげた。
 
「男同士ちんちんくらい触ってもいいだろ?」
「そういうもんなの〜?」
「ほら、俺のも触れ」
と言って、龍虎の手を自分のおちんちんに触らせる。
 
ひぇー。
 

龍虎は訊いた。
「お父さんのおちんちんって、昔はクリちゃんだったものを大きくしてここまで育てたの?」
 
「それはこの基礎部分だな」
「基礎?」
「この付け根付近が、元はクリちゃんだったものだよ。大部分は腕の上腕部から皮膚を取って移植したもの。ほら、ここに傷跡があるだろ?」
と言ってお父さんは腕の傷を指さす。
 
「この傷は何の跡だろうと思ってた!」
 
この傷があるのでお父さんは夏でも絶対に半袖にならない。
 
「ここからおちんちんを作ったんだな」
「そうだったのか」
 
「昔の術式だとシリコンの棒をくっつけていたんだよ。でもそれじゃ触ったりしても気持ち良く無い」
「作り物ならそうだよね」
「これは元々自分の身体の一部を自己移植したものだからちゃんと感覚がある。実際思い込みかも知れないけど、お母さんとセックスすると気持ちいいぞ」
 
「セックスって何だっけ?」
「学校の保健の時間に習わなかった? 結婚した男と女がすることだよ」
 
そう言われて、龍虎は男女が抱き合っている様、女の人が仰向けに横になっていて、男の人がその上に乗っていて身体を動かしている様を想像した。なんか映画か何かで一瞬そういうシーンが出てきたことがあった。
 
「何となく分かる。それで子供ができるんだっけ?」
「そうそう。お父さんとお母さんの場合は、どちらも子供作る能力を放棄しちゃったから、もう子供はできないけどね」
 
「そんなこと言ってたね」
 

「セックスする時、龍虎はその下に居たい?上に居たい?」
とお父さんは訊いた。
 
「ボク分からない」
「そうかも知れないな」
と言ってお父さんは優しく微笑んだ。
 
「お前、女の子になりたいなら、このちんちんは取ってしまえばいい」
と言って、お父さんはまた龍虎のちんちんに触った。
 
「女の子になりたい訳じゃないんだよ」
「うん。男の子になりたいなら、このちんちん、もう少し大きくなるようにすればいい」
「大きくなるようにってどうやったら?」
 
「お前くらいの年齢の男の子はオナニーを覚えて、やめられなくなるけど、龍はオナニーしてないみたいだな」
 
「そのオナニーってのもよく分からない。友だちから聞くけど」
 
「じゃやってみせるよ」
「え〜〜!?」
 
それでお父さんは浴槽からあがると、オナニーを実演!してくれた。
 
「気持ち良さそう」
「うん。凄く気持ちいい。生まれながらの男なら終わった時、精液が出るんだよ。お父さんは男性能力が無いから出ないけどな」
 
「でもボクおちんちん小さいから、そういうのできない」
「お前の場合は、女の子式のオナニーをすればいい」
「え?そういうのしてたら、ボク女の子になってしまわない?」
 
「女の子になっちゃったら、なっちゃったで、お前やっていけるだろ?」
「そんな気はする」
「だから、すればいいんだよ。お父さんはもうクリちゃんがないから、してみせられないけど、お前の身体でやってみせよう」
 
「ちょっとぉ!」
 
それでお父さんは龍虎の身体で女の子式のオナニーの仕方を実演してくれたのである。
 
「物凄く気持ちよかった」
 
「女の子はみんなそれをしてるんだよ。お父さんも女だった頃は毎日してたぞ。でもお前は本来男の子だから、女の子式のオナニーをしても、結果的に男の子の器官が刺激されて発達する。ちんちんももっと大きくなるから」
 
「・・・」
 
「逆に男の子になりたくなければ、今のをしないように我慢する必要がある」
 
「ボクどうしよう・・・・」
 
「もし男になりたくないのなら、睾丸を取ってしまう手もある。そしたらおちんちんは今以上に大きくなったりはしないけど、子供は作れなくなる」
 
「お父さん、ボク自分が男になるのには不安がある。でも女の子になりたい訳じゃない」
 
「まあそれについて悩むのがたぶんお前の20歳くらいになるまでの課題だろうな。だからたくさん悩め。それで男になるか女になるか、決断できたらお母さんにでもお父さんにでも言いなさい。必要な治療があれば受けさせてあげるから」
 
「うん」
と龍虎は素直に答えた。
 

貴司たちは決勝戦・表彰式が終わった後は、都内の割烹で「準優勝祝賀会」が行われ、その後はいったんNTCに戻った。そして翌23日の午前中にあらためてバスケ協会の会長、文部科学大臣に準優勝の報告をし、お昼にはバスケ協会会長主宰の食事会に出て、そのあと解散となった。
 
貴司は新幹線で大阪に戻る。
 
貴司の身体だが、例によって9月9日の最終合宿開始から大会最終日の9月22日夜まではバストは消失していたのだが、23日の朝には復活していた。男性器はずっと無いままである。それで新幹線の中ではずっと(普通の)ブラジャーをしていた。していないと胸が揺れて痛いのである。ちなみに貴司は女装癖があるわけではないのでパンツは男物のトランクスを穿いている。
 
しかしこの身体になってしまってから2ヶ月半経ち、もうこの身体に慣れてしまった感じもする。
 
「ちんちんが付いてた頃のことを忘れつつある気がするなあ」
 

自宅マンションに戻ったのは17時頃である。再度シャワーを浴びてから下着をつける。男物のトランクスとシャツだが、その内側にブラジャーをしている。また下半身にはハーネスを装着し、***も取り付けている。シャツはブラジャーの線が見えにくいように灰色の厚手である。
 
その上に身体の線が分かりにくいコットンのワークシャツを着てジーンズのパンツを穿き(***を付けているので股間はあるように見える)、貴司はA4 Avantに乗って神戸市内の阿倍子の家まで行った。
 
着いたのは20時頃である。
 
ピンポンを鳴らすが反応が無い。
 
居ないのかな?と思い、念のため預かっている鍵で中に入る。
 
阿倍子が倒れているのでびっくりする。
 
「阿倍子さん、阿倍子さん」
と身体をゆすって呼びかけると、彼女は目を開けた。
 
「私死んでもいい?」
と阿倍子は言った。
 

貴司は阿倍子が自殺を図ったのではないかと思った。それですぐに阿倍子を抱き抱えると自分のAudiの後部座席に寝せる。そして近くの総合病院まで走った。
 
「何の薬を飲んだ?睡眠薬?」
と医師が訊く。
「いえ、何も飲んでいません。でも死にたい気分で」
と阿倍子が言うので医師が貴司を見るが貴司は
「でも倒れて意識を失ってたんです」
と答える。
 
「私3日くらいごはん食べてなかったから」
「じゃ空腹で倒れてたの?」
「赤ちゃんが・・・赤ちゃんが・・・」
と阿倍子が涙を流して言葉にならないようなので、医師は尋ねた。
 
「君、妊娠してるの?」
「そうなんですけど、赤ちゃん、お腹の中で死んでいると言われて」
「何!?」
 
偶然にも、産科医が院内に居たので来てもらった。
 
それで産科医が診察する。
 
「稽留流産していますが、これは極めて危険な状態です。赤ん坊が胎内で死んでから2ヶ月近くそのままになっています。これを放置していたら、奥さんまで死にますよ」
 
貴司は赤ん坊が死んでいると言われてショックだったものの尋ねた。
 
「どうすればいいんです?」
「直ちに掻爬する必要があります」
「すぐして下さい」
と貴司は言った。
 
「奥さんいいですか?」
「はい」
と阿倍子は力なく答えた。
 
それで深夜の緊急手術で、阿倍子の子宮の内容物は掻爬されたのであった。
 

しかし・・・死んでから2ヶ月ということは、ひょっとして阿倍子のお父さんが亡くなったのと前後して、この子も死んでいたのでは?と貴司は思った。
 
手術自体は15分ほどで終わったのだが、本人の意識が回復してから、産科医が事情を聞いた。6日前、17日に稽留流産と診断されたこと、20日にも再度別の病院に行ってみたものの、同じ診断だったことを阿倍子は泣きながら語った。
 
「なぜすぐ僕に電話しないんだ?」
と貴司は怒って言う。
 
「ごめんなさい、ごめんなさい。あなたの赤ちゃんを」
「そんなことより、君の身体が大事だ」
と貴司が言うと、阿倍子は泣いていた。
 
貴司は大会中、やはり自分は阿倍子のことを全く愛していないことを再認識し、千里とのことは置いておいて、取り敢えず阿倍子には別れてくれと言おうと思い、実はカードローンでお金を借りて100万円の現金を手切れ金として持って来ていた。子供は認知し、養育費を毎月送金するという線で妥協してもらえないかと考えていた。
 
しかし阿倍子がこの流産で精神状態が極めて不安定になっているのを見て、とても今は別れ話を切り出せないと思った。
 

阿倍子が導眠薬をもらって眠ってしまった後、貴司は千里にメールした。
 
《阿倍子が流産した。稽留流産で2ヶ月も経っていて危険な状態だったけど何とか持ち堪えた》
 
するとすぐに返信があった。
《残念だったね。でもそういう状態なら、貴司しばらく付いててあげて》
 
千里って・・・何て優しいんだ?と貴司は思った。
 

そんなメールをした千里を見て《いんちゃん》が
「千里が阿倍子の心配をするんだ?」
と訊いた。
 
「だって、この状態で阿倍子さん万が一にも死んだりしたら、阿倍子さんは貴司の心もそのまま持って逝ってしまう。貴司は阿倍子さんのことを忘れられなくなる。そしたら私は貴司の心を永遠に取り戻せない。だから、絶対に生きていてもらって、それで彼女から貴司を奪い返す」
と千里は言った。
 
「人間って難しいね」
と《きーちゃん》が言った。
 
「桃香ちゃんとの仲は復活させないの?」
と《たいちゃん》が訊く。
 
「そちらはもう終わったこと」
「ふーん」
 
「だったら私、阿倍子さんの身体のメンテしてくるよ」
と《びゃくちゃん》が言った。
 
「お願い」
と千里。
 
それで《びゃくちゃん》は《りくちゃん》に乗せてもらって神戸に向かった。
 

さて、千里が「終わったこと」と言い切った、桃香との関係だが、それはこのようにして終わってしまったのである。
 
22日(土)に千里は貴司の試合を見終わってから、
「ちょっと精神的な浮気しちゃったかなあ」
 
などと思うと、急に桃香に申し訳無い気分になった。考えてみたら、京丹後に出かけて以来、9日間も桃香に会っていないことに気付く。それでケーキでも買っていこうと途中銀座で降りて有名洋菓子店のケーキを2つ買い、それから電車で西千葉駅まで帰った。
 
それで千里は22日の21時頃、桃香のアパートに戻った。
 
鍵を開け、「ただいまあ」と言って中に入るが電気は点いていない。
 
「桃香、留守?」
などと言いながら、ケーキの箱を台所のテーブルに置き、襖を開けて部屋に入った。すると真っ暗な中で何かが動く気配があった。
 
「あれ?桃香寝てた?」
と言って、千里は蛍光灯を点けた。
 
「え?誰?」
と千里が声を掛ける。
 
桃香がギョッとした顔で飛び起きた。桃香は裸である。そしてその隣で裸で寝ていた美人の女の子も目を覚まして
 
「誰?」
と言って、こちらを見た。
 

「信じられない!私だけを一生愛すというあの誓いは何だったのよ!?」
 
激怒した千里はそのあたりの物を手当たり次第桃香に投げつけた。
 
この時点で千里はここ数日貴司と「精神的な浮気」をし、“細川の婚約者”まで自称して、貴司たちのチームに贈り物をしていたことは、きれいに忘れている。千里は自分に都合の悪いことはすぐ忘れる性格である。
 
「待ってくれ、話せば分かる」
と桃香は防戦一方である。桃香と寝ていた女の子は慌てて服を着て逃げ出した。
 
「痛い。やめて。暴力反対。千里、君は物を投げる力が強すぎる」
「私、小学校の時はソフトボールのピッチャーだったし」
「それに私の顔にばかり飛んでくるんだけど」
と桃香は自分の顔を腕でガードしながら言っている。
 
「当然、桃香の目に向かって投げてる」
「やめて〜。私が壊れる」
 
やがて投げるようなものが無くなって千里の攻撃は終了するが、千里の怒りは収まらない。
 
「私、出て行く。指輪も返す。サヨナラ」
と言うと、千里はバッグの中に入れていた結婚指輪と婚約指輪の入った2つのジュエリーボックスをやはり桃香に向かって投げつけ、荷物をまとめ始めた。
 

桃香は必死で謝り、千里を何とか説得しようとした。
 
「済まなかった。二度と浮気しないから許して欲しい」
「私、もう冷めちゃった。私、元々ビアンの傾向は無いし。だから桃香との結婚は解消」
 
千里がその問題についてはどうしても譲らないと判断した桃香は“次善の策”を提案した。
 
「分かった。結婚解消は受け入れる。でも友だちではいてくれない?」
「まあ友だちというのならいいよ」
「だったら友だち同士、これまで通り、ルームシェアするという線ではダメ?」
 
千里もかなり怒って、物を投げつけたりして、少しは気が紛れていたので、
「分かった。じゃ同居は継続してもいい。でもセックスは絶対拒否。レイプしたりしたら警察に訴えるから」
と答えた。
 
「分かった。絶対に手は出さない」
と桃香も誓った。
 
そういう訳で千里と桃香の結婚はわずか2週間で終了してしまったのである。
 

「美味しそうなケーキの箱がある」
と桃香は言った。
「それも桃香に投げつければ良かった」
と千里。
 
「食べ物をムダにするの反対」
「それは同意だ」
 
「お茶入れるから一緒に食べようよ」
「そうだね。ケーキくらいは一緒に食べてもいいかな」
 
それで桃香が(服を着てから)紅茶を入れてくれて、一緒にケーキを食べた。千里もまだ顔は怒っているが、少しは気分が落ち着いた。
 
「これ美味しいね」
と千里が言うので、桃香も少しはホッとする。
 
「千里、お腹空いてない?」
と言って、桃香は頑張ってインスタントラーメンを作り、
 
「食べない?」
と言うと
「食べる」
と千里も言って、一緒に出前一丁を食べた。
 

千里が結構落ち着いたかなというところで桃香は、あらためてエンゲージリングとマリッジリングのジュエリーボックスを千里の前に置いて言った。
 
「この指輪も千里だけのために作ったものなんだ。もしよかったら千里、これファッションリングとしてでもいいから再度もらってくれない?」
 
千里はまだかなりはらわたが煮えくりかえっていたのだが、桃香がほんとに低姿勢で頼むので妥協することにした。
 
「じゃダイヤの指輪はファッションリングということで。つける時は左手じゃなくて右手の薬指につける」
 
「うん。それでいい。石の入ってない方もつけてくれない?」
「じゃ右手中指につけて裁縫の指貫(ゆびぬき)代わりに」
「中指には多分入らないと思う」
 
実際千里はプラチナのマリッジリングを右手中指に入れようとしたが、桃香の言う通り入らない。
 
「じゃ仕方ない。これも右手薬指につける」
「うん。それで」
「ただしこれ指貫だから。指輪じゃないから」
「それでいい。じゃ私も千里に合わせて右手薬指に付けるよ」
 
「私は右手の方が左手より小さいから左手薬指に合わせた指輪が右手薬指にも入るけど、桃香は入る?」
「試してみる」
と言ってやっていたが、やはり厳しいようである。
 
「これ宝石店でサイズ直してもらってくる。このくらいなら簡単に直せるはず」
「お金ある?」
「実は少し厳しい。季里子との指輪で100万使って、千里との指輪では120万使ってしまって、今蓄えが完璧に無くて」
 
千里は自分との指輪に使ったお金の方が季里子との指輪に使ったお金より大きかったという話で少しだけ気分が改善された。
 
「じゃそれは私が出してあげるよ」
「済まん!」
「そもそも結婚指輪の代金の半分は私が出すべきものだったしね」
と言って、千里はその場で10万円桃香に渡した。
 
「こんな大金、千里いつも持ってるの?」
「まあたまたま持ってたし」
「これもらっても千里生活大丈夫?」
「うん。月末にはバイト代入るから大丈夫だよ」
 
それで千里と桃香はお揃いのマリッジリング(千里的解釈では“指貫”)を右手薬指に付けることにしたのである。
 
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【娘たちのリサイクル】(5)