【娘たちのクランチ】(4)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-06-09
「ではただちに保釈金を徴収します」
と言って刑務官?が寄ってきて貴司を拘束し、連れていく。
ちょっと待って。保釈金が男性性?って・・・徴収って・・・何する訳??
貴司は結局手錠を掛けられたまま鉄格子のある護送車に乗せられてどこかに連れて行かれた。着いた所は病院である。ここで何するの?と思っている内に貴司は手術室に運び込まれてしまった。
「それではただいまより被告から男性性を徴収します。執行猶予期間が終了したら返却します」
と執行官?が宣言した。
男性性の徴収???
やがて医師と看護婦数名が入ってくる。
「服を脱がせて」
と医師が指示すると、看護婦数名で貴司の服を脱がせてしまう。
「剃毛して」
「はい」
それで貴司のあの付近の毛がきれいに切られ、そのあと剃られてしまった。貴司は男性機能が封印されているので、看護婦さんに触られてもそこは一切反応せず小さいままだった。
でもまさかそこを剃毛したということは?
「麻酔が必要ですか?」
と医師が訊く。
「して下さい!」
と貴司は言った。
「麻酔をした場合、保護観察期間が1年延長されますが」
「構いません!」
すると医師はその付近に麻酔を掛けた。感覚が無くなったようである。
「では徴収します」
と言うと、医師は貴司の男性器をまるごと握ると、その根本にメスを当てる。
ちょっと待って〜〜!
と思ったものの、医師はそれをスパっと切断してしまった。
「これは保護観察期間の終了まで冷凍保存されます」
と医師は言い、何やら銀色の箱の中に入れてふたを閉めた。
貴司はあらためてあの付近を見る。
全部無くなってる!
そんなぁ。
「執行官、被害者から嘆願が出ています。ちんちんが無いと男湯に入れないけど、胸もなければ女湯にも入れないので不便だろうから、胸を付けてやってくれと」
「ああ、それは確かに。では胸をつけてあげよう」
胸を付けるって・・・それじゃ俺、ほとんど女みたいになっちゃうじゃん!
「ちょうど余っている胸があるのでそれを付けたいと思います」
「了解」
それで銀色のトレイに載った形の良い乳房が2つ運び込まれてくる。貴司はそれを見て「きれーい」と思った。
「ではこれをくっつけます」
と医師は言うと、貴司の胸の付近に麻酔をし、今ある胸付近の皮膚を丸く切り取る。その皮膚もさきほどの銀色の箱に一緒に入れられた。そしてトレイに乗せられていた乳房をその部分に乗せる。麻酔が効いているので痛みは無いのだが、その乳房が乗せられた時、貴司は「重い」と感じた。女の子って、こんな重たいものをいつも身体につけているのか。大変そうと思う。
それで医師はその乳房を貴司の胸の所に糸で縫い付けてしまった。
「以上で執行は終わりましたので釈放します。但し保護観察期間中は常に自分の居場所を千里に通知すること」
「あ、はい・・・」
「これが発信器です。これをいつも身につけていることで居場所は自動的に千里の携帯に通知されます」
「へー!」
しかし左腕につけられたのが、結納式の時に千里からもらったクロノグラフなのでびっくりする。
「バスケの試合に出る時とか以外は絶対にこれを外さないこと。長時間外していたら執行猶予は取り消され、ただちに死刑が執行されます。また浮気などをした場合も即死刑が執行されます」
そういえば俺死刑になったんだった!
「分かりました。いつも付けています」
「では釈放します」
と言って医師たちは部屋を出ていった。
そこで目が覚めた。
「夢か・・・」
とつぶやいて貴司は汗を掻いているのに気付く。
「確かに俺死刑になってもいいようなことを千里にしてしまったのかも」
とつぶやく。
「でもここどこ?」
と思って周囲を見回すと、千里(せんり)のマンションだ!
あれ〜?いつの間に帰ってきたんだろうと首をひねる。確か東京駅を歩いていた時に逮捕されて・・・・
その時、貴司は左手に何か「重さ」を感じたので見る。するとクロノグラフを付けているのでギョッとした。
これは千里に返したはずなのに!?
貴司はさっきの「判決執行」を思い出していた。
「これはずっと付けていなければならないのかも知れない」
と貴司は思った。
取り敢えず汗を掻いているのを流そうと思う。シャワーしている間は外していてもいいよね?と自分に言って腕時計を外し、バスルームに行く。服を脱いで裸になり、シャワーを出す。温度を手で確認してから、まずはあそこを洗・・・・おうとして仰天した。
え〜〜〜〜〜!?
その驚いている貴司を見て《こうちゃん》は頷くようにし、他の子たちを促してマンションを後にした。
「私本当にあいつを死刑にしたいんだけど」
と《びゃくちゃん》は怒ったように言う。
「貴司が死んだら千里がいちばんショックだよ。だから絶対に浮気できないようにしとけばいいのさ」
と《こうちゃん》は言った。
桃香は7月7日は「前から予約してたんだ」と言って千里をホテル・オークラのディナーに誘った。
「2ヶ月前に予約してたんだよ。実はキャンセルするの忘れててさ」
と言って桃香は遠くを見ている。
ああ、季里子ちゃんと食事するつもりだったんだろうなと千里は思った。桃香も辛い体験をしたんだもん。それなのに頑張ってる。私も頑張らなきゃと千里は思った。実際、6日の夜、7日の日中とずっと桃香がいてくれたおかげで、千里は随分と精神力を回復させたのである。
物凄い喪失感、心の一部が失われた感じが激しく、少しでもそのことを考えると辛くてたまらない気持ちになる。でも今は桃香と一緒にいようと千里は思った。
その夜もホテル・オークラのダブルのお部屋で、桃香の誘いに応じてたくさんセックスをした。
「昨日の千里も今日の千里も随分スムーズに入るなあ。何だかまるで女の子としてるみたいな感覚だ」
などと桃香が言うのを千里は微笑んで聞いていた。
7月7日(土).
龍虎は親友の宏恵の家にお邪魔していた。この時来ていたのは、他に彩佳と桐絵で、実はこの4人は小学2年生の時以来ずっと同じクラスで仲が良いのである。
宏恵の部屋で4人でボードゲームをしながらおしゃべりしていたら、宏恵のお母さんが入って来た。
「宏ちゃん、ちょっと町に出るけど、今度の宿泊体験の時のお洋服選ぼうよと言っていたのどうする?」
「あ、忘れてた」
「何何?お出かけするなら、私たち帰るよ」
と彩佳は言ったのだが
「みんなは宿泊体験の時の服はどうするの?」
と宏恵は訊く。
「普段着って話だったからふだん学校に着て行ってるような服で行くつもりだった」
と桐絵。
「明日買いに行こうかなと思ってた」
と彩佳。
「ボクは適当な服で」
と龍虎。
龍虎はいつも川南がたくさん服を持って来てくれるので、タンスがあふれているのである。ただ、川南が持って来てくれる服は全部女の子用であるというのが問題である!龍虎はいつもその中から男の子でも着られそうな服を選り出して着ているが、時々左前袷の服とか、前開きの無いズボンとかを着ていて友だちに指摘されることがある。
「だったら一緒に出かけて下見だけでもしない?」
「あ、それもいいね」
「みんな行くんだったら、ごはんくらいごちそうするよ」
「わーい!」
ということでみんなで出かけることになった。
宏恵のお母さんが運転する車に4人が乗ってイオンに行った。お昼近いのでまずはマクドナルドで腹ごしらえをし、それから洋服売場に行く。ちなみに龍虎はガールズの服が売ってある付近を歩くのは全く平気である。
「あ、これ可愛いね〜」
「わあ、でもお値段も可愛い!」
「この色、宏ちゃんに似合わない?」
などとお母さんも含めて5人でわいわい言っている。
それで試着したりもして可愛いチュニックと7分丈のコットンパンツを選んだ。
「下着も少し買っていきましょう」
とお母さんが言った時、彩佳と桐絵が一瞬視線を交わしたが、まぁいいかという雰囲気になる。実際問題として龍虎は宏恵たちと一緒に平気でランジェリーのコーナーに行く。
「あんたもそろそろジュニアブラくらい着けてもいいよね」
などと宏恵のお母さんは言って、その付近を見ている。
まだクラスの女子でブラジャーを着けている子はいないが、宏恵は少し胸が膨らんで来ており、カップ付きキャミソールを着ている。
「宏ちゃん、胸あるもんね」
などと桐絵が言っている。体育の時の着換えでけっこうクラスメイトの女子には見られているのだが、さすがに龍虎はそういう所までは知らない。
「でも私の胸に合うようなブラってある?ブラってもう少し胸の大きなお姉さんがつけるのかと思ってた」
と宏恵。
「ジュニアブラで少し練習した方がいいのよ。カップの小さなものもあるよ」
とお母さんは言っている。
それでお母さんは店員さんを呼び止めて、宏恵のバストサイズを計ってもらった。
「これならもうSTEP2のジュニアブラがつけられますよ」
と店員さんは言った。
「STEP?」
「初めてブラジャーをつける時は、まだバストサイズが大きくないので胸囲だけで選んでいいんですよ。STEP1のブラはカップが柔らかい伸縮性のある生地でできているので育ちはじめの胸を優しく守るんです。少し膨らみ始めたらアンターバストと、カップサイズの組み合わせでブラを選ぶようになります」
と店員さんは説明した。
「まだまだと思っていても、意外にSTEP2の段階に入っているお嬢様が多いんですよ」
「へー!」
宏恵はSTEP1のブラならSサイズだが、STEP2のブラならAA70で行けるということだった。
「何かAカップとかBカップとかCカップとか言いますよね」
と彩佳が訊く。
「AやBやCはアンダーバストとトップバストの差を言います。これが15cmあればCカップ、12.5cmならBカップ、10cmならAカップ、7.5cmならAAカップですね。AA70というのは、アンターバストが70cm, トップバストが77.5cmというサイズです」
と店員さんは説明した。
「なんで2.5cm単位なんですか?2cm単位とかの方が分かりやすい気がするのに」
「これはアメリカのブラジャーサイズが輸入されたからなんですよ。向こうはインチ刻みで、1インチが2.5cmなので」
「なるほどぉ!」
「それ、もっと小さい膨らみの人はどうなるんですか?」
「そうですね。差が5cmならAAA、差が2.5cmならAAAAになりますね」
「差が0cmなら?」
「AAAAAかな」
と店員さんは真面目に答えてあげている。
「トップバストの方が小さかったら?」
という凄い質問が出る。
「私はそういう方は見たことないですが、トップがアンダーより2.5cm小さかったらAAAAAAかも」
と店員さんも笑いながら答える。
「あんたAAAAAAAAくらいじゃない?」
「いや、あんたはAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAくらいかも」
などと言い争っている。
ちなみにAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA (A
21)というのはAAAAAより更に16インチ=40cmカップサイズが小さいということになり、アンダー60cmならトップは20cmということになる。A
29でトップが0cmになる!
「みなさん計ってみましょうか?」
と店員さんはその場にいる全員のバストサイズを計ってくれた。
すると桐絵はAAA80, 彩佳はAAA65, そして龍虎はA55ということだった。
「龍ちゃんがAカップ!?」
と言ってみんな驚く。
「龍ちゃん、そんなにバスト大きいんだっけ?」
「この中でいちばん小さく見えるのに」
みんな胸の大きさで男の子に負けるなんて!?という気分である。
「それはアンダーバストが小さいからですよ」
と店員さんは説明した。そして4人全員のサイズ計測値を紙に書き出した。
宏恵 u70 t77 お勧め AA70(70/77.5) or S
桐絵 u81 t85 お勧め AAA80(80/85) or M
彩佳 u63 t67 お勧め AAA65(65/70) or 2S
龍子 u55 t64 お勧め A55(55/65) or 2S
この時店員さんから字を聞かれて龍虎は「空を飛ぶ龍に、吼える虎のコです」と自分の字を説明したのだが、聞き違いか勘違いか、あるいは女の子なら「子」だろうと解釈したのか店員さんは「龍子」と書いてしまった。が、龍子と書かれてしまうのは日常茶飯事なので誰も気にしない。
「なるほど、龍はアンダーが異様に細いから結果的にカップサイズが大きくなってしまうのか」
と彩佳が納得したように言う。
「龍は痩せてるもんね〜。お肉がほとんど無いもん」
女子たちの上半身裸をさすがに龍虎は見ていないものの、龍虎の上半身裸はけっこう女子たちに見られている。
「腕を動かすのに最低必要な筋肉の分だけトップがあるんだよ」
と桐絵が鋭い分析をする。
「基本的にはブラジャーはトップサイズで選べば何とかなるんですけどね。ですから、AAA80(80/85)で合う人ならA75(75/85)でもつけられることが多いです」
「なるほどー」
「だったら、龍はA55だけど、AAA60でもいけますよね?」
「はい。多分行けると思います。少しカップが浮きますが」
「AAAAA65でもいける?」
「入りますけど下が完全に浮いてしまいますし、AAAAAカップはブラジャーとしての役目を果たせないですね」
「確かに!」
「じゃ龍はブラジャーを自分で買う時はA55かAAA60を買うように」
と彩佳が言うと
「うん。覚えておく」
と龍虎は平然として答えた。
2012年7月8日(日)。
朝起きると千里はこう言った。
「結納をぶち壊しちゃる」
《こうちゃん》と《びゃくちゃん》がパチパチパチと拍手していた。
ショッキングな宣告から2日近く経ち、やっと千里に最低限の精神力が戻ってきたのである。千里は熟睡している桃香を放置して身支度を調えると、最初に葛西のマンションに行ってジバンシーのワンピースを着た。お化粧もしっかりして貴司からもらった18金のイヤリングをする。そして車で東京駅まで移動すると、駅近くの駐車場に駐めて、新幹線に飛び乗る。そして貴司と阿倍子の結納が行われる大阪市内のホテルに行った。
結納は部屋などは取らずにレストランのオープンスペースで、また《結納セット》などは使わずに、結納金と指輪を貴司が阿倍子に渡すという形式で行われることを《こうちゃん》は千里に教えてくれた。
千里は予定時刻の30分前にそのレストランに入り、紅茶とパンケーキを注文した。貴司からもらったエンゲージリングをプラスチーナの結婚指輪に重ねて左手薬指につける。
紅茶とパンケーキが来たので紅茶にたっぷりミルクと砂糖を入れ、パンケーキにもたっぷりメープルシロップを掛けてから食べると、甘〜いと思う。
だけど私これまで貴司に何回振られたんだろう?と考える。自分が高校に入った時に1度別れ、彼は新たな恋人を作ったものの千里と一緒の写真が雑誌に載ったせいですぐに別れている。そしてバスケットのインターハイ予選で戦い、ゲームが終わった後、貴司が千里にコート上でキスするという事件を経て交際は再開された。
貴司が大阪で就職した時にまた別れ、彼は大阪で幾人かのガールフレンドを作った後、聖道芦耶と付き合い始めた。これを2009年4月9日、かなり際どい争いに勝利して取り戻した。あの時は千里は一時は敗北したと思った。ところが千里が悪戯でしていたことがきっかけで奇跡の逆転勝利になったのである。
それで1年ぶりに恋人に戻ったものの、貴司は1ヶ月半もしない内に藤原緋那と付合い始める。緋那は千里が知る限り貴司がセックスをした唯一の女だ。彼女に対しては千里もかなり戦闘的に争って、結局緋那は2009年12月12日の夜、千里にマンションの鍵を返して実質的に撤退したものの、緋那の影は今年の春まで見え隠れしていた。やっとその緋那の影が消えたかと思ったら今回の事態である。
しかしこれは貴司が自分以外の女と「交際した」歴史であり、他の女と1〜2回デートしたレベルの浮気は数え切れない。たぶんこれまでの9年半に50人くらいの女を排除してきたのではないかと思う。
私、なんでこんな浮気男のこと好きなんだろう?と自分に呆れるが、でも好きになってしまったものはどうにもならない。
やがて貴司が30歳くらいの女性と60歳くらいの夫婦と一緒に入って来た。貴司は普通のブラックスーツ、老夫婦もブラックフォーマル、30歳くらいの女性はピンクのワンピースである。
千里がじっとそちらを見つめていると貴司が千里に気付きギョッとしている。しかし千里は無表情でそちらを見つめていた。
最初その30歳くらいの女性を千里は介添え役か何かと思ったのだが、どうもそれが貴司が婚約したという女性のようだ。なぜよりにもよってこんな年増と?と千里は疑問を持った。しかし・・・結納であるなら保志絵さんと望信さんも来るのではと思ったのだが、どうも来ないようである。
一行はとりあえずコーヒーだけ頼んで、それを一口飲んでから「式」を始めたようだ。貴司が何やら口上を述べた上で祝儀袋と目録っぽいものを向こうのお母さんに渡し、お父さんが受書を貴司に渡したようである。関西式のようで、「結納を交換」ではなく「結納を納める」という形を取ったようだ。
その上で貴司が青いジュエリーケースを取り出して阿倍子の左手薬指にダイヤの指輪をつけてあげようとした。
千里はムカッとした。
するとその途端貴司は指輪を床に落としてしまった。
やーい。いい気味だ。
貴司が慌てて拾い上げてほこりを払った上で阿倍子の指につけた。
ダイヤのサイズは見ると0.3カラットくらいである。
それを見て千里は「勝った」と思った。さすがに1月に250万のダイヤの指輪を買ったばかりで、同程度の指輪は買えないよね。しかし結納金はまたお父さんから借りたのだろうか??
さっき貴司が指輪を拾おうとした時、左手が伸びて、そこにしている腕時計が千里の視界に入った。千里はその腕時計のことを考えていた。
それは先日千里との結納で千里が貴司に贈ったタグホイヤーのクロノグラフだったのである。
『ね、ね、あの縁談、どうやって潰すの?あのテーブル爆破しちゃうとか、あるいはパンダを乱入させるとか』
と《こうちゃん》が楽しそうに過激なことを千里に語りかける。《こうちゃん》は悪いことをするのが大好きなのである。しかしパンダなんて調達できるのか?ちなみに彼の手にはダイナマイトらしきものが握られている。さすがにそんな物使ったら逮捕される!千里は貴司の腕時計に視線をやりながら言った。
『今日は潰すの中止』
『え〜〜〜!?』
『だって、あの女のお父さんに、こうちゃんだって気づいたでしょ?』
『ああ。あれはもう半月ももたんな』
『自分が死ぬ前に娘に良い婿が来てくれるのを見ることができたと安心しているところを邪魔したくないよ』
『でもいいの?』
『今日はあのお父さんに免じて許してあげるよ』
『だったらあのじいさんの心臓止めてこようか?娘の結納も見た所で苦しまずにあの世に旅立てるのはよいことだぜ?その後で破談にすればいい』
と言って《こうちゃん》は今度はエレキテル!?のようなものを持っている。それ殺人事件になるぞ。
『人を殺すのは禁止』
『はーい』
と《こうちゃん》は気の無い返事をした。
それで千里は席を立つと会計の所で自分の分を払った上で言った。
「ヴィラジオ・ノルド・ディ・モンテフィアスコーネ、あります?」
会計係がソムリエを呼んで、あることを確認してくれた。
「ボトルで1本、あそこの結納やっている席に、私のおごりで」
「かしこまりました。何かご伝言はございますでしょうか?」
「後輩より、幸せを願ってと」
「承ります」
それで千里はその“別れのワイン”が貴司たちのテーブルに届けられるのを見た。このワインの素性はたぶん誰も知らないだろう。貴司が戸惑うようにしてこちらを見ている。阿倍子の両親は笑顔でこちらにお辞儀をしたが、阿倍子は物凄い形相で千里を、正確には千里の左手薬指に踊る豪華なダイヤの指輪を見つめていた。
千里は軽くそちらの席に手を振ってレストランを後にした。
その直後に貴司のテーブルのそばにあった観葉樹が倒れてきて貴司に当たったのも、ホテルを出た所で唐突に水道管が破裂して、貴司も阿倍子もずぶ濡れになったのも千里は知らなかった(阿倍子の両親は無事)。
千里はそのまま帰ろうとしたのだが、ホテルの入口付近でバッタリと保志絵と遭遇する。
「お母さん!?」
「千里ちゃん!?」
「お母さん、結納に立ち会わなくて良かったんですか?」
「千里ちゃん、やはり気になって来たのね?」
千里はひとつため息をつくと
「これお母さんにお返しします」
と言って自分の左手薬指につけていたダイヤの指輪を外すと、水色のティファニーのジュエリーケースに収め、お母さんに差し出した。
これを返すということは、自分との婚約解消を認めたことになる。物凄く寂しい気持ちになった。しかし保志絵はそのジュエリーケースを受け取らないまま言った。
「少し話そうよ」
「はい」
それでふたりはホテルを出てから近くの和風レストランに入った。
「私も理歌や美姫も貴司の行動に激怒している。この結婚は認めない」
と保志絵は言った。その表情が本当に怒っているようで、そのことで千里は物凄く救われる思いだった。
「千里ちゃんは納得してるの?」
「私、一昨日唐突に別れてくれと言われて、正直まだ事態が飲み込めてないです。飲み込めてきたら、私、凄いショックに襲われそう」
と千里は正直に心境を語る。
「今日は相手の女の顔を一目見てやろうと思って出てきたんですよ」
と千里。
「私も!」
と保志絵。
ふたりは1時間ほど話し合った。
千里が貴司たちのテーブルに“別れのワイン”を贈ったというのには保志絵は吹き出していた。
しかし、唐突な千里との婚約破棄・新たな女性との婚約という話に、保志絵たちが激怒して絶対にその結婚は認めないと言っていること、そして保志絵たちは今でも千里のことを貴司の妻だと思っていることを聞き、千里は涙を流した。千里はやっと自分の「立ち位置」を再発見した思いだった。
「10月7日に結婚式を挙げると言っているけど、うちは誰も出ないから」
と保志絵は言ったが、千里は言った。
「その結婚式は延期されます」
「なぜ?」
「どんなに貴司さんが非常識でもさすがに喪中に結婚式は挙げないでしょ」
「喪中?」
「お母さんも気付いたでしょ?あの女のお父さんはどう見ても1ヶ月ももちません」
千里は長くて半月と思ったのだが、取り敢えず1ヶ月と言っておいた。
保志絵はしばらく考えていた。
「千里ちゃんって、人の寿命が分かるよね。宝蔵さんの死期も知っていたし」
「たまに唐突に感じられることがあるんですよ」
「でも京平はどうなるんだろう?」
「大丈夫です。私が産みますから」
「やはり千里ちゃん、赤ちゃんが産めるのね?」
と言いながら、保志絵は以前見た、千里が長女と記載された戸籍謄本のことを思い起こしていた。
「貴司さんは浮気性でしょ?だから万一貴司さんが阿倍子さんと結婚してしまったとしても、私が誘惑したら絶対セックスに応じますよ」
「それは言えてる!」
「だからちゃんと貴司さんから種をもらって私が産みますから」
「じゃ、千里ちゃんは貴司を諦めていないのね」
「時間は掛かるでしょうけど、絶対に取り返しますよ」
「分かった。頑張ってね。私も理歌も美姫も応援しているから」
「はい、頑張ります」
「だったらこのエンゲージリングは千里ちゃんがそのまま持ってて」
と保志絵はジュエリーケースをこちらに寄せる。
しかし千里はそれを保志絵の前に戻して言った。
「私が再度貴司さんを取り戻した時、これはまた頂きます。ですから、それまでお母さん、預かっていて頂けませんか?」
「分かった。そういうことなら預かっておく」
「それと、これ急に用意したので新札じゃないし、銀行の封筒で申し訳無いのですが」
と言って、千里は結納金の分の100万円を新大阪駅のATMで下ろして封筒に入れて持って来たものを差し出した。
「これは返却の必要無い。一方的に貴司が婚約を破棄しておいて。むしろ貴司が慰謝料を払うべき」
と保志絵は言った。
「慰謝料はいりません。そんなの受け取ったら私と貴司さんの仲は本当にそれで終わりになってしまいます。でも結納金の方は、私と貴司さんの婚約がいまだに有効なままであることの証として頂いておきますね」
「うん、そういうことにしよう。だから千里ちゃんは今でも貴司のお嫁さんだよ」
「はい!」
と千里は明るく答えた。
7月9日(月).
この日貴司の会社ではボーナスが出たが、貴司はその使途に悩むことになった。そもそも6月に千里への結納をするのに50万円会社から前借りしていたので、それを自動的に引かれている。更に千里に贈る結婚指輪を買ったのの代金が10日に引き落とされる。
阿倍子関係の出費も色々あるのだが、やはり千里とのことをきちんとしないと阿倍子とのことは進められない。
そこで貴司は千里との結納で袴料としてもらった分の50万円を母の口座に振り込み、母に千里のお母さんに返却して欲しいと頼んだ。母は一応了解してくれた。
(あの時は結納金の半分50万を父から借り、残り半分50万を会社から借りたので、袴料としてもらった50万を父に返している。昨日の結納式では実際の結納金は阿倍子が両親にも内緒で自分で用意している。要するに結納金は実質ゼロだった)
なお保志絵は、千里からは帯料と婚約指輪は返却されたものの、こちらの一方的な婚約破棄なので、返却は不要として、帯料は千里に戻し、指輪は自分が取り敢えず預かっていると語った。
「こういうのは倍返しだよ。だからあんた、袴料と時計で合計100万円くらいもらっているんだから、200万円の返却が必要。年内にはあと100万円きちんと清算しなさい」
と母は言った。
「分かった」
それで冬のボーナスの用途も決まってしまった。クロノグラフの位置づけが曖昧だが、自分はいったん千里に返したはずなのを「保護観察」用で渡されたのだから、多分その分の補償はいいのだろうと勝手に解釈した。
なお作ってしまって千里にまだ渡していない結婚指輪をどうしようか?と貴司が母に訊いたが、母は「それも婚約指輪と一緒に自分が預かっておく」と言う。それで貴司は母宛に宅急便で送ることにした。
「あと慰謝料も必要だからね」
と母は追い打ちを掛ける。
「うっ・・・」
「あんたたちは9年間交際してきている。これって事実上結婚していたも同然なんだよ。だから離婚の慰謝料相当が必要。あんたの年収なら最低でも5000万円」
「そんなに!?」
「当たり前じゃん。ひとりの女の子の人生をめちゃめちゃにしたんだから。あの子はあんたのお嫁さんになることだけを思って生きて来たんだよ。裁判やったら3億か4億になるかもよ」
「払えないよぉ」
「あんたはそのくらい重大なことをしたってこと。少し反省しなさい」
と母は怒って言った。
7月9日(月).
千葉のアパートに青葉から桃香宛の荷物が届いた。青葉が愛用している数珠である。千里の性転換手術の後で、ヒーリングをしてあげたいから、その媒介に使って欲しいということであった。手術中はアクセサリーの類いもつけられないので、手術が終わった後で、千里の腕などにつけてあげて欲しいと青葉は言っていた。元々千里に買ってもらった数珠なので、青葉と千里の間に強力なコネクションを築くことができるらしい。
「青葉自身、同じ日に手術を受けるのに、ヒーリングなんてできるのかね」
と桃香は千里と話した。
当日、青葉は射水市の病院で16時から、千里はプーケットの病院で現地時刻の15時(日本時間の17時)から手術を受ける予定である。両者はほぼ同時進行になるはずだ。手術はだいたい3時間程度かかるものと思われる。
「無理しない方がいいと思うんだけどね。私は何とかなると思うし」
と千里も言う。
「それお母さんに言っておいてよ。絶対に無理させるなって」
「うん。伝えておく」
7月10日(火).
千里は桃香の友人・桜子が勤めている千葉市内の旅行会社の店舗を訪れ、頼んでいた航空券を受け取った。この代理店には青葉の家族の法事の時のチケットの手配などもしてもらったし、最近はローキューツの遠征の際のチケットの手配も毎回頼んでおり、千里は“上得意様”になっている。次のローキューツの遠征用のチケット代金も、ついでにカードで払っておいた。
「しっかし凄いカード持ってるなあ。私これ他で見たことないよ」
「年会費が凄まじいけどね」
「だろうね。念のためパスポート確認しておいていい?」
と桜子。
「うん」
と言って、千里は自分のパスポートと預かってきた桃香のパスポートを提示する。
「Momoka Takazono, April 17th, 1990, Sex Female; Chisato Murayama, March 3rd, 1991, Sex Female. 間違い無いね」
と桜子は航空券とパスポートの記述を照合して言った。
「うん。性別が間違っていたら大変だけどね」
と千里。
「桃香はSex Maleと書かれていた方がトラブルが無い気もするけどね」
と桜子。
「ああ。去年アメリカ行った時もアメリカ入国・出国両方で『あんた男じゃないの?』と言われて揉めたんだよ」
「桃香らしいや」
「でも千里ちゃん、このパスポート凄いね。大量に入出国してる」
「うん。作曲家の助手してる関係で頻繁に海外に出るんだよ。ある時なんて唐突に『ちょっとドイツまで行ってきて』と言われて、0泊で往復して来たし」
「大変だね!」
「だから現金もいつも日本円・ユーロ・ドルとある程度持っているんだよ」
とバッグの中身を見せると桜子は
「すごーい。ひったくりに気をつけてね」
と言った。
7月12日(木).
貴司はこの日から15日まで男子代表の第五次合宿で東京のNTCに出てきた。実際には始発に乗っても練習開始に間に合わないので、前日11日の夜に東京に移動し、アスリート・ヴィレッジに前泊してから練習に参加している。
代表合宿にも随分慣れてきた。しかし今回貴司は“困った問題”を抱えていた。
“その問題”は練習に影響が出るかなと思っていたのだが、急激な動作をした時に“あそこが痛い”ため、瞬発力が少し落ちる問題を除いては何とかなった。むしろ“あそこが邪魔にならない”おかげで、足を激しく前後に動かすドリブルは前より速度があがった気がした。
12日の練習が終わって、部屋に戻る。代表合宿って疲れるけど充実感があるなあと思い、取り敢えず大浴場で汗を流してこようかなと思って洗面道具を持って部屋を出た。そして脱衣場で脱ぎかけてから、
しまった!
と思う。慌てて服を着直してそのまま部屋に戻る。脱衣場の出口で龍良さんとすれ違う。
「あれ?もう終わったの?」
「はい。お風呂頂きました。お疲れ様です」
と言って、急いで部屋に戻る。
龍良さんはやばい。絶対やばい。俺、愛人にされちゃうよ!と貴司は思った。それでその日は自分の部屋のシャワーで汗を流した。
13日も同様に練習後自分の部屋で汗を流す。
そして14日。この日練習が終わった後、部屋に戻ろうとしていたら龍良さんがいきなり貴司の肩に手を回すと
「ほ〜そ〜か〜わ〜君、今回はまだ一緒にお風呂入ってないよ。入りに行こう」
と言った。
貴司はとっさに右手で胸の付近をガードしたので“バレずに”済んだものの、お風呂というのは絶対にやばい。
「すみません。ちょっと頑張りすぎたみたいで。眠たいので今日はこのまま寝ます」
と貴司は言い、取り敢えず逃亡した。
その貴司の背中を見ながら龍良は腕を組んで何か考えていた。
「どうしたん?ショウちゃん。細川が気に入った?」
と須川主将が訊く。
「いや。あいつ絶対怪しい」
「へ?」
「まあいいや。次の合宿では正体をあばいてやる」
「正体???」
2012年7月14日(土).
この日の朝起きると千里は自分の身体が「男の子の身体」に戻っていることを認識した。
「なんかこの身体頼りないなあ」
と思わず声に出して言ってから
『これってもう男の子になるのは最後だよね?』
と《いんちゃん》に尋ねる。
『そうだよ。もう性転換手術受けちゃうからね。千里、やっと5年前からの借金を返せるんだよ』
千里が突然《性転換手術後の身体》になってしまったのは2007年5月21日の朝である。
『そっかー。私が女子バスケット選手をしてきたのはたった5年間か』
その5年間の間に随分色々あったよなと千里は思った。
『それ以前からほぼ女の子だった気もするけどね』
と《いんちゃん》が言うと、眷属たちとは別の方角でクスクスと笑う声もあった。
朝御飯を食べてから、成田空港に向かう。成田には札幌から玲羅もわざわざ出てきていて、千里を見送ってくれた。玲羅の大学はまだ夏休みに入っていないのだが、土日なので出てきてくれたのである。東京に出てきたついでにライブに参戦してから帰ると言っていた。
「姉貴が今更何の手術を受けるつもりなのかよく分からないんだけど」
「私もよく分からないのよね〜」
「その手術死んだりしないよね?」
「ごく稀に死ぬ人はいるみたいだけど」
「じゃ死なないように気をつけてね」
「ありがとう」
飛行機の座席に座ってから千里が愛用のスントの腕時計を見るとSAT 14 JUL 10:40 という文字が表示されていた。「あ、日付も時刻も1と4だ」と思う。
飛行機の中では桃香がたくさんおしゃべりをして、少し寝ておきたかった千里もそれにずっと相槌を打っていた。バンコクに着いてから入国審査を通り、国内便に乗り換えるのに空港内を歩いていた時、ふと時計を見るとFRI 14 JUL 17:47 という表示になっていた。
あれれ?日付が変わって金曜日になったんだっけ?でも日付は14日のままだよ。時差だっけ??と、よく分からないことを考えて千里は桃香に尋ねた。
「タイって時差は2時間だったよね?」
「うん。2時間だよ。あ、千里の時計、日本時刻のままでしょ」
「うん。タイ時間に直せる?」
「OKOK。貸して」
と言って、桃香が直してくれる。この腕時計には世界時の機能があるので都市名をBKKに設定してくれたようである。実は千里はこういうのが苦手なので、海外遠征に行く時はいつも玲央美に直してもらっている。
「はいできたよ」
「ありがとう」
それで受け取った腕時計はFRI 14 JUL 15:48になっている。17時台から15時台に時間が2時間戻っているが、曜日は金曜日のままである。あれ〜?何でだろうと思ったが、まっいっかと思った。
NRT 7/14(Sat) 10:50 (TG6003/NH953 77W) 15:25 BKK (6h35m)
BKK 16:45 (TG217) 18:05 HKT
その後国内便でプーケット空港(HKT: Phuket International Airport)行きの便に乗り継ぐ。1時間20分のフライトで到着し、アテンダントさんに案内されてタクシーでTAH(Tanputa Aesthetic Hospital)に入り、すぐ入院手続きをした。
ここは2004年にできた病院で、院長のテンプータ先生はバンコクの有名なプリーチャ先生のお弟子さんらしい。プリーチャ先生のChollada Clinic や 2002年に設立されたPAI (Preecha Aesthetic Institute)にもおられたらしい。
この日14日は“金曜日だったので”、時刻的には18時を過ぎていたものの、病院の平日のシステムがまだ動いていた。それで、千里は病院に入るとすぐに血液検査・尿検査を受け、心電図やMRIも取られた。テンプータ先生の診察も受けた。
一方この日7月14日(土)に青葉は卓球の地区大会に出ていた。別に卓球部ではないのだが人数が足りないからと言われて助っ人だったのである。青葉は昨年7月14日付けの「睾丸が存在しない」という診断書を持っていたので、今年の7月14日以降なら県大会までは女子選手として出られるという中体連の認定をもらって出場したのである。
翌7月15日(日)には、富山市に行き、コーラス部の県大会に出場した。青葉のソプラノソロをフィーチャーした『合唱組曲・立山の春/五番・愛』を歌い、1位になった。これで今月29日の中部地区大会に進出することとなったが、29日は青葉は性転換手術の11日後でとても歌えないので、2年生の葛葉がソロパートを歌うことになっている。
青葉は16日(月・祝)には入院の準備などをし、17日(火)は学校はあるものの休ませてもらい、射水市の病院に入院した。母はこの日から会社を休もうかと言っていたのだが、
「今日手術する訳じゃ無いから大丈夫だよ。明日は付いてて」
と青葉が言うので、結局この日は会社に出て行き、18日に有休を取ることにした。この日の夕方には、彪志も千葉から来てくれた。彪志はこの日は青葉に面会した後、青葉の家に泊まって、手術当日、母と一緒に病院に出てきた。
一方プーケットでは、手術までの間桃香はすることがないので、青葉からお土産なら何か宝石を使った安いアクセサリーをと頼まれていたしと思い、プーケットに到着した翌日の7月15日(土)には町に出て、わりと庶民的な雰囲気のするジュエリーショップに入った。
タイ語でもお店の名前が書いてあるが桃香には読めない。しかし英語でもJewelry Shop Colognと書かれているので、きっとタイ語でも同様のことが書かれているのだろうと考える。
桃香が入って行くと、店員さんが出てきて何やら中国語で話しかけてこられたので桃香が焦って「えーっと」と言うと、こちらが日本人であったことに気付いたようで
「お兄さん、彼女へのプレゼントですか?」
とやや片言っぽい日本語で話しかけられた。
桃香は「お兄さん」と言われたことは気にしないことにして、
「妹へのお土産なんです」
と答えた。
もっとも向こうは微妙に日本語が分かってないようで、日本語と英語のミックスで会話をする。結局、銀色の星形のプレートに三日月型の青い石がぶらさがり、その先に赤い小さな石もぶらさがっているイヤリングを選んだ。お店の人はプレートは銀、青い石はブルースピネル、赤い石はルビーだと言っていたが、それは値段からしてかなり怪しい気がした。それでもきれいなイヤリングなのでそれを買うことにする。
「これピアス仕様だけどイヤリング仕様、ear clip typeに変更できる?」
「できますよ。金具はどれにします?」
「ゴールドフィルド(金張り)のある?」
「これがGold Filledだよ」
「じゃそれにして」
「分かったよ。では金具代入れて加工代サービスで10000バーツ(約2.5万円)です」
「おお安いね〜。6000バーツか」
「いえ、10000バーツですけど, It is TEN thoudand bahts」
「うん。6000バーツってなかなか素敵だね。SIX thousand bahts is a good price」
お店の人と桃香はお互いに「こいつは手強いぞ」という視線で微笑み合う。
そして10分間に及ぶ戦闘!の結果、8500バーツで妥結した!桃香もお店の人も、お互いなかなか好敵手であった!?と認め合い、最後は握手した。
「お兄さん、なかなかやるね。ここまで僕に張り合った人は初めてだよ」
と店員さんは言いながら金具の交換をやってくれた。
それで8500バーツ払い、レシートをもらった。
そのレシートの日時は 11:30 Sat July 15 2006 と印刷されていたが、ここで年が2006になっていたことに桃香は気付かなかった。
7月14日(土).
熊谷の龍虎の家に川南と夏恋がやってきた。
「おーい、龍虎、ディズニーランド行くぞ」
実は連休なので、川南たちが泊まりがけでディズニーランドに連れて行ってくれることになっているのである。今日は東京に出てソニーエクスプローラサイエンスや、この5月に開業したばかりのスカイツリーを見た後、ディズニーアンバサダーホテルに泊まり、明日1日ディズニーランドを楽しむ。
実は上島さんからディズニーランドのチケットとホテルのクーポンをもらったので両親と一緒に行ってこようと言っていたのだが、ふたりとも部活の大会とぶつかった。人気が高いアンバサダーホテルの日程変更は困難である。それで川南と夏恋が代わりに龍虎を引率することになったのである。
出がけにいきなりだめ出しを食らう。
「龍虎、もっと可愛い格好をしよう。取り敢えずスカート穿こう」
「え〜〜!?」
とは言ったものの、スカートを穿くのは嫌いじゃないので、乗せられて穿いてしまう。上も可愛いブラウスを着た。下着も女の子パンティを穿かされて、着換えも女の子の服ばかりにされる。
ちなみに両親は既に出ていた。
それで3人で一緒に電車で東京に出て午前中にスカイツリーに行った。女の子の服を着ているのでトイレも女子トイレを使うが、龍虎が女子トイレを使うのはごく日常である。お昼を食べている時に、隣のテーブルで中学生くらいの女子がお母さんとブラジャーの話をしているのが聞こえてきた。
「そういえば龍も5年生だから、そろそろブラジャーに慣れてもいいよな」
などと川南が言い出す。
「こないだ友だちが下着を買うのに付き合ってスーパーのランジェリーコーナーに行ったら、ボクまでサイズ計られてA55だって言われた」
とうっかり龍虎は言ってしまった。
「ん?」
「龍、それならA55のブラジャー買ってあげよう」
と川南が言い出す。
龍虎は「しまったぁ」と思った。
それで食事の後、川南たちは龍虎を近所のファッションビルの中にあるランジェリーショップに連れて行った。あらためてサイズを計られるとA55あるいはA60で適合すると言われる。
「龍ちゃん、ホントに結構胸があるね」
と夏恋が龍虎の胸に触りながら言う。
「アンダーが小さいだけだよぉ」
「いやいや、それでもトップはある訳だから。これならもうすぐ生理も始まるよ」
と川南。
えっと、生理って何だっけ??
お店にはさすがにA55などという小さなサイズは無かったが、A60があったので試着してみる。そんなに余っている感じはない。
「これはホックを調整すれば問題ないですよ」
とお店のお姉さんが言って調整してくれた。
身体の線に凄くフィットするので龍虎は驚く。
「じゃこのサイズを取り敢えず5枚選ぼう」
と川南は言った。
(ちなみに川南が龍虎の(女の子用の)服を買ってあげるための軍資金は、川南・夏恋・暢子・敦子、そして千里の共同出資である)
「5枚?」
「だって今から夏だし、洗い替えがいるよ」
「あはは」
「取り敢えず1着はもう着けておくといい」
「そ、そだね」
しかしブラジャーを着けると実は胸の付近のお肉が少し余っている感じで走ったりすると痛かったのが、しっかり押さえてくれて心地よい。そして龍虎は急におとなになったような、不思議な感じもした。ボクも少しおとなに近づいているのかなあ、などと思うが「大人の女」に近づいているのでは?という疑念には気付いていない。
そういう訳でこの日龍虎はジュニアっぽいクリームイエローのブラジャーを着けたままソニーに行ったし、翌15日は今度は中学生でも着けるような大人びたピンクの刺繍入りのブラジャーを着けて、更に川南が買ってくれた、物凄く可愛いスカート(ラプンツェル仕様)を穿いてディズニーランドを歩き回ったのであった。
7月18日。この日の青葉と千里の性転換手術は次のようなタイムスケジュールで進んだ。↓の時刻はタイ時刻=インドシナ時刻で、括弧内が日本時刻。
ICT(JST)
14時(16) 青葉手術・開始
16時(18) 千里手術・開始
17時(19) 青葉手術・終了
19時(21) 千里手術・終了
19時(21) 青葉・目覚める
21時(23) 千里・意識回復
青葉は実は性転換手術を下半身麻酔でやってもらい、それを自分で見学するという大胆なことをしたのだが、手術が終わった後少し眠った。そして2時間ほどで目覚めた。その直後に千里の手術も無事成功したという連絡が桃香から入った。千里はまだ眠っているらしい。
それで取り敢えず自分をヒーリングしようと思ったのだが、パワーが全く出ないことに気付く。参ったなと思っていたら、青葉が辛そうだと認識した彪志が手を握ってくれた。その彪志からパワーが流れ込んでくる。
わあ、彪志ありがとう。
彪志のおかげで最低限のパワーを取り戻した青葉の耳に菊枝の声が聞こえた。
『筆ペンを使って』
あ、そうか。1周忌の時に菊枝からもらった筆ペンがあったんだった。それを媒介に菊枝からパワーを融通してもらえる。それで彪志にバッグの中の筆ペンを取ってもらい、彪志にはいったん手を放してもらって、左手に筆ペンを持つ。
するとそこから物凄いパワーが流れ込んできて、青葉は自分の手術の傷の修復作業を始めることができた。
千里はこの日は絶食なので、お腹空いたなあと思いながらも桃香とおしゃべりしていた。お昼に桃香は病院の食堂に御飯を食べに行く。それでひとりでELLEを読んでいた時『恋のダンスサイト』のメロディーが鳴る。貴司からのメールだ。千里は迷ったが携帯を開けて“貴司の馬鹿野郎!”からのメールを開いた。
《付き添ってあげられなくてごめんな。手術頑張れよ》
と書かれていた。千里はじわっと涙が出た。
ありがとう。私頑張るね。と思う。返事は出さなかったものの、千里はこれで随分と気合いが入った。メールは桃香に見られないよう即消した。
千里の手術は15時からの予定だったのが、手術室が空かず、16時からの手術になった。千里は全身裸になり、あの付近は剃毛され、髪はアップにして頭巾でまとめ、手術着に着換えて、ストレッチャーに乗せられ手術室の前までいく。そこで待機していた時、貴司からのメールのことを考えて暖かい気持ちになるが、次の瞬間その貴司に自分は振られたんだというのを考えてしまった。涙が出てきたので、付き添っていた看護婦さんが
「You feel uneasy? Postpone the operation?」
と尋ねた。
「No. I just remembered the painful days I was treated as a boy」
と千里が答えると
「Then those painful memories will be vanished after you become a girl」
と看護婦さん。
「Yes, yes. They will be vanished with my man's symbol」
と千里が答えると看護婦さんは笑っていた。
結局私が本当の女の子で無かったら振られたのかなあ。今度こそちゃんと貴司の奥さんになれると思っていたのに、悲しい。そして苦しい。いっそ手術中に死んでしまったら、あいつのことで悩まなくても済むかも、という考えが一瞬チラッとよぎる。するとそれに気付いた小春が
『千里こんな時に一瞬でも死を考えてはダメ。この手術が終われば千里はとうとう正式に女の子になれるんだから、この手術は千里にとってビッグバンなんだよ』
と注意した。
『そっかー。これはビッグバンか』
『男の子としての人生がビッグクランチを迎えて、これから女の子としての人生がビッグバンとともに始まるんだよ』
『だったら私頑張る』
『うん』
いよいよ手術室の中に運び込まれ、手術代の上に乗せられる。膝を曲げてお股を開くように言われ、その姿勢を取る。
「I will begin your sex change operation. This operation is NOT restorable.You CANNOT be a man again after the operation have doned. You LOSE man's sexual ability forever. Are you really OK to undergo sex change operation?」
と主治医が千里に最後の意志確認をする。
「Yes. Please do the operation. I am anxious to be a woman」
と千里が答えると、全身麻酔を掛けられ、手術は始まった。
千里の身体は既に睾丸が摘出されているので、陰嚢を切開し、陰茎を分解するところから手術は始まった。そして1時間ほどの作業の後、陰茎海綿体を身体から切り離そうとした時、突然千里の血圧と脈拍が低下する。
驚いた医師たちは手術の作業をいったん中止し、アドレナリンを注射したりする。
この時、めったに自分では動かない《くうちゃん》が強引に千里の意識を目覚めさせた。
『何?何?どうなってんの?』
と千里は焦る。
『千里、血圧が低下している。心臓の動きが弱まっている。女の子になりたいんだろ?頑張れ』
と《くうちゃん》が言う。
『うん。頑張る。私の心臓動けぇ!』
と千里は強く意識し、自主的にアドレナリンを大量分布し、積極的に心臓に動け!頑張れ!と指令を送った。
そもそも千里の心臓というのは、しばしば勝手に停止したりするのである。ある種の不整脈なのだろうが、普通に心電図を取っただけでは全くその兆候が見えない。むろん心電図に異常があれば千里は絶対に性転換手術などしてもらえなかったであろう。
千里は自分で強い意識を持って自分を励ましたが、同時に《びゃくちゃん》も千里の生命維持システムに強い刺激を与えてくれた。
この《くうちゃん》の励まし、千里自身の頑張り、《びゃくちゃん》の手当で千里の血圧・脈拍は5分ほどで回復した。
医師たちが何か話し合っている。手術を中止すべきか、このまま続けるべきか議論していたようだが、千里の状態が血圧が回復した後更に5分ほどたってもそのまま安定しているのを見て、続行の決断がおこなわれた。
それで手術はまず陰茎海綿体の切断から再開される。
千里はそれを見て「きゃー」と思った。これを切断したことで千里はやっと「男の子では無くなった」のだが、切られた時凄まじい痛みを感じた。
正直、子供の頃何度自分で切ろうとしたか分からない。でも痛そうで実行できなかった。結局今お医者さんが切ってくれたけど、痛かった!
手術はここが折り返しで、これから後半の女性器形成の作業に入る。
千里は、ちんちんを切り落とす所がビッグクランチで、ここからがビッグバンだなと思った。医師たちは巧みな加工で千里のお股を女性の形に作り変えていく。麻酔が効いているはずなのにハサミやメスで切られる所、糸で縫われる所、ヴァギナ用の穴を掘る所、全てが《物凄く痛かった》。
千里の想像力が強すぎるから痛みまで想像してしまうのである。これは《くうちゃん》にも停められない。千里は目を閉じていても、別の方向を見ていても気になるものは全部見えてしまう困った体質なので、意識がある限り止めようが無い。意識を眠らせるとまた心臓がサボる危険がある。
女性器が形成されていく間、千里の血圧・脈拍は安定していたが、実際には千里はこの間ずっと痛みに耐えながら「私の心臓動けぇ!」と自分自身の身体を励まし続けていたのである。
『でもこれってお洋服のリフォームみたい』
と痛みを感じながら千里は思う。
『まさにそうだよ。これは男性器を女性器にリフォームする手術なんだよ』
と《びゃくちゃん》が言う。
『びゃくちゃん、これ何度か見たことあるの?』
『看護婦として立ち会ったのは400回くらいあるし、私自身が医師の代理で執刀したことも3度あるよ』
『へー!』
『当時はちんちんを切る現場を日常的に見ていたから、ボーイフレンドのをいじっている内に、うっかり切ろうとして《何をする!?》と言われたことある』
『あぶない人だ』
『世界で初めて性転換手術を受けたドーラ・リヒターの手術にも立ち会ったよ』
『すごーい』
『千里の手術も私がしてあげてもよかったのに』
『あはは、私人を性転換させちゃう法も瞬嶽さんから預かっているよ』
『でも千里は人間の医師の手で性転換手術を受けることが最初から決まっていたからね』
と《いんちゃん》が言った。
『私って色々なことが最初から定められているみたい』
と千里が言うと
『千里、お前最終的には貴司と結婚できるから頑張れ』
と《こうちゃん》が言った。
『ほんとに?だったら私頑張る』
と千里は答えた。千里はお昼に貴司からもらったメールを思い出し、きっと貴司、私のこと嫌いになった訳じゃないよね?と考えた。
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【娘たちのクランチ】(4)