【娘たちの継承】(3)

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2011年夏、KARIONはツアーをしていた。
 
7.29(苗場) 30福岡 31岡山 8.02金沢 3仙台 5横浜 7札幌
 
という日程である。冬子(=らんこ/ケイ)も参加する予定だったのだが、急にローズクォーツの『夏の日の想い出』が発売されることになり、そのキャンペーンで全国を飛び回ることになる。
 
「ごめん。参加できない」
「それいつまでキャンペーンあるの?」
「7月31日まで」
「だったらその後のライブには参加できるよね?」
「頑張る」
 
「最終日はどこにいるの?」
「高松から大分・福岡・広島」
「私たち岡山だから、その途中で寄れるよね?」
「無理〜!」
 
「7月30日は?」
「京都から大阪・西宮」
「じゃついでに福岡に寄って」
「私、身体2つ無いよぉ」
「らんこは身体が3つくらいあると思ってた」
 
「でも7月29日の苗場には出てよ」
「その日は1日名古屋」
 
「どういうスケジュール?」
「朝10時に名古屋の栄、11時にナゴヤドーム前、13時に名駅前、15時イオン扶桑店、17時テラスウォーク一宮」
 
「ドーム前?」
「うん。ドームの前で歌う」
「ドームで歌うんじゃないの〜?」
「そんなお金は無い」
「名駅も?」
「うん。名駅前。たぶん入口付近」
 
「名駅は何時に終わるの?」
「多分13:20くらい。解散させられると思うから」
「ちょっと待って。許可取って演奏するんじゃないの?」
「そんな所での演奏が許可取れる訳ない」
 
「でも13:20に終わって15:00から扶桑なら、1時間40分ほど時間があるね」
「その間に苗場に来てよ。KARIONの演奏は13:30から14:30までだから」
「どうやって移動するの〜〜!?」
「F15イーグルなら5分で来れると思う」
「勘弁して」
「来ないと、らんこは男の娘だって言いふらすぞ」
「それ今更だから」
 

青葉の家族の葬儀が7月23日(土)に終わった後、桃香と千里は23日夜の新幹線で東京に戻ったのだが、千里が瞬嶽を送って行くことになり、桃香は千葉に戻って、翌24日朝から頂いた香典の整理を始めた。
 
「かなり高額包んでくれた人もあったけど、費用がベラボーに掛かったからなあ」
と桃香は独り言を言いながら整理を始めた。
 
「千里が用意してくれた200万円はすぐには返せないかも知れないなあ」
などと言いながら整理を続ける。
 
多くの香典袋は5000円である。たまに1万円入っているものもある。冬子と政子の連名のものは100万円入っていたが、大金を持っておくのは怖いので、昨日の内にコンビニに行ってスルガ銀行の口座に入金しておいた。何人かの霊能者さんから5万とか10万とか包んであったのも一緒に入金して、金額だけ控えている。
 
桃香の手が止まった。
 
それは北海道から来た越智舞花という人のもので、青葉のスポンサーのような人らしい。舞花の一家が命を狙われて、舞花自身やお母さんなどが呪殺されそうになっていたのを青葉が助けて、それ以来、色々青葉に相談を持ちかけるとともに経済的に青葉を支援してくれていると聞いた。
 
舞花の香典袋には小切手が1枚入っていた。
 
「小切手か。こういうケースは考えてなかったな。小切手って現金化するのは銀行の窓口に持っていけばいいんだっけ?」
などと言いながら桃香は小切手の額面を読んだ。
 
「20万円かな」
と口に出したものの、どうも違和感がある。
 
¥20,000,000※
 
と印刷されている。
 
「いち、じゅう、ひゃく、せん、・・・・」
 
桃香は数え間違いかと思った。それでもう一度数えた。
 
更に数えた。
 
「にせんまんえん!?」
 
桃香は自信が無かったので、友人の朱音を呼び出した。それで彼女にも数えてもらった。
 
「うん、これは二千万円の小切手だよ。桃香、悪いこと言わないから警察に行こう。私、付いていってあげるから」
などと朱音が言う。
 
「ちがーう!盗んだんじゃない!」
と桃香は言った。
 
「青葉の家族の葬儀に行ったんだよ。そしたら参列者のひとりが香典袋にこの小切手を入れていた」
 
「だったら金額の打ち間違いというのに1票」
「そうだよね!それなら分かる」
 
それで桃香は青葉に電話して、舞花さんの香典袋に小切手が入っていて額面が2000万円になっているということを伝え、多分金額の打ち間違いだと思うから返送するか、あるいはこちらで責任を持って廃棄したいのだがと言った。
 
青葉も驚いて、すぐに連絡してみると言った。
 
青葉からの電話は10分後に掛かってきた。
 
「その金額で間違い無いって。確かに2000万円らしい」
「マジ!?」
「私には本当に色々お世話になっているから、家族の葬儀であればこのくらいはしてあげなければとお父さんと話し合って決めたらしい」
「でもさすがにもらいすぎ」
「うん。私もそう言ったんだけど、もし余ったら私の性転換手術の代金に使ってもいいよと言われた」
 
「そうしよう、そうしよう」
「ちー姉の性転換手術代にも使っていいかと聞いたら、それもOKだって」
「んじゃ、300万円くらいリザーブしておくか」
「桃姉、よく2人で300万とか金額が分かるね」
「まあ、そういう方面の知り合いが多いからね」
 
先日研二や緋那とそういう話をしたばかりである。手術自体の費用は100万円くらいらしいが、その周辺の費用、手術後のメンテに掛かる費用などで150万は見ていた方がいいらしい。そしてFTMは倍掛かると言われ、桃香はやはり男になるのはやめようと思った。
 
「それでもたくさん余る気がすると言ったら、最終的に余った分は大船渡市に震災の復旧費用として寄付してもいいよということだった」
 
「じゃそうさせてもらおう。1300-1400万くらい寄付することになるんじゃないかな」
 
「費用は最終的にどれだけ掛かった?」
 
「分からん。ともかく青葉が用意していた300万とこちらで用意した200万の現金はきれいに無くなったんだけど、クレカで払った分とか、旅行代理店の分は後日請求書をもらうようにしたから、そういうので最終的には600万円を越すかも知れない。でも香典も昨日コンビニのATMで預けた分だけでも150万円あった」
 
「そしたら、400万円くらいの赤かな?舞花さんのを除いて」
「そのくらいになりそう。だからその補填に使わせてもらって、青葉と千里の性転換手術代をキープしても、1000万円は大船渡市に寄付できる気がする」
 
「私はまたお金貯めるからその分も寄付に回してよ」
「そうか?もらっておけばいいのに」
 

瞬嶽を高野山まで送っていった千里は26日の夜帰って来た。それで舞花の小切手を見せると“千里”も驚愕していた。
 
「ところでこれどうやって現金化するんだっけ?銀行に持っていけばいいの?」
「ああ。私が処理しとくよ。数日以内に桃香の口座に入金できるようにしておくから」
「サンキュ、頼む」
 
“千里”は千里の口座のある###銀行千葉支店に持っていけばいいなと考えた。顔見知りの行員さんが処理してくれるだろう。
 
「あ、私の口座に入金する時に、千里が出していた分200万円と性転換手術代の150万円は差し引いて入れてよ。こちらに入れてから、また千里の口座に振り込むのは手数料がもったいないから」
 
「手術代は別にいいよ。でも200万はもらっとくね。あ、そうそう、桃香。私、夏休みでもあるし、海外とかにも出て行く出張のバイトを入れちゃったから、しばらく戻って来ないから」
 
「千里、先月も海外に行って来たよね?」
 
「うん。先月のはアメリカだったけど、今度は中国。後半は九州で缶詰になる」
「大変そうだ。いつ帰ってくる?」
「8月30日くらいになると思う」
「了解〜」
 

《きーちゃん》は7月26日の朝1番に###銀行の札幌支店に小切手を持って行った。この小切手が###銀行札幌支店で発行されていたので、そちらの方が早いと考え直したのである。###銀行札幌支店は、千里が受け取る印税の受け取り口座も置いているし、千里の個人会社の法人口座もあるので、千里の顔を知っている行員さんも多数居て、スムーズに現金化できた。実際にはいったん千里の口座に入金(斜線が引かれていて銀行渡りなので口座に入金する必要がある)してもらった上で窓口で現金を引き出した。日本銀行の封がしてある札束で受け取る。高額なのでATMでの引き出しは事故の元である。
 
その上で千葉に戻って、桃香の口座のある銀行に桃香の通帳を持っていき、これも窓口で入金した。
 
そういう訳で、桃香の口座には26日のお昼前に(千里が出していた分200万円を差し引いて)1800万円が入金されたので、入金のお知らせメールが来て、そのまま携帯で残高確認した桃香は
 
「すげー!」
と言って、また何度も携帯に表示されている金額の桁数を数えた。
 
桃香はまず青葉に450万振り込み、一部の費用を立て替えてくれていたことが判明した彪志の母にもその金額を振り込んだ。その後、旅行代理店でバイトしていて今回色々支援してくれた友人に尋ねて請求金額を確認。これは実際にそのお店に行って現金で精算してきた。
 
それ以外で桃香が自分のクレカで決済していた分については、放置する。これは来月あるいは再来月の引落し日に引き落とされる
 
また高額の香典を包んでくれた人に記念の品を贈ることにして、その手配をした。またハガキを沢山買ってきて、自分のパソコンでお礼状を作成し、住所の分からない人の分は青葉に尋ねて、千里のプリンタを借りて印刷。郵便局に持っていってまとめて投函した。
 
このあたりの作業で桃香は29日(金)の午前中まで忙殺された。
 

7月29日(金).
 
桃香は午前11時半すぎに、やっと一息つくと、一休みしようと町に出てカフェに入った。お酒が大好きな桃香がカフェに入るというのは珍しいが、なぜかここ半月ほど、あまりお酒が飲みたくない気分だったのである。
 
やはり疲れているからかなあ、などと考えながらキャラメル・マキアートを飲みつつ、クラブハウスサンドイッチを食べる。桃香はお酒も好きだが、甘い物も好きである。それで「私、両刀使いなんだよね〜」などというと
 
「桃香、男の子もいけるんだっけ?」
などと友人たちから言われる。
 
全くみんなよく自分のことを“理解”しているよ、などと思う。
 

お昼時でもあり少し客が多いようだったので、あまり長居せずに出ようかと思った。
 
「済みません、相席していいですか?」
と言って女子高生っぽい子が訊く。
 
「ああ、どうぞどうぞ」
と桃香が言うと
 
「では失礼しまーす」
 
と言って彼女は座った。彼女はカフェラテにシフォンケーキである。そして座るとiPhoneで何か見ている。しかし女子高生でそもそもこういう単価の高いお店に入ってきたこと、iPhoneなど持っていることから、お嬢様という雰囲気ではないものの、結構お小遣いの豊かな子なのかな?と桃香は思った。普通の女子高生ならロッテリアとかマクドだろうし、携帯を持っていても、普通のフィーチャホンだろう。
 
その彼女が
「あっ」
と言う。
 
「どうかしました?」
と桃香は思わず声を掛けた。
 
「バッテリー切れになっちゃって」
「ああ。iPhoneって便利なのはいいけど、バッテリーの消費も激しいらしいですね」
「そうなんですよね〜。朝フル充電していたのが夕方までもたないこともよくあるんですよ」
と女子高生は言う。
 
「そういう時は不便ですね」
と桃香。
 

「あの、すみません。大変申し訳ないんですけど、そちらの携帯で福岡から成田行きの飛行機が何時に着くかとか調べてもらえないですよね?」
 
「ああ、そのくらいいいですよ」
と言って桃香は携帯の乗換案内を使って時刻を確認した。
 
「今からなら、JAL3054が14:00, ANA2144が15:20, JAL3056が19:40ですね」
「ありがとうございます!友だちがそれで来る筈なんですよ。多分15:20の便かな。あの子“青組”だから」
 
「福岡のお友達ですか・・・あれ?あなたも九州の人?」
 
桃香は彼女のイントネーションが《ノーアクセント》っぽいのを感じて訊いた。『橋と箸』『牡蠣と柿』などをアクセントで区別せずに同じように発音して文脈だけで判断するのは、西九州地域(長崎県・佐賀県と福岡県の一部)の特徴である。
 
「ええ。長崎なんですよ。夏休みなんで東京に出てきていたんですけどね」
「なるほど〜」
「私、歌手志望で、自作曲を録音したCDを持ってあちこちの事務所に売り込んでいるんです」
「おお、それは頑張ってください」
 
昔はカセットテープと言ってたけど、今はCDなんだなあ、などと桃香は思った。
 

彼女は「久保早紀(くぼ・さき)」と名乗った。
 
長崎で友人たちとバンドを組んでいるらしいが、他の子は特にメジャーからCDを出してなどということは考えていないものの、本人はかなりやる気で、バンド仲間に伴奏してもらって歌を吹き込み、CDをパソコンで作ったのだと言った。
 
「あ、良かったら1枚もらってくれません?できるだけ多くの人に配りたくて。今回1000枚プレスしてきたんですよ」
「それは頑張りましたね!頂きます」
 
と言って受け取る。しかし1000枚もプレスするといったら費用も相当掛かったはずだ。
 
「でも私はあまり日本の音楽は聞いてなくて」
と桃香は言う。
 
「ああ、洋楽派ですか?」
「そうなんですよ」
 
「どういうアーティストがお好きなんですか?」
 
「最近だと、アデル(Adele)にシェネル(Che'Nelle)、ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)、テイラー・スウィフト(Taylor Swift)にアヴリル・ラヴィーン(Avril Lavigne)、あとリリックス(Lillix)も好きだったんだけど」
 
「リリックスは『Tigerlily』が最後のアルバムになってしまうんでしょうかね?」
「それを危惧してるんですよ」
 
「だってあのバンドは最初 Tigerlily という名前だったんですもんね」
「そうなんですよ!」
「でも同名バンドがあったから Lillix という名前でメジャーデビューした」
「あなたも洋楽に詳しいみたいですね」
 
それで桃香のおごりで飲み物とフードも追加して、結局1時間くらい話していた。
 
「いけない。話し込んでしまった。15:20に成田に行くなら、そろそろ出ないといけないのでは?」
 
「今何時です?」
「今13:22ですよ。あ、もしかして時計持ってません?」
「iPhoneに頼っていたので」
「ああ、そういう時は不便ですね」
 
それで彼女は桃香におごってもらった御礼を言って駅の方へ小走りに歩いて行った。
 

KARIONのツアーでは結局らんこが7月29日の苗場、30日の福岡、31日の岡山に参加できないということだったので、代理のキーボード奏者として楠本京華さんという人をお願いした。
 
ミュージシャン志望という23歳の女性で、音楽系の大学を出ているらしく、ピアノ・エレクトーンはもちろんヴァイオリンとギターも弾きこなす。歌もひじょうに上手かったので、らんこパートの代理歌唱も一緒にお願いした。
 
彼女は実はKARIONの初期の頃からのファンだったらしく、らんこ=ケイというのも知っていたので、和泉たちも気楽であった。
 

冬子(ケイ=らんこ)は、その日、栄の地下街で10時から演奏(これは地下街の商店街事務局と話して集客イベントとして実施したもの)した後、11時にナゴヤドーム前で演奏するも警察が来て撤収。名古屋駅に移動して、12:50くらいから演奏。ここでもまた警察が来て「道路使用許可を取ってますか?」と言われ「すみませーん」と言って演奏を中断する。
 
これが13:10くらいであった。
 
それで撤収して次の演奏をするイオン扶桑店に移動しようとしていた時のことであった。
 
「ちょっと責任者の方、来て頂けませんか?」
と40歳前後の女性に言われる。何か腕章を付けている。駅ビルの人だろうか?
 
一瞬顔を見合わせたが、冬子は
「私が行ってくるよ。みんなはもう移動しておいて」
 
と言って、その女性に付いていった。冬子が自分でそう言ったのは冬子だけ楽器を持っていないからであった。タカとマキはギターとベースを持っているし、サトのドラムスは男性3人で分担して持つ。
 
「すみません。ご迷惑をお掛けして」
と冬子は言う。
 
「ローズ+リリーさんでしょ?事前に照会して頂けたら、許可出せたのに」
と女性は言う。
 
「あ、いえ。ローズクォーツというバンドなんですが」
「え?でもあなたケイさんですよね?」
「はい。でも今日はローズ+リリーではなくローズクォーツで来てたもので」
「あら?何か別のユニットもなさってたんですか?」
「ええ、まあ」
 
そんな話をしながら女性は冬子を駅ビルの中の一室に案内した。
 
「こちらで少しお待ち下さい」
 
と言って、女性がドアを開けるので、冬子は中に入った。女性はドアを閉めて誰かを呼びに行ったようである。
 

KARIONのマネージャー舞田祥子は、あと少しで本番だというのに、楠本京華が来ていないことに気付いた。
 
「まだ楽屋にいるんじゃないかな?」
「私、呼んで来るよ。祥子さんは、その美空の酷いメイクを直してあげてて」
と小風が言って、小走りで楽屋に行く。
 
「京華さんいます〜?」
と言ってドアを開ける。
 
「小風?」
「冬?」
 
小風が開けたドアの向こうに居たのは驚いたような顔をした冬子であった。
 
「なぜここにいる?」
「なぜここにいる?」
とふたりは同時に言った。
 
「でも冬子が居るなら好都合。来て来て」
と言って、小風は冬子の手を引いてステージ脇に連れて行った。
 

「らんこ?」
と和泉が驚いたような声で言う。
 
「来れたの?」
と畠山社長。
 
「え?ここは?」
「苗場のHステージに決まってる」
 
「え〜〜!?私、名古屋駅に居たはずなのに」
「どうも寝ぼけているようだけど、らんこ何でも弾けるよね?」
「もちろん」
「歌えるよね?」
「歌う」
 
「よし。衣裳はもうそれでいいや、メイクだけして」
「分かった!」
 
ほんの5分ほどで
「KARIONさん、出てください」
という進行係の人の声がある。
 
それでKARIONの4人とトラベリングベルズおよび追加演奏者たちはステージに出て行った。
 

桃香は30日(土)はお昼すぎから夜21半まで電話受付のバイトをした後、勤務先の電話センターを出た。千里も居ないし何か買って帰ろうと思い、コンビニに入る。すると、そこでバッタリと早紀と遭遇する。
 
「こんばんわ〜」
「こんばんわ〜」
と挨拶を交わす。
 
「ホテルこの近く?」
「ええ。そうなんですよ」
「昨日はお友だちと会えた?」
「それが来るの月曜日になったらしくて」
「ありゃ」
「私の携帯にメール送ったらしいんですけど、バッテリー切れで受信できず」
「ありゃりゃりゃ」
 
「成田まで往復して損した」
「まあ、そんな時もありますよ」
 
「19:40の便まで待っても会えないから、結局空港の売店で充電器買ってiPhoneを起動したんですよ。それで月曜になったことが分かって。何か疲れた」
「ほんとにお疲れさん」
 
「今日はプロダクション3軒行きました。結構熱心には聞いてくれるんですけどねー。どうも私の思ってるイメージと向こうのイメージが違っていて」
「そのあたりはやはり安易な妥協してはダメだよ。ただの歌う機械にされちゃうことは多いから」
「そうなんですよねー」
 
「君の年齢ならアイドルになれって言われるでしょ。君のCD聞いたけどアイドルやるのにはもったいない」
「わあ、聞いてくれました?ありがとうございます!」
 
桃香はこの女子高生に純粋な意味(下心無し)で興味を感じた。
 
「そうだ。何ならファミレスとかにでも行って一緒に御飯食べない?」
「22時すぎたから高校生はもう飲食店には入れないんですよ」
「ああ、そんな決まりがあったか!」
「あ、でも良かったら食糧買っていって、私のホテルのお部屋で少しおしゃべりしません?」
 
桃香に下心が無くても早紀には実は大いにあったのだが、桃香はそのことに気付いていない。桃香はいつも女の子をナンパしているのに、自分はあまりナンパされた経験が無い。それで気軽に応じてしまった。
 
「うん。いいよ。だったら食糧の代金は私が払うよ」
「わぁ!いいんですか?」
 

それでピザとか牛丼とか、パンとかを買って彼女のホテルに行った。
 
「おお、庶民的なホテルで安心した」
「だって1ヶ月以上滞在するから、高いホテルには泊まれませんよ。いくつかオーディションにも出るし」
「洗濯物とかどうしてるの?」
「コインランドリーに持っていきますよ」
「偉い」
 
彼女の部屋に入り、ご飯を食べながらおしゃべりする。彼女の実際の生歌も聞かせてもらった。早紀はアコスティックギターを弾きながら自作の曲を歌ったが、CDで聞いた以上に上手く感じた。
 
「いや、早紀ちゃんは間違い無く歌手になれるよ。これだけの歌なら、きっと売り出してくれる事務所はあるよ」
と桃香は言った。
 
「それが上手すぎるのが問題だとか言われて」
「え〜〜〜!?」
「下手くそな方が売れやすい法則があるとかで」
「それは間違っているなあ。早紀ちゃん、いっそアメリカとかで売るのは?」
「外国でやるのはひとつの選択肢とも思ってますけど、海外に行くなら高校卒業してからにしなさいと母からは言われているんですよね〜」
 
「確かにアメリカとかなら、むしろ18歳くらいになってからの方がいいかも」
と桃香も言った。
 
「それに女の子になる手術も18歳にならないとできないし」
と早紀。
 
「え?早紀ちゃん、まさか男の娘?」
「私、ヴァギナはありますよー」
「びっくりしたぁ!」
 

「ところで桃香さんって、昨日聞いた時、女の子歌手とか、女の子バンドとかばかり名前を挙げましたよね?」
と早紀は言った。
 
「いや、実は私はレスビアンなんだよ。だから女の子に関心がある」
と桃香は正直に言った。
 
「ビアンなら、私にも興味がある?」
と早紀は意味ありげな視線で訊く。
 
「いや、さすがに高校生には手を出さない」
と言いつつ、この子“ビアン”という言葉を知っているのかと思う。一般の人は普通レスビアンをレズと略す。
 
「私も実はバイなんですよね〜」
「え!?」
 
「でもビアンのテクがあまりよく分からなくて。桃香さん、私に教えてくれません?」
「ちょっと待て」
 
「カフェで会って話しててすぐにビアンというのは分かりましたよ」
「え〜〜!?」
 

そして早紀は桃香に歩み寄ると、いきなり濃厚なキスをした。
 
「私、バージンじゃないから大丈夫だよ」
「ま、まって。せめてお風呂入ってから」
「じゃ私が先にシャワー浴びていい?」
「うん」
 
それで早紀はシャワールームに入り、5分ほどで出てきた。バスタオルを身体に巻き付けただけの姿である。それで
「待ってるね」
と言ってベッドに潜り込んでしまった。
 
桃香はごくりと唾を飲み込むが
「据え膳食わぬは女の恥」
とばかり、急いでシャワーを浴びてくる。
 

桃香が浴室を出ると灯りが落ちている。桃香は裸のままベッドに寄った。
 
「本当にいいの?」
「うん」
「えっと早紀ちゃん、ネコ?タチ?」
「リバだよ。桃香さんはタチっぽいから、私ネコになればいいかな?」
「入れちゃってもいい訳?」
「もちろん。さっきも言ったように私バージンじゃないから」
「分かった」
 
それで桃香は“いちばん小さいの”を装着してベッドに入った。キスして乳首も舐めたりする。早紀が気持ち良さそうにしている。それでいよいよあの付近に手を伸ばした。
 
へ!?
 
「これ何?」
「知ってる癖に」
 
「早紀ちゃん、君、やはり男の子なの〜〜〜!?」
 

楠本京華はKARIONのステージが終わった後で、冬子さんが来ていたので、自分は出なくていいのだろうと判断して観客席の方からパフォーマンスを見ていたと和泉たちに説明した。
 
しかし京華は冬子と個人的に話し、今日の扶桑以降と明日・明後日は、冬子のそっくりさんにローズクォーツの方の代理をさせるから冬子さんはKARIONの方に出るといいですよと言った。名古屋に居たのは京華の叔母だという。
 
「うーん。それで何とかなるのなら、そうさせてもらおうかな。正直かなり体力的に辛いと思っていたんですよ」
と冬子は言った。
 
「冬子さん、偉い先生たちとのコネがあるみたいだから、大丈夫と思いますけど、どうにもならない時は私に相談して下さい。辛い時は何とかしますから」
と京華。
 
「あなたは何者ですか?」
「青葉さんのお師匠さんの親友の弟子かな」
「へー!」
 
それで冬子は30日は福岡公演に行き、31日は岡山公演に出た後で、広島に移動し、そこでクォーツのメンバーと合流した。マキたちと話していると、どうも確かに自分はクォーツの3人と一緒に京都・大阪・高松・大分・福岡と駆け巡ったことになっているようである。正直、かなり体力的に辛いと思っていたので助かったと思った。そして広島市のショッピングセンターでこの10日間最後のローズクォーツのステージを務めた。
 

「早紀ちゃん、男の子なの〜〜〜!?」
と桃香は言った。
 
「ボクは女の子だよ。ほら」
と言って、早紀は桃香の手をもっと奥の方に導いた。
 
「どっちもあるのか!?」
「だから、ちゃんと女の子役ができるよ」
「バイってそういう意味だったのか!」
 
その桃香の問いには答えず早紀は桃香に熱い口付けをした。
 
「よ、よし」
と桃香は、もう“細かいこと”にはこだわらないことにして、普通に女の子とするようなことをした。
 
結構お互いに燃え上がった。
 

青葉はその日どうしても桃香に電話がつながらないので、忙しそうだけどとは思ったものの千里に電話した。
 
「私もすぐ確認すれば良かったんだけど、桃姉が私の口座に450万円振り込んできてくれているんだよね。私が現金で持って行った300万円だけで良かったんだけど。私冗談で性転換手術代ももらっちゃおうかなと言ったから、真に受けられてしまったかも」
 
「青葉の冗談はあまり冗談に聞こえないから、気をつけた方がいいよ」
「でもこれどうしよう?振り込み戻そうかな?」
 
「振込手数料が高いから、今度青葉が東京に出てきた時か、私か桃香がそちらに行った時にでも渡してくれればいいよ。どっちみち会計が最終的にまとまるのは10月くらいになると思うし。大船渡市に寄付するのもその後になると思う。クレカの請求って2ヶ月くらい後になることもあるからさ」
 
「なるほどー。じゃ、そうしようかな。今度8月6-7日に岩手に行くから、その途中で東京に寄ってもいいし」
「ああ、なるほどね」
 

3時間ほどの燃えるような時間が過ぎて、桃香は眠ってしまった。それを眷属の《ふーちゃん》に命じて桃香のアパートに転送する。
 
「まあ夢か何かだと思うかもね」
と早紀は呟く。
 
「でも受精卵ゲット! 取り敢えずボクの子宮に放り込んだけど、誰に産んでもらおうかなあ。この子、千里ちゃんの遺伝子持ってるから、きっと凄く優秀なボディだよ」
と早紀は楽しそうに言った。
 
「早紀、あの子、RH(-)だね」
と《ふーちゃん》が言う。
 
「γグロブリン注射が必要?」
「まだ血液は生成されてないから大丈夫と思う」
「じゃ放置で」
 

千里は7月27日から8月3日まで東京NTCで合宿。6-9日は福岡・長崎に行って壮行試合。11-12日はユニバーシアードの合宿に参加したものの千里はこのチームの合宿にこれまで1度も参加できていなかったので連携ができず、台風接近を口実に事実上クビになる。
 
そのあと8月14-20日にまた東京NTCで合宿をして21-28日は大村市でアジア選手権に参加した。つまり東京と長崎を行き来しながら、ひたすら合宿と試合をやっていた。
 
そういう訳で、2011年8月21日。千里たちバスケット日本女子代表のメンバーは長崎県大村市の《シーハットおおむら》で開かれる女子アジア選手権に臨んだ。
 
大会はレベル1(6ヶ国)・レベル2(6ヶ国)に別れており、レベル1で優勝したチームはロンドン五輪に出場できる。また3位以内のチームは来年のオリンピック最終予選に回ることになる。
 
大会は最初に各レベルごとに、総当たりでリーグ戦をした上で上位4チームで決勝トーナメントを行う方式である。
 
なおリーグ戦でレベル1の5位とレベル2の2位、レベル1の6位とレベル2の1位とで入れ替え戦が行われる。つまり4位以内なら決勝トーナメントに行けるが5位以下は入れ替え戦という、まさに天国と地獄のシステムなのである。もっともアジアの女子では、中国・日本・韓国・台湾の4ヶ国と他の国との実力差がひじょうに大きい。
 
決勝トーナメントは例によってリーグ戦の1位と4位、2位と3位が対戦して勝者で決勝戦を行う。
 
リーグ戦の予定はこのようになっていた。
 
21 19:00 レバノン
22 19;00 台湾
23 19:00 韓国
24 19:00 インド
25 19:00 中国
 
実力的には中国が頭ひとつ飛び出していて、それを韓国・日本が追う展開である。アンダーエイジの世代では日本は韓国に勝っているのだが、フル代表では日本は韓国にかなり後れを取っている。それでも中国とほどの実力差では無いので、韓国に勝てば2位、負ければ3位になる可能性が高い。どっちみち韓国とは準決勝で再戦になる可能性が高い。だからリーグ戦で相手選手の特徴をつかみ、準決勝の韓国戦、決勝の中国戦の突破を狙う、というのが日本の皮算用である。
 
ただし韓国はわりと日本同様リーグ戦も全力に近い形で来るものの、中国は予選リーグでは戦力をあまりオープンにしない作戦でくる可能性が高い。中国としては決勝戦で勝てばいいのである。
 

今回の大会を指揮する城島(きじま)チームは、篠原チームのような会議をあまりしないのだが、20日の練習を始める前に城島ヘッドコーチは言った。
 
「今回の大会は、リーグ戦では中国が1位になる可能性が高い。すると2位と3位が韓国・日本で、4位が台湾になると思う。だから準決勝が韓国、決勝が中国ということになるだろう。それでリーグ戦は若手主体で戦って、準決勝・決勝に主力をぶつけたい。だから、リーグ戦の間は、三木・羽良口・横山・馬田の4人は基本的に使わないから」
 
主力は使わずに若手でと言いつつ、馬田(恵子)さんが出ないならセンターを務めることになる(黒江)咲子さんは三木エレンの次に年長である。咲子さんとしては少々不快かも知れないが、センターとしての能力に差がある以上、やむを得ないだろう。その咲子さんが率先して
 
「はい、リーグ戦で頑張ります」
と返事をした。
 
「初戦の司令塔は佐藤君ね」
「分かりました!」
と玲央美が答えた。
 
玲央美は高校時代に学校のチームではセンターとして登録されていたものの、U18の代表候補チームでの練習ではパワーフォワード登録。そして最終的にはスモールフォワード登録でU18アジア選手権に出た。しかし彼女はスリーが上手いので、千里や渚紗などがいなければシューティングガード登録でも良かった。また元々アシストの多い選手でもあり、マッチングやパスも上手く、ポイントガードでも行ける性格の選手だ。
 
万能プレイヤーだが、実はリバウンドを取るのだけが下手という欠点がある。つまり実は181cmの背丈があるのに、センターとしては、やや不向きである。
 

初日、7月21日。
 
日本は初戦、レバノンと対戦した。
 
玲央美/亜津子/千里/英美/咲子
 
というオーダーで出て行く。この試合では基本的にこのオーダーで最後まで進め、第2ピリオドだけ亜津子の代わりに博美が入って司令塔を務め、また第3ピリオドだけ咲子の代わりに王子、英美の代わりに妙子を使った。玲央美と千里は40分間ずっと出続けたが、ふたりとも体力的に全然平気である。
 
「あんたたちずっと出てて疲れないの?」
と妙子が訊いたが
 
「何なら今からあと1試合しても平気ですよ」
と玲央美は答える。
 
「さすが若さだね」
と言って妙子は首を振っていた。妙子は千里たちより6つ上の学年である。
 

そういう訳でこの試合は大差で日本が勝った。亜津子が6本、千里が8本、スリーを入れている。本数に差が出たのは出ている時間が違うので仕方ない。
 
ところが、この日大波乱が起きた。
 
「嘘!?韓国が中国に勝ったの?」
「これどうなる訳?」
 
完璧に想定外のことなので、日本チームも慌てる。
 
「考えたんだけど事態は変わらない」
と飯田アシスタントコーチが言った。
 
「韓国が勝ったことで、韓国が1位になる確率が高くなった。その場合、中国と日本は2位か3位になる可能性が高い。すると準決勝で中国と当たることになる」
 
「わぁ」
という声がベテラン勢からあがる。
 
「しかしこの大会はどっちみち優勝しなければならない。そのためには結局決勝トーナメントで中国に勝つ必要がある。準決勝で当たるのも決勝で当たるのも大差無い」
とコーチは言うが、ベテラン勢の表情は厳しい。
 
「まあ韓国・中国に勝って優勝しようよ。そのために私たちはここに来たんだから」
と三木エレンが言う。
 
「そうですね。とにかく勝つだけですね」
と広川さんが言い、それで全体も
 
「よし、とにかく頑張ろう」
という雰囲気になった。
 
初日の結果。
 
台湾○81-53×インド 韓国○99-93×中国 日本○95-49×レバノン
 

22日は台湾との対戦だったが、この日はこのようなオーダーで行った。
 
玲央美/亜津子(妙子)/千里/王子/英美(咲子)
 
咲子がやはり3ピリオドも使うと最後の方はバテていたようだったので、英美と1ピリオド交代で使うことにした。英美はこのチームにはパワーフォワードとして登録されているが、大学時代まではセンターであった。王子よりはリバウンドを取るのが上手い。
 
玲央美・亜津子・千里・王子の4人がいづれも貪欲に得点するので今日も大勝となった。この日、亜津子は7本、千里は9本、スリーを入れた。この日は韓国と中国も勝った。
 
22日の結果
 
韓国○83-48×インド 中国○79-58×レバノン 日本○98-54×台湾
 
暫定順位 1.日本(2勝) 2.韓国(2勝) 3.中国(1勝) 4.台湾(1勝) 5.インド(0勝) 6.レバノン(0勝)
 

「うーん。。。微妙にスリーの本数に差が付いている」
と亜津子が言う。
 
「私は40分間出ていたけど、あっちゃんは3ピリオドしか出てないから、その差だよ。ピリオドあたりの本数ではあっちゃんが2.166、私が2.125で私が負けてる」
と千里。
 
「それでも総本数で負けているのが悔しい」
「でも多分決勝トーナメントではあっちゃんの出番が多くなるよ」
「そうかなあ」
 

23日。日本は韓国と対戦する。
 
この日のスターティング5はこのようにした。
 
武藤博美/花園亜津子/佐藤玲央美/高梁王子/黒江咲子
 
相手が最初様子見の感じのオーダーで来た所に畳み掛けるような猛攻を加え、亜津子や玲央美のスリー、王子のダンクが炸裂する。国際試合の経験が豊かな博美が独創的な組み立てで攻撃を仕掛けるし、時々サインで玲央美に実質的な司令塔をさせたりもするので、相手は攻撃の筋が読めず防御が崩壊した。
 
第1ピリオドを6-24という大差で終える。日本応援団が盛り上がり、韓国応援団から悲鳴があがる。
 
第2ピリオドでは博美に代わって妙子、亜津子に代わって千里が出て行ったが、韓国側が中核選手を投入してきたので、さすがに一方的にはならなくなった。このピリオドは均衡した展開になり、20-20の同点で終わる。前半合計26-44である。
 

第3ピリオド、
 
再度博美が司令塔を務め
 
博美/亜津子/千里/王子/咲子
 
というオーダーで行くが、向こうは中核選手をそのまま使って頑張って守る。韓国が堅い守りを見せたことから24-20と、韓国4点リードで終えた。ここまで50-64である。
 
そして第4ピリオド。
 
日本は点差が付いているので、使わない予定だったベテラン勢を、試合感覚を取り戻す目的で投入することにする。こういうのは弱い相手とやってもダメで強い相手との対戦をして感覚を確認する必要がある。それで
 
羽良口英子/三木エレン/広川妙子/横山温美/馬田恵子
 
という日本のベストオーダーで出て行く。そして韓国はこれまで使っていなかった、背番号15のキム・ヘソンが出てきた。
 
そして第4ピリオドが始まってから前半5分間、日本にとって悪夢の時間が過ぎる。キムは180cm 90kgの体格で物凄く素早く走り回る。しかも気配を殺して相手の死角から近づいてボールを奪ってしまうので、日本はじゃんじゃんスティールされ、キムはどんどん得点する。
 
あっという間に28-0のスコアとなり、合計68-64で試合をひっくり返されてしまった。その間、日本は1度タイムを取り、選手交代しようか?と監督も言ったのだが「いえ、もう少し頑張らせて下さい」というので交代しなかった。監督はこの時、無理にも交代させるべきだったと後から悔やんでいた。
 
しかし68-64になってしまった所で、交代を告げ、玲央美・千里・王子の3人を投入する。
 
キム・ヘソンには玲央美がマッチアップする。しかしいかにマッチアップのうまい玲央美でも、初顔の相手は完全には止めきれない。キムの勢いは第4ピリオド前半に比べると落ちたものの、後半も12点をもぎ取った。対する日本は(玲央美がキムの抑えに専念しているので)千里と王子でゴールを狙うが、王子はフリースローが下手だというのがバレているので、積極的にファウル攻撃に遭い、彼女の得点は5点に留まる。逆に王子がエキサイトしてテクニカルファウルを取られる場面まであった(その後は自重した)。
 
千里については千里にボールが渡らないようにひたすらパス筋を塞ぐ作戦で来られ、司令塔の羽良口さんから千里にボールが来ないので、結局スリー2本の6点に留まる。
 
こういう場合、U21では千里の動きをある程度予測できる早苗や朋美がその移動予定地に向けてパスを出すので千里はパスを受け取れていたのだが、さすがに羽良口さんとはそう長くやっていないので、そういうパスが成立しない。せめて玲央美が使えたら良かったのだが、玲央美はキムの相手で精一杯であった。
 
それで結局このピリオドを40-11で終えることになった。
 

「90 to 75 , Korea won」
 
と審判が告げる。韓国は物凄い歓喜であったが、日本選手たちは一様に厳しい表情であった。
 
こうして日本は韓国戦を落としてしまったのである。
 
23日の結果
 
中国○87-38×インド 台湾○83-55×レバノン 韓国○90-75×日本
 
暫定順位
 
1.韓国(3勝) 2.日本(2勝) 3.中国(2勝) 4.台湾(2勝) 5.レバノン(0勝) 6.インド(0勝)
 

この日亜津子のスリーは4本、千里は6本であった。亜津子は1度相手のファウルでフリースローを得て3本とも決めて結果的に3点取ったのはあったのだが、スリー自体は4本に留まる。それで亜津子が凄く悔しがっていた。千里はファウルを受けながらも決めてその後のフリースローも入れ4点プレイにしたのが1つあった。
 
「ファウルされるなと思ったら、そこで相手からの打撃があることを計算に入れて撃つんだよ」
と千里が言うと
 
「確かに千里はそれが高校時代から上手かった」
と玲央美が言う。
 
「インターハイの岐阜F女子高との試合で終了間際に奇跡の大逆転をしたのとか、そうだよね」
 
「まああれはその前に忍者モードで隠れていて、パスカットする、という前提があったからね。相手の想定外のことを起こして精神的にパニックにさせることが大事」
 
「千里ちゃんはそういう計算がうまい」
と千里を結構見ている広川妙子が言う。
 
「でも千里は算数の計算はあまりうまくない」
と玲央美が言う。
「千里、52 x 48は?」
「2486」
と千里は2秒ほどで答えた。
 
「千里ってこういう人なんだよね」
と玲央美が言う。
 
「だって、それは (50+2) x (50-2) だから、(a+b)(a-b)=a2-b2の公式を使って、50の二乗マイナス2の二乗で、2500-4だもん」
と千里。
 
「うん。だから2500-4 = 2496が正解」
と玲央美。
 
「あれ?さっき千里はいくらって言った?」
「2486と言った」
 
「あれ〜〜〜!?」
 
「微妙に間違っている」
「概略で合っていて1の位(くらい)も合っていて、途中の数字だけが違うというのは器用な間違い方だ」
と三木エレンが感心したように言っている。
 
「ええ。千里の計算というのは、概略は合ってるけど細かい所で間違っていることが多いから気をつけないといけないんです」
と玲央美は言った。
 
「つまりアナログコンピュータなんだな」
とエレンは笑いながら言った。
 

「これで準決勝は中国とやることがほぼ確定した」
と夕食(時間的にはほぼ夜食)の席で松本代表が言った。
 
「そうなりますか?」
 
「明日は韓国・中国・日本が各々勝つと仮定する。最終日に韓国が台湾に勝つと仮定する。すると韓国が1位になるので最終日の中国−日本戦は予選リーグの2位・3位を決める戦いにすぎない」
 
「ああ・・・」
 
「だから25日の中国戦では、中国があまり知らないだろう、高梁・村山・佐藤の3人は使わないから」
と城島監督は言った。
 
この3人はフル代表のチームでは中国と対戦したことがない。王子は昨年の世界選手権に出たが、中国とは当たっていない。
 
本来はリーグ戦では主力を使わない方針だったのだが、韓国1位が濃厚という状況で予定が変わったという所だろう。
 
「わざわざこちらの手の内を全部出す必要は無いということですね」
「まあそれは中国も同様だと思うけどね」
 

24日は大方の予想通りの結果となった。
 
韓国○104-75×レバノン 中国○72-63×台湾 日本○96-41×インド
 
日本はこれまで通り、中核選手を使わず若手だけで運用する形でインドに圧勝した。
 
インド代表にはU18,U20にも出てきていたパルプリート・カウル・シヅーが出ていて、スリーを3本も決めた(千里も彼女を停めずに敢えて撃たせた感もあったが)。
 
試合終了後千里は彼女とハグした。
 
「ピル・ミレーンゲ(また会おうね)」
と千里がヒンディー語で言うと
「私、もっと頑張るね」
と彼女は日本語で答えた。それで再度ハグした。
 
この日亜津子は4ピリオド全部に出して欲しいと訴え、代わりに千里が3ピリオドだけにした。それでこの日亜津子は9本、千里は7本のスリーを入れた。ここまでのスリーの合計本数は亜津子が26本、千里が30本である。
 
しかし亜津子は試合終了後軽い貧血を起こして座り込んでしまった。
 
「私体力が足りなーい」
「Wリーグでやっている弊害だね、それ」
と玲央美が言う。
「うん、確かにWリーグの問題点は1人の選手が40分間出続けるなんて運用はまずされないことだ」
と武藤さんも言っていた。
 
暫定順位
1.韓国(4勝) 2.日本(3勝) 3.中国(3勝) 4.台湾(2勝) 5.レバノン(0勝) 6.インド(0勝)
 
これで韓国の1位と台湾の4位が確定し、結果的に準決勝の組合せも確定した。韓国−台湾、中国−日本である。
 
最終日に中国−日本戦、レバノン−インド戦があるのでリーグ戦の最終的な順位はその結果で決まる。
 

8月24日。大船渡沖。
 
漁船がソナーで海中の魚群を探査していて、どうも自動車のようなものが沈んでいるようだというのを探知した。漁協が連絡を受けて、まずは潜水夫を潜らせてみた所、中に人がいるようだということが分かる。ナンバープレートが読み取れたので運輸支局で照会した所、大船渡市内の平田辰輔さん所有の車と分かる。平田さんは震災で行方不明という届け出がなされていたので、その届け出人の青葉の所に連絡があった。
 
「お願いします。費用はいくら掛かってもいいので引き上げて下さい。全額費用を負担しますので」
と青葉は警察の人に言った。
 
「分かりました。川上さんは、ご親戚ですか?」
「はい。戸籍上のつながりは無いのですが、私の父のような人です。特別縁故者というか」
「なるほど。では引き上げの手配をしますが、こちらに来られます?」
「明日にも向かいます」
 
「多分今から手配しても、引き上げられるのは明日か明後日になると思います」
「よろしくお願いします」
 

8月25日大村。
 
この日は最初にレバノン−インド戦があり、レバノンが勝った。両者はともに入れ替え戦に出ることになるが、5位レバノンの相手はL2の2位・カザフスタン、6位インドの相手はL2の1位・マレーシヤとなる。
 
次に行われた韓国−台湾戦は韓国が1位確定しているからと思って控え主体のメンバーで出て行ったら台湾が物凄く頑張り、韓国は終盤キム・ヘソンを含む主力を投入せざるを得なくなった。それで69-67の僅差で韓国が勝った。
 
そして中国−日本戦だが、明らかにどちらも戦力を温存し、また中国はこれまであまり出していなかった10.白(パイ)と13.黒(ヘイ)を最後まで使わなかった。日本も玲央美・千里・王子の3人を使わなかった。
 
結果は76-53の大差で中国が勝った。
 
25日の結果
レバノン○71-52×インド 韓国○69-67×台湾 中国○76-53×日本
 
リーグ戦確定順位
1.韓国(5勝) 2.中国(4勝) 3.日本(3勝) 4.台湾(2勝) 5.レバノン(1勝) 6.インド(0勝)
 
この日亜津子は2・4ピリオドに出て合計5本のスリーを入れた。千里が出ていないので、これで総本数は亜津子31本、千里30本で亜津子の本数が上回る。しかし亜津子は「ちーが出てない日に追い抜いてもなあ」とぶつぶつ文句を言っていた。
 

「そういえば、協会の某理事から、韓国にも中国にも大差で負けるとは何事だ?って言ってきてますが、どうしますかねぇ」
と松本代表がその日の遅い夕食の席で言った。
 
「韓国に負けたのは不覚だけど、今日の中国戦は成績に全く関係無い消化試合だから、戦力を相手に見せないことが大事だったんだけどね〜」
と山倉アシスタントコーチが言う。
 
「まあ算数のできない人が多いみたいだから」
と飯田アシスタントコーチ。
 
一瞬選手たちの視線が千里に集まるのでコーチたちが「ヘ?」という顔をした。
 
「どっちみちあの人たち、女子のことは何も考えてない。男子だけを考えていて女子はオマケなんだよ」
「その男子リーグが分裂している問題に全く対処できてないんだけどね〜」
「それ以上にここしばらく男子の国際大会での成績がひたすら低迷している」
「とても先進国の成績ではない」
「あんまり成績が酷いから、男子チームと女子チーム、性転換して入れ替えようかなんて言ってた人もあるよ」
「いや、さすがに女子チームでは勝てない」
 
「男子は、やはり分裂していて強化体制もちゃんとしてないのが響いていると思うよ」
 
日本男子はオリンピックは1976年のモントリオール五輪に出て以来35年間五輪から遠ざかっている。世界選手権も2006年に開催国枠で出た以外は1998年以来13年間遠ざかっている。2006年も24ヶ国中20位だった。アジア選手権でも上位に入ったのは1997年の2位が最後で、その後、1999年5位、2001年6位、2003年6位、2005年5位、2007年8位、2009年10位と、本当に悪化してきている。
 
「井の中の蛙が多すぎるよね」
「井の中ならまだいいけど、バケツの中だな」
 
とコーチたちも無茶苦茶言っていた。立場上あまり物が言えない城島監督が苦笑いしていた。
 
 
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【娘たちの継承】(3)