【娘たちの継承】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-02-12
2011年7月28日(木)。
千里はフル代表の合宿をしていた。26日にフル代表12名の最終的なリストが発表され、インターハイに出場する王子を除く11名で、来月のアジア選手権(ロンドン五輪予選)に向けて濃密な練習をしているのである。
この日の夕食の時、広川妙子が
「エレンさん、お誕生日おめでとうございます」
と言った。
それで
「わあ、エレンさん、お誕生日ですか?おめでとうございます」
という声があちこちから掛かる。
「ありがとう、ありがとう。プレゼントは今夜9時までなら受け付けるよ」
などと本人は言っている。
わざと短い時間を言って、配慮無用ということにしたのだろうと千里は思った。しかし千里はちょうどいい物を持っていた。
それでその後、エレンがトイレに立ったのに合わせて千里も席を立ち
「エレンさん、これ誕生日プレゼント代わりに」
と言って千里は鳥の形の携帯ストラップを渡した。
「ありがとー。これは?」
「私、3日前に高野山の偉いお坊さんを東京から自坊まで送って行ったんですよ。その御礼に頂いたんですが、頂いた時に、これ誰かにあげることになると思ったんです。私ってよくそういう“お使い”に使われがちなんですよ」
「へー!高野山。でもこれ凄いパワーが込められてない?」
「高野山の中でも奥の方にあって、普通の参拝者はまず行かない★★院という所で、一応一般の参拝者向けに出している御守りだそうです。年間10個も売れないらしいですが、それだけ奥にあるんで、パワーがハンパ無いんですよ」
「あそこって女でもそういう奥まで行けるの?結構女人禁制だったりしない?」
「あそこはわざわざ禁制にしなくても普通の女は近寄れないらしいです」
「ほう!」
「ここ10年で訪れた女は私を含めて5人しかいないとか」
「何か凄いね!」
「まあ車で行きましたけど」
「車で行けるのか!」
「道に迷わなければですけど」
「なるほどー」
「崖崩れで通り抜けられなくなった道とか放置されているから結構難しいんです。地図には載ってないし、カーナビは道路外を示しますし」
「かなり秘境だね」
「そこで修行している人たちはセブンイレブンが欲しいとか言ってますが」
「それは配送トラックが迷子になる」
「と思います」
「でもこの鳥は何だろう?」
「ミソサザイだそうです」
「名前は聞いたことあるな」
「高い山に住んでいて、鳥の女王、風の女王と呼ばれているそうです」
と千里が解説すると
「おお、それは私にふさわしい」
とエレンは言っている。こういうのを照れることなく言い切れるのがエレンだ。バスケット選手になっていなかったら、スター歌手になっていたかもと思うこともある。エレンとはカラオケに行ったこともあるが歌がかなり上手い。
「私もよく鳥に喩えられますけど、シューターって鳥のようなものかもと思うことはあります」
「うん。私もよく言われた。スズメだとかツバメだとか」
「ツバメはかなりスピードが速いですよ」
「そんな気はするね」
エレンは唐突に言った。
「私がなぜ33番をチームで付けているか知ってる?」
「デヴィッド・トンプソンの33かなと思ってました」
デヴィッド・トンプソンは70-80年代にNBAで活躍したシューティングガードである。“スカイ・ウォーカー”の異名を持つ、高い跳躍力を持つ選手であった。
「不正解。私が1975年7月28日6:33(*1)に生まれたからなんだよ」
「そうだったんですか!」
「あんたも生まれた日が3に関わりがあるよね?」
「はい。平成3年3月3日、0時1分23秒なんです」
「ああ、それは面白い日時に生まれている」
「けっこう覚えられちゃうんですよね〜」
「だったらさ」
とエレンは言った。
「私が引退した後は、千里ちゃんが33番の背番号でWリーグで活躍しなよ」
千里は微笑んで答えた。
「もし大学卒業後、どこかのチームが拾ってくれたら、打診してみます」
「うん」
とエレンも笑顔で答えた。
(*1)6:33になるのはBST(イギリス夏時間)で、JST(日本標準時)では14:33になる。
2011年7月上旬。
千里や誠美は代表活動で忙しかったのだが、千葉県の国体選考会があり、ローキューツは千里・誠美抜きでこれに出場して準優勝になった。優勝したのは千女会である。
「あんたたちの所は、なんであの凄いシューターさんや、あの背の高い人、出てこなかったの?性転換でもした?」
と千女会の人に尋ねられたが
「取り敢えず女のままのようです」
「シューターの村山はU21世界選手権でアメリカ、センターの森下はU24の合宿で東京北区のナショナル・トレーニング・センターに缶詰中です」
「そんな凄い選手だったんだ!」
ともかくも、ローキューツからは、麻依子・薫・凪子の3人が国体チームに選抜された(薫は3月に千葉市内のアパートに引越し、千葉県民になっている)。
「へー、中部大会って凄いじゃん!」
と和実は言った。
「まあ今年はそこまでだろうけどね。県大会も3位でギリギリ通過だし」
と青葉は言う。
青葉が加入した◎◎中学コーラス部は、地区大会を2位通過、県大会を3位通過して、7月30日(土)の中部大会(愛知県)に進出したのである。
「でもそれいつ帰ってくるの?」
「日帰りだから30日の内に帰ってくるよ」
「日帰りなのか!」
「高岡から名古屋までは、しらさぎで3時間半くらいなんだよ」
「しらさぎって、米原経由?」
「そうそう」
「高山経由じゃないんだ?」
「富山市なら、そちらでもほとんど時間が変わらないんだけどね。高岡から富山への移動に時間が掛かるし」
「なるほどー。高岡からまっすぐ南下する路線は無かったっけ?」
「それは城端線(じょうはなせん)から長良川鉄道に行くルートだけど、城端(じょうはな)と北濃(ほくのう)の間、100kmくらいが繋がってない」
「ああ、繋ぐ予定とかはあったのかな?」
「どうだろう?長良川鉄道は実は越美北線の九頭竜湖駅の方向に伸びる予定だったんだよ。岐阜と福井を直結する。だから長良川鉄道の方は越美南線なんだよね」
そのあたりは先日鉄道マニアの桃香から聞いた話である。
「そちらへ伸びる予定だったのか!」
「今は北濃から九頭竜湖方面にしても、城端方面にしても山道しか無いみたい。夏の間は北濃と城端の間にはバスが走るけど、冬は運休になってしまう(*1)。北濃から九頭竜湖方面へはバスも無いからどうしても踏破したければ8kmほど歩くしかないみたい」
「どうも凄い秘境のようだ」
(*1)城端から白川郷までのバスは年間を通して運行されるが、白川郷−牧戸および牧戸−北濃のバスは冬季運休である。
「でも30日の内に戻って来るなら、31日に着くようにそちらに行くよ」
「2人で?」
「そうそう。2人で交代で運転して行く」
それで和実と淳は30日の朝プリウスに乗って東京を発ち、最初は中央道→長野道で安曇野まで行く。ここで休憩して、様々な美術館を見たり、信州そばを食べたり、八面大王の足湯に浸かったりした。そして30日夕方、高岡に向けて出発する。
「このまま上信越道を行く?」
「それもつまらないから、R147/R148で糸魚川(いといがわ)に出ない?」
と和実が言うと
「地図を見ると随分ジグザグっぽいんだけど」
「だから楽しいんじゃない」
「どちらが運転する?」
「じゃんけん」
じゃんけんすると和実が勝った。
「やった!」
と和実は言ったが、
「私、大町から先は寝てる」
と淳は言った。
そういう道は運転している人はいいのだが、同乗者はとっても辛い。
実際問題としてこの道は大町市に至る国道147号はいいのだが、その先、糸魚川に出る国道148号が、なかなか“素敵”なのである。途中多数のスノーシェッドが続く所がある。
「なんかひとつひとつの洞門に名前が書いてあるね」
「うん。凄いね、ここ」
「ねえ、この洞門の名前を全部撮影してよ」
と和実が言う。
「でももう既に7-8個通り過ぎたけど」
と淳。
「うん。戻るからさ」
「戻るの!?」
それでふたりはこの洞門の名前をひたすら撮影したのである。これは2人乗っていないとできない行為である。交通量が多いので、停車しての撮影は迷惑行為になる。
糸魚川まで出た後は、北陸道に乗り、プリウスは快走していく。有磯海SAで休憩して食欲と性欲!?を満たした。そして31日お昼前に青葉の家に到着した。
「わあ、2人ともゴスロリだ」
と青葉が言うと
「無理矢理着せられた」
と淳が情けなさそうな顔で言った。
「あ、これお昼ごはん用にと思って買ってきた」
と言って、和実が安曇野で買った“おやき”を出す。
「わあ、それ好き!」
と朋子が言った。
せっかく高岡まで来たふたりを青葉はその日の午後、少し観光案内してあげた。まずは高岡大仏を見て、銅器展示館に行った後、海王丸パークに行った。ここは初代・海王丸(*1 横浜に展示されている日本丸の姉妹船)を展示しており、時々総帆展帆も行っている。そして実際行った時、偶然にも、その総帆展帆が行われていた(*2)。
「美しい」
と和実は帆船を見て声を挙げた。
「やはり帆船は汽船に無い美しさがあるね」
「この船、フィギュアヘッドとかは無いの?」
「あったんだけど、海王丸II世に引き継がれたんだよ」
「なるほど〜、継承されたのか」
元々日本丸・海王丸にフィギュアヘッドは無かったのだが、1985年に制作され、日本丸は既に代替わりしていたので、日本丸II世と海王丸に取り付けられた。日本丸(II世)のものは手を合わせて祈る女性像《藍青》、海王丸は横笛を吹く女性像《紺青》である。1989年に海王丸が引退すると、そのフィギュアヘッドも海王丸II世に引き継がれたのである。
「笛といえば、青葉、新しい笛を買ったんでしょ?」
「うん。凄くいい音が出るんだよ」
と言って、青葉はバッグの中から龍笛を取りだし、自由に吹いた。
その笛を吹く様が美しいので、和実が持参のα55で写真を何枚も撮っていた。
「青葉、船を背景にするように立ってよ。そうそう」
それで和実は海王丸をバックにセーラー服を着た青葉が笛を吹く様の写真を撮ったが、これがまた美しい様であった。近くを歩いていた観光客が何人も立ち止まり、その人たちまで写真を撮っていた。
「これはそのまま海王丸の《紺青》という感じだ」
と淳は言った。
(*1)↓は私が2016年12月14日に撮影した夕暮れの中の海王丸。帆を張ってない所で済みません。後ろの橋は新湊大橋ですが、青葉が和実を連れて行った2011年にはまだ完成前の工事中でした。
総帆展帆の映像は↓に公式のがあります。
https://youtu.be/X6DWJITf530
(*2)実際に2011年7月31日には総帆展帆が行われた。この年の総帆展帆は4/24 5/4 6/5 6/26 7/18 7/31 8/28 9/18 10/9 11/3に行われている。
秋田で行われているインターハイ、31日の結果(準々決勝)
愛媛Q×−○旭川N 山形Y×−○岡山E 福岡C×−○岐阜F 愛知J×−○札幌P
ここで小松日奈の愛媛Q女子高が消えた。日奈には主として松崎由実がマッチアップしたのだが、7割くらい由実が勝つ感じになった。そして結果的にはこの2人の対決が勝負を分けた。
山形Y実業は3回戦で優勝候補の一角・金沢T高校を破っての準々決勝進出であったが、高梁王子率いる岡山E女子高の破壊力の前にダブルスコアで沈んだ。今年の岡山E女子高は「手加減」とか「温存」ということが一切無しで全ての試合に全力勝負している。
岐阜F女子高は接戦で福岡C学園に辛勝した。札幌P高校は“女王”愛知J学園に20点差で勝ってベスト4に進出した。
7月31日、ローズクォーツの『夏の日の想い出』のキャンペーンは広島市で終了した。冬子(ケイ)は、疲れたなあと思って夜の町を歩いていて、老齢の占い師さんに遭遇。その占い師さんに過去のことを色々言い当てられて、凄い!と思った。
その占い師さんが言ったこと。
・表に立って活躍する仕事に向いている。
・芸術的な仕事に向いている。
・一度休んでいたようだが、2010年7月8日までに復帰していないと復帰できなかった。
・次は2034年までは休んではいけない。
・27歳で子供ができる。
占い師さんの言葉を脳内で反芻しながら、何気なくカフェに入ったら、そこでKARIONの和泉・小風の2人に偶然遭遇。美空は寝てるということだったが、冬子はその2人としばしおしゃべりした。この夜はKARIONに気付いて寄ってきたファンに恐らく世の中で1枚きりと思われる、和泉・小風・蘭子の3分割サインを書いた。もっとも、サインをねだった人は、和泉・小風・美空の3人と思い込んでいた可能性が高い。
0時すぎて、そろそろ帰ろうということになり、2人と別れて自分のホテルに戻ろうとしていたら政子から電話がある。
何でも食糧を食べ尽くして、お腹が空いたから、冬子がいる広島まで新幹線でやってきたという話である!わざわざ広島まで来なくても、近所にコンビニとかもあるだろうに、と思ったものの、仕方ないので広島駅まで政子を迎えに行き、深夜まで営業しているお好み焼き屋さんに入った。
それで政子の食べっぷりを気に入った店主さんのお陰で営業時間を大幅にオーバーしてまでたっぷりお好み焼きを食べ、ホテルに入る。そして翌8月1日、そのホテルの朝御飯に牡蠣フライが出た。
「これ冷凍かな?」
「生の牡蠣が出るのはRの付く月だから、まだ生は出てないでしょ」
実際、スタッフさんを呼び止めて訊いたら冷凍ということであった。政子は
「どこかで生の牡蠣が食べられる所は無いかなあ」
などと言い出す。
「今性転換中だからなあ」
その時、冬子は従姉の千鳥(金沢市在住)から、“能登の岩牡蠣”の話を聞いたことがあったのを思い出した。普通の牡蠣は冬が旬であるのに対して、岩牡蠣は春から夏に掛けて食べられるのである。それで電話して訊いてもらうと、中島という所の牡蠣料理店で、まだ食べられるということであったので、明日行くという予約を入れた。
それでせっかく能登に行くのなら、少し足を伸ばして高岡の青葉の所に行こうということになり、新幹線とサンダーバードで移動する。
冬子たちが高岡の青葉の家に行ったのが8月1日の15時過ぎであったが、ちょうどここに和実と淳が来ていた。ふたりはゴスロリの服を着ており、青葉までゴスロリを着せられている。そして和実は冬子たちにも
「着てみる?」
と言った。
それで結局和実・淳・青葉・冬子・政子と5人、ゴスロリで並ぶことになる。
「なかなかこれはインパクトがある」
和実は青葉のお母さん(朋子)にまでゴスロリを勧めていたが
「ウエストが無理」
と言って逃げていた。
結局岩牡蠣は青葉も含めて5人で食べに行くことにし、予約の変更を入れた。
秋田で行われているインターハイ、8月1日は準決勝の2試合が行われた。
旭川N高校×−○岡山E女子高 岐阜F女子高×−札幌P高校
旭川N高校は王子を停めるのに、松崎由実と徳宮カスミという同校の主力2人でダブルチームする作戦で行った。この作戦はある意味成功して王子のこの試合での得点は22点に留まった。しかし残りの3人でE女子高の雨地月夢・翡翠史帆・桃山由里・桜田夏帆といったメンツを停めるのはなかなか辛い。それでもN高校のメンツは頑張り、最後も4点差から残り1秒で追いつき延長戦となる。
しかし延長戦になるとスタミナで劣るカスミが王子に振り切られることが多くなり、最後は6点差で敗れた。
札幌P高校は久保田希望の活躍で岐阜F女子高に15点差を付けて勝った。
なお、インターハイは3位決定戦は行われないので、旭川N高校、岐阜F女子高ともに銅メダルをもらった。
しかし旭川N高校が再びインターハイの舞台に出てくるのは3年後になる。
8月2日。
秋田市立体育館ではインターハイ決勝戦が行われた。
札幌P高校も王子の怖さが分かっているので、久保田希望・宮川小巻という日本代表経験者2人でダブルチームを掛けた。しかし、ふたりは王子を全く止めることができなかった。ふたりに付かれていても王子は全く気にしないかのように動き回り、得点を挙げていった。
昨日松崎由実たちに封じられた鬱憤を晴らすかのようにどんどんゴールを奪う。終わってみれば、まさかの30点差で岡山E女子高が優勝をつかんでいた。
U21,U19というふたつの世界選手権で得点女王を取ったパワーを高梁王子が全国に見せつけた試合であった。結果的に昨日の松崎由実は凄かったんだ!というのが多くの人の認識となった。
久保田希望は試合後所在が分からなくなり、焦って探していたら、頭を丸坊主にして照れ笑いしながら戻ってきた。他の選手たちが呆然とする中、高田コーチは頭を抱えた。
「全く渡辺純子も変な伝統を作ってくれたよ」
とコーチはぼやくように言った。
そして例によって希望は札幌に帰る飛行機の搭乗口で
「お客様、チケットが違います」
と言われた!
玲央美や誠美たちのU24チームは7月29日に台湾に移動し、31日からのウィリアム・ジョーンズ・カップに出場した。
日本・韓国・インド・台湾・台湾大学選抜の5チームによるリーグ戦である。日本は初日台湾に敗れて痛い星を落としたものの、その後は全勝。3勝1敗の2位で終わった。優勝は台湾である。
玲央美たちは8月5日に帰国する。
高岡では8月2日にみんなで能登の七尾市の中島地区(能登島の対岸付近)に牡蠣を食べに行った後、冬子と政子は金沢に行き、KARION公演にゲスト出演した。ローズ+リリーが一般の観客の前に姿を現したのは、約1年半ぶりであった。
一方和実と淳は青葉を乗せて高岡に戻り、一緒に晩御飯まで食べてから、夜中に和実たちは東京に戻っていった。
入れ替わるように8月4日に彪志が高岡を訪れ、きちんと朋子に挨拶し、ふたりの関係は正式に双方の親が公認するものとなった。彪志は1泊して5日まで高岡に滞在したが、岩手に戻る時に青葉も付いて行き、8月6-7日は青葉は大船渡近辺で霊的な相談事に応じた。7日は遅くなってしまい、結局彪志の家に泊まって8日帰ることになる。
実は8日に富山に冬子が来て青葉のヒーリングを受けることになっていた。それでその時刻までに富山に戻らねばと言っていたのだが、冬子は「青葉が東京経由で富山に移動するなら自分が富山に行く必要は無いじゃん。東京でヒーリングしてよ」と言うので、確かにそうだということになり、結局8日は東京でセッションをすることになる。
そして、それなら東京で少し時間ができるから、その間は彪志とデートしようということになり、彪志は青葉に付いて東京に出て、夕方の新幹線で一関に帰ることにした。
そういう訳で青葉は4日から8日夜まで5日に及ぶロングデートをした
のであった。
2011年8月6,13,14日は第8回シェルカップが土浦市の霞ヶ浦文化体育館で開かれた。6日または13日に予選があり、14日に本戦(準々決勝以降)である。選手権などに出番の無い子たちの格好の活躍の場なので、千里・誠美・麻依子たちは出ずに、浩子、薫、桃子、夏美、夢香、岬、聡美、凪子、司紗、国香、などといった面々に行かせた。玉緒などが「これなら私の出番がある!」と言って活き活きとプレイしていたらしい。
それでもBEST4まで行き(実際、薫・凪子・国香・桃子だけでもかなり強い)、準決勝でローキューツに勝ったサンロードスタンダーズが優勝したので、順位付けの規約で3位となり、賞状と賞品をもらい、喜んでいたようである。
今回の大会では、参加チームが前回より増えたこともあり、オフィシャル用の備品が足りない!という話があり、ローキューツが所有しているものを持ち込んだ。ローキューツは13日予選で6日は試合は無かったのだが、浩子・夢香・夏美・司紗の4人に機械・器具を持って行かせた。
「凄い!電子得点板がある!」
「これ最新鋭のじゃん!」
と言って寄ってくる人が多く、司紗が全員に使い方を教え、実際に1ゲーム、ローキューツのクルーで操作してみせて、多数の参加者がそれを見学していた。
(旭川N高校出身の司紗も、静岡L学園出身の夏美も強豪高で選手枠に入れない部員だったので、オフィシャルをするのは上手い。実際司紗が24秒オペレータ、夏美がスコアラーをした)
8月6-9日には、福岡と長崎で日本代表の壮行試合が行われた。
王子は2日までインターハイをしていて、3日は全員岡山に帰ったのだが、王子は4日だけ実家で過ごした後、5日に新幹線で福岡に移動した。
玲央美は26日に日本代表の発表記者会見に出た後も、U24チームの合宿を28日まで続け、29日に台湾に移動、31日から8月4日までウィリアム・ジョーンズ・カップに参加した。そして8月5日に帰国し、そのまま福岡に移動した。
松山空港10:00 - 14:00 羽田空港 16:30 - 18:15 福岡空港
ちなみに松山空港は愛媛県の MYJ.松山(まつやま)空港ではなく、台湾のTSA.松山(ソンシャン)空港である! 1時間の時差があるので飛行時間は3時間である。
千里は26日の日本代表発表の後、玲央美たちがウィリアム・ジョーンズ・カップをやっている間も合宿を続け、一応3日で合宿終了。4日はいったん自宅に戻った後、5日の朝、羽田に集合し、福岡に移動した。
羽田空港 10:30 - 12:15 福岡空港
今回の壮行試合の日程は下記である。
8.6(土) 19:00 CAN - JPN 福岡市民体育館 8.7(日) 14:00 CAN - JPN シーハットおおむら
8.9(火) 15:00 CAN - JPN 長崎県立総合体育館
5日は特に練習日程などは入っていなかったのだが、王子および月野さんと一緒に「どこかで少し練習したい」と言ったら、中央区の体育館を使っていいよということであったので、3人で行くことにした。実際には行こうとしていたら「私も混ぜて」と言って亜津子が来たので4人で行って練習した。
なおカナダチームは博多区の体育館で練習していたようである(福岡市民体育館も博多区だが、博多区の体育館とは別の場所にある)。
6日は「試合前だから」ということで、午後は練習禁止ということだったので、昨日夕方福岡に入った玲央美も誘い5人でやはり中央区体育館に行き、午前中“濃厚な”練習をして、汗を流した。そしてお昼を食べた後は仮眠した。三木さんは「若いっていいね〜」などと言っていた。
エレンはしばしばこういう発言をするが、実はこっそり激しいトレーニングを積んでいたりするから、彼女のことばは顔面通りには受け取れない。36歳の年齢で肉体的には27-28歳くらいの身体を維持しているのは、日々物凄い鍛錬をしているのは間違い無い。
「そういえば、三木さんのお名前ってカタカナですけど、ニューハーフか何かですか?」
と王子が、食事の時に訊いた。
「ニューハーフではない」
「あれ?お父さんかお母さんが外国人だっての何て言いましたっけ?」
「ニューハーフではなく、ハーフね」
「ニューハーフって何でした?」
「オカマちゃんのこと」
「ごめんなさい!」
「まあ男と女のハーフということで」
「お父さんかお母さんが男か女って意味ですか?」
「ふつうお父さんは男でお母さんは女だ」
「あれれれ?」
「たまにお父さんが女でお母さんが男ということもあるらしいが」
「それ?お父さんから生まれたんですか?」
かなり訳が分からなくなって来たところでエレンが言う。
「私はクォーターなんだよ」
「へー!」
「お母ちゃんが、イギリスというか正確にはスコットランドに移住した日本人のお祖父ちゃんとスウェーデン系スコットランド人のお祖母ちゃんとのハーフ。お父ちゃんは青森県の八戸生まれだけどね。私はお母ちゃんの実家のあるスコットランドのエジンバラ(Edinburgh)で生まれたんだよ」
「へー!!」
エレンがかなり複雑なことを言ったので、実際ちゃんと理解できた子は少ないと思う。なお「エレン(Ellen)」というのは元々スウェーデンに多い名前である。エレンはユニフォームも Ellen Miki と染めてもらっている。
(しばしばどちらが苗字でどちらが名前か分からんと言われる)
「だから実はイギリスと日本の二重国籍(*1)だったんだけど、1992年のジュニア・アジア選手権で日本代表になったから、イギリス代表にはなれなくなった」
「イギリス代表になるか日本代表になるか悩みました?」
「私、英語が苦手だし」
「あら」
「ジョイフルゴールドの母賀ローザもフランス生まれなのにフランス語が話せない」
「あの子の電話番号、私のアドレス帳に入ってる。牛丼屋さんで遭遇したことある」
「日本人ですね〜」
(*1)イギリスでは1983年まで血統主義と出生地主義が併用されており、イギリスあるいはイギリス国外領土で生まれた人はイギリス国籍が取得できた。それ以降もイギリスで生まれて10歳まで国外に出ずに育った人はイギリス国籍が取得可能である(10歳までの間に国外に出た日数が合計90日以内であることが必要)。
6日の試合では、亜津子・千里・玲央美・王子といった若手を中心に運用した。相手が引いて守る作戦で来たので、点数としてはロースコアになり、54-63で勝利した。
7日の“シーハットおおむら”では逆に名前のよく知られているベテラン勢を中心に運用したが、最後の最後で逆転され、56-54で敗れた。
9日の長崎市の試合でもベテラン勢中心に起用したが、この日は昨日の雪辱に燃えるエレンや横山温美などが頑張り、61-68で勝利した。
そういう訳でこの壮行試合は2勝1敗となり、何とか面目を保った感じであった。
この壮行試合の日程と並行して、ユニバーシアード代表はNTCで6日から11日まで合宿をしていた。12日に大会が行われる深圳(シェンチェン)に移動することにしている。シェンチェンは香港の隣町であり、外国人も多く中国語も広東語より北京語を話す人が多いなど、“世界都市”の様相を帯びており、《中国のシリコンバレー》の異名まである。
この年はユニバーシアードが開かれたし、2019年には男子のバスケット・ワールドカップ(東京五輪の予選を兼ねる)が開催されることになっている。
現時点でユニバーシアードの代表はこのようになっている。
(OG ) SF千石一美(茨城TS大修士OG) PF月野英美(東京W大修士OG)
(院2) PG中村亜樹奈(東京W大修士)
(院1) PF山原和恵(京都R大修士) SG福原陽菜子(千葉K大.OG)
(大4) PF日吉紀美鹿(愛知J学大) SF平木有佳(栃木K大) PG入野朋美(愛知J学大)
(大3) SG村山千里(千葉C大)C中丸華香(愛知J学大 182)
(大2) SF丸山愛理紗(神戸M大)
(大1) C夢原円(愛知J学大 186)
ユニバーシアードは大学または大学院を卒業した翌年まで(但し開催年の年初の時点で17歳以上28歳未満:1983.1.2-1994.1.1生まれ)出場できるので、千石一美と月野英美も出場できる。
このチームは他のアンダーエイジあるいはフル代表との兼任者が多く、実際千里と月野英美は壮行試合が9日に終わったので10日の朝からこのチームに合流した。
千里はこのチームの練習に参加するのはこれが初めてである。
大会は2日後に始まるというのに!!
「初めて12人揃った」
などとヘッドコーチの須崎さんが言ったが、このチームにずっと入っていた日吉さんなどに訊くと、合宿の度に参加者が違うので、連係プレイの練習が全然まともにできなかったと言っていた。
入野朋美はU21と兼任していたが、5月の名古屋合宿、その後のトルコ遠征には参加している。またU21が7月14日に終わったので、その後はU24合宿に参加している。
中丸華香も千里同様U21,フル代表と兼任だったが、7月26日のフル代表発表で落ちたので、7月29日からの合宿、及び今回の最終合宿に参加している。
夢原円はU19との兼任だが、名古屋合宿とトルコ遠征には参加している。またU19が7月27日で終わったので、29日からの合宿と最終合宿に参加している。しかし彼女も海外から帰ってきて1日しか休まずに合宿に入って、かなり疲労がたまっているようだ。
実際、千里自身、このチームに入って練習していると、ほぼ初顔合わせのメンツが結構居るので、パスの取り損ないが起きるし、アイコンタクトの意図が正しく伝わらないことも多い。千里はこのチームでわずか3日後に大会に出ることに、はなはだ不安を感じた。こんなことならフル代表の壮行試合みたいなイベントには出ずにこちらの練習に参加したかったよと思った。U21チームなら一瞬見ただけでお互い意図が伝わっていたのに、などと思う。千里の“視線フェイント”に味方がひっかかってしまうのである。
この練習を見ていて、須崎さんが頭を抱えていた。
千里はその日の夜、須崎ヘッドコーチに電話をして言った。
「これまで全くこのチームの練習に参加していなかったので、まともにプレイする自信がありません。辞退とかはできませんよね?」
「それ数人から言われている」
と須崎さんは言う。
複数というのは、自分と英美、それにひょっとすると華香もかもと思った。華香もパスの取り損ないがかなりあったのである。
「しかし連携プレイはお互いに声を掛け合ってやれば何とかなると思うし、スタンドプレイで得点することもできると思うので、何とか頑張って欲しい」
「分かりました。とにかく頑張ってみます」
「頼む」
11日も不安を抱えながらの練習が1日続いた。
そしてその日の夜9時頃、千里と月野英美がヘッドコーチに呼ばれた。
やはりクビかな〜、などと思いながら須崎さんの部屋に行くと、そこに須崎さんの他、長浜AC、ユニバシアードチームの神山代表だけでなく、フル代表の城島ヘッドコーチと松本代表、更にバスケ協会の強化部長まで居るので、何事か?と思う。
「明後日からユニバーシアードが始まる訳だけど、試合が終わるのが20日だよね」
と強化部長が言う。
「はい、そう聞いておりますが、まさか日程変更ですか?」
と千里は訊いた。
「変更は無い。むしろ変更して欲しいんだけどね」
「はい?」
「一方でフル代表が出場するアジア選手権はユニバーシアードが終わった翌日の21日から始まる」
「はい。でも21日の初戦・レバノン戦が19時からなので、一応試合には間に合うんです。また最悪間に合わなくても、負ける相手ではないからと言われました」
深圳から大村への(多分)最速の移動はこうなる。
SZX 7:50-10:05 PVG 11:55-14:25 FUK 15時頃 (車で2時間) 17時頃 シーハット大村
深圳の宝安空港(パオアン,SZX)からいったん上海(シャンハイ)の浦東空港(プートン,PVG)に飛ぶと、福岡空港(FUK)への便があるので、福岡空港国際ターミナルからバスケ協会が手配したタクシーで走ると2時間ほどで大村市に到着するのである。
浦東空港からは長崎空港への便もあるが時刻が9:40-12:10なので、朝1番の浦東行きに乗っても間に合わない。20日はもし決勝戦(21:30-23:00)に出た場合は、もう最終便が出た後である。また福岡空港から大村まではJRを使うよりそのまま車で高速を走った方がずっと速い。そもそも福岡空港の国際線ターミナルは離れた位置にあるので地下鉄駅までひじょうに時間が掛かる。
なお、成田や関空を使うルートではどうしても大村到着は21時すぎになる。
「それがね、台風が発生しているんだよ」
「え!?」
「今はフィリピン付近にある。それがちょうど20日頃に香港付近に来るという予報になっていて」
「もし来たら・・・」
「飛行機が飛ばない可能性がある。すると帰国が大幅に遅れる可能性がある」
「うーん・・・」
「22日の相手は台湾。ちなみに台湾のナショナルチームは15日くらいに来日予定」
「台湾には先日のウィリアム・ジョーンズ・カップで負けているから油断できない」
「どうもあちらのU24チームもかなり連携の乱れが出たみたいですね」
「そうなんだよ。今年はカテゴリーの兼任者が多くて、ちゃんとまともな練習ができたのはフル代表とU21くらいのようで。U19だって高梁君や湧見君たちがU21の方に取られていたからチーム練習が足りなかった」
「そして23日は韓国。もし君たちの帰国が23日までずれこむと、君たち抜きで戦う必要がある。22日に帰国できたとしても海外から戻った翌日の試合というのは、どうしても万全の体調にはならないと思う」
「まさか・・・」
「それで話し合ったのだけど、君たち2人は深圳には行かずに日本でフル代表の合宿を続けてもらえないだろうか」
「私は構いませんが」
と千里は言って英美を見る。
「私も構いません。特に私はこのチームの練習には5月中旬以降参加していなかったので、どうも複雑な連係プレイができなくて」
と英美。
「私なんて、昨日初めてこのチームに合流しました」
と千里。
「そうだっけ!?」
と強化部長が驚いたように言う。
「第1次合宿はフル代表合宿とぶつかり、トルコ遠征はフル代表のヨーロッパ遠征とぶつかり、今回の最終合宿もフル代表の壮行試合とぶつかり」
と須崎さんが言う。
「すまーん!せめて壮行試合からは外すべきだったね」
と強化部長さんは申し訳なさそうに言う。
「私たち2人が抜けた後の補充は?」
「山岸(典子)君と花和(留実子)君をお願いしたい。この2人はずっとUnivチームにいたので、連携とかがやりやすいので」
と須崎さんは言う。
「分かりました。すぐに登録選手変更の手続きを取ります」
と強化部長さん。
「間に合います?」
「中国時間で今日中、つまり日本時間の深夜1時までは受け付けてもらえます」
「ぎりぎりでしたね!良かった」
千里はやはり、連携がうまくいかないことによるクビなのではという気が大いにした。
しかしそういう訳で千里はユニバーシアードへの出場は今回キャンセルになり、アジア選手権の方に集中することになったのである。そして留実子は昨年のU20に続いて2度目の日本代表になることになった。
それで急遽代表に復帰した典子・留実子を含むユニバーシアード代表の一行は8月12日に深圳に旅立って行った。
NRT 15:05-17:20 PVG 18:40-20:35 SZX (CA930 B738)
所要時間6h30m, 飛行時間は3h15m + 1h55m = 5h10m である。成田→上海浦東のCA930が、便名もそのまま深圳宝安行きになるので、深圳まで行く人はそのまま機内で待機していれば良い。
しかし千里たちと同様にチームに溶け込めないので辞退したいと訴えていた華香は結局そのまま一緒に深圳に行くことになった。同じ愛知J学園大学のチームメイト、日吉紀美鹿・入野朋美、それに長年の付き合いの留実子などが「何とかなるよ」と励ましていたようである。
そして千里と月野英美は13日を1日休んだ後、14日からフル代表の最終合宿に入った。もっとも実際には12日も13日もNTCにいて、英美さん、および練習相手として呼び出した!彰恵(茨城TS大)・伊香秋子(東京W大)と一緒に濃厚な練習をしていた。
「居残りしたんだ!」
と13日の夕方NTCに来た玲央美が驚いていた。千里がこれまで1度もUniv代表の練習に入っていなかったので、全然連携とかができなかったと言うと
「いや、それnon UnivのU24チームでもそうだった。他のメンバーとのアイコンタクトとかができなくてさ。誠美や石川美樹さんくらいしか私のパスが取れないんだよ。分かりやすくパス出すとカットされてしまうしさ。それで台湾代表に不覚を取ってしまった」
と玲央美は言っている。
「なるほどね〜。こちらは入れ替えてもらって良かった気がするよ。私や英美さんも同様の事態になっていた気がする」
「震災で色々スケジュールが変わってしまったので、予定がくるってしまった部分もあるみたいね」
「ああ、ここにも震災の影響が出ていたのか」
ユニバーシアードの方は、惨憺たる成績となった。
日本は予選リーグでオーストラリア、スウェーデン、チェコに3連敗し、9-15位決定戦に回る。ここで何とかポーランドに勝って9-12位決定戦に進んだものの、中国とリトアニアにも負けて12位で終了した。
帰国後須崎ヘッドコーチと神山代表は辞意を表明したが、きちんとしたチーム作りができなかった中で出場しなければならなかったのは気の毒すぎた。
しかしユニバーシアード・チームは協会幹部が憂慮していた通り、台風のため21日には帰ることができず、結局は8月23日に帰国はズレこんだ。千里たちは行っていたら本当に韓国戦に間に合わない所だった。
「逆にU21チームが世界で銅メダルを取れたのは、ほとんどのメンツがU18の時から一緒にやってきていたからかもね」
と玲央美は言った。
「今回のU21チームはU18以来のメンバーと、私たちより2つ下の世代3人とで構成されていて、純子たち3人は3人で団結していたから良かったと思う」
と、帰国後大村まで応援に来てくれた華香は言っていた。
「実際ユニバ代表どうだった?」
「ボクがちゃんと連携できたのは、フル代表でも一緒になった一美さんの他はチームメイトの紀美鹿さんと朋美にサーヤだけでさ」
「ああ」
「シュートのタイミングがつかめないからリバウンドも取れないんだよ。結果的にボクの出番はあまり無かった。主としてサーヤ(留実子)と円ちゃんに出てもらった」
「ソラ(華香)としても不満の残る大会になっちゃったね」
「まあ、また出直しだよ」
8月20-21日には、ひたちなか市で国体の関東ブロック予選が行われた。これに出場した麻依子たちの千葉選抜は、1回戦を栃木に81-61で勝ったものの、準決勝で、江戸娘や多摩ちゃんずにジョイフルゴールドなどのメンバーが入っている東京選抜に66-59で敗れ、国体本戦出場はならなかった。結局東京選抜が優勝して10月に山口県でおこなわれる国体に出場する。
なお今年は少年女子が全県代表による大会となっており、岡山では岡山E女子高を主体とし、岡山H女子高・倉敷K高校の選手を入れた選抜チームが結成された。北海道では、またまた旭川選抜(N高校とL女子高主体)と札幌選抜(P高校主体)が北海道予選決勝でぶつかり、松崎由実の活躍で旭川選抜が国体出場を決めた。旭川選抜は2年連続の国体出場である(北海道には全県代表大会のメリットは全く無い)。
8月20日、青葉は東京に出てきてコーラスの全国大会に出場した。中部大会では最初4位と言われたのだが、1位になった学校が失格になってしまったため、繰り上がりで全国大会に行くことができたのである。
高岡から東京日帰りである!
高岡6:32-8:41越後湯沢8:49-9:55東京
東京20:12-21:21越後湯沢21:30-23:38高岡
高岡駅には各々保護者に送迎してもらっている。
青葉は東北代表として出てきていた大船渡○○△△中学合同の椿妃たちとも会うこともできた。
椿妃たちの学校は、震災で避難している人が多いのと、学校の校舎も破壊されたため2つの中学が臨時に合同して授業が行われているのである。それで合唱部も合同で出てきていた。椿妃たちの中学は6位、青葉たちは9位であった。
大会が終わった後は、束の間の交歓会もあったが、青葉は椿妃たちと手を取り合って全国大会での再会を喜んだ。日香理と椿妃は先日の葬儀の時にも会っていたので、今回は色々青葉に関する情報を交換していたようである。
7月にカリフォルニア州で性転換手術を受けた高校生・平良真紗はお盆の期間に東京に出てきて、中村晃湖のヒーリングを受けた。性転換手術を受けた人のヒーリングを過去に何度かしたことがあり、飛躍的に痛みが軽減されたという話を聞いたのである。鍼治療に通っている倉吉市の鍼師さんが、その情報を仲間からの口コミでキャッチしてくれた。
中村さんは依頼が殺到するとさばききれないので、基本的に広告の類いを一切しておらず、テレビなどにも出ない方針らしい。占い師もしているが、相談事は1件10万円(風水の相談は100万円)以上取るらしい。しかし今回は高校生ということもあり、1回3万円でいいよと言ってもらえたので行ってくることにした。
交通機関が混む時期であるが、8月13日に東京に出てきて、16日に鳥取に戻ったので、混雑するのと逆方向になり、何とか座席も確保できた。
「ああ、これは痛いでしょう」
と言って、中村さんは2日間にわたり2時間ずつのセッションをしてくれたが、痛みが画期的に軽くなった。
「凄く楽になりました」
「本来は快感を得られる器官が物凄く痛いというのは、精神的に削られるよね」
「そうなんです。実はちょっとだけ手術を受けたことを後悔しました」
「私がまたヒーリングしてあげてもいいけど、鳥取に住んでいるなら東京まで出てこなくても、私の知り合いで凄く優秀なヒーラーが出雲市に住んでいるから、その人の所に行った方がいいかも」
「出雲市ですか!だったら近くですね!」
それで中村さんは紹介状まで書いてくれたので、来月にも1度行ってみることにした。
真紗はこの中村さんのヒーリングの後、実際問題としてその出雲市に住む藤原さんというヒーラーの所を訪れるまでの間、全く女性器が痛くなかったのである。それで真紗のメンタルが物凄く改善された。
「私やっぱり性転換手術受けて良かったぁ」
と真紗は本気で思うようになったのである。
また中村さんは、オーダーメイドで本人のヴァギナの形に合わせて作られる留め置き式ダイレーターを作っている所も紹介してくれたが、それを使うのはもう少し炎症が収まって落ち着いてからの方がいいかもと言われた。
(ダイレーターは膣が縮むのを防ぐための器具で普通のものはセックスするかのように、膣に入れたり出したりする。複数のサイズのものがあり、毎日小さいものから大きいものへと順に入れていく。しかし性転換手術の直後はこの作業が物凄く痛い。この作業は基本的に一生続けなければならない。留め置き式のものは入れたまま放置しておいてよい。但し日に1度くらいは取り出してきれいに洗浄する必要がある)
フル代表の合宿は14日から18日まで東京NTCで続けられ、19日に飛行機で大村市に移動した。
羽田空港10:25-12:20長崎空港
なお長崎空港は大村市街地のすぐ近くの島(箕島)にある。元々現在の半分の面積しか無かったのを、山を削り取り、その山の土砂で埋め立てをすることで、元の倍の面積を持つ空港用の島を作り上げるという凄い工事をして作った空港である。
その話を桃香にしたら「性転換手術みたいだ」と言っていたが似てるか?出っ張りを無くすのは同じかも知れないが!?
3000mの大滑走路を持ち、1990年の長崎旅博覧会では、博覧会のイベントとしてコンコルドが飛来したこともある。
コンコルドが飛来した日本の空港は、羽田・関空とこの長崎空港の3つだけである。
19日にいざ大村に出発するという時に、王子が慌てたように言った。
「私、パスポート忘れてきているかも。どうしよう?」
思わず他の選手たちの間に笑みがこぼれる。
「きみちゃん、今回の大会は日本国内だからパスポート不要」
「あ、要らなかったんですか!良かった!」
「まあ性別を疑われた時にパスポートがあると便利なんだけど」
「あ、久保田希望が性別疑われたそうです」
「丸坊主にしたらね〜」
「でもきみちゃんは、パスポートはいつも持ち歩くバッグとかに常に入れておいた方がいいよ」
「いや、そのバッグが行方不明になるんですよね〜」
「ああ、君は部屋の片付けをもう少し覚えるべき」
王子の部屋の散らかしようは、かなり酷いものである。
19日は地元で歓迎のレセプションをしたいという話もあったようだが、大会前なので遠慮させて欲しいと言い、側面サポートしてくれているU21の高居さんが手配してくれていた大村市内の高校の体育館で汗を流した。
この体育館はまだコートの線を引き直していなかったのだが、日本選手団が来る前日に頑張ってビニールテープを貼って新しい線を引いてくれた。
高居さんが練習場所を探したことから、地元の高体連・中体連が動いてくれて、結果的には出場する各国に専用の練習場所が確保された。更に練習場所を提供した各校がその国の応援団も結成してくれて、国際親交が進んだようである。
20日も1日報道陣などは締め出して濃厚な練習をした。
女子アジア選手権が日本国内で開かれるのは6度目である。
1982年 東京都 9国。優勝は韓国。日本3位。3位以内が世界選手権出場。
1994年 仙台市 L1 5国 L2 6国。優勝は中国。日本3位。4位以内が世界選手権出場。
1995年 静岡市 L1 6国 L2 6国。優勝は中国。日本3位。3位以内がアトランタ五輪出場。
1999年 静岡市 L1 5国 L2 4国。優勝は韓国。日本2位。優勝国のみがシドニー五輪出場。
2004年 仙台市 L1 5国 L2 4国。優勝は中国。日本2位。3位以内がアテネ五輪出場。
2011年 大村市 L1 6国 L2 6国。
今回のアジア選手権ではロンドン・オリンピックの切符を直接獲得できるのは優勝国のみである。3位以内は来年6月25日〜7月1日にトルコのアンカラで開かれる世界最終予選に進出し、そこで12国中5位以内に入ればオリンピックに出場できる。
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【娘たちの継承】(2)