【娘たち・各々の出発】(上)

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「そうそう。そこ押さえておいて」
 
男がビニールの端を押さえている間に、農家の人は巧みにビニールを骨組みの上に広げていった。
 
「あんた、農作業とかは初めて?」
と近くに立っている農家の妻が訊く。
 
「はい。札幌で会社勤めしていた期間が長かったので。中学高校時代はサッカーしてたのですが」
「だったら基礎的な体力はあるのかな」
「ええ。体力はある方だと思います。腕力は無いですけど」
「そうだね。あんた女並みに細い腕してるね」
 
と言って農家の妻は男の腕に触っている。
 
「あんた肌も白いしね」
「日焼けしない体質なんですよ」
「最近よくある女の子になりたい男の子とかじゃないよね?」
「僕の年齢だともう女の子にはなれないですね」
「ああ、もう立派なおばちゃんかもね」
 
と言って農家の妻は笑っていた。
 

それで男は農家の人と一緒にビニールハウスのビニール張りをしていたのだが、突然強い風が吹いてくると、彼の押さえていた所が外れてしまう。
 
「わっ」
 
「ちょっとぉ、もう少ししっかり押さえておいてよ!」
「済みません!」
 
急いで外れてしまった所を追いかけていき、枠組みの所まで引っ張ってくる。彼の所が飛ばされてしまったので、隣で押さえている人の所もそれに煽られて外れてしまい、そちらでも修復をしていた。
 
「うん。今度はしっかり押さえててね」
 
それで彼らが押さえている間に、農家の妻がビニールを枠組みに留めていく。 
この作業をずっとやっていたのだが、30分ほどした時、また強い風が吹いてきた時に、また彼の押さえていた所が外れてしまう。
 
「おい、しっかりしろよ!」
「すみません」
 
それで午前中ずっと作業していて、男は5回も風に抵抗できず、ビニールを飛ばされてしまった。
 
「あんた、ちょっと非力すぎるなあ」
「すみません。頑張ります」
「頑張るのはいいけど、あんたの所が外れる度に、他の人も影響受けるからさあ。もしかして力仕事とかしたことない?」
「そうですね。今までデスクワークばかりだったので」
 
「これあんたには無理かもね」
 
ということで男は結局、この日の午前中だけで首になってしまった。
 

「女かい?」
 
ワゴン車に乗り込んできた作業服姿の彼女を見て運転席に座っていた50歳くらいのヒゲの男性が不快そうな声をあげた。
 
「女でも男並みに働きますから」
と彼女は答えた。
 
「ふーん。足手まといにならないようにしてくれよ」
とヒゲの男性は言うと車をスタートさせた。
 

現場は、新しい家を建てるのに、今まで建っていた家を崩す作業をしている所である。その日は家の壁や柱などを崩しては、一輪車でトラックのある所まで運んでいく。家が路地の奥にあってすぐそばまでトラックを寄せられないので、人手で運ぶ必要があるのである。
 
現場を指揮している工務店の人は最初彼女にはできるだけ軽い廃材を乗せてあげていたものの、彼女が結構しっかり運ぶのを見て、少し重たい柱の破片なども乗せてみる。すると彼女はそれも普通に運び、トラックに乗せた。 
「あんた結構頑張るな。こういう仕事したことあった?」
「いえ。初めてです。でもうち農家だっから、小さい頃から農作業していたし、それで鍛えられたんだと思います」
 
「おお、それは頼もしい」
と現場の指揮者は微笑んで言った。
 

「ところで、あんた本当に女だっけ?」
と派遣組リーダーのヒゲの男性が彼女に訊いた。
 
「どうでしょう?あまり意識したことないですけど、夫は居ましたよ」
と女は答える。
 
「へー。女にしては凄い力あるし、もしかして女になりたい男とかじゃないかとか確かめてみたくなった」
 
「確認してもいいですけど、確認して女だったら、結婚してもらいますよ」
 
「うーん。。。そんな話になったら女房に多額の慰謝料払わないといけないからやめとくか」
 

2010年3月16日、千里が旭川N高校を訪問した日、もう帰ろうとしていた時に知らない電話番号からの着信がある。
 
「はい」
「こんにちは。村山千里さんですか?私(わたくし)、田原幸次郎と申しますが」
「レッドインパルスのヘッドコーチの?」
と言って千里はびっくりする。
 
レッドインパルスとは高校時代に1.5軍という感じのメンバーと手合わせさせてもらったが、その時に田原さんから「うちに入る気無い?」などと、勧誘(?)されたことがある。
 
「うん。以前レッドインパルスのヘッドコーチしていたんだけど、今は日本代表A代表のヘッドコーチなんだよ」
「済みません!フォローしてませんでした!」
 
正直A代表など、自分とは無縁の雲の上の世界と思っていたので、あまり人事にも注意していなかったのである。
 
「実は今年9-10月の世界選手権に向けて日本代表の活動を開始するんだけど、その代表候補に村山君も入ってもらえないかと思ってね」
 
「え〜〜!?私がですか?」
 
そう言えば、さっき理事長・宇田先生と一緒にお昼を食べた時に、宇田先生が「村山君はフル代表に呼ばれる可能性もある」と言っていたことを思い出した。が、本当にそんな話が来るとは思いも寄らなかった。
 
「でも私、U20の方に呼ばれるかと思っていたのですが」
「うん。だから両者の兼任ということになると思う。大学の授業にあまり出られなくなってしまうかも知れないけど」
 
「いえ、そちらは何とかなるとは思うのですが」
 
「昨年U19代表になっていた時、C大学と書いてあったなと思ってそちらに照会したら、村山さんはうちには入ってないんですよと言ってローキューツというクラブチームの名前を教えてもらったんだけど、そのチームの事務局とかの連絡先がつかめなくて、それでレッドインパルス事務局の川西(靖子)君が確か同じ高校だったなと思って、彼女に電話番号を聞いて直接連絡してみたのですが」
 
「すみませーん!うちは事務局も何もなくて、選手同士が電話やメールで連絡しあってやってるチームなので」
 
「だけどこないだの関東クラブ選手権で準優勝したらしいね」
「はい。それで今週末の全日本クラブ選手権に出場することになりました。結成以来初めての全国大会なんですよ」
 
「じゃ新しいチームなんだ?」
「3年目で、4月から4年目に入りますけど、以前は試合当日5人揃わずに不戦敗というのばかりで、実質今年度がまともに大会に参加できるようになった最初みたいなもので」
 
「へー。実質初年度で全国大会に行くのは凄いね。いやメンバー見たら森下誠美とか母賀ローザとか入っているし」
「母賀ローザは昨年度で辞めて、今年度は実業団の関東2部のチームで活動したんですよ。U19で一緒だった佐藤玲央美などと同じチームです。1月に入れ替え戦で勝って4月からは関東1部ですが」
 
「ああ。佐藤君のチームか!その佐藤君も一緒に呼ぶから。彼女の場合はチームに連絡が取れたから、チーム側から連絡がいったはず」
 
「なるほど!」
 
日本代表は4月1-11日に第一次合宿をするので、よろしくという話であった。 

千里は旭川N高校を出ると、その足で市内の司法書士さんの事務所を訪れた。先日から依頼していた株式会社設立の件での打ち合わせである。
 
千里の個人会社に関しては、昨年の内から新島さんに設立を勧められていた。津島瑤子『恋遊び』が物凄いヒットになったことから、その印税と著作権使用料も物凄いことになり、結果的に千里は2009年度は物凄い税金を払うことになってしまった(実は年末にN高校に1000万円寄付したので少しだけ税金が減った)。そのことで悩んでいたら、会社にすると税金が随分安くて済むということを教えられたのである。
 
それで千里は1月に北海道に来た時に、税務申告の処理でお世話になっている旭川市内の伊川税理士を尋ね、彼女からこの赤坂司法書士を紹介してもらって会社設立の準備を始めた。
 
千里は今住所は千葉市内ではあるものの、関係者の多くが旭川・留萌・札幌に居るため、旭川で作業を進めてもらった方が楽だったのである。赤坂さんは千里の実質的な代理人を務めてくれた美輪子と連絡を取りながら、定款作成から認証の作業、銀行との交渉などまで代行してくれた。取扱銀行に関しては千里の印税関係の振込先になっている###銀行札幌支店が引き受けてくれた。 
「まああの振り込まれている額を見たら銀行も喜んで引き受けてくれますよ」
と赤坂さんは言っていた。
 
正直、会社の登記場所をどこにするかについては結構悩んだのだが、高校2年の時以来税務申告を伊川さんにしてもらっていたこと、そして印税の振込を札幌の銀行で受け取っていたことから「実績のある」北海道で設立した方が良いという判断になった。
 
つまり千里は今年から会社の法人税は北海道で納税し、会社から受け取る個人の報酬については千葉で納税するということになる。会社の登記上の所在地は美輪子のアパートである。美輪子には常務になってもらうことになっている。もうひとりの取締役は名前だけ借りて母である。
 
1月中に定款の認証を終えて銀行に株式申込事務取扱委託書を提出。口頭で株式を引き受けてくれると言っていた友人のリスト宛てに株式申込書を配ってもらった。全部で50枚ちょっと配ったのだが、そのうち45人から返送があり、もちろん全員に各々が希望した数の株式を割り当てた。
 
株式は1株500円だが、暢子など本当に1株申し込んできた。高校時代の友人たちの多くは10〜40株(5000-20000円)である。美輪子と賢二は300株(15万円)ずつ、貴司は1000株(50万円)、玲羅は20株(1万円)。最高額は鶴岡の瀬高さんが「千里ちゃんの会社なら配当率凄そう」と言って申し込んできた2000株(100万円)であった。株主総会招集請求権を持つ3%以上の株式を保有することになるのは瀬高さんと貴司の2人だけになる。但し美輪子と賢二は共同でなら招集を請求することができる。
 
その払込期間が3月1日で終了したので、すぐに創立総会召集通知を発送したが、実際の創立総会は3月14日に美輪子のアパートで結婚式に行く前に「開催」した。千里自身が株式の3分の2以上を所有しているので、実は千里ひとりで充分なのだが、美輪子・貴司・賢二・玲羅も「出席」してくれている。
 
その日の内に取締役・監査役になってくれる、美輪子・母・賢二に承諾書を書いてもらい、それで議事録等もすぐに《りくちゃん》に頼んで司法書士事務所のポストに放り込んでもらっておいたのだが、赤坂さんが全部チェックしてくれて、問題無いということであった。
 
「じゃ後は登記申請するだけですね」
「そうなります。登記の希望日はありますか?」
「23日の15:16以降、24日の11:16以降、25日の12:24-13:38の間のどれかで」
 
と言って千里は占星術で割り出した登記に良い日時のリストを赤坂さんに渡す。 
「この中のどれがいいですか?」
「どれでも大丈夫ですよ」
「でしたら23日の15:16以降で出しましょうか」
「それではそれでお願いします」
 
設立後は会社の法人口座を###銀行札幌支店に作ることにしているが、この件に関しても銀行側から口頭で内諾を得ている。
 

千里は16日の最終便(20:15-22:05)で羽田に戻り、夜中の0時頃、千葉駅に戻った。夕食を食べ損なったので、どこかでのんびりと食べようかなと思い、駅近くのジョナサンに入る。
 
スタッフが「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれたものの、配膳で忙しい様子である。それで適当に空いている席を探して中に入っていく。テーブルがひとつ空いているのを見つけたので、そこに座ろうとしたら
 
「千里ちゃん!」
と男性から声を掛けられた。
 
それで見てみると、大学1年の同級生だった宮原文彦君である。実は千里のヌードを見ている数少ない男性友人のひとりだ。
 
「文彦君!」
と千里は笑顔で答えて、彼と同じテーブルの向かい側の席に座る。
 
「バイト終わった所か何か?」
と宮原君が訊く。
 
「ううん。ちょっと用事で北海道まで行ってたんだよ」
と千里は答える。
 
「ああ。実家に行ってたの?」
「実家までは行ってないけど、叔母ちゃんの結婚式に出てたんだよ」
「へー。何歳?」
「30歳」
「若いね!」
「うん。うちのお母ちゃんと12歳離れているんだよね〜」
「それはまた随分離れている。その間に何人かいたの?」
「ううん。4人きょうだいで、一番上から昭和38,40,42年生まれで1人だけ昭和54年生まれ。親もまさかできるとは思っていなかった時に、唐突に出来てびっくりしたんだと言ってた」
 
「ああ、そういうのもあるんだよね〜」
 

「入試どうだった?」
と千里は訊いた。
 
「合格したよ」
と宮原君は微笑んで答えた。
 
「おめでとう!」
「ありがとう」
「私に恋人がいなかったらキスしてあげてもいいくらい」
「彼と復縁できたんだ?」
「うん。その件では文彦君にも応援してもらったね。ありがとう」
 
双方車で来ていないことを確認して、ワインを頼み、合格祝いに乾杯した。 
彼は本当は医学部志望だったのを昨年前期試験で落ちてしまい、後期試験で理学部に入った。それで仮面浪人していたのだが、千里たち数人の友人から大学の勉強しながらでは中途半端になりかねないと言われ、後期は大学を休学して受験勉強に専念していたのである。それで再びC大学医学部を受けて、見事合格したということであった。昨日15日に入学手続きしたらしい。 
「みんなより1年遅れになるけど頑張るよ」
「去年の前期に取得した単位は振り替えてもらえないの?」
「外国語とか数学・化学・心理学とかは振り替えてもらえるみたい。他の人より少しだけ楽にはなるけど、まあ卒業できる年は短くならない」
 
「その空いた時間に余分に勉強すればいいんだよ。でも医学部はそもそも浪人組多いでしょ?」
「そういう話みたい。その分気楽かなという気もする」
「でもそもそも6年掛かるし、卒業して国家試験に合格した後5年間の研修があるし、医者になるのも大変だね」
 
「うん。スポーツ選手とかSEなんかが現役引退し始める頃に、医者はやっと新人なんだよ」
「大変だなあ。でもほんとに良かった。頑張ってね」
「うん。ありがとう」
 

桃川は牧場のオーナー夫妻にも付き添ってもらい、網走警察署を訪れた。しずかの素性が分かった件に付いて警察側に経過報告をするためである。
 
「なるほど、ご友人のお子さんでしたか」
と対応してくれた生活安全課の警部さんが笑顔で言った。
 
「子供が3人いる夫婦なんですが、その3人を知人宅に1人ずつ置き去りにしたみたいで。私は彼とはしばらく交流が無かったので、子供たちの顔も知らなかったんですよ。何か手紙でも託してくれていたら良かったんですけどね。恐らくあの子を保護した時にも、近くで様子を見ていたんじゃないかという気がします」
 
「なるほど、なるほど。じゃ3人とも、別のご友人の所に保護されている訳ですね」
「そうなんです。各々の場所で取り敢えずその地域の学校や幼稚園と話し合って4月からそこに入学させてもらう話ができています」
 
「そのご夫婦の所在は?」
「分かりません。借金に追われて逃げ回っているみたいで」
「ああ」
「おそらく子供の分まで食べ物を確保できないし、宿も確保できないしというので、子供は知り合いに託したのだと思います」
 
「そちらは捜索とかはしなくていいですか?」
「奥さんの方は親族ではお母さんが1人いますが、認知症で現在施設に入っていて、実際問題としてまともに普通の話ができる状態ではないみたいなんです」
「ありゃあ」
「そちらは他には全然親族が居ないんですよ」
「大変だなあ」
 
「旦那の方はお祖母さんがいて、実は長女はそこに置き去りにされたんです」
「おお」
「お祖母さんも少し怒っていて、うちに来て土下座くらいするなら許してやると言ってますよ。まあ子供がいるからその子供たちを置いて心中したりはしないと思うんですよ。だから、ほとぼりが冷めたら出てくるんじゃないでしょうかね」
 
「じゃ捜索願いとかは出さなくてもいい?」
「お祖母さんは、探さなくてもいいと言っているみたいです」
 
一応函館の方の住所電話番号も提示したので、網走署の警察官が、ミラさんとも少し電話で話したようである。
 
「凄い元気なおばあちゃんでしたが、何歳ですか?」
とその警察官が言う。
 
「大正8年生まれの90歳ですよ」
「凄い!矍鑠(かくしゃく)とした感じでした」
 
それで、しずかに関する迷子の保護者捜しの件は、警察としても積極的には探さないものの、本人達からの連絡があったら桃川に連絡してくれるということになった。
 
また教育委員会の方とは山本オーナーが話し合ってくれて、身元は分かったものの、親が住所不定・放浪中で連絡不能状態なので、こちらが保護者代理となって学校に通わせたいということを言い、了承してもらった。
 
それで結局、しずか(戸籍上は真枝和志)は、桃川しずかとして4月から美幌町内の小学校に1年生として通えることになった。ただ桃川はしずかに言った。 
「ここにいる間は女の子させてあげるけど、いつかはお父ちゃん所に戻って、向こうでは男の子しなければいけないと思う。それは考えておいてね」
 
しずかは少し考えているようだった。
「私、ずっとママの所に居たいなあ」
「私もずっとしずかと一緒に居たいけど、世間が許してくれないからね」
「セケンって大変なんだね」
 
一方、函館の理香子も4月から地元の小学校に2年生として編入される。旭川の織羽も海藤天津子が居候している神社で暮らしながら4月から地元の幼稚園(年長組)に通うことになる。
 
なお、天津子は中学生でさすがに織羽の保護者にはなれないので、天津子の叔母の司馬光子が保護者代理となり、幼稚園側と話し合って保護者と苗字が違うと余計な好奇心の対象になるからということで、司馬織羽の名前で幼稚園には行くことになった。同様の理由で、函館の理香子も餅屋理香子の名前で小学校には行くことになった(美鈴が保護者代理となる)。
 
なお、織羽の学費生活費として、桃川は天津子に毎月5万払うと言ったのだが、天津子はそんな贅沢もさせないし給食費込み1万で充分と言い、それで妥結した。また神社の宮司さん(光子の夫の父)が旭川の教育委員会に掛け合ってくれて、知人から子供を預かっているので、1年後には小学校に入れて欲しいと申し入れ、これも認められた。実はこの神社が子供を保護して一定期間預かり、学校に通わせたことは過去にも数回あったのである。それに神社の宮司は地元の名士でもあるので、すんなり認められた感じもあった。
 

男は配送用トラックをコンビニの駐車場の端に留めると、伝票を確認しながら荷物をコンビニの中に運び入れ始めた。
 
「ああ、ありがとう。そのあたりに置いて」
「はい」
 
彼はコンテナを1個ずつ持ち、何度もトラックと店内を往復しながら作業していたのだが、中身が重たい雑誌などのコンテナは結構ふらふらしながら運んでいた。その内、お店の人が言う。
 
「ねえ、あんたもう少し一度にたくさん運べないの?」
「すみません。あまり腕力が無いので。その分頑張って何度も往復しますから」
「でもそれで長時間店の前に駐められると困るんだけど。うち駐車場あまり広くないからさ」
「すみません!できるだけ急いで運びます」
 
しかし男が作業している内にとうとう、お店の人が怒り出した。
 
「もういい。俺が運ぶから」
と言ってお店の人はトラックに乗り込んでくると、伝票を確認して自分の店の分を男が一度に運んでいた量の4倍くらい一気に持つと店内に運び入れた。それであっという間に納入作業は終わった。
 
「あんた、こんな作業の仕方をしてたら、他の店でも文句言われるよ」
「すみません!頑張ります」
 
「あんた病気か何かでもしてたの?ありえない腕力だよ」
「いえ、病気はしてないのですが」
「じゃさっさと車出して。駐車場空けてくれないと困るから」
「はい。すぐ出します」
 

家の解体作業の現場は、木材関係を出し終わって、家の基礎部分のコンクリートの解体作業に入っていた。小型のショベルカーを入れ、ショベルカーで崩しきれないところは電動ドリルで手作業で壊していく。これまで建っていた家がかなり古いもので、この基礎もあちこちひび割れていたりして、そのままは使えないのでいったん壊して撤去し、新たな基礎を作り直す必要がある。
 
この基礎の解体作業で出るコンクリートの破片はこれまで運んでいた木材の破片に比べて何倍も重い。これを拾い上げ運びトラックの荷台に置くのは、ベテランの屈強な男たちでも、周囲に気を配る余裕が無くなるほどの辛い作業である。 
現場監督は、さすがにこのコンクリート運びは女には無理ではないかと思った。むしろ誤って足の上に落としたりして怪我されては困ると思った。ところが試しに女が持つ一輪車に乗せてみると、彼女はそれを平気で運んでいき、トラックの荷台に両手を使ってだが、ちゃんと投げ入れていた。
 
「あんた、ほんとに力あるね」
「力は無いですけど、重たいコンクリートでも気合いですよ」
「大したもんだ。いい人を派遣してもらったよ」
 
と現場監督は楽しそうに彼女に声を掛けていた。
 

3月20日(土)。千里は早朝からインプで浩子のアパート近くまで行き、彼女を拾って千葉駅に行った。車の回送は《こうちゃん》に頼み、浩子と2人で5:06の総武線快速に乗る。5:44に東京に着き6:04の《やまびこ41》に乗った。 
「今回の参加費と遠征費を出してもらったの、凄く助かる」
と浩子は千里に言った。
 
「まあ練習サボりがちだし、このくらいは出してもいいかなと思ってね」
と千里は言う。
 
発端は協会の登録費の件であった。クラブチームを維持するためにはクラブ自体の登録料、メンバーの登録料、コーチ・審判の登録料で合わせて2万円ほど掛かり、これを毎年春に納めなければならない。
 
これを昨年までは(中途入部者分を除き)設立者の堀江希優が経済的な余裕があるのでと言って個人で払ってくれて、更に実は各種大会の参加料にと浩子に10万ほど預けてくれていた。それで関東クラブ選手権の参加料まではそのストックが使えた。
 
しかし彼女は昨年途中からジョイフルサニーに移籍してしまったため(運送会社で働いていて荷物を届けに行って相川真璃子に会い、スカウトされたらしい。正式登録はこの4月から)、それでローキューツの方は今年からはそちらで適当に頼むと言われたのである。
 
そしてその登録料の前に今回の全国クラブ選手権の参加料が2万円掛かる。実は先月の関東クラブ選手権も参加料が2万円必要で、これは希優が渡してくれていたストックが1万円ちょっと残っていたので、それをある分使い、残りは浩子が自分で出した。
 
しかしそれに続き今回の2万円で浩子個人では辛い金額なので、みんなからカンパを募ろうかなどと悩み、先日の関東クラブ選手権の時に、麻依子・千里の2人に相談したら、千里が「それどちらも私が出そうか」と言ったのである。 
「千里、4万も大丈夫?」
「うん。実はお金が余って困っている」
「え〜〜!?」
「何なら今度の福島への遠征費も出そうか?」
「困るほど余っているならよろしく!」
 
ということで千里が出資することにした。ついでに関東クラブ選手権の浩子自腹分も千里が出してあげた。
 
しかし千里がチームに出資していることを知られると他のメンバーが千里に遠慮するかも知れないと千里が言うので、代わりに千里が今度設立する会社フェニックス・トラインがローキューツのスポンサーになるという形にしたのである。みんなにはうちの試合を見て、社長さんがうちのファンになってくれたらしいと説明した。
 

「千里、困るくらいお金が余っているならユニフォームも作らない?」
と麻依子は言い出した。
「ああ。実はユニフォームの件は今回も注意された」
と浩子。
 
本来ひとつのチームであれば同じデザインのユニフォームを使用しなければならない。ところがこのチームは2007年度組・2008年度組・2009年度組がいるし、同じ2009年組でも4月に加入した麻依子、6月に加入した千里、10月に加入した誠美・来夢、12月に加入した薫と、加入時期がずれ、その度に新しいユニフォームを頼んでいる。毎回同じ所にユニフォームの制作を頼んでいるのだが、どうしても作る度に微妙な色合いが違ってしまい「同じデザイン」とは認めにくい状況になってしまっているのである。
 

「じゃ4月から背番号も振り直して、新しいユニフォームにしようか」
と千里が言う。
 
「ああ。振り直した方がいいかもね」
と浩子。
「あるいは各自好きな番号を取るというのもいいかも」
と麻依子。
「それもいいなあ」
と浩子。
「抽選をしてその順に希望番号を取っていくというのは?」
と千里。
「あ、それ採用」
と浩子は言った。
 

それで先日の関東クラブ選手権の打ち上げの場で抽選をした所、1番くじを引いた誠美が伝説的センター、ルー・アルシンダーの33番を取り、次いで引いた国香がマイケル・ジョーダンの23番。以下次のような番号を新しいユニフォームでは使用することになった。
 
4.浩子ひろこ(PG) 7.茜(PF) 11.玉緒(SF) 34.夏美(SF) 10.沙也加(SF) 32.夢香(PF) 23.国香(SF) 14.菜香子(PF) 5.麻依子(C) 8.千里(SG) 33.誠美(C) 17.薫(SF)  
茜は「宮城リョータの7番だから今のまま変えない」と言って7番のまま。流川楓の11番は玉緒、三井寿の14番は菜香子が取った。浩子は実は3番くじを引いて32を取ろうとしたのだが「キャプテンは4番がいい」と言われて4番にした。麻依子も「副キャプテンは5番」と言われて5を押しつけられたが「いつの間に私、副キャプテンになったの〜?」と言っていた。シャキール・オニールの32番は夢香、アキーム・オラジュワンの34番は夏美が取った。沙也加は「番号変えるの面倒だから今のままで」ということでこれまでと同じ番号である。
 
千里が8になったのは「千里の千を1000と書いて2進数で読んだら8」というよく分からない理由である。自分で選ぶ前に夢香が勝手に決めてしまった。千里は8なら国体で優勝した時につけた番号だなと思い、結構ゲンが良いかもと思った。
 
千里はN高校で2年のインターハイでも8をつけ、3年のインターハイでは副主将ということで5番、ウィンターカップでは3年生の特別出場で17番をつけている。この17は道大会では薫がつけて本戦で千里がつけた。今回薫はその17を選んだ。彼女にとっては女子高生選手としてその番号を付けてウィンターカップ道予選に出て準優勝した記念すべき番号だ。
 
なお、現行メンバーの中で来夢は来期のWリーグ復帰が決まっている。また、4月から4年生になる美佐恵が卒論や就職活動で忙しくなるということで退団を表明している。また幽霊部員化していた数名について浩子がひとりひとりと連絡を取り来期以降の参加について意向を確認した所、全員退団することになった。
 
茜・玉緒・夢香も4月から4年生なのだが「就職活動した所でどうせ就職先なんて無いし」と開き直って活動継続である。
 
なお、美佐恵には「卒業記念品」と称して、新しいユニフォームの背番号0のものを作ってプレゼントすることにした。
 
逆に新加入者として、千里の後輩・旭川N高校の島田司紗、麻依子の後輩・旭川L女子校の馬飼凪子(PG)、国香の後輩・A商業の長門桃子(C)が加入することになっており、本人たちの希望も聞いて各々次の背番号を割り当てられた。 
16.凪子 20,司紗 34.桃子
 
この他、後の加入者のために6,9,12,13(S) 15,18,19,22(M) 24,25,26,27,28(L)の番号のユニフォームをS/M/Lサイズで一緒に作っておくことにした。これで多分2〜3年はもつのではという考えである。(名前入れは玉緒がそういうの割と得意ということであったので、新加入者があった時は彼女にやってもらうことにした) 

3月20日は、新幹線は7:38に福島に到着した。駅構内のマクドナルドで朝食を取ってから8:45くらいに駅そばのホテル福島グリーンパレスに入る。ここで9時から代表者会議があるので、浩子と千里はこれに参加するため、他のメンバーより早く福島に入ったのであった。
 
最終的なエントリーの確認をし、会議では様々な伝達事項、連絡事項を確認する。 
会議が終わった後、試合会場に移動する。今回の大会はメイン会場の県営あづま総合体育館のほか、福島市国体記念体育館・福島市西部体育館と3つの会場に分かれて行われる。千里たちの今日の試合は西部体育館で13:00から行われる。 
千里と浩子は代表者会議が終わった所で軽食を取っておいた。メンバーは11:00頃からぼちぼちと集まってくる。
 
「今回交通費・宿泊費が出るってんで助かったぁと思った」
「いや、実は先月ひたちなか市までの遠征で食費・宴会費まで入れて1万使ったから実はきつかった」
 
などという声が出ている。
 
「今回は打上げ費用も出してもらえることになってるから」
「それは凄い」
「スポンサー様々」
「でもそれどういう会社なの?」
「音楽関係の制作やってる会社らしい。だから一般向けの商品とかは出してないんだよ」
「へー」
「だから宣伝とかではなくて純粋に支援してくれるらしい」
「それは本当にありがたい」
「ユニフォーム作るなら、その会社のロゴを肩布とパンツの裾とかにでも入れようよ」
「ああ、それは打診してみる」
 
そんな会話を聞いて、千里は「ロゴ!?」というので焦っていた。
 

今回福島に来ているのはこの12名と監督・コーチである。
 
6.浩子ひろこ(PG) 7.茜(PF) 8.玉緒(SF) 9.夏美(SF) 10.沙也加(SF) 14.夢香(PF) 15.美佐恵(PG) 16.国香(SF) 17.菜香子(PF) 18.麻依子(C) 19.千里(SG) 21.来夢(SF)  
誠美はU24日本代表の合宿中。そして薫は途中登録者なので今月までは全国大会に出場資格が無く欠席である。
 
3月いっぱいで退団する美佐恵と来夢にとってはこれがローキューツでの最後の大会になる。
 
初戦の相手は近畿3位のチームであったが、この試合にはその美佐恵を先発させた。
 
「え〜?私が先発なの〜?」
「決勝戦で先発してもいいが」
「それ絶対無理!」
 
そんな会話をしながらも、美佐恵は結構張り切って出て行った。彼女をサポートできるように、他は千里/来夢/国香/麻依子というメンツで固める。 
相手はさすが全国大会に出てくるだけあって、結構強いチームであったが、彼女は何とかこの試合の1,3ピリオドでポイントガードの役目を果たした。試合は20点差で快勝したが、美佐恵は「もう完全燃焼!」などと言っていた。 

この日はこの1試合だけで終わり、ホテルに戻って休む。
 
「今回はいい部屋だった」
「ツインで9000円の格安ホテルなんだけどね」
「こないだの旅館よりはずっといい」
「2500円の宿と比較してはいけない」
 
などといった声が夕食の時に出ていた。
 

この日3月20日、東京ではバスケット協会から今年9月に行われる世界選手権に出場する日本代表の候補選手23名が発表されていた。チーム別にまとめると、こうなっている。
 
BM PG.富美山史織(1981) SF.早船和子(1982) C.白井真梨(1981)★

SB SG.三木エレン(1975)★ SF.山西遙花(1978) PF.宮本睦美(1981)★

EW PG.武藤博美(1983) SG.花園亜津子(1989) C.馬田恵子(1985)★

RI PF.簑島松美(1978) C.黒江咲子(1981) SF.広川妙子(1984)★

SS SG.川越美夏(1982) C.石川美樹(1986)

FM PF.寺中月稀(1987)

BR SF.佐伯伶美(1986)

BB PF.花山弘子(1981)

 
WNBA-Phoenix PG.羽良口英子(1982)★

TS大学 SF.千石一美(1986)

W大学 PF.月野英美(1986)

JI信金 SF.佐藤玲央美(1990)

Oyamazu PG.福石侑香(1979)

Rocutes SG.村山千里(1991)

 
ポジション別では PG 4 SG 4 SF 6 PF 5 C 4 となっている。そしてここで★を付けた人が、千里と玲央美が話した結果、確定だろうという人達である。この中で白井さん以外の5人は昨年のアジア選手権の代表でもある。白井さんはアメリカ出身でつい先日日本国籍を取得し、ビューティーマジックにも正式加入した(それまではビューティーマジックのスタッフ扱い:Wリーグの選手になるには日本国籍が必要)。195cmの身長は中国からの帰化選手・馬田恵子の190cmをも上回る高身長で、白井さんを使わない訳が無いと思われる。結果的には彼女の加入で昨年の日本代表であった黒江さん(183cm)は代表入りが厳しくなった。
 
「外国出身選手ばかりでセンターを固めるのには疑問があるけどなあ」
と千里は言うが
「強ければどこ出身でもいい。どこの国から出るかも本人の選択だよ」
と玲央美は言った。
 

今回は昨年9月にインドで行われたアジア選手権で3位になった時のメンバーから4人外れて、過去に代表経験のある人も含めて追加のメンバーが15人入った形である。
 
ただ玲央美と話したのだが、アジア選手権のメンバーで今回名前があがっていない人の中でも、元ビューティーマジックのパワーフォワード横山温美さんは後で追加招集されるのではと見た。彼女は2月からスペインリーグに参加しており、海外の強いリーグで揉まれている選手を代表に入れない訳がないと考えられるのである。ただ彼女は今向こうでずっと試合に出ていて、代表合宿に参加できる状態ではないので、今回発表された候補者リストには入らなかったのではという見方である。
 
千里はメンバー表を見て、今回は自分や玲央美の世代は「練習相手」含みだろうなと思った。花園亜津子も今回は同類だ。シューティングガードでは日本代表の顔のひとりである三木エレンが34歳とはいえ大きな存在感を持っているし、28歳で選手としてのピークを迎えつつある川越美夏もいる。花園亜津子が代表枠12人の中に入るには、川越美夏に大きく勝たなければならない。似たような動きであれば、経験豊かな川越さんが優先される。
 

翌21日(日)。全日本クラブ選手権は2回戦と準々決勝が行われる。2回戦の相手は四国1位のチームで、メイン会場あづま総合体育館で11:00からであった。これに勝てば同じ会場で15:30から準々決勝に出ることになる。
 
このチームは東京に居る薫が調べてくれた情報では過去に全日本クラブ選手権に何度も出ている常連ということであった。確かに対戦してみて、大舞台に慣れている感じである。
 
しかしこちらも世界経験者の千里、Wリーグ経験者の来夢、国体経験者の麻依子、インターハイ経験者の浩子と大きな舞台の経験のあるメンバーがいる。更に誰が相手でもビビることのない国香、怖い物知らずの玉緒のような選手もいるので、何とか気合い負けせずに頑張ることができた。
 
試合は接戦になったものの、最後は10点差を付けて勝つことができた。 

千里、麻依子、国香の3人は試合終了後、着替えてから食事もせずにひたすら眠って体力を回復させた。
 
予定より少し遅れて15:45に準々決勝が始まる。相手は九州1位のチームで企業名を冠しているので、そこの会社の社員で作っている実質実業団チームということのようである。ここも過去に何度も全日本クラブ選手権に出たチームのようである。
 
このチームは午前中のローキューツの試合を見ていたようであった。実質実業団でおそらくベンチ枠に入りきれない選手がいるので、そういう選手が偵察していたのだろう。
 
卓越した感じの選手が千里の専任マーカーになったものの、今日ビデオで見た程度で千里を停めるのは無理である。しかしそれでも専任マーカーが付いていると、千里がフリーになる時間は短いので、その瞬間にパスを出すのは浩子では無理だ。そこでタイムを取り、システムを変更して、国香がPGとして出て行くことにする。こういう体制になる。
 
PG.国香 SG.千里 SF.来夢 PF.夢香 C.麻依子
 
すると、千里が相手を振り切った瞬間に国香から矢のようなパスが来るので、それで千里はスリーを放り込むことができるようになる。
 
全体的な実力は向こうの方が上という感じではあったものの、千里のスリーで対抗していくので、結構点差は競っていく。
 
途中で夢香の代わりに夏美を出したり、麻依子がPFの位置に移って菜香子がセンターの役をしたり、また長時間出続けるのは辛い来夢を一時下げて沙也加を短時間使ったりというやりくりをしていく。
 
それで何とか最後は5点差で辛勝することができた。
 
これでベスト4である。社会人選手権に行けるのは3位までなので、このあと準決勝に勝つか、負けた場合は3位決定戦に勝つことが条件となる。
 

大会は3日目に入る。
 
準々決勝に勝ち準決勝に進出したのは、この4チームであった。
 
千葉のローキューツ(関東2位)・石川の女形ズ(北信1位)・岐阜の美濃鉄道(東海2位)・東京の江戸娘(関東1位) 
この中の女形ズ(おやまず)以外の3チームが実に全日本クラブ選手権初出場であった。この年は新旧勢力交代の年になったのである。
 
そしてローキューツの準決勝の相手はその女形ズである。全日本クラブ選手権には既に10回出ており、昨年の全日本クラブ選手権で準優勝して、社会人選手権にも出ているチームだ。
 
女形(おやま)と名乗っていてもむろん男装女性ではなく、医学的に女性の選手で構成されたチームである。「おやま」というのは実は金沢市の尾山神社に由来しており、金沢都市圏(金沢市・野々市町・津幡町・内灘町)に住むか通勤している選手を中心に構成されている。最初は尾山ズを名乗っていたものの、しばしば「尾山神社さんのチームですか?」と訊かれるので、後に神社に遠慮して字を「女形」に変えたものらしい。
 

「強いね」
千里たちは試合前の練習を見ていて言った。
 
「1番付けてる山岸さんと12番の川原さんは以前白鴎航空スカイ・スクイレルにいた選手」
と来夢が言う。
 
「あそこか・・・」
 
それは1年ほど前に会社が倒産し、チームも解散した所である。佐藤玲央美はここに入る予定だったものの、チーム消滅で行き先が無くなり、結局藍川さんとの半年間に及ぶ基礎訓練を経て、彼女は部員が3人しか居なくなって大会参加不能状態にあったJI信金ミリオンゴールドに加入した。
 
「7番付けてる新谷さん、8番付けてる浜坂さんも見たことある。チーム名思い出せないけど、元Wリーガーだよ」
と来夢。
 
「うーん・・・。もしかして今のシグナス・スクイレルより強かったりして」
「たぶんWリーグ下位並みだと思う」
「ああ」
 
「そして4番付けてるキャプテンの福石さんはステラ・ストラダに居た選手。結婚して出産のためステラ・ストラダを辞めたけど、赤ちゃんの手が離れたところで復帰して女形ズに入った」
と来夢。
 
「そして今回日本代表候補として招集されている」
と千里が補足する。
 
「向こうもこちらをかなり意識しているっぽいね」
と来夢が言う。
 
「ええ」
その4番の福石さんはさっきから何度も千里をチラ見している。
 

実際試合が始まると、初期段階では試合が一方的になった。こちらは浩子/千里/国香/来夢/麻依子というベストメンバーで出て行ったのだが、実際問題として、勝負になっているのは千里と麻依子だけである。浩子は福石さんに圧倒されているし、国香もまだ病み上がりで完全では無いので、瞬発力の弱さを読まれてマッチングで全敗、来夢は相手から最大危険人物とみなされたようで1番の山岸さんが彼女に付いて何もさせない。千里にも12番の川原さんが付いて厳しいマークをしている。
 
第1ピリオドは24-12と完璧にダブルスコアになってしまった。
 
「これどうするよ?」
とインターバルの間に話し合う。
 
「諦める?」
と麻依子が訊くが
「諦めるのは試合が終わった後で良い」
と国香が名言っぽいことを言う。
 
「取り敢えず浩子と来夢は消耗しているし、夢香と夏美に出てもらおうか」
「国香も消耗してるでしょ?」
「じゃ、菜香子よろしく」
 
第2ピリオとで、千里たちは相手のボールマンにダブルチームしてボールを奪うという作戦に出た。ボールを奪った後は麻依子や千里が速攻で点を奪う。するとこれで点数が拮抗し始めたのである。
 
千里には最初第一ピリオドと同様に川原さんが付いていたものの、千里が本気を出すと楽々と振り切ることができるので、途中で向こうは控えのポイントガード、18番の木ノ瀬さんを入れて、正ポイントガードの福石さんが千里に付いた。さすがに福石さんは上手い。なかなか千里をフリーにしないものの、それでも千里は相手の意識の隙をうまく付いて彼女を振り切り、速攻を重ねた。 
とにかくダブルチーム、そして速攻、というので点数を重ね、第2ピリオドは18-17と競った点数で進んだ。前半終わって42-29である。
 
ハーフタイムを経て第3ピリオドになると浩子・国香・来夢が復帰する。そしてここまでずっと出ていた、福石・山岸の両エースがこのピリオドは休んでいた。 
そこでローキューツ側は、このベストメンバー5人でゾーンを作って防御するとともにやはり、ボールマンにダブルチームする作戦を使う。ゾーンを組んでいると、ダブルチームに行って他の選手にボールを回されても残りの3人のゾーンが何とか防御するので、これで失点が物凄く減った。
 
それで第3ピリオドは16-26とこちらが大きくリードする状態となる。これで一気にここまでの劣勢を取り返し、58-55と3点差になり、勝負の行方は全く分からなくなった。
 

「疲れてるでしょ?交代する?」
「いや、もう交替できない」
「でも国香無理だよ」
「だったら夏美前半出て」
「うん。頑張る」
 
体力の無い来夢も交代して、夏美・夢香を使う。
 
向こうは当然最強メンバーで来るのだが、千里はわざと大きく走り回って福石さんを消耗させる作戦に行く。すると彼女が大きく息をするのが見て取れる。またダブルチームに行く時、必ず夏美か夢香が参加するようにする。すると残りの3人のゾーンはあまり防御力が落ちない。
 
それで第4ピリオド前半を8-8のタイで乗り切り、ここでタイムを取って選手交代。こちらもベストメンバーが復帰する。向こうは交代しない。この相手には疲れていてもベストメンバーでないと勝負にならないと踏んでいる。 
その後お互いに激しい戦いが続く。
 
残り1分になった所で82-80と点差はわずか2点である。向こうも2人対1人の状況にならないようにボールマンのそばに必ず誰かいるようにしていたが、千里が福石さんが一瞬味方の方に視線をやった瞬間、ボールを奪い、自ら独走してスリーポイントラインの所でジャスト立ち止まり、そこからシュートして3点。とうとう82-83とこの試合で初めてこちらがリードする状況になる。
 
福石さんが声に出して「くそー!」と言うのが聞こえた。
 
向こうが攻めて来る。慎重にボールを運んで福石さんが山岸さんにパスして山岸さんがしっかりゴールを決める。84-83と再逆転。残りは32秒。
 
こちらは敢えてゆっくり攻める。千里がドリブルしていると、福石さんがその前に回り込んで激しいディフェンスをする。そして千里の「死角」から山岸さんが忍び寄り、スティールしようとした。
 
しかし千里にはそもそも「死角」が存在しないのである。その山岸さんの身体を逆にスクリーンに使わせてもらって福石さんを交わし、そのまま空いたスペースに侵入。しかしすぐ川原さんがフォローに来る。長身の彼女に防御されるとゴールそばからはシュートできないので、麻依子に戻す。麻依子がシュートして84-85とまた逆転。残りは10秒。
 
相手の攻撃に対してローキューツは最後の力を振り絞ってプレスに行く。しかし相手は何とか6秒でボールをフロントコートに進める。ローキューツは疲れた身体に鞭打って戻ってディフェンスする。防御が物凄くて相手がなかなか撃てない。それでも山岸さんが強引にシュート。
 
それに対して来夢のブロックが決まる。
 
ボールが転がる。
 
千里と麻依子、川原さんと福石さんがボールに飛びつく。
 
ボールに最初に触れたのは麻依子だったが、福石さんがそれを奪い取った。 
彼女がシュートするのと同時にブザー。
 

ボールは長い滞空時間を経て、ゴールに飛び込んだ。
 
千里たちが天を仰いだ。
 
しかしブザービーターを決めた福石さんも目を瞑って天を仰ぐようにしていた。そして千里に声を掛けてきた。
 
「今日は試合には勝てたけど勝負では負けた。あんた凄いね。合宿頑張ろうね」
「はい。頑張って、私も福石さんもロースター枠をぶんどりましょう」
「うん。そうしよう。あ、私のことはユカでいいから」
「ありがとうございます。私のことも千里、あるいはサンでいいですので」
「OKOK」
 
(アバウトに)整列する。
 
「86-85で女形ズの勝ち」
「ありがとうございました」
 

「くそ〜。勝てなかった」
 
「くそって下品だよ。女の子なのに」
「じゃ、ちんこ」
「なぜそうなる!?」
「どうせ、ちんこ付いてないし」
「ちんこということばも下品だ」
「だったら陰茎」
「訳が分からなくなって来た」
 

着替えた後でひたすら寝て3位決定戦に備える。男子の準決勝を経て、女子の3位決定戦と決勝戦が同時進行で行われる。
 
もうひとつの準決勝は江戸娘が勝った。それで千里たちの3位決定戦の相手は美濃鉄道フェアレイルズである。美濃鉄道に実際に勤務している女性で結成されたチームで、クラブチームとして運用されているものの、会社から多少の支援はされているようだ。半ば実業団ということのようである。
 
「背が高いなあ」
と夏美が言ったのは、相手センター、23を付ける野町さんである。
 
「182-3cmあるね」
「あの人は関東実業団一部のレピスにいたよ。オールジャパンでぶつかったことある」
と来夢が言う。
 
「あんなに背が高いのに、Wリーグに来なかったんですか?」
「シュートは上手いしリバウンドも強いけど、足が遅いのと、マッチングが下手なのが欠点でさ」
 
「ほほお」
 
「むしろ32を付けてる宮岸さんが怖い。あの人は2年間だけだけどビューティーマジックに居た」
「じゃ、その宮岸さんは来夢さんにお任せ」
「分かった」
 
「野町さんは私の担当かな」
と麻依子が言った。
 

スターターはこのようになった。
 
RC:PG.浩子/SG.千里/SF.国香/SF.来夢/C.麻依子

FR:PG.弓取/SF.弥生/SF.平良/PF.宮岸/C.野町

 
 
ティップオフは野町さんと麻依子でやったが、身長で6cm、手を伸ばした長さでは8cmほど差があるので、さすがに向こうが取り、攻めて来る。こちらはそうなることは想定済みで素早く、各々あらかじめ決めていたマーカーに付く。 
浩子−弓取、千里−弥生、国香−平良、来夢−宮岸、麻依子−野町
 
という組み合わせである。
 
ボールを運んで来た弓取さんが野町さんにパス。その野町さんが中に侵入してくるが、麻依子が鮮やかに彼女からボールを奪う。その時は千里はもう走り出している。そこに麻依子から勢いよくパスが来る。千里はそれをもうセンターラインを越えた所でキャッチ。数歩ドリブルで進んでからスリーポイントラインの所からシュート。相手はまだ誰1人戻って来ていなかった。
 
0-3.
 
試合はローキューツが先行して始まった。
 

野町さんに付いている麻依子が、ただならぬ相手だと見たフェアレイルズ側はむしろ宮岸さんを使った攻撃に切り替えてきた。この人は来夢が「怖い」と言っただけあり、来夢をかなり抜いた。その彼女が途中で「あっ」という感じの表情をした。どうも向こうも来夢のことを思い出したようであった。他のメンバーに何か囁いていて、それで他のメンバーも来夢を見ていた。
 
ローキューツの攻撃に対しては、相手は特に誰が誰を相手するというのは決めていなかったようだが、長身の麻依子に対してはやはり野町さん、そして来夢の相手は宮岸さんになり、他の3人は適当に近くに居た人がマークする形になった。 
しかしここまでの様子で、どうも向こうはこちらの準決勝の試合などはチェックしてないなというのが想像つく。
 
第1ピリオドでは結局向こうは宮岸さんを軸にした攻撃で16点、こちらは千里と国香が得点の中心になって15点を挙げて、接戦となった。
 

来夢が連続稼働できないので、第2ピリオドでは、浩子と来夢を休ませ、夏美がポイントガード役、そして夢香が来夢の位置に入るが、国香が宮岸さんの相手をする。むろん国香の技量ではとても宮岸さんを停めきれないのだが、それでもかなり攻撃の邪魔をすることができた。
 
このピリオドでは疲れてきた麻依子を抜いて野町さんも得点を重ね、20-14と結構な点差が付いた。前半を終えて36-29と7点差である。
 

ハーフタイムを経て第3ピリオドでは麻依子・国香を休ませ、菜香子に野町さんの相手をさせ、来夢が再び宮岸さんの相手をする。こちらのラインナップは 
浩子/千里/夏美/来夢/菜香子
 
である。千里はずっと出ているが、この試合では千里は最初から40分間出続けるつもりでいた。
 
菜香子は結構野町さんといい勝負をしていたのだが、それでもやはり向こうが優勢である。第3ピリオドの半分まで行った所で点差が10点を超えたので、ここで向こうは野町さんと宮岸さんをいったん下げた。
 
こちらは第2ピリオドもずっと出ていた夏美を下げて沙也加を使う。沙也加は相手のスターター平良さんとマッチアップしたのだが、恐らく相性の問題もあったのだろうが、沙也加がこの彼女をうまく封じてくれた。すると平良さんは相手チームで攻撃にバリエーションを付ける役割をしていたため、相手の攻撃が単純になりがちになる。
 
それで結果的にはパワーバランスがローキューツ側に来て、このピリオド後半では相手の点数を低めに抑えている間に、千里と来夢の高度なコンビネーションプレイがどんどん決まる。ほんの2分ほどの間に一気に8点挽回、慌てて向こうは宮岸・野町を戻すも、勢いに乗るローキューツはこのあと相手といい勝負をして、結局第3ピリオドを終えて点数は59-56となった。
 
これで勝負の行方は全く分からなくなった。
 

「千里ずっと出続けてるよね。短時間でも誰かと代わる?」
「私はこのまま延長3回くらいまで出っぱなしでもいいよ」
「来夢さん、少し休みます?」
「私はこのピリオドがこのチームでの最後だから、全部出させて」
「浩子、少し休む?」
「いや、ここは一気に勝負を掛けたいから、頑張る」
 
それで気合いを入れて出て行く。向こうも円陣を作って「頑張るぞ!」と大きな声を掛けていた。
 
このピリオドでは国香が司令塔役を務め、浩子はスモールフォワード的な位置でプレイした。国香は第3ピリオドを休んで体力が充分にあるので、よく動き回り、いちばん良い位置にいる選手にボールを供給する。
 
千里が相手選手との間に少しでも空間を作っていると、即ボールを送り、千里はすぐにシュートを撃つ。
 
来夢もこれが最後ということで必死になってプレイしている。麻依子も第3ピリオドを休んだお陰で体力が回復している。
 
これで第4ピリオド前半からローキューツの猛攻という感じになった。得点は一気に65-72まで行く。
 
そこから相手も必死になって反撃するも、宮岸さんにさすがに疲れが出てきてスピードが落ちているので、来夢が彼女をほとんど通さなくなる。それで後半になってもローキューツの勢いはほとんど落ちず、結局最後は71-87と大差をつけて、ローキューツが勝利を手にした。
 
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