【娘たちの転換ライフ】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-11-12
翌14日(日)大安。
結婚式は午後からなので、午前中は貴司とふたりで美輪子のアパートを訪れ、ご祝儀を渡すとともに、お土産兼お祝いに貴司がユーハイムの神戸本店で買ってきた特製バウムクーヘンも出す。
「わあ、美味しそう。食べちゃおう、食べちゃおう」
と言ってサポートに来ている玲羅!が言って紅茶を入れる。
玲羅は朝いちばんの電車で旭川に出てきたらしい。
「これ美味しいね」
と言って美輪子も賢二も食べている。
「でも実は今日の引出物もバウムクーヘンだった」
「ごめーん!」
「でもユーハイムもさすがに美味しい」
「でもその祝儀袋、重そう」
と玲羅。
「いっぱいお世話になったし」
と千里。
「まあもらえるものはもらっておく」
と美輪子。
「今日玲羅ちゃんは終わった後、どうするんだっけ?」
と賢二が尋ねる。
「お母ちゃんたちと一緒に帰ります。お母ちゃんの運転する車の助手席に乗っておしゃべりして居眠り防止する役」
「ああ、お父ちゃんはそういう役には立たなさそう」
「文句言うか寝てるかですから。更に方向音痴だし」
「船の機関長が方向音痴なんだ?」
「陸上には灯台もローランも無いから分からんとか言ってました」
「ああ。確かに灯台は無い」
「千里たちは今夜も泊まるよね?」
と美輪子が確認する。
「泊まるよ。帰りの便は無いし。だから貴司は明日まで休暇を取っている」
と千里。
「だったら、祝賀会終わった後、色々細々としたものをこのアパートに運んでおいてくれない?」
「いいよ」
「じゃ合鍵1つ渡しておくね」
「了解〜」
と言って千里は鍵を受け取った。
「あ、このキーホルダーは私が使ってたままだ」
「そうそう。そのまま持っていてもいいけどね」
と美輪子は言った。
千里がお昼御飯を作ってみんなで食べてから、美輪子と賢二をタクシーで結婚式場の神社に送り出す。
それから玲羅は普段着を学校の制服に着替えた。貴司は自分が持っているビジネススーツの中でいちばん新しいの(実は貴司の会社の製品を納入先の紳士服店で縫製したもの)を着ている。
「千里は着替えないの?」
「うん。現地で用意してもらっているから」
「そうだったのか」
それで美輪子のウィングロードに色々頼まれていた荷物なども積み、千里が運転し、貴司・玲羅を乗せてやはり神社に向かう。
「姉貴、まだ若葉マークつけるんだ?」
「免許取ったのが3月30日だから、あと半月は必要」
「でも運転は既にベテランだよね」
「まあこの1年で6万kmくらい走ったかな」
「地球一周半かぁ」
「玲羅は7月生まれだから夏休みに免許取れる。お金は私が出してあげるから取りにいきなよ」
「取りたいけどお金どうしようと思ってた。うちお金無いみたいだし。姉貴が出してくれるなら助かる」
「大学はどこ狙ってるんだっけ?」
「札幌C大学とかいいなあと思っているんだけど?」
と言って玲羅は運転している千里を見る。
「いいよ。学費は出してあげるよ。あそこならそんなに勉強しなくても入れると思ってるでしょ?」
「というか、私の学力で入れそうなのは、あそこくらいかな、と」
「旭川のA大学の方がもっと易しいとかは?」
「札幌に出たいのよ〜」
「なるほどね。だったら少しくらいは勉強頑張らなくちゃ」
「勉強苦手なんだけどなあ」
神社に着いたのが14時くらいであった。式は16時から始まる。
ところでこのA神社の巫女長は木村さんと言って千里が高校時代参加していた雅楽合奏団の主宰者である。それで車を降りて中に入っていくと、早速声を掛けられる。
「あら、千里ちゃん。久しぶり〜」
「ご無沙汰しております」
「あんた、今日の巫女しない?」
「私は出席者の方で」
貴司と一緒に神社内の控え室に行こうとしていたら、いきなり
「たい〜ほ〜」
と言って飛びつかれる。
愛子である。
貴司が驚いている。
「私、何したの〜?」
「男の癖に女を装っているから性別詐称罪」
「私、とっくに女の子になってるよぉ」
「そうみたいだね」
と言って愛子は千里の胸とか、おまた!にまで触っている。
「じゃ、こっち来て。細川さん、千里もらっていきますね〜」
「あ、はい」
「男性用控室はそこ行った突き当たりの左側ですから」
「あれ?さっき木村さんに右側と言われたけど」
「あ、間違った。右だった」
「危ない、危ない」
「女性用控室に入って行ったら、女性用ドレスを着せられるぞ」
「そうなる訳!?」
「振袖でもいいけど。着付けできる人いるよ」
と愛子。
「遠慮します!」
と貴司。
「振袖はむしろ私が着たい」
と千里は言った。
それで千里は愛子と一緒に、花嫁の控室に入った。
「わあ、きれーい!」
と千里は白無垢を着た美輪子を見て言った。
「なんかこの年になってこんな衣装着ていいのかとも思ったけどね」
などと美輪子は言っている。美輪子は30歳である。
「全然問題無い。まだセーラー服でも行ける」
などと優芽子は言っているが
「さすがにセーラー服は自信無い!」
と美輪子は言っている。
花嫁控室には、赤ちゃんに授乳中の吉子も居たので、千里は彼女に祝儀袋を渡す。
「吉子さん、ついでみたいで悪いけど、これ花帆ちゃんの出産祝い」
「わあ、ありがとう!」
「生まれてすぐ渡すつもりだったんだけど、なんか忙しくて行きそびれちゃって」
「いや、もらえるものはもらっておく」
と言って吉子は祝儀袋をバッグにしまっていた。
「吉子、そのバッグは式をしている間は金庫に入れておこう」
と優芽子が言う。
「うん。そうする。なんか怖い金額が入っている気がする」
と吉子。
「でも花帆ちゃん、可愛い」
「もう夜泣きが辛いけどね」
「ああ、大変だろうね」
「おばあちゃんたちには見せた?」
「まだなのよ。私も今朝着いたから」
「大阪から大変だね」
「千里は貴司さんと来たんだっけ?」
「そうだよ」
「大阪から?」
「ううん。貴司に東京に来てもらって、羽田から飛んできた」
「なるほど、なるほど」
「大阪からだと新千歳になるから、そこからの移動がまた大変だし」
「うん。大変だった!」
「だけど、千里ちゃん、うちの愛子と髪の長さまで似てるね」
と優芽子が言う。
「それで悪いことしようって魂胆なんですよ」
と千里。
「うん?」
千里と愛子は花嫁控室の隅を借りて、ドレスに着替える。それを見て吉子は呆れたような表情をしたが、優芽子は眉をひそめた。
「あんたたち、何するつもりなのよ?」
「この結婚式・祝賀会で平和を保つための演出だよ、お母ちゃん」
と愛子は笑顔で答えた。
式は16時からだったが、千里の両親、津気子と武矢はギリギリに飛び込んできた。
「遅くなってごめん。道が渋滞していて」
と津気子が謝る。
「間に合って良かった。今からだよ」
と優芽子が言い、ふたりは式場に向かう列の最後に並んだ。
実はふたりがギリギリに到着するようにしたのは《くうちゃん》である。
やがて結婚式が始まる。
式に参列しているのは、こちらは美輪子の両親、兄の清彦夫妻、姉の優芽子夫妻、その娘の吉子夫妻、千里と貴司、清彦の3人の息子、愛子、玲羅、そして最後に来た津気子と武矢である。
この他に新郎側の親族と、発起人グループが参加している。
吉子の娘・花帆はちょうど眠ってくれたので《いんちゃん》に預かってもらった。ここで《いんちゃん》は神社の人たちには発起人グループと思われており、発起人たちからは神社の人のように思われている。
式は厳かに執り行われた。
祭主が入場し、お祓いの後結婚式の祝詞が奏上される。そして三三九度が行われる。新郎新婦が誓いの言葉を一緒に読み上げ、指輪の交換をして巫女さんの龍笛演奏&神楽舞の後、玉串奉納する。
それが終わったところで写真撮影をする。ふたりが指輪を付けた指を見せているところを撮影する。むろん機械音痴の千里は撮影しには行かない。玲羅に自分のデジカメを預けて一緒に撮ってくれるよう頼んでおいた。最後尾から写真を撮りに行った津気子が戻る時、千里と目が合い「え?」という顔をした。千里は笑顔で手を振っておいた。
そのあと親族固めの杯をした後、祭主さんがお祝いの言葉を述べて式は終わる。祭主さんが退場した後、両家の親族が巫女さんに先導されて退場した。
式の後で記念写真を撮る。隣の撮影室にまずは新郎新婦が並んだ写真を撮り、そのあと、双方の親族一同が並んだ写真、発起人グループが並んだ写真を神社と提携している写真館の人が撮影した。
ここまで終わったのが17時過ぎである。祝賀会の会場となる旭川市内のホテルに移動する。ここで津気子が千里に寄ってきた。
「なんであんた女物のドレス着てるのよ?」
と小さな声で言う。
「私が男物のスーツとか着られる訳無いじゃん」
「それはそうだけど・・・・」
「大丈夫だよ。ご祝儀は愛子ちゃんに渡してね。会費は払っておいたから」
と言って千里は自分のバッグの中から祝賀会の席次表と一緒に無記名の祝儀袋を出し、筆ペンと一緒に母に渡す。
「ありがとう。会費だけで済ませようかとも思ったんだけど、美輪子にはそれだけでは申し訳ない気がしていたから、助かる。愛子ちゃんはどこかな?」
「あそこ」
と言って千里が愛子のいる所を指し示す。ついでに目が合ったので手を振っておく。
「え?」
と津気子は声をあげた。
新郎新婦はタクシーで、他の者は借りているバスでホテルに移動した。
「千里ちゃん、じゃ受付よろしく」
と菱川さんが言った。
「はい、じゃ他の段取りよろしくお願いします」
それで布浦さんとふたりで受付の所に立った。今日の来場予定者は100人くらいで、市民オーケストラ関係が30人ほど、賢二の関係者が30人ほど、美輪子の関係者が40人ほどである。千里はオーケストラ関係は最近入った人以外ほぼ全員知っているし、美輪子の友人・親族とも多くが顔なじみである。それで来てくれた友人たちと言葉を交わしながら受付を務めた。
北海道では内地のような披露宴ではなく、会費制の結婚祝賀会をすることが多い。祝儀袋などは使用せずに、来場者はその場でお財布から現金を出して払い、受付が領収書(席次表と食事のメニュー兼用・新郎新婦のメッセージ付き)を渡すとともに名簿にチェックする。
今回は会費を12000円に設定しているので、しばしばおつりが欲しいという人がいる。それでお釣り用に大量に千円札を用意し、8枚セットと3枚セットをあらかじめ用意しており、それを渡していた。
時々会費を回収に受付そばの小部屋から愛子が出てくる。愛子はこの小部屋で川野さん・秀美さんと3人で集計作業をしているが、千円札を8又または3枚にまとめてお釣り用のセットも作っていた。
時々「会費以外にご祝儀」を渡そうとする人(新郎新婦の上司などにありがち)、「会費を祝儀袋に入れて渡す人」「祝儀袋に入れて会費+祝儀を渡す人」がいる(北海道の結婚式に慣れてない人にありがち)が、祝儀袋はその場で袋を開封させてもらい、金額を確認。会費分を超える金額を祝儀として処理させてもらうものの(実はこれで集計ミスが発生しやすい)、その余分な金額を受け取ってよいかは、都度愛子や秀美さんに確認する。
そういう訳で、時々愛子がこちらに出てくるので、偶然その場にいた人は
「双子だったんだっけ?」
などと訊いていた。
「従姉妹なんですよ。でも小さい頃からそっくりだと言われてたんですよね」
「ほんとそっくり。見分け付かない。髪まで似た長さだし」
「区別は、左手薬指で」
「わあ、きれいな指輪」
「このアクアマリンの指輪を付けているのが千里、付けてないのが愛子です」
「なるほどー」
「片方は売約済みか」
「私にも素敵な指輪をくれる人がいたら歓迎です」
などと愛子がノリで言っていたら
「そちらは何月生まれ?」
と市民オーケストラの友人男性・平岡さんが訊いてきた。
「実は千里と1日違いで私も3月なんですよ」
「だったら誕生石も同じ?」
「はい。私もアクアマリンです」
「だったらその誕生石のアクアマリンの指輪をつけたら、またまた見分けつかなくなっちゃうね!」
「私はダイヤモンドでもいいですよ」
と愛子は平岡さんに言っていた。平岡さんは
「考えておこうかな。そうそう。今からでもバレンタイン歓迎だから」
などと言って自分の名刺を愛子に押しつけて行った。
その頃、武矢は親族控室でビールを飲みながら津気子に言っていた。
「千里はまだ来てないの?神社では見かけなかったけど」
「来てたよ。神社にもいたよ。でもあの子、発起人になっているから色々用事を頼まれて走り回っているみたい。あのくらいの子が使いやすいのよ。玲羅も雑用で走り回っているみたいだし」
「ああ。玲羅は見たな」
実際には玲羅は花嫁の控室に行って花嫁のサポート(≒雑用係)をしている。吉子が赤ちゃん連れで、愛子と千里が発起人に名を連ねているので、結果的に玲羅がいちばん余裕があるのである。
なお、津気子は千里の座っている位置が武矢に知られないように、席次表は武矢の分まで一緒に自分のバッグの中に入れてしまっている。
やがて祝賀会が始まる。千里はエレクトーン演奏を頼まれていたので、そちらにスタンバイする。機種は見慣れたStageAなので安心だ。自分用の演奏セッティングデータの入ったUSBメモリも持って来ていたのでロードしておく。演奏する時はむろん指輪は外す(指輪をつけていると鍵盤を傷める)。
バッハの『主よ人の望みの喜びよ』を演奏する。これに合わせて来場者が入場してくる。この間、会場の全面にはスライドが投影されている。これは主としてふたりが一緒に写っている写真を選んでいる。
全員着席したところで、千里がメンデルスゾーンの結婚行進曲を演奏する。この曲に合わせて新郎新婦が入場してくる。拍手の中、ふたりがひな壇に就いた。
司会をしてくれているのは、発起人のひとりで、市民オーケストラの友人、山坂さんである。千里とも顔なじみで、意思疎通が取りやすく、千里もうまく彼女と連携して演奏をすることができた。千里の席はこのエレクトーンそばに取ってある。むろん貴司と一緒である。
最初にその山坂さんから新郎新婦の紹介があるが、なれそめのエピソードやその後の様々な出来事をジョークを交えて楽しく紹介してくれて、会場はたくさん笑い声が響いていた。
ここでケーキ入刀をする。このケーキは美輪子が昨日作ったものである。ふたりが入刀するのと同時に『ウィリアムテル序曲』の“スイス兵の行進”を演奏する。みんなたくさん写真を撮っている。千里はどさくさにまぎれて《きーちゃん》をそばに寄らせて千里のデジカメで写真を撮ってもらった。
花帆を見てくれている《いんちゃん》の場合もそうだが、こういう場は様々な関係者が集まっているので、知らない顔があっても全くあやしまれない。
最近はケーキ入刀に続いて「ファーストバイト」をする演出もよくあるが、美輪子は「あんな恥ずかしいことできない」と言ってパスである。代わりに発起人グループの手で小さくカットしたケーキが出席者に配られた。
それが行き渡ったところで乾杯となる。乾杯の音頭は市民オーケストラの団長を務めるH教育大の漆羽教授にやってもらった。乾杯とともに『トランペット・ヴォランタリー』を千里がエレクトーン演奏する。今回の祝賀会では、新郎新婦が市民オーケストラで知り合ったという経緯から、BGMは全てクラシック曲で行くことにしている。
この後は歓談しながら食事となるが、同時に余興も始まる。トップバッターは新郎の伯母さんが、娘さん2人に能管・鼓(つつみ)を伴奏させて、最近では本当に珍しくなった謡曲『高砂』を披露した。
高砂や、この浦舟に帆を上げて(繰返し)、月もろともに出汐の、波の淡路の島影や遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住之江に着きにけり(繰返し)
四海波静かにて国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや、あひに相生の松こそめでたかれ、げにや仰ぎても事も疎かやかかる
代に住める民とて豊かなる、君の恵みぞありがたき(繰返し)
千秋楽には民を撫で、万歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯々の声ぞ楽しむ(繰返し)
いわゆる「翳し」(出汐→入汐、遠く鳴尾→近く鳴尾、と婚姻の忌み言葉を言い換えること)をせずに本来の歌詞で謡ってくれた。これも新郎と話し合って、変な変形をせず正しい歌詞で謡おうよということになったようである。
「そもそも月が出るからめでたいのであって、月もろともに入汐のと歌っちゃったら月が沈んで真っ暗闇だし、舟も出発できないじゃん」
と賢二は言っていたらしい。
千里は昨年の吉子の披露宴でも藤元さんのお祖母さんが高砂を謡ったなと思い出していた。
その後、今度は優芽子が木村カエラの『Butterfly』を千里のエレクトーン伴奏で歌った。この曲は前年出たばかりの曲で、この当時はあまり知名度は無かったものの、歌詞内容に出席者たちが頷くようにしていた。
その後は親戚・友人入り乱れての余興が続いていく。
千里は伴奏が必要な時だけエレクトーンの所に行って演奏し、必要無い時はテーブルの方に行って貴司や吉子夫妻と歓談しながら食事をしていた。このテーブル配置は発起人グループで決めたものだが、貴司も千里が離席している間、チームメイトでもある吉子の夫・藤元さんと会話することができて、気楽だったようである。また、藤元さんの方も知らない親戚ばかりの所で貴司と話せて助かったようである。
なお花帆は会場外でまたまた《いんちゃん》に見てもらっているが、吉子は時々心配になるのであろう、様子を見に行くのに離席していたので、藤元さんも貴司がそばに居てくれてほんとに助かっていたようである。
やがて津気子と武矢が余興で歌を歌うのに出てきた。千里は席を立ってエレクトーンの所に行く。母が居心地の悪そうな顔をしているが、父は千里を見ると
「おお、愛子ちゃんが伴奏してくれるの?『祝い酒』できる?」
と訊いた。
「こんにちは、武矢おじさん。坂本冬美のですか?」
と千里は愛子のふりをして訊く。
母は「へ?」という顔をしてから、念のため、目をごしごししていた。
千里と愛子はわざわざ同じドレスを着ているのである。元々顔が似ている上に髪の長さも同じくらいで服も同じなら、元々ふたりをよく知っている人以外には見分けが付かない。しかも今千里は演奏のために左手薬指の指輪を外している。
「うん、それそれ。坂本はるみ」
などと父が言う。どうも都はるみと混線しているっぽい。
千里はエレクトーンの上に置いてある楽譜集の中から坂本冬美『祝い酒』の載っている本を取り出すと、そのページを開き、前奏を弾き出す。やがて歌の始まりになるが、父はいきなり違う音程で歌い出す。千里は即座に父の歌うピッチに合わせて移調する。
この程度はよくあることなので、千里も慣れたものである。
武矢は2番に入る時もまた違う音程で歌い出したので、またまた千里は移調弾きした。一緒に歌っている母のほうが父の音程に付いていくのに苦労していたようである。
清彦のところの3人の息子は、ドレスを着て、ヘアピースまでつけて女装(?)の上で、一緒に「恋のダンスサイト」を歌った。まだ高校生の浩之が「セクシービーム!」などとやっていたが、会場は爆笑の渦であった。
「でも俺たち、女装しても全然女に見えないようだ」
「千里ちゃんは女にしか見えないのに不思議だ」
などと千里に言っていた。
「ちゃんと女装すればもう少しマシになると思うけど。ヒロちゃんとか結構可愛くなりそうだよ」
と千里が笑顔でいうと
「あまり唆さないで。自分が怖い」
などと浩之は言っていた。
愛子は自分でギターを弾きながら吉子とふたりでMISIAの『Everything』を歌った。その間、千里はエレクトーンを離れて自分の席に戻っていたのだが、このふたりが《別々》であることを認識していない人は、今までエレクトーンを弾いていた女性がギターを持って来て弾き語りしているかのように思ったりしたのではと千里は思った。
その次に出てきた玲羅は「伴奏不要」と千里に言って、マイクの前に立つと《自由テンポ》で久保田利伸とナオミ・キャンベルのデュエット曲『LA.LA.LA. LOVE SONG』を《1人2役》で歌い始める。ついでに《自由音程》だ。玲羅は小さい頃から結構千里のキーボードを弾いていたので簡単な曲なら演奏できる程度の腕はあるものの音感は悪い。
「甘いくちづけをしようよ」
という歌詞のところでは
「ほらほら、新郎新婦、甘い口づけ!」
とリクエストするので、ふたりも笑ってキスする。
玲羅の歌は歌詞もどんどんオリジナルになっていき、大量のアドリブを入れて会場の笑いをたくさん取っていた。
それを自分も笑いながら見ていた武矢は
「どうせなら千里とデュエットすれば男女デュエットになったのに」
などと、ビールを飲みながら言っている。
「千里はエレクトーン弾くので大変だから、少しお休みあげなくちゃ」
と津気子は言う。
「ん?エレクトーン弾いてるのは愛子ちゃんじゃん」
と武矢。
「ま、いっか」
と津気子は投げ遣り気味に言った。
「それにしても千里を見んな」
「さっき見たよ」
「ああ、居るならいいや」
余興の前半ラストに市民オーケストラのメンバーが全員前に出てヴィヴァルディの『四季』から『春』を演奏するという。千里は伴奏は必要無いからと思ってテーブルに下がって食事をしていたのだが、布浦さんが
「千里〜、いらっしゃい」
と言う。
「伴奏必要無いですよね?」
「フルート私ひとりでは寂しいから、来て。楽器持ってる?」
「持ってますよ」
と言って千里は苦笑すると、バッグの中から三協のフルートを取り出し、彼女たちと並んで、ヴィヴァルディを演奏した。この演奏には今日は司会をずっとやっている山坂さんもヴァイオリンで参加した。
この演奏まで聴いてから、美輪子と賢二がお色直しのために退場する。
ふたりを待つ間、またスライドショーが雛壇後ろの幕に投影されるが、今度はふたりの小さい頃の写真、中高生頃の写真も混じっていた。高校の女子制服を着た千里も入って3人でヴァイオリンを弾いている写真などもあり、千里はギクッとした。
こんな写真昨日試写を見た時は入ってなかったのに!
津気子もむせていたようだが、武矢は気づかなかったようである。
やがて新郎新婦の再入場になる。
千里はホテルのスタッフから耳打ちされてエレクトーンの所に就く。照明が落とされる。千里がチャイコフスキー『くるみ割り人形』から『花のワルツ』を演奏する。ファンファーレの部分でドアが開き、タキシードの賢二、白いウェディングドレスの美輪子がキャンドルを持って入場して来る。
キャンドルサービスの間、ずっと千里は『花のワルツ』『スケーターズワルツ』、『美しく青きドナウ』『華麗なる大円舞曲』『G線上のアリア』と弾き続けた。
新郎新婦がメインキャンドルに点火した瞬間『喜びの歌』(ベートーヴェン第九交響曲第四楽章)を演奏する。
そして拍手の中、新郎新婦が雛壇に再着席した。
ここで祝電がホテルのスタッフさんによって紹介される。千里も席に戻って食事するが、司会をずっとやっていた山坂さんも束の間の休憩で、千里たちの隣の席で食事を取ったりシャンパンを注いでもらって飲んだりしていた。
「ずっとしゃべってるから水分が欲しくて」
「ですよね〜」
「ああ、でもお茶にしておくべきだったか。このシャンパン酔いやすい」
「疲れてると身体に吸収されやすいですよね」
と千里が言うと
「こらこら、未成年、まるでお酒の経験があるような発言するでない」
と山坂さんは言っていた。
その後、ずっと司会をしていた山坂さんが自分のヴァイオリンで『愛の喜び』を演奏する。その後、今度は千里が自分のフルートで通称『バッハのメヌエット』を演奏した(本当の作曲者はクリスティアン・ペツォールト)。その後余興のトリで、市民オーケストラの漆羽団長がヴァイオリンを持ち、団員の菱川さんのピアノ伴奏でチャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』を演奏した。
そして両親への花束贈呈となる。
千里がエレクトーンで瀧廉太郎の『花』を演奏する。美輪子と賢二さんが花束を持ち、双方の両親に花束を渡すと大きな拍手があった。ここは明るくやりたいから明るい曲でという美輪子のリクエストがあったので『花』にしたのである。当初はグノーの『アヴェ・マリア』を使おうかと思っていた。
最後に新郎の会社の社長が音頭を取って締めの乾杯をして祝宴は終了する。
新郎新婦が千里の『威風堂々』演奏の中、退場する。新婦が投げた花束は発起人代表でもある菱川さんがキャッチした。彼女は実はこの夏に結婚式を挙げることが決まっている。
新郎新婦がドアの外に消えた後は、山坂さんがあらためて祝賀会が終わったことをアナウンスする。千里がパッヘルベルの『カノン』を演奏する中、来場者が退場した。
千里は花嫁のサポートと着替えのため花嫁控室に向かう。愛子は先に花嫁控室に行っている。目の前を「同じ人物が2度通過」したのを見て、目をゴシゴシしたり、めがねを拭いたり、頭に手をやっている人たちがいた。
美輪子が脱いだ服は優芽子の手できれいにまとめられている。美輪子は白いゴシック系のワンピースに着替えている。玲羅が小物をまとめる手伝いをしている。
ここで千里と愛子はまたまたお揃いの花柄のワンピースに着替えた。
「私でも一瞬見間違えるよ」
と美輪子が言っていた。
賢二さんが美輪子を迎えに来るので送り出す。ふたりはタクシーで二次会会場のレストランに移動する。
千里は優芽子・愛子・玲羅と一緒に4人でホテル玄関に向かうがロビーのところで友人たちにつかまり
「そのツーショット撮らせて〜」
と言われて、愛子と並んで写真に納まった。
「最初何度か目をごしごしした」
「2人いることに気づいたのは披露宴半分くらいまで行った頃」
などと言われた。
「双子だっけ?」
「従姉妹でーす」
披露宴だけで帰る人で、車を神社に置いて来た人たちをバスで送って行ったのだが、そのバスが戻って来たところで、二次会に行く人が乗り込んで会場のレストランに移動した。このバスは今日1日貸し切りにしていて、二次会が終わった所で迎えにきてもらうことになっている。
千里は津気子が1人で座席に座っていたので声を掛けた。
「お父ちゃんどうしたの?」
「酔った気がするからホテルの部屋に入って寝てると言ってた」
「お父ちゃん、お酒好きな割に弱いもんね」
親戚関係では、津気子や美輪子の両親が高齢なので披露宴のあとそのままホテルの部屋に案内している。清彦一家は二次会は友人中心だし遠慮しておくと言っていた。吉子も赤ちゃん連れなので藤元さんと一緒にホテルに留まったので、二次会まで来た新婦側親族は優芽子・愛子、津気子・千里・玲羅である。
「でもあんたのその格好がバレないかとひやひやしてた」
「大丈夫だよ。お父ちゃんは、過去に何度も私と愛子ちゃんの入れ替わりに気づかなかったもん」
と千里は笑顔で答えた。
「あんたたち、普段から一体何やらかしてるの?」
と津気子は顔をしかめて言った。
二次会では父が居ないのをいいことに、千里は左手薬指にアクアマリンの指輪を付けたまま貴司と一緒に、美輪子や賢二の友人に挨拶したりしていた。
「そちらの結婚式はいつ?」
「私が大学出てからになるかもですー」
また2次会でも千里と愛子のツーショットをせがまれて随分写真に納まった。
市民オーケストラのメンバーが多数入っているので、その場で色々な曲が演奏され、即興の合奏なども随分発生していた。千里も何度もフルートを吹いた。
翌3月15日(月)、貴司と一緒に旭川の市街地を散歩していたら、バッタリと天津子に遭遇するが、天津子は小さな女の子を連れている。
「こんにちはー」
「どもどもー」
「千里さんの彼氏ですか?」
「そそ。一応フィアンセの類い」
と千里が言うと、「うーん」と言って貴司を見て悩んでいる。
「凄いですね。完璧に千里さんが《私物化》してる」
「うふふ」
「千里さん以外とは結婚できない状態」
「だから私が責任取って結婚するのよ」
「なるほどー」
貴司は意味が分からず首をひねっている。
「そちらは天津子ちゃんの従妹か誰か?」
「私の娘です」
「え?」
「いや、ひょんなことで保護して、取り敢えず今は私が保護者。この子をどうしようかと思っているんですけどね」
「何なら相談に乗ろうか?」
それで一緒に近くの和食の店に入るが、天津子は顔なじみのようである。個室に通された。
「まああまり詳しい話は言えないんですけど、住所不定の親から預かったようなものなんですよ」
と天津子は言った。
「その両親って生きてるの?」
「生きてます。死ぬ筈はないと思う。けっこうあの人たちしぶといですよ、でもその親を今探し出してこの子を返しても、親たちに生活能力が無いんですよ。その状態で引き渡すのは、その人たちにも負荷になるし、この子も辛い思いするんじゃないかと思って」
「だったら、天津子ちゃん、お母さんの教会で預かってもらうとかは?」
「最初そのつもりだったんですよ。でも千里さん、この子、感じません?」
と言って天津子は謎を掛けるように言う。
「ああ。この子、かなりの霊感の持ち主だね」
「でしょ?だからあそこに連れて行くと、生き神様みたいにされそうで。私の後釜って感じにされかねない」
「だったら、天津子ちゃんが下宿してる所の叔母さんに頼んでしばらく置いてもらうとか」
「実際、今取り敢えず置かせてもらってるんですけどね。そのまま預かっていていいものか」
「警察に届けるとかは?」
「それはしたくないんですよー。ちょっと色々事情があって」
千里はじっとその子を見ていた。
「この子、女の子だっけ?」
「だと思いますけど。一緒にお風呂入ったけど、ちんちん無かったし」
「君、名前何?」
「おりは」
とその子は答えた。
「何歳?」
その子は片手を広げる。5歳ということのようである。
「この子、私が知っている人と関わりがある気がする」
「ホントですか?」
千里は時計を見た。
10:25である。足すと35だ。五十音で35番目の文字は「も」である。千里は自分の携帯のアドレス帳の「も」で始まる所を見る。
毛利五郎・桃川春美・森下誠美・森田雪子・森原光蔵
と並んでいる(森原は千葉L神社の禰宜)。千里は少し考えてから“おりは”と名乗る少女(?)の写真を自分の携帯で(天津子に)撮ってもらい、この5人全員!に写真を添付して
「この子を知りませんか?」
というメールを送った。
すると桃川春美から
「その子どこにいるんですか!?」
という電話が掛かってきた。
「知り合いですか?」
「私の姪の織羽です!1月以来行方不明だったんです!」
千里たちが旭川にいると言うと、桃川はすぐ出てくると言った。
千里たちは美輪子のアパートで桃川と会うことにした。
美輪子たちはこの日朝から東京に飛び、既にフランクフルト行きの飛行機の中である。千里は祝賀会・二次会の来訪者名簿や着替え・小物などをアパートに置いて来てと頼まれていたので美輪子たちのアパートの鍵を持っていた。それをいいことに、そこに天津子や桃川たちを連れて行って、話をすることにしたのである。
「懐かしいなあ」
と言って貴司がアパートを見ていた。
「私たちたくさんここで愛し合ったからね」
と千里が言うと、天津子は不思議そうに言う。
「千里さん、バージンじゃないんですね?」
「バージンはこの彼に高校1年の時に捧げたよ」
「バージンじゃないのに、こんなパワーを維持しているって凄い」
「そういうものかなあ?」
「男を知ると同時に能力を失う人、多いですよ」
「もしかしたら私と貴司って半分友達感覚だからかもね」
「ああ、そういうのはあるかも」
「それにこの貴司のお母さんも結構な凄い巫女さん」
「だったら、ふたりの間に生まれる女の子は凄まじいパワーの持ち主になるかも」
と天津子は言う。
「そうだね。そうなるかもね」
と千里は笑顔で答えた。
天津子は千里を普通の女性だと思っている。
「でも私たちの間に女の子が生まれる?」
と千里は天津子に訊き直した。
天津子はじっとふたりを見ていた。
「最初の子供は男の子。次の子供は女の子だと思う」
「すごーい。1人ずつってちょうどいいね」
と千里は答えるが貴司は首をひねっていた。
祝賀会の引出物のバウムクーヘンを出し、勝手にお茶を入れて飲みながらおしゃべりをしていた。
「細川さん、千里さんが見込んだほどの選手なら、プロを目指すべきだと思う」
と天津子は言った。
「僕の実力で入れてくれるプロ球団は無いよ」
「実績が無くて売り込めない場合でも、bjなら行けるんじゃないんですか?」
「あちらに行っちゃうと色々面倒でね」
「JBAと近い内に和解しますよ」
と天津子は言った。
「ほんとに?」
「これ内部情報なんで、他人には言わないでください」
「うん」
「天津子ちゃんは色々裏情報を持っている」
と千里が笑いながら言う。
「千里さんは、誰も知らないはずの情報を持っている」
と天津子はまじめな顔で言う。
「JBAと和解するならbjも考えられるんじゃない?」
と千里は言う。
「うん。でもどっちみち、もう今からの移籍は考えられない。来年かなあ」
と貴司は言った。
桃川が美幌町から到着したのは15時頃であった。陽子も一緒とのことであった。交代ドライバー含みらしい。
旭川駅で落ち合うことにし、千里が美輪子のウィングロードで迎えに行って、千里の車の後を付いてきてと言ってアパートまで誘導した。
「この付近は、駐車違反の取締とかやってませんから、そのあたりに駐めておいてください」
「ありがとう」
念のためいざという時は車を動かすこともできる《こうちゃん》に車を見ててもらった。
桃川は先日大洗で見た女の子を連れていた。その子を連れてアパートに入ると桃川が連れていた子が
「おりちゃん!」
と言い、天津子が連れてきた女の子(?)が
「しーちゃん!」
と言った。
「この子たち、姉妹なんですよ」
と桃川が説明した。
天津子は詳しいことは説明できないものの、訳あって30代の夫婦から織羽を預かったこと、その夫婦は生きてはいると思うが、どこにいるかは分からないと言った。
それに対して桃川は1月に網走で唐突に“しずか”を預かることになったこと、しずかは自分を《ママ》といって慕っていることを話した。
「しーちゃんのママなら、わたしのママかな」
と織羽が言う。
「うん。おりちゃんのママだよ」
としずかが言う。
「うーん。。。また私の子供が増えてしまった」
「お父ちゃんが『これが本当のママだよ』と言って写真見せてくれたんだもん」
としずかが初めて核心に触れるようなことを言った。
桃川はドキッとした。しずかが父親のことを話したのは初めてである。しかし桃川は変に追求して口をつぐませてしまうより、しずかの警戒心が薄らぐのに任せた方がいいと判断して、敢えてこの発言には突っ込まなかった。
しかし・・・本当のママって何なんだ!?
「でもそういう状況なら、桃川さんがこの子まで預かるのは無理ですよね?」
と天津子は言う。
「今でも牧場のみんなに負担を掛けているから2人はさすがにきつい」
「だったら、当面織羽ちゃんの方はうちの神社で預かりますよ」
「すみません!」
「姉妹を引き離すのは可哀相だけど、同じ北海道内だもん。会おうと思えばいつでも会えるし」
「そう考えることにしましょうか」
桃川は函館の美鈴にも連絡を取っていた。美鈴は理香子を連れて旭川まで出てくるということだった。
「到着は夕方になると思う」
「貴司は明日会社があるし、大阪に帰った方がいい」
「そうさせてもらう!」
それで千里は天津子に留守番を頼んで、車で貴司を旭川空港まで送って行った。
「今回は留萌まで行けなかったね」
「まあ向こうまで行くには微妙に時間が足りなかったね」
「じゃまたね」
と言ってふたりは素早くキスをし、千里は貴司が手荷物検査場に消えるのを見送った。
旭川17:30-19:15羽田20:15-21:25伊丹
千里は貴司を見送った後、旭川駅に行き、函館からやってきた美鈴と理香子を迎えた。美鈴は自分の服の特徴を伝えてくれていたのだが、人探しのうまい千里はすぐに見つけて、ふたりを車に乗せ、美輪子のアパートに連れて行く。
「かっちゃん!」
としずか・織羽が言う。
「しーちゃん、おりちゃん!」
と男の子のような格好をした理香子が言った。
陽子が子供たち見てますから、大人たちで話し合ってくださいと言い、子供3人を連れて奥の部屋に行く。
それで桃川・天津子・千里・美鈴の4人で話し合った。
「それじゃ亜記宏と実音子さんは生きてるんですね?」
と美鈴が確認する。
「生きていると思います。死ぬ理由は無くなったはずなので」
と天津子は言う。
「でもとても子供を引き取れる状態ではないのね?」
と千里が確認する。
「まあ、あれは無理でしょうね」
と天津子。
「実際、あと少しで織羽を含めて3人、死んでしまいそうな所を私が助けたんですよ。それでふたりはあの子を私に託して去って行ったんです」
と天津子は言う。
「そんな状態だったのか!」
と美鈴は怒ったように言う。おそらく美鈴は亜記宏たちが無理心中を図ったと思ったであろう。千里は天津子の言葉の《波動》から、実際には3人が殺されそうになっていた情景を読み取った。天津子は色々裏世界とのつながりを持っているので、その関わりで3人を助けてあげたのだろう。だから警察沙汰にはできないんだろうという所まで千里は推察した。
「私がやばい所から借りた借金を肩代わりしてあげたんですよ」
と天津子は言う。
天津子は既に2000万円を小樺会の若頭に直接手渡し、借用証書を返してもらっている。借用証書は念のため天津子が預かっている。借用証書の額面は1500万だったが、利子が膨らんで5000万になっていたようである。しかし額面が1500万なので組長も2000万で手を打ってくれたのだろう。
「ほんとに!?それは申し訳なかったです」
「まあ出世払いで返してもらったらいいですよ」
「すみません!」
「だからあの人たちはもう逃げる必要はありません。銀行や金融公庫から借りた分は弁護士立てて自己破産しちゃえばいいですよ」
「じゃみっちゃん、どちらかに連絡があったら、そのことをあの人たちに伝えようよ」
と美鈴。
「有稀子さんの実家にも話しておきましょう」
と桃川。
「そうだね。向こうに連絡ある可能性もあるもんね。それ私が話しておく」
と美鈴。
4人は子供たちをどうするか話し合った。
「もう新学期が迫っている。住所不定状態ではどっちみち子供を学校にやれないよね?」
と千里は言う。
「うん。もとの飲食店のあった所も向こうの家があった所も、こないだ行ってみたら道路になってた。そのための地上げ絡みだったのかも」
と美鈴。
「だったらガス爆発というのも怪しいなあ」
「まあ今更調べようもないけどね」
「ふたりは見つけようと思えば、見つけることは可能だと思う。でもとても子供を引き取れないと思う。それに子供を捨てたことを少し反省する時間が必要だと思う」
と天津子は言う。
ああ「反省させる」のかと、千里は天津子のことばから、天津子がしようしていることを想像した。きっと夢見の悪い日々をしばらく送ることになるのだろう。彼らはそのつもりになったら、取り敢えず函館の美鈴たちの所か、美幌の桃川の所に来れば、いつでも子供を引き取れるはずだ。
「まあ子供を捨てた親に、安易にその子供を返したくない気がしますね、私も」
と千里も言った。
「だったら、理香子はやはり当初の予定通り、うちの方で学校にやるよ」
と美鈴。
「じゃ、しずかもこちらで学校にやります」
と桃川。
「それにしずかには、もう少し今の女の子ライフを味わわせてあげたい」
と桃川は付け加える。
「亜記宏たちが出てくるまでどのくらい掛かるか分からないけど、半年にしても1年にしても、女の子として学校に行く時間があれば、あの子が得るものは大きいだろうね」
と美鈴も言った。
「織羽はどうしようか?」
と言って4人は悩む。
「必要なお金は全部私が出しますから、海藤さんの所で織羽を預かっていただく訳にはいきませんか? その肩代わりしてくださった2000万円も1ヶ月くらい待って頂いたら払います」
と桃川は言った。
「2000万円あります?何か他のことに使うおつもりだったのでは?私は2000万円くらい大丈夫ですよ」
と天津子が言う。
「私のお母さんが、私に内緒で30歳になった時に渡してくれって、株をプロの人に運用してもらっていたらしいんですよ。それで払いますから」
と桃川は言った。
「分かりました。じゃ頂きます。織羽もうちで預かりますよ。私、けっこうあの子と仲良くなっちゃったから、あの子のお姉さんになってあげよう。コネのある幼稚園と話して、4月から幼稚園に通わせようかな」
と天津子は笑顔で言った。
「じゃ、3人は取り敢えずバラバラで育てるけど、時々会わせるということで」
「連休とかに札幌あたりに集まればいいね」
だいたい話がまとまったので、子供たちを呼んできた。
「ぼくたちどうなるの?」
と男の子のような口調で理香子が訊いた。
「今まで通りでいいよ。姉妹で会えなくて寂しいかも知れないけど」
「ぼくは男の子みたいにあつかってもらえてうれしいから、よかったらみすずおばちゃんやせいこお姉ちゃんの所にいたい。しーちゃんも、女の子でいられるから、ママの所にいたいって。おりーはよくわからないって言ってる」
と理香子はしっかりした口調で言った。どうも《長男》という雰囲気だ。
「織羽は私のところで暮らす?」
と天津子が優しく訊く。
「うん、てつこおばちゃんのことすきだよ」
と織羽が言うので
「てつこおねえちゃんと言いなさい」
と天津子は少し怒ったように言った。
「はーい」
「中学生でも5歳児からすると、おばちゃんか」
「だったら、私たちはもうおばあちゃんだな」
陽子と千里で協力して御飯を作った。
実は人の家を勝手に使っているのだが、美輪子たちも文句は言うまい。一応千里は「今晩美輪子さんたちのアパート借りるね」とメールしておいたもののまさかこんな多人数が集まっているとは思いもよらないだろう。
子供たちが賑やかにおしゃべりしている中、食事をするが、その最中に千里の携帯に着信がある。
見ると旭川N高校の宇田先生である。
「村山君、旭川に戻ってきているんだって?」
「はい。叔母の結婚式で来ていたんですよ」
「いつ帰るの?」
「何か用事があります?」
「君が1000万円も寄付してくれたので、理事長が直々にお礼をしたいと言っているんだけど」
「いやあ。大したことじゃないんですが」
「充分大したことだよ!」
それで千里は翌火曜日にN高校を訪れることにした。
その晩は、姉妹3人を一緒にしてあげようということで、天津子も含めて大人5人と子供3人が美輪子のアパートに泊まり込むことになり、3人がはしゃぐので、美鈴が「あんたたち、少し静かにしなさい!」と叱っていた。
3人は翌日「じゃ、またねー」て言ってお互い手を振って別れ、理香子は美鈴と一緒に函館へ、しずかは陽子・桃川と一緒に美幌へ、そして織羽は天津子といっしょに市内の神社へと帰っていった(美鈴と理香子は、陽子たちが駅まで送って行った)。
千里はきれいに部屋を掃除してから戸締まりして、アパートを出た。美輪子のウィングロードを運転して学校まで行く。
学校に入っていくと、理事長室に案内され、宇田先生、校長、そして理事長から直筆の丁寧なお礼状を渡された。年末に1000万円寄付した件である。
「でもお金のこと以上に、村山君は本当にうちの学校の誉れだよ。名誉賞をもうひとつあげてもいいくらい」
などと理事長はご機嫌であった。
「U19世界選手権でも大活躍だったしね」
と教頭先生が言う。
「いや、あれはP高校出身の佐藤玲央美とか、アメリカ留学中の高梁王子とかの力が大きいんですよ」
と千里は言っておく。
「次の世界大会にも出るんだっけ?」
と理事長から訊かれる。
「今年はU20アジア選手権ですね。それで上位に入れば来年U21世界選手権です」
と千里は答える。
「それにも出るよね?」
と理事長が訊くが
「村山を出さなかったら、バスケ協会がおかしいです」
と宇田先生は言った。
「ただU20アジア選手権は今年が最後、U21世界選手権は来年が最後なんですよ」
「おお、それではその最後の大会の有終の美を飾りたいね」
と理事長はニコニコであった。
「ただ、村山にしても、P高校の佐藤玲央美にしても、フル代表の方にも招集される可能性がありますね」
と宇田先生は言う。
「そういう場合、どうなるの?」
「たぶんU19/U20と兼任ですね。過去にも両方の代表を兼任していた選手はありましたよ」
と宇田先生が説明するので、うーん何だか大変そう、と千里は他人事のように思った。
「それはぜひ頑張って2012年のオリンピックにも行って欲しいね」
と理事長は満面の笑顔で言う。
「代表に選ばれるかどうかは上の方の方達の判断次第ですが、もし選ばれたら全力でやります」
と千里は答えた。
1年前の全てから逃げたい気分だった時とは自分も随分変わったな、と千里は笑顔で理事長に答えながら考えていた。
やはり12月のあのスペシャルマンスが自分の全てを転換させたのだろう。
11時頃、理事長・宇田先生と3人で、市内の料亭に行き、お昼を食べた。宇田先生は「村山君のおかげで、僕まで美味しい御飯を食べられる」などと言っていた。理事長が
「今年の旭川N高校インターハイ優勝の前祝いだから」
と言うと宇田先生は
「では優勝した後は、部員全員に美味しい御飯を」
と言い
「もちろん、喜んでおごるよ」
と理事長も言っていた。
ちょうど昼休みくらいの時間に学校に戻る。そこで練習に出てきた女子バスケ部のメンバーたちと軽く汗を流した。
「そうだ、南野コーチ、お正月にえっちゃんと言っていたのですが、部員全員に、ナイキのスポーツブラをプレゼントしたいんですが」
と千里は南野コーチに話す。
「それはいいね!」
「多分ブラを変えるだけで凄くプレイがよくなる子がいると思います。地区大会前にプレゼントしたいので、新しい子たちが入った所で連絡ください」
「分かった」
今年のN高校の入試は2月16日に行われ、既に合格者も3月6日に発表されている。女子バスケ部の特待生として入るのは、フォワードタイプの徳宮カスミという子と、ガードタイプの瀬内鮎美という子だと聞いた。徳宮は札幌P高校との争奪戦になったらしいが、最終的に本人が「家から近いからN高校に行く」と言ってこちらに決めてくれたらしい。
「女子部員全員、ベンチ枠に遠い子まで含めてナイキの北広島店に連れて行って、全員きちんと測ってもらって買ってあげたいんですよ」
「きちんと測ったものつけたら確かに変わるかもね。私も欲しいくらいだ」
と南野コーチは頷くように言った。
「南野コーチにもプレゼントしますよ」
「ホントに?」
と言ってから、南野コーチは小さな声で言った。
「夏恋ちゃんから聞いたけど、あんた作曲家してるんだって?」
「それあまり人に言わないでください。だから売れなくなったら寄付とかできなくなると思いますけど、お金のある間は寄付しますから」
「うん。無理しない範囲でよろしくね」
と南野コーチは笑顔で言った。
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【娘たちの転換ライフ】(2)