【娘たちの転換ライフ】(上)

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雨宮を見た老人は言った。
 
「久しぶりに日本語を聞いた」
 
「これ、東堂先生からのお手紙です」
と雨宮は言って手紙を渡す。
 
それを開けて老人はしばらく眺めていたがやがて言う。
「読めん」
 
「へ?」
「これ読めるか?」
と言って老人は手紙を雨宮に見せる。
 
「私にも読めないですね」
と雨宮も答える。
 
手紙はあまりにも達筆な連綿草書体で書かれている。
 
「でも多分、そろそろお仕事しないかということだと思いますよ」
 
「それなら答えはノーだよ。それに今更僕が出る幕も無いだろう。東堂一派は、上島君が頑張っているみたいだし、間島・田中ペア(ゆきみすず・すずくりこ)が良い曲書いているみたいだし、木ノ下大吉も頑張ってるし、何より僕の弟子の東郷誠一が物凄い」
 
「鍋島先生がお亡くなりになったのはご存じですか?」
「木ノ下がわざわざここまでやってきて教えてくれた。それで香典代わりに大根を10本渡した」
 
雨宮は大根を10本受け取った木ノ下大吉が困ったような顔でそれを抱えて山道を歩いている様を想像して、笑いたくなったが我慢した。
 
「貨幣経済から隔絶した生活なさっているみたいですね。自給自足ですか?」
 
「夏の間は畑を耕してるよ。晴耕雨読の日々だね。冬は魚を釣ったり夏の間に備蓄した野菜とか食べてる」
 
「でもその木ノ下先生が今ちょっとやばいんですよ。あれは精神的に限界に来ていると思う。いつ破綻するか分かりませんよ」
と雨宮は言った。
 
「悩んでいる感じだったから気晴らしに女装でもせんかと言っておいたのだが」
「はあ、女装ですか」
「あいつ、まだ男してる?」
「木ノ下先生の女装は見たこと無いです。それに奥様もいらっしゃるし」
「奥さんなら、雨宮、君にだっているじゃん」
「私は普通の男ですから」
「普通のね〜。モロッコかどこかに行って、女になって出直す気は?」
「それ木ノ下先生にお手紙でも書いて言ってあげてください」
 
老人はしばらく考えていた。
 
「木ノ下には手紙を書こう。持って行ってくれる?」
「ありがとうございます。たぶん東城先生からの手紙見たら、凄く勇気づけられると思います」
「女装の魅力をたっぷり書いてやろう」
「そういうお話ですか!?」
 
「僕も男を辞めたらすごく気持ちが楽になった。雨宮が男を辞めたのも男の重圧から逃れるためじゃないの?」
「まあそういうのは少しあるにはあります。睾丸が無くなったら嘘のように余計な闘争心が無くなりましたよ」
「まだチンコあるの?」
「ありますけど」
「取ればいいのに。それも無くなると調子良いぞ」
「東城先生は女性器は作られたんですか?」
 
「女性器作ったら、今度は女の性欲が出そうだから作らない。おっぱいも大きくしたりしない。僕はヌルが快適だよ。そもそも僕は女になりたい気持ちは無い。雨宮も女になる気無いんだったらヌルにならない?」
 
「私は女の子を抱くのが趣味なので」
「立つの?」
「立ちますけど」
「変な奴だ」
「立つのは奇跡だと医者が言いましたけどね」
 

「木ノ下に合いそうな女物の服つけてやってよ。代金はうちの娘に言ってもらってくれない? 娘にも伝言書いておくから」
 
「・・・・」
「どうした?」
「東城先生にお嬢さんがいたというのは知りませんでした」
「去勢する前夜に作ったのさ」
「それは奇跡のお嬢さんですね」
「住所書いたら辿り着ける?」
「できたら電話番号も下さい」
「俗世間ではまだ電話なんて使ってるの?」
「メールの方が盛んですけどね」
「メールって?」
「うーん・・・・。ご存じ無いですか。何と言って説明したらいいのやら」
 
「電話番号、変わってなかったらこれだよ」
といって東城は住所・氏名と一緒に電話番号も書いてくれた。
 
「分かりました。じゃ木ノ下先生には女物の服一式、お化粧用品に、女装のガイドブックでも一緒に渡します」
「去勢用のハサミもつけてあげて」
 
「東城先生は自分でハサミで去勢したんですか?」
「しようと思ったができなかった。結局医者に切ってもらった」
「まあその方が無難ですね。素人は止血ができませんよ」
 

「でも僕は復帰しないよ」
と東城は言った。
 
「例の曲はできたんですか?」
と雨宮は尋ねる。
 
「まだだ。だから、それを書き上げるまでは山を下りる気はない」
 
「2〜3日ここにいていいですか?」
「いいけど、粗食だぞ」
「食料は持参しましたよ」
「ほほお」
「お酒もありますよ」
「酒?」
「いかがです。久しぶりに」
 
「しかし僕は酒で失敗したのが現役引退したきっかけだからさ」
「だから迎え酒ですよ。これ山廃吟醸ですよ」
「意味が違う気がするが。って、山廃があるの?」
「どうです。一杯?こちらは源右衛門の杯ですよ」
「う・・・・」
 

天津子は湖の近くで冬の荒行をしていたが、自己を滅却して禅定していた時、近くで「助けてー」という大人の男女の声、小さな子供の泣き声、そして無粋な雰囲気の男達の荒々しい声が同時に聞こえてくるのを感知した。
 
なんだ?こいつら?と思い、自己滅却し空気と一体となったままの状態でそちらに向かう。ヤクザっぽい男たちが30代の男女と小さな女の子を連れ立てている。見るとヤクザたちはまず男の方を押さえつけると顔を湖面に浸けた。女はもう恐怖を越えて絶望したのか、無表情にそれを見ている。小さな女の子が泣いている。
 
天津子は出て行った。
 
何も気配が無かったのに、唐突に天津子が現れたのでヤクザたちが驚いている。驚いた拍子に男の顔を湖面に浸けていた腕の力が緩み、男は逃げるように顔を湖面から離した。まだ生きているようである。
 
「誰だお前?」
とヤクザのひとりが言う。拳銃を構えている。
 
天津子は戦闘態勢を取ると、男の拳銃に向けて念の塊をぶつける。
 
「わっ」
と言って男が拳銃を落とす。
 
天津子の戦闘態勢に、ヤクザたちの中のリーダー格っぽい男が反応した。 
「お見それしました。どちらの姐御さんでしょうか?」
 
天津子がただものではないことを察知したのだろう。
 
「人に名前訊く時は自分が先に名乗るもんじゃないの?」
と天津子は冷たい視線を向けながら言う。
 
「私は小樺会のヤマサキと申します」
「ああ。小樺会さんか。私はそちらのタカハラ若頭とは知り合いだよ。昇陽とでも言えば通じると思う」
 
「若頭のお知り合いですか!でしたら、ここは見なかったことにして頂けませんか。こいつらに落とし前を付けさせないといけないので」
 
「そいつら、何したのさ?素人っぽいけど」
「うちの傘下の金貸しから金を借りたのに返さないばかりか、逃げ回っていたのを捕まえたんですよ」
「ふーん。そんなクズはどうなろうと知らないけど、せめて、その子供は見逃してやれない?」
「私たちも子供まで消すのはさすがに心の呵責がありますが、命令なので」
 
「若頭と話してもいい?」
「あ、はい。ではその話し合いの間、少し待ちます」
 
それで天津子はタカハラ若頭に電話を掛けた。
 
「どうも。こんにちはー。昇陽ですけど。はいはい、その件はもう大丈夫ですよ。あちらは二度と刃向かうことは無いですよ。あ、それでちょっと相談があるんですけどね。今そちらの組のヤマサキさんという方と会っているんですけど、なんか借金を返さずに逃げようとしていたクズの夫婦を始末するとかいう件で。ああはい。そんなの誰にも言いませんよ。私たちは守秘義務がありますから。それでですね。今その夫婦を消そうとしている所で、3歳くらいの子供も一緒なんですよ。この子供は見逃してやってもらえません?」
 
子供は見た感じ5−6歳かと思った。しかし、できるだけ幼いことにしておいた方が温情を掛けてもらえるかもと思ったのと、そんなに小さければ親が殺されるのを見てもそれを他人に言えないだろうと思ってもらえるかもと思ったので、天津子はわざと3歳と言った。
 
「うーん。ダメですか?こいつらいくら借金してたんです?ああ、残金が5千万?だったら2千万くらい私が若頭にお支払いしますから、それで子供だけでも手を打てません?あ、組長と相談なさいますか。じゃ少し待ちますね」
 
それでいったん天津子は電話を切る。
 
何も無しで情けをと言うのでは「メンツが立たない」し「示しもつかない」。彼らはそういうものを重視する。それで天津子はメンツを立てるための妥協案として2千万という金額を提示してみた。小樺会は古風なヤクザなので、この手の話に乗ってくれる可能性があると天津子は思った。
 
「組長と相談するそうですよ。ちょっと待ってて」
とヤマサキに言う。
 
「分かりました」
 
5分ほどで電話が掛かってくる。
 
「あ、はい。じゃ代わります」
 
それで天津子が電話をヤマサキに渡す。
 
「はい。ヤマサキです。え?そうなんですか?分かりました。私たちはそれで依存ありません。そう致します」
 
と言って電話を切った。
 
「組長と話し合った結果、昇陽さんがそこまでおっしゃるなら、この件は無かったことにしようと」
「はい?」
 
「昇陽さんに免じて、2千万で手を打つから、この3人は助けてやれという命令でした」
「あ。そうなの。別にその大人2人は私はどうでもいいんだけどね」
 
ヤマサキが女の子の手を引いてきて、天津子に預ける。
 
「姐さん、ちょっとこの子を預かっててください」
「うん」
 
天津子はその子を保護すると。目と耳を手で覆った。
 
ヤマサキが夫婦の男の方を殴る。
 
「おい」
「はい」
「組長からの命令だ。こちらの姐御に免じて勘弁してやることにする。どこへでも自分たちで勝手に消えろ。但し誰にもこのことは言うな。もし警察とかに駆け込んだりしたら、命は無いと思えよ。警察内部にも協力者はいるんだから。今度こそ臓器抜いた上で海の底にでもコンクリート詰めで沈んでもらうからな」
 
「分かりました」
 
ヤマサキはその後、夫婦の男の方を10回くらい殴った。男は完全に伸びたようだが、女の方はその前に失神しているようだ。
 
「ふん」
と言ってヤマサキは天津子の方に来る。
 
「お手数お掛けしました。では3人を解放します」
「うん。ありがとうね。無理言って。また何か困ったことがあったらいつでも手伝うって若頭に伝えておいて」
 
「分かりました」
 

それで天津子は女の子の目と耳を覆っていた手を離し、夫婦の所に女の子を連れて行って渡そうとしたのだが・・・・
 
「あっ」
 
「逃げてった!?」
 
てっきり気絶していたと思った夫婦が物凄い勢いで走って逃げて行っているのである。
 
「助けてやると言ったのに」
「子供置いてっちゃった」
「どうします?」
「じゃこの子は私がいったん保護するよ。うちの祖母ちゃんの教会に置いてもいいし」
と天津子は言う。
 
教会では時々子供を育てきれないシングルマザーなどから子供を預かることがある。多くは1年程度以内に元の親が生活を建て直して引き取るか、信者さんたちの口コミで、子供が欲しかったものの出来なかった夫婦などを見つけて、里親の斡旋をしたりしている。稀に教会で成人まで面倒を見ることもある。今網走教会の事務長補佐をしている真紀子さんという女性も旭川教会で大学を出るまで過ごした人である。実は天津子が家を出たのは彼女の勧めもあった。 
「ところでその子って男の子ですかね?女の子ですかね?」
とヤクザのひとりが言う。
 
「ん?女の子じゃないの?君、名前は何?」
と天津子がその子に優しい表情で尋ねると、その子は答えた。
「おりは」
 
「うーん・・・」
「なんか男女どちらでもありそうな名前だ」
「ちなみに苗字は真枝(まえだ)ですので」
「前田か。ありふれた苗字だね」
「音で聞くとありふれているのですが、漢字は真(しん)の枝(えだ)と書くんですよ」
「それは変わっている」
 
「君、男の子?女の子?」
と天津子はその子に訊いた。
 
「わかんなーい」
「分からないってなぜ?」
「まだ男とか女って意味が分かってないのかなあ」
 
「ちょっと触っていい?」
と言って天津子はその子のお股を触った。
 
「付いてないみたい。たぶん女の子」
「ほほお」
 
「昇陽さんは車か何かでこちらにいらっしゃってます?」
とヤマサキが尋ねた。
 
「歩いて来たけど。修行中だったのよ。でも子供をこんな所に置けないから山を下りることにするよ」
「よろしかったら、私たちと一緒に車で町まで出られますか?」
「ああ。じゃ乗せてって。今着替えるから」
 
と言って天津子は近くに置いてあった着替えのバッグを取ってくると、いきなり修行着を脱いだ。その下は裸である。
 
「わっ」
「お前ら回れ右!」
「はい!」
 
それでヤクザたちはみんな後ろを向いてくれた。
 
「別にいいのに。女の身体なんて別に珍しくないでしょ?」
「いえ。昇陽さんの裸を見たなんて知れたら、指詰めもんです」
「あんたたちも大変ねぇ!」
 
“おりは”は不思議そうな目で着替え中の天津子を見ていた。
 
「あ、そうそう。2千万は国債か株を売却して10日程度以内に渡すから、現金の準備が出来たら連絡するね」
「はい。若頭にお伝えします」
 
この手の取引は当然証拠を残さないように現金である。
 

天津子が着替え終わってそのことを告げるとヤクザたちが振り返る。
 
「もしかして姐御、女子高生さん?」
「女子中学生だけど」
「え〜〜〜〜!?」
「取り敢えず男子中学生ではないと思うし」
 
「いや確かに女子でした。あっ」
「うふふ。私の裸見たもんね」
「すみません。その件は内密に」
 
「あ、そうそう。あんたたちちょっと荷物持ってくれない?」
「はい」
 
それで天津子は先日倒した熊の肉を保管していた場所に彼らを連れて行く。 
「こないだ襲ってきたヒグマを倒したのよ。その肉をまだ食べ終えてなかったんだよね。もう山を下りるから、この肉はあんたたちにあげるよ」
 
「それはありがとうございます。頂きます。かなりの量ですね。しかしヒグマですか。昇陽さん、猟銃とかなさるので?」
 
「ううん。素手で倒したけど」
「へ?」
 
「ヒグマくらい素手で倒せるでしょ。象なら自信ないけど」
 
ヤクザたちは顔を見合わせていた。
 
「いや、姐御と戦闘にならなくて良かったようですね」
「そうね。あんたたち、私の食料にならなくて良かったね」
 
と天津子は笑顔で言った。
 

2010年2月10日(水)、チェリーツインは最初のアルバム『スクリーム』および3枚目のシングル『雪の光/命の光』をインディーズレーベルの横浜レコードからリリースした(流通は★★レコード)。
 
この『雪の光』は発売の少し前からFM局などが掛けてくれて、その美しいメロディーと物悲しい歌詞が話題を呼ぶ。更にカップリング曲の『命の光』に関しては、聴いているだけで涙が出てきたという声が多数あがる。
 
それでインディーズであり、宣伝らしき宣伝もしていないのに、この曲は発売以来、取り扱っている全国のTABIYAおよびHNSレコードでどんどん売れ、またgSongsなどのダウンロードストアでも物凄い数のダウンロードがあった。それで、その週の売上ランキングで1位になってしまった。これに刺激されて、アルバムや、前のシングル2枚も売れるという波及効果も出た。
 

2月18日、雨宮三森が牧場に電話して来た。オーナーの奥さんが電話を取ったがちょうど牧場内に八雲がいたので電話を代わる。
 
「おはようございます、雨宮先生。お待たせしました。チェリーツイン付属大道具その2の桜木です」
 
「ああ。少女Yか。大道具その2というのはなかなか立場を分かっている」
「先生のご命名ですので」
「私、そんなこと言ったっけ?まあいいや。それでね。今度の日曜日にテレビの生番組にチェリーツインを出してもらうことになったから、全員で21日の朝までに東京に出てきて」
 
「あ、はい。ありがとうございます」
「出てきたついでに『雪の光』『命の光』ほか数曲のPVも撮影するから」
「わあ、凄い」
 
「それでね。今回、苫小牧から大洗までのフェリーを使って欲しいのよ」
「なんでフェリーなんですか?」
「その船上で、新しい曲を4曲作ること」
「え〜〜!?」
 
それでスキーに行っていた大宅・秋月を急いで呼び戻す。八雲がバタバタとフェリーのチケットの手配をする。
 
「春美さん。しずかちゃんはどうします?」
と八雲が桃川に訊く。
 
「しずか、私たち東京まで行くけど、お留守番してる?それともママと一緒に来る?」
と桃川は本人に訊く。
「ママと一緒がいい」
 
「じゃ連れていく」
「だったらそれで手配します」
 
「未就学児は無料ってことは?」
と陽子が訊くが
 
「これだけ身体が大きいと、おとなと一緒のベッドに寝るのはお互い辛いよ。だから料金払ってベッド1つ確保した方がいい」
と八雲は言った。
 
「ああ、確かに」
 

それで戻って来た大宅・秋月と一緒に19日の午後、車2台に分乗して苫小牧まで行く。これは約4時間の行程で22時頃に苫小牧に到着した。秋月と大宅が各々の車に付いて乗船する。他の6人は歩いて《さんふらわあ》に乗り込む。 
フェリーは夜中の1:30に出港する。しずかは苫小牧に到着する時には既に寝ていたのだが、乗船する時だけ起こして客室に入る。そして女性専用客室で桃川と隣のベッドで寝た。
 
翌20日朝は牧場の生活習慣から全員朝5時半に起きる。しずかもぐっすりと寝て元気である。初めての長距離フェリーの旅をおもしろがっているようで、桃川を連れてフェリーのあちこちを探検して回っていた。
 
「大宅さん、秋月さん、曲は出来てます?」
「今悩んでる」
 
雨宮先生からは船上で4曲書けと言われている。
 
「春美ちゃんも1曲くらい書いてよ」
「じゃ1曲考えておくね」
 

苫小牧には20日の19:45に到着した。長旅で疲れたので、一休みしようというので、目に付いたファミレスに入ったら、何だか若い女子(?)の集団がいる。その中に醍醐春海が居るのを見て、桃川はびっくりして手を振る。彼女も笑顔で手を振り返してきた。
 
彼女たちは女子バスケットチームの選手達ということで、大洗の隣のひたちなか市で大会があっているので来ているということだった。今日の試合で全国大会に行けることが確定したというので「おめでとうこざいます」と言った。 
結局近くの席に座って、お互いに交款する感じになる。桃川は選手たちの中に数人男子が混じっているのは何だろうと思ったのだが、その男子と思った人たちも実は女子選手であったと聞き、少し驚いた。ついでにこちらの八雲も男子と思われた。まあ八雲の場合は男の服を着ていて髪も短髪なので仕方ないという気もする。しかも堂々と男子トイレ使っているし!
 
「立っておしっこするのって便利だよ。みんなもちんちん付けてみない?」
などと本人はよく言っている。
「ちんちんってあると面倒そうだからいいや」
などと陽子は言っていた。
 
「時々思うけど、八雲ちゃんと陽子ちゃんって恋愛関係は無いんだよね?」
「貞操の危機を感じたことはある」
「ごめんごめん。あれは酔ってただけ」
「うーむ・・・」
 
ふたりは未成年なので、オーナーなどの居る所では絶対に飲酒はさせないのだが、八雲はけっこう隠れて飲んでいるようである。タバコはそれが原因で高校を退学になったので、二度と吸わないと言っているが、お酒はどうも味をしめている感じだ。
 

その日ファミレスでは、チェリーツインの活動のことや、醍醐たちのバスケチームの活動のことなどで、大いに話が盛り上がったのだが、その途中で近くを通りかかったお年寄りの女性がよろけてウェイトレスさんにぶつかり、持っていたコップの水がしずかと、それをとっさにかばってくれたバスケチームの長身の女性に掛かるという事件が起きる。
 
それで桃川は急いで車からしずかの着替えを取ってきて、トイレに行って着替えさせる。むろん女子トイレを使うのだが、桃川は自分もしずかも実は遺伝子的には男なんだよなあと思ったら、つい笑みが出てしまった。
 
トイレは中に個室が更に2つある形式だが、子供だしと思って個室には入らず洗面台の前で着替えさせた。万一他の客にしずかのおちんちんを見られても、子供なら咎められないだろう。
 
それでトイレから出て席に戻ったのだが、そこに桃川たちに続いてトイレに行った醍醐春海が出てきて
 
「桃川さん、洗面台の所にこれあったんだけど」
と言って、しずかの着替えを持ってくる。
 
「きゃー。ごめんなさい。気づかなかった」
と桃川。
 
「ああ、ハルちゃんは忘れ物が多いから」
と秋月が言っている。
 
「ハルちゃんは傘が壊れるってことがないらしいね」
「そうそう。壊れる前にどこかに忘れてくる」
 

そんなことを言っていた時、しずかの着替えを眺めていた醍醐がこんなことを言った。
 
「このタグに書いている名前ですけど、左書きと右書きがあるんですね」
 
「ん?」
 
横から覗き込んだ他のバスケ女子も「あ、ほんとだ」と言っている。
 
「この上着のタグには、右から『しずか』、シャツのタグには左から『しずか』と書いてある」
 
「あれ?ほんとだ」
と大宅も近寄って見て言う。
 
「ハルちゃんって、わりと適当だもんね」
と大宅。
 
などと言われるが、桃川はなぜ左右混在しているのだろうと疑問に思った。よく見てみると、今着替えたしずかの上着は、網走でしずかを保護した時に着ていた服で、シャツの方は新しく買ってあげた下着である。
 
その時、別のバスケ女子がこんなことを言う。
 
「この上着のタグはうっかり左から読んだら『しずか』じゃなくて『かずし』になっちゃうね」
 
「『かずし』じゃ男名前だから、そういう間違いは起きないよ」
 
それでみんな笑っていたのだが、その言葉に春美は激しい衝撃を受けた。 
かずし!?
 
それって、それって・・・・まさか、亜記宏と実音子さんの間の息子の和志ってことはない??
 
自分はあの3人の子供は見ていなかった。しかし亜記宏は私の写真を持っていただろう。だから、この子は私のことを知っていた。
 
え?でも和志なら、こないだおばあちゃんと美鈴さんが連れて牧場に来たじゃん。あれが和志なら、この子は一体誰?
 
桃川は頭の中で様々な思考が入り乱れる中、呆然とその場の様子を眺めていた。 

バスケガールたちと別れ、21時すぎにファミレスを出て車に戻る。
 
秋月の三菱チャレンジャーは、秋月と大宅が交代で運転して後部座席に気良姉妹を乗せる。山本オーナーのトヨタ・クラウン・マジェスタは八雲と桃川が交代で運転するが、八雲が運転する時は助手席が陽子で後部座席は桃川としずか、桃川が運転する時は、助手席が八雲で後部座席は陽子としずかである。これはレズっ気のある八雲が、何かの間違いでしずかに変なことをしないようにする用心である。実際八雲は可愛い女の子を見ると欲情を感じるなどとしばしば言っている。脳の出来がかなり男っぽい。
 
ファミレスを出た後は先に八雲が運転してくれたので、桃川は後部座席で、しずかを寝かせ付けてから、そのしずかの写真を美鈴にメールしてみた。 
《これ和志ちゃんじゃん!どこに居るの?》

 
《親とはぐれた『女の子』を1月に保護していたんです。これやはり和志ちゃんなの?でも、こないだ牧場に美鈴さんたちが連れてきた子が和志君かと思ってた。だって男の子だったし『かっちゃん』と呼んでましたよね?》

 
《美智ちゃん、もしかして、亜記宏の子供の顔知らなかったの?》

 
《亜記宏の結婚以来、向こうとは実質的に切れていたので。写真も見ていなかった。お母さんの葬式の時も亜記宏だけ来て、子供たちと実音子さんは来てなかったし》

 
《こないだ牧場に連れて行ったのは理香子だよ。あの子小さい頃自分の名前の『りかこ』というのがうまく言えなくて『かこ』と言ってたから、それで愛称も『かっちゃん』になっちゃったのよ。それであの子、ああいう男の子みたいな格好するのが好きで、札幌で小学校行ってた時も男の子とばかり遊んでいたらしいよ》

 
《こちらはあの子『しずか』と名乗ったんです。それで洋服に付いてるタグを見てもマジックで『しずか』と書いてあったし、だから男の子ではあっても、女の子名前を付けて女の子として育てているのだろうと思って。下着も女の子の下着を着けてたし。でも今日気づいたんですよ。私てっきりタグに書かれた名前を『しずか』と読むものと思っていたのだけど、私逆から読んでてあれは『かずし』と書いてあったんですね》

 
《ああ。逆読みか。しずかって本人がそう名乗ったの?》

 
《そうなのよ。本人が『しずか』と名乗っているし、タグにも『しずか』と書いてあるから、親公認で女の子の格好させて女の子名前で呼んでいたのかとばかり》

 
《亜記宏がこぼしてたよ。理香子と和志は男女逆だったら良かったのにって。和志は女の子みたいに優しい子で、友達も女の子ばかりだと言ってた。でも女の子の服を着せていたとまでは知らなかった》

 
《もしかしたら理香子ちゃんの下着を勝手に着ていたのかな》

 
《その可能性はあるね。でも理香子は男の子の下着を着たがるのよ。だからこちらでもブリーフ穿かせてる。でも学校に行く時はショーツを穿きなさいと言っている。本人もそれは我慢すると言った》

 
《こちらは親が女の子として育てていたのならと考えて、保育所にも女の子として行かせているし、4月からは小学校にも女の子として通わせるつもりでいた》

 
《私はそれでいいと思う。本人は自分は『しずか』だと言っているのね?》

《そうなのよ》

 
《実際、函館に来た時も和志ちゃん、女の子にしか見えなかった。その時は男の子の下着を着ていたけど。あ・・・もしかしたら、あの時に理香子に着せようとして私が買ってあげた女の子下着を和志が着て、和志用に買ってあげた男の子下着を理香子が取ったのかも》

 
《あり得るね。だから下着には名前が書かれていなかったのか》

 
《でも和志の行方が分かって良かった。後は織羽が見つかれば。正直な話大人が自分たちの不始末でヤクザとかに追われるのは自業自得だけどさ、子供は巻き込まないで欲しいよ。亜記宏たちがいなくなった後、子供3人とも置いていってくれたらよかったのに、とこちらみんなで言ってたんだよ》

 
《3人も置いて行くのは負担掛けて悪いと思ったのかもね。それで1人は私の所に置き去りにしたのかも。亜記宏は私に酷いこと言ってたから、私の前には顔出せなくて子供だけ置いて》

 
《そうかもね》

 
桃川は思った。網走でしずかを保護した時、たぶん近くに亜記宏と実音子がいて和志=しずかが私に保護されるまで見ていたのではないかと。
 
でもなんでしずかは私を『ママ』と呼ぶのだろう??
 

23時前に車は東京に到着する。予約していたホテルに入り、チェックインしてとにかく寝た。
 
21日朝、起きてから美智(春美)はしずかに訊いた。
 
「しずかさ、実は亜記宏と実音子さんの子供の和志でしょ?」
 
しずかはしばらく何も言わずにじっと美智を見つめていた。そして言った。 
「わたしはももかわしずか。ママはももかわみち」
 
美智は微笑んでしずかを抱きしめた。
 
「うん。いいよ。あんたはしずか。私の娘だよ」
と言うと
「えへへ。ママ。仲良くしようね」
「うん」
 

美智はこの日、初めてしずかにタックをしてあげた。今は保育所なので何とかなっているが、小学校に入ると、体育の着替えの時間などでどうしても下着姿をクラスメイトに曝すことになる。その時、ショーツにおちんちんのもりあがりがあるのはまずい。
 
「これやるとおしっこの飛ぶ方向が違うからトイレ気をつけて」
「やってみる」
 
と言ってしずかはトイレに入った。そして出てくると言った。
 
「これすごくいい!わたし、ほんとに女の子になったみたい」
「あんた女の子でしょ?」
「うん!」
 
としずかは嬉しそうに言った。
 
取り敢えずタックはこの東京に居る間だけとし、その後はまた少しずつお試しでやってみようということにした。
 
「でもママ、わたし、しゅじゅつしたら女の子になれるの?」
「うん。女の子になる手術はあるけど、こんな小さな子は手術してもらえないんだよ。しずかが高校を卒業したら、手術できるかもね」
「ふーん。だったら、わたしはやくこうこうそつぎょうしたいな」
「その前に小学生にならなくちゃね」
「えへへ」
 

「でもママのおまた、ほかの女の人とは、すこしちがうきがする」
「私もしずかみたいに元は男の子だったんだよ。でも女になりたかったから、ちんちんとタマタマは取っちゃった。でもまだ本当の女になる手術を受けてないんだよ」
「そのうち、ほんとうの女になるの?」
「うん。その内ね。しずかとどちらが先に女の子になるかな」
「ママがさきでいいよ。そのあとで、わたしが女の子になりたい」
「そうだね。そうしようか」
 
と美智は答えたものの、実際にはこの子はそのうち亜記宏に返さなければならないのではないか。亜記宏たちの元に行ったら男としての生活を強いられるのではと考え、可哀相な気がした。
 
しずかが本当の私の子供だったら良かったのに。
 
でも私は生殖能力を放棄しちゃったからなあ。
 
美智は高校1年の冬休みのことを思い出していた。お母さん(真枝先生)が色々調べてくれて旭川に割と年齢のごまかしの利く病院があると聞き、そこで去勢手術したこと。医者から「もう子供は作れなくなります。いいですか?」と念を押され、自分は同意して手術を受けた。念のためと言われて精液を取ったけど、もう長期間経っているし、既に廃棄されたであろう。
 

21日は7時頃、八雲が雨宮先生に電話するもつながらない。困って新島さんに連絡すると色々調べてくれたようで、この日の夜20時のテレビ番組に生出演することになっているから、リハーサルのため16時くらいにテレビ局に入って欲しいと言われた。それまでPVについて打ち合わせしたいので10時に青山のスタジオに来てくれということだった。
 
それで朝御飯を食べてから8人で出て行く。スタジオに入ったのは9時半頃である。ロビーで新島と落ち合う。
 
「ごめんなさいね。雨宮が私にも田船とかにも全然話してなかったみたいで。でもここのスタジオはチェリーツイン用に押さえてあったんですよ」
 
「よく調べてくださいましたね!」
「まあ使う所はだいたい決まっているから。でも雨宮はいったいどういう感じのPVを作るつもりだったのか」
と新島も悩んでいる。
 
9:45くらいになってから毛利がやってくる。
 
「やあ、みんなもう来てるね。これPVの企画書」
と言って、新島と大宅に1部ずつ渡す。
 
「あんたが関わってたんだ!」
と新島が驚いている。
 
「とりあえず2部だけキンコーズでコピーしたんだよ。少しみんなで検討してから確定させた上で、全員に配布すればいいかなと思って」
と毛利は言っている。
 
「これ毛利君が書いたの?」
と新島が訊く。
 
「物凄いラフなプランを雨宮先生からもらった。それを昨日1日掛けて具体的な台本に仕上げた。実は今朝4時頃まで調整続けてたんだけど」
 
「お疲れ様!」
 
「一応撮影に必要な大道具・小道具などは手配している」
「さんきゅ、さんきゅ」
 

10時になったので、係の人が案内に来たが、新島がいるのを見ると
 
「おはようございます、新島先生。鳳凰ですので」
とだけ言って鍵を新島に渡した。
 
「おお。いいスタジオを取ってある」
と言って新島がみんなを連れて6階まであがる。
 
「可愛い!」
と八雲と陽子が言った。気良姉妹も何だか笑顔である。
 
この部屋の壁に描かれている鳳凰の絵が物凄く可愛いのである。
 
「ここはこの絵が可愛いというので、女性アーティストには人気の部屋なんですよ」
と新島が説明する。
 
「ここ凄くいいスタジオみたい」
と言って大宅が設備を見ている。
 
「一般のアーティストが利用できるスタジオでは、最高級の部屋だから」
「へー!」
「7階以上は大物アーティストにしか貸さないんですよ」
「なるほどー」
 
「仮眠室も付いているから、泊まり込んで一週間とか掛けて作品を完成させる人もいますよ」
 
「それはあまりやりたくないなあ」
 
「そういえば、その女の子は?」
と新島が訊く。
 
「すみません。私の子供なんですけど、付いてくるというもので東京まで連れてきたんですよ」
と桃川が言う。
 
「ああ、いいですよ。それこそ仮眠室でビデオとか見せててもいいだろうし」
 
ところが毛利がその子を見ていて言い出した。
 
「この子もビデオに出そうか?」
「え?」
 
「いや、なんかこの子って天使みたいな感じがしない?」
と毛利。
「ああ。凄く優しい顔してるよね」
と新島。
 
「すみません。事情があって、この子、あまり顔をさらしたくないのですが」
と桃川が言う。
 
「あ、だったら、この子にもマスクでもつけてもらって、少女Zということにするのはどう?」
 
「ほほぉ!」
 
結局その場の話し合いで、しずかには天使のような背中に羽のついた衣装を着せ、顔は猫のお面で隠して映像の中に入れることになった。
 
「雪の降る中、光が射してきて、そこに天使が現れるんだよ」
と毛利は説明した。
 
「命を与える天使って感じだね」
と新島は言った。
 
ああ、しずかってそういう子かも、と桃川は思った。
 

2月21日、千里たちは関東クラブ選手権の2日目に入る。この日は準決勝と決勝が行われる(他に5−8位の順位戦も行われる)。
 
準決勝の相手は茨城1位のサンロード・スタンダーズである。ここは昨年の関東クラブ選手戦で準優勝している所である。
 
浩子/千里/国香/麻依子/誠美というオーダーで始める。
 
向こうはこちらをある程度研究していたふしがあった。しかし千里や誠美の破壊力は少々研究したくらいで停められるものではない。結局一方的な展開となって、第1ピリオドを12-21で終える。
 
ここで相手は方針を変えてきた。
 
千里や誠美の攻撃は停めようとしても無駄と割り切り、取られても取り返すという方針で来たのである。リバウンドを全部誠美に取られてしまうので、確実性を狙い、できるだけ近くからシュートするようになる。
 
それで結果的にここから先は点の取り合いとなって、どんどん電光掲示板の点数が増えて行く。しかし点の取り合いなら、千里も麻依子も大好きな戦い方である。そして千里の得点は3点なので、どうしてもこの差が出てくる。
 
最終的には86-102で勝利した。
 

もうひとつの準決勝は群馬1位のプレアデス・スターズと、東京の江戸娘の対決で、接戦の末、江戸娘が3点差で勝利した。
 
男子の準決勝を経て、女子の決勝が行われる。
 
相手の江戸娘とは、シェルカップと関東選抜で対決しており、いづれもローキューツが勝ってはいるものの、それだけに向こうはこちらを充分研究しているだろう。有力大学、有力高校の出身者が多いし、実業団などにいたメンバーも数人いる。
 
江戸娘は秋葉さんが千里のマーカーになったが、彼女は千里を「完全封鎖」はしなくてもよいという戦略で来た。千里の動きを制限して完全フリーにさえしなければよいという考え方である。千里にピタリと秋葉さんが付いていれば、浩子もこちらにパスしにくい。必然的に麻依子や国香、来夢や薫を使ったプレイになりがちである。秋葉さんの狙いはそこにあった。
 
そして江戸娘は全てのシュートをかなり近い所から撃った。これはリバウンド争いになれば誠美に全部取られてしまうので、確実に得点しようという戦略である。
 
これって日本代表が外国チームと対戦する時の戦い方に似てるじゃんと千里はプレイしていて思ったが、まさに江戸娘はそういう戦い方で、個人的な技能の高い選手のいるローキューツに対抗してきたのである。
 

この結果試合はハイスコア気味で、しかもシーソーゲームとなった。前半を終えて43-45と2点差である。
 
「向こうの術中にハマってるなあ」
「しかし現時点ではこちらには対抗策が無いよ」
「取り敢えず競っているから、ひとつひとつの攻撃を確実に」
「結局向こうの戦い方をこちらにも強制されてしまうんだな」
「仕方ない。ここは耐えて頑張るしかない」
 
後半は浩子が消耗していることもあり、最初夢香をポイントガードに起用して夢香/千里/来夢/薫/誠美 というラインナップで出て行く。この試合では誠美はもう下げられない。誠美がいなければ、一気に試合は向こうに傾いてしまうだろう。
 
第3ピリオドもずっと接戦が続く。千里もかなり細かく走り回って一瞬フリーになる時はあるのだが、その瞬間に千里に到達するようなパスを出せる人がいないので、結果的にパスカットされてしまう。秋葉さんのスタミナは物凄かった。
 
結局第3ピリオド終わって66-68と点差は2点のままである。
 

第4ピリオドになっても、秋葉さんのスタミナは衰えない。この人、スタミナだけなら、日本代表レベルだぞと思う。
 
そのまま試合はもつれ、終盤こちらが6点差にしたものの、向こうも確実に2点取って4点差に戻した所で、疲れの溜まっている薫から神田リリムが絶妙のスティールを決めそのまま得点に結びつけて2点差に迫る。そしてその次のこちらの攻撃で国香のシュートが外れ、そこからの逆襲速攻で上野万智子がブザービーターとなるスリーを放り込み、土壇場で逆転。
 
向こうが91-90で勝利をおさめた。
 
スティールされた薫、シュートを外した国香が
「ごめーん」
と謝っていたが、
「いや、それまでにもっと点差を付けられなかったから」
と千里は言った。
 
「今回は完璧に向こうの作戦がち」
と麻依子も悔しそうに言った。
 
しかし試合後秋葉さんはベンチに戻ると、そのまま倒れ、チームメイトに介抱されていた。千里を封じるために全力を出し切ったのである。
 

そういう訳で関東選手権で、ローキューツは準優勝に終わった。
 
むろんこの大会は6位以上が全国に行けるので、優勝した江戸娘も2位のローキューツも来月の全日本クラブ選手権に出場する。
 
試合後ロビーで入り乱れた江戸娘のメンバーと千里たちは「来月また福島で闘りましょう」と言って別れた。
 
関東1位と2位は別の山になるので、当たるとすれば決勝戦(または3位決定戦)である。
 

「しかしこれ対抗策を考えないといけないなあ」
と帰りの車の中で麻依子が言った。
 
千里の運転するインプレッサには、麻依子・国香・浩子の3人が乗っている。 
「ごめーん。サンは結構秋葉さんを振り切って一瞬フリーになったり、バックステップで一瞬相手との距離を空けたりしていたけど、そこに私が正確にパス出せなかった。私の力不足」
と浩子が言う。
 
「それを分かったロコは、充分な力があると思うな」
と国香が言う。
 
「うん。ユメ(夢香)やカカ(夏美)では、そのあたりも分からなかったと思う」
と麻依子。
 
「そういう所にパス出せるのは、私かマイ(麻依子)かパフ(薫)かエス(来夢)だよね」
と国香。
 
「結局その4人の中の誰かがバックアップポイントガードを務めるしかないと思う。サンにしつこいマーカーが付いた場合は、それで打破する」
と麻依子が言う。
 
「パフは無理だと思う、ここだけの話」
と国香が言う。
 
「うん。あの子は司令塔にはなれない。性格が自己中心的だし、すぐ人のせいにしがちな面がある。茜とかが怖がってた」
と麻依子。
 
「ごめーん。そういう子を引き込んで」
と千里が謝るが
 
「いや、強いから充分使い道はある。フォワードには自己中心的な子は多いよ」
と国香が言う。
 
「うんうん。誰が他人にパス出すもんか。自分が得点しちゃるってくらいの子のほうがフォワード向き。それに何とかとハサミは使いようって言うでしょ」
と麻依子。
 
「それは言えてるかも」
と浩子が言う。
 
「それに元男子だけあって背が高いしね」
 
「でもそもそもパフは来月の全日本クラブ選手権には出られない」
と千里は指摘する。
 
「そうだった!」
「だったら除外でいいね」
 
「エス(来夢)は長年フォワードでやってきてるから、そのあたりの発想を切り替えるのは難しいと思う。わりと誰かがパスを出してくれるのを待っている感がある。それにどっちみち彼女は3月までで、4月からWリーグに復帰する。あまり無理は言えないと思う」
と麻依子。
 
「ということは私かマイかどちらかがやるしかないね」
 
千里はこの2人がそういう大局的な話ができるのは、ふたりともキャプテン経験者からかもと思った。ふたりとも本来の性格としては貪欲なポイントゲッターである。しかしキャプテンを経験したことで他の子に配慮する習慣が付いた。 
「じゃんけんしようか?」
「よし」
 
それで麻依子と国香がじゃんけんする。
 
「勝った」
と国香。
 
「負けた〜」
と麻依子。
 
「じゃ私がポイントガードやる」
と国香は言った。
 
「じゃんけんに勝った方がやるんだ?」
と千里。
「まあ勝った人が決めればいいね」
と麻依子。
 
たぶん国香は最初から自分がやるしかないと思っていたのだろう。
 
「さあて、明日から練習頑張るか。ロコ付き合ってよ」
「はい!」
「頑張りすぎて足を悪化させないようにね」
「大丈夫と思うけどなあ」
「あまり急激な反転とかしないように。骨に無茶苦茶負担かかるから」
「それはもうしばらく自制することにする」
 

2月22日。
 
千里は新島さんから「確か今日はバイト無かったよね?」と言われて青山のスタジオに呼び出された。
 
チェリーツインのPV制作を手伝ってくれと言われたのである。
 
「雨宮先生が企画したんですか?それで雨宮先生は?」
「行方不明」
「ああ」
 
「電話は切っているのか圏外に居るのか通じないし」
「いつものことですね」
 

夫婦はもう行き倒れになりそうなのを励まし合って、雪原の中を歩き続けていた。少し先に小屋のようなものを見る。おそるおそる近づいて行くと、今にも崩れそうな小屋だ。廃屋っぽい。しかしその外側に大根が束ねて置いてあるのを見た。
 
夫婦はふらふらとそばによると、夫がその大根を1本取り、半分に割って辛い先端の方を自分が取り、比較的甘い、葉っぱの付いている方を妻に渡した。ふたりとも夢中になって、その大根をかじっていた。
 
突然小屋の戸が開くのでふたりはびっくりする。
 
性別のよく分からない長い白髪の老人とその娘だろうか、30代くらいの女性が出てきた。老人が、ふたりを見て言った。
 
「大根、生のままより煮た方がうまいぞ。中に入って、煮た奴を食わない?」
 
夫婦は大きく頷いた。
 

3月6日、バスケ協会から「U24」というカテゴリーを創設するという発表があった。
 
現時点で活動しているアンダーエイジカテゴリーは 2009/U16 Asia-2010/U17 Worldに参加するU17カテゴリ、2010/U18 Asia-2011/U19 Worldに参加するU18カテゴリ、2010/U20 Asia-2011/U21 Worldに参加する千里たちのU20カテゴリ、そして2011Universiadeに参加するU24(大学生・修士)カテゴリがあったのだが、新たに設置するU24は年代的にはユニバーシアード・チームと重なるが、大学に入っていない選手を対象とするものである。次世代のフル代表を育てるための強化活動で、取り敢えず今年7月26-30日に台湾で行われるWilliam Jones Cupに参加することになる。
 
このメンバーにエレクトロウィッカの花園亜津子、ローキューツの森下誠美、などが選ばれていた。
 
「突然言われてびっくりしたー!」
と誠美は言っていた。
 
「合宿やるんだっけ?」
「第一次合宿を3月10-14日で、その後、オーストラリア遠征を15-25日」
「ちょっと待って。だったら全日本クラブ選手権は?」
「ごめーん。無理」
 
基本的にバスケ協会に所属する選手は、自分のチームの活動より、日本代表の活動を優先しなければならないことになっている。もっとも協会が弱腰なのでごねて選手を出さないチームはよくあるが、さすがにローキューツのような立場で文句は言えない。
 
「誠美が居ないのは凄く辛い」
と麻依子がマジで言う。
 
「うん。でも仕方ないよ。オーストラリアから飛んできて試合に出てとは言えないもん」
と千里は言った。
 
「参った。薫が使えないのは仕方ないにしても、誠美まで出られないとは」
「まあ、何とか他のメンバーで頑張るしかないね」
 

U24に続けてユニバーシアード・チームの代表候補も発表されたが、U24が2つできることになるので、ユニバーシアードの方はU24(Universiade)のように呼ばれることになったようである。こちらには日吉紀美鹿(愛知J学園大学)などが選ばれていた。
 
「千里は入ってないの?ユニバーシアードに出る資格あるでしょ?大学生なんだから」
「私はU20で呼ばれるはずだから」
「あ、そうか!だからU24(Univ)の方は21歳以上で構成するのか」
 

3月12日(金)。
 
貴司が夕方の新幹線を使って東京に出てきた。都内のレストランで一緒に夕食を取る。
 
「これ誕生日のプレゼントと、こちらはホワイトデーね」
と言って貴司は小さい包みと大きな包みを渡す。
 
「じゃ大きなツヅラから開けよう」
と言って千里はホワイトデーのプレゼントを開ける。ゴンチャロフの包み紙なので中身は想像は付いたのだが、こういうのは嬉しい。
 
「わあ、美味しそう」
「いや、東京でも売ってそうなもので申し訳ないんだけど」
 
「ううん。ゴンチャロフ大好きだよ」
と言って素早くキスする。
 
「さて小さなツヅラ」
と言って誕生日プレゼントの方を開ける。こちらも包み紙でだいたいの想像は付くのだが、開けて見ると、エスティローダーの限定セットである。
 
「わあ、これ高かったでしょ?」
「いやそれほどでも」
「ありがとうね」
と言って千里は再度すばやくキスをした。
 

その日は千葉のアパートで一緒に過ごした後、翌13日午前10:40のエアドゥ便で旭川に飛んだ。12:15に旭川空港に到着。旭川駅まで一緒に出て駅の近くでお昼を一緒に食べた後、貴司を商店街に置いて市内のファミレスに行った。 
今回旭川に来たのは、明日3月14日(日)に、千里の叔母・美輪子が長年の恋人・浅谷賢二と旭川市内で結婚式を挙げるので、それに出席するためであった。 
ふたりは2004年頃から交際を始めたものの「結婚しそこなって」長い交際期間となっていたのを昨年6月から同棲開始していた。その時、1年程度以内に籍を入れようと言っていたのだが、仕事の都合などで最も休みやすい時期を狙ってこの日の挙式となった。婚姻届は実は1月17日(友引)に出しており、美輪子は「浅谷美輪子」のパスポートを2月頭に取得して、新婚旅行に備えている。新婚旅行はザルツブルグ・ウィーンという「モーツァルト探訪」らしい。 
千里はこの結婚祝賀会の発起人のひとりになっていた。それで13日午後からその会合があるので、集合場所のファミレスに行ったのである。
 
この日出席したのは、美輪子と浅谷さんが所属している市民オーケストラのメンバーが大半である。女性の菱川・布浦・山坂、男性の田上・川野・尾崎といった面々、これに親族側から賢二さんのお姉さんの秀美さんと、美輪子の姪(千里の従姉)の愛子である。
 
「千里は、親族でもありオーケストラの団員でもあるので、色々使い手がある」
などと菱川さんが言っていた。
 
「私1年前に退団しましたけど」
「君は永久会員になっているから」
「うちの楽団に退団という制度は無かったはず」
「なんか物凄くダークな集団っぽい!」
 

「でも千里ちゃんと愛子ちゃんって、マジでそっくりだね」
と山坂さんが感心したように言う。
 
「ええ。だからちょっと悪いことしようという魂胆なんですよ」
と愛子。
「おお、それは楽しみにしておこう」
 
その日の打ち合わせでは、祝賀会の進行の再確認、必要な楽器など小道具関係の再確認、映写するスライドのチェックなどをした。スライドをまとめてくれたのは川野さんらしいが、女性の視点で不適切な写真を数枚カットしてもらうことにした。
 
「面倒掛けて悪いね」
「いやAdobe Premiereの練習でしたようなものだし」
「このスライドショーのBGMはもしかして昨年作ったCDの曲?」
「そうそう。それをそのまま使うのが楽」
「ベートーヴェンは著作権切れてるし」
「これ売られているCDの曲とか使おうとすると使用料が掛かるから」
「僕らが自分たちで使う分には問題無い」
 

「最後の方で千里、フルート吹いてもらうけど、楽器持って来てるよね?」
「ええ。最近これ買ったんですよ。やっとインラインの感覚に慣れてきた」
と言って千里が見せるのは三響フルート製作所の総銀フルートArtist(New-E)である。
 
「これは高い楽器だ」
と布浦さんが言う。
 
千里はこのフルートを48万円で買っている。
 
「布浦さんから頂いた白銅フルートもありますよ」
とそちらも出してみせる。
 
こちらは定価65000円のところを布浦さんが44800円で買い、その後千里に譲ったものである。カバードキーなのでリングキーのように指の押さえ方で微妙な音程を出したりすることができない(逆にいうと多少適当に押さえても正しい音程を出してくれる)。しかしそれ以上に材質の差の問題がある。
 
「音の出方が違うでしょ?」
「全然違います。でも最初、銀の管体から音がちゃんと出るようになるまで時間がかかりました。指の使い方以上にそちらが辛かった」
「うん。すぐ吹きこなせるものではない」
 

千里は祝賀会の受付と余興のエレクトーン演奏を担当することになった。千里が美輪子の多くの友人と顔見知りでもあり、また美輪子の親族でもあるので、来客を多数識別できることから頼むと言われた。
 
そういう訳で千里がホテルに戻ったのはもう夕方の18時すぎである。部屋に戻ると、貴司は疲れたのか眠っていたので、千里はシャワーを浴びた上で軽くキスしてその横に潜り込んで眠った。
 

「千里、いつ帰ったの?」
という貴司の声で目を覚まし、時計を見ると21時であった。
 
「夕方7時頃だったかな」
「ごめーん。すっかり眠ってた。晩ご飯食べた?」
「まだ」
「じゃ一緒に食べに行こう」
「うん」
 
それで結局ホテルを出て、青葉に入り、久しぶりの“旭川らぅめん”を味わい、ホテルに戻ってから愛の確認をして寝た。
 
 
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