【女の子たちのウィンターカップ・最後の日】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-08-23
札幌P高校の応援席が物凄い騒ぎだ。
万歳をしている者がいる。「やった!」と叫んでいる者がいる。クラッカーを撃つ者もある。紙テープが舞う。花束や人形まで投げ込まれている。渡辺の名前を呼ぶ人もいる。
しかし、そのタップでボールを放り込んだ当人・渡辺は渋い顔をして大きく息をついていた。絵津子もハアハアと大きく息をしている。千里と佐藤も激しく息をして見つめ合っていた。
そして審判は胸の前で両手を交差してゴールが無効であることを示している。
観客が騒いでいるので、主審がマイクを持って説明する。
「白の15番(佐藤玲央美)のシュートは時間内に行われたので有効ですが、そのボールはリングに当たって大きく逸れて跳ね上がり、シュートは失敗しています。その後、白の12番(渡辺純子)がタップしましたが、これはもう終了のブザーが鳴った後でしたので、シュートは無効、よって得点は入りません。同点でダブル・オーバータイム、再度延長戦になります」
渡辺と絵津子、佐藤と千里はお互い相手の背中をトントンと叩いてベンチに引き上げた。
P高校の応援席は「え〜!?」という声、対してN高校の応援席はお葬式のような雰囲気だったのが一転してお祭り騒ぎである。
結局第5ピリオドの点数は15-15で、ここまでの合計は110-110である。
コート上に大量に紙テープや花束などが投げ込まれてしまったので、清掃するのにかなり時間を要してしまった。その後でやっとモップ係の子たちが走り回って床面をきれいにする。結果的に第6ピリオドが開始されるまで、5分以上のインターバルが開いてしまった。
「さっきのピリオドの後半の千里の動きどう思う?」
と百合絵が彰恵に訊く。
「あれは右と思わせて左、左と思わせて右という方法」
と彰恵は言う。
「ほほお」
「いわば男の娘戦略」
「何それ?」
「男と思わせて女、女と思わせて男」
「うーん。ある意味千里らしい戦略だな」
若葉がウィンターカップを見ようと電車で千駄ヶ谷駅まで行き、東京体育館の方に歩いて行っていたら、
「山吹さん?」
と声を掛ける男子が居る。
「あ、野村君、お久〜」
と若葉は笑顔で挨拶した。男嫌いの若葉がこんな笑顔で接することができる男子というのは数少ない。
「ウィンターカップ見に来たの?」
「野村君も?」
「うん。今日の準決勝に従弟が出るんだよ。それで見てこようかと思って」
「イトコって男の子?女の子?」
「多分男だと思うなあ。男子チームに入っているから」
「へー」
などと会話しながら歩いて行き、入口で入場券を買おうとしていたら、窓口の後ろの方で何か打ち合わせていた風の背広姿の男性が驚いたようにしてこちらを見る。
「山吹さん、こんにちは」
と彼は若葉に声を掛けてきた。
「門前さん、こんにちは」
と若葉も挨拶を交わす。
「ウィンターカップ見に来たんですか?」
「はい」
「じゃ招待券を発行しますよ。そちらはお友達?」
「あ、はい。中学の時の部活仲間なんですが」
「山吹さん、バスケしてましたっけ?」
「いえ、陸上部兼テニス部だったんですけどね」
「へー。じゃアリーナ席2枚、出させますね」
と言って窓口の係の人に指示している。それで、若葉は野村君ともどもタダで入場することができた。
「知り合いの人?」
と野村君が訊く。
「うちの伯母ちゃんの会社の取引先の人だよ。スポーツ用品関係の会社の専務さんなんだけど、接待で何度か会ったことあったんだよね」
「へー!」
「あそこ、この大会の協賛か何かしてたのかな」
などと言いながら、ふたりはアリーナ席に座った。
「あれ?まだ女子の試合やってるんだ? って女子だよね?これ」
「うん。凄い髪の長い子がいるから、きっと女子だと思う」
「あの濃紺のユニフォームの17番の子、凄い長い髪だね。珍しいね、あんなに長い子」
「でも同じチームの7番付けてる子は凄い短髪だね」
「あの子はむしろ男子に見える」
「男女混合って訳じゃないよね?」
野村君がもらったプログラムの選手名簿を見ている。
「あの濃紺のは旭川N高校だと思う。7番の選手は湧見絵津子って書いてあるから、たぶん女子だよ。17番の子は村山千里って書いてあるけど、千里って名前は男女あり得るなあ」
「もし男に見える方が女で、女に見える方が男だったら面白いね」
「まあでも両方女なんだろうけどね」
第6ピリオドに出てきたメンツはこうであった。
N高校 不二子/千里/ソフィア/揚羽/留実子
P高校 北見/横川/小平/宮野/佐藤
どちらも大きく選手を入れ替えているが、千里と佐藤はそのまま出ている。この2人はどちらもスタミナがハンパではない。
マッチングは自然に、北見−不二子、横川−ソフィア、小平−揚羽、宮野−留実子、そして佐藤−千里となる。
N高校のスローインから始まる。不二子がドリブルしながら戦況を見ている。佐藤が千里に話しかけてくる。
「見損なった」
「なんで〜?」
「千里、頑張っているふりだけしてる」
「だって普段通りにやったら玲央美、私を全部停めちゃうじゃん」
「じゃ、私はどちらに行くか宣言してから抜くからね」
「んー。じゃそれを私は停めてみせる」
「よし」
不二子から千里にボールが来る。佐藤と一瞬の対峙。心理戦。一瞬のシュートフェイクから右を抜くかのように1歩踏み込み、次の瞬間、その右足で踏み切ってフェイドアウェイ気味にシュートを放つ。しかし佐藤は思いっきりジャンプしていた。
佐藤の指がわずかにボールに掛かって軌道が変わる。
しかしボールはダイレクトにゴールに飛び込んだ。
「3ポイントゴール、旭川N高校・村山千里」
のアナウンス。点数は0-3.
佐藤が考えるようなポーズをしていた。
「今の、もしかして玲央美が指で当ててなかったら外れてた?」
と百合絵が訊く。
「そうそう。玲央美が指で当てるだろうというのを見越して、わざとゴールより向こうに落ちるようなシュートを撃ってる」
と彰恵。
「なんかあの2人、キツネとタヌキの化かし合いしてない?」
「まあバスケットってそういうもんだよ」
P高校が攻め上がってくる。
北見から佐藤にパスが来る。千里とマッチアップ。すると佐藤は最初に右手でまっすぐ指さした。そのあと左に身体を揺らすが千里は身体は動かさない。そして小さいシュートフェイクを入れた上で、再度左に行くかのような動きをした上で実際に右(千里の左)に突っ込んできた。
千里は身体を少し「右に」寄せた(つまり佐藤が来たのと逆の方向)。
え?と佐藤が驚いたような表情をする。
しかし千里はそこから左手を伸ばして佐藤のドリブルしているボールをポーンと横にはじいた。
いわゆるバックファイヤーに近いプレイだが、実は雪子の得意技でもある。雪子にしても千里にしても動体視力がハンパ無いので相手プレイヤーと接触を起こさずにきれいにボールだけ弾くことができる。
転がったボールを不二子が確保する。ドリブルで走り出すが、千里が先行するので千里にパスする。佐藤・北見が必死で戻る。他のメンバーも戻る。不二子から千里にパスする。
千里がシュート体勢に入る。しかし佐藤が彼女の軽いフットワークでそばまで寄ってくる。千里がシュートを撃つのとほぼ同時に佐藤がそのボールを横に弾いた。
弾かれたボールは北見の方に飛んで行ったのだが、その途中を不二子がカットしてしまう。まだ佐藤・北見の他は誰も戻ってきていない。
不二子はそのままレイアップシュートに行き、きれいに決める。
「2ポイントゴール、旭川N高校・黒木不二子」
のアナウンス。点数は0-5.
佐藤は腕を組んで考えるようにして千里を見ていた。
再びP高校の攻撃。北見は立て続けに佐藤が千里に負けたので横川にパスし、横川はスリーを撃ったものの外れる。しかし宮野が中に飛び込んで行ってリバウンドを押さえ、自らシュートを入れた。これで2-5.
N高校の攻撃。
不二子が千里にパスをする。佐藤とマッチアップ。
「じゃ、レオちゃん、シュートするよ」
と千里は言った。佐藤が目をぱちくりさせている。
そしてシュートフェイク、右へ行くフェイクを入れた後で左に突進する。その時佐藤は千里の右手の方に手を伸ばして止めようとし、きれいに抜かれてしまった。「あっ」と声を出す佐藤。しかし次の瞬間、佐藤は千里の前に回り込むように半円形にバックステップする。
このバックステップを見慣れていないと「抜いたはずなのに、また前に居る」という分身の術に見えるのである。
ところが千里は佐藤がバックステップを始めたのとほぼ同時に左側を抜こうとしていた足を1歩でバシッと止めて、千里もバックステップする。
結果的に2人の間は2m近く空いてしまった。佐藤が「うっ」と声を挙げる。
しかし次の瞬間には千里はもうスリーを撃っていた。
2-8.
千里のゴールを告げるアナウンスが流れる中、佐藤は言った。
「今のは千里を疑って申し訳無かった。ちゃんとシュートしたんだね?」
「したよ」
「よし。私も次もちゃんと行くから」
「はいはい」
その後、佐藤は毎回抜く側、あるいはシュートするというのを千里に宣言してから実際にそちらを抜こうとしたり、あるいはシュートしようとした。また千里も、佐藤が恐らく読み取れるであろう心理的な「気配の向き」をわざわざ示唆した上で、そちらから抜いたりあるいはシュートを試みた。
このピリオドではその勝負は千里7:佐藤3くらいの比率で千里が勝った。そちらから来ると分かっていても、お互い複雑なフェイントを入れてから実行するので、タイミングを合わせきれないのである。加えてこのピリオドでは佐藤も本当に千里が予告通り来るのか、それとも「嘘をつく」のか若干の疑惑を感じていて、それが結果的に対応の遅れになっていた。
「ねぇ、あの2人、何やってんのさ?」
と呆れたように百合絵が言う。
「どちらも余裕あるな」
と彰恵も呆れたように言った。
もっとも2人がこんな大事な試合で「力比べ」的なことをしているのに気づいたのは、この2人の他には、同じく観戦している東京T高校の竹宮・山岸、愛媛Q女子高の鞠原、福岡C学園の橋田、など会場全体で10人にも満たなかった。
「でも千里が優勢じゃん。あれだけいつも玲央美に負けてたのに」
「千里はなまじ勘が鋭いから、それに頼っている部分が大きかった。玲央美もそういう千里のプレイに慣れてた。でも今千里は勘に頼らずに玲央美の身体の動きだけに注目して身体を動かしてる。それで今の所は玲央美を停めているんだよ。でもあれ長くは持たない。身体的な能力だけなら玲央美の方がずっと上だから、5−6分もすれば玲央美が勝つようになる」
と彰恵は言う。
「でも5−6分経った時には試合が終わっているのでは?」
「このピリオドで決着が付けばね」
「うむむ」
点数としては佐藤・千里の対決で千里がリードしていたものの、横川−ソフィアのところは横川が経験の差で競り勝ち、宮野−留実子の所はリバウンドでは留実子が圧倒的ではあってもマッチングでは宮野が圧倒的で、北見も佐藤の所が不利な分、宮野を使って得点していく。
それでこのピリオド3分経過した所で8-10とN高校が2点リードの状態であった。ここでP高校はちょうどボールがアウトオブバウンズになってゲームが停まったタイミングで小平に代えて渡辺を送り込む。N高校も留実子に代えて絵津子を投入する。
マッチングの組合せが変化して
北見−不二子、横川−ソフィア、渡辺−絵津子、宮野−揚羽、佐藤−千里
となる。
ここで入って来たばかりの渡辺がパスカットをし、北見につないだ速攻で2点をあげて同点に追いつく
その後しばらく両軍とも点数が入らない状態が続く。
残り40秒でN高校が攻め上がる。不二子が千里にパスを送る。千里は左側を抜くことを示唆した上で、佐藤との複雑な心理戦の末、本当に左側を抜いて、千里が佐藤の裏側に回ることに成功する。しかし佐藤はバックステップで千里の前に出ようとする。
そこに絵津子が駆け寄る。絵津子をスクリーンにして千里がエンドライン方向にドリブルで進む。そこに宮野がヘルプに来る。しかし千里は宮野との一瞬の心理戦を制し、タイミングを外してシュートを撃つ。
ところがいつの間にか千里の前方に回り込んできていた佐藤が、真横から飛んで千里のシュートを叩き落とした。
ボールが転がる。しかしそこにソフィアが走り込んできて、ボールを掴むと自らシュートに行った。
10-12.
残り26秒。
ここでP高校は北見に代えて伊香を送り込む。ここでP高校はスリーを撃てる選手が、伊香・横川・佐藤と3人も入る状態になった。
P高校が宮野のドリブルで攻め上がってくる。このピリオド最後の時間のゲームメイクはポイントガードができる人がいないのでキャプテンの宮野が担当した。状況を見る。千里と佐藤の所は対峙しながら又何か話しをしてる!?何なんだあのふたり?伊香と不二子の所は、いかにも突破しやすそうに見えるが、不二子は不確定要素が大きいので怖い。渡辺と絵津子の所はマジで激しい位置取り争いをしている。横川とソフィアの所がいちばんマシに見える。
それで横川の所にパスする。
ところがそれをソフィアが素早く反応してカットする。ボールが転がる。
そこに最初に走り寄ったのは反対側のサイドに居た、千里と佐藤であった。一瞬千里が先にボールを掴むものの、佐藤が強引に奪い取る。しかし体勢を建て直してシュートしようとしていたら、走り込んできた絵津子がボールを下から弾き飛ばした。
再びボールが転がる。
千里・ソフィア・渡辺・横川がほとんど同時に飛び付く。4人全員がボールを掴んだまま、誰も譲らない。
笛。
ヘルドボールである。
一瞬全員がポゼッションアローの方向を確認した。
ポゼッションアローは現在P高校を示していた。それでP高校のボールとなる。
この試合、最初はN高校がティップオフに勝った。しかし揚羽のシュートがリングに挟まる事態が起きて、P高校のスローインで再開された。その後、ボールの所有権が不明確になる事態は起きず、2PはN高校・3PはP高校・4PはN高校・5PはP高校がスローインの権利を得て、この第6ピリオドはN高校のスローインで開始されている。その状態で「ジャンプボール・シチュエイション」が起きると、オルタネイティング・ポゼッション・ルールに従って、P高校がスローインの権利を得るのである。
渡辺や宮野がホッとするような表情をしている。
この時、もしポゼッション・アローがN高校を示していたら、この瞬間P高校は敗北していた。
残り時間は7秒。
横川がスローインをする。
宮野から伊香にパスが行く。伊香が不二子を振り切ってシュート体勢に入る。ぎりぎりスリーポイント・ラインの外側である。これが入れば逆転で、勝利は濃厚となる。
ところがそれを回り込んで阻止しようとした不二子が伊香の目の前で派手に滑って転んでしまった。
ビクッとして伊香の手元が狂う。
それで伊香のシュートはゴールには届かず手前に落ちてしまう。
あやうくアウトオブバウンズになりそうなのを、渡辺が飛び付き、自分の身体と入れ替えるようにして駆け込んできた宮野にパス。宮野がシュートするも揚羽のブロックが決まる。こぼれ球に佐藤と千里が駆け寄るが、一瞬速く佐藤がボールを取り、そのままシュート。
直後にブザーが鳴る。
審判はシュート成功のジェスチャー。
「2ポイントゴール、札幌P高校・佐藤玲央美」
という場内アナウンス。
「同点に付き、再々延長、トリプル・オーバータイムになります」
とアナウンスは続けた。
第6ピリオドの得点は12-12.合計では122-122である。
「不二子ちゃん、大丈夫?」
とベンチに引き上げてきた不二子に心配そうに南野コーチが声を掛ける。
「あ、平気です。身体だけは丈夫なんで。でもすみません。大事な所で転んでしまって」
と不二子。
「いや、あれはファインプレイだった気がする」
と暢子は言っている。
「暢子ちゃんはもう大丈夫?」
「もう全然痛みは無いです。次のピリオド行きます」
「よし」
F女子高のメンバーが居る付近。
「延長戦って何回までやるんでしたっけ?」
と晴鹿が訊いている。
「決着がつくまで」
と彰恵。
「10回でも20回でも」
と百合絵。
「確かNBAでセックストゥプル・オーバータイムまでしたことあるはず」
と彰恵が言うと
「セックス?」
と志麻子が声を出す。
「ラテン語で6のことだよ」
と隣で美稔子が言う。
「私、中学の時、友だちから英語で『6匹の動物』って廊下で叫んでごらんと言われたことある」
「叫んだの?」
「叫んだら、男子が凄く変な顔して見てた」
「まあ男避けにはなるかな」
「どっちみち女子高では恋愛機会は無いし」
「私、女子高ってレスビアンとかあるのかなって入学する前思ってたけど、その手の話って聞きませんね」
「やってる子もいるのかも知れないけど、私たちはバスケ一筋だしなあ」
などと言っていたら
「絵津子ちゃん、女の子たちからラブレター随分もらってましたよ」
と美稔子が言う。
「ああ。確かに漢らしい子だからなあ」
「そもそも最初、女装男子かと随分思われたみたいだったしね」
「でも去年のインターハイ準決勝でN高校はJ学園とトリプル・オーバータイムまでしましたね」
「今年のインターハイでもうちと準々決勝で延長戦やったしね」
と言って彰恵は唇をかみしめる。
あれは終了間際4点差をつけてほぼ勝利を確信していた所を千里にうまくやられて土壇場で追いつかれた苦い体験であった。
「勝利を確信してしまうと、なぜかそこから負けるもんなんだよなあ」
と彰恵がひとりごとのように言うと
「漫画でよくある死亡フラグですね、それ」
と美稔子は言った。
第7ピリオドが始まる。
N高校は 雪子/久美子/海音/暢子/紅鹿
P高校は 赤坂/伊香/猪瀬/河口/岩本
というオーダーで始める。佐藤・宮野、千里・揚羽は疲労が激しいのでどちらも休ませた。また渡辺はさっきアウトオブバウンズになりかけたボールを戻した時に身体を床にぶつけてしまい、少し打ち身をしたようである。それでアンメルツを塗ってもらって休んでいる。N高校は海音が出たことでベンチ全員出場である。P高校は控えセンターの工藤だけがまだ出ていない。
先ほどのヘルドボールでP高校がスローインしたので第7ピリオドはN高校のスローインで始める。
海音が雪子にスローインして雪子がドリブルでボールを運ぶ。海音には猪瀬が付いていて、どう考えてもこちらが弱い。そこで雪子は伊香とマッチアップしている久美子にボールを送った。
すると久美子の頭の中には今朝揚羽から言われた「出場したらひたすらスリーを撃て」ということばが残っている。そこでいきなりスリーを撃とうとする。伊香はびっくりした。自分ならまさかこんな遠距離から撃たないという距離である。慌てて停めようとして、久美子の腕に当たってしまう。
笛が鳴る。
「チャージング、白11番」
「すみません」
と言って伊香は手を挙げる。
スリーポイントシュート中のファウルなのでフリースローが3本与えられる。久美子はこれを3本ともきれいな決める。0-3.
こうしてこのピリオドはN高校が久美子の(実質)スリーで始まった。
久美子は第3ピリオドでもスリー2本と渡辺の自殺点を招いて8点ももぎ取っている。P高校は、やはりこの子は隠し球の要警戒人物と判断して、なんと猪瀬がマッチアップする。
他の組合せは、赤坂−雪子、伊香−海音、河口−暢子、岩本−紅鹿となった。
PG対決の所では雪子の方が上手いのだが、河口−暢子の所は河口がこの5分間に集中して暢子を停めるつもりで入っているので、このピリオドはお互いになかなか点を取れないままピリオドが進行した。本来ならP高校は猪瀬も得点要員なのだが、彼女は久美子にピタリとついて久美子のプレイをひたすら邪魔する。一方の久美子は技術は大したことなくても体力はあるのでひたすら走り回る。それで猪瀬も久美子を追って走り回ることになり、このピリオドはそれで終始してしまった。
このピリオドでは両軍ともシュート失敗からの攻守交代を何度もやる。かろうじて3分ほど経った所で赤坂が2点取るが、すぐに紅鹿が2点取って、2-5となる。
これはやばいぞというのでP高校は佐藤・渡辺を投入する。N高校も千里・絵津子を投入する。
それで佐藤が何とかスリーを撃ち込んで5-5とした所でピリオドは終了した。
このピリオドの得点は5-5で、合計では127-127である。
インターバルに野村君とお互いの近況報告をしていたら、若葉の頭に突然何か落ちてくる。
「わっ」
と声を挙げて手に取ると花束である。
「ごめんなさーい」
と後(上)の席に座っていた、同い年くらいの女の子が謝る。
「いえいえ」
と言って若葉も笑顔で花束を返す。
「すみません」
と隣に座っている男の子も一緒に謝っている。若葉はそのふたりの関係が判断つかない気がした。兄妹ではなさそうだし、といって恋人というほども打ち解けていない感じ。あ、自分と野村君くらいの関係かな、などと思った。
「ローズマリーの花束、香りがいいですね」
「ええ、私この花が大好きなんですよ」
「今出ているどちらかの高校の応援ですか?」
「いえ、この後の男子の準決勝の応援で」
「なんか試合が伸びてるみたいですね」
「ええ。でも凄い熱戦ですね」
「ほんとほんと、私もつい見てて力が入っちゃう」
若葉はそんな会話を交わしながらも、その女の子に何か不思議な「影」があるのも感じ取っていた。
第8ピリオド(クアドルプル・オーバータイム)になる。
どちらも、もうこのピリオドで決着付けようという態勢で来た。
P高校 徳寺/伊香/渡辺/宮野/佐藤
N高校 不二子/千里/絵津子/暢子/揚羽
と第1ピリオドのスターターとほぼ同じラインナップになる(雪子の代わりに不二子が入っているだけ)。
このピリオドでも両者激しい戦いが行われるのだが、主力が揃っているにも関わらず、両者ともシュート精度を欠いた。いつも精度のいいシュートをする佐藤・千里が各々1回ずつシュートを失敗している。どちらも相当のスタミナを持っているのだが、さすがに疲れが身体を包んでいる。佐藤もやはり疲れ切ったのか、あまり千里に話しかけてこなくなった。
伊香はこのピリオドで撃ったスリーが全部外れた。疲れの問題もあるが、しばしばシューターというのは入る時はどんどん入るのだが、外れだすとどんどん外れる傾向があるのである。
点数はシーソーゲームで進む。
中盤、千里が佐藤をうまくかわしてスリーを入れ4-7にすると、佐藤も千里をうまくかわしてスリーを放り込み、7-7の同点にする。
その後のN高校の攻撃。残り時間はあと1分ちょっとである。不二子がドリブルして攻め上がる。千里にパスするが、佐藤は疲れているにもかかわらず気力を振り絞って接近ディフェンスする。バックステップしても付いてくるので、やむを得ず隣に居る絵津子にパスする。
その時、渡辺がそのボールをカットしようと飛び出して・・・
床に躓いて転んでしまう。
そして渡辺の身体はロケット弾のような感じで絵津子の身体を直撃し、2人は一緒に倒れてしまった。
笛が吹かれる。
審判が駆け寄ってくる。千里と佐藤も駆け寄る。
「大丈夫?」
と声を掛ける。
渡辺が起き上がって「絵津子ちゃん、ごめーん」と言っている。
ところが絵津子が起き上がらない。
「えっちゃん!?」
と言って千里は近寄り、絵津子の身体を揺すろうとしたが《びゃくちゃん》に停められる。
『頭を打ってる。動かしてはダメ』
渡辺も絵津子が起き上がらないのに驚き
「絵津子ちゃん?」
と言って身体を動かそうとしたので千里が停めた。
会場で控えている医師が出てくる。
診察しているが、医師は「取り敢えずそっと動かしてベンチの所に運ぼう」と言うので、担架に乗せて、できるだけ静かにベンチの所まで移動させた。ところがベンチの所まで来ると、絵津子はぱちりと目を開けた。
「良かった!気がついた!」
「大丈夫?」
後ろで《びゃくちゃん》がピースサインをしているので、どうも何かしてくれたようである。
「あ、大丈夫だと思います。すみませーん」
などと本人は明るく言っている。
「良かった!」
と言って、渡辺が絵津子に抱きついているので、絵津子の方がびっくりして
「ちょっと、ちょっと、どうしたの?」
などと訊いている。
医師が意識レベルを確認する。
「君、自分の名前は?」
「湧見絵津子です」
「生年月日は?」
「1992年7月1日生です。性別は女、蟹座です」
医師が
「合ってる?」
と千里に訊く。
「生年月日合ってます。性別も多分女だと思います」
医師は脈拍、血圧なども測定したが、特に問題は無さそうということで、しばらく安静にしていることを条件にゲームに引き続き出ることを認めた。それで絵津子を下げて、代りにソフィアを入れる。
そして審判は
「アンスポーツマンライク・ファウル、白12番」
と宣告した。
普通なら倒したくらいはチャージングだが、倒された絵津子が一時的に失神したので、より重いファウルが宣告された。渡辺も手を挙げて「申し訳ありませんでした」と言っている。
ここでP高校は渡辺をいったん下げて河口を入れた。この状態でオンコートさせていても集中できないだろうという判断である。(プレイヤーが負傷で交代した場合、相手チームも同じ人数のプレイヤーを交代させることができる:競技規則5.7)
試合は5分ほど中断したが、再開される。
通常はファウルされた絵津子がフリースローをしなければならないのだが、負傷の場合は特例で、交代で入ったプレイヤーが撃つことになる。ソフィアがフリースロー・サークルに立つ。
ソフィアはきれいに2投とも入れる。
これで点数は7-9になる。
そしてアンスポーツマンライク・ファウルの場合は、更にN高校のスローインで再開である。ここで残り時間は54秒である。
暢子がスローインして不二子が攻め上がり、激しい戦いの末、リバウンド争いでヘルドボールになるが、この第8ピリオドはP高校のスローインで始まっており、ポゼッション・アローはN高校になっている。それでN高校がスローインするが、所有権が結局移動しなかったので、ショットクロックは継続である。残り5秒と厳しかったのだが、24秒ギリギリで暢子がシュートを決める。これで7-11となり、残りは30秒である。
「これもうN高校の勝ちだよね?」
と百合絵が言う。
「え?どうしてですか?」
と志麻子が訊く。
「残りは30秒。もしP高校が例えば3秒で3点挙げれば、1点差・残り27秒でN高校の攻撃になるけど、3点挙げるのに6秒以上使って、例えば8秒で3点取った場合、1点差・残り22秒でN高校の攻撃になる。すると残り時間N高校は時間を潰していれば、そのまま勝利が転がり込んでくる」
と百合絵は説明する。
「つまり問題は6秒以内に点を取れるかですか?」
「3秒で点を取り、そのあと24秒間でN高校が無得点に終わった後で更に3秒で点を取れば逆転することができる」
「それは厳しすぎますね」
と志麻子は納得したようだが、彰恵は「うーん」と言ったまま何かを考えていた。
果たしてP高校はスローインする猪瀬だけがバックコートに居て、残りの4人はフロントコートで待機する態勢でスタンバイする。
佐藤に千里、横川(伊香に代って入った)にソフィア、宮野に暢子、河口に揚羽がつく。
徳寺からロングボールが投げ入れられる。誰かが掴むと同時に時計は動き出す。徳寺のボールはほとんどゴールの近くまで飛んできた。
宮野・河口・暢子・揚羽が駆け寄るが、河口が確保する。河口はそのまま横川に送る。横川がソフィアとの一瞬の心理戦の後、バックステップしてスリーを撃つ。ソフィアがブロックはならなかったものの、指を当てて軌道を変える。ボールがバックボードに当たって返ってくる。佐藤が掴んだものの、千里が奪い取る。ところがそれを更に宮野が奪い取り横川にパス。横川は受け取ると即シュートした。
「3ポイントゴール、札幌P高校・横川朝水」
の場内アナウンス。
点数は10-11となって、残り時間は22秒である。
「これで勝負あったね」
と百合絵は言った。
「確かに。これで後はN高校は時間を潰していればいいですよね?」
と志麻子も言う。
しかし彰恵は美稔子が付けているスコアシートをチラッと見て「そのこと」を確認すると
「いや、まだ分からない」
と答えて、じっとコートを見つめていた。
N高校のスローインである。
ショット・クロックはもう停まってしまう。N高校が時間稼ぎだけすれば勝てることはP高校も当然分かっているから、ボールを何とか奪い取るしかない。それで最初から強烈なプレスに行く。
そもそも不二子がスローインしようとするが、ソフィアにピタリと横川が付いている。千里には佐藤、暢子には宮野、揚羽には河口が付いている。審判がボールを渡す。不二子はこれを5秒以内に誰かに送らなければならない。
ソフィアの所がいちばんマシな気がする。横川はソフィアの右側にいるのでソフィアの左側へ速いパスを投げる。ソフィアがそれに飛び付くようにして取る。体勢が崩れていたが、そのまま不二子にパス・バックする。不二子が徳寺を振り切って何とかフロントコートにボールを進める。
残りは16秒ほど。
N高校は攻める必要は無い。ただ時間を潰しておけばいいはずであった。
しかしずっとドリブルしたままという訳にもいかないので不二子が千里にパスする。すると佐藤はわざと千里から2歩ほど離れた。
「撃ちなよ」
と佐藤が言う。
「いや、ここは撃つ必要無いから」
と千里は答えるが
「いいの?撃たなくて。ここで撃てばN高校の勝利は確定するのに」
「わざわざ心配してくれてありがとう。でも撃って失敗したらやばいもん」
「千里が失敗するわけないじゃん」
とりあえず反対側のサイドに居るソフィアにパスする。するとソフィアの前に居た横川がパスカットしようと飛び出してソフィアにぶつかってしまう。
笛が鳴る。
さきほど渡辺が絵津子と激突した時と似たような状況だが、ソフィアはぶつかられてボールはこぼしたものの、2〜3歩動いただけで倒れなくても済んだ。
「チャージング、白6番」
と宣告され、横川は
「すみません」
と言って手を挙げている。
それでソフィアもスローインしようとサイドラインに行きかけたのだが、審判は首を振ってフリースローを指示している。
「え?」
とソフィアが声を出し、
「あっ」
と千里が声を出した。
P高校のチームファウルが4になっていたのである。第4ピリオドに北見が不二子のドライブインを停めようとして1度、渡辺が絵津子とダブルファウルになったのが一度、第7ピリオドに伊香が久美子のスリーを停めようとして腕にぶつかり、そして先ほどの渡辺が絵津子に激突したので4つになっていた。この状況下ではディフェンスファウルは、シュート動作中でなくても、フリースロー2本が与えられるのである。
「あのお、フリースロー要らないからスローインに変更できません?」
とソフィアが言ったが、審判は
「ダメです」
と答える。
古いバスケットのルールでは2本のフリースローの内の1本をスローインに変更することができたのだが(選択の権利:フリースローが苦手な選手のために設けられたルール)、現在それは認められないことになっている。そのルールがリードしている側の時間稼ぎに悪用されていたからである。つまり今のN高校のような立場だ!
仕方ないのでソフィアはフリースロー・サークルに行く。どうせ撃たないといけないのなら、きちんと入れた方が良い。
左側にはゴール側から宮野・暢子・河口、右側には佐藤・揚羽と並ぶ。
審判がソフィアにボールを渡す。1投目。
撃つ。
入る。
10-12.
審判がソフィアにボールを渡す。2投目。
撃つ。
ボールはリングの左端で跳ね上がる。
むろん入れてしまうとP高校ボールになるので、ここのリバウンドに賭けたのである。左に当てたのは佐藤よりは宮野の方がマシという判断だ。
宮野と暢子が走り寄ってジャンプする。ふたりはほぼ同時にボールを掴んだ。そしてそのまま着地する。どちらもボールを離さない。
笛。
ヘルドボール。
そして先ほどのヘルドボールでN高校のスローインになっていたので今回はP高校のボールとなる。残り時間はわずか7秒。
N高校がタイムアウトを取る。
「申し訳無い。ボールを確保できなかった」
と暢子。
「済みません。自分がぶつかられてもボールを離さなければ」
とソフィアは言うが
「いや、あの場合はファウルを取った方が負けているP高校有利になるから、その場合は審判はアドバンテージは取らないんだよ」
と宇田先生は言う。
「え〜?じゃあの場面はファウルのされ損ですか?」
「そもそも時間稼ぎしているこちらが悪い」
「うーん・・・」
「いや、その前に佐藤さんから撃ったら?と言われた時に私が撃っていれば良かったです」
と千里。
「何か君たち色々おしゃべりしてるね?」
「済みませーん。話しかけてくるんですよ」
「まあ誰が悪いというのもない。横川君のはほんとにうっかりぶつかってしまったように見えたけど、あの場面はわざとファウルするのも、公的に認められている戦術なんだよ」
と宇田先生は言う。
「やはりバスケットは格闘技だな」
と暢子が言っている。
「とにかく残り7秒、何としてでも相手のシュートを阻止しましょう」
と揚羽。
「よし、頑張るぞ」
「ファイト!」
選手がコートに戻る。
N高校はソフィアに代えて留実子を入れ、P高校は徳寺に代えて工藤を入れる。工藤が出たことでP高校も全員出場になる。
その代わった工藤がスローインしてP高校が攻めて来る。佐藤−千里、宮野−暢子、河口−留実子、工藤−不二子、横川−揚羽とマッチングする。ここで一番警戒しなければならないのがスリーである。その可能性のある佐藤・横川に警戒するので横川の担当は揚羽にした。
工藤→宮野→河口と速いパス回しの末、横川にボールが来るが揚羽が激しくディフェンスしている。さすがの横川も撃てない。時間はどんどん無くなっていく。河口がヘルプに来るのでそちらにパス。すると河口はスリーポイント・ラインの外側からシュートを撃とうとした。
それを留実子が停めようとして腕にぶつかる。河口がシュートしたのと同時に終了のブザーが鳴る。
そしてシュートされたボールはリングのすぐ近くのバックボードに当たって、そのまま落ちてきた。
笛が鳴る。
「チャージング、青の18番」
と審判が宣告し、留実子は素直に手を挙げて
「済みません」
と謝る。
今のはボールの軌道を考えると、留実子がチャージングしていなかったら、あのままゴールに飛び込んでいたと千里は思った。河口は決して遠くからのシュートは上手くないのだが、偶然にも上手くいったのだろう。
フリースローだが、スリーポイント・ラインの外側なのでフリースローは3本である。残り時間はもう残っていない。このフリースローで勝負が決まる。
河口の左側に暢子・宮野・揚羽、右側に留実子・佐藤と並ぶ。
審判が河口にボールを渡す。1投目。
撃つ。
入る。
11-12.
審判が河口にボールを渡す。2投目。
撃つ。
入る。
12-12.
同点!
札幌P高校の応援席が物凄い騒ぎだが、N高校の応援席もひたすらエールを送っている。
審判が河口にボールを渡す。3投目。
撃つ。
ボールは一瞬入ったかと思ったのだが、リングの内側で跳ね返り、外に飛び出してしまった。
再延長!!
「これいつまで延長戦続くんだろうね」
と若葉が言ったが
「バスケットの試合に引き分けの規定は無いからたとえ50回・100回になっても続けられるはず」
と野村君は言う。
「きゃー」
「但しあまり長くなりすぎたら、大会運営側の判断で続きは明日なんてことになるかもね」
「そうしてあげたいよ!」
そんなことを言っていた時、入口の所で若葉たちに招待券を発行してくれた門前専務がやってきた。
「どうですか?」
「なんか凄い試合になってますね」
「決勝戦にふさわしい熱戦になってますよ。これ下馬評では札幌P高校が圧勝するだろうみたいな予想が多かったんですけどね。旭川N高校が凄く頑張ってますね」
「へー。P高校って私も名前聞いたことあるし、以前から強い所ですよね?」
「ええ。インターハイでもウィンターカップでもいつも上位に定着してますよ。今年夏のインターハイの優勝校なんです」
「すごーい!」
「旭川N高校はウィンターカップは12年ぶりの出場なんですよね」
「へー」
「インターハイには時々出ていたんですけどね。でもこれまではたいてい1−2回戦で負けていたのが、昨年・今年と2年連続3位だったんです」
「それってなんか強い選手が出てきたんですか?」
「ええ。あの17番付けてる村山選手ってのがスリーの名手なんですよ」
「あの長い髪の選手ですね。入れた所見ました。なんかフォームがきれいだなあと思ったんです」
「教科書のビデオにしたいくらいですよ。昨年のインターハイ、今年1月のオールジャパン、今年のインターハイに、秋に行われたU18アジア選手権でもスリーポイント女王になってますから」
「凄い選手が出てきたんですね。ロンドンオリンピックが楽しみですね」
「ええ。今はU18代表ですけど、2012年頃はフル代表に選ばれる可能性あると思いますよ」
「凄いなあ」
「なんかもうここまで来たら両方優勝させてあげたいくらいですね」
と野村君が言う。
「全くです。でもそれでは彼らは満足しないでしょうね。雌雄を決しないとスッキリしないと思います」
と門前さん。
「雌雄を決するって女子の場合、勝った方は♀なんでしょうか?♂なんでしょうか?」
「あはは、それは難しい問題ですね」
「でもこれ最終的に負けた方にも特別賞か何か出してあげたいですね」
「山吹さんもそう思います? いや、今運営委員内部でも、そんな意見を言う人が出てきているんですよ」
と門前さんは言った。
結局第8ピリオドの得点は12-12で合計では139-139になる。
しかし河口のボールが一瞬ゴールに飛び込んだかのように見えた時、気の早いP高校の応援席から大量の紙テープや花束がコートに投げ込まれてしまった。それを片付けるのに時間が掛かり、5分ほどのインターバルを置いて次のピリオドとなる。今度はクイントゥプル・オーバータイムである。
P高校 北見/横川/猪瀬/宮野/佐藤
N高校 雪子/千里/不二子/暢子/揚羽
というメンツで出てくる。もうみんな体力の限界をとっくに超えているがここまで来たら、気力だけの勝負である。
千里はもう疲れ果てて頭の中が空っぽになっていた。ところがこの精神状態で千里は何度も佐藤を停めた。逆に千里が攻撃の時は2度もシュートに成功する。暢子も頑張ってゴールを決める。
しかし向こうも佐藤が千里に押さえられている分、宮野と猪瀬が頑張り、残り46秒となった所で8-8の同点である。
N高校が攻めて行く。激しい攻防の末、ショットクロックの残りが少なくなる。雪子がパス相手を探して、不二子に送ろうとしたのだが、手元がくるってしまい、そのボールを猪瀬がダイレクトキャッチした。雪子が「あっ」という声を出す。正確無比なプレイをする雪子もさすがに体力限界を越えているので、回路がおかしくなったのだろう。
猪瀬が北見にパスし、北見が攻め上がろうとする。しかしその前に全力で周り込んだ千里がその北見のドリブルの途中をきれいにカットする。
「うっそー!」
と北見が声を出している。普段の北見ならそう簡単に盗られないのだろうが、北見ももう限界を超えている。
千里が暢子に速いパス。暢子がシュートに行くのを宮野が明らかにファウルして停めようとしたが、ここで審判は笛を吹かなかった。
暢子のシュートが華麗に決まって8-10.
残りは11秒である。
北見と交代で徳寺が入ってくる。徳寺も全然体力が回復していないだろうが、もう最後の頑張り所だ。こちらも雪子に代えてソフィアを入れる。P高校が速いパスでつないでボールをフロントコートに進める。
宮野を使って攻めようとするが、暢子が激しいディフェンスをしている。宮野はそれでも暢子を抜こうとしたものの、うまく停められる。ボールを盗られそうになるところを何とか佐藤の方に投げる。
佐藤がのけぞるようにしてボールをキャッチする。目の前に千里が居る。佐藤は複雑な心理戦の末、右を抜こうとして千里に停められる。しかしそこからステップバッグすると、素早いモーションでシュートを撃った。その瞬間、試合終了のブザーが鳴る。
千里もジャンプしたのだが、手はボールに届かなかった。
そしてここはスリーポイント・ラインの外側である。
千里はブロックにジャンプしたのが届かなかった後、着地すると、そのまま崩れるように座り込んだ。
佐藤が「入れた」という確信があった。
実際、佐藤のシュートはバックボードの向こう側に当たったものの、そこからバックスピンでゴールに飛び込んでしまった。
審判がスリーポイント成功のジェスチャーをしている。
「3ポイントゴール、札幌P高校・佐藤玲央美」
という場内アナウンス。
札幌P高校の応援席が物凄い騒ぎである。しかし紙テープやクラッカーは無い。2度も空振りして、使い切ってしまったのである。
審判が整列を促したが、N高校のメンバーはもとより、P高校のメンバーもみんな座り込んでしまって動けない。
「君たち、一応整列して」
と再度審判が促す。それでみんな何とか頑張って並ぶ。
「150対149で札幌P高校の勝ち」
「ありがとうございました」
宮野と揚羽が握手する。そのままハグし合う。佐藤と千里も抱き合って、ふたりとも泣き出す。暢子も猪瀬と抱き合って泣いている。宮野と揚羽もつられて泣き出す。不二子とソフィアは呆然としていて、徳寺と横川は疲れ切ったように座り込んでいた。
もうそこには勝者と敗者というものを超越した何かがあった。
ゲーム時間だけでも65分、総時間は2時間を越えていた。12:00に始まった試合なのに既に14:09である。ウィンターカップ史に残る死闘であった。
この試合のスコア
P 26 19 26 24 15 12 5 12 11 | 150
N 20 23 14 38 15 12 5 12 10 | 149
個人別得点
(4)宮野 24 (6)横川 12 (7)河口 14 (8)猪瀬 16 (9)歌枕 6 (11)伊香 8 (12)渡辺 25 (14)北見 8 (15)佐藤 35 (16)赤坂 2
(4)揚羽 14 (6)ソフィア 16 (7)絵津子 26 (8)不二子 12 (9)志緒 2 (10)紅鹿 4 (11)久美子 9 (14)リリカ 4 (16)暢子 18 (17)千里 42 (18)留実子 2
ベンチからP高校の河口、N高校はマネージャーの薫が出てきて
「みんな挨拶に行こう」
と促す。それで両チームとも並んで、まずは相手チームのベンチに挨拶に行き、それから応援席の前で応援してくれた人たちに一礼する。応援団からもう勝敗を超越したエールが送られた。
しかし千里たちはその後、勝者と敗者の差をハッキリ見せつけられることになる。
P高校のメンバーがベンチ前で十勝広重監督を胴上げする。更に狩屋茂夫コーチ、佐藤玲央美、宮野聖子と胴上げは続いた。P高校のメンバーがやっと笑顔になる。彼女たちは今、優勝したうれしさが込み上げてきているだろう。
そしてこちらは最初、揚羽が泣きだして、その後それが伝染するかのようにみんな泣いた。南野コーチまで暢子と抱き合って泣いている。薫も留実子と抱き合って泣いている。その中で泣かずにじっと立っていたのは、千里、宇田監督、雪子、絵津子の4人だけだった。
「宇田先生。来年もまたここに来てください。そして今度こそ、優勝してください」
と千里は言った。
「それは森田(雪子)君や湧見(絵津子)君に言いなさい」
と宇田先生は優しい顔になって言った。
試合が終わって、貴司は時計を見た。表彰式まで見たいのはやまやまだ。しかし自分は今日の練習に遅れるかも知れないが顔を出すと約束した。帰らなければならない。
貴司は後ろ髪を引かれる思いで席を立ち、出口の方に向かう。そして玄関の所で蓮菜と遭遇する。
「残念だったね」
と蓮菜が言う。
「あと少しだったけどね」
と貴司。
「これ、千里から、細川さんに返してって」
と蓮菜がバッシュを渡す。
「え!?」
「千里、この試合で燃え尽きてしまったって。だからもうバスケ辞めちゃうだろうから、これもう要らないからって」
と蓮菜が言う。
貴司は少し考えていた。
「千里に伝えて欲しい。今は燃え尽きたかも知れないけど、君は絶対またバスケがやりたくなるって。でも取り敢えずバッシュは預かるよ」
蓮菜は頷いた。
貴司はそのバッシュを手に持ち、駐車場の方に向かった。
それを見送って《蓮菜》の姿はふっと消えた。
このバッシュは半年後に千里の所に戻って来ることになる。
本来は14時から女子の表彰式が行われる予定だったのだが、試合時間が大幅に伸びたため、時刻の調整が行われることが発表された。時間を30分遅らせて、14:30から女子の表彰式、そして今日15:00, 17:00から行われる予定だった男子の準決勝2試合は、15:30, 17:30 からに繰り下げられた。
千里たちは下着を交換し、フロア入口で待機する。札幌P高校・旭川N高校・岐阜F女子高、東京T高校という名前のプラカードを持った制服姿の女子高生に先導されて、今大会のテーマ曲『君のハートにドリブル』の音楽に合わせて、その順番にフロアの中に行進して入って行った。
会場の前面に札幌P高校と旭川N高校・その後ろに岐阜F女子高と東京T高校のベンチメンバー(マネージャーを含む)が並ぶ。
「君が代」の演奏とともに国旗が掲揚される。フロアにいる選手のほとんどがその歌詞を歌う。続いて優勝校・札幌P高校の校歌が演奏され、校旗も掲揚される。P高校のメンバーが一所懸命校歌を歌っているのが聞こえてくる。千里はそれを頭が空白の状態で聞いていた。
まず優勝校の表彰が行われる。P高校のメンバーが前に12人出る。
バスケット協会からの表彰状と優勝カップを宮野と徳寺が受け取る。
高体連からの表彰状と優勝カップ、ウィニングボールを横川・河口・北見が受け取る。
そして美しい雪の結晶のようなウィンターカップを佐藤玲央美が受け取る。
千里はそれを見て純粋に「いいなあ」という気持ちになっていた。
JX杯・朝日新聞社杯・日刊スポーツ杯を猪瀬・歌枕・赤坂が受け取る。ナイキのジャケットを渡辺純子が着せてもらい、シューズの看板(?)を伊香秋子が受け取る。そして最後に副賞の目録を赤坂が受け取った。
チャンピオンフラグを地元の女子高生数人で運んできて、会場全体に披露される。そして拍手とともに元いた場所に戻る。
「準優勝・旭川N高校。4名、前に出て下さい」
と言われたので、揚羽・雪子・暢子・千里の4人で出て行った。
バスケット協会からの準優勝の賞状と楯を暢子と千里が受け取る。高体連からの準優勝の賞状を揚羽が受け取る。そして副賞カタログを雪子が受けとった。
続けて3位岐阜F女子高、4位東京T高校にも同様の賞状・楯・記念品が授与される。
そのあと、1〜3位のチームのメンバーにメダルが授与される。優勝のP高校にはバスケ協会の副会長さん、準優勝のN高校にはバスケ協会の部長さん、そして3位のF女子高にはJXの部長さんがひとりずつメダルを掛けてくれた。千里は銀色のメダルを掛けてもらい、笑顔で部長さんと握手をした。
まあ欲を言えば金色のが欲しかったけど、これも凄く嬉しいよ。
千里はそう思っていた。
その後、各チームのコーチにトロフィーが授与される。P高校の十勝監督、N高校の宇田監督、F女子高の八幡監督、T高校の槇村監督が出てきて受け取っていた。
「優秀選手を発表します」
と言ってベスト5が発表される。
「札幌P高校・佐藤玲央美、旭川N高校・村山千里、札幌P高校・渡辺純子、旭川N高校・湧見絵津子、岐阜F女子高・前田彰恵。以上5名は前に出てください」
千里は「選ばれるかもね〜」くらいには思っていたのだが、純子も絵津子も全く考えていなかったようで「うっそー!」などと言い、純子は着ていたナイキのジャケットを江森月絵に預けて前に出てきた。
ひとりずつ賞状とトロフィー、副賞カタログが渡された。千里は玲央美に続いて笑顔で受け取った。
「最優秀選手、佐藤玲央美」
と更に呼ばれるので、玲央美が自分の優秀選手賞の賞状・トロフィー・副賞カタログを渡辺に預けて前に出て行き、MVPの賞状を受け取った。
「成績別トップを発表します」
とアナウンスされる。
「得点女王・旭川N高校・村山千里、スリーポイント女王・旭川N高校・村山千里、リバウンド女王・東京T高校・森下誠美、アシスト女王・札幌P高校・佐藤玲央美。なお、得点女王争いでは1位村山千里と2位佐藤玲央美の差はわずかに10点であったことを申し添えておきます」
ああ、やはりその程度の差なのかもね〜。P高校とF女子高の準決勝が極端なロースコアじゃなかったら私が負けてたかもね、と千里は思った。
最後に大会長の挨拶があってから、再び「君のハートにドリブル」の曲に合わせて全員退場した。
ロビーに出た所で、学校の壁を越えて入り乱れ、お互いにこの6日間の健闘を称えた。
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【女の子たちのウィンターカップ・最後の日】(3)