【女の子たちのウィンターカップ・最後の日】(2)

前頁次頁目次

1  2  3 
 
ウィンターカップ決勝戦、第3ピリオド、7分過ぎた所でこのピリオドのスコアは24-6になっていた。
 
ふつうならこういう一方的な展開になっている場合、こちらは精神的にも削られて行きがちなのだが、宇田先生が「攻めなくていい」などと言ったお陰で千里たちは随分精神的に楽であった。
 
残り3分を切った所で宇田先生は千里をいったん下げて久美子を出した。それを見てP高校はディフェンスをダイヤモンド1ではなく5人で構成するゾーンに変更した。
 
ところがここで久美子はいきなりスリーを撃った。
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・町田久美子」
 
という場内コール。入れた久美子自身は「うっそー!」などと言って、はしゃいでいる。リリカや志緒に頭や背中を叩かれている。これで24-9.
 

P高校が攻めて来る。佐藤に志緒が付くほか残りの4人でボックス1のゾーンを組む。左肩・久美子、右肩・永子、左底・リリカ、右底・紅鹿である。
 
佐藤は千里が下がってしまったのを「詰まらないな」という気持ちで見送っていた。それで2年生で、いわばベンチ枠ぎりぎりくらいの志緒が自分のマーカーになったのにため息をついていた。
 
しかし佐藤はわずか10秒で志緒に対する認識を変える羽目になる。
 
志緒は物凄い勢いで佐藤の周りを動き回った。とにかくボールマンと佐藤の間にひたすら入り続け、完璧に佐藤をディナイしてしまう。現在誰がボールを持っているかは久美子や紅鹿が確認して声を出しているので、それで志緒は佐藤の動きだけに注意を払ってパス筋を塞ぎ続ける。
 

実は、志緒は千里が下がっている時に佐藤を任せるというのは半月ほど前から言われて、随分佐藤を研究していたのである。比較的似たタイプであるソフィアに「仮想佐藤」になってもらい「自称佐藤研究家」不二子に監修してもらって実践練習も重ねていた。それで、こちらが佐藤を抜いて進入したりは困難でも、相手の攻撃をできるだけ防ぐというのは3〜4分なら何とか可能という結論に達していた。
 
また佐藤としても、志緒1人だけの動きなら視線などのフェイントや軽快なフットワークで振り切る自信があるのだが、近くに居る久美子やリリカがボールの位置や、隣接する徳寺・渡辺の動きなどを常に声を出して志緒に伝えていた。それで結果的に佐藤は志緒1人ではなく1.8人くらいのプレイヤーを相手にしているような状況になっていた。
 
更に志緒はこの3分間に今日の全エネルギーを使い切るつもりでプレイしており、一方の佐藤はここまで結構な疲労がたまっているということから、結果的にこの高校ナンバー1のフォワードが、旭川のボーダー組に完璧に封じられてしまったのであった。
 
通常のパス筋がふさがれているからというので徳寺は志緒のすぐ横でバウンドするようなバウンドパスでボールを送ろうとしてみた。ところが徳寺がパスを出した瞬間、久美子が「右床!」と声を出す。それで志緒はそのボールを停めてしまった。
 
久美子に送って、久美子がドリブルで速攻する。
 
徳寺が必死で追うが、久美子は結構足が速いので追いつけない。そして久美子はピタリとスリーポイント・ラインで立ち止まると、美しいフォームでシュートを撃った。
 
きれいに入って24-12.
 
久美子はまた「やった!」と言って喜んでいる。リリカが久美子の頭を叩いている。久美子はそもそも出場機会が多くない。そして久美子がスリーを撃つ所なんて、P高校のメンツは練習試合でも見たことが無かった。
 
しかし実は元々久美子はシュート自体は上手いのである。マッチングなどは決してレベルは高くないもののフリーで撃てばかなり入れる。しかもこの日は朝練でスリーが3発連続で入ったことから、揚羽から「出場機会があったらスリーをひたすら打て」と言われていたのである。
 

取り敢えず次のP高校の攻撃機会は苦しみながらも歌枕が点を取り26-12とする。それでまたN高校の攻撃。
 
久美子が立て続けにスリーを成功させたので、向こうはこの子はひょっとして、千里の後継シューターとして育成中の子か?と考えたようで、なんと渡辺が久美子の前に付いて、残りの徳寺・河口・佐藤・歌枕でダイヤモンド1のゾーンを組んでいる。
 
永子がその久美子にボールを送る。この時、久美子は浅い位置に居たので、ゴールまでは10m以上の距離があった。千里でもこの距離からはめったに撃つことが無い。それで渡辺はむしろ抜かれないようにやや距離を開けて対峙している。
 
しかし、久美子は「スリーをひたすら撃て」と言われているので、距離のことは考えずにそこから、きれいなフォームで角度40度くらいの低い軌道のシュートを撃った。
 
驚いた渡辺は瞬間的に反応して高くジャンプする。
 
しかしそもそもシュートされるのが想定外だったので飛ぶのが遅れた。それで渡辺の手はボールの真下に当たってしまう。
 
渡辺の手で大きく跳ね上がったボールは、そこから彼女の斜め後方に山なりの軌道を描き・・・・
 
ゴールに飛び込んでしまった!
 

一瞬、コート上の全員が凍り付く。
 
こういう場合、どういう扱いになるのか、久美子などは分からないようでリリカの顔を見ている。
 
しかし審判は「2ポイントゴール」成立のジェスチャーをしている。審判が念のため言葉で説明する。
 
「白の12番(渡辺)が弾いたボールがゴールに飛び込んだが、特に意図してボールを自陣ゴールに入れた訳ではないので、ゴールは成立する。但しスリーポイントゴールは適用しないので2ポイントになる。この場合、相手チームのコート上のキャプテン・青の14番(リリカ)の得点として記録される」
(競技規則16.2.2)
 
久美子とリリカが手を取り合って喜んでいる。渡辺は呆然としている。
 
「2ポイントゴール、旭川N高校・常磐リリカ」
と場内アナウンスが流れる。
 
点数は26-14となる。
 
なお、バスケットのルールでは、自分のゴールに故意にボールを放り込んだ場合は自殺点ではなくバイオレーション扱いになる。今の場合は、故意では無いので得点は有効になるのである。ゴールそばでの乱戦の最中にブロックしたボールが誤ってゴールに飛び込んでしまうことは時々あるのだが、こういう遠距離からの誤ゴールは珍しい。他にもアウトオブバウンズになりそうなボールを戻したつもりがゴールに飛び込んでしまったような事故も過去には起きている。なお、渡辺はスリーポイント・ラインの外側にいたのだが、このケースでは3ポイントにはならない。
 

徳寺や河口が渡辺にドンマイ、ドンマイと言っている。渡辺は悔しそうである。
 
しかしこの後、両者の戦いは膠着状態に陥った。
 
結局P高校の攻撃の時は志緒が必死で佐藤を封じているので、P高校も佐藤が使いにくい。そこで渡辺を使おうとすると、久美子やリリカがカットしにくる。それでP高校まで1度24秒バイオレーションをやってしまった。
 
逆にN高校の攻撃ではP高校の固いゾーンの守りに、とても中に進入してのシュートができない。また久美子が出てくるなり(実質)8点も取ったことで、P高校は彼女をN高校の隠し球だったのではと疑ったようで(実はただの偶然の積み重なりである)、渡辺が付いて最大限の警戒をしているので、久美子もこの後はさすがにシュートが撃てなかった。
 
結局このピリオドは最後の2分間は両者激しく走り回るにもかかわらずどちらも全く点数が入れられず、26-14のまま終了した。
 
第3ピリオドまでの合計は71-57とP高校が14点のリードである。
 
会場のあちこちではこの14点差というスコアに「もう勝負あったね」と言っている人たちがたくさん居た。
 

一方、第3ピリオド7分でベンチに下がった千里は椅子に座り、海音がうなじの所にアイスバッグを置いてくれて、薫がスコア付けを雪子に頼んで腕のマッサージをしてくれるのに身体を任せたまま、取り敢えず放心状態になっていた。チームがなかなか点を取れずに苦労している時に自分がずっと佐藤玲央美に封じられているのが悔しくてたまらない。
 
どうして玲央美に勝てないんだろあなぁと思いながら彼女とのプレイを脳内でプレイバックする。とにかくどちらから抜こうとしても千里が行く方向に彼女は腕を伸ばしてくる。そして抜いたと思っても、彼女は目の前に居る!
 
そういえば1月のJ学園迎撃戦の時に暢子が言っていたな、というのを千里は思い出した。
 
「頭と身体の順序の問題だと思う」
とあの時、暢子は言った。
 
「佐藤さんは相手の気配に反応する。花園さんは相手の身体の兆候に反応する。千里はこちらに行こうと思ってから身体が動く。その気配で佐藤さんは千里を停める。花園さんは何にも考えてなくて反射神経レベルで身体が動く。このタイプには佐藤さんは弱いんだと思う」
 
そういえば佐藤さんって霊感強いよな。出羽に行った時も美鳳さんや佳穂さんを見て神様だというのに気づいていたし、こないだの伊香秋子の占いもカードを見ただけで、危険な兆候であることに気づいたみたいだし。
 
そんなことを考えていた時、千里は観客席の貴司と目が合った。
 
貴司の熱い視線を受けて、千里は頑張らなきゃと思った。
 
が、ふと貴司の左肩の所に何か付いているのにきづく。ん〜ん?と思って目を細めてみると、どうも口紅のような気がする(こういう時、千里本人は気づいていないが、自分の意識の一部が相手のそばに移動して実際にすぐそばから観察している)。あいつ〜! 今度はちょっと怒りの思いが込み上げてくる。女連れで応援に来たの?何考えてんのよ!?
 
いや、貴司ってホントに何も考えてないんだろうな。女の子から言い寄られた時に自制しなければならないこと自体を思いつかない。誰とでも気軽に話してしまうし、お茶に付き合ってしまう。私、ほんとにこんな奴と結婚してもいいんだろうか。他に欲しい人がいたら熨斗付けて進呈してもいいかも。貴司と別れたら、元男の子だった女の子なんて結婚してくれる人いないかも知れないけど、私ずっと独身でもいいや。
 
千里はすっくと立ち上がった。いきなり立ったので海音がアイスバッグを落としそうになって「わっ」と声を挙げる。
 
「あ、ごめん」
と千里は言ったが、宇田先生は千里を見ると言った。
 
「開眼した?」
「私は花園さんにならないといけないんです」
「そうだね。君は彼女を越えないといけない。年齢がひとつ違いで同じシューター。彼女を蹴落とすことができなかったら君は前に進めない」
「取り敢えず恋愛は封印かな」
「まあ封印はしなくてもいいけど、試合中は気持ちを集中しよう」
「はい」
 
「じゃ佐藤君に勝てるかな?」
「勝ちます」
「よし」
 

千里はベンチの後ろ側にまわり、前を向いたまま、少し後ろの方の応援席に座っている蓮菜に声を掛ける。
 
「ねぇ、蓮菜」
「どうしたの?千里」
と蓮菜がいちばん前まで寄って尋ねる。
 
「向こうの観客席に貴司がいるんだけどね」
「へー。わざわざ見に来てくれたんだ?」
「女連れで応援に来るなんて最低。絶交と言ってたと伝えてくれない?」
「いいの〜?」
「ふふふ」
と千里は口を押さえて笑った。
 
そして何だか物凄く愉快な気分になった。
 

千里が考えごとをしていた間に久美子の大活躍で旭川N高校は大差を付けられかけていたのを何とか持ちこたえる。14点差で第3ピリオドを終える。ブザーが鳴ってコートに出ていたメンバーが帰って来た。
 
「疲れた〜!」
と言って5人が椅子に座り込む。
 
「お疲れさん。でもこれで向こうの主力もクタクタになったはず」
「まあおあいこですね」
「でも次のピリオドまではスピード・バスケットできないですよ。向こうも最後はかなり足が遅くなってました」
「まあ頑張れるのは佐藤君や渡辺君くらいだろうね」
 
「じゃ最後のピリオドは追撃するよ」
と宇田先生は言った。
 

20分ほど前。
 
貴司は車から降りてややぼんやりとして歩いていたら、ここが東京体育館であることに気づいた。なんでここに居るの?と疑問を感じたものの、入口でチケットを求め2階観客席に入った。
 
ちょうど第2ピリオドが終わる所で、2点差の接戦である。ベンチに戻って来た選手たちを見ていたら千里と目が合った。千里がこちらを見て物凄く嬉しそうな顔をするのを見て、貴司は「頑張れ−!」と声を掛けた。
 
しかしハーフタイムが終わって第3ピリオドが始まると、物凄い速度で走り回るP高校の攻撃と、鉄壁のゾーンディフェンスにN高校はなすすべもなくどんどん点差を広げられていく。千里と相手15番・佐藤玲央美との対決は一方的に千里が負けている。
 
「千里!負けるな!」
と声をあげるが、千里はどうしても佐藤に勝てない。まったくスリーも撃てない。そのうち千里は下がってしまった。代わって11番(久美子)が入り、9番の選手(志緒)が相手15番を千里に代わってマークしたが、この子が意外にも頑張って相手の動きをしっかりと封じる。おかげで旭川N高校は少しだけ点数を挽回することができた。
 

やがて第4ピリオドが始まる。旭川N高校が必死の反撃をする。それを手に汗を握って観戦していたのだが・・・・
 
トントンと肩を叩かれる。
 
「こんにちは、細川さん」
「こんにちは、琴尾さんでしたね」
 
千里の小学校以来の友人で、バスケ部後輩の田代の彼女だった筈と思い起こす。
 
「千里から伝言です。女連れで応援に来るなんて最低。絶交と言ってました」
 
貴司は咳き込んだ。
 
「なんで女連れって分かるの〜?」
 
と貴司が言うと、蓮菜は貴司の左肩の所を指差す。へ?と思って貴司が見るとそこに口紅が付いている。これは実はアウディが「輸送」されてくる最中に風で揺れて芦耶の唇が肩に接触しただけのことなのだが、取り敢えず女が傍にいる証拠としては充分だ。
 
「わ。でも誓って言うけど、あの子とはキスとかはまだしてないんだよ」
「浮気相手連れてここにきたんですか?」
 
「ごめん。実は僕もよく状況把握ができていないんだけど、その子とドライブしてたら、なぜか東京体育館に来てた」
 
「細川さん、千里と付き合い続けるなら、その彼女と別れるべきだし、その彼女を選ぶなら千里とはきちんと切れてください。どちらかだと思う」
 
と蓮菜は言った。
 
「うん。ありがとう」
「千里は絶交だなんて言ってますけど、あの子今でも自分は細川さんの妻であるという意識ですよ」
 
そういう蓮菜の言葉に貴司はジーンとした。
 
「考えてみる」
「あと、そもそも浮気のしすぎだと思います。他の女の子との関わりは自粛しましょう。細川さん、結構ファンができているみたいだもん。寄ってくる女の子は多いかも知れないけど、恋人がいるからデートはできないとハッキリ言うべきでしょう?」
 
「うん。面目ない」
「じゃ、また」
 
と言って蓮菜は自分の席に戻るのにその場を離れたものの、自分自身は雅文との関係をどうしようかと悩んでいた。雅文とのセックス気持ちいいしなあ・・・。昇は優しいけどワガママでひとりよがりだし。
 

その日若葉は暇だったようで、冬子の部屋で冬子のCDコレクションをヘッドホンで聴きながら、雑誌を読みながら、冬子とおしゃべりしていた。
 
「いや。ここのコレクション凄まじいからさ。一昨日までここでお留守番してた時もずっとこれ聴いてたんだよ。聴いても聴いてもキリが無い感じでさ」
「聴くのはいつでも来て、私が居ない時でも勝手に聴いてていいよ。お母ちゃんにも言っておくから」
 
冬子の方は昨日、仁恵が持って来てくれた冬休みの宿題をやっている。若葉は最初ずっとフルトヴェングラーのワーグナー作品を聴いていたようだが、クラシックに少し飽きたのか、その時はカルチャークラブを聴いていた。
 
「このボーイ・ジョージってお化粧したり女の子みたいな服着てるけど、女の子になりたい男の子なんだっけ?」
「うーん。彼の場合はただのゲイだと思うけど。普通の男という枠に囚われたくないから女物も着ていたんだろうけど、別に女になりたい訳ではないと思うよ」
 
「実は私、そのあたりの境界線ってのが良く分からないのよね〜」
「それ、本人も自分の意識が不明確な人多いよ」
「そうか。自分でも分からないのか。冬はやはり物心ついた頃から女の子だという意識だったの?」
 
「ここだけの話、明確に女の子になりたいと意識するようになったのは小学1−2年生頃だと思う」
 
「ああ、そんなものなのかもねー」
「幼稚園の頃もスカート穿きたいなとは思ってた記憶があるよ」
「ふむふむ。あ、今月の占い、牡牛座さんのラッキーアイテムはバスケットボールだって」
「へー」
「確か今ウィンターカップやってたんじゃないかな。行って来ようかな」
「行ってらっしゃーい」
「冬はね、天秤座さんのラッキーアイテムはスカートだって」
「ふーん」
「じゃ冬に似合いそうな可愛いスカート買って来てあげる。それ着て一緒に今晩、うちのお母ちゃんと一緒にフランス料理でも食べに行かない?冬は、お父さん忙しいみたいだけど、お母さんやお姉さんの分もおごってあげるよ」
 
「うーん。お父ちゃんとの約束で高校卒業するまでスカート外出禁止ってことになってるんだけど」
「既に毎日その約束、破ってるじゃん」
 
冬子は22-26日は若葉の女子制服を借りてKARIONの制作をしているスタジオに出かけたし、昨日も★★レコードとの契約をするのに出て行く時は父に言われて渋々ジーンズを穿いていったものの、行った店のドレスコードに引っかかり、政子が何故か持ってきていた冬子に合うサイズのワンピースドレスに着替えたのであった。
 
「それは言えてるなあ。あ、こちらに一度戻って来るんなら、何かお菓子でも買って来てよ」
と言って冬子はお金を渡した。
 

第4ピリオド。
 
不二子/千里/ソフィア/絵津子/揚羽というメンツで出て行く。P高校は北見/伊香/猪瀬/歌枕/佐藤というオーダーである。
 
向こうもさすがに第3ピリオドで走り回ったメンバーは佐藤以外疲れ切っていて、少し休まなければ稼働できない状態。ポイントガードは徳寺は疲れているし、江森は第2ピリオドに出して不二子に完敗しているしで、スモールフォワードの3年生北見を起用したのだろう。
 
このピリオドではどちらもマンツーマンを選択した。自然な組合せとして不二子−北見、千里−佐藤、ソフィア−伊香、絵津子−猪瀬、揚羽−歌枕となる。
 
最初はN高校の攻撃で不二子がドリブルで攻め上がる。絵津子が千里に近づいてスクリーンを仕掛けるのと同時に不二子から千里へのパスが来る。千里は絵津子のスクリーンを使って佐藤との距離をあけ、いきなりスリーを撃つ。
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・村山千里」
のコール。
71-60.
 
追撃開始である。
 

P高校が攻めて来る。佐藤には千里が付いているのだが、パスは送れそうなのでパスする。この時、佐藤は千里がふだんと全く雰囲気が違うのに気づいた。
 
なんか普通の人みたい!?
 
フェイントを複雑に入れた後、右を抜く。
 
停められる!
 
むろんボールを奪われるような佐藤ではないのですぐ猪瀬にボールを送る。猪瀬も絵津子に厳しくガードされているのでいったん北見にボールを戻す。北見は即反対側に居る歌枕にボールを送る。歌枕が進入してシュートしようとするが、揚羽がきれいにブロックする。
 
そのこぼれ球をソフィアが確保してドリブルで走り出す。P高校が急いで戻る。
 
ソフィアがドリブルで攻めあがったので本来の不二子とソフィアの位置が入れ替わった状態で対峙している(取り敢えずソフィアは不二子よりドリブルが上手い)。
 
絵津子が千里のそばに走り寄る。それと同時にソフィアは千里にボールを送る。ところが佐藤は絵津子と千里の間に身体を割り込ませるようにして絵津子がスクリーンするのを防いだ。むろんそれによって空いた右側へ千里が走り込めば、北見がフォローに来る態勢、いわゆるトラップだ。
 
ところが千里はそれを見ると、ソフィアからもらったボールをそのまま速攻でソフィアに戻す。
 
北見は佐藤のトラップに対応するつもりになっていたので、一瞬ソフィアへの注意がお留守になっていた。それでソフィアは実質フリーで、きれいなフォームでスリーを撃った。
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・水嶋ソフィア」
のコール。
71-63.
 

P高校の攻撃。
 
北見がドリブルで攻め上がる。猪瀬が佐藤のそばに走り込んで来る。P高校もスクリーンを掛けようとしている。同様の動きに対して先ほど佐藤はそのスクリーン自体を妨害した。ところが千里は逆にここで佐藤と北見の間に身体を割り込ませる。これでは北見はパスが出せない。
 
反対側に居る伊香にボールを送る。スリーを撃つ。きれいにソフィアのブロックが決まる。こぼれ球は暢子が取って、既に走り出している不二子に送る。不二子がドリブルで攻め上がる。P高校が必死に戻る。
 
不二子がボールを千里に送る。P高校はまだ迎撃態勢を整えていないが佐藤は千里のそばに付いている。一瞬の佐藤とのマッチアップ。この時、また佐藤は千里に違和感を感じた。なんか普段の千里と全然雰囲気が違う!
 
一瞬の心理戦の後、千里は佐藤の右側を抜いて、そのままピタリと静止した。実は抜いてすぐの場所というのが、佐藤としては抜かれた後、いちばん前に回り込みにくい場所なのである。
 
佐藤が回り込む前に千里はスリーを撃つ。
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・村山千里」
の場内アナウンス。
 
そしてスコアボードは71-66となる。
 

N高校は千里とソフィアのスリー3発であっという間に5点差に詰め寄った。
 
観客席で見ていたF女子高の百合絵がつぶやく。
「P高校がさっきのピリオド、多大な体力の犠牲を払って14点差もつけたのに。あっという間に肉薄するなんて」
 
「うん。だからスリーは怖いんだよ」
と彰恵は言った。
 
「さすが千里さんですね」
と晴鹿が言う。
 
「第3ピリオドだって一時は69-49の20点差だったのに、町田(久美子)さんのスリー2発で14点差に詰めたもんね」
と美稔子。
 
「でもなんであんなに続けて勝てたんですかね?」
と志麻子は首をひねって言った。
 
それに対して彰恵は何も答えず、じっとふたりの駆け引きを見ていた。
 

千里の考えはこうである。佐藤との対決でなぜ自分が勝てないか。それは自分が左右どちらに行くかを決めてから行動しているからだ。その決断した瞬間、身体や表情・視線などに現れる兆候を佐藤は彼女の持つ優秀な勘で感じ取り、それで防御する。だから佐藤は「なーんにも考えていない」花園さんには勝てない。それで千里も今日の佐藤との対決では花園さん同様、何も考えないことに決めたのである。そうすることで佐藤はいつもの方法では千里を停めることができなくなってしまった。
 
P高校のベンチは佐藤が2度続けて千里にやられたのは、やはり先ほどのピリオドの疲れが残っているからと思ったようである。P高校は北見が不二子のドライブインを阻止しようとしてファウルを取られたタイミングで佐藤を下げて横川を入れた。渡辺が出たそうな顔をしていたが、まだ渡辺も疲れが取れていないだろうという判断である。
 
佐藤玲央美はベンチに座り、スポーツドリンクを飲んで束の間の休憩をする。1年生の工藤典歌がアイスバッグを首筋や肩に当ててくれる。
 
「でも今の黒木さん、ファウルされてボールを取りこぼしたみたいに見えたけど、実際にはファウルされる直前にボールをドリブルしそこなってましたね」
と近くで渡辺純子が言う。
 
「まあ不二子ちゃんのドリブルなんてそんなもの」
と玲央美も疲れた表情の中、笑いながら言った。
 

しかし佐藤も渡辺も下がっていると、N高校がぐっと優勢になる。千里がどんどんスリーを撃つし、新鋭三人組のパワーは、猪瀬や伊香などではとても抑えきれない。第4ピリオド7分過ぎたところでとうとう83-84と逆転されてしまう。ここまでの第4ピリオドの点数は12-27とワンサイドゲーム気味である。
 
「純子、行くぞ」
と玲央美が言う。
「はい」
と純子も元気に答える。
 
P高校は逆転された所で流れを変える意味でもタイムを取って、佐藤・渡辺・宮野を投入する。猪瀬/伊香/渡辺/宮野/佐藤というオーダーになる。N高校も疲れが見える揚羽に代えて暢子を投入する。
 
渡辺−絵津子、佐藤−千里のマッチングが復活する。他の組合せは宮野−暢子、伊香−ソフィア、猪瀬−不二子となる。
 
千里と佐藤玲央美の対決は、佐藤が交代する前は千里が連続で勝ったものの、本当は千里のやり方では半々程度しか勝率は無い。実際にはこの後、4:6くらいで佐藤優勢の状態で進んだ。一方渡辺と絵津子の対決は、このピリオドに限っていえば7:3くらいで絵津子が勝っていた。
 
他の3人の所もだいたい良い勝負なので、この後は両者互角の戦いとなる。残り1分ちょっとになったところでその絵津子がゴールを決めて点数は89-91とまたN高校2点リードの状態。応援の歓声が凄まじい。
 
P高校が必死の表情で攻め上がってくる。ボールを運んできた猪瀬から宮野・伊香に回されていったん猪瀬に戻す。佐藤に送るが千里・絵津子の2人に挟まれてしまい、また猪瀬に戻す。伊香に送るがソフィアが激しいディフェンスをしていてどうにもならず渡辺に送る。
 
ボールを回していたので、もうショットクロックが17秒ほど消費されている。渡辺にボールが渡った時には絵津子が戻って渡辺の前に構えている。渡辺は強引に突破してシュートしようとした。ふたりの身体が接触する。笛が鳴る。
 
審判はダブルファウルのジェスチャーをしている。渡辺のチャージングと絵津子のブロッキングの双方が取られた。シュート動作中ではあったもののダブルファウルなのでフリースローではなく、P高校スローインからの再開。
 
そしてこの場合、結果的にボールの所有権は移動しなかったのでショットクロックも継続される(*1)。残りは5秒しかない。渡辺は審判からボールをもらうと伊香の所に矢のようなパスを送る。しかし伊香はソフィアに邪魔されて撃てない。佐藤に送る。佐藤が何とか千里との距離を開けてシュートを撃つ。撃った瞬間、24秒計が鳴る。
 
「3ポイントゴール、札幌P高校・佐藤玲央美」
というアナウンス。これで92-91と再逆転!
 
(*1)当時は規定が無かったが2011年の改正で「ディフェンス」のファウルによりスローインになった場合はショットクロックは「14秒」にリセットされることになった(競技規則29.2.1.2)。それでもダブルファウルの場合はその規則は適用せず、計時は継続される(競技規則50.2)。
 

N高校の攻撃。残り43秒。
 
不二子がドリブルしながら攻め上がる。不二子のドリブルに隙がありすぎるのは、いつものことなのだが、江森がそれに突っ込もうとして自滅してしまったので、対峙している猪瀬としても慎重である。
 
ところがここで不二子はまたまたドリブルに失敗してボールがコロコロと転がっていく。猪瀬は当然ダッシュして取ろうとするが、そこに千里、そして佐藤もダッシュしていた。3人がほとんど同時にボールに追いついた感じではあったが3人の伸ばした手の先でボールは弾かれ、結局また不二子の所に戻ってしまった!
 
すると不二子はボールを確保して、目の前に誰も居ないので、そのままドライブインして、きれいにシュートを決める。
 
「2ポイントゴール、旭川N高校・黒木不二子」
のアナウンス。
 
92-93.
 
また逆転!
 
割り切れない表情の猪瀬の肩を佐藤がトントンと叩く。
 

P高校の攻撃。残り29秒。
 
気を取り直した猪瀬がドリブルで攻め上がる。
 
猪瀬の(N高校側から見て)左手では佐藤と千里が激しい争いをしている。佐藤がマークを外そうと動き回るものの、千里はしっかりそれに付いてくる。しかしこういう場面でP高校がいちばん頼りにしたいのが佐藤である。ふたりの距離がいちばん離れそうな瞬間を狙って猪瀬はパスを出す。
 
佐藤と千里のマッチング。ふたりが視線をぶつけあって複雑な心理戦をしている。佐藤の身体が、千里から見て左(エンドライン方向)に揺れる。千里は逆の右側に手を伸ばそうとした。しかその時客席から「左!」という貴司の声が聞こえた気がした。瞬間的に反発して左側に上半身を伸ばす。
 
千里が左手で佐藤がドリブルしている最中のボールを弾き、ボールは絵津子の方に転がる。彼女が飛び付いてそれを取るが、そのボールを渡辺が叩き落とす。既にゲームの残り時間は24秒を切っている。N高校がボールを確保したらその瞬間P高校の負けは確定的になる。
 
転がったボールに佐藤と千里が飛び付くようにするが、身長181cmの佐藤と身長168cmの千里の、手の長さの分だけ佐藤が先にボールに触れる。佐藤はボールを掴むと、まるで回転レシーブでもするかのように床に落ちながら渡辺にトスした。渡辺がその転がった佐藤の身体を壁(というより堤防?)のようにして外側を回り、ドリブルしながらいったんハイポスト方面に出る。そして渡辺はスリーポイントラインの外側まで行ったところで美しい動作でシュートを撃つ。
 
入る!
 
「3ポイントゴール、札幌P高校・渡辺純子」
のアナウンス。
 
95-93.
 
残りは12秒!
 

暢子がスローインの位置に付くが、みんなに「上がれ、上がれ」と指示を出す。不二子だけがセンターライン付近に残り、後の3人はフロントコートに上がる。P高校もここはプレスするよりきちんとディフェンスした方がいい判断し、引いて守る。
 
千里の所には佐藤、絵津子の所には渡辺、ソフィアの所には伊香が付いている。
 
暢子から矢のような速いパスがソフィアに送られる。このケースでは実は最も安全にキャッチできるのが、ここだったのである。佐藤や渡辺は油断できない。
 
そしてソフィアはボールを受け取った後、一瞬の心理戦で伊香を振り切ると、制限エリアにドリブルで飛び込んで行く。猪瀬がフォローに行く。ソフィアが思いっきりシュートするが、ボールは勢いよくリングに当たった後、大きく跳ね返って、何と千里の所に飛んできた。
 
千里もびっくりしたが、そばに居た佐藤も驚く。激しいキャッチ争いを制して千里は何とかボールを確保。むろんここでP高校にボールを取られたらその瞬間N高校の負けである。さっきと逆の立場だ。
 
チラっと時計に目を遣る。残りは5秒だ。千里はボールを確保しているが佐藤は千里に覆い被さるようにして激しいディフェンスをしている。絵津子がフォローのために走り寄る。千里は佐藤の反対側に倒れるようにしながら絵津子にパスを出す。そして千里は床の上で一回前転してから起き上がると、絵津子からボールをパスバックしてもらう。
 
前転したおかげで、佐藤との距離は2mほど離れている。そして千里はボールをもらうと即撃った。
 
ところが佐藤は超反応して千里がボールをもらった瞬間、千里の方向にステップし、撃ったのと同時に力強くジャンプする。佐藤の指がわずかにボールに触れた。それで千里のシュートは本来の軌道を外れ、リングの端で跳ね上がる。
 
ところがそこに走り込んできた暢子がゴール下で物凄い跳躍をして、跳ね上がったボールをタップでゴールに叩き入れた。
 
直後に試合終了のブザーが鳴った。
 

審判はゴール有効のジェスチャーをしている。
 
「2ポイントゴール、旭川N高校・若生暢子」
のアナウンス。
 
95-95.
 
「同点につきオーバータイムとなります」
とアナウンスは続けた。
 
千里も佐藤も、絵津子も渡辺も、そしてスローインした後コートの端から端まで28mを走ってきてタップでゴールを決めた暢子も激しい息をしていた。
 

大差を付けられたN高校が第4ピリオド猛烈な追い上げをして、手に汗を握る試合は結局延長になり、ふっと息を漏らす。
 
貴司はその時、自分の携帯の電源が落ちているのに気づいた。バッテリー切れのようである。それで充電用のバッテリーボックスに繋いでから電源を入れたら、電源を入れてすぐに着信がある。
 
見ると上司の高倉部長である。貴司は客席の後ろの方に行って取った。
 
「お疲れ様です。細川です」
「君、今どこにいるの?」
「いや、それが自分でも何が起きたかよく分からなくて。取り敢えず今東京です」
「東京? 君が試乗車に乗って行ったまま戻らないってんで、アウディのショップから会社に電話があっているのだけど」
 
「済みません。すぐに連絡を取ります」
「それに君、昨日の練習を無断欠席したらしいけど、どうなってるの?」
「大変申し訳ありません」
「ショップには、細川はひじょうにしっかりした社員で、車を乗り逃げするするような男ではないから、必ず連絡があるはずですからと言っているから」
「恩に着ます」
「じゃ、すぐに連絡してね」
「はい」
「今日の練習はどうするの? 今日は練習納めだけど」
「少し遅れるかも知れませんが、必ず出席します」
「うん。ちゃんとしてよね」
 
それで貴司はショップに電話する。
「お世話になります。昨日A4 Avantを試乗させて頂いた細川と申します。店長いらっしゃいますか?」
 
それで店長が出るが言葉が険しい。
「いったいどこまで行っておられたんですか?」
「済みません。よく分からない内に東京まで来てしまって。今日中には戻りますから」
「東京?なんでそんな遠くまで行かれたんですか?その車、お買い上げ下さるんでしょうね?そんな距離を走ったら、もうその車は新車として販売できなくなってしまいましたよ」
 
貴司は店長の言い方に少しむかついたが、自分が悪いのだから仕方ない。
 
「もちろん買いますよ。オプションとかも、今この車に付いているの全て買いますから、売買契約書を作っておいてもらえません?駐車場はうちのマンションに駐車場があるからそこを借りるから。保険もそちらで適当な保険会社を紹介してもらえます?」
 
「分かりました。お買い上げありがとうございます。では車庫証明の書類も準備しておきますので、ご住所をお教え頂けますか?」
 
貴司が買うと明言したことで向こうの態度が軟化した雰囲気だった。そして貴司がマンションの住所を伝えると向こうの態度が、ひじょうに丁寧なものになった。そんな場所に住んでいるのは、お金持ちだろうと思われたのだろう。
 
「あ、でも3年ローンくらいでもいい?」
「えっと、頭金を少し入れて頂けましたら」
「100万くらいでいいかな。明日月曜の朝いちばんにそちらに振り込むから」
 
ボーナス出たばかりだし、バスケットの2部準優勝の報奨金ももらったし、そのくらいは即金で払えるはずだ。
 
「はい。充分です。お帰りお待ちしております。安全運転でゆっくりとお越し下さいませ。今夜も夜10時くらいまでは店に誰かおりますが、何でしたらお帰りは明日でも構いませんよ。その車は一応1月からしか売ってはいけないことになっているので、いったんこちらで引き取って再整備してから1月1日にそちらのマンションまでお持ち致しますね」
 
店長は最後はとても丁寧な言葉遣いになっていた。
 

試乗車をそのまま売るわけではないのでは?とか試乗の時はスタッフが同乗するのでは?というツッコミは取り敢えず置いといて\(・_\)
 
試乗車を遠くまで乗ってしまうという話の元ネタは実は学生時代に英語の教材で読んだアメリカの短編小説です。タイトルも作者も分かりません。ネットで検索してもひっかからないので有名作者の作品ではないのかも。こんな話でした。
 
主人公は会社をクビになって1000ドルほどの退職金をもらう。ぶらぶらと歩いていたらバイクショップにハーレーダビッドソンがあるのに気づいた。格好ええと思って見ていたら、店主が出てきて色々説明する。これ試乗できる?と聞くと、少しお金を置いて行ってくださるならと言う。それで彼は退職金でもらった1000ドルをそのまま渡した。
 
彼はハーレーに乗ると町中を走り回っている内に遠くまで走ってみたくなり、フロリダまで走って行った。女の子たちが彼のハーレーを見てキャッキャッ言う。さんざん見せびらかして満足した上でショップまで帰還した。
 
「どこまで行っておられたんです?」
「ちょっとフロリダまで行ってきた」
「フロリダ?なんでそんな遠くまで行かれたんです。お買い上げくださるんでしょうね?」
「ごめん。金が無い。さっき渡した金が俺の全財産なんだ」
「そんな、ひどい。このハーレーは入って来たばかりの新品だったのに、もうこれは中古品になってしまいましたよ」
 
私はこの小説でハーレーダビッドソンというバイクの名前を知りました。

2分間の休憩。
 
千里も暢子も絵津子も半ば放心状態で椅子に座り、首筋に永子・久美子・海音がアイシング、そして薫と志緒と蘭が3人のふくらはぎをマッサージしてくれた。
 
5分間の延長戦・第5ピリオドが始まる。
 
こちらは雪子/千里/絵津子/暢子/紅鹿で出て行く。向こうは徳寺/伊香/猪瀬/渡辺/佐藤で出てきた。
 
マッチングの組合せは、徳寺−雪子、伊香−紅鹿、猪瀬−暢子、渡辺−絵津子、佐藤−千里となる。
 
オルタネイティング・ポゼッションがP高校の順番なので、P高校のセンターライン横からのスローインで延長ピリオドは開始された。
 
伊香がスローインして徳寺が受け取り、ドリブルしながら攻め筋を模索する。
 
この時、千里のそばに佐藤が寄ってきて言った。
 
「手抜きしたら女装の約束」
 
千里は吹き出した。
 
「なんで〜?」
「だって千里、全力出してない。いつもの千里じゃない」
「私このやり方の方が玲央美を停められそうだから試してみてるんだけど」
「じゃ、その考えが間違っていることを教えてあげるよ」
 
と佐藤は言った。佐藤が徳寺にアイコンタクトする。彼女から速いボールが送られる。佐藤と千里のマッチアップ。
 
ここで千里は前半は彼女の動きに全神経を集中し、向こうが右または左に来ると思った瞬間、そちらに手を伸ばして止めようとしていた。しかしそのやり方ではほとんど彼女を停められなかった。そこで後半は何にも考えないことにした。心を無にして、自分の反射神経だけで停めようとする。すると左右の判断が約2分の1の確率で当たるようになり、結果的に彼女を半分は停められるようになったのである。しかしそのやり方が玲央美には不満な様子である。
 
しかしこの方が停められるからと思い、千里は心を無にする。何千回とマッチアップの練習をしている故に相手が動けば身体はほとんど無意識に反応する。その反応が頼りだ。
 
佐藤の身体が右に揺れた瞬間、千里の身体は左に動く。そして果たして佐藤は左から突っ込んできたが・・・
 
千里は彼女を停めることができなかった。
 
千里が左手を伸ばしたにもかかわらずその接触を全く気にせず佐藤は中に進入する。彼女は自分のシリンダーのぎりぎり外側を通過したと思った。だから笛を吹かれるとしたら自分のファウルになるはず。しかしボールは佐藤が保持しているので、アドバンテージが取られて審判はふつう笛を吹ない。
 
急いで追うものの、佐藤は素早く制限エリアの中まで進んでいる。紅鹿がフォローに来てくれたものの、役者が違いすぎる。右手でシュートすると見せて、紅鹿がブロックしようとした所を、左手に持ち替えて華麗にシュートを放り込んだ。
 
「2ポイントゴール、札幌P高校・佐藤玲央美」
のアナウンス。
 
2-0.
 

N高校の攻撃。
 
雪子がドリブルで攻め上がる。千里にボールが来る。千里は無心で佐藤に対峙する。佐藤がまるで誘うように左側に一瞬視線をやる。その瞬間千里は右に行くフェイントを入れてからシュートを撃つ。
 
佐藤はそのボールをきれいにブロックする。
 
駆け寄ってきた徳寺がボールを確保して速攻。
 
しかし俊足の雪子が全力で走って彼女の前に回り込む。それでファースト・ブレイクはならないものの、徳寺は追いかけて来た渡辺に、そちらを全く見ずにボールを送る。絵津子が必死に追いかけてきたものの停めることはできず、渡辺は華麗にレイアップシュートを決める。
 
「2ポイントゴール、札幌P高校・渡辺純子」
のアナウンス。
 
4-0.
 

この後、千里は佐藤と4度対峙するものの、佐藤の攻めを千里は全く停められず千里が攻撃の時は佐藤を全く抜けない。延長ピリオドになってから6連敗である。その間、絵津子と渡辺の所は半々の勝率で、延長ピリオド3分が経過した所で、N高校は絵津子が4点、暢子が2点取ったのに対して、P高校は佐藤がスリー1本を含めて7点、渡辺が4点、猪瀬が2点を挙げていた。
 
ここまで13-6.
 

「千里さん、どうしたんですかね」
と観客席で見ていたF女子高の晴鹿が言う。
 
「疲れちゃった?」
と鈴木志麻子が言う。
 
彰恵は腕を組んでじっと見ている。
 
百合絵が言う。
「なんかね。後半になってからの千里って、おかしいんだよ。ふだんの千里じゃないんだよなあ」
 
「暴走してるんですか?」
「逆。全くエンジンが掛かってないみたい。もしかしたら敢えてエンジンを停めたのかも知れないけどね」
と百合絵。
 
「なんで?」
「動き回っている防御壁は全ての銃撃を停められるかも知れないけど、全ての銃撃を通してしまうかも知れない。しかし停まっている防御壁は少なくともそこに飛んできた銃弾だけは停められるんだよ」
 
「なるほどー」
「前半の千里がいつもの千里。激しく動き回って玲央美の攻撃を停めようとしていたけど、玲央美って千里の癖を完璧に把握している感じなんだよね。だから全部抜いてしまう。それで敢えて動かない壁になったんじゃないかな」
 
百合絵はそう言ったが、彰恵はこう言う。
 
「でも壁が動かないと分かったら、攻撃側はそこを外して銃撃するんだよ。今はそういう状態」
「だから全部通ってしまうのか」
 
「千里もそろそろ自分のやり方が間違っていることに気づくべきだね」
と彰恵は言った。
 
「でも玲央美はほんとに凄い。私も2割くらいしか停めきれなかった」
と百合絵は言うが
 
「いや、玲央美の攻撃を2割も停められたら物凄く優秀。あれを全部停めてしまう花園亜津子が異常なだけ」
 
と彰恵は言った。
 
「でも今千里がやってるやり方って花園さんのやり方に似てない?」
と百合絵。
 
「花園さんはね。全面を壁にしちゃうんだよ。だから玲央美が停められる」
と彰恵。
 
「やはり異常な人なのか」
 
「回転している扇風機の羽根みたいなもの?」
「それは桜木花道のフンフン・ディフェンスだな」
「むむむ」
「むしろ、見えそうで見えないミニスカートみたいなもの」
「ほほぉ」
 

時計が残り2分を切った所で宇田先生がタイムを取った。ここまでの点数は13-6である。
 
「済みません。全部抜かれてしまうし、点数も入れきれなくて」
と千里はみんなに謝った。
 
「後半の千里は半々の確率で玲央美を停めていた。半々の確率なんだから、たまたまそれが連続しているだけなんじゃないのか?気にすることないと思う」
と暢子は言う。
 
「村山君、君はここまで物凄く頑張った」
と宇田先生は言う。
 
「はい」
と答えながら、ああ、交代かなと千里は思った。
 
「このまま負けたら、惜しかったね。頑張ったのに、とみんなは言うだろう」
と宇田先生。
 
「はい?」
「君、それでいい?」
 
「いやです」
と千里は答える。
 
「だったら、どうしようかな」
と宇田先生。
 
「玲央美を倒します」
「うん。君、花園さんに勝ちたいと言ってたよね」
「はい」
「それを考えすぎてるんじゃないかな。スポーツって誰かに勝とうと思って努力しても、なかなか自分の技は上がらないんだよ」
と宇田先生は言う。
 
「ただ自分を高めることを考えて黙々と努力する。その結果、誰かを越えることもある」
 
そんな宇田先生のことばを聞いた時、千里は唐突に一昨日、富士さんと宮原さんが来てくれた時、富士さんが言っていたことばを思い出した。
 
『自分の欠点とかはあまり考えなくていいよ。自分の長所をぶつけるような戦い方をするのがきっと勝利への道』
 
そうだ。自分は本来の自分のやり方を殺して、他人の猿まねをしていただけなんだ。だから玲央美も不満だと言った。やはり自分は自分のやり方でやるしかないんだ。自分は花園さんとは違うんだから。
 
「私はこの試合に勝ちます」
と千里は言った。
 
「うん。勝って来なさい」
「はい!」
 

それで誰も交代しないまま、雪子/千里/絵津子/暢子/紅鹿というメンツで出て行く。P高校も交代せずに出てきた。
 
そのコートに戻った千里の姿を見て、観客席の彰恵が
「おっ、普通の千里に戻ったね」
と言った。
 
「でもそうしたら結局全部レオちゃんにやられたりして」
「ふふふ。どうだろうね」
 
コートに出てきた千里の雰囲気を見て、その玲央美も頷いている。それでなくちゃという顔である。
 
試合が再開される。
 
試合はN高校のスローインで再開される。
 
雪子がドリブルして攻め上がり、センターラインを越えると即千里にパスする。千里は佐藤と向き合ったまま最初に「右に行く」と決めた。そしてそのあと左右のフェイクを複雑に入れる。そして数回目の右フェイクをした瞬間、
 
ほんとうに右を抜いた。
 
「あ」
と佐藤が声をあげる。
 
抜いたすぐ先にスリーポイント・ラインがある。速いモーションでスリーを撃つが、佐藤は彼女のその軽快なフットワークで千里が撃った時にはもう目の前に回り込んでいた。しかし千里のリリースがわずかに速く、佐藤のブロックは成らなかった。
 
「ああ」
という顔をして佐藤が天をあおぐが、嬉しそうである!!
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・村山千里」
のアナウンス。
そして点数は13-9.
 

P高校が徳寺のドリブルで攻め上がる。
 
徳寺から佐藤にパスが来る。千里と対峙する。
 
佐藤は千里と目が合った次の瞬間、ジャンプしてスリーを撃った。ところが千里は佐藤が撃つのとほぼ同時にジャンプしていた。背丈の差があるので完全なブロックはできなかったものの、ボールの勢いを殺すことには成功。ボールはちょうど絵津子と渡辺の付近に落ちてくる。ふたりがジャンプしてボールを取ろうとするが、164cmの絵津子と178cmの渡辺では、当然渡辺が有利である。
 
このボールを渡辺が確保して着地する。
 
ところが着地の衝撃を弱めるのと次にシュートに行く反動を得るため渡辺が着地の際に膝を曲げたのを見て、その着地の瞬間、絵津子が渡辺の上から、ボールをきれいに奪い取った。
 
「ええ!?」
と渡辺が声を挙げている。
 
ふたりは良きライバルではあるが背丈は渡辺の方がずっと高い。しばしば絵津子はその背丈の差、腕の長さの差にやられている。しかしこの時は完璧に絵津子が一矢報いたのであった。
 
そしてその時は既に千里が全力で向こうのゴール目指して走っている。絵津子はその千里の背中めがけて矢のようなボールを投げる。そのボールが千里の所に到達する瞬間、千里はジャンプして身体を回転させ、ボールを受け取る。
 
そして両足で着地した所はもうスリーポイント・ラインのすぐそばである。千里はゴールの方に向き直ると、美しいフォームでシュートを放つ。佐藤は千里のすぐそばまで来ていたものの、さすがに何もできなかった。
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・村山千里」
のアナウンス。
そして点数は13-12.
 

このあと両軍1度ずつ攻撃機会を失敗したあと、再びP高校の攻撃。今度は徳寺は佐藤の所に千里、渡辺の所に絵津子が居て、一筋縄ではいかないのを見て、紅鹿と対峙している伊香の所にパスする。
 
伊香はシュートしようとしたのだが、長身の紅鹿は大きく手を広げて細かく伊香の前を左右に動き回り、とてもシュートさせてくれない。そこで仕方なく隣の猪瀬の所にパスする。それと同時に伊香は猪瀬の所に走り寄ってスクリーンをセットする。
 
猪瀬が暢子との争いを制してボールをキャッチ。激しいぶつかり合いで暢子が倒れたものの審判は笛は吹かない。そして猪瀬は伊香のスクリーンを使用して回り込み、紅鹿のブロックのタイミングを巧みに外してシュート。
 
「2ポイントゴール、札幌P高校・猪瀬美苑」
のアナウンス。
そして点数は15-12.
 

N高校のスローインで試合を再開しようとしたのだが、暢子が起き上がれずにいる。審判が駆け寄って
 
「君、大丈夫?」
と声を掛ける。暢子は足首を押さえている。
 
「平気です。ちょっとひねっただけです」
と暢子は言ったものの、ベンチから飛び出してきた南野コーチは
「交代させます」
と言う。それで暢子が下がって、ソフィアが出てくる。
 
暢子は冷却スプレーを掛けてもらっている。薫が患部に手かざしのような感じのことをしている。ああ、気功だなと千里は思った。
 
ゲーム再開。
残りは38秒である。
 
その代わって入ったソフィアが雪子にスローインし、雪子がドリブルで攻めあがる。
 
千里の所が千里と佐藤で激しいポジション争いをしているのを見て、雪子はソフィアにパスをした。ソフィアの前には猪瀬がいるのだが、猪瀬はソフィアが進入してきてシュートを狙うのではないかと考えたようである。少し距離を置いて守っている。
 
しかしソフィアは雪子からパスをもらうと、いきなりスリーを撃った。
 
入る!!
 
「3ポイントゴール、旭川N高校・水嶋ソフィア」
のアナウンス。
そして点数は15-15.
 
同点!!!!
 
旭川N高校の観客席から凄まじい歓声が沸き上がった。
 
そして残りは26秒!
 

P高校はゆっくり攻め上がろうとしたのだがN高校はプレスに行った。徳寺が危うく雪子にボールを盗られそうになったのを何とか猪瀬に繋ぐ。しかし猪瀬はソフィアに激しいプレスを掛けられて前に進めない。
 
佐藤と渡辺が、千里・絵津子をくっつけたままま走り寄る。佐藤が猪瀬のすぐ後ろでボールをもらい。更に渡辺につなぐ。渡辺が何とかして8秒ギリギリでフロントコートにボールを運んだ。
 
と思ってホッとしたら、絵津子が斜め後ろの死角から足音を殺して近づき、スティールしてしまう。
 
「嘘!?」
と渡辺は叫んだが、そのまま絵津子が速攻しようとしたら、その前に居た佐藤がきれいに絵津子からボールを奪う。
 
佐藤が再度渡辺にパスするが、その間にN高校は紅鹿・雪子・ソフィアの3人がもう自コートに戻っている。
 
速攻はできないのでオフェンス態勢が整うのを待つ。
 
ゲームの残り時間は10秒を切る。
 
徳寺にボールを渡して、ふたりの場所を入れ替える。徳寺が猪瀬にボールを送る。ソフィアと激しい争いの末、猪瀬は何とか中に進入してシュートを放つ。しかし外れる。リバウンドを紅鹿・伊香・絵津子・渡辺で争い、何とか渡辺が取る。自分でシュートするも紅鹿にブロックされる。こぼれ玉を伊香が取って佐藤にボールを送る。
 
佐藤と千里のマッチアップ。残り時間はもう3秒を切っている。短時間の、しかし複雑な心理戦を経て、佐藤は右を抜こうとした。しかし千里がきれいに反応して停める。すると佐藤はその時地面に付いていた右足だけで踏み切って斜め後ろにジャンプした。
 
そして空中でスリーを撃つ。
 
ところが千里もその佐藤の動きを見て思いっきりジャンプしていた。
 

千里の指先がボールにわずかに触れる。ボールはリングにはぶつかったものの跳ね返って大きく外れる。千里の指に触れたことでボールの軌道がわずかに変わったのである。
 
こちらサイドに居た絵津子と渡辺がジャンプする。ピリオド終了のブザーが鳴る。渡辺がボールをタップして、ボールはゴールに飛び込んだ。
 
 
前頁次頁目次

1  2  3 
【女の子たちのウィンターカップ・最後の日】(2)