【女の子たちの宴の後】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-08-29
2008年のウィンターカップ、旭川N高校は札幌P高校との延長5回までもつれる大激戦の末に敗れ、準優勝に終わった。
表彰式の後控室に戻って荷物を片付けるが、どうしても全体的に沈んだ雰囲気である。また泣いている子も居る。
「あれ?千里、バッシュが違う」
と千里は暢子から指摘された。
「うん。試合が終わってから表彰式が始まる前に履き換えたんだよ」
と千里。
「それ、以前使ってたバッシュだね」
と留実子が指摘する。
「うん。高校1年の春から、この夏の国体まで使っていたバッシュ」
と千里は答える。
「予備に持って来てたの?」
「そう。それで国体の後から今日の試合まで使っていたバッシュは返した」
「ああ、彼氏からもらったんだったよね?」
「うん。彼とは一応この春に別れたんだよ」
「ふーん」
「一応友だちとして付き合っていたんだけどね」
「友だちねぇ」
「今日は女連れでこの会場に来てたから、信じられない、最低、絶交と伝えてもらった。それでバッシュも返したんだよ」
「だけど、そのバッシュはかなり傷んでるぞ」
と暢子が言う。
「うん。でも私、今日でバスケ辞めるし」
「千里、1年後のウィンターカップの時に、千里がほんとにバスケを辞めていたら、千里に100万円払ってもいい」
と暢子は言った。
「うーん。じゃ、もしバスケやってたらN高校女子バスケ部に1000万円寄付するよ」
「ほほぉ!」
「1000万円予算があったら、豪華ホテルでステーキパーティーできたりして」
などと絵津子が言い出す。
「いや今回の遠征だけでも応援の生徒の運賃まで入れると1500万円掛かっているらしいから」
「そんなに掛かったんですか!」
「バスケ部の分だけでも500万円」
「まあみんな良く食ってたからなあ」
と薫が笑いながら言っていた。
南野コーチが千里に言う。
「千里ちゃん、関東方面の大学に入るつもりだったよね?」
「はい。千葉市のC大学を受けるつもりです」
「だったら、来年も私たちこのウィンターカップに参加するつもりだからさ。その時、今回靖子ちゃんたちがしてくれたような、合宿のお手伝いお願いできない?」
「はい。そのくらいはいいですよ」
「お料理係兼練習相手で」
「1年ブランクがあったら、練習相手としては御役に立てないかも」
「大丈夫、千里ちゃんは絶対1年後もバリバリの現役だと私確信してるから」
「みんな私の言うこと信じてくれない」
と千里は言うが
「だいたい千里は普段から嘘が多い」
と暢子が言う。
「高校1年で性転換したなんてのも絶対嘘だ」
と暢子。
「えーっと」
「千里は多分小学3年生くらいで性転換していたと思う」
と留実子が言い、雪子も頷いていた。
貴司は東京体育館の玄関付近で《蓮菜》から千里のバッシュを渡され、一応受け取ってから駐車場の自分の車に戻った。芦耶はまだ寝ているようだ。取り敢えず寝せていてもいいかなと思い、車のエンジンを掛ける。それで出ようとしたのだが、女子の決勝戦が終わった直後で出ようとする車が大量にあるのでなかなか発進できない。初心者ゆえにこういう所で割り込ませてもらうのもへたくそである。
それでエンジンを掛けたままずっと出られるタイミングを待っている内に一瞬意識が飛んだ気がした。
れれれ?と思い、周囲を見回す。
ここはどこ???
貴司はエンジンを停めて、外に出て見た。
うっそー!?
そこは貴司が昨日訪れたアウディのショップであった。腕に付けているG-SHOCKの腕時計で日時を確認する。
12月28日の14:35!?
嘘!?だって僕、14:10頃まで東京体育館で千里の試合を見ていたのに〜?
「聖道さん、聖道さん」
と言って貴司が助手席で寝ている芦耶を揺り動かすと
「うーん」
と言って伸びをして彼女は目を覚ました。
「あれ〜。私寝てたみたい。ここどこ?」
「僕もよく分からないんだけど、アウディのショップに戻って来ているみたい」
「ああ、戻って来れたのね。お疲れ様〜。この車どうする?」
「うん。買うことにした」
「良かった良かった」
と彼女は笑顔である。それで芦耶と一緒に事務所に入っていくと、店長さんがびっくりしたような顔をしている。
「随分早かったですね!」
「そ、そうだね」
貴司がショップに電話を入れたのから2時間も経っていない。普通に考えてこの時間で東京から大阪まで戻るのは不可能である。ほんとに到達したのなら平均速度250km/hほど出したことになる(一応A4 Avantはそのくらいの速度が出ることは出る)。
「売買契約書、作成しましたよ」
「ありがとう」
「オプションの再確認をしたいのですが」
「はいはい」
それで店長はふたりを店内奥の豪華な応接セットの所に案内し、極上のブルーマウンテンコーヒーに、美味しいショートケーキまで出てきて契約の打ち合わせをした。芦耶はコーヒーもケーキも美味しいので満足気な顔だが、彼女は自分が意識を失ってから丸一日経過していることに、この時点では気づいていない。
貴司たちが帰って行った後、店長はスタッフと一緒に貴司が試乗した車のチェックをしていた。するとスタッフがふとメーターの数字に気づく。
「あれ?オドメーターはまだ28kmですよ」
「ん? それトリップメーターじゃないの?」
と店長。
スタッフは念のためボタンを押して操作してみる。
「いや、これ間違い無くオドメーターです」
「でもあのお客さん、東京まで行ってきたと言ってたよ」
「それ、東京都(とうきょうと)じゃなくて、東京都(ひがしきょうと)だったりして」
「いや、京都まで往復したって100km行くよ」
「うーん・・・・」
ふたりはしばし悩んだ。
「まあいいや。買ってくれるんだし」
「そうですね〜。気にしないことにしましょう」
千里たちN高校のメンバーが控室を出て玄関の方に向かっていたら、ロビーに多数のN高生徒・OGなどが居て、拍手で迎えてくれる。
暢子がバスケ部員を代表して挨拶する。
「みんな応援してもらったのに、優勝できなくて本当に申し訳ありません。自分の力不足を痛感しております」
それに対して旭川市長がパチパチと拍手をしながら出てきて言う。
「いや、君たちは頑張った。そして全国の高校生、全ての北海道民に感動を与えてくれた。それは称賛に値すると思う」
「いや、勝者と敗者の差は歴然としています。どんなに頑張っても結果が出なかったら、負けです。でも今日負けても明日は勝つかも知れません。そのために私たちはまた頑張ります」
宇田先生はそう市長に言った。
絵津子は表彰式が終わった後、試合中に頭を打ったのが本当に問題無いかどうか診察を受けるため、山本先生と一緒に都内の病院に行き、MRI撮影など精密検査を受けた。それ以外のベンチメンバーは試合の疲れを癒やすため、南野コーチと一緒に都内のSPAに行って温浴し、付属のマッサージルームでマッサージをしてもらった。ベンチ外の子たちはいったんV高校に戻って、宿舎や体育館・校庭などの清掃作業をしてくれたようである。また、薫は実家に顔を出してきたいということで1人離脱した。
試合が終わったのが14時過ぎ、表彰式が終わったのが15時過ぎで、千里たちがSPAを出たのが18時すぎである。掃除をしてくれていたベンチ外の子たちと20時にK市内の焼肉店で合流して夕食を取ることにする。薫もそのくらいにそちらに行くという話だった。
千里たちがK市に到着したのが19時すぎで、お店の予約時間までまだ40分以上あったので、近くのショッピングモールで「遠くに行かないこと」という条件で束の間のフリータイムとなった。
千里は暢子・揚羽と3人でフードコートでコーヒーやジュースなどを飲みながらおしゃべりしていた。近くのテーブルで不二子・ソフィア・紅鹿がラーメンを食べているので
「君たち、夕食前にそんなの食べてどうする?」
と暢子が訊くと
「ラーメンは飲み物だよ、とえっちゃんが言ってました」
などと不二子は言っていた。
久美子も誘ったらしいが、久美子はラーメンを食べた後で焼肉まで食べる自信が無いと言って断ったらしい。久美子は本屋さんに行ったようである。
その時、フードコートに入ってきた女子高生っぽい女の子がいた。千里たちが彼女に注目したのは、彼女がラーメン屋さんで「モンスターラーメンの大盛」を注文したからである。
フードコートなので普通なら注文した人が自分で席まで運ぶのだが、このラーメンはひじょうに巨大で重たいので、スタッフの男性が運んできてくれた。そして彼女はラーメンを食べ出したのだが、10分ほどで完食してしまう。
それを見て揚羽が「凄いですね」と、むろん向こうは見ずに言ったのだが、揚羽はすぐ絶句してしまう。
ラーメン屋さんのスタッフが更にもう1杯、モンスターラーメンの大盛を持ってきたからである。そもそも2杯注文していたようだ。
ところが彼女はその2杯目を途中まで食べた所で中断してしまう。
「さすがに入らないよね」
などと言っていたのだが、千里は彼女のテーブルまで歩いて行くと向かい側に座った。
「こんにちは」
と千里は笑顔で言った。
「えっと、どなたでしたっけ?」
と政子は訊いた。
「雨宮先生の弟子なんですよ」
「わあ、じゃけっこう関係者ですね」
「でもどうしたのかな?食欲無いみたい」
と千里は言う。
「うん。ちょっと気分転換に家を抜け出してきたんだけど、なんか頭の中に激流が流れているみたいで」
と政子が言ってハッとした顔をしているので、千里はさっと紙とボールペンを渡した。
「わ、ありがとうございます」
と言って政子はその紙に詩を書き始める。
美しい字だなと千里は思う。ケイの字がきれいというのは美空から聞いていたのだが、政子の字も本当にきれいだ。そしてその美しい字でかなり高速に詩を書いている。これは詩を「作って」いるのではなく、降りてきた詩を「書き留めている」んだと千里は感じた。
その詩が書き終わった頃に千里は言った。
「私の友人なんか、このくらいのラーメンを平気で5杯くらい食べちゃいますよ」
すると政子も答える。
「あ、そうですよね。そのくらい普通だよね。私もちょっと食欲落ちているから5杯は無理としても4杯は行けるだろうと思って頼んじゃったんだけど、2杯目の途中で入らなくなっちゃった」
そんなことを言っていたら、近くのテーブルに居たソフィアと不二子が寄ってくる。
「良かったら、その3杯目のラーメン、私たちが引き受けましょうか?」
と不二子。
「わあ、助かるかも」
と政子は言っている。
「でもみなさん、背が高い。バレーの選手か何か?」
「バスケットなんですよ」
「わあ、すごーい。私、バスケットはいつも最初にぶつけられてアウトになってたから」
「ん?」
「それはドッヂボールでは?」
「あれ〜〜〜?」
そんなことをしている内に、病院に行っていた絵津子が山本先生と一緒に戻ってくる。それで結局、3杯目のモンスターラーメンは不二子とソフィアが半分ずつ食べて4杯目は絵津子が食べた。
「助かりましたぁ!御飯をムダにしてはいけないからどうしようかと思った」
と政子が言う。
「もし良かったら、その半分残してるのも私が食べていい?」
などと絵津子が言うので、政子は
「どうぞ、どうぞ」
と言う。
それで結局絵津子はモンスターラーメンの大盛を1杯半食べることとなった。
「えっちゃん、そんなに食べたらさすがに焼き肉は入らないのでは?」
「大丈夫です。ショッピングモールの周囲を3周走ってからお店に入ります」
「すごーい。みんなスポーツウーマンなんですね」
と政子は感心しているようである。
「あなたはスポーツしてないの?」
と絵津子が政子に尋ねる。
「うん。私はスポーツは苦手〜」
「それにしてはモンスターラーメン大盛4杯は大胆だね」
「この子はスポーツではないけど、凄いエネルギー使う活動をしてるんだよ」
と千里が言う。
「あ、千里さんの知り合い?」
「私の先生の弟子のお友達かな」
「へー」
「この子と似た雰囲気の子で、やはりこのくらいのラーメン5杯平気で食べちゃう子も知ってるし」
「凄いなあ。その人もやはり凄いエネルギー使う活動してるんですか?」
「ううん。あの子はそうでもないな。でもこちらの子と同じジャンルで活動してるんだよ」
「なるほどー」
「私、お父ちゃんに凄く叱られて。でもそれをきっかけにここ数ヶ月忙しかったのの疲れが一気にどっと出てきてしまったみたいで。ふらふらと出てきてしまったんだけど、皆さんと少しお話してたら、少し気が晴れた気がします」
と政子は言った。
「お父ちゃんに叱られるのは私は普通だな」
と不二子。
「私はふつうに殴られるな」
と絵津子。
「女の子を殴るってひどい」
と政子は言うが
「私、娘と思ってもらってない感じだし」
「ああ、息子扱いでしょ?」
「そうだなあ。小学生の頃、女湯に入ってたら『あんた小学生じゃないの?小学生の男の子は男湯に入らなきゃ』と言われたことなら何度も」
と絵津子が言うと
「同じく」
「同じく」
と暢子・揚羽・ソフィア・不二子からも声が出る。
「私、その逆を言われてたかもって子知ってる」
と政子。
「こちらの千里の場合がまさにそれだな」
と暢子が言う。
「そうだね。男湯に入ろうとしたら『小学生の女の子は女湯へ』と言われたことあるよ」
と千里が言うと
「いや、それはまさにそうですよ。なんで男湯に入ろうとしたの?男の子になりたかった?」
「この子の場合は、女の子になりたい女の子だと言われていたなあ」
「意味が分からん」
「よく言われる」
「あ、でも私の友だちも女の子になりたい女の子なんだよねぇ」
と政子が言う。
「あ、たまにそういう子はいるみたいね」
と千里も笑顔で言った。
「だけど、食欲が無くなるくらい悩んでいるんだったら千里占ってあげたら?」
「占いができるの?」
「この子、巫女さんなんですよ」
「へー。じゃ、占ってもらえません。見料払いますから」
「いいですよ。じゃ高校生割引の1000円で」
と言って千里はバッグの中から筮竹を取り出した。
「そんなのいつも持ち歩いているんですか?」
「私、その日に必要になるものが分かるんですよ」
「すごーい」
略筮で卦を立てる。
「艮為山(ごんいさん)の3爻変」
と言って千里は厳しい顔をする。
「純卦(じゅんか:上下の八卦が等しいもの)は厳しいて言ってましたね?」
とソフィアが言う。
「そうそう。バンカーに入ったみたいに脱出口が無いのが純卦なんだよ。これ解決にはかなり時間が掛かると思う」
「そうかぁ」
と政子は悩むように言う。
「艮はその背にありて、その身を獲えず。生きてその庭にその人を見ず。咎無し。山ってのは越えるべきものを表すんですよ。今は何かが悪い訳ではないけど、今のままでは何も解決しない。自ら山を登って峠を越えなければならない」
「課題があるということですね」
「爻辞は其の限(こし=腰)に艮(とど)む。其のイン(背)を裂く。氏i=厳)きこと心を薫ぶ。変爻が3番目に出ていて、ここはちょうど人間で言うと腰の付近なんです。一般に変爻の位置は解決までに掛かる時間を表すんですよね。まだ解決には3−4年掛かるということ」
「そんなに掛かるんだ!」
「無理に解決させようとすれば、半身を裂かれるようなことになる」
「あ、それ何となく分かります」
と政子が言ったので千里は特にコメントしなかったが、ここで背を裂かれるというのはケイと無理矢理引き裂かれるという意味だろうなと思った。
「今は苦しさで心が燻製にでもされるかのような状態。悪い状態なんだから、そのこと自体では悩んでも仕方ない」
「開き直れということかな」
「ある意味そうだと思いますよ。之卦が山地剥だからまだ何か失うものがある」
「うーん」
「ただね」
「はい」
「これ凄く深い意味がありそうなんだけど、腰の付近で身を裂かれると出ていて、しかも之卦(しか)が剥ですからね。腰の付近に付いているものを取っちゃうと解決するのかもね」
「ほほお」
「ちょっと心あたりあります?」
「私の相棒さんが腰のあたりにちょっと余計なものができているのよね」
などと政子が言うので
「できものかイボみたいなのですか?」
とソフィアが訊く。
「そうそう。あれは一種のイボだよね」
と政子。
「それをちゃんと手術して取ればかなり問題は解決するみたい」
と千里は笑顔で言う。
「よしよし。彼女にはぜひ手術を勧めよう」
と政子も初めて笑顔になって言った。
その後しばらく政子は自分の心の中の混沌を吐き出すかのように色々なことを話したが、千里は筮竹をしたり、あるいはタロットを引いたりして答えてあげた。
政子は千里に千円札を渡して帰って行ったが、帰り際、何かを探しているかのようであった。
「何か落とし物ですか?」
とソフィアが尋ねると
「ええ。さっき買ったものが。おかしいな。まあいいか」
などと政子は言っていた。
彼女の背中を見送ってから揚羽が千里に尋ねる。
「ね。千里さん、もしかしてあの人・・・」
揚羽はどうも政子の正体に気づいた雰囲気である。
「お互い通りがかりの女子高生同士ということでいいんじゃない?」
と千里は笑顔で揚羽に言う。
「そうですよね! やはりあれだけの事件があると悩んじゃうんだろうな」
と揚羽。
「大変だろうけど、あの子は乗り越えていくよ」
と千里は言った。
『千里、彼女のバッグから取りあげたこの包丁、どうすればいい?』
と《りくちゃん》が千里に訊いた。
『あの子の自宅の台所にでも置いておいて。そしたらお母さんが鍵のかかった引き出しに収納すると思う』
『了解。じゃあの子に付いていって自宅に入ったら台所に置くよ』
『うん。そうしてあげて。ついでにあの子がフラフラと歩道橋とかから飛び降りたりしないようにと、記者とかが寄ってきたら適当に排除するのお願いできる?』
『OKOK』
それで《りくちゃん》は政子をガードして付いていった。
政子と千里の再会はしばらく後になるが、その時政子は千里のことを覚えていなかったようであった。冬子は千里と同様に人の顔をすぐ覚えるが、政子は全く顔を覚えきれないタイプのようである。
『だけどこうちゃんたち、傷の治療に時間が掛かっているのかなあ』
などと千里が心の中でつぶやくと、何だか《たいちゃん》が可笑しそうにしていた。何なんだ?
ところで28日の午後、自動車屋さんを出た後、貴司から試乗に出かけたあと丸一日経っていることを打ち明けられた芦耶は驚愕した。
「うっそー!」
と言って携帯を開けてみて、日付を確認するとともに大量のメールが溜まっていることにも気づいて「きゃー!」と言っている。
「でも東京に行ってたんなら、私、もんじゃ焼き食べたかったなあ」
「うーん。ふつうのお好み焼きでも良ければおごるけど」
「取り敢えずそれでもいいかな」
「お腹空いたでしょ?」
「丸一日経っていると聞いたらお腹空いてきた」
「何か食べて行こう」
「うん」
と言ってから、芦耶は何か考えるようにして貴司を見ている。
「あ、君が寝ている間、僕は決して君の身体には触ってないから。起こすのに揺すった時だけ」
と貴司が言うと、芦耶は吹き出した。
「貴司って、ほんっとに紳士的というか。別に性欲が無い訳じゃないんでしょ?」
「うん、まあ」
「あの子とはしてるんだよね?」
「いや、その別にいいじゃん」
「ふーん」
「で、何食べる?」
「ファミレスで思いっきり色々なメニュー食べたい」
「うん、いいよ」
ファミレスでお好み焼き、シーフードドリア、イクラ鮭丼に、フライドチキン2皿をペロリと食べて結構満足した芦耶は、ふと貴司がバッシュを入れた袋を持っていることに気づく。
「あれ?練習に行くのに用意していたの?」
「あ、いや。自分のはマンションにあるから練習に行く前に取りに戻らないといけないけど、これは実は・・・その・・・あの子のバッシュで」
「え?」
「実は聖道さんが寝ている間に彼女の友だちがこれを持って来て」
「へ?」
「これ僕が彼女にあげた贈り物だったんだけど、返すと言われた」
「ん?」
「ついでに女連れで自分に会いに来るなんて最低。絶交だと言われて一応振られた状態かな」
「女連れって、もしかして私のこと?」
「うんまあ」
「じゃ、別れちゃったの?」
「電話してみたら、着信拒否設定されているみたい」
「あらあら。どうすんの?」
「いや、どうしようかと今悩んでいる所で」
「取り敢えず少し冷却期間をおいてから考えたら?」
「そうだなあ・・・」
芦耶は何だか嬉しそうな顔をしていたものの、貴司は手紙でも書いてみようかなどと考えていた。
千里たちは焼肉屋さんで遅い夕食を取った後、その日はいったんV高校に戻って1泊し、翌日お昼の男子の決勝戦を見たあとで帰途に就いた。午前中少し時間があったので、一部の子たちはまた練習をしていたようだったが、絵津子の姿が見当たらなかった。
「どこかで寝ているのでは?」
などと不二子が言っていたのだが、そろそろ東京体育館に行くよ、という時間になって姿を現す。
「えっちゃん!?」
「また丸刈りにしたの?」
「試合に負けたから丸刈りにしました」
「うーん。えっちゃんのその頭もだいぶ見慣れてきた気はするが」
「頭痛い」
と南野コーチが言っていた。
試合と表彰式を見た後は、29日の夕方の飛行機(Air Do 1735-1915)で旭川に帰還して解散する。なお応援に来てくれていた人たちの大半は昨日28日に
東京1756(はやて29)2059八戸2118(つがる29)2218青森2242(はまなす)607札幌
という連絡で札幌まで行き、そのあと学校が用意したバスで旭川に帰還したようである。
30日は冬休み中ではあるが全員また朝から学校の南体育館に集合して、お留守番していた女子部員(今年いっぱいで退部する子を含む)や男子部員たちに報告をした。その後、ベンチメンバーで理事長室に行き、出てきてくれていた理事長と校長、他数名の理事さんなどにもあらためて報告をした。
「優勝できなくて申し訳ありませんでした」
と部長の揚羽は謝ったが
「いや、僕はテレビで見ていたけど凄い試合だったね。全国のたくさんの人があの試合に感動したと思う」
と理事長さんは言っていた。
反理事長派の中心で次期校長の座を狙っていると噂されている**先生(前の理事長の従弟か何からしい)なども
「僕も感動した。君たちはほんとに凄い!」
と純粋にみんなを褒めてくれた。
「あれ?今気づいたけど、その丸刈りの子は渡辺君?」
と**先生が言う。
「すみませーん。試合に負けたので丸刈りにしました」
「女子の丸刈りは校則違反なんだけど」
「済みません。登校する時はウィッグをつけさせますので」
と隣からソフィアが言う。
「まあいいか。君もベスト5に選ばれたし。凄いね」
「ありがとうございます」
「いや、女子チームのはずなのに男子が混じってたっけ?と一瞬悩んじゃったよ」
「あ、レストランのトイレと羽田空港のトイレで通報されました」
「気をつけてね!」
一方優勝した札幌P高校は28日に都内で祝勝会を開いた後、やはり翌日の男子決勝戦・表彰式を見た後で、最終の飛行機(Air Do 2055-2230)で札幌に帰還した。そしてあらためて翌30日、朝から学校に集まったのだが・・・
「じゅんちゃん!?」
「丸刈りにしちゃったの!?」
「得点数で湧見に負けたので丸刈りにしました」
「きゃー」
決勝戦で渡辺純子が25点取ったのに対して、湧見絵津子は26点取ったのである。
「でも、あんたその頭で女子トイレに入って痴漢と間違われないように気をつけなよ」
「大丈夫です。朝から早速駅で悲鳴上げられて警備員さんにつかまりました」
「ああ・・・」
渡辺純子は身長も178cmあるので、頭を丸刈りにしていると充分男に見える。
札幌P高校のメンバーは午前中札幌市長などにも優勝の報告をした後、市内のフランス料理店で祝勝会を兼ねた食事会をした。
一方、旭川N高校のメンバーも30日午前中に旭川市長などに準優勝の報告をしてから、30日のお昼はみんなで一緒にジンギスカンを食べに行った。
「正式の報告会は1月5日の登校日に全体集会でするから」
と宇田先生は言っている。
「なんか賞とかもらえるんですか?」
などと絵津子は尋ねている。
「まあ、もらえたらいいね」
「やっぱり夏に理事長さんがおっしゃってた優秀賞ですかね?」
「さあ、僕は何とも聞いてないから」
と宇田先生も今の段階では何も言えないようである。
「来年の有望な新入生って、います?」
「今特待生で入学内定しているのが、スモールフォワード型の子がひとりと、シューター型の子がひとり」
「え〜!?」
と声を挙げたのは結里である。智加の成長を脅威に感じているのにこれ以上ライバルが増えたら。。。という感じであろう。
「まだ筋力が無いから6mの距離からはそんなに入れきれないんだけどね。4-5mからは高い精度で放り込むんだよ」
「へー」
「だから筋力トレーニングや下半身を鍛えたりして、来年のウィンターカップあたりからの戦力かな」
と宇田先生が言うと
「安心した」
などと結里は言っている。彼女にとっては来年のインターハイが全国大会でのベンチ枠獲得の最初で最後のチャンスと思っているだろう。
「実は村山君のプレイを見て憧れてうちの高校を志望したんだよ」
と先生は言う。
「でも私、もう引退してしまいますが」
「それなんだけどね。ここ1ヶ月ほどやってたシューター教室、3月中旬くらいまで続けられないかなと思っているんだけどね」
「私、受験があります」
「でもC大学理学部なんて、君の成績なら寝てても合格するでしょ」
「えっと、□□大学医学部は?」
「若生君・花和君・歌子君が既に条件クリアしているから放置しておけばいいよ」
「いいんですか〜?」
「まあ取り敢えず受けて、もし合格したらそれでもいいかという程度でいいと思う」
「うーん・・・」
「それと神野君と湧見君の交換留学も3月中旬まで続けるから」
と宇田先生。
「あ、私また岐阜に行けるんですか?」
「うん。向こうで鈴木(志麻子)君が手ぐすね引いて待っているようだよ。前田(彰恵)君・大野(百合絵)君も、大学はもう決まっているからたくさん練習相手になってくれるそうだ」
「ええ、前田さんは大阪のG大学、大野さんは東京のというか正確には神奈川ですがS大学に推薦入学が決まっています」
と千里は言う。
「じゃ向こうが前田・大野が練習相手になってくれるんなら、私もお手伝いしようかな。私も行き先は決まっているし。薫も付き合えよ」
などと暢子は言っている。
「うん。そうしようかな」
と薫。
「でも私、28日でバスケ辞めたのに」
と千里が言うと
「ああ、それはあり得ない」
と宇田先生は笑って言った。
「でも3月中旬までって、3年生は3月1日で卒業してしまうのでは?」
と薫が言うが
「村山君が受験するC大学の合格発表・入学手続きって確認したら3月13日(金)らしいからさ、その前日の12日までシューター教室をしてもらえばいいかなと」
「卒業式の後も続けるんですか〜?」
「君もトレーニングにはちょうど良いでしょ?」
「うーん・・・」
どうも話は千里の居ないところで勝手に進んでいるようである。
「あとほかに特待生ではないけど、原口(揚羽)君の妹さんも推薦入学が内定しているから」
と宇田先生。
「おっ」
「強いですか?」
と絵津子が揚羽に訊いている。
「うーん。私とはタイプが違うから何とも」
と揚羽。
「ポイントガードなんだよ」
と宇田先生は説明する。
「わあ、楽しみ」
と永子が嬉しそうに言ったのに対して、愛実は
「きゃー、またポイントガードの競争が激しくなる」
などと言っている。この2人の反応も面白いなと千里は思った。永子は純粋にバスケが好きだから上手な人が入ってくるのは嬉しいんだ。
「うちも強豪校っぽくなってきましたね」
と志緒。
「ベンチ枠争いが熾烈になっていくんだろうな」
と蘭。
「まあ練習頑張ろうよ」
と来未が言っていた。この3人も今回は志緒と蘭がベンチ枠に入り来未が涙を呑んだものの、インターハイではどうなるか分からない所だ。ウィンターカップは15人出られるが、インターハイは12人なので、より厳しい競争になる。
ジンギスカン屋さんで満腹し、そろそろ解散かなという雰囲気になりつつあった頃、宇田先生の携帯に着信がある。
「はい、はい。分かりました。それではベンチ枠の16人連れてそちらに参ります」
どうも電話の相手は学校にいる校長先生のようである。
「ウィンターカップの主宰者から、あの熱戦に感動したというので、感動賞というのがもらえるらしい」
「へー」
「何か賞を出したいというのは早い内に決まったらしいんだけど、どの程度のものにするかというのと、予算をどうするかで調整に時間がかかったらしい。結局、協賛のスポーツ用品会社N社と取引関係にある商社から特に協力させてくれという申し出があったらしくて、N社のセミオーダーのバスケットシューズをプレゼントすることになったらしい」
「わあ、バッシュは歓迎です」
「私、今のが結構傷んでから新しいの欲しかった」
「今のちょっと小さいかなと思ってたのよね」
などという声もある。
「なんかその商社の社長の娘さんだかがたまたま観戦していて凄く感動したと言ってたらしくてね。予算のことで話していた時に良かったら資金を出させてくれ、名前も出さなくてもいいからという申し出があったらしい」
「へー」
「それで、サイズを測ったりデザインの確認をしたりするのに、もしよかったら、選手15人と付き添いの人の分の交通費を出すから今日か明日にでも北広島市まで来てもらえないかということなんだよ。都合が付かないなら年明けでもいいということなんだけど」
「今すぐ行きましょう」
と暢子が言う。
「先生、実際お正月は実家に戻る子もいるから今日がいいと思います」
と千里も言うので、校長には今日行くと連絡してもらった。
それでウィンターカップの選手15人・薫・宇田先生・南野コーチの18人で旭川駅に移動し、スーパーカムイで札幌駅まで行った。札幌駅から先はバスを用意してもらっていたので、それでN社のショップに行く。そこの応接室で揚羽が代表して「ウィンターカップ2008感動賞」と書かれた賞状をもらった。
「それでご連絡しましたように、副賞として選手のみなさんにはバスケットシューズ、マネージャーさんとコーチ・アシスタントコーチさんにはジャケットを贈りたいと思いますので、サイズを確認させていただけますか?」
「優勝したP高校さんもバッシュもらってましたよね?」
「すみません。あちらは一般には販売していないスペシャルモデルで。こちらは一般販売品になりますが」
「いや、ふつうので充分嬉しいです」
「来年は私たちが優勝してスペシャル・バージョンをゲットしよう」
などとソフィアが言っている。
1人ずつサイズをきちんと測ってもらい実靴で確認するとともに、カラーリングについてはパソコンのモニターで部分毎に各々好きなものを指定した。文字も入れられるということで多くの子が自分の名前を指定した。千里は少し考えて1000STと指定した。
絵津子はVICTORYと入れていた。絵津子がVICTORYでソフィアがSOPHIAというのを見て不二子はMT.FUJIと入れた。
「なるほど〜、富士山か」
「日本一だよ」
「よし、来年は高校三冠を取ろう」
今日オーダーしたものは1個1個個別生産になるので時間がかかるものの、1月中にはお届けできると思いますということであった。
しかし千里は測ってもらいながら、せっかく私バスケを辞める気になってるのに、1月から結局シューター教室再開になるし、何でみんなこんなに寄ってたかって続けさせようとするの〜?などと思っていた。しかしカラーリングの指定は塗り絵をしているみたいで楽しかった。
「wintercup 2008のロゴも転写できますが」
「いや、転写しなくていいです」
「記念品って感じじゃなくて、こんな快適なバッシュは普段に使いたい」
「よし、これで頑張って点を取りまくってインターハイ優勝しよう」
30日大阪。
貴司は朝から少し浮き浮きした気分で新大阪駅まで来ていた。芦耶と名古屋まで日帰り旅行をする約束をしたのである。貴司としては実は今男性器が使えない状態になっていることから、泊まりの入るデートには付き合えない状態なのだが、貴司が自分とのセックスにはまだ躊躇していることを感じ取った芦耶が日帰り旅行を提案したのである。
名古屋でひつまぶしでも食べて名古屋城を見て帰って来ようという計画である。
ところが芦耶と落ち合って新幹線を待っていた時、貴司に電話が入る。
「え?今からですか? はい。はい。分かりました。そちらに参ります」
と言って電話を切る。
「会社から?」
「ごめーん。沖縄まで行って来ないと行けない」
「沖縄〜?」
「今日の埋め合わせはまたするから」
「うん。まあお仕事なら仕方ないかな。でも名古屋までの往復切符買っちゃったのにどうしよう?」
「ごめーん。ひとりで行ってきてくれない?それか誰か友だちでも誘っていくとか。僕の切符もあげるし、ひつまぶしの分のお昼御飯代あげるから」
「仕方ないな。○子でも呼び出すか。何時の飛行機に乗るの?」
「11:55の便を予約してくれたらしい。だから2時間くらいは時間があるかな」
「じゃコンコースに戻ってお茶でも飲もう。その間に○子呼び出すから。彼女には入場券で中に入ってもらえば、チケットを交換できる」
「OKOK」
それでふたりはホームから降りてコンコースに戻った。
その様子を少し離れた所で見ていた男女2人の影がある。
『天空さんにお願いして、何とかデート阻止のための仕事を入れた』
と言って《こうちゃん》は息をつく。
『で、あんたたち、結局さんざん苦労したあげく、千里を怒らせて、貴司君とあの女をくっつけちゃった訳?』
と呆れたように《きーちゃん》が言う。
『俺たちもちょっとショックだったんだけど、大裳が言うには、それでいいんだって』
と《こうちゃん》は言い訳がましく言う。
『なんで?貴司君とは別れた方がいいということ?』
『いや、あの女、待つ立場だとずっと待ってて邪魔になるから、いったん自分が唯一の恋人と思わせてしまった方がいいと。それから千里を新たな恋人として登場させればいいと。大裳が言うには、人間の女って、彼女がいる男にアタックして現在の彼女を排除するのは頑張るけど、新たな恋人の登場から防御するのは苦手なもんなんだって』
『それはあるかも知れないね。でも千里の機嫌は直せる?』
『逆に千里には貴司君が他の女とデートしている所を見せつければ自然と邪魔しはじめるよ』
『まあそうだろうね』
『幸いにも、あの女、一度も千里の顔は見てないしさ』
『アジア選手権の後で会わせた時も見てない?』
『暗かったからな』
『ふーん。でも貴司君が万が一にもあの女とキスしたり、ホテルに行ったりしないようにちゃんとしなよ』
『ああ。そういう事態が起きそうになったら徹底的に邪魔するから。でも女のキャラが必要になった時は、貴人頼むよ』
『あんたか青龍が女装したら?』
『え〜〜!?』
30日の午後、バスケ部の納会が終わった後、佐藤玲央美は十勝先生からちょっと話そうと言われた。
「君さ、卒業後、どこに行くつもりなの?」
バスケ部の3年生で実は行き先が決まっていないのは玲央美だけなのである。宮野は関東の強豪校に推薦で合格しているし、河口や徳寺も札幌市内の大学、北見なども関東方面の実業団を持つ会社に就職が内定している。玲央美がU18日本代表としても忙しい日々を送っていたので学校側もよけいなことまで気を回させないようにと、その話は停めていた。
「まだ何にも考えてないんですよね〜」
と玲央美は言う
「君の親御さんやお兄さんとも話したいんだけど、君自身の気持ちが定まらないことには始まらないと僕も思っててね」
「そうですね。でもうちの母はバスケのこととか何も分からないみたいだから。どこか適当な会社に2〜3年も勤めてお嫁に行ってくれればみたいなこと言っているし」
「いやお見合いとかしたいならいい人紹介するけどさ、せめてあと10年くらい日本代表で頑張ってからにしてよ」
十勝は優秀なバスケ選手の親って両極端だと思う。宮野の両親など娘がキャプテンを務めて全国優勝したというのに舞い上がってファンのための新聞を作ろうかなどと言っているらしい。佐藤の親の場合は全く逆だ。彼女を精神的にも経済的にも支えてきたのは12歳年上のお兄さんである。
「君を欲しい、今からでも推薦入学扱いにするから入って欲しいという連絡が8個もの大学から来ているのだけど」
「私あまり勉強してなかったし、あまりする気にもならないから、大学はパスかなあと思っているんですけどね」
「それならいっそ直接Wリーグに行くつもりはない? 実は3つの球団から、君の動向について照会があっていて。とにかくオールジャパンが終わるまでは本人も進路まで考えたくないと言っているのでと回答しているのだけど」
「そうですね。私、何かもうウィンターカップのあの決勝戦で燃え尽きてしまった感じで。もうこのままバスケ辞めて母が言うようにOLでもしようかなとも思っているんですけど」
「それはさすがに世間が許さないよ」
「うーん・・・」
「だいたい君、OLするにも簿記も知らないのでは?」
「WNBAに行きたいと思ってた時期があったから英語は勉強したんですけどね。資格関係って全く取ってないですね。そんな勉強する時間あったらバスケしていたし」
「やはり行き先が決まらないなら、とりあえずどこかの大学にでも行ったら?栃木のK大学とか、神奈川のJ大学とか。どちらも君を欲しいと言っている。面接受けるだけで、ペーパーテスト無しで通してくれるから」
「そうですね〜。あ、でも東京方面には行きたい気はしています」
「J大学の方がまあ東京には近いかな」
しかし玲央美は十勝監督が渡してくれた書類を気が進まないと言って期限までに提出しなかった。
30日の夕方、北広島市からの帰りに千里は他の部員たちと別れて深川で特急を降りた。留萌線に乗り換えて帰省する。留萌駅まで母が迎えに来てくれていたが、千里の格好を見て眉をひそめる。
「あんたさ、それでうちに帰ってくるんだっけ?」
千里は今日は旭川市長への挨拶とかもあったりして、女子制服を着ている。
「だめ〜? 私、いっそお父ちゃんにカムアウトしたいんだけど」
「それはまた今度にして」
「仕方ないなあ」
それで結局商店街で中性的なトレーナーとパンツを買い着替える。髪もショートヘアのウィッグをつけて長い髪をその中に収納した。
帰宅すると父はご機嫌であった。
「千里、お前バスケで全国大会に行ったんだって?」
「そうだね。バスケの大きな大会は夏に1度と冬に1度あるんだけど、これで2年生の夏と3年生の夏・冬、合計3回行ったことになる」
「大したもんだな、結果どうだった?」
「うん。優勝した所と延長戦までやって頑張ったんだけどね。最後負けちゃった」
私、嘘ついてないよね?うん、などと思ったが、玲羅が呆れたような顔をしている。決勝戦の様子はスカパーのJ-SPORTSで生放送されているが、うちには衛星放送を見るような設備は無いはずだから見てないだろうと千里は踏んでいた。そもそもNHKの受信料もかなり滞納しているっぽいし。
「そりゃ優勝するような所にはかなわんだろうな。でも延長戦までやったのは大したもんだ。まあ飲め」
「私まだ未成年だよ」
「18になったら飲んでもいいんだぞ」
「私17だけど」
「そうだったっけ?」
母が頭を抱えている。まあ父に子供の誕生日覚えておけと言っても無理なことだ。しかし考えてみると、私って卒業式を17歳で迎えちゃうんだな。得なんだか損なんだかよく分からない。
「大学はどうするんだっけ?」
「千葉県のC大学と東京の□□大学を受けるよ。一応C大学で通るつもりでいるけど、落ちた場合は後期日程で静岡のS大学を受けるつもり」
「静岡か。その方がまだ近いかな」
「え?静岡の方が千葉より遠いと思うけど」
と言いながら千里は頭の中に日本地図を描いてみた。
(実際に留萌−千葉間は936kmだが、留萌−静岡間は1036kmある)
「北大とか受けないの?」
「千葉に習いたい先生がいるんだよ」
「そうか。そんなこと言ってたな」
でも実は千里はC大学理学部の教官の名前など全く知らない。
「一応願書持って来たんだけど、印鑑押してくれないかなと思って」
「まあいいか。でも大学卒業したらこちらに戻って来て漁船に乗らんか?」
「漁船自体が操業していないのでは」
「そうなんだよなあ。困ったもんだ。ニシンでもスケソウダラでもいいけど、大量に来るようにする方法がないもんかなあ」
「そうだねぇ。魚の生息領域が北に移動してしまうのは地球温暖化の影響かもね」
「地球って温暖化してるの?」
「という説が最近は有力だよ」
「でも暖かくなるのはいいことじゃないのか? 北海道もずいぶん冬が過ごしやすくなるよ」
「そうそう。ロシアなんかも、温暖化はいいことだと言ってる。でも暖かくなると南極の氷が溶けて水面が上昇するから留萌みたいな海岸の町は全部水没してしまうかもね。太平洋の国では国土全体が水没する見込みの所もあるよ」
「それはちょっとやばいな」
そんなことを言いながらも父は3枚の願書に一応ハンコを押してくれた。千里は願書を一応全部ボールペンで書いていたのだが、実は性別の所だけ鉛筆で男の方に○を付けていた。父はそれには気づいていない雰囲気であった。
12月31日。
千里は午前中は母を手伝って、おせち料理を作ったりした。午後は母の買物に付き合うような顔をして一緒に車で出かけ、貴司の家に寄る。千里は車の中で女子制服に着替えておいた。
「済みません。ほんとはこの子そちらで正月を過ごさせるべきなんでしょうけど」
と母が言うが
「いや、貴司自身がずっと仕事らしくて、こちらに戻ってこないんですよ」
と貴司の母は言っている。
取り敢えずお父さんに群馬のお酒、お祖母さんには狭山のお茶と虎屋の羊羹、お母さんには洋菓子と渡して、理歌と美姫には
「これが希望ということだったから」
と言ってビットキャッシュの、かなコードを渡した。
「何それ?」
とお母さんが訊くと、お祖母さんが
「ゲームの課金に使うやつですよ」
と答える。
「図書カードにしようかと思ったんだけど、本人たちに電話して聞いたら金券なら、こちらがいいと言うから」
「助かります。これでいい装備が買える」
などと理歌は言っている。
「私も欲しいくらい」
などと貴司の祖母が言うので
「言われるかもと思って、お祖母さんにも。2000円分で申し訳ないですけど」
と言って、かなコードを渡す。
「理歌と美姫のは5000円分ね」
「お姉さん、ありがとうございます!」
「ところで貴司が、千里さんの携帯につながらないんだけどと言ってたんだけど」
とお母さんが言う。
「ああ。東京体育館の決勝戦の応援に来てくれたのはいいんですけどね。女連れで来てたんですよ。もう信じられない」
「それは酷い」
「だから着信拒否設定してます。1月10日になったら解除するからと言っておいてもらえませんか?」
「10日?」
「1月11日に貴司さん、一部との入れ替え戦だから」
「ああ。激励してあげるのね」
「まあ貴司さんが必要としていたら」
「うんうん。言っておく」
とお母さんは楽しそうであった。
母の車でいったん自宅に戻ることにする。また中性的な服装に戻す。
「でもあんた色々お土産買ったりして、無理したんじゃないの?」
と母が心配そうに言う。
「うん。バイトの方でボーナスというほどじゃないけど金一封もらったから」
と千里は言っておく。
「そうだ。お母ちゃんにもお裾分けしとくね」
と言って千里はポチ袋を母に渡した。
「3万円もあるけど」
「お年玉代わりで」
「もらっていいの?」
「うん」
「助かる〜。これで正月早々電気止められなくて済む」
「こたつとか使えないと凍え死ぬよ」
「ファンヒーター動かすのにも電気いるしさ」
「ああ、それはファンヒーターの大きな欠点だね」
自宅に戻ったのがもう16時すぎである。千里と母は一緒に年越しそばを作る。
「もう年越しか」
と父が言うが
「ごめんねー。私、明日からまた東京だから」
と千里は言った。
「お前忙しい奴だなあ」
それで一緒に年越しそばを食べ、更におとそ(母は口を付けるだけにした)、お雑煮と食べてから18時前に母の車で自宅を出た。
「ごめーん。お母ちゃん荷物できるだけ少なくしたいから、こちらで着ていた服、置いてっていい?」
「まあ仕方ないね」
それで千里は少女っぽいトレーナーとロングスカート、それに女物のコートという格好に車内で着替えてしまう。
そして留萌駅前18:30のバスで札幌に向かった。バスに乗る前に母が
「これおにぎり作っておいたから」
と言ってペットボトルに入れたお茶と一緒に渡してくれた。千里は涙が出る思いだった。
「お母ちゃん、ありがとう。親不孝ばかりしててごめんね」
「とんでもない。あんたは凄い孝行娘だよ」
母が《娘》と言ってくれたのが千里は嬉しかった。
高速バスは21時半頃に札幌駅前に到着した。駅は大晦日だけに大混雑している。改札を通って《はまなす》に乗り込む。指定席に行くと、暢子・橘花・麻依子の3人が既に来ている。この4人で明日からのオールジャパンを見に行くことにしていたのである。
「さっき暢子にも言ったけど、ウィンターカップ準優勝おめでとう」
と橘花が言う。
「右に同じ」
と麻依子。
「ありがとう。どうせなら優勝したかったけどね」
「しかし凄い試合だったね。あれオンデマンドで見たいという声が凄く来ているらしくて正月明けにも検討するらしいよ。有料になるかも知れないらしいけど」
「有料でもみんな見るだろうね。あれは金取って見せる価値のある試合だった」
「実態は最後はもう両軍とも疲れ切ってて、早く決着ついてくれ〜と思いながらプレイしていたんだけどね。ただそれでもできたら負けたくない、と。まあ負けちゃったけどね」
「なんか最後もう立てなくなってた選手随分いたね」
「消耗が激しかったからなあ」
「両軍ともベンチに座ってた選手全部出たんでしょ?」
「そうそう。久美子なんかも出る予定無かったけど、みんなの消耗が激しいんで出ることになった」
「ね、あの子、N高校の秘密兵器だったの?」
と麻依子が訊く。
「それ試合後に玲央美からも訊かれたけどさ。全くの偶然なんだよ。スリーが2本も入っちゃったのは」
「やはりそうだったのか。いつもの練習試合の時、あの子がスリー撃つのなんて見たことなかったし」
「ただあの子、あれでスリーに随分自信を持ったろうね」
「うん。怖い存在だ。まあ私も卒業しちゃうから関係無いけどね」
夕食用にと、暢子が吉野家の牛丼を「8個」買って来ていたので1人2個ずつ食べる。
「みんなやはり2個くらい行くよね?」
と暢子が確認する。
「行く行く」
「千里は昔は牛丼なんで半分残していたよね」
「やはり身体を作るには食べなきゃと思い直したからね」
「やはりあれって可愛い女の子でいたかったからダイエットしてたんでしょ?」
と橘花が言う。
「それ、玲央美からも指摘された」
「やはりね〜」
「だけどさ高1の時に男子チームに入れられて頭も丸刈りにしたりして、その姿をボーイフレンドの前に曝したので、もう開き直っちゃったんだよ。それで可愛い女の子路線が破綻してしまったから、どうせなら強い女になろうと思ってね。でも麻依子にも暢子にも全然かなわないよ」
と千里は言う。
「確かに確かに。まだまだ腕は細いと思うよ」
「男の子の標準より少し太い程度じゃない?これって」
「だと思う。スポーツやってる男の子の腕って凄いもん。でも私が個人的にいちばん凄いと思うのは玲央美の腕や足だよ」
「あの子は凄いね!」
「美人であの肉体だから、プロになったら凄い人気だと思うよ」
と橘花は言うが、千里は玲央美はこのあとバスケどうするつもりだろう?と少し心配していた。
「アジア選手権決勝の決勝点入れた時も、凄まじいタックルされたのに、びくともしなかったからね。あれ私だったら再起不能になってたかもというくらい凄かった」
「バスケットにタックルってあったっけ?」
「それファウル取られたんだっけ?」
「もう玲央美のゴールで試合は決まってしまったから取られてない。あれ玲央美が外していたら、ディスクォリファイング・ファウルだったと思う」
「なるほどねー」
「千里が最初から女子チームに入ってたら3年連続でインターハイに行ってたろうね」
と橘花。
「千里が入ってたからこそ1年の時、男子チームもあとちょっとでインターハイ、ウィンターカップという所まで行ったんだもん」
「でも負けちゃったから」
「1年の時の男子チームの千里は、今のP高校の玲央美みたいな状態だったと思う」
と麻依子は言う。
「言える言える」
と暢子も言う。
「One for all, all for oneって言うけど、玲央美の力は強大すぎて、玲央美はみんなを助けられるけど、誰も玲央美を助けられない」
と麻依子。
「うーん・・・」
「one for all but inperfect all for one」
「だから玲央美を活かせたのはU18チームなんだよ」
と橘花。
「確かにそうかも知れないなあ。鞠原江美子とか前田彰恵みたいな天才がいてこそ、玲央美は活きるんだよ」
と千里。
「うん。それに千里を加えた4人が今年の高校3年生・女子四天王だと思う」
と麻依子。
「私そんな大したもんじゃないけど」
「いや大したもんだよ」
「千里も、今更元男の子だったなんて嘘つかなきゃいいのにね」
「えっと・・・」
「高1の時に性転換手術したなんて絶対嘘だもん。高1の時、確かに千里はよく部活をサボってはいたが、たまに顔を出してもいた。本当に夏休みに性転換手術を受けたのなら、そんな顔を出す余力は無かったはず。だとするとそもそも性転換したというのが嘘としか思えんのだよね」
と暢子は言う。
「でも私をMRI検査してお医者さんは私に子宮や卵巣が無いのを確認しているよ」
と千里は言ってみるものの
「それはきっと誰か他の男の娘の写真とすり替えているんだ」
などと暢子。
「うーん。そんなの無理だと思うけど」
「実際MRIに卵巣が写ったことあるんだろ?」
「あれは多分ゴミか何かが写ったんだろうということで」
「大学病院の精密な機器でそんなのあり得ん」
「千里の性別問題は一度本格的に追及してみたいなあ」
「あははは」
「だいたい千里は、健康保険証もパスポートも性別・女になってるし」
と暢子はバラしてしまう。
「何〜?」
と麻依子と橘花が驚いている。
それで千里は実際にバッグから健康保険証・パスポートを取り出してみせる。
「ほんとに女になってる!」
「じゃやはり戸籍上も女なんだよね?」
「いや戸籍では確かに男となっているんだけどなあ。なぜか保険証もパスポートも女で発行されちゃったんだよね」
「いやそれは戸籍が女だからではないのか?」
「分かった。千里は男女の双子で、ふたりとも同じ千里という名前なんだ」
と麻依子。
「そんな馬鹿な」
「ああ、千里の双子説って一時期ずいぶん流布していたなあ」
と橘花は楽しそうに言っている。
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【女の子たちの宴の後】(1)