【女の子たちの冬山注意】(3)

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試合終了のブザーであった。
 

みんな大きく息をしていた。
 
千里はボールを受け取ったまま、向こうのゴールの方を見ていた。すぐ近くに佐藤さんがいる。ゴール下には雪子、少し離れた所に竹内さんと寿絵が居る。
 
みんな動かないので、審判が整列するように促す。それでもみんな動かない。
 
審判に再度促されてから5−6秒たった所で、佐藤さんが最初に動き出した。それを見てP高校の他のメンバーも動き出す。千里はため息をついて「みんな、整列だよ!」とN高校の選手達に呼び掛ける。それで時が止まったかのように停止していた他のメンバーも、そしてベンチに居た選手も出て来て整列した。
 
「96対93で札幌P高校の勝ち」
「ありがとうございました」
 

キャプテン同士の握手は竹内さんと千里でする。その後、千里は佐藤さんとハグする。徳寺さんにも握手を求めたら、一瞬嫌な顔をしたが、ちゃんと握手してくれた。その他、揚羽・リリカが宮野さん・河口さんと握手、雪子も竹内さんと、寿絵も片山さんと握手していた。
 

こうしてN高校はあと少しの所でP高校に敗れ、ウィンターカップ出場はならなかった。宇田先生は先に帰っている川守先生に《冬冠登頂ならず》という短文メールを送っていた。
 
「だけど、ここまでP高校と対等に勝負できたのは、やはりこのチームの成長を示しているよ」
と寿絵は言ったが、千里はただ黙って体育館の窓を見詰めていた。
 

試合後、念のため、千里は宇田先生に尋ねる。
 
「例の佐藤さんのボブスレーはトラベリングじゃないんでしょうか?」
 
「あれは審判も迷ったと思うよ。ボールを持ったまま倒れて短い距離滑ってしまうのは意図した滑走でなければ、ふつうトラベリングを取らない。ただあの滑走はやや長すぎた感もあって微妙」
と宇田先生。
 
「まあトラベリングを取る取らないは微妙だけど、審判の判断は絶対だからね」
と寿絵。
 
バスケットではプレイヤーやコーチが審判に抗議する行為は認められていない。審判の判断は絶対かつ最終的であり、抗議すれば、テクニカルファウルを取られるだけだし、審判の心証を悪くして不利にしかならない。審判は敵対するものではく、味方に付けるべきものである。
 
「でも身体で着地しちゃったけど佐藤さん大丈夫ですかね?」
「佐藤さんなら身体が頑丈そうだから平気でしょ。あそこは気も入っていたし。打ち身くらいしたかも知れないけど」
 
物理的な衝撃に対するダメージは「気が入っている」かどうかでまるで違う。先日の試合で留実子が単純なことで骨折してしまったのは、気が抜けていたからであろう。
 
「うちの雪子なら入院コース」
「いや、君たちは無理なプレイしないように」
 

「でも負けた〜。鍛え直さなきゃダメ」
と千里が言うと
 
「合宿でもする?」
と寿絵が言った。
 
「どうでしょうね? 宇田先生」
と千里は先生に投げた。
 
「地獄の合宿をしようか?」
と先生。
「地獄なんですか?」
「阿寒湖に地獄ってあったな」
「釧路Z高校はそこで合宿してたみたい」
「地獄の合宿ってそうだったのか!?」
 

フロアを出てから南野コーチに電話するが、つながらない。恐らくまだ病院への移動中なのであろう。
 
「でも佐藤さんも審判の死角をうまく使うなあ」
と控室で荷物を片付けながら千里は言った。
 
「あの外したシュート何かされた?」
と寿絵。
 
「ボールを離す絶妙の瞬間にユニフォーム引っ張られたね。私の所からは見えたけど審判からは死角」
となぜかここに居る薫が言う。
 
「まあ審判が見てなければどうにもならないよ」
と寿絵。
 
「J学園戦で日吉さんにもやられた」
「高等テクニックだな」
と薫。
「あくまで何もしていないかのような顔でですよね?」
と揚羽。
 
「他の所に視線をやって、さりげなく、かな」
と寿絵。
 
「演技力の勝負」
「但し死角でも殴ったり肘打ちしたり足を踏んだりはNG」
「ええ。暴力はいけないです」
「ユニフォーム掴むのとか、軸足を動かすのとかは、まあよくある行為」
「ちゃっかりダブルドリブルするのとかね」
 
「私も覚えるべきだろうか」
と千里は戸惑いながら言う。
 
「必要無いと思うよ。普通のプレイで圧倒すればいいんだ」
と薫。
 
「だよねー」
「まあ勝負所で目立たないようにやれば」
「うむむむむ」
 

「ところで、薫はなぜここに居るんだっけ?」
と川南が訊く。
 
「いつも居るじゃん」
と言いながら薫はボールをドリブルしている。足の間を通したり、背中側でドリブルしたりなど、なんだか器用なことをしているので蘭や志緒が見とれている感じもある。
 
「みんな着替えてるんだけど」
と葉月。
 
「私もいつも一緒に着替えているし」
「まあいいか」
「お風呂も一緒に入ったんだし」
「確かに」
「薫の女体疑惑も追及したいな」
と寿絵。
 
「そういえば昭ちゃんは?」
「ああ、連れ込もうとしたけど逃げた」
「宇田先生に何か頼まれてみたいで荷物運んでたよ」
「昭ちゃんに着せてあげようと思ってせっかく可愛い服を用意していたのに」
 
「君たちそういうことには熱心だね」
と薫が少しあきれたように言う。
 
「薫じゃ、いじり甲斐が無いもん」
「薫って恥じらいとかが無いよね〜」
「まあ、生娘じゃないし」
 
という薫の発言に一瞬、川南たちが色めき立つ。
 
「あんた、体験してんの?」
 
「え?高校生にもなればセックスくらいみんな体験してない?」
「そんなの体験してんのは千里くらいだよ」
と川南。
 
「ちなみに薫、相手は女の子?男の子?それとも男の娘か女の息子か」
「私はノーマルだけど」
 
この「ノーマル」という単語について、川南たちはかなり悩んでいた。
 

試合後、千里は旭川に居る留実子に電話した。
 
「サーヤ、決勝戦、P高校に負けちゃった」
「そう」
「ごめんね。頑張れなかったよ」
「何対何?」
「96対93」
「あと少しだったね」
 
そこで寿絵が横から電話と千里の顔の間に割り込むようにして言う。
「サーヤが出てたら勝ってた所だったけどな」
「ごめーん」
「インハイでリベンジしようよ」
「うん。僕も頑張る・・・ね、暢子どうかした?」
 
さすが留実子は勘が鋭いと千里は思った。この場に自分と寿絵だけというので感づいたのであろう。
 
「うん。実は試合中に倒れて病院に搬送されちゃったんだよ」
「どうしたの? 怪我?」
「ううん。盲腸みたい」
「間が悪いね!」
「全く」
 

取り敢えず南野コーチから連絡があるまで待機する。それで20分ほどしてから電話があり、16時くらいから手術を受けることになったということだった。
 
「取り敢えずそれまでは薬で抑えておく」
「手術はするんですね」
「うん。最近では手術せずに薬で散らしてしまう治療法もあるんだけど、それだと完治までに時間が掛かるのよね。それに本人結構苦しんでいるし」
「手術が夕方になったのは、麻酔の関係ですか?」
「そうそう。暢子ちゃん、朝ご飯に牛丼3杯も食べていたみたいだから」
 
「ああ、食べてたね」
と傍でメグミが言う。
 
「試合前にそんなに食べて大丈夫?と聞いたら、たくさん走り回らないといけないから燃料を満タンにしておくとか言ってた」
と川南。
 
「暢子が倒れた時、最初食べ過ぎで腹痛では?と思った」
と葉月。
 
「全身麻酔する場合、ふつうは御飯を食べてから6時間必要らしいんだけど、お肉や油物は消化に時間が掛かるから8時間置かないといけないんだって」
 
朝食は7時頃食べている。8時間後は15時になる。今は12時である。あと3−4時間は薬で抑えておくことになる。盲腸の手術は最近は手術跡が小さくて済む腹腔鏡を使用する方法が主流だが肺を圧迫して自力で呼吸することが困難になるので全身麻酔が必要である。
 
「お母さんに連絡したら、すぐ行くということで、多分15時くらいに着くのではないかということ」
「それ結構飛ばすのでは?」
「私も心配して安全運転で来てくださいねと言ったよ」
 

現在行われている男子の決勝はあと30分くらい掛かるだろう。13時から表彰式が予定されているが、千里は暢子のそばに付いていてあげたいと言った。
 
そこで、話し合った結果、表彰式は寿絵がキャプテン代行として準優勝の賞状を受け取ることにして、千里とメグミが宇田先生と一緒に病院に行き、なりゆきで病院まで付いていった永子・来未をこちらに返すことにした。こちらの事務手続き関係は白石コーチにお願いして3人でタクシーを使って病院に向かい、そのタクシーに永子と来未を乗せて会場に戻すことにした。
 
宇田先生と一緒に病院に向かうタクシーの中で千里は独り言でも言うかのように言った。
 
「悔しいです」
 
宇田先生はしばらく黙っていたが、やがて答える。
 
「それを糧に来年のインターハイ頑張ろう」
 
「はい」
 
メグミが
「私も頑張るよ。私がもう少しレベル上げられたら雪子の負担も軽くなるし。先生、ポイントガードの練習ってどうすればいいんでしょう?」
と言う。
 
「広中君の場合、ドリブルやパス自体の技術は充分高い。あとはゲームメイクのセンスを磨くことだと思う。過去のインターハイやウィンターカップの試合の録画がバスケ部の資料室には大量にあるから、それをたくさん見てごらん」
と宇田先生は言う。
 
「やってみます!」
 

千里たちが病室に入っていくと、暢子は苦しそうな顔をしながら
 
「千里、試合はどうなった?」
と訊いた。
 
千里は宇田先生と一瞬顔を見合わせたが、宇田先生が頷くので答える。
 
「ごめーん。負けちゃった。96対93」
「あと3点か」
「私がスリー外しちゃって」
「罰金3000万円だな」
「えーー!?」
 
「ウィンターカップ本戦に出ないといけないし速攻で治さなきゃと思ったんだけど」
と暢子が言うと、宇田先生が言う。
 
「若生君、負けてしまったからウィンターカップには行けないけど、負けたから今度は総合に出ることになるぞ」
「あ、そうか。いつでしたっけ?」
「予選は12月1日」
「よしそれまでに全快させる」
「うん。だから、まずはしっかり治そう。手術頑張って」
「はい、頑張ります」
 
しかし!今回のウィンターカップ予選は、地区予選決勝で留実子が怪我するし、道予選決勝で暢子まで倒れて、どうなってんだろう!? 呪われてないか?と自問したのだが
 
『別に呪いとかは無いよ。ただの偶然だよ』
と《せいちゃん》は言った。
 

宇田先生から頼まれた表彰式の準備作業と一部撤去作業を手伝った後、湧見昭一は体育館の廊下を歩いていて、サブ・アリーナに人が居ないことに気づいた。一昨日はここでも一部の試合が行われたのだが、昨日も今日も試合では使用されず、練習用になっていた。そこにボールが1個転がっていることに気づいた昭一は「あれ片付けなきゃ」と思い、中に入る。そしてボールを拾って用具室の方に持って行こうとしたのだが。。。。。バスケットのゴールを見ると、強い衝動が湧いてくる。
 
ボールをセットする。
 
撃つ。
 
外れる!
 
うーん。と思いながら昭一はボールを再度拾うとスリーポイントラインまで離れて再度撃つ。
 
また外れる!
 
くっそうー。
 
昭一はまたボールを拾ってはスリーポイントラインまで行く。
 

男子の決勝を見ていたものの、途中で飽きてきた川南と葉月は誘い合ってトイレに行ってきますと言って客席を離れた。
 
廊下を歩いていたらゴールが鳴る音がする。覗いてみたらサブアリーナに昭ちゃんが居る。かなり離れた距離の所に立ちボールをセットするとシュートする。ボールはバックボードに当たってから、きれいに入る。
 
「あ、ここに居たんだ」
と川南は声を掛けた。
 
「うん。でもボール片付けなきゃ」
と言って、昭ちゃんはボールを用具室の中のボール入れに入れた。
 
「ね、ね、昭ちゃん、かっわいいスカートがあったのよ。穿いてみない?」
「あ、穿かせて〜!」
 
笑顔で言うと昭ちゃんは川南たちと一緒に控え室の方に行った。
 
それを見送るかのようなサブアリーナの客席を離れた人物がいた。札幌P高校の狩屋コーチだった。
 
「旭川N高校の部員だったのか。あの子、今回は出てなかったよな。やはり村山君という絶対的なシューターが居るからベンチにも入れないのだろうか?」
と狩屋コーチはつぶやいていた。
 

病院では暢子は苦しそうにしながらも、千里・メグミとおしゃべりすることで少しは気が紛れるようであった。
 
名寄に住む暢子のお母さんが到着したのは14時半であった。どう考えてスピード違反しているが、娘のことが心配でたまらなかったのだろう。宇田先生が謝っていたが、盲腸は誰のせいでもないですよ、と言っていた。
 
薬で抑えきれないようで、暢子がけっこう苦しがっているので手術は予定を前倒しして15時からすることになった。
 
千里たちと握手して暢子が手術室に運び込まれていったのを見て、宇田先生は
 
「お母さんもいるし、村山君と広中君は帰る?」
と言ったが、千里は
「私は手術が終わって意識回復するまで付いています」
と答えた。
 
メグミは少し迷っていたようだったが、南野コーチが
「じゃ、メグミちゃん、私と一緒に帰ろうか」
と言うと
「ではそうします」
と答えた。それでふたりは16時のバスで旭川に戻ることにして、お母さんに挨拶して病院を出て行った。
 

手術が終わって暢子が病室に戻ったのは17時くらいだった。何だかこちらを見て笑顔で手を振っている。
 
「大丈夫?」
「平気、平気。でも何だか雲の上を歩いているような感じ」
「無理しないようにね」
 
かなり痛がっていたようだったので炎症が進行していないか心配だったのだが、医師の話では、ごく普通の状態で、ごく普通に処理したということであった。虫垂炎はほんとに実際の状況が外からはわかりにくい。
 
「だいたい3〜4日で退院できると思いますよ」
と医師は笑顔で言っていた。
 

暢子の負担にならないように、のんびりとしたペースでおしゃべりをして18時半くらいに、そろそろ帰ろうかということになる。それで病院を出るがもう旭川に戻る石北本線の汽車も長距離バスも無い。1泊して帰りましょうかなどと言っていた時、貴司から電話が掛かって来た。
 
「大変だったみたいね」
「うん、大変だった。あ、そちらどうだった?」
「勝ったよ」
「わあ、ウィンターカップ出場、おめでとう!」
「千里と一緒に東京に行きたかったけど」
「ごめんねー。やはりユニフォーム引っ張られても、足を踏まれても、しっかりゴールにボールを入れるような練習しないと」
 
「それはバスケの練習とは違うものという気がする。それで、そちらに沢山着信履歴付けちゃって御免。たぶん病院内では携帯切ってるとは思ったんだけど」
「ううん。問題無いよ」
 
「そちらいつ帰るの?」
「今日はもう帰る汽車もバスも無いから1泊しようかと思ってたんだけど」
「僕の車に乗って帰らない?」
「車?」
「千里が今夜遅く帰るかもと思って、うちの先生に許可もらって車を借りたんだよ」
「レンタカー!?」
「そうそう。それで旭川まで走って乗り捨てる」
「誰が運転するの?」
「僕だけど」
「運転できるんだっけ?」
「免許持ってるけど」
 
千里はちょっと不安になった。免許を取ったのはもちろん知っているが、その後、たぶん1度も運転していないはずだ。
 
「宇田先生、運転できますよね?」
と千里はそばにいる先生に訊く。
 
「うん。運転するけど」
 
千里は中学生の時に一度宇田先生の車に乗せてもらったことがある。
 
「じゃ、運転お願いできません?」
「いいけど。デートのお邪魔していいのかな?」
「そこは100%健全な男女交際ということで」
 

貴司が病院まで運転してきたが、何だか凄いノロノロ運転で入って来た。その場で話し合って、宇田先生が運転席に座った。
 
「貴司、ここまで来るのにあちこちぶつけたりしなかった?」
「それはしてないよ。後ろから何度かクラクション鳴らされたけど」
「まあ、さっきの運転見てたら、クラクション鳴らしたくなるかもと思った」
 
それでカーナビに旭川をセットして走り出す。
 
「細川君、留萌S高校ウィンターカップ出場おめでとう」
と宇田先生が言う。
 
「ありがとうございます」
「これが高校最後の全国大会だけど、インターハイ出場2回、ウィンターカップ1回というのは輝かしい成績だね」
「まあ本戦で勝てたらいいんですけどね」
「全国の壁はまた厚いからね」
 

夕食がまだだったということで、北見市内から出る前に何か食べて行こうということで、ファミレスに入り適当なものを取る。実は千里も宇田先生もお昼を食べ損なって、暢子が手術室に居る間にパンやおにぎりを食べただけである。
 
「細川君は大学進学?」
と宇田先生が訊く。
 
「いや、大学なんかに行く頭無いですから」
と貴司。
「まあ、あまり勉強とかしない性格だよね。でも行こうと思ったら入れてくれる大学はあるんじゃないの?」
と千里は言う。
 
「うちの父が2年後に定年なんですよね。だからあまり負担掛けたくない気持ちもあるんですよ」
「細川君はきょうだいは?」
「妹が2人です」
「じゃ、かなり遅くできた子なんだね」
 
「ええ。僕は父が40歳の時にできた子供なんですよ。母とは1周り違う年の差婚なんですよね」
「ああ。年齢が高くなってから子供作ると、そのあたりが大変だよね」
 

「就職するのなら、そちらの監督さんとは、行き先とか話し合ってる? 高校生を取る実業団は少ないけど、あることはあるから」
 
「まあ大学卒の《即戦力》を求める所が多いですよね」
「そうそう。選手を育てようという所は少ないんだよ。試合に出ない選手を養う気概のある運営者は少ないから、ベンチ枠からあふれたら即解雇だし」
 
「だから僕は社員選手になりたいんですよね。普通の仕事もこなしてバスケの練習もするといった」
「ああ。全体的にはプロ志向が広がっているんだけど、プロ選手より社員選手を多く抱えているチームはまだまだあるから、条件の合う所を探すと何とかなるかも知れないね」
 

「君たちって、若生(暢子)君から聞いたけど、結婚しているんだって?」
「はい。そうです。この携帯ストラップの金のリングが結婚指輪代わりです」
と言って千里が携帯を出すと、貴司も自分の携帯を出す。
 
「おお、凄い」
「どっちみちバスケット選手は結婚指輪を付けて試合には出られませんし」
と貴司。
 
「そうそう。だから僕も現役時代は付けてなかったよ」
と宇田先生。
 
「籍は入れたの? 確か君たち18歳と16歳だよね?」
と宇田先生が訊くが
 
「私が20歳になるまで性別変更できないんですよ」
と千里は残念そうに言う。
 
「ああ、そうか!」
「26歳と24歳になるまで私たちの気持ちが変わらなかったら入籍してもいいと細川のお母さんからは言ってもらっています」
と千里は言う。
 
「なるほど」
「でも来年の3月でいったん結婚関係は解消かも」
「なんで?」
「貴司が多分関西方面に就職すると思うから」
「へ?」
 
その件について貴司は説明する。
「初期の頃、私も千里も自分たちの関係をずっと続けていくことに自信が無かったので、どちらかが北海道の外に出るまで夫婦であるという関係を続けようと言っていたんです。北海道と東京や大阪で遠距離恋愛を続ける自信が無かったので。でも僕は今はもし自分が道外に出てもずっと関係を続けたいと思っています。困難な道であることは認識していますが」
 
「浮気性の貴司がテンション維持できる訳無い」
と千里は、にべもない。
 
「それを今追及しなくても」
「貴司と交際始めてから、この4年半の間に浮気未遂は12回あったからな」
「よく数えてるなあ」
 
宇田先生が楽しそうにしていた。
 

食事のあと、コーヒーなどを飲んで一息ついてから車に戻る。また宇田先生の運転で国道39号を走る。
 
が、遠別温泉をすぎたあたりで
 
「御免。睡魔が来たから少し休む」
と言って先生は車を脇に寄せ、助手席を少しリクライニングしてそこで仮眠を取る。北海道の道は物凄いカーブの連続の道と、果てしなくまっすぐの道があるが、このまっすぐの道というのは実に睡魔に襲われやすい。
 
車はエアコンをつけておく必要があるのでアイドリングしている。
 
「貴司、私たちも少し休もうか」
「そうだね。やはり試合で疲れているし」
 
それで軽くキスしてから目を瞑って睡眠を取った。
 

千里がふと目を覚ますと、車は動いているが、運転席に座っているのは《きーちゃん》である。
 
『どうしたの?』
『あそこは今夜大雪が降るから、早めに石北峠を越えた方がいい』
『それで運転してるの!?』
『宇田先生、凄く疲れているみたい。これ5−6時間起きないよ』
『ね、ね、私も少し運転していい?』
『いいよ。千里の意識もこちらに寄せるといい』
 
それで千里は自分の精神を幽体離脱させて、運転席で実体化している《きーちゃん》に重ね合わせる。
 
『危ない時は注意するから、自分の身体で運転しているつもりでやってごらん』
『OKOK』
『既に雪道になっているから、《急》のつく動作をしないこと。急ハンドル、急ブレーキ、急アクセル。そういうのするとスピンして事故起こすから』
『分かった』
 
『だけど千里、完璧に運転にハマったね』
『えへへ。だって楽しいじゃん。でもこの車パワー無いな』
『まあこのミラージュは東京で運転したヴィッツと似たようなクラスだよ。どっちみちスピードは控えめで。30-40km/h以下で走ろう』
『そんなに遅く?』
『雪道で50km/h以上出すのは自殺行為と思った方がいい。少なくとも千里の腕なら』
『むむ。了解』
 

それで千里はミラージュをだいたい30-35km/h程度の速度でゆっくりと運転して石北峠を登っていった。町の近くではアスファルトの路面が出ていたがこの付近はもう完全に雪に覆われていて、雪道である。《きーちゃん》は千里に、既に出来ている轍(わだち)にタイヤを入れて走るよう言った。
 
『えーん。この車、すぐ速度落ちるよ〜』
『無理しないで。雪も積もってるから25km/hくらいまでは落としてもいいよ。急ぐ車は勝手に追い抜いていくから』
『そんなに遅くしていいの?』
『後ろの車が追い抜きにくそうにしてると思ったら直線の途中とかで脇に寄せて停めて、後ろの車を先に行かせる』
『了解』
 
スピードは出ないものの結構なカーブがあるので何だか楽しい。千里はそのカーブを丁寧に走って行った。
 
『こないだ私が教えたカープの走り方、ちゃんと出来てる』
と《きーちゃん》が言う。
 
やがて峠を越えると、下り坂の連続である。
 
『スピードが出る!』
『セカンドに落として。この道でブレーキ多用すると危険』
『分かった』
『カーブではブレーキ踏まないで。楽にスピンしちゃうから。カーブに入る前の直線で充分速度を落として』
『うん』
 

やがて長いトンネルに入る。
 
『これ長いね』
『銀河トンネルだよ』
『銀河流星の滝の近く?』
『このトンネルを抜けた所から旧道に入っていくとあるよ』
『じゃ。もう層雲峡まで来たんだ』
 
『あ、まずい。千里自分の身体に戻って』
『うん』
 
助手席で寝ていた宇田先生が小さな声をあげる。どうも目が覚めたようだ。
 
「ん?」
と声をあげる。
 
「え?村山君?」
と先生は運転席を見て言った。車には宇田先生と貴司と千里の3人が乗っていて、女性は千里だけである。運転席に女性の姿があったら千里かと思うだろう。
 
《きーちゃん》が珍しく焦っているのが分かる。《いんちゃん》がくすくすと笑っている。やがて車は銀河トンネルを抜ける。そして《きーちゃん》は車を脇の少し余地がある場所に駐めた。
 
「村山君、運転してるの?」
と宇田先生が訊く。
 
「どうしました?」
と千里は宇田先生が座る助手席の真後ろの座席から声を掛ける。
 
「あれ?村山君はそちらか。じゃ君誰?」
と先生が運転席を再び見た時、そこには誰も居なかった。
 
「・・・・ね。今、車動いてたよね?」
「え? 停まってたと思いますけど」
「村山君、ずっとそこに居た?」
「ずっと眠っていて、ついさっき目が覚めたというか少しボーっとしていたんですけど、もう少し寝ようかなと思っていたところです」
 
先生は手を額に当てて何か考えている。
 
「いかん。夢でも見ていたのかな。ちょっと外の空気吸ってくる」
と言って、先生は手を伸ばしてドアのロックを解除し、助手席のドアを開けて外に出ると、そのあたりでおしっこしている!
 
ああ。男の人はこういう時便利だよね、と千里は思った。
 

宇田先生は外で深呼吸して少し体操してから運転席に戻った。
 
「あれ?ここは層雲峡だ」
「あ、結構近くまで来てたんですね」
 
「いや・・・。僕は石北峠を登る前に仮眠した気がするんだけど」
「そうですか? 私も少し寝てたので、よく分かりませんが」
 
ちなみに貴司はスヤスヤと眠っている。
 
少し行った所にコンビニがあったのでそこで休憩する。千里はトイレに行かせてもらう。貴司も目を覚ました。宇田先生は缶コーヒー2本とクールミントガムを買っていた。貴司はおにぎりとホットドッグを買っている。千里は暖かい烏龍茶にした。
 
「お客さん、どちら方面に行かれますか?」
とコンビニの店長さんらしき人が訊く。
 
「旭川方面ですが」
「ああ。だったら良かった。石北峠が吹雪で通行規制が掛かったので、北見方面には行けなくなったので」
 
さすが《きーちゃん》!と千里が思ったら、《きーちゃん》はVサインをしている。《きーちゃん》が居なかったら、今頃は山の向こうで立ち往生しているところだった。(逆戻りして国道333号北見峠に迂回するか通行規制が解除されるまで待つしかない)
 

一行は午前2時半頃に旭川に着いた。レンタカー屋さんで返却手続きをした後、タクシーで帰還する。貴司は千里と一緒に美輪子のアパートに入り、一緒のお布団で寝たが、疲れていたので何もHなことはしていない。
 
朝起きていったら
「あんた、いつ帰ったの?」
と美輪子に言われ、更に貴司が起きてくると
「貴司君を泊めたの?」
と再度言われた。
 
「純粋に睡眠を取らせてもらっただけです。今夜は何もしてません」
と貴司が言う。
「1発くらいしてくれても良かったけどね」
と千里。
 
「さすがに辛かった。今度してあげるから」
 

その週の週末。昭一が旭川駅の近くを歩いていると、偶然川南と葉月に遭遇した。
 
「どこ行くの?」
「札幌にTOEGS受けに行くんです」
「何それ?」
「英語の試験ですよ」
「知らない」
「TOEICなら知ってるけど」
「最近始まったんですよ」
「旭川じゃ受けられないの?」
「北海道では札幌だけなんです」
「ああ、きっとすぐに潰れるな」
「そうですか〜?」
「何時から?」
「試験開始は13時半です」
「なんだ。午後からなんだ」
「ちょっとお茶しない?おごってあげるよ」
「わーい!嬉しいです」
 
それで昭ちゃんを連れて近くのロッテリアに入る。川南はリブサンド、葉月はてりやきバーガー、昭ちゃんはエビバーガーの各々セットを頼んでしばしおしゃべりである。昭ちゃんも最近は寿絵や暢子の「教育」のおかげですっかりガールズトークに違和感がなくなっている。
 

「ねね、さっき古着屋さんで可愛くて安いスカートがあったんで、つい買ったんだけどね。ウェストが小さくて私も葉月も入らないのよ。もし良かったら、昭ちゃんもらってくれない?」
「葉月先輩けっこう細いのに。葉月先輩に入らないなら僕にも入らないですよ」
 
「いや、間違いなく昭ちゃんの方が細い」
「ねね、これちょっとトイレ行って穿いてきてみなよ」
「そうですか」
 
それで昭ちゃんは渡されたスカートを持って《女子トイレ》に入って行った。
 
「あの子、今何もためらわずに女子トイレに入ったね」
と川南。
「たぶん、ふだんかなり女子トイレ使ってる常習犯とみた」
と葉月。
 
それでスカートを穿いた昭ちゃんが出てくる。
 
「ちょっときついけど何とか入りました」
「可愛い!」
「昭ちゃんそれ似合ってるよ」
「そうですか?」
と言って昭ちゃんは照れている。
 

それで昭ちゃんはスカートを穿いたまま、更におしゃべりは続く。
やがてそれで11時の時報がなった所で
 
「なんかお腹空いてきたね」
「どこかでお昼でも食べる?」
 
などという話になる!?
 
バスケガールたちの食欲は旺盛である。
 
「じゃ、僕はそろそろ札幌に移動します。11時半のスーパーカムイに乗らないと」
と昭ちゃんは言う。
 
「じゃまた月曜日に」
「はい、ありがとうございました。あ、スカート今脱いできますね」
「ああ、それは昭ちゃんにあげるよ」
「そうですか?」
「だって私たちには入らないしね」
「じゃもらっておきます。でも取り敢えず着替えますね」
「着替える必要ない」
「スカートのまま札幌行ってきなよ」
「でも試験では身分証明書の照合とかもあるし・・・」
「男の子がスカート穿いてても別に問題無いよね」
「最近スカート穿く男の子増えてるんだよ」
「服装の自由は日本国憲法で保障されてるし」
「そうでしたっけ!?」
「信仰の自由、服装の自由、思想の自由は、憲法が保障する三大自由」
「えーー!? なんか違う気がします」
 
「昭ちゃん可愛いんだから、可愛い格好しなくちゃ」
「それじゃもらっていきます」
 
と言って昭ちゃんはスカート姿のまま駅の方に行った。
 

試験会場では僕スカート穿いてるし、何か言われないかな?と少し不安だったが、受付のお姉さんは昭ちゃんの生徒手帳(ふだんは名前の所に少し鉛筆で書き足して昭一を昭子に改竄しているものの、今日は消しゴムで消してちゃんと昭一に戻している)を提示すると、受験票と見比べて特に何もいわずに会場に通してくれた。
 
自分の席を確認した上でトイレに行っておかなきゃと思う。女子トイレに入っちゃおうかなと思ったものの混んでいる。列に並ぶと男とバレそうで怖いので、仕方なく男子トイレに入ろうとしたのだが
 
「君、こちらに来るのはやめてよ」
と大学生くらいの男子に言われた。
 
「女子トイレ混雑していて、こちら使いたくなるかも知れないけどさ」
と隣にいる大学生っぽい男子も言う。
 
「それはおばちゃんのやることだよね」
「女子高生は恥じらいを持つべき」
 
「すみませーん」
と昭ちゃんは言うと、少しどきどきしながら女子トイレのドアを開けて中に入った。
 

試験が終わった後で昭ちゃんは札幌に出てきたついでに、CDショップに行って眺めていたらKinki Kidsのアルバムが出ていたことに気づき買う(このくらいは旭川でも売っている)。そのあとブックオフで漫画を5冊ほど買い、重たくなってきたので帰ろうかなと思い、札幌駅の方に向かっていた時。
 
「こんにちは」
と声を掛ける人がいる。振り向くと60歳くらいの男性だが、顔に見覚えがない。
 
「すみません、どなたでしたでしょうか?」
「あ、ごめん、ごめん。僕は札幌P高校のバスケ部コーチで狩屋と言うんだけど」
「あ、どうもお世話になります」
「旭川N高校の子だったよね」
「はい、湧見と申します」
「君、スリーポイントが上手いね。先週、北見のサブアリーナでひとりで黙々と練習している所見てたけど、最初はあまり入らなかったけど調子が出てくると、最後の方は9割くらい放り込んでいたね」
 
「わあ、あれ見ておられたんですか? まだまだなんですよね。すぐに調子が出ればいいんですけど。入らない時は全然入らないんです」
「ああ、シューターにはそう言う人が多いね。入り出すとどんどん入るでしょ?」
「ええ。外す気がしないことがあります」
「そうそう。シューターって精密機械だからね」
 
「その精度を上げられたらいいんですけど。全然修行不足だから試合にもまだあまり出してもらえないですし」
「そりゃ、N高校さんは凄いシューターが居るからね。なかなか出番が無いでしょ」
「ええ先輩にはまだ全然かないません」
 
ここで狩屋は千里のことを言っているのだが、昭ちゃんは男子2年の落合のことを言っている。
 
それで結構話していたものの
 
「長時間立ち話もなんだし、お茶でも飲みながら」
 
ということになり、手近のドトールに入る。

「へー。NBAのレイ・アレン好きなの?」
「はい。大好きです。NBAの試合のビデオ入手して、いつも見ています。あんなにきれいにポンポン入れられたらいいよなあと思って。今年1月に記録した1試合54得点とかすさまじいですよね」
 
「うん。そういう素晴らしいシューターのプレイを見てイメージトレーニングするのは良いことだよ」
「うちの高校の女子の村山さんとかも凄いから、いつも眺めてます」
「身近にそういう良いお手本がいるといいよね。生で見るのはまた違うでしょ?」
「はい。ビデオで見るのとはまた違うんです。今日は英語の試験があったので出席してませんけど、日曜日に練習に行くともの凄く熱心に何百本もシュート練習してるから、私も刺激されてそばで別のゴール使って練習するんですけど、あんなにポンポン入らないんです」
 
「やはり村山君とか凄まじい練習してるんだろうね」
「よく敷地がお隣のM高校さんと練習試合やってるんですけど、私トップチームには入れないから、隣のコートで向こうのBチームさんと練習試合して、同じ1年の川中(結里)さんと交代でシューティングガードで出てるんですけどね」
 
「ああ。川中君は一度プレイを見たな。あの子も典型的なシューターだね。どちらかというと、それ以外の才能が無いというか」
「私もシューター以外の才能が無いと言われます!」
 
そんな会話をしながら、狩屋は川中は一度ベンチにも座っていたけど、この子の方が才能がありそうなのに、などと思っていた。
 

「インターハイまでにはベンチに入れそう?」
「また新1年生も入って来ますしね。厳しいだろうなあ」
「君がうちに来てくれたりしたら、僕は絶対ベンチ枠に入れるけどなあ」
 
この発言は狩屋としても別に引き抜こうという意図ではなく(そのあたりは紳士協定でお互いに有力選手の引き抜き行為はしない暗黙の了解がある)、単に言葉の綾で言っただけである。
 
「でも移籍したら半年出られないんでしょ?」
「うん、そうそう。だから12月1日付けで転校したら5月いっぱいまで出られない。でもインターハイには間に合うね」
 
「インターハイかぁ。去年はひたすら撮影係・応援係・物資調達係でしたけど今年はコートに立ちたいなあ」
「やはりあこがれの舞台だよね」
 
「あれ?でも札幌P高校さんって女子校じゃなかったんでしたっけ?」
「いや、男女共学だよ。昔は女子校だったんだけどね。もう20年くらい前に共学になったんだよ」
 
「あ、そうでしたか。でもそちら男子のバスケ部はあまり聞かないですね」
「男子バスケット部? ああ、あれは一昨年創設したばかりなんで、まだいつも地区大会の1−2回戦で負けているんだよ」
 
「じゃインターハイは無理かぁ」
「まあ10年後は分からないけどね。でも男子バスケ部がどうかしたの?」
「え?だって私、男子だし」
「えーーーー!?」
 

「なんで君、男子なのにスカート穿いてるんの?」
「あれ?変ですかね。午前中にバスケ部の先輩女子に会って、穿いてごらんよ。男の子でスカート穿く子も最近は多いからって言われて」
 
「確かに最近は時々いる! でも君、村山君や川中君と一緒に練習しているみたいなこと言わなかった?」
「はい。村山さんのシュートを見習えと言われて、いつも女子の方に入って練習してるんです。でもあれ?私、女子に見えます?」
 
「女子に見える!」
 
狩屋さんは驚いていたものの、その後は「今のやりとりは勧誘という訳ではないからね〜」とことわった上で、ふつうにバスケの話題で3時間近く話したが、会話は盛り上がり、昭ちゃんにとっても、老齢の狩屋コーチにとっても楽しい時間となった。
 
狩屋はシューターの気持ちの持ちようとか、試合の中でどういうことを考えておくべきかといった話、またシュートの練習の仕方などについても、かなり熱く語ったので、この日の話し合いは昭ちゃんにとっても、その後の成長に大きく影響を与えたのであった。
 
そして昭ちゃんは楽しい気分でそのままの格好、スカートを穿いたまま帰宅したので、それを見て父親が仰天することになったのであった。
 

そして週明けの19日。
 
N高校の東体育館に、男女バスケ部、男子野球部、女子スキー部、男女ソフトテニス部、女子バレー部、男子柔道部、相撲部、吹奏楽部、の2年生のメンバーが集められた。留実子も松葉杖をついて一緒に集合しているし、暢子も水曜日に退院して木曜日以降は自宅療養していたものの、今日は元気そうな顔で参加した。
 
校長・教頭に理事長、そして教務主任・進路指導主任、2年生の学年主任と全クラスの担任が並ぶ。
 
「ここに集まってもらったのは、過去5年以内に道大会に進出した実績がある部活に所属している2年生のみなさんです」
と校長が述べる。
 
「実は今までわが旭川N高校は、特進コース、進学コース、情報コース、音楽コース、ビジネスコース、福祉コースといったコースを設けていたのですが、ここに新たに短大コースというのを新設することにしました」
 
集まっているメンバーがざわめく。
 
北海道に短大は20個弱ある。多くが女子のみの募集だが、公立で唯一の短大である名寄市立大短大部など、いくつかの短大は男子学生も受け入れている。北海道自動車短期大学のように学生の4分の3が男子という短大もある。
 
「これまで短大を目指す生徒は、進学コースあるいは情報コースなどにいたのですが、進学コースのレベルは高すぎるし、情報コースでは進学と無関係な資格試験なども色々受けさせられて不便という声があったので、短大進学に特化したコースを新設することになりました」
 
これは確かに需要があるのではないかという気がした。学力、あるいは家庭の経済力の問題で、4年生大学を諦め、短大を目指す子はけっこういる。特に女子には多い。
 
「この件は正式には1月に発表する予定だったのですが、部活動を熱心にしておられるみなさんには切実な問題なので、みなさんには先行して発表することになりました。なお、これは現時点での計画なので、今後多少の変動が発生する場合もあります」
と校長は断る。
 
「もしかして短大コースだと3年生でも部活ができるんですか?」
という質問が飛ぶ。
 
「はい、それを説明しようと思っておりました。これまでも部活をしている生徒について、成績条件が厳しすぎるという意見が多々あったので、これを緩和することになります」
と校長は説明を続ける。
 
「特進コース・進学コースの生徒の場合、過去10年以内に全国大会に進出したことのある、女子バスケット部、女子ソフトテニス部、男子野球部の3つに限りこれまで成績20位以内であれば、3年生の夏の大会まで出場を認めていたのですが、これを40位以内に緩和します」
 
留実子にこの件は話していなかったので、留実子の目が燃えるのを感じた。
 
「新設する短大コースの場合は、過去5年以内に道大会に進出したことのある、ここに集まっておられる部のみなさんに限り、成績80位以内であれば3年生の夏の大会までの出場を認めます」
 
「厳しい!」
という声が多数あがる。
 
「バスケ部、ソフトテニス部でも男子はダメなんですね」
「全国大会に出場するか、あるいは性転換してもらえば」
 
笑い声が上がる。校長も冗談がきつい。
 
「質問です」
とバレー部の部長さんが手を挙げる。
 
「3年生の1学期は短大コースに入っていて2学期に普通の進学コースに変わることは可能ですか?」
 
これは切実な質問だと思った。
 
「成績の条件さえ満たしていれば可能ですが、勉強の上では不利であることを充分承知の上で判断して下さい」
 
短大コースに入る子は事実上進学コースだけど、部活をやりたいからそちらに在籍するという子ばかりになったりして。
 
「クラス分けはどうなりますか?短大コースは3組でしょうか?4組でしょうか?」
「4組です」
 
またざわめく。4組に入るということは、つまり授業は進学コースの子たちと一緒に受けることになる。
 
「4組ですが、進学コースの場合と違って、0時間目・7−8時間目には出席する必要がありません」
と校長。
 
「出てもいいんですか?」
「教室の定員に余裕があれば出ても構いません」
 
現在1−3組の生徒も教室に余裕がある限り、進学・特進コース向けの0時間目、7−8時間目の補習に参加することができる。それに準じた扱いになるようだ。
 
「なお短大コースの希望者が多い場合、ひょっとしたら3組を短大コースの生徒専用にする可能性もあります」
と校長。
 
「それが2学期には進学コースにそのままクラスごと衣替えしたりして」
という声が出て、笑い声が起きる。
 
「そのあたりは実際に希望する生徒の数なども勘案して調整していきます」
 
「成績80位以内というのは、どのテストの結果ですか?」
という質問が出る。
 
「3月の振り分け試験が第1基準です。12月の実力試験、あるいは3月の期末テストの成績が80位以内であれば、振り分け試験は120位以内でもクリアしているとみなします」
と教務主任から説明がある。
 
つまり、その3つの試験の中のどれかで80位以内の成績を取らなければならないことになる。
 
しかし進学コースだと40位以内でないと認めないのを短大コースを希望すれば80位以内でも3年の前半に部活ができるというのは大きい。来月末に実力テストを控えたこの時期に、部活動している2年生を集めてこういう話をしたのは、秋の大会がだいたい終わって一息ついた所で、勉強も頑張れ、ということでもあるのだろう。
 

「みんな、どうする?」
と微妙な成績の川南が訊く。
 
「私は短大コースに行くぞ」
と暢子が言う。彼女は現在ビジネスコースだが、あれこれ資格試験を受けなければならないのが煩わしいようである。前回の振分試験は36位で、担任からは随分進学コースに変更しないかと言われたらしい。実際彼女の成績なら、国立下位やMARCH・関関同立クラスなら合格できるはずである。
 
実際問題としてこの短大コース新設は暢子のようにビジネスコースや情報コースの上位に居る子の底上げも目的のひとつではないかという気もする。
 
「僕も短大コースにする。進学コースで40位以内を取る自信がない訳じゃないけど、補習の時間に練習したい」
と留実子。彼女は前回の振分試験は49位だったが、20位以内を目指して入院中猛勉強していた。
 
「お母ちゃんと相談かなあ」
と川南が言うと、葉月も
「右に同じ」
と言う。2人は札幌市内の大学志望で進学コースにいるため3月いっぱいで退部やむなしと思っていたものの、部活に対する意欲はある子である。
 
寿絵・夏恋・メグミ・敦子・睦子は現在のビジネス/情報/福祉コースをそのまま維持の意向のようである。
 
「私はどっちみち2年生いっぱいで部活は引退しようかと」
と明菜が言うと
「私も同じかも」
と萌夏も言う。この2人はベンチ枠には厳しい所だ。C学園戦には川南・葉月と交替する形でベンチに入ったが、宇田先生の恩情という側面が強かった。2年生まではベンチに入れなくてもふだんの練習に参加しているだけで楽しいが、3年生になると、いろいろ悩んでしまう所だろう。
 
久井奈さんたちの学年でも、ベンチ枠に入れない子は大半が3年進学の時点で退部した。ベンチ枠に入れないままインターハイまで頑張ったのは、美々さんと靖子さんの2人だけである。
 

部活の2年生たちに短大コースの話があった日の放課後、部活は臨時に休みになったので、千里は鮎奈・蓮菜と3人で町に出てぶらぶらと買物公園通りを歩いた後、ロッテリアに入った。京子も誘ったのだが塾に行くということだった。
 
「へー。じゃ3人になっちゃうかと思ったら4人でスタートしたんだ?」
 
「そうそう。美空ちゃんともうひとり小風ちゃんという子の2人になっちゃった後で、和泉ちゃん・冬子ちゃんという2人を追加するという話になっていたんだけど、冬子ちゃんが辞退して結局11月5日に和泉・美空・小風の3人で、新しい名前 KARION というのでユニットを正式に結成したらしい。ところがさ」
 
と鮎奈は従妹の美空から聞いた内容を話す。
 
「何だかよく分からないんだけど、実際の音源製作を10日から始めたら、その辞退したはずの冬子ちゃんが来ていたんだって」
 
「へー! じゃ、やる気になったんだ?」
 
「音源製作の場にまでわざわざ押しかけてきたんだから、そうだと思うよ。それで4人で音源製作して、記念写真も撮ったし、サインも作って、この土日は4人で赤羽とか大宮とかでやってたイベントで歌ってきたらしい。次の週末は単独ライブやるって。CDショップの付属ライブスペース使った無料イベントだけど」
 
「おぉ、いよいよ活動開始か」
 

「4人で書いたサインの写真送ってもらった」
と言って鮎奈が見せる。
 
「おっ、なんだか格好良い」
「あとで1枚実物を送ってくれるらしい」
「あ、私もちょうだい」
「私も」
ということで、結局美空はこの最初期のKARIONのサイン(4分割サイン)を3枚送ってくれた。日付は2007.11.10と記され、宛名も「琴尾蓮菜さんへ」・「前田鮎奈さんへ」・「村山千里さんへ」と書かれている。宛名は代表して和泉が書いたらしい。蓮菜も鮎奈も千里もこのサインは大事に保存しており、ちょっとした宝物である。
 
「でも凄くハーモニーがきれいだよ。デモ音源を送ってもらった」
と言って鮎奈がmp3プレイヤーを再生して、ヘッドホンの片方ずつを蓮菜と千里で聴いた。
 
「凄い。美しい」
と蓮菜が言う。
 
「これ誰の作曲?」
と千里は(敢えて)尋ねた。
 
「この曲は、ゆきみすず作詞・東郷誠一作曲の『小人たちの祭』という曲だって。美空ちゃんはデビューCDに入れる3曲の中でこの曲がいちばん好きだと言っていた。ただし、制作過程でゆきさんがかなり楽曲にも手を入れたって」
 

なるほどー。ゆき先生の手にかかると、こう修正されるのかと思って千里はその曲を聴いていた。この曲は実は今月初めに新島さんから夜中電話が掛かってきて、ちょっと手が回らないから手伝ってと言われて『恋人たちの祭』というタイトルで千里が一晩で書いた曲である。但し使用したモチーフの大半は先日青島・東京・名古屋と旅をした時に思いついて書き留めておいたものであった。
 
しかし『恋人たちの祭り』と聞いていた(新島さんからそうメールでもらったので間違い無いと思う)のに『小人たちの祭り』になってる!曲先で千里の曲にゆきみすずさんが歌詞を付けたようだが、どこかで伝達ミスが起きたのだろうか。
 

11月下旬の連休。北見市の隣、美幌町で町のイベントが行われていた。ゲストが歌手のしまうららさんというので、近隣の網走市・釧路市などからも見に来るファンもいたようである。
 
11月下旬の道東はもう完全に冬である。屋外ではとてもイベントなどできないので、町のスポーツセンター(体育館)がメイン会場になっていた。田舎の祭りというと民謡や演歌の人がたくさん出て来そうに思うかも知れないが、実際にはポップス系の出演者が多い。
 
会場内の壁際には出店が並んでいる。地元の商店・飲食店など、あるいは高校生のグループなどによる出店だ。フロアにはパイプ椅子が並べられ、主として中高生や40-50代の女性などが座っている。多くは町内会から動員を掛けられた人たちだろう。
 
出演者も、オープニングが地元の中学の吹奏楽部の演奏だったし、その後、地元の老人ホームのスタッフによるコーラスユニットとか、中学生が組んでいるバンド、などが登場して、だいたい80-90年代のポップスを中心とした曲目が演奏される。しまうららさんの曲も演奏されて、ゲスト席のしまさんが大いに喜んでいた。
 

イベントが進行していき、あと出演者は3組という所で、
 
「次はMF牧場のツイン・チェリーズです。牧場で牛のお世話をしている魅力的な女の子たちのユニットだそうです」
 
という紹介がある。ツインというので2人かと思ったら出て来たのは5人の女性だ。その内4人は16-18歳くらいかなという感じ、もうひとり30歳前後の人は伴奏者のようで、キーボードの前に立った。
 
青い服を着た2人が前に立ってハンドマイクを持っている。顔が似ているので双子なのだろう。赤い服を着た2人が後ろに立ち、スタンドマイクを前にする。前の2人がボーカルで後ろの2人はダンス&コーラスという感じか。
 
オートリズム・フィルインに続けてバンプによる前奏、そして歌が始まる。
 
が会場内にざわめきが起きる。
 
前にいるふたりはハンドマイクを持って楽しそうにしている。
 
が歌っていない!
 
後ろのふたりが踊りながら歌を歌っている。
 
曲は津島瑤子の今年の大ヒット曲『See Again』だ。音域が広く、結構歌唱力を要求する曲であるが、後ろのふたりの歌唱力が素晴らしく、ひじょうに質の高い演奏になっていた。
 
やがて終曲すると、物凄い拍手がある。
 
しまうららさんがゲスト席から出て演奏者のそばまで近寄る。司会者がしまさんにマイクを渡す。
 
「あの、お話を聞かせて下さい」
 
前のふたりは笑顔でしまさんを見ている。後ろにいた女の子たちが前に出てくる。
 
「私が説明します」
とその内の1人が言う。
 
「ツインとかいうから2人かと思ったら5人いるし」
「前で歌っている2人が双子なのでツイン、後ろの私たちは名前が桜木と桜川なのでチェリーズです」
 
「でも前の2人は歌っていませんよね?」
「はい。でもふたりがメインボーカルです。ただし譜面上は全休符なんです」
 
「ジョン・ケージみたい!」
と、しまさんが驚く。
 
「私たちコーラス隊には歌詞が設定されています」
「あなたたち2人はあくまでコーラス隊なんだ!」
「ええ。私たちはパフォーマーです」
「どういうこと?」
 
「実はボーカルの星子さん・虹子さんは、言語障碍でしゃべることができないんです」
と八雲が説明する。
 
「わあ、そうだったの?」
「しゃべれないけど歌は好きなんで、私たち4人で一緒に歌を歌っているんですよ」
と陽子も補足する。
 
「キーボード弾いた人は?」
「私は陰の男!」
と後ろでキーボードを弾いていた女性が答えるので
「男なの!?」
としまうららさん。客席からも笑い声が起きる。
 
「でもコーラスの2人、凄く歌がうまい。プロみたい」
「いや、実はプロとしてデビューする予定だったんですけど、不祥事を起こしてデビューがキャンセルになっちゃって」
と八雲が頭を掻きながら言う。
 
「不祥事って何したの?」
「えっと、私はお腹が空いて太陽を食べちゃって」
と八雲。
 
「私はネズミに怯えて、地球破壊爆弾を爆発させちゃって」
と陽子。
 
会場で爆笑が起きる。とりあえず会場にドラえもんの読者が結構いることは分かった。
 
「あんたたち、すごい犯罪者だ!」
と、しまうららさんは楽しそうに言った。
 
 
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【女の子たちの冬山注意】(3)