【女の子たちの冬山注意】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2014-11-08
医師が診察をしますのでというのでズボンを脱いだ。
その付近を触られていたら、反射的に立ってしまう。
「済みません」
と思わず言ってしまったが
「普通の反応ですよ。問題ないです」
と医師は言う。医師はついでに?ペニスの硬さを確認するかのように触り、更に睾丸にも触っている。
「では今から手術しますが、よろしいですか?」
「はい」
「一応先日も説明しましたが、手術に伴う後遺症についてあらためて説明します」
と医師は言って、紙を見せる。
「勃起障害になる可能性があります。陰茎からの射精ができなくなる可能性があります。短期的に尿失禁を起こす場合があります」
そのあたりは納得している話なので同意してサインする。治療室に案内されてズボンとパンツを脱ぎベッドに横になる。既に剃毛済みだが、あらためてその付近を消毒されると、また立ってしまう。
「別にペニスを切断する訳じゃありませんから落ち着いて」
「すみません」
「それともサービスでペニスも切断しましょうか?」
「いえ、いいです!」
「切っていいの?」
「違います。ペニスは切らないでください」
「じゃ仕方ないのでペニスは温存しますね」
全く冗談のきついお医者さんだ!
部分麻酔を打たれる。感覚が無くなる。医師がレーザーの出力を確認している。緑色に光るファイバーが美しいなと思った。
「音楽を掛けますが何かお好みは?」
と訊かれる。
「あ、野口五郎とかありますか?」
「はい、ありますよ」
と看護婦が言って掛けてくれた。すると『女になって出直せよ』が流れる。うっ・・・と思ったら、医師が「その曲飛ばして」と言ったので、看護婦がボタンを押すと『私鉄沿線』になる。
「では始めます」
と言って医師はペニスをつかんだ。
11月初旬。
学校をサボった薫は病院の周りを3回も回ってから玄関を入った。受付で「予約していた田中と申します」と告げる(偽名)。待合室で15分ほど待った後、診察室に通される。
「あなた何歳?」
と50代くらいの感じの男性医師に訊かれたので
「21歳です」
と答える。
「えとは?何年生まれ?」
「寅年です」
医師は、まあいいかという感じの顔をした。手術の方法を説明した後、後遺症についても説明する。
「男性として性交することはできなくなります。排尿障害が出ることがあります。ほとんどの場合で射精困難になります」
それらの注意事項は目の前に出されている紙にも書かれている。薫はそこに「田中巌雄」と署名・捺印をした。
剃毛と点滴のため病室に案内される。看護婦さんに連れられて奥の方に行っていたら「済みません、急患です。お願いします」という声が玄関の方でした。「あ」と看護婦が声をあげる。
「先に向こうをしてください。私はひとりで病室に行きますから。何号室ですか?」
「えっと確か203号室が空いていたはずだから」
「分かりました。行っておきます」
と薫が言うと、看護婦は玄関の方に飛んで行った。
薫がそれでひとりで廊下を歩いて行こうとすると、いきなり腕を掴まれる。30歳くらいの女性が立っていた。
「何ですか?」
「あんたまだ高校生でしょ?」
薫は黙ってその女性を見る。
「あんたにはまだこの手術は早い」
「誰です?あなた」
「通りがかりのオカマよ」
薫は驚いた。彼女はとても男性あるいは元男性には見えない。
「せめて高校卒業してからにしなよ。玉くらいは抜いてもいいけどさ」
「あなたがGIDなら、私の苦悩を理解してくれません?耐えがたい毎日を送っているんです」
「これあんたの靴だよね?玄関から持って来た。そちらに裏口あるからさ。このまま逃げちゃいなよ」
薫は30秒近くその女性を見つめていた。そして涙が出てきた。
薫は黙って礼をすると、彼女から靴を受け取り、裏口へ向かった。
弁護士は2組の夫婦および付き添いの各々の娘を前にして書類を提示した。
「まだ概算です。正確な金額は向こうの弁護士さんが被害者と話し合って確定させていっている所です」
と弁護士は説明する。
「基本的には私たちはこれを弁済する義務は無いんですよね?」
と広子が発言した。
陽子と広子の間に血のつながりは無い。広子は陽子の腹違いの姉の父違いの妹という関係である。会ったのも今回が初めてであった。しかしエリート然とした雰囲気の広子に陽子はとっつきにくさを感じていた。
「はい、そうです。あくまで弁済の義務を負うのはX子さんご本人です」
と弁護士は答える。
「ただ少しでも弁済が行われたら娘の判決も軽くなりますよね?」
「保証はできませんが、その可能性はあります」
「宝くじでも当たらないかなあ」
と唐突に陽子は発言した。
「ジャンボの一等が当たったら、賠償を済ませた上でお詫び金くらいも渡せるね」
と広子も言って微笑んだ。
ふたりの目が合い、陽子も少し微笑んだ。
「ねえ、お母さん、私の作ったミニロトのプログラム、こないだから2度的中したんだよ。買っちゃだめ?」
と広子は唐突に言う。
「そういうのは買うと当たらないんだよ」
「毎回1口だけにするからさ」
「んーん。じゃその番号で私が毎回1口買うよ」
その会話を聞いて、広子ちゃんすげー!と陽子は思った。私も何かで稼ぎたいな。
薫が涙を浮かべながら裏口から出て行ったのを見送り、「彼女」は受付に行くと、自分の手術代金を払って表に出た。近くのバス停から旭川駅に向かう。
商店街のレストランに入り、メニュー(の金額)を見ながらオーダーする。たくさん頼んだら、ウェイトレスが「お連れさんがいらっしゃいますか?」と尋ねた。ん?と思う。そういえばたくさん頼みすぎたかなとは思ったが「マラソン走ったんでお腹空いてるんです」と笑顔で答えた。
1時間後、さすがに食べ過ぎたかなと思いながら席を立ち会計を済ませる。財布の中には3000円弱しか残らない。先にトイレに行っておこうと思い、レストランのトイレを借りた。
便器に座っておしっこした時に、この感覚やはりいいなと思った。生まれ変わったようだ。といってもあと数時間の人生だけどね! 付いたままは死にたくなかったし、手術して良かった。どうせなら幼稚園くらいの内に手術しておきたかったけどね。そしたら私もう少しマシな人生を送れたかも。でもこれで思い残すことはなくなった。「彼女」はそんなことを考えていた。
レストランを出て、駅前のバス停に来る。時刻表を眺め、どこにしようかな、と思っていた時、目の前に「いで湯号」と書かれたバスが止まる。「彼女」は何となくそのバスに乗った。
その日の昼休み、千里と暢子は校長室に呼び出された。
南野コーチと宇田先生が神妙な顔をしている。教頭先生も来ている。
「まあ、座って」
と言われるので、校長室のふわふわしすぎているソファに腰掛ける。
「君たち最近、かなり自主トレしているみたいだね?」
と校長が訊く。
「はい。済みません。やはりインターハイで準決勝に勝てなかったこと。今回はウィンターカップの地区予選決勝でL女子高に負けましたし、先日の秋季大会でも決勝戦が引き分けで、部活の時間だけでは鍛錬が足りないと思って個人的にもっと自分を鍛えようと思いまして」
と暢子が言う。
「うん。それは構わないんだけど、そういう練習をしている時に、怪我されたりすると、とても困るんだよ」
と校長は言う。
「はい。それは充分気をつけてやっていますので」
「うん。気をつけてもらうのは当然だけど、先日の試合で花和君が怪我しているしね。怪我ってするつもりでするんじゃなくて、怪我しないつもりでいても、してしまうのが怪我だから」
「はい。申し訳ありません」
「まあ、それでだ」
と校長は言う。
「本当なら、そういう勝手な練習については禁止令を出すべきかも知れないけど、全国大会で輝かしい成績をあげた君たちの心情は理解すべきかもしれないと思ってだね」
「はい」
「女子バスケット部だけの特例として、休日も南体育館の入館を認めることにするから」
「はい?」
「要するにだね」
と教頭先生が引き取って言う。
「部活は本来は大会の直前のような特殊な場合を除いては土日は禁止だけど、部活でなくて、自由に個人個人が学校の施設を使って練習している分には学校としても停める理由はないし、そのための便宜は図ってもいいのではないかと校長と話したんだよ」
「それは部活ではないんですね?」
と暢子が訊く。
「生徒会向きにはね。あくまで自主練習」
と教頭。
「でもその競技団体が用意した練習場で、自由練習している時の怪我はその団体での活動とみなされて、スポーツ保険の対象になるんだよ。正式の練習でなくても」
と教頭は更に説明する。
「ただ、こちらで自主基準を設けることにする」
と宇田先生が言う。
「南野コーチに届けを出しておくこと。中間・期末の期間中はNG。一応君たちの誰かひとりでも出て来ている時は、宇田先生か川守先生、僕(教頭)、進路指導の波多先生、図書館の嘉藤先生。このあたりの誰かが職員室に居るようにするから」
「わあ、済みません」
「教頭先生や進路指導の先生、図書館の先生はどうしても休日出勤率が高いんだよ」
と校長が補足する。
「ほんとにご苦労様です」
「むろん他の部員を呼び出したりするのはNG。あくまで個人が勝手に出てきて、たまたま一緒になったら組んで練習してもよいということで」
「自主練習に出て来てる、出て来てないは、ベンチ枠を考える時にも一切考慮しない」
「分かりました。部員全員に通達します」
と言ってから、暢子はハッとする。
「歌子(薫)と湧見(昭ちゃん)はどうしましょうか?」
この2人はしばしば女子と一緒に練習している。
「それなんだけどね」
と宇田先生は言う。
「あの2人に関しては、女子バスケ部にも在籍させることにする」
「男子バスケ部から移籍ですか?」
「そうではなくて二重登録」
「いいんですか?」
「バスケ協会の登録では二重在籍は不可だから、男子バスケ部として登録する。しかし校内の部活動としては、男子バスケ部と女子バスケ部の兼部ということにする」
「なるほど、兼部ですか!」
「だからスポーツ保険も2重に払うんだけどね」
「それって本人負担ですか?」
「本人たちは1人分払ってもらえばいい。もう1人分は部費で負担するよ」
「だったらいいですね」
「それから、君たちが使っている南体育館・朱雀なんだけど、建て替えることにしたから」
と校長は言った。
「建て替えですか!」
「先日の放火された箇所は取り敢えず焼けた部分の壁の穴を塞いで、2階に登るハシゴを取り付けたのだけど、本格的な修復のための見積もりを作ってもらったら、結構かかるみたいでね。それなら、元々老朽化しているし建て替えようかということになったんだよ」
「でもそれって私たちが卒業した後に完成したりして」
「内装以外は本格的な冬到来前にやってしまう」
「本格的な冬って・・・」
「既に冬になっている気も・・・」
「今建っている朱雀は元々2代目なんだよね。初代の朱雀は今テニスコートがある場所に建っていた」
「ああ、そういう話は聞いたことあります」
「それでそのテニスコートをいったん潰して、明日から早速基礎工事のための調査に入る。そして今月中に基礎工事を終えて12月中に鉄骨を組み立てる。1月中に屋根と壁を作って、2月以降は内装工事。4月末に完成予定」
「それかなり無茶な気がします」
北海道で冬の建築は無茶なんて話を先日、C学園の橋田さんとしたばかりだ。それで旭川C学園の校舎再建はとりあえず春まで延期されている(中止になる可能性もある)。
「だいたい設計はどうなってるんですか?」
「前々から建て替え計画があったから、実は設計はもうとっくにできていた。ただ既存の設計ではトイレや控室が女子用しか無かったのを男子用も追加したくらい」
「ちょっと待ってください。うちが共学になったのはいつです?」
「いっそ女子トイレをそのまま共用にしようかとも思ったんだけどね」
「ああ、男子も座ってしてもらうと」
「でも男子に座ってさせると、おしっこが前に飛ぶから漏水事故を起こしがち」
「まあトイレを共用したとしても更衣室の共用は無理」
「それ更衣室の意味が無い」
「でも鉄骨の組み立てが1ヶ月で終わるんでしょうか?」
「鉄骨は大半を工場で組み立ててから搬入するから、現場ではそれを繋いでいくだけなんだよ。プラモデルと同じ」
「なるほどー」
「鉄骨はいいとしても、コンクリートは固まるんですか?」
「夏よりかなり時間がかかるらしい。でもかえって時間を掛けて固まったコンクリートは短期間で固まったものより丈夫になるんだよ」
「凍結しなければですよね?」
「そうそう。だから、コンクリートを練るのは仮設作業場を建ててその室内で暖かい所でやるし、コンクリートを体育館に打ち付けた後はカバーを掛けて、凍結を防ぐ。体育館の室内に暖房を入れて、その熱も利用する」
「地球に優しくないですね」
「でもなんか物凄い予算を掛けているような・・・」
「冬場の工事が大変だから、費用は8億円くらいかな」
「うちの学校ってお金あるんですね」
「設備更新のための積立金から支出するけど、何人か今回寄付してくれる人もあった」
「バスケ部のOGも大変だ」
「それで今の朱雀も12月中に解体するから」
「・・・・」
「でしたら、私たちは冬の間、どこで練習すれば?」
「明日からテニスコートの敷地に隣接して、校庭にはみ出す形で仮設体育館の建設をするから。これはユニット工法だから1ヶ月でできる。それで君たちが仮設体育館に移ってもらった後、今の朱雀の解体を始める。年内終了予定。そうしないと新しい朱雀ができてから今の朱雀を解体するとテニス部の子たちが困るから」
「なるほど。でも1ヶ月で建つんですか?」
「日本の技術って凄いんですね」
「外側だけなら半月らしい。その後、電気関係やバスケットの設備を入れる」
「エアコンとかは?」
「取り敢えずストーブで」
「まあいいか」
「新しい朱雀は床暖房にするから」
「あ、いいですね!」
「でも来年の冬はもう私たちは引退した後」
「引退記念試合でもやらせてもらおう」
「でも仮設体育館って、そんなの作るのでまた費用が増えてたりして」
「ああ。仮設体育館は5000万円でできる」
「安普請ということは?」
「それはないと思う。しっかりした所だから。本当は1億円欲しいらしいけどそれ込みで工事費合計8億だからサービスに近いらしい」
「雪の重みで潰れたりしませんよね?」
「大丈夫じゃないかなあ。ひと冬くらいは」
と校長は千里たちに若干不安を残すような言い方をした。
「ところで、校長先生、手術を受けられたと聞きましたが、もうよろしいんですか?」
と暢子が訊いた。
「うん。1日入院しただけ。前立腺の手術といっても昔みたいに切るんじゃないから術後のケアも簡単なんだよ。一応2−3日は導尿が必要なんで、これ付けてるんだけどね」
と言って校長は腰の所に付けている採尿バッグを見せる。
「前立腺肥大の手術って睾丸も取るんですか?」
「取らない、取らない」
唐突な暢子の発言に千里は頭を抱える。
「まあ昔は取った例もあるみたいだけどね」
「症状を抑えるために女性ホルモンを投与して結果的にEDになってしまう例はあったみたい」
「何か新しい手術法だとおっしゃってましたね」
と宇田先生が言う。
「女子生徒の前でこんなこと言っていいのかな」
と校長先生はためらうが
「大丈夫でしょ。睾丸なんて平気で口にできる子だから」
と南野コーチが笑って言っている。
「ええ、私たちは全然平気ですよ。別にバージンでもないし」
と暢子が言う。
「この子たちのお父さんには情報になるかも」
などと教頭。
「今普通に行われているTURPという方法だと、だいたい9割の確率で逆行射精といって、射精が外に出ずに膀胱に出ちゃうようになるから、子供を作れなくなるんだよね。しかも半分くらいの確率で勃起障害になる。だけどレーザーを使った新しいPVPという方法だと、勃起障害になることはめったにない上に、逆行射精になる確率も低いらしい。まだ保険が利かないからお金は掛かるけどね。念のため手術前に精子の冷凍も作った」
と校長。
(注.PVPは2011年に保険が使えるようになった)
「校長先生の奥さんって若いですよね?」
と南野コーチ。
校長先生の奥さんはネットゲームで!知り合って昨年結婚した人で、まだ30歳くらいの現役翻訳家である。結婚後も仕事を続けている。
「うん。ずっと独身だったのが50過ぎてから結婚したからね。娘みたいな子と結婚したってんで、随分からかわれたけど、僕、娘いないから」
「それは娘を作らなければ」
「男の子ばかり生まれたりして」
「その時は性転換だな」
「いいんですか〜?」
「彼女」はロープウェイの駅を降りると、左側の道を選んで歩いて行った。さすがに寒いが、もとより覚悟していたので防寒具はしっかり持っている。しばらく歩いた所で左右に池が並んでいる所に出る。
「わぁ」
と思わず歓声をあげる。池の水面は既に雪に覆われているが、池の向こうに旭岳の美しい姿が見える。「彼女」は心の中に沸き上がってくるものを感じ、バッグの中から五線紙を取り出すと、一心に音符を書き綴っていった。これが私の遺作かな。でもこのままここに永久に埋もれていたりして。そんなことを考えている中、数人の観光客が「彼女」を追い抜いて、姿見の池方面に行った。
同じ日、東京。
∴∴ミュージックの事務所。
畠山社長が所属歌手の鈴木聖子(すずききよこ)と大部屋の窓際にある社長デスクの所で打ち合せしていたら、三島雪子が「社長、花畑恵三さんからメテオーナの仮の音源届きました」と言ってCD-ROMを机の所に置いていった。
鈴木との打合せはもうだいたいの所が固まり、半ば雑談に突入していたので、彼女と話しながら畠山はCDを近くにあるパソコンに掛ける。MIDIで作った伴奏に仮歌を入れてある。花畑とペアを組んでいる広田純子が地域のコーラスサークルに所属しているので、そのメンバーに依頼して仮歌を入れているらしい。コーラスをやっている人たちらしく、声が均質で音程が安定している。
「きれいな歌ですね。低音がダブルで鳴っていて凄く安定感がある。和音がとても美しい」
と鈴木が論評する。
「売れると思う?」
と畠山が訊くと
「いいえ」
と言う。
「何が悪い?」
「花が無いです。普通の曲にすぎません。それと一本調子過ぎて疲れちゃう」
「コンペで何度も優勝経験があるみたいなんだけどね。今回はコンペをしたんじゃなくて、以前使って良かったと言っていた人から推薦されたので発注してみたんだけどね」
「まあコンペに応募してくる作曲家にはこういう全力投球的な曲を書く人が多いです。でないと通らないから」
「激しい競争から勝ち上がるにはそうなんだろうな。まあでもどっちみちアレンジを変えてもらわないといけない。メンバーの構成が変わっちゃってね」
「まあよくある話ですね。どうかするとユニット結成の記者会見した時とデビュー曲を出した時とで既にメンバーが違ったりする」
「あるねぇ、そういうの。この曲は、ソプラノ2・メゾ1・アルト2で作ってもらったんだけど、ソプラノの2人とアルトの1人が辞めちゃったんだよ」
「随分辞めましたね! じゃ残っているのは、メゾ1・アルト1ですか?」
「それじゃユニットの体(てい)をなさないから、2人追加しようと思って。千代紙って知ってる?」
「いえ」
「歌う摩天楼でリハーサル歌手してた子たちなんだけどね」
「あの子たちですか! なんでこの子たちリハーサル歌手なんかやってるのよ?と思いましたよ。凄すぎる」
「あの2人をこちらに組み込もうと思ってね」
「それは凄いユニットになりますよ!」
「この花畑さんの歌でデビューさせようと思っていたんだけど、新たにゆきみすずさんに詩を書いてもらって、木ノ下大吉先生と東郷誠一先生に曲を書いてもらおうと思って、取り敢えず∞∞プロを通じて発注したんだよ」
「その名前で頼めば高いでしょ?」
「ゆき先生にはプロデュース料込みで600万円、木ノ下先生に150万円、東郷誠一先生に120万円払った」
「でも、ゆき先生の歌詞なら、すずくりこ先生の曲じゃいけなかったの?」
「作業量的に無理だと言われたんだよ。すず先生はやはり耳が聞こえない中で作曲しているから年間12-13曲が限度らしい」
「でも私、木ノ下先生や東郷先生のゴーストライターしてる子、数人知ってるよ。そこに直接頼めば同じ品質で30万で行ける。そもそも木ノ下先生はもうほとんど作曲してないし、東郷先生も自分で書いているのは全体の3割程度にすぎない。あの先生、気分屋だから書く時は1日2本くらい書くけど、気分が乗らないと2−3ヶ月、ひたすら山本先生と囲碁ばかり打ってるみたい」
「木ノ下とか東郷という名前を使う効果は大きいでしょ」
「ブランド料か〜!」
と言って鈴木は大きく深呼吸するかのように両手を広げた。
そこに「失礼します」と声を掛けて高校生の少女が入ってくる。こちらを見て近づいてくると
「お早うございます。鈴木聖子さん」
と挨拶した。
「お早う。源優子ちゃんだったよね?」
「覚えて頂いていてありがとうございます」
「歌う摩天楼、終わっちゃって残念だったね」
「はい。リハーサル歌手けっこう楽しかったので、がっかりしています」
「あ、それでだね、和泉ちゃん」
と畠山社長は和泉に言う。
「はい」
「君の実力はもう歌う摩天楼の仕事で充分分かったから、今度はユニットを組んでメジャーデビューしない?」
「メジャーデビューですか!?」
とさすがに驚いたように和泉は言う。
「4人くらいのユニットを考えているんだよ。既に2人はメンバーが確定しているけど、メゾソプラノとアルトなんだよね。君クリアなソプラノだし、歌が物凄くうまいし。既にメンバー確定している2人も凄く上手いんだけど、メゾとアルトでは売り出せない。だから彼女たちより遥かに上手いソプラノが欲しいんだよね」
「4人とおっしゃいました?」
「うん。相棒の冬子ちゃんもいっしょに思っているんだけど」
すると和泉は戸惑うように言う。
「私はぜひやりたいです。でも冬子、何か色々やってるみたいで忙しそうだからどうだろう」
「じゃ、取り敢えず君から少し話してみてくれない? それで微妙なら僕が直接勧誘してみるから」
「はい。分かりました。そのユニットの名前とかは決まっているんですか?」
「名前か? 名前はね・・・」
と言いかけた時、鈴木さんが
「さっき言ってた名前は変えた方がいい。あの名前じゃ絶対売れない」
と言う。
「そうだな。それじゃ」
と言いかけた時、畠山は目の前に花畑から送られて来た封筒があるのに目を留めた。そこには《仮音源在中》というマジック書きがされていた。
「えっとね。仮音・・・」
畠山はこの仮音源をちょっと聴いてみて・・・と言おうとしたのだが、そこで今この5人編成のアレンジの仮歌を聴かせても仕方無いかなという気もして言いよどんでしまった。
すると和泉が
「カリオンですか?」
と訊く。
「ああ、いい名前ね」
と鈴木が言った。
「カリオンって、教会とか結婚式場にあるメロディーの出る鐘ですよね?」
と和泉。
「ローマ字がいいよ」
と鈴木が言うので
「じゃ K-A-R-I-O-N でカリオン」
と畠山は言った。
「カリオンって4つの鐘という意味だよね。フランス語のスペルは現代ではCarillonだけど、古い時代には Quadrinione と書いていて数字の4 quatre と同語源。元々はドミソドだけだったのよね」
と鈴木は言う。
「じゃ4人のユニットには最適の名前だね」
と畠山も言った。
そして三島を呼ぶと
「これ、花畑さんに連絡して、ソプラノ2・メゾ1・アルト1に編曲し直してもらえないかな?」
「つまり2本あったアルトを1本に変更するんですね?」
「そうそう。それと全体的に力が入りすぎているから、力の入っている所と抑える所を作ってメリハリを付けてもらえないかと言ってみて。音源制作の時間が迫っているから、MIDIが間に合わなければ手書きで構わないから。それと、木ノ下先生と東郷先生の事務所にも連絡してこちらのユニットは4人編成でお願いしますと言って。そちらも譜面は手書きでいいから」
それで三島が連絡するのに自分の机の方に行くので和泉が訊く。
「アルトが2人いたんですか?」
「うん。候補選定している段階ではね。1人が、ちょっと家庭の事情があって活動できなくなってしまって」
「それですぐ音源制作に入るんですね?」
「うん。楽曲が週明けくらいに揃うと思うから、来週の週末から音源制作」
「慌ただしいですね!」
「そして年明けにデビューという線で」
「分かりました!」
「和泉ちゃんの御両親とも話したいから、時間の取れる日を連絡してもらえない?」
「はい。それと冬子とも話してみます」
「うん、お願い。編曲の方は、見切り発車で進めておくから。残りの2人が事務手続きで月曜日、5日かな。その日この事務所に出てくることになっているんだよ。顔合わせさせたいから、とりあえず5日の放課後出てこられる?」
「はい、出て来ます」
「君、しっかりして」
という声で意識が戻った。それでもボーっとしていたら頬を叩かれた。痛いじゃない!と思って「彼女」は顔をしかめる。
「君、名前は?」
と訊かれたので、まだ朦朧とした意識の中で
「ももかわはるみち」
と言おうとしたが、口がうまく動かず
「ももかわはるみ」
くらいで切れてしまった。
「はるみさん?」
「取り敢えず意識あるみたいだね」
「ロープウェイの駅まで連れていくよ。俺の背中に乗って」
声を掛けた人物は27-28歳くらいかな?という感じの男性2人であった。
「自力では乗れないみたいだ。おい、秋月、この子をしっかり俺の背中に乗せてくれ」
「この子力が抜けてるから厳しい。大矢、もう少し腰を落とせ」
ふたりは何とかして「彼女」を背中に背負うと、ロープウェイの駅の方へ戻って行った。
11月5日の月曜日。
千里は目が覚めると「ああ。また身体が変わっている」というのを認識した。
『また女子高生になったんだよね?』
と《いんちゃん》に訊くと
『そうだよ。道大会が終わるまでね。この身体は地区予選の続き』
と教えてくれた。
『生理になっちゃった?』
直前の生理は10月28日に来ており、もう出血は収まっていたのに今朝は少し来ている。
『うん。これは生理から4日目の状態。今日はナプキン付けた方がいい。明日はパンティライナーでいいけど』
『なるほどねー』
身体が切り替わるのにはそろそろ慣れてきたけど、生理の処理はなかなか面倒だ。こないだは悲惨になったし今日は生理用ショーツ二重に穿いていこう。でもインターハイの後、私の身体ってめまぐるしく変わっているなと思う。
2007/05/21-08/03 (女子高生) 道予選・インターハイ
2007/08/04-08/14 (男子高校生)
2007/08/15-09/10 (女子大生2012) 千里の熱望と美鳳の思惑による緊急入れ替え
2007/09/11-09/16 (女子高生) ウィンターカップ地区予選
2007/09/17-11/04 (女子大生2009)
2007/11/05-11/11 (女子高生) ウィンターカップ道予選
2007/11/12-11/30 (女子大生2009)
この日、留実子が札幌の病院を退院して旭川に戻ってきた。
母・叔母と一緒にその日の放課後に学校に顔を出し、明日からはふつうに通学することを先生たちに話した。しかしまだギブスをして、松葉杖をついている。当面運動はできないようである。
「車椅子バスケットならできると思うんだけどね」
と本人。
「いや、まだ無理したらいかん」
と千里たちは言う。
「それと僕、バイト辞めたから」
「ほほぉ」
「実際問題として、怪我が治るまで仕事にならないし、怪我が治ったらバスケの練習に集中したいし」
「サーヤが本気になってる!」
「だけど入院生活なんて初めてだったから、色々不便だったよ」
「ああ、そうだろうね」
「まあ性転換手術を受けたあとの入院の予行練習くらいにはなったかな」
「性転換手術するの?」
「彼氏から子供2人くらい産んで、その子が高校卒業するまでは性転換しないでくれと言われた」
「じゃ子供を24歳・26歳くらいで産んで、その子が18歳になるまでならこちらは44歳か」
「じゃ44歳くらいで性転換する?」
と寿絵が訊く。
「それまで男になりたい気持ちが変わらなかったらね」
と留実子。
「凍傷の心配とかもないですよ」
と医師は明るい声で3人に告げた。
「良かった、良かった」
と秋月。
「発見が早かったのと、すぐに十分身体を暖めたのが良かったんでしょうね」
と医師。
ふたりが「彼女」をロープウェイの駅に連れ込むと、駅員さんが事務室に入れ濡れている服を脱がせた上で毛布を掛け、ストーブのそばで暖めてくれたのである。男3人で意識のはっきりしない女性の服を脱がせるのは気がとがめたものの、緊急避難である。
「ご迷惑おかけしました」
と桃川は力の無い口調で言った。
医師が部屋から出て行った後で大矢が桃川に尋ねる。
「でもさ、君、なんであんなにルートから外れた所に居たの? 普通の人じゃ気づかなかったと思う。僕はバードウォッチングとかしてたんで視力いいから気づいたけどね」
「すみません。実は自殺するつもりでした」
と桃川。
「ああ、やはりね」
「実は、片道の切符しか持っていない女性客がさっき降りて夫婦池の方に行ったまま戻ってこないので気になるって駅員さんに言われてさ、それで探してたんだよ」
「ほんとにお手数おかけしました。でも病院代どうしよう。私、死ぬつもりだったから、お金ほとんど使い切ってしまっていた」
「袖振り合うも多生の縁で、貸しておくよ」
「済みません」
「君、おうちは?」
「旭川市内に住んでいたんですけど、アパート解約して出てきました」
「仕事とかは?」
「実は勤めていた工場が9月いっぱいで閉鎖になったんです」
「実家は?」
「奥尻島だったんですが、10年ほど前の北海道南西沖地震で両親も姉も死んで私ひとりになっちゃって」
「わあ、それは大変だったね」
「じゃ、もしかして行く所がない?」
「ええ。実は」
秋月と大矢は顔を見合わせる。
「僕たち、北海道に来るたびに寄らせてもらっている牧場に行って何日か滞在するつもりだったんだけど、もし良かったら君も来ない?」
と大矢が言った。秋月も頷いている。
ふたりはこの子を放置していたら絶対また死ぬと判断した。
「牧場ですか・・・。それもいいなあ」
「じゃ、一緒においでよ」
「はい」
桃川は初めて笑顔になって返事をした。
「名前は桃川はるみさんだったっけ?」
彼女はへ?と内心思ったが、ああ、それでもいいかなと思った。
「はい。春に美しいと書いて春美です。本人は全然美しくなくて済みません」
と彼女は答えた。
11月5日の週、千里たちはウィンターカップの道予選に向けて、同じく道予選に出場するL女子高と毎日練習試合をやったが、どうにもこちらの分が悪かった。あくまで「練習」が主体なのだが、点数の上では、月曜から木曜までこちらが4連敗である。
「N高さん、どうした? パワーが足りないよ」
と溝口さんから言われる。
「うん。どうにも手駒が足りない。もう薫に性転換手術受けさせてこちらに出したい気分だ」
と暢子は言った。
すると登山さんが少し考えたようにして言った。
「薫ちゃん、もしかして性転換手術とか豊胸手術とか受けたってことはない?」
「え?」
「こないだ薫ちゃんが病院に入って行く所見たんだけどさ、そこの病院、美容外科で、看板には掲げてないけど噂では性転換とかの手術もしてるらしいのよね」
千里は思わず暢子と顔を見合わせた。
「いや、性転換したらさすがにしばらく入院していると思う」
「今日も普通に練習してたもんね」
「そうだ。例の放火事件の被害総額がまとまったみたいね」
と藤崎さんが言う。
木曜日は明日金曜から道大会なので練習試合を19:30で切り上げて一緒に対戦予定の学校の戦力分析をしていた(L女子高とN高校は同じ地区の代表なので決勝戦まで当たらないため情報交換しても不利にならない)のだが、話はあらぬ方角に行く。
「あ、聞いた聞いた。意外に少なくてびっくりした」
事件が落ち着いた所で放火された所の所有者などが集まり、被害者連絡会を結成した。L女子高やN高校も入っている。それで弁護士さんを入れて被害額をまとめていたのだが・・・
「古い物置みたいなのはだいたいゼロ査定。学校関係はたいていスプリンクラーが作動しているから、みんな、ぼや程度で消し止められていてたいしたことない」
「全焼したのはJ高校の用具室とかE女子高校門の守衛室くらいだけど、J高校のはそもそも近い内に取り壊そうと言っていたものだったし、E女子高のは技術の先生が練習代りに建てたもので材料費は5万円だったらしい。中にあったのも電話と筆記具に椅子・毛布くらい」
「そもそも警察・検察の取り調べでも、犯人の子は、燃えても構わなさそうな所を選んで仕掛けていたと言ってたらしい」
「うちの武道場とか、N高校さんの南体育館がやられたのは結構ボロっちくて、もう使ってないものと誤解したらしいね」
「南体育館は取り敢えず応急補修をしたけど、これを機会に建て直すことになったんだよ。建ててからもう30年経ってたから。今新しい体育館の基礎工事と並行して仮設体育館の建設中」
「今の南体育館は窓に隙間があって、2階の通路には冬は雪が積もるからなあ。室内なのに」
「あ、それはうちの武道場も同じ。剣道部の子が朝練は雪の中と言っていた。室内なのに」
「こちらは宇田先生がくしゃみしただけで、そばの窓ガラスが粉砕したことあった」
「こちらも竹刀の素振りしただけで、窓が割れたことあったらしい」
「大物は結局C学園だけど、話を聞いて呆れた」
「うん、私も呆れた」
「発注は全部ヒノキで作ることになっていたのに、目立たない所は杉とか輸入材の合板を使って、表に出るような所もヒノキじゃなくてヒバだったという話」
「コンクリートもかなり水増ししてたらしい。1年も経てばヒビが入るパターン」
「いや多分冬の間にひびが入って春には修復が必要になってた」
「鉄骨も設計よりずっと少なくしか入れていなかったと」
「ガラスも設計書より薄いものを使っていたと」
「下請けさんたちの話から全部バレちゃったね」
「結局A工務店の管財人さんは、その件を追及されて都合悪くなって請求権放棄」
「結果的には下請けさんたちがかぶった分だけの補償。すると1億円にしかならない。最初A工務店はここまで40億円掛かっていたと言っていたのに」
「それでもC学園が払った焼け跡の片付け費用・学園開校キャンセルに伴う出費の中で弁護士さんが認めた費用を入れると全部で1億8千万。簡単に払える金額じゃないね」
「40億円よりはずっとマシ」
「なんか事情がよく分からないけど、犯人の子、お父さんが2人いるらしいね」
「あれ、どうなってんの?」
「男同士で子供作ったとか?」
「まさか!」
「どうやって作るのよ?」
「卵管と同じPH(ペーハー)状態の環境の中で、特殊な方法で精子と精子を結合させると、うまい具合に性染色体がXXかXYなら3000分の1くらいの確率で受精卵になることがあるらしいよ。YYだとダメ。カザフだかウズベクだかの生理学者がそういう実験に成功したとどこかのブログに書いてあったのを友だちが見たと言ってたよ」
「マジで?」
なんだかかなり怪しい話だ。
「だけど、受精卵ができてもどこで妊娠するの?」
「そりゃ睾丸妊娠だよ」
「あれは18禁漫画の世界」
「どこから産むかも問題だ」
「それは睾丸切開で」
と話は暴走して、うぶな子たちが当惑している。ミッションスクールの女生徒の会話とは思えない会話だ。
「片方は元お母さんで性転換してお父さんになったとか」
「あ、その方があり得るな」
松葉杖をついたままここに出て来ている留実子が興味津々な顔をしていた。
「取り敢えずその2人のお父さんの退職金に所有していた株や国債の売却に、住んでいた家・土地を売却して合計5000万円作ったらしい」
「親も大変だなあ」
「本当は親には賠償責任無いんだけどね」
「あとC学園も、そういう工務店を選任した責任があるといって一時金として5000万円出したらしい」
「その合計1億円を工事の下請けさんたちに配分したみたいね」
「これで何とか年越せるって、凄い喜んでいたらしい」
「おかげで1年遅れでもいいですから、旭川校ぜひ作って下さいってムードになっちゃったみたい」
「まあ、『義を買った』という感じかな」
「薛国市義ね」
「残るのは学校関係や公園を管理していた道や市の補償だけ」
「そういう所は今すぐでなくても最終的に補填してもらえたらいいもんね」
「それでも残り8000万円か」
「いやC学園が出した5000万円も最終的には犯人に請求すべきものだから結局1億3000万円だよ」
「その内1億円くらいがC学園の請求権」
「1億3000万円なら年間400万円の給料をもらってそれを全部補償に当てても33年間」
「でも女で400万円くれる仕事はなかなか無いよ」
「前科一犯だとますますそういう仕事はない」
そして翌日11月9日(金)。北見市でウィンターカップ道予選が始まった。
今回の道予選では、男子・女子双方が道予選に出ていることもあり、ベンチに座るコーチ・アシスタントコーチは、女子の方は宇田先生と南野コーチ、男子の方は北田コーチと川守先生となっていた。登録上のコーチが北田コーチで、アシスタントコーチが川守先生というメンバー表である。
川守先生はこれまでも男子と女子の試合日程がぶつかる場合、時々臨時でベンチに座ってくれていたのだが、2学期以降、正規に男子バスケ部顧問に就任した。宇田先生は女子バスケ部顧問・兼バスケ部総合顧問ということになった。(高体連の規定で、コーチまたはアシスタントコーチのどちらかはその学校の教員または校長でなければならない)
今回の女子のベンチメンバーはこうなっていた。
PG.雪子(7) メグミ(12) SG.千里(5) 夏恋(10) SF.寿絵(9) 敦子(13) 永子(18) PF.暢子(4) 睦子(11) 来未(15) 川南(16) 葉月(17) C.揚羽(8) リリカ(14)
なお、本来は転校半年以内で試合に出られない男子チームの薫を今回女子のバスに乗せて連れてきている。道内のレベルの高いチームの試合を見せておくことが目的である。薫は前回C学園戦で着たユニフォームをそのまま着て来ていたので、背番号も16番の番号を縫い付けたままになっていた。(昭ちゃんは来る時は男子のバスに乗っていた)
ところが16番の背番号は今回は本来川南が付けている番号である。川南もわりと背丈のある方だし、背番号だけ見て、一瞬川南と間違える人が何人か出たので
「薫、紛らわしい。番号変えてよ」
などと言われる。
「ごめーん。じゃ誰か裁縫道具か何か持ってない? 背番号外すから」
と薫が言うと、
「あ、私が持っている」
と言って寿絵がバッグから携帯用の裁縫セットを取り出し、リッパーを使って背番号の「1」の数字を外してあげた。
「はい、できたよ」
「6の方は?」
「6番のサーヤは今回欠席だから、これでいいよ」
と寿絵。
「ああ。サーヤの影武者だな」
と暢子が言った。
「ところで何で留実子ちゃんのニックネームがサーヤなの?」
と事情を聞いていなかった薫が訊く。
「あの子の男性名が実弥(さねや)なんだよ」
「あぁ、そういうことか!」
「結構、花和実弥・男、という会員証とか持ってるみたい」
「薫は女性名も薫?」
「私の名前は男女どちらでも通用するから」
「ああ、千里と同様だね」
「○男とか○子とかいう名前だと性別変更と一緒に名前の変更もしないといけないから大変だよね」
「昭ちゃんは、性転換したら昭一から昭子に改名する必要がある」
「実は一という文字は鉛筆やボールペンで書き加えて子に改竄できる」
と薫。
「昭ちゃんの生徒手帳、鉛筆で書き加えて子になってたよ」
「ほほぉ」
「それを提示すると私文書偽造・同行使になるけどね」
「あの子、定期券も昭子に改竄してる」
「既に文書偽造行使罪だ」
「だけど定期券って自動改札機に通すだけだから名前は誰にも見せてないよ」
「あ、そうか」
「それでも使っていたら行使罪になっている気がするなあ」
「でも性別の変更が大変だから、先行して名前だけ女性名に変える人も多いよ」
と千里が言う。
「すると女性名で性別は男という状態になるのか」
「結構居るよね、そういう人」
と薫も言う。
「やはり子供に名前付ける時は男女どちらでも行ける名前にしてあげるのが親切かも」
「だけど薫は苗字の方に子が付いてる」
薫の苗字は歌子(かし)である。
「ああ、それは小学校の頃によく言われていた」
北見市は網走市の隣である。千里たちは早朝から学校のバスで現地に入った。国道39号をひたすら走って約160km,3-4時間の行程である。
道予選は26チームが参加しているので、6チームが1回戦を免除されているが、千里たちは地区予選2位だったので1回戦から戦わなければならない(地区予選で優勝したL女子高は2回戦から)。
試合が始まる前の練習時間には折角来てるからコートに入りなよと言って薫も入れて練習をしていた。男子チームは今回地区予選で優勝しているので午後の2回戦からであり、薫は女子の午前中の試合を見たあと男子チームの試合がある会場に移動する予定であった。
基礎的な練習をしてから最後に
Aチーム:雪子/千里/寿絵/暢子/揚羽
Bチーム:メグミ/夏恋/薫/睦子/リリカ
というメンツで5分ほど対戦した(Bチームは鉢巻きをして区別した)のだが、練習時間が終わり引き上げて来た所で、札幌P高校の宮野さんが声を掛けてきた。
「何だか花和さん、物凄く進化してない?」
「あ、花和は今回欠席なんですよ」
と千里は答える。
「え、だって?」
と言って宮野さんは6番の背番号(本当は16の1を外したもの)を付けた薫を見ている。
「いや、これは番外の歌子です」
「へ?」
と言ってから、宮野さんはメガネを取り出して薫を見る。
「あ、花和さんじゃない! でも6番」
各チームの登録選手一覧を手にしているので、一覧では6番が留実子になっていることから、そもそも誤認したのであろう。
「花和は地区予選の決勝で骨折して今療養中なんですよ。この子は10月に東京の高校から転校してきたんで、3月までは公式戦に出せないんですよね」
「それでBチームに入っていたのか!」
と納得したように言う。
「いや、なんで花和さんが控え組にいるんだろうと思ってさっきの練習見てたんですよ」
と宮野さん。
「じゃ4月からチームに合流するの?」
「ええ。男子チームに」
「は?」
「すみませーん。私男子なので」
と本人。
「へ?」
と宮野さんは目をパクチリさせている。
「あ、これ私の登録証」
と言って、薫はバスケット協会の登録証を見せる。
「N高校バスケットポール部(男子)って書いてある!」
「まあ花和は男の子になりたい女の子、歌子は女の子になりたい男の子ということで」
と暢子。
「N高校さんって性別の曖昧な人が多いのね!」
「いやあ、たまたまだと思いますけど」
「なんか最近男子チームに加わった18番付けてるシューターも半陰陽だったのを男の子になることにして、おちんちんを作る手術をした子だと聞いたし。でもまだおっぱいは取ってないからブラ着けてるんでしょ?」
「うーん」と暢子がどう答えていいか悩んでいた。
午前中の1回戦は敦子/夏恋/来未/葉月/睦子 というメンツを先発させて快勝した。睦子はセンターのポジションに入ったが、パワーフォワードのポジションに入った葉月と競い合うようにリバウンドを取って、本人も凄く楽しそうであった。
このメンツでは夏恋がキャプテン代行を務めたが「えー!?私が?」と最初かなり戸惑っていたものの、張り切って声を出してみんなを励まし、本当によく頑張っていたし、敦子がポイントガードの経験が浅くゲームメイクに慣れていないのをしっかりサポートしていた。今年の初めから1番成長したのがやはり夏恋である。彼女はもうラッキーガールではない。本当の戦力になった。
午後から2回戦であるが、ここもそれほど強い所ではないので、最初だけ千里や暢子・雪子たちが出た後は、メグミ/川南/永子/リリカ/揚羽 といった付近を軸にして、それでも30点差で圧勝した。
その日は北見市内の旅館に泊まった。なおN高は男子の方も2回戦に勝って翌日に駒を進めた。
「昭ちゃんと薫の部屋割りについて相談されたんだけどさ」
と暢子が言う。
「女子と同じ部屋でもいいですよ、と言ったんだけど、結局南野コーチと同室ということになったみたいね」
「インターハイでは昭ちゃんは男性コーチの部屋に泊まったから女性コーチの部屋に泊まる所まで進化したんだな」
「それ進化なの?」
「千里さんは中学の時から女子と同じ部屋に泊まっていて年季が入ってますけど、あのふたりはそういう経験無いみたいですね」
と雪子が言う。
「でも男子と同じ部屋に居ると凄く緊張して休めないって薫言ってた。中学の修学旅行の時は、ひとりだけ旅館のロビーのソファで寝たんだって」
「男子と同部屋になるよりロビーの方がいいのか」
「いや、それはそうでしょ。自分たちに置き換えて考えてみればいい」
「日本は治安がいいからね。外国のホテルなら超危険」
「千里は小学校の修学旅行も女子部屋だったんでしょ?」
「男子の部屋だよ」
「いや、それはありえない」
「だって千里さんと同室になったら、男子は落ち着いて寝られないですよね」
「千里が男子の前で着替えたりしたら、男子は理性を失ってレイプするかも知れん」
「やはり危険因子は取り外しておかなければ」
試合が終わってから体育館で簡単にミーティングをしてから宿に帰ることにする。
1日目は男子と女子で会場も違うので、今日は早朝学校で会った以降、男子と宿に戻るまで会っていない。
旅館はN高の男女部員で実質貸し切りになっていた。旅館に着いた後、夕食まで少し時間があったのでロビーに行って自販機でお茶でも買ってこようと思ったら迷子になってしまい、何だか調理場のような所に出てしまった。
うーん。。。
千里はあまり道に迷わない。何か目的地が明確な場合は全然道を知らなくても、たいていちゃんと辿り着ける。迷った時は何か迷う意味があった時である。
しかし調理場はさすがに違うだろうと思い、来た道を戻ろうとした時、裏口から入ってくる18-19歳くらいと15-16歳くらいの姉妹?の女の子がある。
「こんにちは〜。MF牧場です。牛乳持って来ました」
と妹さんの方が言う声に、野菜を洗っていたふうの20歳くらいの女性が
「はいはーい。ご苦労様です」
と言ってそちらに行った。
牛乳の瓶がたくさん入ったケースを持ち込んでくる。その姿を何気なく見ていた時、千里はその牧場の子の妹(?)の方に何か暗い影があるのに気付いた。
『あれ、何だろう?』
『まあ、悪霊の類』
『1体はあの子にくっついていて、もう1体は少し離れている気がする』
『1つはあの子自身に憑いてる。もう1体はあの子の友だちに憑いてるのの影だよ』
『まとめて処理できる?』
『うん。あれだけ影がハッキリしてたら、本体もやれる。まあ実際にはその本体の居る所まで行ってこないといけないけど』
『本体ってどこにいるの?』
『東京』
『遠いね!』
『まあ、でもひとっ飛びしてくれば今夜中には戻れるよ』
『じゃ頼んでいい?』
『少し運動したかったから行ってくる』
『じゃよろしくー』
それで《こうちゃん》は、最初にその牧場の子が憑けているものに飛びかかり、一瞬で倒してから、どこかに飛び去った。
『東京まで往復するのってやはり大変なんだね』
と千里が言うと、《りくちゃん》が笑いながら言う。
『行くのは一瞬で行けるよ。ほら、あの影消えただろ?』
『うん。消えた』
『もう勾陳が処分しちゃったんだよ』
『じゃ今夜中に帰るというのは?』
『どこかでメスの龍でもナンパするつもりでは』
うーん・・・と千里は悩む。
『あんたたちって有性生殖?』
『有性生殖もするよ。龍同士もあるし、龍と人間というのもある。単性生殖や分裂して増える時もあるけどね。敵と戦って切り落とされた腕が別の龍として再生したのも見たことある』
『プラナリアみたいだね』
まあ、あの子にもたまには羽を伸ばさせてあげるか、と思って千里は廊下を戻った。
ん?羽を伸ばすって、龍には羽は無い??
『東洋の龍には羽が無いね。西洋のドラゴンには羽があるけど、私たちとは種類が違うんだよ』
と《せいちゃん》が言った。
『ああ。龍とドラゴンは別物という気はした』
『人が創り出す龍もあるよ』
とめったに発言しない《くうちゃん》が付け加えた。
『それって龍並みの人間、というか既に人間辞めてる人では?』
『世の中にはいろんな人がいるからね』
その日の夕食はジンギスカンで、男子も女子もよく食べていた。羊が苦手という子のために、牛肉や豚肉も少し用意されていた。飲み物はお茶・紅茶・烏龍茶に、コーラ・オレンジジュース・リンゴジュース、牛乳と並んでいたがこの牛乳が「美味しい!」と好評で、薫に言われて千里も飲んでみたが濃くてほんとに美味しかった。
「これ毎日絞りたてを近くの牧場から直接仕入れているんですよ」
と女将さんが説明する。
ああ、さっきの姉妹が持って来た牛乳かと千里は思った。
でもあの時、妹さんに憑いてた霊が気になってお姉さんの方はあまり見てなかったけど、あのお姉さんも何か気になったなと思ったら、《いんちゃん》が説明してくれた。
『あのお姉さんの方は、障碍(しょうがい)を持っていたよ』
『へー。それで牧場の仕事って大変だろうね』
『いや、動物の世話はああいう子の性に合ってる』
『ああ、そうかもね』
と言ってから少し悩む。
『牛乳運んで来たのは自動車だよね?馬車じゃないよね?』
『さすがに現代の北海道は自動車だよ』
『障碍があっても運転できるの? 妹さんは高校生くらいだったし』
『運転に支障の無い障碍なんだよ』
『なるほどー』
陽子はふと目が覚めた。トイレに行った後、台所で紅茶を入れて飲んでいたら凄く体調が良いような気がした。最近ずっと肩が痛かったのも治っちゃったみたいな感じである。
父が起きてきた。
「お父さん、少しは眠れた?」
「うん。何とかな。おまえにも苦労掛けて済まん」
「私さ、しばらく北海道に行ってていい?」
「深川?」
「ううん。美幌」
「ああ、桜木さんの所か。でもおまえ最近体調が良くないみたいだったけど」
「治っちゃったみたい。でもお父さん指切りしよう」
「何だ?」
「私、向こうに行っている間もちゃんと勉強してるから、お父さんは死んだりしないで」
桜川は苦笑すると娘に言った。
「約束するよ」
「うん」
父娘は指切りをして微笑んだ。
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【女の子たちの冬山注意】(1)