【女の子たちのインターハイ・高2編】(3)

前頁次頁目次

 
 
8月1日。インターハイは4日目。4回戦(準々決勝)の4試合が行われる。昨日は2つの会場で2試合ずつ同時進行だったのだが、今日はひとつの会場で1試合ずつ行われる。当然、見物客も多い。千里たちは第4試合になっていた。 
第1試合は10時からで橘花たちのM高校を破った岐阜F女子高と倉敷K高校であった。千里はどちらのチームも12月のウィンターカップで見ていたので少し免疫があったものの、初めて岐阜F女子高を見たメンツは無言になってしまった。 
インターバルにやっと寿絵が言葉を発する。
 
「ここ、ほんとに女子高生のチームなの?」
「私たちと同じ年代の子たちだよ」
「強すぎる!!」
「まあ、凄いよね」
「対戦してるチームもかなり強いよね」
「まあ、私たちよりは強いだろうね」
 
試合は86対50で岐阜F女子高が勝ったが、ポーカーフェイスの千里、厳しい目でコートを見詰める暢子、何か考えている風の雪子、そしてぼーっとしている感じの留実子を除くと、みんな雰囲気に飲まれてしまっているかのようだった。 

第2試合は少し置いて11:40から東京T高校と大阪E女学院の試合が予定されていたが南野コーチは宇田先生と何やら話した上で
「ちょっと出ようか」
とベンチ入りメンバーを促して会場の外に出た。
 
タクシーに分乗して虹の松原まで行く。浜辺に整列して点呼を取った。そして 
「各自海に向かって何か叫ぶこと」
と言われる。
 
キャプテンの久井奈さんが躊躇していると、暢子が手を挙げた。
「7番・若生暢子行きます」
と言うと
 
「今日は勝つぞー!」
と叫ぶ。
 
千里も微笑んで手を挙げ「8番・村山千里行きます」と言うと
「5時間後、98対96で旭川N高校の勝ち!」
と叫んだ。
 
すると睦子が手を挙げる。
「マネージャー瀬戸睦子行きます」
と言ってから
「気合い120%!自分を信じて!あと1歩前に進めば勝てる!」
と長めのセリフを言う。
 
それでようやく責任感を回復した久井奈さんが
「4番・キャプテン・岬久井奈、行きます」
と言って
「貪欲に行こう! 最後の最後は強い思いを持った者の勝ち」
と言った。
 
ここで留実子が手を挙げると
「6番・花和実弥行きます」
と男名前を名乗った上で
「みんな、今夜も明日も美味しい焼肉を食べよう」
と言うと、みんながどっと笑う。
 
「サーヤは男になりたいと叫ぶかと思った」
「今朝一発抜いといたから今は大丈夫」
「ふむふむ」
「抜くってどうやるんだろう」
 
しかし結果的にはこの留実子のセリフでみんなリラックスできたようで、各々思い思いのセリフを海に向かって叫んだ。
 
これで全員、さっきの試合を見たショックから何とか立ち直ったようであった。 

再びタクシーに乗って行ったのは地元の中学校である。
 
「宇田先生が知り合いを通じて話を付けてくれた。ここで1時間くらい軽く汗を流そう」
 
と言って、準備運動をした上で、6人対6人に分かれ、試合形式で軽い練習をした。みんなやはり身体を動かすと、気合いが乗ってくる。
 
「まあとんでもない強豪相手でも、まぐれで勝てるかも知れないよね」
「そうそう。世の中、絶対なんてことは無いんだから」
 
疲れるほどまでやっても仕方無いので30分くらいで切り上げて、その後は整理運動などに移行したが、暢子は千里を誘って1on1の練習を続けた。するとそこに睦子が
 
「私は出場しないから疲れても平気だし、パス相手に」
と名乗り出て来たので、南野コーチも入って、2on2の形で、更に練習を続ける。他の子も入ろうとしたが南野コーチが
 
「千里ちゃんと暢子ちゃんのスタミナは特別だからいいけど、他の子は今疲れてしまうと試合に影響するからダメ」
と言って停めた。
 
結局千里と暢子はマッチングの練習を30分ほどみっちりとやった。
 
「頭が空白になったぞ」
と暢子が言うが
 
「暢子の頭はいつも空白かと思ってた」
などと寿絵に言われている。
 
「私もアルファ状態になったよ」
と千里も言う。
 
「そのアルファってのが、超能力なんかが出る状態だよね」
「そうそう」
「千里、コートの反対側の端からスリーを入れられるようになるとか」
 
「そんな確率の低いプレイはする意味が無い。確率の高いプレイを重ねることで、相手に有利に立てる。バスケットって基本的には交代で相手のゴールを攻めるスポーツだから、確率の高いことをしていった方が勝てるんだよ」
 
「それは多くの人が忘れてしまいがちな点かもね」
と穂礼さんが言った。
 

 
今日の対戦相手については昨夜、確認していた。
 
「予想通り、秋田N高校があがってきた」
と南野コーチが言った。
 
「このチームはここにいる子の多くが新人戦を見てるよね」
というと、みな頷いている。
 
「中心選手はパワーフォワードの倉野さん。長身の沼口さんがセンターをやっているからパワーフォワードとして登録されているけど、リバウンドに強くてチームの基本的な得点源」
 
「もうひとりの中核がシューティングガードの中折さん。この人は新人戦東北大会のスリーポイント女王になっている」
 
「ただこの人、ビデオで見ていても、必ずしもスリーを撃ちませんよね」
と千里は言う。
 
「そうそう。中に侵入してシュートできそうなら、そういう選択をしているんだよ。この人、結構フィジカルも強いから、中からも撃てるんだよね」
と南野コーチ。
 
「要するに確率の低い3点を狙うより確実性の高い2点を選択してるんだな」
と久井奈さんが言う。
 
「うん。そういうタイプみたい」
 
「実際スリーの入る確率は2−3割程度みたいですね」
「まあ、普通はそれでもかなりの高確率」
「千里や、愛知J学園の花園さんが異常なだけ」
「ああ、やはり千里は異常なんだ?」
「何を今更」
 

「恐らく、向こうはこちらのビデオを分析して攻守を組み立てると思う」
「インターハイのここまでの試合ですよね?」
「うん。地方大会までは見てないと思う」
 
「ということは多分攻守ともに、千里対中折さん、私対倉野さんになる」
と暢子は言った。
 
「中折さんは宮城N高校の金子さんを完全に封じてたからね。シューターの封じ方が物凄く巧い」
 
「自分もシューターだから相手の動きを読めるんだよね」
 
「この試合のポイントはそのマッチアップに勝てるかどうかだな」
 

中学校の体育館での練習が終わった後、お昼を食べに行く。午後に
試合がある日はこれまで昼食に生ものは避けるようにしていたのだが
今日はみんなの希望を入れて回転寿司を食べに行った。
 
「美味しい〜!」
 
「まぐろ、まぐろ」
と言って、ひたすらマグロを食べている子もいれば鮭専門の子もいる。みな思い思いのネタのお寿司をたくさん食べていた。千里もハマチ、イカ、シャケ、タイ、カニ、ヒラメ、甘エビ、アナゴ、と食べて、最後はマグロを食べた。 
「千里がこれだけ食べるというのは偉い偉い」
「必勝祈願で9皿食べた」
「9がいいの?」
「9は縁起が良い数字」
「よし。私は18皿食べるぞ」
 
などと言って暢子は頑張って食べている。
 
最後の方は
「さすがに食べ過ぎたかも」
などと言っている子が数人居た。
 
「あんたたち食べ過ぎて動けなかったら罰金だからね」
と南野コーチからまた言われている。
 
「千里、早くお腹がこなれるようにするには横になってるのがいいんだったっけ?」
「うん。血液が胃腸に行きやすくなる。但し眠らないように」
「本でも読んでればいい?」
「おしゃべりした方がいい。頭使うとそちらに血が行くから」
「なるほどー」
 
それでいったんホテルに戻って、ベッドに横になっている子も結構いたようである。
 

千里たちが体育館に戻ったのは14時半である。既に第3試合も終わっていて会場は雑然としていた(男子の試合は別の体育館で行われている)。
 
南野コーチ、そして宇田先生からいつものようにお話がある。
「ここまで来たんだから、もう優勝するぞ!という気持ちで頑張ろう」
 
そして試合開始である。お互いに握手してから、スターティング・ファイブがコートに散る。お互いに気合い充分。
 
ティップオフ。秋田N高校の沼口さんと留実子で争い、留実子が勝ってボールを久井奈さんが確保する。攻め上がる。向こうは素早く防御態勢を作っている。暢子にパス。中に飛び込んで、かなり強引にシュート。しかしブロックされる。リバウンドを沼口さんと留実子で争い、沼口さんが確保。ポイントガードの横山さんにパスされて向こうが攻めあがって来る。
 
久井奈さんがマッチアップ。しかし抜かれる。千里がフォローする。微妙なフェイントを入れる。千里が右に身体を一瞬動かした所で身体を回転させて自分の身体を楯にして左を抜こうとしたが、千里の身体の動き自体がフェイントなので、1回転して前を向いた瞬間、ボールをスティール。そのまま久井奈さんにトスして、久井奈さんが攻め上がる。
 
最初の3分間はお互いに攻守交替はするものの、全く点が入らなかった。 
向こうがタイムを取った。
 

「何話し合ってるんだろうね」
「たぶんこちらの動きが予想していたのと違っていたんだよ」
「へ?」
「いや、今日の守備体制を見てたら、速攻を物凄く警戒している。攻撃の時も中折さんと荒川さんがあまり深入りせずに浅い位置で控えていた」
「どういうこと?」
 
「向こうは多分こちらの福岡C学園との試合だけを見ている」
「ああ!」
「まあ対戦相手は福岡C学園になるものと思ってたろうからね」
 
「昨日の試合だけ見てるからうちをラン&ガンのチームと思ってたんだよ」
「それで!」
 
「向こうは多分システムを変えてくる」
 

実際、試合が再開されると、攻撃の時、中折さんが先程までより深い位置まで来るようになった。横山さんからエンドライン近くまで行っている中折さんにパスが来る。スリーポイントラインの外側である。
 
撃つ!
 
それにきれいにタイミングを合わせて千里はジャンプしていた。
 
きれいにブロックが決まる。
 
こぼれ球を穂礼さんが取ろうとしたのだが、一瞬早く倉野さんが飛びついていた。 
体勢を崩しながら沼口さんにパス。しかし沼口さんのそばには留実子が居て、とても撃てない。それで倉野さんにパスを戻す。そして倉野さんがシュート。 
これが決まって2点。
 
先制したのは秋田N高校であった。
 

こちらから攻めて行く。向こうはすばやく防御態勢を取っている。千里に中折さん、暢子に倉野さんがマークで付いている。
 
ボールを穂礼−暢子と回すが、倉野さんのマークがきついので中には入れない。それでも暢子は強引に中にドライブインする。完全に行く手を阻まれてしまう。それでも強引にシュートする!
 
上手い具合にブロックを免れてボールはバックボードに当たるが、リングには当たらないまま落ちてくる。この場合、ボールがリングに当たってないので、ルール上はシュートとはみなされず、ショットクロック(24秒計)はリセットされない。そのボールを沼口さんと争って留実子が確保。中に飛び込んできた穂礼さんにトス。そこからいったん久井奈さんに戻すが、もうショットクロックの数字は残り3秒である。
 
久井奈さんが再度制限領域に飛び込んで来た暢子に向かって振りかぶる。 
一瞬、相手の意識がそちらに集中する。
 
がボールは千里の所に飛んでくる。
 
受け取って即撃つ。
 
撃った直後にショットクロック(24秒計)が鳴った。
 
しかしボールはきれいにネットに飛び込む。
 
ゴールが認められて3点。
 
3対2で旭川N高校1点のリード。
 

ゲームはロースコアで進む。どちらもよく攻めるがよく守るので、なかなか点数が入らない。どちらも1度ずつ24秒のヴァイオレーションまでおかしてしまった。それで第1ピリオドを終えて18対19と旭川N高校が1点のリードであったが点数としては完全に拮抗している。旭川N高校は19点の内、9点が千里のスリー、8点が暢子の得点で、このふたりで得点のほとんどを稼いでいた。一方秋田N高校では、18点の内、倉野さんが8点、中折さんが6点で、やはりこの2人で得点の大半を稼いでいる。
 
中折さんは2ポイントは3つ入れたもののスリーは2回撃って2回とも千里にブロックされている。一方千里はスリーを5回撃ち、2回は中折さんにブロックされたものの、3つは入れている。結果的にはふたりとも3回ゴールを決めたのだが、スリーポイントとツーポイントの差で9点と6点の差が出ている。 

「完璧に競ってるね」
「うん。引き締めて行こう」
「ひとつひとつ確実に」
「失敗した時は即忘れて気持ちを引きずらないこと」
「そうそう。反省するのは試合が終わってから」
 
「でもほんとバスケって心のゲームだよね」
「そうそう。気持ちで負けたら勝ち目がない」
「お互いに最高の精神で戦った時、初めて身体の記憶の勝負になる」
「もっとも3回戦以上は、最高の精神で戦うのが前提だけどね」
「そして最後は運の勝負」
「私たち、割と運は良いかも」
 
「最後はラッキーガールの私に任せて」
と夏恋が言うと
「この試合に夏恋の働きで勝ったら幸運の女神に進化だな」
と久井奈さんが言った。
 
「私、むしろレギュラーに進化したい」
「まあ、それは本人の努力で」
 

第2ピリオド。向こうは倉野さんと中折さんを下げて、別のフォワードとシューティングガードを出してきた。こちらは千里と暢子はそのまま出ているが、他のメンツは雪子・透子・揚羽に変えている。
 
このピリオドで千里をマークした堀内さんは、マークが上手い!と思わせられた。瞬発力があるので、千里の細かい動きによく付いてくる。こちらをじっと観察しているので、なかなか隙ができない。
 
彼女は得点力はあまり無い感じであったが、ほんとにマークは上手い。千里にスリーを3つも入れられたので、守備の専門家を入れてきたのだろう。ベンチに座っている中折さんが自分をじっと見詰めているのを千里は感じていた。 
旭川N高校の攻撃。雪子がボールを運んでいき、左側に居る千里が厳しくマークされているのを見る。右側に居る透子さんにパスする。もらってすぐ撃つ。 
きれいに入る。
 
次の攻撃機会。
 
やはり相手の守備は千里と暢子を警戒している。そこで雪子はまた透子さんにパス。 
撃って入る。
 
次の攻撃機会。
 
2度続けて透子さんがスリーを入れたので、それまで暢子をマークしていた荒川さんが透子さんのマークに入っている。
 
それを見た雪子は制限区域に飛び込んで行った暢子にパス。暢子はそこから強引にシュート。
 
入る。
 
更に暢子が得点するパターンをもう一度やったら、今度は千里をマークしていた堀内さんが暢子のマーカーに付いた。すると雪子は今度は千里にパスする。そこから撃って3点。
 
結局このピリオド、雪子は透子・暢子・千里の中で最もマークの弱い人にパスしてそこから得点するパターンで攻めまくった。またシュートが外れた場合もリバウンドの専門家・揚羽が入っているので、彼女がリバウンドを取りまくってリカバーする。
 
たまらず向こうは途中でタイムを取って(*1)メンバーチェンジし、もうひとりマークに強い人を入れてきて、千里・暢子・透子の3人を強烈にマークしたが、結果的に向こうの得点力は落ちてしまった。
 
(*1)ゲームが中断せずに続いているとメンバー交替ができない。しかしタイムアウトは1ピリオド1回しか取れない。そのためメンバーチェンジをするためにわざとファウルをする場合さえある。
 
それで結局この第2ピリオドは14対20と6点差が付き、前半の累計得点は32対39となる。第2ピリオドでは結局透子が2回、千里も2回スリーを入れている。 

ハーフタイムの間に事務局からアナウンスがあった。
 
「台風接近のため、場外に設置しております巨大スクリーンを場内に移設することになりました。作業のため玄関およびロビーで多数の機材を動かしますので、お気を付け下さい」
 
「ああ。本格的にやばくなってきたみたいね」
と千里たちは休憩しながら言う。
「どうも九州直撃コースっぽい」
 
「お使いに行ってもらってる昭ちゃん大丈夫かな?」
「危険を感じたら自転車は放置して、タクシーとかで帰って来いとは言ってあるけどね」
「そのくらいの判断はできるでしょ」
 
「昭ちゃん軽そうだもんね。簡単に風で飛びそう」
「あの子、何キロだっけ?」
「50kgって言ってたよ」
「軽〜い」
「女子としても軽いよね」
 
50kgはふつうの女子高生としてはほぼ平均だが、体格の良いバスケガールから見ると、軽い部類である。身長180cmの留実子は体重も70kgある(でも体重85kgの鞠古君は留実子をお姫様抱っこしてくれるらしい)。千里でさえこの時期は55kgほどである。
 
「シリコン入れておっぱい大きくしたらその分重くなるよ」
「おっぱいって何キロあるんだろ?」
「Eカップの場合で左右合わせて2kgらしい」
「そんなにあるのか」
「デカ乳の子は肩が凝るって分かる」
「胸に砂糖の袋1つずつ下げてるようなもの」
「Hカップなら3kgかな」
「凄い」
「じゃ昭ちゃんにはHカップの胸を作ってあげれば体重も3kg増えるね」
「よし、それで行こう」
「じゃ昭ちゃんには取り敢えず豊胸手術を受けてもらおう」
 

第3ピリオド。向こうは倉野さん・中折さんを戻す。旭川N高校も暢子を休ませ寿絵を入れる。久井奈・千里・みどり・寿絵・留実子、というラインナップで行く。
 
このメンツでは、千里は中折さんとお互いにマーカーになったが、倉野さんはこちらの攻撃の時は留実子をマークしていた。向こうの攻撃の時は倉野さんにはみどりさんが付いたが、向こうが役者が1枚も2枚も上なので、マークを振り切って、どんどん得点していく。
 
それで第3ピリオド前半で向こうが14点・こちらが6点と秋田N高校ペースになり、累計得点は46対45と、ついに逆転される。
 
ここで旭川N高校がタイムを取りメンバーチェンジする。寿絵・みどりに代えて穂礼さん・揚羽を出す。倉野さんには穂礼さんがマーカーで入った。すると穂礼さんは経験豊かなので、相手のフェイントに簡単には騙されない。これで倉野さんの攻撃をかなり防ぐことになる。
 
一方リバウンドは揚羽と留実子というリバウンドに強い2人が入っているのでかなり勝率が高くなる。更に揚羽はけっこう貪欲な点取り屋さんなので、相手が上手いタイミングでブロックにジャンプしても、発射直前に空いてる筋を見つけてシュートするなどということをしてゴールを奪う。
 
こちらの攻撃。久井奈さんが千里を見るが、その時、千里は反対側にいる揚羽を見ている。その視線を見て一瞬中折さんが首を動かした瞬間、千里は足音も立てずに中折さんの前から姿を消している。
 
「え?」と中折さんが言った時には既に千里はボールを受け取っている。中折さんが必死でジャンプするも、距離が離れているので届かず。きれいに入って3点。
 
向こうの攻撃。2年生のポイントガードが運んできたボールを中折さんがいる位置よりずっと外側に投げる。中折さんはそれに飛びつくようにして取る。千里が詰め寄るが、中折さんのそばに寄る前に、彼女は既に体勢を整え直してシュートを放つ。きれいに入って3点。
 
こちらの攻撃。久井奈さんから普通に千里にパスが来る。千里はドリブルしながら中折さんと対峙する。複雑なフェイントを入れて、千里は彼女の左側を抜いて制限エリアに侵入する。荒川さんがフォローに来るが千里はそれよりも早くシュートを撃つ。
 
リングで跳ね返る。
 
がそこで留実子がジャンプしてタップ。
 
ボールはネットに飛び込む。2点。
 
向こうの攻撃。
 
中折さんがパスを受けて千里の前でドリブルしている。チラッと奥に居る沼口さんを見る。千里もそちらを見る。その瞬間中折さんは千里の左を抜こうとした。が千里はそれを読んでいて、顔は右を見ていても身体は左に動いて、巧みにドリブルの途中のボールをスティールしてしまう。
 
そして自らドリブルして速攻で攻め上がる。スリーポイントエリアの直前で停まってシュート。
 
バックボードにも当たらずきれいに決まって3点。
 
相手の攻撃。こちらが速攻だったので守備体制も早く固まっている。向こうはパスを回すが、なかなか中に飛び込む隙が無い。中折さんにボールが渡る。千里と対峙。一瞬右から抜こうとするポーズ。千里はそちらに上半身だけ動かすがむろん騙されない。更にフェイントを入れて中折さんがシュート。千里は思いっきりジャンプする。
 
が、軌道が高かったので千里のブロックは及ばず。ボールは直接ネットに飛び込んで3点。
 
この第3ピリオド後半はめまぐるしく逆転・再逆転が続いたが終わってみると累計で56対59と旭川N高校のリードは3点になっていた。第3ピリオド後半のみの点数でいえば旭川N高校14点と秋田N高校10点、第3ピリオド全体では旭川N高20点、秋田N高24点である。
 

「中折さんが千里に抜かれて『あれ?』って顔をしてたね」
と最後のインターバルにみどりさんが言う。
 
「第3ピリオド途中まで、私は抜く時に最初に右足を抜く側に向けておいたんだよ。それで中折さんはそれに気付いてそちら側に意識を持っていくようにした。そこで私は右足を抜くのと反対側に向けるようにした。それで美事に騙されたんだよ」
 
「なんか狐と狸の騙しあいみたいだ」
「どちらが狸だろう?」
 
「しかしこの短時間でそういう癖に気付く向こうも凄い」
「中折さんだから気付くと思った」
「それを逆手に取った訳か」
「次のピリオドはこれはもう通用しない」
 
「でも世の中、いろいろ騙し合いというのはあるよね」
「政治家とか株相場とか」
「面接試験なんかも結構そうだよ」
「男と女も騙し合い」
「恋愛って結構打算だよね」
 
「僕たちは割れ鍋に綴じ蓋だなあ」
 
などと留実子が言う。一時病気の治療のために女性ホルモンの投与なども受けてかなり女性化していた鞠古君はやはり男性能力はかなり弱いらしい。バストももう無いし、精子も復活したらしいが、やはり今でもかなり勃起しにくいらしい。一緒に一晩過ごしてもどうしても立ってくれなくてセックスできずに終わることもよくあるという。(フェラとかすると射精はするらしいが)一方の留実子は自分の性別認識問題で悩んでいる。
 
「千里たちもでしょ?」
と留実子は言う。
 
「そうかもねー」
 
貴司は女の子と話すのは苦手とよく言っている(その割りには浮気未遂が多いが)。でも女の子として完全でない自分とは話が弾むしフィーリングが合うようだ。お互いに「ちょうどいい」相手なのかも知れないという気もする。 

第4ピリオド。旭川N高校は暢子を戻す。雪子・千里・暢子・揚羽・麻樹というラインナップである。ここに至って秋田N高校側は中折さんが積極的にスリーを撃つ戦略で来た。
 
前半だけで5回のスリーを撃ち、2本入れる。一方の千里は前半4回撃って3本入れる。倉野さんも暢子も貪欲にゴールを奪うし、揚羽もこのピリオドは積極的に攻撃に参加して前半だけで2ゴールである。
 
それまでのロースコアゲームが一転して、両軍とも守備を軽めにして点数を取り合うゲームに変化した。
 
それで5分過ぎた所で点数は75対78と3点旭川N高校のリードになっていたが、そこまで何度もお互いに逆転が続いていてシーソーゲームである。ここで旭川N高校は麻樹さんを下げて《ラッキーガール》夏恋を入れた。
 
夏恋は一応スモールフォワードとしてメンバー表には登録しているのだが、ボールの扱いがうまく器用で、ガードも兼ねられるタイプである。コートインして最初の攻撃で雪子からパスされたボールをドリブルしながら敵陣に進入。当然行く手を阻まれるが、それまで右手でドリブルしていたのを左手にボールを移して、ワンハンドシュート! これがきれいに入って2点。
 
「凄いね」
と声を掛けられた夏恋は
 
「いや、揚羽ちゃんが飛び込んで行くのを見たからリバウンドを取ってくれるだろうと思って投げたんだけど、入っちゃった」
などと言っている。
 
このあたりの運の強さが夏恋だ。
 

千里と中折さんのスリーの応酬も続くし、暢子と倉野さんの中に飛び込んでのシュートもお互い決まっていく。荒川さんや揚羽もチャンスがあれば得点していく。相変わらずシーソーゲームが続く。そして残り1分となった所で96対93と秋田N高校3点のリードになっていた。
 
旭川N高校が攻めて行く。相手は中折さんが千里をマークし、倉野さんが暢子をマークしている。ボールは雪子が持っているのだが、千里と中折さんの戦いは既に始まっている。一瞬の隙に千里が目の前から消えるというのを何度か体験して、中折さんも絶対に千里から目を離さない。しかし千里は細かく動き回る。中折さんはそれに付いていく。
 
右に走り、左に走り、というのを数回繰り返した所で千里が右に走ってステップを停めると向こうもそこで停まり、反対側に動き出す。が千里は更に右に走った。「あっ」と向こうが言った瞬間既に雪子からボールが飛んできている。それを掴んでシュート!
 
中折さんが必死でジャンプして指がボールに当たる。
 
しかしボールはそのままゴールに飛んでいき、1度バックボードに当たってからネットに飛び込んだ。96対96の同点!
 
千里が大きく息をしている。中折さんも大きく息をしている。すぐにふたりとも走り出す。荒川さんがスローインして横山さんがドリブルでボールを運んで行く。
 
横山さんから中折さんにボールが飛んでくる。千里が身体を割り込ませてカットを試みたが、中折さんはその千里を再度押しのけてボールを取る。マッチアップ。中折さんはドリブルしながら突破の機会を狙う。
 
荒川さんが夏恋を振り切ってこちらに走り込み、千里をスクリーンする。その瞬間中折さんはシュートする。が千里もブロックにジャンプする。中折さんはブロックを避けるように高めの軌道で撃ったのだが、千里が最初からジャンプの体勢だったので指がちょっとだけ触る。
 
ボールはそれで横スピンが掛かり、軌道がずれてゴール近く誰も居ない所に落下した。ルーズボール!
 
両軍の選手が必死で追いかける。しかしその中で夏恋がまるで飛び込むようにしてボールを確保する。完璧に身体のバランスを崩して倒れ込みながら近くに居る揚羽にパス。揚羽から雪子にボールが渡り速攻!
 
しかし行く手を横山さんが阻む。一瞬のマッチアップ。巧みなフェイントで雪子が横山さんを抜く。しかしその間に荒川さんが戻って来ている。更にマッチアップ。ここで対峙している僅かな時間に他のディフェンダーも戻ってくる。 
そこで雪子はそこからスリーを撃った。
 
ボールはリングに当たったものの跳ね返って落ちてくる。揚羽がリバウンドを確保する。撃つ。しかボールはリングを2周ほどしてから外側に落ちてくる。再度揚羽がリバウンドを取り、低い体勢から床すれすれの高さで外側に居る暢子にパス。しかしすぐに倉野さんが暢子のそばに寄る。
 
残り時間は既に6秒である。
 
暢子がボールを持ったまま大きくジャンプする。そして空中でシュート! 
と思いきや、ボールは千里の所に飛んできた。中折さんと少し小競り合いの末、千里がボールを確保する。残り時間は3秒。このまま両軍得点が無ければ延長戦になる。
 
非常に複雑なフェイントを入れて千里はボールをシュートする。中折さんもブロックにジャンプする。彼女の指はボールに届いたか届かないか微妙な感じだったが、千里は僅かに触れたと思った。そしてボールはリングの手前側に当たって跳ね返る。が、そこに暢子がジャンプしてタップでボールをネットに放り込んだ。
 
審判がゴールを認めるジェスチャーをしている。96対98で旭川N高校のリード!! 
みんな時計を見る。
 
時計は僅かに0.9秒残っている。
 

秋田N高校がタイムを取った。千里たちも相手がやろうとしていることは想像がつくので、配置を確認する。
 
留実子が唐突に言う。
「千里、こういう時、やりたくならない?」
「なんで〜? サーヤしたいの?」
「取り敢えず我慢しよう」
「まあ、それがいいね」
 
60秒のタイムアウトが終わり審判が選手をコートに呼び戻す。スローインする倉野さん以外、全員反対側のゴール近くに集まっている。左側に居る中折さんには千里と揚羽のふたりでつく。
 
右側には沼口さんが居て、そのそばに暢子が居る。荒川さんに留実子、横山さんに穂礼さんが付いている。
 
中折さんが「行こう!」と言って大きな声を挙げ、片手を挙げている。千里たちも「気を引き締めて!」と声を掛け合う。
 
倉野さんが超ロングスローインをする。
 
全員の顔に緊張が走る。
 
中折さんがジャンプし、揚羽も同時にジャンプする。
 
が千里はダッシュしてゴールのそばに駆け寄った。
 
ボールは中折さんの所ではなく、ゴールの反対側に飛んできたのである。 
この場面ではシュートに信頼性がある中折さんを使い逆転勝ちできるスリーを狙うのが最も妥当な考え方と思われる。しかしそれ故に中折さんを敢えておとりに使ったトリックプレイだった。不確実なスリーより確率の高い2点ゴールで延長戦にしようという作戦である。
 
沼口さんと暢子の間で激しいキャッチ争い。ふたりともジャンプして、沼口さんがボールを掴んだ。
 
そして着地する間もなく即シュート。
 
しかし次の瞬間、沼口さんに対して斜め正面、ゴールの反対側から走り込んでジャンプした千里が空中で左手を伸ばしてボールをエンドライン方面に弾いた。 
ボールは結局バックボードの端に当たって、床に落ちる。
 
が、そのボールがもう床に付く前にブザーが鳴った。
 

このプレイでの鍵は、コートの反対側から飛んできたボールをキャッチしてすみやかにシュートすることである。後で考えてみるとこんなプレイができるのは実は体格の良い沼口さんしか居なかったのだが、この時、そこまで千里たちは考えが及ばず、シュートなら中折さんだろうし相手は逆転狙いで来るのだろうと単純に思い込んでいた。
 
また中折さんは「行くぞ!」などと声を挙げ手を高く挙げてていたが、沼口さんは黙って中折さんの方を見ていた。このあたりの演出にも美事だまされた。 
なお、この時の3人の位置関係はエンドラインに近い側から暢子・沼口さん・千里という状態である。千里はむろん沼口さんにぶつからないように飛んでいる。
 
ここで、真正面から飛ぶなど、ぶつかる可能性のある飛び方をすれぱ実際にぶつからなくても危険なプレイとしてファウルを取られる可能性がある。また叩き落とすのもボールが沼口さんの頭に当たる可能性があり危険なので、つかんだり跳ね返せないなら横に飛ばすのが唯一の道。
 
なお2007年の時点では曖昧だったが、2010年のルール改定でスローイン後のボールキャッチは、それだけで0.3秒消費したとみなされることになった。この場合は元々0.9秒あったから良いが、2010年以降のルールの場合、もし時計が0.3秒以下からスタートしていたら、つかんでシュートというのは認められず空中でのタップなどによるシュートのみが認められていた。ただしコートの反対側の端から飛んできたボールをタップでゴールするのは事実上不可能だ。 
ミュンヘン五輪決勝でのアメリカ対ソ連の大逆転も残り3秒だったからできたプレイである。
 

試合終了!
 
みんな大きく息をついていた。沼口さんも、暢子も千里も膝を付いた状態である。千里が立ち上がって暢子を起こす。そのままお互いにハグする。 
「大丈夫?」
「平気平気。今のびっくりしたから、ちょっと力使い果たした」
 
一種のショック症状であろう。一方の沼口さんはそのまま座り込んでしまっが、中折さんが寄って来て手を握り起こしてあげた。
 
暢子と沼口さん、中折さんと千里がハグする。
 
沼口さんが泣いていた。中折さんは千里と握手しながら自らも泣きたそうな表情で千里を見詰めていた。その悔しそうな顔は、負けた悔しさなのか、それとも最後のプレイに自分が参加できなかった悔しさなのか。
 

両軍整列する。
 
「98対96で旭川N高校の勝ち」
 
「ありがとうございました!」
 
両者握手をする。あちこちでハグする姿もある。
 
中折さんが千里に声を掛けた。
「またやろうよ」
「うん。またやろう」
 
それで再度笑顔で握手をしてコートから退いた。
 
得点経過

 
19 20 20 39 | 98

18 14 24 40 | 96


「前半は39対32でうちがリードしていたけど、後半だけ見ると64対59で向こうがリード」
と睦子がスコアシートを見ながら言う。
 
「やはり強豪は底力が凄いんだよ」
「うん。後半は強豪が絶対有利」
「前半にリードを保っておかない限り、強豪相手に勝ち目は無いね」
 
「それは明日の試合にも言えることだな」
 
と言って暢子は唇を噛み締めた。
 

フロアから出た所にM高校の橘花・伶子・宮子・輝子の4人が居る。
 
「BEST4おめでとう!」
「橘花、帰ったんじゃなかったの!?」
 
と千里は驚いて言う。
 
「試合があまりにも凄すぎて、とても途中で帰れなかったよ」
「でも飛行機は?」
「試合が終わった所で予約センターに電話して、予約を取り消した。便の出発前だから、手数料は要らないって」
「良かったね! 正規運賃で買ってたんだ?」
「うん。私たちだけ旭川空港じゃなくて新千歳空港行きの便で帰るつもりだったから」
「どっちみち今日の宿泊代が余分に要るけどね」
「取り敢えず昨日まで泊まってたホテルに電話したら、部屋は空いてるっていうから、そこに泊まる」
「それは空いてるだろうね!」
「宿代も昨日までのと同じでいいって」
「良かったね!」
 
「他のメンバーは第2試合の前半まで見てから福岡に移動した」
「いや、飛行機の取消手数料をたとえ払ったとしても、この試合は見る価値のある試合だったよ。ほんとに凄かった」
 
「最後の方の空中戦、凄まじかったね」
 

この日、千里たちと同じ時刻に四回戦を戦っていた貴司たちの留萌S高校は強豪の秋田R工業に善戦はしたものの、92対83で敗れてしまった。S高校は結局、BEST8停まりとなった。
 
「どうだった?《王者》R工業」
と千里は電話口で訊いた。
 
「強ぇ〜〜〜!と思った」
「私も対戦してみたかったなあ」
「まあ、千里は男をやめちゃったんだから仕方無い。まあ《女王》とたくさん遊びなよ」
 
千里たちの明日の相手は昨年も優勝している愛知J学園である。
 
「うん。明日が楽しみ。貴司もおちんちん取っちゃうと《女王様》と遊べるよ」
 
「遠慮しとく。でももし千里たち愛知J学園に勝てたら、決勝戦は多分岐阜F女子高になるんだろうな」
 
「たぶんね。でも東京T高校のメンバーも明日もし岐阜F女子高に勝てたら、決勝戦は間違いなく愛知J学園だ、なんて話してるよ」
「あはは、そうだろうね」
 
「まあ、正直向こうの主力が全員風邪でも引いたりしない限りはまず勝てないと思う」
 
と言ったら後ろで《こうちゃん》が指を折るので『変なことはしないように』と釘を刺しておく。
 
「安い漫画にありがちな新進の学校が奇跡の優勝ってのは有り得ないよ。だけど女王様にも簡単には勝たせないつもりだよ。散々苦しませてやるよ」
 
「うん。逆にそのくらい開き直った方がいいと思う。変に気負うより全力出せると思うよ」
 
「貴司たちは今夜はまだ帰らないよね?」
「うん。帰る便が無いから、明日まで居る」
「私たちの試合見る?」
「もちろん。観客席から応援するから、思いっきりプレイしろよ」
「うん。頑張る」
 
電話の向こうで貴司が自分の手の甲にキスして、その音で「遠隔キス」ということにした。
 

この日、試合に出ない女子部員たちはほとんどの子が女子の試合が行われている会場の観客席で応援をしており、一部の部員が男子の会場で偵察をしてくれていた。昭ちゃんは宇田先生や山本先生などに頼まれて、午前中、市内で物品の調達に走り回ってくれた。結構走り回るので、ホテルが所有しているレンタル自転車を借りてスーパーやホームセンターなどに行っていた。
 
「こちら、リクエストがあがっていたおやつです」
「おお、大漁、大漁」
 
「アクエリアスは重たいからお店の人がホテルまで届けてくれました」
「良かった良かった」
「胃薬、生理痛の薬、風邪薬は山本先生にお渡ししました」
「さんきゅ、さんきゅ」
 
この手の薬はドーピング検査に引っかかる薬(葛根湯やコンタックなど)が多い(というよりほとんど)ので、そういう心配の無い、指定の銘柄のものを買って来ている。風邪薬に関してはコルゲンコーワ錠、生理痛用にはバファリンAなどである。今回のインターハイでも何人か、抜き打ちでドーピング検査を受けさせられたらしい。(但し陽性になっても悪質と判断されない限りは注意だけで失格にはしないという話だった)コーヒーやコーラに関しても、試合前には飲まないことという指示が出ていた。コーヒーはカフェインを含んでいるので、検査直前に5−6杯飲んでいると引っかかる可能性があるらしい。昔はコーヒーを飲んでから試合に出ると闘争心が出るなんて言っていた人もあったが、現在ではそれは完璧なドーピングである。
 
「それから着替えの下着も大量に買って来ましたから」
「助かる助かる」
 
思った以上に勝ち進んで、着替えが足りなくなって来た子も多いのである。コインランドリーにも持っていったが、そちらはさすがに1年生の女子部員が数人でやってくれている。
 
「女物の下着をたくさん買ってて変な気分にならなかった?」
「えっと・・・自分でも欲しいなって気分に」
「今、男物の下着つけてるんだっけ?」
「あ、いえ。女物ですけど・・・」
「じゃワンセット持ってけ、持ってけ」
「昭ちゃん、サイズは何?」
「あ、えっとショーツはMで、ブラはA80です」
「ふむふむ」
 
「でも蒸し暑い中、お疲れさん」
「そうなんですよ。台風接近前で風も強いけど蒸し暑いんです。だから水分補給しっかりやってました」
「水分補給はいいけど、あまりミネラルウォーターとかポカリとか飲んでるとトイレにも行きたくなるよねー」
「昭ちゃん、トイレはどちらに入るの?」
「え? 男子トイレですけど」
 
「でも昭ちゃん、おちんちん取っちゃったという噂が」
「なんでそんな噂になるんですか?」
「おちんちん、あるの?」
「えっと、今ちょっと使えない状態で」
 
すると暢子が
「ああ、昭ちゃんのおちんちんは私が預かってるから」
などと言う。
 
「へー!」
 
「だったら昭ちゃん、男子トイレでも個室?」
「はい。小便器が使えません」
「だったら女子トイレに入ってもいいのでは?」
「入れませんよぉ!」
 
「でも昭ちゃん、女子トイレ使ったことないの?」
「あ、えっと・・・・」
 
「ほほぉ」
 

「でも今日は自転車で随分走り回ったら、ちょっと痛かったです」
「ああ、道の悪い所とか走り回るとおしりが痛いよね」
 
「えっと、お尻はまだいいのですが。。。実は。。。」
と言って昭ちゃんは千里を見る。
 
「ああ。あの状態で自転車に乗ると、あそこが痛いよね」
と千里は笑って答える。
 
タックした状態で自転車に乗ると、衝撃がまともに押さえつけているペニスに掛かるのである。
 
「何が痛いの?」
と質問が出るので、千里は
 
「切っちゃったおちんちんの跡が痛いのでは?」
と答える。
 
「ほんとに切っちゃったんだ!」
 
「インハイが終わったら返してあげるよ」
と暢子。
 
「ほほぉ」
 
「だけどなんか少しずつ風が強くなってきました。結構最後の方は風に向かって自転車こぐのが辛かったです」
と昭ちゃんは言う。
 
「ああ、台風がまともにこちらに来てるみたいね」
「まじで?」
「例のうさぎちゃんか」
「明日は雨みたい」
「台風で試合が中止になったりして」
 
「ボクもN高校の試合開始前に戻って来たから良かったけど、その後でかなり酷くなってきたみたいです」
「うん無事で良かった」
「昭ちゃん軽いから飛んじゃうかもと話してたよ」
「けっこう飛ばされそうな気がしました」
「昭ちゃん、豊胸手術受けない?」
「えー!?」
「おっぱい作ると、おっぱいの分だけ重たくなるよ」
「えっと・・・」
「おっぱい欲しくない?」
 
と言うと俯いて悩んでいる。どうも本当に欲しいようだ。
 

その日の晩御飯は昨日の昼間に出ていた要望にもとづき、すきやきであった。唐津に来てからは毎日晩御飯は焼肉だったので(店は毎日変えてマンネリにはならないようにしていた)「美味しい美味しい」「夏に食べるすき焼きもいいよね」と言った声が出ていた。
 
「コーチ、明日勝ったらしゃぶしゃぶにしてください」
「いいよ。じゃ頑張ってね」
 
「優勝したらステーキで」
「そのくらいきっと教頭先生がおごってくれるよ」
「よし、決勝戦まで頑張ろう」
 

夕食後ホテルのロビーで缶ジュース・缶コーヒーなど飲みながらおしゃべりしていたところに、玄関から中学生くらいの男の子が入ってくる。それを見た昭ちゃんが驚いたような顔をして逃げようとしたので「どうした?」といって暢子に確保される。
 
男の子はフロントで
「湧見と申しますが、旭川N高校の湧見昭一の部屋はどちらでしょうか?」
などと訊いている。
 
声変わりがまだなのか、女の子みたいな声だ。
 
「ご家族の方ですか?」
「いとこなのですが」
 
などというやりとりをしていた時、
 
「君〜、昭ちゃんはここだよ!」
と暢子が言う。
 
それでその子はフロントに一礼してから、こちらにやってくる。
 
「ありがとうございます」
と暢子に言うが、キョロキョロと探している雰囲気。
 
「えっと・・・」
「ああ、ここ、ここ」
と暢子。
 
「昭一君!?」
とやっと彼は昭ちゃんに気付いたふう。
 
「こんにちは、えっちゃん」
と昭ちゃんも観念した感じで返事する。
 
「嘘!? 可愛い! どうしちゃったの?」
「性転換して女の子になったんだよ」
「へー!」
「名前は昭子に改名」
「夏休み明けからは女子制服で学校に通うらしいから」
「所属も男子バスケ部から女子バスケ部に移籍ね」
「まあ、いいんじゃない? 昭ちゃん可愛いし。女の子だったら良かったのにって小さい頃からよく言われてたね。とうとう性転換しちゃったんだ。手術、痛くなかった?」
「まだ性転換手術はしてないよぉ!」
 
昭一のいとこという彼は伊万里の祖父の家に来ていたものの、こちらに来るはずの昭一がなかなか来ないので、様子を見に来たらしい。
 
「君は、中学生?」
「はい、そうです。中学3年生です」
と彼は答えたのだが、
 
「えっちゃんはバスケ強いです」
と昭ちゃんが言う。
 
「ほぉ!」

それで、どのくらい強いの?という話になり、ホテルの駐車場に出て、ちょっと手合わせしてみる。1年生の蘭がボールを持って来てくれた。近くに居た南野コーチも一緒に付いてくる。
 
暢子が敦子を指名するので、敦子と彼とで1on1をしたら、彼は1度目は停められたものの、2度目ではバックロールターンで華麗に敦子を抜いた。 
「凄い!」
「うまいじゃん!」
「バックロールターンできるんだ!」
「だいぶ練習しました。でも普通に抜いた方が隙が少ないよと言われてます」
「ああ、それは思った」
「回転する時にけっこう無防備になってる」
「雪子なら回転し終わった瞬間をスティールするな」
 
5回やって、彼が攻める側の時は3回敦子を抜き、敦子が攻める側の時も1回だけ敦子を停めた。
 
「君、かなりやるね!」
 
「よし私がやる」
と言って真打ち登場で暢子が相手したが、暢子が攻める側の時は全部抜かれたものの、彼が攻める側の場合5回目で暢子を抜いた。
 
「やられた!」
「暢子を抜けるというのは凄いぞ」
「いや、この子強いよ。対戦してみれば分かる」
と暢子が言っている。
 
「君どこの中学?」
と南野コーチが訊く。
 
「深川の**中学校です」
「進学先は決めてる?」
「地元の公立高校に行こうかと思っているんですが」
「どこからもスカウトされてない?」
 
「いえ。そもそもうち、正式な部じゃないもので。バスケット同好会なんですよ。男女合わせて10人しか居ないし、顧問もバレー部の顧問が兼任でやってくれてるけど名前だけだし。お金掛かるからバスケット協会にも登録してないから、大会とかにも出てないんですよね。一応市内の他のバスケット部と練習試合させてもらってますけど」
 
「ね、君と再度お話ししたい。良かったら住所と電話番号教えてよ」
「いいですよ」
 
と言って彼は南野コーチが渡した手帳に住所を書いた。
 
「あ、君名前は何だっけ?」
「湧見絵津子です」
 
「・・・・・」
 
「なんか女の子みたいな名前だね」
「えっと、一応ボク女なんで」
 
「えーーーー!?」
とその場に居た全員が驚いた。
 
「女の子なの!?」
「男の子だと思い込んでた!!」
 
「はい、一応おちんちんは付いてないです。おっぱい小さいけど」
「最初から女の子なの?」
 
「うちのお母ちゃんは、おちんちん付いてたけど邪魔だったからハサミで切って捨てちゃったよとかよく言うけど、多分本当は生まれた時から付いてなかったと思う。取り敢えず生理もあるし」
 
「君、ぜひうちの女子バスケ部に入ってよ」
「うち貧乏だから、私立はちょっと」
 
「特待生枠が取れるかどうかは分からないけど、取れなくても奨学金出させるから、公立並みの負担で行けるよ」
「そうですか?」
 
「それも含めて、北海道に帰ってからゆっくりお話しさせて」
「はい」
 
そういう訳でN高校は思わぬ縁で、有望な子とのコネを確保したのであった。 
 
前頁次頁目次