【夏の日の想い出・新入生の夏】(1)
(C)Eriko Kawaguchi 2011-08-27/改訂 2012-11-11
高校時代、親友の政子と組んで「ローズ+リリー」という「女子高生歌手デュオ」
をしていた私は、1年半ほどの休止期間を経て、大学1年生の夏、今度は4人組のバンド「ローズクォーツ」のボーカルとして再デビューした。
再デビューの日は8月3日で、これは2年前に偶然のできごとからローズ+リリーというユニットが誕生した日であった。私達をプロデュースしてくれている須藤さんは「レコード会社とかと調整していたら偶然その日になった」とは言っていたが、須藤さんにとってもこの日は人生の転換点となる記念の日なのではなかろうかという気はしていた。
「ローズ+リリー」の活動は、週刊誌に私が実は男の子であったということがすっぱ抜かれたのをきっかけに活動休止してしまったのだが、須藤さんはその騒動の責任をとって会社を辞めた。しかし昨年の8月3日にブログを立ち上げて全国を車中泊で旅しながら有望なアーティストの発掘をしていることを報告しはじめたし、そのちょうど半年後の今年2月3日に、新しい事務所を設立して、本格的な音楽制作活動を始めていた。会社の資本金は100%須藤さんが出資していて、他の会社との資本的な関係は無かったものの、須藤さんがローズ+リリーをプロデュースしていた時に所属していた津田社長の△△社とは友好関係にあるようであった。
ローズ+リリーをしていた高校生の頃の私は学校には男の子の格好で通い、放課後になると女の子の格好で歌手をする、という状態だったのだが、大学生になってからは、フルタイム女性の格好をするようになり、女性ホルモンを飲み始め、5月には豊胸手術、6月上旬には去勢手術まで受けてしまった。
「とうとう明日、男の子ではなくなっちゃうのね。迷いとかは無い?まだ今なら間に合うよ」
去勢手術(+外陰部の形成手術)を受ける病院の近くのホテルまで付いてきてくれた政子は、前日私にそう言った。
「迷いが無いといったら嘘になるけど、手術は受けちゃう」
「ね、今日はタックしてないんでしょ。形が変わっちゃう前のあの辺、見せて」
「えー?なんで?」
「今まで何度か私見ちゃってるし、触ったこともあるし、いいでしょ?」
「うん。まあ、いいけど」
私は立ち上がるとスカートとショーツを脱いで、下半身を晒した。
「どうせだから上も脱がない?」
「いいよ」
私はブラウス、キャミソールを脱ぎ、ブラも外して全裸になる。
Dカップの乳房が顕わになった。
「上半身だけ見ると女の子なのに、下半身にはこんなの付けて・・・両性体なのね」
「今日まではね」
と私は笑って言った。
「写真撮っちゃおっと」
「ちょっとー」
「いいじゃん、私と冬の仲だし。間違っても流出させたりはしないよ」
と言って政子は私のヌードを携帯で数枚撮影した。
「これ、立つの?」
と政子はそれに触りながら言った。
「立たないと思う。ローズ+リリーしていた頃から自分では全然いじってなかったのよね。最後に立った記憶も1年以上前。それに4月から女性ホルモン飲んでるから多分無理」
実際にはローズ+リリーを始めた初期の頃に政子の前で立ったのが最後である。
「ふーん」
と言うと、政子はいきなりそれを口にくわえてしまった。
「え!?」
それは初めて味わう感触だった。なんか・・・気持ち良すぎる。これ。でも・・・立っていられない!
「ごめん。立ってられない感じ」
「じゃ、ベッドに寝ちゃおう」と政子は口を離して言う。
「うん」
私はそのままベッドに横になる。
政子はまた私のそれを口に咥え、優しく舌で舐めてくれた。
私は政子とこんなことしていいのだろうか?と思いながらもあまりの快感に思考停止してしまった。政子は私のを舐めながら、自分の服も脱いでしまい裸になってしまった。
「なんか・・・・・」
「大きくなっちゃったね」
と政子は口を離して笑いながら言った。
「じゃ、今なら入るかな?」
「え?」
「私もかなり濡れちゃったよ」
「ちょっと。だめ、そんなことしちゃ。マーサ、バージンでしょ」
「だから、したいの」
政子はそう言うと、私の上に乗っかかり、私のそれを自分のあそこに入れてしまった。
「マーサ・・・・・」
「これ、私のわがまま」
そういうと政子は私の身体の上で腰を動かし始めた。
私の男性機能はもう最弱の状態だったし、そもそも行きにくい女性上位の体位だったし、ふたりとも初めての経験だったし、到達するまで凄い時間が掛かってしまったような気がする。でも、私達はその地点まで到達した。
「えへへ。冬とひとつになれた」
「マーサ、私・・・・・」
「これで妊娠したら奇跡の子供なんだけどなあ」
「それは・・・・多分無理と思う。もう精子無いよ」
「だよねー」
「マーサ・・・・私、明日手術しちゃっていい?」
「なぜ私に訊く?」
「だって・・・・・」
「冬は男の子に戻るつもり?」
「ううん。女の子になりたい」
「じゃ、手術しちゃっていいんじゃない?」
「うん。じゃ手術しちゃうね」
私は政子にとってもキスしたい気持ちになり、政子の顔を手で寄せると熱いキスをした。私と政子は半ば冗談のような感じでそれまでも何度かキスをしたことはあったけど、あのキスがいちぱん深いキスだった。
「私達、ふつうに友達でいいの?」
私は政子に訊いた。
「友達のつもりだよ。今日のことはふたりだけの秘密にしとこ」
「うん」
「だって明日には冬は女の子になっちゃうしね。私レズの趣味は無いし」
「それは嘘だ。。。でもごめん少し眠くなった」
「寝てて。夕飯くらいの時刻になったら起こしてあげる」
私はそのまま夜8時くらいまで寝ていたのであった。
そうして翌日、私の股間は女性型になってしまった。まだ棒状の器官だけは残留していたし、ヴァギナも無かった。しかし棒状の器官は割れ目ちゃんの中に隠してしまうことができたので、そうしていれば完全に女の子の形に見えた。手術から5日後に包帯が取れると早速政子は私の新しい股間の形を確認した。まだ手術の傷跡がなまなましくて自分でも見たくない感じだったのに、政子が見せて見せてというので私は見せた。手術前にあんなことをしたので政子とは何も遠慮がいらない気がしていたこともあった。
「わあ、すっかり女の子になっちゃったね」
「まだ、おちんちんは付いてるけどね」
「一緒に取っちゃえば良かったのに」
「この先生はその手術まではしないんだもん」
「このおちんちん立つのかなあ」
「さすがに不可能だと思う」
「そっかー。残念」
退院した私はちょっとだけ辛かったので、翌日・その翌日と政子の家で休ませてもらっていた。ちょうどそこに須藤さんから電話があり、私達は夕方、小料理屋さんの個室で須藤さんと会って、その場で私の再デビューが決まったのであった。
再デビューが決まった私は、津田社長の事務所やレコード会社、作曲家の上島先生や編曲の下川先生などのところに挨拶回りをし、写真集の撮影などもして7月下旬に新ユニット「ローズクォーツ」のメンバーでレコーディングをした。そして8月3日にローズクォーツの最初のシングルがダウンロード開始になったのであった。
8月3日はローズ+リリーの人気爆発のきっかけにもなったコミュニティFMのトーク番組に私と、ローズクォーツのリーダーであるマキさんの2人で出演した。
番組の冒頭で「ふたりの愛ランド」が流れ、DJさんが私達を紹介してくれた。
「ケイさんは2年前にもこの番組に出演してくださいまして、その時もこの曲を流したんですよね」
「はい。2年ぶりにこちらの局におじゃまさせて頂きました」
「その時はローズ+リリーというユニットで、もうひとりの女の子マリさんと一緒で」
「はい。今回は男の人3人と一緒です。ただ今日は都合で1人しか来てませんが」
「ローズ+リリーの『ふたりの愛ランド』は本来の男女デュエット曲を女の子ふたりで歌ったのが面白かったのですが、今回も女性2人で歌ってますよね」
「ええ。ふたつとも私の声です」
「わあ、ひとりデュエットなんですね」
「はい。本来の女性パートをアルトで、本来の男性パートをメゾソプラノで歌っています」
「すごいですね。完璧に声質の違うふたつの声ですよね。でもこのシングルをまるごとダウンロードすると、もうひとつ珍しいものが聴けるという噂が」
「ははは。それは聴いてのお楽しみということで。ちなみにそちらも私のひとりデュエットですので」
「えー、みなさん。この『ひとりデュエット』というのを覚えておいてください」
とDJさんが謎めいた言い方をする。
『ふたりの愛ランド・裏バージョン』は「おまけトラック」の扱いなので、個別ダウンロードを設定していなかった。つまりそれを聴くにはシングル丸ごとダウンロードするしかないのである。
DJさんは「ローズクォーツ」の構成や活動歴などについても尋ねてきた。
「クォーツとしては5年ほど、都内のライブハウスを中心に活動してきたのですが、昨年ボーカルが辞めてしまいまして、新しいボーカルを探していたところに、ケイさんと組まないかという話がありまして、会ってみると、ほんとに歌が上手いし、また器用な人だという印象で。性格も優しい感じでうまくやっていけそうだったので、一緒に活動することにしたんです」
とマキさんが説明した。しかしマキさんはこういう場に臨むのが初めてだけあって、かなり緊張している。表情が硬い。
「じゃローズクォーツになってからはそんなに時がたってないんですね」
「はい。1ヶ月ちょっとですね」とマキさん。
「ローズ+リリーで出てきて頂いた時も結成して半月くらいでしたね」
「ええ。できたてのほやほやでした」と私。
「ケイさんはローズ+リリーが活動停止した後、どうされてたんですか?なんかその付近の情報って、全然出てきてませんでしたよね?」
「受験生やってました。その間にも、受験勉強の妨げにならない範囲でまたやりませんか?というお話はあったのですが、やはり受験生は受験生らしくお勉強に集中していようということでおとなしくしてました。ただ昨年のサマー・ロック・フェスティバルは見に行きました。観客として」
「夏フェスの時期ですね」
「やはりあれは感動ですね。素晴らしかった。その内ステージの方に立ちたいですね」
「今年は再デビューしたてですけど、来年は狙えるんじゃないですか?」
「はい。お声が掛かるくらい頑張りたいです」
「ローズ+リリーのマリさんの消息も聞いていいのかな?。今回マリさんと組んでの復活ではなかったわけですが、マリさんとは喧嘩別れとかしたわけではないですよね」
「はい。マリとは仲いいですよ。同じ学校の同じ学部に進学して、毎日会ってますし、お互いの家にもよく出入りしています。今回のローズクォーツの作品の中にもマリが作詞した『あの街角で』という曲が入っていますし」
「おお。ちなみに・・・おふたりは恋人とかじゃないんですよね?」
「基本的に私達は女の子同士の友達感覚なので。恋愛成立の可能性はないです。これはローズ+リリーをやってた頃からそうだったのですが。それに最近、私自身がもう男の子ではなくなってしまいましたし」
「おお、なんか凄いことを聞いてしまったような」
「ローズ+リリーをしていた頃、私は自分の性別をちゃんと言ってなかったのでファンの方には申し訳なかったのですが、戸籍上の性別は置いといて私自身は最初から自分は女の子のつもりでいましたし」
「なるほどですね。私もケイさんに最初お会いした時から、女性だと思っておりましたし、今でも女性にしか見えません」
「ありがとうございます。それでローズ+リリーのほうは、活動復活の予定は未定ですが、アルバムは出す予定で準備中です。実際にリリースするのは多分年末くらいになるのではないかと思うのですが」
「楽しみですね」
「はい。マリのファンの方は少しお待たせしてしまいますが、ローズクォーツの方もよろしくお願いします」
ここで話がいったん中断して新しいシングルの中から『佐渡おけさ』が流れる。
「えーっと、民謡ですよね」
「民謡ですね」
「これはまたどういう意図で?」
私とマキさんが顔を見つめ合ってしまったが、私が説明する。
「元々クォーツというのは4分の1を表すquartにsが付いたもので、4分の1を4人集めて360度の円になる、という意味があるんです。4人でひとつという意味もありますが、円のように360度どういう方向の音楽でも貪欲にやってしまおうという方向性でして、今回のシングルでもあとで聴いていただく『萌える想い』
はテクノ、『Love Faraway』はフュージョン、先程の『ふたりの愛ランド』はポップス、『あの街角で』はフォーク、という感じで様々なジャンルの曲を採り入れています。クォーツの実際のステージでは、その場でのリクエストに答えて、洋楽や演歌なども演奏していたのですが、いろいろやるなら民謡でも歌っちゃおう、ということで採り入れました」
「なるほど、ユーティリティ・バンドということなんですね」
「はい。そのうちバロックとかもやっちゃおうか、などとも話しているのですが」
「おお、それは凄い」
「でも。これちゃんと民謡の発声をしてますね」
「はい。新潟の民謡教室まで通って練習しました」
「おお、本場で鍛えたんですね」
「ええ。本物の民謡歌手さんにはかないませんが、雰囲気だけでも色々なものを楽しんで頂こうということで」
「楽しむというのはいいことですね」
「ありがとうございます」
「それでは最後に、タイトル曲の紹介頂けますか?」
「はい。それではローズクォーツの初シングル『萌える想い』からタイトル曲の『萌える想い』、聴いてください」
私の紹介にかぶせて曲が流れ始める。そしてDJさんの
「今日はローズクォーツのマキさんとケイさんにおいで頂きました」
という声で放送は終了した。
この日は他に3つのコミュニティFM局にお邪魔してローズクォーツと新譜の紹介をさせてもらった。そのおかげでこのシングルは20時頃までに1500ダウンロードとまずまずの滑り出しをしたのだが、夜中0時過ぎた頃から突然ダウンロードのカウントが上がりだした。しかも夕方くらいまでのダウンロードはシングル丸ごとの他に、楽曲単位のものもかなり多かった(「萌える想い」と「あの街角で」が多かった)のだが、深夜からのものはほとんどが丸ごとのダウンロードであった。
カウントが上がっていることに気付いた私は何か起きたのだろうかと思いネットを見ていたら、2chや複数の個人ブログで「ふたりの愛ランド・裏バージョン」
が話題になっていることに気付いた。
「あはは・・・・・」
私は心の中で苦笑しながら書き込みを読んでいた。
−この男の方、誰が歌ってんの?クォーツのマキ?
−いや、マキはもっと下手だよ。サトのほうがまだうまかったはず
−FMでケイが「これもひとりデュエット」だと言ってた。
−え〜?これまさかケイの声?
−ケイの男声、初披露か?
−俺は認めたくねー。ケイは俺にとっては可愛い女の子なんだ!
−しかし甘い声だね。こんな声持ってるなら隠すことないのに。
−男声と女声で多重録音したのか
−いや、この曲、一発録りっぽい。多重録音じゃないよ。
−じゃ、リアルタイムで男声と女声を切り替えながら歌ってるのか。すげー。−しかしなんか脱力感のある歌い方だよな。
−うん。それでなんかゆるくて気持ちいい感じになってる。
−夏のビーチで歌ったら、こんな雰囲気になるんじゃない?
−うんうん。雰囲気はいい。
私は自分の男声を晒すのは嫌だったのだが、こう好感されてしまうと悪くない気もした。私が「ひとりデュエットです」と明言したのは最初に行ったFM局だけだったのだが、ちゃんとそれを聴いていた人がこの曲の秘密に気付いてくれたことも嬉しい気がした。
そういうわけで、このシングルは日が変わってから9時までに6000ダウンロードを記録。その後もネットを中心に話題が広がっていき、月末までに3万ダウンロードという、まずまずのヒットになったのであった。
8月中、私は学校が夏休みで時間があったのだが、ローズクォーツの他の3人はそれぞれ昼間の仕事を持っているため、平日はなかなか4人で集まることができなかった。特に7月の下旬にレコーディング優先でやっていたため仕事の溜まっている人もあり、土日でさえも4人そろわないことがあった。
「まあ、そういう訳で、今週末はサマー・ロックにでも行ってくる?8月13日なんてお盆の直前だけどさ」
と言って須藤さんはサマーロック・フェスティバルのチケットをぴらぴらと見せた。昨年、甲斐さんにチケットをもらって、政子たち友人4人で見に行ったフェスである。
「どーんと20枚もらっちゃった。でもマキさんもサトさんもタカさんも仕事だって」
「あらあら」
「冬、お友達誘って行っておいでよ」
「ちょっと都合聞いてみます」
と言って、私は友人数人に電話を掛けて都合を確認する。政子は「もちろん行く」
と即答であった。礼美はバイトで行けないと泣いていた。仁恵は「バイトあるけど休んでいく」とのこと。他、同じクラスで仲のいい博美・小春が行くといった。
「チケット5枚ください」
「OK。あとは返そう」
「うちの事務所の他のアーティストさんには回さないんですか?」
と私は驚いて訊く。
「ローズクォーツとそのお友達限定でもらったから」
「ああ」
「フェスは私もスタッフで入るけど、涼香(甲斐さんの下の名前)に会ったら、お礼言っといてね」
「ああ、やはり甲斐さん経由ですか」
「うんうん。その元は町添さんだよ。30組の出演者の内、7組が★★レコードだからね。このチケットはローズクォーツとピューリーズの限定」
「なるほど。でも来年はステージの方に立ちたいなあ」
「うん。立てるように頑張ろう。町添さんがチケットくれるのも、次はステージの方に来てね、という意味だから。そして来てくれるかもというユニットにだけ配る」
「頑張ります」
「あ、念のため1枚予備をもらってていいですか?」
「うん。いいよ」
と言って、須藤さんは私にチケットを6枚くれた。
私がチケットを6枚もらったのは『1人』増えるかも知れないなという予感があったからだが、案の定、フェスに行く日の朝になってから礼美から電話が入った。
「急にシフトが変わっちゃって、今日空いちゃったんだけど、チケット余ってないよね」
などという。
「レミ、そんなこと言い出すかもと思ってチケットは取っておいたよ」
「わあ、ありがとう!!待ち合わせは?」
「東京駅。横須賀線ホーム。ホーム中央付近。8時厳守。水着も持参よろ」
「了解!」
東京駅で6人で待ち合わせて電車で会場の最寄り駅に行き、入場ゲートに並ぶ。
「冬、長袖にロングスカートって暑くない?」
「余計な日焼け厳禁と言われてるのよ。もう日焼け止めの超強力なのを顔と手にも塗ってるよ。途中で塗り直す」
「去年は気楽だったね」と政子。
「でも受験生だったけどね」と仁恵。
「受験生で夏フェスに来るというのは大胆だな」と博美。
「でも私は冬たちに出会ってなかったら△△△に合格できなかったなあ」と礼美。
指定ブロックは昨年と同じ所であった。今年は1ステージのみであった昨年と違ってステージが3つできていて、メインの8万人入るステージがブロック指定で、3000人および1000人キャパのサブステージは自由な場所で観覧できるようになっていた。また、メインステージの最前ブロックの更に前に休憩時間単位で総入替制&入場数制限のあるフリーブロックが設けられており、お目当てのアーティストの時はそちらに行って見てもよいことになっていた。このフェスティバルは今年で5周年になるので、他の大規模なフェスにならって色々改革してきたようであった。
また昨年までは1ステージのみだったので出演者は10組だったが、今年は3ステージなので合計30アーティストが参加する、大きなイベントになっていた。
私達は取り敢えずメインステージの指定ブロックに行った。
「おお、ここならステージ上の人の顔が見える」
「うん。いい席だよね。最前ブロックじゃないから、座って見ることもできるし」
「どうする?サブステージの方にも行ってみる?」
「私、Cステージに午後から出るマザー・ミッチェル行ってくる。他はここに居ようかな」と博美。
「私はBステージのラストのAYA見に行ってくる」と小春。
「私よく分かんないからここにずっと居る」と仁恵。
「私はここだけでいいけど、ドリームボーイズはフリーゾーンまで出て見て来ようかな」と礼美。
「じゃ小春、Bステージ見たあと、こちらと合流できなかったら駅前のガストで落ち合おう」
「OK」
オープニングは今年は昨年150万枚という大ヒットを出したバンドが務めた。メンバーが全員40代で、デビューして20年目の初めてのビッグヒットということであった。演奏する曲目はそのビッグヒットの曲を含めて聞きやすくノリの良い曲であった。演奏技術も高い。これだけの腕を持っているバンドでもヒット曲に恵まれないというのはあるんだなあ、と私は思ったりしていた。
2番目は昨年オープニングを務めたバンドであった。今年も元気で若さあふれるサウンドでみんなをノリノリにさせてくれた。私は長袖に長いスカートでそれでなくても汗を掻いている状態で飛んだり跳ねたりしていたので、もう汗だらだらの状態になっていた。
「水分補給しなくちゃ」といって水筒のお茶をごくごく飲む。
「えーい。全部飲んじゃえ」といって、私はお茶を全部飲んでしまった。「分けてあげないからね、冬」などと政子が笑って言っている。
「うん。休憩時間に何とかする」
そんなことを言っていた時だった。こちらの方に甲斐さんがやってくるのが見えた。何かただならぬ顔をしている。
「良かった、冬ちゃん、いた!」
「甲斐さん、何かあったんですか?」
「お願い、ちょっと来て。ここでは話せない」
「はい」
私は政子に「あとで連絡する」と言って、甲斐さんに付いていった。
「そうそう、甲斐さんチケットありがとうございました」
「ああ、うんうん」と、どうも気がそぞろである。何か大変なことが起きているようだということはそれで想像できる。
「それと、甲斐さんからずっと勧誘してもらっていたのに、結局須藤さんのほうのお誘いに乗ることになってしまいまして」
「うん。それは構わないよ。美智子さんとことうちは協力関係にあるし、どちらからデビューしても大差ないよ」
と甲斐さんは笑って言っていた。
「でも給料はうちのほうが少しいいよ」
「あはは」
「ただそちらは印税の率がいいみたいだから、結果的には同じくらいになるのかな。でも、それより、他社からの誘いをちゃんと断ってくれていたのに感謝。唐本さんも中田さんも、うちと正式な契約結んでいたわけではないから、他社から取られても、うちは文句言えなかったのよね」
そのあたりの事情については実はかなり複雑な内情があるのだが、それは私と津田社長との秘密である。甲斐さんは知らされていないし、須藤さんも知らない。
「そのあたりは浮き世の義理で」
「うふふ」
そんな会話をしていたので甲斐さんも少し気分が落ち着いてきた感じであった。
私達はステージ裏のスタッフが集まっている所まで来た。
町添部長が難しい顔をして立っているのを見て驚く。
「おお、ケイちゃん、いたか」
「はい。連れてきました」
「おはようございます。お世話になっております」と挨拶する。
「ケイちゃん、スカイヤーズの歌、歌える?」
「ヒットした曲なら歌えます」
「○○、△△、◇◇、※※、◎◎」
「全部歌えます」
「よし、決まり」
「何があったんですか?」
「ちょっと呼んできて」
「はい」と言って甲斐さんが走って行く。
「実はスカイヤーズのボーカルの BunBunがさっき倒れてしまって」
「えー!?」
「凄い熱なんで。本人は歌うと言っていたのだけど医者がこの炎天下で歌わせたら命の保証ができかねると強く主張して」
「出演を取りやめて午後やるバンドかBステージ出演予定のバンドに出てもらって穴埋めする手も考えたのだけど、すぐスタンバイできるバンドが見あたらない」
「わあ」
「そもそも辞退になるとスカイヤーズのファンに悪いし、彼らも初めての出演だからできたら出してやりたいしね。他のパートが倒れたのなら、そのパートを代わりに演奏できる人はなんとか調達できるのだけど、ボーカルはね」
「で、私が代わりに歌うんですね」
「頼みたい。なにしろ急なことで」
「スカイヤーズの出番って、今やってる湘南トリコロールの後、休憩をはさんですぐですよね」
「そうなんだよ。あまりにも急すぎて、ほんとにどうしようと思ってた時に、甲斐くんが、ケイちゃんなら歌えるはずと言い出して。僕も君の器用さは知ってたから。それに君なら充分な知名度がある。ここで全く無名の歌手を出すわけにも行かないんだ」
「ありがとうございます。器用さは自信あります。私、売れなくなったらリハーサル歌手でも食っていけるよ、なんて言われたこともありますし」
「あはは。それはもったいないよ」
と町添さんは明るい表情になって言う。
そこにスカイヤーズのメンバーがやってきた。
私が挨拶すると、ギターの YamYam さんが
「あ、ローズ+リリーのケイちゃんじゃん」と言う。
「うまいの?」とリーダーの Pow-eru さんが YamYam さんに訊く。
「この子、凄く歌唱力あります」と答えた。
「とりあえず合わせてみていいですか?」と言い、ギターとベースに電気を通さないままの音で弾き、それに合わせてスカイヤーズの「飛んでけ、空の向こうへ」
を私は歌った。
「前奏だけで、よくこの曲と分かったね」とPow-eruさんが言う。
「ええ、スカイヤーズの曲はよく聴いてますから」と私はにこやかに言う。町添さんもニコニコしている。
「演奏予定の5曲と予備の1曲、通してみよう。時間無いから1コーラスずつ」
「はい」
ということで私達はその場で6曲、合わせたのであった。
「一発でここまで合わせられるって、凄いな」
「君、譜面を正確に覚えてるね」
「はい。私、エレクトーンも弾くので、スカイヤーズはスコア譜をエレクトーン譜に自分で書き直して、弾いてますので」
「なるほど」
「1ヶ所微妙にずれた所は、俺達の方がスコア通りに演奏しなかったもんな」
「すみません。あそこ本番ではちゃんと合わせます」
「あの程度は大丈夫。BunBunなんてしょっちゅう間違ってるし」と
傍観していたドラムスの Chou-ya さんが笑って言った。
「これなら行けそう。じゃ、ケイさん、お願いします」
「はい」
という会話を交わしたのは、もうすぐ休憩時間が終わり、あと5分で出番という所だった。
私はスタッフの人に頼んで水をもらい、500ccのペットボトルを飲み干す。
「この服、動きにくくて。なにか適当な動きやすい衣装ありませんか?」
というと、銀色のブラウスと膝丈スカートのセットを渡された。
「こんなんでいいでしょうか?」とスタッフの女性が言う。
「OK、OK。ありがとうございます」といって受け取り
「時間無いからここで着替えちゃいますね」といって私は着ていた服をその場で脱ぎ、衣装を身につけた。慌てて甲斐さんが身体で視界を遮ってくれた。しかし近くにいた人のかなりが私の下着姿を見た感じではあった。
「あれ、ケイちゃん、おっぱい大きくした?」とYamYamさんが言った。私はにこっと笑いVサインをして、スカイヤーズのメンバーと一緒に
ステージに向かった。
休憩時間が終わった所で司会の女性がステージ中央に出て
「ここでお知らせがあります」とアナウンスをした。
「スカイヤーズのボーカルのBunBunさんがさきほど急に倒れてしまいまして」
『えー』という声が会場から沸く。
「命に別状は無いのですが、とても今日歌えない状態です。スカイヤーズの出場辞退も検討したのですが、それではファンの方に申し訳ないということで、今日だけの臨時ボーカルに、たまたま会場に来ておられました、ローズ+リリー、ローズクォーツのケイさんをお願いしました」
というと
『わー』という歓声が上がる。
私達はその歓声の中、ステージに出て行った。
私はステージ中央に立って凄いと思った。ローズ+リリーでは最大でも3000人クラスの会場しか経験していない。今ここには8万人くらいの観客が詰めかけている。これは興奮ものだ。凄い快感!
「みなさん、こんにちは! ローズクォーツのケイです。というよりも、ローズ+リリーのケイと言った方が、みんな知ってるかな?」
と言うと「はーい」という会場からの声。
「私今日は観客で来てて、ついさっきまでは客席の方にいたのですが、BunBunさんが倒れたとのことで、急遽ピンチヒッターを仰せつかりました。スカイヤーズのファン、特にBunBunさんのファンの方々には、とても不満とは思いますが、スカイヤーズの音だけでも楽しんで下さい」
と私はマイクを持って言った。
続いてPow-eruさんがマイクを持ち
「そういうことで、BunBunがぶっ倒れてしまったので、急遽、ケイさんに代理のボーカルをお願いしました。今日は夏フェスというお祭りならではの、スカイヤーズとケイさんとの合同セッションと思って楽しんで下さい」
Chou-yaさんが力強いドラムスワークで演奏を始め、続いてPowe-eruさんのベースとYamYamさんのギター、それにサポートメンバーの人のキーボードとサックスも続いて、私は最初の曲を歌い始めた。
バンドというものと一緒に歌うというのは、ふだんローズクォーツでたくさんしているわけだが、そつのない演奏をするクォーツと比べて、スカイヤーズはとても野性味のあるバンドで、かなり雰囲気が違った。私は飛びはねながら歌いまた多少の音程のずれをおかしてもできるだけ叫ぶような歌い方をした。すると最初おそるおそるの感じだった、スカイヤーズの面々が徐々に乗ってきているのを感じたし、客席の興奮もどんどん上昇していくのを感じた。
5曲目を歌い終わった時、客席は物凄い興奮の渦にあった。司会者の人がアンコールお願いしますというサインを出している。私はさきほどの事前に合わせた時に最後にやった曲を演奏するのかと思ってそのつもりでいたら、Chou-yaさんのドラムスが違う曲を示唆している。Pow-eruさんが「え?」という顔を一瞬したのを見た。が私がOKサインを送ると安心したようで普通に前奏を始める。サポートメンバーの2人も一瞬驚いたようだったが、ああ行ける行けるという顔をしている。そして私はぶっつけ本番で、スカイヤーズの最大のヒット曲である「サヨナラ」を歌い始めた。
割れるような拍手の中を私達はバックステージに引き上げた。
「いやあ。びっくりした」とYamYamさん。
「すまねー。ついやっちまった」とChou-yaさん。
「なんだ。間違いだったのか」とPow-eruさん。
「でも、ファンは喜んだと思いますよ」と私は笑顔で言った。
「ケイさん、こういう大観衆でのステージ経験あるの?」とChou-yaさん。
「いえ。3000人クラスの会場までしか経験なかったです」
「あがってなかったよね?」
「あの大観衆見て、凄く興奮して。もう快感で、気持ちよく歌えました」
「凄い。天性の歌姫なんだなあ」
「うん。ケイさんのおかげでこちらも落ち着けた感じがする」とPow-eruさん。スカイヤーズもこの規模のステージは初めてだったのである。
「でもホント助かりましたよ。もう1時間前にBunBunが倒れた時はどうなるんだと思ったけど。取り敢えずあれだけ盛り上がったら、一応の責任は果たせたかな」
「でもケイちゃん、すごく女らしくなってる。もしかして改造済み?」とYamYamさん。「改造中です」と私は笑顔で答える。
「改造?」
「うん。少なくとも2年前は男の子だった」とYamYamさん。
「あはは」
「えー!?」とPow-eruさんが本気で驚いたような声を出した。
「だって声も女の子じゃん」
「それがケイちゃんの凄い所なんですよ」とYamYamさんが言っている。
「週刊誌のすっぱ抜きがあるまで、みんながケイちゃんを女の子と信じてましたから」
「その節は済みません。私自身は女のつもりでいたんですけどね。戸籍がそうなってないもんだから。ちなみに実態上は既に男の子ではなくなりました」
「なるほど」
「いや、女にしか見えないよ。また、何かで一緒にやりましょう。今度はBunBunとのツインボーカルで」
「はい。また機会がありましたら」
といって私はにこやかにPow-eruさんと握手を交わした。
「そうだ。ケイちゃんサインちょうだい」などとYamYamさんが言い出す。
「いいですよ。ローズ+リリーのほうにしますか?ローズクォーツの方にしますか?どちらも書いていいことになっているので」
「両方!」
「私もスカイヤーズさんのサイン頂けます?」
「OK。OK。ベッドで寝てるBunBunの分までとってくるから」
ということで、私達はスタッフの人から色紙をもらいサインを交換した。
スカイヤーズの面々や町添部長などと話しているうちにお昼になり、私は政子とメールで連絡を取り合い(音が凄いので通話は不可能)、休憩場所に行った。みんなから拍手で迎えられた。
「凄い凄い。ステージに立っちゃったね」と仁恵。
「いやあ。もうびっくりした。でも私って代役ついてるんだなあ」
「凄い観客でしょ。上がらないの?」と礼美。
「全然。こんな大観衆の前で歌ったの初めてだったから、もう凄い興奮した」
「興奮するんだ」と博美。
「ふだんとノリが違ってたよね」と政子。
「スカイヤーズが野性味のあるバンドだから、ああいう感じがいいかなと思って。でも来年は自分のユニットで出場したいね。このメインステージに」
「うん。頑張って」
お昼をみんなで食べながらおしゃべりに興じていたら、須藤さんからメールが入り、今居る場所を返事すると、すぐにやってきた。
「冬ちゃん、お疲れ様〜」と言って、いきなり私をハグする。
「ちょっと、ちょっと」
「私は入場ゲートの方にいたから、アナウンス聞いてぶっ飛んだよ」
「ちょうど出演者係で詰めていた甲斐さんが私を推薦してくれて、居合わせた町添さんも、ああケイちゃんなら歌える、と言ってくださったということで直前の20分くらいで合わせて、本番」
「どうだった?夏フェスのステージの味」
「美味。凄く気持ちよかった」
「あがったりしなかった?」
「全然。快感で物凄く興奮しちゃった」
「そこが冬ちゃんの凄い所なんだよね〜。それにあの歌い方、BunBunさんの真似でもないし、ケイちゃんの本来の歌い方でもないけど、スカイヤーズに合った歌い方だよね。あの場で思いついたの?」
「うん。このバンドにはこんな感じかなあと思って」
「そういう器用さがまた凄いのよねえ。私、ますます惚れ込んじゃう。来年は自分達のバンドで出ようね。もちろんメインステージにね」
「うん。今そんな話をしていたところ」
須藤さんはすぐ戻らないと行けないから、といって戻っていった。
そのあと入れ替わりで甲斐さんが来て、私に客席の方に戻ると騒ぎになったりするとまずいので、特別席に案内しますからということで6人全員でそちらに移動した。ステージのすぐそばのテントの下であった。
「ちょっとアングルが悪くてごめんね」
「いえ。ステージにこんな近い所なら」
「屋根があるなんて、なんかVIP気分」と礼美。
などと言っていたら、こちらに手を振る男性がいる。
「きゃー、上島先生。マーサ、挨拶に行こ」
「あ、うん」
私と政子は飛んでいって、上島先生に挨拶をした。特に政子は2年前の12月以来会っていなかったので、「ご無沙汰しておりまして済みません」などと言っている。「今度2人でアルバム制作するんでしょ?」と先生は耳が早い。
「はい。ここしばらく書きためた曲があるもので、それをふたりで歌おうと」
「じゃ、僕も1-2曲書いてあげるよ」
「ありがとうございます!でも発売が思いっきり遅くて年末か、ひょっとしたら年明けになるかもなんですけど」
「うん。聞いてる。今年録音して年明けてから発売するって。面白いことするなと思って町添さんから聞いてた。次のアルバムは来年録音してからすぐに発売するらしいね」
「そういう話、私達もまだ聞いてないです」
「あはは、じゃ聞かなかったことにして」
「はい」
上島先生は先程の私の歌も褒めてくださった。
「ああいう歌い方は初めて見た。君ってまだまだ未知の可能性を持ってるね」
などと言われた。
10分くらい話してから仁恵たちの所に戻る。午後はかなり日差しが強くなり、倒れる観客も続出して救護係が大忙しであったのだが、私達はテントの下にいたおかげで、体力の消耗を抑えることが出来た。しかしそれでも、激しく身体を揺すり、手を振り、声援を送っているので、けっこうな体力を使う。最後のバンドの演奏が終わった時、私達は全員ぐったりと疲れていた。
「さあ、プール行こう!」と私がいうと、博美などは「げ、元気ね?冬」とバテた顔で言う。「疲れてるからプール行くのよね」などと政子は笑って言う。「5分休ませて〜」と座り込んでいる礼美。「ほんと冬と政子は体力あるね」
と同じく座り込んでいる仁恵。「でもどうせ出るのに時間掛かるからその間に体力回復するよ」と早めにBステージが終わってしまったので戻って来ていた小春が言った。
私も出るのに時間がかかると思っていたのだが、特別席にいた人たちは全員別ルートで先に外に誘導された。上島先生は用意されていた車で先に帰っていったし、私達もマイクロバスで駅まで連れて行ってもらった。思いがけず早く駅に着いてしまったので、私達はガストで栄養補給・水分補給してから、プールに行くことにした。ガストにしたのはドリンクバー目当てであったが礼美などはほんとに喉が渇いていたようで、ウーロン茶を10杯くらい飲んでいた。
「でも去年も思ったけど、このフェスはほんとに実力重視だよね。外れが全然無かったもん」
「そうそう。このフェスでは演奏技術と楽曲の品質が選出の重要ポイントらしいのよね。人気があっても実力が伴ってないバンドにはお声が掛からない」
「エアギターとかじゃダメってことか」
「そうそう。そんな中で、女性バンドで唯一メインステージに出ていたスイート・ヴァニラズは凄いね」
「うんうん。でもホントうまいもん、あの人たち。曲の品質も高いし。私もよくエレクトーンで弾いてるよ。スイート・ヴァニラズの曲は」
「冬、グレード試験行けそう?」と政子。
「今の感じなら大丈夫と先生からは言われてる」
「何級受けるの?」と仁恵。
「6級」
「わあ、すごい。私は7級に3回落ちて挫折した」と博美。
「今度はね、唐本冬子の名前で受験する」
「おお」
「実は先月末引っ越したマンションも唐本冬子名義で契約したんだ」
「着々と女性化が進んでるのね」
「うん。パソコンのソフトとか買ってユーザー登録する時も全部冬子の名前にしてるしね」
「銀行口座は最初から冬子だったんだよね」と政子が言う。
「そうなんだよね。あれ須藤さんがうまいこと作っちゃったのよね」
「へー」
「もともと銀行口座は通称で開設できるようになってるのよね。実は」
「あとはもう戸籍変更しないと変更できないものしか残ってないんじゃない?」
「うん、そうかも。美容室とかの会員カードも当然最初から冬子名義だし」
最初はガストで30分ほど休んでからプールに行く予定だったのだが、みんなでおしゃべりに夢中になっている内に気付いたら2時間近くたっていた。
「えーっと門限のある人は?いないね」
「よし、ラストまで泳ごう」
行く予定のプールは21時までの営業である。
昨年は私はバストの付近を誤魔化しやすいワンピース水着を着ていたのだが、今年はビキニを持ってきていた。
「わー、冬おっぱい大きい」
「人工だけどね」と私は笑いながら言う。
「布面積が小さいな」
「えへへ」
「さ、泳ぐぞ、冬」と充分休んで体力を回復している政子が私を25mプールに連れていく。いつものように、政子が先行して私がそのあとを追う形で10往復くらいした。途中からこちらに来てプールサイドで声援を送っていた博美が、私達が上がってくると「ふたりともすごーい」と言う。
「そのビキニ、泳ぎにくくない?」
「外れたりしないだろうかって結構気になった」
「外れるとフライデーされるぞ」
「あはは。でも開き直るとまるで裸で泳いでいるみたいな感覚で気持ちいいことは気持ちいい」
「なるほど。それはあるかもね」
プールの営業終了時刻である21時まで泳ぐつもりだったのだが、一部の子が「お腹空いた」と主張するので20時すぎにみんなであがって更衣室に引き上げた。みんなでおしゃべりしながら着替える。
その時「あれ?」という声を掛けて来た人がいた。私が振り向くと、なんと!
「Eliseさん!?」
それはスイート・ヴァニラズのリーダーでギターのEliseさんだった。
「ケイちゃんだよね、スカイヤーズと一緒に歌ってた」
「はい。ケイです。初めまして」
「ナイスボディだなあ。それにセクシー水着。でも奇遇だね〜、こんな所で会うなんて。あれ?そちらにいるのはマリちゃんでしょ」
「はい。ありがとうございます。マリです」と政子も挨拶する。
「話聞いたけど、30分くらい前に突然言われたんだって?」
「ええ。それまでここにいる友人達と一緒に観客席にいたのですが」
「凄いね、それでさっと歌えるなんて」
「たまたま知ってる曲ばかりだったので」
「ね、うちの曲も歌える?」とEliseさんが身を乗り出す感じで訊く。
「歌えます」と私は即答した。
Eliseさんはとても楽しそうな顔をして
「いいお返事するなあ。そういうお返事する子、私大好き。ねね、明日私達と一緒に歌わない?」と言ってきた。
「明日って、もしかしてサンプラザ※※ですか?」
「よく知ってるね」
「先日FM**に出演なさった時にそんなことをおっしゃってたように思ったので」
「ああ、あれ聴いてたんだ」
「はい。スイート・ヴァニラズのスコア譜は出る度に即買ってますし。私、エレクトーン弾くので、スコア譜をエレクトーン譜に自分で書き直して、弾いてるんです」
「おお、じゃ本当に行けそうだ。じゃ明日朝9時にサンプラザの楽屋まで来てくれない、スタッフに話しておくから。マリちゃんも一緒に」
「はい、行きます」
「私も?」とマリが驚いている。
「付き添いということで」と私は笑いながら言う。
「あの、もう少し付き添いいてもいいですか?」とそばで聞いていた礼美。
「じゃ、他のお友達は観客席の方で。開演前に来てもらったら席は何とかするから」
「ありがとうございます!」
「何人来るかな?」
「行きます!」とその場にいる全員が答える。
「4人ね。でもみんな、いいお返事!類は友を呼ぶか」といってEliseさんは楽しそうにしていた。
Eliseさんが「じゃお先に」と言って出て行ったあと、私はすぐ須藤さんに電話を入れた。びっくりしていたが「私も明日朝行って細かい問題、話すね」
と言っていた。
翌日、朝8時半に※※駅で私と政子と須藤さんは待ち合わせて、9時5分前にサンプラザホールに入った。
「おはようございます」と挨拶して中に入る。
「おはよう、ケイちゃん、マリちゃん」とEliseさん。
「美智子ちゃん、お久しぶり」とスイート・ヴァニラズのマネージャーさん?「ご無沙汰、奈津子ちゃん」と須藤さんは言って、ふたりは抱き合ってる。
「ローズ+リリーのマネージャーさん?なっちゃん、お友達?」
「その昔、私も美智子ちゃんも現役だった頃、今でいえばAKB48みたいな感じの多人数のアイドルグループがあってさ」
「ほとんど売れなかったけどね」と須藤さんが笑っている。
「ふたりとも、そのメンバーだったのよ」
「でも、あのグループのメンバーって、こういう稼業に転じた子が多いね」
「ほんとほんと。恵子ちゃんとか、美春ちゃんとか、由紀子ちゃんとか」
「それってホテルのラウンジとかでピアノの弾き語りとかしてたというのより」
「それより前。十七・八の頃だもん。私もまだ高校生だったのよ」
「わあ、それは知らなかった」
ふたりが旧知の仲ということで、契約上の問題は「適当に」という一言で済んでしまった。「一応、友情出演ということで」「うんうん、それがいい」
「この会場のあと、札幌・大阪・名古屋・福岡・横浜とやるんだけど、もしよかったら、それにも出ません?」
「日程確認させて」
「日程はこれ」
「福岡がちょっと予定とぶつかってるけど、調整する」
「じゃ、全公演行きましょう」
出演はライブの半ば、息抜きを兼ねたところで、スイート・ヴァニラズのメンバーが演奏のみをして、私がスイート・ヴァニラズのヒット曲のひとつである「青い鳥見つけた」を歌うということで話がまとまった。更にもう1曲「海辺の秘密」を1コーラス目まで歌ったあと、2コーラス目からスイート・ヴァニラズも加わって一緒に歌うという趣向になる。
「ぶっちゃけ、メンバーがみんな1時間半歌いっぱなしなので、少し喉を休ませたいのよ。昨日までは歌無しで流して、バックダンサーの人たちの踊りだけでつなぐつもりでいたんだけどね」
とマネージャーの河合さんは言っていた。スイート・ヴァニラズは全員がボーカルでリードボーカルも曲により交替で務めるスタイルである。
なお、政子は歌わないのだが(政子の芸能活動契約書ではライブなどには出ないということになっているので出演不能)、臨時に須藤さんの代わりに私のスタッフ代りということで全公演に帯同することになった。最後の横浜の公演にはまた須藤さんも来ることになった。
早速、「青い鳥見つけた」と「海辺の秘密」を合わせてみた。私は昨日のスカイヤーズとの共演からは一転して、あまり身体を動かさず、手を振ったり各楽器の見せ場のところでそちらを向いたり、程度の仕草を入れて歌った。
「一発で合っちゃったね」とドラムスのCarolさん。
「ほんと、歌うまいね」とベースのSusanさん。
「凄い、正確な歌い方。音程ぴったり」とセカンドギターのMinieさん。「なんか3-4年一緒にやってるみたい」とキーボードのLondaさん。
「いい感じ、いい感じ。でもケイちゃんって、色んな歌い方できるのね」
とEliseさんも感心していた。
そういう訳で、私と政子は8月後半はスイート・ヴァニラズと一緒に札幌から福岡まで飛び回ったのであった。会場は各公演ともとても盛り上がった。最後の横浜公演では「海辺の秘密」を歌ったあと、拍手が凄まじかったのでEliseさんが舞台の袖にいた政子を引っ張ってきて私の横に立たせて一緒に挨拶した。ローズ+リリーの一瞬の復活だった。「きゃー」などという声が出て、拍手も一段と盛り上がった。
後で須藤さんは「まあ、ステージで歌った訳じゃないから、いっか」などと頭をかきながら苦笑していた。
「元々、ローズ+リリーのファン層って、うちのファン層と重なってない?」
と打ち上げの席で河合さんが言う。
「うんうん、かなり重なってると思う。かっこいい女の子に憧れる層だよね」
と須藤さんは頷いていた。
「実は福岡と札幌のチケットは少し売れ残りがあったんだけどさ、東京公演にケイちゃんが出たというのがネットに書き込まれた直後に両方ともソールドアウトしたんだ」
「いや、それは東京公演が盛り上がったのが伝わったからだと思いますよ」
「でもこういうチケットの売れ方を見たの初めてだし」
そうしてスイート・ヴァニラズのメンバーとは、その後も交流が続いていき、その年の暮れに出たスイート・ヴァニラズのアルバムには私も一曲、曲を提供するとともに、複数の曲で政子といっしょにコーラスに加わった。そして、そのアルバムには協力者としてローズ+リリーの名前も刻まれたのであった。
また、私が大きな会場に何度も露出したこともあって、ローズ+リリーの楽曲のダウンロードが跳ね上がった。サマーロックの日とその後数日、スイート・ヴァニラズの公演の日と翌日は特に跳ね上がった。ローズクォーツの方のダウンロードも反応していたが、知名度に差がありすぎるので、ダウンロード数としては、やはりローズ+リリーのほうがローズクォーツの5倍近くダウンロードされて8月後半だけで、ローズ+リリーのベストアルバムと最後のシングル「甘い蜜」
が合計で7万件もダウンロードされたのであった。ベストアルバムは1年振りに大手ランキングの週間ランキング24位まで浮上した。
9月上旬はそのおかげで、あちこちのラジオ局からお声がかかり、私は毎日のように関東圏内の各地のラジオ局を訪れた。関西方面からもけっこう声が掛かっていたので、8日から10日までの水木金は新幹線で大阪に行き、それを拠点に関西方面のラジオ局に多数出演して、ローズクォーツをアピールしてきた。
そのおかげでローズクォーツの「萌える想い」は9月になってもコンスタントに売れ続け、9月末までに合計6万枚売れたのであった。一方ローズ+リリーの「甘い蜜」「その時」やベストアルバムもそれ以上に売れ続けていた。そういうわけで、9月の中旬から下旬に掛けて私と政子がローズ+リリーの
「メモリアルアルバム」の制作をした時、演奏をしてくれた近藤さんなどから「ローズ+リリー復活ですか?」と訊かれたりしたのであった。
ローズクォーツとしても、8月9月は都内のライブハウスに何度か出演したのだが、なにしろメンバーが全員兼業なのでどうしても活動時間が限られてしまっていた。結局、この時期はどちらかというと、私ひとりで飛び回っていた感じだった。録音でもいい番組の場合、マキさんが何とか都合をつけて一緒に出ることもあったが、どうしてもFMのトーク番組は日中の生放送が多いので、私ひとりの出演になることが多かったのであった。
そういうわけで9月はエレクトーンのグレード試験もあったが、前半は各地のラジオ出演、後半はローズ+リリーのアルバム制作で過ぎていった感じが大きかった。クォーツのメンバーは全員9月末までに昼間の仕事を辞めてバンドの専業になったが、辞める前は仕事のケリを付けるのに忙しく、私と政子がローズ+リリーのアルバム制作をしていた時期は、ほとんど仕事の方に忙殺されていた。
9月26日・日曜日。私達は前日までにローズ+リリーのアルバム制作が終了し、その日は臨時の休日になったので、私はひとりで宇都宮のデパートに来て、屋上でコーラなど飲みながらぼんやりとしていた。
「午後1時から屋上憩いの広場にて、○○○のミニコンサートがあります」
などというアナウンスがある。ああ、懐かしいななどと思ったりした。△△社さんだろうか?誰か知ってる人に会っちゃうかも知れないな・・・・などと思っていた時だった。
小さな女の子がちょこちょこと走ってきて「ママ〜」と言って私に抱きつく。へ?と思いながらも、可愛い子だったので、よしよしと頭を撫でてあげた。その時「あ、すみませーん」といって、28-29くらいかな?と思う女性が走ってきて、その子の腕を取った。「ママはこっちよ」「あれ?」「御免なさいね」
「あ、いいえ。可愛い子ですね。おいくつですか?」「今3歳なんです」
「お名前、訊いていい?」「あやめと言います」「あやめちゃん。美人になりそうね」「ありがとうございます。では失礼します」「はい」
などという会話をしたが、去っていく母娘の後姿を見ながら、私はふとなぜか母親のほうの顔が思い出せない気がした。あやめちゃんの顔はしっかり思い出せるのに。あれ?
その時「唐本さん」という声がして振り返ると、△△社の遠藤さんだ。「あ、こんにちは」「お仕事ですか?」「いや。今日は休暇です」などと話しながら、さっきの母娘のほうをもう一度見ようとしたら、その方角には誰も人影が無かった。
【夏の日の想い出・新入生の夏】(1)