【夏の日の想い出・コーンフレーク】(下)

前頁次頁時間順目次

1  2  3 

 
2015年7月29日(水)。ローズ+リリーの21枚目のCD『コーンフレークの花』が発売された。
 
私たちはお昼過ぎから★★レコードで新曲発表の記者会見をすることになっていたので、午前中電話で氷川さん・大宮副社長と簡単に打ち合わせしてから、10時頃、マンションを出ようとしていたら∴∴ミュージックの畠山社長から電話が掛かってくる。来月のツアーの件で私の方のスケジュールの再確認だったのだが、話がだいたい終わったところで、社長が思い出したように言う。
 
「そうそう。蘭子ちゃん、ギターとベースが見付かったよ」
と言う。
「苗場で紛失したものですか?」
 
「うん。一昨日会場の後片付けをしていたら、控室があったエリアでギターとベースが放置されているのが見付かって、所有者が分からなかったものの、Aizawa, Kidzuki という署名がされていることから該当者を向こうでもかなり調べたらしくて、もしかしてうちのKARIONのバックバンドの方のものでは?と言われて、確かにギターとベースを紛失したのでそれだと思うと言って、こちらで把握していたメーカーとタイプを伝えたら、確かにそれだということで。今日、東京方面に戻る関係者がいるから、ついでに持って来てくれることになった」
 
「良かったですね! でも紛失ということで、代わりのを買うという話は」
「うん。こちらの事務上は事故による破損で補償したとして既に処理が終わっているんだよね。彼らには相当額の現金を渡したし、彼らも既に新しいギター・ベースを注文していた。でも戻って来たものも単純に彼らにそのまま返却するということで」
 
「補償金は返さなくてもいいんですね?」
「もちろん返却は不要。帳簿上は無価値品だから」
 
「だったら良かった。でもどこにあったんでしょうね?」
「それはもう今となっては分からないね。スタッフの誰かが親切か誤ってか移動したのが連絡がされてなかったのか、あるいは盗まれてそのまま放置されたのか」
 
「多数のスタッフが動いてましたからね。バイトさんも多かったし」
「そうなんだよ」
「でも出てきて良かったです」
「うんうん」
 

12時すきからのローズ+リリーの記者会見では、★★レコードからは氷川さんと加藤課長、そしてUTPの大宮副社長まで付き合ってくれた。
 
この記者会見にはこれまでのローズ+リリーの新曲記者会見史上最高ではないかと思えるほどの人数の記者が詰めかけた。先日の熱愛報道をした雑誌の記者は入場拒否覚悟で来ていたようだが、あっさり入れてもらえて拍子抜けしたようである。もっとも今日来ている人は私たちとも顔なじみの記者であった。
 
新しいCDに収録されている5曲を各々のPVカラオケ版を流しながら私とマリで生で歌う。こういう発表の仕方はKARIONとも同じであるが、ローズ+リリーの新曲記者会見に初めて来た記者さんの中には、口パクではなく生で歌っていることに驚いている風の人もあった。
 
最初に歌ったのが『コーンフレークの花』で、ローザ+リリン、ゴース+ロリー、そして男の娘疑惑のある?豚ちゃんたちが出演しているビデオを流す。動画サイトに上げたのは90秒のショートバージョンなので、今日初めて公開したフルバージョンで豚くんたちがゆっくりと脱いで行く様子に結構歓声があがっていた。フルバージョンでは、ローザ+リリンもゴース+ロリーも繰り返し何度も出演している。
 
ここでいったん質問を受け付ける。
 
記者たちの第1の質問はやはり、なぜ直前に曲を差し替えたのかという点である。それについては『内なる敵』の反応が悪かったこと、制作陣の中にもこの曲に不安を感じる人があったことなどから、同じく三角関係を扱った曲ではあるものの曲調が明るい『コーンフレークの花』に変更したのだということを説明する。
 
「反応が悪かったのはマリさんの恋愛疑惑があったからじゃないんですか?」
という質問が入る。例の熱愛報道をした雑誌の記者さんだ。なかなか厚顔であるが、この人とのやりとりは慣れているのでこちらも笑顔で答える。
 
「まあ世の中には火の無い所に煙を立てたがる人もあるようですが」
と私が言うと、笑い声が起きる。
 
この件に関しては、おおかたの見方はほんとに何でも無かったのをああいう報道をされてしまったので、渋紙さんがつい本音の気持ちを語ってしまっただけではないか、渋紙さんも実はマリのファンのひとりなのでは、という線に落ち着いたようである。
 
「でも確かにケチが付いた形になったので、新たな気持ちで歌いたいというのもあるにはありましたね」
 
「ではやはり曲の変更を決められたのは一週間前なんですか?」
と別の記者さんが訊く。
 
「そうです。21日の夜に決定しました」
「それで実際に新しいCDはどのくらい用意できたのでしょうか?」
 
これについては氷川さんが説明する。
 
「封入するパンフレットの印刷を10ヶ所に分けて頼みまして、CD本体のプレスも最終的に2つの工場で同時進行してもらいました。それで今日の夕方までには全国で40-50万枚は揃うと思います。週末までには70-80万枚くらい用意できる見込みです。大手通販のアルテミス, HNS, Direct-CDでは金曜日までに予約を入れてくださった方には一部の離島を除いて昨日届くようにお送りできたということです。土曜日以降昨日までに予約してくださった方にも日曜日くらいまでにはお届けできるのではないかと思います。一時的に品薄になっても、すぐ増産しますので、少しだけお待ちください」
 
今日発売するCDの予約は新しいPVを流した7月22日以降凄まじい勢いで入り、直販サイトと大手チェーンの集計だけでも、金曜日までに15万件に及んだのである。★★レコードでは急遽工場側と話し合い、同社の大阪工場にもデータを転送して2つの工場でフル生産体制を敷いてくれた。町添さんは社長・専務・常務、それに営業部長との緊急会議をして製造枚数を50万枚から100万枚に増やしたが、その後も予約が増えているので、状況次第ではもっと増産することになる可能性もある。
 
「パンフレットの印刷を10ヶ所でしたということですが、その印刷した中身はどこで印刷したものも同じなのでしょうか?」
 
「最初全部同じデータを渡すつもりだったのですが、何か印刷上の問題が起きた場合に、それを把握しやすくすること、交換などに応じやすくすることを目的に、印刷した工場のマークをジャケット表紙に入れています。右下の方にA-Jのマークが入っています」
 
と氷川さんが説明する。
 
「我々が頂いたものはJになっていますね」
と配った献納品のCDを見ながらひとりの記者が言う。
 
「それは熊本市の印刷屋さんでプリントしたものです」
「随分遠いですね!」
「大都市の印刷屋さんは忙しくて急な対応ができなかったんです。それでだいたい地方都市が多いです」
 
「違うのはそのマークだけですか?」
「表ジャケットについてはそうです」
 
記者たちがざわめく。
 
「表ジャケットについてはということは、裏ジャケットは?」
「実は裏ジャケットは4種類あります」
 
「それも印刷屋さんの違いですか?」
「そうです。そちらは右下にK-Nの文字が入っていますが、裏ジャケットについては実は写真も違うんです」
 
「それって、4種類集めようとするファンが出ることを期待した訳では?」
 
「とてもそこまでは考えられません。あの場は制作現場がもう殺気立った状態で全く余裕が無くて。裏ジャケに関しては最初1ヶ所だけに頼むつもりが後でやはり1ヶ所じゃ間に合わないから別の所にも頼むという話になり、更にあと1ヶ所、更にもう1ヶ所となりまして。混乱していたものですから、その度にうっかり別の写真のバージョンを渡してしまったんです」
 
と氷川さんは説明した。
 
「楽曲の差し替えが決まったのが16時くらいでして。工場に印刷データを渡したのが18時から20時頃までになりましたので、本当に混乱の極致だったんです。申し訳ありません」
と加藤課長が付け加えた。
 

質疑応答は20分くらい続いたが、何とか落ち着いてきたので次の曲に行く。またカラオケ版PVに合わせて私たちが歌う。
 
『∞の後』はSFっぽい動画である。まるで人類が滅亡したかのような荒廃した風景。枯れた森林、朽ちたビル群。そこには何も動くものの姿は無い。しかしそこに1人の男性(高橋和繁)と1人の女性(丸山アイ)が現れ、どちらも何かを探すかのように歩き回る。ふたりとも着ている服はボロボロである。フラッシュバックするかのように、ふたりが各々スーツとドレスを着てワイングラスで乾杯して素敵な白亜の屋敷を背景にキスするシーン。
 
そして曲のクライマックス。ふたりは各々、モンスターのようなものに襲われ、必死に逃げる。両者つまずいて倒れて絶体絶命というところで曲は物悲しい和音のままフェイドアウトしていく。
 
そして音が全て消えてしまった時画面もブラックアウト。歌っていた私とマリも目を瞑って無言・直立不動である。
 
これで曲は終わりかと思い拍手しかけた記者もあった。
 
しかし突然新たなメロディーが奏で始められる。PVではふたりを追っていたモンスター同士が互いを認識して戦い始め、結局相打ちになってしまう。
 
モンスターが倒れたのを見て、ふたりはおそるおそる出てきてお互いを発見。大きな声をあげて駆け寄り、抱きしめあう。そして、廃墟の前でキスするシーンで終わる。
 
「あのキスは真性ですか?」
などと、また例の雑誌社の記者さんから質問が出る。
 
「寸止めです」
と私が答える。
 
「あの体勢で寸止めって大変だと思うんですが」
「高橋さんが20歳の女の子アイドルと本当にキスしたらファンから殺されるから、と言っておられました」
「ああ、確かに最近は怖いですね」
 
「アイちゃんも人気急上昇中のようですからね」
と言って私は加藤課長を見る。
 
「丸山アイに関しては秋にも本格的なホールツアーをする方向で検討中です」
と加藤さんは言って、記者が一様にメモしていた。
 
「丸山アイちゃんですが、男の娘疑惑が一部で囁かれているようなのですが」
と発言した記者が居る。
 
「女の子だと思いますが。私、彼女と温泉で遭遇したことありますよ」
と氷川さんが言う。
 
私は「へー!」と思った。ということは、少なくとも「元々女の子」なのか、あるいは「手術して女の子になった」かどちらかなのであろう。
 
「それって女湯で遭遇したんですか?」
「そうです。私は男湯に入る趣味は無いので」
 
笑い声があちこちで聞かれた。
 

『黒と白の事情』のPVはひとりの男性(月物語の佐伯和弥)がふたりの女性(プリマヴェーラの諏訪ハルカと夢路カエル)と二股している物語に仕上げてある。ハルカが黒い衣装、カエルが白い衣装を着ている。しかし男性側がうまく立ち回っていることにより、双方ともハッピーで何となく全てうまく行っているような雰囲気なのである。
 
PV内に半分から左右が黒と白に色分けされたチュチュを着た女性がピルエットを連続で踊る映像が織り込まれるが、これをしているのは若手バレリーナの赤迫理奈さんである。
 
『ペパーミントキャンディ』には現役女子中生の森風夕子・春野キエ・松梨詩恩の3人が出演してくれている。緑の衣装の森風夕子、青い衣装の春野キエ、赤い衣装の松梨詩恩が楽しく語り合い、サッカーボールを華麗にリフティングしている高校生男子の先輩に憧れている様子を描いている。このリフティングをしている男の子は後ろ姿だけが映っており顔が出ていない。
 
この男の子は誰ですかという質問が出た。
 
「品川ありさちゃんです」
と私が答えると
 
「え〜〜〜!?」
という声が上がる。
 
「男の子かと思った!」
と多くの声。
 
「彼女背が高いですからね。背が高いからモデルさんとかになったら、などと言われてオーディションに応募して。でもあの子、物凄い方向音痴なんですよ。指定された会場にたどり着けなくてウロウロしていた時に、何かオーディションやってると思ってそこかと思って入って行ったら、それが§§プロのフレッシュガール・コンテストだったらしくて」
 
「それで優勝しちゃったんですか」
「ですね。売れる子って、そういうもんですよね。彼女それまではサッカー部にいたんですよ。それでリフティングも上手いんです。身体が大きいのを買われてゴールキーパーだったんですけどね。PK阻止連続20回の記録を持ってるそうです」
 
「凄い」
という声が出る。
 
「そんなにうまければ、いっそサッカー選手を目指すとかは無かったんでしょうかね」
などという声も出るが
 
「彼女リフティングとかドリブルは上手いけど、自分が蹴ったボールが全然思う方向に飛ばないらしくて。PK連続30回失敗という記録も持っているなどと自慢してました」
 
それで笑い声が出ていた。
 

最後に『虹を越えて』を演奏する。PVはオズの魔法使いっぽく作られている。ただし嵐にあって虹の向こうに飛ばされるのではなく、楽しく歩いて虹の下を通過していく。出演しているのはチェリーツインの星子・虹子姉妹である。最初お父さん・お母さんに見送られて家を出て森や草原を歩いている内に虹の下を通り過ぎてしまう。
 
可愛い衣装を着けて本当に楽しそうに歩いているのが良い雰囲気を醸し出している。ふたりはいつも笑顔だ。そこにショッカーの戦闘員みたいな黒いマスクをかぶった2人が出てきて姉妹を拉致し、強制労働させるが、魔女の衣装を着けたチェリーツインのドラマー・春美さんが現れて、戦闘員ふたりを倒し星子・虹子姉妹を解放する、という物語仕立てであった。
 
「あの黒いマスク付けてるのは、やはり少女X・少女Yですかね?」
という質問が出るが
 
「訊いてみたのですが、出演依頼に彼女たちが普段お仕事をしている農場に行った時、たまたま近くにいた女の子ふたりを徴用したので事務所でも名前とかは知らないそうです」
と私は答えておく。
 
少女X・少女Yというのはファンが勝手に付けた名前であって、彼女たちはCDやライブのパンフレットにも決してクレジットされない。名も無き存在というのをもう8年ほど持続させている。
 
「最初に出てきたお父さん・お母さんですが・・・・」
「まあお父さんはチェリーツインの紅ゆたかさんですね」
「お母さんは?」
「チェリーツインの紅さやかさんですよ」
 
「やはり」
 
「何か凄い美人になってますよね。やはり紅さやかさんって女装趣味があるのでしょうか?」
 
「それ訊かれるかも知れないけど、しっかり否定しておいてくださいと本人は言っていました」
 
何だか記者たちがメモしてる!
 
そんな感じで、この記者会見は「男の娘疑惑(?)」で終了した。
 

記者会見が終わると、私と政子はスタジオの方に合流して『摩天楼』の音源制作に参加した。氷川さんも付いてきてこの日は仕上がりの様子を見る。
 
私たちが★★レコードに行っている間に楽曲の形はかなりまとまってきており、ほぼ仕上がった演奏に私たちの歌を乗せて全体のバランスを確認した。
 
そこから私と七星さんを中心にバランスやアピールポイントなどを検討。それで更に調整をして、結局29日の深夜にようやく音源制作は完了した。
 
「お疲れ様でした!」
「もう遅くなったね」
「ほとんどの人が帰宅不能!」
 
ということで男性陣は3日連続のホテル、女性陣は3日連続のマンションでの泊まりとなった。氷川さんもマンションに同行した。
 
「女性陣もホテルでもいいんだけどね」
「いや、ここは食料が豊富だから」
「ここはおやつが豊富だから」
「ここはお酒が豊富だから」
「ここはCDが豊富だから」
 
と各自ここに泊まるメリットがあるようである。
 

翌日7月30日(木)は、例によって朝最初に起きたのは私で、すぐに青葉も起きてくる。
 
「昔は青葉はいつも4時に起きてたよね」
「すみませーん。最近はダレてます」
「というか疲れが溜まっているのでは?」
「まあちょっと最近少しオーバーワークな気もしないではないのですが、人間ある時期にはそういうのも必要だと思うんですよね」
 
「青葉って元々オーバーワークな気がするけど」
「それ人の3〜4人分働いている冬子さんに言われたくないです」
 
それでお互い笑うが私は彼女に尋ねる。
 
「やはり今の時期は受験勉強もかなり忙しくなってきてるんでしょ?」
「受験勉強もしなきゃいけないんですけどねー」
 
「それ以外のことで忙しいの?」
「最近のパターンは朝から水泳部の朝練に参加して」
「水泳やってるんだ!?」
「昼休みと放課後は合唱軽音部の練習です。昼休みは主として軽音、放課後は主として合唱をやってます」
「忙しいね!」
「まあそれ以外にも補習で鍛えられてますけどね」
 
「それだけやってたら、朝4時に起きられない訳だ」
「学校から帰ったら毎日10km走ってますし」
「青葉、身体壊さない?」
「それに耐えられるように毎日走ったり泳いだりで身体を鍛えているんですけどね」
「凄い! でも寿命縮めちゃうよ、そういう生活」
 
「千里姉の高校生時代はこんなものじゃなかったみたいです。先日姉の高校時代のチームメイトの人と話していて、私絶句しました。壮絶な高校生活だったようですよ」
「インターハイ3位とか、アジア選手権優勝なんて成績はやはり生半可な練習では成し遂げられなかったんだろうね」
「みたいです。それ聞いて、私も頑張らなきゃと思ったんですよ」
「なるほどね」
 
「だから私身体を作るのに最近結構食べているんですよ」
「あ、それは思った」
「可愛い女の子路線は放棄しました」
「ああ、やはりそれで少食を装っていたんだ」
「春から体重が3kg増えました。その増えた分は全部筋肉だと思います」
「頑張ってるじゃん」
 
「だから歌手とかになる可能性も捨てましたから」
「ふふふ。青葉をけっこうその道に誘い込もうかとも私思ってたんだけどね。青葉歌も凄くうまいしさ」
「実際霊能者をやっていくにも、身体は鍛えておかないと凄い相手とかとは対峙できないと思うんですよ」
 
「それあるだろうね」
「最後の最後は腕力勝負です」
「ありそうありそう。でも歌手にならなくても、作曲の方はしてくれるよね?」
「まあ私ができる範囲でなら」
 
「それでひとつ頼みがあるんだけど」
「うっ」
 
青葉はやられた!という顔をした。美事に誘導されてしまったのに気づいたようである。
 
「アクアのさ、秋くらいに作るCDに曲を提供してくれない?」
「うーん。まあいいですけどね」
「取り敢えず1回だけだけど、好評だったら続けて頼むかも知れないという線で。後日あらためて秋風コスモスから連絡があると思う」
 
「分かりました。アクアのCDって、初回は上島先生と東郷先生でしたよね?」
「そうそう。それで今制作準備中の2作目は上島先生に代わって私が書いた」
「へー」
「それで3作目は私に代わって青葉に頼めないかと」
「まるでリレーですね!」
 
「まあ私も上島先生も手が回らないというのもあるんだよ」
「私も秋以降になると受験で忙しくなりますけど、それまでなら何とかしますよ」
「うん、よろしく」
 

「そういえば青葉、今年も高野山で回峰行するの?」
「無理です。今年はあまりにも忙しすぎるのでパスです」
 
「なるほどねー」
「やはりああいう修行は世を捨ててしまった人にしかできないのかも知れないです」
「そもそも回峰行って一種の捨身なんでしょ?」
「ですよー。特に昔は死が半ば前提で、生き残ったらそれこそ奇跡、生き神様ということだったと思います」
 
「まあ現代では死者が出るとあれこれ言われるから面倒だよね」
「ですです。だから千日回峰にしても、師匠からしてもいいと許可が出ない限り挑戦することは許されません」
 
「なるほどねー」
「もっとも現代でも、場所によっては死者が出ること前提の修行やってる所もあるようですよ」
と青葉は言う。
 
「それ日本じゃないよね?」
と私は訊いたのだが
「この先は守秘義務で」
などと青葉は答えた。
 

青葉は結局その日の午後、彪志君を東京に呼び寄せ、都内でデートしてから夜の新幹線で高岡に帰還したようである。
 
氷川さんは昼近くまで寝ていた。氷川さんにしては珍しいが、恐らくはここしばらくのストレスが凄まじいのだろう。ずっと後から聞いたのではこの時期氷川さんは実は進退伺いを書いて、いつでも提出できる状態にしていたらしい。
 
お昼過ぎに会社に電話して色々話していたが、電話を切った時の表情が明るい。
 
「ケイさん、昨日の売上の速報値が出ました」
「どのくらい行きました?」
 
私はせめて20万枚近く行ってくれたらと思っていたのだが、氷川さんは
 
「74万枚です」
と言う。
 
私は信じられなかった。
 
「7万4千枚ではなくて?」
「桁数は間違ってませんよ」
「そんなに枚数が存在したんですか?」
 
確かCDは頑張って生産させているものの発売日までに30万枚くらい用意できたらいい方と聞いていたのである。記者会見ではファンに不安を与えないように実は水増しして言っておいたのである。
 
「とにかく生産できたものをどんどん各地に発送していたので、実はこちらでも今何万枚生産できたか完全には把握できていなかったのですがとにかくショップの売り上げ速報値が74万枚なので、それ以上は生産されていたことになります」
 
「凄いですね!」
 
「それと面白い情報があるんですよ」
「はい?」
 
「Woonden Fourの5月に出ていたCDがいったん21万枚で売り上げが停まっていたのが、先週の本騨君達の記者会見以降、突然動き出して、ここまでに8万枚も売れているらしいんです」
「凄い」
「制作側ではいつまでも店頭に置いておくわけにも行かないし回収しようかなんて言っていた矢先ということで」
 
「良かったですね」
 
「そして山村星歌ちゃんの4月に出したCDも売れて売れて」
「わぉ!」
「これはもうこれ以上のセールスは見込めないということでいったん回収していたんですよ。それを廃棄寸前で再出荷」
 
「それも良かったですね!」
「ムダにならなくて喜んでいるということです。場合によっては増産しないといけないかも知れないと」
 
「嬉しい悲鳴ですね」
 
「まああの本騨君たちの記者会見はほんとに白馬の騎士という感じだったから」
 
と氷川さんも疲れの中にうれしさがある感じだった。
 

私たちの記者会見の席で記者から質問があった件は、本当に4種類の裏ジャケをコレクションしようとする人たちが結構出たようである。
 
どの裏ジャケのCDがどの地域で売られているかは、こちらでも全く把握できていなかった。それで発売日の翌日から「コーンフレークの花 表C裏K」とか「表F裏L」などと明示したCDが大手オークションサイトに出品されるようになる。出品する方も大量に出回るのが見えているので法外な値段は付けず、本来1枚1600円のCDがせいぜい1800-2000円程度+送料ということになっているようであった。
 
ただ表ジャケットは元々均等に発注しているのでA-Jがわりと均等に存在するのだが、裏ジャケはK,Lが圧倒的に多く、Mはやや少なく、Nはかなり少ないというのが、ネットの住人たちの分析で浮かび上がってきた。レコード会社では各々がどの程度存在するかの情報は提供しない。
 
しかしその情報が出回ったあたりから希少価値のあるNの裏ジャケのCDはオークションでも値段が高めに設定されるようになったようであった。
 
また表ジャケットの「色合い」がEのものだけ、他のと微妙に違うというのも多種を集めたファンによって明らかになった。この問題についてはレコード会社も、その会社だけ違うバージョンのソフトを使用したことから色合いが少し変わってしまったこと、もしお気に召さない場合は、他のものと交換に応じるというコメントを発表したが、交換を希望する人は現れなかった。逆にそれが希少価値とみなされて、表ジャケットEのものが他のものより若干高くなったようである。
 
つまりとてもレアなのが表E裏Nというもののはずだが・・・・・これは存在しないのではないかとファンは推定した。オークションに全く出品されないからである。その問題についてレコード会社では「資料不足で回答できない」という回答を出した。
 
更に細かい分析をした人たちも居て、表ジャケがA-Eのものは裏ジャケはKかMであり、表ジャケがF-Jのものは裏ジャケはLかNではないかという推察をした人があった。そしてそれらのCDの出品者の住所から、前者が東日本、後者が西日本で生産したものではないか、という所まで推論をしていたが、これは実は大正解であった。これについてもレコード会社としては特に情報は開示しない。
 
ただしこのCDは発売日の翌週以降に出荷されたものは全てC/Kになってしまったので、コレクターさんたちのお遊びもそのあたりで終了となった。
 

山村星歌のCDが突然売れ始めたことで8月に予定されていた彼女の全国ツアーのチケットも売れ残りが出ていたのが7月末までに全てソールドアウトした。気をよくした彼女のレコード会社は急遽新しいCDの発売を決め、こちらも大急ぎで生産して、何とか彼女のツアー初日に発売を間に合わせたようである。全くCDのプレス工場さんもたいへんである(ローズ+リリーのCDを依頼した所とは別の工場ではあるが)。
 
私たちは彼女の事務所から、ツアーの中のどこかの日程にゲスト出演できないだろうかと打診され、アルバム制作中で他の仕事はあまり入れたくないものの、8月8日にはどっちみち横須賀でサマーロック・フェスティバルに出るので、その翌日の大阪公演なら出演してもよいと回答。向こうからはではそれでお願いしますという返事があった。
 

ところで『コーンフレークの花』という曲は、元々私たちが先日の世界ツアーの際にリオデジャネイロで前座に入った、doces flocos, doces flores という歌唱ユニットを見て発想したものである。
 
先にデビューしたのがdoces flores(甘い花)という女の子2人のユニットで、そのそっくりさんとしてデビューしたのがdoces flocos(甘いコーンフレーク)という男の娘2人のユニットである。
 
そういう意味ではローズ+リリーとローザ+リリンの関係に似てなくもないが、ブラジルの場合、そっくりさんで売り出したはずのdoces flocosの方が大きく売れてしまったのである。最近ではだいたいセット売りになっていて、一応doces flocosが前座、doces floresが真打ちという扱いではあるものの、実際には前座のdoces flocosの方が演奏時間も長く、そっちだけ聴いてdoces floresのステージが始まる前に帰っちゃう客も多いらしい。
 
むろん前座のdoces flocosの方がずっと多くのギャラをもらっている。
 
私たちは『コーンフレークの花』を制作する際に、向こうのエージェントと連絡を取り、こういう曲を作るということを事前に通告しておいた。すると向こうは売上の一部を欲しいと言ってきた。こちらとしてはそういう契約は結べないと拒否したものの、その後の交渉で、こちらが向こうのセールスに協力することで合意が得られた。
 
それで彼らが4人セットで来日することになったのである。すると向こうではgSongsなどのダウンロード販売サイトで、ドーチェス・フロコスの曲を買ってくれる人が日本で出るかも知れないし、また「ワールドツアーを敢行した」という名目で《箔付け》にもなる。向こうでは日本以外に、タイとインドとドイツにポルトガルでもライブをすることにして、うまくツアーを組み立てたようである。5ヶ所もやれば充分「ワールドツアー」と言える。特に先進国の日本とドイツが入ったのも大きいようだ。日本ではテレビ番組で紹介してもらった上でサマフェスのひとつに出演するが、ドイツのは実際には地方の小さなお祭りのステージのようである。それでも「ドイツ公演」には違いない。
 

その彼らが7月31日に来日。私たちは彼らと対談してくれと加藤課長から言われた。
 
「ドーチェス・フロコス、ドーチェス・フロレスの双方とですか?」
「いや、フロコスだけでいい。フロレスはほとんどおまけ。飛行機の座席もフロコスはビジネスクラスだけど、フロレスはエコノミークラスだったらしい」
「あからさまですね!」
 
それで私たちは都内のホテルでふたりと対談した。対談の様子は日本側のスタッフのカメラで撮影しているが、あとで編集して公開するらしい。生で流さないのは「やばい」話が出てきた場合の用心らしかったが、実際かなりやばい話が出た!
 
最初に『コーンフレークの花』のPVをふたりに見せたのだが、ふたりは凄く面白がっていた。
 
「なんか私たちもここに出たいくらいだね」
 
などと言うので、その場で加藤さんと向こうのエージェントが話し合い、doces flocos, doces flores が出演する『コーンフレークの花』のPVを制作するのと、doces flocosがこの曲をカバーするという話もまとまった。
 
「でもふたりともふつうに女の子の声で、女言葉で話すんですね」
と政子が言う。
 
私たちの対談は英語でやっているので、あまり男言葉・女言葉の差は無いのだが、彼らがエージェントさんと話しているのはポルトガル語で、ポルトガル語にはけっこう男性と女性で言葉遣いが違う表現がある。例えば「ありがとう」は男性はオブリガードと言うが、女性はオブリガーダである。政子はそれを指摘したのである。
 
「ええ。女言葉で話せと言われて7-8年やってきてるんで、もうそれが普通になっちゃったんですよ」
とフロコスのサンドラが言う。
 
「声は声変わり前に去勢されちゃったからね」
とヴェラ。
 
「去勢するの嫌じゃなかった?」
と政子が訊く。
 
「嫌も何も」
「寝てる内に手術されちゃったし」
「え〜〜!?」
「朝起きたらなんかあの付近にガーゼが貼ってある訳よ。何だ?何だ?と思ったら、玉が見当たらないんだもん」
とサンドラが笑いながら言う。
 
「そんなのいいの〜〜?」
「まあ、取られちゃったもんは仕方ないし」
とヴェラ。
 
「ポジティブですね」
 
エージェントさんも苦笑していたが、この付近のやりとりはさすがに公開されなかった。
 
「顔は整形してないんですよね?」
「してないです。そもそもフロレスのふたりに顔つきが似てたんでスカウトされたんですよね」
「会っていきなり、おっぱい大きくしてよと言われて仰天しました」
「あの時はまさか、玉まで取られちゃうとは思わなかったけどね」
 
「名前も本家に合わせて女性名に変えられちゃったし」
「あ、サンドラ・ヴェラは本名なんですか?」
「そうそう。フロレスがサンドラとヴェラだから、私たちもそれに合わせて同じ名前に法的に改名しちゃったんです」
「まあ改名させられたというか」
 
「だから私たちは女みたいな外見と体付きで、おっぱいもあるし、女の声で話すし、名前も女だけど、住民登録は男のまま。今回作ったパスポートも男」
 
「ブラジルでは性別の変更はできないんですか?」
「できますよ。2009年に最高裁の判決が出て性転換手術を受けた人は名前と性別の登録を変更できるようになったんです。ブラジルでは性転換手術自体、健康保険が利くから無料で受けられるんですよ」
 
「それはいいですね!」
「日本人が羨ましがりますよ」
「日本だと無茶苦茶高いもん」
「貧乏人は性転換手術が受けられないんです」
 
「でもどっちみち私たちはおちんちん付いてるから性別の変更はできないんですよね」
「まあ性別まで変更したくないし」
「エージェントさんも変更してほしくないみたいだし」
 
「そうか。女の子みたいに見えるけど、実は男の娘というのに価値があるのね」
「そうそう」
 
「まあ充分なギャラをもらってるから不満は無いけど、自分の身体を売っちゃったようなものだけど、法的な性別だけは自分たちの心のアイデンティティのよりどころというか」
「ああ、分かります」
 
「でも見た目が女、名前が女、でも性別が男ってので、入出国審査で揉めませんでした?」
「揉めました、揉めました」
「ブラジル出国する時は良かったんですけどね。ブラジル国内では私たちのことわりと知られているから」
「トランジットのアメリカでトラブって、日本入国でトラブって」
「大変でしたね!」
 
「タイはレディボーイさん多いから何とかなるかも知れないけど、インドでもトラブって、シェンゲン圏で無茶苦茶トラブりそうな予感」
「大変そう!」
 
「ドーチェス・フローレスさんとはエージェントも違うし、ふだんあまり話さないんですか?」
「けっこう話しますよ」
「私たち4人仲良し」
 
「実はフロレスの2人は私たちの夜のお相手も求められたらしなければならない契約らしいんだけど」
「うむむ」
 
「実際には、私たちは去勢してるし、女性ホルモンを日常的に摂取してるから全く立たないので、セックスは不可能」
「なるほど」
「セックスって1度してみたい気はあるけどね」
「去勢された頃は小学生だったし、まだセックスって知らなかったんだよね」
「去勢される前に1度しておきたかったね」
 
「でも実はあまり性欲も無い」
「うん。女の子の裸とか見ても特に衝動とか起きないし」
「もちろん男の子の裸には全く興味無い」
「男の人に抱かれてみる?と言われたことあるけど、要らないと言った」
 
「たぶん睾丸取っちゃったから性欲が少ないんでしょう」
「だと思う」
 
「フロレスとも実は一緒に夜をすごしたことあるんだけど、実際にはずっとおしゃべりしていて、フロレスのふたりはソファーで寝てもらったしね」
「へー。面白いですね」
 
「以前、彼女たちがおちんちんを触ったり舐めたりしてくれたこともあったけど、あまり気持ちよくなかったから、しなくていいよと言った」
「ふむふむ」
 
この付近も公開ビデオではカットされた。
 
「でもサンドラとヴェラはお互いのことを代名詞She/Herで受けるのね」
と私は言ってみた。
 
「そうそう。取り敢えず女の子扱い。ポルトガル語なら Ela/A」
「そのあたりも契約で、とにかく表に出るところは全部女で通す」
「男なのは住民登録だけ」
「なるほど、なるほど」
 
「トイレも女子トイレに入るし」
「プールとかコンサートの更衣室も女子用を使うし」
「いや、君たちが男子トイレや男子更衣室に入ろうとしても追い出されるよ」
 
「お風呂も女湯に入るんですか?」
と政子が訊いたが向こうはキョトンとしている。
 
これに関してはエージェントさんが説明してくれた。
 
「ブラジルにも温泉がありますが、日本のとは違って水着着用の混浴が多いんですよ」
と私たちに説明し、フロコスのふたりには、
「日本の温泉は男女別に別れていて、裸で入る」
と説明する。
 
「私たち、それではどちらにも入れない」
とサンドラが言う。
 
「確かにそうかもね」
「女性用のお風呂に入るには、おちんちんがあるし、男性用のお風呂に入るにはおっぱいがあるし」
 
「実はそれで日本でも性転換途中の人って、どちらにも入れなくて困るんですよ」
 
「どうしよう?今夜はお風呂は入れないのかな?」
などとサンドラが言うが
「ホテルには個室にバスが付いているから、他の人に身体を見られずに入れますよ」
と私が言うと
「安心しました!」
と笑顔で言った。
 
この付近はそのまま公開ビデオにも流れていた。でも彼ら(彼女ら?)が出演した日本のバラエティ番組では、フロコスのふたりをフロレスの2人と一緒に女湯に突撃させていた(でも日本人の女の子たちから「可愛いから女湯でもいいよ」などと言われて歓迎されていた)。
 
私たちは性別問題でもけっこう話が盛り上がったのだが、ファッションの話で盛り上がり、そして音楽論議でも随分と盛り上がった。私たちは事前にフロコスのCDをたくさん聴いていたので、あの曲が好きです、この曲が好きですと言って、向こうも聴いてくれて嬉しいです、その曲私たちも好きなんです、などと言っていた。
 
フロコスの2人は初期の頃は、フロレスの曲のカバーをしていたものの最近は逆にフロコス前提で曲が用意され、フロレスが同じ歌を逆カバーするパターンになっているらしい。
 
音楽的にはだいたい日本で言うボサノヴァの系統になるものの、彼らの曲はけっこうポップロックに近い雰囲気もあった。ふたりは実はギターとベースも弾けるらしいが、本家のフロレスにも練習させたら、向こうがめげてしまったので、それはまだ未公開らしい。
 
「あくまで私たちはフロレスの偽物ですから」
とサンドラは笑いながら言っていた。
 
「本物ができないことまで偽物がやってはいけない訳ですね」
「そうそう」
 
「でもフロレスが男の人と結婚したら、私たちも男と結婚しろと言われたりして」
「やはりフロレスにはレスビアンを覚えてもらおうよ」
「彼女たちが女性と結婚してくれると、私たちもちゃんと女性と結婚できる」
 
などという話になったところで対談はお開きとなった。
 
この対談はオンラインの有料動画サイトで公開された他、抜粋したものが女性ファッション雑誌にも公開され、実際フロコスの曲が日本の若い女性にかなりダウンロードされ、最終的には日本でも彼らのCDが発売されるに至る。
 
またドーチェス・フロコスとドーチェス・フロレスにはその日の夜『コーンフレークの花』の振付を特訓で覚えてもらって、翌日そのダンスを収録。これを加えた「ドーチェス版PV」が8月1日の夕方にスピード公開された。
 
これのフルバージョンのPVは元のPVとともに、8月中旬に発売予定で準備中の『コーンフレークの花/DVD版』に収録されることになった。ドーチェスフロレスとドーチェスフロコスのエージェントはこのPVの出演料として合計1万ドルを受け取った(これも向こうのエージェントは印税方式を主張したものの、こちらは拒否し、この金額で交渉妥結した)。
 

「でも無料で性転換手術が受けられるっていいね」
と対談が終わってから政子は言った。
 
「確認したけど公立病院に限られるみたいね。その場合、かなり順番待ちの覚悟は必要。急ぎたい人は高額の料金を払って私立病院に行く」
 
「なるほど。でも無料で受けられるルートがあるだけでもいいよ」
「賛成。ブラジルの場合、手術は18歳以上で2年以上の治療を受けていることが条件らしいから実質16歳からトランスを始められるということみたい」
 
「そのくらいで始められたらけっこう女らしい身体を獲得できるよね」
 
「うん。やはり10代でトランスし始めた人って凄くきれいだもん。一方お隣のアルゼンチンの場合は、18歳以上の人は自分の性別をどちらで登録するかというのを自分で決定できる。性転換手術を受けていることは条件ではない」
 
「それも面白いね。でも見るからに男って人が男装のまま自分は法的に女だからと言って女子更衣室に入ってきたらどうする?」
「どうなんだろうね。でも本当に生まれながらの女であるのに、男に見えちゃう人が女子更衣室に入ってきた場合は?」
「むむむ。悩むぞ、それは」
 
「そのあたりがやはり今後の課題かも知れないけどね。議論していくべき問題だと思う」
と私は言う。
 
「実際さ、津田アキ先生から聞いたけど、1990年前後頃までは、女装者であっても、それどころか性転換者であっても、法的に男である限り、女子トイレに入るのは犯罪だなんて主張する人が当事者自身の中にも居てネットでも激しい議論があったらしいよ」
と私。
 
「今では少なくとも心が女であって女としてパスしている人が女子トイレを使うことは問題無いと考える人が多いよね。実際の性器の形状によらず」
と政子。
 
「うん。パスしているかどうかが基準になってきているよね。日本の場合。そういう合意が形成されてきたんだと思う。痴漢や盗撮目的の不届き女装野郎の場合は大抵パスしてないか挙動不審だから通報されて逮捕されてる」
と私。
 
「心は女だけど女子トイレに入った経験が少なくておどおどしている場合は?」
「そういう子は痴漢盗撮野郎とは見た目の雰囲気が違うから大丈夫だと思うよ」
「そうそう。雰囲気が違うんだよね、男と女では」
「うん。心が女である人は男装していても独特の雰囲気があるんだよ。たいてい男装していても周囲にはバレてる」
 
「女としてパスしていないけど、法的にも生物学的にも生まれた時から女という人はどうしよう?」
と政子は更に疑問を呈する。
 
「ああ・・・・そういう人は結構苦労しているみたいだよ。桃香なんて女子トイレや女子更衣室、女湯の脱衣場で何度も悲鳴あげられたことあるらしいし」
 
「そんなこと言ってたね!」
 
その時、私は唐突に「そのこと」を思い出した。
 
「龍虎がさ」
「うん?」
「小学校の修学旅行の時」
「うんうん」
と政子の目が輝いている。
 
「男湯に入ろうとしたら係員につまみ出されて、こちらに入って下さいと言われて女湯の脱衣場に連れて行かれたと」
 
「あはは。それで女湯に入ったの?」
「そこから先はまだ聞いてない」
「よし。その件、追及しなきゃ」
と政子は楽しそうに言った。
 

「だけど16歳からトランスを始めるという場合、親を説得できるかというのもひとつの課題だよね」
 
「そうそう。法的に保証されていても親がそういう治療に反対したら受けられないからね」
 
「性別をトランスする人って親との関係に苦労してるもんね、みんな」
 
「私にしてもクロスロードの他の子たちにしても、凄く運がいいよ」
「言えてる言えてる。冬なんて、やはり小学2年生で性転換手術受けられたってのは、お母さんほんとによく理解してくれたんだね」
 
「私が性転換したのは大学2年生の時だってのに」
「いいかげん、そういう嘘をつくのはやめなよ。こういう証拠もあるし」
 
と言って政子は小学2年生くらいに見える私のヌード写真を私に見せた。私はこの写真の出所はたぶん真央だなと思った。
 
「ほら、お股には男の子の印が存在しないよ。割れ目ちゃんも見えるよ」
と政子が言う。
「それお股にはさんで隠してるんだよ。おちんちんを隠すと、隠した所が引っ張られて割れ目ちゃんみたいに見えるんだよ」
 
「ということにしておいて、実はもう手術済みだったんでしょ? 確かにこの時、おちんちんなんか付いてなかったという証言も複数あるんだけど」
 
「そりゃ女湯に入る以上、絶対に見られないように気をつけるよ」
「やはり女湯に不法侵入したことを自白したな」
「それこないだ堂々と6万人の前で言っちゃうし」
「失恋した腹いせ」
 
「ふーん。マーサ、失恋したんだ?」
「もう立ち直った。彼には結婚は祝福してやるから、もう私にメールはしないでってメールした」
 
そのあたりの経緯は私も松山君からのメールで昨日聞いたところである。ただ彼は当面私の方には状況を報告すると言ってきたので、報告は受けていいけど、こちらに気を取られるより、自分のフィアンセを大事にしてあげてと私は書いておいた。
 
「マーサらしいね。マーサって恋愛にはドライだもんね」
「でも冬、今夜は私とセックスしてよ」
「ここ1ヶ月ほどほぼ毎晩してるじゃん!」
と言って私は政子にキスした。
 
 
前頁次頁時間順目次

1  2  3 
【夏の日の想い出・コーンフレーク】(下)