【夏の日の想い出・たまご】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-12-12
2015年夏、和歌山県新宮市。
今年和歌山では9月に国体・夏の大会が行われ、新宮市は女子サッカーと軟式高校野球(男子)の会場となっていた。新宮市内の幼稚園・保育所の年長さんたちが合同で歓迎のマスゲームをすることになり、夏休みに数回市内の対象全園児が女子サッカーの会場となる「やたがらすサッカー場」に集まって練習が行われた。
マスゲームでは男児は黒い服、女児は白い服を着て、男児が三本足の黒い八咫烏(やたがらす)の形、女児は3個の白い卵の形を作り出すように並ぶ。そして音楽に合わせて烏が羽ばたき、卵は回転するという図が描き出される。
その日、8月4日も市内の多数の園児が集まってきた。まずは本番でも使用する黒と白の服(リバーシブル)を渡して着てもらい、ホームポジションに並ばせる。
指導する先生たちは場内を見て回り、隊形の乱れをチェックしては園児たちの位置を調整していた。
A先生が見て回っていた時、烏の足の部分を形作っている男児たちの中に、髪の長い女の子が混じっていることにふと気づく。
「君、女の子はここじゃないよ。こっちにおいで」
と声を掛ける。
一瞬近くにいた他の男の子たちが変な顔をした気がしたものの、本人は
「はーい」
と言って、その場所を離れる。
「あれ、そもそも君、なんで黒い側を外にしてるの。女の子は白い側を外に出すんだよ」
と言って、いったんその服を脱がせ、裏返しにして白の側を外にして着せた。
「このあたりに並ぼうか」
と言って卵の形を作っている女の子の所に連れていく。
「君たちこの子を知ってる?」
「うん。おともだちー」
と言う女の子が数人いる。
「さくちゃん、ここに入ってもいいよー」
と言う子もいる。
「じゃ、君、ここで踊ってね」
と先生が言うと
「はい」
と、5歳の木花朔夜(きはな・さくや)は笑顔で答えた。
同日8月4日、熊本県熊本市。
この2015年8月には結婚に伴う一時休業を表明しているアイドル歌手山村星歌が全国ツアーをしていたが、この日は熊本公演が予定されていた。
小学5年生の田中蘭は熊本城の公園でピアノ教室で知り合った友人たちと一緒にダンスの練習をした後、適当にパルコ界隈を歩いていた。ダンスの練習は4人でしたのだが、特にまとまって歩いている訳でもなく、お互い自由にパルコやハンズ付近を歩き回っている。
蘭は最初地下の無印を見ていたのだが、7階のヴィレッジヴァンガードに行こうと思い、エスカレーターを上がっていた。もうすぐ4階に到達するという時、数段前に乗っていた30代の上等なエンジ色のスーツを着た男性が何か封筒のようなものを落としたのを見る。
男性は気づかずにそのフロアで降りて向こうの方に行く。蘭はその封筒を拾うとその男性の後を追いかけた。
しかし男性は意外に足が速い。
「そこの格好いい男の人!」
と蘭は大きな声で言った。
すると近くに居た男性が10人くらい、蘭の方を見た。
おお、自分が格好良いと思っている男が世の中、こんなに居るのかと感心する。
「そのエンジ色のスーツ着てる人、封筒落としましたよ」
と言うと、例の男性が自分の鞄を見てびっくりしたような顔をしてこちらに寄ってきた。
「ありがとう!助かった」
と言って、蘭から封筒を受け取る。
「なんかこれ重たい」
「うん。実は現金が入っていたんだよ」
と言って、男性は封筒を開けてみせる。
中には札束がぎっしり詰まっている。蘭はこんな凄い量の札束が存在するのを初めて見た。
「君、小学生?」
「はい」
「200万円入っていたんだよね。御礼に1割で20万円あげたいけど」
に、にじゅうまんえん!?
と蘭は驚愕する。それって、母ちゃんの給料より多くないか?
「でも小学生にそんな金額を渡す訳にもいかないし、明日にも君のおうちに持って行くよ。住所と名前を教えてくれない?」
「あ、はい!」
と言って、蘭は男性が出したメモ用紙に自分の住所・名前・電話番号を書いた。
「あ、今気づいたけど、君すごく可愛い顔してるね」
と男性は言った。
ギョっとする。まさか、これってナンパとか言うやつ。えっと・・・イカのお寿司って何だったっけ??
と考えていたら男性は更に言う。
「君、アイドルとかになる気無い?」
へ?
蘭は考えた。母ちゃんが言ってた。都会に行くと、女の子にアイドルにならないかとか声掛けて、裸にされてHなビデオとか取って、搾り取ろうとする男がいるから気を付けろって。まさか、こんな田舎でも・・・
と蘭が焦って考えていた時、男性は
「あ、ごめんごめん。僕はこういう者」
と言って名刺を蘭に渡した。
《★★レコード制作部JPOP部門統括課長・加藤銀河》
あら?この人は本物??★★レコードって大手じゃん!Hなビデオの話ではない???
「ほんとうは今から君のおうちに行ってお母さんに挨拶しないといけないんだろうけど、僕、これからコンサートに行かないといけないだよ」
「母に挨拶って・・・アイドルにならないかという話ですか」
と蘭が言うと、加藤さんはちょっとびっくりしたような顔をして
「あ、いやお金を拾ってくれた御礼のことなんだけどね」
と言う。
「あ、そちらか」
「いや、もし君にその気があったら、ぜひアイドルの話もさせて欲しい。君って何かセンスいいんだよ。歌とかうまい?」
「そうですねー。学校のコーラス部には入っているんですけど」
「お、それは期待できそうだ」
「でも何のコンサートだったんですか?」
「山村星歌という子のコンサートなんだけど」
「わあ!見たーい!」
「何ならチケットあげようか? 少し見づらい席でもよければ」
「欲しいです!友だちと一緒でもいいですか?」
「うん。いいよ。何人?」
「4人なんですが」
「じゃ用意しておくから、18時に県立劇場に来て。僕か★★レコードの北川というのに声を掛けてもらったら入れるようにするから」
「北川さんですね! 分かりました!」
ずっと後にローズ+リリーのバックバンドを務めることになるフラワーガーデンズのメンバーは全員が元々私と関わりのある子たちであった。それが各々偶然の作用によって知り合い、集結してバンドを形成するのである。
リードギター担当のラン(松元蘭:本名・田中蘭)は2004年4月3日に熊本で生まれた。この時私と姉の萌依、アスカ、従姉の明奈の4人で水前寺公園に行っていて、たまたま近くで産気づいた女性がいたので、その人を病院に運ぶお手伝いをしたのである。結果的にお産にまで立ち会うことになった。それで生まれたのが蘭であるが、この「蘭」という名前は実は蘭若アスカの苗字から1文字もらったものである。私やアスカと、彼女のお母さん・美子さんとはその後、ずっと年賀状のやりとりが続いていた。
その美子さんから2015年8月に電話が掛かってきた時、私はびっくりした。★★レコードの加藤さんという人から、娘にアイドルにならないかと勧誘されたのだがと言うのだ。私は加藤さんなら信頼できる人ですよと言い、もしその気があるなら、加藤さんにも私の知り合いだと言っておくといいですよと伝えた。
リズムギター担当のキキョウ(福井貴京:ふくいたかみ)は2006年8月18日に石川県輪島市で生まれた。
「苗字は福井ですけど、石川県生まれでーす」
というのが彼女の自己紹介の決まり文句になっている。
彼女は実は上島雷太先生と、元(?)作曲家・福井新一さんの間の娘である。福井新一さんはプロフィールを全く明かしていないため、多くの人が男性の作曲家と思っているが、実は女性であり、本名は福井玲花である。本人としては女と思われると舐められるし、男に負けない活動をしたいと思って男名前でずっと活動していたらしい。
そして実はゴーストライター嫌いな上島先生が使っている唯一のゴーストライターである。
上島先生と福井さんは2005年頃、交際していて、上島先生としては結婚を望んでいたようである。それで妊娠するようなこともしたのだが、その後ふたりは恋人としては破綻してしまい、福井さんは地元の能登に戻ってひとりで子供を産むことにした。子供は産んでよいと上島先生も言い、胎児認知したらしい。
それで2006年夏に実家で産気づいた時、たまたま実家に誰もいなかったので、自分で車を運転して病院に行こうとしたら、途中で苦しくなってちょうど見かけた道の駅に車を駐めてしまった。そこにうまい具合に私や蔵田さん、鮎川ゆまなどが居て、彼女を病院に連れて行ってあげた。それで産まれたのが貴京である。
蔵田さんは図らずもライバルの上島先生の子供の出生をサポートしたのだが、そのことに蔵田さんはずっと気づいていなかった。
ところで彼女の名前「貴京」は本来「たかみ」と読むのだが、ほとんどの人から「ききょう」と読まれてしまう。しかも右京とか左京のような名前との類推で男の子と誤解されることも多かった。もっとも元々母親が結構男性的な人だし、本人もさばさばした性格なので、小さい頃はけっこう男の子たちと一緒に遊ぶことも多く、男の子たちと一緒に立ち小便なども平気でしていたらしい。
「そのうち自分にもちんちんが生えてくるものと信じてたんだけどねぇ」
などと本人は言っていた。
「だってうちのお母ちゃんにもおちんちんあるし、と友だちに言ったら、後で母ちゃんから、めっちゃ叱られた」
などとも言っていた。
貴京は高校までは地元で過ごした後、2024年に東京の大学に出てくるのだが、そこで大学の先輩であった蘭(その当時はもうアイドルを引退して、スタジオミュージシャンに近い状態だった)と出会い、意気投合してフラワーガーデンズの源流バンドである「フラワーズ」を結成することになる。
なお、上島先生は福井さんにちゃんと貴京の養育費も送金していたのだが、それに加えてこの親子をサポートするため、福井さんの書いた曲を世に出してあげていた。その時、福井新一の名前で発表しても大してお金にならないので、先生はこれを自分の名前で出していたのである。印税は100%福井さんに渡していたのだが、おかげで親子は豊かな暮らしを送ることができて、貴京は小さい頃からピアノ、ヴァイオリン、フルートを習い、元々持っていた音楽的才能をしっかりと育てて行くことになる。
このあたりの事情を知っているのは上島先生と奥さんのアルトさんの他には、雨宮先生と私と千里くらいのようである。
ドラムス担当のジャスミン(浜田茉莉香)は2011年9月3日生。彼女は私の従姉・千鳥の娘で、つまり私の従姪にあたる(槇原愛やうちのあやめたちとはハトコになる)。当日私とマリは富山にライブをしに行っていたのだが、ライブ前に富山市内の千鳥の家で休んでいた時に彼女が産気づいた。そしてライブが終わった頃、生まれたという報せを受けた。
風の盆の日に生まれたので「まつり」から茉莉香と名付けられたのだが、本人もお祭り好きで、風の盆には必須の楽器である胡弓(こきゅう)も得意である。ジャスミンというのも本名の茉莉香から来たニックネームである(ジャスミンは漢字で茉莉花と書く)。
彼女は中学1年の時に同じ学校の友人たちに誘われてバンドに参加した。この時最初茉莉香はたまたまベースが居なかったのでベースを担当していて、ドラムスは男子のメンバーが打っていた。ところが市内の軽音大会に出た時、ゲストとして来ていたバレンシアの麩鈴が
「君がドラムス打った方がいい」
とアドバイスした。
「えー!?でも私、腕力無いからあんなの叩けないですよ〜」
と茉莉香は言ったのだが、
「ドラムスは腕力で叩くものではないよ。大事なのはリズム感。ドラムスの子はむしろ、このベースの音を頼りに叩いてるでしょ?」
「あ、はい、実はそうです」
「君のベースは物凄くリズムが正確なんだよね。だから君がむしろドラムスを打った方が全体的にうまくまとまるよ」
その麩鈴のアドバイスでその後、茉莉香は男の子とパートを交代し、ドラムス担当になった。
「おお、弾きやすい弾きやすい」
と茉莉香のドラムスは好評であった。
「でも疲れます〜」
「やはり腕立て伏せ毎日100回だな」
「そんなにできません」
「最初の日は1回でいいよ」
「少しずつ増やしていくんですか?」
「次の日は倍の2回、その次の日は倍の4回・・・」
「それ6日目あたりから死にます」
「腕立て伏せしてるとおっぱい大きくなるってよ」
「頑張ります!」
彼女は中学2年の時までこのバンドで活動。3年に進級した時にバンドは解散になったものの、今度はコーラス部の東京北部大会で出会った別の学校の子、山下瑞季と知り合い、ふたりで「ガーデンズ」を結成することになる。
ベース担当のミズキ(山下瑞季)はスイート・ヴァニラズのElise(山下恵里)の娘である。「ミュージック」からミズキと名付けられた。父親が誰かというのは公表されていないし、知っているのはEliseとLondaの2人だけのようだ。ミズキ本人にも教えないとEliseは言っていた。ミズキは2014年3月8日生まれで、私は生まれてすぐの頃からこの子を見ていた。
フラワーガーデンズの5人の中では最も早くから記者のカメラのファインダーにさらされてきた子である。Eliseとのツーショットは何度も週刊誌やテレビに映されたし、小さい頃から母親のことを話題にされている状態で育ってきた。本人としても、少々非常識でぶっ飛んでいるものの、媚びずに筋の通ったことを言い、音楽的な才能の高い母親は自慢であった。小さい頃からピアノを習っていたし、家庭はいつも歌にあふれていて、瑞希も物心ついたころからたくさん歌を歌っていた。
実際に瑞希の育児で頑張ったのは、アバウトな性格のEliseより、しっかり者の友人Londa(松元徳子)である。それで瑞希はLondaのことをお父さんだと思い込んでいた。EliseとLondaは恋愛関係にある訳ではなく、少なくともLondaは自分はレスビアンではないと言っているものの、仕事上の必要性から頻繁にEliseの家に行っており、泊まり込むことも多く、結果的に瑞希の世話もよくしていた。
実際瑞希はLondaを「おとうさん」と呼んでいたし、Londaも「お父さん」と呼んでいいよと言い、参観などにも行ってあげていた。
「うちのおとうさん、おんなだよ」
と幼稚園の頃に瑞希が言うと、クラスメイトたちはしばし悩んでいた。
「でもおとうさんなら、おちんちんあるんでしょ?」
「おとうさんには、おちんちんないよ。おかあさんにはおちんちんあるけど」
などと瑞希が言うと、クラスメイトたちは更に悩んでいた。
「おかあさん、おとこなの?」
「おんなだよ。ちんちんないときもあるし」
「うーん・・・」
「わたしにはおちんちんないの?といったら、おちんちんはほしくなったらつければいいんだよ、とおかあさんいってた」
「あ、わたしもおちんちんほしいかも」
「おちんちんあると、おしっこするときべんりなんだって」
「あ、そうかもー」
ところで瑞季はEliseの最初の子供であるが、彼女が妊娠したのは最初ではない。このことについて本人も周囲も何も言わないが、古くからのスイート・ヴァニラズのファンの間では公然の秘密となっていた。彼女が妊娠したのは2009年のことだったが、9月に流産してしまったのである。私は彼女が流産した直後にイベントに出演した時、とてもまともな演奏ができない状態であったEliseの代理演奏をしたのである。
私は彼女が流産した正確な日付は知らなかったのだが、ある時、千里がそれは9月12日だと言っていた(なぜこういうのを知っているのか私は千里のことが時々分からなくなる)。私がEliseの代理演奏をしたのが9月20日で、わずか8日しか経っていない。その状態でステージに立っただけでも凄い精神力だと私は思った。
そしてEliseが流産した一週間後の2009年9月19日、和歌山県新宮市で、新たな生命が生まれていた。
それがフラワーガーデンズのもうひとりのメンバー、フジ(木花朔夜)であった。
フラワーガーデンズというのは、ランとキキョウが作った「フラワーズ」とジャスミンとミズキが作った「ガーデンズ」の合体バンドなのだが、その両者の橋渡しをすることになったのが、フジだったのである。
彼女はジャスミンと同じ高校(東京の##女子高校)の茶道部!の先輩だったのだが、2028年頃からランたちとの関わりができていたので、ランたちが音源制作をしたいという時に、ドラマーとして後輩のジャスミンを紹介したのが、フラワーガーデンズの誕生のきっかけとなった。
「朔夜」(さくや)という名前は朔(新月)の夜に生まれたから付けられた名前(満月に向かって成長して行って欲しいという願いが込められている)なのだが、その結果彼女のフルネーム「木花朔夜」が、富士山の女神である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と似ていることから、中学の時の先生が「フジ」というニックネームを提案してくれたらしい。
小さい頃からピアノとヴァイオリンを習っていて、特にピアノの腕は全国大会で優勝したこともあるほどである。それで勧誘されて東京に出てきて##女子高校の音楽コース(ピアノ専攻)に入ったのだが、ここでヴァイオリンの課外レッスンの先生として、担当教官のツテで蘭若アスカを紹介されたことから、フジと私の関わりができることになる。
彼女は高校3年間、毎週1回アスカの指導を受けていたが、アスカが海外出張などしている時に、私が代理で指導したこともある。
私がフラワーガーデンズのことを知ったのも、2029年秋にフジが
「知り合い5人で集まってこんなの作ったんです。良かったら聴いてもらえませんか」
と言って自主制作した音源を私の所に持って来たからであった。
フラワーガーデンズのメンバー5人の中でランはアイドルになるため東京に出てきたが、中学生だったこともあり結局母親も付いてきている。ミズキは東京生まれ、ジャスミンは父親の転勤に伴い富山県から東京に引っ越してきた。キキョウは東京の大学に入るのに18歳で石川県から出てきたが、父親である上島先生の目があるので、あまりハメは外せなかったようだ。
フジは15歳の年(2025年)に東京の高校に入るため単身上京している。そのことについて私は彼女に言ったことがある。
「和歌山から東京の高校に、よく女の子ひとりで出てくるのをご両親が認めてくれたね」
「うーん。私、親からは見放されている面があったし」
「え〜〜!?」
「両親は私の妹を溺愛してたんです」
「ああ、そういうのって辛いね」
「それに女子高に誘われたってのに凄く心が揺れたし」
「和歌山は女子高無いんだっけ?」
「和歌山市にはあるんですけどねー」
「新宮からは遠いね!」
新宮市は和歌山県でも東部にあるので、県西部にある和歌山市までは電車でも車ででも3時間掛かる。
「それにそちらは入れてくれなさそうだったし」
「進学校か何かでレベル高いの?」
その質問にフジは曖昧な微笑みをしただけで何も答えなかった。
フジは##女子高のピアノ専攻の生徒の中でもトップ3人くらいの中に入っていたらしく、プロピアニストの卵として期待する人も多かったようだ。それでバンドとしてデビューすると言ったら「もったいない」と言う人も結構あったらしい。
但しフジ本人は小さい頃からクラシック以上にポップスを弾いていたのだと言う。
「私の魂はポップスなんですよ。小さい頃からローズ+リリーとかラビット4とかの音楽聴いてて、常に8ビートや16ビートのリズムが心に流れているんです。だからクラシック曲を弾いていてもどうしてもポップス的になってしまう部分があって、それで情緒性を評価されていたんだけど自分としてはクラシック演奏家になるのは無理だと思っていました」
と彼女は言っていた。
フジは音楽の専門教育を受けているだけあって音楽理論にも詳しく、ミズキやランたちが書いた曲の和音の誤りを指摘したり、いわゆる「書きリブ」を作ったり、複雑なオーケストレーションを編成したりもして、フラワーガーデンズの曲の品質は彼女によるところが大きい。
美しい黒髪の長髪で、美人だし、それでピアノやヴァイオリンも(そしてアルトながら)歌も上手いというので、さぞかしもてたのではないかと私は思うのだが、その件について本人は、
「少なくとも中学時代とかに男の子からラブレターの類いもらったことは1度も無いです」
と言っていた。私は美人すぎると敬遠される例だろうかと首をひねった。
なおジャスミンは同じ##女子高校でも、進学コースであった。
(フジもジャスミンも一応普通科ではある。アスカが出た♪♪女子高のように音楽科として独立している訳ではなく、普通科が就職コース・進学コース・音楽コースと別れていて、高校2年に進級する時までなら、成績や単位の条件さえ満たせばコース変更も可能らしい)
さて、話を一気に30年以上巻き戻そう。
これは1997-1998年頃のこと。
私が通った幼稚園は給食が出ていたので、お弁当というのは運動会の時くらいだった。それでそういう時のお弁当のおかずには、唐揚げとかウィンナーとか玉子焼きなどが入っていて、私は特に玉子焼きが大好きだった。
「リナはウィンナーがすきなの?」
「うん。タコさんウィンナーだいすき」
「じゃわたしのウィンナーとリナのたまごやきと、かえっこしない?」
「うん。いいよ」
そんなことを言って友だちと交換してまで、私は玉子焼きを食べていた。
ある時、その日もお弁当があるというので朝から母が玉子焼きを作っていた。
「おかあちゃん、そのたまごやき、おいしそうだね」
「うん。うちの玉子焼きはみりんが入っているから、ほんのり甘いんだよね」
「へー。リナのおべんとうのたまごやきはあまくなかったけど、ふわっとしてた」
「玉子焼きの作り方って、色々あるからね。何混ぜるかで随分変わるんだよ。それはきっとマヨネーズ混ぜたんじゃないかな」
「へー。わたしもたまごやきつくってみたいなあ」
「今は急いでお弁当作らないといけないし、教えてあげられないけど、帰ってきてから、ちょっとやってみる?」
「うん!」
それで私は幼稚園(小学校?)から帰ってから母に教えてもらって玉子焼きを作ろうとするのだが、これがなかなかうまくできないのである。
「あれ〜、まるくなってくれない」
「たまごがフライパンにくっついちゃう」
「なんかパサパサになっちゃう」
「まあ玉子焼きは難しいんだよ。でも毎日練習してごらん。1日1個卵使っていいから」
母はそう優しく言って、私に毎日玉子焼きを作る練習をさせてくれた。
ほんとに最初は失敗続きだったのだが、毎日やっている内に少しずつ要領が分かってくる。そして練習し始めてから半月も経たないうちに私はけっこう形になった玉子焼きを作れるようになった。
「だいぶ上手になったね。これなら次お弁当作る時は、冬、自分で玉子焼きを作れるかもね」
と母は言った。
「えへへ、作りたいなあ」
「冬って料理好きみたい。おままごととかもしてるね」
「うん。お料理セットで野菜とかお肉とか切ってるよ」
「じゃ、本物の野菜とかお肉とか切ってみようか」
「わあ、やりたいやりたい」
それで母は私に夕食などで使う材料を切るのをやらせてくれた。ジャガイモやニンジンを切るのは楽しかった。タマネギのみじん切りは最初の頃、かなり苦労したものの、母から「根の所をわざと切り残すんだよ」と教えてもらってからは上手にできるようになり、むしろ楽しくてたまらなくなった。
お肉を切るのも野菜とは要領が違うので結構大変だった。特に脂身の多いバラ肉はすぐ包丁が切れなくなってしまう。それで母は「包丁を磁器の皿の裏で研いでから切ればいいんだよ」と教えてくれた。このやり方を覚えてから、お肉とかお刺身とかを切るのもうまくできるようになった。
このタマネギのみじん切りの「根をわざと切り残す」方法とか、包丁を皿の裏で研ぐのとかは、私は母から習ったと記憶しているのだが、後から聞いてみると母は「そんなやり方は知らない」と言う。
もしかしたら誰か他の人から習ったのかも知れないが、私にもそのあたりの真相はよく分からないところである。
私は小学2年生の頃にはオムレツ、オムライスも作れるようになり、そして私が小学3年生の時から、夕飯は母・姉(当時中2)・私の輪番制になった。基本的には月・木が母、火・金が私、水・土が姉であった。日曜はジャンケンをすることが多かったが、たいてい私が負けて作っていた。私は当時からジャンケンが極端に弱かったのである。
私は最初カレーとかおでんとか、あまり手間の掛からないものを作っていたのだが、やがてレシピの読み方を覚えて、結構難しい料理も作るようになっていく。一方、母は最初の頃は娘たちに負けるまいと頑張っていた気もするのだが、次第にラーメン・スパゲティ・焼きそば・野菜炒め・チャーハンあたりのリピートになっていく。
そして姉の場合は、そもそもカレー・シチュー・ラーメンあたりしか作っていなかった。
それで父は食べたいものがあると、だいたい私にリクエストするようになっていった。また揚げ物は結局全部私がやるようになっていった。
それは東京に引っ越してきた後なので、小学4年生の夏頃ではないかと思う。
その日は父が「ちゃんと作った餃子」が食べたいと言ったので、私は買物に出た。さすがに3年生の頃は買物に行く時は母か姉と一緒だったのだが、この頃になると私は結構ひとりで買物に出ていた。
それで餃子の皮、豚バラ肉、ネギ、生ニンニク、それにフカヒレスープを付けようかなと思い、これは味の素のレトルトのもの、そして念のため卵を買う。こんなものかなあ・・・と思ってレジの方に行きかけていたら、クラスメイトの横沢奈緒がお母さんと一緒にいるのに遭遇する。
私は軽く会釈したのだが、それを見て奈緒は
「唐本さん、こんにちは」
と声を出して挨拶してくれた。それで私も
「横沢さん、こんにちは」」
と挨拶する。
「お友達?」
とお母さんが奈緒に訊く。
「うん。同じクラスの唐本さん」
と奈緒。
「下の名前は?」
とお母さんが訊くが、奈緒は一瞬考えるようにしてから
「冬・・・ちゃんだよ」
と答えた。
「へー。冬ちゃんか。冬に産まれたの?」
「あ、いえ。予定日が冬だったので。でも早産で10月に生まれちゃったんです。でも名前は予定で考えていたものをそのまま付けられて」
と私は答える。
「ああ、そういうのもありがち」
と言ってお母さんは笑う。
「私の友人の子供なんて、妊娠中にお医者さんから女の子ですねと言われてたから、女の子の名前しか考えてなかったんだって。でも生まれてみたら、お股に妙なものが付いてて」
「あらら」
「でもお腹の中にいる間ずっとその名前で呼びかけていたのに、今更変えたくないというので、男の子なのに《ゆかり》って名前付けちゃったのよね」
「ああ・・・でも子の付く名前じゃなくて良かったですね」
と私は言う。
「うん。さすがに男の子に子の付く名前は付けられないよね」
とお母さん。
「でも男の子にも彦が付く名前があるじゃん。日本語習いたての外国人が、夏彦とか春彦なんて名前を聞くと、コが付いてるから女性だろうと思ってしまうんだって」
と奈緒は言う。
私はドキっとした。夏彦・春彦・・・・それはどうも私の名前「冬彦」を意識して言っている気がした。
「でも冬ちゃん、ひとりでお買物なの?」
「ええ。最近は、夕飯を作る人が自分で買物してくる、というのが多いので」
「あら?もしかして、冬ちゃんが御飯作るの?」
「ええ。だいたい週2〜3回作りますよ」
「えらーい。奈緒もそろそろお料理覚えた方がいいんだけどね」
「中学になったら覚えるー」
と奈緒は言ってから
「そうそう。この子、オムレツが凄く上手なのよ。一度見たけど鮮やかだった」
と言う。
「へー。オムレツが作れるのはポイント高い」
「オムライスも得意と言ってたね?」
「うん。日曜のお昼とかに良く作ってる」
「すごーい。冬ちゃんの所の今日のメニューは、あら餃子の皮。餃子を作るの?」
「はい、そうです」
「でも挽肉じゃないの?」
「挽肉になっているのを買って来て使うより、バラ肉を買ってきて自分で包丁で5mm程度のサイズに切ったほうが美味しくなるんですよ」
「すごーい。お料理得意なのね」
とお母さんは感心したように言う。そしてお母さんは
「冬ちゃん、きっといいお嫁さんになるわー」
と言った。
へ?
ボク、お嫁さんになるんだっけ??
「冬ちゃんと春の調理遠足で同じ班になったけど、カレーの材料切るのに、冬ちゃん、お肉も上手に切ってたし、タマネギのみじん切りが凄く上手だったのよ。あっという間に細かく切っちゃうんだもん。他の子がやってたら、あの5〜6倍の時間が掛かったって感じだった」
「へー。やはりそういうの、随分前からやってるの?」
「お野菜切るのとかは小学1年生頃からやってましたよ」
「やはり、女の子はそういうの早い時期から覚えさせたら良かったのねー」
あれ〜、女の子〜?
私は奈緒母娘と5分くらい立ち話をしていたのだが、どうも奈緒のお母さんは私のことを女の子と思い込んでいる?というのに気付き、私は自分は男ですと言うべきなのか、悩んだ。しかし奈緒は優しい微笑みを浮かべていた。
ところで私が愛知の小学校から東京の小学校に引っ越したのは小学3年生の12月だったのだが、その引越の時に、向こうの学校での親友で私の「生態」をよく理解していた青井リナが、餞別代わりにファスナー付きのトートバッグをくれた。
そしてそのバッグの中には女の子の服がぎっしり詰まっていた。
それで私は折角もらった女の子の服を着て出歩くようになったのである。それまでも結構母が気まぐれで買ってくれたスカートを穿いたり、姉が「これ私にはもう小さい。冬、着る〜?」などと言ってくれた服を着たりもしていたのだが、ちゃんと下着から女の子用を着けて日常的に外出するようになったのはたぶんこの頃からなのではという気がする。
それでもその格好で近所を歩くと、学校のクラスメイトなどに見られると恥ずかしい気がして、私はわざわざ遠くに行ってから女の子の姿になっていた。
学校が終わってから、姉の赤い自転車を勝手に借りて10分ほど走り、校区外に出る。私はしばしば隣町の大型スーパーの自転車置き場に自転車を置くと、そこのスーパーの女子トイレ!の中で洋服をチェンジしていた。
自分が男の子の服を着たまま女子トイレに入っていったりしても誰にも咎められたりしないことは過去の経験で確認済みである!中で列ができている場合も、私はそういう格好で平気でその列に並んで個室が開くのを待っていた。下着は家を出る時に既に女の子用を着けているが、このトイレの中でスカートを穿き、上も女の子仕様の左前ボタンのポロシャツなどを着ていると自分が完全に女の子になれた気分で、凄く心が安定する思いだった。
「学校にもこういう格好で出て行きたいなあ」
と私は独り言のようにつぶやいたりしていた。
別に女の子の格好になったからと言って何かする訳でもないのだが、私はそこのスーパーの書店で本を立ち読みしたり、洋服売り場のガールズコーナーで洋服を眺めたり(洋服を自分で買えるほどのお小遣いは持っていない)、またスーパーから出て川沿いの道を散歩したりしていた。
そんなある日のことだった。
その日は体育で鉄棒をしたのだが、私はどうしても逆上がりができなくて何度も何度もやらされたものの、全然出来ず、それだけでくたくたに疲れてしまった。それで何か甘いものが欲しいなあと思い、スーパーで38円のオレンジシュースを買い、休憩コーナーで飲んでいた。
一応夕飯の買物もしたのだが、氷をもらってレジ袋に一緒に入れ口を縛っているので、少しくらい休んで帰っても大丈夫のはずだ。
しばらくボーっとしていたのだが、その内、ふと学級文庫で借りた本があったのを思い出し、開いて読み始める。モーツァルトの伝記であった。
しばらくその本を読んでいた時、女の子2人連れが休憩コーナーにやってくるが、私はその子たちの顔を見てギクッとした。その片方がクラスメイトの奈緒なのである。きゃー、私、スカート穿いているのに、と思ったのだが、奈緒は私が彼女に気づいたのとほぼ同時に私に気づいたみたいで、笑顔で手を振るとこちらの方にやってきた。
「こんにちは〜、唐本さん」
「こんにちは、横沢さん」
「なんか良く会うね。あ、こちらうちの従妹の春香ちゃん。甲府から出てきたんだよ。こちらうちのクラスメイトの唐本冬・・・ちゃん」
と彼女は双方を紹介した。
私は取り敢えず笑顔で会釈する。春香ちゃんの方も会釈を返してくれる。確かによく遭遇する。でも先日は買物の途中で、私はズボンを穿いていた。今日はスカートなのに。
でも横沢さん、私のことを「冬彦」と呼ばずに「冬」で停めちゃうんだな、好都合だけど、と私は思った。そして私がスカートを穿いていることを何も言わない。テーブルの下に隠れていて気づかないのかな?
「あ、ジュース飲んでるのね。私たちも何か飲もう」
と言って奈緒は近くの自販機でジュースを2個買ってきた。
「今日は鉄棒たいへんだったね」
と奈緒は言った。
「逆上がり、今まで1度もできたことないんだよね」
と私は言う。
「あれはたぶん、もう少し腕力を付けるか、あるいは身体を柔らかくしないとできないんじゃないかと思って見てたよ」
と奈緒。
「ああ、なんか腕が細いもんね」
と言って従妹の春香ちゃんが私の腕に触った。
「箸より重たいもの持ってないんじゃないかという感じ」
「唐本さん以外では、男子は全員できてたけど、女子ではできない子がまだ5〜6人いたね」
と奈緒。
「まあどうしても女子は腕力が無いよね」
「でも唐本さん、横回りはうまくできてたね」
と奈緒は言う。
「うん。あれは割と得意。勢いだけで回れるから」
横回りというのは鉄棒にまたがって横回転するもので、プロペラとも言う。私は今日の体育の時間、それを6回連続でしたのである。
「横回りって、男子はできないらしいね」
と春香ちゃんが言う。
「あれ、そういえば今日横回りしてたの、女子が多かったかな」
と私もふと気づいたように言う。
「男子はおちんちんが鉄棒に当たって痛いからできないんだって」
と春香ちゃんが言うと
「なるほど、なるほど」
と奈緒は言いながらこちらをチラっと見た。
「女子は当たるようなものが無いから問題無くできるのね」
と奈緒。
「そうだったのか」
そんなこと私考えたことも無かった!それで男子はやりたがらなかったのか。女子が数人横回りをしていたので私もやったのだが、確かに男子で挑戦する子がいなかったので、私もなぜだろうと思っていたのである。
「まあ横回りたくさんできていたのは、唐本さんにおちんちんが無いという証拠だよね」
と奈緒が言うのでドキッとする。
「そりゃ、こんな可愛い女の子におちんちんがあったら大変だよ」
と春香ちゃんが言った。
私はまたドキッとした。もしかして私、女の子と思われてる?
なお実際私が当時横回りするのに全然抵抗を感じなかったのは、私の睾丸がたいてい体内に入ってしまっていた(遊走睾丸)からだと思う。
その時、春香ちゃんが提案した。
「女の子同士なのに苗字で呼ぶの変。名前で呼んでもいい?」
「あ、冬ちゃんでいいね」
と奈緒も言う。
「私のことも奈緒でいいからね」
「うん、分かった。奈緒ちゃん」
と私は答える。女の子を名前呼びするのは、愛知の小学校では普通だったが、こちらに来てからはこれが初体験となる。でも、私、やはり女の子と思われているみたい。でも奈緒ちゃんはなぜ私を女の子扱いしてくれるのだろう?
「この子、今年の1月に名古屋から転校してきて、まだ充分みんなに慣れてないみたいでさ」
と奈緒は言う。
「ああ、名古屋と東京じゃ、言葉も違うし習慣も色々違うから大変だよね」
と春香ちゃん。
うーん。名古屋ではなくて江南市なんだけど、まあいいか。愛知県という名前より名古屋の方が通っているからなあ。宮城県と仙台、福岡県と博多などと事情は似ている。
「でも何の本、読んでたの?モーツァルト・・・と言ったら小説家だっけ?」
「音楽家だよ。小説家はモーパッサンかな」
「あ、なんか似てるね」
そうか?
「モーツァルトと言ったら、トルコ行進曲とかアイヤ・クライヤ・ナントカナルサ?」
と奈緒が言うので
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
と私は訂正する。
「あ、少し違うような気はした」
「可愛い曲だよね。ドッソドッソ、ドソドミソ」
と私が少し歌うと
「あ、冬ちゃん、歌うまーい」
と春香ちゃんが言う。
「冬ちゃんはピアノもうまいよ。時々、音楽の時間の授業が始まる前に音楽室のピアノを弾いてるよね」
と奈緒は言う。
「ああ、ピアノ習ってるの?」
「ううん。お姉ちゃんはずっとエレクトーン習ってたけど、私はサマーレッスンにちょっと行っただけ」
「へー」
「お姉ちゃんが居ない時はけっこう、お姉ちゃんのエレクトーン勝手に弾いてる」
「ああ、それで弾けるんだ」
「エレクトーンとピアノではタッチが結構違うんだけどね」
と私。
「そうそう。ピアノの方がタッチが重いんだよね」
と奈緒が言う。
「奈緒もピアノ弾くんだっけ?」
と春香。
「キラキラ星と猫ふんじゃったくらいしか弾けない。そもそも私音痴だし」
と奈緒。
「幼稚園の頃習ってたんだけど、私、音を聞いてその鍵盤弾くのが全然できなくてさ」
「ああ」
「冬ちゃんは初めて聞いた曲でも弾いちゃうよね?」
「うん。探り弾きになるけど」
「そのあたり、音楽のできる子とできない子って、脳の構造が違うんじゃないかと思うことあるよ」
と奈緒は言う。
奈緒は国語や算数の成績はいいのに、音楽だけはいつも1らしい。
「音楽のできる子というと、こないだテレビに出てた子凄かったね」
と春香が言う。
「あ、あの天才音楽少年ね」
「小学1年生で作曲までしちゃうって凄いね」
「うん。でもたまにいるみたいよ。モーツァルトは5歳で作曲を始めて8歳の時に最初の交響曲を書いている」
と私が言うと
「すげー!」
と春香が驚いたような声をあげる。
「まさに神童だね」
と私は言ったが
「そのまま成長すればいいけど、たいてい『十で神童十五で才子、二十過ぎればただの人』になりがちだから」
と奈緒は言う。
「まあ天才を理解できる人は少ないから、潰されちゃうんだよね。日本人って出る杭を打つ民族だから」
と私は半分嘆くように言う。
「先生が教えられる程度に出来る子は大事にされるけど、先生以上にできる子は先生からいじめられるんだよ」
と奈緒が言うが、それは自分自身の経験ではと、私は思った。奈緒は算数の時間にしばしば先生が思い付かなかったような、エレガントな問題の解き方をしてみせて、先生をうならせている。
「天才を育てられるのは天才だけだろうね」
と春香も言う。
「音楽家で大成した人は、やはり親も凄い音楽家だった人が多い。モーツァルトもお父ちゃんが凄かった。現代でも、特にヴァイオリニストとかはお母さんが優秀な音楽家でないと、まず育たないと言われる。ピアノ伴奏者が必要だから」
と私は解説する。
「なるほどー。ヴァイオリニストというのは2代掛けてしか育たないのか」
と春香。
「だけど5歳のモーツァルトや小学1年生のテレビに出てた子とかが作曲できるんなら、私たち小学4年生にも作曲はできるんじゃないかという気がするね」
などと春香は更に言い出す。
「小学4年生で作曲してる子はいると思う。わざわざテレビに出て来ないだけで」
と私は言う。
「冬ちゃんはできないの?」
と奈緒が言う。
「うーん。やったことないなあ」
と私が言うと
「よし。私が詩を書いてあげるから、冬ちゃん曲を付けてみてよ」
と奈緒は言って、その場で『たまご』という詩を書いた。
「このくらいの歌詞で書ける?」
「えっと、この長さなら16小節だと思うけど、文字数がこれ五七調になってる。逆に七五調の方が書きやすいはず。七五だと、タタタタ・タタタ、タタタタ・タンとできるから」
と私が言う。
「ああ。五七調では歌として不自然になるよね」
と春香が言う。
「七五、七五、七五、七五、とこのパターンを4回繰り返すのが理想」
「よし。そういう感じに改訂しよう」
と言って奈緒はその詩を七五調に書き直してくれた。
「さあ、やってみよう」
と奈緒。
「うーん。自信無いなあ」
と私は言いながらも、奈緒から紙を1枚もらうと、そこにフリーハンドで五線を引く。
「きれいにまっすぐの線を描くね!」
と春香が感嘆する。
「ああ、冬ちゃんは絵もうまい。春のスケッチ大会で描いた絵は職員室の前に張り出されていた」
と奈緒。
それで私は今描いた五線紙の上に、ほとんど思いつきで四分音符の列を書き込んで行った。
ドレミミ・ソラソ、ドレミミレー、・・・
「お、凄い、おたまじゃくしが出来て行ってる」
「適当だからねー」
それで私は少し悩みながら、また小声で歌ってみたりしながら、15分ほどで16小節の曲を書き上げた。
「歌ってみて」
と言われるので、私はその場で今書き上げた曲を歌ってみせる。
「お、可愛い、可愛い」
とふたりは拍手してくれた。
「奈緒ちゃんの詩が可愛かったからだよ」
「冬ちゃんも天才作曲家になるかもね」
と春香。
「いや、小学4年生でこのくらいの曲を書く子は日本中に400-500人はいると思うよ」
と私。
「その400-500人の神童の大半が20歳までにはただの人になっちゃうのか」
と春香が言うと、奈緒は
「自分の才能を信じて、潰されないようにしていればいいんだよ。きっと、冬ちゃんは自分を見失わないと思うよ」
と言って、奈緒は初めてチラッと私の下半身に視線をやった。ドキッとする。
自分を信じてか・・・・私はその奈緒の言葉に色々な思いを持った。
私たちはその場で1時間近くおしゃべりをしていたのだが、やがて奈緒のお母さんが、ショッピングカートに山のような荷物を乗せてやってきた。
「ちょっと、奈緒、荷物を屋上の駐車場まで運ぶの手伝って」
と言うと、私と春香も
「あ、私も手伝います」
と言って立ち上がる。その時、私は初めてスカート姿を明確に彼女らに曝す結果となった。そのことに気づいて一瞬、顔が真っ赤になる。すると奈緒はすっと私の手を握ってくれた。私はドキッとしたが、その手を握ってもらったことで私は凄く落ち着くことができた。
それで4人で分担してその凄い荷物を持ち、エスカレーターで屋上まで上がる。そして奈緒のお母さんのマークIIに乗せる。
「ありがとう。じゃ、冬ちゃんも送って行くよ」
とお母さんは言う。
きゃー。私、この格好で家に帰りたくないんだけどと思うものの、断る理由もない。それで、春香が助手席に乗り、私と奈緒が後部座席に乗って車はスーパーの駐車場を出る。
私はスカート姿ということもあり、結構ドキドキしていたのだが、車内でまた奈緒がそっと手を握ってくれたら、また少し気持ちを静めることができた。
「大丈夫だよ。似合ってるし、誰にも言わないから」
と奈緒は微笑みながら小声で私に言った。
「うん。ありがとう」
と私も笑顔で答えた。
それで奈緒のお母さんは私の家の前で私を降ろしてくれた。そしてそのまま私が中に入るまで見守ってくれている雰囲気なので、私は玄関の鍵を開けて「ただいま」と言って中に入った。車が発進する音がする。
私の「ただいま」という声に、母の「お帰り」という声がした。きゃー。お母ちゃん、帰ってるよ。どうしよう?と思ったものの、逃げる訳にもいかない。
「誰かに送ってもらったの?」
「あ、うん。奈緒ちゃんのお母さんに送ってもらった」
「へー。どこの子?」
「**町って言ってたかな」
「あら、わりと近くね」
「うん」
母はスカート姿で帰宅した私を前にそんなことを言った。あれ〜、スカート穿いてること、何も言われないよ。
「ちょっと着替えてくるね」
「うん」
それで私は自分の部屋に戻り、スウェットの上下を着て居間に出ていく。
「じゃ御飯作るね〜」
と言って私は野菜を切り始めた。
その話を聞いたのは、奈緒と隣町のスーパーで遭遇して間もない頃だったと私は思う。当時私は奈緒にも言われたように、あまり他の子と絡まずに孤独な学校生活をしていた。
私はお昼休みにひとりで自分の机の所で本を読んでいたのだが、近くで奈緒や協佳など女の子が4人ほど集まっておしゃべりをしていた。その時唐突に
「え?男の子が女の子になっちゃったの?」
と協佳が言ったので、私はそちらに聞き耳を立てることになる。
「ドイツであった話なんだって」
と奈緒が言う。
「男の子が森を歩いていたら、何か卵が落ちてたんだって。それで拾って帰って食べたら、その後、その子身体が変化して、女の子になっちゃったんだって」
と奈緒。
「それって、やはりおちんちんが無くなっちゃったの?」
「だと思うよ。おちんちんが小さくなっていって、その内無くなって、代わりに割れ目ちゃん出来て、穴も出来ちゃったんじゃない?」
「すごーい。そんなこともあるんだね」
私はその話を聞きながら「穴って何だろう?」と思った。この頃はまだ私は女性器の構造があまり良くわかっていなかったのである。
「うちの弟に卵食べさせて実験してみようかな」
と言っている子もいるが
「いや、卵はふつうにみんな食べてるでしょ」
と言われている。
私はドキドキした。私も卵大好きだよぉ。
「その落ちてた卵が何か特殊なものだったんだろうね」
「何の卵だったんだろう?」
「何かのメスが産んだ卵だったんじゃない? だからメスになる養分がたくさん入っていたんだよ」
「いや、卵を産むのはメスでしょ」
「あ、そうだっけ?」
「オスは卵産まないの?」
「産む訳が無い」
まだこの年代は生殖のことが分かってない子が多い。
「でも女の子になっちゃった男の子、その後どうしたんだろう?」
「まあふつうに女の子として暮らしたんじゃない?」
「女の子になるの嫌だとか泣いたりしなかったのかなあ」
「女の子になれて嬉しいと喜んだかもよ」
「まあ女の子になってしまったら、しょうがないと思ったかもね」
「ああ、男の子ってたいていおちんちん無くしたくないと思っているみたいだけど、時々むしろおちんちん無くしたいと思っている子もいるみたいね」
と奈緒が言った時、チラっと私を見た気がした。
私はドキドキする。私がこないだスカート穿いてたこと言われないかなと思ったのだが、奈緒はあの時の約束通り、そのことは誰にも言わなかった。
「うちの弟、小さい頃、おねしょとかして、お母ちゃんから『今度おねしょしたら、ちんちん取っちゃうよ』と言われて、泣いて『ごめんなさい』とか言ってたよ」
「うーん。おねしょとちんちんは関係無い気がするな」
「ちんちん切っちゃったって、出てくるものは出てくるよね」
「むしろ女の子の方が、おしっこは近いとも言うよ」
「あ、それは思うことがある」
「だって、おしっこの管の長さは女の子の方が遙かに短いもん」
「ああ、そうだよねー」
「短い分、どうしても停めにくいと思う」
「男の子だったら、出そうになったらちんちん縛っちゃえば停められるかもね」
「縛っちゃうの!?」
「輪ゴムを巻き付けてもいいんじゃない?」
「それで停まるんだっけ?」
「誰かで実験してみたいな」
「女の子だと輪ゴムを巻き付けられそうな所が無いもんね」
彼女たちがそんなことを言っていたら、近くにいた男子のグループの子たちが嫌そうな顔をしている。
「でも輪ゴムで縛った後、それ外せるんだっけ?」
「何とかなるんじゃない?」
「ずっとそのままにしておくと血が止まってよくないだろうけどね」
「血が行かないと壊死してしまうのでは?」
「その時は潔く、そこから先のおちんちんは諦めて」
「おちんちん、元々無くしてもいいと思っている子なら好都合かもね」
「あ、確か牛とかを去勢するのに、そうやって輪ゴムで根元をしばって放置する方法があるらしいよ。何日かたつと腐って自然に落ちるんだって」
「去勢って?」
「タマタマを取っちゃうこと。オスの牛はタマタマがあるとお肉が硬くなるから、産まれてすぐの頃に、タマタマ取っちゃうんだって。するとメスの牛と同じくらい柔らかいお肉のまま育ってくれる」
「へー」
産まれてすぐ取っちゃうのか・・・羨ましい!
「でもそれ痛くないの?」
「まあ痛いかもね」
「馬なんかは乱暴な馬を去勢しちゃうね」
「ふーん」
「するとおとなくしなって、乗りやすい馬になるんだって」
「なるほど」
「人間の男も乱暴な奴は去勢しちゃうといいかもね」
「ああ、おとなしい子になりそうだね」
「お肉も柔らかくなるかも」
「確かに女の子の身体は柔らかいけど、男の子の身体は硬い」
そのあたりで近くに居た男の子のひとりがとうとう堪りかねて
「お前ら、えげつないこと言うのやめろ」
と言ったので、その会話はそこまでとなった。
実際私は小学生の頃、おちんちんに輪ゴムを巻き付けてみたことはあった。おちんちんが紫色になり、巻き付けている所が痛かった。それで半日くらい放置したこともあるが、おしっこがしにくいし(輪ゴムを巻いていても、おしっこをすることはできた。むろんかなり出にくい)、紫色になり感覚も無くなったおちんちんを見ていて怖くなったので、輪ゴムをハサミで切って解放した。その後1〜2日、おしっこする度におちんちんが凄く痛かった。でもハサミで輪ゴムを切る時、むしろおちんちんの方を切っちゃいたいよと思った。このまま病院に行ったら、おちんちんの方を切ってくれないかなとも思ったが、病院に行く勇気も無かった。
そしてその頃私は、おちんちんよりタマタマの方が問題であるということをまだ理解していなかった。
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【夏の日の想い出・たまご】(1)