【夏の日の想い出・たまご】(下)

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2029年秋。私がフラワーガーデンズと(まとめて)出会った頃、私は彼女たちに訊いてみた。
 
「このバンドの楽曲って誰が書いているの?」
「ミズキが書いているのと私が書いてるのがあります」
とランが言う。
「メロディアスな曲はミズキ、リズミカルな曲はランが多いですよ」
とフジが言う。
 
「どっちみち編曲はフジがしてる」
とジャスミンが言う。
 
「フジ自身の曲もあるけど、寡作だよね」
「うん。私は年間7−8曲しか書けない。今まで年間作品番号が10を越えたことが1度しか無い」
などとフジは言っている。
 
「音楽の才能の出方もいろいろなんだろうね」
と私は言う。
 
「私は今まで曲を書いたことがない」
とキキョウ。
 
「あんな凄い作曲家の娘なのに、と言われてるね」
とジャスミンが笑って言っている。キキョウの父は上島雷太先生である。
 
「お父ちゃんがきっと私の分まで作曲の才能持って行っちゃったんだよ」
とキキョウ。
 
「まあ私もほとんど曲を書かない。今まで10曲も書いてないよ」
とジャスミンが言う。
 

「みんな最初の作曲っていつ頃?」
 
「私は小さい頃から作曲してた。というか、させられていた」
とミズキが言う。
「だから4歳の時に書いた曲が譜面で残っているんですよ」
「凄い。モーツァルトより早い」
「さすが子供の作った曲という感じだけどね」
 
「でもお母さんに英才教育受けてるな」
とキキョウが言う。
 
ミズキはスイート・ヴァニラズのEliseの娘である。
 
「お母ちゃんには殴られたり蹴られたりという記憶ばっか。いつも優しくしてくれていたのが、ノリママ(Londa)だよ」
とミズキは言う。
 
「小さい頃はお父ちゃんって呼んでたんでしょ?」
「うん。本当にお父ちゃんと思い込んでいたから。実は今でもお父ちゃんって呼ぶことある」
と言ってミズキはちょっと嬉しそうな顔をする。
 
「結局、ミズキの実の父って、教えてもらえないの?」
「母ちゃんは誰だったか忘れたと言ってる」
「うむむ」
「でも私の心の中ではやはりノリママが私のお父ちゃんなんだよ。それでいいことにしてる」
とミズキは言う。
 
「血が繋がっていたとしても、実際ミズキに何も関わってこなかったんでしょ。その人。だったら無関係でいいと思うよ」
とフジが言ったが、私も頷いた。
 

「私はアイドルにならないかと誘われて、福岡の芸能学校に通うようになった頃に作曲もし始めたんですよね」
とランは言う。
 
彼女は小学5−6年生の間芸能学校で歌と踊りのレッスンを受け、中学1年生でアイドルとしてデビューしている。
 
「譜面とか残してる?」
「レッスンで使ってた五線ノートに、自分で書いた曲も書き留めていたんですよ。だから、その気になったら発掘できると思います」
とラン。
 
「そういうのはいいね。私とか、その辺の紙に書いたのばっかりだから、書いてから何年も経ってから突然出てきてびっくりすることがあった」
 
と私は言う。
 
「『天使に逢えたら』とかも作ってから何年も経ってから出てきたんでしょ?」
「うん。あれは4年くらい行方不明になってたんだよ」
 
「美しい曲ですよね。ローズ+リリーの美しい曲Best10とかアンケート取ったらまず上位にランクされると思いますよ」
とミズキ。
 
「うん。そういうこと言われたことはある」
 

「フジはいつ頃から曲を書いていたんだっけ?」
 
「本格的に書き始めたのは中学に入ってからだけど、書くのは小学4年生頃から書いていたんだよね。恥ずかしくて人に見せられないような習作ばかりだけど」
とフジ。
 
「最初に書いた曲の名前は?」
「『卵』と言うんだけどね」
 
「へー!」
「どんな曲?」
 
「うーん・・・」
と言いながらフジはピアノでその「初めての作品」というのを弾き語りしてみせた。
 
「可愛い曲だ」
「二部形式か」
「中学3年の時までの曲は全部二部形式だよ。ロンド形式とか歌謡曲形式とか使い出したのは高校になってから」
とフジは言う。
 
「ケイさんも最初に書いた曲が『たまご』でしたよね」
「うん。私もフジちゃんと同じ小学4年生の時。当時はやはり16小節の二部形式だったんだよ」
 
「へー」
「それを改訂して、あの名曲が生まれたんですか」
「その改訂のきっかけを与えてくれたのがランだったんだよね」
「えー!? そうだったんですか!?」
 

2015年8月11日(火)。
 
私は★★レコードで、田中蘭と母の美子、加藤課長・北川係長、そして七星さんと打ち合わせをした。
 
ちょうど1週間前の8月4日に★★レコードの加藤課長が熊本の山村星歌コンサートに行っていて偶然ランに遭遇し、「アイドルにならないか」と勧誘したのだが、私はランの母・美子さんから連絡を受け、加藤課長なら信頼できる人物ですと答え、また加藤さんに私と知り合いだということ言って良いですよと言った。それで加藤さんと私はちょうど遭遇した時に蘭の件について話し合い、取り敢えず一度東京で一緒に会うことになったのである。
 
その日私たちは★★レコードの窓際の応接セットの所で話したのだが、私が行った時、七星さんが別件でこの場所で北川さんと打ち合わせしていた。用事は既に済んでもう雑談モードになっていたようで、私たちが行った時、帰ろうとしたのを
 
「まあまあ、ケーキくらい食べてから行けばいい」
などと加藤さんから言われ、結局居残ってしまったのである。こういうのもこの世界ではよくあることである。
 
そしてそれがきっかけで、七星さんと蘭とのつながりができることになった。
 
基本的に蘭本人が、こんなチャンス滅多にないから、ぜひアイドルやりたいと言うし、お母さんも、まあ若い内は色々なものに挑戦してみるのも良いだろうと容認の構えであったので、この案件は積極的に進めていこうという方向になった。
 
「へー。じゃケイと田中さんが毎年年賀状のやりとりをしていたんだ?」
と七星さんは驚いたように言った。
 
「まあ生まれた時に立ち会った縁ですね」
と私。
 
「それ以外に、けっこう九州方面でのライブに招待してもらっていたんですよ」
と美子さん。
 
「私、ケイさんにオールヌードをいきなり見られたみたいで」
と蘭は言う。
 
「まあ洋服を着たまま生まれてくる赤ちゃんは居ないだろうね」
などと北川さんは言う。
 

話し合いはなごやかに進んだ。最初ケーキと紅茶が出てきたのだが、七星さんが「何か身になるものも欲しいな」などと言ったら、若い人がお使いに行ってきてくれて、ケンタッキーが出てきたし、そのあとピザとかおにぎりとか、最後はラーメンまで出てきて、話し合いは5時間ほどに及んだのである。
 
もっともこの話し合いの大半は雑談である!
 
だいたい芸能界の打ち合わせというのは4〜5時間雑談をしてから最後の30分で話をまとめることが多い(そこで帰りそこねると更に数時間雑談をするハメになる)。
 
この日は最後の方になってから
「じゃ、取り敢えず小学生の内はずっとレッスンを積んでもらって、中学校に進学する時に、東京に出てきてもらってアイドルデビューという線で」
 
と北川さんが言って、その線で全員了承した。
 
「でも娘ひとりの上京になりますかね」
「お母さん付いてこられます?」
「やはり中学生の娘ひとりでは不安なので」
「もしお仕事変わられるのでしたら、適当な所を紹介しますよ」
と加藤さんが言う。
 
「助かります!」
 
「名前とかは田中蘭のままでいいんですかね?」
と七星さんが訊く。
 
「そうですね。デビューの時にそれはまた検討しましょうか」
と北川さん。
 
「田中という苗字がありふれてるから、何か別の苗字を考えた方がいいかもね」
と私は言った。
 
「福岡までレッスンに通う交通費とかレッスン代は○○プロに出させますよ」
と○○プロの人間がこの場に誰も居ないのに加藤さんは勝手に言っている。
 
「でもそれ後で返せとか言われませんか?」
と美子さんは心配そう。
 
「そういうことを絶対に言わないのが○○プロの良いところなんですよ。中にはそういうのを借金とみなすプロダクションもありますけどね。○○プロは純粋に投資として処理するから」
 
「私もデビュー前に随分○○プロのレッスンをタダで受けさせてもらいましたよ」
と私が言うと
 
「だったら安心ですね」
と美子さんはホッとしたようであった。
 
「歌手なんて当たるかどうかはほとんどバクチに近いんです。売れたらプロダクションも大きく潤うんだから、売れなかった人への投資もムダではないというのがあそこの考え方で」
と加藤さんは言う。
 
「まあでもデビューして1年くらいしても芽が出なかったら、見切りを付けた方が良いかもね」
と七星さん。
 
「その時はふつうの中学生に戻ればいいですよ」
と私も言った。
 

私たちは隣接する★★スタジオに移動し、蘭の歌を聴いてみたが
 
「うまいですねー」
とみんな言うほどの出来であった。
 
「小学5年生でこれだけ歌えるなら即デビューさせたくなるほどだ」
と加藤課長は言うが、私も七星さんも北川さんも反対した。
 
「確かに歌の技量はある。でも今この子は無垢すぎる。いきなり芸能界に入れば、その独特の習慣、そして上手い人に対する妬み・やっかみで意地悪されたりして潰される。だから、この世界に慣れる時間があった方が良い」
 
と七星さんは言う。
 
「やはり当初言ってたように小学生の間は福岡あたりでレッスンを積むのがいいです。そうすれば似た年代の友人もできるだろうし、その間もちょくちょくライブのバックとかで踊らせたりして、ステージに慣らすのもいいと思います」
と私。
 
「集団アイドルとかにいったん入れてという手もあるけど、ああいうのだと、実力も無いのにちやほやされて良くない。それよりもしっかりと訓練受けさせてからの方が、耐性のある歌手になれると思いますよ」
 
と北川さんも言い、やはり当初の方針で進むことになった。また一応週に1回福岡でレッスンを受けさせるとともに、2ヶ月に1回程度は東京にも呼んで、あちこち顔を売るとともに、色々経験も積ませることにした。
 
なお、彼女のプロダクションに関しては、やはり○○プロがいいだろうということで、加藤さんが○○プロの丸花社長に電話して了承を得る。それで北川さんが付き添って、そちらに挨拶に行くことになった。
 

田中親子が北川さんと一緒に○○プロに移動した後、私と加藤課長と七星さんの3人で雑談的に話した。
 
「まあ○○プロ側の意向もあるだろうけど、彼女がデビューする時は、ケイちゃんとナナちゃんで、曲を提供してもらえない?」
と加藤さんが言う。
 
「そうですね。1年半後に私がまだ芸能界に居たら」
と私。
「1年半後に私にまだ作曲才能があるなら」
と七星さん。
 
「うん。ではその時に」
 
「加藤さん、かなりあの子に入れ込んでますね」
「いや。あの子はかなりの素材だと思うんだよ。今の年齢ではアイドルとして売るしかないと思うんだけど、恐らく10年後はもっとビッグになる気がしてね」
 
「縁は切れていてもう10年以上音信不通らしいんだけど、あの子の父親は流しの演歌歌手だったらしいです」
と私は言う。
 
「へー」
 
「美子さんのお母さんは薩摩琵琶の師匠だったらしくて、あの子、両親の双方から音楽的な素質を受け継いでいるんですよ」
「なるほどねー」
 
「でもその父親の現状はちょっと気になるな。あの子がデビューして有名になったところで名乗り出てきて、おかしなことされては困る」
と加藤課長は心配する。
 
「そのあたりは丸花さんに言っておけば適当に処理されるのではないかと」
と私は言う。
 
「あの人の人脈は怖いからなあ」
「まあヤクザより怖いみたいですね」
 

「でもこういう歌手の卵のような子を育てていくのも楽しみだね」
と加藤さんは言う。
 
「ひとつひとつの卵を大事に育てていきたいですね」
と七星さん。
 
「私にしても、醍醐春海とかにしても、加藤さんに育ててもらったようなものです」
「確かにケイちゃんとも、醍醐ちゃんとも付き合いは長いなあ」
と加藤さんは過去を回想するかのように言う。
 
私と加藤さんとの関わりは、松原珠妃の件で動いていた時からなので私が中学1年生の時からで10年半ほどになる。醍醐春海こと千里の場合は高校2年の時かららしく、それでも8年くらいだろうか。私にしても千里にしても、随分と加藤さんから便宜を図ってもらっている。
 
「ところで結局、僕と知り合った時、ふたりとも既に性転換済みだったんだよね?ここだけの話」
と加藤さんは唐突に訊いた。
 
「醍醐は中学生くらいで性転換していたと思いますが、私はまだ男の子でしたよ」
と私は言ったのだが
「醍醐君も、自分は性転換したのは20歳過ぎてからだけど、ケイはきっと小学生で性転換手術しちゃってますよと言ってた」
と加藤さん。
 
「どちらも嘘ついてるな」
と七星さんは笑いながら言う。
 

「でも割れてしまう卵が多いよね、この世界」
と七星さんはしんみりと言った。
 
「それはやむを得ないなあ。本人の問題、周囲の問題、またちょっとしたことがファンの反発を招くこともあるし」
 
「親のせいで潰れる子も凄く多いんだけど、あの子の場合は大丈夫そうだね」
と加藤さん。
 
「女手ひとつであの子育てて来たから。色々苦労しているだけにまろやかな性格になったみたいです」
 
「苦労して丸くなるタイプと、苦労してとげとげしくなるタイプがいるよね」
「不思議ですね。似たような体験から、どちらに行くか。もしかしたら紙一重なのかも知れないけど」
 

「でもこの卵は大事に育てていきたいね」
 
などと加藤さんも言った時、私は唐突にそのことを思い出した。
 
「どうしたの?」
と七星さんが訊く。
 
「いや、随分昔に『たまご』という曲を書いたなと思って」
「へー」
「小学5年・・・いや4年の時ですよ」
「そんな時期から作曲してたんだ?」
「親友にうまく乗せられて。その親友がその場で詩を書いて、これに曲を付けてよと言われて、16小節の二部形式で書いたんです」
 
「冬ちゃんはそれが昔から得意。曲先ではあまり書かないよね」
「詩の世界観を借りて作曲しているんですよ」
 
「その譜面ある?」
「どうだったかなぁ・・・」
 

それで私は気になったので、マンションに帰ってから古い楽譜を書いたノートなどを探してみたものの、なかなか見付からない。
 
「何探してんの?」
と政子が言うので、小学4年生の時に書いた歌のことを唐突に思い出したんだけど、譜面が見当たらないと言う。
 
「ふーん。奈緒ちゃんと一緒に作ったのか。だったら奈緒ちゃんが持ってたりしない?」
 
と政子が言うので、私は念のためと思い、奈緒に電話してみた。
 
「あ、それあったと思う」
「ほんと?」
「ちょっと待って。探してみる」
 
と言って彼女は探してくれた。それで取り敢えずおやつを食べながら政子にこの日会った蘭のことを話していたら、20分ほどして奈緒から電話がある。
 
「あったよ。そちらにFAXするね」
「ありがとう!」
 
それで奈緒はすぐにFAXしてくれた。政子が歌ってみてというので歌うと「可愛い〜」と言ってお気に入りの様子。
 
「ねえ。この曲、今度のアルバムかシングルに入れようよ」
「無理だよ。これはとても商業レベルで出せる曲じゃない」
「だったら商業レベルの曲に改訂すればいいんだよ」
 
と言うと政子は自分で奈緒の携帯に掛けた。
 
「奈緒ちゃん、この送ってもらった曲可愛いね。それでさ、これ今度のアルバムに入れたいなと思うんだけど、このままじゃさすがに使えないじゃん。それでさ、私と一緒に、この曲の詩を改訂しない? あ、今夜いいの?じゃ行く〜」
 
ということで政子はふたりで歌詞の改訂をするという話をまとめてしまった。なお現在、奈緒は**医科歯科大の5年生である。
 
「私も行った方がいい?」
「大丈夫大丈夫。冬の居ない所で、いかに冬が可愛い小学生女児であったかをたくさん話してきたいから」
「はいはい」
 
奈緒もいろいろ「ネタ」を持っているみたいだからなあ、と私はため息をつきながら答えた。
 

少し時を巻き戻す。
 
その話をしたのは確か2015年の2月頃だった。クロスロードの集まりではなく、青葉も来ていなかったのだが、たまたま私のマンションに、クロスロードのメンツが何人も集まっていた。
 
「男でも遺伝子的に母親になる方法があるんだよ」
とその日、和実は言った。
 
「受精卵を男性の体内に移植して男性妊娠させるとかじゃなくて、遺伝子的になの?」
と千里の友人、蓮菜(葵照子)が訊く。
 
「高校の友人で仙台のT大学医学部に行った子(津川綾乃)が言ってたんだよ」
と言って、和実はその方法を説明する。
 
「例えば淳とあきらさんで子供を作る場合ね」
「なぜ、そういうたとえをする?」
と淳・あきら双方から抗議がある。
 
「途中でちょっと誰かの卵子を借りないといけないから、千里の卵子を借りることにするね」
と和実。
 
「私、卵子持ってないよ」
と千里が言うが
「いや、千里なら持ってそうだ」
と蓮菜が言う。
 
「淳の体細胞からIPS細胞を作り、これを細胞分裂させていると稀にY染色体が欠落した細胞ができることがある。これを千里の卵子と桃香のX精子を結合させてまだ分裂を開始する前の受精卵に注入して千里の子宮内で育てると、XXX型の女の子が生まれる」
 
「ちょっと待て。私は精子を持ってない」
と桃香が抗議する。
 
「いや、桃香なら持ってそうだ」
と、その日なぜかその場に居た、XANFUSの音羽(織絵)が言う。織絵は桃香の高校の時の同級生である。
 
「私、高校時代に危うく桃香に妊娠させられる所だったし」
「ふむふむ」
 
「桃香ってあちこちの女の子を妊娠させてそうだなあ」
「多数の女の子から認知を求められていたりして」
「無実だぁ〜!」
 
「私子宮無いけど」
と千里が言うが
「千里に子宮があることは確定済み」
とまたまた蓮菜が言う。
 
「XXX型の染色体って、染色体異常じゃないの?」
と質問が出るが
「いやXXX女性は実は割といる。何も異常は起きない。普通のXX女性と変わらん」
と蓮菜は言う。
 
「XXYならクラインフェルター症候群だけど、XXXは問題無いね」
と奈緒も言う。
 
「へー、そういうものか」
 
「それでこの女の子が作る卵子の中には、淳のX細胞由来の遺伝子を持つものがある。それでその卵子にあきらさんの精子を受精させると、淳とあきらさんの遺伝子を持つこどもが生まれるんだよ」
 
「ほほお」
「これ、ちゃんと淳は遺伝子的には母親になっているんだよね」
「面白い方法だね」
 
「でもそのXXX型の女の子はどうすればいいのさ?」
「もちろんその子も育てるよ。この子は、千里を母親、桃香を父親とし、更に淳の半クローンにもなっている女の子なんだよ」
 
「半クローンか」
「そうか。クローンだけど性別は女なんだ」
「それがこの方法の鍵だね」
 
「XXXの女の子の作る卵子の中から淳さん由来の遺伝子を持つ卵子を選別する方法は?」
「うーん。難しいね。動物実験なら、たくさん受精させて育てればその中に1匹くらい、そういう子ができるんだけど」
と和実は悩むように言うが
 
「分裂開始させて少したった所で細胞を1個取り出して遺伝子検査すればいいと思う」
と奈緒が言う。
 
「なるほど。それならできないこともないか」
 
「だとすると、これ現在の医学的な技術で充分実現可能なことかも」
 
「でもこの方法、動物実験ならいいけど、人間でやるには倫理的に問題がありすぎる気がするなあ」
と私は言った。
 
「うん。こういう方法は受け入れられないと感じる人が多いと思うよ」
と和実自身も言う。
 
「でもそれ淳さんの精子は使わないのね?」
「精子を使ったら父親だもんね。だからこれ去勢しちゃった人でも母親になれるんだよ」
 
「それはそれで凄いね」
 

「もうひとつの方法はあきらさんが淳とセックスして淳が妊娠するという方法だけどね。一晩くらいなら、淳をあきらさんに貸していいよ」
 
などと和実が言うが
「私はさすがに妊娠する自信は無い」
と淳は言う。
 
「まあ淳さんの妊娠は難しそうだよ」
と奈緒は言う。
 
「このメンツ見渡して、妊娠できそうな顔しているのは、冬と和実と千里かな」
と奈緒は言った。
 
「あ、千里が妊娠できそうというのは私も賛成」
などと蓮菜も言う。
 
「冬は私の赤ちゃん産んでくれるんだよ」
と政子は言っている。
 
「ここに居ないけど、たぶん青葉も妊娠できる」
と桃香は言っている。
 
「よし妊娠検査薬を試してみよう」
などと奈緒が言い出す。
 
「はぁ〜?」
「冬、和実、千里、これトイレでおしっこ掛けて来なさい」
と言って奈緒は私と和実と千里に妊娠検査用のスティックを渡した。
 
「なぜこんなものを持ってる?」
「昨日授業でやったんだよ」
「みんなおしっこ掛けてみたの?」
「掛けた」
「誰か妊娠してた?」
「してなかった」
「男もしたの?」
「してたよ。残念ながら誰も妊娠してなかったけどね」
「男が妊娠したら大変だな」
 
それで結局、なりゆきで、私、和実、千里の順にトイレに行き、妊娠検査薬を使ってきた。
 
「これちょっと表示が出るまでに時間が掛かるんだよね」
と奈緒は言っている。
 
最初に行ってきた私の分の反応が出る。
「マイナスか。残念」
「私が今妊娠したら、町添さんの首が飛ぶよ」
と私は笑って言う。
 
「和実もマイナスか」
「でも淳と日常的に付けずにセックスしてるから、私、いつ妊娠してもおかしくない気がする。淳、そろそろ籍入れちゃう?」
と和実が言うと
 
「うん。私はいつでも籍を入れていいよ」
と淳。
 
「じゃ、その件はふたりでおうちに帰ってからゆっくり話し合ってもらって」
と奈緒が言う。
 
そして最後にトイレに行ってきた千里の妊娠検査薬の反応が出る。
 
「プラス!?」
「嘘。千里、妊娠してるの?」
「うーん。あまり妊娠する自信無いんだけどなあ」
と千里は言う。
 
「そういえば千里、腹帯持ってたな。こないだ付けてた」
と桃香が言う。
 
「あれはジョークで買ったんでちょっと付けてみただけ。桃香妊娠した時に使っていいよ」
 
「でもこの妊娠検査薬の反応は?」
「ただのエラーでは?妊娠検査薬の診断確率って99%くらいらしいから、1%は間違いがあるんだよ」
 
「うーん・・・・」
その場で一同は腕を組んで悩んだ。
 
「千里、チップ使い切っちゃったけど、もう1本もらってこようか?それで再確認してみる?」
と奈緒は言うが
 
「いい。要らない。私が妊娠する訳ないじゃん」
と千里は笑って言っていた。
 

『たまご』は氷川さんとも話し合った結果、制作中のアルバム『The City』に入れることにし8月中旬に制作されることになった。
 
展開部はかなり深いものがあり、ストリングセクションが美しいのだが、最初のモチーフは元々が小学4年生の時に書いたものなので、唱歌っぽい雰囲気もある。今までのローズ+リリーの曲とは全く違う傾向の曲だが、アルバムならこういう曲があってもいいのではないかと氷川さんは言っていた。
 
実際氷川さんは『The City』という企画ではあっても、全てが都会の描写ばかりになっては、セールスをあまり望めないのではと考えていたふしがある。
 
演奏は渡部賢一グランドオーケストラに協力してもらい、鈴木真知子ちゃんのヴァイオリンソロもフィーチャーしている。しかし全体的には小学校の音楽の時間に出てくる曲か何かのようにまとめている。リズム楽器は使わず、テンポは渡辺さんの指揮にお任せ。私たちもオーケストラの演奏に合わせて歌っている。
 
また私と政子で2パートずつを歌って四重唱にまとめあげた。
 
「これ即KARIONでカバーできるな」
などとスタジオに陣中見舞いに来てくれた和泉が言っていた。
 
「カバーしてもいいけど、2017年以降にして」
と私は言う。
 
「実際ライブではどうするの?」
と小風も訊く。
 
「まあ誰か応援の歌唱者を頼まないといけないだろうね」
「誰かアテはある?」
 
「打診はしてないけど、ゴールデンシックスとか、オズマドリームとかは使いやすいかなと思っている」
 
「ああ、どちらも上手いもん」
と小風。
 
「音楽の傾向も似てるから親和性があると思うよ」
と和泉も言う。
 
美空が何か考えているふうなので訊いてみる。
 
「どうしたの?」
「いや。オズマドリーム売れてるよなと思って」
「売れてるね。こないだの曲はゴールドディスクになった。彼女たちずっと歌手をやってて良かったと言って感動してた」
 
「槇原愛とシレーナソニカも売れてるでしょ?」
「うん。あの子たちが売れると私の負荷もあがって辛いけど、まあ売れてるね」
 
「ローズクォーツと組んだユニットはみんな売れたりして」
と美空。
 
「ほほぉ!」
 
「まずローズ+リリーが大きく売れてるし、覆面の魔女ことシレーナソニカが売れて、オズマドリームも売れたら、ローズクォーツって上げマンだったりして」
と美空。
 
「男の人のバンドだから、上げマンじゃなくて上げチンかも」
と小風。
 
この子は昔から下ネタが多い。
 
「ちょっとちょっと」
と和泉にたしなめられている。
 
「だったらミルチョも来年売れるといいね」
と七星さんが微笑むように言った。
 

この曲のPVでは、私がオムレツを焼いて、それをマリが食べるというシチュエーションで撮影を行った。
 
最初はマリがうずらの卵を持って来て、それを私が小さなフライパンでオムレツに焼いて、磁器の小皿(香蘭社製10cm)に載せ、マリに渡す。
 
それを食べるとマリは鶏の卵を持ってくるので、私はさっきのより少し大きなフライパンで焼き、今度は同じ香蘭社の15cmくらいの皿に載せてマリに渡す。次にマリはアヒルの卵を持ってくるので、私はさっきのよりまた少し大きなフライパンで焼いて、18cmの皿に載せて渡す。次はガチョウの卵をオムレツにして、22cmの皿に載せて渡す。
 
そして最後にマリはダチョウの卵を抱えてくるので、私はそれを巨大フライパンで焼いて巨大オムレツにし、香蘭社の50cm特注品の大皿に乗せてマリの所に持って行く。その巨大オムレツを美味しそうにマリが食べている所でビデオは終わっている。
 
これを公開した時は「マリちゃん、あれ最後まで食べたんですか?」という質問が来たが「マリのことを理解してくださっている方なら分かるはず」と私はお返事を書き、ネットでは「なるほどー」「質問する必要も無かったな」というツイートが出回っていた。
 

ところでこの『たまご』の増補した部分のメロディーだが、それはこのような経緯で書くことになった。
 
それは政子と奈緒がふたりで楽しそうに『たまご』の歌詞を作ったのより一週間ほど前の8月3日のことであった。
 
その時期はちょうどローズ+リリーは制作作業の谷間で、私は日々マンションで様々な譜面の整理作業をしていた。
 
政子はだいたいお寝坊さんなのでお昼近くになって起きてくることが多い。おかげでこちらは午前中は仕事がはかどること、はかどること。その日も『枕を揺すれ』という曲のスコアをほぼ書き上げることができた。後は七星さんに見てもらってから風花に清書してもらおうと思い、いったんボールペンを置いて伸びをする。
 
コーヒーでも煎れようと思ってお湯を電気ケトルで沸かしていたら、訪問者がある。麻央と佐野君のカップルであった。
 
上にあげて、今煎れていたコーヒーを出し、とりあえずお菓子の箱をひとつ開ける。
 
「かもめ伝説か」
と言って麻央が何か感慨深げなので
 
「何か思い出でもあるの?」
と尋ねる。
 
「震災の直前にさ、ボク仙台の友だちんとこに行こうとしてたじゃん」
と麻央。
「うんうん。それを佐野君が止めたんだったね。それで麻央は命拾いした」
と私。
 
麻央が会いに行くつもりだった友人・多田野君のアパートは津波で跡形も無くなってしまっていた。そして麻央が仙台に行く代わりに彼を東京に呼んだのだが、おかげで彼まで命拾いしたのである。
 
「まあ、麻雀のメンツが欲しかっただけだけどね」
と佐野君。
 
「あの時、多田野が東京に出てくる時、おみやげに持って来たのがかもめ伝説だったんだよ」
 
「へー!」
 
「カモメと名の付くお菓子と言うと圧倒的に『かもめの玉子』が有名だけど、この『かもめ伝説』もあるんだよねー」
 
「でもこれ、茨城のお菓子かと思った」
「宮城県でも売っているんだよ」
「ほほお」
 
「これ『ひよ子』のコピー商品って雰囲気だよね」
「まあ、似てるけど、顔が違う」
「あんこの色も違うね」
と麻央は割って食べながら言う。
 
「うん、ひよこの餡はもう少し白っぽい」
 

「多田野が言ってたんだよね。この『かもめ伝説』を買って店を出たら、何かカモメが妙に鳴いてて、変な感じがしたって」
 
「異変の予兆を感じ取っていたんだろうね」
「動物はそういうのに敏感だからね」
「磁気の変動とかがかなり起きているはずだけど、人間でそういうの感じ取れる人は少ないんだ」
 
「青葉は震災の日、凄く頭痛がしていたとか言ってたかな」
「ああいう敏感な子は感じ取るんだろうね」
 
「あ、そうか。『かもめの玉子』の方は青葉の居た大船渡が本場だね」
「うんうん。あそこ発祥だよね。広い範囲で売られているから、仙台銘菓か何かみたいに思っている人もいるけどね」
 

「でもカモメって卵産むんだっけ?」
と唐突に佐野君が発言する。
 
「卵産まなかったらどうやって増えるのさ?」
と麻央が呆れたように言う。
 
「いや、赤ちゃん産むんじゃないよなと思って」
「カモメは哺乳類ではない」
「あ、そうか。赤ちゃん産むのは哺乳類か」
「敏春、小学4年生くらいから性教育受け直しなよ」
と麻央は言っている。
 
「哺乳類以外で赤ちゃん産むのは、いわゆる卵胎生の生物。サメの中には交尾までするものがいるよ」
と私は言う。
 
「へー!魚って、メスが卵産んで、そこにオスが精子を掛けるのかと思った」
と佐野君が驚いたように言う。
 
「メスの体内で受精させて、育ててから体外に出すんだよね」
「魚でもそういうのがあるのか」
 

そんな話をしていた所で、やっと政子が起きてくる。もう11時半だ。昼過ぎまで寝ていることもあるから、まだマシな方か。
 
「政子ちゃん、おじゃましてるよー」
と麻央が声を掛ける。
 
「いらっしゃーい」
と言いながら政子はあくびしつつソファに座る。パジャマ姿だしボーっとしている感じだが、麻央と佐野君ならまあいいだろう。
 

「そういえば麻央たち、いつ結婚するの?」
と私は尋ねた。ふたりは最近ほとんど同棲状態になっている。
 
「なんかアパート2つ分の家賃払い続けるのももったいないし、ボクのアパート引き払っちゃおうかなと言っているんだけどね」
と麻央。
 
「うん。それでいいと思うよ。籍は?」
「籍は大学院を出てから入れようという双方の親との約束」
「なるほど」
「それまではちゃんと避妊もして、できちゃった婚にはしない、というのも俺が麻央の父ちゃんと約束した」
と佐野君は言っている。
 
「うん。そういうきちんとしたのがいいと思う」
と私も彼らの方針に賛成した。
 
「でも妊娠なんてかったるいからさ、子供作る時は敏春が妊娠しない?と言ったんだけど、無理と言われた」
と麻央。
 
「俺子宮無いし」
と佐野君。
 
「まあ男が妊娠するなんてのは、タツノオトシゴくらいだろうね」
と私は笑って言う。
 

「あれ、どういう仕組みになっているんだっけ?」
と麻央が訊く。
 
「メスが輸卵管をオスの育児嚢の中に差し込んで、そこに卵を産み付ける。すると、オスは自分の育児嚢の中に精子を放出して自分の体内で受精させる」
 
「オスの体内で受精するのか!」
 
「そして育児嚢の中には胎盤状の組織ができて、そこから卵に栄養を供給するし、免疫などもそれで付くらしいね」
 
「じゃ、ほんとに妊娠してるんだね?」
 
「一応生物学的には卵胎生ではなく卵生に分類されるんだけど、ほとんど妊娠だと思うよ」
 
「あれ、単に保護しているだけじゃなかったんだ?」
「うん。昔は単にそこに入れているだけと思われていたんだけど、実際に栄養を与えているし、呼吸とかもしやすいようにしてあげていることが分かってきた」
 
「本当にタツノオトシゴってオスが妊娠する生き物だったのか」
 
「育児嚢の中にメスが輸卵管をインサートして卵を産み落とすというのも凄いね」
 
「うん。輸卵管が、男女逆に考えるとペニスみたいなものだね」
 
「人間もそれでいけたらいいのにな」
などと麻央が言う。
 
「ボクが敏春の体内に卵子を産み落として、それで敏春は体内で十月十日子供を育てる」
 
「大変そうだ」
と佐野君。
 
「普通の交尾する生物だと、オスはメスの中に射精した後、数日したらまた別のメスの体内に射精できるけど、タツノオトシゴだと、メスはオスの中に卵を産んだ後、少し経てばまた別のオスの中に卵を産み付けられるらしいよ」
 
「やはり男女が逆転してるな」
 
「人間も男が妊娠するのなら、あちこちの男に卵子を産み付ける女が出てくるだろうなあ」
 
「ああ、ありそう」
 
「私も男の子の中に卵子産み付けたーい」
と政子が言っている。
 

そんな話をしていた時に、政子はやっと目が覚めてきたようでテーブルの上に『かもめ伝説』の《空き箱》があるのに気づく。
 
「あ、お菓子残ってない」
「ごめーん。何か出してくるよ」
と言って、私は席を立つが
 
「冬、どうせならケンタッキー食べたい」
と政子は言い出す。
 
「まあいいよ。お昼だしね。どのくらい食べる?」
 
「パーティーバーレルくらい入りそうな気がする」
「元気だね〜」
「さっき、ケンタッキーが山ほど積み上げてあるのを食べようとした所で目が覚めちゃったのよ」
「なるほど〜」
 
「じゃ佐野君もいるし、パーティーバーレル2つ買ってくるか」
 
と言って私はマンションを出た。恵比寿駅前のケンタッキーに行ってくることにする。
 

マンションから恵比寿駅までは普通に歩いて10分ちょっとである。私は気分転換でもするかのように、少しゆっくり目に歩いて行った。
 
パーティーバーレル2つと頼むと、さすがにすぐは準備できないようで、少しお待ち頂ければというので、席に座って待つことにする。それでテーブルの所に座ってふと、周囲を見回したら、見知った顔を見る。視線が合ったので私は席を立って、彼のそばまで行った。
 
「こんにちは」
と私は笑顔で挨拶する。
 
「あ、こんにちは」
と言って向こうは何だか焦ったような顔。何だ何だ?
 
「先日は、阿倍子の件ではありがとうございました」
と細川貴司さんは言った。
 
「いえ。たまたま行き合ったので、お手伝いしただけのことですから。女同士の助け合いですよ」
 
「すみません。あとで妹からも千里からも、阿倍子をひとりにするなら、どうして事前に入院させていなかったんだ?と叱られました」
 
それは実は私もあとで考えたことであった。
 
それで少し話していた時、23-24歳くらいの女性がやってくる。細川さんに向かって
 
「ごめーん。遅れた」
と言ったものの、そばに私が立っているのを見て
 
「あなた誰?」
などと言う。
 
私はピーンと来た。これは浮気しようとしていたのか。しかし奥さんがこないだ赤ちゃん産んだばかりなのに!?
 
と思ったが、次の瞬間、別のことも考えた。
 
千里は度々、細川さんの浮気未遂を潰しているようだ。彼女としては自分のライバルを排除しているだけなのかも知れないが、結果的には奥さんのための行動にもなっている。その千里は今ニュージーランドに日本代表の合宿で行っている。それで千里の監視の目が無い隙に浮気しようとしたのか?
 
そこまで考えると私はその女性に向かって言った。
 
「私、この人の妻ですけど、あなたは?」
 
「えー!?奥さんがいたの?」
とその女性。
 
私は細川さんの方を見て言う。
「あなた、この人はどなた?」
 
細川さんは、半ばパニックになっている感じだ。
 
「あ、えーっと・・・」
などと声を出したまま、何を話せばいいのか分からない様子。
 
「取り敢えず、帰って頂けません?ちょっと夫と話したいので」
と私はその女性に言った。
 
「分かった。帰る」
と言って、その女性は怒った様子で帰って行った。
 

その女性の後ろ姿を見送ってから私は細川さんに言った。
 
「差し出がましいことをしましたが、奥さんが赤ちゃん産んだばかりの時に浮気するのはどうかと思いますよ」
 
「済みません」
と言って細川さんは謝る。
 
そしてふと思いついたように
「そうだ。唐本さん、ちょっとお聞きしたいのですけど」
と言った。
 
「何でしょう?」
「あまり大きな声で話したくないのですが」
「はい?」
 
それで私は細川さんの隣に座った。
 
「唐本さん、千里とは古い付き合いみたいですね」
 
「そうですね。頻繁にやりとりするようになったのは4年前からですけど、それ以前にもあの子とは随分ニアミスしてたんですよ。私とあの子とを両天秤に掛けていた人がいて。あ、いや恋愛的な意味ではなくビジネス上なんですけどね」
 
「あの子って実は生まれながらの女ですよね?」
と細川さんは言った。
 
「え?生まれた時は男ではあったものの、その後完全な女になったんだと思いますが」
と私は言った。
 
「本当にそうなんでしょうか?」
「違うんですか?」
 
「私は千里とはもう12年もの付き合いになるのですが、あの子は会った時から自分は男だと言っていたし、最初の内はそれを信じていたんです」
「はい?」
 
「でも付き合っている内に、この子、男だってのは嘘で本当の女なんじゃないかと思うようになって」
と細川さん。
 
「あの子、たぶん中学生くらいの内に性転換手術してますよ」
と私は言う。
 
「私もそんな気がしていた時期もあったのですが」
「ええ」
 
「今はむしろあの子は生まれながらの女だったのだと確信しています」
「うーん」
 
「だからあの子、女装男子ではなく、男装女子だったのを、本来の女子としての生き方に戻したのではないかと」
 
「うーん・・・・」
 

「京平は実は元々私と千里の子供だったんです」
と細川さんは言った。
 
「どういう意味でしょう?」
「千里の周囲には昔から色々不思議なことが起きていたんです。それで千里は彼女が高校2年の時、2007年の4月に京平と会って、お母さんになってあげる約束をしたと言ったんです」
 
私は意味が分からなかった。
 
「その時千里は言ったんです。自分は子供を産めないから、代わりに私に父親になって欲しい。私を父親として生まれた最初の男の子に京平という名前を付けてくれたら、それは自分と私との子供だと」
 
私はどう反応していいか分からなかった。
 
「そして千里は2009年の12月に私を京平に会わせてくれたんですよ」
 
この人は何か夢でも見ていたのだろうか? こんな話、夢でなければこの人は頭がおかしくなっているのではと私は思った。
 
「その後、私と千里と京平は何度も3人で会いました。そして京平は2015年に生まれてくることを予告していたんです」
 
私はこの話に困惑した。
 
「阿倍子とは2012年の春に会いました。彼女、実は自殺しようとしていた所を私が助けたんです」
 
そんな話があったのは私も知らなかった。
 
「阿倍子は前の旦那と別れたばかりで。どうしても子供ができないことから離婚されたらしいんです。何度も体外受精を試みたのに子宮に着床してくれない。10回目の挑戦でやっと着床したものの、5週目(=受精後3週目)で流れてしまって。その後、前の旦那のお母さんと険悪になってしまって、離婚になったらしいんです」
 
「あんた本当に女なの?実はオカマなんじゃないの?とか言われたらしいです。実際当時、阿倍子は自分が本当に女なのかというのも自信を失っていたらしい。色々悩んで、さすがに自分は女だとは思うけど、子供は産めないようだし、これでは他の人と結婚してもまた離婚される。そんな思いから、もう死んでしまおうと思ったらしいんです」
 
「僕は言いました。妊娠って相性があるから、たぶん前の彼との精子卵子の相性が悪かったのではないかと。別の彼とならきっとうまく行くと」
 
「それで彼女を慰めている内に、ついセックスに近いことをしてしまって」
 
私はその状況では細川さんを責められない気がした。その場でセックスまでしていなかったら、阿倍子さんは再び自殺したかも知れない。ん?いや今、セックスに近いことと言った??セックスではないのか???
 
「それで何となく阿倍子と交際しているかのような状態になってしまって。結果的には千里と二股状態になってしまったのですが、その状況に陥っている時、阿倍子が言ったんです。他の人となら子供が作れるかも知れないと言うのなら、私と子供を作ってくれないかと」
 
「それで結婚なさったんですか?」
と私は訊いた。
 
「拒否したら自殺しそうで、私も悩んでいた時に、唐突に千里が『しばらく会えないかも知れない』とメールしてきたんです。どういうことなのかと思って電話しても取ってくれないしメールしても返事をくれないので、とうとう千里のアパートまで直接会いに行きました。それで阿倍子とはどういう関係になっているのかと聞かれたので正直に状況を説明しました。そしたら千里は阿倍子と結婚していいよと言ったんです」
 
私は目を瞑って考えた。その時期というのは、たぶん千里が「性転換手術を受けた」と主張していた時期だ。千里は実際、高岡の桃香の実家や千葉のアパートでほとんど寝ていたのではないかと思う。そして桃香と密かに結婚式をあげた時期ではなかろうかとも思った。千里も当時は細川さんに愛想を尽かしていたのかも知れない。いや逆だ。きっと細川さんが阿倍子さんと結婚したいと言ったから、千里は桃香の愛を受け入れて結婚式を挙げたんだ、と私は思い至った。
 
「それで千里とはお互い友だちに戻ることを同意して。千里は私に結婚祝いまでくれたんですよ。本当は友人として結婚式に出たいくらいだけど、奥さんに悪いから、お祝いだけあげると言って」
 
「それで阿倍子さんと結婚式を挙げられたんですね?」
 
「ええ。最初は2012年中に結婚するつもりだったのですが、阿倍子のお父さんが亡くなってしまって。一周忌を待ってから式を挙げました」
 
青葉が一度言っていた。千里が2013年頃に随分落ち込んでいて、得意なはずの車の運転さえも控えていた時期があったと。私はそれがこの細川さんが結婚式を挙げた時期なのではと私はこの時思った。元彼に結婚を勧め、自分も桃香と結婚式まで挙げはしたものの、千里は完全には細川さんのことを思い切ってしまうことができなかったのかも知れない。人の恋愛感情というのは凄く難しい。
 
「阿倍子とは最初から自然妊娠は無理だろうと考え、お医者さんの指導のもと色々な不妊治療をしました。それで人工授精を何度か試みて、やはり無理なようだから体外受精にしましょうという話になり、それで最初私の精子と阿倍子の卵子で体外受精を試みたものの、どうしても受精卵が育ってくれないのです。分裂を始めてもすぐ停まってしまうんですよ」
 
「それで生殖細胞を借りることにしたんですね?」
 
「はい。私の精子の代わりに、私には兄弟が居ないので、私の父の精子、従兄の精子などで試してみたものの、どれも受精卵が育ちませんでした」
 
「それやはり阿倍子さんの卵子に問題があるのでは?」
「医者もそう言っていました。でもそんな時に話を聞いた千里が『この精子で試してみて』と言って冷凍精子のアンプルを持って来てくれて。それで試してみたら、初めて受精卵が育ったんですよ」
 
「へー! それは誰の精子だったんですか?」
「千里は自分の精子だと言いました。でもあり得ないと思うんですよ」
「うーん・・・」
 
千里は去勢前に精子をかなりの数冷凍保存したと言っていた。その1本を持ち込んだ可能性はあると思う。しかし千里が生まれた時から女だったというのは眉唾だとしても、本当に千里に精子を作る能力があったのかはかなり疑問だと私は思った。あの子は、青葉などと同様、第二次性徴発現前に去勢したとしか思えないので、精子を作れたはずがない気がするのである。
 
「でもその受精卵を阿倍子の子宮に2個入れてみたものの、2個とも流れてしまいました」
 
これは多分千里が昨年秋に「体外受精に失敗した」と言っていた時の話ではなかろうか。
 
「それでやはり卵子を借りようということになって。でも阿倍子には女の親族が全く居ないんですよ。実は以前お母さんの卵子でも試してみたこともあったのですが、そもそも受精もしてくれなくて。無理矢理顕微鏡受精させた卵子も分裂を開始してくれませんでした」
 
「さすがにお年ですしね」
 
「ええ。それで私は千里に頼んだんです。千里の卵子を貸してくれと。千里の卵子と私の精子を受精させれば本当に当初の予定通り、京平は私と千里の子供として生まれて来ます」
 
「自分の愛人の卵子を使うことに細川さんは罪悪感は無かったのですか?」
と私はストレートに尋ねた。
 
「阿倍子には悪いとは思いました。でも、阿倍子にはとにかく妊娠出産というものを体験させたかったんです。そうしないと、あいつまた死ぬと思ったから」
 
私はこの時感動していた。細川さんもちゃんと奥さんを愛していたんだ。奥さんがどうしても子供が産めなくて、それでそのことで死の誘惑に取り憑かれている。その奥さんを救うためには本人に出産させるしかなかった。でも本人の卵子ではどうしても妊娠できない。それで他の人の卵子を借りる。でも阿倍子さんに女の親族がいないのなら、確かに愛人の卵子を借りるのは「次善の選択」だ。
 
でも千里、卵子あるんだっけ???
 
「千里は『阿倍子と同じ血液型の女性に提供させる』と言い、卵子採取の現場に私が立ち会わないこと、誰の卵子かを詮索しないことというのを条件として卵子の提供をしてくれました。ですから私は本当は誰の卵子を取ったのかは知りません。医者も守秘義務によって私にも阿倍子にも卵子の提供者については語りません。でも私は千里が提供してくれたことを確信しています」
 
私は悩んだ。千里に本当に卵子があるのであれば、千里が提供した可能性が高い。でもそれはやはりあり得ない気がする。次に考えてみたのは、実は桃香が提供したのではないかというもの。しかし自分の浮気相手のことで千里が桃香に協力を求めるというのも考えにくい。その卵子は本当に誰のものなのだろう?
 
「阿倍子さんと千里は同じ血液型なんですか?」
と私は尋ねた。
 
「はい。どちらもAB型なので、千里の卵子を使ってもABO式の血液型では阿倍子と京平の親子関係に矛盾は発生しないんですよ」
 
「細川さんの血液型は?」
「B型です。ですから、AB型卵子との組合せでは、AB型・B型・A型は生まれる可能性がありますが、O型だけは生まれる可能性が無いんです。実際には京平の血液型はA型です」
 
「なるほど」
 
「一応、前回受精卵が育った千里が持ち込んだ冷凍精子と阿倍子の卵子の組合せ、そして今回提供してくれた人の卵子と私の精子を組み合わせたものを作って、どちらも細胞分裂を開始してくれたので、2個とも子宮に投入したのですが、片方はすぐ流れてしまいました。そして1個だけが育って、何度か流産の危機はあったものの、何とか6月まで持ちこたえてくれて、京平が生まれました」
 
私は頭の中で考えた。その精子が千里の精子であったとした場合、AB型とAB型の組合せでは、やはりAB・A・Bが生まれる可能性があるものの、O型は生まれない。どちらにしても矛盾が起きないようになっている。
 
「でもそれ、たぶんその誰かの卵子と細川さんの精子を組み合わせたものの方が育ったんでしょうね」
 
「だと思います。その件に関しては、私も阿倍子も、そう確信しています。DNA鑑定はしないことにしていますから半ば信仰ですけど」
 
「そういうことだったら、奥さんをもっと大事にしてあげましょうよ。少なくとも京平君が2〜3歳くらいになるまでは浮気を我慢しませんか?」
と私は言った。
 
「いや、ほんとにその件は面目ないです」
「どうしても奥さん以外の女性としたくなったら、せめて千里とするとか」
 
と私は言ったのだが、
 
「させてくれないんですよ!」
と細川さんが言った。
 
「私が他の女性と結婚している限り、絶対にセックスには応じられないと言うんです、あいつ」
 
私は吹き出した。
 
へ〜! てっきり千里は細川さんとたくさん寝ていると思っていたのに。でも千里、細川さんと結構密会してるよね!? 密会してセックスしないのなら一体何をしているのだろう???
 

ちょうどその時、お店の人が「パーティーバーレル2つお待たせしました」
と言って、大きな袋を持って来た。私は「ありがとうございます」と言ってそれを受け取ったが、今細川さんから聞いた話で受けた感動を音楽にしたくてしたくて堪らなかった。
 
細川さんに「何か紙を持っていません?」と尋ねるが、彼が渡してくれた紙はいやに少女趣味のレターペーパーだ。
 
「あ、いや、それ千里がこないだ合宿所に忘れて行っていたものをスタッフの人から預かったのですが、使ってしまってもいいと思うので」
と言い訳がましく言う。
 
恐らくふたりの関係はけっこう多くの人に知られているのだろう。しかしこれ報道機関とかにバレるとスキャンダルになるぞと私は心配した。
 
ともかくも私は微笑んでそのレターペーパーを受け取り、心の中に沸き上がってくる思いを、音符として書き綴って行った。
 
その曲を私は、数日後に政子が奈緒との合作で作った『たまご』という詩に合わせる楽曲の中核として使用することにしたのである。
 
 
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【夏の日の想い出・たまご】(下)