【夏の日の想い出・ダブル】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-12-19
龍虎はその日は夏休み中の登校日だったので、学校に出てから放送局に入り、スタジオでドラマの撮影に臨む予定であった。
朝礼、その後そのままホームルームとなって先生のお話を聞いた後、9月の体育祭でおこなう組み体操の練習をするという話であった。それで男子は奇数組の教室、女子は偶数組の教室で体操服に着替えてから練習に行く。
龍虎が2年3組の教室で着替えていると
「友利恵ちゃん、女子と一緒に着替えなくていいの?」
などと声を掛けてくる男子が居る。
友利恵というのは、龍虎がドラマで演じている女子中学生の役名である。龍虎はこのドラマで1人2役で、中学3年男子の佐斗志と、中学1年女子の友利恵という兄妹の双方を演じているのである。
「僕は別に女子と着替えてもいいけど、**君、女子と一緒に着替えたいの?」
と龍虎が冷静に答えて少し強い視線を投げかけると、その子は黙ってしまった。
龍虎が学生服上下にワイシャツを脱ぐと、その下には白いシャツとグレーのトランクスを穿いている。そして龍虎はその上にスポーツバッグから取り出した体操服を着た。学生服上下とワイシャツはバッグに入れる。
男子は校庭に集まるようにということだったので、そのまま校庭に集まる。女子は体育館でダンスの練習をするようである。
龍虎は体重が軽いので、3人で作った台の上に乗るフォーメーションで練習をしていた。
「龍虎けっこう運動神経がいいじゃん」
「バランス感覚はいいね」
などと下になっている男子たちから言われる。下の台になっている子たちが動いても、龍虎はほとんどバランスを崩さずにちゃんと姿勢を保っている。他の組ではけっこう上の子が落ちてしまうケースが頻発していた。
「バレエとか習ってたからかも」
「バレエって白鳥の湖のオデットとか?」
「男役だよぉ」
「なんだ」
それでしばらく練習していたのだが、30分くらいした時、女子体育の古賀先生がやってくる。
「あ、いたいた。龍虎ちゃーん。ちょっと女子の方手伝ってよ」
などと声を掛ける。
「なんでですか?」
と龍虎が戸惑うように言う。
「女子のダンスでさあ、最前列で踊る10人にバク転をさせるんだけど、できる子が今2人しか居ないのよ。それで男子から2人くらい調達しようと思ってさ。鳴海先生、田代龍虎と、ついでに西山栄太をこちらに貸してくれませーん?」
「本人達がよければ」
と男子体育の鳴海先生。
「僕はついでなんですか〜?」
と西山君が不満そうな声をあげる。
「西山君、バク転できるよね?」
「できますけど」
「それで身長があまり高すぎないから、女子の中に埋没できるのよ」
「まあいいや。してもいいですよ」
「龍ちゃんもバク転できるよね。こないだドラマでやってたし」
「できますけど」
「じゃ、龍ちゃん、西山君、よろしく〜」
「先生、なんで田代は名前呼びで僕は苗字呼びなんですか?」
「うーん。なんでだろ?」
と古賀先生自身も分からないようだ。
ともかくもそれで2人は先生について体育館に行くが、いきなりスカートを渡される。
「これ穿いてね」
「スカート穿くんですか〜?」
「女子だもん。ズボンはそのまま穿いてていいから」
他の女子たちもハーフパンツの上にスカートを穿いている。
それで西山君は渋々と渡されたスカートを穿こうとしたのだが・・・・
「ファスナーが上がりません」
「ああ。女子の身体に合わせて作ってあるからなあ。今度調整しとくから、今日はファスナー上がらないまま穿いててよ」
そんなことを言っていたら龍虎が
「すみません。このスカート落ちちゃいます」
と言う。
「うーん・・・」
「ウェストが余りすぎるのか」
結局龍虎はSサイズのスカートで何とかなった。西山君の方はLでもファスナーまでは上げられないようである。
龍虎と西山君はそれで最初最前列に並ぶ女子の両端で踊っていたのだが、他の女子たちから声が出る。
「龍ちゃん、真ん中がいいと思います」
「ダンス凄いうまいもん」
「龍ちゃん、バレエ習ってたらしいから」
と小学生の頃から知っている子から声が出る。
「それで動きがいいのか」
「じゃ龍ちゃんここに入って」
「えー?でも僕男の子なのに」
「龍ちゃんは女の子の仲間でもいいもんねー」
「僕は?」
と西山君が言うと
「仮免女子ということで」
「スカート穿いてもいいけど、女子トイレには入らないでよね」
などと女の子たち。
「龍虎は仮免じゃないわけ?」
「龍ちゃんは普通の女の子免許だから、女子トイレに入ってもいいからね」
「遠慮します」
と龍虎は困ったように言った。
それで練習が終わり、着替えに戻ることにする。
最初西山君と龍虎がスカートを穿いたまま2年3組の教室に入っていくと、
「わっ」
という声が上がる。
「何だ西山か」
「女子が入って来たかと思った」
「参った参った。まさかスカート穿かされるとは思わなかった」
「スカートにハマったりして」
「ちょっと興味無いこともない」
「おぉ」
「いや、お前らもスカート穿いてみたいとか思うことない?」
「無い無い」
「西山、オカマの素質があるのでは?」
そんなことを言いながら西山君は着替えていたのだが、龍虎が何か困ったように探している様子なので、西山君は龍虎に声を掛けた。
「田代、どうしたの?」
「僕の着替えを入れたバッグが無い」
「あ、女子の南川(彩佳)が持って行ったんだよ」
と親切な子が教えてくれる。
「え〜?」
「4組に来いって言ってた」
「4組は女子が着替え中では?」
「いや多分田代ならそこに入って行っても何も言われない」
「うっそー」
それでおそるおそる龍虎が4組の教室の前で
「ごめーん。誰か。僕田代だけど、僕の着替えのバッグ無い?」
と声を掛けると、ひとりの女の子が戸を開ける。同じクラスの桐絵だ。
「龍ちゃん、着替えはこっちこっち」
と行って、龍虎の手を引いて中に連れ込む。
「勘弁して欲しいなあ」
と言いながら龍虎は彼女に付いていくが、龍虎は他の子たちが着替えているのをあまり気にしていないし、他の女の子たちも龍虎が入ってきたことを気にしない。
見慣れたスポーツバッグがある。
「じゃ、持って行くね」
と龍虎は言ったのだが
「ここで着替えればいいよ」
と桐絵は言う。
「うーん。ま、いっか」
と龍虎も言って着替えることにする。まずは体操服を脱いで下着姿になり、バッグを開けてワイシャツを取り出す。
「龍ちゃん、今日は男の子下着付けてんの?」
「そうだけど?」
「女の子下着付ければいいのに」
「なんで〜? 僕男の子なのに」
「でも女子の更衣室にいるし」
「ごめーん。僕、やはり向こうに行って着替えるね」
と言って龍虎はバッグを持とうとするが
「ううん。龍ちゃんはここでいいんだよ」
とみんな言う。
それでワイシャツを着ていたのだが、それを着る時に何か違和感があった。あれ??何だろう?
龍虎はその違和感に首をひねりながらワイシャツを着てしまった。そしてズボンを取り出そうとしたのだが・・・・
「あれ?なんでスカートが入ってるんだろう?」
と言いながらズボンを探すのだが、入っていない。それどころかセーラー服の上まで出てきた。
「なんで女子制服がここに入ってるんだろう?」
「女子制服があるんだから、女子制服を着ればいいんだよ」
と彩佳がニヤニヤしながら言う。
「あ〜?彩佳のしわざか!? 僕の男子制服返してよ」
「今日は放送局に行かないといけないんでしょ? 早く行った方がいいよ」
「う・・・・」
確かにダンスの練習時間が少し延びたので、やや時間が押しているのである。ここで彩佳と問答をしている時間が惜しい。
「もう。仕方ないなあ」
と言って龍虎はそこにあるスカートを穿き、セーラー服を身につけた。
「可愛い!」
「やっぱり龍ちゃん、女の子にしか見えない」
「2学期からはそれで通学しておいでよ」
といった声があがる。
その時、4組の教室の外で声がする。
「アクアちゃんいる〜?」
マネージャーの鱒渕水帆さんだ。
「はい。今行きます」
と答えて、龍虎はバッグを持つとそちらに駆け寄り、教室のドアを開ける。
「あら、今日は女子制服着てるんだ?」
「ちょっと色々事情があって。じゃ、みんなさようなら〜!」
と龍虎はみんなに笑顔で手を振ると鱒渕さんと一緒に玄関の方に向かった。
龍虎が行った後の教室では着替え中の女子たちから
「ね、彩佳、龍ちゃんの男子制服廃棄しちゃわない?」
「うん。そしたら女子制服で通学せざるを得なくなるのでは?」
「ふふふ。どうしようかな」
と彩佳は若干迷うように答えた。
放送局に着いた龍虎はスタジオに入っていき
「おはようございます。遅くなりました」
と一同に挨拶する。
「おはよう。まだ倉橋君とかも来てないし。あと20-30分経ってから始めるから台本読んでて」
と監督が言う。
龍虎が女子制服を着ていることは誰も気にしていないようだ。
「はい」
と彼が答えた所に、セーラー服姿の西湖(せいこ)ちゃんが寄ってくる。
「おはようございます、アクアさん、これ今日の台本です。5ページから8ページに掛けてが前もって渡されていたものと書き換えられています」
「おはようございます。ありがとう西湖ちゃん」
と言って笑顔で受け取る。彼は龍虎と背丈も体付きも似ているので、龍虎のボディダブルを務めてくれている。友利恵と佐斗志の双方が出る場面では必須の存在である。もっとも彼は顔を撮されることもないし、セリフもシーンで会話を成立するためには話すもののそれが放映されることはない。
「それ、アクアさんの学校の制服ですか?」
「そうそう。今日は登校日で体育祭の練習やっててさ。終わってから制服に着替えようと思ったら、友だちが僕の男子制服隠してて、代わりにこれしか無いから、仕方なくこれ着て来た」
「親切ですね」
「う、やはり親切なのか」
「それいじめではない気がします」
「うん。いじめじゃないと思うよ〜。僕も女の子の服、嫌いじゃないしね」
とアクアも笑顔で言う。
「アクアさんもですか? 僕も最近ずっとこのお仕事で女の子の服を着てるとなんか普段でも女の子の格好で出歩いてみたい気分になっちゃって」
と西湖が言う。
「西湖ちゃん、お互い人生を誤らないようにしよう」
「僕もそれが怖いですー」
「なんかお前たち、2人とも言葉が女言葉になってないか?」
と近くで聞いていた若手の役者さんが言った。
「う・・・」
「そうかも〜」
「女言葉って癖になるのかもー」
それでアクアは、まずは台本に指定されている最初のシチュエーションで着る衣装に着替えるのにセーラー服を脱いだ。
「あ、やはりセーラー服の下はブラウスなんですね」
「ん?」
と言ってアクアは自分が着ている服を見て、初めてそれがブラウスだったことに気づいた。
「ワイシャツ着たつもりだった!」
「僕も最近男物も女物も着てるから、ボタンが右前でも左前でも全然気にせず着ちゃう感じなんですよ」
「あ、アクアちゃん、最初の撮影シーンは友利恵ちゃんの方だから、下着も女の子の付けてくれる?」
と助監督さんが言う。
「はい、分かりました」
と言って、鱒渕さんが用意してくれていた着替え用バッグの中から女の子用のショーツとブラジャーを取り出し、衝立の後ろで着替えた。
やはり男物の下着で女の子の服を着ても、いまひとつ女の子っぽい演技ができないのである。女の子役をする時は全身女の子にならないといけないみたいだなあ、とアクアは思っていた。
そしてそのブラ&ショーツの上に、衣装のチュニックとミニスカートを穿いて出てくる。友利恵用のウィッグも付ける。
「アクアさん、やはり可愛いです」
と西湖。
「なんかハマっちゃいそうだよねー」
とアクアは笑顔で答えた。
2015年の夏、私と政子はスターキッズと一緒にスタジオに籠もりローズ+リリーのアルバム『The City』の制作を進めつつ、時々「表」に顔を出していた。
7月30日まで収録曲の『摩天楼』の制作を、ちょうどこちらに出てきた青葉も入れて行い、31日にはブラジルから来た「男の娘デュオ」ドーチェス・フロコスとの対談をした。
そのあと8月上旬は『ハンバーガー・ラブ』という曲の制作を進めた。
そして8月8日には三浦半島で今年もサマーロックフェスティバルに参加し、翌日9日には大阪で行われた山村星歌のライブにゲスト出演した。
当日は、私たちの専任ドライバー佐良しのぶさんが運転するエルグランドに乗って会場に向かった。衣装や楽器などをけっこう積み込んでいる。
「え?ケイさん、まだこの車一度も運転してないんですか?」
と佐良さんは驚いたように言った。
「試運転みたいなのを何度かした程度で、まだ公道を1km以上走った経験が無いです」
と私は言う。
「私のリーフは結構運転してるよね?」
と政子が言う。
「うん。そちらは結構都内の移動に使ってる」
と私。
「確かに都内程度の移動だと小さい車の方が便利かも知れませんね」
と佐良さん。
「そうなんですよ。大して荷物も無いし」
と私。
「千里も日常はミラ使って、遠出にはインプレッション使ってるね」
と政子。
「インプレッサね」
「あ、それそれ」
「でも買い直すらしいよ。あの車も30万km近く走ってもう限界らしい」
と私は言う。
「へー」
「こないだの小浜までの往復が事実上最後のお務めだったらしい」
「なるほどー」
「あれ矢鳴が、そんな長距離運転は連絡して下さい!と言ってました」
と佐良さんが言う。
彼女たちが他の担当さんのことを言うのは異例だが、私たちと千里との関係を認識した上での発言だろう。
「最初新幹線で行くつもりだったのが、葬儀の時間が早くなったので苗場に寄って上島先生たちを拾ってくれと急に言われたので、連絡する時間的余裕が無かったからと言ってましたね」
と私は言う。
「ただこれ私の想像ですけど、6年間乗った車とのお別れだからずっと自分で運転したかったのかも知れませんけどね」
と私は付け加える。
「なるほど、そういう事情があったんですかね」
と佐良さんは言った上で
「しかしオーストラリアで合宿で毎日激しい練習をしている所で日本に戻ってきて、車を800kmひとりで運転して、そのあとお葬式の裏方を3時間やった上で更に500km運転するとか、物凄い体力ですね」
と付け加える。
「後から私もそれ思ったのですが、帰り道私が2時間ほど運転を代わっただけでも結構違ったのではないかと思いましたよ」
と私。
「そういう長時間の運転の時って、あと少しとなった時がいちばん危ないから、ケイさんが帰り道の賤ヶ岳から浜松まででしたっけ? そのあたりの区間を代わってくださったのは、凄くタイミング的に良かったと思いますよ」
「浜松のひとつ前の新城まででした。さすがにその2時間は熟睡していたようでした。私が最初声掛けても起きないから、実際浜松SAまでもう一区間私が運転しようかなと思ったくらいでしたから」
「結局千里が寝てたのは往復の飛行機の中と、苗場で少し待機していたのと冬が運転していた2時間だけみたいね。凄い体力だよね」
と政子。
「やはり日本代表になるほどのスポーツ選手の体力って凄まじいんでしょうね」
と佐良さんは言う。
「特にバスケットは野球などと違って40分間走り続けますからね。まあ選手交代はするけど」
と私。
「それでも千里、代表から落ちちゃったね」
と政子が言う。
「うん。本人は『落ちたー』と明るく言ってた。でも落ちても結局オリンピック予選が終わるまで代表チームに帯同して練習相手になるらしいよ」
と私。
「へー」
千里たちはまだ合宿でニュージーランドに居るのだが、その合宿の途中の8月4日に、今月13-16日に行われる「東日本大震災復興支援バスケットボール日本代表国際強化試合2015」に出場する日本代表12名が発表された。そしてそこに千里の名前は無かったのである。現在ニュージーランドでは20名の選手が合宿をしているのだが、落ちた8名も8月29日からのオリンピック予選が終わるまでずっと代表チームと行動を共にすると、千里からは聞いている。
「4年前のオリンピックの時も予選前日に落とされたものの、予選が終わるまでずっとチームと一緒だったらしいし」
と私は言う。
「スポーツの世界は厳しいですね」
と佐良さんはため息をつくように言った。
そんな話をしながら佐良さんは高速を降りて国道16号を南下していたのだが、十字路の交差点で赤信号で停まった後、青信号に変わったのに佐良さんは車を発進させなかった。後ろの車がクラクションを鳴らす。政子が「どうかしました?」と言い、佐良さんが「いや・・・」と何か言いかけた時、交差する道路を信号無視して凄まじい速度で左から右へ通過していった車があった。
反対側から青信号になったのを見て交差点内に進入してきていた先頭の車が急ブレーキ・急ハンドルで、ギリギリその車を避けたものの、中央分離帯の街路樹に激突してしまった。
他の車もいっせいに急ブレーキで停止する。
「失礼します」
と佐良さんは声を掛けて車から飛び降りる。私も政子に「車内に居て」と声を掛けて車を降り、街路樹にぶつかった車の所に駆け寄る。他にも数人降りてきたし、通行人も何人か駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
と佐良さんが車内の人に声を掛ける。乗っていたのは50代の女性ひとりである。
「ええ。何とか」
「お怪我は?」
「大丈夫みたい」
運転席のドアが曲がってしまったようで降りられないと言うので、助手席側から降りればいいですよとアドバイスする。「あ、そうか」と言って女性は降りてきた。本人の外見を見る限りは怪我しているようにも見えない。
「あの車のナンバー写真撮りましたよ」
とひとりの男性が言う。この人は通行人だったようである。
「警察に通報しましょう」
本人も怪我はしていないようだということで、その写真を撮った男性と私たちだけが残り、他の人たちは各々の車に戻って、交差点はまた流れ始めた。警察は7-8分で到着し、事故の原因を作った信号無視の車は緊急手配されたようであった。やがてJAFも到着した。私たちは警官に簡単に事情だけ聞かれ、事故から20分ほどで解放された。
それで車に戻って再び会場を目指した。
政子が佐良さんに言う。
「あれ、青信号になったところで発進していたら、この車、完璧に横からぶつけられていましたね」
「ええ。あのスピードで激突されたら、行き先が病院か、下手したら天国になっていたところでした」
と佐良さん。
「なぜあそこですぐ発進しなかったんですか?」
と政子が質問すると
「目の端に左から猛スピードで走ってくる車を見たんです。あの車、停まらずに突っ込んでくるかもと一瞬思ったので、車がきちんと信号で停止するのを確認してから発進しようと思ったんですよ」
と佐良さんは説明する。
「あ、だるま運転と、かもしか運転ってやつですかね?」
と政子。
「だろう運転と、かもしれない運転」
と私は訂正する。
「ええ。そうです。あの車はきっと信号で停まってくれるだろう、という発想は危険なんです。あの車はもしかしたら信号で止まらないかも知れない、と考えることによって事故を避けることができるんですよ」
と佐良さん。
「こういうのベテランドライバーほど危ないんだよね」
と私は言う。
「ですね。妙な慣れが、思わぬ事故につながるんです。他のドライバーの動きが《いつもの通りだろう》と想像するのは事故の元です。あのドライバーは突然思わぬことをするかも知れない。むしろ世の中のドライバーは全員頭がおかしい、くらいに思っていた方が安全に運転できますよ」
と佐良さん。
「だけど恋愛でも似たようなことあるかもね」
と政子。
「そうだね。彼は私のこと好きなのだろうと勝手に思い込むと違っていた時に失恋のショックが大きい。彼は別に私のこと気にしていないかも知れない、というのも頭の隅に置いておいたほうが、彼といざ話しをすることができた時に頑張れるかもね」
と私。
「よし。『だるま恋愛・かもしか恋愛』という詩を書こう」
と言って政子はボールペンと最近お気に入りのジャポニカ学習帳を出して詩を書き始めた。結局、だるま・かもしかのままなのか!?
「そうだ。男の娘の場合は『女の子だろう』と思われるのがハイレベルで、『男の子かも知れない』と思われてしまうのは、まだ修行が足りないよね」
「どういう修行なのさ?」
サマーロックフェスティバルはA〜Fの6つのステージで分散開催される。
A(植物公園野外劇場)8万人 人気ロックバンド中心
B(歴史の町A広場)5千人 ソロ歌手・少人数歌唱ユニット中心
C(歴史の町B広場)2千人 インディーズの実力派など
D(高校グラウンド)3千人 アイドル中心
E(高校体育館)千五百人 フォーク系などPAを使わないユニット
F(市体育館)1万人 実力派バンド中心
ローズ+リリーは2009年以降毎年出場を打診されていたもののマリの精神状態の問題でお断りしてきたのだが、2012年に突発出場した後、2013年以降は毎年正式出場している。KARIONは2009年以降毎年出ている。
2009年はまだ「横須賀歌謡フェスティバル」の名前だったが、KARIONのみ出場した。私とマリは手違いがあって「横須賀ロックフェスティバル」の方を見に行ったのだが、私は途中でそちらの会場を抜け出し、歌謡フェスティバルの演奏に参加した。2010年から両者は統合されて「サマーロックフェスティバル」の名前になったのだが、この年はマリは客席で見学、私はスカイヤーズの代理ボーカルを務めるとともに、KARIONの演奏にも参加している。
2011年はKARIONの演奏に参加しつつ、マリと2人でポーラスターに紛れて、ふたりでAYAの伴奏をした。
2012年は出る予定は無かったのだが、Bステージで出場するはずだった歌手が交通事故のため突然出場不能になった時、マリが「代わりに出ない?」と町添さんから言われたのに対し「いいですよ」と答えたので、急遽ローズ+リリーのライブが入れられた。
そして2013年は初めての正式出場となり、Bステージのトップバッターで歌ったが、その次がKARIONだった。私はこの年はローズ+リリーだけに出てKARIONのステージには参加しなかったのだが、KARIONのアンコール曲『Crystal Tunes』を私とマリで演奏した。
昨年2014年はKARIONはBステージ午前中の最後、ローズ+リリーは同じBステージのラストで初めて私はきちんと両方に出演した。
なお私は2009-2012年のKARIONの演奏では、どこかに隠れて演奏したり、あるいは顔を隠して伴奏者のふりをして歌ったりしている。昨年初めて、ちゃんと和泉たちと並んで4人でステージに立った。
今年はKARIONはBステージ午後のトップで、ローズ+リリーはAステージの19:00から。最後から3番目である。Aステージのローズ+リリーの後は20:00からEliseの産休明けで活動再開したスイート・ヴァニラズ、そしてラストを飾るヘッドライナーは今年はバインディング・スクリューである。
私と政子が「Aステージ」のある植物公園に到着したのは8:40頃である。本来は8:20に到着する予定が交差点の暴走車の事故のおかげで30分遅れた。それで途中10分ほど休憩する予定の所を休憩せずにそのまま走って時間を短縮し、この時刻に到着した。
「良かった、間に合った」
と政子はキラキラした目で言う。
私は政子と手をしっかり握って人の波に乗り、Aステージに向かう。ステージに到着したのが8:55頃である。演奏は9:00からなのだが、私たちが行った時は機材の設置が終わり、スタッフの手で音の確認などがなされていた。
定員8万人のAステージの観覧エリアがほぼ満員である。そして警備員もかなりの人数が動員されていた。制服のガードマンだけでもおそらく200人を越える。更に私服の警備スタッフも入れると600-700人の警備陣がいるのではないかという感じだ。ステージには制服のガードマンが6人も立っている。ステージ下にも8人居る。
9:00。
ゴールデンシックスのメンバーが6人出てくると、大きな拍手が沸き起こる。彼女たちが各々の楽器の所に就いた後、金色の衣装を着けたアクアが出てくると黄色い声がこの大会場にこだました。
「凄い歓声だね」
と政子が言うが、私もここまで興奮した大観衆を見たのは初めてだと思った。
なお、今年バンド以外でAステージに出るのはアクアとローズ+リリーのみである。
「こんにちは、アクアです」
とアクアが挨拶すると観客の興奮度が更に増す。
「皆さんにお願いがあります」
とアクアは言った。
「ふつうのポップスのライブではみなさん立って踊ったりしながら聴くことが多いと思いますが、今日はひじょうにたくさんの方がここに入っています。演奏中に踊っていた場合に、誰かがバランスを崩したのをきっかけに将棋倒しなどの事故が起きたら大変です。それで申し訳ないのですが、今日の私のステージでは、みなさん、草むらの上に座って聴いて頂けませんでしょうか?」
先日の苗場でのステージでは、興奮した観客がステージに登ってきて楽器を壊し、伴奏していたゴールデンシックスのメンバーが怪我する事態まで起きている。そのため今回は大幅に警備員を増員したのだが、それでも何か起きた時には1000人程度のスタッフではとても制御できないし、今アクアが言ったように将棋倒しなどが起きたら死者が出る危険もある。
そこで座って聴いてという要請になったのである。
カノンが出てきて自分のマイクで言う。
「ということで、今彼女が言ったように」
と言ってから
「もとい!彼女じゃなくて彼が言ったように」
と言い直すと、会場から爆笑が起きる。
「皆さん座りましょう。は〜い、Sit Down please, Asseyez-Vous s'il vouz plait, 請坐(チン・ズオ)、アンジュセヨ、もひとつおまけに座ろうね」
それで会場の観客が一斉に座る。立っていて満員状態なので、座るとどうしても濃度が過飽和になる感じであったが、隣同士・前後で少しずつ譲り合って何とか全員座ったようである。
「じゃ演奏中は立たないでくださいね〜。座ったまま拍手よろしく〜」
とカノンは言ってから
「じゃ1曲目はアクアちゃん、自分で紹介してね」
とアクアに言う。
「はい、それでは最初の曲はケイ先生・マリ先生に書いて頂いた新曲で今月12日に発売予定の『ボクのコーヒーカップ』です」
割れるような拍手があり、それが少し収まりかけた所でゴールデンシックスの伴奏が始まる。そしてアクアも歌い出す。
この曲は実は千里が「ケイ風」に書いた曲なので、私はこの曲を聴いていると正直良心が痛む思いだったのだが、近くで囁くような声を聞いた。
「へー、ローズ+リリーの一番ピークの時期のテイストが戻って来てるね」
「うんうん。『言葉はいらない』とか『花の女王』の時期だよね」
「そうそう。あの時期がいちばん良かった」
「他の歌手に渡す曲でここまで品質が戻って来ているなら、また期待できるかもね」
私は緊張した。むろん人によって色々な見方はあるだろう。その中のたった1人の意見かも知れないが、2013年頃に出した曲がいちばん良かったと言われると、自分の曲作りの仕方について、再度考えてみたくなった。
その後アクアは『ボクのコーヒーカップ』のc/w曲『貝殻売り』(東郷誠一)、デビュー曲『白い情熱』(上島雷太)と歌った後、1980-90年代のヒット曲のカバーを歌う。
『赤いスイートピー』『ストレス』『常夏娘』『世界でいちばん熱い夏』、『White Love』、『LOVEマシーン』
『ストレス』ではミニスカウェイトレスの衣装を着て、お盆を持った女の子が4人出てきてバックで踊った。この4人はアクアが所属する§§プロの研究生らしい。4人は『常夏娘』『世界でいちばん熱い夏』ではウェイトレスの衣装を脱いでビキニ姿になり、『White Love』『LOVEマシーン』では白いワンピースをまとった。
そして最後にデビューCD c/w曲『nurses run』を歌って締めた。この最後の『nurses run』の演奏中には、アクアが出演している『ときめき病院物語』に出演している看護師役の俳優さんが10人ステージに上がってきて、その内の若手2人が実際にステージを端から端まで走るパフォーマンスまでしてくれ、大きな歓声があがっていた。
私はその看護師の群れの中に、西湖まで看護婦の衣装を着て走っているのを見て微笑んだ。この『ときめき病院物語』は9月で終了だが、西湖は10月からの番組では今度は端役ながらもセリフのある役をもらえたらしい。
演奏終了後、私と政子は会場を出る人の波に合わせて動き、植物公園に隣接する歴史の町にあるBステージまで行く。アクアのステージが終わったのが9:50くらいであったが、人が多いこともありBステージに到着したのは10:20くらいであった。控室に行き、KARION,トラベリング・ベルズのメンバーたちと合流する。私たちが行った時、まだ美空が来ていなかったが、10:50くらいに到着した。11:00-11:30が練習時刻に割り当てられていたので練習場所に行き軽く合わせた。
なお、今回政子は「ひとりにすると危ない」というのもあり、トラベリング・ベルズのグロッケン奏者として参加してもらっている。キーボードは美野里、ヴァイオリンは夢美、フルートは風花。今回、主要楽器では「臨時演奏者」ではなく、トラベリング・ベルズの準メンバーという感じのメンツが揃った。
美野里と風花には私の目が届かなかった時の政子の監視役もお願いしている。私と美野里と風花の3人が気をつけていれば、政子をひとりにすることは無いだろうというところだ。
なお、それ以外に和楽器奏者など何人かの応援メンバーをお願いしている。
練習が終わった後は控室に戻ってお昼御飯となるが、政子と美空の前にはお弁当が2個ずつ置かれている。
「え〜?たった、これだけですか?」
などと美空が言うものの
「演奏前に食べ過ぎてはいけません」
とマネージャーの北嶋花恋が言う。花恋もKARION担当になった頃は、まだ付き人に近いただの雑用係的な動きだったが、さすがに2年もマネージャーをやっていると風格が出てきていて、特にハメを外しがちな美空には結構きついことも言えるようになっている。
「じゃ演奏が終わってから食べ歩きしようよ」
と政子が美空に言う。
「よし、頑張ろう、同志」
などと美空は言っているが、風花が
「政子ちゃん、ローズ+リリーのステージがあるから、過食禁止」
と言う。
「じゃ食べられないじゃん」
と政子が不満を言う。
「じゃ明日の大阪のステージが終わった後なら食べてもいいよ」
と私は言う。
「じゃ、みそりんも明日大阪に一緒に来ない?」
「あ、行く行く。粉もんの食べ歩きだね」
とふたりは食べることなら意欲満々である。
私たちが練習したりお昼を食べていた時間にBステージではAYAの演奏が行われていた。午前中ラストである。なお、昨年このフェスに出たあと事務所とのトラブルに巻き込まれたXANFUSは今年はバンド中心のFステージの方に移動している。Fステージには他にローズクォーツCM, Rainbow Flute Bands, ハイライト・セブンスターズ、ゴールデンシックスなどが出ている。Rainbow Flute Bandsにしてもハイライト・セブンスターズにしても若い世代に人気のアーティストなのでチケットが高額な夏フェスでは必ずしも動員を稼げない。その中でアクアが8万人のAステージをほぼ満員にするのは彼が幅広い世代の女性に人気であることを示す。
Bステージは午前中ラストのAYAのあとしばらくお休みとなる。その間に観客がたくさん出店に列を作っているので、政子と美空が、そちらに行きたそうな顔をしていた。
「あ、あそこの**軒の焼きそば、去年も食べたけど美味しかったのよねー」
などと美空が言うと
「うんうん。私は一昨年食べたけど美味しかった」
と政子が言う。
「1個ずつくらいでよければ買って来ましょうか?」
と∴∴ミュージックの若い制作部員・冴子が言う。花恋もそのくらいならいいよと言ったので、屋台の方に行った。但し食べるのはステージが終わったあとということになる。
「しかし今回は焼きそば投げパフォーマンスができない」
などと美空は言っている。
「千里は今ニュージーランドだからね」
「あれできるのって千里ちゃんだけ?」
「たぶん千里か、あるいは彼女のライバルの花園亜津子さんくらいじゃないかって、薫が言っていたよ。あの技術は世界トップクラスだと思う」
「そんなに凄かったのか」
「その花園さんも千里と一緒にニュージーランドだね」
あと10分ちょっとで開演という時、政子が「あっ」と声を挙げて会場内に向かって走り出す。風花が慌ててその後を追う。政子は男の子をひとり捕まえて戻って来た。政子がその子を捕まえ、風花が政子を捕まえている図である。
「西湖ちゃん!」
と私は声を挙げた。
「おはようございます。天月西湖(あまぎ・せいこ)と申します」
と言って彼はきちんと挨拶する。
「この子は『ときめき病院物語』でアクアのボディダブルを務めているんですよ。体付きが似てるから、アクアが佐斗志君を演じている時は友利恵ちゃんの衣装を着てそばに座り、アクアが友利恵ちゃんを演じている時は佐斗志君の衣装を着てそばに座って身体だけ撮されている」
と私は説明する。
「なるほどー。確かに似たような体型かも」
「年はアクアよりひとつ下の中学1年生」
「へー」
「『ときめき病院物語』は9月で終わっちゃうけど、10月からのやはりアクアが出演する『ねらわれた学園』では、アクアの同級生役で出るんですよ」
と私。
「はい。今回はセリフのある役を頂きました。実際にはたいていは映像に映るだけで、セリフは2〜3回に1言くらいなのですが」
と西湖。
「いや、それだけでもセリフのある役は大きいよ」
と小風が言う。
「芸名は付いたの?」
「まだなんです。8月中には決めてくださるそうです」
「でも芸名が無いと番組のクレジットに表示するのに困らない?」
「いや、クレジットまではしてもらえないので」
と言って西湖は頭を掻いている。
「まあ少しずつ売り込んでいけばいいね」
と和泉。
「でも、せいこちゃんって可愛い名前だし、そのまま芸名でもいいかもね」
と小風は言う。
「いや、可愛すぎて本人としては困っているんですが」
と西湖本人。
「でも、せいこちゃん、声が凄く低い。声だけ聞いたら男の子かと思っちゃう」
と美空が言う。
「え、えっと・・・」
と言って西湖が困っているので、私がコメントする。
「男の子かと思っちゃうって、男の子だから」
「え〜〜〜!?」
「女の子かと思った!」
と和泉も小風も美空も言うので、本人は真っ赤になっている。
「やはり女の子になりたい男の子?」
「別になりたくないですー。ドラマの撮影ではたくさん女の子の衣装着ましたけど」
西湖は今、サマーロックフェスティバルのロゴが入った濃紺のTシャツに7分丈のジーンズを穿いている。髪も芸能活動の都合で(学校の許可を得て)長めにしているので、男女どちらにも見えることは見える。
「でも、せいこって名前は?」
「西の湖と書いて《せいこ》なんです」
「格好いいかも!」
「両親は音で聞いたら女の子の名前と誤認されるとは思いも寄らなかったらしい」
と私。
「音で聞くと女の子の名前に聞こえるというのではアクアの本名の龍虎もそうだけどね」
「ところでアクアの同級生役って、同級生男子の役?同級生女子の役?」
と小風が訊く。
すると西湖が真っ赤になるので、小風たちが顔を見合わせる。
そこに花恋が
「そろそろスタンバイしてください」
と声を掛けたので、私たちは西湖を置いてステージ袖に行った。
13:10。KARIONのステージが始まる。
最初は和楽器の音を強烈に鳴らして『黄金の琵琶』を演奏する。洋楽器の音に慣れた観衆の耳に、和楽器の音は強烈な存在感を感じさせる。それで最初はみんな手拍子も忘れて聞き惚れている感じであった。
演奏が終わったところで4人で
「こんにちは、KARIONです」
と挨拶すると、初めて大きな拍手がある。
それで和泉が伴奏者をひとりずつ紹介していくが、その時
「グロッケンシュピール、中田政子」
と和泉が発言したとき、初めてマリの存在に気づいた聴衆から物凄い歓声と拍手があった。
今日は日差し対策で伴奏者は全員サングラスを掛けていたので、気づかなかった人も多かったようである。
続けてやはり和楽器をフィーチャーして『アメノウズメ』を演奏する。青葉の書いた『黄金の琵琶』はロマンティックな曲であるが、私の書いた『アメノウズメ』はややエロティックな曲である。以前Eliseはこの2曲を評して
「『黄金の琵琶』はキス、『アメノウズメ』はセックス」
と言っていた。
ここで和楽器の人たちが下がって、代わりにコーラス担当のVoice of Heartが入ってくる。そして過去のヒット曲から
『星の海』『海を渡りて君の元へ』『ゆきうさぎ』
を演奏した。
その後、春に出したシングルから『魔法の鏡』『お菓子の城』を演奏する。更に2月に出したアルバムから『アラベスクEG』『フレッシュ・ダンス』と演奏し、最後の『皿飛ぶ夕暮れ時』を演奏していた時。
突然、冴子と実和子の2人でテーブルをステージに運び込んでくるので、何事か?と思う。テーブルの中央には白いテーブルクロスも敷かれている。そして曲のクライマックス、ステージ袖から、いきなり青い皿が飛んでくるので、私たちはびっくりした。チラッと左右に目をやるが、和泉も小風も美空も驚いている風なので4人とも知らなかったパフォーマンスのようである。
皿はピタリとテーブルクロスの上で停止したので、観客から歓声があがる。
そしてそこに何とウェイトレス姿の西湖が近づいて来て、テーブルの上に停止したお皿の上に、さきほど屋台で買ってきた焼きそばをひとつフードパックから移した。
ちょうどそこで曲は終了となり、4人で観客に手を振るが、美空はノリでそのテーブル上の皿を取り、添えてある割り箸を取って一口食べてみせるパフォーマンスをし、それにもまた歓声があがっていた。
それで私たちは退場したが、舞台袖に知らない女性がいるのでどうも仕掛け人っぽい顔をしている花恋に尋ねる。
「ユニバーシアード日本代表シューターの神野晴鹿さんです」
と花恋が紹介する。
「わぁ!日本代表さんでしたか」
「私、千里さんの弟子なんです」
と晴鹿さんは言っている。
「代わりにやってくれないかと言われたんですけど、試してみたんですが、上に乗っているやきそばをこぼさずに皿を停止させるなんて、やはり私にはとてもできないという結論に達して。空っぽの皿なら何とかなるので、それで勘弁してもらいました」
と晴鹿さん。
「それでウェイトレスの可愛いせいこちゃんが出てきたのか」
と政子は、キラキラした目で言っている。
「焼きそばはカップ焼きそばを作って使うつもりだったのですが、屋台の焼きそばを直前に買ってきたので、それを使いました」
と花恋。
「控室に持って行って食べねば」
と美空。
それで皿には取り敢えずラップを掛けてから、みんなで控室に引き上げた。焼きそばは結局10個買ってあったが政子は1個半までと風花から言われたので美空もそれに付き合い、2人で3個。その他、和泉・小風・私に、西湖、晴鹿さん、そして美野里・夢美が1個ずつ食べた。
西湖はウェイトレス姿のまま食べている。
「せいこちゃん、違和感無く女の子に見える」
「最近実はけっこう開き直ってます」
「やはりドラマでは同級生の女子役?」
と訊かれると
「それはすみません。ドラマが始まってからのお楽しみということで」
と西湖は言う。さっきは突然訊かれたので恥ずかしがったのだろうが少し時間が経って、冷静に回答できる心の余裕ができたようだ。
「なんかほとんど答えたも同然という感じだ」
と小風。
「ねぇ、もしかしてアクアも女子生徒の役?」
「それは言ってはいけないことになっているので。済みません」
「おぉ!」
「期待しておこう」
と政子は楽しそうに言っていた。
ローズ+リリーのステージは19時からだが、KARIONのライブ終了後少し落ち着いたところで、私と政子はAステージのある植物公園の方に戻った。西湖はこのあとFステージを見に行くと言っていた。和泉・小風・美空はバラバラであちこち見に行くらしい。
Aステージの控室にはスターキッズの面々の他、応援の演奏者もだいたい集まっている。今回は青葉たち3人が来ていないので、サックスとフルートを誰に頼もうかと言っていたら、鮎川ゆまが「南藤由梨奈と時間帯がかぶってないからしてもいいよ」と言ってくれたので、サックスをゆま、フルートは彼女が率いるレッドブロッサムの幣原咲子さんと貝田茂さんにお願いした。幣原さんはレッドブロッサムでは現在はドラムス担当だが、レッドブロッサムが初期にクラシックを演奏していた時代はフルート担当であった。貝田さんはラッキーブロッサムでフルートを吹いていた。実際にはレッドブロッサムの4人は全員フルートもクラリネットも吹けるらしい。
南藤由梨奈のステージはBステージの15時からになっており、こちらに彼女らが来たのは16時半頃であった。演奏に参加する3人だけでなく、もうひとりのメンバー鈴木和幸さんも見学と称して付いてきた。
「おはようございまーす。お邪魔しまーす」
と言って4人が入ってくる。
「おはようございます。お疲れ様です。よろしくお願いします」
と私も挨拶する。
風花がコーヒーをいれてくれて、4人に出す。
「ありがとう。風花ちゃんと一緒にフルート吹けばいいのかな?」
とゆまは言うが
「済みませーん。私はローズ+リリーの演奏には原則として参加しないんです」
と風花は答える。
「なんで?」
「私はKARIONの伴奏陣にカウントされているんで、混乱を避けるために両方の兼任はできるだけしないようにしているんですよ」
「へー」
「まあ、ローズ+リリーでも過去に何度かは風花に吹いてもらったこともあるけどね。一応交通整理してるんですよ」
と私。
そんなことを言っていた時、ゆまはヴァイオリニストのひとり長尾泰華さんに目を留める。
「タイカちゃん、久しぶり〜」
とゆまが声を掛ける。
「あ、いや。どもー」
と長尾さんは照れてる!?
「あ、知り合いでした?」
「私もタイカちゃんも雨宮先生の弟子」
「え?そうだったの?」
長尾さんは先日の苗場で松村市花さんの知り合いということでヴァイオリンの演奏をお願いしたのだが、ひじょうに上手な演奏者で、今回もまたお願いしていた。七星さんよりずっと上手いし、ひょっとしたら松村さんや鷹野さんより上手いかもと私は演奏を聴いて思っていた。
「でもタイカちゃん、ますます女らしくなってる」
とゆまが言うと
「ゆまさんも、ますます男らしくなってますね」
と長尾さん。
「あはは。先日から2度ほど、スーパー銭湯の女湯で悲鳴あげられた」
とゆまは言っている。
ふたりの会話に政子がピクッとした。
「長尾さん、ますます女らしくなってって、まさか男の娘?」
と尋ねる。
「えーっと、まあそんなものかなあ」
と長尾さん。
「あ、ごめん。それ秘密だった?」
とゆま。
「いや、別に隠してはいないんだけどね」
と長尾さん。
「すごーい。どこまで改造してるんですか? あり・なし・なし?」
と政子が尋ねる。
「えっと、あり・あり・なしです」
と長尾さんは答える。
「全然気づかなかった!」
「何度かKARIONのツアーに参加したこともあったよね?」
「ええ。随分前ですけどね」
「醍醐春海ちゃんとも一緒だったんでしょ?」
「そうそう。ふたりで『あんた女の子にしか見えない』と言い合ってました。ちょっと懐かしいですね」
と長尾さんはこちらを見ながら言う。
「長尾さん、醍醐春海の知り合い?」
と私は驚いて訊く。
「どちらも雨宮先生の弟子なので」
「なるほどー」
「私も醍醐ちゃんも雨宮先生の《男の娘コレクション》のひとりのようなんですよ」
「うむむ」
「私がヴァイオリン弾いて、醍醐ちゃんがキーボード弾いて、ふたりセットで蘭子さんの代理だったんですよ」
「そうか。私はだいたいどこかに隠れていたから、代理演奏者とあまり顔を合わせてないんだ」
「雨宮先生は男の娘の代理は男の娘にさせないと、すり替えがバレやすいと言ってましたよ」
「ほほぉ」
「私や醍醐は雨宮先生から事情を説明されていましたから、ああ、あそこに蘭子ちゃん隠れているみたいだな、とか思いながら演奏してましたけど、臨時に頼まれた演奏者だと全然知らない人もあったみたいですね」
「でも長尾さんが男の娘なら、仲良くしたいわあ」
などと政子は言っている。
「マリさん、ほんとに趣味が変ですね」
と長尾さんは笑いながら言う。
「よく言われる」
それで結局政子は長尾さんとアドレスの交換をしていた。
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【夏の日の想い出・ダブル】(1)