【夏の日の想い出・ジョンブラウンのおじさん】(3)

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千里は江戸川区に居たらしく、30分ほどでやってきた。音羽たちが候補として挙げていたマンションの詳細をプリントしていたものを見ていたが
 
「ここに住んだら5年以内に死ぬよ」
「ここは某霊能者さんが言うところの人間が住めない土地」
「ここは来年火事に遭う」
「ここは上の階の住人が重大犯罪を起こす」
 
などと次々と指摘して、どんどん没にしてしまう。
 
「なんか占いで当てられる内容を超越している気がする」
と美来。
「私は占い師というより巫女だから」
と千里。
 
それで少し悩むようにしていた織絵が言う。
 
「概して運の良い人は運の良い転居をするし、運の悪い人は良くない引っ越しをするって昔の知り合いが言ってた」
「うん。それ占い師の間ではわりと常識。開運できるところに引っ越すから運気が開けるというより、運がいいから開運の場所に引っ越せる」
 
「ね、今の状態の私たちが選んでもダメみたいだから、冬選んでくれない?」
と織絵。
 
「え?私が?」
と私は言ったら、そばから政子が
 
「だったら私が選んであげる」
と言い出す。
 
「いいかも」
と美来が言うので、政子に任せた。
 
すると政子はGoogle Mapを開くと羽田と適当な場所の距離を測り、それを15kmの長さに調整したようである。そしてそのスケールをゆっくり回転させていく。
 
「羽田に到着してからね。15kmくらいなら帰ろうという気になると思うのよ。20km離れてたらたどり着くまでにお腹空いちゃう」
 
「15kmを歩くわけ?」
「時速5kmで歩くと3時間で帰られるよ」
 
音羽が不安そうな顔をしている。
 
「海ほたるまで12.7kmか」
「あそこにはマンションは無いかと」
「歩いて行けないし」
「みなとみらいが16.7km」
「あの付近もいいね」
と美来。
 
「新横浜駅が15.65km」
「武蔵新城駅で14.7km」
「二子玉川駅が15.7km」
「三軒茶屋が14.6km」
 
「吉祥寺って何km?」
「25.1km」
「なるほど。やっぱり遠かったんだ」
「結構しんどかったもんね」
 
「原宿が15.2km」
「この、冬たちのマンションは?」
「ここどこだっけ?」
と政子が言うので私がポインターをドラッグする。
「13kmか」
「やはりいい所に住んでるな」
「さすがに2億円は出せないし」
 
「桜田門が14.6km」
「警視庁の近くなら安心かも」
「そうか?」
「武芸館16.3km」
「そこには住むんじゃなくてライブしに行く方向で」
「東京駅14.7km」
「超便利ではあるけど」
「さすがに高いだろうね」
「両国の国士館が16.5km」
「ああお相撲もいいな」
「ちゃんこ屋さんの美味しい所がありそう」
「マリちゃんはそれがいいかも」
「錦糸町駅16.6km」
と言ったところで政子はハッとしたような顔をした。
 
「そうだ。ここがいいよ」
「マジ?」
 
「ここ食べ物屋さんが周囲にたくさんあるんだよ」
「やはり食べ物か!?」
 
「マクドナルド、ロッテリア、ファーストキッチン、フレッシュネス、松屋、吉野家とあるし。ケンタッキーが無いのが残念なんだけど、隣の亀戸まで行くとあるんだよ。焼肉屋さんとかしゃぶしゃぶ屋さんとかもあるし」
 
「よく把握してるね!」
 
それで政子はマンション検索サイトを開いて錦糸町駅を指定した。美来が政子に頼んだことを後悔し始めているような顔をしている。
 
「2LDK+S, 3LDK, 駅から7分以内、価格は5000万円以内、駐車場あり」
と言いながら絞り込んでいく。
 
「あ、ここどう?」
と言って政子が表示させたのは、3LDK 4600万円、築1年・駅から6分という物件である。
 
「築1年で売りに出てるのか」
「今、不況だからね。買った途端リストラに遭ったとか」
「買った途端転勤させられたとか」
「あ、不動産買った人は転勤させられがちなんだって。ローン抱えてたら絶対に会社やめられないもん」
「ローン払いながら自分の家には住めず借家暮らしになるわけか」
「可哀想に」
 
「でもちょっと予算オーバーだなあ」
と美来は言うが
 
「いや、この距離がたぶんマリちゃん言うように羽田に深夜到着して帰る気になる限度という気がするよ。それに錦糸町は快速が停まるし」
と織絵が言う。
 
「羽田から帰られる最終は何時だろ?」
 
乗換案内で調べてみると 0:07に羽田空港を出ると 0:52に錦糸町にたどり着く連絡がある。
 
「ここいいかも」
と織絵は言ってから
 
「どうせ3億も冬から借りてるから、あと少し借りてもいいよね?」
などと言うので、私も苦笑して
 
「いいよ、貸すよ」
と答える。
 
「千里ちゃん、ここ何か感じる?」
「特に変な物は感じない。現地に行ってみたい」
 
「よし、行こう!」
 

それで不動産屋さんに連絡した上で、私のフィールダーに5人で乗ってそちらに行ってみた。私が運転し、助手席に政子、後部座席に千里・織絵・美来と乗ったのだが、千里と身体が接触する織絵が
 
「千里ちゃん、筋肉が凄い」
などと言う。
 
「女らしくないでしょ?」
と言って千里はにこりと微笑むが
 
「ううん。女らしいのに筋肉がよく付いてる。かなり鍛えてるよね、これ。鍛え抜いたダンサーの筋肉に似てる」
と織絵は千里の腕とかお腹に触りながら言う。織絵が千里の身体に触るのを美来がムッとした表情で見ている。
 
「ダンスもスポーツだもんね。急な動作が多い割に長時間動き続けないといけない点ではバスケットと似てるかも」
と千里は言った。
 

不動産屋さんで話を聞いてみたら、ここは実は中古ではなく新築物件の売れ残りらしい。つまり今サイトに登録していた空き部屋は建ててから、まだ誰も入居していないのだと言う。それで店長さんが自ら案内してくれて、実際にそのマンションまで行く。
 
千里はそのマンションの外観をながめていた。
 
「空いているのは何階と何階でしたっけ?」
「4階と10階と12階と23階なんですが」
 
それで千里は「4階以外なら大丈夫だと思う」と言った。しかし10階の部屋に行くと玄関まで来たところで
 
「あ、この玄関は凶方位にあります」
 
と言うので中を見ずに12階に上がる。
 
「ここはいいですね」
と千里が言うので中を見てみた。
 
「廊下で各部屋にアクセスできるのはいいな」
「うん。それぞれの部屋が独立して使えるからお互いのプライバシーを確保できるし」
「友だちも泊めやすいよね」
「じゃそれぞれの寝室と客用寝室という感じ?」
 
「ううん。寝室は私たちは一緒だけど喧嘩した時に籠もれる部屋があった方がいいから」
 
「なるほどね〜!」
 
「冬たちだって喧嘩するでしょ?」
と織絵は言うが
 
「喧嘩はしたことないよね?」
と政子が言う。
 
「千里ちゃんは?」
「私も喧嘩したことは無いなあ。でも桃香が恋人連れ込んでいる時に私が寝られる部屋があると便利かも」
 
「千里ちゃんと桃香ちゃんって恋人なんでしょ?浮気されてもいいの?」
「ううん。友だちだよ。まあセックスはするけど」
 
「うーん・・・」
 

12階の部屋の各々を見てまわる。千里は頷いている。最後にベランダに出てみた。
 
「あ、ここはスカイツリーが見えるんですね?」
 
「はい。このマンションは東向きの部屋と南向きの部屋があるのですが、東向きの部屋からはスカイツリーが見えます」
 
「もしかして見えるとよくない?」
と私。
 
「微妙かも」
と千里。
 
「でも10階の部屋は南向きだったけど玄関の方位が悪いって千里言ってたね?」
「そうそう。南向きってことは玄関は概して北になるんだよね。本命卦が乾の場合、10階の部屋の玄関は六殺の方位にあった。この東向きのは玄関が生気になるから吉なんだ」
 
「23階の部屋ってどちらですか?」
「そちらも東向きです」
 
千里は少し考えていたが、バッグの中から何か取りだした。
 
「何それ?」
「仰角測定器」
「何だかそれ面白いね」
 
「分度器の中心に穴を開けて、おもりを糸でぶらさげただけだよ」
「すごーい」
「五円玉がぶらさがってる」
「穴の開いたコインはおもりとして優秀」
「なるほどー」
 
「スマホで仰角測れるアプリとかあるけど、私は面倒な操作するより物理的に測る方が好きだ」
と千里は言う。機械音痴の千里らしいと思ったが、
 
「いや、その手のアプリは結構誤差があったり、操作ミスでとんでもない数値が出たりすることもありますから、きちんと測る方が確実ですよ。うちの社員にもよく言うんですけどね」
などと店長さんは言っている。
 
「31度くらいあるなあ」
「角度が問題なの?」
 
「仰角が30度以上あると形殺を受けるんだよ」
 
「12階で31度なら、23階ならもっと小さいよね?」
「多分30度未満だと思う。そちらの部屋も見せて頂けますか?」
「はい。ご案内します」
 

それで全員で23階の部屋に移動する。千里はベランダに出てスカイツリーの仰角を測る。
 
「27度くらい。この部屋はOKですね」
「じゃ、ここを第一候補で」
 
と言って、部屋の中を見ていく。部屋の構造はほとんど同じだが・・・・
 
「ここはガスじゃないんですね?」
と千里が言った。
 
「はい。このマンションは15階以上はオール電化になっています。技術的にはガスが通せないこともないのですが、消防上の問題もあるんですよ。火事になった時、はしご車が届くのが14階までなので」
 
「ガスが必要?」
と音羽たちに訊く。
 
「IHしか使ってなかった」
「うん。ガスは鍋を掛けたまま眠ってしまうのが怖い」
「私たちみんな疲れているもんね」
「じゃオール電化でもいいか」
 
「値段がたぶん違いますよね?」
と千里は不動産屋さんに訊く。
 
「はい。4階が2900万円なのですが、10階が4600万円、12階は4700万円、23階は5400万円になっております。ちなみに空きはないですが、特別仕様の最上階25階4LDKは6500万円で販売しました」
 

「すみません。気のせいかその4階は異様に安い気がするのですが」
 
政子は5000万円以下(4000-5000万円)で検索した。それで4000万円を切る4階の部屋は検索にひっかからなかったのだろう。
 
「実は4階はいったん売れたのが、所有者さんが買い戻しを希望されまして、それに応じて結果的に戻ってきたので中古扱いなので」
「それにしても安すぎる気がするのですが」
「というか買い戻しに応じたのはなぜ?」
 
「いや、それが・・・」
「ああ。何かあるんだ」
「すみません」
と店長さんは言うが、千里は
「他の階には影響が無いから心配要らないよ。せいぜい上下の3階・5階までだよ」
と言う。
 
「何があるの?」
と織絵が訊くと
「妖怪がたくさん集まっているだけ。霊道じゃないよ」
と千里。
 
「なーんだ。それなら問題無いね」
と織絵。
 
「妖怪!?」
「ジバニャンみたいなの?」
「あんな楽しい妖怪ならいいけどね」
 
「そちらの方は風水師さんか何かですか? それってお祓いとかした方がいいんですかね?」
「お祓いはなさったんでしょ?」
「ええ。実は」
「ふつうの神社やお寺の人のお祓いでは無理です。その方面の力を持った人に除霊してもらわないと。そういう人が処理したとしても、ここってスカイツリーの影響と、あそこの高速道路の影響があるから1−2年で元の木阿弥になる気がしますけどね」
 
「1−2年しかもちませんか。実は4階は最初に入居した4家族が全員退出してしまって。現在その後入った方が3家族暮らしておられるのですが」
 
「事務所とか店舗とかにすれば大きな問題はないですよ。特に東向きの部屋は窓にカーテンを閉めずにおいて、毎日朝日を浴びていたら、それだけでかなり回避できます」
 
「あ、それはちょっと検討してみます。朝日の件は住民さんに教えてあげよう」
 
「取り敢えず今いた妖怪は全部処分しちゃいましたから、半年くらいは大丈夫ですよ」
「いつの間に!」
 

いったん引き上げてお店に戻ることにしたが、マンションの外に出てから建物を見上げた店長が
 
「あ、4階の雰囲気が変わってる」
と言った。
 
私も織絵も頷いたが、美来はよく分からないようである。千里は微笑んでいる。
 
お店の応接室で契約について話す。
 
「しかしここは5400万か」
「想定していた額よりけっこう大きいよね」
 
ふたりの退職金が合わせて4000万円、前のマンションを3000万円で買い取ってもらい、元々の貯金がふたりで1000万円あったので資金は8000万円である。しかしふたりは新XANFUSのアルバム制作資金として4000万円ほど確保しておきたいと言っていた。それでマンションの購入予算は4000万円だったのである。
 
「それ税別ですよね?」
「はい。税込みで5832万円になります」
「う。少し辛いな」
 
不動産屋さんは少し考えていた。
「歌手をなさっているということでしたよね。お支払いはどうなさいますか?」
 
私は言ってみた。
「現金で払ったら2割くらい安くなりませんか?」
 
「現金ですか?」
「今払ってもいいですよ」
 
「2割までは厳しいですが、5200万でどうですか?税込み5616万」
と店長さんが言うと、政子が
「4500万」
と言う。
「うーん。せめて5000万、税込み5400万で」
「4700」
「4900万。これが限界です。税込みで約5300万になりますが」
「もう一声。税込みで4900万」
 
「ここ建ててから1年売れてなかったんでしょう?」
「消費税があがってみんな買い控えしてますよね?」
「あまり何年も放置されていると価値がもっと下がりますよ」
 
とみんなが畳みかけると、店長は苦笑する。
 
「じゃ大出血サービスで税込5200万で。税抜き48,148,149円です」
と店長。
「まあ仕方ないかな」
と政子。
 
「4階の処理までして頂いてアドバイスも頂きましたし。即現金で頂けるという条件でしたら」
「じゃ、冬よろしく〜」
「はいはい」
 

美来と織絵の引越先をバタバタと決めたのが12月22日であるが、翌日の天皇誕生日には私と政子は新幹線で移動して長岡でのローズ+リリー公演を行い、翌日のクリスマスイブには河口湖でクリスマスイブのスペシャル・ライブを行った。この日実際には、私は昼間は横浜でKARIONのイベントをしてから、3人と別れて河口湖の湖畔に向かいローズ+リリーのライブをおこなっている。
 
このローズ+リリーの公演ではステージの照明以外には電気を使わずに全ての演奏をアコスティック楽器のみでおこない、歌もPA無しで肉声で会場に響き渡らせた。肉声だけでも結構声が届くのは夏の大宮アリーナ公演で経験済みである。
 
私たちはこの日のスペシャル・ゲストにΦωνοτον(XANFUSに改名予定)とXANFUS(Hanacleに改名予定)を招いた。
 
私が4人の名前を呼んで彼女たちが出てくると、この秋大騒ぎになった当人たちなので会場が騒然とした。
 
「こんにちは。Φωνοτονの音羽と」
「光帆です。私たちは12月31日にXANFUSに改名予定です」
 
「初めまして。XANFUSの震雷と」
「離花です。私たちは12月31日にHanacleに改名予定です」
 
それで最初に、音羽のギター、光帆のフルート、私のヴァイオリン、政子のピアノで伴奏して、震雷と離花が実質的な Hanacleデビュー予定曲の『花の優しさ』を歌うと、暖かい手拍子、そして拍手が送られた。
 
その後、今度は震雷と離花のダブルギター、私のフルート、政子のヴァイオリンで、音羽と光帆がXANFUSの出世作であった『Down Storm』を歌うと、熱狂的な声援と激しい拍手が送られた。
 
「音羽ちゃんお帰り!」
「光帆ちゃん頑張ったね!」
 
などといった声も聞こえていた。
 
私とマリが両脇に立って(右から)音羽・光帆・震雷・離花の4人が肩を組んだところに、特別に入場を許可した代表取材の芸能記者が入って来て写真を撮った。この写真はその夜のうちにニュースサイトに掲載され、翌日のスポーツ新聞の表紙を飾ることになる。
 
またこの場を借りて、HanacleのデビューCDが2月に発売されること、XANFUSのベストアルバムが1月に、新しいシングルが3月に発売されることが発表される。またHanacleのデビューCDには、XANFUSと一緒に4人で歌った歌も1曲収録されること、XANFUSのシングルにもHanacleと一緒に4人で歌った歌が1曲収録されることもあわせて公表された。
 

なお、この日の夜、&&エージェンシーは期限切れになっていた★★レコードとの包括契約を再締結したことも発表した。また更にファンクラブに関する特別処置を発表した。
 
まだ更新の手続きをしていないXANFUSのファンクラブ会員に対して、更新の際に次のどれかを選べるとした。
 
(1)そのまま XANFUS改め Hanacleのファンクラブに残る。
(2)@@エンタテーメントのΦωνοτον改めXANFUSのファンクラブに移る。
(3)更新料金4000円+追加料金2000円で両方のファンクラブに入る。
 
また更新は本来12月31日までであるが2月15日までは受け付けるとした。また既に更新している会員に対しても(2)または(3)の選択を3月1日までにPC/スマホ/携帯から手続きすれば移行または両方加入ができるようにした。
 
実際にはファンクラブ会員の約6割が(2)を、3割が(3)を選択。残り1割は更新をしなかった。(1)を選んだ人はほとんど居なかった。
 
恐らく更新しなかった人の多くは直接@@エンタテーメントのXANFUSファンクラブに入ったのではないかと思われた。実際新たにそちらに申込んだ人が2万人も居た。
 
この結果、新生XANFUSのファンクラブ会員は44,000人、Hanacleのファンクラブも12,000人という状態で2015年をスタートすることになった。CDをまだ1枚もリリースしていないデュオのファンクラブに12,000人も登録されることは極めて異例で、栄美社長は就任早々の金星を得た。
 

24日のローズ+リリーの河口湖公演が終わった後、私たちはゲストに出てくれた新旧XANFUSの4人も入れて打ち上げをした。&&エージェンシー側からは横浜さんが来ている。白浜さんが7月に退職した後、XANFUSのマネージャーになっていたのだが、そのままHanacleのマネージャーに横滑りになるらしい。
 
「なんかもうここ数ヶ月、私、会社で何が起きてるのかさっぱり分かりませんでした。社員やバイトさんも随分辞めちゃったし、特に11月は給料が出なかったんで、どうしようと思ったら、美来ちゃんがお給料無いと困るでしょと言って20万貸してくださったんです。本当に恩に着ます」
と横浜さんは言っている。
 
「栄美社長、明日25日に今月2ヶ月分の給料とボーナスとまとめて払うと言っていたよ」
と美来が言うと
「助かります!」
と言っていた。
 
きっと美来たちから2億円もらうことになったので、それで資金繰りのメドが付いたのだろう。こんな小さな会社で短期間に6億の損失を出したら、資金繰りが火の車になったのは容易に想像が出来る。
 
一方織絵と美来が所属することになった@@エンタテーメントの方は、明日事務所開きをするらしいのだが、今日まではほぼペーパーカンパニーなので∞∞プロの菱沼さんがふたりのマネージャー役で出てきていた。ゴールデンシックスや丸山アイを担当している人である。
 
「菱沼さん、そのまま@@エンタテーメントに転属だったりして」
 
「うーん。それでもいいですけどね。カノンちゃん・リノンちゃんはおとなだし、あの2人、芸能界の仕組みとかもよく知っているみたいだから、私は実質あまりすることないし。あれはもっと若い子でもつとまりますよ。丸山アイも取り敢えず音源製作が一段落したし。でも@@エンタテーメントのスタッフはもう決まっているらしいですよ」
 
「決まっていて明日突然辞令を渡されたりして」
「そうですね。丸の内のOLというのもいいですけど」
 
@@エンタテーメントの事務所は丸の内にオープン予定なのである。
 
「OL?」
とローズ+リリーに付いてきている窓香が声をあげる。
 
「どうかした?」
「私たちってOLなんですか?」
「だって勤め人の女性ならOLじゃない?」
「あんた女の子だよね?」
「取り敢えず現在ちんちんは無いみたいです」
「じゃ女の子でいいね」
「だったら、甲斐ちゃんもOLだよ」
「OLって、なんて美しいことば」
と窓香は何だか感激しているようである。
 
「私たちもあまりOLって意識無いよね?」
とXANFUS担当の福本さんが言うと、氷川さんも
「私、職業欄にOLと書いたことない」
などと言っている。
 

「XANFUSのレコード会社のほうの担当とかはどうなるんですか?」
 
それについて氷川さんが説明する。
 
「言葉が混乱して面倒くさいので12月31日以降の名前で言います。Hanacleは旧XANFUSが改名したものという建前ではあるんですけど実質的な継続性は無いと考えて新たな管理番号を作って、新XANFUSの方が元のXANFUSの管理番号を引き継ぐことになっています。担当者も福本がそのまま新XANFUSに横滑りして、Hanacleは取り敢えず八雲君が担当です」
 
「あ、それで八雲さん今日来てたのか」
「八雲さん、もう帰ったんですか?」
「まだ会場の方で片付けしてると思います」
「よし。呼びだそう。ひとりくらい抜けても大丈夫ですよね?」
と音羽が電話を掛けている。いつのまに電話番号をゲットしたんだ?
 
「八雲君、いい人だけど腕力は無いから実は後片付けとかでは戦力にならないもん。呼び出してあげた方が親切だよ」
と福本さんが言っている。
 
「確かにあの人、腕とかも細いよね」
という声も出ている。
 
「でも八雲さんが担当するということは、Hanacleかなり期待されてますね?」
となぜかこの場にいる美空が言う。美空は今日は特に出番は無かったのだが、横浜から移動する私についてきて、楽屋で政子とずっとおしゃべりしていた。
 
「彼が担当したアーティストはブレイクすることが多いからね」
と私。
 
「ステラジオも見事にブレイクしたね」
と音羽。
 
「ステラジオは何で新人賞に入らなかったんですかね?」
「あの子たちデビューしたのは4年前なんですよ」
「えーー!? そうだったのか」
「でも過去の売上は年間1-2万枚だったんですよ」
「それで知らなかったのか」
 
「ステラジオは前の担当者の時は、あとひとつブレイクしそうでしなかったんですけどね。八雲君がうまく彼女たちの良さを引き出したし、彼女たちにピッタリの広報をして売れたという感じ。例の曲も事務所側が消極的だったのを八雲君がかなり強引に音源製作させて、それで予算の掛からない配信限定で売り出したんですよね」
と福本さんが解説するのを氷川さんは頷きながら聞いている。
 
「いや、あの曲ってあの2人が歌ったのでなければヒットしてないですよ」
「うん。ローズ+リリーとかXANFUSではヒットしてない曲」
 
「そういうのって相性もあるんですかね?」
と光帆が訊く。
 
「八雲君が担当して売れたアーティストは女性ボーカルのユニットが圧倒的で男性ユニットで売れたのは少数なんですよね」
と福本さん。
 
「面白いですね。同性のほうが感性を理解しやすそうなのに」
「ステラジオにしても、チェリーツインにしても、最初は女性の担当者だったのだけど、その時より八雲君が付いてからの方が伸びてるんですよ」
 
「もしかして八雲さん、女の子の心を持ってたりして。女装しないのかなあ」
とこの手の話が好きな政子が言う。
 
「マリちゃんは本当に誰でも女装させたがる」
と私は苦笑して言う。
 
「社内でもジョークで言われたことあるみたいだけど、本人は中学の時に一度コーラス部でふざけてセーラー服を着せられたものの、二度と着せられることが無かったから、僕は女装の才能は無いんですよ、とか言ってましたよ」
と福本さん。
 
「女装って才能なんですか?」
と窓香。
 
「まあ冬には女装の才能があったと思うし、音羽には男装の才能があると思うし」
と美来がいうと
 
「ちょっとその話バラさないでよ」
と音羽。
 
「え?音羽ちゃん、男装するの?」
と福本さん。
 
氷川さんが頭を抱えて笑っている。どうも氷川さんは音羽の男装を見たことがあるか誰かに聞いていたのだろう。
 
「今のってほとんど音羽が自分でカムアウトしたね」
と美空。
 
「うん。光帆は別に音羽が男装するなんてひとことも言わなかった」
と私。
 
「えーん。今のみんな忘れて」
などと音羽は言っていた。
 

八雲さんは20分ほどでやってきた。
 
「済みません。急用って何でしょうか?」
などと言っている。
 
「まあまあ座って座って」
「お酒飲みます?」
「あ、いえ。私、ふだんはあまりお酒飲まないので」
「そんなこと前にも言ってたね」
「じゃ、取り敢えずコーラで乾杯」
 
「えっと用事は?」
「八雲さん、Hanacleの担当になるんでしょ?」
「はい。正式の担当が決まるまでの暫定ですけど」
「じゃ担当するアーティストの付き添いも立派なお仕事」
 
八雲さんは氷川さんを見るが、氷川さんが頷いているので、八雲さんはまあいいかという感じになったようで、結局音羽・光帆に震雷・離花とグラスを合わせてコーラを飲んでいる。
 
「だけど八雲さん、肌が白いですよね」
「けっこうそれで子供の頃は馬鹿にされたんですけどね」
「いや、これって羨ましいですよ」
「私、あまり日焼けしないんですよ」
「ああ、そういう人っていますよね」
 
「ウェストも凄く細い。あれ?これもしかしてズボンはレディスですか?」
「実はそうです。私、ウェストが63・ヒップ94だから男物は合わないんですよね」
「それって完璧な女性体型じゃないですか」
 
あれ?何か似た話をどこかでも聞いたな、と私は思ったのだが思い出すことができなかった。
 
「レディスのズボンを持っているということはスカートとかも持ってないんですか?」
「さすがに持ってないです」
 
「一度女装させてみたいなあ」
「勘弁してくださいよ」
 
などと言って八雲さんが困っている風だったので、氷川さんが
「音羽ちゃん、マリちゃん、それってセクハラ+パワハラ」
と注意した。
 

翌12月25日。
 
その日の午前中、私のマンションには、千里と氷川さんが来ていた。ちょっと不思議な組合せである。氷川さんがこちらに書類を持ってこようとしていたら、ちょうど千里が車で通りかかったので、乗せて連れてきたらしい。
 
「そうだ、千里、関東選手権進出おめでとう」
「ありがとう。実質1年目で、しかも23-26歳が中心のチームで早々に関東に行けるとは思ってなかったら素直に嬉しいよ」
 
千里たちの40minutesは12月13,21,23日に行われた東京都クラブバスケット選手権という大会に出ていた。そこで2位になったので1月31日〜2月2日に行われる関東選手権に出ることになる。ちなみにこの大会で3-4位のチームは来年8月に行われる関東選抜(俗称:裏関)に出る。
 
「このまま全国に行こう」
 
関東クラブ選手権で5位以内に入ると3月の全国クラブ選手権である。
 
「もちろん狙うよ。そちらもRC大賞おめでとう」
「えっと・・・どの分だっけ?」
と私は焦りながら言った。
 
「KARIONの『アメノウズメ』(水沢歌月名義)、ローズ+リリーの『Heart of Orpheus』(ケイ名義)、松原珠妃の『ナノとピコの時間』(ヨーコージ名義)、しまうららさんの『ギター・プレイヤー』(同じくヨーコージ名義)。冬の作品が4つも金賞を取ってる。どれか大賞を取る可能性もあるんじゃない?」
 
「いや大賞はワンティス『フィドルの妖精』でしょ」
 
今ここに居るメンツは『フィドルの妖精』の作曲者FKが私というのは知らないので安心してこんなことが言える。知っているのは上島先生・雨宮先生・蔵田さん・町添部長に静花(松原珠妃)くらいのはず。
 
「それに『ナノとピコの時間』はヨーコージ名義ではあるけど、純粋に蔵田さんの作品で、私は関与してない。『ギター・プレイヤー』には関与してるけど、私はあくまで楽譜の整理係だよ」
 
「でもピコって冬のことじゃん」
「まあね」
 
「今年の金賞はレベルが高いですね。他に入っているのが小野寺イルザ『夜紀行』、ハイライトセブンスターズの『月と雨傘と君』、狩野信子の『みちのく恋の花』。楽曲的な品質も、本人たちの歌唱力も素晴らしい曲ばかり入ってますよ」
と氷川さんが言う。
 
ハイライトセブンスターズは10代に圧倒的な人気のあるバンドだが、今回の曲は80年代のニューミュージックにハマった世代にうけて大きなセールスとなった。『みちのく恋の花』は高倉竜と同じ八雲春朗作詞・海野博晃作曲の作品である。今年は演歌から唯一金賞に選ばれた。小野寺イルザの『夜紀行』は昨年から彼女に曲を提供している上野美由貴さんの作品だが、イルザにとっても上野さんにとっても初のプラチナ・ディスクとなった。20歳を過ぎてアイドルからポップシンガーへと脱皮を図る彼女にとってやっとその路線が認められた作品とも言える。
 

「私、貝瀬日南の『花火恋物語』が良かったと思うんだけどなあ」
と政子が言う。
 
「あのあたりもボーダーラインだったみたいですよ。今年の選考委員はかなり悩まされたようです」
と氷川さん。
 
貝瀬日南の『花火恋物語』は秋穂夢久(あいおむく)の作品だが、千里はたぶん秋穂夢久がマリ&ケイとは知らないはず。
 
「惜しかったといえば谷川海里の『Lancer』もよかったんですけどね」
と千里が言う。
 
「ええ、昨年の『OHSHO』には及ばなかったものの充分売れました。あれも金賞行っていい作品でした。進藤歩さんは良い曲を書きますね」
と氷川さん。
 
「進藤さんといえば Hanacle の曲を書くんですね」
「21歳の谷川海里と17歳のHanacleでは競合しないという判断で引き受けたみたいですね」
 

「でも今年は金賞に上島さんの作品がひとつも入ってないね。10年前の作品である『フィドルの妖精』は別として」
と千里は指摘する。
 
「上島先生が楽曲を提供していた歌手の引退が最近続いたからね。大西典香、篠田その歌に前多日登美まで引退。鈴懸くれあは今年は1曲もCDを出さなかったし、AYAはずっと休んでいたし。稼働していたのは百瀬みゆきとmapくらい」
と私は言う。
 
「もっとも南藤由梨奈の曲が新人賞を取りましたから。あれは普段の年なら金賞でも良かったですね。今年の金賞を取った作品のレベルが高すぎました」
と氷川さんが言った。
 

「だけどHanacleは、結果的にはXANFUSの妹分がデビューすることになったようなもんだよね」
と千里は言う。
 
「同じ事務所だと思いっきり競争できないから事務所を分けたってのに似てるよね」
と政子も言う。
 
「保坂早穂と芹菜リセ、松原珠妃とケイちゃん、槇原愛と篠崎マイ、AYAのゆみと遠上笑美子みたいなもんですよね」
と氷川さん。
 
「ゆみちゃん、だいぶやる気が回復してる」
と政子が言う。
 
「歌もだいぶうまくなってたね」
と千里。
 
先日youtubeで公開された、音羽とのデュオ《XAYA》の歌は、音羽が1ヶ月半ほどの休みの間に「一皮むけた」歌い方をしていたのが目立ったのだが、ゆみの方も最後に出した2月のCDの時の歌からぐっと進化していることが話題になっていた。
 
「マリちゃんもうかうかしてられないね」
と私は言ってみた。
 
「最近はサボらずに毎日練習してるよ」
と政子は答える。
 

その日の午後、これまでは実質ペーパーカンパニーだった@@エンタテーメントが、XANFUSを迎えることで事務所開きをするということだったので、私たちはクリスマスのお祝いを兼ねて行くことにし、丸の内に向かった。
 
千里の車の助手席に氷川さんが乗り、私と政子が後部座席に乗ってそちらに向かう。駐車場に駐めてから、∞∞プロの鈴木社長から案内されたオフィスビルに行く。そのビルの2階に@@エンタテーメントという新しい看板が掲げられている。
 
私たちが入って行くと、新XANFUS(今日の時点ではまだΦωνοτον)の音羽と光帆のほか、神崎美恩・浜名麻梨奈、Purple Catsの4人、またここに所属している、近藤うさぎ・魚みちる、マミカ・テルミなど15-16人のタレントさんが集まっている。部外者では私と政子に千里、★★レコードの加藤課長、氷川さん、福本さん、八雲さん、◎◎レコードの林葉課長、◇◇テレビの陽光課長、FHテレビの棚橋次長などの顔も見える。その人たちにお茶を出しているのは∞∞プロの菱沼さんと五田さんである。
 
「菱沼さんたち、もしかして、やはりこちらに移籍?」
「いえ。特に辞令は無かったです。取り敢えずこちらは今スタッフが誰もいないので、臨時応援です」
 
やがて鈴木社長が入ってくるが、鈴木さんと一緒に入って来た人物を見て、
 
「えーー!?」
という声があがる。
 
「社長!?」
と音羽が声を挙げる。
 
∞∞プロの鈴木さんと一緒に入って来たのは8月に&&エージェンシーの社長を解任された斉藤さんであった。
 
「紹介しよう」
と鈴木さんが言う。
 
「新しい@@エンタテーメントの社長になってもらうことになった斉藤邦明さん」
 
思わず拍手が起きた。
 
「斉藤社長、どちらにいらしたんですか?」
と光帆が訊く。
 
「僕はある人に頼まれて実はカリフォルニア州に行ってたんだよ。それで巷の噂で音羽君もアメリカに来てると聞いたから連絡を取ろうと思ったけど、どうにも連絡先が分からなくて」
と斉藤さんは答える。
 
「すみませーん。私は実は日本国内に居たんです」
と音羽。
 
音羽の所在を知っていたのは、私と政子、美来、ゆみ、千里のほかは町添部長くらいだったろう。
 
「それで鈴木さんに呼び戻されて帰国したんだけど、僕ひとりではさすがに手が回らないので、スタッフをひとり雇うことにした。入って来て」
と斉藤さんが呼びかけると、女性がひとり入ってくる。
 
「白浜さん!? あ、いや結婚したから・・・」
と音羽言いかけたが
 
「いや、白浜に戻っちゃった」
「え?」
「まさか?」
 
「お嫁さん、クビになっちゃった」
「なんで!?」
 
「私、料理、洗濯、掃除、まるでダメだしさ」
と白浜さん。
 
「そういえば、白浜さんがお料理している所を見たことない」
「私、炊飯器で御飯も炊けないのよ。やってみたけど、おかゆか、こげた塊にしかならない」
「それは水加減が適当というか」
「結婚してから2個も炊飯器壊しちゃったし」
「どうやったら、あんなもの壊れるんですか!?」
 
「こちらで仕事している時はいつも外食かチンすればいいものだけだったのよね」
 
「いや、私は白浜さんが卵をレンジでチンして爆発させたのを見たことがある」
とnoirが言う。
 
「まあそんなでお姑さんから嫌われちゃって」
「あらあら」
 
「味付けとかも全然分からなくて。自分で食べてもまずいーと思うのよね。彼からも、まさかここまで出来ないとは思わなかったと言われたし、彼の子供からはママの御飯食べたくないと言われちゃうし」
「うーむ。。。」
「それ食べたくないんじゃなくて、食べられないものだったりして」
「私、ジャガイモの芽を取らないといけないなんて知らなかったのよね」
「食べたら病院行きのレベルだったりして」
 
「ほかに色物と白い服を一緒に洗濯しちゃって、お義母さんのお気に入りの服をダメにしちゃって」
「白浜さん、ふだん洗濯はどうしてたんです?」
「色移りするような服を持ってなかった」
「なるほど!」
「窓掃除でガラス割っちゃうし」
「どうすれば割れるんです!?」
 
「それで流産したのを機会に離婚になっちゃった」
「流産したんですか!」
 
「さすがに身体的にも精神的にしんどかったよ。年齢的に子供産む最後のチャンスだと思っていたし。涙がもう止まらなくて。そんな時期にXANFUSのトラブルを聞いて更に落ち込んでね。でも私が離婚になったことmixiに書いたら、それに気付いた斉藤社長の奥さんが私を東京に呼び戻してくれて。だから11月以降は私、東京で社長の奥さんと2人で暮らしてたんだよ。奥さんに大事にしてもらったおかげで体調もだいぶ回復した。ホルモンバランスも随分よくなったみたい」
 
「大変でしたね」
 
「だけど私、妊娠が分かった時は、あんた本当に女だったのね。性転換した元男じゃないかと思い始めていたとかお姑さんに言われちゃった。結局、流れちゃったけど」
 
「白浜さん、ほんとうに性転換はしてないんですよね?」
「自分では性転換手術を受けたおぼえはないけど」
「知らないうちに手術されていたりして」
「知らないうちにって、男から女に変えられたのか、女から男に変えられたのか」
「どっちだろ? 今夜お風呂入ったら確認してみようかな」
 

一斗樽では量が多すぎるので一升サイズのミニ樽で鏡開きをする。杵は斉藤社長と加藤課長が持った。
 
「八雲君、杵持たなくて良かったの?」
と菱沼さんが八雲さんに言っていたが
「課長は僕の腕力を知っているから」
と八雲さんが応じていた。
 
そういえば昨日福本さんも言っていたが、確かに八雲さんは随分細い体つきだし、腕も細いよなと私は思った。それから私はそのやりとりを見ていて、菱沼さんと八雲さんが凄く親しそうな感じであるのにも気付いた。そういえばこのふたりは丸山アイの制作をやっていたんだなというのに思い至る。
 
取り敢えず鈴木さんが音頭を取って乾杯した。(飲める人は日本酒、運転しないといけない人や勤務中の人はサイダー)
 
なお、@@エンタテーメントは鈴木さんが会長、斉藤さんが社長である。もうひとりの取締役は∞∞プロの財務担当役員が事実上名前だけ貸している。
 
その後「餅撒き」と称して実際には手渡しで出席者全員に「お餅」が配られた。
 
「あれ〜。ひとり1個?」
などと政子が言っていたら、noirが
 
「マリちゃん、『餅だけ』ならあげるよ」
と言って、中に入っている現金を抜いて政子に渡してくれる。
 
「わっ、お金が入っていたのか!」
などと政子は驚いている。
 
「あ、私も『中身だけ』ならあげるね」
と言って近藤うさぎがやはり現金を抜いた残りを政子に渡す。
 
それに気付いた菱沼さんが
「餅だけならお持ちします」
と言って、たくさん持って来てくれたので、政子は「豊作豊作」と言って喜んでいた。
 
その後、私たちが「クリスマスケーキ」と言ってケーキの箱を出し、加藤課長も松前社長からと言ってケンタッキーのチキンのバレルを出し、どちらも歓声があがる。菱沼さん・五田さんの他、福本さん・八雲さんに美来やテルミたちも加わってみんなに配っていた。菱沼さんもよく分かっているのでマリの前にはチキンを3本置いていた。
 
レコード会社や放送局の人が祝辞を言う。ついでに私もひとこと求められたので
 
「今回のようなトラブルはしばしば何年もかけて揉めて、その間まともに制作ができず貴重な若い時間が失われたりすることもあるので、今回短期間で解決したのはほんとうに運が良かったです。この事務所の将来が明るいものでありますように」
とコメントした。
 
乾杯の後、近隣のレストラン(貸し切り)に移動して食事会をした。ほとんど野次馬的に来ていた私たちまで一緒に頂いた。政子が「お代わりしてもいいですか?」などと言うので、斉藤さんが笑顔で「どうぞ、どうぞ、あまり高いものでなければ」などと言っていた。さっき(餅は堅いので持ち帰りだが)ショートケーキを3個、チキンを(私があげたので)4本食べているのに!
 

「でもこれって10人のインディアンみたい」
とひとりが言い出す。
「まあ10人の女子だよね」
 
「最初10人の女子が居て、9人、8人、7人と減って、6人、5人、4人と減って、3人、2人、1人と減って、最後は『そして誰も居なくなった』」
 
「それでジョン・ブラウンのおじさんが呼びかけて1人、2人、3人来て、4人、5人、6人来て、7人、8人、9人来て、10人の女子がそろいましたって所」
 
「10人居るんだっけ?」
 
「音羽、光帆、神崎、浜名、mike, kiji, noir, yuki, それに白浜さんで9人」
 
「私も女子に分類してもらえたら」
と白浜さん。
 
「そうだ。斉藤社長も入れて10人」
「僕は女子じゃないけど」
「この際、性転換しちゃいましょう」
「勘弁して。あれ無くなると困るから」
「本人より奥さんが困ったりして」
 
「ジョン・ブラウンのおじさんは誰だろう?」
「鈴木会長?」
「色々動いてくれていた感じのケイだったりして」
「私、女だけど」
「この際、性転換しちゃいましょう」
「勘弁して。あれもう二度とつけたくないから」
「本人よりマリちゃんが嫌がったりして」
 
「女ならジョーン・ブラウンのおばさんだったりして」
「ジョーンって女名前?」
「Johnは男、Joanは女」
「フランス人のジョンならJeanと書いて英語読みするとジーンで女名前に見える」
 
「日本人でAkikoとかYoshikoという名前は最後が o で終わってるから、イタリア人から見ると男名前に見えるらしい」
 

事務所開きが終わった後、家に戻るのだが、美来と織絵もくっついてきた。氷川さんは会社に戻るということだったので、今度は千里のインプの助手席に私が乗り、後部座席に政子・織絵・美来と座る。
 
勝手知ったる家なので千里がポットのお湯を再沸騰させてコーヒーを入れる。私がお菓子をひとつ出してくる。織絵も勝手にお酒の置いてある棚を物色し「今日はこれにしよう」などと言ってフォアローゼスを出してくる。美来がカップやグラス、お菓子の取り皿などを配る。
 
(そもそもうちに置いてあるお酒は織絵・美来やスイート・ヴァニラズの人たちでほとんどを飲んでいる。他は琴絵や仁恵が少し持って行ったり、佐野君と麻央が来て飲んでいく程度である)。
 
それで少しおしゃべりしていたら、和泉・小風・美空がマネージャーの花恋と一緒にマンションにやってきた。和泉・小風・花恋は昨日昼間の横浜でのKARIONライブの後、和泉の神田のマンションに一緒に行って、クリスマスパーティーをしていたらしい。うっかり料理を作りすぎたが、12時頃美空が河口湖から戻ってきて全部食べてくれたという話だった。
 
「08年組がそろい踏みしてるね」
「よし、ローズ+リリーの2人、Φωνοτονの2人、KARIONの4人で並んで写真を撮ろう」
 
「それ無茶だって」
と私が言う。
 
「千里、冬のボディダブルやってよ。たしか冬の顔をシリコンで取ったマスクがあったはず」
と言って政子はどこかから取り出してきた。整理のなってない政子だが、なぜかこの手のものはすぐ見付ける。
 
「私が写真撮りますね」
と花恋が言って8人で整列する。この写真は権利関係を確認の上、その日の夜にブログにアップした。
 

「だけど例の美来が居た池袋のマンションの件はびっくりしたよね」
「うん。早く出ててよかったよ」
 
先月まで美来が住んでいたマンション(この春にふたりが買ったものであるが、10月に事務所が買い上げて、その後美来は家賃を事務所に払って住んでいたが、12月頭に退去した)で数日前にガス爆発事故があったのである。
 
「マンション本体があの階で折れ曲がって傾いたんだって。それで崩壊の危険があるということで、全員すみやかに退去してくださいという話になってるらしい。倒れて隣のマンションに当たったら大変だから正月返上で取り壊すらしい」
と美来。
 
「こわーい」
「それ隣のマンションの住人さんもこわいね」
「いやその隣のマンションでも爆発のあった部屋の向いにあった部屋は窓ガラスが全部割れてそのガラスが家具や畳にも刺さって大変なことになったらしい。昼間だったおかげで、幸いにもそちらは怪我人が出なかったんだけど」
と音羽。
 
「私も聞いたけど、今、不動産屋さんが必死に引っ越し先の確保に走り回っているみたい。同意できた住人には、等価交換で同等程度の別のマンションを引き渡したりもしているって。仮住まいに移った後で再度転居するのは大変すぎるから結構応じている人もいるらしい」
と和泉。
 
「そうそう。それで&&エージェンシーも十条にあるマンションをもらうことにしたんだって」
と美来。
 
「へー」
「たぶんそこを&&エージェンシーのタレントさん誰かに貸すんじゃない?」
と音羽。
 
「震来ちゃんと離花ちゃんが入居したりして」
と美空。
 
「そして妖しい関係に」
と政子。
 
「君たちって、ほんとにそういう話が好きだねぇ」
と私は呆れて言う。
 

「でも冬にたくさん借金しちゃったし、来年は頑張らないと」
と美来が言う。
 
「今年は秋以降何もできなかったから」
と音羽も言う。
 
結果的には&&エージェンシーに払った3億円とマンション購入代金の5000万円を貸したことになっている。さすがに借用証書を書いてもらっているが証書に返却期限は書いていない。
 
「まずはCD制作でしょ?」
「そうそう。日登美(神崎美恩)と鏡子(浜名麻梨奈)も随分曲がたまっているみたいだから、それをリリースしていくよ」
 
「頑張ってね」
 
「なんか激励とか言って何人か曲をくれた人もあったし。最初のアルバムにはそれを入れようと思ってる」
 
「へー」
「ティリーさんからも1曲もらったし」
「そうか。もしかしたらさっき言ってた10人の女の子ってのの10人目はティリーさんだったりしてね」
「ここ2年くらいティリーさんXANFUSに大きく関わってるもんね」
 
「マリ&ケイからも1曲もらったし」
と美来が言うので
「え?」
と私が言ったら、政子がニヤニヤしている。いつの間に!
 
「醍醐さんからも1曲もらったし」
「たまたまXANFUS向きのができたから」
と千里は言っている。
 
「でもあの曲、まるで浜名が書いたみたい」
と美来が言うと千里は
「ふふふ」
と笑っている。
 
そういえば千里はゴーストライターの達人だとか雨宮先生が言っていたなというのを思い出した。恐らく誰か風に作っちゃうのが上手いのだろう。
 
「放送局で偶然会った百道大輔さんからも『これやる』と言って譜面もらっちゃったし」
「ほほお」
 
「更に★★スタジオで出会った丸山アイ君からも、良かったら僕の曲を歌ってもらえませんかと言われて、見せてもらったら凄くいい曲だから、もらうことにしたよ。Purple Catsがあの子の制作に協力していたから、こちらも何かできないかなと思っていたんだって」
と美来が言う。
 
「ああ、丸山アイちゃん、しっかりした曲を書くよね」
と言ってから、私は今の美来の言葉に何か引っかかりを感じたので少し考えてみた。
 
「今、アイ君っ言った?」
「うん。格好いい男の子だね。アイ君って私、てっきり女の子かと思ってた」
と美来が言ったら音羽が睨んでいる。
 
「大丈夫だよ。私はオリーひとすじだから」
と美来。
 
「アイちゃん、男の子の格好してたんだ?」
と私は訊く。
 
「へ? 男の子じゃないの?」
と美来。
 
「そうか。9月の時は美来や織絵はあの子に会ってないのか」
「まさか女の子なの?」
 
「それが分からないんだよ」
「でも男の子の声だったよ」
「あの子、両声類なんだ」
「えー! あれ?でも、そうだ。あの子、男子トイレ使ってたよ」
「男子トイレなら織絵も男装中は男子トイレ使うでしょ?」
 
「えへへ、札幌ではそれで通した。なかなか楽しかったよ。男装生活も。ハマっちゃって性転換したくなったらどうしようと思った」
 
「性転換したら別れる」
などと美来は言っている。
 
「やはり美来、女の子の方がいいんだ?」
 
「でもアイちゃん、女性歌手として契約したから女性の格好で出歩くことになってるんです、なんて言ってたのに」
 
「違和感なく男装できる子なら、男装で出歩いていても、誰もそのことに気付かないかもね」
などと千里は言った。
 
「青葉とかは、会った時、学生服を着てたけど、女の子がコスプレで着てるようにしか見えなかったけどね」
と付け加えた千里は懐かしむような顔をしていた。
 
「それは冬や千里も同じなんじゃないの?」
と和泉が言った。
 
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【夏の日の想い出・ジョンブラウンのおじさん】(3)