【夏の日の想い出・ジョンブラウンのおじさん】(2)

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『Around the Wards in 60 minutes』(森之和泉+水沢歌月)はヴィクター・ヤングの名曲『Around the World in 80 days』を意識して、オーケストラっぽくまとめた。カンパーナ・ダルキに入ってもらい、ストリング・セクションを活かした作りになっている。またツテをたどって、管楽器奏者も集め、MINOを含めたトランペット4人、トロンボーン3人、ユーフォニウム1人、クラリネット2人・オーボエ1人・フルート3人、それにSHINのサクソフォンという重厚な管楽器セクションも入れた。私とエルシーによるツイン・ピアノまで入れている(スタインウェイのコンサートグランドを2台並べて収録した)。
 
「この曲、歌は無くてもよくない?」
と小風が言うので
「それは言わない約束よ」
と私は答えておいた。
 
『滝を登る少女』(広田純子・花畑恵三)は単純なメロディをカノン、つまり追っ掛けっこにしている。和泉→私→小風→美空の順に同じメロディを歌っていくので1小節ずつずれた歌が響いていく作りである。
 
歌が複雑なので伴奏の方はシンプルにしてあり、ギター・ベース・ドラムスの3つだけでほぼできていて、トランペットとサックスは間奏とコーダにのみ入る形にした。
 

11月11日。美来がまた例によって公衆電話から私に連絡してきた。
 
「私、あまり占いとか風水とか信じてないんだけどさ、冬、誰か家相とか見られる占い師さん知らない?」
 
「ああ、引っ越すの?」
「いや、今住んでいる所を見てもらえないかと思って」
 
「何か問題があるんだっけ?」
「このマンション、3000万円で買ったんだけど、入居したあとで何気なく住宅情報雑誌見ていたら、本来は5000万円で売ってる物件だったみたいなんだよね」
 
「ああ・・・・」
「入居して間もない頃、織絵が窓の外に男が居るの見たって騒いでさ。12階の窓の外に人がいる訳ないじゃん。カラスか何かを見間違えたんだよ、とか言ってたんだけどね」
 
「なるほどね」
「織絵は結局その窓に厚いカーテンを掛けて『開けるべからず』って紙を貼ってたんだけど。あと、よく人の足音がするんだよね。誰もいないはずなのに。織絵が怖がって、お不動さんのお札を買って来て部屋のあちこちに貼ったんだけど」
 
「それって占い師さんを呼ぶまでも無いよ。私が事故物件だと断言してあげる」
 
「やっぱり?」
 
「美来。そのマンション出た方がいい。元々美来が借りてた国立市のマンションがあるよね」
「あ、うん」
「そこって美来が家賃を払うようにしたんでしょ?」
「もったいないから解約することにして、12月いっぱいで退去ということにしてあるんだけど」
 
「それまでの期間でもいいから、そちらに移動しなよ。取り敢えず毛布とかだけでも持っていけば何とかなるでしょ?」
 
「うむむ。そうするか」
「今回のトラブルって、そんな所に住んでて運気が落ちたせいもあるかもよ」
 
「そういうもん?」
「よくある話」
「そうなのか。織絵が怖がってたんだけど軟弱なとか言ってたんだけど」
 

美来は毛布などを運ぶにしても車を持ってないので運べないというので、双方のマンションの合い鍵を1本ずつ私の家に送ってもらい、私と千里・和実の3人で美来の池袋のマンション(ふたりが春に買ったものの事務所が買い上げて現在美来は事務所に家賃を払って住んでいる)に行き、頼まれた荷物を国立市のマンション(元々美来が借りていたもの)に移動させた。織絵の私物など一部の荷物は別途借りたトランクルームに移動した。
 
「禁開封」とマジックで書かれた箱もトランクルームに移動したが
「なんだろう?」
「きっと****とか****とか****とか」
と言い合う。
 
「段ボール2箱も?」
と和実は言うが
「まあ溜まるよね」
と千里。千里と桃香の私生活もどうもよく分からない。
 
池袋のマンションで私は訊いてみた。
「千里、このマンションってやっぱり変?」
 
すると千里は和実に投げる。
「和実ならこのマンション買う?」
 
「絶対買わない。だって見るからに怪しげじゃん」
と和実は言う。
 
「まあ、そういうことだよ」
と千里は言った。
 
「それが織絵がお化けを見たという窓か」
と言って、織絵の字で『開けるな』と書かれた紙の貼ってある窓に触ろうとしたら千里が言った。
 
「冬もトラブル抱えたくなかったら、その窓には触らない方がいい」
「うむむ?」
「その窓を開けるなんて、病院の床を舐めるようなもの」
と千里。
 
「そんなに危険なの!?」
 

中旬に行われたXANFUSのドームツアーは悲惨だった。
 
チケットは10月初旬に発売され、その時点では5万枚売れていた。しかし10月18日に音羽の卒業が発表されると、キャンセルの申し出が相次いだ。事務所は当初キャンセルは受け付けないと言ったものの、販売を担当するぴあ・ローソンチケットなどは「メインの出演者が出演しないことになった以上キャンセルは受け付けるべきである」と強く主張。それで事務所も折れて結局7割ほどにも及ぶキャンセルが行われた。これには10月15日に発売されたシングルに「失望した」という意見が相次いだのも影響している。
 
しかし11月初旬に光帆がテレビ記者のインタビューで音羽と連絡は取れていることを示唆した上で「ふたり分頑張りますから来て下さいね」と発言したことで、買う人が少し出て最終的には3万5千枚ほどの売れ行きになった(ただし、事務所側は20万枚売れて「残りわずか」と盛んに宣伝していた)。
 
売れた内訳は、後から内部資料で判明した数字によれば、北海ドーム1561枚、博多ドーム2042枚、愛知ドーム2274枚、埼玉ドーム3537枚、京阪ドーム7710枚、そして最後の関東ドーム2日間が3618枚・16171枚である。それぞれ3-4万人を収容できる会場で、なんとか形になったのは最終日の公演だけ。あとは本当に観客がまばらで、拍手も前の方に陣取った数十人の熱心なファンが送るだけでかなりしらけたものだったという。
 
光帆はもう泣きたい気分であったと言っていたが、それでもこんな状況の中で来てくれたファンのため本当に熱唱した。それで行ったファンの間では「光帆ちゃん、凄く頑張ってた。ほんとうにいいコンサートだった」と評価は高かった。
 
「ステージのセットが物凄く安っぽかったよ」
と偵察に行ってきた風花が言っていた。
 
「小学校の学芸会並みのセット。かなり予算をケチってるね。あとあんなにがらがらなんだから席は自由に移動させてもいいじゃん。でも指定の席から動くのは禁止ってことでさ。アリーナががらがらなのに、スタンドで見てる観客が多かったのよね」
 
「まあ価格差があるから、スタンド席を買った人が多かったろうね」
と私は答える。
 
「動員掛けなかったの?」
と政子が訊く。
 
動員というのは客の入りが悪いときに体裁を整えるため無料券を配って客を水増しすることをいう。外タレ(外国人アーティスト)の公演では特に多く行われる。最近の一部のアーティストでは更にバイト代を払って客席に座ってもらうサクラまで使用しているものもある。お金を払って見に来た客からすれば非常に不誠実な行為だ。
 
「社長さんが、タダで見せるなんてもってのほかと言って許可しなかったらしい」
「その姿勢は評価していいと思う」
 
「でも光帆ちゃんひとりで熱唱してた。あれはほんとに頑張ったと思う」
と風花。
 
「伴奏は誰がしたんだっけ?」
と政子が訊くが
「カラオケだよ。しかも明らかに打ち込みが素人。ベロシティ(音の強さ)が全部同じなんだよ。強弱付けてないから聴いてて凄く不自然(*1)。おそらくアルヒデトさんひとりでは間に合わないからバイトをかなり動員したとみた。それも恐らくタダ同然で使える素人をね」
と風花の答え。
 
(*1)通常たとえばタタタタといったリズムで楽器の音を鳴らす場合、1・3拍目は強く、2・4拍目は弱くなる。そこで例えば各々の強さを100,70,90,60のような感じにした方が、全部同じ強さで打ち込むより人間っぽくなる。但し打ち込み系の人の中には敢えて同じ強さにして機械っぽくするのを好む人も居る。
 
「更にPAさんが素人。ドームでの音響を経験したことのない人だよ。あれ。せっかくの熱唱がスタンド席ではどこまで分かったか。あと照明も適当」
と風花は言う。
 
「そういうの、ちゃんとした会社を使ってないんだろうね」
「たぶん安さだけで選んでいる」
 
「じゃ、かなり費用節約してるね」
と政子。
「それでも関東ドームの使用料は1日2000万円。それから楽曲の使用料は平均8500円の入場料金で4万人が定員の会場のライブなら330万円くらい。これはどちらもケチれない」
 
と私。著作権使用料は実際のチケット発券枚数ではなく定員×入場料で決まることになっている(そういうルールにしなければ入場者を過少申告する所が相次ぐだろう)。
 
「7つの会場で1億3千万円くらいかな」
「会場代・楽曲使用料だけでもそのくらいは掛かっているよね」
「それに売れ行きが悪かったから随分テレビスポット打ったよね」
「うん。あれが最低でも1億、随分打っていたし最後の方は無理に枠にねじこんだだろうから割高になって、ひょっとしたら2億掛かっているかも」
 
「一方で売上は3.5万枚・平均8500円として3億円」
「そこからぴあ等への委託料を引けば2億5千万程度だろうね」
 
「最終的には2億円近くの赤字。もしかしたら赤字は3〜4億に達したかも」
「いや、常識的には赤字だけど、あそこまで徹底してケチケチ作戦で行っていたら案外数百万円程度の利益が出ているかも」
 
「それでも本来XANFUSが出せるような利益じゃないよね」
 
「うん。本気でXANFUSがドームツアーやったら10億利益が出せたと思う。でも今回のやり方では利益が出たとしても、せいぜい5-600万円じゃないかな」
 

そのドームツアーの悲惨な状況について音楽ファンの間であれこれ議論がなされていた中、また衝撃的なニュースが出てくる。
 
『XANFUSに新メンバー』
というものであった。
 
私もびっくりして記事を読んだのだが、光帆ひとりになっていたXANFUSに新たに震来・離花というふたりの女の子を追加し、光帆を入れて3人による新生XANFUSが誕生したというものであった。
 
新生XANFUSは12月にも新しいシングルを発売すると報道されていた。
 
「どうなってんの?」
「もう理解不能」
 
と私と政子は言い合った。
 
加藤さんに聞いたら★★レコードでは知らないということで、あるいは独自レーベルを立ち上げるつもりではと言っていた。ただどこか大手に流通を委託しないと、まともなセールスは見込めない。
 

XANFUSが3人になったというのが発表されたのが11月22日(土)で「新生XANFUS」はその連休(22-24日)、関東周辺でのキャンペーンを行った。が、そのことは&&エージェンシーのホームページに掲示されただけで、事実上ほとんど広報がなされなかったので、観客はキャンペーン会場近くに偶然居た人だけで、閑散とした状況であったという。
 
この件は新聞や雑誌も黙殺し、報道さえもされなかった。
 
11月30日、光帆は&&エージェンシーに対して専属契約の解除申入書を提出した。
 

「美来(光帆)の契約期間って4月から3月までだったんだ?」
 
私たちのマンションを訪問してきた美来にエルシーからもらった山梨産フェーダーヴァイサー(発酵途中のワイン:ワイナリーから持ち帰る最中でも炭酸が発生してくるので瓶のふたを閉めることができない。当然長距離輸送は極めて困難だし日持ちもしない)を勧めながら私は尋ねた。
 
「うん。実際に最初のメンバーで《XANFAS》が結成されたのは2008年6月1日で、私の最初の契約も6月1日発効だったんだけど、年度の境界がキリがいいよねと言って4月1日更新にしたんだよ。契約解除申し入れは自動継続になる3ヶ月前までに書類で提出する必要があるから、12月末までに出す必要があるんだよね」
 
「まあ4ヶ月前に提出すれば、充分信義に反しないと思う」
と私も答える。
 
「社長さん何か言った?」
「途中契約なら違約金5000万円要求する、と言ったんだけど、私が途中契約じゃなくて契約期間の終了で次の契約をしないというだけですと言ったら、いったん預かると言われた」
 
「まあ放置されたら内容証明だね」
「うん。それを年内にやることになると思うから、この時期にまずは普通に提出した訳だけどね」
 

「そうだ。面白いもの見せてあげる」
 
と言って私はビデオをパソコンで再生する。美来は画面をのぞきこんだが、
「何これ〜!?」
と声をあげた。
 
それは札幌のスタジオで収録された映像で、ふたりの女性が『Take a Chance』という曲を歌っているものである。
 
「これ XAYA っていうんだ?」
と言って美来は楽しそうに見ている。
 
「うん。XAN作曲・AYA作詞だって」
「へー!」
 
歌っているのは、ゆみ(AYA)と織絵(音羽)である。
 
「権利関係の調整に手間取ったんだけど、$$アーツと★★レコードの承認が取れたんで、今日の夕方にもyoutubeに登録する」
 
「織絵元気そう」
と言って美来は少し寂しそうな表情をした。
 
その時、音も立てずにそっと美来の後ろに忍び寄っていた女性が、いきなり美来の目のところに後ろから手を当てると
 
「だ〜れだ?」
と訊いた。
 
「オリー!?」
と言って驚いたように美来は後ろを振り向いた。
 
そして織絵と美来は堅く抱きしめ合って熱いキスをした。
 
私と政子は静かに席を立った。
 
「客用寝室の右側に暖房入れておいたから自由に使ってね。あと食べ物も飲み物も自由に。そのフェーダーヴァイサーも全部飲んじゃっていいから」
と私。
 
「ろうそくと亀甲縛りロープと叩いても痛くない鞭とダブルのおちんちんも置いておいたよ」
と政子。
 
「じゃね」
と言って私と政子は自分たちの寝室に籠もった。
 

KARIONのアルバムで12月に入ってから最初に制作したのが『皿飛ぶ夕暮れ時』
(櫛紀香作詞・黒木信司作曲)である。
 
ところがこの曲の演奏方針について話し合っていたら、SHIN(黒木信司)が
「あれ?」
と言う。
 
「どうかしました?」
「これクレジット違う」
「え?」
「これ僕の作曲じゃないよ。櫛君が詩も曲も書いたんだけど」
「そうでしたっけ?」
「僕が渡した手書きの譜面、そう書いてなかった?」
 
「ごめんなさい。私が入力する時にたぶん櫛紀香作詞というのを見て、SHINさんから譜面もらったしで、黒木信司作曲と入力しちゃったんだと思います」
と和泉が謝る。
 
「僕は今回曲の構成とかについてアドバイスはしたし、スコアにまとめたのも僕だけど、作曲のクレジットを入れるほどまでは関わってないよ」
「すみませーん」
 
その時、小風が「あっ」と言う。
 
「どうしたの?」
「ここでSHINさんが抜けると、例の人数が24になるなと思って」
「あ、ほんとだ!」
「これで四・十二・二十四、というタイトルが不自然にならない」
「SHINさん、ナイスプレイ!」
 
と私たちは声をあげたが、当のSHIN本人は「何?何?」と訳が分からない様子であった。
 

この曲のPV制作では海外ロケを行った。
 
バンコクに実在する、料理の皿をテーブルへ投げて配膳するという名物レストランで取材させてもらい、その様子を背景に4人が歌っている。皿が飛んできて目を丸くする4人の様子も映っているが、これは日本国内で撮影したものである。料理の皿を実際に投げてくれたのは千里だが、撮影中に割れた皿は3枚だけでちゃんとテーブルの上で停まるし料理もこぼれないので「もんげー」と小風が言っていた。小風はどうも例のアニメにかなりハマっているようである
 
曲自体はライトロック風に、ギター・ベース・ドラムスを中心に演奏。これにサックスとトランペットを絡めたのだが、櫛紀香さんにも参加してもらい、彼にオカリナを吹いてもらっている。このオカリナの柔らかい音色がこの曲に優しい雰囲気を添えてくれた。
 
『トランプやろう』(樟南作詞作曲)は元ネタが『トラック野郎』なのでツテを頼って電飾トラックを所有している人数名に協力してもらい、夜の道を電飾トラックが走っている所を撮影し、その電飾トラックを背景にKARIONの4人がポーカーをしているところをPVとして制作している。
 
歌はサウザンズっぽいロックンロールのリズムに乗せてこれも軽快な雰囲気にまとめている。
 
最後に収録したのが『もう寝ろよ赤ちゃん』(スイート・ヴァニラズ作詞作曲)である。実はこの曲、最初に「1曲できちゃったけど」とEliseから連絡があったのが9月の中旬だったのだが、その後何度も「あ、やっぱし少し改訂する」という連絡があり、譜面が確定したのは結局11月も下旬であった。
 
「もう改訂無いですか?」
「うん。たぶん」
 
というEliseの返事を信じて制作に入ったものの、録音している最中に
 
「ごめーん。あと1回だけ変更」
という連絡が入った。
 
「ところでEliseさん、22小節目の記号が意味が分からないのですが」
「あ、それ瑞季の悪戯書き」
 
どうもEliseの赤ちゃん(3月8日生)は活発だし、音楽好き(楽譜好き?)なようである。
 
「もう活発で活発で、女の子でもこんなに活発なんだっけ? もしかして女の子というのは勘違いで男の子じゃなかったっけ?と思わずお股を再確認したよ」
 
などとEliseは言っていた。
 
「女の子でした?」
「うん。男の子の形には見えなかった。念のためそのあたりにおちんちんが落ちてないかも探したけど見付からなかった」
 
「あれって落ちるもんなの?」
「私が使うのはよく落ちるけど」
「それ外出先で落としたりしないようにしてくださいよ」
「なっちゃん(スイート・ヴァニラズのマネージャーで事務所の社長)から、外出する時は装着禁止と言われてる」
 
禁止されたってことは一度落としたのか??
 
この曲は、スイート・ヴァニラズっぽい甘い雰囲気のハードロックに仕上がっている。トラベリングベルズの通常の構成に加えて、小風がリズムギター、私がキーボードを弾いてスイート・ヴァニラズと同様の Gt1/Gt2/B/KB/Dr という構成で演奏するのを基本に、サックスとトランペット、更に和泉のグロッケンを乗せている。美空が暇そうにしていたので、AYAのゆみから譲ってもらったという(特製の)オタマトーンを演奏してもらった。結果的にはこのオタマトーンの気の抜けたような音が赤ちゃんが騒いでいる雰囲気を出して、いい感じに仕上がった。
 

XANFUSの件は、事態は私たちの想像を斜め上に逸脱する形で進んだ。
 
美来が契約解除の申し入れをした翌日の12月1日、&&エージェンシーは唐突にホームページ上で、光帆を解雇したと発表した。事務所側の言い分では光帆は新しいシングルの制作に協力的ではなかったので、アーティスト契約上の信義に反するとした。また事務所は光帆に対して、その問題に関する違約金として1億円を請求すると言明し、本当に弁護士名義での請求書を送ってきた。それで光帆は私からお金を借りて1億円を即支払った。
 
請求書が届いたのが12月2日で、光帆はその翌日、現金で1億円(銀行の封がされた100万円の札束を100個)を持ち込んだので事務所のスタッフが数人がかりで確かに1億円あることを確認するのに1時間掛かったらしい。
 
しかしこれで光帆は12月4日付けで自由の身になった。
 
一方、ゆみと音羽がデュオで歌った「XAYA」の映像は11月30日の夕方にアップされてから、またたく間に話題になった。巷では$$アーツが音羽と契約するのでは? という観測も流れたが、当の音羽は新たに開設したツイッターのアカウント(神崎美恩・浜名麻梨奈に、私とゆみが即フォローしたことから真性と認められた)から、@@エンタテーメントと12月1日付けでアーティスト契約を結んだことを2日の朝に発表した。
 
@@エンタテーメントは、一度引退した歌手の再起プロジェクトで、この時点では∞∞プロの一部門という性格であった。この時点で所属していたのはKARIONの夏のツアーに参加してもらったマミカとテルミ、ローズ+リリーのライブに出演してくれた近藤うさぎ・魚みちる、など10人ほどであったが、音羽の参加はこのプロジェクトで最も大物となった。
 
そして&&エージェンシーとの契約が切れた光帆も12月5日付けで@@エンタテーメントとアーティスト契約をした。@@エンタテーメントは12月6日、音羽と光帆のデュオによる新ユニットΦωνοτον(フォノトン)を結成すると発表した。
 
音子(おんし・フォノン)と光子(こうし・フォトン)の合成語である。
 
あわせて@@エンタテーメントは、神崎美恩・浜名麻梨奈とも契約したこと、Φωνοτονの音楽はこのふたりで制作していくことも発表した。
 

「結果的にはXANFUSがまるごと、&&エージェンシーから@@エンタテーメントに移籍したようなもんだよね」
 
と、その日私は和泉たちと話していた。
 
「収支的には、音羽は退職金2000万円をもらい、マンションを3000万円で買い取ってもらって5000万円もらっている。それで光帆は違約金として1億円払ったから、相殺計算すると5000万円事務所に払ったようなもの」
 
「要するに移籍金として5000万円払ったみたいなもんだよね」
 
「そのままPurple Catsも合流したりして」
「うん。昨日noirと電話で話したんだけど、そのつもりだって。今丸山アイちゃんの制作をやっているから、それが終わったら@@エンタテーメントと契約してフォノトンの伴奏をやることにすると。だから春のツアーは丸山アイとフォノトンの日程をずらして、両方やると言っていた」
 
「頑張るなあ」
 
「音羽・光帆・神崎美恩・浜名麻梨奈・Purple Catsといった名前の権利はどうなってたの?」
「元々&&エージェンシーでは申請していなかった。悠木さんが社長になってから申請したものの、商標出願が却下されたらしい。XANFUSも却下」
 
「商品の品質を表示するのに使用する名称は商標として認められないって論理だよね(商標法第三条の三)。CDに演奏者:XANFUSと表示した場合、それはXANFUSが歌っているということを表すのにすぎないから、そういうものは商標ではないと。レディ・ガガとかも商標登録の申請が拒否されている」
 
「でも商標登録されている歌手名もあるよね?」
「どうも通る通らないの基準が曖昧なんだよ。でも最近は拒否される例が増えてる」
 
「ということはXANFUSという名前でさえ自由に使えるんだ?」
「まあレコード会社がうんと言わないよね」
「でもバンドが分裂して双方が同じ名前を名乗ったりする例もあるよね」
「全く同じでなくても紛らわしい名前だったりね」
 
「私と小風が喧嘩別れしたら、KARIONがふたつできたりしてね」
と和泉が言う。
 
「何で喧嘩するの?」
と小風。
 
「おやつの取り分をめぐって争うとか?」
と美空が言うと
 
「それはみーちゃんやマリの話だ」
と私は言った。
 

XANFUSの件で世間が騒然としている中、ローズクォーツのタカが12月7日、結婚式を挙げた。
 
タカは、芸能記者から
「おふたりとも花嫁姿ですか?」
などと訊かれるのを
「すみません。それやると、彼女のお父さんから結婚を認めてもらえないので」
などと言って、かわしていた。
 
式および披露宴は都内のホテルを使用したが、「しろうと歌合戦」が人気番組として定着していることもあり、招待客100人ほどの大規模な披露宴となった。
 
マキは2011年12月10日に結婚しており、この時に私とマリが披露宴で歌唱したのが、ローズ+リリーの公の場での3年ぶりの歌唱となって、その後の活動再開につながっている。サトは1年ほど前、2013年12月29日に結婚した。ヤスは元々ローズクォーツに参加した時点で既に結婚していた。
 
挙式は神式で行われ、マキ、サト、ヤス、私に、Ozma Dreamのふたりも参列している。麗さんは白無垢、タカは紋付き袴で挙式に出た。
 
少し休憩時間を置いて披露宴が始まる。披露宴の入口では色打掛け姿の花嫁と紋付き袴姿のタカが並んで出席者を迎える。そして全員入った所で、サトが編集してくれたスライドショーが上映される。高校時代の貴重なふたりのツーショット写真(体育祭のものらしい)、お茶目で混ぜられているタカの女装写真(高校の男子部で行われたミスコンのもの)、などには歓声が上がっていた。そのあとローズクォーツの生演奏にあわせて、本振袖に着替えた麗さんと紋付き袴のタカが入場してくる。ここでギターはジュリアが代わりに弾いている。
 
ふたりがひな壇に就いたところで、新郎側・新婦側双方の挨拶が行われる。新郎側の挨拶はUTPの大宮副社長、新婦側の挨拶は麗さんが所属している羽田空港のCA部門の部長さんがしてくれた。そして乾杯の音頭は★★レコードの加藤課長が取った。
 
披露宴には「しろうと歌合戦」の司会者ヨナリン、アシスタントの川崎ゆりこ、上島先生と春風アルトさん、鈴鹿美里、槇原愛とシレーナ・ソニカ(覆面の魔女)、スターキッズのメンバー、★★レコードからは梶原さん・氷川さん・加藤課長が来ている。余興では花婿自身も参加してローズクォーツの『カウントダウン』と『小豆島・天使の道』を演奏した。むろんボーカルはOzma Dreamであり、私がそちらでは歌わないことで、現在ローズクォーツの正ボーカリストは彼女たちであることを印象づける。一方、私はマリとふたりでローズ+リリーの『恋人たちの海』を歌って祝福している。
 

「これでローズクォーツはボーカル以外、全員既婚者になった訳か」
と上島先生が言う。
 
「高校時代に出会ったふたりが34歳にもなってやっと結婚したというのはロマンですね」
と私が言うと、上島先生はハッとしたような顔をした。
 
あ、このネタで何か曲を書くな、と私は思った。
 
「だけどさっきローズクォーツが歌った『小豆島・天使の道』って可愛い曲だね」
「ワンティスの『トンボロ』のPVでもあそこを使いましたね」
「そうそう。比較している人がよくいたけど、内容的には全く異なる歌だから」
 
「でも桜島法子さんの曲って、坂井真紅(さかい・まこ)ちゃんに提供している曲にしても可愛いのが多いですよ」
と私。
「彼女は結果的には歌手としてより、作曲家として才能を発揮しはじめた感じ」
と上島先生も言う。
 
『小豆島・天使の道』はローズクォーツが11月に発売した2年ぶり3枚目のオリジナル・アルバム『アイランド・リリカル』の中の曲で、ローズクォーツのオリジナル・アルバムとしては初めて10万枚/DLを突破している。この曲は特に個別ダウンロードの多かった曲である。このアルバムの楽曲は全て霧島鮎子作詞・桜島法子作曲とクレジットされていた。
 
「あれは霧島鮎子さんと桜島法子さんが2人で1年がかりで全国の島を渡り歩いた時に書いた曲で、発表の機会を探っていたらしいんですよね。たまたま★★レコードの氷川さんが桜島さんと雑談していた時にその話が出て、ぜひローズクォーツで歌わせてという話になったんですよ。向こうも坂井真紅に歌わせるのには合わないしと思っていたらしくて」
 
「僕にはできない仕事だなあ」
「私にもできないです! 歌われている島の中には行くのに数日がかりって島も幾つかありますし」
 
舳倉島などは輪島からの船が1日1便しかないものの、島には宿泊施設などは無いから、誰か適当なコネを使って民家に泊めてもらうしか無い。孀婦岩などはそもそも近くを通る定期航路が存在しないのを、たまたま企画された豆南諸島経由で小笠原を訪れるツアーに参加したものらしいが、小笠原の各島を巡るオプショナルツアーと組み合わせたので合計2週間の旅程だったらしい。父島に2泊した以外はずっと船上生活である。
 
「そんなに休暇もらえないもんね」
「通信途絶するところが多いですから」
 
私にしても上島先生にしても、いくつかのレコード会社から24時間以上の通信途絶はしないようにしてくれと言われている。
 
「ふつうの人だと資金的にも厳しい」
「ええ、一般の勤め人や主婦にはできないです」
「船酔いする人にも無理だよね」
「彼女たち船酔いはもう開き直ったと言ってましたよ」
 
「アルバムに同梱した写真集がまた凄いね」
「ええ。あの写真集目当てに買った人も随分あったみたいです」
 
CDにはCDケースサイズ40ページにも及ぶ写真集が付いていた。あまりにも内容が凄いのでふつうの写真集サイズで120ページくらいのものを出版しないかという話も出ているようである。
 
「しかしRose Quarts Plays Sex Changeはミリオン行っちゃったし、氷川君はローズクォーツの事実上のプロデューサー的な位置になってきたね」
 
「でも自分はあまり市場的なことは考えていない。単に自分の好みで提案しているだけだと言ってますけどね、本人は」
「彼女の自由にさせてあげている加藤君、そしてそれを素直に受け止めているタカ君たちやケイちゃんたちも、いいんだと思う」
 
「でも『アイランド・リリカル』のような良心的なアルバムが10万枚で『性転換ノススメ』のような、冗談みたいなアルバムが100万枚というのは個人的には、いいのかなあとは思いますけどね」
 
「そのあたりは仕方ないよ。良い作品と売れる作品はある程度割り切らないといけない」
と上島先生は言う。
 

上島先生と色々な話題で盛り上がっていた時、司会をしていたUTPの悠子が
 
「それではここでサプライズゲストです!」
というと、ドアが開いて5人の美女がレオタード姿で入ってくる。
 
「RoseQuarts Plays Sex Changeのキャンペーンに登場した性転換美女の5人です!」
と悠子が言うと、思わず歓声があがるが、花婿のタカはあんぐりとした表情、花嫁の麗(うらら)さんは、あからさまに嫌そうな顔をする。
 
5人はいつの間にかピアノの所に座っている雨宮先生の伴奏で『ふたりの愛ランド』を歌った。スポーツをしているおかげで肺活量もあり高音の出る千里がケイのパート(石川優子パート)、やや声が低い花村唯香がマリのパート(チャゲ・パート)を歌った。後の3人はコーラスである。雨宮先生はピアノもとても上手いのだが、このように人前で演奏するのは極めて珍しい。
 
その美しい歌唱に大きな拍手が起きる。
 
「はい、自己紹介して」
と雨宮先生が言う。
 
「歌手の花村唯香です。性転換してから1年10ヶ月ほど。女の子の身体って調子いいわよ。あなたも性転換してみない?」
 
「ダンサーの近藤うさぎです。性転換してから10年ほど。もう男の子だった頃のことは忘れちゃった」
 
「一般人という建前の仮名C子です。性転換したのは高校生の時です。多分8年くらいかな。おちんちんなんて無い方がいいですよ。皆さん取っちゃいましょう」
と言ったのは千里である。
 
「一般人と主張している匿名希望です。性転換したのは2年ちょっと前です。まだ籍は入れてないけど、同棲しているフィアンセがいます。向こうの両親にもお嫁さんとして認めてもらってます。あなたも性転換して幸せをつかみましょう」
などと言ったのは和実である。
 
「元歌手の新田安芸那です。性転換してから15年くらいかな。今は引退して一般人。ごく普通のそこら辺に居る子持ちママです」
と新田安芸那は言ってから
 
「タカ子ちゃん、なんでそんな男の人みたいな格好してるの? 結婚するんでしょ? ちゃんと可愛いお嫁さんにならなきゃダメじゃない」
と言う。
 
「待って。俺、男だから花婿なんだけど」
とタカ。
「嘘ついちゃだめ。タカ子ちゃんは可愛い女の子なんだから。よし、みんなでお色直しに連れて行こう」
 
すると雨宮先生がピー!と笛を吹き、5人の性転換美女軍団はひな壇のタカを拉致すると「ちょっと待て〜。やめろー」と叫んでいるタカを強引に連行して会場の外に出て行った。
 

「えーっと、花婿さんがお色直しに行っちゃったみたいですけど」
と司会の悠子は言ってから
 
「ちゃんと花婿のまま戻って来るんでしょうか?」
と不安そうな顔で言う。
 
「もし花嫁になって戻って来たら離婚です」
と本当の花嫁の麗さんが言う。
 
「でも私もお色直ししてきます」
と言って、拍手で送られて退場する。
 
そして15分ほどの後、会場のドアが開き、音楽が鳴るなか、千里と近藤うさぎに両脇を抑えられたピンクのウェディングドレス姿のタカが戻って来る(どうも一番腕力のある2人が徴用されたようである)。ちゃんとメイクもきれいにされているし、胸にはバストパッドが入れられていて、けっこうな胸がある。
 
「きゃー!」
という声が会場内に響き、芸能記者たちが寄って行って写真を撮る。
 
そこに遅れて白いウェディングドレス姿にお色直ししてきた麗さんがお姉さんに付き添われて入ってくる。しかしピンクのウェディングドレス姿のタカを見て、眉をひそめる。
 
悠子がタカにマイクを向けるとタカは
「麗、ごめん。強引に押さえつけられて着替えさせられた」
などと言っている。
 
「花嫁さん、安心して。こちらの花嫁さんにあってはならない、おちんちんも除去しちゃったから安全な初夜が迎えられるから」
と近藤うさぎが、そのマイクに割り込んで言う。
 
「それ初夜には困るのでは?」
と悠子が心配そうに言う。
 

すると麗さんは怒ったようにして近づいて行き
「このまま離婚式に移行する?」
などと言う。
「あと5分猶予をちょうだい」
とタカ。
 
結果的にピンクと白のウェディングドレス姿のタカと麗さんが並んだので、芸能記者が盛んにフラッシュを焚く。参列者の中にも寄ってきて写真を撮っている人がいる。
 
その時千里がタカの背中に回ると、糸か何かを切ったようである。うさぎとふたりで左右の袖を持って引くとあっという間にウェディングドレス姿のタカがタキシード姿に変身する。
 
「おお!」という声が上がる。
 
和実がタカの顔にクレンジングを使って素早くメイクを落とす。うさぎがタカの履いていたパンプスを脱がせ紳士靴を履かせる。ウェディングドレスの麗さんとタキシード姿のタカが並んだので、それをまた芸能記者が写真に撮る。今まで座っていた参列者が何人か近づいて来てやはり写真を撮る。
 
「ではキャンドルサービスです!」
と司会の悠子が言い、花村唯香がふたりにライターを渡す。麗さんも笑顔で受け取る。場内の照明が落ちる。それでふたりは各テーブルの燭台に火をつけてまわった。
 
いつの間にか雨宮先生と「5人の美女」のテーブルも用意されていて、全員パーティー用のドレスを着ている。タカはそこにキャンドルサービスする時に「勘弁してくださいよ」と言っていた。すると雨宮先生は「インドでヒジュラが結婚の祝いの余興をするようなものよ」などと言う。
 
「ついでにタカちゃんもヒジュラに入らない?」
「お断りします」
 
ちなみに披露宴が終わるよりも速く更新されたスポーツ新聞系のニュースサイトには、白いウェディングドレスの麗さんとピンクのウェディングドレスのタカが並んだ写真が掲載され「ローズクォーツのタカ、レスビアン婚?/披露宴中に性転換。XXXは除去済み!?」などという見出しが躍っていた。
 

タカと麗さんは、その日は都内のホテルに泊まったあと、明日・月曜日から麗さんの勤めている航空会社のハネムーン向けのツアーを利用してカナダに1週間の旅に出かけた。「しろうと歌合戦」は年末の特別番組のためお休みで実はそのタイミングを利用して結婚式をあげたのである。
 
そして火曜日、政子は自動車学校の卒業試験に合格。木曜日に運転免許試験場に行って筆記試験にも合格し、グリーンの帯の運転免許証を手にした。こちらは金曜日から始まるローズ+リリーのツアーが始まる前にぎりぎり間に合った。ツアーが始まってしまうと、自動車学校はツアー終了後まで延期になる所であった。
 
「もっと可愛く写真に映りたかったのに、ポーズを取る間もなくいきなりパシャッと撮られるんだもん。ひっどーい」
などと文句を言っている。
 
「まあ次に更新する時に可愛い表情をするように頑張ろう」
「有効期限は2017年7月17日か。その時はそのこと忘れてそうな気がする」
「まあ、そう言う人は多い。車はどうするの?」
「今回のツアーが終わってから買いに行くけど、キューブもいいなと思って」
 
「カイエンじゃないんだ?」
「自動車学校に行くのに、妃美貴ちゃんのモコで送ってもらってたらさ、あのモコも可愛くていいなと思っちゃって」
 
「ほほぉ」
「それでこないだモコ売ってるお店に連れて行ってもらったんだよ」
「ああ、見てきたんだ?」
「そしたらキューブがけっこういいなと思っちゃって」
 
「キューブならモコと違って車内もけっこう広いでしょ?」
「うん。あのくらいあればHするのにもそんなに困らないかなと」
「そういう基準なの!?」
 

XANFUSの件はその後、更に思わぬ方向に進んだ。
 
@@エンタテーメントが音羽・光帆・神崎・浜名によるΦωνοτονを立ち上げたことに対して、&&エージェンシーは当社の権利を侵害していると抗議したものの、何の権利を侵害しているのかというマスコミからの質問に対して具体的に答えることができなかった。
 
そして12月14日(日)。悠木朝道社長が解任されてしまった。
 

「悠木さんって絶対的なオーナーだった訳じゃないの?」
と私はその日マンションに訪れた音羽・光帆と話した。
 
「悠木朝道社長が個人的に持っていた株は25%にすぎない。それがイタリアから突如帰国した麻生杏華さん、従兄の道徳さん・叔父の二郎さん、そして創業者の娘である悠木栄美さんが協同して悠木朝道さんを解任した。今回協同した人の株を合わせると75%で重要事項を決定することのできる67%を超えているんだよね」
と音羽が言う。
 
┌麻生一郎──道徳(10)
├麻生有魅子─杏華(20)
└麻生二郎(10)
 
┌悠木稀治─栄美(35)
│      ||
└悠木朝治─朝道(25)
 
「ちょっと待って。悠木栄美さんって、社長の奥さんでしょ?」
「うん。新体制では副社長の肩書きになっていた。それが今回のクーデターで自ら社長になった。本来ひとりで35%を持つトップ・シェアホルダーなんだよね」
 
「奥さんが旦那さんを解任したんだ!」
 
「栄美さんは経営工学科の出身でもともと経営の基礎教育を受けているし、大学を出たあとミネベアに入った人で、聞いているとどうも高橋高見の最後の弟子っぽい」
「それは凄い」
 
「それで元々経営的なセンスは持っていたみたいなんだけど、この業界には素人だったんで、夫の経営をとりあえず見ていたらしい。でも、どうも夫がやっているのはおかしいと思ったので、イタリアにいる杏華さんとメールやチャットでかなりのやりとりをした上でクーデターを起こしたみたいね」
 
「すごいな。でもその奥さん、多分ビジネス的にかなりのやり手だよ」
 
「そんな気がする。楽曲の制作もアルヒデトさんとの契約を解除して、代わりにカトラーズの進藤歩さんを使う方向で検討中らしい」
「谷川海里ちゃんのプロデューサーか! あの人ならいいと思う。同じ打ち込み派でも、あの人の打ち込みは電子臭さがなくて本物の楽器で演奏しているみたいに聞こえるから」
 
「まあそれでその新社長の栄美さんから私たちに打診があったんだよ」
と音羽は言う。
 
「要するに、XANFUS, 音羽, 光帆, 神崎美恩, 浜名麻梨奈, Purple Cats, mike, kiji, noir, yuki の名前、および過去のXANFUSの楽曲を演奏・収録する権利をまとめて5億円で買い取らないかという話」
 
「ほほぉ」
 
「5億円あれば性転換が300回くらいできるかな」
と唐突にマリが言う。
 
「300回も性転換したら身体が壊れちゃうよ、さすがに」
と音羽はまじめに反応する。
 
「もっともそのあたりの権利って、そもそも&&エージェンシーが持っていたわけではないんだけどね」
 
「著作権は神崎・浜名が持ってるし、版権は★★レコードが持っているよね?」
 
「そうそう。ただ名前の権利の帰属は曖昧だった。契約書にも明記してなかったんだよね。それよりこれが大きいんだけど、事務所とレコード会社の契約で、&&エージェンシーの歌手が★★レコードから楽曲をリリースした場合、3年間は他の事務所の歌手には同じ曲は歌わせないという条項がある。その権利を売りたいということなのよ」
 
「なるほど。しかし5億円はそれだけにしては高すぎる気もする」
 
「価格交渉の余地はあるかもね。要するにここ数ヶ月のXANFUSのプロジェクトで実は6億円もの赤字が出ていたらしくて特別背任の疑いも出ているらしいから、それを穴埋めして。財務体質を改善した上で、今回売りだそうとしていた震来ちゃんたちに賭けようということなんだろうと思う」
 
「震来ちゃんと離花ちゃんって、歌うまい?」
 
「うまい。でもあの2人と一緒に歌っていて、私はここにいるべきじゃないと思った。だから私は契約解除を申し入れたんだよ。あの2人はあの2人でやっていける。そもそも17歳の子2人にひとりだけ24歳が入っているのは不自然だよ。若い子たちはその若さを魅力として売ればいいんだから、私は邪魔だもん」
 
「確かにね」
 
「それでさ、冬。その5億円を出してくれない? こないだ1億円出してもらったばかりなのに申し訳ないけど。返済は5−6年で返せるように頑張るからさ」
 
「それ私が出してもいいけど、@@エンタテーメントに買わせなよ」
「それでもいいけど、そうするとまた事務所に首根っこを押さえられる形になるじゃん。自分たちでそういう権利は持っておきたいのよ」
 
「要するに私にホワイトナイトになって欲しいということね?」
「うん」
 
「まあ、いいよ。織絵や美来とも長い付き合いだし」
 
この件に関しては、サマーガールズ出版の顧問弁護士と★★レコードの法務部とも連携の上、悠木栄美さん側と交渉の結果、先に光帆が辞める時に払った違約金1億円を、あれは契約違反ではなかったことにして(光帆の名誉回復)、その1億円をこの売買代金に含めることにした。また5億円はさすがに高すぎるとして3億円での売買ということにし、結局音羽・美来側から新たに2億円払うことで、権利問題には決着をつけることで話がまとまった。またあらためて&&エージェンシーから美来に2000万円の退職金を払うことになった。
 

両者の交渉がまとまったのは12月19日であるが、名前の権利の移転は12月31日付けということにした。
 
それで織絵と美来のΦωνοτονはあらためてXANFUSと改名することになったのだが、&&エージェンシー側は震来と離花によるデュオの名前を Hanacle とあらためると発表した。
 
結果的にはΦωνοτονの名前は26日間で消えることとなった。
 

「取り敢えずふたりでマンションを新たに買うことにした」
と織絵たちは言った。
 
この日、12月22日、織絵と美来はふたりで私のマンションを訪れていた。
 
「ああ、住むところがないとまずいよね」
「今ふたりで住んでいる国立市のマンションも年内に出ないといけないから」
「それまでに引っ越し先を決めるわけ?」
 
今月はもう今日を含めて10日しかない。
 
2010年頃から音羽は吉祥寺のマンション、美来はその国立市のマンションに住んでいたものの、やはり国立市は都心から時間が掛かることもあって美来は音羽の吉祥寺のマンションに入り浸りになり、なしくずし的にふたりは同棲生活になっていた。それで国立市の方はもう使ってないからということで解約しようとしたら、斉藤社長が公式に同棲するのは困ると言い、それで事務所がそちらのマンションの家賃を払うようになり、建前上美来はそちらに住んでいることにしていた。
 
それで今年の春、やはり吉祥寺も夜中まで都心で仕事をしたり、あるいは地方から最終便の飛行機で戻ってきたような場合にたどり着くのが大変ということで、ふたりでお金を出し合って池袋のマンションを買った。そのマンションがいわくつきだったようなのである。
 
美来は11月中旬に私に連絡してきて私の勧めでそのマンションを出ることにして取り敢えず国立市の、美来名義で借りていたマンションに移動した。最終的には池袋のマンションにあった荷物は12月頭に一時的にトランクルームに入れている。しかしこの国立市のマンションも12月いっぱいで退去しなければならない。
 
「うん。今月中に決めたい」
と美来が言う。
 
「それで千里ちゃんに相談しようと思って昨日連絡を取ろうとしたんだけど、連絡が取れなくて」
 
「ああ。千里は昨日はバスケの大会やってたから連絡が取れなかっただけだと思うよ」
「バスケ?」
「あの子、現役の選手なんだよ。性転換手術を受ける少し前にいったん引退したみたいだけど、体調が戻ったところで、また再開したんだよ」
 
「あ、そうか。性転換してたんだったね。でも冬にしても千里ちゃんにしても、言われないと忘れてしまうよ」
「あの子は完璧だね」
「冬もね」
 
「千里ちゃんって、大学院生だったっけ?」
「そうそう。それで学資稼ぎにファミレスのバイトと神社の巫女さんのバイトを掛け持ちしている」
「ご冗談を。作曲印税だけで学資なんて100人分くらい稼いでるでしょ?」
 
「だと思うんだけどねー。それで就職活動しながら、ついこないだまで修士論文を書いていた。今月初めに提出して、やっと一息ついたみたいだけど」
 
「就職活動なんてする必要ないでしょ?」
「だと思うんだけどねー。取り敢えず今日はたぶん連絡取れると思うよ」
と私が言うと
 
「よし」
と言って音羽が千里の携帯に電話をする。あっさりつながり、千里はマンションの下見の同行を了承。すぐに出てくるということであった。
 
 
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【夏の日の想い出・ジョンブラウンのおじさん】(2)