【夏の日の想い出・1羽の鳥が増える】(1)
1 2 3
(C)Eriko Kawaguchi 2013-12-20
2014年4月20日。私は若山冬鶴・名取り披露をした。
私は伯母の若山鶴音を代表とする民謡の「若山流鶴系」の一員となったのだが、お披露目には若山流の家元さんも来てくれていた。10代の頃一時期アイドルをしていた家元さんは
「これで鶴系にまた1羽、おもしろい鳥が増えたね」
と言った上で
「民謡とロックって相通じる所があるんだ。どちらも魂の咆哮だし、即興演奏にこそ命がある。あなた独自の世界を見つけ出して」
というお言葉を頂いた。
ところで、このお披露目に私は民謡に関係無く個人的な友人を多数招いていたが、その中で若葉が「体調が良くないので」と言って当日の朝、欠席の連絡をしてきた。
単純に風邪か何かかと思ったのだが、披露パーティーの会場で遭遇した奈緒が「こないだ遊びに誘った時も体調悪いって言ってたよ」というので、翌日、自宅を訪問してみることにした。
奈緒と有咲を誘ったのだが、当然のことながら政子は付いてくる。また、偶然話を聞いた和泉も、高校の同級生のよしみで一緒に行くことになった。
ここは何度も訪問しているが、とっても素敵なお家である。私たちが訪問すると、お母さんが応接室ではなく居間の方に通してくれて(ここに通すのは本当に内輪の友人だけ)、美味しい紅茶を出して、ケーキも出してくれた。政子のことをよく分かっているので、政子の前の皿には3個ケーキが載っている。
若葉は寝てたと言ってパジャマ姿で出てきた。
「起こしてごめんねー」
「ううん。起きてた方がいいから。今の時期を乗り切れば大丈夫と思うんだけどねー。お店は取り敢えず店長を辞任させてもらって、自由出勤に変更させてもらった」
「どうしたの?」
「何か大きな病気?」
「ううん。妊娠しただけー」
「えーーーー!?」
私たちはびっくりした。若葉は深刻な男性恐怖症で、男の子には肩に触られるだけでも嫌だと言っている。何度か「男性恐怖症を克服するため」友人に紹介してもらってデートをしたことはあるものの、だいたい途中で逃げ帰ってきたと言っていた。それが妊娠ということは、妊娠するようなことまで男の子とすることができたということ??
「病院行った?」
「行ってるよ。予定日は11月23日。今3ヶ月目」
「じゃ、仕込んだのは2月くらい?」
「排卵日は3月2日〜」
「へー」
「彼氏とはいつ結婚するの?」
「結婚はしないよ」
「え〜!? なんで?」
「種もらっただけだから、そもそも結婚する気無い。相手とも純粋な種提供ということで話付いてる。もちろん認知も不要だし養育費とかも不要と私が念書書いて渡した」
「すごーい」
「Hしたの?それとも人工授精?」
「人工授精だけど、記念に1回だけHもした」
「すごーい。若葉が男の子とHできるなんて」
「H自体はこれまでも何度もしてる」
「そういえばそうだった」
「でも男性恐怖症治ったの?」
「ううん。寝てるから好きなようにしていいからと言ったら、優しくしてくれた。実際には眠れなくてずっと目を瞑ってただけだけど」
「それだけできるだけでも進歩じゃん」
「どんな感じだった?」
「悪くはなかったけど、やっぱりHは女の子とする方が気持ちいいと思った」
「なるほどー」
「ピストンされてる時は早く終わらないかなあとばかり思ってた。でも一応濡れたよ。彼がかなりクリちゃんいじってくれたから」
「ほほぉ」
「それかなり男性恐怖症が軽くなっている気がする」
「進歩進歩」
「でも父親誰なの?」
「私たちの知ってる人?」
「そうだなあ。このメンツはだいたい知ってるんじゃないかな」
「お店のお客さんとかじゃないよね?」
「まっさかぁ。元同級生」
「へー! でも若葉が男の子とそんなことできるとはね〜。大学の同級生?」
「ううん。高校の同級生だよ」
「ふーん」
「え?」
「ちょっと待て」
「女子高の同級生からどうやって種をもらえる?」
「女子高には男子生徒いないよね?」
「同級生の素子は実は男の娘だったんだよ。3月末にタイに行って性転換手術しちゃったから、もう女の娘だけどね」
「えーー!?」
「そんな同級生がいたんだ!?」
「よく女子高に入れてくれたね」
「私も3年生になるまで気付かなかったんだけど、同級生の間では2割くらいの子が知ってたと思う。どう見ても女の子にしか見えなかった。胸なんて私より大きかったし」
と和泉が言う。
「あの子、系列の幼稚園から小学校・中学高校とずっと◎◎学園で、一貫して女の子として通学していたんだよね。中学進学の時に若干議論はあったらしいけど、先生たちもあの子が女の子だというの分かってたから、特別にそのまま中等部への進学を認めたらしい」
と若葉が補足する。
「すごーい」
「冬より徹底している子がいたとは」
「私は高校までずっと男子として通学してたけど」
と私は言うが
「このメンツの前でそういう嘘つくのは無意味だよ」
と奈緒から言われた。
「冬が中学でも高校でも女子制服しか着ていなかったのは、このメンツにはとっくにバレてるよ」
と和泉にまで言われる。うむむ。
「じゃ、その素子ちゃんが父親?」
「違うよ。まあ彼との約束で名前は明かさないことにしてるから。でも本当は中学の時のお友だちなんだ」
「ふーん」
「それで、もう名前も決めちゃった」
「あれ?性別分かってるの?」
「まさか。早くても5ヶ月くらいにならなきゃ性別は分からないよ。男女どちらでもその名前にしちゃう」
「ああ、なるほど」
「カズハって言うの」
「どんな字?」
「冬の葉っぱ。冬という字はカズとも読むんだよね〜」
と若葉は言った。
その瞬間、みんなの視線が私に集中した。
「ちょっと」
「冬って若葉と同じ中学だよね?」
と政子。
「そうそう」
「まさか父親って、冬じゃないよね?」
「さあ、どうだろう」
と若葉。
「ちょっと冬?」
「知らない。私は知らない」
と私は焦って言う。
「あ、無責任な態度だ」
「無責任と言われても、ホントに知らないんだけど」
「でも冬はもう精子無いのでは?」
「4年前に去勢した」
「じゃ有り得ないか」
「いや、冬ならきっと何とかする」
「どうやって何とかするのさ?」
「私、子供2人生むつもりだから。1人目が冬葉(かずは)で、2人目はユキハ。こちらは政治の政に葉っぱ。政の字はユキとも読むんだよね」
「まさか父親は政子〜?」
「私、知らないよぉ」
と政子。
「女の子に精子は無いでしょ」
「でも政子、しばしば、冬が妊娠したら自分が父親とか言ってるよ」
「精子あるの〜?」
「ところでここに居るメンツって、全員レスビアンって気がしない?」
と有咲が言った。
お互いに顔を見合わせる。
「うーん・・・・」
「否定できんな」
「でも多分、男の子との経験が無いのは、和泉くらい」
と若葉は言う。
「そうだね。公式見解ではそういうことにしてるね」
と和泉。
「経験あるの!?」
「いつの間に?」
などとみんな驚いたように言うが
「『アメノウズメ』とか、『海を渡りて君の元へ』とかの詩が、男性経験の無い人に書ける訳が無い」
と政子はあっさり言った。
私がKARIONの四人目で水沢歌月=蘭子であることを事実上明かした後、そのことを知らなかった知人から、かなり驚かれた。
やはり最大級の驚きを示されたのが上島先生だ。
「ケイちゃん、あまりにも凄すぎるよ。ケイとしてあれだけ大量の楽曲を書いている一方で、水沢歌月として、あんなにハイクォリティな曲を書いていたなんて。僕は完全に負けたと思った」
1月24日に先生と会った時に言われた。う・・・しかしケイは質より量か!?確かに水沢歌月は研ぎ澄まされているかも知れないけど。
「私は先生の足下にも及びません。私はマリと和泉に詩を書いてもらって年間120曲くらいしか書いてませんけど、先生は詩まで自作して600-700曲は書いておられますから」
「いや、自分で言うのも何だけど、ほぼ粗製濫造になっているから。自分でも反省しているんだけど、いったん引き受けた歌手の楽曲提供を突然やめる訳にはいかないしさ」
「でも大西典香と篠田その歌が引退したし、鈴懸くれあとか前多日登美とかも事実上歌手活動を停止してほぼタレントとしての活動がメインになっているから、4-5年前より少しは楽になりましたかね?」
「うん。それはある。だけど、僕は決めたよ」
「はい?」
「浦中さんから、○○プロの有力新人歌手で南藤由梨奈って子に楽曲を提供してもらえないかと打診されて、いったん断っていたんだけど、あれ受けることにする」
「えーーー!? 大丈夫ですか?」
「ケイちゃんが頑張っている姿を見たら僕も闘志が湧いてくる」
私はその先生の言葉と伝わってくる活力に微笑んだ。が、私は心の中で南藤の件に関しては「どうしよう!?」と焦った。
上島先生は翌日、浦中さんに南藤の件を引き受けると連絡し『南から来た少女』
という可憐な曲を持って行った。
ところが浦中さんは上島先生に断られたのでということで既に蔵田孝治さんに依頼して『フジヤマ・ロック』という格好良い曲を作ってもらっていた(私もこの制作に関与していたので私は上島先生のことばに焦ったのである)。
この2つの曲は全く違う傾向の曲だが、どちらもクォリティの高い曲で南藤の歌唱力を前提に適切な広告を打てばプラチナディスク(25万枚)を狙えると思われた。
私と浦中さんは結局相談の上、27日、上島先生と蔵田さんを都内の料亭で直接会わせた。ふたりが同じテーブルに着くのは、ワンティスとドリームボーイズがデビューしてすぐの頃に雑誌の対談でして以来、13年ぶりということだった。
しかし最初に浦中さんが言った。
「上島先生は、ヨーコージとは初対面ですよね?」
「へ?」
「ヨーコージというのは、実は、柊洋子と蔵田孝治の共同ペンネームなんですよ」
と浦中さんが説明すると、上島先生は
「えーーーー!?」
と言ってまた絶句する。
「済みません。先日はヨーコージで既に楽曲を書いていたことを言わずに」
と私は上島先生に謝罪するが
「いや、それは守秘義務だから仕方無いよ」
と言った上で、
「どういう分担で制作しているの?」
と訊かれる。
蔵田さんを見ると頷いているので私は説明する。
「作曲の主体は蔵田さんです。私は基本的に楽譜をまとめる作業をさせてもらっているだけです。ただその時に、例えば《ミ→ド》みたいに書いてある所を《ミソシド》と展開したりとか、1番と2番で歌詞の字数が違う所の音符を調整したりとかさせてもらっています」
「AA′BA″みたいな所はABだけ書いて16小節にと書いておくと、こいつがちゃんと展開してくれる」
と蔵田さんが補足する。
「それ結構な作業じゃん!」と上島先生。
「でもだから、ヨーコージの曲とケイちゃんの曲は、まとめ方が似ていたのか」
「同じ人が作業しているので。水沢歌月は意識してまとめ方を変えているんです」
「なるほど」
「まあ。俺は《だいたい出来た》所で満足してしまうから。ドリームボーイズの楽曲も最初の頃はその段階から外部のアレンジャーさんに投げてしまってたんだけど、結構解釈間違いが多くてさ。それで2005年頃からは、全面的にこいつにやらせるようになった」
と蔵田さんは補足する。
「発端は私が2004年秋に蔵田さんに松原珠妃に曲を頂けないでしょうか?とお願いしたことなんです。松原は私の同郷で同じ小学校で、私に歌を教えてくれた先生なんですよ」
と私。
「それは知らなかった」
と上島先生。
「それで書いてやるから手伝えと言って手伝わせたら、その楽譜のまとめ方が俺の好みだったから、ずっとそれ以来9年間徴用してるんだけどね」
と蔵田さん。
「ということはだよ」
と上島先生は考えるようにして言った。
「要するに、ケイちゃんが蔵田に作曲を頼んだことで、松原珠妃にヨーコージが『鯛焼きガール』を提供して、それに刺激を受けて」
「ユーカヒさんが篠田その歌に『ポーラー』を提供してくださったんですね」
と私は笑顔で言葉を引き継ぐ。
「そのことを僕も最近知った。つまり現在の日本のポップスシーンの上島vs蔵田という構図の影の仕掛人がケイちゃんだったんだな」
と浦中さん。
「仕掛人は大げさです。たまたまきっかけになっただけで」
と私。
「まあ、俺も上島も、ケイというお釈迦様の掌で遊んでいる孫悟空だな。ケイはうちのバックダンサーでもあるけど、松原珠妃の元ヴァイオリニストで、当時は篠田その歌のヴァイオリニストをしていた」
「ほほぉ」
「お釈迦様なんて恐れ多い。私は、三蔵法師の馬くらいです」
と私は慌てて言う。
「しかし南藤由梨奈はデモ曲を聴いたけど、凄い歌唱力持ってるね」
と蔵田さん。
「正直な話、将来的には保坂早穂を越えるんじゃないかと僕は思っている」
と浦中さん。
「確かにその可能性はあるかもね」
と上島さん。
対談は私と浦中さんと4人だけで、食事をしながら2時間ほど続いたが、大半は最近の洋楽シーンの話に終始した。
「それじゃ、この子については取り敢えず1年くらい、俺と上島と1曲ずつ提供していくというのでどうよ?」
と蔵田さんは言った。
「ケイちゃんも1口乗る?」
と上島先生は言うが
「そんな私みたいな若輩者が入っては。おふたりは格が違います」
と私は言う。
「謙遜するの似合わねー」と蔵田さん。
「格が違うって自分の方が上ってこと?」と上島先生。
私は慌てて首を振る。
「まあいいや。洋子を入れたら、俺たち2人とも吹き飛ばされるかも知れん。とりあえず、ふたりでガチンコ勝負行く?」
と蔵田さんが言い、
「じゃ取り敢えず1年」
と上島先生も言って、ふたりは固く握手をした。
そういう訳で、南藤由梨奈の楽曲は取り敢えず来年の3月までの1年間、上島先生と蔵田さんが1曲ずつ提供していくことが決まったのであった。実際の音源制作指揮については、上島先生も蔵田さんも、そして私も多忙で手が回らないので、上島先生も蔵田さんも知っていて「暇そうで」音楽性の豊かな人ということで、元Lucky Blossomのフロント・パーソンで現在は渡部賢一グランドオーケストラのサックス奏者でもある、鮎川ゆまが指名された。
ゆまは上島先生の盟友・雨宮先生の弟子であると同時にドリームボーイズの元バックダンサーでもある。(七星さんの大学の時の管楽器クラスの元同級生でもある)
その場で蔵田さんがゆまに電話を掛けて、半ば強引に押しつけていた!
話がまとまった所で会食も終わりかなということで、浦中さんが会計のためにちょっと席を立った。その時、唐突に上島先生が言った。
「ところでさ、今度ワンティスの新曲出すんだけど、蔵田、僕と一緒に歌ったりしない?」
「誰が作った曲?上島?」
と蔵田さん。
「それが、高岡の書いた詩にFKさんが曲を付けたものがもう1つ発見されたんだよ」
「へー」
「ちなみにFKって、Fuyuko Karamoto だから」
「なに〜〜〜〜!?」
と蔵田さんは叫び、
「だったら歌ってみようか」
と言って、蔵田さんは悪戯っ子の視線で私を見た。
「そういえばケイちゃん、僕のことは『上島先生』と呼ぶのに、蔵田のことは『蔵田さん』と呼ぶんだね。僕以上に色々指導を受けてきてると思うのに、なんで?」
と上島先生が訊く。
「それは・・・」
と私が言いよどんだら
「おれが『先生』なんて呼ぶなと言ったから」
と蔵田さんが代わって答える。
「ほほぉ」
「俺、先生とか呼ばれる柄じゃないし」
「でも珠妃は『蔵田先生』ですね」
と私は笑顔で言う。
「あいつ、何度も『先生はやめろ』と言っているのに治らないんだよ」
と蔵田さんは不満そうに言った。
「じゃ僕もケイちゃんには『上島先生』は辞めてもらって『上島さん』にしてもらおうかな」
と上島先生は楽しそうに言う。
「えーー? 恐れ多いです」
2014年2月23日。ELFILIESのエミコが結婚式を挙げた。
ELFILIESは2006年、彼女たちが高校2年だった時にデビューした女性4人組の歌唱ユニットである。2008年に私と政子がローズ+リリーとしてデビューした日、私たちは彼女たちの前座を務める形でデビューイベントを行った。そしてこの時、彼女たちが私たちをハグしてくれたので、私たちは随分落ち着けたのである。
私たちとXANFUSとの「友情の儀式」で会う度にハグしあうというのは、元を糺すと、その時のことに行き着く。
そのELFILIESも2009年の夏頃からは事実上活動休止状態になっていたのだが、2010年11月に△△社に移籍し、マリ&ケイから楽曲を提供するようになってから息を吹き返し、その後ずっと中堅アーティストとして活動してきた。しかし昨年頃から、メンバーの体力的な問題から少し活動ペースを落としていた。
カナエの実家は長野県で温泉旅館を経営しているのだが、2013年春にお祖母さんが病気で倒れ、カナエのお母さんだけでは手が回らず、家を手伝ってくれないかというのを打診していたらしい。またコトハは元々絵が好きで、音楽も好きなのでずっと歌手をしてきたものの、絵の勉強もしたいというのをずっと思っていたらしい。そこに唐突に昨年秋、エミコが結婚したいと言い出したのである。
本来は彼女たちは契約で2015年の10月までは恋愛や結婚は禁止されていた。しかしエミコと話し合った津田社長は彼女の希望を認めてあげることにして結果的にELFILIESは解散することになった。
それで1月26日、ちょうど篠田その歌の結婚式があった日にELFILIESのラストライブが東京国際パティオ(キャパ5000人)で開かれた。私と政子はその歌の披露宴が終わった後、そちらに駆け付けて、ライブの最後彼女たちに花束を渡してハグし合った。
そして2月23日の結婚式にも出席する。彼女の結婚相手はふつうの会社員さんである。華やかな芸能界で8年弱やってきたエミコがほんとうに普通の会社員の奥さんが務まるだろうかと私は若干不安を感じていたが、結婚式に行って新郎を見て杞憂だったかも知れないと思った。
何だか豪快な人である。あまり細かいことは気にしないタイプとみた。ちなみにふたりとも掃除が苦手などと言っていたから、部屋が片付いてなくても文句を言われることはないだろう。
新郎は高校・大学とアメフトをやっていたということで体格もガッチリしている。しかし事前にハルカから聞いたのでは殴られたりしたことは一度もないということなのでDVの心配も無さそうで「気は優しくて力持ち」のタイプか。
披露宴にはその元チームメイトが大量に来ていて新郎と一緒にスクラムを組んだりしていたし、一升瓶の一気飲みをしてみせた。(初夜は大丈夫か?)
でも凄い偏食で、ふつうの料理が食べられないと言っていた。初めてデートした時、食事が高速のPAの自販機で買ったカップヌードルだったので呆れたなどというエピソードをカナエが暴露していたが、インスタントラーメンとかレトルトカレーに、マクドナルドやロッテリアのハンバーガー・ポテト、お弁当用ミートボール、せいぜい冷凍ピザ・冷凍海老ピラフみたいなものしか食べられず、エミコ自身も「手料理とか頑張らなくて済むみたいなので助かります」と言っていたし、新郎のお母さんまで「こんな偏食だらけの面倒な子を引き受けてもらって助かります。取り敢えず相手が女性だったからホッとした」などと言っていた。
また彼は特殊な機械の技術者で、その関係の仕事で日本国内のみならず韓国や中国、また東南アジアなどにもしょっちゅう出張して留守がちらしい。それでふたりの交際はほとんどメールで進行し、リアルでデートしたのは数えるくらいしかないなどとも言っていた。
「まあ、要するに亭主元気で留守がいい、です」
などとエミコは言っていた。
「浮気は大丈夫?」
とコトハが訊いていたが
「年間2回までは許してやると言いました」とエミコ。
「その代わり、こちらが浮気したのと同じ回数自分も浮気するからと言われました」と新郎。
いいのか?それで? 披露宴の客は冗談だと思ったようだが、半ば本気じゃないかという気がした。最近のカップルはどうもよく分からない。
同じ事務所の歌手で、槇原愛はまだ大学の合格発表前なので万一落ちた場合に他の所を受けるため出てきていなかったが、kazu-manaのあおいは来ていた。相棒のみどりは昨年秋に出産して休養中である。
「予定通り、夏くらいには復活できそうですか?」
と私は訊いてみる。
「ライブとかはまだ無理かも知れないけど、楽曲制作は行けると思います。赤ちゃんのお世話しながら、あの子、詩を書き留めてるから、私だいぶ曲を付けましたよ」
「それは楽しみだ」
「でもみどりの幸せそうな顔を見てたら、私も赤ちゃん産んじゃおうかなという気になってきた」
「あはは、そのあたりは津田さんと相談しないといけませんね」
などと笑顔で言っておいたが、内心は、そのまま今度はあおいの妊娠で休業を継続しておいてくれてもいいけどという気分である。
スリファーズは3人とも振袖を着て出席していた。
「あまり安っぽい振袖では失礼になるし、かといって新婦よりいいの着てくるわけには行かないし、悩みましたよ」
などと彩夏が言っていた。
「君たち大学はどうするの?」
「私は行かなくてもいい、と言ったんですけどねー」と千秋。
「彩夏のお父さんが大学に行くのが歌手を続ける条件、と言うもので」
と春奈。
「それで私だけ大学に行って春奈と千秋は高校出たら専業になる、という線も考えたんですけどね」
と彩夏。
「結局、3人で一緒に大学行こうという話になりました」
と春奈。
「へー。どこ受けるの?」
「最初**とか**とか言ってたんですが、彩夏のお父さんが、そんな所は大学の内に入らないなんて言うんですよ」
「あはは」
「国立に行けと言われたんですけど、私、そんなの行く頭無いよーと言って」
「結局、A大学を目指そうということになりました」
「ああ、いいんじゃない? 一応上位の大学だよ」
「ですよねー。かなり勉強頑張らないと」
「3人そろって合格できなかったらスリファーズ解散の危機です」
「それは津田さんも町添さんも青くなる」
「それでゴールデンウィークにライブツアーもせずに、私たち3人、合宿で受験勉強なんですよ」
「わあ、鍛えられそう」
「ということで、今年の夏から受験勉強のために休業に入りますけど、合格したら、また曲の提供、お願いします」
「うんうん、頑張って」
と私は励ましておいたが、夏から休業ということになると、kazu-manaが予定通り復活しても、スリファーズの負荷が減るなら、何とかなるなという気分である。
私の負荷は綱渡りが続く。
2月頭に丸花さんから貝瀬日南が秋穂夢久の作品を歌いたいと直訴してきたのだがという話が来た時(丸花さんの自宅を訪問してお願いしますと言ってきたらしい)、私は自分の作曲負荷をあらためて計算してみた。
一昨年、2012年に私に掛かっていた作曲負荷は、作曲から編曲までするもの、作曲のみのもの、編曲のみするものの負荷を4:1:2で計算して300曲相当ほどあった。これは明らかにオーバーフローしていた。
ところがそれから結構負荷の軽減が起きていた。ひとつはローズクォーツの編曲を全部下川工房に投げてしまったことである。また、渡部賢一グランドオーケストラのオーケストレーションについても、下川工房の優秀なアレンジャーであるイリヤ(峰川伊梨耶)さんに投げることにした。
この編曲作業の削減で70-80曲相当程度の負荷が減る。それでもまだ過負荷の気がしていた時にELFILIES解散の連絡が入ったのであった。更にパラコンズが活動休止という連絡まで入ってきたので、びっくりしてパラコンズの、のんのに電話してみた。
「どうしたの〜? どちらか結婚でもするの?」
「あ、私たち全然恋人居ないよ」
「へー。でもどうして休止なの?」
「疲れちゃったなあ、ということで」
「まあ、パラコンズも7年くらいやってきたしね。じゃリフレッシュ休暇みたいなもの?」
「それに近いかなあ。『そのうち』復活するつもりだけど」
「うん。まあ、そのあたりはマイペースでやっていってもいいんじゃない?」
「社長も、私たちの気まぐれはだいたい理解してくれているというか、諦められてるんで、写真週刊誌にスクープされるようなことだけはするな、と言われた」
「あはは。服装もあまり変なの着ないようにね」
「あ、それも言われた!」
ということで、パラコンズの分(これはELFILIESの分より重い)が減ってしまったので、結局2014年夏の時点での私の負荷予定は、作曲編曲までするのがKARIONとローズ+リリーで30曲、作曲だけするのがローズクォーツ、kazu-mana, SPS, 槇原愛、花村唯香、Star Kidsで計40曲とスポット20曲程度、ということで負荷比4:1で計算して180曲相当程度となる。これは若干の余裕さえある量である。
そういう計算の上で、私は貝瀬の件を受諾することにしたのである。まあ政子がやる気になっていたようだしね! だったら、また全日空のボールペンを新しく1本買っておかなくちゃ!!
ところで私は4月に若葉の妊娠報告に驚いたのだが、私の周囲で昨年から順調に妊娠生活を送っていたのがスイート・ヴァニラズのEliseであった。
3月17日(月)。そのEliseが女の赤ちゃんを出産した。予定日は20日だったのだが、少しだけ早い誕生となった。
「今日は満月だからね。満月って赤ちゃん産まれやすいというから、きっと、みんな出て行くから私も出なくちゃって思って出てきたんだよ、この子。少々慌てん坊だな」
などと、超安産で産んだEliseはお見舞いに駆け付けた私たち(政子・和泉・小風・美空・光帆・音羽)に言った。
「名前は決めたんですか?」
「音楽好きになるように、ミューズ、って字は《魅鵜壽》と名付けようかとも思ったんだけど」
と言ってEliseは《命名 魅鵜壽》という紙を見せてくれる。
「へー」
「ヤンキーっぽい」
「ってか本人が自分の名前を書けなかったりして」
「徳子(Londa)が絶対やめろって反対したんで、結局、瑞季(みずき)という名前にした」
と言ってEliseは書き上げた出生届の書類を見せてくれた。後でEliseの母が提出しに行ってくるらしい。
「まあ、母ちゃんにもやめろと言われたしね」
「ああ、普通の名前だ」
「その方がいいと思う」
「ミュージックでミズキって、割といいんじゃないですか?」
「でも魅鵜壽よりはマシだけど、やはり画数が多いから男の子と間違えられたりして」
「うん。この子が男の子になりたいと思った時も便利だよね」
「いいんですか? そういうの」
「性別なんて自分で選べばいいんだよ」
「ほほぉ」
「だけどLondaさんとそういう話をするんですね。彼氏とは話さなかったんですか?」
「もう縁が切れてるから、口は挟ません。金だけ出してもらえばよい」
「すごい」
「まあ、赤ん坊の顔は見せてやったけどね」
「ほほぉ」
「でもLondaさん、ずっと付いてたんでしょ。まるでLondaさんがお父さんみたい」
などと政子が言うと
「ああ、それでもいいけどな。でも認知届け出しても却下されそうだ」
とLondaは言っていた。
なお、このEliseの第1子の瑞季は後にローズ+リリーのバックバンドも務めたFlower Gardensのベーシストになる子である。(Flower Gardensはギターのランが最年長で2004年生、ミズキが最年少で2014年(2013年度)生である)
「あ、それでさ、ケイ」
とEliseは言った。
「先月出したスイート・ヴァニラズのアルバム、絶好調だよ。ケイありがとね」
「いえ、今回は私は何も作曲してないので、お礼はマリに」
「うん。ありがとう、マリ」
「いや、曲を書いてくれたリーフのおかげです」
と政子。
「あれって、リーフさんが書いたの?」
と光帆に訊かれる。
「そそ。営業政策上、クレジットはマリ&ケイ+リーフにしているけど実際にはマリ作詞・リーフ作曲。私は何もしてない。印税もマリとリーフで山分け」
「へー」
「可愛い曲を書くと思った。どんな人?」
と小風が訊く。
「女子高生だよ。富山に住んでいる」
「あ、去年、ローズ+リリーの富山公演で出てきたと言ってたね」
「そそ。ピンクゴールドのサックス吹いて」
「あれ、七星さんが唆してあのサックス買わせたんだよね」
と政子。
「それで唆した七星さん本人もあのピンクゴールドのサックスが欲しくなってしまって、買って年末の自分の結婚披露宴で吹いたんだよ」
と私。
「なるほどー」
「あ。それで今回のアルバムが好調だから、秋頃に次のアルバムを出したいんだよね。音源制作は6月頃から始める」
「Eliseさん、復帰するんですか?」
「まだ無理。このアルバムまではAnna(Eliseの実妹)にやってもらう」
「産後すぐには演奏できませんよね」
「性転換手術の1ヶ月後にステージで歌った冬みたいな超人はそう居ないから」
「冬なら出産して3日で歌えそうだけど」
「無理だよー」
「ああ、やはり出産するつもりでいるんだ」
「そういう訳じゃ無いけど」
「まあ、それで、また楽曲を書いてくれないかな。12曲ほど」
「アルバム1枚分か」
「じゃマリ、よろしくー」
と私。
「高級松阪牛のしゃぶしゃぶで手を打とうかな」
「まあいいよ」
「作曲はまたリーフに投げてしまおう」
「私が書いた詩をLondaさんに選んでもらって、それをリーフにメールで送りつければいいよね」
「そそ。期限は2ヶ月以内と書いといて」
「ちょっとリーフさんが可哀想な気がしてきた」
と小風。
「リーフは今頃くしゃみしてるな」
と政子。
「リーフさんって音楽系の高校か何かに行ってるの?」
「ううん。地元でも有名な進学校だよ」
「へー。でも音楽やるんだ?」
「あの子は歌が超絶上手い。声域も4オクターブあるから」
「それは凄い」
「あの歌で中学時代はコーラス部を全国大会に連れて行って3位入賞させた」
「すげー!」
「コーラスの全国大会3位って凄いね」
「リーフがマリの歌に上手く曲を付けられるのは霊感がハンパ無いから、完全にマリの波動を読み取って曲を書けるからなんだよね。普通の人には私の代役で曲を書くのは難しい」
「へー。霊感が強いんだ」
「日本で五指に入る霊能者だよね?」
「うん。そう思う」
「えーー!?」
「高校生なのに?」
「いや、ああいう分野は凄い子は小学生くらいから凄いよ」
と美空が言う。
「小学2年生の時に誘拐された同級生を見つけ出して無事保護させたらしい」
「凄いね、それは」
「ついでに生まれた時は男の子だったのも、ケイと同じだからね」
と政子。
「何〜〜!?」
「でも既に性転換手術済み」
「高校生なのに!?」
「いやたまに居るよ。Rainbow Flute Bandsのモニカも高校生なのに性転換手術済みだし」
と音羽。
「ちょっと待て。モニカって男の娘だったの?」
「あの子、女の子にしか見えないよね」
「上島先生もあの子がMTFって気付いてたよ」
と私。
「へー!」
「骨格が男の子の骨格だって上島先生は言ってた」
「上島先生って服の上から骨格を見通すの?」
「さすが、女遊びの達人!」
「でもケイの周辺って性別の怪しい人が多すぎる」
と音羽が言うが私は
「私はRainbow Flute Bandsとは縁が無いけど」
と言っておく。
「ここに居る人も、私と美空以外は全員怪しい気がする」
などと小風。
「小風は美空とラブってことないの?」
などと光帆が言い
「それは無い!」
と小風も美空も否定していた。
「しかし早い内に性転換したというとさ、ケイもかなり早い時期に手術しちゃってるよな?」
とEliseは言った。
「それ時々言われるんですけどねー。私が性転換したのは間違い無く大学2年の時です」
と私は答える。
「いや、それは絶対嘘だ」
とElise。
「あ、やはりEliseさんもそう思います?」
と小風が言う。
「大学2年になってから性転換したという話はどうも怪しすぎる気がして」
「ノリ、そこの写真集取ってよ」
とEliseが言うのでLondaが出してくる。
「こんなものを見つけたんだよ」
「ああ、Eliseさんもそれ入手したんですか」
と和泉が言うので
「これ知ってたの?」
とLondaが訊く。
「うちの社長も持ってますよ」と和泉。
「何?もしかして蘭子の何か?」と小風。
「うん」
「なぜ私たちにも見せん?」と小風。
「いや、プライバシーかな、と」と和泉。
「芸能人にプライバシーは無い」と小風。
「ほんとにそれでいいの?」
「いや、とりあえず蘭子には無い」
Londaが笑っている。
「で、何それ?」
と音羽が訊く。
「黒潮? これって、もしかして松原珠妃さんのデビュー作の?」
「そそ。歌が大ヒットしたんで、そのテーマで写真集も作られたんだよ、当時」
スイート・ヴァニラズは松原珠妃と同じ年にデビューしている。当時、珠妃は15歳、スイート・ヴァニラズは18歳である。まだギターとかベース練習し始めて3ヶ月でデビューしちゃったと言っていた。だから実はデビューシングルでは、メンバーは歌だけを歌っていて、演奏は吹き替えだったらしい。初期の頃はエアバンドだったんだよ、といつかLondaは自嘲気味に言っていた。
「ん?」
「ちょっと、この写真の子」
「それ、どう見てもケイだよなあ」
とElise。
「松原珠妃の妹分ということだったらしい。黒潮の主人公は12歳なのに珠妃は16歳で年齢が合わなかったから」
とLonda。
「黒潮の松原珠妃の妹分って、鈴懸くれあちゃんかと思ってた!」
と光帆が言う。
「くれあちゃんは映画のナノ役として鮮烈なデビューしたからね。中学2年生であの演技力は凄かった。でもあの映画実は松原珠妃側とは全然関係無かったんだよ。映画の撮影日程が予定されていた珠妃の全国ツアーとまともにぶつかっていたから、事務所側は珠妃もピコも出せないと言った。ピコはそのツアーでヴァイオリン伴奏をしたから」
とLondaが説明する。よく知ってる!
「ピコ?」
「当時のケイの芸名だよ」と和泉。
「それでヴァイオリンがうまかったんだ!?」
「ケイ、いったい幾つ名前を持ってる?」
「でもこの写真集出たのいつ?」
「2003年」
「というと、ケイは・・・小学6年生!?」
「ちょっと待て。ケイはヴァイオリンは中学生になってから練習し始めたなんて言ってなかったか?」
「このピコの件がバレるから、誤魔化してたんだよ」
「そういうことか!」
「なんて嘘つきなんだ!」
「でもこれバストがBカップはある」
「おちんちん・・・付いてないよね?これ」
「うん。付いてたら、こんなビキニになれない」
「つまり、ケイは小学6年生の頃、性転換済み、豊胸済みあるいは女性ホルモンを既に2年程度はしていたんだ」
「誤魔化してるだけだよお。胸も上げ底だし」
と私は言ってみる。
「ヴァイオリンのことで嘘ついてたんだから、バストのことも本人の言葉は信用できん」
「それに多少誤魔化したって、そもそもこの体形が女の子の体形だよ」
「完全に平らな胸なら上げ底してもここまではできない。最低限Aカップ程度はあったはず」
「うんうん。多分、ケイは小学3年生頃までには既に性転換済みだったんだ」
「それは無いよぉ」
「だってケイが男の子であったことを示すような証拠が何ひとつ出て来ない」
「そうそう」
「2年くらい前だったかな。週刊誌が《性転換before/after》って特集組んで、性転換美人さん10人くらいの男の子時代の写真と現在の写真が掲載されてたんだけどさ、その時、ケイをその特集の目玉にして掲載しようとしたけど、どうしても男の子していた写真が発見できずにギブアップしたらしい」
と音羽が言った。
「なるほどー」
「ケイは中学の卒業写真も高校の卒業写真も女子制服で写ってるからなあ。そもそも私も男装のケイって、高校の時に1度ワイシャツ姿を見たことがあるだけ。但し、その格好で本来男子禁制のはずの女子高の、門の所に立っていた警備員さんに何も咎められずに校舎まで来た」
と和泉。
「それって、男装に入らないと思う」
「女の子が単にメンズを着ただけでしょ?」
「ケイの学生服写真って、高3の時に写真週刊誌が載せた『男の子に戻ったケイ』
というやつだけだよね?」
と音羽が言う。
「でもあの写真、顔がピンぼけだったんだよ」
と小風。
「あれ多分校門から300mくらい離れたウィークリーマンションから超望遠で撮ったものじゃないかって、○○プロの調査部の人が言ってた」
と私はコメントする。
「じゃあれ本物?」
「実は私にも分からない。長髪の男子高校生は珍しいけど、実は当時1年生の男子にも、別の事情で長髪にしている子がいたんだよ。その子なのか自分なのか私にもあの写真よく分からなかった」
と私。
「そもそも隣に写っていたマリは明らかに合成だったから、あの学生服写真も実際の所本物のケイかどうか怪しいと、世間では言っていたね」
と美空。
「あの合成はひどかったね。虫眼鏡で見るだけでつなぎ目が分かった」
「それに直後に別の写真週刊誌が、銀座で食事している美少女にしか見えないケイの写真を掲載したから、世間はやはりケイって女の子なんだ、全然男の子には戻ってないという方向に行っちゃった」
男の子の格好をした私の写真を撮ったことのあるのは蔵田さんくらいだろうなと私も思った。でもその写真は樹梨菜さんに見つかって速攻で消去されたのであった。
「ケイが男の子の格好してた写真は、ケイのお母さんも持ってないって」
と政子が言う。
「小学校の入学式とか、あるいは七五三とかの無いの?」
とLondaが訊く。
「そのくらい古いのは紛失したり痛んじゃったりして現存しないらしい」
「うーん・・・」
小学校の入学式の時の写真は、父がカメラにフィルムを入れ忘れて!写っていなかったらしい。(そして入学式の日の夕方出席した民謡の演奏会で偶然の産物で小振袖を着た私の写真は残っている。この写真もまだ政子には見つかってないハズ)
「その問題についてはこないだマリちゃんと少し情報交換したんだけどね」
と和泉が言う。
「やはり、ケイは生まれた時から女の子だったとしか考えられないという結論に」
政子もニヤニヤしている。
「それは無いけどなあ」
と私は言うが
「いや、そう言われた方が納得する」
と光帆は言う。
「あるいは生まれてすぐに性転換手術受けたか」
と小風。
「まさか!」
「いや、たまにあるらしいよ。生まれた子が男の子だったけど、女の子が欲しかったというので、お医者さんに頼んで、おちんちん取って女の子の形にしてしまうのって」
とEliseが言う。
「それは何かの妄想小説ですよ!」
「そんなこと無い。baby sex changeとかで、ぐぐってごらんよ」
「それ大半はインターセックスのケースと眉唾すぎる情報ですよ。本当に普通の性転換しちゃったのは1980年代にドイツであった事例や、1960年代の『ブレンダと呼ばれた少年』の事例くらいだと思う」
と私は言ったが
「やはり、そういう実例があるのか」
とEliseに言われた。
さて、そういう訳で、スイート・ヴァニラズの曲をまた青葉が書くことになったのだが、Eliseが一度「リーフさんに会っておきたい」というので、ちょうど春休みになるので青葉を富山から呼び出した。2014年3月29日(土)であった。
「凄いオーラ持ってるね」
と自宅で寝ていたEliseは青葉を見るなり言った。家事はLondaが泊まり込みでしてくれているらしい。ほんとにLondaが瑞季のお父さんみたいだ!
「Eliseさん、霊感が強いですね」
と青葉は応えて言う。
「でも私のオーラに気付く人は稀です。だいたい隠しているから」
「うん。隠しているけど、その隠している部分が巨大。巨大宇宙戦艦みたい」
「時々言われます」
「だけど普通の霊能者はそれに気付かないよね?」
と私は言った。
「うん。でも素人の霊感人間には時々見破られるんだよ」
と言って青葉は笑っている。
「まあ優秀なクリエーターは多少なりとも霊感を持っているよ。イマジネーションの源泉から芸術表現を取り出すのにそもそも霊感を使っているはず」
とEliseは言う。
Eliseは青葉に赤ちゃんを見せて、良かったらこの子の将来を占ってと言った。
「たぶん音楽家になります」
と青葉は瑞季を一目見ていった。
「へー。楽器とかする?」
「そうですね。たぶんベースかドラムス」
「へー!」
「この子、物凄くリズム感が良いです。そして作曲家です。詩はたぶん別の人が書くと思います」
「ほほぉ」
フラワーガーデンズは歌詞を感性の豊かなランが書き、音感の発達したミズキとクラシックの素養があるフジが分担して曲を書くパターンが多い。
私は青葉をアスカの所にも連れて行った。
「実は青葉に見てもらいたいものがあるんだよ」
アスカの家に、ちょうどアスカがドイツで知り合ったヴァイオリニスト、ロッテさんが来ていた。私も青葉もドイツ語が話せるので、4人の会話はドイツ語で進行した。
「これは彼女が所有するグァルネリ・デル・ジェス。1731年作のRobintree」
と言ってアスカがロッテの持つヴァイオリンを見せる。
「美しいオーラですね」
と青葉は言った。
「それでこれが私が今冬にリースしている『デル・ジェスもどき』のAngela」
「これも素敵です」
「このAngelaは過去に本物のデル・ジェスとして取引されたこともあるんだよ。でも鑑定の結果、本物ではないとされた。青葉どう思う?」
「作者は別の人です」
と青葉は即答で断言した。
「ああ、やはり」
「でもこれ、材質が似てますね」
「うん。鑑定された時も、材質はB.G.A.グァルネリ(*1)が使っていたものと同じとは言われたらしい」
(*1)本名はBartolomeo Giuseppe Antonio Guarneri だが、彼が作ったヴァイオリンには十字架のマークが描かれており、そこから「イエスのグァルネリ」ということで、Guarneri del Gesu と呼ばれる。
「恐らく同じ工房で作られたものではないでしょうか。年代的にこのAngelaはRobintreeより10年くらい若い気がします」
「そうそう。制作年代は1740年代だろうと推定されたんだよ」
「B.G.A.グァルネリって、何年まで活動したんですか?」
「デル・ジェスの作品は1717年から1745年まで。但し本人は1744年10月に亡くなっているから1745年のもの(Leduc)は途中まで出来ていたものを奥さんのカタリナ・ロータが最終的に完成させたものと推定されている。カタリナも結構な腕の職人で、自分の作品に Katerina Guarneria の銘を入れていた」
「へー。この楽器Angelaは、恐らくは親族かお弟子さんが作ったのではないでしょうか。ひょっとすると、その奥さんなのかも知れません。でも凄くよく出来た作品です。持っているオーラが素敵なんですよ」
「だよね〜」
「私は楽器の品質としてはそんなに差が無いと思います。オーラだけで言えばですけど」
と青葉。
「このRobintreeはグァルネリの作品の中でも良くできた方だから弾くとかなり差が出るんだけど、グァルネリの作品の中にはAngelaより劣るものもあると私は思っている」
とアスカは言う。
「なるほどですね」
「オーラとしては大差無しか」
「でも大差無くてもデル・ジェスかどうかで値段が10倍違う」
と私。
「仕方無いです。有名ブランドだから」
「うん、ブランド料もあるよね」
「でもそのブランド料というのは、それまで多数の良い作品を作ってきたから生まれたものですけどね。Angelaの作者はこの作品では力を発揮できたけど、あまり多くの秀作を世に残せなかったんでしょうね」
「そういうことなんだろうね」
「私が川上青葉の名前で作曲したら多分買取式でも1000円くらいしかもらえない気がしますが、マリ&ケイ+リーフの名前だと、買取なら100万円は取れる。これも冬子さんがこれまで良質の作品をたくさん作ってきてブランドを確立しているからです」
「褒めても何も出ないよ」
と私は言っておいた。
アスカの家に行った翌日。私は青葉を連れて上島先生・雨宮先生と落ち合い、一緒にさいたま市郊外にある高岡さんの実家に行った。高岡さんが実際には作詞していないのに作詞印税をもらっていたというのが発覚して大騒動になったので、お父さんは以前住んでいた家を売却して贖罪にとその売却額を震災の被災地に寄付した。それで御両親は現在は借家住まいである。
「息子の遺品探しですか?私もだいぶ探してみたのですが、あれ以上は見つからなくて」
とお父さんは言っている。
「それで知り合いの有能な霊能者さんを連れて来たんです」
と上島先生。
「日本国内で五指に入る霊能者、川上青葉さんです」
「初めまして。川上青葉と申します」
この日は青葉は「仕事着」の巫女服を着ている。これを着ていると年齢がよく分からない。
「お若い方ですね」
とお父さんは言うが
「川上先生は、東日本大震災で行方の分からなかった遺体を300体も見つけたんですよ」
と上島先生が言うと
「それは凄い」
と言って感心している。
高岡さんの遺品を収めている倉庫に行く。以前の家では部屋ひとつ取って並べていたものだが、引っ越しの際にこの倉庫に収納したのだ。
「乱雑になっていて済みません」
とお父さんは恐縮そうにしている。
「あ、全然問題無いです」
と青葉は言い、静かに目を瞑って、まるで何か考えるかのようなポーズをしていた。そしてやがて、倉庫の奥の方に入り込んでいく。私たちが外で待っていると青葉はギターケースを持って来た。
「このギターちょっと調べてみましょう」
「いや、高岡のギターは全部一度調べた。ヴァイオリンの共鳴胴の内側にたくさん詩が貼り付けてあったから、もしかしてギターにも同じことしてないかなと思って確認したんだよ」
と上島先生は言う。
しかし青葉はニコッと笑ってギターケースを開けた。そしてギターを取り出すと・・・・いきなり、指板とネックの間に爪を立て、バリっと音を立てて、板を数cm剥がしちゃった!
「ちょっと青葉!」
と私はさすがに青くなって叫ぶ。このギターは高岡さんの遺品のGibsonのヴィンテージもの。単にヴィンテージというだけで40-50万円する。それが高岡さんの使用楽器ということになれば売りに出すとオークションで200万円以上の値段が付くだろう。そもそもお金のこと抜きにしても高岡さんの遺品ということだけで大事に扱うべきものである。
「あ・・・・」
と最初に声を出したのは上島先生である。
「こんな所に貼り付けてあったのか!」
と雨宮先生も言う。
ギターのネック部分は、1つの木から表裏とも整形されたタイプ(ワンピース・ネック)と、ネックと表側の指板を別の木材で作って貼り合わせたタイプがあるが、このギターはマホガニーのネックにローズウッドの指板を貼り付けたタイプである。その貼り付けられた2つの木材の間に折りたたんで細くした紙が数枚挟まっているのである。
「存在を確認できただけでいいですね。後は専門家にお任せしましょう」
「分かった。でも君凄いね。いとも簡単そうに剥がしたけど、これ普通剥がれない。しかも指板にもネックにも傷を付けてない」
「力の入れ方に要領があるんですよ」
と青葉はにこやかに言う。
「しかし高岡さん、なんでこんな凄い場所に・・・・」
と私は戸惑うように言う。
「ワンティスの詩を書くのは夕香さん。だから自分の詩はどんなに良いのができても封印。そう決めたんでしょうね。でも詩人の魂がうずくから詩は書いてしまう。捨てるには忍びないから、どこかに隠した。上島さん。高岡さんが使っていたギターは全部調べた方がいいです」
と青葉。
「うん。全部徹底的にチェックする。超音波とかでも検査させよう」
「ああ、それがいいです。ピックガードとかもチェックしましょう。それから例のヴァイオリンのネックも再度調べた方がいいかも」
「!!!」
上島先生と雨宮先生の2人で、倉庫の中を調べ、詩が隠されている可能性のある楽器全てを出して、それを検査をお願いする研究所の技師に託していったん引き上げる。
それで私と青葉、上島先生と雨宮先生でさいたま市内の料亭に行った。
「リーフちゃん、青葉ちゃん?って、そういう格好してると年齢がよく分からないけどまだ18-19くらいかしら?」
と雨宮先生が言う。
「済みません。まだ16です。来月17歳になりますが」
と青葉。
「うそ。じゃ、まだ高校生なんだ?」
と驚いた様子。
「君の作品、『遠すぎる一歩』にしてもスイート・ヴァニラズに提供された曲にしても、見てたけど凄くよく出来ている。感覚が若いなというのは感じたけど、作りがしっかりしているから、僕も20歳くらいの作曲家さんかなと思った」
と上島先生も言う。
「作りは多分あれだよね? 曲全体の波動が美しくまとまる状態まで調整を掛けている?」
と私は青葉に尋ねる。
「はい、そんな感じです」
と青葉は笑顔で答える。
「波動?」
「この子はそういうのが凄いんですよ。そもそもKARIONのCDを聴いてて、声のひとつとピアノ演奏の波動が、私の波動と同じだというので、すぐに私が参加していることに気付いたというんですよね」
「それは凄い」
「じゃ、エアバンドなんかは一発でバレるな」
「ハイライト・セブンスターズなんかもネタバレしてそうだ」
と雨宮先生が試すように訊く。
青葉は笑顔で答える。
「あれは1枚目の『キャビン』、2枚目の『マルボロ』まではギター・ベース・ドラムス・キーボードの全てをヒロシさんがひとりで演奏しています。3枚目の『ラーク』からはギター・ベースがカズさん・テルさん本人になって、4枚目の最新作『メビウス』でドラムスもケンタさん本人になりました」
「凄い。完璧だ」
と雨宮先生。
「それってギターの代わりにキーボードで弾いてたの?」
と上島先生。
「いえ。実際のギターを弾いてますよね? あれはレスポールの音です」
と青葉。
「うん。良く分かるね。そのあたり知ってるのは、私以外には★★レコードの担当者くらいだよ」
「でもヒロシって、そんなに器用なんだ?」
「4月7日からテレビで流し始める予定の『愛のデュエット』のPVで彼は色々な楽器弾いてくれたんですけど、共演者のフェイにしてもヒロシにしても、全部マジで弾いてくれたんですよ。びっくりしました。ふたりとも万能プレイヤーみたいですね」
と私は言って、まだ非公開のPVをこのメンツには特に見せた。
『愛のデュエット』は上島先生の作品である。PVでは、見知らぬ青年と少女が、遊園地で偶然遭遇し、一緒に楽器を演奏し始めるという物語になっている。
PVの中でふたりは、ピアノの連弾に始まり、リコーダー、フルート、クラリネット、トロンボーン、ヴァイオリン、チェロ、ギター、と合奏。最後は1つのドラムスセットを2人で一緒に叩いている。その青年役がハイライト・セブンスターズのヒロシ、少女役がRainbow Flute Bandsのフェイなのである。フェイは女装も男装も全く違和感の無い不思議な子である。性別不明なので中高生女子に人気の高いヒロシと共演させてもクレームが来る可能性が低いということで起用されたものであった。
「凄いな、これ」
と言って、上島先生も雨宮先生もみとれていた。リクエストに応じて3回見せた。
「でもフェイの性別が分かりません」
と私。
1 2 3
【夏の日の想い出・1羽の鳥が増える】(1)