【夏の日の想い出・大逆転】(2)

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「でも、冬たち今日の服は凄いね」
と和泉が言う。
 
「友だちにゴスロリの熱烈な信奉者がいてさ、着せられちゃった。そのまま借りてきた」
「ゴスロリか・・・」
と言って小風が少し考える風にしている。
 
「そうだ!いいこと思いついた」
「何?」
「ふふふ、内緒」
「なんか怖いな」
 

取り敢えず、一緒に早めの晩御飯を食べようということになる。この日の御飯は金沢の笹寿司が大量に用意してあった。
 
「なんか凄い量だね」と政子が言う。
「みーちゃんがたくさん食べるから」と小風。
「美空ちゃん、そんなに食べる?」と政子。
「マリちゃんもたくさん食べると聞いたから、特に大量に用意した」と小風。
 
「お手並み拝見」と美空。
「よし」
 
と言って、食べ始めるが、美空も政子もペースが速い。そもそも笹寿司はひとつひとつが小さいので、ふたりとも無限に入る感じだ。
 
滝口さんがポカーンとした顔でふたりの「食べ比べ」を見ていた。
 
「美空ちゃん、今度お好み焼きか何かの食べ比べしない?」
と政子。
「あ、いいですね」
と美空。
 
小風がニヤニヤしている。和泉は呆れたという顔をしていた。滝口さんは途中で
「ごめん。見てたら気分悪くなった」
 
と言って、部屋から出て行った。KARIONの付き人の舞田さんはさすがに出ていかなかったが、自分の分は2個ほど食べただけでやめて
「美空ちゃんたちの食べるの見てたらお腹いっぱいになった」
 
などと言っていた。すると
「あ、残すならください」
と言って美空はそれをもらっていった。
 
なお、舞田さんは、それまで担当していた望月さんが妊娠出産のため休職したので、その後任としてこの春からKARIONに付いている人である。
 
笹寿司は凄まじい量があったはずなのに、あっという間に無くなり、美空も政子も
「食べ足りなーい」
などと言っていた。
 

18:00に開場し、18:30開演の予定だったが、入場に時間がかかり18:45くらいの開始になった。私と政子は目立たないようにスタッフの腕章を借りて腕に付け、座席のいちばん後ろに立って、彼女たちの公演を見ていた。政子の目が熱く燃えているのを感じる。
 
2年半前に、初めてKARIONの公演を見せた時、政子は和泉が書いた詩の歌だけに反応した。あれは詩人としてのライバル心に火を点けた感じだった。しかし今日はそういう反応ではなく、3人が歌っていること自体に心を燃やしている感じだ。本当に今、歌いたいという気持ちが強くなっているのだろう。
 
やがて私たちの出番の10分前になって舞田さんが来て、合図するので私たちは一緒に楽屋に移動した。
 
「でも今日はなんで小風ちゃんがずっとMCしてるの?」
と政子は訊いた。
 
「ああ、今回のツアーはずっと小風にやらせてるらしい。たまには違った雰囲気にするのもいいのではと」
「ふーん」
 
実際は小風が逃げ出したい気分にならないように、今回全部MCをさせることにしたのである。今回のツアーで、滝口さんは「リレー歌唱方式」を提案した。KARION側はそれを拒否した。かなり険悪なムードでツアーが始まってしまったので、一触即発、小風と滝口さんが衝突・決裂する危険があると和泉が考え、責任感を持たせて小風に自制させるようにしたのである。
 
小風から今日着て来ている服のままステージに上がってくれと言われていたので、ステージ用のメイクだけしてもらい、舞台袖で待機する。やがて和泉たち3人が前半最後の曲『食の喜び』を演奏する。政子の瞳がキラキラ輝く。
 
「なんかこの曲楽しい!」
「マーサの好みだよね」
「後で美空ちゃんに教えてもらおう」
「ふふ」
 
演奏が終わった所で小風が観客に向かって話しかける。
 
「それでは私たち3人はちょっとお休みを頂きます。その間、今日のゲストの方に歌って頂きます。ちょっと面白いふたりですよ」
と昂揚した顔で言う。
 
「紹介します。ローズ+リリー」
と言うと
「えーーーー!?」
と観客の声。
 
しかしそれに続けて小風は
「の、そっくりさんで、ゴスロリを着たゴース+ロリーのおふたりです」
 
と言うと客席は爆笑となる。そこで私は政子を促して出て行く。
 
「こんにちは、ローズ+リリーじゃなかった、ゴース+ロリーといいます。よろしく!」
と私が挨拶すると、客席は笑いながらもたくさん拍手をしてくれる。
 
チラッと政子を見る。政子はその拍手だけで気合いが入っている感じ。マイナスワン音源が鳴り出す。和泉たちと伴奏陣・コーラス陣が舞台から去る。私たち2人だけがステージに残る。歌い始める。
 
「夜空を見上げてごらん」
「恋する気持ちで見ていたら」
「きっとそこに流れ星」
「あなたは見つけることでしょう」
 
きちんとした形でCDを発売しなかったのに、カラオケや有線のリクエストだけで大手ランキングの10位以内に食い込んだ名曲『恋座流星群』である。私としては実はちょっと脛に傷のある曲なのだが、この曲をマリが、わざわざKARIONの公演のゲストコーナーで歌うと言ったのには驚いた。やはりそういう巡り合わせだったのだろうかと思いながら、私は歌っていた。
 
客席は物凄い手拍子と歓声である。マリは本当に気持ち良さそうに歌っている。青葉の言った通り、もう政子の心のリハビリは終わっているのかも知れない。本当にそういう気がしてきた。
 
歌い終わると、物凄い拍手。そして歓声。
 
「ゴースちゃーん」
「ロリーちゃーん」
などという掛け声まで聞こえてくる。私は微笑んで政子を見詰める。政子も見詰め返す。2曲目の音源がスタートする。『坂道』を歌う。高校3年の秋に「価格0円」
で販売した曲である。元々富山の八尾で書いた曲なので、この北陸の地で歌うのに、しっくりする気持ちもする。政子はそんな私の気持ちに何か感応するかのように、静かに歌っている。
 
『恋座流星群』のような元気な曲も、この『坂道』のような静かな曲も、政子はほとんど音程をずらさずに歌っている。政子は本当に歌が上達した。これをAYAが聴いたら青くなるだろうな。そう思うと、ちょっと楽しい気分になった。
 
そして最後は『Spell on You』である。強烈なダンスナンバーだ。私は前奏で軽くダンスを入れてみた。するとマリも乗ってきて、私たちは即興でペアになって踊る形になった。こんなの過去のローズ+リリーのライブでもやったことのない試みだ。
 
歌の部分になると、身体を停めて直立し、歌に集中する。しかし間奏部分ではまたふたりで踊った。そのダンスにまた拍手が来る。基本的には歌に集中したいので、あまりステージで踊るのは好きではないのだが、たまにはこういうのもいいかも知れないという気がした。
 
そして演奏終了。
 
大きな歓声と拍手が来るのに、私たちは手を挙げて応えた。そこに小風がひとりで出てきて
 
「ローズ+リリーさんでした。あ、違った。ゴース+ロリーさんでした」
と言った。
 

後で見たネットの反応。
 
「今日のライブで出てきたの、実は本物のローズ+リリーということは?」
「まさか」
 
「顔は似ていた」
「声も似ていた」
「いや違うと思う。マリちゃんが、あんなに歌うまい訳ない」
「確かにそうだ!」
 
「顔が似ていると声も似るんだよ。声って喉の形や顎の形で個性が出るから」
「なるほど」
 
「それに歌いながら踊るというのもローズ+リリーとは違うよ」
「だよねー。ケイちゃんもマリちゃんもダンスが下手だから、ステージでは踊らないんだと聞いたし」
 
そういうやりとりのログを見て、政子は面白そうにしていた。
 

10日後。8月12日。この日は横須賀でサマー・ロック・フェスティバルが行われる。実はローズ+リリーに出場依頼があったのだが、政子が「まだ自信無い」
などと言うので、代わりにローズクォーツを出してもらうことにした。折しも『夏の日の想い出』がローズクォーツ名義で出してヒットしていたので、それが選考基準に合致するという言い訳も立った(実際には出場者選考は5月には終了しているので、ローズクォーツは基準に達していなかった)。
 
ローズ+リリーの代替なので、本来は歌手や歌唱ユニット中心のBステージの予定だったのだが、Aステージに出場するはずだったクリッパーズが突然解散してしまったので、その穴埋めでAステージに移動になった。
 
この日、出場するのは私だけなので(政子のパートは音源で流す:サトは音源を聴きながらドラムスを打つ)、政子は友人の礼美・仁恵・博美・小春と一緒に客席の方にいたが、ローズクォーツのステージの後、興奮してステージそばまで来てしまったので、結局その後は、ステージ近くにあるVIP席の所で見ることになる。
 
私はローズクォーツの直後のスイート・ヴァニラズのステージ、午後1番のスカイヤーズのステージにもちょっとだけ顔を出したのだが、それが終わった後で、スカイヤーズの次のタブラ・ラーサの演奏中、私は政子に声を掛けた。
 
「ちょっと出ない?」
「ん?」
 
それでその場を仁恵に託し、私は政子を連れてAステージを離れた。
 
「どこに行くの?」
「Bステージ」
「ふーん」
 

それで政子を連れてBステージに行き、Bステージのバックステージパスを見せて控室に入る。
 
「なんで私のまであるの?」
「そりゃ、無かったら中に入れないからね」
 
「おはようございます、杉山さん」
と言って私はポーラスターの杉山さんに挨拶する。政子も一緒に
「おはようございます」
と言って挨拶する。私は更にポーラスターの神原さんと「ごぶさたー」と言ってハグする。
 
「ケイちゃん、手術しちゃったって噂聞いたけど?」
と神原さん。
「4月にやっちゃいました。10月に20歳の誕生日が来たら性別変更も申請します」
と私。
「おお。それはめでたい。でもケイちゃんって昔から女の子の感触だった気がするなあ」
 
「あれ?もしかしてAYAのバックバンドの人?」
と政子。
 
「そそ」
「何するの?」
「AYAのバックで演奏する」
「誰が?」
「私とマーサが」
「うそ!」
 
「さっき私がローズクォーツと歌ったのに、物凄く興奮したでしょ?」
「うん」
「歌いたいと思わなかった?」
「歌いたい。でもまだこんなステージで歌う自信無い」
「だから、バックで演奏してみようよ」
「いいの?」
 
「マーサが演奏してくれると思って、今日はヴァイオリニスト手配してない」
「ヴァイオリン持って来てない」
「あるよ」
 
と言って、私は政子の愛用ヴァイオリン『アルちゃん』を取り出す。昨夜のうちにAYAのマネージャーの高崎さんに渡しておいたのである。高崎さんは私とはドリームボーイズのバックダンサー仲間であった。
 
「なんでここにあるの〜?」
「ふふふ。演奏しない?」
「冬も何か演奏するの?」
「私はクラリネット吹くよ」
「へー!」
 
実は政子がどうしても演奏に同意しなかった場合は私がヴァイオリンを弾くつもりでいたのである。しかしやる気になっているので、私は政子に二〇加煎餅(にわかせんべい)のお面を渡す。
 
「何これ?」
「以前政子、二〇加煎餅のお面付けるって言ってたじゃん」
「それ随分昔だね」
「今日のポーラスターは全員これ付けるんだよね」
「へー!」
 
「やるよね?」
「うん。でも、これ使うならタコ焼き食べたい」
「いいよ。明日大阪に連れて行ってあげる」
「よし!」
 

政子が大丈夫そうなので、神原さんに政子のことは託して、私は控室を出た。走ってステージの下手側の脇まで行く。
 
「遅い」と小風から言われる。
 
「ごめん、ごめん」と言って、舞田さんから私の愛用ヴァイオリンGreenWitchを受け取る。プラスチック製の電気ヴァイオリン(イギリスのBridge社製)である。炎天下でも雨でも全然平気な、屋外ライブの強い味方のヴァイオリンである。緑色のヴァイオリンなのでイギリスのグリニッジに引っかけてGreenWitch(みどりの魔女)という愛称を付けている。
 
KARION, トラベリングベルズと一緒にステージに登る。こちらは今日は伴奏陣全員仙台のゆるキャラ《むすび丸》のお面を付けている。東北復興支援の意味も兼ねている。
 
そして私はKARIONのステージで30分間ヴァイオリンを弾いた。
 

ステージが終わる。全員上手側に退場する。スタッフの人が機材の入れ替えを始める。その間に私は走ってステージの下手側に回り込む。既にポーラスターのメンバーがスタンバイしてる。
 
「冬、どこ行ってたのよ?」
「ごめん、ごめん」
「はい、冬のクラリネット」
「さんきゅ」
 
そこにAYAが引き締まった顔をしてやってくるが、私たちは二〇加煎餅のお面をしているから向こうはさすがに気付かない。。。。
 
と思っていたのだが、政子が鋭い視線でAYAを見ていたので、向こうが「え?」
という感じでこちらを見た。私は微笑んで自分の面を外して手を振る。
 
「えーーー!?」
とAYAが驚いている。すると政子もお面を外した。
 
「今日は私たちはポーラスターだよ」
と私が言う。
 
「へー!」
と言ってAYAは楽しそうな顔をした。
 

お互い気合いを入れ直して、私たちはステージに上がった。政子はヴァイオリンを構えて弓を持ち、目を瞑って演奏開始を待っている。ドラムスの人がスティックを鳴らして演奏開始!
 
政子はKARIONのステージの30分の間にちゃんと譜面を頭の中に入れていたようで(政子は楽譜が読めないので神原さんに教えてほしいと頼んでおいたが、そもそもAYAの歌自体は全部頭の中に入っているはず)、しっかりとヴァイオリンを弾いている。
 
私はそれを見ながら安心してクラリネットを吹いていた。しかしかえって前面で歌っているAYAの方が少し緊張しているような雰囲気もあった。
 
30分間のステージが終わる。
 
私たちはAYAが観客に手を振っている間に先にステージ下に降りた。
 
遅れて降りてきたAYAと握手する。
 
「どうしたの?今日は」とAYA。
「私はポーラスターの第一期メンバー」
と私が答えると
 
「ホントですよ。私と神原ちゃんとケイちゃんは篠田その歌の初期のバックバンドやってたんです」
と杉山さんが言う。
 
「全然知らなかった! でも私、ふたりが歌っている所も見たいな」
「ゆみちゃん、明日はオフだよね?」
「うん」
「だったら、これあげる」
 
と言って私はAYAに新幹線の新大阪までの往復チケットと、明日のKARION大阪公演の招待券を渡す。
 
「KARION!?」
「私たち、ゲストコーナーで歌うから」
「うそ」
「先週金沢公演でも歌ったんだよ」
「なに〜〜〜!?」
 

「明日も私たち歌うの?」
と仁恵たちの所に戻りながら政子が尋ねる。歩いて行く途中ファンから声を掛けられてローズ+リリーのサインを10枚も書いた。
 
「大阪でタコ焼き食べて、ついでに公演で歌う」
「よし。じゃ終わった後はメンチカツも食べたいな」
「いいよ」
「じゃ歌おう」
「ふふふ」
 
そういう訳で、私たちは翌日、13日のKARION大阪公演でも《ゴース+ロリー》として和実からまた借りたゴスロリの衣装を着て歌ったのである。その日は今度は『夏の日の想い出』『雪の恋人たち』『神様お願い』を歌った。
 

8月24日。KARIONの14枚目のシングル『恋のブザービーター』が発売になった。
 
滝口さんは「今度のは凄いですよ。ひょっとしたらミリオン行くかも」などと話していた。
 
しかし結果は悲惨だった。
 
私も和泉も多分悲惨だろうとは思っていたのだが、私や和泉が思っていた以上に悲惨だった。
 
初動が3万枚だったが、翌日以降、全く数字が動かなかった。1週間経っても売上枚数は全く変わらなかった。
 
前作『愛の夜明け』は53万枚、その前の『ハーモニックリズム』は35万枚売れている。
 
予約は20万枚入っていたのにテレビスポットが流れ始めた1週間前から次々とキャンセルされた。売れた3万枚は律儀に予約を遂行してくれたファンの分で予約無しで買った人はほとんどいなかった。
 
ネット上のKARIONファンサイト、2ch、各種SNSは今回のシングルを酷評するコメントで埋め尽くされた。わざわざレコード会社や事務所に電話を掛けてきて抗議するファンまでいた。
 
《これはKARIONの歌じゃない》
 
という点でそれらのコメントは一致していた。
 
「ハーモニーあってのKARION」
「元々歌のうまい和泉ちゃんに、わざわざ音を外して歌わせるって酷い」
 
「田中廣台さんのアレンジはKARIONのこと何も理解してない」
「このトラベリングベルズの演奏もわざと下手に演奏しているとしか思えない。こんな音作りをするというのは理解不能」
 
「KARIONはどこかの下手くそなアイドルとは違う」
「KARIONの魅力を全部殺している」
「最低最悪の作品」
 
あまりの酷評に、翌週、田中先生側から、編曲御礼を返上するし印税も要らないから自分の編曲クレジットを外して欲しいという要請があり、とりあえずダウンロードストアの分からはそのクレジットを消去することになった。CDも再出荷分からは外すことになったが、再出荷は有り得ない状況だった。★★レコードはこのCDを40万枚もプレスしていたのである。売上金額換算で4億円である。しかし売れたのは3万枚。3000万円分にすぎない。どう考えても残りは廃棄せざるを得ない状況であった。廃棄による損害額は、CDショップからの返品分の作業コストと直接廃棄に必要なコストまで入れて、軽く1億円を越える。
 
9月5日(月)、滝口さんは上司の加藤課長に進退伺いを提出した。
 

当時、堂々とこの作品と制作スタッフを酷評する音楽関係者もいた。
 
ゆきみすず先生。
「どこか他のレコード会社から移ってきたロートルA&Rがおかしな圧力を掛けて変な作品にしたんじゃないの? KARIONの制作は和泉と歌月に任せておけばいいんだよ」
 
名前こそ出してないものの明らかに滝口さんを批判する意見である。
 
スイート・ヴァニラズのElise。
「今回のCDは、KARIONもトラベリングベルズも酔っ払って制作したのかと思ったよ。だけど、未成年の子もいたはずだけど、いづみ、飲んでないよね?ってか飲む時は私も呼べよ」
 
サウザンズの樟南。
「俺、音感まるで無いけどさ。音感の無い俺の耳にも酷く聞こえるって、これ相当酷い作品だよな」
 
スカイヤーズのBunBun。
「いや、これ最初聴いた時、KARIONは性転換でもしたのかと思ったね」
 
多数の「下手くそな」アイドルを売っている§§プロの紅川社長。
「この制作者は勘違いしている。歌が下手なアイドルでも売り方次第で売れる。でも歌が上手な子は、その歌こそが魅力なのだから、それを軸にして売る必要がある。うちでも春風アルトちゃんや夏風ロビンちゃんなんかはそういう売り方してたからね」
 
KARIONと全く縁の無いはずのタブラ・ラーサの後藤さんまで
「俺個人的にKARIONのサウンドは気に入ってたんだけど、今回のだけは本当にがっかりした。悪いけどディスク叩き割ってゴミ箱に捨てさせてもらった。次まともなの作らないとファン辞めるぞ」
 
更には畑違いの演歌歌手、吉野鉄心さんまで
「これ明らかにKARIONを全く理解してない人が制作を指揮しているよね。多分この人、カップラーメンしか作ったこと無かったんだよ。カップラーメンを最高にうまく作れるというので自分は凄腕制作者だと思い込んで天狗になってたんだな。それで高級レストランに来て最高の食材を使って、凄まじく不味い料理を作ったという感じだね。これの制作をした人は20年くらい下働きして勉強しなおすべき」
 
そして東郷誠一先生。
「僕の弟子がこんな作品作ったら即田舎に帰れって言うな。ここまで酷い作品をよく作ったもんだ。加藤さん何やってんのよ?部下の管理もっとしっかりやらなきゃ。年上の部下でも遠慮しちゃだめ」
 
この批評を聞いて、加藤さんまで進退伺いを出したらしいが、町添さんは速攻で突き返した。確かに加藤さんとしても、自分より年上で、これまで数々の実績のある滝口さんには、あまり物が言えなかったのである。
 
滝口さんをKARIONの担当にと推したのは彼女を★★レコードに入社させた村上専務であったが、あまりの猛批判に完全に口をつぐんでしまった。滝口さんの辞職はやむなしという雰囲気で、滝口さんとしては結果的には梯子を外された気分だったかも知れない。
 

9月18日。私はその日1日蔵田さんの音源制作のお手伝いをして、深夜22時過ぎに「飯でも食おう」と言われて、一緒にスタジオの近くのファミレスに入った。それでフロア係が出て来ないので、勝手に座席の空いてる所を探して中に進んで行く。
 
その時、横から出てきた女性と蔵田さんが衝突してしまった。
 
「あ、ごめん」と蔵田さん。
「いえ、こちらこそ、申し訳ありません」とその女性。
 
「あれ?滝口さん」
と私は彼女に声を掛けた。
 
「え!? ケイさん!?」
と彼女は驚いたような声。
 
「あまり人に見られたくないな。これ」
と蔵田さんは言い、厨房を覗き込んで
 
「おーい。誰か出てきてよ」
と言う。慌てて飛び出してきたスタッフに
「個室空いてたら使いたいんだけど」
と言う。
 
「はい、ご案内します」
 

ということで、私と蔵田さんは滝口さんも連れて個室に入った。滝口さんは自分の伝票とティーカップを持って移ってきた。
 
「今、気付きました。ドリームボーイズの蔵田孝治さん!?」
と滝口さんは蔵田さんに言う。
 
「あと5分気付かなかったら、こいつクビにしろと俺も加藤さんに言ったな」
と蔵田さん。
 
「済みません」
「加藤さんか町添さんに何か言われた?」
「町添取締役から、進退伺いは預かると言われました。そして1ヶ月時間をやるから考えろと」
「ふーん。で、どうするの?」
「半月考えましたが、やはり改めて辞表を出そうかと思っています」
 
「そしてそのまま負け犬になるのかい?」
「・・・・やはり、私間違っていたのでしょうか?」
 
「吉野鉄心の言ってた言葉がいちばん的確だった気がするよ。あんたはカップ麺の作り方は天才的だった。でも一流レストランの食材の料理の仕方を知らなかったんだよ」
 
「やはり、そうなんでしょうかね・・・」
 
「だから吉野さん言ってたじゃん。20年下働きして修行しろって。あんた修行する気はないの?」
 
「・・・・やりなおすこと、できるのでしょうか?」
「あんた次第だと思うよ」
 
滝口さんはその蔵田さんの言葉をしばし噛み締めているようであった。
 

「あれ?ケイさんは蔵田さんとお知り合いなんですか?」
 
ふと気付いたように滝口さんは訊いた。
 
「私はドリームボーイズのバックダンサーなので」
と私は答える。
 
「えーー!?」
 
「10年くらいやってるかな?」
と蔵田さん。
「2003年からですから8年ですね」
「きゃー!」
 
「こいつはローズ+リリーとしてデビューする5年前から芸能界にいたんだよ。ついでにその前、4年間ほど、松原珠妃に徹底的に鍛えられている。その間にもテレビに出たり、バレエやエレクトーンや民謡の大会に出たりしている」
「松原珠妃?」
 
「同郷なんです。同じ小学校の先輩・後輩で、私にとって松原珠妃は先生でした」
と私は言う。
 
「全然知らなかった」
「そして俺の愛弟子でもある。こいつは俺の楽曲制作の現場で7年間、俺の制作の手伝いをしてきている。更に実力派のサウンド技術者・麻布英和の弟子にもなって音作りの実践技術を無茶苦茶鍛えられている。だから、水沢歌月はたった3年音楽やってた駆け出し制作者じゃない。12年の芸能キャリアを持ち、俺とか松原珠妃とか麻布英和とか雨宮三森とかに徹底してエリート教育されたミュージシャンなんだよ。滝口さんよりキャリアが上かもね。自身のミリオンヒットも『甘い蜜』『夏の日の想い出』と2枚出したし」
と蔵田さん。
 
(この時点では『甘い蜜』は98万枚くらい。この月の月末に100万枚を突破する。『夏の日の想い出』が100万枚を突破するのは翌月。ただどちらもミリオン到達は確実と考えられていた)
 
「水沢歌月???」
 
「先日、私、この名刺もお渡ししましたよね?」
と言って、私は「KARION/らんこ」の名刺を見せた。
 
「へ!?」
と言って、滝口さんは私の顔をじーーーっと見詰めた。
 
「あ!!!!!!」
 
「しかし水沢歌月とケイが同じ人だと知らなかったとは」
と蔵田さん。
 
「それ、みんな知ってるんですか?」
と滝口さん。
 
「いんや。知ってる人は★★レコード内でもごく僅かだろうね」
と蔵田さん。
 
「加藤課長はたぶんまだ気付いてないよ」と私。
「ああ、そんな気がする」と蔵田さん。
 
「でもKARIONの老舗ファンサイトには結構書いてある」
「うんうん、書かれてる」
 
「全然気付かなかった! でもごめんなさい、私こないだケイちゃんのことで変なこと言っちゃって」」
 
「ああ、オカマとか言われるのは慣れてるから全然気にしません」
と私。
 
「俺がホモと言われても気にしないのと同じだな」
と蔵田さん。
 
「しかしこれ凄いな。オカマとホモとロートルの対談か」
と蔵田さんが言うと、滝口さんが初めて吹き出した。
 

「滝口さん、KARIONのCDを、過去の分、再度全部聴き直してみない? どこにKARIONの魅力があるのかを再度考えてみるといい」
と蔵田さんは言った。
 
それで滝口さんは丸3日掛けて、KARIONの過去のCDを全部聴き直し、また会社の資料部で、ライブビデオなどもある分を全部見たらしい。その上で、ゆきみすず先生に会いたいと連絡した。ゆき先生は拒否したが、謝罪文を書き、町添さんから仲介してもらって連絡した所、やっと会ってくれた。ゆき先生は朝から晩まで丸一日掛けて、KARIONの魅力を力説してくれたらしい。
 
その後、Eliseに連絡したものの、どうしても会ってくれなかったので仕方無く樟南の所に会いに行った。樟南はKARIONのファンサイトを滝口さんにたくさん見せ、2chのKARION系スレッドも過去ログまで含めて見せて、ファンがどう思っているかを再認識させた。
 
他にも数人の音楽関係者に会った後、滝口さんはKARIONのメンバーとの話し合いを持ちたいと言ってきた。和泉は了承し、これには私も出席して、4人で滝口さんと話し合った。小風は最初話すことは無いなどと言っていたが、滝口さんが冒頭で謝罪したので、話を聞いてくれた。
 
更にトラベリングベルズのメンバー、舞田さん、三島さん、畠山社長、青島リンナ、更には初代担当の望月さんの自宅まで行って話を聞いた。更に福留彰さん、櫛紀香さん(滝口さんは櫛紀香さんの性別を知らなかったらしく、紀香なんて言うから可愛い女の子が出てくるかと思ったら堂々とした体格の男子高校生が出てくるから、驚愕したらしい)、KARIONにしばしば楽曲を提供している広田純子・花畑恵三、葵照子・醍醐春海、更には引退して郷里に帰っていた木ノ下大吉先生にも話を聞きに行った。
 
そして吉野鉄心さん、紅川社長、更には東郷誠一先生の所まで行った。東郷誠一先生はお忙しいのに滝口さんと徹夜で話をしてくれた。
 
最後にやっと会見を受け入れてくれたEliseと話したが、Eliseは無茶苦茶怒っていて、Londaがそばについていて「まあまあ」となだめていたらしい。
 

10月5日の夕方。私と和泉・小風・美空はトラベリングベルズのTAKAO,SHINと一緒に次のシングルの制作に関して話し合うのに∴∴ミュージックに集まっていた。そこに滝口さんがやってきた。小風が露骨に嫌そうな顔をする。
 
「はーい、KARIONの諸君。おっ、森之和泉・水沢歌月ペアも来てるね」
と何だか妙に明るい。
 
「滝口さん、どうかしたんですか?」
「うん。私、担当辞めたから」
と滝口さんは言う。
 
「あ、KARIONの担当を辞めたんですか?」
と小風。
 
「ナイン。KARION以外の担当を辞めたのさ」
「は?」
「他の担当を全部外してもらって、KARION専任になったから」
 
「えーーーーー!?」
 
「いや、吉野鉄心さんから、あんた修行がなってないから20年修行しろと言われたからさ。吉野さんは、ハーモニーの美しかったユニットとしてサーカスとか、ハイファイセットとか、キャンディーズとか、最近のアーティストとしてkalafinaまでCDをどーんと大量に貸してくれて私、3日掛けて聴いたよ」
 
私たちはじっと滝口さんの言葉を聞いている。
 
「まあ、それでKARIONに関しては、森之和泉・水沢歌月のプロデュースの方が私より優秀みたいだから、20年くらい勉強させてもらおうと思うんだよね」
 
「というと?」
「当面、音源制作やステージの構成とかに関しては私は口出ししないから。ふたりのやり方をよく見て、どういう形で音作りしていくのかを見学させてもらう。ただスタジオ・ミュージシャンの手配とか、特殊な楽器の手配とかあったら言ってもらったら手伝うよ。そして私は基本的に広報とかライブ会場の確保とか、予算をぶん取ってくるのとか、そういうので頑張るつもり」
 
「そういうことでしたら、私たちも頑張りますから、よろしくお願いします」
と言って和泉は滝口さんに握手を求めた。
 
私も握手する。続けて美空も握手するので、小風も渋々握手した。TAKAOとSHINも握手する。
 

「よし、それじゃ早速新しいCDを作ろう」
と滝口さん。
 
「今それを打ち合わせていた所です。今月末に音源制作して12月発売の方向で考えていました。『星の海』という曲をタイトルにします」
と和泉。
 
「うん。それはそれで頑張って。その前に、『恋のブザービーター』の改訂版を作ろう」
 
「改訂版?」
「Never too late to mendだよ」
と滝口さん。
 
「ネバー?」
と小風がよく分からないようで尋ねる。
 
「改めるのに遅すぎることは無い、ということ。mendはメンディングテープのmendで修正するという意味」
と和泉が解説する。
 
「だから、『恋のブザービーター』を新しいアレンジで録音しなおして差し替える。すぐ録音してさ、今月末か来月頭くらいにでも新盤を出荷しちゃおう」
 
「待ってください。そのタイミングで新譜を出すと、次の『星の海』のセールスに影響が出ます」
と私は言った。
 
「そっかー」
「じゃ、『星の海』を出した後で出荷するというのは?」
と和泉が妥協案を出す。
 
「よし、それで行こう」
 

滝口さん来訪の報せに駆けつけて来た畠山さんも話を聞いて急展開に驚いていた。
 
「しかし新盤を出すといっても、旧盤の在庫がかなりあるのでは?」
と畠山さん。
 
「全部回収して廃棄することになりました」
と滝口さん。
 
「回収までするんですか!?」
「回収廃棄費用とそもそもの40万枚の製造費とで1億5千万になるそうです」
 
「きゃー!」
と小風が驚いたような声を出す。
「1億5千万あったら、100回くらい性転換できる?」
などと美空が言うが
「そんなに性転換してたら身体がボロボロになるよ」
と私は笑っておく。
 
「私、自宅を売却して銀行からお金借りて、5000万円くらいでも弁済したいと言ったのですが、町添取締役から謝絶されました。次のCDで2億稼いでくれたらいいと言われました。どっちみち今年の夏と冬のボーナスは返上して、向こう1年間の給与2割カットをこちらから申し入れて、これは認められました」
と滝口さん。
 
「勤め人さんは大変だ」
などと、サラリーマンを辞めて5年のTAKAOさんが言う。でも私たちは売れなくなったら即来月から無収入である。TAKAOさんもKARIONが軌道に乗るまでは実際問題として奥さんの収入で生活していたらしい。
 
「それって、70万枚くらい売れということですね?」
と私は言う。
 
70万枚シングルを売ると売上は7億円になり、レコード会社の取り分は3割程度なので2億円くらいの粗利になる。
 
「うん。そのくらいかな」
と滝口さん。
 
「『星の海』は行くと思います」
と和泉は言った。
 
「それと『恋のブザービーター』の新盤が10万枚くらいでも売れてくれたら何とかなるんじゃないの?」
と私。
 
「うん、そんな感じでしょ」
 

そういう訳で、私たちはその夜の内に4人とTAKAO,SHIN, 舞田さん,畠山さん、それに滝口さんとで∴∴ミュージックで借りているスタジオに入り、『恋のブザービーター』『あの道』『川の流れ』の新しいアレンジを作った。
 
というより、滝口さんが介入する以前の当初のものに戻して多少の調整をした。
 
「こんなんで売れるのかなあ」
などと滝口さんは言ってから
「あ、ごめん、ごめん。口出ししないことにしたんだった」
などと言っている。
 
私たちも滝口さんの言葉は一切気にしない!ことにした。
 
夜中の3時頃、だいたいまとまったので、その日は帰り、今週あらためて、トラベリングベルズのメンバーを招集して、今度はいつも録音をしている渋谷のKスタジオで録音作業をすることにした。
 

10月11日に放送されたテレビの鑑定番組で「KARION四分割サイン」が出品された。通常のKARIONのサインは、KAを小風、RIを美空、ONを和泉が書いている。ところがこの「四分割サイン」は K を小風、A を誰か(実は私)、Rを美空、Oを和泉が書いたあと、私と和泉で、その4文字を下から包むような形の線を書いている。この線が良く見ると、OとNを引き延ばしたものであることが分かる。
 
このサインについては一部のファンサイトに何枚か掲載されていたものの、偽物では?という議論があったので、実は去年くらいにテレビ局から∴∴ミュージックに照会があっていた。それをこちらでテレビ放送での公開は少し待って欲しいと申し入れていた。それをとうとう解禁したのである。
 
テレビ局から持ち込まれたサインについて、私と和泉で慎重に検討した結果、私たちが書いたものであると判断した。慎重を期して、私たちが所有している2007年の四分割サインと一緒に筆跡鑑定師さんに見せてチェックしてもらった。筆跡鑑定師さんも同じ人たちが書いたものと断定した。そこで畠山さんは「事情は明かせないが本物である」と回答した。それで番組の鑑定士さんでアイドルグッズを扱っているショップのオーナーさんは80万円の値段を付けた。
 
「4人で書いたサインが存在するということは、やはりKARIONは4人だったんだ!」
 
2chとtwitterを舞台に「四分割サイン」探しが行われた。その結果鑑定番組に出品した本人も含めて6枚のこの形のサインが発見された。日付は全てデビュー前のもので、最も早いものが2007年11月10日、最も遅いものが2007年12月16日であった。
 

10月12日から20日まで掛けて、私と政子はローズ+リリーの「2年10ヶ月ぶり」
のシングル『涙のピアス/花模様』『可愛くなろう/恋の間違い探し』の制作を行った。この制作の指揮は須藤さんが執ったのだが、録音作業中、政子が物凄く不満そうな顔をしていた。
 
10月21日、出来上がったCD用のマスター音源を前に私は悩んでいた。須藤さんが徹夜で仕上げた音源であるが、事務所の若い子、桜川悠子に「これを★★レコードに届けて」と言って帰宅したので、悠子はそれを持って出ようとしていたのだが、私はそれを停めたのである。
 
私は再度音源を聴いた。
 
そして町添さんに電話した。
 
「今日そちらに納品する予定になっていたローズ+リリーの音源なのですが」
「ああ、できた?」
「私に2日くれませんか?」
「遅れてるの?」
 
そこで私はこの音源の出来にどうしても納得できないということを伝えた。それで私の手でこれを作り直したいので、2日待って欲しいと言ったのである。
 
「須藤君には?」
「取り敢えず須藤には内緒で」
「いいの?後で揉めない?」
「あの人、気付きません」
「あははは、そうかも」
 
それで町添さんも私に2日の余裕をくれたのである。
 
「でも2日で大丈夫? 今工場の方に電話入れて確認したけど、23日の午前9時までに持ち込めなかったら、発売日を遅らせざるを得ない」
「間に合わせます」
 
「分かった。僕も『恋のブザービーター』では君たちと滝口との不協和音のことは聞いていたんだけど、これまでの実績のある滝口だから何とかするだろうと思って任せていたのが失敗だった。今回は君を信じることにするから」
 
「ありがとうございます」
 

そこで自宅で寝ていた政子を呼び出す。眠いと言っていたが、作業が終わったらしゃぶしゃぶの食べ放題に連れていくと言ったら、起きて出てきた。
 
「えー!? あの録音をやり直すの?」
と政子が言うが
 
「うん。録音自体に問題があるから、やり直すしかない」
「私たちの声だけでいいの? 伴奏は?」
 
「伴奏も本当は録り直した方がいいんだけど、時間が無い」
 
私は録音作業をしたスタジオのシステムから、密かにプロジェクトファイルをコピーしておいたので、そのデータを持ち、青山の★★レコード付属のスタジオに入った。予約無しで行ったので上の方の階は全部埋まっていたが、歌だけの再録だから問題無い。私たちは2階菖蒲(あやめ)の部屋に通してもらった。データをスタジオのシステムに入れ、取り敢えず軽く練習した後、技術者さんに来てもらって、完全にボーカル部分を録り直した。この作業に夕方まで掛かった。
 
その後、政子を帰して私はひとりでDAWソフトを操作し、最初に伴奏をいじり始めた。
 
今回は2枚のシングルを同時発売し、各々4曲入りなので合計8曲なのだが、その内、ローズクォーツが伴奏しているのは6曲で2曲は打ち込みである。その打ち込みの伴奏に私は不満があった。最初その2曲の打ち込みデータを作り直そうと思った。
 

しかしここで考えた。
 
打ち込みで伴奏を作った2曲は、ぶっちゃけた話、割とどうでもいい曲だ。時間があるなら、その打ち込みを作り直した方がいい。しかし時間が無い中で伴奏を改善するなら・・・・むしろ中核曲の伴奏を直すべきである!
 
時刻は深夜だったが、私は和泉に電話した。
 
「何か明日からの(KARIONの)音源制作の件?」
「それなんだけど、ローズ+リリーの音源制作の手伝いをして欲しい」
「なんで〜?」
「KARIONのライバルに塩を送るのは嫌?」
 
それで私は、須藤さん主導でローズ+リリーの音源を作ったが、その出来が不満なので作業をやり直しているのだと説明した。
 
「『恋のブザービーター』は私も、小風の味方して滝口さんと衝突決裂しても自分たちの考えを押し通すべきだったかもと反省したからなあ。分かった。手伝ってあげるよ」
 
それで和泉は深夜タクシーで青山まで出てきてくれた(和泉は神田のマンションに住んでいる)。
 

「私は何をすればいい?」
と和泉は訊いた。
 
「『花模様』と『恋の間違い探し』と『渚の思い』の伴奏を作って欲しい」
「スコア譜は?」
「それを考えながら作る」
「私が考えていいの?」
「『恋座流星群』は美しい曲だよ」
「私が作曲したのは中学1年の時以来だったけどね」
 
『恋座流星群』は実は、当時私が立て続けに豊胸手術と去勢手術を受け、手術の痛みが辛すぎて、とても曲が書けなかったので、和泉が代わりに書いてくれた曲なのである。作曲のクレジットは一応《マリ&ケイ》にしているが、印税は政子と和泉に半々支払うようにサマーガールズ出版のホストコンピュータに登録している。これを知っているのは私と和泉だけだ。
 
「でも元はちゃんとバンドで演奏したものなんでしょ?」
「そのアレンジに問題がありすぎるんだよ」
「聴かせて」
 
というので須藤さんの作ったマスター音源を聴かせる。
 
「これは酷い。多分5-6万枚しか売れない」
「そこまで酷い?」
「冬はどのくらい売れると思った?」
「8-9万枚かな、と」
「似たようなものじゃん。この曲の素材なら、まともなアレンジ、ミックスすれば多分ミリオン行く」
「うん。そんな気がする。だから手伝って。私は『涙のピアス』『あなたの心』、『可愛くなろう』の方をやる」
 
「あとの2曲は?」
「放置。時間が無い」
「確かにこの6曲とその2曲は、元々の曲の出来に差があるね」
「うん。だから買ってくれる人には申し訳無いけど、売れるはずの曲に集中する」
「了解」
 

それで私と和泉は、深夜のスタジオで、お互い時々相手に聴いてもらいながら、この6曲の伴奏を打ち込みで作って行った。
 
「でもこれ、クォーツの人たちが『あれ?自分たちの伴奏じゃない』と不思議に思わない?」
 
「大丈夫。須藤さん、昨日、クォーツのタカに電話して、時間が無いから伴奏を打ち込みで作ると言っていた。須藤さんは最後に追加した2曲の伴奏を打ち込みするというつもりで言ったんだろうけど、あの電話、タカは全曲打ち込みにするという意味にとった気がした」
 
「なるほどー。でもなんでリーダーのマキさんじゃなくてタカさんに言うの?」
「それはマキでは話にならないから。実際クォーツを動かしているのはタカだよ」
「面白いバンドね」
 
そんな話もしながら、私たちは翌朝9時頃まで掛けて、この6曲の伴奏を作ってしまったのである。
 
「じゃ午後からはKARIONの音源制作だからね。ちゃんと遅刻せずに出て来いよ」
「了解〜」
 
と言って引き上げる。
 

そして自宅マンションに戻って寝ようとしていたら須藤さんがマンションまで来たので、私は驚愕する。今回こっそりやろうとしていた作業がばれたのだろうか?悠子には須藤さんには言うなと言っておいたが、告げ口されたか?とも思ったのだが、須藤さんが私に言ったのは、私の恋愛問題だった。須藤さんはこの少し後には政子の自宅も訪問して同じ事を言っている。
 
この時期、ちょうど私は木原正望と、政子は同じ大学の国文科の男子学生・直哉君と、それぞれ交際を始めていた。私と政子はUTPや★★レコードとの契約に恋愛禁止ルールは入れていないが、交際する時は事前に言ってくれと言われていた。しかし当時私と政子は須藤さんのやり方に少々不満を持っていたので、須藤さんにわざと言わなかった(★★レコード担当の南さんには交際のことを言っている)。
 
しかし須藤さんは○○プロ側からの照会でそのことに気付き、私と政子に恋愛は禁止しないから、ちゃんと言っておいてくれと注意した。
 

須藤さんが帰ったのは11時くらいだったので、私はその後一睡もしないまま、KARIONの音源制作がある渋谷のKスタジオに出て行った。そして最初私と和泉、TAKAO,SHINの4人で、アレンジについて話し合った。だいたいの方針が決まったところで私は
 
「ごめん。1時間寝せて」
 
と言って仮眠させてもらった。
 
「あの後寝なかったの?」
「寝ようと思ったら、須藤さんが来て、私に彼氏が出来たこと言わずにいたことを、そういうの言ってもらわなきゃ困ると注意されたんだよ」
 
「彼氏だと?」と小風。
「そんなの作るのが悪い」と和泉。
「私たちは音楽が恋人だよ」と小風。
「えーん」
 
「彼氏とHした?」と美空。
「まだしてないよー」と私。
 
「4月に手術したばかりでしょ?使えるの?」
と三島さんが心配そうに訊く。
 
「過激なプレイをしない限りは大丈夫だと、先日診察してくれた先生には言われました」
「でも、冬って無茶苦茶忙しいもん。たぶん彼氏作っても、デートする時間が無くて、呆れられて捨てられるよ」
と美空に言われる。
 
「冬って仕事を断れない性格だからね。きっと付き合うことになっても七夕デート状態になりそう」
と小風。
「オリンピックデートかも」
と和泉にまで言われる。
 
「うーん・・・・」
 

その日は夕方でKARIONの方の作業は抜けさせてもらい、私は再度スタジオにひとりで入り、ミクシング作業に入った。ひとりで全部は無理なので、スタジオのミクシング技術者さんにお願いして、分担してやることにした。
 
『涙のピアス』『花模様』『可愛くなろう』『恋の間違い探し』を私がミクシングし、残りの『あなたの心』『熱風』『渚の思い』『トライアングル・ラブ』
はスタジオの技術者さんにお願いした。スタジオの技術者さんといっても★★レコードの付属スタジオの技術者さんである。一流の腕を持っているので、安心して任せられる。微妙なところは全部こちらに確認してもらえたので、かなりこちらの意図通りのミクシングをしてもらえた。
 
ミクシングが終わったのが午前3時頃だった。マスタリングについては私は技術者さんとで話し合いながら朝7時頃まで掛けて作業をし、新しいマスター音源が完成した。私は技術者さんに御礼を言ってタクシーに乗り、工場に直接音源を持ち込んだ。
 
技術者さんには、規定の報酬だけでは申し訳無いので個人的に「賄賂ですけど」
と称して、サイゼリヤの御食事券を渡したが「おお!汚職事件だ」などと言って喜んで(?)くれていた。
 

KARIONの音源制作は10月30日に終了した(私たち4人の作業は28日に終わり、29-30はスタジオ技術者さんの作業になったので、私は29日と30日はクロスロードのメンバーと一緒に温泉に行った)。
 
31日月曜日、私と和泉は『星の海』の仮ミクシングした音源と『恋のブザービーター』の新録音分を持って、都内某所で加藤課長・町添部長と内密に会った。
 
「『星の海』は本当に美しい曲だ」
「『恋のブザービーター』は見違えたね」
と言われる。
 
「冬、あれも聴かせなよ」
と和泉が言うので、私は『涙のピアス』『可愛くなろう』の、ローズクォーツが演奏し須藤さんがまとめた音源と、最後の2日で私が政子・和泉と作り直した音源を聴かせる。
 
「須藤君の音源なら10万枚しか売れないけど、作り直した音源なら80万枚行く」
と加藤課長は言った。
 
「私は最初のだと5万枚、作り直したのはミリオンと思いました」
と和泉。
 
「そうかも知れない」
と部長。
 
「やはりさ」
と町添部長は言う。
「前から言ってたけど、君とマリちゃんはUTPと手を切るべきだと思う」
 
この時期、UTP以外の所(○○プロ・△△社・★★レコード・私の自宅・上島先生の御自宅)に私と政子はローズクォーツから「独立して欲しい」というお手紙が大量に届いていたのである。
 
その背景には、ローズクォーツのファーストアルバムが出るまでローズ+リリーのアルバムリリースが凍結されていたことがバレたのに反発された(実はローズクォーツのCDの不買運動まで起きていた:これも『起承転決』の売上不振の原因のひとつ)ことや、この時期私が毎週ローズクォーツの生番組に出演していたので、それで実際問題として私のスケジュールに余裕がなくなっているので、ローズ+リリーがなかなか本格的に始動しないのでは?と懸念されていたこともあった。
 
またそもそもローズクォーツとの作業は私と政子がローズクォーツに埋没する形になっていたので、ファンとしては、むしろローズ+リリーとバックバンドという形を見たいという声が強かったのである。
 
クォーツに代わる「ローズ+リリーの純粋なバックバンド」として、AYAのバックバンドということにはなっているものの実際にはあまり仕事が無い(AYAの音源は全て打ち込みで作られている)ポーラスターや、△△社のインディーズバンドで、過去にローズ+リリーのツアーに帯同してくれたこともあるCrewsawなどを推す声もあった。
 
私は答える。
 
「その問題については先日からマリと何度か話し合いました。夏からマリが事実上ローズクォーツの活動に参加しているし、ローズ+リリーの伴奏をローズクォーツが務めているので、実はローズ+リリーとローズクォーツが区別付かなくなっているんですよ」
 
「ああ、それは僕も思っていた」
と加藤課長。
 
「それで近い内に、私とマリの共同で須藤に申し入れをするつもりです。ローズクォーツの活動については、全部須藤に任せるから、ローズ+リリーは元々私とマリの個人的な活動ということで全部こちらに任せて欲しいと」
 
「なるほど」
「演奏しているメンツが同じでも、プロデュースする人が違えば、別の音楽になるはずです」
 
「確かにプロデュースする人次第だというのは『恋のブザービーター』で僕もよくよく分かったよ」
と加藤さんは言う。
 
「万一須藤と決裂した場合は、違約金を2億円ほど払って、UTPとの契約を解除するつもりです」
 
「その場合は、須藤君が法的な手段とかに訴えないように浦中さんあたりから圧力を掛けさせるよ」
と町添さんは言った。
 
「UTPと契約解除した場合、アーティスト契約はどうするの?」
と和泉が訊く。
 
「その場合は△△社と契約することで津田さんとは話をしている。逆に△△社なら須藤さんも文句が言えないんだよ」
と私。
 
「でもまあ穏やかに話ができるといいね」
「うん」
 
「冬だけだと不安だけど、マリちゃんが付いていれば大丈夫そうな気がする」
などと和泉は言う。
 
「私じゃ信用無い?」
「ダメ。冬はすぐ押し切られる」
「うーん・・・」
 
町添さんも加藤さんも笑っていた。
 
「でもさ、冬」
「ん?」
「ローズ+リリーだけじゃなくて、KARIONにもミリオン行く曲を書いてよ」
「来年中には行かせるよ」
と私は答えた。
 
「よし。それを信じて私、マンション買っちゃおうかな」
「引っ越すの?」
「今住んでいる賃貸マンションがどうも建て替えになりそうなんだよ。すぐ近くで今新しいマンションが建設中なんだよね」
 
「神田のマンションなら高いでしょ?」
「4LDKで7000万円」
「ミリオンを7発出せば払えるかな」
 
「まあ、頑張って稼ごうか」
 

翌日、11月1日。裁判所から、私の法的な性別を女性に変えることを認可する書類が届いた。
 
これまで20年間男として生きてきたのが大逆転でこれからは女として生きる。
 
私は性別だけでなく全ての状況が変化して行くことを予感した。
 
 
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【夏の日の想い出・大逆転】(2)