【夏の日の想い出・あの人たちのその後】(1)

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これは私たちが大学2年生の12月初旬の物語である。「2年生の秋」の直後で、「3年生の早春」より少し前の時期である。
 
その頃、私は正望と恋人として交際するようになり、一方で政子とも愛を確かめ合うということをして、琴絵のいうところの「大胆な二股」を始めて間もない時期で、スイート・ヴァニラズとローズクォーツとの「交換アルバム」の音源制作作業をしていた頃であった。
 
その日私は午後からFM局への出演の仕事が入っていたので午前中スタジオに顔を出して、自分の担当部分の吹き込みを少しした後、放送局の近くのスタバで時間調整を兼ねて、最近話題になっている本を読もうと思った。
 
私が注文の品を受け取りトレイを持って奥の方に入っていこうとした時、何かこちらを見て慌てるように席を立ち、まるで逃げ出すかのように外に出ようとしていた男性を見た。
「花見さん!?」
 
それはローズ+リリーの活動を休止させるスクープを売った張本人、政子の元フィアンセの花見さんであった。
「いや、その節は、ほんとにすまんかった。示談金払えなくて仕事も見つからずに困ってた時にローズ+リリーのネタ何か無いですか?高く買いますよって、俺が政子の元婚約者と知って接触してきた記者に訊かれてつい・・・・」
 
「私自身はあまり気にしてないんですけどね。政子は無茶苦茶怒ってたけど」
「そ、そうか?」
「別に取って食ったりしませんから、少しお話しません?」
「あ、うん」
 
「あ、花見さん、もうコーヒー飲んじゃったんですね。取り敢えず、私のを半分あげます」
といって、自分のコーヒーを半分、花見さんのカップに注いだ。
「あ、ありがとう」
といって一口飲む。そしてふっとため息を付くと
 
「だけど、唐本、すごく女らしくなったな、というか、もう女にしか見えない」
「はい、私は女ですから。もう戸籍も女に変えちゃったんですよ」
と私はにこやかに言った。
「そうなのか!じゃ、手術もしちゃったの?」
「はい。この春に性転換手術しました」
「そうか・・・」
 
「でも、花見さん、その後どうなさってたんですか?大学も辞めて、誰も連絡先知らないということだったみたいだし」
「なんか、あの後、あちこちの記者みたいなのが自分のアパートにも実家にも頻繁に来るようになって」
「まあ、来るでしょうね」と私は苦笑する。
 
「アパートにいた時に、電話があって」
「うん」
「おまえ、こんなことしてタダで済むと思うなよ、とドスの利いた声で言われた」
「あらら」
「それから郵便受けに『死』って書かれた紙が入ってたし」
「わあ」
「その後、黒服にサングラスの男の姿をよく見て。俺、捕まえられてどこかに沈められるんじゃないかって怖くなって」
 
「△△社も○○プロもそちら方面との付き合いはないですよ。黒服の人を見たのって、何かの偶然じゃないかな?○○プロは業界でも珍しいそちら方面との関係がクリーンなプロダクションなんです。なにせオーナーが元警察庁の部長さんですから。警備関係のスタッフにも元警察官や自衛隊員が多数。ま、ある意味、そちら方面の人より怖い」
「そ、そうなの?でも俺、とにかく怖くなって。誰にも告げずに逃亡したんだ」
 
「逃亡ってどこに?」
「とにかくどこか遠くへと思って、高速バスを乗り継いで鹿児島まで行った」
「わあ」
「でもそこでもまた黒服サングラスの男を見て」
「そんなファッションが流行ってるのかなぁ」
「それでここじゃだめだと思って、フェリーで沖縄まで行って」
「大変そう」
 
「で、沖縄では特に怪しい人は見なかったんだけど、金が尽きてしまって」
「宿賃だけでもけっこう掛かりますよね」
「それで工事現場で働いてた」
「大変でしたね」
「でも、簡易宿泊所でテレビ見てたら、連日のように須藤さんの写真とか、君や政子の写真が出て、なんだか須藤さん随分叩かれてたし」
「ひどかったですね。あの時は。私も親から随分責められたけど」
「いや、ほんとにすまんかった」
 
「その後も1ヶ所に留まってちゃいけないんじゃないかと思って」
「ええ」
「定期的に移動していた。沖縄には夏すぎまで居て、秋頃九州に戻って長崎にしばらくいて、その後、大分行って、山口、福山、米子、小浜、と渡り歩いて、富山の新幹線の工事現場には結構いたかな。そのあと新潟の方で高速の工事現場にいて、それから青森でまた新幹線やってた」
「ほんとに全国を旅してますね」
「1年半くらいそんなことしてた時にローズクォーツのデビューを新聞で見て、こういう形になれば、もう俺も危ない人からは追われないかも知れないという気がして」
 
「いや、たぶん最初から追手はいなかったかと・・・・」
「それならいいんだけど・・・」
「ホントにいたら、とっくに捕まってますって」
「かもしれないな。で、それで少しまともな仕事に転じようかと思って、仙台で食品製造会社に就職した」
「よかったですね」
 
「ところがそれがこの春の震災でやられちゃって」
「わあ」
「それで同じ系列の埼玉の工場に移るか、あるいは地元に留まりたい人は失業保険をもらえるように即解雇すると言われたんだけど、仙台に留まっても仕事無いし」
「ですよね、あの状況では」
 
「それで関東に戻るのは気が進まなかったんだけど、埼玉に引っ越してきた」
「わあ、じゃ今埼玉県内に住んでるんですか?」
「うん、まあ」
「実家には連絡取ってます?」
「取ってない。まだ怖くて。だけど、唐本と話してると、なんか連絡とかとっても大丈夫・・・・かな?」
 
「大丈夫ですよ」と私は笑って言う。
「実家にはぜひ連絡してください。お母さんきっと心配してますよ」
「そうだなあ。政子にも須藤さんにも謝らないといけないけど、俺」
「8日の夕方6時頃なら、私も政子も美智子も事務所にいるから、もし気が向いたら、来て下さい。菓子折でも持って」と私は言う。
「菓子折・・・って幾らくらい入れないといけないんだっけ?俺今あまり金が無くて」
私は一瞬きょとんとしたが、すぐに大笑いした。
 
「そんな、時代劇じゃあるまいし、菓子折はお菓子だけですよ〜。底に小判を入れたりしませんって」
「そうか。じゃ、顔出してみる」
私は花見さんから名刺をもらい、こちらも名刺の裏に地下鉄の駅からの道案内をメモして渡した。
 
私は花見さんと別れた後、すぐに美智子に連絡を取った。美智子は
「私は別に会う必要ないけどね」
と珍しく怒ったような口調で言った。あの件ではホントに怒っているのだろう。テレビであれだけ叩かれたのだから無理も無い。
「まあ、そんなこと言わずに」
となだめるように言っておいた。
「取り敢えず政子には、この話、実際に本人来るまではしないほうがいいよ」
と美智子は言った。
「だよねー」
 
8日の午後、学校をお昼までで自主的に切り上げ、放送局に行って出ることになっていた番組に出演したあと、私は政子に連絡を入れ、事務所に誘った。ちょうど、制作中の交換アルバムのスイートヴァニラズのデータが届いていたので、それを聴いていたのだが、7時まで待っても結局花見さんは来なかった。
 
私は事務所を出て1階の隣のビルとの隙間に入り、こないだもらった花見さんの名刺の会社に電話をしてみた。
 
「お世話になっております。私、唐本と申しますが、花見さん、いらっしゃいますでしょうか?」
「申し訳御座いません。花見は退職したのですが」
「え!?」
「失礼ですが、お知り合いか何かでしょうか?」
「はい。高校時代の後輩です。先週、都内で久しぶりに再会したものですからまた会いましょうと言って別れたのですが、今日会うことになっていたのに来られないもので」
「そうですか。こちらも急に辞められたので戸惑っておりまして」
「はあ」
 
私は、花見さんの実家に連絡を試みた。自分では電話番号が分からなかったので政子の叔母さんに電話してみたら、手帳に残っていたといって教えてくれたので掛けてみた。お母さんが出た。
 
私が名乗ると、その節は息子がご迷惑を掛けて本当に申し訳無い、とこちらが気の毒になるほど謝っていた。先週都内で再会して今日また会う約束をしたのに、現れないので会社に電話してみたら退職したと言われたということを言うと、お母さんは、そもそも関東に戻ってきていたことを知らなかったと言っていた。
 
「啓介は元気でしたでしょうか・・・」
とお母さんは心配そうに言っていた。
「ええ。とても元気な感じでしたよ。日焼けしてたくましい感じになっていたし。きっとそのうちお母さんには連絡がありますよ」
と私はお母さんを励ますように言った。
 

この月、私は8〜10日は東京にいたのだが、11日から18日まで全国を飛び回り、HNSレコードの店頭などでミニライブをしてローズクォーツの新曲『起承転決/いけない花嫁』のキャンペーンをしてきた。本来ならローズクォーツの4人で飛び回るのだが、10日にリーダーのマキが結婚式を挙げ、さすがに新婚ホヤホヤの人を駆り出す訳にもいかず、今回は私だけが飛び回ることになったのである。
 
私ひとりで行ってくるつもりだったのだが、どういう風の吹き回しか、政子が付いてくるというので、政子に臨時マネージャー役をお願いして2人で飛び回った。(この時期、ローズクォーツとローズ+リリーの方向性が混乱しないように、ローズクォーツは主として美智子が、ローズ+リリーは主として私が管理するように分担していた)
 
11日の日曜日は飛行機で福岡に入り、福岡市内のショッピングモールでライブとサイン会をした後、福岡市内のFM局に出演したあと新幹線で小倉に移動してまたキャンペーン、それからソニックで大分に移動してキャンペーンをしてから大分市内のFM局に出演した。
 
どこかで適当に夕食を取るつもりでいたら、ちょうどFM局に来ていた大分市内のイベンターの社長さんから「ちょっと食事でもご一緒に」などと誘われて、市内のライブハウスで、地元のバンドの演奏を聴きながら夕食を取った。
 
「一度是非ローズ+リリーで大分ライブをしてくださいよ。大歓迎しますよ」
とまだ30代くらいかなという感じの社長さんは言った。
「そうですね。マリがやる気になったら」
と私は答える。
 
「マリさんは長崎のほうのご出身でしたよね」
「よくご存じですね。諌早なんですよ」と政子。
「私、ローズ+リリーのファンですから」
「わあ、ありがとうございます」
 
「今年発売したローズ+リリーのアルバムで、7月に発売した『After 2 years』
は昨年録音したもので、10月に発売した『After 3 years, Long vacation』は今年録音したものですよね」
「それもよくご存じで」
 
「諸事情で実際に発売することができなくても、毎年音源制作していくのはいいことですよ。だって17歳の時、18歳の時、19歳の時、20歳の時、それぞれの年齢の時に、その年にしか歌えない歌ってあるでしょう。年齢を重ねていけば、それだけ技術も上がってうまい歌になるけど、21歳になってしまえば19歳の歌は歌えないんですよ。だから『After 2 years』は凄く貴重な音源ですね」
と社長さんは熱弁を振るう。私は頷いていた。
 
その時政子が唐突に言った。
「だったらさ、例の音源も割と貴重だよね」
「どっちの?」
「どっちも」
「何か未公開音源があるんですか?」
「ええ。ひとつは活動休止中だった高3の時に、2人で吹き込んだ音源があるんですよね。打ち込みで伴奏作って、スタジオ借りて私たちの歌を吹き込んだもの」
「それは凄い。物凄く貴重です、それ!」
 
「もうひとつは実はローズ+リリーを始める以前に作ったもので。当時はお金が無かったから、少しでも安くあげようってんで、平日に学校サボって貸しスタジオの3時間パック借りてバタバタと録音したんですけどね」
「聴きたいです!ぜひそれリリースしてくださいよ」
 
「でも商業ベースに乗るような歌じゃないのよねー、特に高2の時のは」
「でも私たちの軌跡を辿る意味ではそれなりの価値あるのかもね」
「この2つだけインディーズで出す手もあるかもね」
「それでもいいかもね」
 
ローズ+リリーがもし復活した場合は、ぜひ大分でのライブをやりましょうということを社長さんと約束した。この社長さんに別府港まで送ってもらい、私たちは八幡浜行きのフェリーに乗って四国に渡った。現地のスタッフが車でフェリーターミナルに来てくれていたので、私たちはその車に乗り、松山まで1時間半ほど掛けて移動して市内のホテルに泊まった。
 

翌朝、まだ私がベッドの中でうとうとしていた時、少し早めに起きた政子が私のパソコンでニュースを見ていて「え!?」と声を上げた。
 
「どうしたの?」
「《ローズ+リリー》の本家、《リリーフラワーズ》華々しくデビュー、だって」
「へ?」
 
政子がパソコンをベッドの所まで持って来てくれた。
 
>人気女子大生デュオ《ローズ+リリー》が、元々《リリーフラワーズ》の代役として生まれたものであることをご存じだろうか?3年間にわたるヨーロッパでの修行を終えて、その本家デュオ《リリーフラワーズ》がとうとう日本に帰ってきた! その類い希な美しいハーモニーを是非体感あれ。
 
などと煽り文句が書かれている。
 
「リリーフラワーズ、メジャーデビューシングル『白いハーモニー』本日絶賛発売」
 
と書かれていた。記事を読むと今日、都内のCDショップでメジャーデビューのイベントを開くようである。
 
「へー。じゃ、あの2人これまでずっとヨーロッパにいたのかな」
「そうなんだろうね。でもよく生きて帰って来れたね。無銭旅行とか、死と隣り合わせだよ」
「全く。治安が日本とは全然違うからね、特に女の子は別の危険も多いしね」
 
9時前に美智子から電話があったが、リリーフラワーズの件では、向こうもびっくりしたということだった。取り敢えず偵察に行ってくると言っていた。
 
こちらは10時に松山市内のショッピングモールでキャンペーンをした後、車で高松まで移動し、14時から高松市内のショッピングモールでキャンペーン。それから更に車で移動して、17時から徳島市内でキャンペーンというスケジュールだった。キャンペーンが終了してから、徳島郊外のファミレスで夕食を取っていたら美智子から連絡が入った。お客さんも少ないので、そのまま座席で取って小声で話した。
 
「お疲れ様。どうだった?」と美智子。
 
「まずまずの反応です。『いけない花嫁』のリピート部分が覚えやすいので、鼻歌で歌ってる人もあって、いい感じだな、と思いました」と私。
「うん。あれは覚えやすいよね」
「それでリリーフラワーズ、どうでした?」
「うーん。。。。。前の方が良かった」
「あら」
「昔ほどの高音が出てないんだよね。リリーフラワーズといえば、あの高音のハーモニーが良かったのに」
「それって、たぶん、あまり練習してなかったのでは?この3年間」
「でしょうね」
「きっと、生きてくだけで精一杯だったんですよ」
 
「うんうん。で、明日のテレビの歌番組に出るらしいから、そちらでも見るといいよ。明日はそのくらいの時間帯、ホテルに入ってるよね」
「ええ。入ってるはずです」
 

その日はレコード会社の人に車で岡山まで送ってもらい、岡山市内のホテルに泊まる。翌日は岡山・広島・下関と新幹線で移動しながらキャンペーンをして、新幹線で神戸に入り、神戸で泊まった。
 
「このホテルって、ローズ+リリーのキャンペーンで泊まったね」
「そうそう。私たちが初めて一緒にホテル泊したところ」
「あの日はシングル2部屋だったもんね」
「結局ひとつの部屋で寝たけどね」
 
私たちはちょっと懐かしいような気分だった。ゆっくりテレビを見ようということで外食はせずにコンビニで晩御飯とおやつを買ってホテルの部屋に入り、まずはおしゃべりしながら御飯を食べていたら、急に創作意欲が沸き、ボクたちは『液晶の嘘』という作品を書いた。
 
書き上げたところでテレビを付けたら、これからリリーフラワーズが出演する番組が始まるところだった。最初に出演者が全員ステージ上に出て来て紹介される。
 
「ねえ・・・今リリーフラワーズいた?」
「見なかったね。遅れて来るのかな?」
 
番組が進んでいく。個人的に知り合いの歌手も数人出ている。ボクたちはそれを見ながら、あれこれ雑談をしながらテレビを見ていた。そして番組がかなり進んでから司会者が申し訳無さそうな顔をして言った。
 
「えー。本日《リリーフラワーズ》がこの番組に出演する予定だったのですが現時点でまだスタジオに来ておりません。連絡を試みたのですが、本人たちと連絡が取れない、とマネージャーさんが言っております。こちらとしても順序を変更して最後まで待ったのですが、いまだに来て頂けないということで、結局彼女たちの歌声を放送することができません。そういうわけで時間が空いてしまいましたので、たいへん申し訳ないのですが、今、演奏してもらいましたバインディング・スクリューのみなさん、続けてもう1曲演奏してもらうわけには行かないでしょうか?」
 
「OKです!」という声が返ってきて、バインディング・スクリューは彼らが2年前にビッグヒットを飛ばした曲を演奏しはじめた。
 
私と政子は見つめ合って、そして大笑いした。
 
「テレビ番組のドタキャンやるとは、いい度胸だね」
「こんなことしたのは、きっと t.A.T.u.以来だよね」
「私たち、さんざん和製t.A.T.u. って言われたけど、さすが私たちの本家のリリーフラワーズだけのことあるね」
 
番組はバインディング・スクリューの曲の2コーラス目の途中でフェイドアウトして、CMに切り替わった。
 
そしてその日以来、リリーフラワーズの消息は知れなかった。ふたりが笑顔で談笑しながら成田空港を歩いていたのを見たという証言が複数あった。噂では今度はアメリカで無銭旅行をしているなどという話も伝わってきていた。前日発売されたリリーフラワーズの「メジャーデビュー」CDは、発売中止扱いになり店頭から回収されてしまった。
 
私はローズ+リリーでもお世話になっていたリリーフラワーズの元々の後見人・吉住尚人さん(彼も今回の「デビュー」は寝耳に水だったらしい)に連絡を取って、吉住さんの口添えでレコード会社から廃棄予定だったこのCDを1枚分けてもらい、自分のCDコレクションに加えた。リリーフラワーズはインディーズ時代にも1枚CDを出していて、100枚ほど売れているのだが、この2枚のCDが棚に並んでいるのは、私と吉住さんの2人だけかもね、などと思ったりもした。
 

「起承転決/いけない花嫁」のキャンペーンは14日は神戸・西宮・大阪・京都と動き回った。九州・四国・中国では、ステージのそばにサングラスを掛けてパンツスーツで立っている政子に気付いたお客さんはあまり居なかったのだが、さすがに神戸や大阪などでは気付いた人がけっこういて、ローズクォーツのサインだけでなくローズ+リリーのサインまで求められることもけっこうあった。政子も最近は人前に出てこういう触れ合いをすることに、あまり抵抗がなくなってきたようで、気軽にサインに応じて握手したりしていた。
 
大阪のHNSレコードでキャンペーンをやった後、どこかでお昼を食べてから京都に移動する予定だったのだが、政子が「買物してきていい?」というので、
「京阪の京橋駅14時半の特急に乗りたいんだけど、ひとりで京阪京橋駅まで来れる?」
「大丈夫と思う」
というので、別れて梅田に出て、三番街のスパゲティ屋さんに入り、注文をしてから、何気なく視線を泳がせていたら、通路をはさんだ向こう側のテーブルにいた女性と目が合った。
 
「あ・・・」
と向こうもこちらを認識したようであった。私は席を立ってそちらのテープルの彼女の向かい側に座った。
「こんにちは。私が分かりました?」と私。
「うん」
と彼女は明るい声で答えた。それは中学時代に私と一時期恋人関係にあったSであった。
 
「元気そうね」と私。
「そちらも元気そう。私、ローズ+リリーのCDも、ローズクォーツのCDも全部持ってるよ」
「ほんと?ありがとう」
「私ね。ローズ+リリーが『その時』でデビューした時、すぐケイは冬ちゃんだって分かった」
「凄い。。。。。。今何してるの?大学生?」
 
「うん。高校の途中で実は大阪に引っ越してまたまた転校したんだよね。それで、そのままこちらで大学に進学して。父がまた引っ越して九州に行っちゃったから、今は大阪で一人暮らし」
「わあ。。。いい恋できた?」
 
「うん。冬ちゃんが占ってくれた通り、高校で彼氏できたよ。大阪に引っ越してきてすぐ。その彼と今も付き合ってて、実は週末同棲状態」
「おお、それは良かったね」
「冬ちゃんも、いい恋できてるみたいね」
「え?」
「マリちゃんとラブラブなんでしょ?」
とSは悪戯っぽい目で見ていう。
 
「うん。まあ。。。マリとは半ば同棲状態。一応、他に彼氏もいるんだけどね。そのうち婚約しようって約束している人」
「へ?それ婚約じゃないわけ?」
「うん。婚約は当面しないという約束」
「変なの」
と笑う時の可愛い笑顔は中学の時のままだ。
 
オーダーしていたスパゲティが来た。Sの方にも来た。見ると同じ品だったので、私たちは思わず笑ってしまった。食べながら話す。
 
「でも、冬ちゃんって、女の子と男の子のそれぞれと恋ができるんだ」
「マリの方もだよ。私との関係とは別に彼氏いるし」
「不思議な関係だね」
「うん。高校時代からの親友には、結局二股じゃん、なんて言われてるけど」
「でも当人同士がよければ、それでいいんじゃないの?」
「ということに、させてもらってる」
 
「もう性転換しちゃったんだよね?」
「うん。もう戸籍も女になってるよ」
と言って、私はバッグの中から国民健康保険の保険証を出して見せてあげた。
「ああ、名前も冬子になってるんだ」
「うん。性別と一緒に名前も変えた」
 
「ね・・・・名刺とかもらっちゃってもいい?」
「いいよ」
と私は言うと、営業用の「ケイ」名義の名刺と、事務用のUTP専務肩書きの「唐本冬子」名義の名刺を渡した。
「きれーい。カラー印刷なのね。まるで写真みたい」
「うん。けっこうこういう雰囲気で作ってる人いるよ。今はみんな自分でプリンタで印刷するからね。自由度が高いんだ。みんな凝ったの作ってる」
「舞妓さんの花名刺みたいな世界に近づいてるのかな」
「あ!そうかも」
 
「ね・・・またタロットで占ってくれたりしない?」
「今手元にタロットが無いよ。あ!」
 
私はここに来る途中の本屋さんで何気なく買った雑誌をバッグの中から取りだした。折り込み付録で、切り離して使うタロットが付いていた。
 
「このタロットでもいい?」
「うん」
 
私は雑誌からそのタロットのシートを切り離し、切り取り線で分離して22枚の小さなタロットを得た。
 
「何を占うの?」
「今付き合ってる彼と結婚できるか」
「うーん。占う必要があるのかな?」
私は自分の意志で決めれば済むことを占いに頼るのは嫌いだ。
 
しかし「うん。ちょっと気になることがあって」と彼女が言うので、私はタロットをシャッフルすると、5枚取り出してギリシャ十字の形に並べた。タロットをするのは彼女を5年前に占って以来である。カードをめくっていくと、左が恋人、真ん中が隠者、右が月、下が悪魔、上が力であった。
なるほど。占って欲しいと言われた訳だ、と私は思った。
 
「彼氏、浮気してるね」
と私はストレートに言った。
「やっぱり・・・」
「今のままにしておくと、テンション落ちていくよ」
「その浮気って一時的なもの?」
 
「うーん。今はまだ一時的なものだけど、バレなかったら、そっちはそっちで続いてく。そして、そちらの方が本気になっちゃう」
「放置しちゃだめってことね」
「うん。自分を選ぶのか、その相手を選ぶのか、はっきりしろと言った方がいい。今なら勝ち目あるよ。これ」
「そっか。頑張ってみるか」
「この雰囲気だと、浮気を指摘するだけでも、かなり彼としては考えるだろうね」
 
そう言いながら、私は上のカードのそばにもう1枚出した。女帝のカードだ。
「彼としては、Sちゃんのことはとても大事。だから失いたくないと思ってる。でも、このままにしていたら、それも分からなくなってしまう」
「ありがとう。ちょっと作戦考えてみる」
「あ・・・・」
 
「どうしたの?」
「Sちゃん、五線紙なんて持ってないよね」
「さすがに持ってないなあ。レポート用紙ならあるけどね」
「あ、それでいい。頂戴」
「うん」
 
私はSからレポート用紙を受け取ると、雑誌の端を使って罫線の間に1本ずつ線を入れて簡易五線紙を作り、そこに、今湧いてきたメロディーを記入して行った。Sはコーヒーを飲みながら「へー」という感じの顔をしてこちらを見ている。曲はモチーフだけ五線に記入して、曲の構成は A B A C A B D のような感じで別途書いた。このくらい書いておけば、あとでちゃんと曲として組み立てることができるはずだ。紙のいちばん上に『Get Him Back』と書いた。更に歌詞も浮かんできたので、もう1枚レポート用紙をもらい、それに浮かんできた詩を書き綴って行った。
 
「凄いね。そんな感じで作曲してるんだ。これってもしかして私への応援歌?」
「そうだよ。Get him back. Win back your boyfriend! 結構突然こんなふうにメロディーや歌詞が浮かぶことあるんだよね。自分で五線紙を持ち歩けばいいんだろうけど、何だかね。。。人から用紙をもらった方が、うまく書ける気がして」
「面白い」
「マリと一緒にいることが多いから、たいていマリから五線紙もらうんだけど、大学の友だちとかからもらったりすることもある」
「人からもらうことで、その人のパワーも少し借りるのかもね」
「あ、たぶんそうだと思う」
 
私はSと握手して別れた。駅の方に向かいながら、政子から「浮気した?」
とか聞かれそうと思った。
 

京都でのキャンペーンライブが終わった後、大阪を拠点に活動している芸能プロダクションの社長さんが「良かったら一緒に食事をしませんか?」と言って寄ってきた。△△社と友好関係にある会社で、私も政子も高校2年生の時から旧知の人である。
 
「京都駅21時のサンダーバードに乗らなければいけないので、それまででしたら」
と言って、政子と2人で付いていった。京都駅の近くの京料理の店に入った。
 
「いや、ちょうど打ち合わせで京都に来ていたら、ラジオでローズクォーツのキャンペーンをするというのが流れていたので、おおっと思って寄ってみました。マリさんも一緒だったので感激しましたよ」
と社長さんは言う。大分で一緒に食事したイベンターの社長さんもそうだが、この人もけっこうマリ派である。
 
「私がひとりでキャンペーンとかで全国飛び回る、なんて時にはけっこうマリが臨時マネージャー役で付いてくるんですよね。今回はローズクォーツのキャンペーンなんですけど、マキがこないだ結婚式挙げたばかりで、さすがに新婚さんを駆り出せないというので、私ひとりで全国回ることになったものだから」
 
「マリさん、そろそろステージに復活しないんですか?」
と社長さん。
「そうですね。5年後くらいなら、またやってもいいかな、なんて気になって来ているところなんですけど」
「5年って長いですね・・・」
 
「マリが言う時間がだんだん短くなってきているんですよ。最初の頃は50年後とか言っていたのが30年後20年後10年後となってきて、この秋くらいからは5年後って言ってるので、たぶん実際には1〜2年後にはローズ+リリーの復活はあるかな、と思い始めているところなんですけどね」と私。
 
「ふふ」と政子はコメントせずに笑っている。社長さんは頷いた。
 
「やはり、アルバムの発売で流れが変わりましたか?」と社長さん。
「変わりました」と政子は素直に認める。
 
「今年2枚ローズ+リリーのアルバムを出して、シングルも2枚出して、実は年明けにも更に1枚、ちょっと特殊なものですがまた出すんですけどね。それでファンの方から、たくさん激励の手紙頂いちゃって。少しだけやる気が出て来ました」
と政子は微笑みながら言った。
 
「それは良かった」と社長さん。
「ところで、おふたりはパラコンズって覚えておられますか?」
「もちろんです。くっくものんのも、携帯の番号、私の携帯に登録してありますよ」
 
彼女たちはローズ+リリーの活動を始めて間もないころ、大阪のイベントで会い、私たちのステージを見て感動したなどといって、くっくは私にキスをしたのであった。これは私の「公式見解」では私のファーストキスである。
 
「おお、それは凄い。実は彼女たちを来年はメジャーデビューさせようと思ってましてね」
「それはいいですね!きっとファンが広がりますよ」と私。
「あくまで大阪拠点で活動して、でも全国ツアーとかもやっちゃおうか、みたいな線を考えているんですけどね」
「いいんじゃないですか。みんなが東京に出てこなくてもいいと思います」
 
「それで、この話、あらためて津田さん(△△社の社長)の所に持って行くつもりだったのですが、彼女たちのデビュー曲を、ローズ+リリーのおふたりに書いてもらえないかなと思っていたんですよ」
「わあ」
「何と言っても年齢が近いでしょう。パラコンズの2人は22歳。作曲家として今ばりばり活動している先生方は30代くらいの人が多いですが、おふたりはまだ20歳だし、それとやはり女性に書いて欲しい気がしてたんですよね」
「確かに女性のソングライターも少ないですよね」
 
「スリファーズとか、スーパー・ピンク・シロップとか、ELFILIESとか、女性のユニットにおふたりが提供している曲が、凄く雰囲気がいいもので、こちらもお願いできないかと思ってたんです」
「パラコンズがメジャーデビューするんでしたら、私たちも取り敢えずお祝いに何か書きますよ。ね?」と私が言うと
「ケイがさっき書いたばかりの『彼を取り戻せ』なんか、パラコンズに割とピッタリじゃない?」と政子は言った。
 
「ああ・・・そうかも」
「何かいい曲がありますか?」
「実は今日のお昼に書き立ての曲があって。東京に戻ってからデータ作ってお送りしますよ」
「お願いします」
「それにプラス1曲、書きますね。2曲必要ですよね」
「はい、ぜひお願いします」
 
そういう訳で、その後あらためて津田さん経由で話が回ってきたのだが、私たちは取り敢えず当面の間、パラコンズに曲を提供していくことになった。
 

その日は21:24のサンダーバードに乗って金沢に移動し、金沢駅そばのホテルに泊まった。金沢泊まりというのは大阪泊まり・博多泊まりの次くらいによく発生するのだが、ふだんは大抵駅の近くの別のホテルに泊まっている。このホテルに泊まったのは、実に3年ぶり。高校2年の時に全国ツアーをしていた時に泊まって以来であった。
 
「懐かしいね、ここ」と政子は言った。
「ほんとに。ただ高2の時はふつうのツインだったね」
「この部屋、高そう。★★レコードさんが払ってくれるから値段は知らないけど」
「ここも私とマーサのある意味原点だよね」
「うん。一緒に寝る時はコンちゃんを枕元に置いておくとか、気持ち良くなりすぎたらストップ掛けるとかのルール、ここで決めたしね」
「作詞作曲:マリ&ケイ、ってクレジットを決めたのもここだもんね」
 
高校2年の時、ツアーの最中に私たちはこのホテルに一緒に泊まり、そこでセックスはしなかったものの、かなり濃厚な睦みごとをした。その時、私たちは「どこまでしていい」かというルールを決めて、結果的にはそれが私たちの関係の方向性も決めた。
 
「あの日、私たちHしちゃっててもおかしくなかったよね」と政子。
「というより、あの日したことって、ほとんどHだったかもね」と私。
「それは確かに。入れはしなかったけどね」
「実際問題として、心理的にはあの日、私はマーサのヴァージンをもらっちゃったのかも知れないという気がするよ」
「そうかも。あの日、冬にあげたのかも。実はあの時、私逝っちゃったしね」
「マーサは否定してたけど、明らかにそういう表情だったもん」
 
「うふふ。。。私さぁ。結局誰にヴァージンあげたのか良く分からなくて」
「直哉君との初めてのHの時も出血したって言ってたね」
「そうなんだよね。冬と最初で最後の男女間セックスした時も出血したのに。直哉は私がそれまで処女だったと思い込んでいるだろうな」
 
「まあ1度で完全に破れるものでもないだろうしね。でも私は男の子じゃないから、結局男の子とセックスしたという意味では直哉君にあげたのかもね」
 
「そうなるのかなあ。でも実は中1の時の同級生にあげちゃってたのかも知れない気もするんだよね」
「人が来て中断したというやつ?」
「うん。でもヴァギナまでは入ってないはずなのよ」
「マーサがそう思うなら入ってないんだよ」
 
「やはり私、冬にあげたと思いたいな。ちゃんと中まで入れたのは冬との去年6月のが最初だし。逝ったのも高2の11月このホテルで冬とした時が最初だし、高3の4月には初めて放出経験したし」
「あれ、処女膜の内側まで指入ってたよね。あの頃は私も女の子の構造がよく分かってなかったから、言われるままに指入れたけど」
「うん。入ってた。Gスポットの方が処女膜より内側だもん」
 
「じゃ、マーサの処女は私がもらったということにしようか。3年前にこのホテルで。私の処女もマーサにあげたしね」
「うん。もらったつもり」
 
私たちはそんなことを言いながらキスをして、そのままベッドに倒れ込んで20分近くお互いに濃厚な愛撫を続けた。そして唐突に政子は言った。
 
「そういえば冬、今日は私がちょっと目を離した隙に浮気したでしょう」
「ちょっとだけ」
「その罰として、今夜は私にたっぷり奉仕すること」
「了解」
 
そういって私は舌で政子のあそこを刺激しはじめた。この夜、私たちは夜中2時くらいまで長時間愛し合い、その後『二股はギロチン』という曲を書いた。(「あんたらが言うな」と琴絵にもEliseにも笑われたが)
 

翌日は、金沢市内で午前中にキャンペーンをした後、レコード会社の人の車で富山に移動してまたキャンペーン。更に車で移動して、新潟でもキャンペーンをした。
 
新潟のショッピングモールでのステージが終わった時、政子が「あっ」という声を上げると、凄い勢いで走って行って、会場の隅にいた男性を掴まえた。私も駆け寄った。
 
「参ったな。目立たないようにしてたのに」
とその人物は言う。
「私、ファンなんです。もし可能でしたらサイン頂けませんか?」と政子。
「うーん。引退した身だからね。でもサインならいいよ」
と言うと、政子が渡した色紙に、彼は独特の筆記体で「naka」と書いた。
 
それは解散した人気バンド・クリッパーズのベースをしていたnakaであった。
 
「ここ目立つから、どこか行かない?」
と言うので、サイン会が終わるまで10分ほど待ってもらってから、3人でショッピングモール内のカフェに入った。(こちらのサイン会の最中にも気付いた人数人にサインを求められ快く応じていた)
 
「新潟におられるとは知りませんでした」
「クリッパーズが解散してから、あれこれ変な話もってくる人が多くてさ。うちのバンドに入りませんか、みたいな話もたくさん来たし。面倒だから、知人を頼って新潟に来て、今は市内の飲食店で働いている」
「そうだったんですか」
「今日はたまたま店休日で、飯食いにここに出て来て、帰ろうかなと思って歩いていたら、いい感じの音楽が聞こえてきたんで、ふと立ち寄ったんだよね」
 
「うちのバンドは、クリッパーズが突然解散して、その穴埋めでサマフェスのメインステージに立てたんですよ、今年」と私。
「ああ、そうなんだ。いや、あの突然の解散はあちこちに迷惑掛けたけど、それでチャンスをつかむ所もあったんだね」とnaka。
「私たちが高校時代に突然休養に追い込まれた時も、代役でピューリーズとかXANFUSとかがチャンスを掴みましたから。こういうのはお互い様ですね」と私。
 
「でもケイちゃん、今ローズ+リリーとローズクォーツの両方を並行してやってるでしょ?よくどちらかに填り込んで片方がおろそかにならないよね?バンドの人のソロ活動って、たいていバンドの解体につながっていくじゃん」
 
「うーん。元々ローズ+リリーがあって、ローズクォーツも別に始めたという感じだし。それにローズ+リリーはほとんど私とマリのプライベートな活動なんですよね。名前が付いたのは高2の8月に『明るい水』を出した時だけど、その1年前から一緒に曲作りしてたし。本当はローズ+リリーはインディーズでもいいんですけどね」
 
「ミリオン2発出したユニットをレコード会社が放っとく訳ない」
とnakaは笑って言った。
 
「nakaさんは、もう音楽はなさらないんですか?」と政子。
「ずっと先には、またアマチュアバンドか何かでもするかもね。でも当面は音楽から離れて過ごすのもいいかなと思ってね。ある意味充電期間だけど、一生充電しっぱなしになるかも」
 
「でも寂しくないですか?音楽しないでいるの」と政子。
「ちょっとだけ」
「3年間ライブ活動を休養してる私が言うのも何だけど、観客の前で歌を歌う時の気分って凄いもん」
「確かに気持ちいいよね」
 
「セックスみたいだと思いません?」と政子は大胆な質問をする。
「ああ、確かにあの快感はセックスの快感に通じるものあるよね。
って、俺、女子大生歌手ユニットとこんな話するとは思わなかったな」
「女子高生の私たちならできなかった質問かもね」と私も言う。
「でもマリちゃんこそ、3年も休養したら、そろそろ活動再開していいんじゃない?それでステージ上でセックスの快感を味わうといい」
とnaka。
「全くですね」と私。
「そうだなあ」と政子は遠くを見つめるような目をした。
 

その日は新潟を20:19の東京行き新幹線に乗り、大宮乗り換えで仙台まで行って仙台駅近くのホテルに泊まった。このホテルで私たちは(むろんHした後で)『青い恋』という美しい曲を書いた。
 
そして翌日は仙台・盛岡・秋田、と新幹線で移動しながらキャンペーンをした。
 
盛岡でのキャンペーンをした時、歌が終わったところでステージ近くにやってきた、赤ちゃん連れの女性がいた。私はその女性に見覚えがあった。
 
「こんにちは、赤ちゃん、元気ですか?」
「はい。娘は無事です。痕も残りませんでした。その節はお世話になりました」
 
それは6月にローズクォーツで福島・宮城・岩手の避難所300ヶ所を巡回した時大船渡の避難所で遭遇した女性で、この赤ちゃんがやけどをしたのを、その場で偶然遭遇したMTFのグループ数人で応急処置をしたのである。
 
「こちらへはお買物ですか?」
「いえ。ケイさんがいらっしゃると聞いてやってきました」
「わあ。ありがとうございます。でもあの時、名乗らなかったのに」
「川上(青葉)さんに、あの後また1度、霊障相談に乗って頂いたんですよ。その時、あそこで歌ったのがローズクォーツだったことを聞いて」
「なるほど」
「でも本当にケイさん、歌がうまいですね。すっかりファンになっちゃった」
「ありがとうございます」
「それに元男の方だったのに、これだけ高音が出るのも凄いです」
 
「最近、それあまり言われなくなってたね」と横から政子が笑って言う。「そうそう。なんか、私完全に女として埋没してるからね」と私も笑って答えた。
「歌手やってなかったら、元男だということバレずに生きていけるかもね」
「かもね。でも私たちほとんどプライバシー無いもんね」
「どこどこで何何を食べていた、とかネットに書かれていたりするもんね」
「こないだ私、エスカレータ乗るところで躓き掛けたのまで書かれてたよ」
「そういうのも、もう慣れたけどね」
「きゃー。凄いですね。私には歌手はできそうにないわ」
 
彼女はサイン会の列の最後に並んでくれたので、色紙にサインをして、握手した。赤ちゃんの頬にキスしてあげた。赤ちゃんの名前も訊いて母娘連名の宛名にした。
 

その日は秋田駅1926の特急つがる7号で青森に入り、深夜の青函フェリーで函館に渡る。夜中3:20の到着なので、それから函館市内のホテルに入り、朝まで寝た。さすがに疲れていたのでホテルについてすぐ寝たのだが、明け方私たちは愛し合い、その後『ビトゥイーン・ラブ』という曲を書いた。
 
翌日は午前中に函館でキャンペーンをしてから、函館空港から12:40のHAC便で丘珠空港に飛び、札幌市内でキャンペーン。それから札幌駅からスーパーカムイで旭川に移動。旭川市内でキャンペーンをして、その日は旭川市内で泊まった。
 
キャンペーンは明日朝の便で東京に戻ってから、お昼から東京周辺で何ヶ所かすれば終了なので、「明日で終わりだね」「今日の移動は疲れたね」などと言いながら、私たちはホテルでゆっくりと休んだ。(当然たくさん愛し合った)
 
夜中目が覚めて、政子が「お腹空いた」というので、私はコンビニにおやつを調達に出かけた。政子の好きなラミー、リクエストのあったカツゲンのほか、さきいか、どら焼き、などをカゴに入れ、おでんを少しチョイスしようと思い、お店の人に声を掛けた。
 
「すみません。おでんを・・・あ」
「あ!」
 
それはローズ+リリーでデビューする以前に、一度は彼女の代役、一度は一緒にステージで歌ったことのある歌手の晃子さんだった。
 
「こういうところで遭遇するとは」と私。
「奇遇だね!」と晃子。
 
「でも久しぶりですね。でもコンビニに勤めてるとは思わなかった」
「勤めてるというより、オーナーなの。私結婚してね。旦那と一緒にここのコンビニしてるのよ」
「わあ、ご結婚なさったんですか。それはおめでとうございます」
 
「ちょうど冬ちゃんたちがローズ+リリーで凄い売れてる時期に出会って、ちょうど例の騒動の最中に結婚したんだよね」
「わあ」
「それで、そのまま旭川に来ちゃったもんだから」
「私も何か忙しかったし、絵里花とも、その後、なかなか会えなくて。晃子さんの消息も聞かず仕舞いでした」
 
「でも、私、冬ちゃんが男の子だったなんて、全然気付かなかったよ」
「えへへ」
「だって、あんなにきれいな高音が出るのに」
「晃子さんと一緒に歌った頃は、まだヘッドボイスの出し方が甘くて、あまり音量が出なかったんですよね。今はけっこうな音量が出るし、ミドルボイスときれいにつながるから、高音の曲はけっこう得意です」
 
「以前FMの番組で聴いた曲でさ『天使に逢えたら』って曲。あれCD出さないの?」
「今年の初め頃出そうかって話があったんですよね。でも震災でそのあたりのスケジュールが吹っ飛んじゃって」
「ああ」
「でも、あの曲は絶対出しますよ。自分でもお気に入りの曲のひとつだもん」
「楽しみにしてる。あ、今日はお仕事?」
「ええ。夕方、この先のイオンで新曲キャンペーンやりました」
「ほんと!?わあ、行きたかったなあ」
 

コンビニで買ったおでんやおやつを持ってホテルに戻ると政子から「遅いよ」
と言われた。
「ごめん、ごめん。お店の人が偶然にも古い知り合いで、つい話し込んじゃって。でも、おかげでおまけで時間の経った肉まん、もらっちゃったよ」
 
「へー。何か今回のキャンペーンはあちこちで出会いがあるね。肉まんいただきまーす」と政子
「そうだよね。それも古い知り合いばかり」
「ほんとに。知り合いって、女の子だよね?」
「もちろん。私、男の子の友だちってほとんどいないもん」
「大阪で会った子も古い女友だちなんでしょ?」
「うん。まあ。政子には隠してもバレるから言っちゃうけど、中学時代の恋人だよ。大阪で遭遇したのは」
 
「やはりね。あの曲見た瞬間、そんな気がしたもん。今コンビニで会ったのも?」
「私がマーサ以前に恋人にしたのは大阪で会った人だけだよ。結局私が振られたんだけどね。コンビニの人は、中学の時の先輩の高校の先輩」
「ややこしいな」
「結婚して、今旦那と一緒にコンビニをやってるんだよ」
「なんだ。結婚してるならいいや」
 
「マーサには隠し事できないもんなあ」
「冬の嘘のつき方が下手なだけ」
「マーサならばれないように嘘をつけるのだろうか」
「冬が気付かないだけ」
「うーん。確かにそうかも。マーサ、私に何か隠し事してる?」
 
「ふふふ。どうかな。そうだ『彼を取り戻せ』の歌詞出して。私が改造するから」
「はいはい」
「このまま世に出すのは私が許さないんだから」
「あはは。マーサも嫉妬するんだね」
「女の子に対してはね」
「そっか。コトとのことを言うとカリカリしてるもんね」
「まあね。でもコトには冬とのキスまでは許してあげてるから」
「ふふふ。コトもわざとマーサの前でキスして刺激して楽しんでる感じだし」
 
政子は私が書いた『彼を取り戻せ』の歌詞をかなり大胆に加筆修正していった。また譜面の方も、五線紙を出して、それに書き写すように言い、作業が終わると元のレポート用紙は2枚とも、私にまるめてホテルのゴミ箱に捨てるよう言った。
 
少し後でこの曲の譜面を見た青葉は「この曲はマーブルだね」と言った。
「マーブル?」
「異質の波長が混ざってる。いつものマリ&ケイの曲って、冬子さんのピュアなトーンと、政子さんの突き抜けたソウルが縦糸と横糸みたいに絡まって、きれいな調和を作ってるんだけど、この曲には別の波長が混じってる。それが結果的に面白い雰囲気になってる。これ、もしかして、冬子さんの昔の恋人か何かと会って書いた?」
 
「なんで、そういうことまで分かるのさ?」
と私は呆れて青葉に言った。
 

18日は旭川空港を9:50の便で羽田に戻り、午後から東京近辺のショッピング・モールでキャンペーンをし、最後は新宿のHNSレコードで打ち上げとなった。
 
私と政子はそのまま新宿の居酒屋で2人で祝杯を挙げた。政子は「疲れたから食うぞー」と言って、大量に料理を注文してモリモリ食べている。それを微笑ましく見ていたら、
「おーい」
と言って、私たちに声を掛けてきたカップルがいた。
 
「わーい、静香先輩に谷繁先輩。ここ座りませんか?」
と私たちは言って、ふたりを迎えた。高校の書道部の先輩カップルである。
 
「いいのかな。こちらも御飯食べようと思って来たところで」
「一緒に食べましょう。ちょうど仕事が終わって、打ち上げしようとしてたところなんです」
「わあ、お疲れ様。何人で打ち上げしてるの?」と谷繁先輩。
「ふたりですが」と私。
「え?」と言って谷繁先輩はテーブルを見つめている。
 
静香先輩が
「政子はたくさん食べるのよ。男の子がいる時はあまりこういう実態見せないけどね」
と言って笑っている。
 
「谷繁先輩なら、まいっかな、ということで今夜は本気で食べます。あ、テーブルの上に並んでるのは適当に食べて、ほかメニュー見て好きなの取ってくださいね。冬に払わせるから」
「財布は唐本か!じゃ、ごちそうになるかな」
 
4人でテーブルを囲み、食べたり飲んだりしながら、おしゃべりを楽しんだ。飲み物は、女性陣3人はウーロン茶やオレンジジュース、レモンスカッシュなどであるが、谷繁先輩はビールを飲んでいる。
 
「へー。それじゃ九州から北海道まで全国キャンペーンしてきたの?」
「なかなかハードスケジュールだったね」
「四国とか北陸はひたすら車で走ってたね」
「飛行機使ったのって、東京から博多までと、旭川から東京までとの他は函館から丘珠までだけ。あとは列車と車の旅だった」
「若くないとできない旅だよね。私は付いて回っただけだけど、冬は歌を歌ってサインしてだもん。体力あるよね」
 
「そのあたりって、やはり中学の陸上部で鍛えたのが役立ってるよ」
「冬の肺活量も陸上部で鍛えたものだって言ってたね」
「うん。結果的にあの時代が今の歌手活動を支えてるんだよね。でもマーサだって早朝ジョギング続けてるじゃん」
「うん。私もあれでやっぱり長い音符が歌えるようになった」
「凄いなあ。私もジョギングしようかなあ」
 
「ところで、その静香先輩の左手薬指の指輪の件、聞いていいですか?」
「えへへ。少し早めのクリスマスプレゼントってことでもらっちゃった」
「婚約したんですか?」
「まだ口約束だけだけどね」
「まだ俺も金が無いから、今はファッションリング。誕生石のサファイア」
「サファイアだって結構値が張りますね」
「そうなんだよねー。春頃から少しずつ貯めてた。本当はダイヤのリングを贈りたかったんだけど、顕微鏡で見ないといけないようなダイヤより、こちらのほうがいいと言うから」
「ダイヤのプラチナリングは、就職して1年くらいしてからでもいいからね」
「はいはい」
 
「どこにお勤めするんですか?4月からは」
「スカイツリー」
「え?そこでバイトしてませんでした?」
「うん。そのまま正社員採用になる」
「へー」
「実質正社員みたいな仕事してるよね、既に」と静香先輩。
「うん。もうすぐオープンだからね。今無茶苦茶忙しい」
「わあ、頑張ってください」
 

「ところでさ」と谷繁先輩は声を小さくする。
「お前たち、花見の消息知らない?」
と聞くと政子はあからさまに不快な顔をした。
 
「どうして突然?」と私は尋ねた。
「いや、花見のお母さんからこないだ何か知らないかって聞かれたんだよ」
と谷繁先輩。
「私も書道部関連の人何人かに聞いてみたけど、誰も知らなくて」
と静香先輩。
 
「たぶん、それ私が発端です」と私は言った。
「実は今月初旬に、花見さんと偶然遭遇したんですよ」
「え?」と谷繁先輩と静香先輩が言う。
 
政子はぷいと席を立つと「トイレ行ってくる」と言って席を離れてしまった。
 
「よほど怒ってるんだな・・・・」
と私は政子の後ろ姿を見ながら言った。
 
「その時は埼玉で働いているってことだったんです。それまで沖縄から青森まで彷徨ってたらしいですけど。それでその後再度会うことにしてたのに、待ち合わせ場所に来ないので連絡してみたら会社を突然辞めたという話で」
「あぁぁ」
 
「お母さんにも連絡するよう言っておいたんですけどね」
「でも元気そうだった?」
「元気でしたよ。たくましくなった感じでした」
「それは良かった」
「その時に私が花見さんのお母さんに、そちらに連絡無いかと訊いたので、お母さんもまた知り合いにいろいろ連絡して探し始めたんでしょうね」
 
「でもあいつが以前起こしたレイプ事件」と谷繁先輩は難しい顔で言う。
「示談金で600万円払う約束だったのを実はまだ200万しか払えてないらしいんだよね」
「それはまた・・・・・」
「お父さんの勤め先が潰れてしまったらしくて。しかも長年かなりハードな仕事を続けていたのが禍して体調が悪くて、職探しもなかなかできないらしい。それで今生活にも困窮している状態で、これまで少しずつお父さんが代わりに払ってたのが今とても払えない状況みたいで。先方は、別にお金が欲しくてそういう金額で示談した訳じゃないからとは言ってくれているらしいけど、お母さんも途方に暮れてるみたいでね」
「大金ですもんね」
 
「新聞広告でも出してみます?」
「啓介、全て許す、帰って来いとか?」
「そうそう、そんなの」
 
私たちは数日後に花見さんの家に行ってこの件に関してお母さんと話し合い、新聞広告を出してみることにした。その結果、年明けになって本人から電話があり、お母さんが今の家の状況を説明して、泣いて帰ってきてと訴えたので花見さんは3年ぶりに実家に戻った。しばらく関西近辺の工事現場で働いていたらしい。そして12月まで働いていた埼玉の食品製造会社に再度雇用してもらい、働き始める。示談金に関しては被害者の女性が結婚を考えているのでもう決着を付けて欲しいと言ってきたので、私が残額を立て替え払いし、今後は私に毎月少しずつ返してもらうようにした。
 
花見さんはあらためてUTPの事務所に来て、私と美智子に謝罪した。美智子は
「まあ、あなたが謝罪に来たという事実だけは受け止めてあげる。許すわけじゃないけどね」
と言った。政子は応接室にお茶を持って入ってくると、私と美智子の前にお茶を置いた後、もうひとつのお茶を花見さんの頭に掛けて出て行った。さすがに美智子も「政子ちゃん!」と叱ったが、花見さんは「いや、いいです。政子のああいうのには慣れてますから」と言った。私が応接室を出て政子の所に行くと
「まあ、謝りにきたことだけは評価してあげる」
などと言っていたので、それを伝えてあげた。
 
花見さんが帰ってから私は政子からも美智子からも
「でも花見さんの件については、冬がいちばん怒るべきなのに」
と言われた。
 
「うーん。私って、あまり人に怒ったりしないたちだから」
と私は笑って答えた。
 
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【夏の日の想い出・あの人たちのその後】(1)