【夏の日の想い出・小5編】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-08-30
私は小学5年生の5月、声変わりの兆候が訪れて「自分はこのまま男の声になってしまうのだろうか」と、一時絶望に陥ったのだが、その時、偶然にもしばらく離れていた民謡に関わることになり、喉を鍛えれば、声変わりを乗り越えることができるかも知れないという思いつきに一縷の望みを見い出して、その絶望の淵から立ち上がることができた。
更には若干怪しげなクリニック(運営は少し怪しいが先生の腕は確か)で、私は性同一性障害と診断され、ホルモン補充療法を受けさせてもらった。
そのお陰で、私は声変わりと体質の男性化を免れることができたのであった。それで小学5年生の秋から大学1年の頃までの私は、ホルモン的にはニュートラルに近いものの若干女性ホルモン優位という状態になっていた。私は、女性ホルモンを男性機能がギリギリ死なない程度に調整しながら摂取していたので、大学1年の春に去勢手術を受ける直前まで弱いながらも男性機能・生殖機能を維持していた。
さて、5年生の7月。私は友人達にうまくハメられて、プールで女の子水着を着ることになった。プールで水に入るのは小学2年の時以来かなあ、などと思いながら、奈緒たちに言われてバタ足の練習や、クロールの息継ぎの練習などをした。
夏休みに入る。
私はこの時期、頻繁に奈緒の家に行き、ピアノの練習をさせてもらっていた。
私は小学1〜2年生の時、深山先生という優しい女の先生(1年の時は隣のクラスの担任。2年生の時は担任)に毎日放課後、ピアノの手ほどきを受けていたのだが、3年生になると中断してしまった。
一応学校のピアノは弾いていたし、月に数回くらいの頻度で、友人かつライバルであった夢美ちゃんという子の家に行き、ヴァイオリンを教えてもらうついでにピアノも少し見てもらっていた程度である。それも東京に転校してからは途絶えてしまった。
しかし4年生の秋に、奈緒と仲良くなったことから、奈緒の家にあるピアノを弾かせてもらえるようになったのである。奈緒は小学1年の時からピアノを習っていたのだが、極端な音痴という問題があり、いわゆる「探り弾き」ができないし、譜面と違った弾き方しても自分で分からない、というのでこの時期は、もう先生が匙を投げてレッスンも「適当に弾いてて」なんてことになっていたらしい。
私が奈緒の家でピアノを弾いていると、お母さんが「このピアノも冬子ちゃんに弾いてもらえて幸せだわあ」などと言っていた。奈緒にはお姉さんがいるがお姉さんもやはりピアノを習っていたものの、奈緒以上の音痴であった。
さて、その日私が奈緒の家でピアノを弾かせてもらっていた時、それまで漫画を読んでいた奈緒が
「そうだ!今日から学校はプール開放だよ」
と言った。
「あ。ごめん、ごめん。じゃ、そろそろ帰るね」
「冬も一緒に行こうよ」
「えっと・・・私、水着無いし」
「こないだの水着があるじゃん」
「えー? あんな可愛いの、学校に持っていったら叱られるよ」
「夏休みだし、構わないと思うな。見学してるよりは少しでも水に入った方がいい」
「うーん・・・」
「来なかったら、この写真バラ撒いちゃうから」
「ん?」
と思って奈緒の携帯を見ると、先日の可愛い水着を着た私の写真だ。
「ちょっと、ちょっと」
「嫌なら、私と一緒においで。お昼食べた後、あの水着持って学校に集合」
「えーん」
そういう訳で、先日の水着を持って学校に出かけて行った。
「持ってきた?」
「うん、これ」
と言って水着を見せる。
「よし、着替えよう」
「うん、それじゃ」
と言って私が男子更衣室の方に行こうとしたら奈緒が首に抱きついた。
「どこに行く?」
「だから更衣室」
「そっちは男子更衣室だよ。目悪くなった?」
「え?だってボクは男子更衣室で着替えなきゃ」
「こないだのプールでは女子更衣室で着替えたじゃん」
「だって・・・それにここ学校だし」
「冬が男子であるにも関わらず、こないだ女子更衣室で着替えてみんなの裸を見たのであれば痴漢として訴える」
「そんなぁ。こないだみんなで女子更衣室に連れ込んだんじゃん」
「抵抗しなかったじゃん」
「抵抗したよぉ」
「とにかく冬は女の子なんだから、ちゃんと女子更衣室で着替えよう」
ということで、またまた女子更衣室に連れ込まれた。
たちまち、他の女子にぎょっとされる。
「ちょっと、ちょっと、なんで唐本君が女子更衣室に入ってくるの?」
「ああ、冬は性転換したんだよ」
「え?そうなの?」
「性別変更届、出す予定だから」
「へー!」
「ほら、冬、ちゃんと女の子であることを確認してもらうのに、みんなの前で着替えよう」
「もう・・・」
仕方ないので私はみんなの前で服を脱ぐ。Tシャツを脱ぐと下はカップ付きキャミソールである。
「へー。ちゃんと女の子下着を着けてるんだ」
「そりゃ女の子だもん」
ジーンズを脱ぐと女の子パンティを穿いている。
「下もちゃんと女の子パンティだね」
「ってか膨らみが無い」
「ほんとに付いてないみたい」
「おちんちん、とっちゃったの?」
「そうだよ。もう冬は女の子だから」
「へー」
私は曖昧に照れ笑いしながらキャミソールを脱ぐ。
「乳首立ってるね」
「これ、微かに膨らみかけてない?」
「まあ普通の女の子よりは少し胸の発達が遅いかもね」
「小学4年生並みかな」
さて問題はショーツだ。私は水着をすぐに足を入れられる状態にすると、少し身体を前屈みにして、さっとショーツを脱ぐと、さっと水着に足を通して急いで上まであげてしまった。
「え?え?」
「今、よく見えなかった」
「いや、一瞬見えた。おちんちんは無かった」
「一瞬縦の線が見えた気がした」
「女の子だから、おちんちんは無いよ」
と奈緒。
「おちんちん取る手術しちゃったの?」
「そのあたりは秘密で」
と私はごまかしておいた。
「冬ちゃん、あの付近の毛はまだ生えてないのね?」
「うん、まだだよ」
とそれはにこやかに返事をしておいた。
でもとりあえず、みんなは私が女子更衣室にいること自体は受け入れてくれたようであった。
私がちょっと可愛い水着で奈緒に付き添われてバタ足の練習をしていたら2組の香坂先生が近づいてきた。
「誰?そんな可愛い水着を着てるのは?何でスクール水着じゃないの?」
「あ。先生、唐本さんが男子水着になるの恥ずかしいなんて言うもんだから、女子みんなで『こういう水着なら着れない?』と言って買ってあげたんです。これ、お股のところが目立たないから」
と奈緒が言う。
「え? あ、君、唐本君か! へー。そんな水着を着てると女の子みたい」
「この子、戸籍上は男の子だけど、実態は女の子ですよ。おちんちんも無いみたいだし」
「え?そうなの?」
「唐本さんのおちんちんを目撃した人が男子にも女子にも居ないようなので、おちんちんは無いのだと思います」
「へー!」
「でも、この水着なら唐本さん、着てくれたから、これで少し水泳の練習させてあげてください」
「ああ、そういえば、唐本さん、体育の授業では水泳はずっと見学してたね。泳ぐ練習は絶対していた方がいいから、その水着なら着れるのなら、まあそれでもいいかもね」
それで香坂先生は本当に私にはおちんちんは無いものと思い込んでしまった感もあった!
「唐本さん、ちょっとだけどバストも膨らみ掛けてるから、男子の水着にはなれないと思います」
「ああ。そうなんだ。じゃ、とりあえずその水着でもいいよ。でももし着けられるなら、女子用スクール水着にも挑戦してね」
クロールの練習もさせられたが
「冬、腕の動かし方が小さすぎる。それでは犬かき」
と言われる。
「ちょっと水の外で練習してみようよ。こんな感じで腕を動かすんだよ」
と言って、奈緒がやってみせるので、私も真似して腕を動かしてみる。
「もっと腕を伸ばして。それで伸ばしたままぐるぐる回してみて。うん、それでやってみよう」
ということで、水の外で練習したのを水の中でやってみたが・・・
沈んでしまった!
「うーん。。。。筋力不足かな」
と奈緒も悩むように言う。
「冬、少し筋力トレーニングした方がいい」
「ああ、冬ちゃん、ほんとに腕も足も細いもん」
「その筋肉では浮力を得られるほどの推進力が出ないんだな」
「冬ちゃん、体重いくら?」
「28kgくらい」
「軽すぎる」
「ご飯ちゃんと食べてる?」
「食べてるけどなあ」
「しっかり食べないと、おっぱいも大きくならないよ」
「えっと・・・」
「おっぱいは良いとして、ジョギングとかでもして、足腰鍛えないと、水泳だけ練習しても無理っぽいな」
「でもとりあえずバタ足は練習した方がいい」
ということで、その日はたくさんバタ足の練習をした。
プールが終わってから、近所のスーパーの休憩エリアに行き、空調の効いた中で自販機のジュースなど飲みながらおしゃべりした。紙コップに注がれるジュース類が60円などという、小学生のお小遣いにはとっても優しい所である。
「でも冬ちゃんの性別を再確認しておきたいなあ」
「よし。私が性別判定試験をしてあげよう」
と協佳が言い出した。
「私が質問するから、正直に答えるように」
「うん」
「おちんちんありますか?」
といきなり訊くので、周囲から「だいたーん」という声があがる。
「えーっと、よく分からない」
と私は答える。
「うむむ。よく分からないのか!」
「昼間は付いてるけど、夜は無くなるとか?」
「おちんちんなのか、クリちゃんなのか分からないサイズなのかも?」
「ああ、そういうの実際あるらしいね。1cmくらいしか無いおちんちんとか、逆に3cmくらいあるクリちゃんって存在するらしい」
「冬ちゃんにおちんちんはあるのか?というのはこないだも議論したよね」
「そうそう。とりあえず男子の方でも話題になってて、とにかく男子の中には冬ちゃんのおちんちんを目撃した子は存在しない」
「奈緒、冬ちゃんと仲良しだけど、おちんちん見たことある?」
「見たことない。お股が膨らんでいるのも見たことない」
「やはり、無いのでは?」
「まあ、いいや0.5点にして次に進もう。睾丸はありますか?」
と協佳。
「ごめーん。それもよく分からない」
と私。
「それも分からないのか」
「多分、冬ちゃんはもう睾丸は取ってると思うなあ」
「そうそう。声変わりしてないのが何よりの証拠」
「喉仏とかも無いよね」
「いや、睾丸は取ったんじゃなくて元々無かったのかも」
「奈緒の意見は?」
「冬ちゃん、以前は自分の睾丸はすぐ体内に入り込んじゃうとか言ってたよ」
「ああ、入り込んでいるから自分でも存在を確認できないのでは?」
「あれって、体内に入ってると機能しないよね?」
「そうそう。人間の体温では睾丸は機能できないから、外に出ている」
「機能してないなら、無いのと同じでは?」
「よし。じゃ、これは1点。次、生理はありますか?」
「うーんと、どうだろう?」
「冬ちゃん、生理あるはず。私、冬ちゃんからナプキン借りたことある」
とひとりの子が言うと、奈緒が
「あろうことか、冬は私からナプキンを借りたことがある」
と言う。
「じゃ、生理あるんだ!」
「やはり冬ちゃんって本当に女の子なのでは?」
「じゃ、これは1点だな。次、冬ちゃん、おっぱい膨らんでますか?」
これには他の子が私より先に答えた。
「さっき着替えの時見たけど、おっぱいは膨らみ掛けてたよ」
「よし。これは1点と。次5問目。冬ちゃんのパンツは男の子用?女の子用?」
「冬ちゃん、今日も女の子用パンツ穿いてたし、こないだプールに誘った時もやはり女の子用だったよ」
「じゃこれも1点だな。6問目。冬ちゃんスカート穿きますか?」
この質問にも周囲のみんなが
「穿いてる、穿いてる」
と答える。
「じゃこれも1点か。7問目。冬ちゃん、初恋の人は男の子?女の子?」
「えっと、男の子だけど」
と私が答えると
「おぉ」
と周囲から声が上がる。
「じゃこれも1点。次、8問目。冬ちゃん、自分の結婚式に着たいのは、ウェディングドレス?タキシード?」
「ウェディングドレス」
と私は即答した。
「ふむふむ。冬ちゃんは確かにウェディングドレス着て結婚式あげそうな気がするな。これも1点。9問目。冬ちゃん、トイレは男子トイレ?女子トイレ?」
「えっと男子トイレに入ってるけど」
と私は答えたのだが
「冬は学校では男子トイレに入ってるけど、学校以外では女子トイレに入るよね」
「そうそう。だいたいどこか遊びに行ったりした時も一緒に女子トイレに入って列に並んでおしゃべりしてるよ」
「じゃ女子トイレと認定します。1点。最後10問目。冬ちゃん、いちばん最近性別を記入する書類で、性別はどちらと書いた?」
「えっと。女かな」
私は最近出た民謡大会の申込用紙に「柊洋子・女」と書いたことを思い出して言った。
「じゃ1点。合計9.5点。万一おちんちんが存在したとしても9点だから冬ちゃんはほぼ女子だね」
「じゃ、冬ちゃんの性別は女子ということで決定」
「今後学校でも女子トイレ、女子更衣室を使うこと」
「えっと・・・・」
「体育の時も女子の方に入りなよ」
「家庭科の調理では、強力な戦力だしね」
「あ、包丁とかの使い方もうまいし、炒め物とかもすごくきれいに炒めるよね」
「ね、ね、10月の学芸会の劇では、女の子役で出てもらおう」
「ああ、それもいいね。冬ちゃん、去年は何の役した?」
「お城の階段の前に立ってる灯篭かな」
「灯篭って性別どっち?」
「さあ・・・」
「あ、中性だよ」
「なるほどー。冬ちゃんは去年は中性だったんだ!」
「じゃ、今年は女性に進化してもらうということで」
「協佳、今年の学芸会の劇、何するんだっけ?」
「眠り姫だよ」
「あ、そしたら魔女の役とかは?」
「魔女、何人出るの?」
「5人の予定。うちのクラスの女子が16人だから、魔女で5人、オーロラ姫、王妃、長靴を履いた猫、白猫、赤ずきん、シンデレラ、フロリナ姫、4人の宝石の精で合計11人。これで全員出場。男子の配役は知らん」
と協佳が言うと
「長靴を履いた猫とかシンデレラとか何よ?」
という質問。
「それ、バレエの『眠りの森の美女』だね?」
と私が言った。
「あ、冬ちゃん、バレエに詳しいんだ?」
「てか、もしかしてバレエしたことあったりして?」
「えっと。。。まあ」
「眠りの森の美女、やったことある?」
「さすがに全編はやってない。ダイジェストというか、バレエ教室の生徒の人数が満ちる分だけやったというか」
「ああ、バレエ教室なんて行ってたんだ?」
「ボクが行ってたんじゃなくて、友達が行ってたんだよ。ボクは練習に付いて行ってそばで見学していただけで。それで4人の宝石の精のパ・ド・カトルで、踊る予定だった子が前日に足をくじいちゃって代わりに踊ったんだけどね」
「ちょっと待て。宝石の精って女の子だよね、4人とも」
「うん。まあ」
「まさか、チュチュを着て踊ったりは・・・」
「あれさあ、白・青・金・銀に色分けされてるから、代替がきかない。踊り自体を踊れる人はお姉さんたちにたくさん居ても、衣装のサイズが合わなかったんだよねぇ」
「女の子の服のサイズが合っちゃう所が冬ちゃんの凄さだ」
「チュチュを着た冬ちゃんを見てみたい気がする」
「4人の精のうちのどれ踊ったの?」
「ダイヤモンド」
「メインじゃん!」
「ただ見学してただけなのに、メインの役を踊れちゃう訳?」
「まぁ」
「じゃ冬ちゃんを入れて劇の練習をしてたら、誰か休んでも冬ちゃんが代わりにやってくれるな」
「ああ、そういう子がいたら便利だ」
「うん。ボク、便利屋さんだね、と言われた」
「何の役でも出来るなら、冬ちゃんカラボスとかお願いできる?」
「ああ、カラボスは練習で踊ったことある」
「じゃ、よろしくー。学芸会は台詞と演技だけで、踊らなくてもいいけどね」
「それ誰だっけ?」
「オーロラ姫の誕生パーティーに招待されなかったので、すねて呪いを掛けちゃう魔女だよ。4人の魔女とカラボスのつもりだったけど、冬ちゃんを入れて、5人の魔女とカラボスにしよう。だから4人の魔女がプレゼントした所で冬ちゃんのカラボスが登場して、オーロラ姫は16歳で指に針を刺して死ぬと言い、最後にまだプレゼントをしていなかったリラの魔女が、死ぬのではなく100年の眠りに就くと呪いを修正する」
「なるほど、なるほど」
「でもカラボスはオーロラ姫が目覚めてから開かれたデジレ王子との結婚式には普通に出席している」
「何だか東洋的だよね。100年眠った結果、良い男をゲットできたんだから、いいことにするのか」
「でも、オーロラ姫とデジレ王子って、物凄い年の差結婚だね」
「言えてる〜!」
「可愛ければ、100歳年上でも構わないんじゃない?」
「なるほどー」
「男の感覚ってそうかもよ」
「**君が入れられるなら何でもいいって言ってたよ」
「きゃー」
「入れられるって?」
「意味の分からない子は気にしない!」
「冬ちゃん、その辺の感覚、分からない?」
「ボクちょっと男心は分からない」
「ああ、そうかも」
「じゃ、冬ちゃんを女子の方に引き抜くということで、男子の方には言っとく」
と協佳は言っていた。
この時期、私は学校でもよく音楽室のグランドピアノを昼休みなどに弾いていた。この学校では翌年の春から放課後の音楽室では合唱サークルの練習が行われるようになるのだが、この時期はいつも空いていた。
昼休みや放課後にピアノを弾く子たちは何人かいて、たいていの子はピアノ教室に通っているのだが、私は独学であっても当時その子たちと遜色無い演奏ができていたので、順番で回しながら弾いていた。私はだいたいポップスを弾くので、みんなからリクエストも受け付けていた。
「冬〜、モー娘。の『LOVEマシーン』弾いて〜」
「嵐の『時代』弾いて〜」
などとリクエストされるので、リクエストされた曲を弾いて、それで私の演奏に合わせて歌ってくれたりもしていた。女の子たちだけでなく、結構男の子たちもこれには参加してくれた。
「唐本、そうやってる所を見ると《美少女ピアニスト》って感じだ」
「いや、唐本って本当に女子なんじゃないかと思うことよくある」
「ってか唐本、胸あるよな?」
「これはカップ付きキャミソール付けてるから、そう見えるだけで」
「実際の胸は無いの?」
「女子から聞いた話ではCカップだとか」
「さすがにそんなには無い」
「ね、チンコも取っちゃったって噂は本当?」
「あはは、どうだろうね?」
「俺は、チンコは付いてるけど、タマは取ったと聞いた」
「あははは」
「うちのクラスの男子でまだ声変わりしてないの4人だけだよな」
「多分唐本は永久に声変わりしない気がする」
「キントラートとか言うんだっけ?」
「確かに金(きん)を取るかも知れないけど、カストラートかも」
「それなの?」
「あはは、どうだろうね?」
ところで私は小学4年のある時期から作曲(作詞も)を始めた。
きっかけは、あるテレビ番組であった。それは「凄い小学1年生」というのを紹介する番組で、料理が得意な子、バレエが物凄くうまい子、天才卓球少女(この子は後にオリンピック選手になった)、プログラムが作れる子、物凄く絵のうまい子、字のうまい子、洋服のデザインをしちゃう子など、よく小1でここまでという感じの凄い子たちを紹介していたが、その中に作曲をする子というのが出ていた。
私は絵には自信があったので「物凄く絵のうまい子」にちょっと対抗心を持ってしまったのだが、その作曲をする子というのにも興味を持った。小学1年生にできることなら、4年生の自分にもできるはずと思った。
でも作曲ってどうやるんだろ? と思い五線紙をエレクトーンの前に置いてみる。適当に曲を考えてみようとするのだが、いつしか自分の知っている何かの曲になってしまうのに気づく。
じゃ考えちゃダメだと思い、サイコロを持ってきた。1=ド、2=レ、3=ミ、4=ファ、5=ソ、6=ラ、と決めてサイコロを振りながら音符を記入していく。
しかし当然ながら無茶苦茶になる。とても曲と呼べたものではない。しかし、そこから私はそれが自然な音の流れになるように音の高さを修正した。最初は四分音符だけだったのを、長さを変えたり音符を分割したりもしてリズム変化のある曲にしていった。
すると最終的にはまあ何とか曲らしきものにはなった。
この記念すべき第一号作品は「サイコロの歌」という仮題を付けて、後に作るようになった作曲ノートの第1ページにも書いたが、純然たる試作品であり、世に出すことは無いであろう。
しかしこれをきっかけにして、私は時々ふつうにメロディーを書くということができるようになり、当時雑誌などに投稿されていた詩に、勝手にメロディーを付けるということを始めた。それでこの時期、様々な作詩者の名前に「唐本冬子作曲」というクレジットを冠した作品が五線紙にたくさん書き綴られていくことになる。その作品は小学4年生の間に10本ほど、小学5年生の時に30本ほどに上った。その中にはいくつか自分で詩を書いて曲を付けたものもある。
作曲者の中には「曲先」で書く人が割と多いようだが、私はだいたい「詩先」
で書くことが多い。詩の世界観をイマジネーションとして思い浮かべている内にメロディーが浮かんでくるのである。ただ、この時期の作品は既に存在している詩(多くは散文詩)に曲を付けていったものが多いので、ソネット形式の一連の作品を除いては、曲としては変則的な形式のものが多い。ソネットは14行詩であるが、それを私は2行分を繰り返しとして使用したり勝手に2行分の詩を補作したりして64小節(32小節で2番までの曲)にまとめることをよくしていた。
5年生の夏のその日も私はまたいろいろ曲を書こうと思って、五線紙(4年生の時の音楽のノートの余ったやつ)と自由帳に筆記具(シャープペンシル2本と消しゴム)を持って、公園を散歩していた。
私はベンチに座って鳩が歩いているのを眺めていた時に詩が浮かんできたので『可愛い鳩』という詩を書き、続けてそれに曲を付け始めた。詩を書く段階で曲が付けやすいように、だいたい「七五調」で詩を書いている。日本の詩というのは「五七調」が多いのだが、それでは曲になってくれないのである。七五調なら|タタタタ|タタタ−|タタタタ|ター**|という形で四小節の曲になってくれる。
そして16小節の唱歌形式(AABA)の曲をだいたい書き終わった時に、ふとその人に気づいた。その男性は向こうから声を掛けて来た。どうもしばらく前から私を見ていたものの、私の作業が終わるまで声を掛けるのを遠慮していてくれたようであった。
「君、もしかして作曲してたの?」
「あ、はい」
「凄いね。君、楽器使わなくても音が分かるんだ?」
「家ではエレクトーンで音を確認してますけど、エレクトーンは持ち歩けないから」
「そうだね。ウルトラマンくらいの腕力無いと、エレクトーンを持ち歩くのは辛いね」
私はそのジョークに笑ってしまい、和やかなムードになった。
「途中、結構悩んでいたね」
「途中から、うっかりワンティスの『時計色の虹』の曲に似そうになったので、そこで違うメロディーにするのにしばし考えていました」
「ああ、ここの3音の動きが『時計色の虹』のBメロの7小節目と似ているから、それで吸収されそうになったんだろうね」
どうも既存のメロディーに合流してしまうことを「吸収」と言うようだが、一般的な言葉なのか、その人の勝手な用語なのかは分からない。
「ワンティス、ご存じですか?」
「ああ、好きだからよく聴いてる」
とその人は言った。
「『時計色の虹』は割と好きな曲だよ」
「へー。でもワンティスって初期の作品が好きだったなあ。『霧の中で』以降路線が変わっちゃいましたよね。より売れる作品にはなったと思うけど」
と私が言うと
「ほほぉ。路線が変わったのが分かるんだ?」
とその人は言う。
「ええ。まるで別の人が詩を書いているみたい」
と私が言った時、その男性は何かショックでも受けたかのような顔をした。
「売れる作品になったと思う?」
「はい。初期の作品は芸術的な価値は高いと思うんです。だから私は好きなんですけど、高岡さんが自分の世界に陶酔している感じなんですよね。だから一般向きじゃない。でも『霧の中で』以降は、まるで誰かに語りかけるかのような詩になったんです。詩としては平凡。でも平凡だから一般受けする。何かよほど大きな心境の変化でもあったんでしょうかね」
その男の人は何か考えているかのようであった。
「でも詩って難しいですね。言葉の選択で悩み出すと、どんな言葉をそこに入れても、満足できない気がしてくる。どんな言葉を書いても、自分が思っていたイメージと違う気がする」
と私は言った。
「そんな時はね、考えちゃダメなんだよ」
「え?考えないんですか?」
「考えて到達できる範囲というのは、いわば地面から材木を積み上げて塔を作っていくようなもの。でもね。良い詩というのは、ヘリコプターで唐突に空中に資材を持って行ったようなものなんだよ」
その言葉に私は虚を突かれた思いがした。
「でもその空中の言葉って、どうやったら到達できるんでしょうか?」
「考えるのをやめてボーっとしていたら唐突に思いつく」
「あぁ」
「考えるというのは脳の左側を使っている。でも良い概念を産み出すのは思考というロジックでは動いていない右側なのさ」
「はあ・・・」
「大きな科学上の発見とか発明もだいたい、みんな『考えていない』時に思いついている。ポアンカレという数学者は馬車に乗ろうとした時にフック関数というものに関する理論を思いついた。ホーキングという人はベッドに行こうとしていた時にブラックホールが蒸発するという大発見をした」
「へー」
私とその男の人は、結局公園のベンチに座って、詩や曲の書き方について2時間近く話をした(しばしば詩とは関係ない宇宙の構造に関する話とか恋愛論まで話した)。その中で私は『白い雲のように』という詩と曲を書き、その男の人も『恋をしている』という美しい詩を書いた。その人が使っている青いボールペンが不思議なオーラをまとっている気がした。
「ね、君、この僕の詩に曲を付けてみれる?」
「はい」
私はその時その男性と話した「考えずに発想する」という練習を兼ねて、心を開放し、半ば瞑想でもするかのような心理状態に自分を置いて曲を書いて行った。それはまるで、自分の心と鉛筆を持つ腕とが、どこかから流れてくるエネルギーの媒介になっているような気分、当時それを私は「そうめん流しの筒になった気分」と日記に書いているが、そういう気分で書いて行った。
「きれいな曲になったね。でも少し手を入れると、もっと良くなるよ」
「どうするんですか?」
「まず、このメロディーにコードを付けられる?」
「はい」
私は譜面にCとかG7とかのコードを書き込んで行ったが・・・
「あれ?」
と途中で声を上げた。
「ここコードがおかしい」
「うん、よく気づいたね」
「ここはこのメロディーだとこのコードになるけど、コード進行からすると、本来こちらだと思います」
「うんうん」
「だったら、メロディーも、ここはラじゃなくてソにすべきかな」
「音が動いていくときの中間音って、少しくらいずれていても気にならない。コードを考えてみると妥当な音が分かる」
「わぁ」
「それから、AメロとA′とのコード進行が完全に同じだよね。確かにそれは基本だけど、少しバリエーション入れた方が楽しくなる」
「ああ、楽しくするの大事ですよね。じゃ、こうしようかな」
と言って、私は消しゴムで消してA′7〜8小節目のコード進行を少し変え、それに合わせてメロディーラインも少し変更した。
「うんうん、そこはぐっと良くなった。それから・・・」
私とその男性は30分ほど会話しながら楽曲を修正していった。
「これ最初書いたものからすると随分格好良くなった気がします」
「うん、凄く良くなった。そして最後に一つ」
「はい」
「今度からシャーペンじゃなくてボールペンを使った方がいい。修正した履歴が全部残るから、さっきのが良かったと思った時、戻ることができる」
「ほんとですね!」
それで私はそれ以降、作曲はボールペンでするようになったのである。
「このできあがった曲、もらってもいい?」
「はい。もらうって?」
「すぐじゃないかも知れないけど、そのうち僕が歌ってCD作って、もし売れたら、印税払うよ」
「わぁ、それはお小遣いにしよう」
「あ、君、名前は?」
「えっと・・・イニシャルでもいいですか?」
「うん」
「じゃ、FKで」
私は「冬彦」と男名前を名乗るのが嫌だったので性別曖昧なイニシャルで勘弁してもらった。一応連絡のため住所は書いて渡した。
「じゃ僕はTTで」
とその人は言い、それで私はその人と握手をして別れた。
ところで、私は小学5年生の5月、民謡の「大会荒らし」をして、賞金をたくさんゲットした。初めて出た民謡大会の賞金で27000円もの「秘密のお小遣い」
が出来た。
それで私はあるものを買おうと思った。
私は小学3年の12月まで学校の音楽準備室でピアノの練習をし、また友人の夢美の家でヴァイオリンの練習をしていた。それが東京への転校でいったん途切れてしまったのだが、4年生の10月から急速に親しくなった奈緒の家でピアノの方は練習させてもらえるようになり、それでピアノの勘はかなり取り戻した。しかしヴァイオリンは使える楽器も練習環境も無かった。
それでこの「秘密のお小遣い」でヴァイオリンを買っちゃおうと思ったのである。本当はピアノを買いたいくらいだったが、さすがにピアノは27000円では買えない気がした。
それで楽器店に行ってみたのだが・・・・・
「ヴァイオリンってこんなにするの〜!?」
と絶句する。店頭に並んでいるのは安いものでも10万円くらい。高いのになると97万円とか値札が付いている。400万円なんて書いてある楽器まであった!きゃー! 一番安いのでも、民謡大会にあと4回くらい入賞しないと買えないじゃん!
それでトボトボと楽器店を後にして、目に付いたマクドナルドに入り、100円のドリンクを頼む。それで楽器店でもらってきたヴァイオリンのカタログをため息を付きながら眺めていた時のことである。
近くの席で20歳くらいの女性が2人話していた。
「それ、何か凄く格好良い時計だね」
「うん。***製」
「ひゃー。高かったんじゃない?まさか100万超?」
「それが1万円だったんだよ」
「うそ」
「ヤフオクで落としたんだ。電池が切れたまま10年くらい放置してたんで動くかどうか分からないということでジャンク品扱いだったんだけど、賭けで落として、時計店に持ち込んで電池交換してもらって簡単に掃除してもらったら動いた。落札代金5000円と電池交換代5000円で1万円」
「すっごーい」
私は「ヤフオク」というのは何だろうと思った。それで家に帰ってから姉に訊いてみた。
「ヤフー・オークションだよ。ヤフーがやってるオークション」
と説明されてもさっぱり分からない。それで姉が居間のパソコンを操作して実際の画面を見せてくれて、操作方法なども教えてくれた。
「へー。じゃ、凄く安く物が買えたりするんだ?」
「運が良ければね。しばしばジャンクと書いてある品がある。それは使えるかどうか、出品している本人も分からないという品。使えたら儲けもの。でも、使えないことの方が多い」
「なるほどー」
「あんた、何かほしいものあるの?」
「うん・・・」
それで私は姉に安いヴァイオリンを落としたいと言ってみた。
「ああ、あんたそういえば愛知ではヴァイオリンをお友達の所で習ってたね」
「うん。でも、うちあまりお金に余裕無いみたいだし、とても買ってとは言えない。それにお父ちゃんが『男がヴァイオリンとか弾いてどうする?』とか言いそうだし」
「ああ、言いそう、言いそう。じゃ私が代わりに落としてあげるよ。どうせあんた自由にできる口座持ってないでしょ?」
それで姉は落札期限の迫っているヴァイオリンのオークションをいくつかウォッチしておき、期限の時刻直前に入札を入れてくれた。
すると幸運にも、ジャンク品のヴァイオリンセット(ヴァイオリン・弓・ケースのセットだが、駒が紛失! ついでに弦は全部切れてる。また本体にけっこう傷がある)というのを150円で落とすことができた。
「ただし送料が1400円かかるけどね」
「そのくらい問題無い」
「駒はどうする?」
「それもヤフオクで」
「なるほどー」
ということで翌日は今度はヴァイオリンの駒を10円で落とせた。こちらは送料150円であった。
そういう訳で、私は送料まで入れて1710円でヴァイオリンのセットを入手したのであった。姉には手数料と操作指導料を含めて3000円渡した。
「おお、よく3000円もお小遣い貯めてたね。遠慮無くもらっておくね」
と姉は言っていた。
楽器店でいちばん安いスティール弦のセット(600円だった)と松ヤニを買ってきて、まず弦を自分で張ってみた。このヴァイオリンは楽器の表面にけっこう傷があり、また底板に凹みがあった。また糸巻きの1本がとても緩かったが、私は薄い紙を挟むことで調整した。
さて、私はこのヴァイオリンの練習をどこでやるか悩んだ。
とりあえず家ではできない。近所迷惑だし、父からあれこれ言われそう。
また私はこの練習を「女の子の服」を着て、やりたかった。その方が男の子の服を着て練習した場合より絶対にうまく弾けるだろうと思ったからである。それであまり友人たちには見られない場所がいいと思った。
自宅近くに川が流れていたが、そこは微妙に校区外になるので、あまり友人たちに会わずに済みそうな気がした。私はヴァイオリンケースを持ち、ポロシャツに膝丈スカートという出で立ちで、川に行き、河原に降りて少し歩いてみた。あまり人がいない。たまに釣り糸を垂れている人がいるが、こんな川で釣った魚を食べられるんだろうか?と疑問を感じる。
しかし川の流れの音があるし河原は道路より低くなっているから、ここで多少の音を立ててもそれに吸収されて、周囲には迷惑を掛けない気がする。やがて橋があった。大きな道路が通っている。その車の列が途絶えない。かなりの音だ。こんな所でやれば絶対に大丈夫という気がした。それに橋の下なら急に雨が降ってきたような時にも何とかなるし、橋のおかげで、私がそこにいること自体が目立たなくて済みそうだ。
それで私は週に数回、女の子の服を着てそこまで出かけてはヴァイオリンを弾くというのを始めた。初日、その場所で『ユモレスク』を弾いてみたら、けっこう手が感覚を覚えていた。3年生の12月以来、1年半ぶりの演奏だったが、これはまたちゃんと練習していれば感覚は取り戻せると思った。
そういう訳で、私のヴァイオリンのお稽古は再開されたのであった。
このお稽古には、その河原に住んでいる? ちょっとくたびれた感じのおばちゃん、おじちゃんたちが何だか集まってきて聴いてくれていた。時々
「『ブルーシャトウ』弾ける?」
「『真っ赤な太陽』弾ける?」
などといった感じでリクエストも来るので、それに応じて弾いていた。だいたい古い曲が多くて、ブルーコメッツとか、ピンキーとキラーズとか、水前寺清子とか美空ひばりとか、あるいはフォーリーブスとか沢田研二とか、そんな感じの曲を弾いていた。
私が何でも弾いちゃうので
「あんた若いのに、良く知ってるね〜」
「お母ちゃんかお婆ちゃんが聴いてたの?」
などと言われた。
それで、その人たちからリクエスト代なのか「これ食べる?」とかいって、おやつとかパンとかもらうこともあった。くれるというのを断るのは悪いので、だいたい頂いていたが、私のお腹、がんばってね〜、と心の中で声を掛けながら笑顔で食べていた。
この住人さんたちには、結構耳が良い人もいて、特に私の演奏の「雰囲気」
を感じ取ってあれこれ言ってくれた。
「タララーラー♪の所はもっと情感を込めた方がいいよ」
などといった感じで言われるので、実際けっこう勉強になっていたし、気の抜けた演奏などは絶対にできず、私は気合いが入りまくっていた。
なお、私は小学生の頃はヴァイオリンはほとんど独学で練習していたし、また演奏曲目もポップス・歌謡曲がほとんどであった。ヴァイオリン教室に通っていた人なら逆にクラシックをたくさん弾いていてポップスはそれほどうまくもないことが多い。このあたりで私の演奏スキルは多くの人に誤解されていたようである。ポップス系の人からは「凄いうまい! かなりの上級者ですね」
と言われる一方でクラシック系の人からは「まだ初心者かな?練習はじめて1年くらい?」などとよく言われた。そういう状態が解消するのは中学になって、アスカに徹底的に鍛えられるようになってからである。
この橋下での演奏は、ここの護岸工事が始まってしまい、ここに来れなくなる翌年の6月まで(天気の悪い日を除いて)続いた。
ところで協佳は、私がバレエやったことあるんなら、うちの練習ちょっと見に来ない? などと言って、私を自分が通っているバレエ教室に連れて行った。ついでに奈緒と有咲も付いてきた。
「あなたたち入会希望者?」
「ただの見学でーす」
と言って見学させてもらう。
協佳たちは8月末に開く予定の発表会に向けての練習をしていた。
「すごーい! 協佳、金平糖の精を踊るんだ!」
と有咲が感激したように言う。
「金平糖の精は4人踊るんだよ。小学生の私が踊った後、中学生、高校生、大学生のお姉さんが踊る」
と協佳。
「それは下の子には負けられないと気合いが入るよね」
「そうそう!」
「でも6年生を差し置いて5年生の協佳が金平糖を踊るなんて凄いじゃん」
「いや、今年は6年生には男の子しかいないから」
「ああ、さすがに男の子に金平糖を踊らせる訳にはいかん」
話が見えていない奈緒が訊く。
「金平糖って、何か重要な役?」
「主役!」
と協佳と有咲と私が言った。
「へー、でも金平糖ってロシアにもあったんだね」
と奈緒。
「原題は『ドラジェの精の踊り』なんだけどね。ドラジェなんてお菓子、日本では知られてないから、誰かが金平糖に変えちゃった」
と協佳。
「まあ、金平糖はドラジェの一種と言えないこともない」
と有咲。
「英語圏では『シュガープラムの精の踊り』になってるね」
と私。
「ドラジェってどんなお菓子?」
「砂糖をコーティングしたお菓子だね」
「ふーん」
「今度作ってきてあげるよ」
と有咲が言うと
「おお、楽しみ!」
と奈緒。
奈緒はあまりお料理とかお菓子作りとかしないタイプだ。
練習を見ていた奈緒が
「何かくるくるくるくる回るね」
と言う。
「回る踊りというと『白鳥の湖』の黒鳥が踊る32回のグラン・フェッテが有名だけど、金平糖のこの動き、円を描きながらくるくる回るのも難しい。かえって黒鳥の方が同じ場所で回っていればいい分、楽ともいえる。何しろこれはバレエ団のプリマが踊るからね、見せ場を作るのに技術的にも高いものが使用されてるよね」
と私は解説する。
「プリマ? ハム?」
などと奈緒が言うので
「プリマというのは、そのバレエ団のトップのバレリーナのこと」
と有咲が少し呆れたように解説する。奈緒は本当にバレエのことを全然知らないようである。
踊り終えた協佳がこちらに来て
「目が回った−」
と言う。
「まあ、目が回るよね」
すると奈緒が
「冬ってさあ、他人の練習を見ていただけで、真似して演技できるとか言ってたよね。今協佳が踊ったやつ踊れる?」
などと訊く。
「さすがに今のは無理だよ。あんなにくるくる回れない」
と私は答えたが
「でもどのくらいできるか見てみたいな。ちょっとやってみてよ」
などと協佳も言うので、私はまず手首・足首や関節を伸ばす準備運動をする。
「へー。冬、180度開脚できるんだ?」
「うん。それは昔からやってるから」
「身体やわらかいねー」
「開脚して身体を曲げて地面に胸が付くんだ?」
「それが付かなきゃバレエできないよぉ」
などと会話を交わす。そして踊ってみる。
久しぶりに身体を動かしたが、綺麗に指先まで手が伸びるので「お、いい感じ」
と思いながら踊る。ピルエット(旋回)の部分は適当に回ったが2回しか回れなくて、ああやはり勘が鈍ってるという気がする。クライマックスの、大きな輪を描きながら回転を繰り返していく所は、正確な動線をキープできなくて、ゆがんだ円になってしまったし「目が回るー」と思いながら踊った。
踊り終わると協佳も奈緒も有咲も無言である。
「ごめーん。失敗、失敗」
と私は言ったが
3人がそれに答える前に、バレエ教室の先生が寄ってきて声を掛けた。
「あなた、どこのバレエ教室に通ってるの?」
プールは、学校でプール開放されている日は毎日奈緒に誘われて行っていた。その内言われる。
「冬さあ、泳ぐ練習の前に歩く練習しようか?」
「ん?」
「要するに、ここまで冬の練習を見てきた感じでは、冬は筋力が無さ過ぎるんだよ。ジョギングとかしてもいいけど、あまりにも筋力が無いから、今の冬では、ジョギングすると腰を痛めると思う。だから、まず水中歩行して、少し足の筋肉を付けよう」
そういう訳で、この年の夏休み後半は、半分はバタ足練習や息継ぎ練習。半分は水中歩行をひたすらやっていた。
「冬ちゃん、走るのもあまり速くないよね?」
「うん。徒競走とかで、ビリ以外になったことない」
「よし、50m走のタイム計ってみよう」
ということで、プールが終わった後、校庭で50m走のタイムをみんなでひとりずつ計ってみた。
協佳は7秒4で、みんなから「速ーい!」と言われていた。奈緒は10秒だった。
「はい、次は冬」
ということで走る。あまり全力疾走などしたこと無いので50mでもきつい。途中でバテてペースが落ちる。
「うーむ・・・・」
と言って、協佳と奈緒がストップウォッチとして使っている携帯の画面を見ている。
「何秒だった?」
「20秒。時速に直すと9km/h。どうかした子が歩いているのより遅い」
「ほんと、冬って筋力無いね!」
などと言われたのだが、その後で走った有咲が22秒で「冬より遅いなんて!」
と言われていた。
「私考えてみたんだけどさぁ」
と奈緒は言った。
「冬って、だいたい体育の成績悪いよね」
「うん。小学1年の時以来、体育は一貫して成績が1」
「でもこないだバレエ教室で踊ったみたいに、ダンス系はいいよね。おひな祭りの時は、ミニモニひな祭りとか踊ってたし」
「そうだなあ。何か身体は動くんだけどね。長時間じゃなければ」
「そうそう、そこが問題! 要するに冬って運動神経は良いけど、運動能力と体力が低いんだ!」
「意味分かんなーい」
そういう訳で、その年の夏、私はプールに行ったり、プールの無い日は奈緒の家や有咲の家でピアノを弾かせてもらったり、また協佳のレッスンがある日はバレエ教室をのぞいたり、また毎週津田さんの民謡教室に行き、時々大会にも出場して入賞したりしつつ、週に数回は橋の下に行って、そこの住人さんたちを観客にヴァイオリンを弾くという日々を過ごしていたのであった。
ある日、母が言った。
「あんたさ、珠算の塾サボってない?」
「ごめーん」
「休会にしとく?」
「うん。その方がいいかも」
「なんか忙しくしてるみたい」
「そうかな?」
「変なこととかはしてないよね?」
「変なことというと?」
「うーん・・・何だろ・・・あんた彼氏ができた訳じゃないよね?」
「ボクって彼氏できるんだっけ?」
「女の子とは友達にしかならないみたいだから、あんたに彼女ができる訳はない気がする」
「あはは、それはそうだよね」
8月31日。協佳のバレエ教室の発表会があったので、奈緒・有咲・由維・夢乃と一緒に見に行った。本当は500円らしいのだが、私たちがよく見学に行っていたので、教室の先生が招待券をくれて、それでタダで会場に入ることができた。
バレエの発表会を見るのは久しぶりなので、楽しく見学していた。こういうの見るのは初めて〜という奈緒がいろいろ質問するので私は答えていたが、自分でも小学3年生までバレエを習っていたという由維が「冬ちゃん、詳しい〜」
と感心していた。
「冬は何度かバレエ発表会に出ているらしい」と有咲。
「いつも代役だけどね」と私。
「いや、その代役でさっと踊れる所が凄い」と有咲。
「今まで何を踊ったの?」
「最初は『トロイメライ』。これはそのバレエ教室のオリジナルの踊りだった。それから『眠りの森の美女』の『宝石の精の踊り』の《ダイヤモンドの精》、それから同じ『眠りの森の美女』の『青い鳥とフロリーナ姫のバリエーション』」
「の青い鳥?フロリーナ?」
と由維が訊いたが
「それ訊くのは愚問」
と有咲が言う。
「フロリーナ姫に決まってる」
「なるほどー。やはり、冬ってそういう子だったのか」
と感心したように由維が言う。夢乃が笑っている。
この発表会は協佳も言っていたように『くるみ割り人形』の中の踊りから、バレエ教室の生徒が踊れるものをピックアップして演じている。もっとも前半の最後に踊った『花のワルツ』は教室の生徒全員参加の上、一部のOG/OBまで参加して、ステージが踊る人であふれている感じであった。
協佳はもちろんその『花のワルツ』にも出ていたが、メインはプログラムの最後に4つ続けて演じられる『金平糖の精の踊り』である。小学生の協佳は最後から4番目で、その後、中学生の子、高校生の子、大学生の子と続く。大学生のお姉さんは練習の時も見せてもらったが、物凄く美しい踊りだった。この人は講師の資格も持っているようで、しばしば普段のレッスンでも小さい子の指導をしていた。
後半のプログラムが少し進んだ所で、その大学生のお姉さんが協佳のそばに寄ってきて言った。
「ね、ね、協佳ちゃん、チョコレート踊れるよね?」
「はい」
「さっき、**ちゃんが階段で足を踏み外して落ちちゃって」
「あら」
「本人は踊りたいと言っているんだけど、お母さんと先生で話しあって怪我が酷くなったらいけないから止めた方がいいと」
「うん、無理して悪化させて踊れなくなったりしたらいけないです」
「それで、代わりに**君と踊ってくれないかな、と。中学生とかだと身長のバランスが取れないから」
「いいですけど、それ私の出番の2つ前」
「やはり無理かな」
「ちょっと体力に自信無いです−」
と協佳が言うし、隣で有咲が
「あまり練習してないの踊って、足ひねったりしたら、本番出られなくなるし」
と、もっともなことを言うので
「それあるよねー。やはり**君には諦めてもらうか」
という話になりかけたのだが、有咲が
「冬はチョコレート踊れるよね?」
と突然訊いた。
「あ、君、練習見学によく来て、脇で凄くいい動きしてたよね? どこか他の教室の子?こないだ金平糖踊ってたの見たけど、凄くうまかったし」
とお姉さん。
「ええ、この子うまいです。あれ見せられて私も、負けられんと思って一所懸命練習したし」
と協佳。
「チョコレート、2年くらい前に1度踊っただけだけど・・・」
と私が言ったら
「冬なら2年前に踊ってるなら、今踊れるはず」
と奈緒。
「よし、君ちょっと踊ってくれない?」
「やはりこうなるのか・・・・」
衣装は、協佳の練習用のを借りることにした。着替えはもちろん・・・女の子用の楽屋で着替える! でも、協佳や有咲たちも、もう私の性別のことは全然気にしていない感じだ。ふつうに女の子として扱われている。教室関係者はそもそも性別に疑問など持ってない感じだし。
「多分入るだろうと思ったけど、やはり入るね」
「ほんとに細いなあ」
「協佳だってかなり細いのに」
「体重からして軽いからね。小3くらいの体重だよね」
「協佳のウェストいくつ?」
「51だよ」
「冬のウェストはもう少し細い感じだ」
「その雰囲気だと49くらいかな」
「だいたい体型が女の子体型だよね」と由維。
「やはり睾丸が無いのは確かなようだ」と奈緒。
「多分卵巣があるんだよ」と有咲。
「まさか」と私。
「冬、今、卵胞期?黄体期?」と奈緒。
「え?卵胞期だけど」と私。
「やはり生理があるみたいだ」と有咲。
「ふむふむ」と協佳。
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【夏の日の想い出・小5編】(1)