【夏の日の想い出・小2編】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-08-25
それまであまり練習熱心とはいえない姉に教えられるだけで、正式には習っていなかったので、この時期に結構悪い癖を先生に直された。椅子の座り方や腰の使い方などもそうで、私がいつも「両足弾き」するような姿勢で座っていたのを「片足弾き」の時は、こういう姿勢の方が弾きやすいなどと言われて修正されたりしたのも大きい。それで姿勢が安定したことで、私の手鍵盤の演奏の精度が上がったのである。また指替えのタイミングなども、かなり行き当たりばったりに指替えしていたのを、譜面の少し先まで読み計画的な指替えをするように言われて、先読みする意識を常に持つようになったので、演奏の表現面でもかなり向上したし、大きく上下する所で運指が行き詰まったりすることも減った。(運指に関してはピアノのレッスンの方では深山先生はプロの指導者ではないので、そういう細かい所までは気づかなかったようであった)
「冬子ちゃん、2学期になっても、レッスン続けない?」
とこちらでも先生から言われたが
「ごめんなさい。お父さんが許してくれないので」
と言ってこちらも断っておいた。
この年は8月14-15日が土日であった。それで14日の夕方、小学校の校庭で盆踊りが行われた。17時から21時までの4時間。学校関係者だけでなく地域の人がみんな参加するイベントで出店なども出ていた。盆踊りの音楽は小学校と中学校の吹奏楽部が1時間交替で2度ずつ演奏し、歌も小学校と中学校の合唱部の生徒が数人ずつ15分交替で歌うことになっていたのだが、小学校の合唱部の部長が静花と親しく、静花の歌唱力を知っていたので「一枠歌わない?」と言われたらしい。それで静花が私に「一緒に歌おう」と言った。
それで盆踊りの舞台上で歌うことになった。踊りについては民謡系は地元の父兄でそういうのが好きな人が、ポップス系は中学生のお兄さん・お姉さんたちがやはり舞台上で踊ることになっていた。歌う人は中央のやぐらの上で、踊る人たちの輪の中央で歌うことになる。
私は浴衣を着ていくことになるが、母に女の子の浴衣を着たいと言った。
「そうだねぇ。お父ちゃん、仕事で遅くなるみたいだし、いっか」
と言って、姉のお下がりの、金魚の柄のピンクの浴衣を用意してくれていたのだが・・・・
その日、父がなぜか早く帰ってきてしまった!
「お帰り。今日遅くなるんじゃなかったの?」
と母。
「うん。それがエアコンが故障してしまって。仕事にならないから今日は帰ろうということになったんだよ。あれ? 冬彦、なんで女物の浴衣着てんの?」
と父。
「あ、えっと・・・ちょっと、お姉ちゃんの浴衣が入らないかなと思って着せてみたんだけどね」
「冬彦の男物の浴衣、こないだ頼んだのが届いてなかった?」
「どうだろう?」
「佐川急便で送ると言っていたはずだが、ほら、そこの棚の上に乗ってる」
「ああ、全然気づかなかった」
「幼稚園ならまだしも、小学2年生の男の子に女物の浴衣は着せられんだろう。ちゃんと男物を着せてやれよ」
「そうだね」
ということで、私は男物を着せられてしまった!
母が小さな声で「ごめんね」と言った。
そういう訳で、私はひじょうに不本意ながら男物の浴衣を着て、小学校に出かけたのであった。なお、母は父に御飯を作るのに家に残った。姉は先に学校に出かけていた。
現地で静花と落ち合うと、早速言われる。
「あんた、なんでそんな男の子みたいな浴衣着てるのよ?」
「うーん。何だか出がけに色々あって、こんなことになっちゃった」
「どうかした子なら男物の浴衣着たら男の子に見えちゃうけど、冬の場合は単に男物の浴衣を無理に着てるという感じにしかならないなあ。私の古い浴衣が無いかな。まだ出番まで時間があるし、おいで」
ということで静花は私をいったん自分の家に連れていき、押し入れの中から自分の古い浴衣を引っ張り出してくれた。
「これ合わないかなあ」
と言って、赤い地で、鹿と手鞠の模様の浴衣を貸してくれた。
「ああ、サイズは合うみたいね。これを着て歌うといいよ」
「ありがとう」
私はほんとうに嬉しくて、静花にお礼を言った。
私たちの出番は18時からということだった。私が最初小学校に着いたのは16時半だったのだが、静花の家まで往復したので再度学校に戻ったのは17時半くらいだった。静花と一緒に出店など見て回った。
「冬ちゃん、将来は何になりたいの?」
「自分でもよく分からなくて、幼稚園の頃は『お嫁さんになりたい』とか言ってたんだけど、静花さんにいろいろ歌を教えてもらっている内に、歌手になれたらなあという気持ちになってきてる」
「うん。冬は歌手になれると思う。私も歌手になるつもり」
「頑張ってね」
「うん。私たち、ライバルになるかもね」
「ライバルって何?」
「うーん。お互い競い合うってことかな。それでお互い高め合うんだよ。だから仲間であり、敵でもある」
「よく分かんない。でも静花さんと敵にはなりたくないな」
「うーん。だから仲間だからこそ敵なんだよ」
「よく分かんない」
「ま、いっか。でも私と冬の出会いは運命的な気がする。私、冬に歌を教えていて、冬の才能をひしひしと感じる。冬を見ていると、私も頑張らなきゃと思う」
「うん。頑張ろう」
「そうだね」
と静花は優しく言った。
「ライバル」という言葉の意味を私が何となく理解するのはこの半月ほど後である。
やがて出番が来る。
私たちは櫓の上に登り、中学校の吹奏楽部の演奏に合わせて歌い出す。最初は『炭坑節』だ!
「月が〜、出た出た〜、月が〜出た〜、よいよい」
ユニゾンで歌う私たちの声はマイクと口の間を結構離しておかないとハウリングを起こすほど強烈で、私たちのすぐそばの櫓の上で踊っている人たちが思わずこちらを見るほどであった。
その後、うちの市で作られた『**市音頭』を歌い『佐渡おけさ』『木曽節』
『大名古屋音頭』と歌う。その後Kinki Kidsの『ジェットコースター・ロマンス』
モー娘。の『LOVEマシーン』を歌って、私たち2人の枠を終えた。
下に降りて次の組の子たちとタッチする。その子たちが櫓に上がったのを見て静花が言う。
「冬ちゃん『佐渡おけさ』も『木曽節』もうまいね。あの2曲は私一緒に歌っていて負けた〜と思った」
「伯母ちゃんにだいぶ教えてもらったから」
「あ、そうか。冬の伯母ちゃん、民謡の先生だったね」
「うん。でも『LOVEマシーン』は静花さんの方がずっと上手」
「そりゃ、まだ負ける訳にはいかないさ」
と静花は言い
「こういうのをお互い意識しあうのをライバルと言うんだよ。まあ、まだ冬は私のライバルとしては力不足だけどね。でも4〜5年後は本当に分からないなあと思うよ」
「ふーん」
そんな会話をしていた時、ちょうど近くを姉が通りかかった。
「あれ? 冬?」
「あ、お姉ちゃん」
「あんた、随分可愛い浴衣着てるね」
「うん。静花さんから借りた〜」
「へー。そんなの着てるとまるで女の子みたい。でもあんたには似合うよ」
「ありがとう」
「なんかおなか空いちゃった。でもテントの方、まだ準備中で」
「玄関の前の所はもうお店開いてたみたいだったけど」
「ほんと。じゃそっち行ってみよう。じゃね」
と言って姉は向こうに行ってしまう。
その姿を見送って、静花が少し難しい顔をして考えるように言った。
「ね・・・・、私がもし凄く変に誤解してたら御免。冬ってさ」
「うん」
「男の子だってことはないよね?」
「男の子だけど」
「えーーーーー!?」
「でもね。自分では女の子だと思ってるの」
「あぁ・・・」
「だから、私、何だか男の子として扱われたり、女の子として扱われたり。でもこうやって女の子の服着ている時が嬉しい」
「そうだったのか・・・・」
「去年、1年生の時の担任の先生は私のこと、男の子として扱ってて、自分のことも『僕』って言いなさいと言われて、去年は凄く辛かった。でも今年の担任の先生は女の子として扱ってくれるし自分のことは『私』って言っていいんだよと言ってくれるから、凄く気持ちが楽」
「ふーん。。。じゃ、冬としては自分のこと、女の子だと思ってるの?」
「うん。自分が男だと思ったことはない」
「私、今まで冬のこと女の子と思い込んでいたけど、これからも女の子だと思っていい?」
「うん。その方がいい」
「じゃ、私たちの関係はこれまでと変わらないね」
「うん」
「冬ちゃん・・・・トイレは女子トイレに入ってるよね?」
「そうだね」
「体育の時、更衣室はどちら使ってるの?」
「女子更衣室だよ」
「・・・・冬ちゃん、今年プールにはどんな格好で行ってる?」
「えへへ。女の子用のスクール水着買ってもらって、それ着てる」
「プールの更衣室は?」
「女子更衣室で友達と一緒に着替えてるよ」
「ふーん。。。女の子と一緒に着替えられるんだ」
「いけないかな?」
「ううん、たぶんそれでいいんだよ」
と静花は優しく言った。それから静花は少し考えるようにしていたがやがてもうひとつ尋ねた。
「でもさ、冬ちゃんさっきうちでこの浴衣に着替えていた時、下着姿になってたのを見てて、私何も違和感を感じなかった。考えてみたんだけど、冬ちゃん女の子パンツ穿いてたけど、もし男の子なら、おちんちんの形が分かるはずなのに、そんな形が無かった気がする」
「えっと、よく分かんないけど」
「ね。冬ちゃん、いちばん最近、温泉とか銭湯とかに入った時、男湯に入った?女湯に入った?」
「うーんと。。。。いちばん最近ってのは幼稚園の年中さんの時かなあ。九州のべ・・・何とかって所の温泉」
「別府(べっぷ)かな?」
「あ、それかも。その時は女湯に入ったよ」
「うーん。。。幼稚園ならどちらでも入れそうだな」
と静花は少し悩んでいる感じであった。
「ね、冬ちゃんって、実際問題として、おちんちんあるんだっけ?」
「分かんなーい」
「なぜ分からない!?」
8月末。私はエレクトーン教室の発表会に参加した。
ちなみにこの時、姉は自宅近くの教室に通っていたのだが、私は帆華の妹さんからの紹介ということで行ったので、隣の地区の教室であった。私がエレクトーン教室に行く時はふだんよりかなり女の子っぽい服を着ていたので、母もその方が(ご近所さんにあまり遭遇せず)気楽というのもあった感じである。
教室には幼稚園生から大人の人までたくさんの生徒がいるので、大人の人のまさにひとりでオーケストラかジャズバンドを演奏しているかのようなダイナミックな演奏には「すごー」と思ったりしたし、高校生のお姉さんが美しくクラシック曲(モーツァルト『ピアノ協奏曲21番』第2楽章「みじかくも美しく燃え」だと思う)を弾いたのには聞き惚れていた。
そして私はこの時、ひとりの女の子を強く意識することになる。その子は私より小さく、年長さんか小学1年生かな、と思ったが、かなり難易度の高そうな曲(たぶんYMOの『ライディーン』)を弾きこなしていた。私はその子の演奏を見て闘争心を刺激された。
この時初めて、もしかしてこういうのを「ライバル」というのではないかということに私は気づいた。私は今までこのように自分と年齢が近くてしのぎを削るような相手というのに出会ったことが無かったのである。私は彼女の名前「川原夢美」という名前を心に刻み込んだ。
私は『エーゲ海の真珠』を弾いたのだが、彼女の演奏を聴いた後だったので気合が入った。「ララララーン」というスキャットの入る部分はエレキギターの音で弾きながら自分でも歌った(ただし発表会では歌うのは採点外と後から言われた)。
転調や音色切り替えがけっこう大変な曲で、そのあたりは自動で切り替えるようにプログラムしておく手もあるのだが、発表会で弾く実機が家にないこともあり、手動で切り替えていたので、ほんとに忙しかった。
演奏が終わった時、何だか物凄い拍手をもらって嬉しかった。ああ、人前で演奏するのって気持ちいい! と思ってしまった。でも夢美に勝てた気がしなかった。夢美の方を見たが、彼女は無邪気にオードブルを食べていた。その彼女の態度に私は敗北感を感じた。
点数が、小学校低学年の部で、教室の中で3位だったということで、9月に開かれた地区大会にも出ることになった。ちなみに1位は例のYMOを弾いた小学1年生、夢美であった。2位はマイケル・ジャクソンの『スリラー』を弾いた小学3年生だった。
教室の発表会は上手い人もいれば、ほんとに初心者という感じの人もいたが、さすがに地区大会となると、上手い人ばかりである。母が同伴してきてくれたが、私は夢美母娘と隣り合う席だった。何となく話している内に、私は発表会の時に感じたわだかまりが解消していくのを感じた。そして一緒に「凄いね」
「格好良い!」などと言いながら他の演奏者さんたちを見ていた。
「冬子さんは、1学期までどこか他の教室にいたんですか?」
と夢美のお母さんから訊かれる。
「いえ、この子、姉が弾いてるのを見て自分も真似て弾いてただけで、教室に来たのは初めてなんですよ」
とうちの母が言う。
「うっそー! 教室の発表会の時は、さすが2年生、うちの子よりうまいなと思って聴いてたのに。うちの子が1位というのには驚いたんですよ。じゃお姉さんは、かなりの上級者?」
「いえ。去年8級を落としちゃって、今年再挑戦している所で」
「だったら、冬子さん、物凄い才能を持ってるんですよ! これからもうちの娘のライバルになりそうだから、よろしくお願いしますね」
この時夢美のお母さんが「ライバル」という言葉を使ったので、私はやはりこの子と自分はライバルなんだというのを改めて意識した。
しかし
「あ、うちは夏休み限定コースで出てきていたので」
と母が言う。
「えー? もう出てこないんですか?」
と夢美の母。
「すみません」
とうちの母。
「だったら、12月のクリスマス会だけでも出てきませんか? フリーレッスンコースか何かにでも籍を置いておけば、出られますよ」
と夢美のお母。
「ああ、そのくらいならいいかな」
とうちの母も少し考えている風であった。
うちの教室から来ている3人はそれぞれ教室の発表会でも弾いた曲を弾いた。私も『エーゲ海の真珠』を弾いたが、リズムパターンとレジストの切り替えを先生がプログラムしてくれていたので、何だか格好いいリズムに乗せて弾けたし音色設定の変更を気にせず弾くことができたので、楽だった。調子に乗って、後半両足弾きでウォーキングベースっぽいものを入れたりした。
凄い拍手をもらってステージから降りたが、先生から
「両足弾きが入るとは思わなかった。あれかなり練習したの?」
と訊かれる。
「いえ、アドリブです」
と答えると
「うっそー!」
と言われる。
「私、冬子ちゃんの実力を誤解していたのかも。もっと難しい曲で挑戦させるべきだったかも」
などとも言われる。
「お母さん、ぜひ本科に残ってくださいよ」
と母に言っていた。
地区大会はさすがに上手な子ばかりなので、私も夢美も入賞(東海大会進出)はならなかった。成績は参加者30人中の、私が11位、夢美は8位ということだった。(教室の発表会で2位だった子は17位)
しかし地区大会まで行ったことで母は私に言った。
「取り敢えず年末まで、バレエかエレクトーンか、どちらかだけならやってもいい」
私は迷わず
「エレクトーンを習いたい」
と言った。夢美に負けたままというのが悔しかったからである。
それで私は取り敢えずその年の末までエレクトーン教室に通うことを認めてもらった。クラスは小学校高学年の上級者のクラスに移動された。夢美もそのクラスで、私も彼女も、そのクラスで、ほんとに上手な子と一緒にレッスンを受けることができた。
さて、後に形成されたリナ・奈緒・明奈らによる「冬子ちゃん少女生態研究会」
の情報交換で、私が年中さんの夏休み、小学3年生の11月、小学6年の9月と12月に女湯に入ったことは知られてしまっているのだが(それ以外は知られてないというか・・・)、実は小学2年生の時にも一度入っている。それはこんな経緯であった。
10月の連休(9日第2土曜,10日体育の日,11日振替休日)に私は母と姉と一緒に遊園地に行ったが、入場口の所でバッタリと夢美と遭遇した。向こうは夢美とお姉さん2人にお母さんという4人連れだった。
「三人姉妹なんですか?」
とうちの母が尋ねる。
「そうなんですよね〜。ひとりくらい男の子できるかと思ってたんだけど、美事に女の子3人できて、4人目に挑戦するかどうか結構話したんですが、やはり4人も育てる自信が無いというので、夢美で打ち止め」
と夢美の母。
「そちらは女の子2人ですか?」
「ええ。この子を産んだ後、夫の仕事が凄く忙しくなってしまって、子作りする時間もなくなっちゃった感じで」
「ああ、たいへんですね」
「でも女の子は、成人式にしても結婚式にしてもお金掛かりそう」
「そうそう。だいたい娘3人いたら破産すると言うから、うちは破産確定です」
「ああ、うちも危ない」
ここで母はこちらを「女の子2人」と誤解(?)されているのをそのままにして会話していたのだが、姉はややぼんやりしていて、私が女の子扱いされていることには気付かなかったようであった。
折角遭遇したことだしというので、一緒にあちこち回る。夢美のお姉さんたちがジェットコースターに行くのには、うちの姉も付き合って3人で乗っていた。私も夢美も、ジェットコースターに乗るには、まだ微妙に身長が足りなかった。
それで午前中、年上の3人がその手のスリルの大きなアトラクションに乗り、私と夢美がボールハウスや「ふわふわ」など、低年齢の子向けのアトラクションで遊んで、12時半くらいになってからファーストフード中心のカフェテリアに行き、お昼にする。姉はハンバーグーセットを頼み、夢美の姉たちもスパゲティとか唐揚げセットなどを頼む。夢美はハンバーガーとコーラを頼んでいた。私はおにぎりを1個頼んだ。
「冬ちゃん、おかずは?」
「おにぎりの中にツナが入っているから」
「それだけじゃお腹空くでしょ?」
「ううん。おにぎり1個も食べたら、お腹いっぱい」
「ダイエットしてんの?」
「ううん」
「ああ、この子はだいたい、こんなものなのよ。御飯も凄く小さい茶碗に半分くらいしか盛らないし」
と姉が言う。
「うっそー。信じられない」
「そんなに少食だと、おっぱい大きくならないよ」
「まだ2年生だし」
「冬ちゃん、体重は?」
「19kgかな」
「痩せすぎ〜。もっと御飯食べなきゃダメだよ」
「そうかな」
「取り敢えず、私の唐揚げ1個あげるから食べなさい」
などと夢美のお姉ちゃんに言われて、唐揚げを1個もらった。
「ありがとう」
「私もこの子にはもっと食べなさいというんですけどねぇ。この子、元々凄く燃費の良い身体みたい」
とうちの母は言う。
「ああ、それでもやはりこの時期はもう少し何とかして食べさせた方がいいですよ。好き嫌いは?」
と夢美の母。
「あまり無いよね?」と母。
「嫌いなのはバナナくらい?」と姉。
「不思議なものが嫌いなのね!」
「食べられない訳じゃ無いけど、バナナ食べるとお腹がピーになるから」
と私。
「ああ、一種のアレルギーみたいなもの? うちの夢美が梅干し食べさせるとお腹がおかしくなるんですよ」
「梅干し嫌いな子供は多いと思うけど、バナナ嫌いな子供は珍しい」
それでお昼を食べてから、7人でぞろぞろとお化け屋敷とか、ミラーハウスとかに行っていたら、姉が突然座り込む。
「どうしたの?」
「ちょっとお腹が・・・」
「あれ? お前お昼は何食べたっけ?」
「ハンバーグとフライドポテト、コーラのセットだけど」
「当たりそうなものが入ってない」
「生理が近いからかも」
「ああ・・・」
「ごめん、ちょっとどこかで休んでる」
と姉は言ったが
「いや、むしろ少し早めに切り上げて帰った方がいいのでは?」
と夢美の母。
「そうだね。お前、ジェットコースターとかはもう乗ってたし、帰る?」
「うーん。もう少し遊びたいけど」
「無理しない方がいいよ」
「じゃ、やはり連れて帰ることにします」
と母は決断して言った。
その時夢美が
「冬子ちゃんも帰るの?」
と言った。
「ああ、うちで預かりましょうか? 私車で来てるから、帰りに自宅まで送り届けますよ」
と夢美の母。
「あら、そうですか? じゃお願いしちゃおうかな」
ということで、私だけ残り、母と姉は帰ることになった。
「すみません、おばさん、お世話になります」
と私が言うと
「へー。ちゃんとご挨拶できるのね、偉い、偉い」
などと言われた。
その後は、ゴンドラに乗って空中散歩を楽しんだり、SLやゴーカートに乗ったり(夢美が下のお姉さんと、私が上のお姉さんと乗った)、低学年の子でも乗れる小さなジェットコースターに乗ったり、ボートに乗ったりして遊んでいた。そして15時半くらいになった時。
それまで晴天だったのが、突然雲が出てきて、あら?と思っている内に、いきなり大粒の雨が降ってきた。
ちょうど私たちは乗り物に乗って、周回を始めたばかりだったので、ターミナルに戻るまでに、完璧にずぶ濡れになった。
雨は止みそうにないので、とりあえずレストランやゲームコーナーなどのある建物の中に避難したが、そこまで行く間にもかなり濡れた。
「わあ、どうしよう。これ着替えなきゃ」
というので、私もお金は5000円母から預かっていたので、ショップで着替え用にTシャツを買った。試着室を借りて全員上着を交換する。
「上だけでも着替えれば、だいぷ違うはず」
「でも身体を温めたい気分だよね」
と夢美の上のお姉さん(中学生)が言う。
「あ、この遊園地、たしか温泉があったはず」
と言うので、お母さんが近くにあったインフォメーションで尋ねると、入口の場所を教えてくれた。遊園地の入場者なら大人500円、子供200円で入れるということだったので、みんなで一緒に入りに行こうということになった。
それで、夢美たち4人と私の5人で一緒に温泉に行く。入口でチケットを渡し、ロッカーの鍵を続き番号で5つもらった。鍵に付いているタグがオレンジだった。
エレベータで温泉のある階まで降りていく。エレベータを降りた所で床に色付きのテープが貼られている。どうも自分が持っているタグの色のテープに沿って歩いて行けば、ロッカーのある所に到達できる仕組みになっているようである。
テープは、青・緑・黒・赤・オレンジ・黄色と6色貼ってあったが、途中で青・緑・黒のテープと、赤・オレンジ・黄色のテープが大きく別れている。
「ああ、向こうが男湯みたいね」
などと言いながら、私たちはオレンジ色のテープに沿って歩いて行った。
この時、私は自分が男湯に入るべきか女湯に入るべきかというのはあまり深く考えていなくて、ただオレンジのタグの鍵を持ってるから、オレンジの所に行けばいいんだとしか考えていなかった。
お姉さんが2人立っている受付の所で「いらっしゃいませ」と言われて、浴衣を大人物2枚、ジュニア用1枚、キッズ用2枚という感じで渡された。
「はい、冬ちゃんの分」
と言ってキッズ用を渡される。
「ありがとう」
と言って受け取る。薄いピンク地に、赤い金魚やら花火などの絵柄のある可愛い柄の浴衣だ。「わぁぃ」と思いながらロッカーの方に進んで行った。
みんなでおしゃべりしながら服を脱ぐ。夢美の上のお姉さんのおっぱいが凄く大きい。わあ、いいなあと思う。下のお姉さんも膨らみかけという感じ。
私の視線に気付いたのか
「どうかした?」
と訊かれたので
「おっぱいが大きくていいなあ、と思っちゃって」
と正直に答える。
「冬ちゃんも、小学5−6年生になったら大きくなってくるよ」
と上のお姉さん。
「ただし、ちゃんと御飯食べてたらね」
とお母さん。
「はーい」
でも、私、小学5−6年生になったら本当におっぱい大きくなるかなあ。なるといいなあ、などと私は考えた。
こちらも服を全部脱いでしまう。夢美などは無邪気なのでお股をそのまま露出させているが、私もタオルで隠しているし、お姉さんたちやお母さんも同様である。
なお、このロッカールームに乾燥機が何台も並んでいたので、濡れた服を全部放り込んで1時間回した。
「冬ちゃん、裸になってるの見ると、けっこう均整が取れてるね」
とお母さんから言われた。
「あ、私も思った。体重がそんなに軽い割には、痩せすぎなようには見えない」
と上のお姉さん。
「私のお肉、不思議な付き方してるのかも」
「でも小学2年生というより、3−4年生にも見えるよね」
「冬ちゃん結構早熟なのかも」
「あ、それは夢美ちゃんも割と早熟じゃないですか?」
「うんうん、それは感じる」
と下のお姉さん。
そんなこと言いながらも、みんなでぞろぞろと浴室に行った。それぞれ身体を洗ってから浴槽に入る。
「露天風呂もあるみたいだけど、この天気じゃ無理ね」
とお母さん。
「内風呂も幾つか浴槽があるし、全部入ってみようよ」
と上のお姉さん。
「冬ちゃん、年明けもエレクトーン続けられそう?」
「無理みたいです。お父さんに内緒なので、お母さんがパートの給料から月謝を払ってくれてるんですが、1月・2月はお仕事が無いらしくて。3月からもしかしたらまた仕事もらえるかも知れないから、そしたら行かせてあげるね、と言われました」
「ああ、大変ね」
「冬子ちゃん、グレードは受けないの? 冬子ちゃんなら8級は楽勝だし、少し頑張れば7級も取れると思う」
とやはりエレクトーンをしている下のお姉さん。
夢美は、まだ小学1年生なのに既に7級を持っている。このお姉さんも8級を持っている。
「月謝だけでギリギリみたいだから、ちょっと受験料までは」
「そうかぁ。でも正式に認定されなくても、冬ちゃんは充分上手いからね。夢美にとっては、いいライバルみたい」
「いや、全然かないません」
と私は言ったが
「冬ちゃん、謙遜するの似合わない」
とお母さんから言われた。
お風呂からあがった後は、浴衣を着て、2階のラウンジで少し休憩していたら、下のお姉さんが「あ、カラオケあるよ、歌おうよ」などと言ったので、結局みんなでカラオケルームに入った。
上のお姉さんが凄くきれいな発声で広瀬香美の『promise』を歌った。
「お姉さん、合唱やってるんですか?」
「うん。それで結構鍛えられてる」
「わあ、凄い」
「私は楽器は全然ダメだから、その分歌で頑張ってるんだよ」
「ああ、やはり何か自分のできることをひとつ頑張るのがいいのかな」
「うん。でも人にはそういうひとつに専念した方がいいタイプと逆に色々なことをした方が伸びるタイプとがある」
「へー」
私は宇多田ヒカルの『Automatic』を歌った。
「すごーい。冬ちゃん英語できるの?」
「いいえ。単にまるごと覚えただけで、歌詞の意味とか全然分かりません」
「すごく綺麗な発音だった」
「むしろ外人さんが歌ってるみたいだった」
「というか、歌が物凄く上手い」
「でもそれ合唱団とかの歌い方じゃないね?」
「ちょっと訳あって合唱団には入らなかったんです。でもポップス好きなお姉さんにずっと歌を教えてもらってるんです」
「ああ、確かにポップス系の歌い方だもんね」
「でも音程が正確〜」
「冬ちゃん、ヴァイオリンとかやるの?」
「いいえ」
「割とキーボード弾きは音程がアバウトなんだよね。その鍵盤押せばその音が出るから、それに頼っちゃう。ヴァイオリン弾きはちゃんと音程分かってないとその音が出ないから、耳が鍛えられるんだよ」
「冬ちゃん、たぶんヴァイオリン習ったら、音感がもっと発達する」
「無理です〜。エレクトーンでも、お母さんがこっそり習わせてくれているから。ヴァイオリン自体買えないし」
「ね、時々でもいいから、うちに来ない? 私のヴァイオリンを少し弾かせてあげるよ」
と下のお姉さんが言った。
「えー? ほんと?」
「ああ、まだ1/2サイズのヴァイオリンもあるから、むしろ、あれを弾いて練習するといいかもね。多分冬ちゃんの身長なら1/2でいいと思う。夢美はまだ1/4を弾いてるし」
とお母さん。
「ありがとうございます」
「こういうチャンスに冬ちゃんは絶対遠慮しないから話が早くていいわ」
とお母さんは笑って言う。
「ああ、冬ちゃんってチャンスは確実にモノにするタイプという気がする」
と上のお姉さん。
「えへへ」
お母さんが言う。
「冬ちゃんは音楽の才能、物凄いものを持ってる。多分将来音楽を職業にできるくらい。その才能は伸ばさないともったいない。これを伸ばさなかったら、日本にとって損失かも知れない。だから、冬ちゃんのためというより、日本のために、私は協力するよ」
「わあ。何だか良く分からないけど、お願いします」
「夢美のライバルを育てれば、夢美を育てることにもなるしね」
とお母さんは笑って付け加えた。
それで私はこの後、翌年12月に東京に転校になるまで、しばしば夢美の家に行き、ヴァイオリンの手ほどきを受けることになるのである。確かにそれは私の音感の精度を物凄く上げることになった。また夢美の家ではよくエレクトーンの弾き比べをしたり、交替で伴奏しながら一緒に歌(シューベルトとかシューマンとかの歌曲が多かった)を歌ったりもしていた。夢美の家の楽器部屋は防音になっていたので、私たちは思いっきり大きな音でヴァイオリンやエレクトーンを演奏し、大きな声で歌うことができた。
なお、当時、夢美のお母さん、そして夢美自身も私が女の子でないとは思いもよらなかったらしい。
私はこの時期、ずっと真央のお母さんに絵を習っていたのだが、おかげで秋の写生大会では「写生にしては写実性が低いけど」と言われながらも、公園で水鳥たちが遊んでいる様を(マンガチックに)描いた作品が、銀賞をもらって校長先生から表彰された。
深山先生が私の名前を「唐本冬子」にしておいてくれたので、私はこの賞状を「唐本冬子」名義でもらった。父に見せたら「あれ?名前間違ってる」と言っていたが、母は笑っていた。
そもそも私の名前は純粋に「唐本冬子」と間違われていることはよくあったので、これも「またか」と思ってもらえた面もある。
またこの時期、リナたちと組んで結構本格的な漫画も書いた。リナがストーリーを書き(内容は割とありがちなラブロマンスだった)、私とリナと帆華の3人でワイワイ言いながらネームを作成した。そしてそれに基づき、私が絵を描いて、少女漫画雑誌のコンテストに応募してみたのである。
結果は「努力賞」ということで、記念のボールペン3本セットが送られてきた。それでジャンケンして、黒を帆華、赤をリナ、青を私がもらうことにした。雑誌の副編集長さんからのコメントがあり「佳作にあと一歩の努力賞です」と書かれていたので、よし来年のコンテストでも頑張ろう! などと言っていたのだが、その雑誌はその年いっぱいで休刊になってしまったので、結局私たちの「次の作品」は制作されなかった。
私に時々歌を教えてくれていた静花は、自身は名古屋の独立系の芸能スクールに籍を置いていて、月に1〜2回名古屋に出てレッスンを受けていた。ある時、言われた。
「来月、全国放送の歌番組が名古屋で収録されるんだけどさ、そのバックコーラスに出る小学生の女の子を今集めてるんだけど、冬ちゃんも出ない?」
「私が出ていいんですか?」
「冬は充分上手い」
「女の子だけなのにいいのかな?」
「冬は女の子だよね?」
「うん」
「だったら出られるね」
それで母に話して付き添ってもらい、名古屋に行って放送局の人に歌を見てもらった。私は椎名林檎の『本能』を歌った。
放送局の人が何だか顔を見合わせている。
「えっと・・・君、この歌の歌詞の意味分かる?」
「分かりません」
すると放送局の人はホッとしたような顔をして笑い
「今度からは自分で意味の分かる曲を歌った方がいいよ」
と言う。
「えっと、不合格ですか?」
「いや、合格、合格。君、ほんとに小学2年生? 凄い歌唱力だね」
ということで出してもらえることになった。衣装は何だか凄く可愛いワンピースだった。背丈の順に並ばされたので、私はいちばん左端だった。静花は真ん中付近に立っていた。
放送は1時間の番組ということであったが、収録には3時間ほど掛かり、その間1度しか休憩が無かったので、みんなトイレに駆け込んでいた。
「あれ? あなた、去年合唱団の入団試験受けてなかった?」
とトイレで後ろに並んでいた4年生くらいの子に聞かれた。
「受けたんですけど、色々都合があって辞退しました」
「へー。あの時歌ってるの聴いてうまいなあと思ったから。当然合格してると思ったら居なかったら、あれ?と思ったんだよね。でも、あなた女の子だったのね。男の子っぽい服を着てたから、てっきり男の子かと思った」
女子トイレの中で「男の子かと思った」なんて言われたのは多分この時が最初で最後だ。
その子Mちゃんとは何となくおしゃべりして少し仲良くなった。でも普段の練習の様子とかを聞いていたら、何となく自分はやはり合唱団に入らなくて良かった、という気がした。何か「水の違い」を感じた。
出演者は結構豪華な顔ぶれだった。超絶売れっ子のアイドル歌手や、中堅のベテラン歌手、人気バンドなどの「本物」が目の前を歩いているのにはきゃー、きゃー、と叫びたい気分だった。保坂早穂や、その実の妹さん・芹菜リセには、駆け寄ってサインを求めたい気分だった。
「でも何か保坂早穂さんと芹菜リセさんって目を合わせないね。仲悪いのかな」
などと近くに立っているMちゃんと話していたら
「きっと姉妹だけにライバル心も凄いんじゃない?」
と別の子が言い、
「ああ、なるほどー」
という話になった。
常に比較される運命にあるから、お互いに気を抜けないライバルになるのだろう。ふたりは別のプロダクションに属している。姉妹なのになぜだろうと思っていたのだが、ライバルということを考えると納得できる気がした。
しかし実際の収録では「歌わない歌手」の多さに呆れる。アイドル歌手はほとんどが「口パク」であった。何も歌ってない歌手の後ろでCD音源にコーラスを入れるのは、何ともむなしい気持ちにさせられる。
口パクはアイドルだけでなく、往年の名歌手の人などもそうだった。おそらく歌唱力が落ちて、とても生では聞かせられない歌になってしまっているのではないかと、後で数人で話した。
しかし保坂早穂・芹菜リセは、どちらも生歌で、物凄く上手かった。歌い終わった後、お互いの所に視線をやって、ぶつけあっている感じだった。ちょっと怖いくらいだったが、ライバル同士の壮絶な戦いの現場に自分は居合わせているんだというのを肌で感じた。
そして・・・自分もいつか、こういう感じで、良きライバルと視線をぶつけ合い、歌で競い合いたい。そんな気持ちがした。
それは、私にとって初めて本気で歌手になりたいという気持ちを持った時であったのかも知れない。
その年の12月の頭くらいだったと思う。
私は不思議な夢を見た。私は棺桶のような所に寝ていた。あれ?私、死んだのかな? などと、のんびり考える。でも鐘が4つ、ミドレソと鳴った(学校の始業のチャイムみたい!)。それで起き上がったら、私は裸で、柔らかい土の道があった。道の左手にはたくさんのユリが、右手にはたくさんの赤いバラが咲いていた。
私はその道を歩いて行った。やがて前方に青い服を着た少女か少年か、性別がよく分からない人が立っていた。
「あなたは男になりたい? 女になりたい?」
と訊かれたので、私は
「女になりたいです」
と答えた。すると、いつの間にか私は青いドレスを着ていた。
更にその道を歩いて行くと、黄色いドレスを着た若い女性が立っていた。
「あなたは家庭の主婦になりたい? 仕事に生きる女になりたい?」
と訊かれたので、私は
「仕事をしたいです」
と答えた。すると、いつの間にか私の右手には銀色のボールペンが握られていた。
更にその道を進んでいくと、透明なドレスを着た(だからヌードが見えている)中年の女性が立っていた。その人のヌードはとても美しかった。この年齢でこんなに美しいヌードなんて、きっと神様だと私は思った。
「あなたは絵の才能と音楽の才能、どちらを選ぶ?」
と訊かれたので、私は
「音楽がいいです」
と答えた。すると、いつの間にか私はピアノの前に座っていた。
それで私はピアノを弾き始めた。それは結構長い曲だったが、その曲を弾き終えたところで目が覚めた。
私はその曲をすぐ五線紙に書き留めた。私がその曲を公開したのはそれからずっとずっと先のことである。その曲が誰かが書いた既存曲ではないことを私が確信するまでにそれだけの時間が必要であった。
その年は12月24日が金曜日であった。その日の夕方、エレクトーン教室でクリスマス会が開かれた。私はその月でいったんエレクトーン教室は退会することになっていたので、これが最後のレッスン日ということにもなった(次この教室に参加するのは翌年5月)
その日は私も姉もエレクトーン教室のクリスマス会だったので、母は姉の方について行くことにし、私のことは夢美の母にお願いすることになった。
私が母に可愛いドレスを着せてもらっていたら、姉が
「何?その女の子みたいな服」
と言う。
「ああ、冬は今日、『イパネマの娘』という曲を弾くから、それに合わせたコスプレなのよ」
と母は姉に言った。
「へー。でもまだ小学2年生だと、女の子の服を着せれば女の子に見えちゃうね。これが小学6年生だと無理だろうけど」
この姉の言葉は、女の子らしいと言われたことについては嬉しかったが、自分は将来「男の子」になってしまうのだろうかという不安の種を心の隅に落とすことにもなった。
夢美の母が車で迎えに来てくれたので、それに乗って教室に向かう。夢美と、夢美のお姉さんもきれいなドレスを着ていた。私はふたりと
「夢美ちゃんの服可愛い〜」
「冬ちゃんの服可愛い〜」
などと言い合いながら、お互いの学校での話などもしたりして、おしゃべりに興じていた。
発表会の時とは違って、みんなゆったりした雰囲気である。クリスマスに合わせて『アデステ・フィデレス』『ファースト・ノエル』などクリスマスの歌を演奏する人もあるが、T-スクエアの曲など、かなり難易度の高い曲を弾いて本気バリバリの人もいる。
夢美もその本気バリバリ派で、ムソルグスキーの『展覧会の絵』を弾いたが、パイプオルガンを弾きこなしているかのような物凄い重厚なサウンドであった。
キャッチーな『プロムナード』に始まり『ビドロ』のゆったりした歩みを経て『バーバヤーガ』で魔女がほうきに乗って飛んでいるような感覚、そして重厚な『キエフの大門』で盛り上げてフィナーレということで7-8分ほどにまとめていたが(お姉さんが編曲してくれたらしい)、本当に格好良かった。
とても小学1年生の演奏ではなかった!!
私はボサノヴァの名曲『イパネマの娘』である。エレクトーンを学ぶ人ならほとんどの人が覚える曲でもあり、かなり優しいアレンジも存在する。私は最初ふつうにボサノヴァのリズムに合わせて演奏しながら、ポルトガル語の原詩でこの歌を歌った(当時の私の外国語の歌の歌い方はものすごーく適当であったが、この歌詞だけはCDを聞いて耳コピーして覚えた)。
そして普通に歌った先にバリエーションを入れる。この部分の編曲は同じクラスでレッスンを受けている6年生の女子にお願いして「何か格好いいのお願いします」と言って書いてもらったものを必死で練習して弾けるようにしたものである。(こういう譜面を書くには難しい和声の理論を理解していないといけない)
いわゆる「書きリブ」(アドリブ演奏に聞こえる演奏をあらかじめ楽譜に書いておきその通りに演奏すること)であるが、とても格好良い。
そして書きリブ部分が終わるとまたふつうの演奏に戻って、普通に終止。
実は書きリブする目的は、無事この通常の演奏に戻って来られるようにすることでもある。本当にアドリブで演奏していると、プロでもたまに戻って来られなくなることがある!
しかし私の方も、とても小学2年生の演奏とは思えん! と言われた。
私と夢美は視線をぶつけ合い、そして笑顔で握手をした。
このクリスマス会で、私は夢美とデュエットで歌も歌った。
抽選で当たった人は何か出し物をして、というお遊びで、私のクラスの6年女子(イパネマの娘の譜面を作ってくれた人)が当たったので
「冬子ちゃーん、夢美ちゃーん、おいでー」
と言われて、彼女がエレクトーンを弾き、私と夢美のデュエットで『きよしこの夜』
を歌ってということになった。
最初ふたりで「きよし、この夜」と(日本語で)歌い出す。私は夢美がメロディーを歌うので、すぐにその三度下を歌い、和音唱にした。エレクトーンを弾いているお姉さんが「おぉ」という顔をする。
日本語歌詞で3番まで歌い、それで終わりかなと思ったところで夢美が英語の歌詞で歌い始める。お姉さんが慌ててエレクトーンを弾き続ける。私も英語の歌詞で三度唱する。そして英語で3番まで行ったら・・・・
夢美はドイツ語で歌い出す! 私も笑顔でドイツ語で三度唱する。お姉さんがこれ、どこまで続くんだ!? という顔をしていたが、夢美はドイツ語歌詞の3番を「Christ, in deiner Geburt!」と歌ったところで演奏を終えた。お姉さんがホッとしていたが、私と夢美はにこりと笑って微笑み合い、握手をした。
私と夢美は私が小学2〜3年生の時、エレクトーンでの良きライバルであった。しかしその後、夢美はそのままオルガンの世界に進み、私は歌の世界に進む。
アスカと私も、私が小学5年の頃から中学3年の頃まで良きライバルだったがアスカが大学進学の時に声楽科かヴァイオリン科か迷った末にヴァイオリン科を選んだことで、アスカはヴァイオリンの世界、私は歌の世界ということで、純粋なライバルではなくなった。
そしてその頃知り合った和泉とは、純粋に歌のライバルとして、その後10年以上にわたって緊張した関係を保ち続けることになるのである。しかし私には歌の世界で、もうひとり、超えがたいライバルがいた。
年が明けてあれは節分で風帆伯母の民謡教室の行事があった時なので、おそらく2000年1月30日だと思う。私はその行事で名古屋まで出て行ったのだが、その日、静花も芸能スクールのレッスンで名古屋に行っており、私たちはお互いのお稽古が終わった後「少し一緒に歌おうよ」と言って、名古屋市内のカラオケ屋さんに入った。うちの町にもカラオケ屋さんはあったものの、小学生が入れる雰囲気の店ではなかった。でも名古屋市内には、昼間なら小学生でも入れるような所があったので、たくさん歌おうと言って、入ったのである。
それでふたりで交替でひたすら歌っていたのだが、夢中になって歌っていて、時間を忘れてしまっていた。私がSPEEDの『White Love』を歌っている最中にドアが開いた。
私が少しキリのいい所まで歌った所で、スタッフの人が
「君たち小学生だよね。小学生は6時までだから」
と言う。
「あ、済みませーん。帰ります」
と言ったのだが、その後ろから、
「ちょっと待って、今歌ってたの君たち?」
と言って割り込んできた30歳くらいの女性がいた。
「しまうららさん!?」
と静花が声を上げた。
「うん」
と女性は明るく答える。1年前というか、年が改まったので一昨年のRC大賞を取った中堅の歌手である。元サンデーシスターズの人で、須藤美智子(はらちえみ)や間島香野美(ゆきみすず)の元同僚になる。
「ね。もう一度、何か歌って」
と、しまさんは《静花に向かって》言った。
「あの・・・時間なんですが」
とスタッフさんは言うが
「いいじゃん、1曲くらい。私この店にサイン書いてあげるからさ」
などとしまさんが言うので、スタッフさんも
「じゃ1曲だけ」
と言う。
それで、静花はPUFFYの『アジアの純真』をカラオケで歌った。
しまさんが物凄い拍手をしてくれた。スタッフさんも「へー凄い」という感じの顔をしている。
「ね、ね、あんたどこか芸能スクールとか行ってる?」
「名古屋市内の**アカデミーに通ってます」
「ああ、そこは独立系だから競合しないな。じゃさ東京のうちの系列のスクールとかにも出てこない? 交通費くらい出させるよ」
としまうららさん。
「えっと・・・」
「あなたたちのお母さんは?」
「今日私たちだけで出てきたので。うちは**市なんですけど」
「じゃ、あなたのお母さんにもお話したいわあ。あんた美人だからきっと3年後くらいには売れるよ。あ、妹さんの方も可愛いから将来が楽しみだな」
と、しまさんは笑顔で言った。
「あの時、しまうららさんが注目したのは実は冬の歌だよね」
「でも、静花さんの方がずっとうまいから結果的には良かったのでは」
と私たちは後で言い合った。
ともかくも、それで静花は中学校に進学した翌4月から、毎月2度東京のレコード会社系の芸能スクールに通い出すことになった(交通費も学費もしまうららさんの所属する事務所が持ってくれた。特待生という話だった)。東京のスクールに行かない週は名古屋のスクールで「委託授業」を受けていた。そして・・・・
静花はスクールで勉強したことを、また私に教えてくれた。自分がやらされたソルフェージュ(知らない譜面を見て即興で歌うこと)などもそのまま私に歌わせた。それで私は本当に鍛えられ初見歌唱に強くなった。
「でも忙しいのに大丈夫ですか? 中学は勉強もたいへんなのに」
「ああ。私、もう学校の勉強はしてない。絶対歌手になるから」
「すごい」
「それに、人に教えるとそれだけ自分でもしっかり身につくんだよ」
「ああ、それはありそうですね」
という訳で、私と静花とのレッスンは翌年以降も続いていくのである。
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【夏の日の想い出・小2編】(2)