【夏の日の想い出・小2編】(上)

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私は幼稚園の頃は髪を胸くらいまでの長さにして、結構可愛い服も着せてもらっていたし、自分のことは「わたし」とか「あたし」と言っていたらしい。しかし小学校に入ると、髪は耳が見えるくらいまで切られてしまったし、1年の時の担任の先生は私に「君は男の子なんだから『ぼく』と言いなさい」と言った。それで私は最初はかなり自分で言ってて違和感があったものの何とか「ぼく」と言えるようになった。でも当時の学校生活はとても憂鬱だった。
 
そういう生活に一筋の明かりが差したのが、放課後のピアノレッスンだった。音楽準備室に置かれていたピアノを弾いていた私に、隣のクラスの担任だった深山先生が気付き、丁寧にピアノの初歩を教えてくれた。それで私はピアノを弾くことができるようになった。また先生は私の性別についても許容的で、私が「ぼく」と自分のことを言うと違和感があると言い、私が幼稚園の時は「わたし」と言っていたと言うと、この音楽準備室にいる時は「わたし」でいいよと言ってくれた。それで小学1年生の時、教室では担任の先生に言われた通り「ぼく」と言っていても、音楽準備室でピアノの練習をする時だけは「わたし」という自称を使っていたのである。この音楽準備室でのピアノの練習には親友のリナも付き合ってくれていた。
 
そしてその年の秋、ある偶然の出来事から、先生は私が女の子の服を着ている時は、男の子の服を着ている時より、ずっと上手にピアノが弾けることを発見。それから私は毎日放課後、音楽準備室で女の子の服に着替えてピアノの練習をするようになった。最初は学校に置かれている、緊急用の着替えの服を着ていたのだが、その内、先生が親戚の子の古着を持って来てくれたり、リナが自分の服で少し趣味に合わないものや、自分には小さくなったものを持って来てくれたりして、私の女の子の服のストックは増えていった。
 
そして2年生になった時、その深山先生が担任になった。
 

先生は教室でも「わたし」と言っていいよ、と私に言った。それで小学校の6年間の中で、実はこの小学2年の1年間だけ、私は自分のことをみんなの前でも「わたし」と言っていたのである。それは小学3年の時にまた男の先生が担任になり、「男の子は『ぼく』と言いなさい」と再び言われて矯正されるまで続いた。
 
ちなみにその間、「女の子は『わたし』と言いなさい」と言われ続けた麻央は一貫して「ボク」という自称を使い続けた。
 
私はリナからも美佳からも
 
「先生から言われたこと気にせずに、自分が使いたい言い方で自分のこと呼べばいいのに」
 
と言われていた。麻央も「そうだ、そうだ」と言ったが、麻央は
 
「いや、麻央は『わたし』と言った方がいい」
と突っ込まれていた。
 
麻央の「ボク」は結局大人になってもそのままであった。だから麻央と佐野君の会話は(麻央の話し方自体も男っぽいので)男の子同士の会話に聞こえてしまう。真央は別に男声で話している訳ではないのに、電話でもしばしば男と間違えられていた。それは私にとって良い「反面教師」でもあった。
 
(初めて真央が佐野君のお母さんと電話で話した時、佐野君のお母さんは、息子が男と結婚するつもりなのか?と仰天したらしい)
 

2年生の最初の保護者面談の時、私の母は先生とこんな話をしたらしい。
 
「あの子、赤ちゃんの頃から、赤い服とか可愛い服を着たがって。物心付いた頃には、よくお姉ちゃんのスカートとかも穿いてたんですよ。やはり上が女の子のせいか、それを真似したがるんでしょうかね。あの子、ちゃんと男の子として育っていけるか心配で」
 
と母が言ったのに対して、深山先生は言った。
 
「むしろ、本人の生きたいように生きさせてあげてはどうでしょうか? 性別というのは、どちらの生殖器が付いているかということより、本人の精神的な発達の方が大事だと思うのですよね。冬ちゃんが自分はやはり男の子だと思ったら、きっと小学4−5年生になって思春期が始まれば男らしくなっていきますよ。でも、それは親や教師が、男か女かという枠組みに無理に当てはめるのではなく、本人の個性に任せればいいのではないでしょうか。本人がスカート穿きたいと言ったら穿かせてあげてもいいだろうし、野球選手とかお相撲さんになりたいと言ったら、ならせてあげてもいいのではないでしょうか?」
 
深山先生が言った言葉は、実は母も多少考えていたようなことだったので、先生の考えに納得し、それから母は私の性別に対してほんとに許容的な態度を取るようになったらしい。
 
「でも、冬が野球選手とかになる姿というのは想像が付きません」
「私も冬ちゃんが背広とか来て、会社勤めしているような様子も想像すると違和感がありすぎて」
「やはり、冬はOLとかになってしまいそうな気がします」
 
などとふたりは話し合ったらしい。
 
それで1年生の頃は結構短い髪だった私は、2年生になってから少し髪を伸ばし始め、肩につかない程度の長さまで伸ばした。これは父から文句を言われたり男性の担任に当たった年に先生から時々注意されたりしながらも、結局6年生の時まで、その長さの髪を押し通した。
 

深山先生は、同じクラスの女の子たち数人と私を呼び、私のトイレ問題についても話し合った。呼ばれた女の子たちの全員が
 
「冬ちゃんは女子トイレを使うべきだと思う」
 
と言ったので、それでこの年、私は校内で女子トイレを使用していた。それはやはり翌年、男の担任の先生になり、私に女子トイレの使用禁止を告げられるまで続いたのである。
 
私は幼稚園の頃も、一応基本的には男子トイレの個室を使ってはいても、しばしばリナたちに手を引っ張っていかれて女子トイレを使うこともあった。また幼稚園外では、むしろ女子トイレを使うことの方が多かったようである。1年生の時も、かなり短い髪であったにも関わらず、私が町や公園、遊園地などで女子トイレに入っていて注意されたりしたことは一度も無い。むしろ男子トイレを使おうとして注意されたことは山ほどある。
 
むろんお店の人などに私がトイレの場所を聞けば確実に女子トイレに案内されたし、中には(定員1名のトイレの場合)わざわざ女子トイレの中をのぞき込んで「今空いてるよ」と教えてくれるお姉さんもいた。
 

体育の時間の着替えについては、1年生の時は、同じクラスの中で、男子は窓側に寄り、女子は廊下側に寄って、同じ教室で着替えていたが、私は当時はまだ男子扱いであったにも関わらず、男子達からは「あっち行けよ」と言われ、女子達にも「こっちおいで」と言われて、女子達と一緒に廊下側の方で着替えていた。
 
2年生になると更衣室を使うようになるが、私は女子のクラスメイトと一緒に、女子更衣室で着替えていた。
 
「冬ちゃん、ちゃんと下着も女の子下着を着けてるね」
「そりゃ、冬は女の子だもん。男の子下着を着ける訳がない」
 
などと言われていた。当時の私の服装というのは、一応女の子シャツに女の子ショーツを穿き、男女どちらでも着られるようなTシャツやトレーナーに下はショートパンツというのが多かった。ちなみにショートパンツはだいたい女子用でファスナーの付き方が男子用と逆であったり、またファスナー自体が短くて、そこから、おちんちんを出して小をすることはできない作りだったり、そもそも前の開きが飾りだけだったり、全く無かったりしていた。
 
「冬ちゃん、パンツの上から、おちんちんの形が確認できない」
「えへへ」
「おちんちん取っちゃったの?」
 
そういう時
「ああ、たぶん、冬には元々おちんちんは無かったんだよ。だって私幼稚園の頃に冬と一緒にお風呂に入った時も、冬のおちんちん見てないよ」
などと言ったのはリナである。
 
「じゃ、ほんとに無いんだ?」
「ごめーん。そのあたり、どうなっているのかは内緒ということで」
と私は逃げておいた。
 
実際には、リナは私のおちんちんを見ているはずなのだが、リナにも見られないようにうまく隠しながら一緒にお風呂に入ったこともあるので、その時の印象が強く残っていたせいではないかと私は思う。
 

私は幼稚園の頃から絵が上手くて、よく褒められていたし、当時私が描いたセーラーウラヌスの絵などが今も残っている。しかし私の絵は、小学1-2年の頃ある人に絵の基本を教えてもらって、かなり上達したのである。それが麻央のお母さんだった。
 
麻央のお母さんは、私や麻央が中学生になった頃まで、私のことを本当に女の子だと思い込んでいたらしい。(麻央のお兄さんの和義さんなど、大人になるまで知らなかったらしい)
 
私が描いた絵を見て、お母さんは最初
「これまるで中学生くらいの子が描いたみたい」
 
と言って驚いていた。
 
「でも私の絵って、全部少女漫画みたいになっちゃうんです」
「少女漫画を描けるのは、それはそれで偉い」
「あ、ですよねー」
「私そういう感じの絵は得意だから、少し基礎を教えてあげようか?」
 
などと言って、昔練習に使っていたというワークブックなどをくれて、丸や四角を描いたりする基礎レッスンをするように言い、後には髪の毛の描き方、服などの質感の出し方などまで丁寧に教えてくれた。
 
お母さん自身の描いた絵も見せてもらったが、ものすごくきれいだった。
 
「すごーい。漫画家みたい」
と言ったら
 
「うん。実は少女漫画家だったんだよ」
と言われてびっくりした。
 
月刊の少女漫画雑誌に連載を持ったこともあったらしいが、あまり人気が出ずに1年で終了して、その後は何度か新しい漫画の案を出したものの採用してもらえず、他の漫画家さんのアシスタントを5年くらいしてから、結婚を機に漫画の世界から離れたのだそうである。
 
アシスタントをしていただけあり、様々な漫画家のタッチを真似て描いてみせてくれたりもした。
 
「すごーい。これ本当に****先生が描いたみたい」
「そう見えるように描けないとアシスタントは務まらないから」
「わぁ」
「でも冬ちゃん。私は仕事だからこういうコピー描きもしてたけど、冬ちゃんは、誰かの真似をして描くんじゃなくて、自分オリジナルの描き方を見つけないといけないよ」
 
「あ、それうちのお祖母ちゃんから、私の歌のことでも言われた」
 
「まあ、歌でも絵でも、自分の流儀を見つけるのはとても大変だけどね」
 

その歌に関して、この年、私はとても重要な指導者を得た。彼女と出会ったのは大きな川の岸辺だった。私は当時よく川岸で大きな声で歌っていた。
 
「君、歌うまいね。何年生?」
「2年生です」
「凄い。3年生くらいかと思った。それだけ歌えたらMS少年少女合唱団とかに入れるよ」
と彼女は言った。
 
「わたし、入らない」
 
私の脳裏に1年ほど前の嫌な思い出が蘇る。
 
私が歌が好きなようだというので、1年生の時、母は私を少年少女合唱団に連れて行った。テストで歌わせて「凄い!」「上手い!」「本当は本隊は3年生からだけど、これだけ歌えるなら、1年生でもすぐ本隊でいいね」
などと言われた。
 
ところがその後が問題だった。団の制服は、女子は青いジャケットにタータンチェックのスカートだが、男子はアースカラーのジャケットに黒いハーフパンツであった。また女子は首のところがリボンだが、男子は蝶ネクタイである。
 
私は男の子だからというので、その服を着せられた上に、
「君、少し髪が長いね。それだと女の子と間違えられるよ。もっと短く切ろう」
などとまで言われた。
 
それで私は「髪はこれ以上切りたくないし、あの制服は着たくない」と言って、結局2度と、団の練習には出て行かなかったのである。結局、私は入団辞退ということになったようであった。
 
「ふーん。何かあるのかなあ。だったら、私が少し歌い方教えてあげるよ。あ、私、6年生の松井静花」
「わあ、嬉しい。お願いします。私、2年生の唐本冬子です」
「へー。冬子ちゃん、よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
 
6年生の静花はそう言うと、私を自分の家に連れて行き、ピアノを弾きながら、ドレミファソファミレドで、半音ずつ音程を上げ下げしながら発声練習をしたり、また声の出し方自体の指導、口の形をしっかり作って発音そのものの指導など、本当に基礎的な歌唱指導をしてくれた。
 
静花は実は小学3年生まで合唱団に入っていたらしいが、その後、芸能スクールに通い出したので合唱団は辞めたらしい。
 
「音階練習はうちに来ない日でも家か学校で毎日やった方がいいよ」
 
と言われたので、私は毎日姉のエレクトーンを借りて、学校から帰ってから30分くらいひたすら音階を歌う練習をしていた。
 
静花は他にも、和音に関する基本的な理論も教えてくれた。それは一部は深山先生とやっているピアノレッスンの方でも習ったことと少しダブるのだが、ピアノでの理論と、歌唱での理論は、また微妙に角度が違うので、結果的には相互補完し合うような感じになった。
 

ポップスの魅力を教えてくれたのも彼女だった。
 
私は元々民謡の基礎を持っていて、それに母がハマっていた洋楽の影響を強く受けた。だから小学1年生の時の私の音楽の世界というのは、音楽の時間に習う曲以外は、様々な民謡と、ビートルズ・クイーン・アバ・カーペンターズ・ビージーズ・ベンチャーズなどといった世界だった。つまり日本のポップスが抜け落ちていたのである!
 
それを教えてくれたのが静花だった。彼女は当時大人気であったモーニング娘。にはじまって、椎名林檎・ミスチル・SPEED、それにELT・ブリグリ、などの曲を実際にCDで聴かせてくれたし、ピアノ伴奏スコアを見せてくれて、交替で伴奏をしながら一緒に歌った。私は深山先生との練習では、たまにポップスもやるものの、だいたいは「ピアノ練習曲」という感じのものが多かったので、静花との練習で、ポップス系の弾き方も鍛えられることになった。
 
静花の家のポップス系のCDライブラリも凄くて、私は毎回行く度に本当にいろいろなアーティストのCDを聴いていた。
 
「譜面と歌手の人の歌っているピッチが違いますよね」
「まあそれを通常『音を外している』と言う」
「ああ。わざと違う音で歌ってるんじゃないんですね。プロの歌手でも外すもんなんですか?」
 
「つまり音痴だってことだよ」
「音痴でもプロの歌手になれるんですか?」
「それは音痴をプロの歌手にしているプロダクションやレコード会社の側に問題がある気がするね」
「はぁ」
 

テレビを録画した映像もたくさん見せてもらった。
 
「なんか口と声が合ってない気がするんですけど」
「これは『マウスシンク』とか『口パク(くちぱく)』と言って、歌手は歌っている振りして口を開け閉めしているだけで、実際にはCDを流しているんだよ」
「なんでそんな面倒な事するんですか?」
 
「この歌手の動きを見てごらんよ。これだけ激しく踊って歌える訳がない」
「ああ」
「あと、この歌手すごく下手くそだからね。CDはたまたま上手く歌えた時のを録音してるから」
「なるほど」
「テレビ放送とかじゃなくてライブでも口パクのアイドルとかいるよ」
 
「その人、何のために歌手してるんでしょう?」
「私もよく分からないなあ。でも、大勢の前で演奏するのが好きなんじゃない?」
「ああ、好きなら構わないですね。でも練習してもっと上手くなればいいのに」
「上手くなった頃にはアイドルとして売れる年齢ではなくなってるかもね」
 
「うーん・・・、でもこの年齢でも上手い人はいますよね?」
「売り出す側で扱いやすいタイプがたまたま歌が上手いか下手かという問題だね」
 
「どういうタイプが扱いやすいんですか?」
 
「まず可愛いこと。歌が上手くてもあまり可愛くない子は売ってもらえない。それから性格的に芯が強いこと。歌手やるのは凄いストレスだから、精神的に弱い子には無理。それから目立ちたがり屋。控えめな子にはステージの前面に立って歌うのはできない。あと、体力無いと無理、歌手のスケジュールって凄いからね」
「結構そういう条件を兼ね備えている子は少ない気がする」
 
「だから歌が下手でも、他の条件が良ければ売り出すんだよ。あとね」
「はい」
「運がいいこと。多分これが最大の条件」
 
「へー」
 
「冬ちゃんさ」
「はい?」
「多分、歌手になれる条件を満たしてる」
「あ、結構やりたいって思ってました」
 
「・・・・今の返事の仕方がまさにそれ」
「え?」
「歌手向きじゃない子は、今みたいなこと言われたら『私には無理ですぅ』
とか言うんだよ」
「あ、そうなんだ!」
 

またこの時期に静花に教えられたことで、とても大事なことが「喉を痛めない発声法」であった。
 
静花とは、しばしば一緒にテレビの音楽番組の録画を見ながら一緒に歌ったりもしていたが、あわせてその歌手の発声についても論評していた。
 
「この人は喉を酷使した歌い方している。こんな歌い方していたら2〜3年もすると喉のポリープやっちゃうよ」
などと静花が言った歌手は本当に喉を痛めて入院していた。
 
「この人の場合、病気か何かのせいかも知れないけど、喉を右半分だけ使ってるね。それで凄く個性的な声になってるんだけど、さすがにこの歌い方していたら潰れる」
 
そんなことを静花が言っていた歌手も売れ始めて3年ほどたった時にやはりポリープをやって入院。退院後はなんだかふつうの声になってしまい人気は急落した。
 
「歌は喉で歌うんじゃない。身体で歌うんだよ」
「それ、うちのお婆ちゃんとかからも、よく言われました」
「ああ、民謡の人はそのあたり、しっかり鍛えられている人が多いね」
 
静花は良い歌い方もたくさん見せてくれた。
 
「この人の歌い方は結構良い。ただ小手先のテクに頼ってる部分があるから負荷が掛かりすぎると辛くなる。あまり売れなければ、長く歌手を続けられるかもね」
「売れなかったら契約切られたりして」
「まあ、その危険はある。あと、この人は実声と裏声が違いすぎる。高い音に行く時、ミの付近で突然声質が変わるでしょ? 訓練が足りない」
 
「訓練するとどうにかなるんですか?」
「実声と裏声がきれいにつながって一体化するんだよ。そのつなぐ部分の声をミックスボイスとかミドルボイスと言うんだけどね。表声と裏声の中間ということで」
「へー」
「冬ちゃんはまだ裏声はそんなに使わなくていい。小学校の高学年になってから、そのあたりは鍛えなよ。裏声を小さい内から使っていると、喉を痛めやすい。今はむしろ首の運動とか顔の運動を日々やって喉の筋肉を鍛えた方がいい」
「はい」
 
実際この頃から私は喉の筋肉を鍛えるための体操を日課にしていた。
 
また静花はある時テレビ番組を見ながら言った。
 
「この人の発声法は合唱団などで教えられる発声法に近いね。でもそれを少しアレンジして個性を加えている。この人は長く歌手を続けられるよ。こういう歌い方は見習っていい」
 
静花がそう言ったのは当時デビュー4年目で人気絶頂であった保坂早穂であった。
 
「なんか胸を張って歌ってますね」
「そうそう。自分の気道をフル活用してる。だからこの人音域が無茶苦茶広いよね。3オクターブ超えてる。普通のアイドル歌手なんて1オクターブ出るか出ないかの人もいるのに。そして楽曲を渡している側もその声域を活かした歌を渡している。どうかした所だと、アイドル歌手が上手なのはイメージを壊すとかいって、わざと簡単な歌を渡すから」
 
「何のために〜?」
「要するに、下手な歌手は親しみやすいと感じるんじゃない?」
 
「なるほどー。それで下手なアイドルが多いのか」
「そうそう。でもモー娘。やSPEEDの登場でその状況は若干変わったよね」
「後藤真希ちゃんとか、島袋寛子さんとか、凄く上手いですよね」
「うんうん。アイドルやるのがもったいないくらいに上手い」
 

この小学2年生の1年間というのは、後から考えてみると、自分にとって色々なことの基礎堅めをした時期であった。静花との歌の練習、深山先生とのピアノレッスン、麻央のお母さんとの絵の練習など。自分の芸術能力を開花させていくための栄養を吸収した時代でもあったし、また私が女の子としての自分を確立していった時期でもあった。
 
ローズ+リリーは歌う時にあまり身体を動かさないのではあるが、まだデビュー前に5年ほど他のユニットのバックダンサーをしたりもしていた。そういう時、物凄く短時間で踊り方を覚えなければならないので、私の「コピー能力」は重宝されていた。私のダンスは小学校から高校に掛けてしばしばチアをやっていたのも基礎にあるのだが、その大元の、踊り方の根本は実はこの小学2年生の時にバレエをやっていたことに由来する。
 
もっともこれも正式に習っていた訳ではない(私の様々な勉強や訓練ってそんなのばかり!)。バレエ教室に通っていたのは親友の美佳と帆華である。
 
そのふたりがバレエ教室に通っていたので、私はリナと一緒によく見に行っていた(麻央はバレエなんて興味無いと言って来なかった。麻央はお兄さんたちあるいは男子の友人と一緒によく野球とかサッカーの試合を見に行っていた)。
 
「ね、ね、男の子のタイツがすごーく気になる」
「ああ、膨らんでるよね。でもあれ実物じゃないよ。サポーターというので、しっかり押さえていて、そのサポーターの形が出てるんだよ」
と帆華が説明してくれる。
 
「それにサポーター付けてないと踊ってる最中に大きくなったりした時にやばいしね」
「大きくなるって?」
と私が訊くので
「男の子のアレって、大きくなるじゃん」
とリナに言われる。
 
「え?そうなの?」
と私が言うと
「冬ちゃんのは大きくなったりしないの?」
と帆華が不思議そうに訊く。
「分かんなーい」
「ねえ、冬ちゃんって、おちんちん付いてるよね?」
「えーっと・・・・・」
「なぜ即答できない??」
 

帆華や美佳がバーの所で足を上げたり爪先立ちする練習をしていると、先生が
「はーい、そこの見学者も一緒にやってみよう」
などと言ったので、私とリナも一緒にやってみていた。
 
また開脚の練習をしているのを見て
「たいへんそー」
などと声を掛けると
「冬たちもやってみなよ」
と言われるので、私たちもそばで開脚の練習をした。
 
「確かにこれ、開くのきつーい」
「でも上級生のお姉さんたち、すごくきれいに開いてるね」
「これ、おうちでも練習してみよう」
 
などといった感じで、見学だけの筈が、けっこう一緒に練習していたのである。それで結局、私もリナも爪先立ちしたり、180度開脚したり、などというのができるようになってしまった。私たちはピルエットでどのくらい回れるか、なんてのを競争したりもしていた。
 

そのうち発表会が近づいてくると、帆華と美佳がペアで『トロイメライ』の曲に合わせて踊るということになる。ふたりが一緒に練習していると、そのそばで私とリナも何となくふたりを真似て踊ってみたりしていた。
 
「ね、ね、リナも冬もピアノ弾けるでしょ? 私たちが踊る時に伴奏してくれない?」
「そういう話はちゃんとピアノを習っていたリナに」
「いや、私より冬の方が上手だから、冬がしよう」
「男の子だからといってタキシードとか着せられそうだからパス」
「じゃ私がドレス貸してあげる」
 
ということで、結局私はリナからドレスを借りて着て、帆華と美佳の踊りの伴奏をすることになった。一応母には話したが
「お父ちゃんには内緒にしといて」
と言ったら、母は笑って「いいよ」と言っていた。一応母は見に来るということだった。
 
なお出場者は1人1万円の参加費を払うことになっていたようであるが、私は伴奏者なので参加費は不要ということだった。
 

さて、こういうシチュエーションで何か起きるというのは、デフォルトである。実際その日も私は何か変な予感がしつつ会場まで出かけて行った。
 
リナと帆華は来ていたが美佳が来ていない。やがてリハーサルが始まるのにまだ来ない。どうしたんだろう?連絡してみようかなどと言っていたら、美佳のお母さんから帆華のお母さんに電話が掛かってきた。
 
「あらぁ」
と帆華のお母さんが声を掛ける。
 
「美佳ちゃんが風邪引いちゃって、本人は行くと言っているらしいんだけど、ちょっと無理っぽいって」
 
途中で先生にも代わってもらう。
「熱は?」
「今39度あるんです」
「それは、こちらではなく病院に行ってください!」
と先生も言うので、美佳も出場を諦めたようである。先生が
「お大事に」
と言って電話を切る。
 
さて、美佳が出ないとなると、帆華と踊るパートナーがいない!
 
「困ったわね。誰かあの踊り、踊れる子がいないか訊いてみる」
 
と言って、先生は何人か2年生から4年生くらいまでの子で『トロイメライ』
が踊れる子がいないか尋ねている。上の年齢の子なら踊れる子もいるようだが、この踊りは、ふたりの背丈があまり離れていると美しくないのである。
 
「小学生では誰も踊れないみたい。中学2年の**ちゃんと高校1年の**ちゃんは踊れるというけど、ふたりとも身長が160cm以上あるから、バランスが悪い。でも他に居なければ、**ちゃんに頼もうか?」
と先生が本当に困ったような顔でこちらに相談する。
 
その時、突然リナが言った。
「冬、踊れたりしない?」
 
「あ、そういえば、あなたたち帆華ちゃんと美佳ちゃんのそばでふたりで踊ってたわね?」
「私が帆華のパート、冬が美佳のパートを踊ってたんだよね」
「うん。踊れる」
と私は答えた。
 
身体をほぐす準備運動をしてから、その場で帆華と組んで踊ってみる。
「すごーい、完璧!」
と先生。
 
「冬、そんなにたくさん練習していた風でもないのに、なんでこんなに踊れるのよ?」
と半分呆れたように帆華が言うが
「冬は他人の動作とかを真似するのが物凄く上手いのよ」
とリナが笑って言った。
 
「じゃ、唐本さん、お願いできる?」
「でも衣装が・・・」
「それはバレエ用品店の人に持って来てもらう。サイズ測らせて」
 
ということで、私のウェストとか着丈とか足のサイズとかを先生が測り、電話していた。お金は取り敢えず教室で立て替えておいてくれたが、後でチュチュとタイツは美佳のお母さんがお金を出し、アンダーショーツ、ボディファンデーション、バレエショーツはうちの母がお金を出すことで決着した。
 
なお、ピアノ伴奏はリナがすることになり、リナは結局持って来たドレスを自分で着た。
 

衣装が来た所で楽屋に行って、帆華に着方を教えてもらいながら着替える。リナも当然付いてくる。アンダーショーツとボディファンデーションまで着たところでふたりに突っ込まれる。
 
「冬、あのさあ、お股が女の子みたいに平らなのはなぜ?」
「えー? だって、女の子のお股が膨らんでたら変じゃん」
「冬ちゃんって女の子なんだっけ?」
「少なくとも本人はそのつもりでいるみたいだけどね」
「そのつもりというか、本当に女の子なのでは?」
 
時間が無いのでふたりもあまり深くは追求しない。
 
ボディファンデーションの上に更にバレエショーツ、タイツを穿いて、その上にロマンティック・チュチュを着る。
 
「おぉ、可愛いバレエ少女の出来上がりだ」とリナ。
「冬、物凄く可愛い。私が男なら恋人にしたいぞ」と帆華。
 
帆華も結構そのあたりのセクシャリティは怪しい部分があった。男嫌いというのは友人間でも有名だったが、実は女の子が好きなのでは?というのも、本人の居ない所でけっこう噂していた。
 
楽屋から戻ると母も「可愛い!」と言って、携帯で写真を撮っていた。この時の写真は後に母からコピーさせてもらったが、まだたぶん政子には見つかってないはず。
 
本当はリハーサルの時はリハーサル用の衣装を着て、本番だけ本番用衣装なのだが、そんなに2つも衣装を用意できないので、私だけ本番用の衣装でリハも踊った。リナのピアノが若干怪しかったが「本番ではちゃんと弾くから」と言っていた。いったん衣装を脱ぎ、ふつうの服装に戻ってお昼を食べてくる。
 

帆華・リナ・私の3人とその母の6人で会場に隣り合うショッピングモールの食堂に行き、一緒に軽い食事を取った。本番前なのであまりたくさん食べるわけにはいかない。
 
「へー、帆華ちゃんは幼稚園の時からバレエしてるんですか」
「去年は6人くらいで群舞で踊ったんですけどね。今年は美佳ちゃんがいたから、ふたりで踊ってみる?ということになったんだけど」
「美佳ちゃんは小学校に入ってから始めて、まだ1年ちょっとなんだけど、元々運動神経がいいから、比較的早く上達してるみたい」
「あの子、体育の成績もいいもんね〜」
 
「冬ちゃん、これを機会にバレエ少し習ってみる? リハーサル見たら凄くセンスいいと思った」
と帆華のお母さん。
 
「たぶんお父さんが許してくれないだろうから」と私。
「お前、エレクトーンも習いに行きたいって言ってたね」と母。
「うん。でもそんなもの習ってどうする?、なんてお父さんに言われたし」
 
「エレクトーンなら女の子の習い事としてはあまりお金掛からない方なんじゃないかと思うけど」
と帆華の母。
 
帆華の母は私のことを女の子と思い込んでいる感じだ。
 
「まあ女の子の習い事としては割と普通だよね」
とリナもわざと『女の子』という言葉を混ぜて言う。
 
「あ、でもずっと教室に通うんじゃなくて、短期間のレッスンくらいなら、お父さんの許可無くても受けられるんじゃない? このバレエ教室でも、夏休みの期間限定レッスンコースとかあるし、私の妹が行ってるエレクトーン教室でも、やはり短期集中コース開くってパンフレット持って来てたよ」
と帆華が言う。
 
「へー、そのくらいならいいかもね」
と母も言った。
 

やがて本番になる。小学生・幼稚園生が前半に踊り、中高生・社会人が後半に踊るという形になっているようである。私と帆華は5番目の出番であった。始まってすぐに楽屋に行って衣装を着け、スタンバイする。
 
幼稚園生たちのお遊戯のような可愛い群舞、小学1年生なのに物凄く上手い子のソロ、それから小学1〜2年生5人の群舞の後、私たちの番だ。
 
ロマンティック・チュチュを着た私と帆華がふたりでステージに出て行き、続いてドレスを着て楽譜を持ったリナも出てきて、ピアノの所に座る。そしてシューマンの『子供の情景』より『トロイメライ』を演奏する。私たちはそれに合わせて踊る。
 
同じ動きをする所、対称に踊る所、そして絡み合って踊る所があり、にわかペアには大変であったが、何とか無難にこなしていく。基本的に3年ちょっとの経験がある帆華のパートは難易度が高く、経験1年の美佳のパートは簡単にできているので、こちらも何とかなっている感じ。クライマックスで帆華がピルエットで3回転するところでは客席から拍手が来る。私も「わぁ、格好いいー」と思って見ながら踊っていた。
 
リナも今回はピアノを間違えずに弾きこなし、私たちは無事出番を終えた。帆華がリナを手招きして、3人でお辞儀して、ステージを降りた。母が「写真撮ったけど、お父ちゃんには内緒にして私だけの宝物にしよう」なんて言っていた。
 

ところで私の母は5人姉妹で、全員祖母に指導されて民謡の名取りになっているのだが、母だけは私が物心つく前に挫折して民謡を辞めてしまっていた。しかし私に歌の才能があるようだと思った祖母の勧めで、小学1〜3年の間、私は月に1回くらい名古屋まで出て、風帆伯母(若山鶴風)の指導を受けていた。実際には風帆伯母のお弟子さんで、河口さんという人が私の発声などを指導してくれていた。
 
最初は母も付いてきていたが、母は「民謡の『み』の字を見るのも嫌だ」などと言って、お稽古の時は私を置いてどこかに出ていて、お稽古が終わったら電話連絡を受けて私を迎えに来ていた。そしてやがて「小学生だし電車くらい乗れるよね?」などと言って、そもそも付いてこなくなった!
 
私の歌い方の基本は静花から習ったポップス系の歌い方なのだが、発声や息の使い方については、やはり民謡で鍛えられたものが大きい。
 
それで問題がこの民謡教室に行く時の服装なのであるが、1年生の頃は最初は結構男の子っぽい服を着せられていたものをなし崩し的に私は中性的な雰囲気に変えていった。
 
それで私が通い出した頃から教室に参加していた生徒さんたちは私のことを一応男の子と思っていたようであるが、途中から見ている人たちは私のことは女の子と思っていた雰囲気もある。直接指導してくれている河口さんなども
 
「冬ちゃんって、ちょっと見ると女の子かと思う雰囲気だよね〜」
などと言っていた。
 

この教室では毎年7月初旬に「浴衣会」と称して、みんな浴衣を着て歌うというイベントをしていた。ピアノ教室などの発表会に相当するもので、普通の和服なら難しくて着られないという人でも、浴衣くらいは何とかなるから、みんなで着ようというのが趣旨である。
 
1年生の時は私は男児用の浴衣を着せられそうだったのを抵抗して、結局ふつうのポロシャツにショートパンツという格好で『炭坑節』を歌った。しかし2年生の時は『ちゃっきり節』の練習をしていたので、母に言った。
 
「ちゃっきり節って、茶摘み娘の歌だから、茶摘み娘っぽい衣装とか着ちゃダメ?」
 
母は微笑んで「そうだね。コスプレということでいいかな」と言って、わざわざ、子供サイズの茶摘み娘の衣装を静岡から取り寄せてくれた。(当時私は『コスプレ』というのはよく分かってなかった)
 
この衣装を注文する時に横からパソコンの画面をのぞいていた姉が
「なんだか、男性用の茶摘み娘衣装ってのもあるけど?」
などと言う。
「うーん。まあ、そういうの着たい男の人もいるんじゃない?」
と母。
「お父ちゃんが茶摘み娘の衣装着たいって言ったらどうする?」
と姉。
「100mくらい離れておきたいかな」
 
「冬の場合はまだ小さいから、構わないよね」
「そうだね」
 

それで私は小学2年生の時は、茶摘み娘の衣装で『ちゃっきり節』を歌ったのである。(その次に私が『ちゃっきり節』を歌ったのは3年後の小学5年生の時に飛び込み参加した民謡大会であった)
 
河口さんなどには
「冬ちゃん、女の子の衣装が似合いすぎる。いっそ女の子になっちゃう?」
などと言われて、記念写真を撮ってもらった。
 
その撮影データは母に渡され、母はそれを見て
 
「おお、可愛い、可愛い」
と何だか喜んでいた。姉も見て
 
「へー。充分女の子に見えるね。いっそおちんちん取っちゃって、冬子ちゃんとか名前も変えちゃう? なんかこの子宛ての郵便物、時々冬子様になってるしさ」
などと言っていた。
 
「ああ、本人が良ければそれもいいんじゃない? 冬子になっちゃう?」
と母が言ったので私はドキッとした。
 

「でも、おちんちん取るのって病院の何科なんだろ?」と姉。
「さあ、私もおちんちんは取ったことないから分からないなあ」と母。
「産婦人科?」
「産婦人科は最初からおちんちんが無い人だけかもね」
 
「整形外科とかいうのは?」
「あれは骨折とかの治療だよ。おちんちんには骨無いから」
「へー、骨は無いんだ?」
「おちんちんに骨があって、おちんちん骨折したら大変かもね」
「おちんちんにギブス填めるのかしら?」
「おしっこする時、大変そう」
 
「耳鼻咽喉科とかは?」
「全然関係無い気がするよ」
 
私は母と姉が病院のことを話し合っているので、私は、おちんちんを本当に取りに病院につれて行かれるのかな? などと思いドキドキしながら聞いていたが、残念ながら病院には連れて行ってもらえなかった。
 
なお、この時の茶摘み娘の写真データは母がディスクの隅に保存してくれていて、私が高校生の頃に「あ、こんなの出てきた」と言ってもらったが、これもまだ政子にはバレてないハズ。
 

ところでそんな話をして1〜2ヶ月経った頃、私は風邪を引いて病院に連れて行かれた。普通なら市販の風邪薬でも飲んで寝せられているのだが、体温が40度を超えたので、念のため連れて行ったらしい。
 
70歳くらい?のお医者さんは「風邪ですね」と言い「解熱剤を打ちましょう」
と言って、診察室の隣の治療室に移され、ベッドでお尻を出すよう言われる。それでこれまたお医者さんより更に年上という雰囲気の看護婦さんが注射を打ってくれたのだが・・・
 
「あら? 君、タマタマが無い?」
と私の股間を見て言った。
 
「ああ、この子のタマタマ、よく身体の中に入り込んでいるみたいなんです」
と母。
「停留睾丸かしら、ちょっと待って」
と言って、先生を呼ぶ。
 
先生は「どれどれ」と言って、私の股間を触っていた。
「ああ、ここに引っ込んでいる」
と言って、何だか上手に袋の中まで引き出してしまった。
 
「ちゃんと降りて来るから、停留睾丸じゃないね。遊走睾丸というんだよ」
と先生。
「ゆうそう?」
「遊んで走り回っているというの。この子の睾丸は遊び好きなんだね」
と言うと、看護婦さんも母もちょっと笑っていた。
 
「手術とかする必要はないですか?」と少し心配そうに母。
「上に行ったまま出てこない停留睾丸なら手術の必要があるけど、遊走睾丸の場合は、手術する必要は無いよ」
「それなら良かった」
 
「もっとも中に入り込んでいる時間が物凄く長い場合は問題だけどね」
と先生。
「どの程度入り込んでいたら問題ですか?」
「そうだね。例えば1日の内20時間くらい入り込んだままとかだと、睾丸って体内にある時は機能しないから、男の子としての発達が遅れる可能性もあるだろうね。僕がこれまで患者を見てきた経験からすると、だいたい1日の半分くらいは下に下がってれば問題無いと思う」
 
「あんた、それどのくらい中に入ってる?」と母が訊く。
「寝てる間くらいかなあ。朝、トントンと叩くと下に降りて来る」と私。
 
実は寝る前に自分で押し込んでいたんだけどね。そして実は押し込んでおくと朝起きてもお昼くらいまで降りてこないことがよくあった。今日は風邪を引いたせいかずっと中に入り込んだままだった。
 
「ああ、昼間出てるなら全然問題無いね」と先生は言う。
 
「でも手術とかする場合はやはり糸か何かでしばって固定するんですか?」
「そうだね。糸でタマ袋の皮膚に縫い付けちゃう。でも昔は取っちゃうというのも多かったみたいね」
 
「取っちゃうんですか?」
「停留睾丸は癌になりやすいから危険だと言われてね」
「でも取っちゃったら男の子じゃなくなっちゃいますね」
 
「まあ癌になるよりはマシという考えだったんだろうね。噂だけど、睾丸を取るついでに、おちんちんも取っちゃって女の子にしちゃったケースもあったというね」
「へー!」
「男の子でなくなってしまうのなら、いっそ女の子にした方がいいという考えだったらしいけど、さすがに最近はそんなことはしないと思う」
「ああ」
 
「だけど、この子はむしろ女の子にしてあげたいくらい、可愛い顔してるね」
と先生。
「あんた、女の子になりたい?」
と母。
「なりたいかも」
と私。
「ああ、だったら手術して、おちんちんと睾丸と取ってあげようか?」
と先生。
「あら、いいわね」
と母。
 
それで私はとてもドキっとしたのだが、冗談だったようで、その後看護婦さんも母もお医者さんも笑っていた。
 
なお、うちの母が私の男性器を目撃したのはこの時が最後だと思う。
 

でも病院から戻ってきてから母は寝ている私に訊いた。
 
「あんた、もしかして本当に女の子になりたい?」
 
私はこくりと頷いた。
「そう・・・」
「おちんちんと睾丸を取る手術したら女の子になれるの?」
 
「そうだね。高校くらい卒業して、その時まだ女の子になりたかったら、そういう手術受けてもいいよ」
と母は言った。
 
そしてその日、母は着替え用に可愛い女の子用のパジャマを買ってきてくれた。それを着ると何だか嬉しくて、ずっとこのパジャマを着ていたい気分だった。
 
「スカートとか、もっと女の子っぽい服買って来ようか?」
と言っていたが
「ううん。お父ちゃんに叱られそうだからズボンでいいよ」
 
と私が言ったので、母もスカートまでは買わなかった。でも結構女の子用のショートパンツやハーフパンツで装飾性が低く、男の子が穿いててもあまり変ではないような服をよく買ってきてくれていた。
 
「あんた多分、立っておしっこしないよね?」
「そんなのしたこと無い」
「じゃ、前の開きは無くてもいいよね」
「うん。パンツも前の開きは無くていいし」
「あんたには男物と女物と両方のパンツ買ってるけど女物しか穿いてないね」
「えへへ」
 
それで母は、またおジャ魔女どれみの女の子パンティとか買ってきてくれた。
 
当時私は自分としては一応中性的な格好をしていたつもりだった。でも友達は私が男の子の服を着ているという認識は無かったようであった。
 

7月になると学校で水泳の授業が始まる。
 
昨年は初日、水泳パンツを渡されて学校に出て行ったものの、下半身だけを覆う水着なんて、そんな恥ずかしいものを着て人前に出るのは嫌だったので、(一応男子用の更衣室で着替えた後)バスタオルで身体を覆っていた。
 
すると剛田先生は「お前何やっとるんだ。そんなもの取れ」と言って、私から無理矢理バスタオルを取ろうとし、私が抵抗して揉み合いになり、結局バスタオルを取られた勢いで私はプールに転落し、溺れそうになって、近くに居たクラスメイトに助けられることになる。
 
さすがにクラスメイトたちが
 
「先生、今のは非道いです」
と抗議し、先生もやり過ぎを認めて、自宅まで菓子箱を持って謝りに来た。
 
それで結局、私は残りの授業を見学で押し通し、水泳パンツは2度と穿かなかったのである。
 
しかし今年は深山先生はうちの母と電話で対談し「女子水着を着せましょうよ」
という話をした。それで私はこの年は女子用スクール水着を買ってもらい、それを持って学校に出かけて行った。
 

「冬、今年は水泳どうすんの?」
とリナから訊かれる。
 
「えへへ。女の子スクール水着を買ってもらった」
「おお、それはよかった」
「でも、私どこで着替えればいいのかなぁ」
 
「それは当然女子更衣室で着替えるんだよ」
「いいんだろうか」
「だって普通の体育の時間だって女子更衣室で着替えてるじゃん」
「まあ、そうだけどね」
 
ということで、みんなと一緒に女子更衣室に入る。何となくみんながこちらを注目している感じ。
 
私は上着を脱ぎ、ショートパンツを脱いで下着だけの姿になる。ここまでは、いつもみんなに体育の時間に晒している姿だ。ワンポイントの入ったインナーを脱ぎ上半身を露出するが、小学2年生なので、もちろんバストなどは無い。
 
ここで私はさっと後ろを向くと、急いでショーツを下げ、水着を足に通して腰まであげてしまった。そして前を向く。その間約5秒。
 
そばに居たリナが「あっ」と言った時にはもう私は水着の上半身部分を引っ張りあげ、肩に掛けているところであった。
 
「ああ、さすがに後ろ向いて着替えるか」
「だって、ちょっと人には見せられないようなものが」
「ちょっと待て。水着を着た上から、その見せられないものの形が確認できない」
 
「ねえ。『見せられないもの』って、男の子のものかと思ったけど、実はそこに男の子のものが存在しないのを『見せられない』ということは?」
 
「冬はこないだバレエの衣装を着けた時も、やはりその部分は形が真っ平らだったよ」
とリナが言う。
 
「おちんちん取っちゃったの?」
「ひみつ」
と私は笑って答える。
 
「でも付いてるようには見えないね〜」
 
「冬が男子水着になりたくないのもさ、男子水着になった時に、あそこが盛り上がっていて、ああやはり冬って男の子なんだとみんなに思われるのが嫌なんじゃなくて、男子水着になった時、あそこがぺったんこで、冬が男の子ではないことがバレてしまうのが恥ずかしいからなのでは?」
 
「でも、冬のこの水着姿を見れば、どう見ても女の子の身体だとしか思えん」
 
私は笑って
「そう見えるなら、私を一応女の子の仲間ということにしといて」
と言った。
 
「まあ、いいんじゃない?」
「私は冬のことは女の子としか思ってないけどね」
などとリナは言ってくれる。
 

そういう訳で、この年は私も水泳の授業に参加し、泳げるようにまではならなかったものの、バタ足の練習とか、水に浮いている練習とか、水に潜っている練習などをした。
 
「冬ちゃん、水の中に潜っていられる時間が凄い」
「溺れてるんじゃなかろうかと心配になった」
 
「歌で鍛えてるから。息を一度吸って『あーーー』と歌い続けるので2分くらい歌えるよ」
「すごーい」
 
「でも逆に水泳の練習したら、その歌の方の息も長くもたせられるよ」
「あ、じゃ少し頑張ろうかな」
「夏休みも水泳教室やってるから、冬ちゃんおいでよ」
と先生から誘われる。
 
「そうだなあ。出てこようかなあ」
「私もやるからさ」
とリナが言うので、この夏は少し頑張ってみようかと思った。
 

結局その夏休みは、エレクトーンとバレエの限定レッスンに通いつつ、お盆前までの(天気の良い)平日、学校のプールに行ってたくさん水遊びをした。プールは女の子水着だし、バレエも先日の発表会の時に来た下着の上に新たに買ってもらったレオタードを着て練習に参加した。
 
「冬ちゃん、素質ある。ずっとレッスン受けない?」
などと先生からは言われたものの、
「お父さんが許してくれないと思うから」
ということで断っていた。
 
ちなみにエレクトーン教室も、バレエ教室も「唐本冬子」の名前で母は登録してくれたし、どちらの先生も私のことは女の子だと思い込んでいた。
 
本当にこの小学2年生の1年間は天国であった。
 
で・・・この時期、珠算塾の方は、休会してしまっていた!(再開するのは東京に転校後)母は、父には私が珠算塾に行っていることにしておいて、その分の月謝をこちらに注ぎ込んでくれたのである。
 
なお、水泳教室のある日は、深山先生はプールが終わってから、私とリナのピアノも見てくれていたので、この時期、ピアノとエレクトーンを同時進行で習って、結構な相乗効果があった。
 

エレクトーン教室は、初日付いてきてくれた帆華のお母さんが
「この子、正式に習ったことはなくても、かなり弾きます」
 
と言ってくれたので、実力を見るのに、何か適当な曲を弾いてみてと言われた。私は当時中1の姉が弾いていた『オリーブの首飾り』を弾き
 
「既にグレード10級程度の実力がある」
と言われ(ジュニアは13級から受けていく。私の年齢だと12-13級くらいの子が多かったらしい)、本当は夏休み限定の初心者向け入門コースだったはずが、そのコースは習う意味が無いと言われ、月謝はそのままで、サービスで本科の方の小学5〜6年生の中級者のクラスに組み入れられた。
 
 
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【夏の日の想い出・小2編】(上)