【夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン】(上)

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2013年11月6日。KARIONの21枚目のCD『雪のフーガ』(c/w『月に想う』『恋のソニックブーム』)が発売された。
 
和泉は卒論の最後の校正に取り組んでいた時期だったが、何とか時間を取って記者会見に臨んだ。
 
「『雪のフーガ』のフルート三重奏、『月に想う』のサックス三重奏が美しいですね」
「ええ。『三角錐』と同時進行で作ったので、『三角錐』の演奏スタッフで、美しくまとめてくれました。サックスの1つはSHINですが、他は私の友人やスタジオ・ミュージシャンの方たちです」
 
実際にはフルートは、七星さんと私の実フルートに和泉のキーボードである。サックスはSHINさんと七星さんの実サックスに私のウィンドシンセである。
 
「それから今回は3曲とも5声なんですね?」
「はい」
「4つ目の声は、水沢歌月さん、5つ目の声は、『歌う花たち』の6番目のパートを歌っていた方ですね?」
「そうです。『三角錐』とこのシングルは実は同時進行で制作したので、この方には、あの歌唱に参加してもらうのと同時に、この3曲にも参加してもらいました」
 
「事務所の関係者ですか?」
「私の古い友人のひとりです。今回のアルバム・シングルの音源制作では、私の個人的な人脈にかなり頼っています」
 
「この方も度々KARIONの音源制作、あるいはライブなどに参加しておられるのでしょうか?」
「初期の頃、かなり参加してもらいました。最近ではあまり入ってなかったのですが、5周年ということでお呼びしました」
 
「今後は度々参加なさるのでしょうか?」
 
「その時に彼女の時間が取れたらということになるかと思います」
「一般人の方ですか?」
「当時はスタジオミュージシャンをしていて一部の楽器を弾いてもらったこともあるのですが、現在はもうスタジオミュージシャンは辞めてますね」
 
和泉が「嘘」にならないようにうまく説明しているのをテレビで見て、私も政子も感心していた。
 
「同時に作った音源でキャンドルラインは80万枚のトリプルプラチナ、『三角錐』は現時点で120万枚のミリオン行っていますが、今回のシングルはどのくらい行くと思いますか?」
 
「それは何とも。買ってくださる方々に感謝しております」
 

「KARIONの次のシングルはいつ頃出る予定ですか?」
「4月に出す方向で調整中です。但し4人がちゃんと大学を3月で卒業できたらという前提でですが」
 
「4人というのは、つまり水沢歌月さんを含めて4人ですか?」
「そうです。次のシングルにも当然歌月は参加してもらいますので。ちなみに歌月というのは、あくまで作曲クレジットに付ける名前なので、歌に参加したりピアノを弾く時は、私たちは彼女を『らんこ』と呼んでいます」
 
記者席がざわめく。
 
「『らんこ』というのは御本名ですか?」
「いいえ。KARIONというユニットの中での呼び名です。実は以前にも説明したように、KARIONは、最初、いづみ・みそら・ラムコ・こかぜ、と尻取りになる名前の4人でデビューする予定だったのが、直前にラムコが離脱してしまったので、歌月を結果的にはその後釜として入れた形になったのですが、尻取りになるのを維持しようというので、私たちが勝手に彼女を『らんこ』と呼ぶことにしました」
 
記者席が爆笑になる。
 
「じゃ『らいこ』ではなく『らんこ』だった訳ですか?」
「そうですね。初期の頃、実は『らいこ』というメンバーが居たのではというのがネットの噂になっていましたが、惜しかったですね」
と言って和泉は笑顔を見せた。
 
「ちなみに、非常にレアとされているKARIONの『4分割サイン』は、Kをこかぜ、Aをらんこ、Rをみそら、Iを私が書いた上で、ONの飾り文字は私とらんこで書いたものです。書いたのは全部で20枚くらいしか無いと思います」
 
結構この話でも記者席はざわめいていた。
 
「らんこさん−水沢歌月さんが加わって4分割ということは、あのサインは2007年の日付のものしかネットでは確認されていませんが、もしかしてそれ以降に書いたものも存在しますか?」
 
「今年も2枚書きました」
と和泉が答えると、記者席はかなり騒がしくなった。
 
「ラムコさんが入った四分割サインは無かったんですか?」
「4枚だけ書きました。らんこが入った4分割サインとはデザインが異なるんですよ。所有しているのは、私と歌月と、あと2人、あるミュージシャンの方です」
 
と言ってから
 
「紛失なさっていなかったらですが」
 
と付け加えると、記者席で笑いが起きた。
 
そのあと2人というのはEliseとLondaなのだが、LondaはともかくEliseの方は残っているかどうか怪しい気がした。Eliseは政子と同様に忘れ物・落とし物の天才である。
 

この記者会見の日以降、KARIONの多くのファンサイトで「謎のメンバー・らんこ」
というトピックスが作られていた。各サイトで推測した、各楽曲の歌っている部分の研究や、ピアノスキル、よく使用されている演奏パターンなどの話題のほか、「きっとこんな顔」などという想像図などまで掲載する所もあった。
 
ただ、どこのサイトでも出た意見として
「らんこちゃんって、物凄く歌が上手い」
「いづみちゃんとほぼ同格の歌唱スキル」
 
というものがあった。
 
「らんこちゃん、好きかも」
などという「らんこ押し」のファンまで発生していた。
 

「でもエルシーさんはKARIONの音源制作とか、ローズ+リリーの音源制作とかに参加しても、専属契約には違反しないの?」
と政子は訊いた。
 
「表だって名前をクレジットしないことと、スリーピーマイスの仕事を優先するというのに反しない限りはOKという条件であそこの事務所とは契約しているらしい。これ、ティリーもレイシーも同様なんだって」
「へー!」
 
「ティリーもレイシーも同様に昔からの付き合いの所に時々顔を出しているみたいということだけど、あの3人、お互いに他の子のことはよく知らん、と言っているね」
「まあ、それはあの人たちらしいね」
 
「ユニットって、私たちやXANFUS, KARION みたいにお互いに仲良しという状態が維持しやすいユニットと、スリーピーマイスみたいに、それぞれが自由という状態の方が維持しやすいユニットとがあるのかもね」
 
「ああ、それは夫婦関係なんかもそうだよね」
「うんうん。仲良し夫婦もお互い浮気し放題夫婦も長持ちする。中途半端がダメ」
 
「スターキッズは明らかに後者だよね。みんなスタジオミュージシャンとして活動してるもん」
「だから、UTPとは委託契約にしたんだもんね」
 
「スイート・ヴァニラズは仲良し型だね」
「うん。あの人たちはプライベートと仕事の境界線が曖昧っぽい」
「私たちまで巻き込まれるもんね」
「飲むぞ、来い、なんて言われて行ってみて、美来(光帆)が居たりすると『おぉ!』と思うから」
 

ところで政子は小さい頃に少しヴァイオリンを習っていたのを中断していたのだが、大学1年の秋に唐突に「練習してみよう」と言って、10年ぶりくらいに練習再開。その後、ぐんぐん上手くなっていったのだが、あくまでひとりで練習していたので結構自己流であった(明らかに悪い癖などは私が指摘して修正した)。
 
しかし大学4年の夏以降、卒論の作成で音楽活動を(公式には)休止したことから、少し時間のゆとりが出たので「少しちゃんと習ってみようかな」などと言って、ヴァイオリンのお稽古に通い出した。
 
その先生というのが、私の従姉のヴァイオリニスト・蘭若アスカが教えていた高校生の女の子、真知子ちゃんだった。アスカに付いているだけあって、物凄くうまい子だった。高校生ではあるが既に国内のヴァイオリン・コンクールに何度も出場し、けっこう大きな大会での入賞も経験していた。小さな大会では3回優勝したことがある。
 
政子は6つも年下のその子に、ちゃんと敬語で話していた。でも向こうも年上の生徒ということで敬語で話してくれていた。
 
「政子さん、左手に少し力が入りすぎている気がします。もっと柔らかく左手を使うイメージで行きましょう」
「ああ、それたびたび、冬にも注意されてたけど、なかなか直らなくて。でも真知子さんにも言われたし、直すの頑張ってみる」
 
やはり、私との間では甘えが出てしまうのが、他人の先生から指摘されると、しっかりやる気になるようであった。
 
「演奏能力は高いと思うので、弾き方を少し直していけば、かなり良くなると思いますよ。既にアマチュア楽団のヴァイオリニストとかのレベルは超えてると思います」
とも真知子ちゃんは言っていた。
 
「オーケストラのヴァイオリンって、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがありますよね。私って、どちら向きだと思います?」
と政子が訊いたが
 
「愚問です。政子さんは第2ヴァイオリンの入団試験受けたら確実に落とされます。第1ヴァイオリンしか弾けないタイプです。冬子さんのヴァイオリンは柔軟だから、第1でも第2でも弾けちゃうんですけど、政子さんの弾き方は強烈だから」
と真知子は言っていた。
 

「・・・真知子さん、冬の中高生時代を見てます?」
「ええ。私がアスカ先生に付いたのって、冬子さんがアスカ先生にヴァイオリン習いだしたのと同じ頃なんですよ。何度か一緒に練習したこともありますし」
 
「冬って、いつもセーラー服着てました?」
「ええ。中学生の時はずっとセーラー服着てましたし、高校になってからは高校の制服着てましたね」
「それ、女子制服ですよね?」
「もちろん。私、冬子さんが男の子だなんて全然知らなくて。でもアスカ先生にびっくりしましたーと言ったら『あれ、言わなかったっけ?』と」
 
「うーん・・・・どうも、冬はそのパターンが多い」
「あ。でもあれ?と思った時期があって」
「ん?」
 
「高校に入って間もない時期、なぜか冬子さん、中学の時のままのセーラー服を着てたんですよ」
「あれ?高校に入られたんですよね? 高校の制服着ないんですか?と言ったら、『まだ高校生を名乗れるほどヴァイオリンが上達してないから、今練習している曲を弾けるようになったら高校の制服着る』なんて言って」
 
「へー」
「でも夏が近づいて着た頃、高校の夏制服を着ておられたんで、『あ、練習していた曲が完成したんですね?』と訊いたら『うん。何とか自分で満足できる出来になった』と嬉しそうに言っておられました」
 

「といった話を真知子ちゃんから聞いてきたんだけどね」
と政子は言った。真知子との会話をまるで録音でもしたかのように再現してみせてくれた。
 
「で?」
と私は訊く。
 
「これはさあ、推測するに、冬ってもしかして高校に入ってすぐは女子制服を作ってなくて、中学の時の制服をそのまま着ていたのではないかと。でも夏服に衣替えする時期に夏服を作り、その後、秋に冬服に戻す時に冬服を作ったのではないかと」
と政子は説明する。
 
「へー。凄い推理だね」
「そういうことじゃないの?」
 
「いや、私が高校の時に作ったのは夏服だけだよ」
「だ・か・ら、もうそういうバレてる嘘はつかないでよ。話がややこしくなる。冬が実は冬服の制服も持っていたことは数々の状況証拠により既に明らかになっているんだから」
と政子は怒ったような顔で言った。
 
「で、その作った冬服をどこに隠しているのかも告白しなさい。私だいぶ探したのにどうしても見つけることができない。見つかるのは唐本のネーム入りの夏服と卒業式の日に琴絵からもらった山城のネーム入りの冬服だけ。唐本のネームの入った冬服も絶対あると思うのに。冬の性格からして捨てたりはしないだろうから」
 
「最初から存在してないものは見つからないでしょ。そういう無駄なことに力を使わずに、ピアノの練習でもしたら?」
 
「いーや、絶対に存在している。冬は絶対、冬服の女子制服も着ていたに違いない」
と政子は力説した。
 

11月16日の朝、政子のiPhoneが鳴っていたので「マーサ、電話!」と私は叫んだものの、政子は熟睡しているのか起きてこない。画面を見るが未登録の電話番号のようである。とりあえず私が取った。
 
「おはようございます。中田です」
「あれ?冬子ちゃん?」
という声は、政子のボーイフレンド(?)の貴昭である。
 
「あ、政子寝てるんだよ。夕べ遅くまで詩を書いてたみたいで。ちょっと待っててね」
と言って、私は寝室に急ぎ
 
「マーサ、貴昭君から電話」
と言って起こす。
 
「え?」
と言ってさすがに起きて、居間に行き、電話を取った。
 
「もしもし、ごめーん。寝てた」
と言って話し始める。
 
どうも政子の発している言葉を聞いていると、貴昭君が東京に出てきたので、もし時間が取れるなら食事でもしないかと誘っているようである。でも政子は少し迷っているようだ。
 
それで私は政子の脇の下をくすぐってみた!
 
「ちょっと何すんのよ?」
と政子はiPhoneを落として言う。
 
「私が電話してる時、いつもこんなことマーサするじゃん」
と言って、私がそのiPhoneを取ると
 
「松山君、デートはOKと言ってるよ」
と言った。
 
「あ・・・・」とまだ少し迷っているような政子。
 
「卒論も既に終わってるんだし、行っといでよ」
と私は政子に言って、iPhoneを返した。
 
「そうだなあ」
と言って政子は電話を受け取ると、
「じゃ、11時に新宿のハチ公前で。あ、違った。ハチ公は渋谷だ!」
 
とても東京に15年も住んでいる人の言葉とは思えん!
 
でも結局待ち合わせ場所は、コージーコーナーの飯田橋ラムラ店、現地集合となったようであった。しっかり食べる態勢である!
 

政子が「一応」という感じの割と適当な感じのメイクをしてから出かけた後、(出がけに避妊具を渡したら「貴昭が持ってるとは思うけど念のため持ってく」
と言っていた)私はノーメイク(化粧水と乳液のみ)でユニクロのTシャツとジーンズを穿くと、楽器倉庫と化している部屋の天井の板を外し! そこから古いヴァイオリンケースを取り出した。中のヴァイオリンを取り出してチェックし、弦を交換する(普及品のナイロン弦を張った)。それから楽器をケースに戻すと、それを持って外出した。
 
政子は地下鉄に乗って飯田橋方面に行ったが、私は少し時間差で同じ地下鉄の駅まで行き、反対方面に乗って、中野に出た。駅の近くのホールに行く。
 
ここでこの日行われるコンクールに参加するのである。申し込みは先月の内に済ませてあったので(事前提出した音源で予備審査に合格している)、入口の受付の所で名前を言い、リストにあるのを確認してもらい、17番という番号札をもらって、会場の中に行こうとした時・・・
 
「あ、ちょっと待って」
と受付の後ろの方に居た、上等の背広を着た50代くらいの男性が言った。どうも今日のコンクールの主催者である楽器メーカー系音楽教室の割と偉い人のような感じだ。
 
「あなた、どこかで見たような気がした。ひょっとしてローズ+リリーのケイさん?」
「はい、そうです」
と私は笑顔で答える。受付の女の子が『あっ』という表情をしている。
 
「えっと、あなたのような方がこんなコンクールに参加するって、テレビの企画か何かですか?」
「いいえ。その手のものではありません。ただ、私にヴァイオリンを教えている先生が、私がヴァイオリンの大会の類に一度も参加したことがないと言ったら、一度力試しに出てごらんよ、と言われたので参加させてもらうことにしました」
 
「ああ。なるほどね。この大会は評価点数を全員に通知するから、そういうのには良いかも知れないね。どこかからの推薦でしたっけ?」
「いえ、事前審査から受けました」
「おぉ。それにパスしたんだ?」
「はい」
 
この大会は、事前に演奏を録音したカセットテープまたはUSBメモリを送って事前審査してもらいパスする以外に、***音楽教室本部から推薦された人も出場できることになっている。推薦される人は地方大会などの成績優秀者が多いが特別な事情での推薦もある。
 
「でもあなた、ヴァイオリン奏者としてレコード会社などと契約してませんよね?」
 
「はい。私は★★レコードさんと、歌手および作詞作曲家としての契約はありますが、ヴァイオリン奏者としての契約はありません。自分が参加しているユニットのCDでヴァイオリンは弾いていますが、あくまで伴奏の範囲ですね」
 
「あなたがヴァイオリンを弾いたCDのリストありますか?」
「念のため用意してきています。ただ、名前を出さずに弾いたものが大半でして、音源製作の制作側との契約で、参加していることを公開できないものがほとんどなんですよ。どこか他の方が見ていない所で、そちら様だけにお見せするというのでもよいでしょうか?」
 
「分かりました。こちらにおいでください」
と言って、その人は、私を会場の中の空いている楽屋に案内した。それで私がリストを見せると
「えーーー!?」
と驚きの声をあげた。
 
「じゃ、あなたってもしや・・・・」
「そのことは★★レコードでもトップシークレットなので口外しないようにしていただけませんか?」
「分かりました。私の胸だけに留めておきます。でもあなたの参加資格は私が確認して承認したということにします」
 
と言って、その人は音楽教室の取締役の名刺をくれた。
 
「でも普通の人はあなたはただの歌手と思ってますよね?」
と取締役さんは笑顔で言った。
 
「でしょうね」
「その意味でもあなたの参加資格に疑念を持つ人はいないでしょう」
「ありがとうございます」
「まあ、頑張ってください。20位以内くらいに入れるといいですね」
「頑張ります」
 
このコンクールで20位以内に入ると、記念のメダルをもらえるのである。
 

その日の参加者は50人ほどであった。1人の持ち時間は5分で途中休憩を挟みながら5時間超もの長丁場である。しかし私はみんなの演奏をしっかり聴いていた。
 
私は17番だったので、始まって1時間半ほど経ったところで順番がきた。
 
「東京都**市からおいでの唐本冬子さんです」
と司会者の人が紹介してくれて、ステージ中央に出て行く。客席で「え?」
みたいな顔をしている人が、そこかしこに居た。
 
気にせずヴァイオリンを持ち、大会側で用意されているピアノ伴奏者の人にお辞儀をすると、伴奏が始まる。ヴァイオリンを弾き始める。
 
いつも弾いている《Rosmarin》と違って、安いヴァイオリンなので音の鳴りがあまり良くないが、そのあたりは、安いヴァイオリンなりの音の出し方をして弾いていく。軽自動車を運転する時、普通乗用車に比べてパワーが無いのをアクセルワークとシフト操作でカバーするような感覚だ。
 
演奏曲目は今年、アスカと一緒に夢にも見るくらいに練習したモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 K219』第1楽章である。
 
私の素性に気づいた人たちも私が一般受けする曲ではなく本格的な曲を弾き始めたせいか「ひゃー」という表情をしている。
 
私は普段のライブなどでは結構笑顔でヴァイオリンを弾いているのだが、さすがにこの曲では笑顔まで作る余裕が無い。自分の顔の表情など忘れて、ただ単に演奏だけに集中して弾いていた。
 
この楽曲は全部弾くと10分ほどあるのだが、大会規定で演奏は5分以内と定められているので、私は4分半ほど弾いた所で区切りのいい所で伴奏者の人とアイコンタクトで演奏を終了した。
 
なんだか凄い拍手をもらった。私は笑顔になって、会場の審査員の人たちと観客に向かってお辞儀をし、ステージを降りて自分がそれまで座っていた席に戻った。
 
ヴァイオリンをケースにしまっていたら、隣に座っていた30代くらいの女性が
「ケイさん、こんなにヴァイオリンが上手かったとは驚きました」
と声を掛けてきた。
 
「ありがとうございます」
と私は笑顔で答えた。
 

割と早い順番だったので、その後3時間以上、みんなの演奏を聴く。
 
休憩時間にサインを求めてきた人がいたが
「今日はアマチュアのヴァイオリン学習者として来ているので」
ということでお断りさせてもらった。
 
やがて全員の演奏が終わり、審査のための休憩時間に入る。私はトイレにも行かず、座席に座ったまま目をつぶって審査を待った。
 
そういえば小学生や中学生の頃に合唱のコンクールで来ていてトイレで少し揉めたなあ、というのを思い出し、ちょっと心の中で微笑んだ。
 
考えてみると私は男子トイレに入って「女の子は女子トイレに行きなさい」と言われたことは数多くあるけど、女子トイレに入って性別をとがめられたことは一度も無い。もっとも女子トイレで「あんた男では?」と言われると、そのまま警察に突き出される危険もあるけどね!
 
やがてステージに机が置かれ、賞状を入れたお盆も置かれた。
 
私に入口の所で声を掛けた取締役さんが壇上に上った。
 
「20位から順番に発表します」
と司会の女性が言い、順番に名前を読み上げた。私は自分としては割と良いできだった気がしたので何とか10位以内に食い込んでないかなと思って発表を聞いていた。時々「きゃー」といった歓声が上がっている。ああいう喜ぶ様を見るのはこちらも嬉しくなる。ああいうのも、小学中学の合唱コンクールで見たなあと思って、昔のことを思い起こしていた。
 
10番までの中には私の名前は無かった。少し緊張する。9位、8位、7位と進むが呼ばれない。あぁ。ダメだったかなあ・・・と思う。私はセミプロとみなされて少し採点が厳しくなったのかも知れないという気もした。
 
やがて5位からは壇上に呼ばれて表彰される。
 
5位になったのは30歳くらいの男性だった。雰囲気的に勤め人さんっぽい。凄く嬉しそうだ。こちらも心がほころぶ気分だ。4位は中学生くらいの女の子。3位も高校生くらいの女の子だった。やはり若くてうまい人がたくさんいたからなあとも思う。そして私は「アスカさん、入賞できなかった。ごめんねー」と心の中で言っていた。
 
2位は中学生くらいの男の子だ。その子の演奏は凄く印象が強かった。『ツィゴイネルワイゼン』を弾いたが、解釈が物凄く深くて、いろいろ気づかされることの多い演奏だった。
 
その2位の子の表彰が終わってから、司会の人が
「それでは最後に1位、今日の大会の優勝者です」
と言ってから一息置き
「第**回***ヴァイオリンコンクール、優勝、唐本冬子さん」
と言った。
 
へ?
 
私は思わず周囲を見回した。隣に座っていて今日何度か言葉を交わした30代の女性が私の方を見て、拍手をしている。
 
私はヴァイオリンケースを座席に置き、席を立ってステージに上った。取締役さんが笑顔であらためて
「第**回***ヴァイオリンコンクール、優勝、唐本冬子。右の者は頭書の成績を収めたのでこれを賞す、***音楽教室理事長****」
と賞状を読み上げて
 
「おめでとう」
と言って渡してくれた。
「ありがとうございます」
と言って私は笑顔で賞状と、記念の楯を受け取った。
 

コンクールが終わってから会場を出ようとしていたら、取締役さんが近づいてきて
「ちょっと、ちょっと」
と言って私を端の方に連れて行った。
 
「君の参加資格を認めたことをちょっと後悔したよ」
と笑って言っている。
 
「済みません。優勝しちゃって申し訳ないです」
「まあ、アマチュアの大会はこれを最後にして、次はプロの大会に出て」
と取締役さんは笑顔で言う。
 
「むしろプロの資格が無いもので。私音楽大学のヴァイオリン科とかも出てませんし」
 
「君は♪♪や芸大のヴァイオリン科を卒業した人のレベルあるよ。でもこの大会に優勝したので、プロ大会に参加する資格は得られたと思う」
「ありがとうございます」
 
「だけど、随分安っぽいヴァイオリン使ってたね。君ならもっと良いの買えそうなのに。というか、良くあの安物であの音が出せる、って審査員が皆感心してたんだよ」
 
「ヴァイオリンを練習し始めた頃のを持ってきたんです。今日は初心に戻って演奏しようと思って」
 
「ああ、なるほど! じゃ、来年春の***ヴァイオリン・グランプリには普段使っている方のヴァイオリンで出てこない? 招待状送るよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
 
と言いながら私は焦っている。練習時間取れるかな?
 

私が少し強引にこの大会に出場したのは、実はアスカのためであった。
 
アスカは近々渡欧し、大きなヴァイオリン・コンクールに出場することになっており、実は国内の某私立大学から、そのコンクールで3位以内に入ったら准教授の職を用意するというのを内々に提示されている。(准教授とは言っても、集中講義のような形で教えれば良いだけで、演奏活動優先で良いらしい。要するに大学側がアスカの名前を学生募集の宣伝に使いたいということのようである)
 
しかしここにひとつ問題があり、そこの大学の内規で、准教授または講師として採用する人は、自身の弟子・生徒が2人以上国内のプロ奏者あるいは最上級のアマ奏者レベルの大会で優勝または「最終出場者数の5分の1以上の成績」
を収めたことがなければならないということになっている。
 
アスカの生徒の内、真知子が既にこの条件をクリアしている。しかしアスカはこれまで自分の練習を優先していたので、指導している子の中でそういう優秀な成績の実績がある子が他に居なかったのである。それでアスカから
 
「冬さあ、ちょっと大会に出て、ちょっと優勝してきてくれない?」
などと言われて、この大会に参加したのである。
 
私はさっきの取締役さんにも言ったように、音楽大学のヴァイオリン科も出ていないし、スズキメソードのような評価の定まったヴァイオリン教室なども卒業していないので、プロレベル奏者の大会に出たいと言っても門前払いされてしまう。それで参加資格が緩くて、レベルとしてはハイレベルなこの大会に出たのである。
 
一応この大会は参加者数が50人(予備審査に応募した人は150人くらいだったらしい)だったので、10位以内に入ればアスカの条件をクリアすることができるはずだった。それでそのくらいの成績を狙っていたのだが、優勝というのは自分でもびっくりした!
 
しかし優勝してしまったからには、このままプロ奏者レベルの大会には出なかったら「からかいでちょっと出たりしないでほしいなあ」などと言われそうだ。適当なプロ奏者レベルの大会に出る必要が出てきたみたい!! 取締役さんからも招待状送るなんて言われたし。
 

上島先生・雨宮先生が所属しておられるワンティスというバンドは2001年6月に結成され、多数のヒット曲を生み出した後、2003年の12月にリーダーで作詞者の高岡さんの事故死により活動停止した。
 
しかし2013年4月、ワンティスの作品の大半は実は高岡さんではなく、高岡さんの婚約者で2003年12月に高岡さんと一緒に事故死した長野夕香さんが書いていたことを上島先生と雨宮先生が公表。それとともに大きな騒動が起きたあげく、ワンティスは10年ぶりにアルバムの制作をすることになった。
 
アルバムは初期の高岡さんの作品を集めた『Wang-Tiss from T』と、夕香さんの未発表作品を集めた『Wang-Tiss to Y』という仮称で計画されたのだが、最終的に高岡さんの作品の方は『レッドアルバム』、夕香さんの作品の方は『グリーンアルバム』というタイトルで発売された。
 
「まあビートルズの『ホワイトアルバム』のパクリね」
 
などと雨宮先生は言っていた。実際のアルバムジャケットも、薄い赤の地に黒字で『Wang-Tiss』と入っているものと、緑の森の背景に白字で『ワンティス』
と入っているものであった。グリーンの方も無地にしたかったらしいが、それでは、色覚障碍者の人が買い間違えるという意見で無地と森の絵で分け、文字も英字とカタカナで分けたのだそうである。
 
音源制作は5月から10月まで6ヶ月掛けて行われたが、実際に全員が集まって収録したのは数回しか無かったらしい。みんな忙しい人ばかりなので集まれる範囲の人が集まり、その場にいなかった人の分は別録りして重ねたという。
 
この音源制作では亡くなった高岡さんの代わりのギターは元クリッパーズのnakaさんが弾き、コーラスは元々のワンティスのメンバー支香さんと上島ファミリーの歌手・百瀬みゆきさんが入れた。声質が亡くなった夕香さんに比較的近いことから上島先生が推挙したものであった。なお歌のメインボーカルは上島先生と雨宮先生がふたりで務めた。
 

「ワンティスが活動していた頃ってさぁ、私たちは小学4年生から6年生だよね」
と政子はソファーに裸で寝転がったまま言った。なぜ裸だったかは置いといて。
 
「高岡さんと夕香さんの事故のニュースは覚えてるよ。年末ほんとに押し迫っていたし。ワンティスがRC大賞とか紅白歌合戦とかに出てくるのを楽しみにしていた時だったしね」
と私はワーキングデスクで(一応着衣で)オーケストラのアレンジ譜を書きながら答えた。
 
卒論はもう完成して印刷に回している所である。
 
「紅白歌合戦史上、ただ一度、出演者が出てこなくて録画された映像が流された事件だったね」
「あの年は視聴者票も会場票も白組の圧勝だったね」
 
「不祥事を起こしたアーティストということで出場停止扱いにすべきだという意見と、追悼をすべきだという意見で、NHKの幹部も意見が割れて凄い激論だったらしいね」
「最後は会長のトップ決断だったらしいけどね」
 
「瞬間視聴率も無茶苦茶凄かったらしいね。音と映像が流れるだけなのに」
「あの視聴率記録は破られることは無いだろうとも言われてるね」
 
「それで、その頃って、冬はどんな女の子だったのかなあ」
 
「え?その頃は男の子として過ごしてたけど」
「そういう嘘を言うのは、そろそろ止めようよ。ほら、こういう写真を入手したんだから」
 
と言って政子がiPhoneに表示させてこちらに見せているのは、可愛い女の子水着を着た、私の写真だ。
 
「ぶっ。どこからそんな写真を入手したの?」
「情報源は秘密」
「もう・・・流出させないでよね」
 
「大丈夫、大丈夫。私は間違って消してしまうことはあっても流出させることは無い」
「そうかも知れないけど」
 
「他にも、こんな写真があってね」
と言って政子はiPhoneを操作していたが・・・・
 
「あれ?」
「どうしたの?」
「画面が落ちた。あれ?スイッチ入らない」
「バッテリー切れ? 電源につないでみたら?」
「・・・つないだけど音が鳴らない」
 
「・・・壊れたのかもね」
「えーん。これ4月に交換したばかりなのに〜」
「大学に入ってから6回目の故障かな」
「さっきの写真バックアップ取ってないのに」
「まあ消えたものは仕方ない」
 
「もういっそギャラクシーかアクオスに乗り換えちゃおうかな」
「同じことのような気がするけど」
 

ワンティスの2枚のアルバムは11月20日に発売された。発売記者会見には上島先生、雨宮先生、三宅先生の3人が出てきていた。
 
「レッドアルバムは本当にワンティス初期の頃のロック色の強い作品、グリーンアルバムの方は多くの人がワンティスサウンドだぁと思うようなポップな作品が多い感じですね」
 
「今回作曲は全員で分担してやっていて、事前に特に何か申し合わせたことはないのですが、結果的にそういう雰囲気になりました」
 
「一部外部の作曲家の方が書いたものもあるようですね」
「ええ。一挙に24曲で、しかも10年ぶりのワンティスのCDということで質の高い作品を求めたので、他の作曲家の方のお力も借りました」
 
「桜島法子さん、田中鈴厨子さん、マリ&ケイさん、水沢歌月さん、樟南さん、など錚錚たる顔ぶれですね」
「ありがたいです」
 
「中でもグリーンアルバムの中の長野夕香作詞・上島雷太作曲『トンボロ』とレッドアルバムの中のTT作詞・FK作曲『恋をしている』が初動ダウンロードが凄かったようですが」
 
「どちらもとても美しい作品ですね」
と三宅先生がにこやかに答える。
 
「トンボロというのはどういう意味ですか?」
「満潮の時は水没しているけど、干潮になると島とつながる道が現れるという地形のことです。恋人と心がつながるような、つながらないような微妙な状況を歌ったものです。これは夕香が大学生の頃、高岡と恋人になりたての頃の作品のようです」
 
「これのPVで出てる景色はどこですか?」
「小豆島のエンジェルロードという所です。ほんとに美しいトンボロなんですよ」
 
「『恋をしている』の方ですが、TT作詞・FK作曲というクレジットになっていますが、TTは高岡さんですか?」
 
「はい。高岡猛獅のイニシャルだと思います。残されていた筆跡が確かに高岡のものですし。記入されていた日付2002年8月4日という日付を鑑みて、おそらく、これが高岡の最後の作品だと思います」
と上島先生が言うと、記者たちはざわめいた。
 
「当時は発表する予定は無かったのでしょうか?」
「高岡が机の中の秘密の引き出しに隠していたんです。その引き出しの存在自体お父さんがこの夏に気づいたんです」
と雨宮先生が補足すると、記者たちは更にざわめく。
 
「これは私の推測なのですが、当時はもうワンティスの曲の詩は夕香さんが書く流れが出来てしまっていたので、自分の作品が存在すると無用の混乱を招くと思い、夕香さんにも見つからないように隠して封印していたのではないかと思います」
と上島先生は言った。
 
「ほかの高岡さんの作品とは雰囲気が少し違う気がするのですが」
「高岡は2001年の秋頃から全く詩が書けなくなってしまって、恐らくは1年間悩み続けた末に辿り着いたのがこの詩ではないかと思います。壁を越えるべく新しい世界を模索した試作品なのかも知れません」
 
「この作曲者のFKというのは?」
 
「実はそれが誰か分からないのです。一緒に残されていたメモには『今日面白い女の子に会った。その子と一緒にこの素敵な作品を作った』と書かれていました。ですから、本当はその作曲者の女の子というのに許可を取って出すべきなのでしょうが、これだけの情報では本人を特定することが不可能なので、この作品を発表し、心当たりのある方は連絡してほしいとすることにしました。この曲の作曲印税に関しては銀行に『FK』名義の口座を作ってそこにプールさせてもらうことにします」
 
と上島先生は語った。
 
「つまり譜面も一緒にあったのですか?」
「そうです」
「その譜面の筆跡を見たら本人かどうかの識別がつかないでしょうか?」
「そう思っています。ですから、照合の必要性が出てきた時のために、この手書き譜面は公開しないことにします」
 

「謎の女の子かあ、ちょっとロマンだね」
と政子はテレビの記者会見を見ながら言った。
 
「そうだね。でもその女の子に会ったというの自体が夢か幻だったりして」
と私が言うと、政子はハッとしたような顔をした。
 
私が近くのレターパッドを取って渡すと、政子は左手の指を3本立て(サンキューのサイン)、集中して愛用の青いボールペンを走らせた。のぞき込むと『幻の少女』
というタイトルが付いていた。私は政子の身体にガウンを掛けてやった。
 
詩を書き終わると政子は「作曲よろしく〜」と言って詩とボールペンをこちらに寄こす。私が五線紙にメロディーラインを書いていたら、政子は後ろから抱きついて来て、首筋にキスしながら言った。
 
「でも今の記者会見でも言ってたけど、その高岡さんの最後の作品、他の作品とは随分毛色が違うよね」
「うん、かなり違うね」
 
「それまでの作品って凄いけど難解だった。でも『恋をしている』は凄いのに分かりやすい。ある意味、高岡さんが辿り着いたひとつの境地だと思う。他にもそういう作品無いのかなあ」
「どうだろうね。高岡さん、どこかに隠してたのかもね」
 

「今回のアルバム発売記念のワンティスのライブの予定は無いのでしょうか?」
という記者の質問に対して、加藤課長が答えた。
 
「ワンティスのメンバーが全員とても多忙で、一緒に集まってライブをするというのは困難な情勢です。それで、代わりに代替メンバーでのライブというのを計画しています」
 
「代替メンバーですか?」
「春にローズ+リリーのCDにワンティスが伴奏をした『疾走』を入れたのと、今回の音源製作でローズ+リリーの事務所であるUTP所属のnakaさんにギターを弾いてもらった縁で、ローズ+リリーに監修をお願いしました」
 
「ローズ+リリーが歌うのですか?」
「歌は上島先生と雨宮先生のデュオで歌って頂きます。ローズ+リリーのマリさん、ケイさんはあくまで監修、プロデューサー役です。上島先生や雨宮先生あるいは三宅先生のお時間が取れればいいのですが困難なので」
 
「すると楽器は誰が演奏するのですか?」
 
「現在調整中です。後日発表させて頂きます」
 
と加藤さんは言う。
 
「代替バンドのライブ日程は?」
「12月27日金曜日。高岡さんと夕香さんの命日ですね。場所は東京武芸館です。チケットは今度の日曜日24日から発売します。料金は全席指定税込9870円です」
 

「あれ?私と冬が監修するの?」
と政子は私に訊いた。
 
「そうだよ。先週町添さんとお茶しながらそういう話をしたじゃん」
「あ、私詩の着想が得られて、それを頭の中でまとめてたから話聞いてなかった。面倒なことは冬がやってくれるだろしう」
「はいはい」
 
と私は笑って答えた。
 
「でも武芸館なんて、そんな大きな箱でやって、人集まる? 9870円なんて随分高いしワンティスが出るわけでもないのに」
 
「むしろ代替バンドだからその値段に押さえたんでしょ。本物のワンティスが出るならもっと高いよ。でも上島先生と雨宮先生が出るのは大きい。この手の復活ライブって、しばしば忙しい人が出ないのが通例だけど今回は、一番忙しい2人を引っ張り出せたのが凄い。2度と無理かも知れないけどね。それに、こういう形のライブをやれば他のメンバーも演奏はしないにしても、顔出しくらいはするんじゃないかって、みんなが期待するでしょ?」
 
「へー。出るの?」
「内緒。だいたい本来のワンティスは高岡さんが居ないから演奏不能。nakaさんの代理演奏ではファンは納得しない。いっそのこと全部代替の方がいいんだよ、こういう場合」
「あぁ、それはそうかもね。冬〜、私、詩を書いたらお腹空いた。フライドポテト揚げて」
「はいはい」
 
私は微笑んで編曲の手を休め、アイランドキッチンの方に行った。
 

大学に出て行ったら同級生の男子数人から声を掛けられた。
 
「ね、ね、ワンティスの代替バンドってどこがするの?」
「まだ決まってないよ」
 
「昨日**たちと飲みながら議論してたんだけどさ、ワイルズ・オブ・ラブ説、ドリームボーイズ説、若手バンド説に集約された」
 
「ドリームボーイズは去年解散したじゃん」
「いや、かつてのライバルのためには一時再結成するんじゃないかと。別に喧嘩別れした訳じゃ無いしね」
「まあリーダーの蔵田さんの燃え尽きって感じだったからね。本人的には1年休養して少しは体力気力回復してきているみたいだし」
「あ、蔵田さんと会った?」
「先月$$アーツの設立30周年パーティーにAYAの縁で招待されて行ったから会ったよ」
 
ドリームボーイズは当時ワンティスと人気を2分していたバンドで、AYAと同じ事務所に所属していたのである。年代的にはワンティスより少しだけ年上になる。
 
「へー。元気してた?」
「うん。本人的には元気。まあよくしゃべる人だね」
と私は笑いながら言った。私と政子とゆみを前に蔵田さんはロック論を1時間近くしゃべっていたのである。
 
「女の子の前ではよくしゃべるとは聞くね」
「私もちゃんと女の子に分類してもらえているのかな?」
「そりゃ、H可能なら女の子で問題無い」
「なるほど」
「俺だって唐本とデートしてみたいくらい」
 
「ありがと。でも松原珠妃さんを捕まえて15時間しゃべり続けたなんてのは伝説になってるしね」
「あれ、事実?」
 
「うん。松原さん本人からも聞いたよ。夕方6時から朝の9時までホテルのラウンジで語り明かしたというか一方的にしゃべりまくっていた、と。ホテルで一緒に一晩過ごしたとだけ言ったら、誤解されたと言って笑ってたけどね」
 
「あはは。でもドリームボーイズじゃなかったら、やはりワイルズ・オブ・ラブかなあ」
「ワンティスやドリームボーイズとは少し傾向が違うよね」
 
「そうそう。それがネックなんだよ。ワンティスもドリームボーイズも正統派のロックだけど、ワイルズ・オブ・ラブはヒップホップ系だから。そうなると若手なのかなあ」
 
「実際、大物なら最初から発表するんじゃない?」
「ああ。やはりそうだよね!」
 
「若手だと一番手に候補にあがってたのが、唐本たちの所のスターキッズ、次に一番旬の感じがあるバインディング・スクリューなんだけどね」
 
「どちらもそんなに若くは無いなあ」
と私は答える。
 
「ああ。年代的にはどちらもむしろワンティスと同世代だよね」
「実績が短いだけだよね」
「もっともワンティスだって2年しか活動してないんだけどね」
「うん。でもその2年の密度が濃すぎる。フルバンド形式のユニットでデビュー曲以来8連続ミリオンって記録は多分今後も誰も破れないよ」
 
「ローズ+リリーが歌った『疾走』もミリオン行ったから、実はミリオン9連発じゃないかという説もあるよね」
「ああ、その話は私も聞いた」
 
「大穴で超若手、ハイライトセブンスターズなんて意見もあったけどね」
「ああ、それは面白い。候補として提案しちゃおうかな」
 
ハイライトセブンスターズは現役高校生バンドで、まだセールス実績は無いものの、若者向けのラジオ番組で同世代の中高生たちから熱く支持されている。
 
「ほんとにまだ決まってないの?」
「調整中」
 
と私は笑って答えた。
 

ところで、この時期、私の従姉(正確には従兄の奥さんの従妹)のアスカは12月にドイツで開かれるヴァイオリン・コンクールに向けて猛練習をしていた。本番でピアノ伴奏をする私の友人・美野里、アスカの後輩で♪♪大学在学中の更紗、なども練習パートナーを務めていたが、私も時々アスカの自宅に行っては夜通しの練習に付き合っていた。
 
私が中学生、アスカが高校生の頃からしばしばやっていた形式で、ピアノとヴァイオリンを交代しながら、夜1時から朝9時までひたすら弾くというもので、一度更紗も挑戦したものの4時間で音を上げたらしい。
 
また、私が『女子中学生していた頃』からやってた練習というので政子が興味を持ち、
「当時の女子中学生の冬と、女子高生のアスカさんを再現してよ」
などと言うので、政子に同席させて、実際に私が中学の時のセーラー服、アスカも昔の高校の時の制服を着て練習したが、政子は私たちの格好を見て
「ふたりとも可愛い! 冬はほんとに可愛い女子中生だったんだろうな」
などと言って喜んでいたものの、私たちが演奏を始めると最初の10分!で眠ってしまった。
 
ところで、以前はこの練習をする時、私は中学の時からずっとアスカから借りていて高3の時に私が買い取ったヴァイオリン《Rosmarin》を使っていたのだが、ここしばらくは、アスカが《Rosmarin》の次にメイン楽器として使用していた18世紀の古楽器《Angela》を借りて演奏していた。
 
元々私と組んでの練習では、私自身の技量はアスカや更紗などには比べるべくも無いのだが、私が他人の演奏を無意識にコピーして演奏する癖があるので、それで私のヴァイオリン演奏を聴いて、アスカが自分の演奏の悪い所に気づくからというのがあった。しかしアスカの演奏がハイレベルすぎるのでRosmarinを使った演奏では「コピーの解像度が悪い」から、もっと良い楽器を使ってほしいと言われたのである。
 
一度アスカがメインに使っている《Luciana》も借りてみたものの、
「さすがに無理だね」
と私もアスカも言った。それにアスカがLucianaを酷使するから私が演奏している間だけでも、楽器を休ませたいというのもある。一応アスカは本番用のLucianaの他に、Lucianaの作家の楽器を「コピー」して現代の名工が作った楽器《Merinda》(100年乾燥させた木を使用したもので、これでも購入価格は1000万円)も練習用に使用している。私との8時間のぶっ通しの練習では、だいたい前半にMerindaを使って、後半乗ってきた所からLucianaを使っていた。
 
「冬、Angelaを弾きこなせてないと自分では言ってるけど、私にはかなり弾きこなしているように聴こえる」
とアスカは言った。
 
「そう? じゃこないだも言われたように、私このヴァイオリン借りちゃおうかなあ」
「いいよ。格安レンタルしてあげる」
「アスカさんの『格安』ってのも怖いなあ。年間1000万円くらいに負けてくれない?」
と私は言った。アスカはその言葉を少し考えているようであった。
 
「・・・・その金額だとレンタルというよりリースって感じだね」
「そうだね。レンタルなのかリースなのかは、そちらの税務処理の都合に合わせるよ」
 
実はアスカのお父さんが2年前に勤めていた証券会社を退職し、昨年と今年は一家の収入が激減していたのである。アスカは《Luciana》を買った時、支援者の製薬会社会長から3億円出してもらったものの、(親戚からの借金を含めて)自力で2億円調達しており、その時の借金がまだ半分以上残っていた。そのため、一時期はこの《Angela》の売却も考えていたようであった。ただ、アスカは数々のコンクールに入賞したこの楽器にかなりの愛着を持っており手放さなくても済むものなら何とか手放さずにおきたいと考えていた。
 
ヴァイオリニストというのは、金は掛かるのに収入はそれほどでもない困った商売である。
 
「じゃ年間1000万円で5年リースで」とアスカ。
「うーんと。その条件なら6年リースかな」と私。
「ま、いっか。じゃこの楽器の扱いについては6年後にあらためて協議ということで」
 
「了解、了解。で時々そちらに逆レンタルすればいいね?」と私。
「うん、お願い。レンタル料金は安くしてよ」とアスカ。
「じゃ、政子の食事代1回分で」
「それ、恐ろしすぎる!!」
 

ところで政子は中学時代に吹奏楽部でフルートを吹いていたのだが、高校に入って以降一度も楽器に手を触れておらず、大学1年の時にふと思い出してちょっと吹いてみようとしたものの、全く音が出なかったらしい。
 
それで私に「これあげる。一週間で覚えて」などと言って自分のフルートをくれたのであるが(現在は私たちの友人の所有になっている)、先日『花の女王』
のPV撮影の時に、篠笛を持っている所を見たら、そのまま吹いたら音が出そうな気がしたので「吹いてみなよ」と言ったら、ちゃんと音が出た。
 
「あれ〜、私、横笛吹けるのかも」
と言うので、私が現在使用しているフルート(ムラマツの総銀製)を吹かせてみたら、ちゃーんと音が出た。
 
「マーサ、フルートもまた練習してみなよ」
と少し唆したら
「やってみようかな」
と言うので、アドバイザーの七星さんと一緒に楽器店に買いに行った。
 
試奏もさせてもらった結果、政子はパールフルートの総銀モデルF-8800RE/IL(リングキー・Eメカ付き)を選んだ。オフセットとインラインは結構悩んでいたようだが
「こっちの方が見た目がいい」
と言ってインラインを選択した。
 
オフセットは吹きやすいが、インラインを持っているといかにも「吹ける人」
に見えるのが特徴である。七星さんも
「オフセットかインラインかは慣れの問題」
と言っていた。
 

2年半くらい前に、政子がヴァイオリンの練習をしているということを町添さんに言ったら
 
「ケイちゃんのピアノとマリちゃんのヴァイオリンでクラシック音楽の夕べとかでもやっちゃう?」
などと冗談(?)を言っていたのだが、この時期それを、やってしまった。
 
11月30日の土曜日、福島県の田村市文化ホール(座席数800)で
「唐本冬子・中田政子/クラシック音楽の夕べ」
などというものを開いた。
 
この催しのことはどこにも公表せず、ただ10月下旬発行の田村市の広報誌にだけ載せてもらった他は、文化ホールのホームページのイベント予定表に表示し、また出演者名をとっても小さく印刷して「ヴァイオリンとフルートの夕べ」
という文字を大きく印刷し、ヴァイオリンとフルートの楽器の写真だけ大きく出したポスターを田村市内の郵便局に貼ってもらっただけであった。演奏曲目として『歌の翼に』『E・バッハ/トリオソナタ』『パッヘルベルのカノン』
『フィガロの結婚序曲』『主よ人の望みの喜びよ』『ベートーヴェン/セレナーデ』と書いておいた。
 
チケットの販売は文化ホールの窓口と、福島県内の大きな郵便局とJRの主な駅のみであった。
 
広報誌に載って最初の一週間で売れたチケット(税込1995円)は80枚である。それでも私と政子は
「ヴァイオリンとフルートの演奏というだけでチケット買ってくれる人たちがこんなに居るんだね」
と言って感心した。
 
ところが11月3日に市内の高校の軽音楽の大会がこのホールで行われ、その時に何気なく会場のイベント予定表を見ていたひとりの高校生が
 
「11月30日に田村市文化ホールで『唐本冬子・中田政子/クラシック音楽の夕べ』というのが予定表に入っているんだけど、これまさかローズ+リリーじゃないよね?」
 
とツイッターに書いた。
 
それが「ん?」と思った人たちにより多数リツイートされ、中には文化ホールに電話した人もあったようだが、文化ホール側では
「そういう名前で予約はされているが、当ホールではクラシック音楽の演奏とだけ聞いており内容までは知らない」
と回答した。
 
それで★★レコードやUTPなどに
「これはローズ+リリーのコンサートですか?」
という問い合わせが来た。
 
どちらも「把握していない」という回答をしたので、ツイッターでは
「同姓同名の別人では?」
という意見が強くなった。しかしその間にチケットは売れ始め、最初の呟きがあった翌日の11月4日中に200枚も売れた。
 
やがて私のアカウント宛てにも直接
「これ、マリちゃんとケイちゃんのイベントですか?」
というDMが多数来たので、私は11月5日早朝に
 
「そうだよ〜。でも私もマリも歌わないよぉ。楽器演奏だけだよ。曲もクラシックばかりだよぉ」
と回答した。
 
私がその回答をした日、チケットは午前中に一気にソールドアウトした。チケットが購入できる場所で、首都圏からアクセスしやすい、新白河駅と郡山駅のみどりの窓口に長蛇の列ができて、両駅では急遽
「ローズ+リリーのチケットはこの窓口だけで発売します」
と販売する窓口を1つだけに限定して、他の窓口を一般のチケット購入者のために開ける手を打った。
 
郡山駅に長蛇の列が出来ているのを見て、わざわざ田村市文化ホールまで行った人たちもいたようである。結果的には文化ホールまで足を伸ばした人たちはだいたい買えたようであった。
 

今回のイベントは一応、UTP、★★レコードはもちろん、田村市、郵便局、JR東側にも一応の連絡説明をした上でやったのだが「ローズ+リリー」の名前も「マリ」「ケイ」の名前も使用しないということで、あくまで私たちの個人的なイベントということにして、宣伝行為は一切しないことにしておいたのである。
 
田村市側にも事前に説明していたのだが、騒ぎになった後で警備などは大丈夫ですか?という問い合わせがあったので、入場管理と警備に関しては県内の大手イベンターに委託していることを伝えると、向こうの担当者はホッとしているようであった。その問い合わせがあった1時間後に今度は県内のローカルテレビ局から電話があり「イベントの撮影・放送をさせてもらえないか?」
などと言ってきた。
 
★★レコード、UTPと協議の上、再放送1回込みで安価に放映権を販売した。結果的にはこの放映権のお金で、会場の借り賃と入場や警備の委託費は出てしまった。放送局側が「もし良かったらこの人をゲストに出場させられませんか?」と言ってきた人があった。
 
その人は実は間接的につながりのある人だったので、仲介者経由で連絡したらぜひ出たいということだったので出演をお願いした。
 
また放送局側は、既にチケットがソールドアウトしていて、座席を占有してカメラを設置することができないので、ホール側と協議して、2階の手すりの所に遠隔操作で動かすカメラを設置して望遠で全景を撮るとともに、ハンディカメラを併用して撮影することを決めた。
 
なお、今回のイベントの運営は中学高校の時の友人たち、風花、詩津紅、倫代の3人でやってくれた。また、何かトラブルがあった時の対処のことを考えて念のため、△△社の運営部門の村主さんにも入ってもらい、警備担当の地元のイベンターさんと協議しながら進行を見てもらった。
 
 
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【夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン】(上)