【夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン】(下)

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そして当日。
 
今回は個人的なイベントということで適当に入場させたら、座席数より多く人が入ってしまった。本来ここは立見を出してはいけない会場である。入場管理をしたイベンターの担当さんが平謝りしていたが、こちらもあまりこういう事態を想定していなかった。
 
いったん全員外に出してなどとやるのも大変なので会場側と協議した結果、万一事故が起きた場合は責任を取るというのを一筆書いて、特例として許してもらった。イベンターさんが急遽社員を呼び出して警備も増やしてくれた。
 
さて、幕が上がり、拍手が起きる。私と政子が並んでいるのを見て
「マリちゃんー」
「ケイちゃーん」
という声も掛かるが、私たちは単に客席に向かってお辞儀だけして演奏を始める。
 
最初はメンデルスゾーンの『歌の翼に』である。私の吹くフルートのメロディラインに、マリの弾くヴァイオリンが合わせてくれる。
 
ソミーミ・ミファソ・ソーシ、ソレーレ・レミファ・ミー
 
これは音楽の教科書にも載っていて良く知られた曲なので、客席の反応も上々である。とりあえずつかみは良いなという感じであった。
 
演奏が終わり、挨拶をする。私たちは今日はふたりとも白いドレスを着ている。
 
「本日は唐本冬子・中田政子のクラシック音楽の夕べに御来場頂きありがとうございます。ほとんど素人の私たちの演奏ですが、良かったら最後までお付き合いください」
 
拍手がある。
 
「今弾いた曲はメンデルスゾーンの『歌とピアノのための6つの歌』の中から『歌の翼に, Auf Fluegeln des Gesanges』でした。この曲は特に日本・韓国・中国で人気の曲なのだそうです。では次は私たちの友人、秋乃風花さんにチェンバロを弾いてもらって、カール・エマヌエル・バッハのトリオソナタ・ニ長調Wq151 第一楽章を弾きます。これは『大バッハ』として知られるヨハン・セバスチャン・バッハの息子ですね。ちなみに、今ステージ上に置かれている大きな楽器で、この客先から見て左側にある黒いのが普通のピアノ、右側にある灰色のがチェンバロです」
 
それで赤いドレスを着た風花が入ってきて、チェンバロの所に座る。三人で頷き合って演奏を始める。
 
大バッハの作品ならある程度のクラシックファンなら主なものは聴き知っているところだろうが、その息子の作品まで知っている人はそうそう居ないだろう。特に今日集まっているのは、大半がローズ+リリーのファンのはずである。
 
しかしみんな熱心に聴いてくれている感じだ。今ここにいる人たちは純粋に音楽というものを楽しんでくれている。私はちょっと感動した。
 
その後、風花にはピアノに移動してもらい、私がフルートをヴァイオリンに持ち替えて『ヴィヴァルディ/トリオ・ソナタ・ニ短調 RV.63 ラ・フォリア』
『ベートーヴェン/セレナーデ Op.25』と弾く。
 
かなりマニアックな選曲が3曲続いたので、これで観客の2〜3割が完全睡眠若しくはかなりウトウトとした感じであった。そこで更に『ブラームスの子守歌』
を演奏すると、睡眠率は更に上がった!
 
それで私はMCを入れて
「会場の皆さんがかなりお休みになっているようなので、更によく眠って頂けますように、次はスティーブン・フォスターの生涯最後の作品『夢路より Beatiful Dreamer』」
 
と言うと、起きている観客から爆笑が起きる。その笑い声で一部の観客が夢路から帰って来たようであった。
 
風花がいったん下がり、私のフルートと政子のヴァイオリンのデュエットで、この美しい曲を演奏する。私がフルートを、政子がヴァイオリンを練習し始めた頃に一緒によく練習した作品でもある。政子の顔を見ると、ちょっと懐かしいような感じの表情であった。
 
「よく眠れるように」などとMCをして演奏したのだが、実際には良く知られた曲なので観客は少し起きたような感もあった。
 
「それでは前半最後の曲です。お休みになっている方が良い夢を見れますように、ドビュッシーの『夢 Reverie』」
 
それで私がピアノの前に座り、政子はフルートを持って、この小品を演奏した。よく知られた作品ではあるが、本当に眠りを誘うような作品なので、これでまた睡眠率が上がった!
 
静かに消えていくような音で曲は終わる。拍手のタイミングを迷うような会場の空気。私がピアノの椅子から立ち上がって客席を向いた所でやっと拍手が起きた。
 

「それでは本日のゲストを紹介します。田村市在住の作詞家、櫛紀香さんです」
と私が紹介すると
 
「えーーー!?」
という声が沸き上がった。
 
櫛紀香は2008年に「KARIONに歌わせたい歌詞コンテスト」というのを∴∴ミュージックが開いた時、1位を獲得した人で、当時男子中学生であったが、現在は福島市内の大学に通っている。
 
まるで女性の名前のようなのに男性なのだが、実は「櫛紀香 Kusi Norika」は「Karion Suki」のアナグラムだったのである。その後も年に数曲程度の歌詞をKARIONに提供してくれている。
 
「どうも、どうも。もうさすがに居ないとは思うのですが、櫛紀香という名前で可愛い女の子でも出てくるかと思った人、ごめんなさい」
と本人が挨拶すると、会場が笑いで満ちる。
 
その笑い声で目が覚めた客も結構いたようである!
 
ちなみに櫛紀香本人は、身長180cm, 体重75kgで筋肉質である。高校時代はバスケットをしていたらしい。
 
「私、櫛紀香さんの女装写真見たことあるけど、可愛いと思った」
と政子が発言するが
「あれは黒歴史にしてください」
と本人は笑って答える。
 
何でも友人たちとの罰ゲームで女装させられた写真らしく、それがネットに出回って、KARIONのファンサイトにまで一時期は随分貼られていた。私はあまり熟視したくはない写真と思ったが、政子には結構うけていた。
 
「ちなみに櫛紀香さんは、田村市内の避難指示解除準備区域にご実家があるのですが、8月から、櫛紀香さんの御両親が、帰還準備のための宿泊を開始なさっていて、櫛紀香さん御本人もたびたび宿泊なさっています」
と私は紹介する。
 
櫛紀香本人は
「えー、その件に関しては、何かうかつなこと言うと政治的な意図とか取られそうなので、ノーコメントで。まあ、2年半ほとんど放置してたんで、荒れている所を片付けたりしている段階です。僕たちは黙々と日々の生活を送るだけです」
と補足した。
 

私たちは彼をひとり置いて、袖に下がる。
 
櫛紀香はギター1本で『シューベルトのセレナーデ』『モーツァルト/トルコ行進曲』『ハチャトゥリアン/剣の舞』を弾いてくれた。
 
今日のコンサートは「クラシック曲」「歌無し」というのがコンセプトである。
 
櫛紀香さんが演奏のために座っていた椅子から立ち上がると、大きな拍手がある。
 
そこに振袖を着たKARIONの和泉が登場する。
「えーー!?」
と客席から驚きの声。
 
「櫛紀香さんでした」
と和泉はアナウンスして、握手を求める。
 
櫛紀香さんも驚いたような顔をして、嬉しそうに和泉と握手する。そして下がった。
 
そして和泉がマイクを持って
「ここで15分ほどほんとに休憩にします」
と言って、拍手と歓声の中、幕が下りた。
 

15分後、幕が上がると、振袖を着た4人が並んでいる。
 
私がマイクを持ち
「紹介します」
と言って
「絹川和泉さん」
と言うと、客席から「いづみーん」という声が掛かるので和泉が手を振る。
 
「それから川原夢美さん。私の古い友人で、世界的なオルガニストです。でも今日は主としてヴァイオリンの応援を頼んでいます」
と私が紹介すると
「ゆめみーん」
という声が掛かって、本人びっくりしている。
 
「それでは『パッヘルベルのカノン』を弾きます」
 
と言ってスタンバイする。私と政子と夢美がヴァイオリンを構え、和泉がオルガンの前に座る。ステージ前半で使用したチェンバロを引っ込めて代わりに置いておいたものであるが、このバロック・オルガンは実は夢美の私物である。リードオルガン程度のサイズだが、フルー管系のパイプで構成されていて、柔らかく優しい、実に素敵な音が出る。
 
夢美は実はこのライブの9日前に帰国したばかりであったが、夢美がドイツで購入してベルギーの現地自宅で使用していたものを、先月日本に送って国内のオルガン技術者の手で、輸送による狂いなどを調整してもらい、それをここに持ち込んだのである。日本国内には、これ以外に存在しないかも知れない。
 
『パッヘルベルのカノン』は基本的にはヴァイオリンの三重奏曲であるが、通奏低音の部分をオルガンで弾く。私と政子と夢美がヴァイオリンでその三重奏をして、和泉がオルガンを弾いているのだが、和泉もこのオルガンを弾くのは今日が初めてで、ぶっつけ本番であったが、弾きながら音に酔いしれているような顔をしていた。
 

演奏が終わる。楽器を持ち替える。政子は(普通の)フルート、私は頭部U字管付きのアルトフルートを持ち、夢美のヴァイオリン、和泉のオルガンでラヴェルの『ボレロ』を演奏する。
 
この曲は単純なメロディーをひたすら繰り返すので、いかにも眠ってしまいそうなのだが、実は意外に眠くならない、とても不思議な曲である。政子と一度運転中にこの曲を掛けて、私が万一ウトウトとしたらぶん殴ってしゃぶしゃぶ食べ放題に連れて行く、という賭けをして、私が勝ったことがある。(でもなぜかケーキ食べ放題に行くことになった!?)
 
今日の観客もあまり眠らずに聴いているようである。U字管の付いたアルトフルートは初めて見る人も結構あったようで、後で「あの楽器は何ですか?」
という質問がツイッターに来ていた。
 
アルト・フルートにはストレート型とU字管付きのものがあるが、小柄な女性にはU字管付きのものは優しい。(七星さんは私より小柄だが堂々とストレート管のアルトフルートを駆使している)
 
更に適宜楽器を持ち替えながら、また和泉も時々ピアノに行ったりオルガンに戻ったりしながら、『フィガロの結婚序曲』『主よ人の望みの喜びよ』『白鳥』
『G線上のアリア』『乙女の祈り』『美しく青きドナウ』『女学生』といったクラシックファンでなくても、知ってそうな曲を演奏する。
 
今日のライブは前半は寝ててもいいよ、後半は起きてようか、という趣旨である。
 
「長時間のご静聴ありがとうございます。いよいよ最後の曲となりました」
 
お約束の「えー?」という客席からの声を待ち、私は告げる。
 
「チャイコフスキー『くるみ割り人形』より『花のワルツ』」
 
私のフルート、政子と夢美のヴァイオリン、和泉のピアノ/オルガンで演奏した。この曲では冒頭の本来ハープで演奏する分散和音を和泉はピアノで演奏し、それからオルガンに移動して、その後の演奏をしたのである。
 

演奏を終えて4人で並び、お辞儀をして幕が下りる。アンコールの拍手が来る。この付近は観客の大多数を占めるポップスファンのノリである。
 
幕が開く。
 
私と政子の2人だけで出て行く。
 
「アンコールありがとうございます。それではヴィヴァルディの『四季』より『春』第一楽章を弾きます」
 
最初、私と政子で2つのヴァイオリンでこの曲を弾き始める。そして最初のテーマ提示が終わった所で、私はフルートに持ち替え、残りの部分を演奏した。
 
演奏が終わり、私たちはお辞儀をして下がる。そしてまたアンコールの拍手が来る。本当に日本の観客は律儀だ!
 
今日出演した全員で出て行く。私と政子がヴァイオリンを持っている。風花はフルートを持っている、和泉と夢美は手ぶらである。更に櫛紀香さんもギターをもって出て行く。私がマイクを持ってお礼を言う。
 
「セカンドアンコールありがとうございます。これが本当に最後の曲です。『ロンドンデリーの歌 Londonderry Air』」
 
和泉がピアノの前に座り、夢美がオルガンの前に座り、全員で演奏する。私と政子のツイン・ヴァイオリンが3度奏で最初メインテーマを吹き、続けて風花のフルートが再度テーマを提示する。和泉のピアノと櫛紀香さんのギターが音の彩りを添え、夢美のオルガンが低音を受け持ってハーモニーを安定させる。
 
『Londonderry Air』の《Air》というのは『夜の女王のアリア Queen of Night Air』の《Air》と同じ単語(英語的発音ではエア:「空気」のエアと同じ綴りで同じ発音)であるが、実は「アリア」ではなく「エール」と呼ばれるものである。
 
同じ「Air」と呼ばれる曲でも「アリア」の場合はイタリアやドイツで歌劇と共に発達した劇中の独唱形式、「エール」の場合はリート形式で作られた叙情的な曲のことで、後にフランスやイギリスで独自の発展をして通俗曲によく見られるものであり、両者の間には少なくとも現代では内容的に距離がある。有名な『Air on G String』は『G線上のアリア』と訳されているが、実はアリアではなくエールでありアリアと訳したのは誤訳っぽい。しかし『G線上のエール』
と訳していたらここまで日本で愛される曲になったかは微妙である。
 
演奏が終わり、全員で並び、ついでに舞台袖で今日は裏方に徹してくれていた詩津紅と倫代も呼んできて一緒に並び、お辞儀をして幕が下りた。締めのアナウンスは、私自身で詩津紅からマイクをもらって幕の内側でした。
 

演奏終了後、ロビーでサイン会!をした。
 
「今日はレコード会社との約束でローズ+リリー、ケイ、マリの名前は使用しないことにしています。代わりに冬子・政子でサインをします」
 
と私はアナウンスしたのだが、それでも長蛇の列ができた(結果的には物凄い希少価値が出たようである!)。詩津紅と倫代が列の整理をしてくれたのだが、その詩津紅もサインを求められていた! グランド・オーケストラの公演に毎回参加しているし、クラリネット担当で演奏前の音合わせで音を出しているので、ファンが出来ていたようである。
 
「詩津紅、何か素敵なサイン書いてる」
と私が横を見て言ったら
「いや、万一サイン求められた時のために練習してた」
などと言っていた。
 
「よし、私もサインの練習をしておこう」
と倫代がそばで言ったら、その倫代にも「サインください」という人がいて倫代は焦っていた。倫代も(出席率は悪いものの)グランドオーケストラの公演に何度か出演していたので、それで覚えていてくれたようである。
 
しかし私たちがサイン会などというものをしたのは、2008年にローズ+リリーの全国キャンペーンと全国ホールツアーをした時以来であったが、政子は楽しそうにファンと言葉を交わしては、サインを書いていた。
 
しかしサイン会なんて、こういう小さなキャパの会場でなければ、とてもできないイベントだ!
 

結局1時間半ほど掛けてサイン会を終えてから、待ってくれていた和泉たちと一緒に打ち上げに行こうとしていたら、楽屋に思わぬ来客があった。
 
「上島先生!」
 
「僕にも冬子・政子のサインもらえる?」
「もちろんです!」
 
と言って、色紙を1枚取り、書いてお渡しする。
 
「実は先月末に用事があって会津若松市に行った時にね、出し忘れていた郵便物に気づいて投函しようと郵便局に行ったら、このコンサートのポスターを見て、おおっと思って、チケットを買ったんだよ」
 
「えー!? それじゃ、先生、ツイッターで話題になる前に買ってくださった80人の中のおひとりですか」
「へー、あの騒動の前に80枚売れたんだ?」
「はい」
 
「でもあのポスター、『唐本冬子』『中田政子』の名前が虫眼鏡で見ないと分からないくらい小さな文字で書いてあるんだもん」
「あはは」
「ポスターに何となく目が留まって。なんでこのポスターに僕は目を留めたのかって、かなり考えたよ。それでじっと見ていたら、その名前を見つけた」
「あはは、『Media Sex』みたいな話ですね」
 
「通常の知覚で認識できない情報は、潜在意識にダイレクトにインプットされるというやつだね」
「ちょっと疑似科学っぽい話ですけどね」
 

それで上島先生も誘って、一緒に田村市内の日本料理店(貸し切りにしていた)に移動して打ち上げをした。
 
櫛紀香は「尊敬してます」と言って上島先生と握手をして上島先生にサインをねだったら、上島先生の方も「素敵な詩を書くよね」と言って、櫛紀香のサインをねだって、結局お互いのサインを交換していた。
 
「でも櫛紀香さんが出てきて、更に和泉ちゃんも出てきて、僕はびっくりしたよ」
と上島先生が言う。
 
「私と和泉は昔《千代紙》というユニットで一緒に歌ってたんですよ」
「へー」
 
「もっとも、和泉とのペアよりここにいる詩津紅とのペアで仮称《綿帽子》というユニットで歌っていた方が古い」
 
「要するに今日は冬の新旧愛人大会か」
と夢美が大胆なことを言い、思わず和泉と政子が視線をぶつけている。
 
「さて、ここで問題。男の子の冬と組んだのは、この中の誰でしょう?」
と詩津紅が楽しそうにクイズ?を出す。
 
「それは多分誰もいない」
と風花が笑いながら言う。
 
「みんな女の子の冬子としか組んでないよね。冬は中学時代に私が去勢しておいたから」
と倫代。
 
「え?私も冬を去勢したのに」と政子。
 
去勢なんて単語が女の子たちから安易に飛び交っているので櫛紀香が思わず股間に手をやっている。
 
「冬ちゃん、何回去勢されたの?」と和泉。
 
「まあ、この中で冬と最も古いペアを組んだのは私だろうけど、その当時私はそもそも冬が男の子だなんて、全然知らなかったからね。ひょっとしたら小2の時、既に去勢済みだったかも」
と夢美も笑いながら言っている。
 
「あれ、君って、もしかして以前エレクトーンの世界大会で優勝した子では?」
と上島先生。
「はい、優勝しました」
と夢美。
 
「夢美はジュニア大会とシニア大会合わせて4年連続世界一です」
と私が説明すると
 
夢美のことを知らなかった人たちから「きゃー」という声が掛かる。
 
「冬って、アスカさんにしても、夢美ちゃんにしても、何か凄い友達がいるよね」
と言って和泉が笑っている(夢美は以前KARIONのライブにゲスト出演したことがあるので、和泉は夢美のことを知っている)が
 
「いや、和泉ちゃんもその凄い友達のひとりでしょう」
と上島先生から言われている。
 

「しかし、今日はあらためてケイちゃんのヴァイオリンを聴いたけど、物凄くうまいね」
と上島先生が褒める。
 
「雨宮先生が編曲した『花園の君』のヴァイオリンのパート2は、ケイの技量を知っていた雨宮先生が、その技量を最大限に使わせるように書いたみたいですね」
と和泉。
 
「でも上島先生もヴァイオリンを弾かれますよね。ワンティスでは結構弾いておられた」
 
「うーん。僕のは実はフィドルなんだよ」
と上島先生。
 
「フィドル?」
とその単語を知らないっぽい櫛紀香が尋ねる。
 
「まあフィドルはヴァイオリンと全く同じ形をした楽器だよね」
と夢美が楽しそうに言う。
 
「『屋根の上のヴァイオリン弾き』は原題を『Fiddler on the Roof』と言って実は『屋根の上のフィドル弾き』なんだよね、ホントは」
 
「同じ形をした楽器なら、どこが違うんですか?」
と、やはりフィドルのことを知らなかったふうの政子が訊く。
 
「ヴァイオリンの曲は芸術的、フィドルの曲は通俗的」
「へー」
「ヴァイオリンは高価で大事に扱わなければならない楽器、フィドルはビールを誤って掛けてしまっても惜しくない楽器」
「へー!」
 
「でもビール掛けて惜しくないって、フィドル幾らくらいなんですか? 普通のヴァイオリンなら、安いのでも7〜8万しますよね?」
 
「僕がワンティスの『秋風のヰ゛オロン』で弾いたヴァイオリンなんて、凄い安物だったね。作りが適当でさ。あの曲は『秋風のフィドル』にするつもりが社長から『フィドルなんて誰も知らないからヴァイオリンにしろ』と言われて、それで抵抗して『ヰ゛オロン』にしたんだよ」
「へー」
 
「あのフィドル、高岡がどこかで確保してきたものだけど、150円だったらしい」
「150円!?」
「そんなんで売ってるんですか〜!?」
「どこで買ったのか知らないけど、どこかの古道具屋か、あるいはフリマか」
「ああ、フリマなら、150円で売ってる人いるかも知れませんね」
 
「そんな安いヴァイオリンかフィドルか。それも高岡の遺品になってしまったから、僕は大事に保存してるけどね」
 
「ヴァイオリンとフィドルでは演奏法も違いますよね?」
 
「そうそう。ケイちゃん、ちょっとヴァイオリン弾いてごらんよ」
 
と上島先生が言うので、私は愛用のヴァイオリン《Rosmarin》を取り出すと『愛の夢』を少し弾いてみせた。
 
「なんか凄く良いヴァイオリン使ってるね。さすが。そんな良いヴァイオリンで申し訳ないけど、ちょっと貸して」
「はい」
 
と言って、楽器と弓を先生に渡す。先生がその楽器で都はるみの『北の宿から』
を弾いた!
 
「今のがフィドルの弾き方」
 
「え?え?」
「じゃ、もう一度やってみよう。左手の使い方を良く比べてて」
と言って上島先生がヴァイオリンを渡すので、私は今度は『ツィゴイネルワイゼン』
の冒頭のダイナミックなテーマを弾いてみせた。フィドルとの違いを示すにはこういう曲の方が分かりやすい。
 
それで今度上島先生はKuwata Bandの『スキップビート』を弾いてみせた。
 
「あ!ほんとだ! 左手の使い方が全然違う」
と倫代が声を上げる。
 
「冬の左手は物凄く良く動いてたけど、上島先生の左手はファーストポジションの所で固定だった!」
 
「そうそう。フィドルの左手の使い方はヴァイオリンを習う時に、こんなことしてはいけませんと言われる使い方だよね」
と上島先生。
 
「それとボーイングも違いますよね。フィドルはしばしば今先生が『スキップビート』でなさったようにスピッカートと言って、リズミックなボーイングをする。むろんその前に『北の宿から』を弾かれた時のようにメロディアスな演奏もしますけどね」
と私。
 
「そうそう。だからカントリーなんかともフィドルは相性いいね」
と上島先生。
 
「ああ、バンジョーとかとも合いそう」
「うん、そういう演奏はよくある」
 
「その左手の使い方なら、ひょっとしてフィドルは弾き語りができません?」
と風花。
「ああ、可能だと思う。あまりやる人はいないと思うけど」
と上島先生。
「昔の演歌師の左手の使い方に似てますね」
と和泉。
 
「そういえば似てるかもね。演歌師もヴァイオリンの弾き語りやるね」
と上島先生。
 
「上島先生はキーボードでもあまり弾き語りなさりませんよね」
と詩津紅が言うが
 
「いやー、ごめん。僕は弾き語りが下手なんだよ」
と照れるようにおっしゃる。詩津紅が、あっやばいこと訊いちゃったかなという感じの顔をしたが、先生は全く気にしていない風である。
 
「Celtic Womanにフィーチャーされている弦楽器の音がフィドルだよ」
というのも私は言ったが、Celtic Woman を知っているのは、和泉・詩津紅・夢美と上島先生だけのようであった。
 
「名前は知ってるけど、じっくり聴いたこと無かった。今度しっかり聴いてみよう」
と櫛紀香が言っていた。
 

「ところで、ワンティスのアルバム、初動から凄いみたいですね」
と詩津紅が言う。
 
「うん。最初の一週間でグリーンが60万枚、レッドが30万枚売れてる」
と上島先生。
 
「実はワンティスの初オリジナルアルバムなんですよね」
「そうなんだよ!10年前はひたすらシングルばかり出しててアルバムは1枚も出さなかった。後でベストアルバムとかは作られたけどね」
 
「なぜ作らなかったんですか?」と和泉。
「うん。アルバムなんて作るのに手間ばかり掛かって、高いからあまり売れないと事務所の社長が言うもので」
 
「それは言えてるなあ」
と政子。
 
「シングルを50万枚売れるアーティストでもアルバムは7-8万売れるかどうかということ多いですね」
と和泉。
 
「そうそう。だから和泉ちゃんたち、よく『三角錐』にあれだけ費用掛けたなと思ったよ。聴いた瞬間これはミリオン行くと僕は思ったけど、万一売れなかったら、とんでもない赤だったよね。費用1億5千万掛かったでしょ?」
と上島先生。
 
「いえ。その半分くらいです。それでも最低30万枚くらいは売れないと赤字でした。でもKARIONのアルバムって、今まででいちぱん売れたのでも26万枚でしたから、万一の時は私と歌月のダブルヌード写真集でも出してください、と社長には言っておきましたけど。歌月もその時はもう覚悟決めて顔を晒しますと言ってましたし」
 
「それは僕個人としては見たい写真集だ」
と上島先生。
 
「ああ、男性の方はだいたい、そうおっしゃいます」
と和泉は笑って答えていた。
 
「ヌードもだけど、歌月君の顔も見たいね」
「それは男女関係なく言われます」
 

「でもグリーンの方が良く売れてるというのが悔しいなあ。レッドにも良い曲が多いと思うのに」
と政子。
 
「あ、私もレッドの方が好きです」
と詩津紅。
 
「レッドはやはり通好みみたいね。グリーンの方が一般受けする」
と私。
 
「レッドの中で、やはり一番人気の『恋をしている』ですけど、あれ私もう100回くらい聴きました。あ、上島先生の『崩れ落ちる硝子』も好きです」
と政子。
 
自分で自分をフォローしている! 言ってから上島先生の作品ではないことに気づいて付け加えたようだ。上島先生も笑っている。
 
「あの作品は若さをそのままぶつけたような曲だよね。多分あまり作曲したことのない人の作品。凄く未熟だけど誰かに指導されてきれいにまとめた。もしかしたら高岡自身が指導したのかも知れない。でも天才を感じる。今どこかで音楽家になってないかなと期待したいけどね」
 
「高岡さんが出会った女の子ということだったんですよね?」
と詩津紅。
 
「そうらしいんだけどね。まあ『女の子』と言っても、6歳の少女だったのかも知れないし、30歳くらいの女性だったのかも知れないけどね」
 
「さすがに6歳には書けないかも」
「でもモーツァルト級ならあり得る」
「確かに」
 
「でももしまだ音楽やってたら、名乗り出ないんでしょうか?」
「恥ずかしがっているのかも」
 
「冬〜、話してたらあの曲、聴きたくなった、そのヴァイオリンででもいいから弾いてよ。冬なら弾けるよね?」
と政子。
 
「いいよ」
と言って私は《Rosmarin》を持つと、ワンティスの『恋をしている』を演奏した。和泉がそれに合わせて歌ってくれた。
 
「すごーい。ケイといづみ、なんて超豪華組み合わせ」
と声が上がる。
 
その声に一瞬政子がムッとした表情をしたら、上島先生が
 
「いや、ケイとマリだって、見慣れてるから思わないけど、超豪華組み合わせだよ」
と言った。先生がこんな所でフォローまでしてくださるなんて!
 
しかし私はそれより、先生が私と和泉の演奏中に一瞬何かに驚くような表情を見せたのが気になった。その時私は『私が蘭子だってのが上島先生にバレたんじゃないよな?』ということを気にしていた。
 

12月9日(月)。私と政子は★★レコードで加藤課長、上島先生と一緒に記者会見をして、今月27日のワンティス「代替ライブ」の代替演奏者を発表した。
 
「発表します。今回の公演での代理演奏は、トラベリングベルズの皆さんにお願いすることにしました」
 
記者席から「えーー!?」という声が響いた。誰もが予想していなかった選択であった。事前の巷の予想では、1位が大晦日のNHKの歌番組に出演するため「1日だけの再結成」が発表されていたドリームボーイズ。2位が中高生に人気の新鋭バンド・ハイライトセブンスターズ、3位が今回プロデュースを担当するローズ+リリーのバックバンドであるスターキッズ、そして大穴予想で08年組のジョイントバンド《スイート・ヴァニラズ・ジュニア》というものだった。
 
誰もがこういう選択は思いもよらなかったのである。私は選考理由を説明する。
 
「まず、最初にバンドには一体感が必要であると考え、複数のバンドのジョイントとか、様々なバンドからのピックアップメンバーという方式は採らずに、ひとつのバンドでやり、どうしても足りないパートは追加するというのを、★★レコードの町添部長、加藤課長、そして上島先生・雨宮先生と一緒に決めました」
 
記者たちがメモしているのを少し待つ。
 
「次にワンティスのサウンドで重要なのがトランペットとサックスであると考え、このパートの演奏者が元々含まれているロックバンドということでリストアップさせて頂きました。この段階で★★レコード系列のバンドは10個に絞られました。予想なさっていた方もあるかも知れませんが、その中にはスターキッズも候補としてあがっていました」
 
記者たちが頷いている。
 
「次に今回、上島先生と雨宮先生が歌唱なさるのに伴奏することが必要なので伴奏に慣れているバンド、つまり誰かのバックバンドをしているユニットという条件を入れると、この条件にマッチするのは、スターキッズ、カレーブレッド、トラベリングベルズ、の3つしかありません。その中で、12月中旬から下旬に掛けてのスケジュールが空いていて、ちゃんと練習ができるユニットというのはトラベリングベルズしか無かったのです。伴奏を務めているKARIONが休養中ですので」
 
かなりの記者が頷いている。言われてみれば確かにとても合理的な選考理由である。しかし誰もそういう推論過程をしていなかったのであった。
 

それで控室で待機してもらっていたトラベリングベルズのリーダー TAKAOさんにも記者会見の席に就いてもらい、細かい問題について説明や質疑応答をする。
 
「トラベリングベルズとワンティスを比較すると足りないパートがあると思うのですが、その付近はどうなりますか?」
 
これについてTAKAOさんが答える。
「トラベリングベルズは専任メンバーは5人ですが、実際には7人のバンドです。正キーボード奏者の水沢歌月=蘭子と、正グロッケン奏者の森之和泉=KARIONのいづみも正規メンバーと私は考えています」
 
「すると、いづみさんと歌月さんも出演するのですか?」
「このふたりにワンティスのダブルキーボードを弾いてもらうことを計画していたのですが、和泉ちゃんは出演OK。歌月もかなり口説き落とし掛けていたのですが、結局まだパスということで、歌月は自分のライバルである、ケイさんに代わりにキーボードを弾いてほしい、と要請しました」
とTAKAOさん。
 
「それで歌月さんからの依頼なので、私は受諾しました」
と私。
 
記者席は少しざわついているが、それほど不自然な話でも無いだろう。そもそも私とマリが何らかの形で演奏にも加わるのではと、というのは多くの人が予想していたことであった。
 
「それで、いづみちゃんが出るなら、どうせならKARIONの残り2人、小風・美空も出してしまおうということで、小風ちゃんにリズムギター、美空ちゃんにはコーラスをお願いすることにしました」
とTAKAOさん。
 
「それで美空がコーラスするなら、食べ友達のマリもコーラス参加ということにしました」
と私。
 
記者席から少し笑いが漏れるが、何となく美しくまとまってしまった。
 
「そうすると、結果的には演奏者は、トラベリングベルズ+KARION+ローズ+リリーということになりますか?」
 
「結果的にはそういうことになりましたね」
 
「なんか結局ジョイントバンドになってしまった気がするのですが?」
と質問。
 
「まあ基本的にはトラベリングベルズ主体で、KARIONはトラベリングベルズの専任ボーカル扱いで、トラベリングベルズの一部のようなものということで。更に私とマリはKARIONの名誉メンバーらしいのでKARIONの一部、従って私たちもトラベリングベルズの一部ですね」
 
記者席がざわつく。
 
「ケイさん、マリさんがKARIONのメンバーなんですか?」
「小風から言われました」
と私が言うと
「小風ちゃんはそういうの決めるの好きみたいです」
とTAKAOさん。
 
「お返しに、いづみ・みそら・こかぜを、ローズ+リリーの3,4,5番目のメンバーに指名しました」
と私が言うと、記者席から笑いが漏れる。
 
一部少し首をひねっている記者もいた。何となく誤魔化されたような気分であったろう。
 

そして12月27日。ワンティスのアルバム発売記念「代替演奏者ライブ」が武芸館で開かれた。「代理演奏者」であるにも関わらず、チケットは1日でソールドアウトしている。
 
幕が開くと、タキシードを着た上島先生と、青いドレスを着た雨宮先生が並んでいる。私がキーボードで『結婚行進曲』を弾く。
 
「あら、今日は私と雷ちゃんの結婚式だったかしら?」と雨宮先生。
「違ーう。ケイちゃん、そんな曲を弾くという予定は無かったよ」と上島先生。「済みません。三宅先生からこの曲を弾けと言われました」と私。
「あら、私は雷ちゃんと結婚してもいいわよ」と雨宮先生。
 
「僕はもう結婚してるから。それにモーリー、戸籍がまだ女じゃないでしょ?」
「あら、戸籍なら、特急で性転換手術受けて、特急で性別変更してもいいわよ。雷ちゃんと結婚するためなら、おちんちん取っちゃってもいいわ」
 
「あのね。それでなくても僕たちの関係誤解している人が時々いるから」
「あら、私、雷ちゃんのこと好きなのに。なんなら雷ちゃんが性転換して女の子になってもいいわよ。女の子になったら可愛い服着られるわよ」
 
「いや、僕はそういう趣味は無いから」
「とりあえず女装してみたら考えが変わるかもよ」
「いや、女装する気は無いから」
 
モーリー先生という人はどこまで冗談でどこまで本気なのか、本当に分からない人である。私たちも会場のお客さんも、笑って聞いてはいるものの、ひょっとして雨宮先生が本当に上島先生のことを好きなのかも、と思った人もあったであろう。
 
結局15分くらいふたりでやりとりをした後、やっと演奏が始まった。
 

最初は今回のグリーンアルバムに収録され、単独ダウンロードがトップという人気であった『トンボロ』である。本当に美しい曲だ。
 
リードギターTAKAO, セカンドギター小風、ベースHARU、ファーストキーボード和泉、セカンドキーボード私、ドラムスDAI、トランペットMINO、アルトサックスSHIN、そしてコーラス美空・マリ というメンツで演奏する。ワンティスの基本的なパート割と同じ構成である。
 
上島先生はもちろん男声で歌うが、雨宮先生は今日のライブは全部女声で歌うと言っておられた。それで男女デュオの雰囲気である。
 
そして私と政子にとっても、和泉・小風・美空にとっても、武芸館のステージというのは初体験になった。
 
その後、グリーンアルバムの作品を5つ歌った後で、レッドアルバムの作品を5つ歌う。やはり観客の反応もグリーンの時は良かったのに、レッドでは鈍くなる。政子も和泉も高岡さんの詩は凄いと言っていたが、どうしても一般受けが悪いのであろう。しかし前半最後に演奏した高岡さんの「最後の作品」という『恋をしている』
はとても反応が良かった。
 
高岡さんが亡くなったのは、この作品を書いた1年4ヶ月後である。その間に高岡さんは何も作品を書かなかったのだろうか? この作品の歌詞を聴いていると高岡さんが「復活」しているのを感じる。これ以降にも高岡さんが何か詩を書いていたら、それは結構良い詩だったのではないかという気がする。
 

上島先生と雨宮先生が手を振って舞台袖に下がり、代わって登場するのはRainbowFlute Band である。今日来ている観客にはあまり馴染みのないユニットであるが今年の1月にデビューしてから、人気急上昇中である。年代的には中高生で全員が虹の七色に塗り分けられたフルートを前奏や間奏で演奏するのが「売り」になっている。男子3人、女子3人、性別不詳1人という構成であるが、その性別不詳のフェイ(紫)の不思議な中性的魅力と、女子3人の中の中心ジュン(赤)と男子3人の中の中心キャロル(青)の高い歌唱力が、このユニットの魅力を高めている。全員フルートの演奏能力も高い。
 
私たち伴奏していたトラベリングベルズのメンバーも下がって、一休みする。
 
「フェイちゃんって、可愛いFTXだね。ベッドに誘って肥大化させてるだろうクリチンコを揉み揉みして逝かせたい」
と雨宮先生が着替えながら私に言った。
 
「え?フェイちゃんってMTXでしょ? 先日ジュンちゃんを08年組のある子が締め上げて訊いたら戸籍上は男の子だけど女子制服で学校に通ってるという話でしたよ」
と私は言う。
 
「うっそー。私はカラオケ対決でキャロルを負かしてホテルに連れ込む代わりにと締め上げて戸籍上は女の子だけど男子制服で学校に通ってるって聞き出したのに」
と雨宮先生。
 
「えーーー!?」
 
「それってメンバーにもフェイの本当の性別は知られてないということでは?」
と和泉が笑いながら言う。
 
「うーん・・・」
と私と雨宮先生は顔を見合わせて悩んだ。
 
「だけど面白いユニットだね」
と上島先生は言った。
 
「男の子2人・女の子2人・MTF1人、FTM1人に、性別不明1人って。事務所で企画して編成したユニットらしいけど、よくそんな人材が揃ってたよね」
 
と上島先生が言ったので、私と雨宮先生は
「え!?」
と言った。
 
「MTF?」
「FTM?」
「え? だって、ほらあの子はMTFで、あの子はFTMだよね?」
「えーーーー!?」
 
「あの子たち、女の子に見える子はみんな女の子で、男の子に見える子はみんな男の子ではないんですか?」
と美空が訊く。
 
「え? そんなこと言われたら自信無くなってきた」
 
「先生、どの子がMTFで、どの子がFTMだと?」
「いや。勘違いだったら悪いから、言わない」
と上島先生も少し焦っている感じ。
 
「なんか謎の多いユニットだ!」
と小風が言った。
 

Raibow Flute Band は年齢層の高い今日の観客にも結構受けている感じだった。
 
彼らが下がって、またトラベリングベルズと、上島先生・雨宮先生が出て行く。
 
後半は、上島先生はかりゆしウェア、雨宮先生はミニスカにキャミソールである。35歳でこの格好をしちゃうのが雨宮先生の凄さだが、そんな格好をしても見苦しくないのがもっと凄い所である。普段からかなり身体をいじめているのだろう。
 
「雨宮先生ってなで肩だね」
と小風が後で言っていた。
「多分18歳頃以前から女性ホルモンやってたんだろうね。身体が男性化しないように」
と和泉が言っていたが、私は見解を求められて、とりあえず笑っておいた。
 
さて後半は、10年前ワンティスが活動していた頃のヒット曲を連続で演奏し、その間にアマチュア時代の作品も少し混ぜた。
 
デビュー曲の『無法音楽宣言』に始まり、ミリオンセラーをひたすら並べて、最後はRC大賞受賞作『紫陽花の心』で締める。
 
幕が降りてアンコールの拍手が来る。幕が開く。
 
上島先生と雨宮先生の2人だけが立っている。上島先生がアンコールのお礼を言う。そして曲名を告げる。
 
「それでは聴いてください。『秋風のヰ゛オロン」。10年前にワンティスが最後にリリースしたシングルです』
 
熱い拍手が来る。私と政子がヴァイオリンを持って出ていき、先生たちの後ろで弾き始める。政子がメロディーを弾き、私は(弦を複数使って)和音を弾く。私たちのヴァイオリンの音を背景に、先生たちが歌い始める。
 
女性歌手の歌唱は美しい。男性歌手の歌唱は力強い。上島先生と雨宮先生のデュエットは、そのふたつの全く異なる性質の歌唱を、きれいに絡め合い、心地よい混沌を感じさせる。私はそんなことを考えながらヴァイオリンを弾いていた。
 
美しい余韻を残して演奏が終わる。先生たちが客席に向かってお辞儀をする。私たちまで呼ばれて4人で一緒にお辞儀をする。幕が降りる。
 
アンコールの拍手が来る。たっぷり2分くらい続いて幕が開く。
 

「本当にアンコールありがとうございます。それでは最後の曲、『疾走』」
 
割れるような拍手と物凄い歓声が来る。トラベリングベルズのメンバーが後ろに入り、それぞれのポジションにつく。上島先生からの合図でDAIがドラムスを打ち始め、全員の演奏が始まる。そして上島先生と雨宮先生が歌い出す。
 
物凄い躍動感のある歌だ。ひたすら走る、走る、走る。楽器が走って行くので歌もそれを追いかけて走って行く。最初はテンポ110くらいから始まったはずなのに、どんどんスピードアップして行き、最後はテンポ150近くまで上がって行く。上島先生も雨宮先生もステージを走り回って歌っている。
 
ふたりともいつもクールにしているので、こう熱くなっている所を見るのはちょっと貴重である。「音楽っていいな」という思いがまた新たになった。
 
TAKAOさんのギターとDAIさんのドラムスが連動して「ソミド・ラファレ・シソミ・ドソミ」という感じで、三和音のビートを弾き、その音程が高まっていく。最初から2オクターブ近く高い所まで行ってフィニッシュ。
 
私たちは楽器から手を離して拍手をした。客席も激しい拍手の嵐。そしてそこに舞台袖から、ワンティスの他のメンバー、水上さんや三宅さんたちが入ってきて手を振ると、観客は更に熱狂する。
 
その熱狂の嵐の中、ワンティスのメンバーの列の中央に上島先生と雨宮先生が立っていたが、ここで・・・・
 
雨宮先生は上島先生にキスしちゃった!?
 
「えーー!?」
という観客の声の中、幕が降りた。
 

ワンティスの他のメンバーはほんとにちょっと顔を出しただけでみんな帰ってしまい、トラベリングベルズ(+KARION)と上島先生・雨宮先生だけでささやかな打ち上げをした。他のメンバーはみな他のユニットのプロデュースなどをしていて録音現場やライブ会場などから一時的に離脱してここに来てくれたのである。
 
「やはりプロデューサーがライブの度にステージ上でキスしてるふたりだからね。その影響だな」
と小風がキスのことを言った。
 
「僕は頭が痛い」
と加藤課長。
 
「僕はびっくりした」
と上島先生。
 
「ただのノリよ」
と雨宮先生。
 
「上島先生と雨宮先生、結婚するんですか?」
と政子が楽しそうに言う。
 
「いや、僕は既に結婚してるから」と上島先生。
「私はお妾さんでもいいわよ」と雨宮先生。
 
「だったら雨宮先生、とりあえず性転換しちゃいましょうよ」
と政子。
 
「うーん。そろそろおちんちん無くしてもいいかなあ。実は私のおちんちん、1年くらい前から全然立たなくなっちゃってね」
と雨宮先生は大胆な告白をしちゃう。
 
「じゃ役に立たないものは取っちゃって、いっそ女の子としてHできるようにすればいいですよ」
と政子。
 
「簡単に取るとか言うなよ」
とTAKAOさんが苦笑いするが
 
「他の人もみんなおちんちんは取っちゃいましょう」
と政子。
 
「いや、僕は取りたくない」
とTAKAOさん。
 
「取っちゃったら結婚できなくなる」
とDAIさん。
 

12月31日。私は東京のライブハウスで恒例の年越しイベントに、ローズクォーツ、覆面の魔女と一緒に出ていた。
 
比較的早めの出番で、最初に覆面の魔女のふたりが『夏の日の想い出』『イーストガール』を歌い、最後に私がウィンドシンセも吹いた上で『ウォータードラゴン』
を歌った。
 
このイベントは毎回大物アーティストが出るので、混乱防止のため観客は座席に座って鑑賞する方式で、立ち上がるのは禁止。更にこのイベントの時はアルコールも販売しないということになっている。おかげで、私たちの他にもサウザンズ、タブラ・ラーサなど大物が演奏するが混乱は全く無かった。
 
演奏が終わってから、「年の暮れだし、少しはいいよね?」などとタカに言われて水割りを少し口にしていたら、トントンと肩を叩かれる。
 
「上島先生!?」
「演奏は終わったね?」
「はい」
「ちょっと個人的に話したいんだけど」
「はい?」
 
それでタカたちに声を掛けて、ふたりでお店を出た。地下鉄で移動して、企画会議などによく使っている青山の個室のあるレストランに入る。
 
ピザなど頼んで、ワインで乾杯した。
 
「今年もお疲れ様。なんか後半休養していたはずなのに、随分仕事してたね」
「なかなか休めません」
 
「でも、壁は乗り越えたみたい。表情が以前と違う」
「はい。乗り越えてはなくても、自分なりに何とか開き直ったかなという気もします。どんどん他の人に仕事を投げてますし」
「うんうん、それでいい」
 
「来年以降、ワンティスはどうするんですか?」
「またアルバム作ろうかなんて話になってる。結局全員集まらなくても何とか録音作業は進められることも分かったしね」
 
「実際メンバー同士全く顔を合わせずに音源製作しているユニットもいますよ」
「変な時代だけどね」
 
「でも楽曲はどうするんですか? 高岡さんの詩はたぶん全部使い切りましたよね。夕香さんの詩はまだ結構残っているんですか?」
 
「多少はある。でも良い作品は全部今回使ってしまった。同じレベルの品質のを夕香の作品で作るのは難しい」
 
「では上島先生や雨宮先生のオリジナルとか?」
「むしろ外部に頼もうかと思っている。今回、曲だけ、ケイちゃんや水沢歌月さん、桜島法子さんとかに依頼したけど、次は詩を含めてお願いしようかと」
 
「それもいいかも知れませんね」
 

「今日のライブではケイちゃんは存在感を見せてたね」
「はい?」
「シレーナ・ソニカのふたりも充分上手い。あの2人の歌で観客は随分盛り上がった。でもケイちゃんの歌は格が違った。シレーナ・ソニカのふたりも首を振って聴いてたね」
 
「代理歌唱者なんて立ててて、私の方が下手だったら、何と言われるか分かりません。常に挑戦者と戦い続けるチャンピオンの気分です」
「うん。その気持ちでいる限り、ケイちゃんのテンションは保たれると思う」
 
「代理歌唱者の方が上手かったら、私はその人にローズクォーツのボーカルを譲りますよ」
 
「むしろ譲りたかったりして」
「あはは」
 

「ところで、こないだはケイちゃんらしくもない演奏ミスしたね」
と上島先生は言った。
「え? 済みません。先日のライブで私、間違いましたか?」
 
上島先生は『恋をしている』の譜面を2つ並べた。マジックでA,Bと書かれている。
 
「Aの譜面はCDでリリースしたもの。ここの所がドミソラドシド−になっている。Bの譜面は先日クラシック音楽の夕べの打ち上げでケイちゃんがヴァイオリンで弾いたもので、ここがドソミファーシソドーになっている」
 
私はえー?という思いでふたつの譜面を見比べた。
 
「27日のライブではこのメロディーは和泉ちゃんが弾いた。和泉ちゃんはCD譜面の通りにドミソラドシド−と弾いた。その場合和音は C-F-C。ところがケイちゃんはここの和音を C-F|G7-C と弾いた。それはドソミファーシソドーというメロディーに対する和音なんだな」
 
「済みません。何か勘違いしたみたいで」
 
「いや。実はね。高岡が残していた譜面は、ドソミファーシソドーで C-F|G7-C だったんだよ。でも、雨宮がここは F の和音が短くて忙しいしG7が入ることで重くなるから軽いFだけの方がいいと言って、ドミソラドシド−、C-F-C に直してしまって、それで音源製作したんだよ」
「はい・・・」
 
「元々がドソミファーシソドーになっている楽曲を間違ってドミソラドシド−と弾いてしまうことはあり得る。メロディーが単純化されるから。人間の頭って物事を簡易化しがちなんだ。でも、元々がドミソラドシド−だった所を間違ってドソミファーシソドーにしてしまうことはあり得ない。複雑化する方向だから」
 
「・・・・・」
 
「これはね、ケイちゃんが元々のドソミファーシソドーというメロディーを知っていたと考えるのがいちばん自然なんだよ」
 
私は無言で苦笑いした。
 
「普通の人なら、自分で作った曲であっても10年も前の曲は覚えてない。でもケイちゃんって、一度聴いた曲は他人の曲でも2〜3年は正確に覚えている。しかももし小学生の頃に、きっと初めて書いた曲なら、しっかり覚えていると思ったんだよね」
 
「ひとつひとつの曲をちゃんと覚えておられるのは上島先生の方が凄いです」
 
「そうだね。だから僕以外の人ならこういうこと考えなかったかもね。それにFKってイニシャルは唐本冬子のイニシャルと一致するんだよね。僕ももっと早く気づくべきだった」
 
「公園で偶然お会いしたんです。そして例の青いボールペンで詩を書かれたんです。でもそれが高岡さんだったことを知ったのは1年半後に高岡さんの事故死のニュースを聞いた時でした」
「そうか・・・」
 
「あの日、高岡さんに色々指導して頂いて、私は作曲をもっとやってみようという気になったんですよ。曲作りの時のちょっとした要領とか、心の持ち方とか、楽曲を調整していく時の陥りがちな過ちとか、他にもキャッチーにする技法とかの話も聞きましたし。それで私の練習用にと、ご自分で詩を書かれて、これに曲を付けてごらんと言われて、それを色々修正しながら、きれいにまとめて行ったんです。ですから、あの作品は、私と高岡さんの共同作曲作品です」
 
と私は言った。
 
上島先生は頷いていた。
 
「高岡の遺品のあの青いボールペンを僕は正しい人に渡したんだな、ということを確信したよ」
 
私は無言で頭を下げた。
 

私はレストランの支配人を呼ぶとFAXを貸してくれと頼む。それで私は自分のパソコンからある譜面を呼び出し、レストランのFAX宛てに送信した。プリントした後、確実にFAXのメモリーから消去してもらう。
 
私はその譜面を上島先生にお渡しした。タイトルには『Fairy on String』
と書かれ、words by TT music by FK というクレジットが入り、日付は2002.11.10と印刷されている。
 
「これは?」
「高岡さんとは2回会いました。その2度目に会った時に『恋をしている』と同じような感じで一緒に作った作品です」
「なんと・・・・」
 
「この時、高岡さんはタイトルは英語で書かれて、日本語のタイトルは後で考えるとおっしゃいました」
「それ、ケイちゃんがいつもしてることだ!」
「だから正式なタイトルは上島先生が決めてください」
「分かった。でもケイちゃんは高岡の弟子だったんだね」
 
「そうかも。上島先生、この曲はご存じないですよね、多分」
「初めて見た。この譜面、もらっていい?」
「どうぞ」
「これ来年作るアルバムに入れよう。高岡らしい詩だ。しかも『恋をしている』
の段階から更に進化している」
 
「『恋をしている』と『Fairy on String』だけじゃないと思います。あの時から亡くなるまでの1年半もの間、高岡さんが詩を書かなかった訳が無いと思います。あの時、こんな素敵な詩が書けたんだから。きっと高岡さん、どこかにこっそり隠してます。夕香さんに見られないような場所に。探してみてください」
 
「分かった。高岡のお父さんと話してみる。いや、支香とも連絡を取って夕香さんの遺品も探してもらおう。案外そちらに紛れ込ませていたかも知れない」
「ああ、その可能性もありますね」
 
「だけどさ」
「はい」
「当時からケイちゃんって、もう女の子だったんだね! 当時小学生だよね!」
と上島先生が言い、
 
私は「あははははは」と笑って誤魔化した。
 
「それにこの歌詞、もしかしてケイちゃん、この時、ヴァイオリン弾いてた?僕、ケイちゃんは中学の時からヴァイオリン始めたと聞いてたのに」
 
「あはは、それ内緒にしてください」
 
新年の到来を告げる汽笛が鳴った。
 
 
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【夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン】(下)