【夏の日の想い出・4年生の秋】(下)

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そういう訳で、その日は夕食もひとりで取り、部屋に戻って少し仮眠を取ったあと約束通り、今日政子が書いた詩に曲を付ける。実際には政子が詩を書いていた時に頭の中でだいたいモチーフは浮かんでいたので、それをベースに曲を書いていった。
 
翌朝、朝食を取った後、政子から連絡があったので、ホテルまで車で迎えに行く。松山君も一緒だった。
 
「僕もこちらに乗せてもらっていい?」
「どうぞ、どうぞ」
 
ということで、後部座席に松山君と政子を乗せてリバプールに向かう。結局、松山君たちは今日リバプールのビートルズの足跡を巡るマジカル・ミステリー・ツアー(ビートルズの同名アルバムに引っかけたバスツアー)に参加するということだったので、私たち2人も一緒にそのツアーに参加することで松山君たちのツアーのガイドさんと話を付けてくれていた。料金は政子のカードで決済済みである。
 
「私、こういうの慣れてるから、キスとかしてもいいからね〜。見ない振りするから」
と後ろに声を掛けておいたが
 
「いや、僕たちそういう関係じゃないから」
 
などと松山君は言っている。多分、政子の方が現時点で「恋人」になるのを拒否したのではないかという気がした。一応政子には現在別の「恋人」が存在する。政子は基本的には二股はしない主義である。
 
でもふたりがわざわざ身を寄せて楽しそうにしているのを見ると微笑ましい気分だ。私ってホントに政子が男の子と仲良くしてても嫉妬しないんだなと改めて思った。
 

リバプールでアルバートドックの近くの駐車場に駐め、ツアー一行と合流する。松山君のお友だち、長江君と鹿島君と松山君がハイタッチしている。私は政子と松山君を二人にするため、長江君たちに近づき、彼らと一緒にツアーを回ることにした。
 
「へー。高校の時の同級生なんですか?」
「そうなんですよ。1年くらい前に偶然博多で再会してから、連絡取るようになったみたいですけど、なかなか進展してない感じなんで、そばでやきもきして見てます」
「いや、俺たちも松山にそんな人がいるとは全然気付かなかった」
 
「ところで、あなたは恋人は?」
「一応居ます。向こうのお母さんとも会ってますし」
「そうか。残念!」
 
「同じ工学部のお友だちなんですか?」
「そうそう。一応全員就職先は内定もらってるんで、卒業旅行に行こうという話になったんですよ。三人とも彼女居ないし、ということだったのに」
「あはは」
「示し合わせてこちらで会えるようにしたのかな?」
 
「どうなんでしょうね? 私もその付近はよく分からないけど。今回の旅は先週突然決めたんですよ」
「あ、俺たちが旅の行程表をもらったのが10日くらい前ですよ」
「何だかあやしいですね〜」
 
「そちらは何学部?」
「あ、文学部。英文科です」
「おお! それなら、今日のツアーは頼りになる」
「なんかマジカル・ミステリー・ツアーのガイドさんの英語が凄く聞き取りにくいという話だったから」
「へー」
 
バスに乗ってみると、実際のガイドの人の案内はけっこうゆっくり話してくれる感じで、多少訛りはあるものの、個人的には割と聞きやすい方だと思ったのだが、日本人のツアー客にはちゃんと聞き取れない人も多いみたいであった。「今なんて言いました?」と長江君たちに聞かれて、私が解説してあげたりした。
 
ただガイドさんはしばしば通過しながら「あれがジョンの家です」などと言ったりするので写真が撮れない!というのはあった。また車窓の反対側に見えるものはどうにもならなかった。2時間で名所回りするだけあって全体的に慌ただしいツアーなので、完璧に写真を撮るには2度乗るか、あるいは後で個人的にフォローしないといかんなという気もした。
 
ジョージの生家(George Harrison's birthplace)、ペニーレイン(Penny Lane), ストロベリーフィールド(Strawberry Field)、ポールの子供の頃の家
(Paul McCartney's childhood home) で下車して記念写真を撮る。ジョージの家までは結構歩いた。ストロベリーフィールドの孤児院は2005年に閉鎖されたらしい。ペニーレインは歌詞に出てくるラウンドアバウトも床屋さんも素通りして、随分離れた所にある「Penny Lane」と書かれた看板の前での記念撮影だった。最後はビートルズが初期の頃出演していたキャバーンクラブ
(Cavern Club)前で解散となる。
 
密度の濃いツアーだったが、ちょっと消化不良気味だね〜、などと言い合っていたら、日本人の初老のご夫婦が話しかけてきて「もしゆっくりと見たいなら、Fab Four Taxi Tour というのもあるよ」と教えてくれた。ご夫婦は前回来た時にはタクシーに乗ったらしいが、今回はあまり時間がないので短時間で雰囲気を味わえるバスツアーにしたらしい。
 
私たちは御礼を言ってから松山君たちのツアーのガイドの人に相談すると、ガイドの人が2台呼んでくれたので、私と長江君・鹿島君、政子と松山君という組合せで乗り込み、ゆっくり見られなかったペニーレインのラウンドアバウトとシェルター、床屋さん (Tony Slavin's barber shop)、ジョンの家、リンゴの家、セント・ピーターズ教会、エンプレス・パブ、などなど、見て回る。政子たちとは途中で別々になってしまった。向こうは向こうで楽しんでいるだろう。
 

夕方、インフォメーションの所で落ち合う。タクシー代はこちらは私が払った。長江君たちも少し出すと言ったのだが、こういう時はお金のありそうな人に払わせておくもんだよと言っておいた。政子たちの方も政子が払ったらしい。
 
「マーサ、何なら明日そのまま松山君たちに付いてエディンバラに行く?」
「ううん。今回の旅の目的はシェイクスピアだから、私グローブ座見なきゃ」
 
ということで彼らと別れることにする。私は長江君、鹿島君、そして松山君とも握手をした。政子も握手をしていたが
 
「キスしちゃえよ」
と唆す。長江君たちまで「そうだ、そうだ」
と言うので、結局ふたりは頬にキスした。全くふたりとも純情だ!
 
そして彼らはツアーバスに乗り込みエディンバラへ。私たちはレンタカーでロンドンへと戻った。
 
ヒースロー空港で車を返し、鉄道でロンドン市内に入り、ホテルにチェックインした。
 

夕食の間、政子は調子がいいようで、松山君とのことを楽しそうに語っていた。
 
タクシーツアーでは、政子の英語の発音が酷くて運転手さんにちゃんと通じず、松山君はあまり英語自体得意ではないので、変な所に行って「Where are we?」
状態になって、途中からはもう運転手さんお任せであちこちに連れて行ってもらったと言っていた。
 
「卒論書くためというのでなくて純粋な観光なら、もう少し長めに滞在しても良かったかなあ」
「そうだね。次来る時は、スコットランドの方まで足を伸ばせるといいよね。今回バグパイプの演奏とか見られなかったし」
「男の人のスカート姿ってのもいいよね」
「マーサ、やっぱり趣味が変だよ」
 
「そうかな。ローズ+リリーのイギリス公演なんてのは?」
「うーん。今の段階では無理だなあ。ヨーロッパではそんなに売れてないよ。私たちの歌」
「そっかー」
「全然プロモーションもしてないしね」
「確かにね〜。全編英語の歌のアルバムなんて出す?」
 
「制作費用を回収できない気がする」
「うーん・・・」
 
その夜はお互い疲れがたまっていたこともあり、セックスもせずに熟睡した。
 

翌日はグローブ座を見に行く。最初の計画では、ストラトフォード・アポン・エイヴォンの翌日、9月18日にグローブ座に行こうかと思ったのだが、18日の出し物は「The Lightning Child」といって、ギリシャの古代劇(エウリピデスの『バッカスの女信者たち(Bacchae)』)を現代風にアレンジしたものであった。「女装あり」とか「Ladyboy」などという売り口上に政子が興味を示したものの、やはりどうせならシェイクスピアの作品を見たいというので19日の『夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream)』を観て帰ろうということにしていた。
 
しかしそのお陰で18日にリバプールに行くことができたことになる。
 
その日の午前中は朝、ピカデリーのフォートナム&メイソン本店に寄ってお土産を買った後、グローブ座の劇場内の見学ツアーに参加した。
 
劇場内のレストランでお昼を食べてから観劇する。グローブ座では、シェイクスピアの時代同様に、出演者が全員男性などという劇も上演したりするのだが、今回の『夏の夜の夢』の場合は、女性の役は女性の役者さんが演じていた。
 
「冬は、女役の役者さんになりたいとか思ったことはない?」
「それは結構思ってた。堂々と女の子の服が着られるから」
「でも実は、普段も堂々と女の子の服を着てたんだったりして」
「うーん。。。それ奈緒に指摘された」
「あはは」
 
「そういえば小学校の学芸会で魔女の役をしたとか言ってたっけ?」
「うん。5年生の時だけど。眠り姫に呪いを掛ける魔女の役をした」
「他には?」
「えっと・・・・『ライオンと魔女』の白い魔女を・・・中2の時」
「ふみふみ。他には?」
「自分では記憶無いけど、幼稚園の時に白雪姫の母親役をしたらしい」
「なるほどね〜」
 

私たちが観るのは14時からのマチネ(昼公演)である。帰りを明日朝の便にしたから夜公演も観られないことはないが、22時か23時まで劇を観てからホテルに戻り、朝4時にホテルを出発するというのは辛すぎるのでマチネの選択となった。なお、シェイクスピアの時代のお芝居は基本的に日中行われていた。
 
劇は素晴らしかった。私たちは屋根のある席に座って観たが、舞台やその周囲の立見席は青天井である。万一雨が降ったら濡れる。このあたりもシェイクスピアの時代の劇場の雰囲気を再現しているのだという(このグローブ座は1997年に再建されたもの。場所は元の場所から200mほど離れた所)。観客はその土間の立見席いっぱいになっていた。あそこで観るのが「通」の観方でもある。
 
よく訓練を積んだ役者さんたちが演じているという感じだ。台詞については元々原作の台詞を全部そらで言える程度に頭に入っているので、原作の名台詞も、アレンジされている所も充分に楽しめた。
 
ここではむろんマイクなどは使用しない。役者さんは肉声で会場全体に声を響き渉らせる。その声の通りもいいし、身体を使っての表現もしっかりしている。その熱の籠もった演技に観客の反応も良い。
 
日本だと演劇でもコンサートでも、全般的に観客がおとなしいが、ヨーロッパのスタイルは随時歓声や拍手が入る。ステージがお約束事に沿って進むのではなく、マジで感激したら素直にそれを表現するという雰囲気があった。やはりこういうのは見習うべき所かもと思う。日本では酷いステージでも観客は黙って出て行くがヨーロッパだと出来が悪いと即ブーイングだとも聞いたことがある。
 
17時頃終わった後、18時からのロンドン大学の先生による解説も見た。私たちはマチネを観てからこの解説を聞いたのだが、解説を聞いた後、夜公演を観る人たちも多いようである。
 
19時頃終わってから、夕方のロンドンの街でのんびりと食事をしてホテルに戻った。今回の旅はストラトフォード・アポン・エイヴォンで2連泊、ロンドンで2連泊である。
 

政子は夕食の間、今観た『夏の夜の夢』のことや、この3日間の想い出を楽しそうに話していた。
 
「ところで、松山君とは、したの?」
「したけど・・・いけなかったかな?」
「ううん。いいと思うよ。私が煽った感もあるし」
「・・・3月に東京で会った時には自分には交際中の恋人がいるからセックスはできないからと言ってフェラしたんだけどね」
「フェラするってのは事実上セックスしたも同然だと思う」
 
「だよねぇ。それが自分でも何だか引っかかってたから、今回はちゃんとした」
「スッキリしたでしょ?」
「うん。ちゃんと自分と貴昭との関係を考えることができるようになった」
「じゃ、恋人になるの?」
 
「恋人にはならないということで同意した」
「なればいいのに」
 
「まだ・・・彼とは友だちでいたいの。しちゃったのに、ダメかな?」
「しちゃうことのあるお友だちってのもあるよね」
「ああ、そんなこと、私と冬、高校時代に随分言ってたね」
 
そんなことを言ってから政子はしばらく何か遠くを見つめるような仕草をしていた。そして言った。
 
「To be or not to be」
 
私は答えた。
「Let it be」
 
政子が吹き出した。
「そうだね。あるがままを受け入れればいいのかな」
 
「物事ってなるようになるよ。でも、松山君との関係を友だちということにしていて、彼に恋人出来ちゃったらどうする?」
「私も恋人いるし、大きなこと言えないよ」
「我慢できるの?」
「分からない・・・・嫉妬で狂うかも。オフェーリアのように」
 
「でもパックみたいなのが出てきて全て解決したりしてね」
「そうだなあ。パックは好きだな。パックが居るとしたら、もしかして私と冬の子供かもね」
 
「ああ、そういうこともあるかもね」と私は言った。
「ね、冬、私に隠れて子供産んでたりしないよね?」と政子。
「私は産めないよ〜。マーサこそ、隠し子してないよね?」
「隠し子か・・・それもいいな」
 
「でも私たちの隠し子説って、結構あったよね」と政子は言った。
「あった、あった。A Young Maiden 書いた時にマーサが子供産んでて、親戚のもとで密かに育てられているのではとか」
「あの時生まれていたら、今はもう5歳ということか・・・」
 
「他にも長らくマリが休養していたのは、実は子育てしていたからだとか」
「うふふ。あの時出来てたら良かったのになあ」
 
政子が言う「あの時」というのは、私が去勢手術を受ける前日、たった一度だけした男女間セックスのことだ。
 
「実はできてたりしてね」と私は微笑んで答えた。
 
政子も微笑んでいた。
「もし、あの時出来てたら、私産んでもいい?」
「いいよ」と私は即答する。
「ふーん」
 
「でも、まだ妊娠中なの? あれから3年経つけど」
「『姑獲鳥の夏』より長いね。でも今まだ私出産する訳にはいかないから」
「うふふ」
 

その夜、私たちはたくさん愛し合った。昨夜は政子が松山君と夜を過ごした翌日ということで、お互いちょっと遠慮した感もあったが、そのことを話してしまったので、今夜はしてもいいかなという雰囲気になった感もあった。
 
「私、基本的に男の子とのセックスより、冬とのセックスの方が快適なんだけどさ」
「うん」
「貴昭とのセックスは、冬とのセックスに近いくらい気持ち良かった。今まで体験した男の子の中でいちばん充足感があった」
 
「それはつまり、貴昭君との相性がとってもいいってことさ」
「そっかぁ・・・」
 
と言ったまま、政子はしばらく天井を見つめていた。
 
「冬、クンニして」
「OK」
「それしながら指でGスポット刺激して」
「了解」
「一緒に乳首もいじってくれる?」
「左右どちらがいい?」
「両方」
「手が足りないよ!」
 

翌日は朝4時にホテルを出る。
 
旅行代理店で用意してもらっていた送迎車で、ヒースロー空港ターミナル1に行く。チェックインは自動チェックインにしていたので、荷物を預け、セキュリティを通って、中のカフェで朝食を取ったのち、8:20のルフトハンザ航空フランクフルト・アム・マイン行きLH925(NH6232)に乗る。
 
機種は B737-300 である。わりと小さな機体だ。ビジネスクラスは機体の前部にあるが、見た目はエコノミーと大して変わらない。ただ3席並びの真ん中の席を使用しない!という運用方法によって、エコノミーより少しゆったり感を持って乗ることができるようになっている。
 
到着は11:00。時差が1時間あるので、実際には1:40のフライトである。東京から福岡あたりに飛ぶ感覚だ。実際、ロンドンからフランクフルトまでの距離は620kmで、東京−広島間(680km)より少し短いくらいである。
 
フライトはのんびりと朝ご飯を食べ、おしゃべりしている間に着いてしまった。
 
1時間の待ち合わせ(結構バタバタ)で、12:00の羽田行き全日空NH204便に乗り継ぐ。今度の機体は B787-8。とっても新しい機体だ。色々当初はトラブルも多かったが何とか落ち着いて来ただろうか?来る時と同様にビジネスクラスは BUSINESS STAGGERED 千鳥式の配置になっている。
 
やはり座席をフルフラットにできるので、お昼を食べた後、取り敢えず寝た。政子も朝早く起きて眠かったようで、やはり寝ていた。
 
3時間ほど眠った所で目が覚める。ほどなく政子も起きたのでドリンクを頼んで水分補給した上で、政子としばしおしゃべりする。
 
何時かなと思って時計を見たら、イギリス時刻のままにしていたので、15:30になっていた。
 
「あ、そうだ。時計を日本時間に戻しとかなきゃ」
 
と言って私が愛用のピンクのBaby-Gをロンドンの夏時刻から日本時刻に表示を変えていたら、政子が
 
「あれ? 冬は時計を変えてたんだ?」
などと言う。
 
「マーサは時計の設定、変えなかったの?」
「めんどーい。私は日本時刻のまま。だから今23:30」
「不便じゃなかった?」
 
「だって私の身体は日本時刻で動いてるんだもん。それでイギリスでは夜中の1時頃からお昼頃まで活動して、午後は寝ると考えればいい。現地時刻が必要なら、イギリスは8時間、ドイツは7時間引けばいいんだし」
 
「まあ、それはひとつの手だよね。世界を忙しく駆け巡るエグゼクティブの中には、その方式の人が時々いるらしい。それに8時間の足し算・引き算はマーサは楽勝だろうしね」
「うん。それもあるかもね。あと、御飯はお腹が空いたら頼めばいい」
「確かに!」
 

「この飛行機、何時に着くんだっけ?」
「朝の6:25羽田着」
「あ、羽田に着くんだ」
「そそ。楽でいいよね」
 
「フランクフルト・アム・マイン出たのはドイツ時刻で12:00だったっけ?」
「うん」
「ふーん。11時間25分か。来る時はどのくらい掛かった?」
「えっと、ちょっと待ってね」
と言って私は時刻表を確認する。
 
「成田を出たのが11:30で、ヒースローに着いたのが16:00」
「じゃ、12時間30分か。さすがにフランクフルトの方が近いからだよね」
 
私は筆算しないとこういう計算はダメだが、時差付きの時刻計算でも一瞬でやってしまうのが、さすが政子である。
 
「それプラス、ジェットストリームがあるから。この羽田−フランクフルト便は、羽田からフランクフルトに行く時は、夜中の 1:00 に出て 6:10 に着いているよ」
 
と私は時刻表を確認して言う。
 
「ああ、西向きに飛ぶ場合は風の流れと逆向きだから12:10掛かってるのね。あれ?そんなに差が無い気もする」
「夏はジェットストリームが弱いからかも。冬期だともう少し差が出るかもね」
 
「ジェットストリームって冬期が強いの?」
「そうそう。強い時は秒速150mくらいあって、昔の飛行機だとエンジン全開なのに後ろに飛んだなんて話もある」
「ひゃー」
 
といってから政子は詩を書き出す。
 
『Back Flight -逆飛行-』と書かれている。まんまだ! 政子の詩のタイトルには『蘇る灯』『夜宴』のように「なぜ、そうなった?」と思うものもあるが、『恋のステーキハウス』のように結構ストレートなものも多い。
 

政子と冬子の行程
16日 1130NRT発 1600LHR着 Stratford泊
17日 Stratford見学 Stratford泊
18日 Liverpool見学 London泊
19日 Globe見学 London泊
20日 820LHR発 1100FRA着 1200発
21日 625HND着

21日6時半に羽田に戻ってきた私たちは、そのままいったんマンションに帰りまずはシャワーを浴びて寝た。そして10時頃起き出して、放送局に出かけ、来週の土曜日に行われる間島香野美(ゆきみすず)さんのライブについて、間島さん本人、ゲスト出演する田中鈴厨子(すずくりこ)さん、★★レコード関係者、技術スタッフ、田中さんの歌唱をサポートする役のローズクォーツのタカ、指揮者の渡部賢一さん、そして放送局関係者と最終的な打合せをした。
 
その打ち合せが終わってから、タカは「しろうと歌合戦」の出演のため、別の放送局に行き、私と政子、渡部さんはローズ・クォーツ・グランド・オーケストラの練習場所に移動する。今日・明日がこのオーケストラの最後の練習ということになる。練習はコンマスの桑村さんを中心に行われていて、美野里やアスカも出てきてくれていた。
 

現在このオーケストラは、桑村さんを含む専任の楽団員23名、私の友人5人、それにローズクォーツの4人・スターキッズの8人、それに私と政子の合計42人で構成されている。
 
この中から、私と政子、友人・ローズクォーツ・スターキッズの合計18人が抜けるし、楽団員23名の内、5人が9月いっぱいで退団することになっている。私の友人の中で詩津紅だけが「面白いから残る」と言って残留することになった。ただ、現在大学の卒論で忙しいので、12月まではややまばらな参加になるかも知れないということだった(就職先は大手通信会社の事務系の仕事で内定しており土日は確実に休めるらしい)。
 
それで結局「楽団員の公募」は行わないことになった。
 
Eliseから推薦してもらったメンツ(結局Annaもスイート・ヴァニラズと兼任でこちらにも参加することになり、バンドまるごとの参加になった)、美野里から推薦してもらったピアニスト森下乃江さん、雨宮先生から推薦してもらったサックス奏者・鮎川ゆまさん、私がスカウトして来た三人組のフルート奏者《トリュート》と古い知人のマリンバ奏者・千鶴さんを加える。これでリズムセクション・木管セクション・鍵盤セクションは補充されてしまった。
 
更に現在の楽団員からの推薦で、弦楽器奏者や金管楽器奏者が若干名補充され、これだけいれば問題無いね、ということで公募せずに、その新しく加わる人たちを入れて10月から即《渡部賢一グランド・オーケストラ》として活動再開することになったのである。新しい陣容はこんな感じである。
 
リズムセクション(3) Gt.亜矢 B.須美 Dr.奈保 (以上3人はNadiar)
木管セクション (5) Fl 《トリュート》の3人 Cl 詩津紅 A.Sax ゆま
鍵盤セクション (3) Pf 乃江 KB 真知(Nadiar) Mar 千鶴
弦セクション  (16) Vn 桑村+11名 Vla 2名 Vc 2名
金管セクション (10) Tp 加治+4名 Tb 杉江+4名
 
4月にオーケストラを結成した時は「歌う摩天楼」のメンバーは桑村さんを入れて4人だったのが、6月に追加メンバーを入れた時に1人増えて、今回の補充でまた3人増えて、8人になった。
 
「10年後には当時のメンツが全員参加してたりして」
「10年後まで続けたいね〜」
「その時は、KARIONのいづみちゃんも招待してケイちゃんとふたりで《千代紙》も再現してもらおう」
 
《千代紙》というのは、源優子(和泉)と柊洋子(私)のペアに、当時渡部さんが勝手に付けた名前である。なぜ千代紙なんですか?と訊いたら、本人は可愛いからとかよく分からないことを言っていたが、後に「折紙を折って色々な形を作れるように、ふたりはどんな歌でもきちんとその流儀で歌えるからだよ」
と桑村さんが解説してくれた。
 

イギリスから帰って来た後は、間島香野美関連、グランド・オーケストラ関連、KARION関連、ワンティス関連などで散発的に仕事が入ったり、またアスカとの「夜間ぶっ通しの練習」をしたりはするものの、大半の時間はマンションで政子と一緒に論文を書いていた。時々政子の母や、うちの姉などがマンションを訪れてお茶を飲んだり御飯を食べていくのが適度な気分転換になった。この時期、和泉の方も必死に論文を書いていた。
 
しかしそれだけ集中して書いたおかげで、10月末くらいまでには、論文もほぼ完成。川原教授に見てもらい、多少の問題点や論考を加えた方がよい所を指摘される。それを直して、11月上旬にはOKをもらい、印刷・製本に回した。
 
和泉の方も何とか11月中旬に論文を完成させた。これでローズ+リリーもKARIONも春から活動再開できることが確定した。
 

論文完成間近となっていた10月19日、あきら・小夜子夫妻の第2子が誕生した。私と政子は、和実・淳、桃香・千里、それに春奈・彩夏・千秋と誘い合って、見学に出かけた。
 
「わあ、また女の子なんですね」
「姉妹っていいですね」
 
「最初から女の子だったんですか? それとも女の子にしちゃったんですか?」
「うん。最初から女の子だったよ」
と言って小夜子は微笑む。
 
上の子・みなみが生まれた時、ふたりは「この子男の子だったけど、お医者さんに頼んで手術して女の子にしてもらった」などという冗談を言って、みんな一瞬本気にしかけたのであった。
 
「子作りはこれで終了?それともまだ行きます?」
「私は2人いればいいと言ってる。だから、あきらにも去勢していいよと言ってる」
「僕は去勢するつもりはないと言ってるんだけど」
「またまた、本当は早く女の子の身体になりたいと思ってる癖に」
「それ、まだ迷ってるんだよ−」
 
「なんか、1年後くらいには、私たちあきらさんの性転換手術のお見舞いに来てるような気がするなあ」
「ああ、するする」
 
「GIDの診断書はもらってるんですか?」
「うん。一応2枚もらってる」
「じゃ、いつでも手術受けられますね」
「うーん・・・」
 
「名前は決まりました?」
「うん。《ともか》って言うの」
「可愛い、可愛い」
 

少し時間を遡って9月25日、当初の予定の2ヶ月遅れでのリリースとなった、KARIONの7枚目のアルバムでデビュー5周年記念アルバム『三角錐』が発売になった。論文作成で忙しい和泉が、この発売の記者会見にだけは出てきた。
 
発売の一週間くらい前からFMなどで一部の曲が流されていたし、youtubeでPVも公開されていたので、かなり話題になっていた。
 
「『アメノウズメ』とか『天女の舞』とか、神話をテーマにした曲が入っていますね?」
「ええ。今回のアルバムの発想を得るために旅をしてきたので、その旅先で着想を得て書いた曲です」
「どちらで書かれたんですか?」
「それは公表すると、その現地の方にご迷惑をお掛けしますので、公表は控えさせてください」
 
最近この手のものを発表すると「聖地巡礼」をするファンが居て、それ自体はありがたいものの、一部マナーの悪いファンが顰蹙を買っている問題も指摘されている。
 
「ボーナスCDにソロで歌った歌が4つ収録されていますよね。いづみさん、こかぜさん、みそらさんの声は分かりますが、もうひとつの声は?」
「はい、それが水沢歌月の声です」
 
記者たちがざわめいた。
 
「ちなみに、私とみそら・こかぜの歌のピアノ伴奏は水沢歌月がして、水沢歌月の歌は私がピアノ伴奏しました」
 
「今回のアルバムは4声で歌っている歌がとても多いですが、それも水沢歌月さんですか?」
「ええ。今回の4声の歌の大半は、私とこかぜ・みそら・水沢歌月の4人で歌っています」
「どの歌が水沢歌月さんですか?」
「それは諸事情により公表を控えさせてください」
 
「『歌う花たち』はローズ+リリーのおふたりが参加して6声になっていますが、その残りの1つも水沢歌月さんですか?」
「それは別の人です」
 

「水沢歌月さんは今後もKARIONの歌唱に参加なさるのでしょうか?」
「毎回ではないですが、しばしば参加すると思います。11月発売予定のシングルにも参加しています」
 
「水沢さんがKARIONに関わったのはいつ頃からなのでしょうか? 確認してみると、2008年1月27日、デビューして間もない頃のライブで、森之和泉作詞・水沢歌月作曲の『Crystal Tunes』がお披露目されてますよね?」
 
当時は少女A作詞・少女B作曲というクレジットだったものである。
 
「水沢歌月は、元々私の親友なので、KARION結成以前から私との繋がりがありました」
 
「今回のアルバムに添付された写真集に、4人並んだ写真が2枚掲載されてますね。左側の写真はかなり昔のものと見たのですが。それでどちらもいづみさんとみそらさんの間の人が顔を隠していますね」
 
「はい。それが水沢歌月です。左側の写真はデビュー直前のもの、右側の写真は今回撮影したものです。うまく乗せて一緒に写真は撮ったのですが、水沢はあくまで一般人で平穏に暮らしたいからというので、顔は隠すことにしました」
「なるほど」
 
「水沢歌月さんについては年齢・性別まで含めて非公開ということでしたけど、こういう服を着ておられるし、やはり女性ですよね?」
「裸にしてみたことないので確かではありませんが、多分女性だと思います」
 
記者の中から笑いが漏れる。
 
「水沢さんがKARIONに正式に加入するということは?」
「それはないと思います。実はうちの事務所の社長もKARION結成の頃から何度もかなり熱心に勧誘しているのですが、ずっと断られています」
 
「結局、どこかに就職なさるのでしょうか?」
「就職は絶望的な状況のようですね。でもパートでもしながら、KARIONの曲は今後も書いていくよと言っています」
「ではずっとKARIONと一緒に活動していくんですね?」
 
「はい。実際問題として、私もこかぜ・みそらも、そして事務所としても、気持ちとしては、水沢歌月はKARIONの4人目のメンバーだと思っています。水沢歌月無しのKARIONは考えられないので」
 
「PVでピアノを弾いているのも水沢歌月さんですか?」
「そうです。KARIONの音源制作では5年前から一貫して水沢歌月がピアノを弾いています。実はKARIONに正式加入しない代わりにと言って弾いてくれたんです。デビューCDや4枚目のCD『秋風のサイクリング』,7枚目のCD『愛の悪魔』
などのPVにも、やはりピアノを弾いている所が映っていますね」
 

KARIONのアルバムが発売された翌々日、私と政子は、間島香野美さんのライブのリハーサルに立ち会っていた。そこに珍しく上島先生が来ていた。数年前に一度間島さんに楽曲を提供したことがあり、今回も1曲提供したので、その関わりなのだが、超多忙な先生が、こういう場に来るのは珍しい。
 
先生は、耳が聞こえない田中鈴厨子さんの歌唱に驚いていた。
 
「よく耳が聞こえないのにあれだけ正確な音程で歌えるね」
「色々補助システムを今回開発したのもありますけど、元々の音感の良さも大きいのだと思います」
 
リハが終わった後で、先生からお茶に誘われた。政子は帰して先生とふたりだけで喫茶店の個室に入った。
 
「KARIONの新譜聴いた?」
「ええ」
「『アメノウズメ』に衝撃を受けた。水沢歌月は凄い」
「私もライバル心を掻き立てられました」
「あんな曲が書けると、あちこちから楽曲提供の依頼があるだろうけど、KARION以外にはほとんど書かないね、あの人」
 
「和泉とのペアでしか書かないからだと思います。和泉が忙しいので作詞のペースが限られるので。私とマリの作詞作曲と同様に、あのふたりは不可分みたいですよ。それに元々和泉はマリほど多作ではないですし。マリは年間400-500篇の詩を書きますが、和泉はせいぜい100篇くらいです。水沢歌月は発表しているもので年間15曲から20曲程度、未発表曲までいれても年間30曲程度しか書いてないようですね」
 
「その少ない作品に物凄いパワーをつぎ込んでいるのかねぇ。いや自分の基準で考えちゃうから少ないと思っちゃうけど、本来作曲家としては比較的多作な部類になるよね」
「そうですね。私もそのあたりの感覚がくるってる気もしますけど、私などからすると凝縮されているのかも知れませんね」
 
「ケイちゃんも年間200曲以上書いてるよね?」
「発表してない作品を入れるとそんなものですね」
「あまり仕事増やさないように気をつけないといけないよ。いったん歌手のお世話とか引き受けてしまうと、その歌手が引退するまで責任が生じるから」
 
「引退か・・・・・」
 
つい先日、上島ファミリーのひとりでアイドル歌手の 篠田その歌 が、結婚と引退を発表した。結果的に上島先生は年間30曲ほどの楽曲制作の負荷から解放されることになる。
 
「・・・・先生はどうして年間800曲、900曲と書けるんですか? 限界を感じたことはありませんか?」
 
「限界を感じることはある。自分でも数年前のペースでは書けないと思っている。だからここ2年くらいは敢えて新しい仕事を断ってペースを落としている。10年後くらいには今の半分くらいのペースにしないと品質を維持できないだろうと思っている」
 
「考えてみると、作詞のペースだけ見ても、マリの倍以上書いておられるんだから凄いです。マリは400-500篇書いているといっても、商業的なものには馴染まないものが多いですけど、先生は売れる歌詞を年間1000篇だから」
 
「・・・・10歳頃から20歳頃まで、色々悩んでいた時期があって、その時代に書きためた詩が全部で1万篇以上ある。そのストックをかなり使った。でもさすがにストックが減ってきた。今未使用のものは3000篇くらいしか無いからあと4-5年このペースを続けたらストックが尽きるね。まあ、その時は作詞は誰かに依頼して、作曲に専念するスタイルにするしかないかなという気はする」
 
「そうだったんですか。それにしても凄いです。先生・・・」
「うん」
「正直言うと、私ちょっと限界感じています。でも何とか頑張りたいんです。みんなローズクォーツの方は辞めちゃえよと言うけど、参加の仕方を多少調整したとしても、やはりあのユニットも続けたいんですよね」
 
「うん。それでいいと思う。ケイちゃんは色々なことをしていてこそ、ひとつひとつのことがきちんと出来るタイプだから」
 
「ですよね。でも負担がきついのは確かで。物凄いペースで書いておられる先生から見たら笑っちゃうかも知れませんが、何か限界を越える心の持ち方とか無いものでしょうか?」
 
「・・・・まあひとつは義理を欠くことだよ」
「そうですね」
 
「それから、他人でできることはどんどんそちらに投げる。君も例えば峰川さんとか、春奈ちゃんとか、宝珠さんとか、一部の仕事を肩代わりしてくれそうな人には、どんどん投げてしまえばいい」
「はい」
 
「僕はやはり下川がいるからこそ今の仕事ができている。僕と下川とは、多分君とマリちゃん、森之和泉と水沢歌月などの関係に近いと思う。僕がイマジネーションだけあって充分な表現ができていない所を下川がうまく表現してくれる。だから工房方式にしていても、実際のアレンジャーに渡す前に下川が結構僕の譜面を調整してくれている。ふたりの約束で下川は編曲料だけをもらうことにはしているけど、本当は作曲のクレジットは僕と下川の共同にすべき所なんだよ。これは支香にお金を渡してあげなければというので、下川が僕の取り分を多くするためだったんだけどね」
「そうだったんですか・・・」
 
「・・・・そして多分これがいちばん大事かな」
 
「はい?」
 
「自分の力を信じること。疑問を持ったら負けだよ」
「・・・・・」
 

ローズ・クォーツ・グランド・オーケストラのラスト公演が行われた翌日、2013年9月30日・月曜日。私は朝から富山空港に飛んだ。空港連絡バスに乗ってお昼くらいに高岡に入る。青葉が学校から帰るのは4時頃だろうか?お母さんも不在だったら、どこか近くで待たせてもらおうと思ったのだが、青葉は在宅だった。そしてこう言った。
 
「お待ちしてました」
 
「え? 私今日は何も言ってなかったのに」
と私は驚いて言う。
 
「お母ちゃん、お願い」
「うん」
 
ということで、私は青葉の母が運転する車に乗せられた。
 
車は海外沿いに走り、雨晴海岸の女岩、そして義経岩の所を過ぎて、海水浴場の付近まで行った。
 
「じゃ、私そのあたりしばらく散歩してくるから。帰る時は呼んで」
と言って、青葉の母は車から降りてどこかに歩いて行った。
 
「えっと・・・」
「冬子さんが、大事な相談事があるみたいと分かったので、今日は学校を休んで朝から潔斎していました。母にも仕事を休んでもらい運転手を頼んだんです」
 
「私が来ることが分かってたのね!」
「それもとても大事なことだと思ったので」
 
「うん・・・それでここで相談していいの?」
「ここは、私のパワーがとても大きくなる場所のひとつなんです」
「へー。何かパワースポットなの?」
「パワースポットなら、能登半島には金剛崎とか總持寺とか、たくさんそういう場所がありますけど、ここは私だけの特殊な場所なんです」
「なんで?」
「私が小さい頃、ここで父に殺され掛けたから」
「げっ」
「助かるために必死で自分のパワーを使ったから、この場所に私の全力を開けるキーが書き込まれてしまったんですよ。だから、ここでは自分の最高のパワーが出せます」
 
「そういう場所って嫌や場所にはならないの?」
「ふつうの人は嫌だと思うでしょうね。でも嫌だと思うのは、実は自分が神のパワーに触れるのが怖いからなんですよ。そういう時、人は自分だけの力ではなく、神のパワーまで使ってますから」
 
「神様のパワーって誰でも使えるの?」
「必死になった時には使えます。だから言うんです。神は自ら助くるものを助くって」
「その言葉、そういう意味だったのか」
 
「もっともまずは自分しかできないことと、他人にもできることを切り分けるのが大事です。他の人でできることはどんどん出来る人に投げましょう」
 
「うん」
「それでも自分しかできないことがたくさんありますよね。そんな時、最後の手段として神様の力を借りるんです」
「なるほど」
 
「誰の心の中にも、神様とつながることのできるポイントがあるんです。それを泉に喩える人もいますが。物凄いパワーがそこから湧き上がってくるから」
 
「奇跡みたいなことが起きる時?」
 
「そうですね。神懸かりみたいになった時。梅原猛が『隠された十字架』を書いた時、聖徳太子が乗り移ったかのようだったなんて言ってましたね。岡本天明が『日月神示』をオートライトで書いてますけど、あれもそういう、心の深い所にある泉からあふれ出してきた言葉だと思います。タルティーニが悪魔から習って『悪魔のトリル』を書いたのとか、もう耳が聞こえていなかったはずのベートーヴェンが、不思議なメロディーに誘われて散歩に出て『月光』を書いたのだとか、やはり一種の神懸かりだったと思うんですよ」
 
「政子の詩作なんか、そもそもそれに近いよね?」
「ええ。政子さんは詩を綴る巫女です」
 
「私も・・・歌を綴る巫女になれるだろうか?」
 
「冬子さんは、元々歌を綴る巫女だったと思います。『Crystal Tunes』とかあるいは『あなたがいない部屋』とか、天からメロディーが降りてきたような感覚がありませんでしたか?」
 
「私・・・・もしかしたら、その感覚をどこかに忘れてきたのかも知れない」
「だったら思い出しましょうよ」
「どうやったら思い出せる?」
「確実に、冬子さんが巫女として歌を綴ったことのある場所に行けば思い出しやすいと思います」
 
「『あなたがいない部屋』はスタジオで書いたんだけど、あれは凄く特殊な心理状態だったんだよ。政子を失うかも知れないという心の不安があれを書いた」
「自分のパートナーを失うかも知れないという不安は、それこそ心の根本を揺り動かしたでしょうからね。『Crystal Tunes』は?」
 
「あれはね。KARIONのキャンペーンで博多に行った時、ホテルで書いたんだ。えっと・・・ジパング・ゲートイン・ホテルだったかな」
「それはまた庶民的なホテルチェーンですね」
「当時は予算が無かったからね」
 
「じゃ、一緒に行きましょうよ」と青葉は言った。
「いつ?」
「今から」
「えー!?」
「冬子さん、明日はお仕事ありますよね」
「うん、ある。お昼からだけど」
 
「だから、明日朝の便で東京に戻るようにしましょう。母を呼びます」
と言って青葉はお母さんに電話した。
 
そして言った。
「ちょっと車の中で申し訳無いですけど、横になって下さい。母が来る前に、少しだけ冬子さんの心の扉を開きます」
「あ、うん」
 

青葉のお母さんの車で、能越道・北陸道を走って18時半に小松空港に着いた。車内で飛行機の予約、ホテルの予約まで済ませておいたので、小松ですぐにチェックイン、セキュリティを通って、青葉とふたりで福岡空港行きANA 319便に乗り込んだ。軽装で来ているので預ける荷物などもなく、スムーズに搭乗することができた。(でも着替えも無い!)
 
今日の青葉は、私たちがこの便に間に合うという所まで読んでいたような気がした。機内では青葉は「今日はパワー消費が激しいのでいったん寝ておきます」
といって熟睡していたので、私もぐっすり寝ていた。
 
21:10着の予定だったが実際には21時半くらいに福岡空港に降りた。地下鉄で博多駅に移動し、駅近くのジパング・ゲートイン・ホテルに行く。部屋は「川上冬子・青葉」という名前でツインを取っておいた。
 
私はフロントで言ってみた。
「もし可能だったら5階の部屋は空いてませんか?」
「5階でございますか? はい。大丈夫です。それでは523号を」
 
と言って鍵を出してくれた。5年半前にここに泊まった時、5階の部屋だったのである。その時は∴∴ミュージックの三島さんと一緒に泊まっている。さすがに部屋番号までは覚えていない。
 
とりあえず部屋に入った。
 
「当時、どういう状況で書いたんですか?」
「えっとね。大浴場に行ってきたら、その間に和泉が詩を書いていて、上がったところで『これに曲付けて』と言われた」
 
「じゃ、大浴場に行きましょうか」
「うん。でもその前に何か食べようよ」
「ふふふ。それ普通は政子さんの台詞ですよね」
「うん。日帰りで帰ると言ってたから、今頃お腹空かせて、ベッドの上で寝ているんじゃないかと」
 
「政子さん、外食とかはしないんですか?」
「ランチくらいは食べに行くけど、あまりひとりで外食するのは好きじゃないみたい。いつだったかは、私が広島に来てた時、わざわざ新幹線で広島まで来て、それから一緒にお好み焼き屋さんに行ったからね」
「なるほど」
 
「あ・・・・あの時も、自分の力ではない感じで曲が書けたんだった」
「へー」
 
「その時、和泉と政子の両方から『朝までに曲を書いて』と言われたんだよ。でも政子と深夜の3時頃までお好み焼き屋さんに居て、ホテルに戻ってまあ色々して、政子が寝たのは4時半で。だからそれから朝6時くらいまでの1時間半の間に政子が書いた『蘇る灯』と和泉が書いた『星の海』に曲を付けた」
 
「どちらも名曲じゃないですか!」
「うん、我ながらあれは凄かった」
 
「冬子さん、明日はお仕事は何時に終わりますか?」
「18時くらいだけど、18時半くらいまでずれ込むかも」
「じゃ、明日広島行きの最終に乗りませんか?」
「あはは」
「政子さんとふたりで来てください、良かったら」
「了解!」
 

それで取り敢えずホテルの外に何か食べに行った。が、博多駅周辺というのは実にお店が無い。昼間はたくさん開いているものの、夜になるとコンビニくらいしか開いてないのである。結局、私たちは《やよい軒》に入って、しょうが焼き定食を2つ頼んだのだが・・・
 
「済みません。今私お肉食べられないので、このしょうが焼きは冬子さん食べてくれませんか?」
「あ、そうか。ごめんね。でもそしたら、私の御飯・お味噌汁そちらにあげるよ。私、あまりたくさん食べきれないし」
 
ということで、御飯と味噌汁は青葉が2人分食べ、しょうが焼きは私が2人分食べた。
 
「こういう時、政子さんがいたら便利なんですけどね」
「全く。多分今、しゃぶしゃぶでも食べている夢を見ながら寝てるな」
 

コンビニで替えの下着と「お泊まりセット」を買ってからホテルに戻り、当時の状況をできるだけ再現するため、私ひとりで大浴場に行った。青葉は待機しているということだった。
 
ホテルの構造は5年半前とあまり変わっていない。ただ、以前あったラウンジが無くなり、代わりに女性専用のマッサージサロンや、インターネット・コーナーなどができていた。
 
男湯の暖簾と女湯の暖簾を並べ見て、ふと苦笑する。まだあの頃の私って、このどちらの暖簾をくぐるかというのに迷いがあったよな。今は迷う必要もない。とは言っても、当時既に本当は迷っても仕方の無い身体ではあったんだけどね!
 
服を脱ぎ、浴室に入って身体を洗い、ついでに髪も洗ってから浴槽につかる。時間帯が遅いのでお客さんは5人くらいしか居ない。
 
考えてみると、あの年はお風呂で色々なことが起きている。1月はKARIONのキャンペーンでこのホテルに泊まり、珠里亜さん・美来子さんと一緒に入浴した。元々相性が悪そうだったふたりを少しでも仲良くさせるために私がふたりをお風呂に誘ったのだが、あれで私と彼女たちは仲良くなることができて、結局珠里亜・美来子でデュオとして2009年に《Ozma Dream》の名前でメジャーデビューを果たし、そんなに売れている訳ではないが、現在でもそこそこの売上を上げている。今ではすっかりふたり仲良くしているようである。
 
2月には、政子たちと一緒に東北の温泉に行った。その時、丸花さんと遭遇してまた歌手デビューを勧められたし、穂津美さんとも再会して、結果的には彼女たちのデビューの後押しをすることにもなった。
 
9月上旬には、熱海の温泉の女湯の中で偶然雨宮先生と遭遇。結果的にはこれが私と政子がメジャーデビューするきっかけとなった。
 
その約一週間後には、荒間温泉で、リュークガールズの子たちと、一緒に温泉に入ろうとした所を、緊急呼び出しで、結局脱衣場からUターンして、上島先生から『その時』という作品を頂きメジャーデビューが決まったことを告げられたのだった。
 
11月には、ローズ+リリーのライブツアーで訪れた福岡(あの時はファルコンホテル)で、政子と2人で、深夜の大浴場の女湯に入っている。そして、その数日後、今度は修学旅行で訪れた別府のホテルで早朝、目の見えないお婆さんを誘導して女湯に入った。
 
なんとあの年は6回も女湯に入ったのか! と考えると我ながら大胆だなという気もしてくる。あの頃は私のバストもBカップ近くあったから、女湯に入っても全然違和感無かったしね〜。
 

あの頃のことを考えていたら、つい長湯になってしまった。あがって身体を拭き服を着てから、大浴場を出てエレベータの方に行こうとしていたら、横から
「冬子さん」
と声を掛けられてびっくりする。
 
青葉だった。
「すみません。これに曲を付けてくれませんか?」
「へ?」
 
驚いて受け取り、詩を斜め読みする。『輝く季節』とタイトルが書かれている。
 
「これ、和泉の詩?」
「はい。当時の状況をできるだけ近い感じで再現するには、和泉さんの詩を出した方がいいかなと思ってお電話してみたら『じゃ、これお願い』と言ってメールしてもらったので、それを書き写して来ました」
 
「あはは。了解。朝までに付けるね」
 
と言って一緒に部屋に戻った。
 

青葉は、私に裸になるよう言った。
 
「ダイレーターは外してますね?」
「うん」
 
「ベッドの上に横になって目を自然に瞑ってください」
「うん」
 
「ゆっくりと呼吸して。30秒くらい吸って、30秒くらい吐く感じ」
 
青葉は部屋の灯りも消した。何だかとても心地良い感じ。私は起きているのか寝ているのかよく分からない雰囲気になっていた。いや、やはり眠ってしまったのだろう。私は青葉に手を引かれて、どこか森の中の小径を歩いていた。
『この道を覚えておいて。もし見失ったりしても、この道を辿れば行けるから』
『うん』とは答えたものの、どうやって覚えればいいんだ!?と思ってしまう。
 
そして青葉が連れて行ってくれた所には豊かな泉が湧いていた。
 
『美味しそうな水でしょう? 飲んでみるといいです』
 
私は青葉に言われて一口飲んでみる。美味しい!
 
『美味しいでしょ?』
『うん。もっと飲んで良い?』
『たくさん飲んで下さい』
『飲んじゃおう。青葉も飲むといいよ』
『そうですね。じゃもらっちゃおうかな』
 
それで私はその泉の水をたくさん飲んだ。青葉も3回くらい飲んでいた。
 

朝、爽快に目覚めた。私は裸のままだったが、毛布は着せてもらっている。青葉は隣のベッドですやすや寝ていた。時計を見ると6時だ。9時半の飛行機に乗らなければならないから、そろそろ起きた方がいい。というか青葉がこんな時間まで寝ているのは珍しい。恐らくは私のヒーリングのために物凄いパワーを使ったのであろう。
 
私は服を着てから青葉を起こそうとした時、唐突にメロディーが頭の中に流れてきた。
 
急いで五線紙を出して、《銀の大地》を使って書き留めていく。何?この感覚。それは豊かな水が心の奥の方から自然に流れ出してくるかのような感覚だった。
 
そうだ! 『Crystal Tunes』を書いた時は、こんな感覚だった!
 
曲を書き終えた頃、青葉が目を覚ました。
 
「あ、すみません。私ったらぐっすり寝てた」
「青葉、私、書けたよ」
「はい?」
 
青葉は私の手許にある譜面を見た。
「凄くいい曲ですね」
「うん」
「泉が復活したんですね」
「復活したかどうかは分からない。でもこの感覚は久々に感じた」
「その感覚を忘れないようにするために、今日東京に戻るまでにこれに曲を付けてみましょう」
 
と言って青葉はもう1篇、詩を書いた紙を取りだして私に渡した。
 
「ぶっ。これは政子の詩か!」
「はい。頑張りましょう」
 
「青葉は富山に帰るの?」
「いえ。広島に直行します。夕方お待ちしてます」
「うん。それじゃ、朝ご飯だけ一緒に食べよう」
「ええ」
 

1階のレストランに行き、バイキング式の朝ご飯を食べる。御飯を食べながら、私は東京行き9時半の飛行機を予約し、青葉は広島行きの新幹線を予約していた。
 
「この件、私青葉にいくら払えばいい?」
「じゃ経費込みで1000万円で」
「了解」
 
「驚かないんですか? 私がこんな金額要求するのはとてもレアです」
「ううん。1億円でも払う価値がある気がしたから」
「ああ。じゃ3000万くらい言っておけば良かったかな」
「青葉も結構気が弱いね」
「えへへ」
 
「ところでさ。さっき渡された詩には私が飛行機の中で曲を付けるけどさ」
「はい」
「青葉、ちょっと頼まれてくれない?」
「なんですか?」
「これにちょっと曲を付けてくれないかなあ」
「へ?」
 
私は政子が書いた詩のコピーを6枚渡した。
 
「スイート・ヴァニラズのEliseがさぁ、妊娠したら詩が書けなくなったと言うんだよ。それで、政子の詩を6個提供しますから、それにLondaさんに曲を付けてもらってくださいと言ったらね、LondaはEliseの詩にしか曲を付けきれないと言うんだな。それで代わりに政子の詩に私が曲を付けてくれないかと頼まれたんだけど、私とても余裕が無いんだよね。それで11月いっぱいまででいいから、この詩6篇に青葉が曲を付けてくれないかと」
 
「私が書いていいんですか?」
「他の人でできることはどんどん投げた方がいいと青葉は言ったよね」
「あはは、確かに」
 
「『遠すぎる一歩』はよく出来てたよ。まあ下請けに出すということで」
「じゃ、クレジットはマリ&ケイのままで?」
 
「ううん。マリ&ケイ+リーフにするよ。で印税は、作曲印税を丸ごと青葉にあげるから。まあスイート・ヴァニラズのアルバムはだいたい15万枚くらいは売れるから、10万枚売れたとして作曲印税は6曲で360万円くらいかな」
「あはははは・・・」
 
私は青葉が焦っている顔を初めて見たような気がした。
 
 
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【夏の日の想い出・4年生の秋】(下)