【夏の日の想い出・4年生の秋】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-07-19
鈴蘭杏梨が楽曲を提供する槇原愛(本名・今田三千花:私の従姪)は7月17日に《大学受験準備のための休養》前ラストシングル『お祓いロック』を発売。
その後、学校の夏休みを利用して、お盆前の8月11日までの限定で全国約20箇所のキャンペーンライブを敢行した。これまではキャンペーンなどでCDショップなどを巡る場合、マイナスワン音源を流してひとりで歌う方式だったのだが、今回は《シレーナ・ソニカ》の二人と共に、愛自身がギターを弾くバンド形式でのキャンペーンとなった。
しかも発売日の翌日、福島でのキャンペーン・ライブの様子が録画ではあったが全国放送で流され、かなりファン層を開拓することになった。
「あれって、エアギター?」
「どうだろう。出ている音と指使いは合ってた」
などという会話がネットでは交わされ、本当に演奏しているか、フェイクなのかは、ツイッターや2chなどでも議論が盛り上がっていた。
『お祓いロック』の歌詞が、まるで愛がクビになるかのようにも取れるものであったことから事務所やレコード会社に「愛ちゃんをクビにしないで」という電話が殺到。それを受けて愛自身がレコード会社で記者会見を開く騒ぎもあり、CD/DLは初動で5万枚/DLも来て、愛初のヒット曲となる雰囲気であった。
シレーナ・ソニカのふたりはそれまでファミレスのバイトをしていたのだが、この話が来た時点で、すっぱりそちらのバイトを辞めて、こちらの専任になってくれたので、それではというので全国キャンペーンを組むことが出来た。
しかし、槇原愛本人がお盆以降は休養に入るし、△△社からふたりへの給料も8月までしか支払われないので、ふたりは9月以降はまた何かのバイトでもしなけれぱ生活ができない。
しかし槇原愛の全国キャンペーンは、愛本人のファンを増やしただけでなく、シレーナ・ソニカの穂花・優香のファンも生み出した。
それでふたりについては、最初の段階では今回のCDのみ槇原愛と組むという契約であったのだが、穂花・優香にも結構な数のファンレターが来る状態であったため、取り敢えず来年の4月から12月までの9ヶ月間も愛と一緒に行動してもらおうという話が出てきて、愛・穂花・優香、それに私たちもそれに同意して、3人によるバンド形式の演奏形態が持続されることになった。
しかし、彼女たちには今年8月下旬から来年3月までの仕事が無い。
そこで私は彼女たちを、ちょうど私とマリが大学の卒論作成を含む卒業準備のため7月から来年3月までローズクォーツを休養していることから、その間の代理ボーカルとして使うことを考えた。
ふたりは歌唱力も充分なので、一部音域調整をすれば充分ローズクォーツの曲は歌える。ふたりが歌っている所をタカたちにも見てもらったが、これだけ歌唱力があるなら取り敢えず半年一緒にやっても良いという承諾も取った。
ところがひとつ大問題があったのである。
槇原愛への楽曲は「鈴蘭杏梨」名義で提供している。ローズクォーツの活動はマリやケイの名義で行っている。鈴蘭杏梨とマリ&ケイが同一人物であることは「公然の秘密」ではあるのだが、それでも、鈴蘭杏梨に絡む人物が、マリ&ケイに深く絡むユニットに参加するというのは、好ましくない。
それでどうしようと言っていた時、政子が唐突に提案をした。
「顔を曝さなきゃいいんじゃない?」
「いや、だから主としてライブでの活動になるから、人前に出ないといけない」
「覆面しとけばいいのよ」
「は?」
「ほら、私たち、高校3年の時にXANFUSのライブに覆面付けてゲストで出て行ったじゃん」
「ああ!」
「何それ?」
と津田さんもそれを知らなかったようなので私は説明した。
「高校3年の時に公式には休養中だった私たちが、ちょうどXANFUSのライブのある会場のそばを通りかかったことがあったんです。それでせっかく近くまで来たから陣中見舞いしていこうと行って、リハーサル中の彼女たちを訪れたんですが、その時、リハーサルで歌ってる音羽と光帆が凄く気持ち良さそうでいいな、などとマリが言うもので、XANFUSのふたりが「じゃゲストコーナーで歌わない?」なんて唆して、その場に居たレコード会社のスタッフとかでもどんどん煽ったら、マリも歌ってもいいかなと言い出して」
「ほおほお」
「でもローズ+リリーとして歌うのは恥ずかしいなどと言うから、じゃ顔が分からないようにしておけばいいんじゃない?なんて言って、プロレスラーが使うような覆面を付けてふたりで歌ったんです」
「へー!」
「XANFUSが『謎の女子高生ふたり組』なんて紹介してくれたので、それを見た人たちも面白がって『謎の女子高生よかったね〜』などとしかプログなどには書かなかったので、このことはそのライブを見た人だけが知ってるんです。新聞や雑誌にも載らなかったんですよ」
「面白いね」
「だからシレーナ・ソニカにも覆面をさせちゃおうということなのね」
「うん」
津田さんも、それは面白いやり方だと言ってくれた。鈴蘭杏梨がマリ&ケイであることは決して公的には認めないものの、別に隠す気もない。覆面を付けた程度では、ふたりが実はシレーナ・ソニカであることはバレバレだが、建前として偶然似た声質の人ということにしておくのは全然構わないだろうという意見だった。
それでふたりを呼んでこの話をしたら乗り気だった。
「一応ライブでの演奏のみということで、こちらから8月から3月まで給料方式で報酬を払いますので。金額は出演回数と関係無く固定。今△△社から出ている給料と同額ということで」
「それは助かります。この半年、どうやって暮らそうかと考えてました」
「覆面ちょっと面白いかも」
「ユニット名は《覆面の魔女》かな」
「あ、いいですね」
それで、ちょうど8月4日は、槇原愛もキャンペーンで沖縄を訪れ、ローズ+リリーも沖縄ライブをすることから、ふたりをローズ+リリーのステージに立たせて、紹介したのであった。
以前私たちが覆面を付けてXANFUSのライブにゲスト出演したのも沖縄だったので、再び沖縄で覆面を付けたふたりを紹介したことで、以前そのXANFUSライブを見ていた人が、観客の中に結構居て、このお遊びを楽しんでくれたようであった。
穂花と優香は、あんな広い会場のステージに立ったの初めて!と言って興奮気味であった。ここで緊張してあがったりするのではなく、むしろ興奮していたというので、この子たち使えるなと私は思った。
こうして、せっかくテレビ番組でファン層が広がったローズクォーツは私がお休みの間もライブハウスなどでの演奏をすることができるようになったのであった。
シレーナ・ソニカのふたりは8月11日まで槇原愛と一緒に全国を駆け巡ったのだが、ちょうど、そのキャンペーンが終わる直前の8月10日、ローズクォーツはサマー・ロック・フェスティバルに出演したが、ここでは私とマリの代替ボーカルは鈴鹿美里が務めてくれた。
私たちは朝Bステージで自分たちの演奏をした後、Aステのラスト前スイート・ヴァニラズの演奏を急遽 08年組で代理演奏することになったため、その準備と休養で会場を離れていて、鈴鹿美里とローズクォーツのステージは見ることが出来なかった。
それでビデオで見ていたのだが、ふたりは堂々と歌っていて安心した。
鈴鹿美里は4月にデビューしたばかりの中学生の双子ユニット(鈴鹿が姉でアルト、美里が妹でソプラノ。ただし、鈴鹿は戸籍上は兄)であるが、まだそれほど大きく売れている訳では無いし、コンサートも1000人クラスの会場しか経験したことがない。それでいきなり数万人の観衆を相手にするというのは大変であったろうが、ふたりは「もう野菜畑に向かって歌っているつもりで歌いました」などと言っていた。
「うん、最初はそれでいいよ。その内舞台度胸が付いてきたら、ちゃんと観客ひとりひとりの表情が見えるようになるから」
「わあ、早くその境地に到達できるように頑張ります」
「うん。頑張ってね。次は取り敢えず自分たちのライブで3000人クラスを満員にしたいね」
「はい」
「でもこのまま、ローズクォーツには様々なボーカルが客演するパターンが定着したりしてね」
と政子が言ったのに対して、
「実はそれも悪くないかなと俺はちょっと思ってる」
とタカは言った。
その日は私と政子、タカの3人で喫茶店の個室でお茶を飲んでいた。
「代役の天才といわれたケイが代役される側に出世したということだよ」
「うーん。そう言ってもらえると少しは気楽かなあ。でもあのふたりのおかげで、取り敢えずローズクォーツもライブハウスの活動を再開できるというのは、私としても少しホッとしてる。実際問題として私が多忙すぎたので、一昨年の夏くらいから、ライブハウス関係には全然出演していなかったからね」
と私は言う。
「確かにライブハウスへの出演は2年ぶりって感じだ。というかケイが歌うバージョンでは、そもそもライブハウスとか一般のイベントスペースで歌うのは危険だと思う。アルコールも入っているから、予測不能なことが起きかねない。去年秋のキャンペーンの時もちょっと危ない雰囲気になったことがあったしね。ケイが歌う場合は最低でもホール。逆にライブハウスで演奏する場合はボーカルを変えた方がいいのかも知れない」
「うーん・・・・」
現実的な意見だと思ったが、ちょっと寂しい気もする。
「ああ、それもいいんじゃない?毎年違うボーカルをフィーチャーするとか」
と政子は面白がるように言う。
「うん。それも悪くない。色々なボーカルに歌わせてみるのも手だよ。フェスはローズクォーツSMだったけど、覆面の魔女なら、ローズクォーツFMかな?」
とタカ。
「元々がシレーナ・ソニカだから、シレーナ・マスケラかな?」と政子。「それだと同じSMになって鈴鹿美里と区別が付かん」とタカ。
「ローズクォーツDMとかローズクォーツBMとかローズクォーツKMとか出来たりしてね」
「うーん・・・・」
「ローズクォーツKMって、ケイとマリだったりして」
「あ、ほんとだ」
「でも冬は、多数の代理ボーカルより遥かに格上であることを見せてあげればいいんだよ」
と政子。
「凄いプレッシャー!」
「でも私があれだし、鈴鹿美里もどちらか片方は男の子ということまで公開しているしで、《覆面の魔女》はどちらも女性ですか? という問い合わせまであったらしいね」
「あ、それ、性別は魔女ですと回答してるって」
「おかげでファンの間でも意見が別れているみたいだけど、あのふたりはそれを楽しんでいるみたい」
「まあ、性別なんて便宜上のものだし」
「かもね〜。タカさんは、女装の楽しみ味しめちゃったでしょ?」
「それ、唆さないでくれよ〜、俺、自分が怖い」
「個人的に女の子の服とか買ってない?」
「う・・・実はスカート買ってしまった。でもそれだけだよ」
「じゃ次はブラジャーかなあ」
「やめて〜」
「今度ぜひその買ったスカート穿いてスタジオとかにも出ておいでよ」
と政子は煽っている。
「今回のフェスの参加者で小さく話題になってたのはSPSだね」
「うん。彼女たちもやっとトップレベルまで登ってきた感じ」
「今回のフェスで彼女たちのこと知った人も多かったろうし」
「フェスの後、ダウンロード数が急増してるみたい」
「ここしばらく美優ちゃんの曲と、ケイたちの曲をカップリングして出してたけど、今回、美優ちゃんの曲が売れたのが大きい」
「そうそう。自分の生徒がやっと卒業してくれた気分。次からは美優の曲の方をタイトルにするよ。こちらとしても、少し負荷が減るから助かる」
「ああ、卒業生を送り出す気分なんだろうな」
とタカは何かを考えるかのように言った。
「でもスイート・ヴァニラズもEliseの代わりに妹のAnnaさんがリードギターを弾いてボーカルは適当にみんなで分担するということで、わりときれいにまとまったね」
Annaは会社勤めしながら、アマチュアのバンドで演奏していて、実はメジャーデビューさせる話もあったらしいのだが、この機会に会社を辞めて、取り敢えず姉の代理をしばらくすることにしたのである。Eliseのダイナミックかつアバウトなリードギターに対して、Annaはややこじんまりした感じではあるものの正確な演奏が特徴で、その正確性ゆえにEliseっぽく演奏してみせることもできる。ただし、EliseもLondaも、そういう「コピー演奏」を禁止して、Annaらしい演奏をしろと要求した。
「ボーカルやフロント・パーソンが《交替》するというのなら大騒動になるけど、一時的な《代理》だとそう大きな問題じゃないのかも」
「うん。だからローズクォーツもこの半年間というのであれば大丈夫だよ」
とタカは言う。
「そうだなあ」
「でもネットではこのままケイはもうローズクォーツに戻って来ないのではという観測している人が多いね」
と政子は言う。
「うーん・・・・」
「あ、ホントに悩んでる。即座に否定しなかったね」
「ごめん。正直今、自分のパワー限界が読めない」
と私はこのふたりの前なので正直に言う。
それに対してタカは
「限界はとうに超えてる気がするな」
と言った。
「同感」と政子。
タカは言う。
「いや、ここだけの話だけどさ。その件、取り敢えず12月くらいまではケイはモラトリアムもらえるけど、年明けからは春に向けてたくさん仕事入り始めるよ。これまでのケイのやり方なら破綻確実。ほんと、どうにもならないと思ったらあちこちに迷惑掛けたりする前に、ローズクォーツ辞めてもいいよ。俺は破綻するケイを見るよりは、卒業していった優秀な元生徒を眺めている方がいい。クォーツはまたリスタートでもいい」
「ありがとう。そのあたりも含めてもうしばらく悩んでみるよ」
「実際、サトとヤスはケイが辞めるかも知れないと考えていると思う」
「うーん・・・・」
「ところで、Rose Quarts Plays シリーズの次だけどさ。春に発売することを考えて、桜ってのはどう? で、もしケイがローズクォーツ辞める場合もこのシリーズだけは最後まで付き合わない?」
とタカは提案した。
「まぁ、辞める辞めないは置いておいて、それだと3月発売だよね」
「うん」
「つまり2月には録音しないといけないということか。政子次第だな」
「私は大丈夫だよ」
「じゃ、タカ、曲の選定を進めてくれない? 私は今そこまで考える余裕が無い」
「分かった」
「桜かあ。じゃ、これをぜひジャケ写に」
と言って政子が唐突にiPhoneに写真を1枚表示させる。
「ぶっ」
「おぉ! ケイが可愛い! 桜が満開だね。セーラー服着てるから、これって中学の入学式?」
「そうそう。こんな写真が存在するのに、ケイって中学の入学式は学生服で出たなんて主張するんですよ〜」
「ちゃんとセーラー服着てるじゃん。それに学生服着てる男の子はみんな坊主頭なのに、ケイは女の子の髪型だし」
「でしょ? どう考えても、ケイはセーラー服で中学に行ってますよね」
「だから、その事情はこないだも説明したじゃん」
「あれ絶対嘘だと思う。そうそう。私の中学の入学式の写真もあるから、それと一緒に出すといいですよ。タカさんはセーラー服着た入学式の写真無いの?」
「俺はさすがに学生服着て出たよ!」
「なんだ。詰まらない」
「しかし須藤さんが提案した naka さんにローズクォーツをプロデュースさせるという案には仰天したな」
「あっさり断られて須藤さん、沈んでたね」
「まあクリッパーズやワンティスの世界観と、ローズクォーツの世界観にはやや距離がある。無理だよ」
「結局プロデューサー探しも含めて花枝さんに丸投げということで決着が付いてしまった」
「そもそもローズクォーツのプロデュースを手がけてしまったら、ギター講師やワンティスの音源制作、とかをする時間が取れなくなってしまうと思う。片手間にはできないよ」
「吉野鉄心さんの次のアルバム制作の準備とかもしているみたいだしね」
「バレンシアを宝珠さんにプロデュースさせるというのも、あっさり断られていたね」
「そういう発想するのも須藤さんらしいといえば須藤さんらしい」
「宝珠さんも色々なアーティストの伴奏に入ってるからなあ。近藤さんより忙しいみたいだし」
「良い管楽器奏者は得がたいから。七星さんは腕があるのに、そんなに高い演奏料取らないから需要があるんですよ。今作り直ししている最中のKARIONのアルバムにも参加したらしいですよ」
「へー!」
「それに七星さん、スターキッズの次のアルバム制作準備もしてますしね。ローズ+リリーが活動している間はそのバックバンドの仕事が入るから、休養中に何とか出したいみたい」
「ああ、それはちょうどいいタイミングだね」
「今回も私とマリで2曲提供してるけど、それ以外は大半を七星さんが書いたみたい」
「七星さん、最近かなり乗ってきてる感じだね」
ところで私たちは春から《ローズ・クォーツ・グランド・オーケストラ》なるものを編成して、半年間限定で活動してきたのだが、それが9月一杯で終了することになっていた。元々楽団員を募集する時に、半年限定とうたって募集しているので、ここで終了せざるを得ないのである。
この問題について8月のお盆前に、指揮者の渡部さん、コンマスの桑村さん、ローズクォーツのタカ、スターキッズの鷹野さんと七星さん、それに私と政子、UTPの花枝、★★レコードの氷川さん・加藤課長・町添部長の総勢11人で話し合いを持った。
「一応、予定のスケジュールとしては9月28日のゆきみすずさんのライブにゲスト出演して、その翌日9月29日がローズ・クォーツ・グランド・オーケストラのラスト公演、それで解散ということになっていますね」
と氷川さんがスケジュールを確認する。
「でも楽団員の中には、手弁当ででもいいから、この演奏活動を続けたいという声が結構多いんですよ」
と桑村さんは言う。
「現在オーケストラの維持費って、どのくらい掛かっているんですか?」
と加藤課長が訊く。
「アマチュア・オーケストラという建前なので、報酬は払っていません。練習場所の場所代、食事代などをこちらで出して、あとはお車代を渡しているだけです。9月末までの予算として3000万円組んでいたのですが、実際その予算内で収まる雰囲気ですね」
と私は答える。
「半年で3000万、年間6000万か。収益は?」
「『Rose Quartz Plays Easy Listening』がこれまでに26万枚売れていて、うちの取分は7000万円くらいなので、まあトントンですね。ライブはどう?」
と私はライブ関係を管理している花枝に投げる。
「ライブは5月から毎月1回行っていますが、粗利は1回150万円程度です」
と花枝。
「するともし今後活動を継続した場合、年間10回くらいの公演をして1500万円程度。残り4500万程度をCD売上で稼がないといけないということですね」
と加藤課長が引き取る。
「逆算するとCDを年間15万枚程度は売らないと赤字になるということですね。アマチュアオーケストラだから、多分年間10回とか以上の公演は無理でしょうし」
「でもまあ26万枚もCDが売れたという事実は大きいからね。取り敢えず1年活動延長するということでどうだろう?」
と町添さんが言う。
「いいと思います。半年間ということで募集しているから、お仕事などの都合で続けられない人は辞めてもらって、新たに補充楽団員を募集するということで」
と私。
「9月末でいったん終了。楽団員には退団か活動継続か希望を出してもらって、それで不足する楽団員を10月に募集・オーディションして、11月くらいから活動再開かな」
と桑村さん。
「募集するのは、主としてローズ・クォーツとスターキッズにケイさんのお友だちが抜けた後のリズムセクション・木管セクションになるかも」
と氷川さん。
「今業界では実力のあるスタジオミュージシャンが多数余っているので、負荷の小さな仕事だから、結構応募はあるかも」
と七星さん。
「楽団名はどうしましょ?」と花枝。
「渡部賢一グランド・オーケストラで」と政子。
「ああ、それでいいよね」と加藤さん。
渡部さんは頭を掻いていたが、《ローズ・クォーツ》の名前を外すのであればこの名前が最も自然である。
「じゃ、取り敢えず来年末までの活動費用はこちらから出します」
と私は言った。
「春くらいに新しいアルバムを作る感じかな」
「そうですね」
と言いながら私はちょっと焦っている。また編曲しなきゃ!
やはりタカが先日言ったように、卒論を仕上げた後、年明けからはかなり多忙になりそうな雰囲気である。
ローズ+リリーの仕事も9月8日の大阪ライブを終えると、本当にお休みになる。私と政子は就職のことを考えなくて済むのだけは助かるが、ここまで音楽活動に時間が取られていた分、ここからかなり頑張らないと11月中に卒論を書き上げることができない。
10日の日は午前中はふたりともバテて寝ていたのだが、午後から気分転換に車を出して、南房総市の道の駅・ローズマリー公園を訪れた。ここにシェイクスピア・カントリー・パークというのがあり、シェイクスピアの生家が再現されている他、若干のシェイクスピアの資料も集められている。シェイクスピアの資料だけなら、大学の英文科内にも、学内の演劇資料館という所にも大量にあるのだが、こういう所に来るのもまた刺激になる。
「ここ実際問題としてどの程度、生家を復元しているのかなあ」
「まあ、だいたいこんなものなんじゃない? 家なんてそうとんでもなく違うようなものでもないと思うけど」
「ね? 本物見てみたくない?」
「は?」
「仕事を完全にオフにしてもらったから、イギリスまで行く時間あるよね?」
「あるけどね(政子は)」
「イギリスってビザ要るんだっけ?」
「たしか短期間の観光なら、要らなかったはず」
「よし。じゃ航空券取ってよ」
「いや。むしろ旅行会社のフリープラン取った方がいいかも」
「ああ!」
それで私は知り合いの旅行代理店の人に電話した。
「5日間とか7日間とかのフリープランがありますよ。最低2名様から運行しますから、いつでもお好きな日程で。飛行機の座席はファーストクラスにしますか?」
「いえ。ビジネスでいいです」
「ホテルはスイートで?」
「いや、エグゼクティブかスーペリアル付近でいいです。今回は仕事じゃないので、あまり豪華じゃないほうが勉強に身が入ります」
「では料金が変わらない範囲で限りなく上質なエグゼクティブを」
「ありがとうございます。イギリスはビザ不要でしたよね?」
「はい」
「パスポートの残存期間はどれだけ必要でしたっけ?」
「帰りの航空券の日付が有効期限内ならOKです」
「あ、じゃ政子もパスポート取り直す必要ないな。いつなら空いてます?」
政子のパスポートは2009年の2月に「次の試験の成績が悪かったら即タイに召喚」
と言われて作ったものなので、来年の2月に有効期限が切れる。つまり5ヶ月しか残っていないので国によってはパスポートを更新する必要があるのだが、イギリスは大丈夫のようである。
「明日でも明後日でも。夏休みが終わったので、今月・来月は全部大丈夫です」
「うーん。じゃ切りの良い所で来週月曜16日出発の5日間で」
と私は手帳のスケジュール表を確認して言った。
「16日は敬老の日で祝日ですが、大丈夫ですか?」
「あ、そうか! 曜日関係無く仕事してるもんだから、祝日にも無頓着になっちゃって。混んでます?」
「大丈夫です。みんなその日に帰国しますから。出発する方は混んでません」
「あ、じゃ、そのままで」
「かしこまりました。それで押さえます。お支払いは?」
「現金で」
ということで夕方、うちのマンションに行程表を持って来てもらい、料金を確認して振り込みすることにした。
「向こうには楽器とかノートパソコンとか一眼カメラとかお持ちになりますか?」
「楽器は持っていきませんが、ノートパソコンと(政子の)iPhone,(私の)iPadを持って行きます。カメラはコンデジを使います」
「ATAカルネを取っておいた方がいいですね」
「確かに!」
「じゃ、その申請書も持って行きますので」
「お願いします」
それで電話を切ったのだが、政子から言われる。
「ね、冬、そのスケジュール表、見せて」
「うーん。ま、いっか」
「ね。休養中のはずなのに、なぜこんなにたくさん予定がプリントされてるの?」
「あはははは」
私たちは18時頃帰宅したが、旅行代理店の人は19時すぎにやってきた。音楽関係の人間の時刻感覚はだいたい一般の勤め人さんと6時間くらいずれているので、普通の人だと午後一番くらいの感覚である。向こうもそういう感覚に合わせてくれている。
彼女はマンションに入るなり
「えっと・・・・」
と言って戸惑っている。
誰かさんのせいで、居間が花だらけになっているのである。
「あ、適当に進入してきてください。花は踏んでも構いませんから」
というか、花を踏まずに応接セットまで来るのは至難の業だ!
旅行代理店の人はそれでも出来るだけ花を踏まないようにして、テーブルのところまで来てくれた。行程表を見せて、いろいろ説明する。
今回の行程は往復で1日ずつでイギリスに実質3日間滞在し、ストラトフォード・アポン・エイヴォンに1日、ロンドンに2日ということにしてホテルのチケットも押さえてもらうことにした。主たる目的地はストラトフォードのシェイクスピア生家や娘さんの家など、ロンドンのグローブ座、ヴィクトリア&アルバート博物館(旧劇場博物館の所蔵品がこちらに移されている)、ウェストミンスター寺院といったところである。グローブ座は、グローブ座見学・観劇のオプショナル・ツアーがあるということだったので、それも申し込むことにした。
「これ、どうしてもグローブ座が最終日になっちゃいますね」
「14時からの舞台って、終わるの何時でしょう?」
「恐らく17時か17時半くらいではないかと」
「それから19時半のヒースロー空港発の便に間に合いますかね?」
「ヒースロー空港はセキュリティが凄く厳しいんですよ。普通のやり方だと4時間前には入らないと怖いです。ただチェックインを事前にオンライン又は自動チェックインで済ませておいて、預ける荷物も無しというのであれば、60分前までに行けば大丈夫です」
「17時半にグローブ座を出てヒースロー空港に着くのは?」
「うまく行って1時間20分くらい。つまり18時50分頃かな?」
「つまり間に合いませんね?」
「うん。やはり無理ですね。公演が17時までに終わればギリギリ間に合いますが、それでも危険です。ロンドンでもう1泊して6日間のツアーにしますか?」
「それが21日のお昼に外せない仕事があるんですよ。でもこれ出発を1日早くしても意味無いですね。劇場の公演スケジュールの問題でグローブ座にはどうしても19日に行かざるを得ない」
「となると、帰りは翌朝の便で、フランクフルト乗り継ぎにしましょうか?これだと日本に21日の朝着きます。都内でしたらお昼のお仕事に間に合いますよ」
「何時発ですか?」
「ロンドン・ヒースローを朝8時ですね」
「ということは朝4時頃ホテルを出ると」
「そのくらいには出ないと怖いですね。チェックインは自動チェックインにしておくか、あるいはネットで前日に済ませておく前提で」
「乗り継ぐということはドイツの入国審査を通りますかね?」
「そうなります」
「ドイツのパスポートやビザの条件は?」
「イギリスと同じです。短期間の観光はビザ不要ですし、パスポートは有効期限内であれぱOKです」
「ではそれで。かえって、行きと違うルート・機材の方が楽しいかも」
「確かに」
KARIONのアルバムは8月30日までに録音作業は終わり、ミックスダウンとマスタリングも一週間ほどで完了した。その間、私と和泉は時々スタジオに顔を出して経過を見せてもらっていた。
花籠さんのミクシングはとても素直なもので、こちらとしてもあまり注文を付けたりするような点は無かった。ただ多数の楽器を使用したダイナミックな曲である『アメノウズメ』のミクシングには結構苦労していたようであった。最後にその曲のミクシングをしたのだが、これだけで3日掛かっている。花籠さん本人が、自分で納得できるレベルになかなか到達しなかったようで、試行錯誤をひたすら繰り返したようであった。私たちも期限は切らずに納得いくまでやって欲しいと言ったので結局3日がかりになった。
その花籠さんのミクシングが終了した直後の9月5日木曜日にはアルバムに封入するミニ写真集の撮影とPVの作成をしたが、私はうまく乗せられて(顔は隠すものの)写真集にも写り、PVにも出ることになってしまった。PVを作成したのは『アメノウズメ』『天女の舞』『僕の愛の全て』『君が欲しい』の4曲である。
「まあ、これでトラベリングベルズに水沢歌月がいることは認めたも同然だね」
「あはは」
私はピアノパートが無い『君が欲しい』以外の、『アメノウズメ』『天女の舞』
『僕の愛の全て』の3本に出演した。もちろん顔は映らないようにしてもらっている。
このPVはちょうど私と政子がイギリスに行っている間に公開開始されたのだが、実際、この顔が映っていないピアニストが、水沢歌月なのではということでネットではかなり盛り上がったようであった。
「アルバムを買ってもらうと、その中に水沢歌月の歌が入っているから、それでその声が『キャンドル・ライン』の声と同じであることが確認されるからね」
と和泉は言う。
「ふふふ。まあ水沢歌月もそろそろその存在をもう少し出してもいいかもね」
「なんなら顔出す?」
「パス」
ところでイギリス旅行の1泊目は翌日の行動の便を考えてストラフフォード・アポン・エイヴォンのホテルに泊まることにした。
ロンドン・ヒースロー空港に到着するのが16:00であるが、ストラトフォード行きの最終列車は、ロンドンのメリルボーン駅を18:18に出発する。時刻表通りにいけば間に合いそうだが、もし飛行機が遅着するとリカバーのしようがない。また、元々イギリスの交通機関の時刻は日本ほどは当てにならない。更にその行程で移動すると、夕食はストラトフォードに着いた後にせざるを得ないので、政子のお腹がもたない!
その件に関して水曜日の午前中にチケットやクーポンの類いを持って来てくれた旅行代理店の人に相談した。
「レンタカーにしますか?」
「それが無難かもですね」
「それにストラトフォードで、シェイクスピアの奥さんの家とお母さんの家は離れた所にあるので、車があると便利ですよ」
ということで、鉄道のチケットはキャンセルして、1400ccクラスの車でカーナビ付きのものを予約してもらうことにした。
それで私はその日のうちに府中運転免許試験場に行き国外運転免許証を発行してもらった。ところでイギリスは基本的にマニュアル車であるが、私は免許を取って以来、4年間一度もマニュアル車を運転したことがない!
それで、MT乗り(スバルインプレッサの6MTを所有)の佐野君に電話してみたら、快く練習させてくれるという返事をもらったので、その日の夕方、佐野君のアパートを訪ねた。麻央も来ていた。
「冬、MTの運転経験は?」と麻央に訊かれる。
「それが自動車学校以来、一度も乗ってない」
「発進の仕方分かる?」
「思い出さなきゃと思って教本を探したけど、見つからなかった」
ということで、発進の仕方から教えてもらうことになった。運転は麻央の方が佐野君より上手いということで、まずは麻央が模範演技を兼ねて、近くの大型スーパーの駐車場まで行く。私は助手席に乗り、解説付きの麻央の運転操作を見ていた。駐車場はもうピークが過ぎて車が少ない。分からなくなったらブレーキを踏めというのだけ最初に念を押されて練習スタート!
「さあ、やってみよう。他の車にぶつけない範囲なら壁や標識には多少ぶつけてもいいから」
「確かにこの車、傷が凄いね」
「まあ、それは愛嬌で。元々20万で買った車だし」
「それ安すぎ!何かあったりしないの?」
「気にしない、気にしない」
「最初クラッチとブレーキと踏んでおくんだっけ?」
「そうそう」
「ギアはN?」
「そうそう」
「それでエンジンを掛けて・・・・Lに入れて、アクセル踏んで、回転が上がって来たところでクラッチを少し上げて・・・動き出した!」
「うん。上出来上出来」
「ギアを変える時はクラッチ踏むんだっけ?」
「そうそう」
という感じで、最初はほんとに初心者状態だったのが、2時間ほど特訓を受けているうちに、かなり要領を思い出した!
その後は路上に出て、休憩を挟みつつ、2時間ほど運転させてもらった。幸いにもエンストを起こすこともなくスムーズに発進停止ができた。
深夜のファミレスの駐車場に駐めて一緒に夜食を食べる。駐車はATもMTも関係無いので普通にできた。
「冬、元々ものを覚えるのが速いから、ほとんどゼロから、1日で充分普通に運転できるレベルになったね」
「麻央が丁寧に教えてくれたからだよ。ね。もしよかったら、あと2日くらい練習させてくれない?」
「いいよ。夜食付きで」
「OKOK」
「イギリスのお土産はネッシー饅頭かネッシー・サブレで」
「そんなの無いと思うけど。それにスコットランドには行かないし」
「じゃ、スコッチウィスキーは重たいし割れると大変だから、フォートナム&メイソンの紅茶か何かで」
「了解」
16日からイギリス旅行だったのだが、その直前14日の午前中にEliseから電話があった。ちょっと相談があるのだけどということで、Eliseのマンションに行く。
普通なら行くといきなりカティサークかバランタインでも出てくる所だが、今日はコカコーラゼロなので、安心して頂く。
「ペプシネックスも試してみたが、私はやはりこちらの方が好みだ」
「この機会にソフトドリンクにも詳しくなりましょう」
「そうだなあ。でも何とかやっと、アルコールの禁断症状は出なくなったよ」
「よいことです」
「それでちょっと頼みがあるんだけど」
「はい」
「スイート・ヴァニラズで私が休んでいる間、妹の亜矢(芸名Anna)が私の代わりにリードギターを弾くことになったのだが、元々亜矢は友人たちと組んでバンドをやってて、その4人で来年頭くらいにもメジャーデビューという話もあっていたのだよ。バンドの名前はNadiar(ナディアル)というのだけど」
「はい」
「それで、全員年末までに会社も辞める方向で、それぞれの勤め先で話をしていた。まあ、亜矢は緊急なので、もう8月いっぱいで退職させてもらったのだけど」
「そのNadiarの残りのメンバーに何かお仕事を紹介して欲しいとか?」
「実はそうなんだよ。それでさ、ローズ・クォーツ・グランド・オーケストラの活動継続が決まったんだって?」
「耳が早いですね。まだ発表できませんが、先月下旬に決まりました。ただし名前は渡部賢一グランド・オーケストラにします。ローズクォーツのメンバーは外れるので」
「それそれ。で、ローズクォーツのメンバーが外れるということはリズムセクションが要るよね?」
「ああ・・・その子たちを推薦すると?」
「うん。ベースとドラムスとキーボード。技術力は充分ある。それは保証する」
「なるほど! 取り敢えずその彼女たちの演奏を聴かせてください・・・って女の子でしたっけ?」
「うん。3人とも女の子・・・に見えたな、取り敢えず。ニューハーフさんが混じっていても、私には分からん」
「私、結構見分ける自信あったんですけどね。最近私にも判別つかない完璧な人が増えてる気がします」
「レベルが上がっているんだな」
「女性ホルモンの入手が容易になってきたのもあるんでしょうけどね」
「でも、あれは一応アマチュア・オーケストラなので、あまり大した報酬は払えませんけど」
「ローズクォーツのメンバーには幾ら払ってたの?」
「ローズクォーツのメンバーは演奏印税を受け取るので演奏料は無しですね。スターキッズのメンバーには1日1人3万円を事務所の方に払っています。多分本人たちの取り分は2万くらいではないかと」
「じゃさ、1人2万を直接本人たちに払うというのでは? すると月10万くらいになるよね?」
「そんなものだと思います」
「そのくらいもらえると取り敢えず私が復帰して亜矢がそちらのバンドに復帰するくらいまで、何とか持たせられる。まあお金以上にテンションと技術力維持の問題もあるのだけどね」
「そうですね。一応、演奏を見てからお返事させてください」
「よし」
Eliseがどうも妹の亜矢に電話しているようである。
「どこかタダで使えるスタジオとかない?」
「ああ。それじゃ、UTPが借りてるスタジオに」
ということで住所とスタジオ名を教えてあげた。このあたりはUTPの専務としての特権を使わせてもらう。そこに夕方18時にということにして、こちらも、タカと桑村さんに見てもらうことにして連絡した。
「ところでケイもマリも今忙しいよね」
「忙しいです。とにかく11月中に卒論を仕上げないといけないのに、これまでほとんど進んでいませんでしたから。明後日から5日間、イギリスに行って、シェイクスピアの生家とか、シェイクスピアが仕事をしていたグローブ座とかを見て来ます。それで最終的な流れを確定させます」
「ああ、シェイクスピアの研究なんだ?」
「はい」
「でさ。スイート・ヴァニラズの新譜を春くらいに出したいと思っているんだけどね。リードギターは亜矢が弾いて」
「はい?」
「本当は年末か年明けくらいに出すつもりだった。それ用の曲を先日ライブで初見演奏してもらった曲も含めて6曲までは用意していたのだが、あと6曲くらい欲しいんだよね。でも、なんか妊娠発覚して以来、全然詩が思い浮かばないんだよ」
「ああ、妊娠中は体質が変わるから、その微妙な影響でしょうね」
「それでさぁ、マリ&ケイに代わりに6曲書いてもらえないかと思って」
「えっと・・・Eliseさんが詩が書けないということなら、マリの未発表の作品で、スイート・ヴァニラズに合いそうな詩を何点か持って来ましょうか?それで Londa さんに曲を付けてもらえばいいですよね?」
「うーん。そのあたりは微妙なんだけど、私とノリ(Londa)の関係は、一応私が詩を書いて、ノリが曲を付けるという分担ではあるんだけど、かなり不可分な部分があるんだよ。私が書いた詩の行間を読み取ってノリは曲のモチーフを発想する。以前試してみたことがあるのだけど、他の人の詩には、ノリはうまく曲を付けきれないと言うのだ」
「ああ、そのあたりは私とマリの分担に似ているのかも」
「だからさ、マリの詩に、ケイがそのまま曲を付けてくれると助かるのだが」
「は?」
「ということで、春くらいまでにマリ作詞・ケイ作曲で6曲書いてもらえないかと思ってね」
「あはは、あははははは」
9月16日。朝から政子と一緒に自宅マンションを出て、成田空港に向かう。チェックインは自動で済ませていたので、10時頃セキュリティを通り11:30発のロンドン・ヒースロー空港行きANA201便に乗った。
今年は公演で行った台湾、焼肉を食べに行った韓国、に続いて3度目の海外渡航である。政子のパスポートは、2009年2月に作られた後、2011年に1度タイに行った以外はずっと出入国スタンプが押されていなかったのが、有効期限間近になって突然3回分のスタンプが押されることになった。私のパスポートは台湾公演の前に、以前持っていた Fuyuhiko Karamoto Sex:M のパスポートから切り替えて Fuyuko Karamoto Sex:F になったもので、こちらは作ってすぐに3回分のスタンプが押されることになった。切り替える時に5年有効にするか10年有効にするか悩んだのだが、琴絵から「冬は絶対査証欄がすぐいっぱいになる」と言われて5年を選択した。
フライトは約12時間半である。機材はB777-300ER ANA BUSINESS STAGGERED。「staggered」は「千鳥状」という意味で、隣り合う座席が半分ずつずらして配置されている。座席の頭の部分と足の部分に幅の差が出るので、ずらすことでスペースを節約することができるし、横4席並びの内側の席からも直接通路に出られるというメリットがある。
座席をフルフラットに出来るので、私は乗ってお昼を食べてすぐ、ノイズキャンセルヘッドホンをして雑音をカットし、取り敢えず寝た。その間、政子は映画を見ていたようである。3時間ほど寝て目が覚めたところで政子としばしおしゃべりする。やがて夕食となり、その後、政子も少し寝る。私も寝ていたが起きたら
「冬〜、詩を書いたから曲付けて」
と言う。
「はいはい」
と言って笑顔で詩を書いた紙と《赤い旋風》受け取り、五線紙を出して曲を書き始めた。タイトルは『黒い海』と書かれている。
「さっき、現在黒海の近くを飛んでいますってアナウンスあったのよ」
「なるほどね〜」
その後は、おやつなどを摘まみながら、機内食のデザートなども頼んだりしながら、のんびりとおしゃべりして過ごした。論文を少し書いてもいいが、これから3日間、イギリス漬けになるから、今は頭を空っぽにした方がいい。
ロンドン・ヒースロー空港に現地時刻16:00(日本時刻24:00)に到着する。空港内のレストランで夕食を取った後、予約していたレンタカーを借りて、ストラトフォード・アポン・エイヴォンに移動する。
空港で借りた車はプジョー207であった。1400ccなので日本のノートやアクシオのような小型乗用車に乗るのとそんなに感覚が違わないので助かった。麻央の特訓のお陰でスムーズにMTの操作もできる。また、イギリスは日本と同じ左側通行・右ハンドルなので、気楽。ただ交差点の多くがラウンド・アバウト、日本でいう所のロータリーなので最初緊張したが、数回で慣れた。また、車のワイパーとウィンカーの取り付け位置が逆なので、最初何度かウィンカーを点けようとしてワイパーを動かしてしまい焦った。
経路はカーナビ付きの車なので、夜間のドライブではあっても、あまり考えずに目的地のホテルまで辿り着くことができた。
政子は初めてのイギリスで色々刺激されているのか、車内でまた『風のビート』
という詩を書いた。すぐに曲を付けてなどと言われたが、運転しながら書くのは無茶〜、ということでホテルに着いてから書くことにした。
到着は21時前で、そのままホテルにチェックインする。ホテル内のレストランでまた夜食?を食べてから部屋に戻り、ゆっくりと寝た(もちろんたくさん愛し合った)。
翌17日は朝からストラトフォード市内を見て回る。車はホテルの駐車場に置きっぱなしにして、取り敢えず歩いて回る。
まずは最初にシェイクスピアの生家に行った。シェイクスピアゆかりの場所5箇所に入れる Five House Pass を購入した。
「千葉で見たのと似てるね」
などと政子が言う。
「まあ流れている空気は全然違うけどね」
「うん。この空気が刺激的」
隣接するシェイクスピアセンター(資料館)から入って行くようになっている。シェイクスピアの生涯の解説などもあるが、このあたりは、私たちがもっと詳しく解説できるくらい勉強している。
資料館を抜けて生家の中庭に出る。日本なら庭とかはきれいに整備している所だろうが、これがイギリス流なのだろうか。割と適当だ。でもそのアバウトさをまた心地良く感じた。古い時間の欠片(かけら)が残っている感じ。政子はまたこの中庭で詩を一篇書いた。『Fragment of the time』などというタイトルが付いている。ついでに歌詞も英語だ! そのタイトルから、政子が私と似た感覚を感じたことを知り、私は微笑んだ。
生家の中に入る。古い家具が遺されている。実際に当時こういう家で使用されていたようなものが再現されているらしい。ただ、さすがに生活感は失われていて、博物館的な感覚である。政子もあまり感じる所は無かったのか、流して歩き回る感じになった。
生家を出た後は徒歩で移動してニュープレイス・ナッシュの家 (Nash's House and New Place) に行く。ニュープレイスは劇作家を引退したシェイクスピアが晩年を過ごした場所で、隣接するナッシュの家は、シェイクスピアの孫娘 Elizabeth Hall が最初の夫 Thomas Nash と暮らした家である。ニュープレイスは現在建物は無く、シェイクスピアの遺物が無いか調査が行われている。隣接してきれいな花壇があったのでしばし鑑賞する(Knot Garden, The Great Garden of New Place)。ここでまた政子は詩を一篇『From Ground Nadir to the Flower』というのを書いた。発掘作業の様子とこの花壇とが融合したのか?
その後、また歩いてホールの家(Hall's Croft)に行く。ここはシェイクスピアの娘 Susanna Shakespeare (Elizabeth Hallの母)が夫で医師の John Hall と暮らした家である。当時の医療器具なども遺されている。雰囲気がシェイクスピアの生家と似ている気がした。
更に歩いて町外れのホーリートリニティ教会 (Holy Trinity Church) に行く。直訳すると聖三位一体教会とでもいうべきか。シェイクスピアが生まれた時に洗礼を受け、そして亡くなったあと埋葬された所である。シェイクスピアは 1564年4月26日に洗礼を受け、1616年4月23日(ユリウス暦)に亡くなっている。普通は生まれた日に洗礼を受けるのでシェイクスピアの誕生日は4月26日と考えるのが妥当だが、亡くなった日が4月23日で洗礼日と近いことから、4月23日を誕生日と信じる人たちも多い。確かに数日遅れて洗礼を受ける例もあるにはあったらしい。また4月23日が英国の守護聖人セント・ジョージ(聖ゲオルギオス)の祝日であることもあり、この日に誕生日が祝われる習慣もあるようである。セント・ジョージ・クロスはイングランドの国旗(白地に赤い十字架)でもある。
バスに乗って中心部まで戻り、いったんホテルに戻って車を出し、郊外Shotteryのアン・ハサウェイの家に行く。駐車場に駐めて見学する。ここはシェイクスピアの妻 Anne Hathaway の生家である。
今まで見た3軒の家がほんとに町中の家という感じであったのに対してこちらはまさに田舎の家という感じで何だかほっとする気分であった。田舎の大農家という感じだ。政子は車を降りて、家の外観を見た瞬間、また詩を書き出した。『Flower Country』と書かれている。
家の中に入って行くと、ガイドさんが詳しい説明をしてくれるので私たちはそのひとつひとつの説明をよく聞いていた。お庭を見ている時に政子は更にまた詩を書く。『Sound of Flower and Grasses』などと書かれている。ストラトフォード・アポン・エイヴォン自体、町中も花いっぱいだったのでどうもお花関連の発想がたくさん湧くようだ。今年『Flower Garden』というアルバムを出したのに、これだとまた来年お花だらけのアルバムを出すことになるのではという気もした。一応来年のアルバムは『雪月花』とタイトルを予告しているからお花の歌は入れていいんだけどね!
アン・ハサウェイの家の後は、5kmほどドライブして、隣町Wilmcoreにあるメリー・アーデンの農場 (Mary Arden's Farm) に行く。シェイクスピアの母 Mary Arden の生家である。古い時代のやり方に従って現在でも農業や牧畜が行われており、パンなども作られていた。
鷹狩り(falconry)のデモンストレーションが行われていた。シェイクスピアの作品には鷹狩りが結構出てくるし、鷹狩りの用語もたくさん使われている。しかし実物を見たのは初めてだったので、今まで漠然と持っていたイメージと結構違っていて(何となく江戸時代の将軍様の鷹狩りのイメージがあった)本当にここに来て良かったと私は思った。
休憩して食堂で、この農場で作られた素材を使った食事を頂いた。
今日はストラトフォードに連泊するので車でホテルまで戻った。まだ夕方まで少し時間があるので、町を散策する。
とにかく花にあふれた町である。家々の2階の窓や1階の天井部分などに花がハンギングされていて可愛い。政子と「こういうの、日本でもやっていいよね」
などと言いながら散策していた。
公園に出て、シェイクスピアの像が見えるところでしばし立ち話していたら、「あれ? まぁちゃん?」と日本語で声を掛ける男性がいる。
びっくりして振り向く。
「あ、たぁちゃん!」
と政子も驚いたように答える。それは政子のボーイフレンド(政子的見解では「恋人」ではないという建前)で、高校の時の同級生・松山貴昭君だった。
「あ、唐本さんもこんにちは」
「こんにちは、松山君」
と言って私も微笑む。
「こちらは旅行?」と私は尋ねた。
「うん。卒業記念旅行って感じかな。大学の友人2人と一緒に」と松山君。
彼のそばに同年代の男性が2人いたので私は会釈する。向こうも会釈したが「あ、俺たち先に行くからゆっくりしてこいよ」と言って彼らは先に行った。
「松山君は卒論は?」
「もうほとんど書き上げたよ。一応指導教官にもチェックしてもらっている。来月くらいに製本して12月になったら正式に提出する」
「就活は?」
「MP電器に内定してる」
「凄っ! 超一流会社じゃん」
政子は頷いているので、そのあたりは本人からちゃんと聞いているのだろう。
「まあ、おかげさまでね。そちらは卒論は?」
「これから頑張る。ふたりともシェイスクスピアがテーマなんで、一度生誕地を訪れておこうと思って来たところ」
「ああ、なるほど」
政子は何だかもじもじして、何も言わないのでもっぱら私と松山君が会話している。こんな政子を見るのもほんとに珍しい。まるで憧れの人に偶然遭遇した女子中学生みたいだ。
「明日はどこ行くの?」と私は尋ねる。
「リバプールだよ。そのあと明後日エディンバラまで足を伸ばす」
「わあ、すごい」
「そちらは?」
「明日はロンドンに戻って、博物館とかウェストミンスター寺院とか見る予定」
「リバプール行った?」
「ううん。今回は予定に入ってない」
「じゃ一緒に行かない?」
「え?でも・・・」
「音楽家がイギリスに来てリバプールに寄らないなんてないよ。ビートルズは歌手にとっては神様みたいなもんでしょ?」
「うん。それはそう思う」
「じゃ行こうよ。ウェストミンスター寺院なんて、どうでもいいじゃん」
「うーん。確かにどうでもいいかも知れん」
政子を見ると、どちらかというと一緒に行きたそうな雰囲気。
「でもそちらはツアー?」
「うん。そちらは?」
「私たちはレンタカー」
「だったら行程は自由じゃん。車でリバフールまで行ってさ。僕たちのツアーのガイドにくっついて一緒に回ればいい」
「ああ、その手はあるね」
「ガイドさんには一言言っておくから」
「そうだね。何か言われたら適当なオプションツアー料金払えばいいかな」
「そうそう」
政子は何だか嬉しそうな顔をしている。じゃ、ついでに・・・
「ところで松山君今日のホテルは?」
「ああ。ストラトフォード市内。**ホテル」
「私たちは##ホテル。わりと近くかな」
「あ、たぶんそうだと思う」
「お部屋は相部屋?」
「シングルだけど」
「じゃ、ひとり増えても大丈夫だよね?」
「え?」
「ということで、マーサ、明日の朝会おう」
と無言で俯き加減にしていた政子に言う。
「えっと・・・」
「今夜はゆっくりと休むといいよ。今日マーサが書いた詩には曲付けておくからさ」
「あ、うん」
政子が自分の詩を書いた紙を出すので、私は自分の生理用品入れを渡した。政子が「へ?」という感じで私を見る。その中に避妊具も入っていることは政子も知っている。
「じゃね」
と言って、私は微笑んで手を振り、ふたりを残してホテルの方に戻る道を歩いた。なんだか楽しい気分だった。
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【夏の日の想い出・4年生の秋】(1)