【夏の日の想い出・第四章】(上)

Before前頁次頁時間順目次

1  2 


 
(今週配信する物語は昨年5月に配信した「第三章」に続くメインストーリーです)
 
私と政子は高校2年の8月から12月に掛け、ローズ+リリーの名前で女子高生歌唱デュオとして活動した。ところが私が男の子であったことが週刊誌の報道で明らかになり、それをきっかけに私も政子も保護者が同意した契約書を交わしていなかったことが明るみに出て、私たちは活動停止を余儀なくされた。
 
大騒動の後で、私も政子も、芸能活動のことをきちんと親に言ってなかったことで無茶苦茶叱られたのであったが、政子の場合、やや叱られすぎたのに加えて、あの4ヶ月間の活動の間、自分は歌が下手なのに、お金を取って歌を聴かせるなどということをしてていいのだろうかという強い疑問と対峙していたことがあって、自信喪失してしまい、一時は本当に歌手を辞める気になっていた。
 
しかし私たちはたくさんファンの人たちから励ましの手紙をもらった。政子はそれを読んで結構やる気を出して行ったし、私にしても、★★レコード担当の秋月さんや町添部長、○○プロの丸花社長、ローズ+リリーの影の仕掛け人ともいうべき雨宮先生、そして多くの友人たちは政子が自信を回復させられるように色々な手を打っていった。そうして政子は歌の練習を再開して『私1000年くらいしたら歌手に復帰しようかな』などと言い出した。また肺活量を付けるのに毎朝ジョギングもするようになった。また私と政子は大学受験に向けての勉強をしながら、毎晩電話をつないで一緒に発声練習をしたり歌を歌ったりしていた。
 
そして政子の歌は本当に上達した。
 
ある時、政子は言っていた。
 
「ローズ+リリーでデビューした時、私たちは不完全な女性デュオだったんだよ。私は歌に問題があった。冬は体に問題があった。それでこの3年間に私はたくさん練習して歌をスキルアップさせた。冬は体を直して、本当の女の子になった。だから私たちは今完璧な女性デュオになれたんだよ」
 
私は大学に入ってまもなく去勢手術を受け、2011年4月に性転換手術を受けて、その年の秋に20歳になると同時に戸籍上の性別変更を申請した。
 
そうして私はローズ+リリーの復帰CD『涙のピアス』をリリースする直前に肉体的にも法的にも女性になっていたのであった。
 

政子が「歌手に復帰するまでの時間」として当初言っていた『1000年』という数字はその後政子の心が回復するにつれ短くなっていった。
 
高校時代にローズ+リリーのマネージャー兼プロデューサーを務めた須藤さんは1年半にわたり私たちとの接触を禁止されていたが、その処分が明けた2010年6月に私たちと会い、今度は私たちと、ちゃんと保護者も同意した契約を結んだ。
 
ただその時点では、政子がまだ「10年くらいしたら歌手に復帰しようかな」
などと言っていた(須藤さんはその言葉で事実上政子は歌手に復帰するつもりは無いと思い込んだ)ことに加えて、政子のお父さんが政子の芸能活動に消極的であったことから、この時点では、
 
・テレビ放送、PVを含む映像作品には出演しない
・人前では歌唱しない
 
などというとんでもない契約になっていた。つまりローズ+リリーの活動は、音源制作と、非公開スタジオでのラジオ出演に事実上限定されることになった。
 
そこで須藤さんは、政子が活動できないなら、私だけでも活動機会を広げようと言ってローズクォーツというプロジェクトを立ち上げた。ちょうどボーカルが辞めて歌う人がいなくて困っていたバンド、クォーツと私を組ませるというもので、2010年8月『萌える想い』という曲でCDデビューし、その後、年内いっぱい全国キャンペーン、というよりドサ回りという感じで全国各地でこのバンドのライブ活動を行った。
 
一方でローズ+リリーの方も音源制作ならして良いので9月にスタジオミュージシャンを集めてアルバムを制作したのだが、当初このアルバムは年末くらいにローズクォーツの初アルバムと同時に発売したいと言われていた。
 
ところが実際にはローズクォーツのアルバム制作の方が全然進まず、どんどんリリース時期はズレていき、更にそこに東日本大震災まで起きて、結局このアルバムのリリースは制作してから1年近くたった2011年7月までずれ込んでしまった。
 
その間、私や町添さんは待ちくたびれているローズ+リリーのファンのために色々裏工作をして、『恋座流星群』『Spell On You』という《書類上リリースはされたのに一般販売されなかった》ふたつのシングルを実際にファンが手に入れられるようにした。これらは少なくとも公式には販売されていなかったCDであるが、かなりのファンが入手できたし、大手ランキングでも(主として有線とカラオケのポイントで)10位以内に入っていた。
 
この1年掛けて発売されたアルバムは、当時、須藤さんが主宰する私たちのマネージングを担当する会社 UTP(宇都宮プロジェクト)の方針としてローズクォーツを営業の中心に据えたいということとローズ+リリーのライブ活動再開のメドが立たないということから『Rose + Lily Memorial Album』
(ローズ+リリー追悼版)などという、ぶっそうな名前が付いていたし、また実際このアルバムを制作した時点では、私と政子のメジャーレーベルでの活動はこれを最後にして、この後はふたりでのんびりとインディーズでアルバムを制作していくのもいいかなと、2010年秋の時点では私も思っていた。
 
しかし世間はそんな流れを許してくれなかったのである。
 
町添さんは、私たちがインディーズででもなどと言ったのに対して、ローズ+リリーが音源制作するなら、必ず★★レコードから発売すると明言したし、必要な環境や伴奏するミュージシャンの手配、宣伝など何でも任せてくれと言った。
 
ファンも当初ローズクォーツの名前でリリースされた実質的にローズ+リリーのシングルである2011年夏の『夏の日の想い出』は久しぶりのローズ+リリーの音源であったこともあり、ミリオン買ってくれたものの、その次にローズ+リリーとローズクォーツのシングルが相次いで発売されると、ローズ+リリーのCD『涙のピアス』は100万枚越えたのに対してローズクォーツのCD『起承転決』は15万枚の売上に留まり、明確に自分たちはローズ+リリーの音楽を求めているのだという意志を表した。
 
実際この時期、須藤さんにもタカたちにも見せてないが、マリちゃん・ケイちゃんはクォーツから離れて、ふたりだけで活動してくださいというファンからのお手紙が直接私のマンション宛て(よく住所を調べたものだ)、あるいは△△社や★★レコードなど「UTP以外の所」に結構来ていたのである。
 
要するに「ローズクォーツ」が主体で、マリとケイはそのボーカルにすぎないというものではなく、マリとケイを主体とする「ローズ+リリー」を聴きたいのだという趣旨だった。ローズクォーツのアルバム制作の遅れがローズ+リリーのアルバム発売遅れにつながったことを、ラジオでマキが言ってしまったこともあり、その影響もあったようである。
 
そして、クォーツに代る「純粋な」バックバンドとして、AYAがライブの時だけフィーチャーしているポーラスターを推しますとか△△社所属のインディーズバンド Crewsaw を推しますなどという手紙もかなりあった。
 

「しかしファンレターにもいろんなのがあるよね」
「結婚して〜、なんてのはもう慣れたけどね」
「マリちゃんの下着の色は何だろうと考えると夜も眠られなくなりますなんてのもあったな」
「まあ。眠られないならずっと起きていればいいと思うよ」
「その手のにも動じなくなったね」
 
「ケイちゃん、どうして性転換しちゃったの?おちんちんの付いてるケイちゃんが好きだったのに、なんてのもあったよ」
「そんなこと言われてもなあ。でも、そういうおちんちんの付いてる女の子が好きって人がけっこう居るみたいね」
「そのあたりは私にはよく分からんなあ」
と政子。
 
「でも性転換すると別れちゃうカップルとか多いからね」
「私は冬自体が好きだから、おちんちんが付いてるか付いてないかは些細なことと思ってたけどね」
「そう思ってくれる人の方が少ないんだよ」
「じゃ私に感謝して、今夜はたっぷりサービス」
「いいよ」
 
私たちはそんなことを言いながらキスしてベッドルームに入った。
 

そういう訳で、ローズ+リリーとクォーツの「分離推進」をするファンの声や、以前から★★レコード内にくすぶっていたローズ+リリーのUTPからの独立論などを背景に町添さんは2011年12月5日、須藤さんと私を自宅に呼び、今後はUTPはローズ+リリーを優先させる形で営業して欲しいという意向を伝えた。
 

ところでその会談に少し先立つ2011年11月19日、私と政子は須藤さんに、今後ローズ+リリーのことは、私と政子に全面的に委ねて欲しいという申し入れをしていた。
 
このような申し入れをしたのには幾つかの理由があった。
 
ひとつにはローズクォーツとローズ+リリーが「区別が付かなくなっている」
という問題があった。
 
『夏の日の想い出』以降、ローズクォーツにマリが参加して、私とふたりでボーカルを担当するパターンが定着してしまった。ところでローズ+リリーの伴奏というのもローズクォーツが担当する。
 
すると、ケイとマリがボーカルを取っているローズクォーツと、ローズクォーツが伴奏を務めているローズ+リリーというのは、結果的に全く同じ人間が演奏していることになり、その違いは何なのか?というのをたくさんの人から訊かれたものの、私にも分からなかった。
 
そこで、ローズクォーツはUTP社長である須藤さんがプロデュースし、ローズ+リリーはUTP専務である私がプロデュースするということで、切り分け、両者の路線が混乱しないようにしようと提案したのであった。
 
そしてもうひとつの問題として、やはり私と政子は、2010年秋に制作したアルバムの発売に1年近く掛かってしまったこと、その途中で制作した『恋座流星群』
『Spell On You』をきちんとした形で発売してもらえなかったことに対して、不満を持っていたこともあった。
 
須藤さんとしては、マリが活動に消極的→代わりにローズクォーツを立ち上げてケイだけでも売ろう→でもローズクォーツのアルバムがなかなか制作できない→ローズクォーツを売るためには今はローズ+リリーのアルバムは売れないと考えていた訳だが、私たちとしては、ライブ活動への復帰にはまだ少し時間が掛かるけどアルバムは積極的に制作していきたいという意識があり、この思惑のずれが、当時は、私たちと須藤さんとの間に一触即発の事態を引き起こしかねないほどの危険を蓄積していた。
 
しかし須藤さんがローズクォーツとローズ+リリーの管轄分けを了承してくれたことで、私たちと須藤さんの衝突は回避されたし、私たちはローズクォーツとは無関係にマイペースで音源制作をすることができるようになったし、★★レコード側としてもローズ+リリーのライブを開催する交渉をするのに、UTPを通さず、直接マリに働き掛けて口説き落とす道が開かれたのである。
 
更に翌月の町添部長からの申し入れのお陰で、私自身がローズクォーツよりローズ+リリーを優先して動くことができるようになった。正直ローズクォーツの過密スケジュールが私にはかなり負担になっていたので、これは本当に助かった。しかしそれは結果的にはローズクォーツのライブハウスなどへの出演を事実上不可能にすることにもなったし、2012年以降のローズクォーツの音源制作の頻度も落とすことになった。
 

初期の頃、よく花枝から電話が掛かってきていた。
「ケイちゃん、ローズクォーツの3-4月のスケジュールを組みたいんだけど3-4月でケイちゃんがふさがっている日を教えて」
「・・・3月・4月は現在全ての日が塞がっています。次空いているのは7月3日ですね」
「7月!? じゃ5月6月も空いてない?」
「全く空いてません」
「じゃ7月3日にライブスケジュール入れてもいい?」
「3日は火曜日でクォーツがお休みの日ですが大丈夫ですか?」
「あぅ・・・」
 
という訳で、その内花枝はもう私を入れてライブをするということは諦めてしまったようであった。
 
「あ、8月11日にサマーロックフェスティバルがあるから、これにお呼びが掛かる可能性があるんだけど、それ都合つくかな?」
「8月11日は1年ほど前から私・政子ともども町添さんの予約が入っています」
「1年前から〜!?」
 

「冬ってさ、高1の頃から、何だか無茶苦茶忙しくしてたよね」
 
と政子は訊いた。
 
「そうだね。高1の1学期だと水曜と土日にバイトしてたかな」
「ハンバーガーショップとスタジオだよね。でもそれだけじゃないよね?」
「あ、えっと・・・あちこちのバックダンサーとかコーラス隊とかにお呼びが掛かってたかな」
「それって、男の子のダンサー?それとも・・・」
「女の子のダンサーが多かったかな」
「つまり、女の子の服を着て踊っていたのね?」
「うん、まあ・・・」
「ふふふ。その当時の写真見たいなあ」
「そんなの無いよぉ。踊っている自分を撮れないし、バックダンサーまで撮影する人なんていないし」
「ほんとに無いのかなあ。縛り上げて確認しようかなあ」
「もう・・・・」
 

私が多忙なのは、なんといっても「マリ&ケイ・ファミリー」「マリ&ケイ・カズンズ」への楽曲提供の仕事が非常に繁忙になっていたせいである。他にもローズ+リリーでFMの番組を持っていたし、この年の後半には、テレビのバラエティ番組にもふたりで出演した。
 
ローズクォーツの2012年のライブ活動は、むしろ私抜きであちこちに出かけていく伴奏での仕事の方がメインであった。これは歌の伴奏なのでボーカルの私は不要であり、マキ・タカ・サト・ヤスの4人での活動である。そしてその伴奏の仕事の中でも最も大きかったのが、スリファーズのバックバンドとしての活動であった。
 
スリファーズは2012年に4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしている。これの音源制作でローズクォーツは伴奏を務めたし、春と秋に行った全国ツアーや、サマーロックフェスティバルを含む夏フェス6ヶ所に出演したのでもバックバンドを務めている。
 
ローズクォーツよりスリファーズの方がずっと大きなセールスを上げていることもあり、wikipediaには、ローズクォーツの説明として「ローズクォーツは日本のロックバンドで、スリファーズのバックバンドとして知られる」などと書かれるに至る始末であった。
 

ローズクォーツがライブハウスから遠ざかったもうひとつの要因は警備上の問題があった。
 
2010年秋から2011年初め頃に掛けての「ドサ回り」はほとんどまともな宣伝をしないまま、いきなり現地に行って公演をしている。その時点ではローズクォーツというバンド名はほとんど知られていなかったこともあり、私が出演することは実際問題として事前には知られていなかった。
 
私が全国を駆け巡ることがある程度知られている状態で全国キャンペーンをしたのは結局2011年12月の『起承転決』のキャンペーンが最初である。この時はHNSレコードやショッピングモールなどを廻っているが、だいたいイベントスペースや付属の小ホールなどを使い、警備員も立たせて行っている。但しこの時は私がマイナスワン音源を使って歌ったので、まだコントロールがしやすかった。
 
しかし2012年8月に行った全国キャンペーンではローズクォーツをバックに私が歌ったし、ステージには立たなかったものの、マリもステージ傍で控えていたので、幾つかの会場で観客が興奮し、ステージに近づいて警備員に押し戻されるケースもあり、一部の会場では演奏を一時中断して、私が「皆さん、着席して聴いてください」と注意を呼び掛ける事態もあった。
 
そこで2013年1月に行ったローズ+リリーとローズクォーツのジョイント・キャンペーンでは、もうその手のイベントスペースは避けてホールを使用し通常のコンサートと同様の形式で演奏をしたのである。
 

2013年の後半、私とマリは大学の卒論を書いたりする卒業準備のため、音楽活動の一時休止を宣言した。そして、私たちが休んでいる間のローズクォーツの代替ボーカルとして《覆面の魔女》のふたりを指名した。そしてこのふたりをフィーチャーして、ローズクォーツは2年ぶりにライブハウスでの活動を再開したのであった。
 
「ケイをボーカルにしたローズクォーツではもう今後ライブハウスでの演奏は危険、というより不可能だと思う」
とタカは言った。
 
「アルコールが入っている観客の動きは、ライブハウスのスタッフだけではとても制御できないよ」
 
「いっそ、毎年色々なボーカルを客演させるのもいいんじゃない?」
などと政子も言った。
 
私としてはちょっと寂しい気もしたのであるが、私も次第にそれもひとつの選択肢かも知れないというのを考え始めていた。
 

2008年12月のロシアフェア以来、長くステージから遠ざかっていたマリは、2011年12月のマキの結婚式披露宴での歌唱、2012年3月の熊本および鬼怒川温泉での歌唱を経て、ついに2012年4月、★★レコード創立20周年記念シークレットライブでステージ(沖縄)に復帰した。
 
事前に誰が出演するのかは伏せておいて、幕が開いて初めて出演者が分かるというもので、全国のFM曲で観覧者を募集して開いた無料コンサートではあったし、会場も1000人クラスの小さなホールではあったが、それでもとにかくマリはステージに復帰した。
 
なお、このシークレットライブは全部で7回開かれている。他の6組の出演者は、6月福岡がXANFUS, 8月大阪がアイドルグループのFireFly20, 10月名古屋がKARION, 12月金沢がDream Waves, 2月横浜が新人歌手の杉田純子(★★レコードと雑誌社が共同主催したオーディション優勝者)、そして最後の2013年4月札幌はスカイヤーズであった。
 
沖縄でのシークレットのライブの後、マリは、8月のサマーロックフェスティバルで突然空いてしまった枠の代替で歌った。出演予定のmurasakiが首都高で事故に巻き込まれ、身動きできなくなってしまったためだった。
 
更に10月には札幌で前日に発表、即チケットを発売するという突発ライブで歌い、12月には、本当に4年ぶりに普通の形でチケットを販売した大分ライブで歌った。
 
そして政子は来年は6回くらいライブをしたいと楽しそうに語った。
 

高3から大2まで長い期間ライブ活動を休養していた政子がステージに復帰することになった理由としては、色々な要素はあったが、やはり震災後の東北ゲリラライブが直接的なきっかけとなった。
 
私と政子は震災から2ヶ月経ち、私の性転換手術の痛みも少しは落ち着き始めた2011年5月11日を皮切りに「何かしなければならない」という思いに動かされて、度々楽器を持って東北のどこかの町を訪れ、路上ライブを行うようになった。このゲリラライブは2013年3月11日まで合計20回に及んだ。
 
2011年7月にゲリラライブをした時、サインを書いた女性に政子は「きっと東北はすぐに復活しますよ」と言った。それに対して彼女は「ローズ+リリーはいつ復活しますか?」と尋ねた。すると政子は少し考えてから、今月か来月には復活すると言った。そして帰り道の新幹線の中で私に、CDを作ろう。数ヶ月以内にはステージにも復帰したいと言った。
 
「だって私たちも何かしなくちゃ。もうお休みはおしまい」
とも政子は言っていた。
 
そこで私は町添さんと一緒にCD制作の準備を始めたのだが、実際にはこのCDはローズクォーツの『夏の日の想い出』の制作に置き換えられることになった。
 
ただ『夏の日の想い出』はローズクォーツのCDとしてリリースされたものの、実際には全ての楽曲を私とマリが歌っているので、実質ローズ+リリーのCDと言った方が良かったし、クレジットも当初は《ローズクォーツ with ローズ+リリー》だったのが最終的には《ローズ+リリー ft. ローズクォーツ》と改められている。
 
そしてその後、私たちはあらためてきちんとローズ+リリーの名義で年内に『涙のピアス』『可愛くなろう』をリリース。年明けてから『天使に逢えたら』
を出して、春にはマリのステージ復帰へとつながっていくのである。
 

2012年の札幌や大分でのライブを前に、政子は一時帰国してくれた両親も同席して須藤さんと話し合いを持ち、契約事項の見直しを行って、人前では歌わないという条項を撤廃した。「学業に支障の出ない範囲で」歌って良いということにしたのだが、お父さんが折れてくれた背景には、やはり『神様お願い』が300万枚という物凄いセールスをあげ、それを事前の契約に従い、粗利の全額を震災の被災地に寄付したことがあったと思う。
 
それで契約上も自由にライブ活動できるようになったローズ+リリーは、年明けて2013年からは、2月に名古屋、3月に福島(地元優先突発無料ライブ)、5月に仙台で単発のライブをした後、7-8月に台湾公演を含む6ヶ所のホールツアー、そして8-9月に福岡・横浜・大阪という3ヶ所でのアリーナツアーを行った。チケットは全て瞬殺であった。これらの観客動員数は合計6万人で、チケット売上だけでも総額約4億円であった。(グッズの売上げはもっとある)
 

ところで政子のお父さんは政子が高2の時からずっとタイに居た。それでこれまでローズ+リリーという歌唱ユニット、マリ&ケイというソングライトペアの活動をあまり間近に感じていなかった。
 
それが2013年の春に5年ぶりに帰国して、当初は東京都内で本社付けで勤務していたものの、6月から仙台支店長として赴任し、現場で営業の前線に立った。すると政子のお父さんは、そのことを意識せざるを得なくなったのである。
 
外回りで出て行く先、出て行く先で客から訊かれる。
「もしかして、ローズ+リリーのマリちゃんのお父様ですか?」
 
打ち合わせの席に若い人がいると、名刺を見た瞬間訊かれることもあった。
 
すぐに訊かれなかった場合でも、営業前後の雑談(基本的に営業の話というのは95%くらいが雑談で、ビジネスの核心は5%程度である。しばしば3時間ほど延々と雑談して最後の5分で契約に至ったりする)の中で家族のことを訊かれて、お嬢さんは学生さんですか、などと訊かれて
 
「ええ、大学生で。なんか歌手の真似事してるみたいなんですけど」
などと言うと
「え? もしかして、お嬢さんって中田政子さん?」
 
などと言われて、お父さんがびっくりするというパターンもあった。
 
「ローズ+リリーのマリさんが『歌手の真似事』は無いですよ。トップスターじゃないですか」
「他の歌手にもたくさん楽曲を提供している大先生だし」
「多分、★★レコードの売上の半分を稼ぎ出してますよね」
 
などとも言われた。
 
実際、政子のお父さんとしてはローズ+リリーなんて、大量にいるアイドル歌手のひとつにすぎないくらいの認識だったので、まさかその片割れの父親のことまで知られているとは思いも寄らなかったのであった。(実名までは報道されていないが、父親の勤務先はけっこう週刊誌が書いていたし、仙台に赴任したことも知られていた)
 
それで、ローズ+リリーのサインをもらえませんか? などという話もしばしば持ち込まれたし、ライブのチケットを取れませんかなどという相談も持ち込まれた。
 
この件について、私と政子は、花枝と相談した。
 
「通常はサインはサービスだから無料でするのだけど、この場合、お父さんの営業の目的になるから、有料にせざるを得ないね」
「じゃ色紙代込みで1枚1000円ということで」
 
ということで料金を会社の営業費用から出してもらうことにした。それでも、毎週結構な枚数のサインを頼まれて書いていた。
 
なおチケットは関係者枠で取れる範囲で都度対応したが、お父さんは
「お前らのライブのチケットって6000円もするの!?」
などと驚いていた。
 
そのあたりは政子はさっぱり分かってないので私が代理でお返事した。
 
「消費税入れて6300円ですね。アリーナツアーは大会場なのでお祭りのようなものということで6000円にしたのですが、ホールツアーは会場が小さくて音質が良く、しっかり鑑賞してもらえる分、8000円、消費税込み8400円にさせてもらっています」
 
「ひぇー!? そんな高いチケット買う人が何百人もいるんですか?」
「今回、ホールツアー18000席、アリーナツアー33000席、全て発売開始後1分以内に売り切れています」
「ぎゃー!!」
 
しかし、このようなことがあって、政子のお父さんも、ひょっとしてうちの娘って大物歌手なのかも、という認識を次第に持つようになってきたのである。
 

そこでお父さんは10月の初旬、東京本社での営業会議に出るのに上京した機会にうちのマンションに寄って言った。
 
「政子、少し考えたんだけど、お前の歌手活動については、今後はお前と冬子さんとの良識に任せることにする」
 
「ありがとう。私も大学卒業したら少し頑張ろうかなと思ってる。今まで限定的な活動でファンの人たちを待たせてばっかりだったから」
 
ちなみに、政子のお父さんは、単独でうちのマンションに来訪できる数少ない男性のひとりである(単独で来て良いのは、うちの父、政子の父、姉の夫の小山内和義さんの3人だけ。なお性別は法的なものではなく実態上のものなので、あきらさんや淳さんもひとりで来訪可能)。
 
「まあでも卒論を12月頭にちゃんと提出して、滞りなく卒業できての話だぞ」
「うん、頑張ってるよ」
 
「政子さんの論文はもうだいたい9割方完成しています。校正しながら論考の不足しているかもといった付近を加筆したりしている段階です」
「それは良かった。冬子さんの方はどうですか?」
「冬はまだ3割だよね?」
「うん。これから頑張る」
 

私たちは歌手活動や楽曲制作活動をしながら、多数の歌手・ユニットと交流している。
 
私たちが楽曲をコンスタントに提供しているのは、ローズ+リリー、ローズクォーツ以外に、スリファーズ、SPS, ELFILIES, そしてスターキッズ、といった《マリ&ケイ・ファミリー》と呼ばれるユニットが主で、この他にパラコンズにもコンスタントに楽曲を提供しているが、パラコンズは制作には関わっていないので、むしろ《マリ&ケイ・カズンズ》に分類されている。
 
他にカズンズに分類されているのは、富士宮ノエル・坂井真紅・小野寺イルザ・山村星歌・鈴鹿美里といったアイドル歌手たちや、元アイドルの歌手花村唯香などである。
 
花村唯香は雨宮先生がカラオケ屋さんで見いだしてデビューさせた歌手であるが(例のカラオケ対決で、雨宮先生に3連勝したらしい)、最初水上先生に楽曲を提供してもらってアイドルをしていたものの、あまりセールスは振るわなかった。ところが、2011年11月に放送局などに「花村唯香は男である」という謎の密告文書が大量に届き、念のため本人に尋ねた所、あっさり戸籍上は男性であることを認めた。
 
それで大騒動になったというのでは、まさに私と全く同じコースを辿ったのだが、それでさすがにアイドルとして売り出せなくなったので、私たちと、スイート・ヴァニラズとで1曲ずつ楽曲を提供して売り出すと、その路線が当たり、今ではすっかり人気歌手として活躍している。
 

また、これらの《マリ&ケイ・ファミリー》《マリ&ケイ・カズンズ》と似た位置付けになるのが、私と政子が《鈴蘭杏梨》の名義で楽曲を提供している歌手たちで、これには kazu-mana や槇原愛などがいる。
 
またカズンズでもないが楽曲を提供したことのあるアーティストとして、AYA、長野支香、スイート・ヴァニラズ、などがある。
 
また楽曲提供などの関係は無いものの、交流の深いユニットとして、XANFUS, KARION, スリーピーマイス、スカイヤーズ、リュークガールズ、ピューリーズなどがある。
 

KARIONとローズ+リリーとの交流というのはとても微妙で、実は2009年からライブに招待してもらったりしていたし、私自身はいづみ・みそら・こかぜと頻繁に接触していたのだが、政子がKARIONの和泉たちと交流を持つようになったのは、2012年10月に私と政子が友人たちと一緒にパーラーでおしゃべりしていた時に偶然、和泉と遭遇して以来であった。
 
これは私自身が実はKARIONのメンバーでもあるので意図的に接触を避けていたのもあったのだが、政子はその遭遇のあと、わずか3ヶ月で、KARIONの楽曲の作曲者である水沢歌月が、私の別名であることに気付いてしまった。
 
「冬が水沢歌月だってことに気付いた後で、ずっとKARIONのCDを聴き直してたんだよね。そしたら、冬って全てのCDの全ての曲で歌ってるし、ピアノ弾いてるってことに気付いた。声や歌い方は色々変えてるけど」
 
その日、私と政子は青葉のヒーリングを受けるために広島に向かっていた。私たちは多少危ない話もできるように、新幹線の個室を利用していた。
 
「うん。私は一貫して参加してるから。ちょっと聴くと3声しか入ってないように思える曲でも実はカウンターを入れたり、和泉とユニゾンで歌ってメインメロディーを補強したりしてるからね」
 
「冬の声の中のひとつが、いづみちゃんの声と少し似てるんだよね。だから、あの声を聴いても、ほとんどの人がいづみちゃんが多重録音してるんだろうと思ってしまうと思う」
 
「ふふふ。それ知ってるのはKARION関係者や、ゆきみすず先生くらい。知ってなくて気付いたのはマーサと青葉くらいだろうね。だから実はKARIONの曲に3声の歌は存在しないのさ。全曲私も歌ってるから」
 
「私もそれ気付いた時は衝撃だった。だけど、『秋風のサイクリング』とか私たちが全国キャンペーンやってる最中に発売されてるし、『優視線』は私たちが引き籠もりしてた時に発売されてるよね。冬って、いつ曲を作ったり、録音参加したりしてたのさ?」
 
「須藤さんが作った私たちの契約書って2008年9月1日から有効ってなってたでしょ? だから『秋風のサイクリング』の私のパートは全部8月中に吹き込んだんだよ」
「なるほどー」
 
「『優視線』とかは、ローズ+リリーもKARIONも全国飛び回ってた時期に書いた作品でさ。お互いに新幹線の中とか飛行機の中とかで詩や曲を書いてメールのやりとりで完成させた。『優視線』も『恋のクッキーハート』もお互い一度も顔を合わせないまま楽曲を完成させている」
 
「それも凄いな」
「録音は、例の引き籠もり期間にこっそり外出して、スタジオに行って堂々と和泉たちと一緒に録音している」
 
「よく外出できたね!」
「若葉のお陰だよ」
「あぁ・・・◎◎女子高の制服!」
「うふふ」
 
「それに、うちのお父ちゃんとマーサのお父ちゃんが契約書の無効を宣言したから、あの時期は自由に行動できたんだよね。つまり『秋風のサイクリング』
はローズ+リリーの契約の発効前、『優視線』は契約破棄後に参加してるんだよね」
 
「なんか微妙な時間の狭間で作ってるんだ」
「そうそう」
 
などと言った時、政子の顔が固まる。私はレポート用紙を渡してあげた。政子は「サンキュー」と言って『時間の狭間』という詩を書き始めた。
 

「だけど、結局はKARIONを起点として、ローズ+リリーもスリーピーマイスもデビューしてるんだね」
と政子は言った。
 
「うん。KARIONに私が熱心に誘われたことで、私も歌手になろうという気持ちになったし、それで音源作ってあちこち売り込んでいた時、ちょうど穂津美さん(エルシー)と会って、自分たちも音源作ったよと聞いたから、それを私が丸花さんに聴いてもらって、丸花さんも面白いと言って加藤さんに聴かせて、といった所からスリーピーマイスもメジャーデビューに繋がって行っている」
 
「人と人のつながりは面白いよね。XANFUSと私たちも相互に助け合ってる」
「そうそう。デビューしたのが一週違いだから、元々親近感が高かったね。あの時期、不思議と全国各地で遭遇したし」
 
「XANFUSの人気が急上昇したのは私たちが突然活動停止に追い込まれて、そのピンチヒッターとしてたくさん露出したのがきっかけだったけど、私たちもその活動停止中に何度もXANFUSに励まされた」
と政子は少し遠くを見つめるような目をして言う。
 
2009年5月に★★レコードでXANFUSと出会ってハグし合い、友情を確認したこと、そして同年11月にはXANFUSの沖縄ライブで、私たちは《謎の女子高生2人組》という触れ込みで、彼女たちのステージのゲストとして歌ったこと。
 
「冬はいづみちゃんと歌のライバルだと良く言ってるけど、私はむしろゆみちゃん(AYA)とライバル心を持っている」
と政子は言う。
 
「それはお互いにそうだろうね。最初2008年の段階ではゆみの方が上手かったけど、2009年の年末にAYAの番組で歌った時、ゆみが凄い顔してたからね。これテレビじゃなくて良かったというくらい怖い顔だった」
 
「あの顔見て、ふふふ勝ったぜと思ったよ」
「でもその後、AYAも凄く頑張った」
「だから私も凄く頑張った」
 
「でもまあ、去年あたりからは、もうマーサの方が勝ってるよ。むしろ水が開き始めている」
「でも油断できない。それで終わる子じゃないもん」
「だろうね。ライバルって、お互いにそういう存在だよ。向こうも巻き返してやろうと、きっと必死に努力してる」
「だから、私も負けないくらい練習する」
「うん」
 
私たちは一応音楽活動を休止はしていても、毎日マンションで論文を書きながら、いつも一緒に歌っていた。
 

スイート・ヴァニラズとの交流もまた特筆すべき所だろう。女性ユニット同士の気安さで、スイート・ヴァニラズのメンバーは、08年組の5つのユニット全てと様々な形で交流を持っていた。
 
KARIONとは実はデビュー以前から交流があった。2007年12月に、ラムが入った4人バージョンの歌を収録していた時、偶然スタジオにElise とLondaが来た。
 
ふたりはその時、別の部屋で録音をする予定のアイドル歌手・谷崎聡子に楽曲を提供していたので、その様子を見に来訪した。ちょうど和泉・小風・美空・ラムが1階の待合室で自分たちの部屋が空くのを待っていた時に到着したので、4人が固まって話しているのを見て
 
「君たち、何て子? 歌手?」
 
などと声を掛けてきたのである。4人は大物アーティストに声を掛けられてびっくりしたものの、明るくハキハキと返事をする様が、ふたりに気に入られてしまった。私はその時、別の歌手の録音作業をしていて、それが終わったので和泉たちを呼びに行き、Elise と Londa が4人と話している所に遭遇した。
 
その時、私も Elise たちに会釈をしているが、さすがにEliseたちもその時、私と顔を合わせたことは覚えていないようである。ただ後にLondaからは「あんた、どこかで昔会わなかったっけ?」とは言われたが。
 
その後スイート・ヴァニラズには、2008年7月にKARIONで制作したアルバム『加利音』に1曲、楽曲を提供してもらっている。
 

そしてあれは2009年(高3)の9月の4連休であった。敬老の日と秋分の日に挟まれた日が「国民の休日」となり「シルバーウィーク」と呼ばれた連休である。その日私たちは、横浜で行われた音楽イベントに行っていた。
 
この時、KARIONは『大宇宙』というアルバムを出した直後で、トラベリング・ベルズのメンバーはスターウォーズのキャラのコスプレをしていた。それで私は「コスプレだから顔が分からないよ」などと言われて、ダースベイダーのコスプレをして、キーボード奏者としてこのイベントに参加したのであった。ヴァイオリンは私の友人の夢美という、当時ヨーロッパに音楽留学中だった子が、たまたま一時帰国していたのを確保して参加してもらった。
 
(TAKAOさんはR2-D2, SHINさんがC-3PO, DAIさんはレイア姫だったが、あまり見つめたくないレイア姫だった。TAKAOさんが「この中でいちばん女装が似合わないのは誰だろう?」と言って、みんな「DAIでは?」と言ったので女装させられたのである! だいたいトラベリング・ベルズはいつもこんなノリだ。ちなみに夢美はルーク・スカイウォーカーであった)
 
私たちが和泉たちと一緒に出番を待っていた時、近くに居たスイート・ヴァニラズの様子がおかしいのに和泉が気付いた。
 
「Eliseさん、どうかしました?」
と和泉が声を掛ける。
「うん。ちょっと調子が悪いみたい」
とLondaが答える。
 
「出番、大丈夫ですか?」
「うん、頑張る」
とEliseは言ったものの、うずくまってしまう。
 
「これ、やばいのでは? お医者さんとこ行った方がいいですよ」
と夢美が言う。
 
「でも、次の次が出番だから、今医者に行く訳には・・・」
 
「いや、この状態で演奏するのは無理だと思う」
とR2-D2のTAKAOさん。
 
そばに付いていたスイート・ヴァニラズのマネージャー、河合さんが
「確かにこれは無理だね。恵里ちゃん、どうしたのさ?」
と言い、
「ファンには申し訳無いけど、キャンセルさせてもらおう」
と言って、事務局の人の方に行こうとした時、Eliseが言う。
 
「待って。私がエアギターして、音は音源で流したりできないかな?」
 
「音源使うのは禁止なんだよ、このイベント」と河合さん。
 
するとTAKAOさんが
「何なら、僕が陰でギター弾きましょうか? 何を弾くんです?」
と言った。
 
「『海辺の秘密』『浜風の誘惑』『祭り』です」
「うーん。。。『海辺の秘密』『浜風の誘惑』は知ってるけど『祭り』を知らない」
「こないだ出したばかりのシングルなんですよ」
 
その時和泉が言った。
「蘭子なら弾けるよね?」
 
「弾ける」と私は答えた。
 
「あ、ダースベイダーさんって女の子なんだ!あなたもギタリスト?」
と私の声を聞いてLondaが訊く。
 
「この子、本来はピアニストなんですけど、ギターも凄く上手いです」
と和泉が答える。
 
それで私はTAKAOさんからギター(Fender Stratocaster)を借りて、今言われた3曲のギターを、アンプにつながない状態で弾いてみせた。私のギター演奏を初めて聴いたTAKAOさんが首を振って「ヒュー!」などという声をあげて「蘭子、こんなにギター弾けたんだっけ?」と驚いていた。
 
実は私はKARIONを始めた頃は素人レベルのギターだったのだが、ローズ+リリー休養中の2009年春から、物凄く練習して、この時期は先生からも「もうプロ級に弾けるようになったね」と言ってもらっていたのである。
 
「上手い! ってか、あなた、Eliseみたいに弾きますね」とLonda。
「この子、自分流でも弾けるけど、他人の演奏をそっくりコピーする演奏もうまいんですよ」と和泉。
 
「今みたいに弾いてもらったら、Eliseが弾いていると思ってもらえるかも」
 
ということで、このイベントで私は観客から見えないようステージの陰に隠れてEliseの代わりにギターを弾いたのである。Eliseは最後の方は顔面蒼白になっていたが、何とか最後までギターを弾いている振りだけはし通した。(挨拶もできなかったので、演奏終了の挨拶はセカンドギターのMinieがした)
 

ステージが終わるとすぐにEliseは河合さんに付き添われて医師の所に行った。
 
「ありがとう。あなたのお陰で助かった」
と言うLondaに私は
「大変だったみたいですけど、お大事に」
と答えた。
 
「あんた・・・もしかしてEliseの体調不良の原因が分かった?」
「いえ、気付かなかったことにします」
「ありがとう。やはり女だけに分かっちゃうのかな。男は気付かないだろうけどね」
とLondaは言った。
 
実は当時Eliseは流産したばかりだったのである(妊娠自体に本人が気付いてなかったらしい−元々生理不順がひどかったので生理が来なくても、また乱れてるのかなと思っていたと本人は後に言っていた)。
 
その件は幸いにも週刊誌などには感づかれずに済んだが、一部気付いたファン(政子や奈緒など)もいたようである。ただ気付いた人も、みんなあまり言わないようにしていたようである。
 
そしてこのイベントの本来のKARIONの出番では、私はキーボードを弾きつつコーラスやカウンターを入れて、『宇宙戦争』『愛の悪魔』『渚の恋人たち』
を演奏した。
 
なお、私はこのイベントではずっとダースベイダーをしていたので、誰にも顔を晒していない。
 
「ところでさぁ、考えてみたら、ヴァイオリンは冬子さんの方がうまいよね?」
と夢美は言った。
「キーボードは当然夢美ちゃんの方がうまい」
と私も言った。
「逆にしちゃいけなかったんだっけ?」
「でも私がこのユニットの正キーボード奏者だから」
などと私が言ったら、横から和泉が言う。
「じゃ、冬はこれから毎回KARIONのライブではキーボード弾いてよ」
「えっと・・・」
「覆面してもいいよ」
「うーん・・・」
 

KARIONとスイート・ヴァニラズの関わりはそんな感じであったが、ローズ+リリーとスイート・ヴァニラズの関わりは2010年、私たちが大学1年の時の夏に始まる。
 
この年のサマーロックフェスティバルで、私は本番直前に倒れたスカイヤーズのBunBunの代役でスカイヤーズの歌を歌った。それを見ていたEliseと、フェスが終わった後、私は偶然横浜のプールで遭遇した。Eliseから声を掛けてきた。
 
「スカイヤーズの件、30分前に突然言われたんだって? よく歌えたね」
とEliseは笑顔で言った。
 
「たまたま知っている曲ばかりでしたので」
と私が答えると
「ね、うちの曲も歌える?」
とEliseは訊く。
 
私は
「歌えます」
と即答した。
 
それでEliseは
「いいお返事するなあ。そういうお返事する子、私大好き」
と言って、明日の自分たちと一緒に歌わないかと言ってきた。
 
私が「明日って***ですか?」
と会場名を言うと、Eliseは本当に驚いたような顔で
「よく知ってるね」
と言い、私と政子に明日の朝、その会場に来てよと言った。
 
「私も?」と政子は驚いたが
「付き添いということで」と私はフォローしておいた。
 
それで結局、その後、ローズ+リリーはスイート・ヴァニラズの全国ツアーに帯同することになったのであった。
 
ステージでは一応私がひとりで歌ったのだが、最後の横浜公演ではEliseがマリの手を引っ張ってステージ中央に連れ出し、私とふたりで観客に挨拶した。
 
マリにとっては、その場で歌いはしなかったものの、1年半ぶりに有料ライブの観客の前に立った瞬間であった。
 

翌年には私たちとスイート・ヴァニラズとで「交換アルバム」という企画をした。マリ&ケイで書いた曲をスイート・ヴァニラズが演奏し、スイート・ヴァニラズで書いた曲を、私とマリのツインボーカルのローズクォーツで演奏して、各々CDを出すという企画である。
 
このアルバムは2012年1月1日に発売され、マリ&ケイが楽曲提供してスイート・ヴァニラズが演奏する『薔薇と百合の日々』が30万枚/DL, スイート・ヴァニラズが提供して、《ローズ+リリー+クォーツ》(というクレジットにした:命名は★★レコードの加藤課長である)が演奏する『甘味香子蘭』が60万枚/DL売れ、この収益は、どちらも東日本大震災の被災地に寄付された。
 
またローズ+リリーとスイート・ヴァニラズの交流には、花村唯香絡みのものもあった。
 

そもそも私が唯香を知ったのは2010年11月27日、ドサ回りで小倉に来ていた私を、博多に居たEliseが「ケイ、飲みに付き合え」と言って呼び出したので、私が新幹線で小倉から博多へと移動して、彼女たちのライブ打ち上げに付き合った時であった。その時、スイート・ヴァニラズのライブにゲスト出演した唯香がいたのである。当時、私は唯香がまさか男の子だとは思いも寄らなかった。
 
結局唯香は翌年11月に性別をカムアウトするに至るが、それを受けて★★レコードは唯香の次のCDの楽曲を、スイート・ヴァニラズとマリ&ケイから1曲ずつ提供してもらえないかと打診してきた。
 
★★レコードとしては唯香は性別カムアウトによってアイドル歌謡は歌わせられなくなってしまったので、その後の路線として、ロック系がいいのか、ポップス系がいいのか見極めたいと考え、スイート・ヴァニラズからロック系の曲、マリ&ケイからポップス系の曲を提供してもらって様子を見たのである。
 
結果的には両者の個別ダウンロードや有線・カラオケでのリクエスト数は拮抗していた。それでその後結局、唯香は両者から1曲ずつ提供されたCDをリリースしていく路線が定着してしまうのである。また唯香の音源制作にも、Eliseたちと私たちの両者が立ち会い、実質的にスイート・ヴァニラズとマリ&ケイの共同プロデュースのプロジェクトという様相になった。
 
その花村唯香は2013年1月に性転換手術を受けたので、7月いっぱいまで休み、8月から新曲の音源制作に入った。今回もスイート・ヴァニラズとマリ&ケイから楽曲を提供したのだが、私たちもLondaも予定が空かなかったため、8月13-16日のお盆の最中に音源制作して9月18日(水)に発売された。
 
発売日は、私たちはどっちみち休養中だしそもそもイギリス旅行中だったが、新曲の発表記者会見には Londa が同席してあげた。唯香は席上、この半年間の休養が性転換手術のためであることを認めたので、翌日の新聞の見出しを賑わしていたらしい。その話題性もあって、曲は初動で8万枚売れて、彼女にとって2枚目かつ前作に続くゴールドディスクとなりそうな雰囲気であった。
 

スイート・ヴァニラズは、XANFUS, AYA, スリーピーマイスとも、それぞれ個人的なレベルでの交流を持っていたし、AYAにも楽曲を提供したことがあった。それで 2013年の1月に「08年組」でCDを制作する企画が持ち上がった時、そのプロデューサー役を引き受けてくれたのであった。
 
結局私たちは、そのCDが物凄く売れたことから、ジョイントライブまで開くことになった。ライブでは、08年組のメンバーが並び、Londaがピアノを弾きEliseがメンバーと握手をするような演出もあった。
 
全員が多忙な中、無理矢理スケジュールを調整して実施したジョイントライブだったが、結構楽しかったね、またその内やりたいね、などと言っていたら、その僅か2ヶ月後に、また「08年組」で演奏する機会が訪れた。
 
8月10日のサマー・ロック・フェスティバルと翌日の震災復興支援ライブでスイート・ヴァニラズが出場予定であったが、これがEliseの妊娠発覚のため出場できなくなった。それで急遽、08年組で編成した《スイート・ヴァニラズ・ジュニア》で代替演奏したのである。
 
リードギター音羽、リズムギター小風、ベース美空、キーボード和泉、ドラムスが私で、フルート光帆、ヴァイオリンがマリ、オタマトーンゆみ、という編成で、スイート・ヴァニラズのヒット曲を演奏した。
 

結局、スイート・ヴァニラズは、Eliseの産休明けまで、Eliseの妹のAnnaが、Eliseの代理のリードギターを弾くことになった。その件で私はEliseに呼び出され、AnnaがEliseの代理をしている間、Annaが所属しているバンドの他のメンバーに仕事を与えて欲しいと言われて、ちょうどローズクォーツが抜けた後の渡部賢一グランド・オーケストラのリズムセクションに彼女たちが入るようにした。
 
またEliseは、妊娠以来、詩が書けなくなってしまったということで、スイート・ヴァニラズで来年春に発売するアルバムのための曲を6曲、マリ&ケイで提供してもらえないかと頼んできた。
 
しかし私はその6曲の作曲を青葉に「下請け」に出した!
 
『聖少女』と同様に、マリ&ケイ+リーフの名前でクレジットすることにした。
 
青葉は私がスイート・ヴァニラズ向けに選んだ6篇の政子の詩に、とても可愛い曲を付けてくれて、EliseもLondaも
 
「おぉ、可愛い! 5歳くらい若返ったつもりで演奏しよう」
などと言っていた。
 

ところで、私と政子は2008年12月の大騒動以来、2011年夏までローズ+リリーの活動を休止していたのだが、私と政子の音楽活動自体は、実はあまり停まっていない。
 
特筆すべきもののひとつはソングライト活動で、私たちは2009年秋から鈴蘭杏梨の名前で kazu-mana などに楽曲の提供を開始し、2010年秋からはマリ&ケイの名前で、スリファーズ、SPS、ELFILIES にも楽曲を提供しはじめたし、他にも多数のアイドル歌手などにも曲を書いた。実際問題として、私たちの収入の大半はこういうソングライト活動によって得られている。
 
一方歌手としての活動も実はあまり長期間は停止していない。高校時代の秋、鈴蘭杏梨の活動とだいたい同じくらいの時期から、私たちはロリータ・スプラウトというプロジェクトを始めた。発端は政子が「歌いたい!CD出したい!」と言ったことで、それで「じゃ、お父さん説得してローズ+リリーのCD出そう」と私は言ったのだが、政子はまだローズ+リリーとしては歌えないと言ったのである。
 
それで政子が「自分たちが歌っているとは気付かれないように歌いたい」などと言うので、声を変形させるソフトを使用して、洋楽カバーを歌ったアルバムを制作することになったのである。
 
このシリーズは基本的に配信・レンタル限定で発売されている。2009年10月にArabesque/Lillix, 2010年4月にVanilla Ninja/t.A.T.u., 2010年10月にMadonna/Stevie Wonder, 2011年5月Carpenters, 2011年11月Berbra Streisand, 2012年5月The Beatles, 2012年12月Queen, 2013年5月Nolans/ABBA, と、だいたい毎年2枚のアルバムを発表しており、毎回10万DL以上のセールスを上げていて、ファンサイトも多数できている。
 
メンバーの名前も公開されていないため、初期に出来たファンサイトの主催者数名がチャットで話し合って、勝手に、アン・エミー・バーニー・リンダという名前を付けてしまった!(歌声の分析で4声で歌っていることは確定)その後できたファンサイトもこの名前を踏襲している。
 
★★レコードにライブはしないんですか? とか、メンバーのプロフィールを教えて下さい、といった問い合わせは結構あるものの、プロフィールは本人たちの希望により非公開。ライブの予定はありません、という回答をしている。また勝手に付けられた名前について本人達は割と気に入っている、とも回答したので、この名前は準公式のものとみなされている。
 
しかしこの秘密主義は色々憶測も呼んでいる。中には突飛なのもある。
 
・メンバーのうち2人(アンとエミー)の英語の発音が必ずしもうまくないのでアメリカ人やイギリス人でないことは確か。
 
・リードボーカルの子(仮称アン)の歌唱力が4人の中でいちばん低いのはとっても不思議。なぜいちばんうまいリンダがリードボーカルを取らないのだろうか?ただアンはこの3年間にかなり歌が上達したことは認める。
 
・多分GReeeeNなどと同様に公的な職業に就いているから顔出しできないのでは? 学校の先生か、お役所勤めか、あるいは弁護士や医師か。
 
・もしかしたら、表に出られない人たちなのかも。刑務所の長期服役囚とか。(アヤ・エイジアか!?)
 
・いや、実は不法入国者のユニットだったりして。
 
・実は男だったりして(う、鋭い!)
 
・実はロリータ・スプラウトは存在していない。ボカロイドなのかも。所属芸能事務所が無いっぽいのがその証拠。
 
ロリータ・スプラウト宛てのファンレターは★★レコードで受け取っており稀にだが、お返事がもらえる場合もある。その場合、文章はパソコンのプリンタで印刷されていて、最後に4つのサインがある。
 
なお、5月のアルバム発売時に次のアルバムは2014年の1月か2月に発売されることを公表している。
 

さて、私と政子は2013年7月から2014年3月まで、卒論作成を含む卒業準備のため音楽活動を休養することにしていたのだが、その間のローズクォーツの代理ボーカルとして、《覆面の魔女》の2人を起用した。
 
本当はシレーナ・ソニカ(音の魔女)といって、槇原愛のバックでベースとドラムスを演奏しているふたりなのだが、ちょうど槇原愛が大学受験のため休養に入るので、覆面をかぶって、こちらに出てもらうことにしたのである。
 
しかしふたりのお陰でローズクォーツは約2年ぶりにライブハウスでの活動を再開することができた。最初はタカなども代理ボーカルというので客の反応はどうだろうかと不安だったものの、充分な歌唱力を持つ2人ということで、客の反応は上々だったようであった。名前と無関係に純粋に《音楽》を楽しんでくれる雰囲気がライブハウスにはあった。
 
そこで11月4日、私とタカは、UTPの花枝、★★レコードの氷川さんと加藤課長、町添部長まで交えて《覆面の魔女》が(槇原愛の休養明けで)使えなくなる4月以降のローズクォーツの活動について話しあった。
 
 
 
Before前頁次頁時間順目次

1  2 
【夏の日の想い出・第四章】(上)