【夏の日の想い出・カミは大事】(上)

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2004年3月19日。私は小学校の卒業式を迎えた。
 
うちの近辺は学区が複雑になっていて、私が進学する●▲中学は3つの小学校から集まってくるのだが、その内私たちの●小学と■小学は、各々の学区の半分だけが●▲中学の学区になっていて、小学校で一緒だった友人と泣き別れが発生する仕組みになっていた。
 
私の友人たちの内、一緒に●▲中学に進学できたのは倫代や若葉などで、最大の親友であった奈緒や有咲は隣の中学になっていた。それでこの日はあちこちで友人同士泣きながらハグし合って別れを惜しむ姿が見られたが、私も奈緒・有咲と抱き合ってお互い泣いて
「近くだし、また一緒に遊ぼうね」
と誓い合った。
 
さて卒業式では、ほとんどの子が中学の制服を着ていた。男子はどちらの中学に行っても学生服なので、私立の中学に行く子以外はみんな学生服を着ていたが、女子は二種類の制服に別れていた。どちらもセーラー服なのだが、デザインが異なる。
 
●▲中学の方は首や袖の白いラインが2本で赤いスカーフ、スカートはプリーツであるが、奈緒たちの中学はラインは3本でスカーフではなく棒タイ。スカートは箱ヒダであった。
 
「なんで唐本は中学の制服着てないんだよ?」
と男子のクラスメイトから言われる。
 
「え? 中学の制服は中学に入る時でいいんじゃないかなあ」
「まあ、そうだけど、私服で出てきてるの、お前だけだぞ」
「うん。でも小学校までは服装は自由だし」
 
そして更に髪についても突っ込まれる。
「お前、まだ髪切ってないの?」
「あ、うん。入学式の前に切るよ」
 
奈緒たちの進学する方の中学は男子は「耳や襟に掛からない程度の髪」なのだが、●▲中学は今時珍しい丸刈りである。実は前日に父が「バリカンで切ってやる」と言ったのを遠慮して「入学式前でいいじゃん」と言って逃げておいたのである。
 
それで髪は丸刈りあるいは耳や襟に掛からない程度の短髪で、学生服を着た子だらけの中で、私だけ、耳にも肩に掛かる髪の長さで、黒いセーターにブラックジーンズという姿で、ひとりだけ混じっていたのであった。
 

髪については奈緒や有咲からも言われた。
 
「冬〜、髪を切りたくない気持ちは分かるけど、出家して尼さんになる気持ちで潔く切ろうよ。なんなら私が切ってあげようか?」
と奈緒。
 
「パス」
「でも入学式までにはどっちみち丸刈りにしないといけないんでしょ?」
と有咲。
 
「うん。その時にはそうするよ」
 
などと言っていたら、男子の友人が
「唐本はマルガリじゃなくて、マラギリしておけば良かったのにな」
などと言う。
 
「マラギリ? 何それ?」
「ああ、だから・・・マラを切ることだよ」
「マラ??」
「チンコのこと」
とその男子の方が恥ずかしそうに言う。まさかそこまで説明することになるとは思っていなかったようだ。
 
「へー! おちんちんのことマラって言うの?」
 
「冬、知らないんだ。私でもマラがおちんちんのことって知ってるよ」
と奈緒。
「全然知らなかった」
 
「昔、モロッコにマラケシという町があってさ。そこに性転換手術で有名なお医者さんがいて、一時期は世界中からそこに手術受けに行く人がいたんだよ」
「ふーん」
 
「それで『マラケシ』で『マラを消した』なんてだじゃれがあったんだって」
「へー」
「まあ、そのお医者さんももう随分前に亡くなって、今は性転換手術といえばモロッコじゃなくてタイになったけどね」
 
「うん、性転換手術といえばタイだってのは知ってる」
「でもホント、冬は女の子になります!って宣言してれば、髪も切らずに学生服も着ずに、髪の長いままセーラー服で女子中学生になれたのに」
「そうしたかったなあ」
 
「今からでも宣言する?」
「うーん。。。宣言したい気分だけど、お父ちゃんが認めてくれなさそう」
「お父さんを説得する時間はたっぷりあったと思うんだけどねー」
「ああ、冬はそういう所が意気地無いよね」
 

やがて式典が始まる。私たちは整列して体育館に入った。
 
「君が代」そして校歌を斉唱する。校長先生の短い話があった後、ひとりずつ名前を呼ばれて卒業証書を受け取りに壇上に上がる。
 
うちの学校は男女分離名簿なので、各クラスごとに男子・女子の順に呼ばれていく。1組が全員呼ばれた後で、2組になり、秋元君、上田君が呼ばれて、ふたりとも「はい」と声変わりした、男の子の声で返事し、壇上に向かう。その次が私だ。「唐本冬彦」と呼ばれて私は「はい」とアルトボイスで返事し、壇上に向かった。
 
事前に練習していた通りの仕草で校長から卒業証書を受け取り、また席に戻る。
 
「唐本だけかなあ。うちのクラスで声変わりまだなのは」
とひとつ後ろの来島君から小声で言われて、私は
「うん。そうだね」
と微笑んで小声で答えた。私は小学校では最後まで男声は使わなかった。
 
卒業証書の授与が終わると、来賓の挨拶、在校生の送辞、卒業生の答辞などと続き、5年生による鼓笛演奏で『翼をください』を全員斉唱した。
 
教室に帰り、先生の短いお話があってから、ひとりひとり名前を呼ばれて記念品をもらった。
 
その後、また先生からやや長めのお話があり、解散となった。
 
私はあらためて奈緒・有咲とハグしあったが、友人同士で午後から集まって、おやつでも食べようという話になる。
 
それでいったん自宅に戻り、お昼を食べてから13時半に集合することになった。
 

「ああ、結局冬は卒業式は私服で出たのか」
とお昼を食べながら姉から言われた。
 
「あまり学生服着たい気分じゃなかったから」
「ふーん」
「あんたが私服でいいって言うから、私服で行かせたけど、みんな中学の制服着てたじゃん」
と付いてきてくれた母からも言われる。
 
「そうだねー」
「髪もみんな短くしてて、あんただけだよ、長い髪してたのは」
「入学式の前には切るよ」
 
「学生服が嫌ならセーラー服着る?」
と姉が言う。私はドキっとした。
 
「そうだなあ。セーラー服なら着たいかも」
「あんた、セーラー服着たいなら、その前に性転換しなきゃ」
と母が言い
「そうだねえ。性転換しちゃおうかな」
と私が答える。
 
すると母は
「おちんちん切るのは髪の毛切るより大変だよ」
と言った。
 

午後から集まるのに、自分の部屋で服を選んでいたらトントンと襖がノックされて、姉が呼ぶ。
「ちょっと来て」
「うん」
 
姉の部屋に行くと、姉がセーラー服を手にしていた。
「これ、あげようか」
「・・・・いいの?」
 
「●▲中学の制服、私たちの時とは変わっちゃったしな。この古い制服でもよければ着てみる?」
「うん」
 
私は着ていた服を脱いで姉のセーラー服を試着させてもらった。
 
「なーんだ。あんた女の子の下着、着けてるんだ」
「えへへ。この春休みが最後かな。頭を丸刈りにしたら、さすがに女の子の服は着られないし」
 
「じゃ、このセーラー服もこの春休みだけだね」
「そうかも」
 
「サイズは少し大きいくらいか。あんた背丈低いから」
「そうだね。女の子の中でも真ん中より少し下くらいだよ」
 
「でも着たければこれあげるよ」
「ありがとう。もらっちゃおう。あ、今日の集まり、これ着て出て行こうかな」
 
「お母ちゃんのいる前でこれを着て玄関出るつもり?」
「玄関出てから着替える」
 
「まあ、いいけど」
 

私はふつうのセーターとジーンズの格好で居間を通過し、母に
「行ってきまーす」
と言って出かけると、自宅近くの公園のトイレに入り、その中で服を脱いで姉からもらったセーラー服を身につけた。
 
そしてその格好でバスに乗り、集合場所に向かった。
 

「あれ? 冬がセーラー服着てる」
と先に来ていた奈緒から言われる。
 
「それ買ったの?」
と有咲。
 
奈緒も有咲も午前中と同様にセーラー服を着ている。
 
「これお姉ちゃんの。デザイン変わっちゃったから、このままでは使えないんだけどね」
「へー」
 
「それに入学式の前には丸刈りにしないといけないから、それまでの命かな」
「ああ。冬がどんなに女顔でも、さすがに丸刈りでは女の子とは思ってもらえないね」
 
「うん。でも春休みの間はこんな感じで通しちゃおうかな」
「まあ、それもいいんじゃない」
 
その後、他の友人たちも到着するが
「おお、冬ちゃんがセーラー服だ」
「それで入学式出ておいでよ」
などと言われた。
 
「ほんとにこれで入学式に出たい気分」
「出ちゃえ、出ちゃえ」
とみんなから唆される。
 

「これラインの形が今の制服と違うんだね」
と本当の●▲中学の制服を着ている若葉から指摘される。現在の制服はラインが丸っこい感じで装飾的なラインがあるのだが、姉からもらった制服は角張った感じでその装飾的なラインが無い。
 
「そうなんだよねー。それが同じならそのまま使えるのに」
「・・・・冬、本気でセーラー服で通いたい気になってない?」
「かなり。でも難しいだろうなあ」
「最初から諦めていたら、何も変えられないよ」
「うん」
 

それでも、私が一応セーラー服を着ていたことから、みんなとの連帯感はこれまでと同様で、この日私はとても楽しい時間を過ごすことができた。
 
他の子たちとたくさん記念写真を撮った。この時の写真は今でも残っている。そして・・・・中学時代に学生服を着た私の写真は1枚も残っていない。友人たちの中にも持っている人が全然いないようである。
 

その日は、アスカがうちにCDを借りに来ていた。
 
アスカの両親も才能のあるアスカにできるだけ良い音楽を聴かせようというので、たくさんのクラシックCDを買っていたのだが、うちに1度来て、私の部屋のCDコレクションを見ると
「凄い。この録音は今ではもう入手できない」
 
などといった感じで驚愕していた。
 
「ちゃんと返してくれるなら持ち出してもいいよ」
と私が言ったので、時々借りに来ては、だいたい翌週返しに来るというパターンができていた。
 

「そうそう。アスカさん、こないだから何度も会ってて、その度に言いそびれてて。♪♪女子高校、合格おめでとうございます」
 
「おめでたくないよ」
「なんで〜?」
「だって、入試の成績。私5番目だったらしいのよ。トップで合格するつもりだったのに。上に4人もいたなんて」
 
「在校中に抜けばいいです」
「もちろん、そのつもりだけどね」
「でも♪♪女子高校の制服、個性的ですね」
「制服なんて無くてもいいと思うんだけどね。画一的なことしてても埋没するだけ」
「そうですねー」
 
「冬ちゃん。学生服とセーラー服と両方掛かってるけど、どちら着て中学は通うの?」
「気持ち的にはセーラー服着たいけど、学生服を着ないといけないんだろうな」
「ふーん」
「しかも、うちの中学、男子は丸刈りなんだよね」
「えー!? じゃ、冬も丸刈りにしちゃうの?」
 
「それを逃れるすべはないかと必死で考えている」
「そりゃ、私は女の子です!と宣言しちゃうに限るよ。実際、冬って身体はもう女の子の身体になってるんでしょ?」
 
「いや、そういう訳でもないんだけどね」
「そのあたりの秘密が知りたいなあ」
「うーん、その内ね」
 
「でも冬ちゃんがそこに隠してる女の子の服、タンスに入ってる男の子の服より多くない?」
などともアスカは指摘した。
 
「えへへ」
 

などと言ったことも言ったりしたあと、出かけていた姉が生菓子を買って帰って来たので、居間に行き、一緒にお茶を飲みながら食べる。
 
「この生菓子も美味しいけど、このお茶が何気に美味しい」
「九州の姉(里美)が送ってきてくれた八女(やめ)という所の玉露なんだけどね、この味は冬がいれないと出ない」
と母が言う。
「ああ、私やお母ちゃんがいれても美味しくならないよね」
と姉。
 
「へー」
「うちで料理とかお菓子作りとかいちばん上手なのは冬だから」
 
「冬ちゃん、いいお嫁さんになれそう」
とアスカ。
「ああ、そうそう。私たちもよくそれ言ってる」
と母。
 
「冬ちゃんはお嫁さんに行く気は?」
「あ、もちろんお嫁さんに行くつもりだよ」
と私が言うと
「なるほどねえ」
とアスカは納得したような顔をした。
 

その時、電話が掛かってきた。母は受話器を取ったがすぐにハンズフリーにしてしまった。
 
「はーい。風姉ちゃん」
 
相手は名古屋に住んでいる母の姉・風帆のようである。
 
「ねえねえ、春ちゃん、4月3日は空いてる?」
「うーんと、空いてるけど何?」
 
「実はさ、4月3日にクレマスのライブがあるんだけどね」
「あ、来日するの?」
「5年ぶりの来日公演だよ。それで行くつもりでチケット取っていたのに、美耶の結納がその日になっちゃったのよ」
 
「それはおめでたい。美耶ちゃん、いつ結婚するの?」
「今の所8月の予定。でもよりによってこの日に結納なんてひどい。私、放置してライブに行こうかと思ったんだけどね」
「そういう訳にはいかないだろうね」
 
「それでさ、春ちゃんもクレマスは好きだよね?」
「うん。割と好きだよ」
「チケットあげるから行かない? 期日が迫ってるから交換とかに出す時間も無いのよ」
「もらっていいの?」
「無駄にはしたくないもん。2万円もしたんだから」
「きゃー!」
「往復のチケットもあげるから。名古屋までの交通費だけそちらで出して」
 
「ちょっと待って。場所はどこ?」
「あれ?私言わなかったっけ?」
「聞いてない」
「熊本のアスペクタって野外会場」
「熊本!?」
「新幹線とリレーつばめを乗り継いで熊本駅まで行けば、その先はシャトルバスが運行されるから」
 
「この時期に野外会場なの!?」
「あ、防寒具しっかり用意してね。阿蘇の山の上だからかなり寒いはず。本当は去年の夏にやる予定だったんだよ」
「へー」
 
「ところが来日直前にギターのマイクとベースのジャンが喧嘩してさ」
「あ、そういえば言ってたね」
「もうクレマスは解散だ! って話になって。来日中止で、イベンターが倒産したんだよ」
「可哀想!」
 
「でもそのあと仲直りして、また一緒にやっていこうということになって再度来日公演が決まった」
「へー」
 
「でも昨年のトラブルがあるからどこもイベンターが引き受けたがらなかったんだよ」
「うん」
「で、結局昨年その事件で倒産したイベンターにいた社員さんが独立して作ったイベンターが、去年のリベンジしようというので引き受けたらしいんだけどね」
 
「トラブル無いといいね」
「全く。去年の夏はチケット5万枚完売してたからね」
「2万円で5万枚なら10億円?」
「でもその分、結構費用もかさんだみたい。イベンターの損害額は2億円か3億円あったらしいよ」
「ぎゃー」
 
「でも、来日公演で熊本って珍しいね。普通なら東京近辺でしょ?」
「まだ売れてない頃に日本に来た時、阿蘇の美しさに感動したからだって」
「へー」
「それにアメリカ的な感覚では、東京と熊本はすぐ近くなのよ」
「なるほど!」
 

そういう訳で、4月3日に母は熊本まで行くことになった。
 
「あんたたちも一緒に来る? ライブは私だけだけど、熊本の市内観光とかしててもいいし。熊本城とか水前寺公園とか」
と母。
 
「春休みだし行ってもいいかな」と姉。
「私は留守番してようかな」
と私は言ったのだが
「あんたひとり置いておけないから一緒に来なさい」
と姉は言う。
 
「うん。まあ、行ってもいいけど」
「お母さん、宿はどこになるの。熊本市内?」
「湯の児(ゆのこ)温泉というところ。熊本からけっこう離れているけど新幹線ですぐだって」
「あ、そうか九州新幹線が開業したんだったね」
「そう。ついこないだね」
 
「温泉に泊まるんですか?」
とアスカが訊く。
「ええ」
 
「私も一緒に行っていいですか? もちろん旅費は自分で出しますから」
「いいけど」
「冬ちゃんと一緒に温泉に入らなければ」
 
「一緒にと言っても、冬彦は男湯ですけど」
と母が戸惑うように言うが
 
「いえ、いいんです」
とアスカは微笑んで答えた。姉がニヤニヤしていた。
 

そういう訳で私・姉・母・アスカの4人は、ライブ前日の4月2日早朝から新幹線に乗り、「のぞみ」で博多まで行って、ここでいったん途中下車し、里美伯母とその娘達(私の従姉たち)と会って、お昼御飯を一緒に食べる。
 
駅のそばのヨドバシカメラの中にある回転寿司でお昼にしたが、横一列に並び、伯母・母・姉・アスカ・私・明奈・純奈という順になった。すると会話が母たちに聞こえないのをいいことに、明奈は大胆なことを訊いてくる。
 
「アスカさん、冬ちゃんの性別問題の研究は進みました?」と明奈。
「全然。しっぽを見せないというか」とアスカ。
「ちんちんを見せないというか?」
「そうなのよ! 年末に冬ちゃんは、お友だちと一緒に温泉スキーに行ったらしいのよね」
「あ、いいな」
「私、後から聞いてさ。知ってたら絶対付いていくんだったんだけど」
 
私はただ笑っていた。
 
「でもその時に行った、冬ちゃんのお友だちに聞いたんだけど、冬ちゃんは、やはり女湯に入ったらしいのよね」
「ほほお」
「で、お友だちも何とかして冬ちゃんの、しっぽを掴もうというかちんちんを見ようと、お風呂の中でひっくり返してみたりしたんだけど、ついに見ることはできなかったという」
「やはり付いていないのでは?」
 
「私もそんな気がしてね〜。だって実際に付いてたら、それで女湯に堂々と入るなんて、普通考えられないもん。もう取っちゃってて付いてないから、図々しくも女湯に入るんだと思うんだよね」
「やはり」
 
「それで今回、また温泉に泊まるというから、きっと女湯に入るつもりだろうから、見届けてやろうと思って付いてきたのよ」
「頑張ってください。私も行きたいくらいだな」
「何なら来たら? 泊まるのは旅館だから1人くらいどうにでもなるよ」
 
「うーん。。。行こうかな」
 
「無駄になると思うけどなあ。ボクは当然男湯に入るし」
「それは絶対嘘。というか、ちんちん付いてなくて、おっぱいある人が男湯に入ろうとしたら追い出されるに決まってるもん」
「あ、おっぱいあるんですか?」
 
「一昨年私が一緒に温泉に入った時は膨らみかけって感じだったんだけど、年末に冬ちゃんと温泉に行ったお友だちによれば、微かに膨らんでいるらしい」
「だったら、もう男湯には入れませんよね」
 
「今回は私、証拠写真撮るのに防水カメラ持って来てるから、温泉の中でも撮影できる」
 
「ちょっと、ちょっと、温泉の中でカメラ使ってたら痴漢と思われるよ」
と私は笑いながら注意する。
 
「女が撮ってても?」
「ああ、最近、女にお風呂の中を盗撮させたビデオが結構出回ってるらしいですよ」
と純奈。
 
「そうか!女が撮影して、それを男に売る訳か!」
「そうそう」
「そんな奴はギタンギタンに」
「アスカちゃんがギタンギタンにされないようにね」
と純奈も笑って言う。
 

結局明奈も付いていくことになった。旅館に人数がひとり増えたことを連絡した上で、博多駅から「リレーつばめ」に乗り新八代へ。そこから開業したばかりの九州新幹線「つばめ」で新水俣駅まで行き、ここから旅館の送迎バスで湯の児温泉に入った。
 
「山の《湯の鶴温泉》、海の《湯の児温泉》」と並び称される温泉である。
 
私たちは旅館に着いて一息付いたところで「太刀魚釣り」に出かけた。ここの名物らしい。4月1日からシーズンが始まったばかりらしかったが、母は行かないと言った。
 
「そんな海の上とかに行ってトイレはどうするのよ〜?」
「トイレくらい多分船に付いてると思うよ」
「パス。私たいていの乗り物は平気だけど、船だけは酔うのよ〜」
「湾内だしあまり揺れないらしいよ。特に今日は凪いでるって旅館の人言ってたし」
「それでもやはり私、お風呂入って寝てる〜。高校生2人もいるから、私いなくても大丈夫よね?」
 
「叔母さん、明日がありますもんね。身体休めてた方がいいかも」
とアスカも言うので、子供たちだけで行くことにする。
 
5〜8人の客と船頭1人くらいの感じで船を出すらしい。私たちは4人なので長崎県から来たという20代の女性2人組と一緒になった。
 
「女性ばかりだと気兼ねなくていいですね」
と向こうの女性から言われる。
 
こんなのはいつものことなので、私は
「ホントですね」
とにこやかに答えた。アスカと明奈がにやにやしている。
 
岸壁から出港して、船は結構なスピードで海上に出る。きゃーっと思う。本当は私も船はやや苦手なのだが、母が行かないと言ったので、あまりコロコロと人数が変動してもと思い行くことにしたのだ。
 
やがて船は停止し、船頭さんから、釣糸を大きな糸巻きに巻いたものを配られる。
 
「この糸巻きを回して、糸を少しずつ下に沈めていきます。それでだいたい下まで行ったかなというところで今度は巻き取っていきます。この繰り返しで太刀魚が針に食らいついてきます」
と説明される。
 
へー。そんな単純なことで釣れるのかなと思いながら、やってみる。
 
船縁に座り、海に糸を垂らして糸巻きを回し、釣糸を沈めていく。かなり沈めた感じのところで今度は巻き取っていく。やがて針が海から上がってくると、
 
針には何も付いていなかった。
 
私はふっと息を付いて、また糸を水中に垂らしていく。
 
そんなことを30分ほどやっていたが、私は1匹も釣れなかった。他の人に声を掛けてみるが、アスカが小さいのを1匹釣っただけで、他は全員ボウズである。
 
「冬、あんたがちゃんと頭をボウズにしてないから、戦果がボウズなのよ」
などと姉が言う。
 
「無茶な」
 
船頭さんも「変ですね〜。場所を変えてみましょうか」と言い、エンジンを掛けて少し移動した。
 
そこで30分ほどやっているが、やっぱり全く釣れない。「うーん」と船頭さんも悩んでいる。すると姉が「ちょっと来て」
 
と言って私を船尾の方に連れて行った。
 
「あんたさ、今下着はどっち着けてる?」
「どっちって?」
「男物?女物?」
「ボクが女物の下着なんて着ける訳ないじゃん」
「そう? あんたむしろ女物着けてる時の方が多くない?」
「うーん。小学校の間は時々着けてることもあったけど、小学校も卒業したし女装も卒業だよ」
「それ絶対、嘘。ね。私、船の上で万一チビっちゃった時のために替えの下着持って来てるのよ。それ穿かない?」
「なんでー!?」
「それとそのズボン、男物でしょ?私のズボンと交換しようよ」
「なんのために?」
「あんたは女の子の服を着ると、能力が上がるからさ」
「そうだっけ?」
「だから女の子の服を着た冬なら、きっと太刀魚が釣れる」
「そんな馬鹿な」
 
「ほらほら、他の客は女ばかりだから見られてもいいけど、船頭さんは男だから、船頭さんが船首の方にいる間に着替えよう」
と言われ、私は女物のパンティを穿かされ、姉が穿いていた女物のジーンズを身につけた。私が小学4年生頃以降、私と姉は洋服がほぼ交換可能になっていた。(ウェストは姉の方が大きいが丈はほとんど同じ。この時ズボンはベルトをきつめに締めて調整した)
 
「よし。冬、明らかに雰囲気変わったよ」
「そうかな?」
「それで釣ってごらんよ」
「あ、うん」
 
私と姉が船首の方に戻ると、アスカが「どうしたの?」と言った。
「何か?」
「冬ちゃん、雰囲気変わった」
 
「あ、ほんとだ。これがいつもの冬ちゃんだ」
と明奈まで言う。
 
「今日のお昼に会った時、何か違和感があったんだよね。それが消えて、私が知ってる冬ちゃんになってる」
 

私は服を交換したくらいで、急に太刀魚が釣れたりするもんか、と思いながらも、糸を垂らしていくそしてまた引き上げて行きつつあった時、急に糸が重くなった。
 
「わっ」と声を上げ、私が糸を巻くことができずに悪戦苦闘していたら「あ、来ましたか?」と言って船頭さんが寄ってきて、代わりに糸巻きを巻き引き上げてくれた。
 
「おお、これは大物だ!」
と船頭さんは半分嬉しそう、半分ホッとした雰囲気で言った。
 
船頭さんの手で針から魚を外し、発泡スチロールの箱に放り込む。そして私はまた糸を垂らしていき、引き上げて行くと、また強い引きがある。今度もまた船頭さんに手伝ってもらって、引き上げた。
 
「おお、これも大物だ」
 
そして私が釣れ始めたら、両隣で釣っていた姉と明奈も釣れ、アスカも続けて最初に釣ったのよりぐっと大きいのが釣れた。
 
そして私たちの方で釣れ始めると、長崎の2人組の方も釣れ始めた。
 
そしてそれからの30分ほどで、全員3〜4匹の太刀魚を釣ったのである。
 
「また少し移動してみましょうか」
と船頭さんが言い、船を少し動かす。
 
そしてその移動した先でも私たちはみんな釣れまくった。私たちの組も長崎組も発泡スチロールの箱いっぱいに太刀魚が釣れて、船頭さんも
 
「これだけ釣れたらもういいかな。少し早めだけど帰りましょう」
と言って、港に帰還した。
 
釣った太刀魚は一部は旅館の板前さんがさばいてくれてお刺身にして夕食の食卓に加えてもらった。残りは明奈・アスカ・私たち各々の家宛てにクール宅急便で送った。なお、東京に帰ってから一部お刺身にして残りは冷凍室にいれたが、この冷凍したものを後で解凍してもお刺身で充分食べられた。
 
「太刀魚のお刺身がこんなに美味しいとは知らなかった」
とアスカも明奈も言った。
 
「太刀魚って、普通は煮るか焼くかして食べるもんね。お刺身は釣りたてのごく新鮮なのでないとダメなんだって」
と母。
 
母は以前明石で釣り好きの姉(三女の清香)のお陰で太刀魚の刺身を食べたことがあったらしいが、今回食べたのは十数年ぶりだと言っていた。
 

さて夕食が終わった後、母は私たちが釣りをしている間に既に温泉に入っていたということで「私もう寝るね」と言って寝てしまった。
 
そこで私と姉、明奈とアスカの4人でお風呂に行こうということになる。明奈とアスカの好奇心あふれる視線が来ているのを意識しつつ、私は着替えを持ち大浴場の方へ行こうとしたのだが・・・・
 
「ちょっと待て。その着替えは?」とアスカ。
「え?トランクスとシャツに旅館の浴衣だけど」
「なぜ男物の下着を持つ?」
「だってボク男だし」
「そんなことはない。女物の下着は持ってきてないの?」
「持って来てないよー」
 
「じゃ、これあげるから」
と言って、新品のショーツとブラジャー、キャミソールを渡される。
 
「用意周到だね」
「冬ちゃん細いから、たぶんSで合うよね?」
「うん」
「ブラのサイズはたぶんA65で行けるかなと思ったんだけど」
「あ、A65でいいよ」
「やはり、ちゃんと自分のブラサイズが分かってるんだ」
「えーっと」
 
「さあ、行こう、行こう」
「ちょっと待って。こんな女物の下着とか、男湯の脱衣場で身につけられないよう」
 
「まさか、男湯に入るつもりじゃないだろうね?」
「えー?ボクが女湯に入れる訳ないじゃん」
「お姉さん、どう思います?」と明奈。
「うーん。冬は女湯に入れそうな気がするなあ」と姉。
 
「よし、決まった。冬ちゃんは女湯で決定」
とアスカは言い、明奈とふたりで私の身体を押さえるようにして、大浴場に行き「姫様」と書かれた赤い暖簾をくぐってしまった!
 
あはは、やはり私ってこちらに連れ込まれるのか。
 

脱衣場で空いているロッカーが4つ並んでいる所があったので、そこを使うことにする。
 
「さあ。お風呂入るんだから脱ごうね」とアスカ。
「分かった、分かった」
と言って私は明奈とアスカに見つめられた状態で服を脱いで行く。姉は自分で脱ぎながら、こちらを興味深そうに見ている。
 
セーターを脱ぎ、ズボンを脱ぐ。
 
「あ、ちゃんと女の子パンティ穿いてるじゃん」
「それは私がさっき穿かせた」と姉。
「冬がそれを穿いた途端、太刀魚が釣れ始めたのよ」
「へー。面白い」
「ああ、雰囲気が変わったのはそれでだったのか」
 
「冬は女の子の服を着せるとエレクトーンも歌も上手くなる」
「あ!」
とアスカが言う。
 
「1年半前にプールサイドのカラオケ大会で冬ちゃんに会った時、冬ちゃん、女の子水着を着てたもんね」
「へー。女の子水着を持ってたのか」と姉。
 
「そしてこないだ結婚式で会った時は、振袖着て三味線弾いてた」
「あれ?冬、振袖持ってたの?」
「明奈ちゃんのを借りたんだよ」
 
「あれ、持って来てはみたものの、着てみたら私には小さかったのよ、それで直してみようかどうしようか、なんて言ってたんだけど、冬ちゃんにちょうどよかったから、あげたのよね」
 
「へー。じゃ、今も持ってるんだ?」
「うん、まあ」
「例の冬が女の子の服を隠してる場所には、それ無いよね」
「あ、うん」
「つまり、私が知らない隠し場所もあるのか」
「えーっと」
「東京に帰ったら探してみよう」
「もう・・・」
 
「さて、そのシャツとパンティも脱ごうか」
「アスカさんも明奈ちゃんも脱がないの〜?」
「冬が脱いでしまったら脱ぐよ」
 
姉はもう既に全部脱いで裸になっている。
 
私は笑って、シャツを脱いだ。
 
「これ、やはり胸が少し膨らんでる」
と言ってアスカに触られる。
 
「ほんとだ。乳首も立ってるし、乳輪も大きくなりかけだし。これもう男の子の胸じゃない」
と明奈。
 
「冬、あんた女性ホルモン飲むか注射するかしてるんだっけ?」
と姉まで言う。
 
「してない、してない。そんなの調達方法も無いし」
「私が調達してあげようか。ちょっと心当たりあるし」
「要らない、要らない。これは、お姉ちゃんにもらったビッグバストドロップを飲んでるだけだよ」
「ふーん。あれ飲んだだけで、こんなに膨らんだんだ?」
「サプリですか?」
 
「うん。ザクロの成分が入っていて、胸が大きくなる、といううたい文句なんだけど、私が飲んでもいっこうに大きくならなかったから冬にあげたんだけどね」
「どのくらい、それ飲んでるの?」
 
「1年くらいかな。無くなったら、お姉ちゃんまた買ってくるんだもん」
「いや、面白いから」
「あれ効くのかなあ? 確かによく宣伝してるけど」
「体質によるのかもね。ボクはけっこう効いてるみたい」
 
「だけど、この胸があったら、もう男湯には入れませんよね」
「でも胸が膨らむほどの効果があったら、おちんちん立ちにくくならない?」
とこのあたりは自然に声が小さくなる。
 
「あ、そもそもボクはおちんちん立てることは無いから平気」
「オナニーとかしないの?」
「全然してないよ」
「いや、待て。冬ちゃんは、そもそもおちんちんが無いからオナニーはしたくてもできないんじゃない?」
 
「それを確認したいんだけどね。ショーツ脱ぎなよ」
 
と言われて私はショーツを脱ぐが、タオルでしっかり隠している。
 
「そのタオル取らない?」
「やだ。取ったらボク逮捕されるから」
 
「うーん。付いてるの?」
「付いてるよお」
「ほんとかなあ」
 
「まあ、いいや、私たちも脱ごう」
と言ってアスカと明奈も服を脱ぐ。
 
「だけど、冬ちゃん、身体のボディラインが完璧に女の子」
「そうそう。新中学生でこれだけウェストがくびれている子はそうそういないんじゃない?」
 
「ああ、それは奈緒からも言われた」
「足の毛とかは全然無いね」
「たまに生えてくるけど全部抜いてる」
「抜くんだ?剃るんじゃなくて?」
「剃ってたら収拾が付かない。抜けばしばらく生えてこないから」
「へー」
 

4人で一緒に浴室に入り、身体を洗ってから浴槽に入る。
 
「ふふふ。浴槽の中はタオル使用禁止だよね」
と言ってアスカが寄ってくる。
 
「だからこうやって手で隠してる」
「浴槽に入る所をじっと観察してたんだけど、うまく隠しているのか実はやはり付いてないのか、全然確認できなかった」
 
「あはは。見られたら逮捕されて明日の朝刊に載るから」
「ふーん。。。ホントに見られるようなものが付いてるのかなあ」
「あまり危ない会話はしないように」
 
アスカも、そのことばかり話すのもという感じで、けっこう音楽の話もした。
 
アスカは小さい頃からピアノとヴァイオリンを習っていて、歌も先生について随分指導を受けたらしいが、個人的にはフルートも好きでヴァイオリンやピアノのレッスンの合間によくフルートを吹いているらしい。その愛用のフルートは彼女自身が小学生から中学生に掛けて「大会荒し」で色々な大会に出て獲得した賞金で買ったものらしい。
 
「でも音楽のレッスンの合間に休憩で楽器を演奏するって凄い」
「私、ヴァイオリニストになっても、結構休憩時間にフルート吹いてる気がするよ」
「そういうの、いいんじゃないですか?将棋のプロで趣味が囲碁なんて人もいますし」
「なんか凄い世界だなあ」
 
「ところで冬ちゃんは九州には時々来るの?」
「幼稚園の時に大分のハーモニーランドに来て以来だよ。その時、明奈ちゃんたちと一緒に博多でプールにも行ったんだけどね」
 
「その前に別府で一緒にお風呂に入ったよ。冬ちゃんはおちんちん取っちゃったんだとか言ってたけど、私は冬ちゃんは男の子の服を着てるけど、本当は女の子なんだろうと漠然と思っていた」
と明奈。
 
「私も何かそんな気がしてさあ。声変わりもしてないよね?」
「えっと、声変わりは来てるよ」
と私は男声で言ってみる。
 
「ここは女湯だから、今の声使うのも危険だからパスね。でも発声を鍛えてるからこういう声も出る。それで普段はこの声を使ってる」
と私は女声(この当時メインで使っていたのはやや少女的な中性ボイス)に戻して補足する。
 
「ソプラノは出るよね?」
「もちろん。明日熊本でカラオケしようよ。明奈と3人で歌いまくろう」
「よし、ちゃんとソプラノで歌ってね」
「うん」
 
「でも声変わりが来たといっても軽く済んだんじゃないの?だって、喉仏ほとんど無いじゃん」
「このくらいの喉仏なら、女の子で、もっと大きい子もいるね」
「あ、分かった。声変わりが来始めたところで去勢したんだ」
「してない、してない」
 
話題を変える。
 
「アスカさんは九州は?」
「5回目くらいかな。あちこちのコンテスト荒しやってたからね。それで博多とか小倉とか、熊本、鹿児島とか来たよ」
「へー」
 
「そうそう。そういえば2年前の夏ってか、年越してるから3年前の夏になるのかな。熊本と福岡の中間くらいの大牟田ってところで音楽祭があって来たんだけど、その時、面白いことがあって」
とアスカは語る。
 
「コンテストが終わってから町を散歩してたら、ビリーブの無料ライブがあるって書いてあってさ」
 
「ビリーブって何だっけ?」
「2人組の女の子の歌唱ユニットだよ。去年の暮れに解散したんだけど」
「へー。知らなかった」
 
「それで伴奏の人が、サンポーニャを持ってたのよね」
「サンポーニャ?」
「楽器ですか?」
「パンフルートみたいな楽器。このサンポーニャの面白いのはさ。ドミソが出るサンポーニャと、レファラが出るサンポーニャがあってね。ふたりで分担して演奏するんだよ」
「えー?」
「なんてパズルな」
「うん。楽譜作るのがパズルだと思うよ。実際にはひとりでふたつ重ねて吹くことも多いんだけど、その時来ていた伴奏のバンドの人は本当に2人で分担して吹く方式だったんだ」
「へー」
 
「それで私が興味持って、まだ演奏始まる前だったから、近づいてって色々質問したらバンドの人もちゃんと答えてくれて、何となくお近づきになったような雰囲気だったんだよね」
「そういう音楽を通した交流っていいですよね」
 
「うんうん。それで、そろそろ本番かなと思っていたら、なんかスタッフさんがせわしく動いてて『どうしました?』と訊いたら、マネージャーっぽい人が私を見て『あなたバンドの人の知り合い?』って訊いて」
 
「うん」
「いえ。旅行者で偶然立ち寄って、今色々教えてもらっていただけですけど、と言ったら、ちょっと来てと言って控室に連れ込まれてさ」
「うん」
 
「実はビリーブの片割れが腹痛でダウンしてるというのよ」
「へー」
「それで、あんたちょっと代役してくれない?と言われて」
「えー!?」
 
「要するにさ、田舎じゃん。来ている客も大半は町内会とかで動員掛けたじいさんばあさんで。ビリーブなんてアイドルの顔をみんな知らないというのよね」
 
「それで代役したんですか?」
「私が、そのダウンした子とちょっと顔立ちが似てると言われたのよ」
「へー、それで!」
 
「私が旅行者だったのも都合良かったみたい。それで報酬5万円あげる。但しこのことは人にはしゃべらないでと言われて」
「今しゃべってるじゃん!」
「もうさすがに時効でしょ。ビリーブ自体解散しちゃったしね」
「確かに」
 
「実際、テレビでも名前売ってるタレントだし、無料ライブとは言っても中止にすると賠償金を払わないといけなかったんだと思う」
「なるほど」
 
「それでステージ用のメイクされて。ああいうメイクされると自分でも自分の顔がよく分からないんだ」
「あはは」
 
「そうしてビリーブの元気な方の子とふたりで歌ったんだよ。幸いビリーブの曲ってみんな知ってたし。プロのステージを体験できるいいチャンスだと思ったしね。でも相手の子が『あなた凄い上手いですね!プロになれますよ』
なんて言ってた」
「アスカさんがアイドルになったら、日本の音楽界の損失だよ」
と私は言う。
「まあ、そうだけどね。私はヴァイオリニストか声楽家になるつもりだし」
「うんうん。期待してます」
 
「へー。でもこういう興業ってけっこうアバウトなんですね〜」
と姉。
 
「実際本物が歌ってるかどうか怪しいかもね。けっこう有名歌手のそっくりさんで売っている歌手とかもいるし」
「ああ、いますね」
 

ビリーブというユニットのことを当時私は知らなかった。しかしそのビリーブのマネージャーというのは、須藤美智子である。私は高2の時に無断でトンヅラしたリリーフラワーズの代役でステージを務め、それがローズ+リリー活動開始のきっかけとなったのであったが、あの時、私と政子をリリーフラワーズの代役に仕立てた時、須藤さんは「7年前にも似たようなことがあった」と言っていた。
 
その時は気がつかなかったのだが、後で唐突にこの時アスカから聞いた話を思い出し、それが「7年前の事件だったのか!」と思い至った。やはり須藤さんという人は、とてもアバウトな人っぽい。ただ、それは物事をできるだけ破綻させないようにしようとする、努力の結果なのだ。そういう思考回路を私は彼女から結構学んだ。
 

さて、温泉の中で私たちは4人でいくつかの浴槽を移動しながら、おしゃべりを続けた。浴槽を出入りする時、私は慎重にタオルを使ったが、その時、明奈とアスカが私のお股の付近を注視しているので、私は心の中で苦笑いしていた。
 
しかしアスカと明奈はどうも最初から示し合わせていたようであった。
 
かなり浸かってたね。そろそろ上がろうか、という話になってた時、突然明奈が私に飛びかかってきて、私がお股の所に当てていた手をつかみ、強引にそこから離した。それと同時にアスカが私の足をつかんで手前に引き、転ばすようにした。
 
私は明奈に押し倒されるような状態で湯船の中に沈んでしまった。明奈のバストが私の胸に当たり圧力を感じる!
 
でもそれより、息ができない!
 
たぶん明奈はある程度息を吸ってからこれを仕掛けたのだろうけど、こちらは窒息しそうだった。
 
それでも身体をねじるようにして、お股を見せないようにし、湯の中で半回転して、明奈の上になり、水面の上に顔を出した。明奈の手を振り解いて、少し離れた所で立ち上がる。
 
「もう!殺されるかと思った」
と私は笑って言う。
 
自らも態勢を整え直した明奈がアスカに訊く。
 
「撮れました?」
 
「連射でシャッター押した。撮れてればいいんだけど」
とアスカ。
 
「あんたたち、何やってんのよ?」
と呆れ気味の姉。
 
「まあ、でもあがろうか」
「そうだね」
 
 
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