【夏の日の想い出・食の伝説】(1)

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マリはとにかく「伝説」の多い人である。物事を勘違いしての発言(自分が書いた曲を他人の曲と勘違いしていたり、曲名を極端に間違ったり)も多いし、自分の誕生日さえもたまに勘違いしていることがあるので、初期の頃、マリちゃんの誕生日はいつ?という特設スレッドが2chにできていたこともあった。(本人は6月7日・6月27日・7月16日・5月18日など様々なことを言っていたが、双子座という発言と、私が示唆した複数の発言を根拠に6月17日と断定された)
 
また会話の流れを無視した唐突な発言、何が言いたいのか意味不明な発言、普通そういう発想はしないという、常識を斜め方向に逸脱した発言、そして私との私生活を暴露する発言も多く、それらをリストアップしたサイトまで出来ているほどである。
 
「拷問」とか「縛る」とか「注射」「蝋燭」「カテーテル」「浣腸」などといった単語まで発するので一時期私とマリがSMをしていると誤解されていた時期もあったようだが、せいぜいいわゆる「ソフトSM」程度の範囲であることが理解されている(というか、そんなことまでマリはしゃべりまくっている)。注射器や浣腸はあくまで「脅し」にしか使われていないし、鞭は床に打ち付けるだけである。
 
しかしマリに関してとにかく多いのは食の伝説である。マリの食事の量については、早い時期から一部のファンに知られていた。
 

それはローズ+リリーがメジャーデビューして間もない2008年10月1日であった。私たちは学校が終わってから最初★★レコードに行き、担当になってくれる秋月さん、JPOP部門の責任者・加藤課長、そして制作部門の総責任者である町添部長に引き合わされ、ある理由から特に町添さんに強いインパクトを与えてしまったのだが・・・・
 
その★★レコードの後で、私たちは都内のCDショップでミニライブを行うことになっていた。ほんの3日前、横浜のデパートで行おうとしたイベントで観客がステージに向かって押し寄せ怪我人が出る騒ぎになったため、その日は会場もショップ内の区画ではなくビル内のイベントスペースを借り、警備員も立たせてという物々しいイベントになる予定であった。
 
レコード会社からCDショップへと直行であったため、ゆっくりと夕食を取る時間が無かった。それで政子が「お腹空いたよぉ」と訴えたので、マネージングをしてくれている美智子は「じゃ、私がショップの人と打合せしている間に地下のバーガーショップででも何か食べてて」と言ったので、私たちは、美智子と別れて地下に降りて行った。
 
「いらっしゃいませ。お決まりでしたらお伺いします」
「そうだなあ。マックリブダブル10個、ポテトLを5個、爽健美茶Lを5杯」
と政子は言って
「冬は?」
と訊く。私はちょっと顔の一部が引きつりながら
「フィレオフィッシュのサラダセット、ドリンクは爽健美茶Mで」
「こちらは1セットですか?」
「はい」
「それではマックリブダブル5個分はセットとして処理致しますね」
「はい」
 
「お持ち帰りですか?」
と、私たちと同年代くらいの女の子は尋ねた。
 
女子高生2人で来て、この量を注文すればふつうそう思う。
 
「いえ、食べて行きます」
と政子は言った。一瞬、レジの女の子の顔がピクピクっとした。しかし
「かしこまりました」
と0円スマイルで答える。このあたりで動じないのはさすがである。きちんと訓練されている。
 
「ご用意出来ましたらテーブルまでお持ちします。この番号札でお待ち下さい」
「あ、済みません。私たち少し急いでいるので、全部出来てからではなく、出来次第少しずつ持って来て頂けますか?」
「かしこまりました」
 
支払いをしてからテーブルに着く。すぐにマックリブダブルのセット2個とフィレオフィッシュのセットを取り敢えず持って来てくれたので私たちは色々おしゃべりしながら食べ始める。
 
その時、近くのテーブルにいた女子大生という感じの3人組が遠慮がちに声を掛けてきた。
 
「あのぉ、済みません、もしかしてローズ+リリーさんですか?」
「はい、そうですよ」
「きゃー! 私『その時』のCD買いましたよ」
「ありがとう!」
「あの、サインとかもらえます?」
「いいですよ」
「3人分もらっていいですか?」
「OKです」
 
それで彼女たちが差し出したノートや手帳などにふたりでサインしてあげた。
 
「ありがとうございます。でもたくさん食べるんですね」
と言って、彼女たちは私たちのテーブルの上に乗っているセットを見る。たしかに女の子2人で食べるにしては結構な分量だ。
 
「ええ。歌を歌ったらお腹空くから」
と答えていた時、お店の人が更にマックリブダブルを5個、残りのポテトとドリンクを持って来た。
 
「あ、どなたかスタッフさんと一緒でした?」
「ううん。私たちだけ」
「え?」
 
そしていったん自分たちの席に戻った彼女たちが見ている前で政子はマックリブダブルを楽しそうな表情でどんどん食べていく。彼女たちは最初自分たちでおしゃべりしながら見ていたものの、その内あっけにとられて無言になってしまった。
 
私はその間、ゆっくりとフィレオフィッシュのサラダセットを食べていた。
 
「あの・・・もしかして黄金伝説か何かの撮影ですか?」
と彼女たちは尋ねてきた。
 
「いえ、ふつうのマリの食事量です」
「きゃー! マリさん、ギャル曽根の2代目になれる」
「あ、私よく友だちからそう言われます」
と言って政子はニコニコ笑顔で、マックリブを食べていた。
 
「でも、マリさんの食べ方って凄く上品」
「凄く美味しそうに食べてる」
 
「食事してる時間と詩を書いてる時間がマリはいちばん幸せなんですよ」
と私は彼女たちに解説した。
 
「へー、あの『遙かな夢』の歌詞ってホントにマリさんが書いたんですか?」
「ああ。アイドルのCDで本人の作詞とクレジットされてても実際はゴーストライターってことはよくあるよね。でも実際のマリの作品ですよ。マリは1日に2〜3個は詩を書くから」
「わあ、素敵な詩を書くんですね」
「マリはね、美味しい御飯を食べられたら、良い詩を書くの」
「へー!凄い」
と言って、その子たちは感心していた。
 
しかしそこにお店の人が来て、更に残りのマックリブダブル3個をテーブルに置いていくと
 
「えー!? まだ入るんですか!??」
と言って、絶句してしまった。
 
「あ、今日は晩御飯が遅くなるから、それまでのつなぎで」
などと政子は言う。
 
「これだけ食べて、晩御飯がまだ入るの?」
「今夜は昨日ケイが作ってくれたカレーを暖めて食べればいいから楽だな」
「マリはカレーはだいたい5杯は食べるよね」
「うん。でも今日はライブでカロリー消費するから、もっと入るかも。冷蔵庫に入れてくれた分を食べてしまったら、冷凍してくれた分をチンすればいいよね?」
「うん。カレーは20食分くらい冷凍しといたから、さすがに1回ではなくならないよね」
「そうだね。2日か3日くらいは持つかなあ」
 
「ひゃー!!!」
 

その子たちの中のひとりがmixiをやっていて、そこに友人限定公開で私たちと撮った記念写真・サインの写真とともに「マリちゃんの食べる量が凄い!」という記事を書いたらしい。そしてそこを起点に、マリちゃん伝説は広まっていったようである。
 
またその時「ケイちゃんがマリちゃんに御飯を作ってあげているらしい」という話を書いたのが、「ふたりは歌のパートナー以上の関係なのかも」という憶測を呼ぶことになり、更には「ローズ+リリー・レスビアン疑惑」へと発展していくことになる。
 
さて、私自身が政子の食事の量の凄さを認識したのは、それより1年前、高校1年の時に書道部で行ったキャンプの少し後であった。
 

このキャンプで私は女子部員たちにうまく乗せられて女装させられたのだが、その時、政子が上着からスカートから下着まで自分のを貸してくれた。そして翌日、2007年8月4日、私と政子は初めての共同作品『あの夏の日』という曲を作ったのだが、その時政子は私の愛用のボールペンを借りて詩を書き、「これ使いやすい!頂戴!今、冬子ちゃんが着ている服と交換に」と言った。
 
このボールペンは買った時に麻央から「これはきっと誰かにあげることになる」
と予言されていたので、私は政子ならと思い快諾した。しかし、着ている服を全部あげると言われても、さすがに下着は自分が着たものを男の子に着られるのは政子も嫌ではなかろうかと思い、(絵里花に頼んで)洗濯した上で月曜日(8月6日)に補習で学校に出て行った時に返した。
 
その翌々日、昼休みに図書館に行こうとした私は校舎から図書館棟につながる渡り廊下のところで偶然政子に会った。その時、政子は手摺りに手を掛けて遠くを見ている様子だったが、彼女の髪とスカートが風になびいて、美しいと私は思った。(この印象を書いたのが『渡り廊下の君』)
 
私が声を掛けると政子は私の方を振り返り、優しいまなざしを送ってきた。私はドキっとした。今思えば、政子にときめきを感じたのはそれが最初だったのかも知れない。
 
「あのさ、唐本君。私、この学校で可愛い女の子がいないか探してるって言ってたでしょ」
と政子は言った。
 
「うん」
「私、見つけちゃった。私好みの可愛い子」
「へー。それは良かったね。彼女ともうまく行くといいね」
「うん。うまく行きそうな気がする」
 
政子はそれ以降、度々その「可愛い子」のことを私に話してくれていたが、その「可愛い子」が自分のことだと気付いたのは1年以上先のことであった。
 
その時は私たちはそのままおしゃべりをしながら図書館の建物の中に入っていった。
 
「あ、そうそう。これあげる」
と言って政子は紙袋を渡す。
 
「ん?」
「こないだ下着を返してくれたでしょ? 私が着た下着じゃやはり気になるかなと思って、新品を用意した」
「いや、中田さんが着たのをボク自身は身につけるの気にならないけど、中田さんが自分が着た下着を男の子に着られるのを気にしないかなと思って」
「あ、私そういうの割と平気かも。特に唐本君は男の子じゃないみたいだし」
 
「男じゃないというと・・・」
「実は女の子なんでしょ? 取り敢えずこれあげるね」
「あげるね、と言われてもボク別に女の子の服は着ないし」
「えぇ?着ようよ。あんなに女の子の服が似合うんだから着ないともったいないって。こないだのスカートは膝下だったけど、唐本君って、もっと短いのも似合いそうで。だから、このスカートもあげるね」
「ちょっと、ちょっと」
 
「今すぐ着せてみたいなあ。ねえ、今日は補習の後用事ある?」
「ごめーん。夕方バイトが入ってる」
「じゃ仕方無いなあ。バイトはいつしてるの?」
「水曜の夕方と、土日」
「へー。勉強も忙しいのに頑張るなあ。じゃ月曜にちょっと会わない?」
「うん、いいけど」
 
「よし。じゃ、この服は月曜日に渡すことにしよう」
「えーっと」
 

その週の金曜日、私は和泉から呼び出され、「歌う摩天楼」というテレビ番組のリハーサル歌手をすることになる。その第一回の仕事が12日(日)にあり、私は4000円もバイト代をもらってしまった。お小遣いの残りと合わせて6000円近く。財布の中にこんなに入っているとちょっと嬉しい気分だ。またお仕事でオーケストラをバックにステージで歌うこと自体が快絶に気持ち良かったし、お仕事の間は高校の女子制服を身につけているのも凄く気分が良かった。
 
そこで月曜日の午前中、政子と待ち合わせ場所まで行った時はかなり心が昂揚していた。(補習はお盆休みに入っている)
 
「出てきたってことは、女の子の服を着てもいいということだよね?」
「えー?やはり着るの〜?」
「当然。さあ、行こう、行こう。私カメラも持って来ちゃった」
「ちょっと〜。でもどこに行くのさ?」
「カラオケ屋さん」
「なるほど!」
 
カラオケ屋さんで部屋を3時間借りることにする。政子が会員証を持っていたので、それを提示して部屋の希望を聞かれ、政子は鏡のある部屋は無いかと訊いた。
 
「ございますが、さきほど前のお客様が出られたばかりでして、お掃除する間、少しお待ち頂けましたらご案内できますが」
「あ、じゃ待ちます」
 
ということで少し待つことにする。
 
その時、私はカウンターの所に「高校生以下の男女おふたりだけでの利用はお断りします」という張り紙があるのに気付く。
 
「あれ?高校生の男女での利用は不可なんですか?」
と私が言うと、係の人は
「はい。しばしばお部屋の中で変なことをするカップルがいるので、お友だちを入れて3人以上で来てくださいということにしています」
 
と言った上で、私たちの伝票をプリントして渡してくれた。伝票の先頭の所を見ると人数の所はM0F2 とプリントされていた。政子もそのMとFの数字に気付いたようでニヤニヤしていた。
 

やがてお部屋に通される。
 
「フロントの人、唐本君のこと女の子だと思ったみたいね」
「うん。おかげで助かったけど、ボク女の子に見えるのかなあ?」
 
その日、私はパステルカラーのカットソーに黒い七分丈のジーンズを穿いてした。
 
「今日着てる服、どう見ても女物なんですけど」
「ああ、お姉ちゃんにもらったんだよ。ボクの普段着って、お姉ちゃんからもらったものが多い」
「ふーん。スカートとかももらってるの?」
「さすがにスカートはもらわないけど」
「隠さなくてもいいのに。まあ、とりあえずこのスカート穿いてもらおうか」
「はいはい」
 
私はズボンを脱ぐと政子から渡されたスカートを穿いた。
 
「あ、ちゃんと足の毛は剃ってるね」
「うん、まあ」
 
「でもスカート姿に本当に違和感が無い。やはり普段穿いてるでしょ?」
「そんなの穿いてないけどなあ」
 
などと言いつつ、私は前日午前中はハンバーガーショップでショップの女子用制服、午後からは放送局で高校の女子制服を着ていたことを思い起こしていた。
 
「でも、中田さんの服、ボクにウェストぴったりみたい」
「ああ。同じサイズで行けそうってこないだも思ったんだよね」
「うん、全然きつくなかった」
 
「そうそう。今日は女の子同士だからさ、お互い苗字じゃなくて名前で呼び合おうよ。呼び捨てでいいよ」
「そう? じゃ、そうしようかな、政子」
「私も『冬』って呼び捨てにしよ」
 
私たちは何となくそれで握手をした。
 
「さあ、下着も着けてみよう」
「うん」
 
私はスカートの中に手を入れてトランクスを脱ぎ、代わりに政子から渡されたショーツを穿いた。
 
「うん。やはり女の子パンツ穿いただけで冬の雰囲気が変わる。面白い」
「そ、そう?」
 
確かに自分でも男物のパンツを穿いてる時と女の子パンツを穿いてる時では意識が変わってしまうのを感じていた。
 
「ブラも付けようね」
「はいはい」
 
私は上に着ていたカットソーを脱ぎ、その下に着ているグレイのTシャツを脱ぐと、政子から渡されたブラを付ける。
 
「これフロントホックだから自分で留められるよね?」
「あ、うん」
 
と言って私は政子に背中を見せた状態でブラの肩紐を通し、フロントホックを留めた。カラオケ屋さんの部屋は薄暗いから、多分ブラ跡には気付かれないだろうと思った。しかし。
 
「ふーん。すんなり留めたね?」
「え?」
「だってフロントホックブラを見たことない人が何も迷わずにホックを留められるとは思えない。フロントホックの留め方って直感的じゃないもん」
 
「えーっと・・・・」
「やはり、普段ブラ付けてるでしょう?」
「そんなのこないだ付けたのが初めてだよぉ」
「じゃ、その後一週間研究したとか?」
「まさか!」
 
その時、政子はいきなり私のスカートの中に手を突っ込んできた。
 
「ちょっと、ちょっと」
「やはり、おちんちん無い。手術済みなの?」
「隠してるだけだよぉ」
「なぜ隠す必要がある?」
「えっと、女の子の服を着せられるという話だったから、そしたらお股の所に盛り上がりができたら変だから隠しておいた」
 
実際今日穿かされたスカートはタイトっぽいので、お股の所を何も処理していなかったら、その線が出てしまっていた所だった。
 
「ふーん。女の子の格好する気、満満だったということか」
「いや、そういう訳じゃないんだけど」
「まあ、いいや。キャミも着てね」
「うん」
 
私は政子から渡されたキャミソールを着た上で、自分のカットソーを着た。
 
「完璧な女子高生だなあ」
「そうかな」
「鏡を見てごらんよ」
「うん」
 
私は自分の姿を部屋の大きな鏡に映してみた。膝上のスカートがとても可愛い感じ。ああ、いいなあ、この雰囲気と我ながら思ってしまう。
 
「凄く可愛くなるよね。あ、記念写真、記念写真」
 
と言って政子は短いスカートを穿いて微笑む私の姿を何枚も撮影していた。
 

その後、私たちはせっかくカラオケ屋さんに来たからというので、たくさん歌を歌った。
 
「冬って歌が巧いなあ」
「楽に歌ってるだけだよ。政子も楽しそうに歌ってる」
「下手だけどね」
「歌の上手い下手ってあまり関係無いよ。歌って楽しければいいんだよ」
「そうかも知れないなあ」
 
私たちは大塚愛、宇多田ヒカル、平原綾香などの曲を歌っていった。
 
「冬、よくそんな高音が出るなあ。高い所の声は少し中性っぽくなるね」
「うん、まあね」
 
この時期私は政子の前ではまだ女声を使っていなかったので、その日は男声で歌っていたのだが、それでもテノールの高い声はどうしても中性的な声になる。(私の中性ボイスはそもそもテノールボイスを、低い倍音が響かないように気をつけて発声したものである)
 
「もう少し頑張って練習すれば女の子みたいな声になると思うよ。そしたら声バレせずに女の子で通せるよ」
「いや、別にボク女の子で通すつもりないし」
「まあ、女の子の格好してて男声で話すのも、最近そういう人多いから構わないかも知れないけどね」
「いや、別に女の子の格好して出歩くつもりないし」
 
「うーん。。。。。ね、私の目を見て」
「ん?」
「嘘ついてるだろ? 冬本当はいつも女の子の格好で出歩いてるだろ?」
「そんなのしてないって」
「こら、目を逸らすな」
「えっと」
「怪しいなあ」
 
と言って、政子はカラオケ屋さんのお料理メニューを見た。
 
「たくさん歌ったから、お腹空いた。何か食べようよ」
「あ、うん」
 
「私ラーメンにしようかなあ」
「あ、私もそれにしようかな」
 
それで政子は部屋の電話を取ってフロントに連絡する。
 
「あ、済みません。ラーメン取り敢えず4杯」
 
と政子は言った。
 
「4杯!?」
「だってお腹空いたよ」
「私、2杯も入らないよ」
「あ、大丈夫、私3杯くらい軽く入るから」
「へー!」
 

それからしばらくして持って来てもらったラーメンを政子はあっという間に1杯たいらげてしまった。お互いに相手が歌っている間に食べるのだが、政子の食べるペースは物凄く、私がまだ1杯食べ終わる前に3杯完食してしまった。
 
「凄いね」
「そう? あ、男の子がいる所では少し控えてるから」
「あ、えっと・・・・ボク男の子だけど」
「嘘嘘。冬は女の子だよ。可愛い女の子」
 
と言って政子はまた電話を取ると
 
「済みません。ラーメン追加で3杯と、フライドポテト、牛肉のアスパラ巻。あ、はい。あ、そうですそうです。アスパラの牛肉巻だった。牛肉にアスパラを巻くのは大変そう」
 
と言って電話を切る。
 
「ボクは、もうこのラーメンだけでお腹いっぱいだけど」
「大丈夫だよ。このくらい軽く入るから」
「あはは」
 
その後も私たちは歌い続けたが、私は自分の歌よりも政子が歌の合間に食べる食事の量にあっけにとられていた。それでもフライドポテト少々とアスパラの牛肉巻きを1本政子に勧められて食べる。
 
「もうダメ。お腹いっぱい。ラーメン残しちゃおうかな」
「え?残すの。もったいない。私、もらっていい?」
「いいけど」
「じゃ、もらうね。わーい」
 
と言って政子は嬉しそうに私が半分ほど残したラーメンをスープまできれいに食べてしまう。ちなみに追加オーダーしたラーメン3杯は既に無くなっている。
 
「ところでここのお勘定、割り勘でいいかな?」と政子は言った。
「うん。いいよ。それで」と私は笑いながら答えた。
 
それでラーメン7杯の他、料理数点で部屋代と合わせて合計8600円を割り勘して4300円ずつ払った。あはは、昨日のバイト代が財布に入ってて良かった。
 

カラオケ屋さんを出た後、私たちは少し都道7号線に沿って散歩した。私はズボンに着替えようとしたのだが「いいじゃん、いいじゃん」と言われてスカートのままである。
 
「でもたくさん歌って満足」
と政子は言っていた。
「政子って歌うのは好きみたい」
「うん。下手なのは自覚してるけど歌うこと自体は好きだよ」
「ふーん。それなら練習してれば上手くなるよ」
「そうかなあ」
 
「政子って音の高さ自体は正しく認識してるでしょ。ボクとユニゾンで歌っていて、長く伸ばす音は出だしのピッチが間違っていても、ボクの音を聴いたらすぐに正しい音程に修正してるもん。このタイプの人は練習ですごく上達するんだよ」
 
「ほんと? 私、小学校の時に『君は歌わなくていい』なんて言われたくらい音痴だったから、なんかコンプレックスがあるんだよね」
 
「ひどいね。そんな言い方って。当たった先生が悪くて特定の教科苦手になる子って多いからなあ。音程を聞き分けきれない人は難しいけど、政子の場合、音はちゃんと分かるから、たくさん練習してれば、メロディー付きの伴奏聞きながらなら正しい音で歌えるようになるよ」
 
「そっかー。少し練習してみようかなあ」
「うん、やってみようよ」
 
そんな感じで話しながら歩いていたら「激安!ラーメン250円」という看板が目に飛び込んできた。
 
「わあ、ラーメン250円だって安いね」
「安いけど、ラーメンさっきたくさん食べたばかりだよ」
「いや、まだ食べ足りない気がしてたんだけど、時間になったから出たんだよね」
「えー!?」
「冬、付き合ってよ」
「いいけど、ボクはもう入らないよ」
「うん。私が食べるから冬は見てて」
「それならいいけど」
 
ということで私たちはそのラーメン屋さんに入った。政子は見てるだけでいいとは言ったものの、実際に何も注文しない訳にはいかないので、取り敢えずラーメン1杯ずつ注文する。でも実際には私は箸を付けず、ただ政子が食べるのを見ながら、おしゃべりしていた。
 
しかしおしゃべりしながらふと思った。同じように女の子と会話する時に、奈緒や若葉、和泉や詩津紅などと会話する時は、ジャニーズなどの芸能人の話とか、友人の噂話、ファッションやアクセサリーの話など、いわゆるガールズトークが多い。ところが政子と話していると、たとえば宇宙の構造だとか歴史上の人物の話、植物や動物の生態、ギリシャ哲学の話など、抽象的な話がやたらと多い。どうも政子は「俗世間」のことにあまり興味が無い感じである。自分で友だちがいないなどと言っているが、こういう方向に興味が向いているのであれば、確かにふつうの女の子とは話が合わないのではないかという気がした。
 
「不思議だなあ。他の女の子とは私あまり会話が続かないのに冬とならたくさんおしゃべりができる」
「ボクって雑学だから」
「冬って何の話題にでも付いてくるよね。ただ下ネタは苦手っぽい」
「うん。苦手〜」
「男の子と話が合わないでしょ?」
「うん。ボク男の子の友だちって出来たことないよ」
「私も女の子の友だちが出来ないんだよね〜。といって男の子の友だちができたこともないけど」
「まあ、男の子と親しくなると、友だちというより恋人って方向に行きやすいだろうしね」
「それ、あるんだよなあ。でも冬と話してると何だかとても気持ちいい。時々こんな感じで話そうよ」
 
「うん。いいけど」
「服もいろいろ貸してあげるよ」
「いや、服は別に貸してくれなくても」
「あ、そうか。ちゃんと女の子の服持ってるんだよね?」
「持ってないよぉ」
「隠さなくてもいいのに」
 
そんなことを言いながら、政子は自分の分のラーメンをきれいに食べてしまう。
 
「冬、それ食べないならもらうね」
「どぞどぞ」
 
「でもラーメンばかりじゃ何か寂しいなあ。済みませーん、チャーハンひとつ」
 
などと注文している。
 
「よく、そんなに脂っこいものばかり入るね」
「え? ラーメンにチャーハンは黄金の組合せだよ」
「うーむ・・・」
 
政子はチャーハンを食べながら、私が注文した分のラーメンもぺろりと食べ、「あ、まだ入りそう」などと言って更にもう1杯ラーメンを注文する。さっきカラオケ屋さんで6杯半ほど食べているのにここでも3杯目である。私は頭がクラクラしてきた。
 
「冬、食べないの? お腹空かない?」
「いや、政子の食べてるの見てるだけでお腹いっぱい」
「へー」
「でも、政子ってほんとに美味しそうにラーメンでもチャーハンでもお肉とかでも食べてるから、見てて気持ちいいよ」
 
「うん、私、ごはん大好き!」
「好き嫌いってあまり無い方?」
「そうだなあ。私の苦手なものといったら、梅干しくらいかなあ」
「へー!」
 
「いや、先ほどからあそこに出てるおにぎりを食べたい気がしてるんだけど、たぶん中に梅干しが入ってるかもと思って悩んでいたんだけど」
「梅干しなら、ボクが食べてあげるよ」
「ほんと。じゃ頼んじゃお。済みませーん。おにぎり3皿下さい」
 
3皿!? 正直そのオーダーはもう私の理解の範囲を超えていた。しかし政子はおにぎりの中から梅干しを箸で取り出すと「あーん」などと言って私に食べさせ、残りを美味しそうに食べながらラーメンも食べていた!
 
「ほんとに政子って御飯食べてる時は幸せそう」
「うん。私、詩を書いてる時と御飯食べてる時がいちばん幸せ」
 
と言った途端、パタっと箸が止まる。
 
「ん? お腹いっぱいになった?」
「冬、紙持ってる?」
「ティッシュ?」
「じゃなくて何か字を書く紙」
「あ、これあげるよ」
 
と言って、私は昨日放送局でサウザンズのマネージャーさんと話した時に「良かったら」といって頂いていたサウザンズのアメニティのレターセットを渡した。
 
「ふーん。サウザンズか。好きなの?」
「ああ。あのワイルドさが良いかな。自分には絶対出せないサウンドという気がして」
「サウザンズの曲は音が無茶苦茶だからどうも」
 
などと政子は言う。確かにサウザンズというのは楽器の音をチューニングせず適当な音程で慣らして演奏するバンドなのである。おかげで長三和音(例えばC)なのか短三和音(例えばCm)なのか判然としないような和音があったりする。好きな人はそれがいいんだと言うのであるが。(その時の偶然の楽器の状態次第なので同じ曲でも演奏の度に、そういう曖昧な和音の時もあれば明快な長三和音になっている時もある)
 
「へー。政子って、音程の合ってない曲はダメなんだ?」
「気分悪くなる。あんた自分で音痴な癖にって言われるけど。実際自分で歌っていて自分の歌が気持ち悪くなることもある。ジャニーズとか大半のアイドル歌手とかもダメだよ。S**Pとか*居君の声を消去したくなる」
 
「政子って、やはり耳が良いんだ!」
「そうなのかなあ」
 
そんなことを言いながら政子はバッグから、先週政子にあげた赤いボディのボールペン(インクは黒)を取り出して、サウザンズのレターセットに何か詩を書き始めた。
 
「色とりどりの野菜たち」「お肉って最高」「あぁ、ラーメンつるつる」などといった言葉が綴られている。何だかとても楽しそうだ。
 
「へー。何だかそばで見てるだけで御飯が食べたくなっちゃうよ」
「ほんと。じゃ頼んじゃうといいよ。済みませーん、ラーメンもう1杯」
 
と政子は注文しちゃった。
 
「ちょっとぉ!」
 
しかし注文してしまったものは仕方無い。私は来たラーメンを取り敢えず少し食べながら、政子の詩を見ていた。
 
「うーん。だいたい出来たかな。後は少し帰ってから推敲してみよう」
「でもホントに楽しい詩を書くね」
 
レターパッドのいちばん上には『美味しい食事』というタイトルが付けられていた。
 
「でも私らしくない。こんな楽しい詩ってあまり書いたこと無かったのにさ。この赤いボールペンを使ってると、こんな詩が書けるんだよ」
「へー」
「冬からもらったから、冬の性格を反映してるのかなあ」
 
「そのボールペン、実は古い友だちと一緒に買ったんだよ。その子、凄い元気な子でさ、スポーツ万能で。中学の時とか野球部でエースで4番だった」
「へー。冬って男の子の友だちもいたんだ?」
「違うよ。女の子だよ」
「女の子で野球部なの?」
「そうそう。野球部に入れて下さいって言って頭を丸刈りにして頼みに行ったって」
「きぇー!」
「お母さんショックで気絶しそうになったらしいけどね。公式試合には出られないんだけど、練習試合とかでは県大会で優勝したチームに完封勝ちしたこともある」
 
「なんか冬の女の子の友だちって凄い人ばかりっぽい。インターハイで全国優勝した人とかもいたよね」
「うんうん。でも政子も多分凄い人だよ」
「私は天才だよ」
「おお、やはり凄い!」
 
「じゃ、そのエースで四番の子の元気がこのボールペンに宿ってるのかもね」
「ああ、そうかも知れない」
「しかし野球部のエースかあ。凄いボール投げるんだろうなあ。旋風を起こして」
 
と言ってから、突然言葉が止まる。
 
「どうしたの?」
「このボールペンに名前付けちゃおう。《赤い旋風》って言うの」
「へー!格好いい」
 
「よし、詩も出来たし、ボールペンにも名前が付いたところで、ラーメン残り食べちゃおう」
と言って、政子は自分の前にあるラーメンをベロリと食べちゃう。これで9杯半完食である。それを食べ終わってから、政子は私の前にある丼を見る。
 
「あれ?それ食べないの?」
「さすがにもう無理」
「じゃ、私がもらっていい?」
「政子・・・・腹も身の内って言葉知ってる?」
「だって、まだもう少し入るよ」
 
と言って、政子は私の前にあったラーメンを取ると美味しそうにそれを完食した。私はもう笑うしかない感じであった。私はそのラーメンを3分の1くらいしか食べてなかったので、結局政子はカラオケ屋さんとこことでラーメンを10杯と6分の1ほど食べた計算になる。
 
「御馳走様! あ、ここのお勘定も割り勘でいいんだっけ?」と政子。「いいよ」と私は内心『参った!』という感じで答えた。
 
そういう訳でここでのラーメン4杯とチャーハン、おにぎり3皿で合計1500円を割り勘して750円ずつ払った。財布の中身がすっかり軽くなった!
 

「でも、こないだのキャンプの時は、女の子の服のまま自宅に帰ったの?」
とお店を出てから歩きながら政子は訊いた。
 
「それ恥ずかしいから、中学の時の友だちの家に寄って着替えてから帰った」
「ふーん。その友だちって女の子だよね?」
「うん。下着もその子が洗濯してくれたんだ」
「へー。じゃ、その子には女の子の格好を晒したんだ?」
「うん。まあ」
「何か言われた?」
「可愛いって」
「うん。確かに可愛かった。でも今日のスカートの方がもっと可愛いよ」
「あはは」
 
「今日もそこに寄って帰るの?」
「ううん。今日は平日で今の時間帯、家には誰もいないはずだからこのまま帰るよ」
「誰にも見せないというのも、もったいないなあ」
「いいじゃん。こういう格好はボクと政子だけの秘密ということで」
「あ、それもいいかもね」
 
ということで政子は納得したようであった。
 

翌年のゴールデンウィーク。私は花見さんにレイプされかかった政子を気遣って毎日政子の家に行き、一緒に御飯を作ったりしていたのだが、その時も政子の食欲には驚かされた。
 
「私ね。春からひとり暮らし始めて、御飯の材料買うのにお料理の本に書いてある通りの量で作ってたら、全然足りないのよね」
「ああ、料理の本に書いてある一人前って、特に少ないもん。ボクはそれで充分だけど、政子は無理だろうね」
 
「二人前で作っても全然足りなくて、四人前にしてもまだ食べ足りなくて、結局八人前くらいにして、腹七分かなって感じなの」
「ああ、そうかも知れないね」
 
その日はカレーを作りたいというので買物に付き合った。私は政子の伯母さんには「女の子の友だち」という設定にされているので、しっかりスカートを穿かされたのであるが! (男の子ということにすると、花見さんという婚約者がいるのに、ということになってしまうので女の子でいざるを得ない)
 
メークィーン3kg、タマネギ2kg、ニンジン1kgと買う。普通の家庭であればこの量で4人家族用のカレーを5回くらいできるが、政子の場合はこれが1人2〜3食分である。カレー粉も「こくまろ」「バーモントカレー」「ゴールデンカレー」を1個ずつ買い、これを混ぜる。カレー粉は一般に複数種類を混ぜると更に美味しくなる。(但し変なのを混ぜると少し混ぜただけでも全てぶちこわしになるので注意が必要)
 
お肉も豚コマ(政子の要望で国産。私は分からないが政子によれば国産は外国産とコクが全く違うらしい)を1.5kg買う。政子は店頭で「偽装国産」も一目で見破る。
 
スカートを穿いた姿で買物しながら「知り合いに会いませんように」と思っているのだが、そんな時に限って遭遇するものである。
 
「あれ?冬ちゃんだ」
と声を掛けられて、私は照れながら会釈する。
 
「ん?お友だち?」と政子。
「あ、バイト先で知り合った子で、小風ちゃん」と私はKARIONの小風を紹介する。「小風、こちらは私の友だちの政子」と小風にも政子を紹介する。
 
「あ、よろしく」と双方で儀礼的な挨拶があった上で、小風は
「何か凄い量の買物してるね。パーティーか何かでもするの?」
と訊いた。まあ、普通はこんな量の買い物は下宿屋さんでもしてるのでなければパーティーでもするのかと思うだろう。
 
「あ、全然ふつうの買物」
「ああ。1週間分くらいの買いだめ?」
「うーん。7割くらいは冷凍するけど、まあそれ入れて2〜3食分かな」
「冬って、そんなに食べるんだっけ?」
「あっと、食べるのは主として政子かな」
「へー!凄いね!」
「政子は両親が海外に住んでるんでひとり暮らしなんだよね。それで連休中は一緒に御飯作って食べようってことにしてんだ」
「ああ! じゃ恋人って訳じゃないのね?」
「ボクは女の子と恋はしないよ」
「ああ、そうだよね!」
 
などと言って別れたのだが、家に戻ってからしっかり政子から追求される。
 
「ね、ね、さっきの彼女、冬がスカート穿いてるの見ても何も言わなかったね」
「あっと・・・気付かなかっただけじゃないの?」
「男の子がスカート穿いてるのに気付かない訳が無い。それで気付かないということは、あの子は冬がスカートを穿いてる所を何度も見てふつうに感じているということになる」
「なんか鋭い推理だね。シャーロック・ホームズみたい」
 
「やはり冬って以前から女装してたのね?」
「そんなことないけどなあ」
「そうでなきゃ彼女の反応は説明できないもん。さあ、正直に白状しなさい」
 
などとやっている最中に伯母さんがやってきたので、その日の追求はそこで中断した。
 
なお、この時、小風は政子に会ったことを覚えていて私たちがローズ+リリーでデビューした時に「前見た時もふたりは良い雰囲気だったもんね」などと言ったが、政子の方は小風のことをきれいさっぱり忘れていた。そして小風はマリの食欲が物凄いことをごく初期の内から知るひとりとなった。
 

政子の食の伝説でやはりいちばん凄かったのが、あの時であった。
 
それは大学3年生の春。ダイアリーで確認すると3月23日(金)である。直前に私は政子を誘って九州に仕事で行き、阿蘇と都城を訪れた。11日の早朝に「結婚式」の夢を見たのだが、この九州行きで、政子は阿蘇で人前で歌った。政子が「仕事で」人前で歌ったのは、実に高校2年の時以来1183日ぶりだったのだが、ここで私と政子が歌ったことは阿蘇の地元自治体広報の片隅に小さく書かれただけである。更に政子は17日には鬼怒川温泉のイベントでも歌った。
 
マリをステージに復帰させる機運が到来していると判断した町添部長は氷川さんの「最初の仕事」として、マリの説得工作をさせることにした。
 
その日私はスターキッズのアルバム制作でスタジオに行っていたのだが夕方早引きさせてもらって、銀座で氷川さん・政子と待ち合わせた。
 
「今日は冬が御飯作ってってくれなかったからお昼抜いちゃったよ」と政子。
「ごめん、ごめん。でも今からしゃぶしゃぶだよ」
「お腹が空いて動けなかったけど、それを聞いて何とか頑張って出てきた」
 
「ケイさん、マリさん、どのくらい食べますか? 単品で取った方がいいのか、コースにした方がいいのか」と氷川さんが尋ねる。
 
「食べ放題にしてください」と私は言った。
「その方がいいです?」
「マリを連れていく以上食べ放題でないと安心できません」
「へー、そんなに食べるんだ? 若いもんねぇ」
と氷川さんはその時点ではそんな感じで言っていた。
 

食べ放題を指定して女性3人分3万6千円を氷川さんが払い、部屋に案内される。
 
その日は『天使に逢えたら』が物凄い数売れているということでそのお祝いという名目だったので、レコーディングの時の苦労話、その後、ローズ+リリーのファンとAYAのファンとの間で緊張した空気が漂ったことなどを話し、合わせて昨年秋に発売した2枚のローズ+リリーのシングルの話や、発売したばかりのアルバム『Month before Rose+Lily』の話題なども出る。
 
そんな話で盛り上がっていた時、ふと氷川さんは政子の隣に積み上げられた皿の枚数に気がついた。氷川さんも入社したて(正確には4月1日入社だから実はまだ入社前)で、こういう重要な役を任せられて緊張していて、政子が食べる量まで気が回っていなかったのであろう。
 
「あれ、もうお皿が5枚。ケイさん、けっこう食べるんですね」
「あ、私は大して食べてないです。マリが私の10倍くらいのペースで食べてますから」
「えー!?」
 
と言って氷川さんが政子を見ると、政子は皿の牛肉を取ってはしゃぶしゃぶのドーナツ型の鍋にさっさっと通しては、タレに付けて美味しそうに食べている。政子もけっこう会話はしているのだが、その会話で食べる作業が中断しないのである。
 
「ほんとだ。マリさんのペースが凄い」
「氷川さん、この牛肉凄く美味しいです。こんなの食べれて幸せ〜。町添さんにも御礼言っててくださいね」
「あ、うん」
 
と言いながら氷川さんは一瞬自分の仕事を忘れてしまったかのようであった。
 

更に最近の音楽シーンのこととかを話すが、氷川さんは話ながらずっと政子の箸の動きを目で追って信じられないものを見ているかのようであった。
 
「でもマリさん、身体はスリムですよね」と氷川さん。
「あ、私より体重軽いです」と私。
「私食べた分消費してるみたい」と政子。
 
「マリは詩を書くのに物凄くカロリーを消費するんです。『蒼い呼び声』の詩をマリが書いたとき、偶然にもその前後で体重を量ったんですが、2時間ほど掛けてあの詩を書いた時、体重が1.5kg減ってました」
「きゃー!」
 
「あの手の深い所から出てくる詩を書く時って、脳がマラソンしてる感じなんだよねー。『ギリギリ学園生活』みたいなのは、ジョギング感覚なんだけど」
 
「じゃ、マリさんがたくさん食べるのは、スポーツ選手がたくさん食べるのと同じようなものなんですね」
「そうです、そうです」
 
そんな話をしている内にしゃぶしゃぶの空き皿は既に10枚になっていた。
 
私がちょっと中座してトイレに行った時、店の支配人さんから声を掛けられた。
 
「あの、大変失礼ですが、お客様方はふだんどのくらい食べられてますでしょうか?」
「はい?」
「あ、いえ。時間帯が遅いもので、場合によってはお肉の仕込みの量を勘案しなければと思いまして」
 
「ああ」
と言って私は微笑んだ。私たちはファンにあまり見とがめられないようにと遅い時間帯に行ったのだが、遅い時間帯ゆえに、在庫調整が難しいのだろう。
 
「以前別のしゃぶしゃぶ屋さんに行った時、男性の友人も一緒ではありましたけど、30皿行きましたよ」
「30!」
と言ったっきり、支配人は絶句したが
「分かりました。しっかりご用意致しますので、安心してお召し上がり下さい」
「はい、ありがとう」
と言って私は微笑んで席に戻る。後ろの方で「取り敢えず2kg解凍して」とか「新宿店に付け合わせの野菜の余裕がないか問い合わせて」なんて声が聞こえた。
 

そしてしゃぶしゃぶの皿が20皿を越えた所で氷川さんは用件を切り出した。町添さんから「充分マリちゃんが満腹してから話題を出さないと失敗する」と言われていたらしい。さすがにこのくらい食べたらもうお腹一杯だろうと氷川さんも思ったのだろう。
 
「そうそう。今度★★レコード創立20周年で1年間に7回全国でシークレット・ライブをやるんだけどね。沖縄でやるシークレット・ライブで、マリちゃんとケイちゃん、歌ってくれないかなあ」
 
私はその話題を出すにはまだ少し早いかもという気はしたのだが幸いにも政子は
「へー、沖縄か」
などと言っている。かなり上機嫌だ。食べる量としてはまだ腹五〜六分くらいではないかと思ったが、美味しい牛肉だったので満足度が高かったのだろう。
 
「宿泊はラグナガーデン全日空ホテル。外の景色が見えるシャワールーム付きのスイートルーム。ホテルにはプールやフィットネスもあるよ。たぶん御飯も美味しいよ」
 
と氷川さんが言うと、その「御飯も美味しい」という所で政子がピクっと反応した。
 
「あ、そこって以前泊まった所だっけ?」と政子。
「うんうん。1年半前に麻美さんのお見舞に行った時に泊まった所だね」
と私はまるで今初めてこの話を聞いたかのように言う。そして私は更に
 
「でも沖縄なら、今回、麻美さんを招待してライブを見せられるといいね。氷川さん、そういうのいいですよね? 私たちのファンで難病と闘っている子なんですけど」
と今思いついたかのように言う。
 
「ああ、いいですよ。そのくらいの席の都合は付けます」
と氷川さんも、そういう話を今聞いたみたいに言う。
 
すると政子は頷くようにして
「そうか。麻美さん少し元気になってるって言ってたね。いいよ。歌うよ」
と政子は言った。
 

氷川さんがホッとしたような顔をした。説得できなかったらどうしようと半分背水の陣の気分で今日の「工作」をしていた感じだったので、一気に肩の力が抜けたというところであろう。
 
「でも私たちだけじゃもったいないね。伴奏はさ、ローズクォーツとスターキッズと両方連れていけないかなあ」
「ああ、いいんじゃない」
「バンド2つ連れて行って、前半・後半とかで分けます?」
「両方の合体がいいなあ」
「へー、合体?」
「ギター2本、ベース2本、ドラムス2つ、・・・」
 
「ドラムス2つは無茶だよ。でもまあその辺りは調整するよ。特にスターキッズには器用な人が多いから」
「コーラスとかもさ、春奈ちゃんとかにお願いできないかな」
 
「あ、スリファーズはアサインできると思います」と氷川さんは言った。実はもしマリの説得に失敗した場合は、この沖縄でのシークレットライブはスリファーズにさせることになっていたのである。
 
そんな細かい話や、演出面で「こんなのがあったらいいな」と政子は色々話す。美味しい牛肉をたくさん食べられて、幸せな気分になってるので、そんな話もどんどん出てくるようである。
 
そしてふと気付くと皿の数は28枚になっていた。
 
「じゃ頑張ってライブやろうかな」と政子。
「うんうん。キスしてあげるから」
「今して」
「OK」
と言って唇にキスする。氷川さんは微笑ましくそれを見ていた。政子が次の言葉を発するまでは。
 
「よし。じゃ氷川さん、私歌いますから、この後、今度は焼肉に行きましょう」
 
と政子は言った。
 
「へ?」
と氷川さんは何か信じられない言葉を聞いたような顔をした。
 
「えっと。今度って来週とかですか?」
「え?今からですよ。あ、でもこの牛肉美味しいから、あと2皿くらいたべていいかな」
 
「うん、お代わり頼むといいよ」
と私は優しく言った。
「済みませーん」
と言って政子がウェイターを呼ぶと、心なしかウェイターの顔が引きつっているかのようであった。
 

結局政子は空の皿を30枚積み上げて、しゃぶしゃぶ屋さんを出た。
 
「あのぉ、焼肉ってどのくらい食べますか?」
「食べ放題がいいよね?」と私。
「うん、それがいい」と政子。
 
「ごめんなさい。私食べるのに付き合うだけのお腹の余裕が無い」と氷川さん。「あ、お金足りません?」と政子。
「いや、お金は大丈夫だけど」
「誰か代わりに食べる係、呼び出します?」と私は言った。
 
「相談します!」
と言って氷川さんが会社に電話を入れると、北川さんが来てくれるということだった。
 
「私も誰かに手伝ってもらおう」
と言って私は少し考えて宝珠さんに電話を入れた。
 
「食べる係?じゃ嶺児を行かせようか?」
「あ、男性がいる前では、この子、本音の食事ができないので」
「分かった。じゃ私が行く」
「済みません」
 
そういう訳で、駆けつけてくれた北川さん・宝珠さんと5人で、私たちは郊外の24時間営業の焼肉屋さんに行ったのであった。
 
一応5人で入ったので、女性5人分、1万円を払う。そして私と氷川さんは飲み物だけ飲んで、政子と北川さん・宝珠さんが食べるのを眺めていた。政子は美味しいものがたくさん食べられてとても上機嫌で饒舌だった。そしてその後2時間ほどで、焼肉を1人で多分1kgくらい食べた。宝珠さんと北川さんも最後の方はもう箸を停めて、ひたすら政子の話の聞き役に徹していた。
 
私はさすがに政子の胃袋を解剖してみたい気分になった。解剖して飛び出してきた内容物で押し潰されてしまうかも知れないけど!
 
 
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【夏の日の想い出・食の伝説】(1)