【夏の日の想い出・3年生の早春】(下)

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宮島SAを20時半頃出発する。山陽道もこのあたりからは交通量が少し減ってくる。途中PAなどで随時トイレ休憩するが、施設も何だか寂しい。政子も助手席で寝てしまったので、私はカーナビに放り込んでいる音楽を聴きながら運転を続けた。やがて車は山口JCTから、いったん中国道に戻り、関門海峡にさしかかる。壇ノ浦PAで休憩し政子も起こしてトイレに行き、しばし関門橋の夜景を楽しんだ。
 
車に戻り、一気に関門橋を渡って、九州自動車道に入った。途中古賀SAで短い休憩と食料補給と給油をしたあと、結局夜1時頃、玉名PAに駐めて寝た。
 
トイレに行った後、しっかり目隠しをして後部座席で布団をかぶり一緒に寝る。もちろんお互い裸である。
「今夜はこのまましばらく抱き合っていたい気分」と政子。
「いいよ」
 
「恋人とか夫婦ってさ・・・」
「うん」
「いちばん大事なのは一緒にいることなんじゃないかなあ」
「・・・そのあたりはお互いのあり方もある気がするよ」
「同じ物理的空間と心理的空間を共有することが大事だと思うの」
 
「ああ、それは言えるかも。一緒に住んでても全然心が通じてない夫婦とかよくいるよね」
「仕事ばかりしてて、そもそも家に帰ってこない旦那とか、何のために結婚してるのか疑問」
「男の人って、放置してても女はじっと待っててくれてると思い込んでるんじゃないのかな」
 
「冬、正望君とあまり会ってないでしょ。大丈夫?」
「会った時は濃厚なデートしてるから」
「じゃ、大丈夫か」
「政子の方はどう?直哉君とはうまく行ってる?」
「あれ?言ってなかったっけ?直哉とは別れたよ」
「え?」
 
「今付き合ってるのは、1年先輩で宮城出身で」
「和則君か!」
「うん」
「でも何で別れちゃったの?お似合いみたいだったのに」
「飽きた」
「えー!?」
「というより、彼とはこれ以上付き合ってても進展がない気がしたのよね」
 
「ね・・・・私とは長い付き合いだけど、私のことは飽きないの?」
「冬は飽きない。だって、まだまだ冬の過去とか追求していける感じだし」
「あはは」
「それに冬と抱き合ってると幸せな気分になれるし」
 
「彼氏と抱き合ってても幸せな気分にならない?」
「冬は正望君と抱き合ってる時幸せ?」
「え?幸せだよ」
「私と抱き合ってる時と、正望君と抱き合ってる時と、どちらが幸せ?」
「その質問にはお答えできません」
「ちぇっ」
 

朝起きたのは5時頃だった。政子はもう少し寝ていたいと言ったので、後部座席に一応シートベルトをして座り、身体を少し斜めにして寝て、身体に布団も掛けた状態で出発した。
 
北熊本SAで朝御飯を食べたあと、政子はまた寝るというので寝せておき、熊本ICを降りて国道57号に入る。混みやすい道路だが早朝なのでスイスイ走れる。大津の道の駅まで来たところで目を覚ました。トイレ休憩したが、ここでちょうど日出となる。
 
政子も助手席に来て出発。車は阿蘇路に入って行く。やがて阿蘇パノラマラインを通って7時半頃に米塚の前に到着した。
 
「懐かしい・・・・」と政子。
「きれいな形をしてるよね」と私。
 
車の外に出て、ふたりで朝の光の中の米塚をしばし眺めていた。
「あ・・・・」
「うん・・・・」
「今、来てるよね?」
「うんうん。来てる」
 
目に見えるものではないが、米塚の平らな頂上の上に何かが来ている感じがした。そこから来る光の粒子が心地よい。それに何か柔らかい風に包まれるかのような感覚があった。私たちはしばらくその感覚を楽しんでいた。
 
「行っちゃった・・・・」
「うん・・・・」
「歓迎されたね」
「そんな気がした」
 
私たちは見つめ合ってキスをして、それから車に戻った。政子がバッグから、いつもの作詞用のレターパッドを取り出す。一緒に五線紙も取りだして愛用のセーラーのボールペンと一緒に渡してくれた。政子の方も、もう1本のセーラーのボールペンを持ち、詩を書き始める。私も五線紙に音符を書いていく。
 
ふたりとも15分ほどで詩と曲を書き上げた。
「できた」
「私もできた」
 
政子はタイトルの所に「Venti」と書いていた。私は「spirits of the wind」
と書いていた。つい笑ってしまう。(ventiはラテン語の風ventusの複数形)
 
「この詩をその譜面に書き入れてみて」
「たぶん、きれいに納まるよね」
「と思う」
 
私たちは書いている間、お互いが書いているものを見ずに各々の創作に集中していたのだが、果たしてふたりとも予想していたように、政子の詩は私の書いた曲に、ピタリと納まってしまった。ことばの区切りと音の流れの区切りがちゃんと揃っていて、詩に曲を付けたか、曲に詩を付けたか、したとしか思えないものであった。私はその曲を歌ってみた。政子がパチパチと拍手する。
 

目的地の役場には朝9時過ぎに到着した。なんと市長さんが出迎えてくれて、観光課長さんと一緒に30分ほど会談した。
 
実はこの九州行きの発端は、半月ほど前にラジオで私が『天使に逢えたら』は阿蘇の米塚で着想を得て書いた曲だということを言ったら、阿蘇の観光協会の会長さんの娘さんがその放送を聴いていて、それを父に言ったところ、ぜひ阿蘇の広報に使わせてくれという話が来たことであった。
 
交渉事は既に電話と文章のFAX,郵送によるやりとりで完了しているのだが、『天使に逢えたら/影たちの夜』の阿蘇限定版を作ることになり、取り敢えず1000枚プレスして観光協会側に送付済みであった。基本的な中身は変わらないのだが、ジャケット写真に阿蘇五岳と米塚の写真を使い、ボーナストラックとして阿蘇の観光ソングをローズ+リリーの歌で録音したものを入れていた。
 
今回はそのお披露目のイベントをしたいということで、私が行くことになっていたのである。熊本までなら普通は飛行機でさっと往復してくるのだが、今回は他のイベントのキャンセルなどでスケジュールがぽかーんと4日間空いてしまったので、車で往復することにした。
 
政子はどっちみち「人前で歌わない」契約なので、お披露目イベントには私だけが出席する予定だったのだが、町添さんが「デートを兼ねて行こうよとか、マリちゃんを誘ってみない?」などと言っていたので、その口車に乗って誘ったら行くと言ったので、ここまで一緒にドライブしてきたのであった。
 
市長さんとの会談の後、観光課長さんが、公用車で観光名所などを案内してくれた。政子は楽しそうで、たくさん課長さんと言葉を交わしている。やがて、この土日に町の広場で開かれていた物産展の会場に、案内された。ここで11時から今回プレスしたCDのお披露目をすることになっていた。
 
しばし会場を現場の担当者さんに案内してもらい、阿蘇牛の串焼きなど頂いて食べる。「美味しい!」と政子がご機嫌になる。お代わりして3本も食べていた。
 
やがて11時になり、今回制作したCDの紹介、そして歌っている私たちの紹介があった。ここで『天使に逢えたら』と阿蘇の広報ソングを、私のパートだけを抜いた(マリの歌は入っている)特種な音源で、私ひとりで歌う予定だったのだが、政子が「私歌っちゃおうかな」などと言い出した。「串焼きが美味しかったし」などと言っている。
 
そこで、こういう展開になった時のために用意していた、マリとケイの歌を抜いた(宝珠さんの歌のみが入っている)『天使に逢えたら』と楽器部分だけの阿蘇広報ソングを私のパソコンから直接会場の音響機器に接続して流した。
 
私と政子が会場のステージの上に立ち、演奏に合わせて一緒に歌った。会場のスタッフさんたちや、観光課の人などが拍手をしてくれる。政子が例の大騒動の後で、大勢の人の前で歌ったのは、大学1年の時の長岡のライブハウス、昨年12月のマキの結婚披露宴、に続いて3回目であった。歌っている所を写真などにも撮られたが、たぶんローカル紙にしか載らないだろうから騒がれないだろうと私は踏んだ。歌手が歌を歌ったのを見て誰も特別に思うわけがない。
 
お披露目の後、CDのサイン会が行われ、大半が市職員などの関係者の動員ではないかという気もしたが、数十人の人にサインをした。そのあと課長さん、観光課の40代くらいの女性のスタッフ(主任の肩書きの名刺をもらった)と一緒に4人で昼食に行った。
 
「九州には時々来られるんですか?」
「ケイはよく来てるよね」
「ええ、主としてFMの番組に出演するのに来ますし、私がやってるもうひとつのユニット、ローズクォーツの方では、ライブハウスツアーとか、ホールツアーとかしますね。熊本市にもけっこう来てますが、この界隈に来たのは高校の修学旅行の時以来になりました」
「私は母の実家が諌早なんですけど、あまりそちらには行ってないんですよね。福岡とか鹿児島とかは何度か仕事で来ましたが、私もこの付近に来たのは高校の修学旅行の時以来です」
 
「いや、昨夜にわか勉強で娘からいろいろ聞いてきたのですが、おふたりは高校の同級生だったんですね」と主任さん。
「同じ高校の同じ学年ですね。クラスは同じになったことないです。ふたりとも書道部に入ってたんで、それで仲良くなったんですよ」
「私は普段演歌ばかりなので、こういう音楽はさっぱり分からないのですが、ロックなんかとも違いますよね」と課長さん。
 
「ローズ+リリーは基本的にはフォーク系の曲が多いですね。『天使に逢えたら』
はヴァイオリン2つ、ビオラ、フルート、バロックフルート、ピッコロ、などとクラシックで使うような楽器をメインに演奏しています。ちょっと異色の曲ですね」
「何だか凄くきれいな曲ですよね」
 
「3年前にその修学旅行で来た時に、ミルクロードの話をガイドさんから聴いて興味を持っていたところで米塚を見て、見た瞬間、山の上で天使が遊んでいるかのような感覚を覚えたんですよね。それでその場でモチーフだけ書いて、最終的にはその夜泊まった別府の旅館で書き上げました」
 
「でもCD出したのは今年ですよね」
「2年くらい前からCD出そう出そうと言っていたのですが、なかなかタイミングが無くて。今回の上島先生のスキャンダル騒動が無かったら、ずっと世に出なかったかも知れないです」と私。
「でも上島先生が、放送前夜に自分の曲が使えないということになった時に、あれ使おうよって言ってくださったんですよね」と政子。
「へー」
 
「でも実はこの曲、3年前には歌えなかった曲なんです」
「あら」
「この曲は高いドの音まで使っているんですが、私がそこまで出るようになったのは去年の秋頃なんですよ」
「わあ」
「私もとても歌えなかったです。3年前は私も歌が下手で、ケイと同じ音を歌うか、あるいは3度とか5度違う音を歌うかとかしかできなかったので、こんなにメインメロディーと違う旋律をライブで歌うのは、当時の私には無理でした」
 
「マリは高3で私たちが受検勉強もあって休養状態になっていた時期、自宅にカラオケのシステム入れて、毎日10曲も20曲も歌ってたんですよ。それで凄くうまくなりました」
「ケイも高い声出すのに、コーラス部に入って、ソプラノパートを歌ってたもんね」
「へー、凄い。でもその頃はまだ男の子だったんでしょう?」と主任さん。
「はい。学生服着てソプラノの所に並んで歌ってました」
「わぁ」
 
「もう今は完全な女の子になったんですよね」
「はい。昨年の秋から戸籍上も女になりました」
「でもケイは私からすると最初から女の子だったね」と政子。
「うん。身体は手術していろいろ変えたけど、私の中身は変わってないよね。身体を変えていったのも、自分では、ある意味、髪型や服装を変えたのと大差無い感覚なんです」と私。
「あ、そうかもね。髪切るのも、おちんちん切るのも大差無いよね」と政子。「それはさすがに大差ある気がしますが」と課長さん。
 
「いや、ケイさんの性別のことは話題に出さないでくれと言われてたのだけど」
と課長さんは頭を掻いている。
「あ、そうだったんですか。ごめんなさい」と主任さん。
「あ、本人こういう感じで全く気にしてないですから大丈夫ですよ」と政子。
「自分で性別のこと、ネタにしてしゃべってるしね」
 
「まあね。私の性別は、いきなり写真週刊誌で全国に報道されちゃったから、もうあの時点で開き直っちゃったから」
 

その日は課長さんが運転する車で、地元の有線放送、それからコミュニティFM局にも行き、キャンペーンに来たことを話し、やはり両方の局でも『天使に逢えたら』
と、阿蘇の観光ソングを生で歌った。ラジオ局で歌うのは政子も全然問題ない。
 
16時頃、市役所まで戻り、課長さんに御礼を言って別れ、自分たちの車に乗って、国道57号線を熊本方面に戻った。熊本市内のショッピングセンターに車を駐め、食料品の補給と給油をして、夕食も取って少しゆっくりと休憩した。
 
19時頃、出発し熊本ICに乗って九州道を更に南下する。いったん、えびのPAで休憩した。
 
「何?あれ」
「えびのループ橋だよ。高速を通らない場合はあそこを走ることになる」
「きゃー。目が回りそう」
「子供の頃、九州旅行に来て目が回った」
「やはり・・・」
「この少し北の方に人吉ループ橋というのもあって、ループ橋が2つ連続してるんだよね」
「そういう道はあまり走りたくないなあ」
「ジェットコースターは好きだよね?」
「うーん。ジェットコースターなら目が回ってもいいけど」
 
夜風が寒いので、すぐに車に戻って出発した。少し走って霧島SAで端の方に駐めて休憩する。
スナックコーナーで霧島ラーメンセットを2つ頼み、政子は1杯きれいに食べ、私が半分しか食べなかったので、残りは政子が食べてくれた。
 
「でも別れちゃったけど、直哉も嫌いじゃなかったなあ」
「何を今更」
「和則とはまだキスもしてないんだよね」
「何回くらいデートしたの?」
「もう6回したかな」
「そんなにデートしててキスしてないって、もしかして相性悪いとか?」
「悪かったら別れてると思うのよね。確かに直哉とは3回目のデートでキスしたけど。でも和則とは会話してると結構楽しいよ。ほんとに話が合うんだよね」
「だったらキスくらいマーサからしちゃえばいいのに」
「うーん。。。向こうから仕掛けて欲しいんだけどね。ちょっと彼弱気な所ある感じだから」
 

車に戻ってとりあえず目隠しをしたものの、少し寒い気がしたので30分ほどアイドリングしてヒーターを付け車内を少し暖かくしてから、裸になって後部座席の布団の中に潜り込んだ。キスしてしっかり抱き合い、愛し合う。
 
「寒くなったらまたヒーター入れる?」
「大丈夫だよ。運動すれば暖まるよ」
「だね」
 
一時間くらいしてから休憩して、並んで寝る。この後部座席は、前のシートをできるだけ前に押しやった上で、ふつう足を置く部分に空気で膨らませるクッションを置き、その上に折りたたみ式のプラダンを敷いた上に更にマットを敷いてフラット化しているので、ふたりで並んで寝る余裕があるのである。
 
マットの下にプラダンを入れるのは正望の提案で、これでとても寝やすくなった。この空間のサイズに合わせてカットするのも彼がしてくれたので、私のフィールダーも彼のアクセラも同様にしてフラット化されている。彼はフィールダー用の加工をして、ふたりで試しに寝てみてから、「僕とフーコがギリギリ並んで寝れるから、フーコと政子さんなら余裕で寝れるよ」などと言っていた。
 
彼には恋人関係になってしまう前から、自分と政子がとってもきわどいことをしていることは、しゃべってしまっていた。彼と恋人になった時、彼は男の子と浮気したりしなければ、私と政子の関係はそのままで構わないなどと言ってくれた。その代わり彼と会った時はたっぷりしている。
 
「ねぇ、冬・・・・」
「ん?」
「私、和則とはキスもセックスも永久にしない気がしてきた」
「へ?ただの友だちってこと?」
「ううん。彼とはお互い恋人意識だけど、たぶんHとかしない恋人があってもいいのよ」
 
「・・・・そんなことは以前にも言ってたね」
「うん。相手に何を求めてるかじゃないかなあ。彼とはたぶん精神的なものが満たされたらそれでいいんだと思う」
「彼はマーサとHしたいかもよ」
「したいって言ったらさせてあげる。でもこちらからは誘わない」
「ふーん」
 
「たぶん、私と冬は身も心も求め合う関係なんだよ」
「その方がふつうの恋人に近いよね」
「私たちはふつうの恋人とは違うけどね」
 
「こないだから思ってたんだけど私たちってさ・・・・」
「あ、実は私も思ってたことあって、私たち実は・・・・」
私たちは顔を見合わせた。
「既に夫婦なんじゃない?」と私たちは同時に言った。
そして私たちは笑ってしまった。そして優しくキスをした。
 
「でも私たちが既に夫婦だとしたら結婚したのはいつなんだろう?」
「それは多分・・・高校卒業した年の3月23日。鬼怒川温泉」
「やはりあれか・・・・」
それは翌朝『影たちの夜』を書くことになった熱い夜のことだ。
 
「だって初めてコンちゃんを開封したんだもん」
「じゃ、もうすぐ私たち綿婚式か」
「綿か・・・コットンのおそろいのワンピースでも買おうか?記念に」
「それもいいね。でもまた行ってみたいね、鬼怒川温泉」
「あ、それはもしかしたら近い内に行くかも」
「ほんと?じゃ私も連れてって」
「うん。向こうは歓迎してくれるよ。詳しいことは後で」
 
そんなことを言ってから、私たちはもう一戦した後、眠ってしまった。今夜はたくさんするつもりだったのだが、やはり旅の疲れが出てしまったのだろう。
 

私たちはかなり熟睡していたようであったが、明け方くらいに夢を見た。
 
そこは何かとても神々しい場所のような気がした。私は森の中を歩いている気がした。何かまわりの空気が気持ちいい。やがて開けた所に出る。そこに政子が待っていたが、インドのサリーに似た雰囲気の、1枚の布を巻き付けたような感じの上着を着て、下半身は麻のラップスカートのようなものを穿いていた。
 
あらためて自分の服を見てみると、上半身は貫頭衣を着て、下半身は政子と同じような感じの麻のラップスカートを穿いている。私たちは手を取り合うと、一緒に前の方に進んで、跪いた。
 
何かとても大きなものに抱きかかえられているような感じだ。そこに横から出て来たのは古代の巫女っぽい衣装を着けた琴絵だ!白い土器(かわらけ)の杯を大中小3段に重ねて持っている。
 
琴絵は最初に小さな杯に白い古風な壺に入ったお酒を注いだ。政子がそれを手に取り、少し飲んで私に渡す。私はそれをまた少し飲んで政子に返す。何だか凄く美味しいお酒だと思った。それを政子が飲み干した。
 
次いで中サイズの杯にお酒を注ぐと、私に手渡したので、私が少し飲んで政子に渡し、政子が少し飲んで私に返し、残りを私が飲み干した。
 
最後に琴絵は大きな杯にお酒の残りを全部注ぎ、政子に渡す。政子はそれをけっこう飲んでから私に渡し、私は残っているものの半分くらいまで飲んでから政子に返す。中サイズのを飲むまではまだ良かったのだが、これを飲んだ時アルコール分で頭がクラクラと来た。そして残りを政子が全部飲んだ。
 
琴絵がたくさんの鈴が付いた扇のようなものを持ち、私たちの前で振った。心が洗われていくようだ。とても気持ちがいい。琴絵は更に鈴の付いた首飾りを、まず政子に、そして私に掛けてくれた。首飾りは大きなものが2つと小さなものが1つあった。私たちの後ろの方から小さな女の子が歩いて来て、私たちの間に入り、琴絵は最後にその子にも鈴の首飾りを掛けてくれた。
 
琴絵がその鈴の付いた扇のようなものを持ち舞った。何かとても美しい雅楽の調べがしていた。篳篥(ひちりき)のポルタメントが掛かった音が気持ち良い。笙の和音は天から響いてくるようで、龍笛の音はまるでほんとに龍が近くを飛び回っているかのようであった。和琴と琵琶の美しい音も響き、鞨鼓(かっこ)・鉦鼓・太鼓の音がゆっくりとしたリズムを刻む。
 

目が覚めた時、その曲の余韻がまだ残っていた。
 
私が目を覚ましたのとほぼ同時に政子も目を覚ましたようであった。時計を見るとまだ5時だ。「五線紙ちょうだい」「うん」もうその会話で私たちが同じ夢を見ていたことを確信できた。
 
私は夢の中で聴いた調べを後でできるだけ正確に思い出せるようなメモや図示を入れながら、各楽器の音の流れを書き入れて行った。政子が「何この斜め線や波線の列?」と言っている。
「これふつうの方法では記述できない。MIDIのコマンドを直接書かないと制御不能だから、それを後で思い出せる程度に書いておく」
 
「・・・・ね、私たち三三九度したよね?」
「うん」
「私が最初に飲んだから、私が夫役?」と政子。
「私が妻役だったみたいだね」と私。
「ま、いっかー。いつも冬に料理とか洗濯とかしてもらってるし」
 
「でもあの三三九度、12月にマキさんの結婚式で見たのと作法が違う」
「たぶん、神社によってやり方が違うんじゃない?」
「そうかもね」
 
「ところでさ・・・・」
「うん」
「マーサ、私に黙ってこっそり子供産んでたりしないよね」
 
「あの首飾りをもらった女の子?でもこれだけ一緒にいてこっそり産むのは無理だよ」
「確かにお腹が大きくなったら気付くしね」
「私たちの精神的な子供かもね」と政子。
 
「そっかー。考えてみたら、私たちが書いてる曲の全てが私たちの子供だよね」
「うん。だから私たちにとって曲作りは子作りなんだよ」
「なんか、物凄く納得した、今」
 

車内でのんびり過ごしていたらSAの施設が開いたので、霧島山麓ライスカレーとちゃんぽんを食べてから出発した。
 
9時前に目的地の酒造会社に到着する。車を駐車場に駐めて中に入っていくと、社長さんと女性の副社長さんが出迎えてくれた。
 
実はここで『花模様』のCMを作ろうということになっていたのであった。
 
昨年秋に発売したローズ+リリーの2年10ヶ月ぶりのシングルの両A面曲である『花模様』は、CD発売直後から大手のビール会社のCMで使用されて、おかげで広く知られカラオケでもよく歌われるようになった。ところがここの酒造会社が作っている米焼酎に『花模様』という偶然にも同名の商品があり、この曲に気付いた副社長さんから、ぜひうちの広告に使わせてくれないかという照会があったのである。
 
既にビール会社のCMに使用しているのでどうかと思ったのだが、そのビール会社の方に尋ねてみたら、自分達は焼酎は売ってないので構わないということであったので、こちらもOKということにした。事前の折衝で、米焼酎の『花模様』、梅酒の『梅模様』、日向夏のリキュール『日向模様』の3つのお酒のCMにこの曲を使用することが決まっていた。★★レコードとの折衝で、この3つのお酒と、この会社がイメージガールとして使っている地元の女性タレントさんの写真を使ったジャケ写の『花模様/涙のピアス』限定版CDもプレスして、この会社に既に送付済みである。
 
実際に使用するのは通常版に収録されているローズクォーツの伴奏のものではなく、ビール会社側の要請で一応テイクを変えて欲しいと言われたので新たにスターキッズの伴奏で収録した別バージョンである。元々『花模様』はアコスティックな曲なのだが、鷹野さんのヴァイオリンと宝珠さんのフラウト・トラヴェルソ、月丘さんのバージナル(チェンバロの一種。最近会社の備品として購入した)近藤さんのバロックギター(借り物)、酒向さんの電子ドラムによるバロックティンパニで演奏したものを今回こちらで使うことにした。この「バロックバージョン」もこの限定版CDにボーナストラックとして収められている。
 
CMに私たちは映像としては出ないので、声だけ吹き込んでデータをこちらに送っても良かったのだが、ちょうど阿蘇の件もあったのでついでに寄って話もしてくることにしたのである。
 
私たちはこの会社の歴史や、焼酎の製法・分類などの話を聞いていた。花模様が実はアメリカで買い付けてきた特製フォアローゼスを飲んで書いたもの、ということを話すと、ぜひうちの焼酎を飲んでまた創作をなどと言われた。「私は車を運転するので飲めません」と言ったのだが、
「今飲んで夕方くらいには酔いも醒めるでしょう。それまではうちの若いのにドライバーさせますよ」
などというので、何種類かを一口だけ飲ませて頂いた。
 
「私あまり焼酎って飲んだことなかったんですが、これ美味しいと思った」
「ああ、それは『花模様デラックス』といって5年寝かせた特別版なんです」
「どれどれ」と政子も飲んでみて「あ、美味しーい」という。
「お気に入りになられましたら、1つ差し上げましょう」
「ありがとうございます」
「お車に積んでおきますね」「あ、じゃキーを」といって車のキーを渡した。この時「ひとつ」というので私はてっきり1本と思ったら6本入り1箱だったので後でびっくりするのだが。
 
10種類くらい飲んでからこの会社では唯一の日本酒製品という『花霧』という生酒を頂いた時、私と政子は思わず顔を見合わせた。
 
「この味、飲んだことあります」
「おや、どちらで飲まれました?これ生産量が少なくて限定流通品にしているので飲める所が少ないんですよ」
「ちょっと知人から頂いたので」
「じゃ、これも1つ差し上げますね」
「ありがとうございます」
 
これは今朝見た夢の中で体験した三三九度の時に飲んだお酒の味であった。またキーを渡したが、これもケース入り6本が車の荷室に入れられていた。
 
「そうだ。もし良かったらこれのCMも作れませんか?」
「問い合わせてみます」
私はすぐに今日は仙台に行っている美智子に電話してその旨の照会を頼んだ。(この件は午後返事が来てOKとなった)
 

10時からCMの録音ということで、会社の車に乗り、今日の運転手役の社員さんの運転で市内の貸しスタジオに入る。メインで出演するイメージガールさんが来ていたが、私たちを見ると「ファンなんです!サインください」などと言われて色紙に書いて渡した。
 
CMは『花模様』の曲が流れる中で、私と政子とイメージガールさんの3人のセリフが入るが、セリフの内容や流し方のセンスがいい思った。田舎の酒屋さんのCMとは思えない垢抜けた雰囲気だ。基本的には練習→本番、というのの繰り返しで、4種類のお酒の各々のCMと、商品名の入らないこの酒造所のイメージCMとを録音した。
 
社長、運転手役さん、イメージガールさん、私たちの5人で昼食を取ったあと、私たちふたりだけ市内の名所などを案内された。
「ここの公園は4月になるとアヤメがきれいなんですけどね。まだちょっと時期が早いので」
などと言われたのだが、政子が「あれ?」と声をあげる。
「1輪咲いてますね」
「ほんとだ。こんな時期に珍しい」
政子が近づいてデジカメで写真を撮っていた。
 
その後、この酒造メーカーの子会社で、酒器を作っている工房にも連れて行ってもらった。
 
「酒器には主として漆器と陶磁器がありますが、ここは陶磁器の酒器を作っている工房です。うちのプレミアム焼酎で磁器の瓶に入れて販売している製品もあるんですよ」
「へー」などと言いながら、私たちは見ていたが、棚に飾られた製品の中で白い杯が3段に重ねられているものにふと目が留まった。
「あら?これは・・・」
「それは三三九度に使う杯ですね」と工房の人が言う。
「ああ」
「三三九度って朱塗りの杯かと思った」と政子。
 
「三三九度は朱塗りの漆器を使うところが多いのですが、神社によっては土器を使うんですよ」と工房の人。
 
私たちはまた顔を見合わせた。今朝の夢の三三九度で使ったのは土器の杯だった。
「記念に差し上げましょうか?おふたりとも独身?」
「あ、はい」
 
「じゃ、1セットずつ差し上げます」
といって、工房の人は下のロッカーの引き戸を開けて、桐の箱に入った土器の杯のセットを1つずつ渡してくれた」
「わあ、ありがとうございます」
 
私たちはせめてもの御礼に、サインを手持ちの色紙に書いて渡そうとしたのだが「あ、どうせならこの大杯にサインできます?」と言われた。直径30cmほどの大きな白い磁器の杯である。
「はい、お安い御用です」
ということで、私たちはその大きな杯にサインした。
「よし、これ玄関に飾っておこう」と言っている。
 

この日はその後、コミュニティFMからお声が掛かったのでちょっと行って出演しトークをして生で歌ったりした後、酒造メーカーの本社に戻り、社長に挨拶してから、私たちは自分たちの車に戻って帰途に就いた。
 
政子が「少し休みたい」というので、市郊外のファッションホテルに入って2時間「休憩」した。
 
その後、近くのショッピングセンターに行き、食料などを買い揃えてから高速に乗った。その日はめかりPAで車中泊。翌日中国道をひたすら走って夕方、西宮名塩SAで長めの休憩。その後、新名神から東名に進み、仮眠しながら夜通し走って朝7時頃に海老名SAに到着。政子を起こして朝御飯にした。
 
「なんか大きいね、ここ」
「足柄も大きいけどね」
「ああ、あそこはショッピングセンターとかに来た気分だった」
「もうここが東名の最後のSAだよ」
「あ、じゃもうすぐ帰り着くんだ」
「うん。ここから1時間で帰れるよ。13時にFMに出演するから朝までに帰着しないといけなかったからね」
「お疲れ様−。私は帰ったら寝てるね」
「えっと、マンションの方でいいんだよね」
「もちろん。でないと御飯にありつけないもん」
「はいはい」
 
「ねえ、FMってトークだけ?」
「えっと。『影たちの夜』を歌うよ。マイナス1で」
「私も行っていいかな。マイナス2で歌う」
「全然問題無いよ。出る気があったら、連絡するよ」
「よし、出る」
「じゃ、みっちゃんにメールしとく」
私は携帯から美智子にメールを入れた。ほどなく笑顔のアイコンだけの返信があった。
 

九州から戻った翌日、私は政子・AYAと一緒に◇◇テレビに響原部長に呼ばれて、アニメ関係のイベントの件(ゴールデンウィークに遊園地でイベントをするらしい)で打ち合わせに行き、用事が済んだところで局内の喫茶コーナーでお茶を飲みながら、しばらくおしゃべりをしていた。その時、私たちの後で喫茶コーナーに入ってきた20歳前後の女性がこちらを見て「あっ」という声を出した。こちらも彼女に気付いた。
 
「絵里花!」
「冬子だよね?」
「うん、久しぶりー。あ、良かったらこちらに一緒に座って」
「しばらく会ってなかったもんね。雑誌に載ってる写真とかでは見てたけど、やっぱり実物の方がずっと可愛い。私の目に狂いは無かったなあ。あ、でもお仕事だったんじゃ?」
「お仕事終わったところ」
「誰々?」と政子。
 
「私の中学の時の陸上部の先輩」と私。
「えー?ケイちゃん陸上部だったんだ!」とAYA。
「足の遅い陸上選手だったけど」
「でも、駅伝では5人抜きしたじゃん」と絵里花。
「おお、すごい」
「あれは上り坂区間だから。中学の駅伝じゃ上り坂のスペシャリストは少ないからできたわざだよ」
「へー、ケイちゃん、上り坂のスペシャリストだったんだ?」
「肺活量だけは当時からあったから。というか陸上の練習で肺活量が画期的に増えたんだけどね」
「なるほどケイちゃんの歌唱力って陸上部で鍛えたのね」
 
「でも冬子、売れてるよねー。ミリオン連発凄いじゃん」と絵里花。
「いやあ、たまたま運が良かっただよ。絵里花はテレビ局のお仕事か何かに関わってるの?」
「いやちょっと見学に来ただけ」
 
「へー。あ、そうそう絵里花のおうちケーキ屋さんでね。お父さんの作るケーキ、美味しいんだよ」
「ありがとう。でも最近売り上げ落ちてて。お店苦しいみたい」
「どこの何というお店?」とAYA。
絵里花が場所を簡単に説明する。
「あ、そこ私、ケーキ買ったことある」
「え?ほんと?」
 
「うん。美味しかったよ。また今度寄らせてもらおうかな。でケーキ買って写真をブログにアップしちゃう」
「お、AYAのブログは視聴率高いから、宣伝になるよ」と私。
「わあ、嬉しいって、あ、AYAさんだったんですね!今気付いた。私なかなかタレントさんの顔を覚えきれなくて」
「あ、私あまりテレビに出てないから、顔が分かる人少ないです」
「私ほどじゃないけどね」と政子。
「マリは今やってる『エンジェル・リリー』のエンディングがほぼ唯一の出演だよね」と私。
「あぁ。ローズ+リリーのマリちゃんだったのか!ごめんなさい。冬子と並んでるからもっと早く気付くべきだった」
「マリの顔が分かる人こそレアだよ」
 
「ああ、でももっとさっと顔を覚えられないとアナウンサーなんて無理かなあ」
「絵里花、ここのアナウンサー受けるの?」
「無理無理。キー局のアナウンサーなんて超狭き門だもん。この局も受けて一応1月に最終面接までは残ったけど落ちた。合格したのはみんな凄い才媛ばかり」
「でも最終面接まで行ったって凄いじゃん」
「うん。でも落ちたら結局一緒。もう先月大阪の準キー局も受けて、そちらも落ちて、これから地方行脚はじめる所。今日は地方行く前に再度見学に来たんだ」
「へー。あ、絵里花、私携帯の番号変えちゃったのよね。新しいの教えておく」
「あ、私も以前から変わってる。じゃ、番号とメールアドレスと交換しよう」
「うんうん」
 
私たちがそのあともしばしおしゃべりしていた時、喫茶コーナーの傍を響原部長が通りかかった。
「あ。ケイちゃん」
と声を掛けて寄ってくる。
 
「それでさ、さっき言い忘れたけど、そのゴールデンウィークのイベント用にできたら1曲、楽しい感じの曲を書いてくれないかと・・・、あっとこちらは?」
「あ、大丈夫です。私の古い友人で、彼女アナウンサー志望だから、こういう話を聞いても外に漏らしたりはしません」
「おお、じゃ大丈夫か。ということでケイちゃん、お願いしていい?」
「OKです。何か書いておきます」
 
「うん。頼む。。。。で、あれ?君はこないだの面接の時にいたよね?」
と絵里花に話しかける。
 
「はい。ありがとうございます。その節は部長からもお声を掛けて頂きましたが、今回は縁が無かったようで」
「うーん。。。。落ちちゃったのか。で、この子、ケイちゃんのお友達?」
「彼女、私の中学の時の陸上部の先輩で、副部長してたんですよ。卒業した後も時々会ってるんです」
「ほほお」
「インターハイでは優勝しましたし」
「ああ、面接の時そんな話もしてたね。君、ラジオにも興味ある?」
 
「あります!」
「※※ラジオとか興味ある?」
「はい。※※は私の母の実家があります」
「おお、それは縁がありそうだな。こないだ、いい子がいたら紹介してと言われてたんだよね。うちの最終面接まで残った子なら、向こうも文句あるまい。名刺あげるから行ってみない?電話も入れとくよ」
「ありがとうございます。すぐお伺いします」
 
絵里花は響原部長が名刺の裏にさっと紹介文を書いたのをもらうと、御礼を言ってすぐに飛び出して行った。部長も手を振って去って行った。
 
「面接うまく行くといいね・・・」
「ところで、さっきさ、絵里花さんが気になること言ってたね。『私の目に狂いは無かった』って」と政子。
 
「えっと・・・」
「それに冬のことふつうに『冬子』と呼んでたし。彼女中学の時の先輩なんでしょ?当時どういうことがあったか自白しなさい」
「いや。別に何も無いって」
「何?何?ケイちゃんってもしかして中学時代から女の子だったの?」とAYA。
「その疑惑が高まったね」
「いや、ほんとに何もないから」
と私はその日はひたすら言い逃れに徹した。
 

九州から戻った日の翌々日(テレビ局に行った翌日)の夕方。私と政子は一緒に車で首都高から東名を走り、沼津ICから下に降りて、三島駅前でひとりの女性を拾った。そして、国道136号を南下して、とある温泉郷に行き、ひなびた温泉旅館に投宿した。
 
温泉に到着するまでの間、彼女はひたすら泣いていた。政子が後部座席に座ってずっと彼女の手を握り話を聞いてあげていた。
 
到着した時刻が遅かったので、まずは食事を出してもらい(部屋まで持ってきてもらった)、それから温泉につかってきて、部屋に戻る。あらかじめ仕入れておいたおやつなどを出して、また話していると、彼女はかなり落ち着いてきた様子であった。
 
「昨日、先生から茉莉花さんの行き先に心当たりが無いかって電話があった所だったんですよ。その時点でもし既に茉莉花さんから連絡があっていても『知りません』と言ったとは思いますが、その後で連絡があったから、こちらも嘘つかずに済んで助かりました」
 
「ごめんねー。でもあなたたちにかなりグチこぼしたんで、かなりスッキリしちゃった。歌手時代の知り合いとかの所に行くとすぐ見つかると思って、半月ほど、あちこちのホテルを渡り歩いていたんだけど、ひとりでいると、どうしても頭の中が煮詰まっちゃう感じで」
 
「でも先生、本気で心配してましたよ」
「心配もしてくれないんだったら、もう離婚する。今回はもう我慢の限界を越えちゃった」
 
上島先生の奥さん(茉莉花さん)は先月下旬に、誰にも行き先を告げないまま突然家から居なくなった。というより、実は私が先生宅に電話した夜にいなくなった。つまり私が電話したのは茉莉花さんが出かける寸前だったらしい。先生は帰宅したら奥さんがいないので最初は買い物にでも出ているのかと思ったもののいつまでも帰って来ないし、メールにも返事がないので、ただならぬ事態であることを認識した。
 
最初は彼女の友人や現役時代に親しかった人、高校時代の同級生などに問合わせたりしていたようだが、どうしても居場所を掴めないので、とうとう自分が関わっている歌手などにも奥さんの事を尋ね始めたということであった。昨日その話を先生からの電話で知り、こちらも少し心配していた所、今朝、突然私の携帯に奥さんから電話が掛かってきのであった。今日は木曜日で午後にFMの生番組(ローズクォーツの番組)があったので、ラジオ局の近くに車を駐めておいて(政子は局内で待っていて)、番組が終わってすぐ車に飛び乗って三島まで走ってきたのである。
 
「昨日三島まで来て、次は熱海かなあ、それとも山中湖の方にでも行こうかなとか思ってたんだけど、もう半月、時々実家に定時連絡入れる以外はほとんど誰とも話してなかったから、何だか誰かと話したくなっちゃって。その時、ふと家を出がけに持ってきていたケイちゃんの電話番号のメモを見たのよね」
 
「私たちで良かったらいつでもグチこぼしてください」
「うん。どうしても上島ファミリーの人たちには話しにくいのよね、この手の話。みんなもう上島を崇拝している感じで。AYAちゃんとかは、結構冷めてるけど、今回は彼女も巻き込まれちゃったしね」
 
「でも、あの状況は、ケイが上島先生と抱き合ってしまってそのショットが広められててもおかしくはなかったよね」
「でもその場合はアニメの方は万事休すだったね」
「私たちが抱き合ってる写真だったら、いくらネットに貼られても平気だったけどね」
「ほんとほんと」
 
「あなたたち・・・・・ビアンってのはホントなの?」
「はい」と私と政子は声を揃えて言った。
「私たちの関係は4年前のデビューの時以来、ずっと噂にされてるから、今更だもんね」
「うんうん。公式ホームページに明記しちゃってもいいくらい」
「へー。仲が良さそうだなというのは思ってたけど」
「私たち、実は各々ボーイフレンドもいるので」
「えー!?」
「どちらかというと、そちらをあまり騒がれたくないから、私たちの関係自体の方は逆にビアンということで構いません」
 
「・・・・ひょっとして、ふたりとも彼氏とも付き合いつつ、ふたりでも付き合ってるの?」
「私たち自身は実質ビアンの夫婦のつもりです。でも、私たちの間の愛と、各々の彼氏への愛がなぜか両立しちゃうんですよね」
 
「結局は二股じゃないの?などと友人から批判を受けてはいますが」
「愛の次元が違うのよね」
 
「あ、そういえば『愛の次元』って歌をこないだスイート・ヴァニラズが歌ってたね。あれ、あなたたちの曲だったね」
「ええ、私たちのことを歌った曲なんです。Eliseから虫のいい歌詞だって笑われましたけど」
 
「そっか・・・・・もしかして、あの人も私への愛と他の恋人への愛が両立しちゃうのかな」
「男の人の気持ちって、よく分からないけど、けっこう複数の人を同時に愛せる人はいるみたい」
「ケイちゃん、昔男の子じゃなかったっけ?男心分からないの?」と政子。「えー?私は昔から女の子だよ」と私。
 
「でも恋人をたくさん作る男の人にも、浮き草みたいに節操なく次から次へってタイプと、自分のホームポジション持ってる人がいるよね」
「たぶん、上島先生にとっては茉莉花さんがホームポジションなんだろうね」
 
「私って・・・食事で言えば御飯なのね」
「そうですね。先生っておかずばかり食べるタイプじゃないから」
「でも御飯ばかり食べ続けることもない・・・か。あの人の浮気ってやはり治らないのかしら」
 
「治らないと思います」と私も政子も断言した。
 
「先生がプレイボーイなのは、私やケイは承知の上で付き合わせて頂いてるんですけどね」
「先生から『今度デートしない?』なんてささやかれるのは完璧に聞き流してるもんね。AYAもそんなこと言ってたし」
 
「私もそんな人かもなってのは承知の上で結婚したんだどね。ただ結婚したら女性関係はもう少し控えてくれるかなって期待をしてたんだけど」
「無理です」と私と政子。
 
「結局は、気にしないことにするか、別れるかの選択ね」
「ええ。我慢したらダメですよ。我慢できるものじゃないから。別れないんだったら、もう気にしないことです。先生が茉莉花さんを捨てることはないですから」
「そうだね」
 
私たちはおやつを食べつつ、またお酒を飲みつつ、その夜は遅くまで奥さんの話に付き合ってあげた。
 
翌朝私たちが起きると、奥さんは窓際の籐の椅子に座り、外の景色を眺めていた。
 
「なんかあなたたちにたくさんグチ聞いてもらって、御飯食べてぐっすり寝たら少し気分が良くなっちゃった」
「帰りますか?ご自宅まで送りますよ」
「遊園地に行きたい」
 
「いいですよ」
「ケイ、私もジェットコースター乗りたい」
「はいはい」
 
私たちは朝御飯を食べたあと、再度温泉につかってから宿を出ると、国道136号を北上、東名で御殿場まで行った後、国道138号・東富士五湖道路を通り、富士急ハイランドの駐車場に車を駐めた。お昼すぎだったので、まずはお昼御飯を食べてから、3人で絶叫系のコースターにひたすら乗りまくった。
 
「かっなり、来るね、これ」
「男の人だと、玉が縮むって奴?」
「私玉がないから分からない」
「私も玉は取っちゃったから分からない」
「よし、あの人をここに連れて来よう」
「縮むかどうかの確認ですか?」
「そうそう。私、物じゃ許してあげない。私との時間を持ってもらう」
「お仕事忙しいのは仕方ないけど、一緒の時間を過ごせなかったら、夫婦・恋人でいる意味無いですよね」
「全く」
 
その日は時々休憩をはさみながら、とにかくコースター系のものにどんどん乗った。そして夕方、遊園地を出て「ほうとう不動」で、ほうとうを食べ、私だけ先に車に戻って1時間ほど仮眠させてもらってから出発。中央道で東京に帰還した。
 
「茉莉花さん。御守りにこれ差し上げます」
「何かしら・・・・あら?これもしかして三三九度の杯?」
「先週、宮崎に行った時にお酒屋さんで頂いたんです。ふたりにひとつずつもらっちゃったんですけど、私たちふたりでひとつでいいから、もうひとつは多分誰かにあげることになるんじゃないかなって思ってたので」
 
「ありがとう。私たち人前式だったし、三三九度をしてないのよね」
「だったらちょうどよかったですね」
「雷太とあらためてこれで三三九度しちゃおう」
「あ、それもいいですね」
 
夜遅く、先生の家の玄関で茉莉花さんを降ろす。奥さんがこちらに手を振って家の中に入っていったのを見て、私たちはゆっくり車を出した。翌朝、先生から「ありがとう(^-^)339」という短文のメールが入っていた。
 
「最後の339は?
「サンキューと三三九度を掛けたメッセージでしょ」
「なるほど」
「じゃ先生たちもしたのね」
「ね、私たちも帰ってからまたしない?」
「うん。もう九州から戻ってから3回目だね」
私たちは微笑んでキスをした。
 
この後、茉莉花さんは時々私たちに電話をしてきて、一緒にお茶など飲んだり時には泊まりがけで温泉などに出かけたりするようになった。
 

上島先生の奥さんを送り届けた翌土曜日、私たちは早朝から車を出し、鬼怒川温泉を目指していた。
 
実は先月、『天使に逢えたら』が阿蘇で作った曲であることをFMで言ったら、それをきっかけに阿蘇限定版が作られることになったのと同様に『影たちの夜』
が、鬼怒川温泉で作った曲であることを言ったら、鬼怒川温泉の観光協会まで、これを広報活動に使いたいということで鬼怒川温泉の写真をジャケット写真にした限定版を制作することになった。こちらも阿蘇版と同様、通常の楽曲にプラスして、鬼怒川温泉のPRソングがボーナストラックとして収められていた。
 
この件は私たちがちょうど九州に行く直前に話が来て、美智子と私とのメールでのやりとりで概要が決まり、九州から戻ってきた日に即PRソングを収録して早速プレス。今日の朝いちばんに向こうに届くように配送されたはずである。
 
そして、今日はちょうど温泉街でイベントが行われるので、そこでこのCDのお披露目をしようということだったのである。
 
10時に現地入りし、観光協会の人と話をし、サインを書いたり記念撮影をしたりする。その後イベント会場に行くと、控え室でリュークガールズの面々と遭遇した。知ってる子が多数いるので手を振って、何人かとハグした。
 
「マリさん、お久しぶり〜」などと朋香が声を掛けるが
「ごめーん。私、人の名前を覚えるのが苦手で」などと政子。
「この子は、ともかちゃん。リーダーだよ」と私。
「いや、いつのまにか一番の古株になっちゃっただけで」と朋香。
「半年前に会った時から、またメンバー変わったね」と私。
「年末に2人卒業して年明けに4人入って15人になったから」
「人数が増えてるってのは、事務所も頑張ってるってことだね」
 
私はキャンペーンなどであちこちに行っている時けっこうこの子たちと遭遇し年に2〜3回会っているのだが、政子は高校の時以来、3年半ぶりの遭遇だった。
 
「今日はローズ+リリーの前に私たちが歌うよ」
「おお、3年半前と逆だね」
「それはやはり6年間でCDが2000枚しか売れてないグループと、ミリオン2発のユニットの差だよ」と朋香。
「今度の『天使に逢えたら/影たちの夜』もミリオン行くよね?」と佳実。「先日聞いたので95万枚ということだったから、行くかも」と私。
「3枚目のミリオンか。凄いなあ」と佐代子。
 
やがてイベントが始まり、演歌歌手の人が2人歌った後、リュークガールズの出番となり、15人のメンバーがステージに上がる。どうも新曲らしい曲を歌い始める。
「なんか、凄くノリがいいね」と政子。
「この子たちのステージ、年に数回見てるけど、3年半前の時とは段違いだね」
「歌は下手だけど、なんかお客さんを巻き込んでいくね」
「そうそう。それが昔と変わったところだよ。ともかとか、さよことか、まちことか、古いメンバーが、そのあたりうまくコントロールしてる。ともかはもう20歳すぎてるけど、事務所もたぶんあと2-3年は卒業させないかもね。リーダーシップがあるもん。あの子」
 
「ねえ、何かあの子たちに曲を書いてあげない?」
「あ、それは不要。彼女たちはこういう活動のしかたが似合ってるみたい。みんながメジャーで売って行かなくてもいいんじゃないかな。こういう小さいイベント専門で、のんびりと活動するのが性にあってる子たちもいるんだよ。たぶん昔みたいにまたテレビに出たりして活動したら、今居るメンバーの半分は脱落するよ」
「そうか。そういう活動なら学校の勉強とも両立できるもんね」
「結局、自分ができる形で活動すればいいんだよ。できないことしようとしてもどうせ無理だから」
政子は頷いていた。
 
「ね・・・今日、私も出ていい?」
「出ようよ」
 
私は音源を流しているスタッフさんの所に行き、私の歌だけを抜いた音源ではなく、政子の歌も抜いた楽器だけの音源を流してくれるよう頼んだ。スタッフさんには実は変更があるかもと言って、両方の音源を渡しておいたのである。
 
リュークガールズの歌が終わり、朋香が私たちを紹介してくれて、私たちはふたりで一緒にステージに立った。政子も一緒に出て来たのを見て朋香が「おっ」
という顔をしている。客席に挨拶してから一緒に『影たちの夜』を歌う。2年前のこの温泉での熱い夜を思い出しながら、私たちは歌った。私と政子の歌の掛け合いが少しエロティックで、私は歌いながら濡れてきているのを感じた。政子の方も歌いながら半ば恍惚な表情をしている。間奏のところで私たちは自然に吸い寄せられるようにキスをした。「きゃー」という観客のおばちゃんたちの歓声があがる。私たちは客席に満面の笑みで手を振りながら、この歌を歌いきった。
 
歌が終わると、私たちは営業用のスマイルに戻して手を振り、大きな声援と拍手に応えた。舞台下手袖に下がって、朋香たちと握手する。
 
「なんか、凄く色っぽい!同い年と思えないよ!」と朋香。
 
「いや今日はなんか歌ってる内に自分でも興奮しちゃった。女の子の身体になってて良かったと思ったよ。男の子の身体なら立っちゃってた」と私。「あはは、ステージ上で立っちゃってる歌手さん、たまに見るよ」と朋香。
「ステージ上だと手で押さえつける訳にもいかないし大変ね」
「女の子は便利だよね。外からは見えないもん」と政子。
 

彼女たちと一緒に控え室に戻った。
 
「ああ、どうせ歌うんなら私も可愛い服着れば良かった」と政子。
「あと10分早くその気になってたら着換える時間あったね」
「私の衣装もあったの?」
「いつでも持ってきてるよ。私たちふたりでひとつだから」
 
「ね、ね、ケイちゃん。さっきステージでキスしてたよね。あらためて訊くけど、マリちゃんとはやはりレズなの?」と朋香。
「そうだよ」と私。
「うん。私たちはビアン」と政子。
「おお、本人たちの口からハッキリ聞いたのは初めてだ」と朋香は喜んでいる。
「今夜もダブルのお部屋を予約してるし」
「きゃー」
 
「あ、そうだ。ケイちゃんたちにこれあげますよ」
とリュークガールズのマネージャーさんが何やら袋を持ってきた。
 
「今朝、東照宮に行ってきたんですけどね。この子たちにと御守りの鈴を買ったんだけど、私が人数間違えちゃって」
「あら」
「この子たち15人しかいないのに、なぜか18人分買っちゃったんです」
「いつも15人で行動してるのに」
「うん。なんで間違っちゃったのか私も分からない。それで余り物で悪いけど、もし良かったらと思って」
 
「わあ、ありがとうございます。余り物には福あり、ですよ。頂きます」
「じゃ、3つ余ってるし、3つあげますね」
「はい。ありがとうございます」
と言って、神社の袋に入れられた鈴を3つもらった。
 

そのあと彼女たちと一緒にお昼御飯に行き、わいわいがやがやとしながら食べる。政子もこういうのに、かなり耐性が出来てきたようで、彼女たちとけっこう普通にことばを交わしていた。そのあとみんなで温泉につかりにいき、また賑やかなひとときを過ごした。
「ケイの裸を見てもみんな騒がないのね」と政子。
「だって、いつも一緒にお風呂入ってるもんね」と私。
「うんうん。最初の頃はケイちゃんの裸をじっくり観察したけど」と朋香。「慣れちゃったね」と佳実。
 
リュークガールズの子たちはもう引き上げるというので温泉のあと別れて、私たちだけホテルの部屋に入った。
 
「鈴が3つ来ちゃったね」
と私たちは部屋の中でキスをしてから言った。
「近いうちにどこかで来るだろうなって予感はあったよ」と政子。
「うん。だから3つもらった」
「うん」
「これ、叶えの鈴だって」
「きれいな鈴だね。でも何が叶うのかなあ・・・冬は何を叶えたい?」
「ふふふ。秘密」
「そう?じゃ私も秘密にしよう」
私たちはまたキスをした。
 
「東京に帰ったら、ペンダントチェーン付けちゃおう」と私。
「3つともに?」
「うん。おそろいのチェーン」
「3つ目は、あの女の子にあげるんだよね」と政子。
「そう。誰なのかまだ分からないけど」
「いつか渡せる時が来る気がするよ」
「私、今日は何だかたくさん愛し合いたい気分」と私。
「うん。たくさん愛し合おうね」
 
私たちはキスしたままダブルベッドの上に並んで倒れ込んだ。
 
 
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