【夏の日の想い出・3年生の新年】(3)

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日曜日は各曲の練習だけして収録は北海道から戻ってからにすることになった。また私は時々自分のスタジオ・8階の青龍を抜けだし、6階の麒麟に行って、鈴鹿美里の録音の方にも立ち会い、いろいろ指導したりもしていた。実際その日は半分くらい麒麟に居た。鈴鹿美里の録音は一応日曜日で終了した。(ミクシングとマスタリングは月曜日以降、スタジオの技術者さんにお任せする)
 
月曜日、私と政子、上島先生と下川先生、スターキッズの5人に最近時々演奏に加わってもらっているチェロ奏者の宮本さんとその友人の弦楽器奏者の香月さん、宮本さんや鷹野さんの友人でパイプオルガン奏者の山森さん、話を聞いてパイプオルガンに触りたいと言ったヤスとサト、どうせ春休みだし北海道で蟹を食べたいと言った琴絵・仁恵、同じ理由で付いていくと言った上島先生の奥さんの春風アルトさん、それから★★レコードの氷川さん、ホールでの録音作業はやはり専門家に頼んだ方がいいということでお願いすることにした音響会社の麻布さんと助手の有咲、という総勢20人で、羽田から千歳へと飛んだ。
 
付き添いで人数が膨れあがった感じだったが、ヤスとサトには録音用機材の運搬などを手伝ってもらった。仁恵と琴絵もギターやコントラバスなどの楽器を運んだ。
 
機内では政子は窓の外の景色を眺めていたが、私と有咲、琴絵・仁恵は、しゃべりまくっていたし、上島先生と奥さんも仲よさそうに話していた。上島先生たちは、昨年の支香さんとの浮気騒動以来、夫婦関係がかなり良くなった感じである。あれ以来浮気も控えているようだ。雨降って地固まるになればよいがと私は思っていた。雨宮先生などはいつまでもつかしらねなどと言っていたが。氷川さんは麻布さんとあれこれアメリカやヨーロッパの音楽シーンについて話しているようであった。
 
新千歳空港からホールに直行し、ホールのスタッフの方からパイプオルガンの説明を受ける。それを山森さん、月丘さん、ヤス、サト、私に上島先生・下川先生、ついでに仁恵の8人で聞く。山森さんが少し弾いてみて、私と仁恵が左右に立ちストップ(音色選択ボタン)を操作した。こういう大きなパイプオルガンは演奏する時に最低1人はストップを操作する助手が必要である。
 
実際のオルガンの音を聴いた所で私は譜面の調整をした。私自身も演奏台に座り、仁恵にストップを操作してもらって少し弾いてみたりして雰囲気を確認する。
 
「ああ、やはりこの曲はアコスティックで行くね」と上島先生。
「この音を聴いたら電気の音は使いたくなくなりました。せっかくエレキギターとかも持って来たのに申し訳ないですが」と私。
 
結局スターキッズのアコスティックバージョンに準じて演奏することになる。
 
近藤さんはアコスティックギター、今日はギブソンJ-185を持って来ておられる。月丘さんは会場付属のスタインウェイ・コンサートグランド D-274、鷹野さん・香月さん・宮本さん・酒向さんは持参のヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスを弾く。宝珠さんは愛用の楓製フラウト・トラヴェルソである。そして山森さんにパイプオルガンを弾いて頂く。ストップの操作は仁恵にしてもらうことにした。
 
一度簡単に合わせてみるとギターとフルートの音が他の弦楽器やオルガン・ピアノに負けてしまうことに気付く。そこでギターとフルートを2本にすることにした。ギターは万能プレイヤーのヤスに弾いてもらうことにし、予備で持って来ていたギブソンJ-45をヤスに弾いてもらい、もう1本のフルートは私が吹くことにした(念のため私もフルートとウィンドシンセ、政子も自分のヴァイオリンを持って来ていた)。私が演奏に加わるので全体のバランスはサトに見てもらうことにした。(下川先生も色々指示してくれた)
 
結局、弦楽四重奏にギター2本・フルート2本、ピアノとパイプオルガンが加わるというアンサンブルになった。
 
私が譜面の調整をしている間に、ヤス・サト・月丘さん・上島先生に下川先生、ついでに仁恵まで、代わる代わるオルガンの演奏台に座り、試し弾きをしていた。一応エレクトーンの演奏グレード5級を持っている仁恵は『トッカータとフーガ・ニ短調』を弾いて「うまい、うまい」とヤスに褒められていた。仁恵は「こんなの一生に一度できるかどうかの体験だ」と嬉しそうにしていた。
 
ちなみに琴絵は政子と春風アルトさんと3人でひたすらおしゃべりをしていた。
 
麻布さんと有咲は、キーボード組のオルガン試し弾きを利用して音響の調整をしていた。音響確認用にステージで近藤さんにギター、鷹野さんにヴァイオリン、宝珠さんにフルート、宮本さんにピアノの音を出してもらっていた。
 
そんな感じで1時間15分ほどが経過してから『言葉は要らない』の楽器演奏の収録を始めた。みんな上手いし前日スタジオで充分練習していたので、調整した譜面で1回だけ練習した後本番とし、1発でOKにはなったが、念のため3回演奏・収録をした。
 
その後、下川先生も『ネオン〜駆け巡る恋』にパイプオルガンの音を入れたいということで、その部分を山森さんに演奏してもらって収録する。
 
また『アコスティックワールド』もやはりパイプオルガンを入れたアコスティックアレンジで収録を行った。
 
また私と政子の歌自体もこのホールで録っておいた方がいいと麻布さんが言ってくれたので、『言葉は要らない』と『アコスティックワールド』、それに念の為『ネオン〜駆け巡る恋』も私と政子のデュエットのみの版、それに臨時編成のコーラス隊、宝珠さん・春風アルトさんに仁恵、という3人の合唱を加えた版とを収録した。
 
そんな感じで11:50になったので、大急ぎで撤収した。
 

お昼はぞろぞろと20人で蟹料理店に行く。今はシーズンオフなので冷凍の蟹になったが、それでもみんな美味しい・美味しいと言ってたくさん食べていた。政子など凄い勢いだった。食べ殻を入れる壺は政子専用に1つ置いていたのがあっという間に一杯になり2度交換してもらった。
 
「ところで今日の費用とかはどういう処理になるの?」と琴絵。
「経費で処理できる分は処理して、それに馴染まない部分は私のポケットマネーということで。航空券代やここの食事代をコトに請求したりはしないから安心して食べて」
と私は笑って言う。
「よし。食べるぞ!」
 
「あ、私の分は上島に請求してね」
と春風アルトさんは言うが
「春風アルトさんはコーラスでお仕事してくださったから経費ですよ。後で演奏料をお支払いしますから、口座をメールしてください」
と私は答える。
「あ、それいいな。へそくりにしよう」
 
「雀の涙程度になると思いますので、あまり期待しないで下さい」
「うん、平気平気。現役時代は、半日掛けて新幹線で行って歌って御礼が和菓子だけってのもあったよ」
「それ、菓子箱の底に小判が入っていたりしないんですか?」
「しないしない」
 
「今日何も仕事してないのは俺だけかな?」とサト。
「音のバランスを見てもらいましたし、荷物を持ってもらいました」と私。「あ、私も楽器運んだ」と琴絵。
「うん。だからサトもコトもスタッフということで」
 
「でもパイプオルガンなんて、普通弾く体験できないわあ」と仁恵。
「教会とか大学とかでオルガン教室みたいなの開いている所もあるけどね。でもこういう大規模なのは、なかなか使えないよね」
 
「僕も貴重な体験させてもらった。パイプオルガンとかカリヨンとかはそもそも公共の施設っぽい所にあるから、触れないし、専任の演奏者でさえ、演奏すると大きな音を立てるから、練習がなかなかできないんだよね」
と下川先生。
「カリヨンなんて、町中に響きますからね。ミスったらミスも町中に響く」
とヤス。
 
「でもそれは全国放送の生放送でのミスの方がもっと恥ずかしいですよ」
「確かに」
「冬が生放送でピアノ弾いてる時に悪戯してみたけど、ミスらなかったね」
と政子。
「あれは必死で我慢したよ」
と言って私は苦笑した。
 

食事の後は、スケジュールの詰まっている人はすぐ帰り、時間のある人はゆっくり帰ることにする。上島先生はせっかく北海道まで来たから、曲の着想を得るのに2〜3日ドライブでもしてから帰るということだったので、奥様とふたり分の帰りの航空券だけ渡して別れた。琴絵と仁恵、山森さんと下川先生の4人は1泊して明日帰るということだったので、氷川さんにホテルの手配をしてもらい、琴絵にホテル代と食事代を概略でまとめて渡し、また帰りの航空券を配った。スターキッズのメンバーと宮本さんと香月さん、ヤスとサトの9人は今日の最終便で羽田に戻るということだったので航空券だけ渡す。
 
そして私と政子、氷川さん、麻布さんと有咲の5人がすぐ帰ることになった。
 
「上島先生もスケジュールは詰まっているでしょうけど、ずっと東京の御自宅に籠もっておられると、なかなか新しい着想が得にくくなるでしょうから、良い刺激なんでしょうね」と有咲。
「お忙しいけど、けっこう旅に出ておられますね。締め切りの迫っている担当はヤキモキのようですが」
と氷川さん。
「以前はお一人で行っておられたのが最近は必ず奥様を連れて行かれますね」
と私。
「そうなんです。夫婦円満なのは、精神的に安定して良い作品を書けるでしょうし、こちらとしては助かります。先日もスイスにおふたりで行かれましたね」
と氷川さん。
 
「僕は次に海外旅行ができるのは、今の会社が潰れた時かな」
などと麻布さん。
 
「マーサも旅したくない?」と私は訊いてみる。
「そうだなあ・・・色々美味しいものが食べられるのはいいね」と政子。
「どこかで食べたいものある?」
 
「うーんとね・・・・沖縄のゴーヤチャンブルでしょ」
「うんうん」
「富山の鱒寿司に」
「ああ」
「柳川で鰻のセイロ蒸し」
「いいね」
「広島のお好み焼き、富士宮やきそば」
「あ、どちらも好き」
 
「あ、台湾でも中国でもいいけど本場の中華料理食べてみたい」
「あ、いいね」
「後は、今回の北海道は蟹がシーズンオフだったから、リベンジしたい」
 
「なるほど。マーサさえ良ければ、一緒にそういう旅しない?」
「あ・・・お仕事か?」
「そそ」
「そうだなあ。お腹いっぱい食べさせてくれるなら、歌ってもいいよ」
「よしよし」
と言って私はキスをした。
 
「ということで、氷川さん、プランをよろしく」
「分かった!」
氷川さんは政子がこんな簡単に全国ツアーに同意するとは思っていなかったようで、かなり驚いた感じであった。蟹をたくさん食べた効果だなと私は思った。
 
「じゃ、沖縄・福岡・広島・静岡・富山・北海道、それに台湾といった感じでしょうか」
と政子が言った内容を書き出してから確認するように言う。
 
「あ、そんな感じです。実際の宿泊は、マリが食べたいものがある場所ということで」
「ええ、そのあたりはどうにでも」
 

「麻布先生、もしお時間取れたら、PAをお願いできませんか?」
「うん。いつ頃?」
「7月から8月に掛けてだと思います」
「ああ、そのあたりなら調整きくよ。ライブハウス?ホール?アリーナ?」
「多分ほとんどホールになると思います。2000から3000くらいのキャパかな」
「了解」
 
そういうわけで、突然、ローズ+リリーの全国ツアーが決まったのであった。
 
「でも君たちの演奏って、こないだ埼玉で聴いたのと今日ちょっと聴いただけだから、もし良かったらそれ以前にもどこかでライブやるなら見学できない?」
と麻布さん。
 
「今月23日に名古屋のチェリーホール2800席、5月5日に宮城県ハイパーアリーナ6000席の公演予定があります。名古屋の方は今日伴奏してもらったスターキッズですが、宮城の方は先月埼玉で伴奏してもらったローズクォーツです」
「ああ、それは両方見たいな。僕のスケジュールは・・・・ふさがってるけど、何とかして見に行くよ。愛弟子のライブだし」
「よろしくお願いします。PAコンソールの近くで見た方がいいですよね」
「うん」
 
「ということで氷川さん、麻布先生と助手の町田さんの分のチケットをPA席のそばでお願いできますか?」
「うん。宮城はどうにでもなるし、名古屋はPA席の後ろを1列空けておいたからそこでよろしいですか?」
「うん、そこがいちばんいい」
 

東京に戻った翌日からは★★スタジオでローズ+リリーのシングルの音源制作の続きをする。『言葉は要らない』と『アコスティック・ワールド』は札幌のきららホールで録音したもの(昨日の内に麻布さんがミックスダウンしてくれている)をそのまま使うことになったので、残るは『君の背中に愛を贈る』
『確率の罠』『ヘイ・ガールズ!』『ネオン〜駆け巡る恋』である。
 
この4曲は電気楽器を使って演奏するので、近藤さんのエレキギター、鷹野さんのエレキベース、月丘さんのキーボード、それに酒向さんのドラムスと宝珠さんのウィンドシンセ/アルトサックスとなる。
 
技術的には難しい曲が無いのですんなりと収録は進み、1日目で3曲の収録が終わり、2日目に残り1曲も午前中で収録が終わってしまった。
 
「なんかすんなり進みすぎた感じ」
「みなさん、うまいから」
「仮ミクシングするので、みなさんお昼食べてきてください」
と言って、政子とスターキッズのメンバーを外に出し、私はひとりで今日収録した曲の仮ミクシングをした。昨日収録した曲は昨夜のうちに仮ミクシングしている。
 
「手際いいですね」
とスタジオの音響技術者さんが言う。
 
「高校時代に1年半ほどバイトでスタジオの音響技術者の助手をしていたので。ここ3年ほどは音源制作の時に私自身がこの席に座ることも多くなりました」
「なるほどー」
「自宅ではCubase使ってるんですけどね」
「ああ、そういう人多いですよね。スタジオではProTools, 自宅ではCubase。私も自宅PCにCubase入れてますよ」
 

みんなが戻って来た所で、札幌で録った2曲、昨日・今日で録った4曲の音源を流して感想を聞く。
 
「『君の背中に愛を贈る』に何かもうひとつ欲しい」と近藤さん。
「でしょ?」
「鉄琴系の音が欲しいよね。ビブラフォンとかチェレスタとかカリヨンとかメタルフォンとかグ・・・」
と宝珠さんが言いよどむ。
「グロッケンシュピールかな」と私。
「あ、それそれ」
 
「ツッキー(月丘)さん、ビブラフォンとかグロッケンとか弾けますよね?」
「うん」
「じゃ、お願いできますか?すぐ譜面書きます」
 
月丘さんは元々マリンバ弾きである。
 
ビブラフォンの柔らかい音よりグロッケンの硬い音の方が合う気がしたので、私はスタジオの事務に連絡してグロッケンシュピールを借りることにした。近藤さんと酒向さんに取りに行ってもらっている間に私は譜面を書いた。月丘さんが譜面をのぞき込んで頷いていた。
 
「でもグロッケンと言ったらKARIONだよね」と月丘さん。
「ええ、あの音を入れるのがちょっとシンボルにもなってますね」
 
KARIONという単語を聞いて政子がムッという顔をする。
 
「大丈夫だよ。和泉をここに呼んできたりはしないから」と私。
「いづみちゃんより、月丘さんの方がグロッケン上手いよね?」
「それは私のヴァイオリンが鷹野さんのヴァイオリンに遠く及ばないみたいなものだよ」
「なら、安心した」
 

ローズ+リリーの音源制作は14日で収録作業が終わり、その後、私自身でミックスダウン、マスタリングをしてその週の内にマスターデータを完成させた。
 
17日。仙台公演の申し込みが締め切られる。申し込みは枚数換算で6万枚分という凄い事になってしまった。競争率が10倍である。昨年末の大分公演でさえ倍率5倍であったが、東京から新幹線ですぐ行ける仙台ということと、ローズ+リリーがいよいよ本格活動再開したということで、今まで離れていたファンが戻って来てくれた分もあるのだろう。
 
18日、私と政子は美智子と一緒に★★レコードに行き、ライブ日程の件で打ち合わせた。★★レコード側は氷川さん、加藤課長、町添部長が出席する。
 
「まず今週末の名古屋公演、5月の仙台公演はいいですね?」
「ええ。着々と準備スケジュールに沿って進めるだけです」
 
「それで今回浮上した全国ツアーの件なのですが、一応会場を押さえました」
と言って、氷川さんがPCの画面をホワイトボードに投影する。
 
7.20(土) 台湾 台北展演二館 4000人
7.26(金) 福岡 福岡ムーンパレス 2300人
7.27(土) 愛媛 愛媛カルチャーホール 3000人
7.28(日) 北海道 札幌文化ホール 2000人
8.01(木) 静岡 静岡グランドホール 4000人
8.02(金) 富山 富山オーロラホール 2000人
8.04(日) 沖縄 宜野湾マリンセンター 3200人
(8.10) サマーロックフェスティバル
 
「10日にサマーロックフェスティバルがあり、出演者の選考は6月に行われますが、ローズクォーツとローズ+リリーの出場は間違いないと思いますので、それで中断されないように、フェスの前に日程を集めました」
 
「あれ?愛媛になったんですか?」と私は訊いた。
「済みません。広島で適当なホールが押さえられなくて。宿泊は広島にしますので」と氷川さん。
「あ、それならOKです」と政子。
 
「となると、26日の福岡でライブをした後、27日は松山に移動してライブの後、広島に移動して泊まり、28日の朝は広島から札幌に移動するんですね」
 
「済みません。どうしてもここがハードスケジュールになってしまいまして」
と氷川さんは申し訳なさそうに言うが、マリの気まぐれで突然立った企画で更にマリの食欲を満たしてあげなければならないから、やむを得ないところだ。
 
「それと福岡のキャパが周辺人口に対して微妙ですね」
「そうなんです。福岡はムーンパレスの上はその隣の国際体育館1万人か、マリンアリーナ1万5千人になってしまって、その中間サイズの3000〜4000人の会場が無いのですよね」
 
「横浜と大阪は9月でしたね」と私。
「はい」と氷川さん。
 
「福岡を9月に持って行く手もあるね」
と町添さん。
「ええ、私も思いました」
 
「すぐ空きを確認します!」
と言って氷川さんはネットでホールの空きを確認する。
 
「8月31日マリンアリーナが空いています」
「31日って何曜日?」
「土曜日です」
「じゃ翌日まで夏休みみたいなもんだね」
「ええ」
「じゃ、遠くから来る人も大丈夫ですね」
 
「横浜が7日土曜で大阪が8日日曜だったよね?」
「はい」
「じゃ、押さえよう」と町添さん。
 
「大会場3つになるけど大丈夫かな?」と加藤課長が少し心配するが
「横浜の飲茶と大阪の土手焼きと柳川のセイロ蒸しを食べられるなら大丈夫です」
と政子は明るく言った。
 
「じゃ決まり」と町添さん。
 
氷川さんは会議室を出て外で予約を入れる作業に入った。
 
「一応8月に福岡ライブをするということから、当初12月に予定していた福岡公演はいったんキャンセルします。10月以降のライブ・スケジュールに関しては、また後日検討したいと思います」
と加藤課長が言った。
 

「で、この話はいったん置いといてですね」と町添さん。
「福島県でライブをしたいという話がその前にあったのですが」
と言う町添さんも頭の中が多少混乱気味の雰囲気である。
 
「それ、ローズ+リリーだけでするのずるい、という意見でね」
「はい?」
「★★レコードのビッグ7共演という企画を考えました。日付は8月11日。サマフェスの翌日で申し訳無いのだけど。11日という日付を使いたかったのと、お盆に合わせようということで」
「ああ」
 
「ビッグ7というと?」
「AYA、サウザンズ、XANFUS、スイート・ヴァニラズ、スカイヤーズ、スリファーズ、そしてローズ+リリー。50音順」
 
「サ行が多い」と政子。
「そ、そうだね」
 
「1組アンコール込みで1時間20分、休憩10分。1アーティストあたり1時間30分で10時間20分。朝8時50分から始めて夜19時10分まで掛かる」
 
「1時間20分なら結構な曲が演奏出来ますね」
「うん。4分演奏して1分MCとして16曲できる。そのあたりの比率は各々のユニットで勘案してもらえばいい。まあこのくらいがアーティスト側も休憩無しで演奏できる限界だし、夏でも夜は冷えるから19時で終了というのが適当かなというのと」
「確かに」
 
「当日の日没は18:34。19:09で日暮れ。ちょうど演奏が終わる時刻。実際の出演順は、若いファンの多い、スリファーズ、XANFUS、ローズ+リリー、AYA、を早めにして、おとなのファンが多いサウザンズ、スイート・ヴァニラズ、スカイヤーズ、を後ろに集める、ということで、自然な順序として、8:50.AYA、10:20.スリファーズ、11:50.ローズ+リリー、13:20.XANFUS、14:50.スカイヤーズ、16:20.サウザンズ、17:50.スイート・ヴァニラズと決まった」
「なるほど」
 
「場所はどこになったんですか?」
「いくつか検討したのだけど、結局、いわき市がいいのではないかと」
「ああ」
「あそこは原発には近いけど風上なんで放射線量が低いんだよね。念のためうちのチームで市内のあちこちで測定したのだけど、原発から遠く離れた町とほとんど変わらない」
 
「いわき市というと、常磐ハワイ?」
「あそこはキャパが小さいよ」
「うん。そういう訳で、みどりの森競技場という所を使う」
「野球場ですか?」
「むしろサッカーとかをやるところ」
「ああ」
「入れようと思えば4万人くらい入る」
「わあ」
「今回は椅子を設置せずに芝生に座って見てもらう方式にしたいので、一応2万人で販売する予定。食物屋さんや、飲料水の無料サービス、臨時トイレとかも設置して、おやつ食べたりのんびりと観覧してもらうようにする」
「いいですね」
「現地に行って芝生の草が含有している放射能とかも確認したけど問題無いと判断した」
「確認してもらっているなら安心です」
 
「いわきへのアクセスは上野駅から特急で2時間半。駅から会場までシャトルバスを運行する」
 

会議が終わってから解散したが、私と政子は「ちょっとお茶飲んで帰ります」と美智子に言い、ふたりで1階のカフェに入った。政子は甘いカフェラテ、私はブラックコーヒーを頼む。
 
「この夏はフル稼働だね。たくさんライブするけど大丈夫?」
と私は政子に訊いた。
 
「いつも冬がそばにいてくれるなら大丈夫だよ」
「よしよし」
 
「でも台湾行くなら、私パスポート作らないと」
と私が言ったら
「あれ?タイに性転換手術しに行った時に作ったパスポートは?」
と訊かれる。
「だって、あのパスポートは Karamoto Fuyuhiko, 男になってるから」
「あ、そうか」
「今度は Karamoto Fuyuko, 女のパスポートを作るから」
「あ、じゃその男になってるパスポート、私に記念にちょうだい」
「ごめん、それは返納しないといけないと思う」
「ああ」
 
「マーサは高2の時に作らされたパスポートがまだ使えるよね?」
「作ったのが2009年2月9日だったのよね。『肉肉』と覚えやすかったんだ」
 
何とも政子らしい記憶の仕方だ。
 
「だから有効期限は2014年2月9日までだから、8月9日までなら入国できるかな」
「あ、台湾は有効期間が残り3ヶ月でいいって」
「じゃ楽勝だ」
 
政子は当時4月の模試の成績が悪かったら即タイに召喚と言われて、パスポートを作らされたのである。実際にそのパスポートを行使したのは、大学2年の時に私の性転換手術に付き添いしてくれてタイに行った時であった。
 

しばらく話をしていたら、カフェのそばを町添さんが通りかかった。
 
「やあ」
と言って寄ってくる。
 
「あ、部長、良かったらお座りになりませんか?」
「あ、そうしようかな」
と言い、ちょうど近くを通りかかったカフェのスタッフさんに
「コーヒー1杯」
と注文する。
 
「カウンターに行かなくても注文できるんでしたっけ?」
「重役特権」
「わあ、すごい!」
 
実際には私や政子も「VIPアーティスト特権」で注文できるよ、と教えられた。
 
「そうだったのか。今度1度行使してみよう」
「でもマリちゃんも、かなりやる気が出てきてるね」
と町添さん。
 
「やる気82%くらいです」
「おやおや、あと18%くらいはどうやったら上がるのかな」
「ファンの人たちの歓声かな」
「やはり、例のゲリラライブでテンション上がってきた?」
 
「ええ。東北でこれまで19回ゲリラライブしたし、実は都内でもシークレット路上ライブを10回くらいしたんですよね」
「えー!?」
 
「二人羽織ライブなんです。以前部長が仕込んでXANFUSとやったみたいな」
「あはは、あれはね」
「友人2人にローズ+リリーのお面を付けてもらって、ギターとカホンで伴奏しながら歌うんですけど、彼女らの演奏は本物だけど、歌は口パクで、実は観客に紛れた私とマリが歌うという方式で」
「へー、それは面白いことしたね」
 
「都内は反応が凄いです。あっという間に観客が増えるから警官に見つかって解散するように言われて。3曲くらいしか演奏できないです」
 
「君たち、上手すぎるからね。今月はもうどこかでゲリラライブしたの?」
「先々週の金曜日に行きました。陸前高田のつもりが結局、大船渡・陸前高田・気仙沼の三連チャンになりました」
「頑張るね」
 
「3月11日にラスト・ゲリラライブします。ちょうど20回になりますね」
「石巻に行くって言ってたっけ?」
「ええ。震源に近いから」
 
町添さんが頷く。
 
「福島はこないだの南相馬市が最後?」
「もう1回くらい行きたかったんですけどね〜」
と私が言ったが
 
「日中石巻に行って、夕方から福島とかは?」
と町添さん。
 
「私たちに何させようとしてるんですか?」
 
「実はね。今回提案のあった福島でのライブという件は結局話が大きくなってしまって、いわき市の野外イベントということになったんだけど。その前にいったん福島市内の会場を押さえててね。それをまだキャンセルしてないのだよね。実は3月11日が空いてたから、準備とかのこと考えずに反射的に取っちゃったんだ、氷川君が。でもその日に取れたってのは、それはそれで何かのイベントに使えるかも知れないと言ってそのままにしてたの。君たちはゲリラライブのために3月11日は絶対空けてるはずと思ったしね」
 
「何て会場ですか?」
「福島駅から4kmほどの所にある福島奏楽堂というところなんだけどね」
「あれ? そこパイプオルガンありません?」と私。
「ある。物凄く立派なのが。会場は1000人くらいしか入らない小さな会場なのに不釣り合いなくらいに大きなオルガンがあるんだよ。たぶん東北一のオルガンじゃないかな」と町添さん。
 
「あ、それの演奏で『言葉は要らない』を歌いたい」と政子。
 
「ふふふ。君たち、かなりやる気になったね」
「それ、やはりゲリラ的にするんですよね?」
「ゲリラライブの打ち上げでしょ?」
 

その週の土曜日、2013年2月23日。私たちは名古屋でライブをした。
 
ローズ+リリーのライブ活動再開第2弾のライブである。チケットは普通の売り方をしたので3分でソールドアウトしていた。要するに発売日の朝10時に一発で電話がつながった人だけが買えた感じである。いわば電話というメディアを使った抽選のようなものである。
 
朝から新幹線で名古屋に行き、スターキッズの人たちと一緒にリハーサルをして、お昼はきしめんを食べた。ひつまぶしは(万一食事の事故があってはならないので)ライブが終わった後のお楽しみである。
 
入場は携帯のQRコードの人は人数だけ確認してすんなり通すが、免許証や学生証などで本人確認しながらの人の方が多いので、けっこう手間が掛かったようであった。しかし入場者は別府のライブよりはぐっと少ないので、だいたい30分くらいで入場し終えた。
 

1ベルが鳴り、間もなく演奏が始まりますという案内で観客が着席する。やがて2ベルが鳴って客電が落ちるとざわめきが消える。
 
そこに鳴り響くのは龍笛の音。それに唱和するように篳篥(ひちりき)と笙(しょう)が続き、幕が上がると共に優雅な雅楽の演奏が始まった。大きな拍手がある。若干戸惑っている人もいる雰囲気だが、この曲が昨年出したシングルに収められていた曲『祝愛宴』であることを知っている人も多い。
 
雅楽の演奏をしているのは、龍笛・篳篥・笙が2人ずつ、琵琶と箏が1人ずつ、鉦鼓・鞨鼓・太鼓が1人ずつ、11人のユニットである。全員狩衣のような服を身につけている。
 
そこに古風な衣装を着けた男女が下手から出てくるので、一瞬マリとケイが出てきたのかと思って拍手をしかけ、あれ?という感じで拍手が尻すぼみになる。一方上手からはお酒を持った巫女の衣装を着た長い髪の女性が出てくる。
 
そして演奏に合わせてお酒を注ぎ、三三九度のようにする。客席のざわめきは大きくなる。後ろの方の席からは男女の顔が見えないので、まさかこれってケイとマリの結婚式? みたいに思った人もあったようである。
 
『祝愛宴』の演奏が終わる。龍笛の「エア演奏」をしていたマリと、箏を実際に弾いていた私が狩衣を脱ぎ、ステージ前端まで出てくる。私たちはお揃いのミニスカの衣装を着ている。大きな歓声と拍手が起きる。
 
「こんにちは、ローズ+リリーでーす!」
と一緒に挨拶する。
 
「何とかみなさんをびっくりさせようと色々工夫するんですが、もう既にネタが尽きてきた感じです」
と私が言うと、笑い声。
 
「三三九度をしたカップルは、★★レコードの名古屋支店の社員さんで先月結婚式を挙げられたばかりの方です。演出にご協力ありがとうございました」
と言うと、拍手。カップルはお辞儀をする。
 
「巫女役は私とマリの友人で、『千葉情報』の発信人のひとり、山城さんでした」
と紹介すると、客席から「ことえちゃーん」という声が飛び本人はびっくりしたような顔をしつつも、客席に笑顔で手を振っていた。
 
「そして雅楽の演奏をしてくださったのは、実際にCDでも『祝愛宴』を演奏してくださった、♪♪大学の雅楽部の方たちです。ありがとうございました」
というとまた大きな拍手。
 
カップル、巫女役の琴絵、そして雅楽部の人たちが下がる。そしてそれと入れ違いに、スターキッズのメンバーが弦楽器や管楽器を持って出てきて、また大きな拍手。「ななせさーん」とか「おたかさーん」などという声が飛ぶ。スターキッズの中でも紅一点の宝珠(七星)さんはさすがに人気が高いし、男性メンバーの中では、ラジオ番組などで軽妙なトークを見せる鷹野さんのファンが一番多いのである。
 
セッティングしている間に私と政子でしばしトークをする。政子はマジで唐突に変な事を言うので、私はフォローするのに苦労するのだが、それがまるで掛け合い漫才のような雰囲気になり、けっこう客席の笑いを取った。
 
やがてセッティングと音合わせが終わったので、弦楽四重奏+ギター・フルート・ピアノという編成で『アコスティック・ワールド』を演奏し、私と政子が歌う。
 
観客はみな着席して聴いている。何人か立ちかけた人もいたが回りを見て座ってしまった。札幌公演、別府公演で見せたように、前半は「アコスティック」の世界である。
 
演奏が終わって拍手が来る。
 
「ありがとうございます。今演奏したのは来月発売予定のシングルの中の曲で、『アコスティック・ワールド』という曲でした。続けて同じシングルの中の曲、『言葉は要らない』という曲を演奏しますが、これにはパイプオルガンの音が入ります。音源制作では先日、札幌のきららホールのパイプオルガンを使って収録してきたのですが、今日はパイプオルガンの代わりに電子楽器ですが、エレクトーンを入れます」
 
と言うと、ステージ脇からスタッフさんたちがstageaを運び込んでくる。そこに山森さんが座って、演奏が始まる。電子楽器は使うが前半はPAは使わない。楽器自体から出る音だけでホール全体に響き渡らせる。
 
私と政子もマイク無しで歌を歌っている。
 
この曲が終わった所で、私は伴奏者を紹介する。
 
「今日の伴奏はスターキッズとそのお友だちです。ギター&リーダー、近藤嶺児」
「フルート&リーダー、宝珠七星」
「ヴァイオリン、鷹野繁樹」
「ヴィオラ、香月康宏」
「チェロ、宮本越雄」
「コントラバス、酒向芳知」
「ピアノ、月丘晃靖」
「そしてオルガン、山森夏貴」
 
ひとりずつ紹介していく度に拍手が来る。特に七星さんと鷹野さんへの拍手と歓声は大きかった。甘いマスクで独身の月丘さんにも結構な歓声が来る。
 
「私とマリが書く曲って、最近は色々な傾向のものがあるのですが、高校時代に書いた曲は、いわゆるフォーク系の曲が多くて、こういうアコスティックな演奏に合うんですよね。それで昨年の札幌と別府でも、前半をアコスティック、後半をエレクトリックという感じで構成させて頂きました。今日もそのような展開でいきたいと思います。それでは次はたくさんの女の子を泣かせてしまった曲、『A Young Maiden』」
 
拍手が来て、伴奏が始まり、私たちは歌う。まだローズ+リリーを始める前に、政子の17歳の誕生日に書いた曲である。私たちの「第1自主制作アルバム」に入っていた曲だが、昨年はそれの伴奏だけ差し替えて発売。大きなセールスをあげ、全国で何万人もの女の子を泣かせてしまった曲である。
 
この曲は決して悲しい歌ではない。むしろ希望と力に満ちあふれた曲だが、明確な意識のないまま年若くして母となってしまった自分の身を振り替えると感極まるという心情を歌っている。そこが女の子たちの涙を誘うのである。実際ヤングママたちから多数のお便りをもらったし、中学生や高校生で子供を産んでしまったという人たちからのお便りも何通かあった。
 
私たちが歌っている間にも、客席で涙をぬぐっている感じの人たちがいる。この曲のアレンジにパイプオルガンを入れたのは初めてだが、フルー管の優しい音が揺れる心を更に揺り動かすような気がした。
 

歌い終わって拍手。
 
「ありがとうございます。ところでここでお知らせがあります。ローズ+リリーはこの後5月5日に仙台公演をしますが、このチケットは既に申し込み期間が終わり抽選も終わって、月曜日以降発送される予定ですが、その後の公演予定です」
 
「わあ」とか「おお」とかいう声が上がる。
 
「ローズ+リリーは7月末から8月上旬にかけて国内5ヶ所のホールツアーと、初の海外公演で台湾に行ってきます」
 
「キャー」とか「ワー」とか凄い歓声。
 
「ツアーをするのは高校2年の時以来5年ぶりになってしまいますね。というか今年の夏はローズ+リリーのデビュー5周年になる訳ですが」
というと
「おめでとう!」
という声がたくさん来る。
 
「そしてその5周年の記念公演として、9月に横浜・大阪・福岡の3ヶ所でアリーナライブをする予定です」
 
しばし歓声。
 
「今日のチケットも発売開始3分で売り切れたらしいですし、仙台公演も倍率が10倍とか恐ろしいことになってしまいましたが、9月のアリーナ公演は3箇所で合計4万人入りますので、少しは緩和されるのではないかと思っています。まだ私たちが学生なので、今年はこれで勘弁してください。来年はもっと頑張りますね」
 
と言うと大きな拍手をもらえた。
 
「それではその5年前に書いた作品、いわゆる高校3部作を聴いて下さい」
 

そうして私たちは『遙かな夢』『涙の影』『あの街角で』の3作品を歌っていった。更にMCを混ぜながら、『花模様』『こぼれゆく砂』『天使に逢えたら』といった美しい作品を歌っていく。
 
「さて次は前半最後の曲です。これは実はローズ+リリーの曲ではなく、キャトル・ローズの曲で吉住尚人先生に書いて頂いた『記憶はいつも美しい』。ジャズっぽい曲ですね。キャトルローズというのは4つのボーカルで歌っていますが、4つとも私の声です。『Once upon a time〜♪』という感じのソプラノボイス、『There was a girl〜♪』という感じのメゾソプラノボイス、『who always wearing red〜♪』という感じのアルトボイス、そして
『with wearly eyes〜♪』という感じの中性ボイスを使って多重録音しています」
 
と実際にそれぞれの声を出して歌ってみせると「すげー」といった感じの声が来る。
 
「でも今日はライブで多重録音って訳にはいかないので、マリ、ちょっと手伝って」
「いいけど、私とケイでも2人にしかならないよ」
「困ったな。あと2人誰かに手伝ってもらわないと」
 
するとその時「手伝いまーす」という声が響く。スポットライトが3階席に当たる。ふたりの女の子が手を挙げていて、そのまま3階席から飛び出す。
 
「えー!?」という客席の声。
 
そして飛び出した2人はそのままステージまで張ってあるワイヤーに沿って、スキー場のリフトのようなものに乗ってステージまで降りてきた。
 
スタッフが駆け寄り、しっかり留めてあった安全ベルトを外す。ふたりともヘルメットを外す。
 
「えっと、自己紹介をよろしいですか?」
「はい。4月に★★レコードからデビューすることになりました、鈴鹿と」
「美里です」
 
暖かい拍手が来る。
 
「ふたりはそっくりさんですね。双子ですか?」
「はい、そうです。でも二卵性なんです」と美里。
「ついでに男と女の双子です」と鈴鹿。
 
客席から「えー!?」という声が来る。私はその客席の声を黙殺するかのように
 
「それでは『記憶はいつも美しい』を歌うの手伝ってくれるかな?」
「いいとも!」
 
というやりとりで、スターキッズの伴奏がスタートする。客席はざわめいていたが、伴奏が始まると少しずつ沈静化していく。
 
ジャズっぽい曲で、私とマリ、鈴鹿・美里の4人で歌うと、ちょっと夜の酒場のような感じだ。全員正確な音程で歌っているので4人の声がきれいなハーモニーになっていて、とても良い雰囲気。
 
演奏が終わると大きな拍手があった。
 
「それでは続けて、鈴鹿美里さんに、デビュー曲で上島雷太先生が書いた『百万の恋と1つのときめきと』、それから私とマリで書いた『春、憧れ』を歌って頂きます。その間、私とマリとスターキッズはちょっと休憩を頂きます。それではどうぞ」
 
と言うとマイナスワン音源がスタートする。
 
私たちは鈴鹿と美里に拍手をしてステージ脇に下がった。スターキッズも下がる。ふたりが歌っている後ろに幕が1枚降りて、その後ろで楽器の入れ替えが行われる。私たちは喉を潤し、衣装を着替えてから休憩する。政子は例によっておやつを食べている。今日のおやつは名古屋名物ウイロウだ。私も1切れ摘まんだが、あとはコーヒーをもらって飲んでいる。
 
近藤さんは「寝る」と言って横になって眠ってしまった。宝珠さんはうがいをした後体操している。他のメンバーはジュースを飲んだり、おしゃべりしたり様々である。
 

やがて、鈴鹿美里の歌が2曲終わる。
 
私と政子はお玉を持ってステージに出て行く。そして鈴鹿と美里にも1本ずつお玉を渡す。
 
「さあ、次の曲、分かったかな?」
と客席に向かってマイクで訊くと
「ピンザンティン!」という答えが返ってくる。
 
「はーい、その通り。では行ってみよう!」
ということでスターキッズの伴奏が始まる。今度はエレクトリックな楽器である。
 
私と政子がお玉を振りながら歌い出す。鈴鹿と美里も後ろでお玉を振りながらコーラスを入れる。客席は(起立が禁止されている2階席・3階席を除き)総立ちになって、多数のお玉が振られる。
 
「サラダを食べよう、ピンザンティン。美味しいサラダを」
という覚えやすいサビの部分に続いて、私たちはこの《食の讃歌》を歌っていった。
 

『ピンザンティン』を歌い終わると、私はあらためて鈴鹿美里を紹介し、ふたりが下がる。そして私は後半の楽器担当を再紹介した。
 
「エレキギター、リードギター、近藤嶺児」
「アルトサックス、およびウィンドシンセ、宝珠七星」
「エレキギター、リズムギター、宮本越雄」
「エレキベース、鷹野繁樹」
「ドラムス、酒向芳知」
「キーボード、月丘晃靖」
 
後半は香月さんと山森さんはお休みである。美智子や氷川さん、加藤課長などといろいろおしゃべりしながら、ステージを聴いていたようである。
 
私たちは電気楽器の伴奏でマイクを使って、『影たちの夜』『Spell on You』
『キュピパラ・ペポリカ』『夜間飛行』と歌っていく。その後、上島作品を3曲『甘い蜜』『涙のピアス』『あなたとお散歩』と歌った。
 
「ずっと手拍子歓声、そして拍手ありがとうございます。今日のライブもそろそろ大詰めになってきました。次に歌う『カントリーソング』は、この曲に関する噂がどうも一人歩きしているようなので説明しますが、双葉町で農業を営んでおられたご夫婦にお会いしたことから生まれた曲です。双葉町はご存じのようにいまだに町全体が警戒区域に指定され、いつ帰郷できるか全く分からない状況です。PVに使用したのは震災前に私自身が双葉町を訪れた時にたまたま撮影していた町の様子です。そういう訳で、震災の爪痕にまだ苦しんでいる方たちの未来と、震災の復興・復旧を祈って、震災がらみの曲を3曲、聴いて下さい」
 
伴奏が始まり、私たちは『カントリーソング』を歌う。それ自体聴けば何ともない平和な牧歌的な歌である。私と政子はこの歌には敢えて具体的なメッセージは入れなかった。それは同情を拒否してただひたすら頑張っている若いご夫婦への無言の応援である。
 
更に私たちは石巻で出会った人の話から書いた曲『帰郷』、そして多くの被災者の方や被災者の人たちを応援したい人たちからリクエストされた曲『神様お願い』
と歌っていった。
 

「ありがとうございます。今日のライブもとうとう最後の1曲となりました。来月発売予定のシングルの中の曲から、上島先生の作品『ネオン〜駆け巡る恋』
聴いて下さい」
 
stageaが運び込まれてきて、後半ずっと出番が無くて休んでいた山森さんが出てきて椅子に座る。香月さんもトランペットを持って出てきてスタンバイする。近藤さんの合図で伴奏が始まる。
 
退廃的な雰囲気を漂わせる夜の町のネオンが光っている。そしてその下で少し疲れたような男女が恋を語り合う。哀愁に満ちた音色をサックスやトランペットが奏でる。まるで光の波を象徴するかのように響くパイプオルガンの音色。
 
まるで昭和40年代の歌謡曲を思わせるような世界観だが、上島先生の作品はそれを軽妙な2000年代のポップスにまとめあげている。こういう曲は逆に高校生時代の私とマリには歌えなかった歌だ。
 
演奏が終わり、割れるような拍手の中、私とマリは客席に向かって大きくお辞儀をした。そして幕が下りる。
 

拍手がやがてゆっくりとしたアンコールを求める拍手に変わる。
 
幕はわりとすぐに上がった。
 
「ありがとうございます。やはりアンコールって気持ちいいですね」
と私が言うと、また拍手。
 
「マリは今日のステージの感想は」
「最高!」
「また歌いたい?」
「たくさん歌いたい」
「でも次のライブは5月だよ」
 
「来月くらいにどこかで歌えないかなあ」と政子。
 
会場がどよめく。
 
「歌えたらいいね。それでは今日のアンコール曲『恋座流星群』」
と私は言って、近藤さんに合図した。
 
スターキッズの伴奏が始まる。香月さんのトランペットや山森さんのオルガンも流れ星のような音を奏でる。
 
私たちは活動休止中のヒット曲『恋座流星群』を元気に歌っていった。
 

そして演奏が終わり、私と政子は客席に向かってお辞儀をして舞台袖に下がる。スターキッズのメンバーも手を振りながら下がる。
 
そして幕が下りる。
 
すぐさまアンコールを求める拍手。
 
今度は1分ほどで幕が上がった。
 
前半のアコスティックタイムで月丘さんが弾いていたスタインウェイのピアノがステージ中央に置かれている。私と政子は下手から出てきて、客席に向かってお辞儀をした。そして私はピアノの前に座る。政子はいつものように私の左側に立つ。私は『夏の日の想い出』の前奏の分散和音を奏で始めた。客席からまた大きな拍手がある。
 
「白いスカート、浜辺の砂、熱い日差し、君の瞳」と私が歌うと
「好きと一言、言えないまま、電車は去る、小さな駅」と政子が歌う。
 
曲は私たちふたりの掛け合いのように進んでいく。事件を思わせるような転調につぐ転調。それに合わせて私たちの歌声の中に緊張が走る。何度か不協和音も出る。しかし最後に愛の嵐を思わせるような激しい音符の連続と、ふたりの走るような声。そしてふたりの歌はやがてきれいな三度のハーモニーを奏でる。
 
「懐かしい日々は、想い出の中に、プリントされて消えていくけど」
「ふたりの愛は、今ここにあって、優しい心で包まれる、幸せ」
 
最後のコーダを私が弾く間に、政子は私の顔を手で掴んで深いキスをする。私は鍵盤が見えないので指の感覚だけで弾き続け、やがて最後の分散和音を弾き終えた。
 
私は立ち、政子とふたりでステージの端まで出てきて、深くお辞儀をした。
 
そして割れるような拍手の中、幕が下りた。
 

名古屋のライブが終わった翌週の月曜日。私は色々な事務処理のために★★レコードを訪れ、帰り際、町添さんに誘われて近くの喫茶店に入った。ここはビジネス上の打ち合わせなどをする客のために個室がたくさんあり、そこの一室に入る(個室は全て四畳半以上の広さで、風営法の規制対象外)。
 
「鈴鹿と美里のどちらが男の子なんですか?という問い合わせが殺到してるよ」
「あはは。本人たちも面白がってるみたいですね、それ」
 
「それとローズ+リリーは来月ライブをするんですか?という問い合わせも殺到している」
「須藤が頭抱えてました。また会社の電話が使えなくなったって」
「まあ、話題になるのはいいことだ」
「ええ、そう思います」
 
「思えば、マリちゃん・ケイちゃんって、色々なアーティストを売り出すきっかけになってるよね」
「ああ、それは思ったことあります」
「君たちがデビューして間もない頃に、上島君に言われたことをかみしめてるよ。この子たちを逃がしたら、僕の首が飛ぶよって」
「そうですか?」
 
「XANFUSは君たちがいなければすぐに消えて行っていた。KARIONも君たちがいなければ、あそこまで話題になってなかった。それになんといってもKARIONは水沢歌月無しでは考えられない」
「私たち08年組の3つのユニットはいわば同じ船の同乗者のようなものです」
 
「富士宮ノエル、坂井真紅、小野寺イルザ、花村唯香、みんな君たちがいなかったら、今の彼女たちの活躍は無いよ」
「いや、あの子たちは私たちに出会わなくても、どこかで運を掴んでたと思います」
 
「でも実際にブレイクのきっかけとなっているからね。そして今回の鈴鹿美里も、デビュー前からいきなり盛り上がってる。みんな、マリちゃんとケイちゃんの子供みたいなものだね」
 
「・・・以前須藤に言われたことあります。私、生殖機能を放棄しちゃったから、医学的な意味での子供はできないけど、私が歌う歌、作る歌が、音楽に志す人たちを生み出していく。それが私の子供だよって」
 
「うん、まさにその通りだね。だけど君、去勢する前に精子の保存とかはしなかったの?」
「してません。すれば良かったかも知れないけど、去勢した頃って、もう既に長年の女性ホルモンの服用で、精子がほとんど不活性状態になってたんですよ。あの状態で冷凍保存しても、妊娠させる能力は無かったでしょうね」
「それでも顕微鏡受精とかならできるでしょ?」
 
「そうですね。。。。でもずっと将来は万能細胞とかから生殖ができるようになるのかも知れないですね」
「そうなるだろうね。何十年か先かも知れないけど」
「たぶん、私が生きている内には無理だろうなあ」
 
「マリちゃんと子供作るつもりとか無かったの?」
「・・・・マリには言ってませんが少し。そしてマリもそれを望んでいましたが、私はそれに応えてあげることができませんでした」
「そうか・・・・」
 

町添さんと結局3時間ほど、色々なことを話してから、私は地下鉄の駅に向かった。突然若葉に会いたい気分になったので、銀座線に乗り、神田に出る。彼女が勤めるメイドカフェに行った。
 
「あれ?今日、チーフは?」
と見知ったメイドの瑞恵に訊く。
「今、銀座店の方に行ってるんですよ。あと30分くらいで戻ると思います」
「あ、そう。じゃ待ってようかな。ありがとう」
 
コーヒーを飲みながら、溜まっている編曲の作業をしている内に、若葉が戻ってきた。パーティールームに一緒に入る。
 
「ごめんね。勤務中に」
「ううん。この時間帯は暇だし」
「私、あの件を一度ちゃんと謝ってなかったなと思って」
「あの件って?」
 
「こないだから何人かと話してて、私と政子が曲を提供してそれがきっかけでブレイクした歌手たちって、私と政子の子供みたいなもんだって言われて」
 
「富士宮ノエルとか、小野寺イルザとか?」
「そうそう」
「鈴鹿美里も凄い話題になってるね」
「最初から男だってのをカムアウトしたからね」
「あれ、どちらが男の子なの?」
「どちらだと思う?」
「ネットでは美里が男という説が7割。顔立ちが美里の方が男の子っぽいんだよね」
「若葉の見立てでは?」
「鈴鹿」
「正解」
「ああ、私もだいぶクロスロードのメンツと接して鍛えられたからなあ」
「ふふふ」
 
「で、何を謝るの?」
「高校1年の時に若葉に協力してもらって精子を保存したでしょ」
「うん」
「せっかくあの時協力してもらったのに、私、1年後に更新のハガキ来てた時、ちょうどローズ+リリーで無茶苦茶忙しくてさ、更新できなかったんだよ。若葉には私の婚約者の振りまでしてもらったのに、申し訳なくて」
「ああ」
 
「ごめんね。折角色々してもらったのに。結局私は自分の遺伝子を残せなくなっちゃった」
と私は謝る。すると若葉はこう言った。
 
「私が更新してるよ」と。
 
「へ?」
「あの時さ、病院から冬の方に連絡したけど、更新するともしないとも返事がないのだがという照会が私の方にあったのよ」
「えー!?」
「だって、私と冬の間の子供を作るための精子だからね。あれは私と冬の共同所有物」
と言って若葉は微笑む。
 
「だから私が更新したよ」
「・・・・」
「そして、彼は忙しいので以降の連絡は私の方にくださいと言って、その後ずっと毎年私が更新してるよ」
「じゃ。。。。私の精子って、まだあるの?」
「あるよ。ちゃんと4本とも。ちなみに半分にして解凍できる容器に入れられてるから、人工授精は8回までトライできるから」
 
「そうか・・・・あったのか・・」
私は全身の力が抜けるような感覚に襲われた。
 
「私、26-27歳くらいになったら、あの精子使って子供産んじゃおうかなあ。セックスせずに産めるって便利」
「ちょっと待って」
 
「冬に協力してもらったけど私の男性恐怖症も治らないみたいだし。結局私って女の子としか恋愛できないんだよね。一度合コンで会った男の子とデートしてホテルに行ったけど、彼の大きくなったおちんちん見て逃げ出しちゃった。冬のは見たり触ったりしても平気だったのに。やはり私の意識として冬は女の子と思ってたから平気だったのかも。いっそレズ婚したい気分」
「ああ」
 
「あ、そうだ。更新料、私が立て替えてたから、その分頂戴」
「あ、ごめんね。いくらだっけ?」
「5回更新してるから10万」
「ありがとう。すぐ振り込むね。あとの更新はこちらでやるよ」
「ううん。私がやった方が良さそう。だって、冬ってまた忘れそうだもん」
 
「そうだね。。。じゃ、若葉に頼もうかな」
「取り敢えず今年の分までもらっておこうかな」
「了解。12万振り込むね。いつもの口座でいいよね?」
 
私は携帯を操作した。心の中に新しい泉が湧き出して来た感覚だった。
 
 
 
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【夏の日の想い出・3年生の新年】(3)