【夏の日の想い出・3年生の新年】(2)

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ローズクォーツの音源制作が予定より2日余分に掛かってしまったので、本来6日から始める予定だった、次のローズ+リリーの方のシングルの音源制作は10日・日曜日から始めることにして、8日金曜日と9日土曜日はお休みにした。
 
学校は春休みである。8日。私と政子はいつものヴァイオリンとフルートを持ち朝から東北新幹線に乗った。
 
一ノ関駅で降りて改札を出た時、私たちは少し先に見知った感じの女子中学生を見た。
「青葉〜!」
と私は声を掛ける。向こうはびっくりしたような顔をして振り向いたものの、すぐに笑顔になってこちらにやってくる。
 
「お仕事?」
とお互いに言って笑顔になる。
 
「私たちはプライベートな旅行。これからレンタカーを借りて陸前高田まで」
「私はちょっと緊急に大船渡まで。良かったら、陸前高田まで乗せてくれません?タクシーで行こうかと思ってた」
 
「タクシーで大船渡まで行ったら2〜3万掛かるんじゃない? 私たちは自由スケジュールだから、大船渡まで乗せてってあげるよ」
「すみません。助かります!」
 
そういう訳で、私たちは一ノ関駅前で予約していたアクアを借り、青葉を後部座席に乗せて、気仙沼・陸前高田経由で大船渡まで行った。
 
「もう高校は内定出たんだっけ?」
 
青葉は進学予定の高校から既に内々定を受けているのだが、受験勉強で頑張っている同級生に悪いので、通常の内定者発表までは、あまり派手に動き回らず、霊能者のお仕事もしばらく休業と言っていたはずである。
 
「いえ、来月なんですけどね。今回は緊急で」
「何があったの? って聞いていいんだっけ?」
 
「大丈夫です。大船渡の神殿というか佐竹さんちの結界を作っている勾玉をですね、野犬が掘り返しちゃって」
「はあ?」
 
「野犬は即死だったようです。慶子さん、こわがって近寄れないというか、家の外にも出られない状態みたいなので、処理してきます」
「結界って、野犬には無力なの?」
「そうですね。霊に対する防御だから、実体のある生き物には無力です」
「難しいものね」
 
「冬さんと政子さんは、お仕事じゃなかったんですか?」
「ゲリラライブなのよ」
「へ?」
 
私たちは震災後の5月から毎月、東北のどこかで私たちが路上ゲリラライブをしてきたことを青葉に説明した。
 
「いいことだと思いますよ。それを聞いて、自分たちを応援している人たちがいるんだということを感じられるだけでも力づけられると思います」
 

やがて、大船渡に着く。青葉は佐竹家からかなり離れた場所に車を駐めるよう頼んだ。まるで爆弾処理だ!
 
青葉は車内で着替えていた巫女衣装で車から降り、そちらへ歩いて行く。そして15分ほどで戻って来た。
 
「終わりました」
「お疲れ様」
「処理ってどうやるの?」
「埋め直して結界を再起動しただけです。犬の死体の処理は『女だから怖くてできません』と役場に泣きついてみましょうと言っておきました」
「まあアラフィフの女性に泣きつかれたら、誰か何とかしてくれるかもね」
 
「しかし触っただけで野犬が即死するようなものを青葉は触れるんだ?」
「触れる人はごく少数です」
「うーん。私たちは触らぬ神に祟り無しだな」
「それがいいです」
と青葉はにこやかに言う。
 
「ねえ、冬。せっかくここまで来たし、今日のゲリラライブは、大船渡・陸前高田・気仙沼の三連チャンにしない?」
「ああ。いいね。青葉も一緒に歌う?」
「あ、はい!」
 
そこで私たちは近くの公園に移動し、ヴァイオリンとフルートを取り出して突発ライブを始めた。最初の曲は「G線上のアリア」だ。青葉は最初ラララで歌い始めたが、そのうち、勝手に歌詞を付けながら歌う。公園を通り抜けようとしていた人が1人、2人と足を留め、聴いてくれる。
 
ここで私が歌いたくなったので、私はフルートを青葉に押しつけると、気仙甚句を歌い始める。「大漁唄い込み」の「遠島甚句」の親戚のような歌である。政子のヴァイオリンが合わせてくれる。いきなりフルートを押しつけられて青葉は どうしよう? みたいな顔をしていたが、気を取り直して吹き始める。なーんだ!吹けるんじゃん!
 
私が何種類かの歌詞で甚句を唄ったところで、突然政子が私にヴァイオリンを押しつけてきた。そして『地球星歌』を歌い出した。私は一瞬ぎゃっと思ったものの、押しつけられたら仕方無いのでヴァイオリンを弾き始めた。
 
それが終わった所で、青葉がフルートを政子に渡して『Shine』(家入レオ)を歌い出す。フルートを渡された政子は、困ったような顔をして、フルートをバトンのようにくるくる回し始めた!
 
その後、私がヴァイオリンを青葉に押しつけて『北上夜曲』を歌い始める。ヴァイオリンを手にした青葉は困ったようだが、政子のフルートと交換する!そして青葉がフルート、政子がヴァイオリンを弾いた。
 
続けて、政子の歌で『神様お願い』、私がヴァイオリン・青葉がフルート。最後に青葉が『夢をあきらめないで』を歌う。青葉がフルートを政子に押しつけたので、私が政子と楽器を交換し、私のフルート、政子のヴァイオリンでの演奏となった。
 
最後は30人くらいの人が集まっており、中には青葉の知り合いもいたようで演奏が終わったところで青葉とハグしていた。それから私たちは引き上げた。
 
この日はこんな感じで、その後、陸前高田の郵便局前、それから気仙沼の駅前で私たちは演奏した。曲目は、陸前高田ではパッヘルベルのカノンから始まってフライングゲット・帰れソレントへ・レーザービーム・地球星歌・おもいで書店・神様お願いと続けた。
 
結局フルートは私と青葉が吹けて、ヴァイオリンは政子と私が弾けるということから、
 
私が歌う時は、政子がヴァイオリンで青葉がフルート。(Fl:私→青葉)
政子が歌う時は、私がヴァイオリンで青葉がフルート。(Vn:政子→私)
青葉が歌う時は、政子がヴァイオリンで私がフルート。(Fl:青葉→私,Vn:私→政子)
 
という組み合わせで丸く収まることに気付き、陸前高田・気仙沼ではそういう組合せで順に歌を回しながら演奏した。
 
最後に気仙沼では、主よ人の望みの喜びよから始まり、空も飛べるはず・気仙甚句・春になったら(miwa)・荒城の月・Everydayカチューシャ、そして最後は神様お願いを歌った。
 
私たちは一ノ関に戻り、レンタカーを帰して3人で新幹線に乗る。もうすっかり遅くなったので、うちに泊まるよう言った。
 
「そうだね〜。週末だし、そうさせてもらおうかな」
「彼氏を千葉から呼んで、ふたりで一緒に寝てもいいよ」
「えー!? そんなの・・・・」
と言って彼にメールしている。行く!という返事があったようであった。
 

「そうそう。唯香ちゃんのヒーリングありがとね」
と私は言った。
「いえ、お安いご用です」
「だいぶ楽になったと言ってた。青葉自身は性転換手術の跡、もう痛まない?」
「全然痛みません。傷は完全に治りました」
「すごいね。7月に手術してまだ半年ちょっとなのに。普通ならまだ痛みと戦ってる人も多いよ」
「私、普通じゃないから」
「私も青葉にヒーリングしてもらってから画期的に痛みが取れたもんね」
「去年1年冬がフル稼働できたのは、何と言っても青葉のお陰だよね」
 
「そういえば、青葉、女の身体になってからオナニーした?」
と唐突に政子は訊く。
「えっと・・・・してますけど」
と青葉は笑って答える。
 
「ちょっと、何セクハラ発言してんの?」
と私は注意する。
 
「いや、男の子のオナニーと女の子のオナニーとどちらが気持ち良かったんだろう、と純粋な好奇心」と政子。
「私、男の子だった頃にオナニーしたことないから分からないです。むしろ、それは冬さんに訊いて下さい」と青葉。
 
「冬は男の子だった頃のオナニーは何かに無理矢理させられている気がした。した後の罪悪感がハンパ無かったというのよね」
「ああ、分かります」
「女の子になってからのオナニーは純粋に気持ちがいいって」
「なるほどですね。私も女の子になってからのオナニーは気持ちいいです。今まで知らなかった感覚です」
 
「道治にも訊いてみたんだけどね。男の子のオナニーって気持ちいいかって」
「はい」
「気持ちいい。セックスかオナニーか選べと言われたらオナニーだなんて言ってた」
「ああ、男の子はそうかも知れないですね」
 
「罪悪感とか感じることない?と訊いてみたけど、何それ?って言われた」
「ああ」
「何かの間違いで性転換手術受けちゃって、女の子になっちゃったら、女の子のオナニーで我慢できるかって訊いたら、きっと我慢できなくて悲しくて仕方がないと思うと」
「まあ、普通の男の人は、私たちがおちんちんを無くしたいと思う感覚が理解できないでしょうね」
 
「冬はおちんちん取りたいってずっと言ってたね」
「私や青葉みたいなのは、生まれつきだと思うよ」
「やはり元が違うのか・・・・」
「ある時女に目覚めたとか言ってる人もたいてい嘘だよ。それまで隠していただけだよ」と青葉。
 
「なるほどね。冬も高2の時まで隠してたのね」
「そうそう」と私。
「でも、なんか高2以前にもかなり女の子してるよね」
「うーん。どうだろうね」
 
「そのあたりをホントに吐かないからなあ」と政子が言うと
「きっと政子さんの想像通りだと思いますよ」と青葉。
「なるほど。想像通りなのか・・・・」と政子は私を見つめて言った。
 
「あ、違う」と青葉。
「ん?」
「多分、政子さんの想像以上です」
と青葉は言って笑っていた。
 
私も笑ったが、政子は「うむむむ」と言って悩んでいるようだった。
 

東京駅の新幹線改札のところで、青葉の彼氏、彪志は待っていた。
 
4人で一緒に中央線に行く。
「あれ? 新宿区のマンションじゃないんですか?」
「うん。政子の実家に行く」
「へー」
 
政子の家の最寄り駅で降りて、タクシーで家まで行った。
「こちら初めて来ました」と青葉。
「よほどの親友しかこちらには呼ばないからね」
「向こうは仕事場、こちらはおうちって感じね」
「へー」
「私たちの住民票はこちらにあるんだけどね」
「へー!」
 
「でも政子の両親が5年ぶりに帰国するから、今大掃除の真っ最中なのよ」
「わあ! それは良かったですね」
「良くなーい。掃除大変」
 
居間でみんなを休ませ、私は食事を作った。青葉が手伝ってくれる。やがて巨大な鍋に大量のスパゲティ・ミートソースが出来上がり、ふたりで食卓に持って行った。
 
「なんか下宿屋さんの食卓ですね」
「まあ似たようなもんね」
「私、子供7〜8人作ろうかなあ」
「そんなに作ったら、私はもう食堂のおばちゃんだな」
「子供8人いたら、御飯はどのくらい炊かないといけないんでしょうね」
「まあ、政子みたいなのが混じってなかったら、1升で済むだろうけどね。政子の分を除いて」
「唐揚げは政子の食べる分まで入れて5kgくらいかなあ」
 
「でも8人も子供産むの大変ですね。24歳から1年おきに産んでも最後の子が38歳の時」と青葉。
「その間、ローズ+リリーの活動も1年おきくらいになるかな」と私。
「事務所の社長さんが頭を抱えそう」
「大丈夫。冬に半分産んでもらうから」と政子。
「産めないよぉ」と私。
「受精卵をお腹の中に移植しちゃえば何とかなるんじゃない?」
と政子。
 
「それで妊娠維持できるのは、多分青葉くらいだよ」
と私は言ったが、青葉は一瞬考え込むような表情をした。
 
「しかしお掃除大変ですか」
と気を取り直したように青葉が訊く。
 
「うん。親に見られたら呆れられそうなものはだいたい発掘し終わったと思う」
「後は行方不明になってる譜面を発掘しなきゃね」
「譜面が行方不明になってるんですか?」
 
「うん。何枚か行方の分からないのがあって、その大半がこちらの家にあるんじゃないかとは思っているんだけどね」
「特に私と冬が最初に作った作品は何とか見つけたいんだけどね」
 
「探すの手伝いましょうか?」
「ん?」
 

青葉は私たちの手書きの譜面がないかというので、最近書いたものを1つ渡した。「ありがとうございます」と言って返してくれる。
 
それでまだ物が散乱している部屋に行く。
 
「あ、ここにひとつある」
と言って、地図が並んでいる棚から1枚、薄い譜面を取り出す。地図と地図の間にはさまっていた。
「わっ。これもこちらにあったのか!」
 
「それからこれ」
と言って旅先でもらったパンフレット類を積み重ねているところから1枚引き出した。
「すごっ。これは絶対見つけきれなかった」
 
「あと・・・ここもかな?」
と言って、青葉は処分しようと思ってベランダに積み重ねていた雑誌の束の中から1枚の譜面を取り出した。
 
「うっそー!! これがいちばん欲しかった譜面」
「あぶなーい。これは完璧に捨てるところだった」
「よかったですね。ちょっと反応が弱かったからどうかなと思ったのですが」
 
「これが、私と政子が最初に作った作品なんだよ」
「へー!」
「古いから反応が弱かったのかな?」
「多分。おふたりの気の付着具合が弱かったんです」
 
「青葉が今日来てくれてなかったら、これ捨ててしまって永久に見つからないところだった」
 
「良かったですね」
と青葉は笑顔で言った。
 
その後青葉は更に4枚の譜面を発見してくれた。
 
「料金は1枚10万円でいいです」
「ぶっ」
「捜し物も料金取るの?」
「捜し物は本職みたいなものです」
「ああ、そういえばそうだった」
 
「お金持ちからはたくさん取る主義ですから」
「了解。振り込んでおくね」
「よろしく」
 
こうして私と政子の最初の作品『あの夏の日』(高1の夏にキャンプで書いたもの)は発見されたのであった。
 
しかし野犬が結界を破ったりしなかったら・・・そして私たちが偶然青葉に遭遇していなかったら・・・一緒にゲリラライブなどやって遅くなっていなかったら・・・それで、うちに泊まりなよと言ってなかったら・・・・青葉の彼氏が千葉にいて、ついでにデートしようという気分になってなかったら・・・そして青葉が探しましょうかと言ってくれなかったら・・・
 
物凄い偶然の重なりであった。
 

ということを青葉に言ったら「そんなの思考の罠」と言って笑う。
 
そしてテーブルの上にあるキャンディポットからチロルチョコを1個取って食べる。
 
「今、私が《生チョコいちご》を食べた確率だって、物凄いレアな確率ですよ。もしチロルチョコを買ってきてなかったら。もしその買ってきた中に《生チョコいちご》が入ってなかったら。私がここに来た確率はさっき冬さんが言った通り。そして私が冬さんから確率の話を聞いてなかったら。もしキャンディポットを開ける気になってなかったら。そしてたまたま《生チョコいちご》を取ってなかったら・・・・」
 
「うーん。。。言われてみれば確かにそうだ」
 
「この楽譜だって、隣んちの猫がベランダの荷物をがさがさと悪戯して、冬さんとこに持って来て落としたかも知れないよ。それだって、私が見つけたのと同程度の確率で起きたかも」
 
「うーん。。。」
 
「ひとつひとつの確率は小さくても、何かはいつも起きてるんですよ。確率ってけっこう思考の上の産物ですよね。素粒子の世界に行くとボース粒子なんてのもある。私たちがふつう考えてる確率ってフェルミ粒子の動きだから、ボース粒子の動きって、確率の仕組みそのものが違いますよね」
と青葉が言うと
 
「ボース粒子の動きを小学生がもしレポートに書いたら、きっと多くの先生は考え方が間違ってると言って×を付けるでしょうね。ふつうの確率を考える時の初歩的な間違いと同じだから」
と彪志が言う。
 
「確かにね。もしかしたら、確率を考える時にもともとフェルミ的な考え方もボース的な考え方もあったのが、フェルミ的な確率で起きるものがマクロの世界では多いからそちらだけが正しいとされたのかもね。ボース的な考え方も自然な考え方なんだろうに。フェルミ的確率だけを正しいとするのは井の中の蛙的な偏見なのかも」と私は言ってみる。
 
「マクロの世界では同じ場所に2つの物が同時に存在できませんからね」
と彪志。
 
「でも『偶然の確率』とか『奇跡』みたいなこと考える時って、わりとボースっぽい思考にハマってますよね。実際には思ったのより確率は高いと思う」
と青葉。
 

そんな話を聞き私が頷いていると、政子が何かを考えるような表情になる。
 
青葉がさっと近くにあったFAXのトレイから1枚紙を取って政子に渡す。
「メルシ」
と言って、政子は詩を書き始めた。私たちはそっとそれを見守る。私はみんなにコーヒーを入れ、ファンからの頂き物の「長崎物語」を出してきて開けた。政子はそれを摘まみながらボールペンを走らせる。
 
15分ほどで政子は詩を書き上げたが、ひとこと言う。
 
「ところで、ファミマ的とか、パオズ的って、どんなの? 私、塩豚カルビ饅食べたい」
 
「はいはい。買ってくるよ」
と言って私が席を立とうとしたら、青葉が
 
「あ、私が買ってきますよ。冬さん、曲をこれから付けるんでしょ? ここに来る時に角にあったファミマですよね?」
と言って席を立つ。さすがよく観察している。
 
「あ、じゃお願い」と私。
「何個くらい?」と青葉が訊くと
「私5個食べる」と政子は言う。
 
私は笑って青葉に4000円渡して
「中華まん15個と、あと適当におやつや飲み物買ってきて」
と言った。
「あ、じゃ俺も一緒に行きます」と彪志。
「彪志さんも一緒に行くなら、ビールとかも買っていいよ」
「あ、じゃ、そうします!」
 

ところでこの2月8日、ローズ+リリーの5月5日・仙台公演チケットの申込が開始になった。このチケットは2月8日から17日までの間に申し込んでもらい、抽選になる。なお転売防止のため入場には予約の時に登録した携帯電話・スマホもしくは写真付き身分証明書が必要となっている。
 
一般発売するチケットは6000枚だが、8日だけで申し込みが2万枚分来た。その数字を氷川さんから聞いて、私は思わずキャーと叫んでしまった。
 

翌日9日、私と政子に青葉の3人で朝から花村唯香の実家を訪問した。唯香が先月末に富山の病院で性転換手術を受け、昨日退院して東京に戻ってきていたので、そのお見舞いに行ったのである。唯香はふだんは中野区のアパートに住んでいるのだが、体力が回復するまでしばらく実家暮らしということだった。(なお彪志は「男の人は遠慮して。女装するなら連れていくけど」と言われて、女装を遠慮してひとりで新宿の町で待機になった)
 
「いろいろお世話になっております」
とお母さんが恐縮したように言う。
「特に青葉さんにヒーリングして頂いたので、凄く楽になったみたいで」
 
青葉は唯香の手術直後に病院に行ってヒーリングをしてあげたのである。
 
「私も病院までお見舞いに行きたかったけど、音源制作の真っ最中で時間が取れなかったのよ。ごめんね」
と私は言うが、唯香は
「とんでもないです。お忙しいのに、今日も来て頂いて済みません」
と答える。
 
「でもかなり顔色がいいね」
「青葉さんのお陰です」
 
青葉はまた唯香に横になるように行って、手術跡のヒーリングをしてあげている。
 
「でもこれ他人には言わないことが条件なんですね」と唯香。
「そうそう。希望者が殺到したら、私パンクしちゃうから」と青葉。
「特に今受験の最中だからね。でもそろそろ内定通知だよね?」
「ええ。今度の水曜に通知が来る予定です。それまでは表向きは私は休養中で」
 
「でも、私みたいな無茶言う人に頼まれてこうして仕事してる」と私。「だから特に内緒で」と青葉は笑う。
「まあ冬さんたちが高3の頃の『ローズ+リリーの活動休止中』みたいなものです」
 
「・・・青葉・・・何知ってるの?」
「だから私は何も言いませんよ」と言って青葉は笑っている。
 
「でも、手術受けた感想は?唯香ちゃん」
「夢みたいです。凄い感動。傷が治ったらビキニの水着を着たり、女湯に入ったりしてみたい」
「今までだってしてるじゃん!」
 

「ところで《タッチ・サービス》された?」
「されました」と言って、唯香が笑っている。
 
「何?タッチサービスって」と政子。
「手術して取っちゃう前のおちんちんを『立っち』させてくれるサービス」
「何それ?」
「廃止になる前の列車に乗ってくるみたいなことね」
「葬式鉄?」
「おちんちんの葬式だよね」
「なるほどー」
 
「で、唯香ちゃん立ったの?」
「立っちゃいました。びっくりした。小学6年生の時以来1度も立ったことなかったから、立つ機能は消失してると思ってたのに。だいたい玉も無いのに」
「あの人、立たせる神経を直接刺激するから。手術直前にあれやって立たなかったのは、今まで150人ほどの手術をして、3人だけだとか言ってたね」
 
「その内の1人が私だけどね」と青葉。
 
「もう機能が無くなってるおちんちんを切り落とすより、まだ使えるおちんちんを切り落とす方が楽しいとか言ってたから、私のは楽しくなかったかも」
 
「青葉の手術は別の意味で凄く楽しかったみたいだけどね」
 
「あの先生、立たせてみせてから『男のままでいたいと思ったりしない?』
なんて訊くんですよね。悪趣味〜!」
「それで躊躇したりしたらどうするんだろう?」
 
「有無を言わさず麻酔打って手術室に運び込むって言ってた」
「ひっどーい!」
「やめてやめて、と泣いた子もいたらしい」
「きゃー」
「やめてやめて、なんて言われたら、それを無理矢理手術して女の子に変えちゃうのがとっても楽しくなるとか」
「ほんとに危ない先生だ」
 
「でも、そんなこと言ってた子もみんな手術が終わったら感謝してたらしいから」
「それその内、訴訟起こされそう!」
 
「冬のおちんちんも、その先生の手にかかれば立ったのかな?手術しちゃう直前くらい」
「立ったかもね」
「悔しいなあ。私どう頑張っても立たせることできなかった」と政子。
 
「冬さんは、いつ頃から立たなくなってたの?日常的には」と青葉が訊く。
「青葉には嘘ついてもバレそうだなあ」
「オフレコで」
「中学3年の時が最後だよ。なぜか政子の前では立っちゃったことが何度かあるんだけど、とっても例外的なもの」
「やはりね〜」
 
それを聞いて政子は「ふーん」と言って楽しそうな顔をした。
 

唯香の見舞いを終え、彪志と合流してお茶を飲んでふたりと別れてから、私と政子は新宿で琴絵・仁恵と落ち合い、一緒に政子の家に戻った。
 
「こちらのおうちに来るのは久しぶりだなあ」
「お掃除進んでる?」
「手伝って。手が足りない」
「千葉から来て、掃除を手伝わされるのか。まあいいよ。お昼おごりでね」
「お昼はオープンサンドでも作るね」
 
茹で玉子を作り、シーチキンの缶を開ける。ロースハム・チーズをスライスし、トマトの皮を剥いてスライス、レタスをちぎり洗って水を切る。ジャムも各種冷蔵庫から出して来て、食パンもスライスする。マヨネーズ、マスタードも出してくる。トマトのスライスは仁恵、ハムとチーズのスライスは琴絵がやってくれた。
 
「勘でスライスしてるから厚さがばらつくのは御免ね〜」と私。
「いや、さすが上手にスライスするなと思って見てた」と仁恵。
「私、パンをスライスしたら上と下で厚さが違う」と琴絵。
「私だって、それだよ〜」
と言いながら私はスライスしたパンをテーブルに積み上げた。
 
「でも食パンは丸ごとで買ってくるのね」
「うん。パン焼き器で焼く時もあるんだけどね。今日は手抜きで買ってきたパンで」
「でも、政子がいれば丸ごとの食パンがすぐ無くなると」
「当然」
と言いながら政子は美味しそうに適当に具を乗っけて食べている。
 

「おふたりさん、卒業後の進路は決まった?」
と少し落ち着いてから訊く。
 
「修士まで行こうかとも思ったんだけどね〜。親はむしろお嫁にやりたい雰囲気だし、やはり就職するかと」と琴絵。
「私も迷ったんだけどね。学校の先生とかになるのでもなければ修士まで行っても就職先を減らすだけだし」と仁恵。
「じゃ、ふたりとも4年生までで就職するんだ?」
 
「会社説明会は10ヶ所くらい行ったかな」
「これは?という所あった?」
「微妙。むしろ採る気あるのかよ?という感じ、特に女子は」
「どちらかというと人を減らしたいと思ってる会社が多いからなあ。新入社員の世代ギャップが出ると辛いから、最低限の人数だけ仕方無いから採っておこうという雰囲気」
 
「なるほどね−。私就活とかすることにならなくて良かったなあ。でも大学1年の頃は、自分は背広着て就活するのか、レディススーツ着て就活するのかって悩んでたし」
「冬が背広着て性別男の履歴書出したら性別詐称だよ」
「そうだ、そうだ」
「もし売れてなくてお金が無くてまだ性転換手術受けてなかったとしても、女として就職するしかなかったと思うな」
 
「でも労働環境が悪化してるっぽいよね」
「ブラック企業大増殖中。社畜大増殖中」
「日本人って、自分が苦労してるのを自慢したがる習性があるからねぇ」
「そうそう。社畜になってることを自覚してない」
 
「あ、そうだ。町添さんからこないだ電話があって」と仁恵が言う。
「へー」
「私たちに★★レコードに入る気はないかって」
「ほほぉ」
 
仁恵と琴絵はローズ+リリーが「活動休止中」に私たちの実際の様子をずっと口コミやネットで流してくれていて、その情報はファンの間で「千葉情報」と呼ばれていた。町添さんはしばしば私たちを通さずに直接仁恵たちに連絡していたケースもあり、仁恵と琴絵の携帯の番号とアドレスは町添さんの携帯に登録されているのである。
 
「まだ詳しいことは言えないけど、新しい配信関係の子会社を作る計画があるとかで、そのスタッフを取り敢えずコネを通じて集めてるらしい。今週にでもちょっと行ってみる」
「へー、いい仕事とかならいいね」
 

食事の後で4人で部屋の片付けをしていたら、電話が掛かってくる。★★レコードのアイドル系歌手の担当、北川さんだ。
 
「はい・・・・はい・・・夕方までにですか!? ええ。用意できますよ。その子のプロフィールとかあったらファックスで送って下さい。あと声域を教えて下さい。」
 
電話を切ると訊かれる。
「お仕事?」
「うん。今日明日で録音したい新人歌手の曲が予定していた作曲家で出来てなかったということで。代わりに何か作ってくれないかって」
「そんな話よくあるの?」
「稀に良くある」
「はぁ」
「ノエルちゃんとの関わりもそんなだったね」
「あれは作曲家が突然失踪したからね」
 
「1曲は上島先生に、1曲は私たちにって依頼らしい」
「それは・・・多分、上島先生も張り切るんじゃない?」
「間違いなく」
「じゃ、こちらも頑張ろうよ」
「頑張っていい曲ができるものでもないけどね」
 
私は居間に行って北川さんから送られてきたFAXを見てみた。また本人が歌った歌のmp3がメールで送られてきていたので、政子も呼んできて一緒に聴く。琴絵と仁恵も一緒に付いてくる。
 
「お茶入れよう」
「そうだね。部屋の片付けはいったん休憩だね」
 
ということで頂き物のダージリンの紅茶を入れ、午前中唯香からもらった富山のバウムクーヘンを切り分けた。
 
「なんで写真が2回送られて来てるの?」
「さあ。送信ミスしたかもと思って送り直したんじゃない?」
 
「でもうまいね」
と仁恵が言うと政子が
「うん。パウムクーヘン美味しい」
と言うが、仁恵は
「いや、お菓子も美味しいけど、この子歌が上手だよ」
と言う。
 
「若いね。中学生?」
と琴絵。音楽音痴の琴絵にもそのくらいは分かる感じだ。
 
「14歳だって」
「へー。14歳でこれだけ歌えたらプロになれるよ」
「うん。それでメジャーデビューという話なんだけどね」
 
「なんか、この子声域凄くない?」と仁恵
「声域はG3からA5,D4からE6って書いてある。アルトボイスとソプラノボイスが出せて、合わせてG3からE6まで3オクターブ弱出るってことかな」
「すっごー」
 
「私、普通の歌手だろうと思って気軽にOK出しちゃったけど、この子にはこの声域を活かした曲を歌わせたいな」
「ケンタッキーで手を打つよ」と政子。
「了解。買ってくるよ」と私は言ったが
「あ、私が買ってくるよ。お仕事してて」
と琴絵が言うので頼むことにした。
 
「車こっちに持って来てるんだっけ?」
「うん、ガレージに入ってる」と言って鍵を渡す。
 
「何本?」
「うーん。。。念のため20本」
と言って私は琴絵に1万円札を渡した。
 

琴絵が車でケンタッキーに買物に行っている間に私は曲を書き始める。
 
その時私の頭の中に浮かんでいたのは昨日、大船渡・陸前高田・気仙沼を訪れた時の風景だ。震災の傷跡は深いものの、人々の活力はそれ以上に高い。私はあの地の人たちからエネルギーをもらうかのような気持ちで五線紙に青いボディのボールペンを走らせた。
 
「春、憧れ?」
 
私が書いたタイトルを仁恵が発音する。
 
「時々不思議に思うけど、なぜボールペンを使うの? シャーペンの方が訂正しやすいと思うのに」
「それは安易に訂正できないようにだよ。気軽に訂正できるような不確かな気持ちで書いた曲は使えない」
「ああ、そういうものか」
 
政子が《赤い旋風》のボールペンを取り出して黄色いレターパッドに詩を書き始めた。へーっという顔で仁恵はそちらも見ている。
 
やがて琴絵が戻って来るが、私も政子も執筆中なのを見て、静かにテーブルの上に皿を出して来てチキン、ビスケット、ポテトなどを並べる。
 
私が無言で手を合わせて「いただきます」のポーズをすると、みんな食べ始める。政子も右手で詩を書きながら左手でチキンを食べる。私はポテトを少々摘まみながら、コーヒーを飲んで曲を書き続けた。
 
やがて私は曲を書き上げてチキンを食べ始める。それから15分ほどして政子はボールペンを置いた。
 
「じゃ、合わせてみようか」
「うん」
 
私は政子の書いた詩を見ながらソプラノボイスとアルトボイスの両方を使ってその歌を歌った。
 
「何か元気づけられる歌だね」
「昨日岩手・宮城に行ってきたから、その時のこと思い出しながら書いたから」
と政子が言う。
「うん。私もそれを思い出しながら曲を書いた」
 
「へー、言葉に出さなくてもそういうのが伝わってたんだ」
「冬が書いてる譜面を見て、これは昨日のだと思ったから」
「政子、譜面読めるようになったんだっけ?」
「ほとんど読めない。でも雰囲気は分かる」
「すごいね」
 
「ちょっと待って。政子は譜面も読めないのに、冬が書く曲にピタリと合う詩を書けちゃうわけ?」
「うーん。。。。それはいつものことだよね」と私。
「うん」と政子も笑顔で答える。
 
「あんたたちの関係がまたひとつ分かった気がする」と琴絵。
「うん。私も−」と仁恵。
 

先に譜面とMP3データを送って、それから結局その日は部屋の片付けは中断したまま4人で夕方までおしゃべりをして、17時頃、レコーディングが行われる青山のスタジオに4人で一緒に行った。
 
「あれ?ローズ+リリーの録音、今日からでしたっけ?」
と顔なじみになっているスタジオの受付の人に訊かれる。
 
「いえ。そちらは明日からです。今日は鈴鹿美里ちゃんの録音に立ち会いです」
「ああ、そちらでしたか。麒麟に入っているはずですからどうぞ」
 
このスタジオの各部屋には霊獣や動物(特に鳥)などの名前が漢字で付いている。★★レコードの初代社長の好みらしいが、若いアイドル歌手などにはその漢字が読めずに立ち往生している子が時々いる!
 
部屋の名前は、8階が青龍(せいりゅう)と玄武(げんぶ)、7階が白虎(びゃっこ)と朱雀(すざく)、6階が麒麟(きりん)と鳳凰(ほうおう)、5階が若鷹(わかたか)と孔雀(くじゃく)と紅鶴(べにづる:フラミンゴのこと)、4階が雷鳥(らいちょう)・小鳩(こばと)・雲雀(ひばり)・郭公(かっこう)である。
 
朱雀(すざく)・孔雀(くじゃく)・雲雀(ひばり)の間違いはけっこう多発する。慣れてない若い歌手などが「何か鳥の名前言われたんですけど」などと言って受付の所で調べてもらっていたりすることも多い。受付の人は口頭で伝えてもまた迷子になるので、部屋の階数と名前を印刷したシールを入館証に貼ってあげる。
 
上の階ほどグレードが高いが、7〜8階はある程度の実績のある歌手にしか貸さないので、普通は6階が最高である。デビュー曲の録音でいきなり6階の麒麟を使うということは、かなり期待されているのだろう。
 
なお2〜3階は練習用スタジオで植物の名前になっており、3階が松(まつ)・桐(きり)・杉(すぎ)・檜(ひのき)・桜(さくら)・桂(かつら)・楠(くす)・柳(やなぎ)と樹木シリーズ、2階は百合(ゆり)・菖蒲(あやめ)・牡丹(ぼたん)・雛菊(ひなぎく)・鈴蘭(すずらん)・秋桜(こすもす)・花梨(かりん)・水仙(すいせん)と花シリーズになっている。それぞれの部屋の壁にその木や花の絵が描かれている。2〜3階は★★レコードの契約アーティストなら、空いてさえいれば3時間単位で無料で使えることになっているので、都心にあって防音がしっかりしていることから、結構、演奏はせずに作詞作曲などに使っている人もいる。
 
(2階と3階の設備のグレードは同じだが男性アーティストは主として3階に、女性アーティストは主として2階に案内される)
 
ローズ+リリーは『恋座流星群』『Spell on You』を麒麟スタで録音しているが、それ以外の作品はだいたい○○プロ系のスタジオや、渋谷の独立系のスタジオで録音していた。しかしマリ&ケイで楽曲を提供している歌手の録音はこの★★スタジオの5〜6階で録音することが多かった。富士宮ノエルや坂井真紅は6階の常連で、ふたりとも鳳凰スタが好みである。この部屋に描かれている鳳凰の絵がとっても可愛いので女性アーティストには好評だ。花村唯香は5階の常連だったが『灼熱の嵐』のヒットでレベルアップし、先日の『ラブ・レールガン』の収録は6階の麒麟スタで行った。
 
そしてローズ+リリーの明日からの録音は8階の青龍スタを使うことになっている。最上級のスタジオなので、料金も高い!
 

そういう訳で、私と政子、それに「付き人」と称して付いてきた琴絵・仁恵の4人はエレベータで6階にあがり、麒麟スタジオに入った。上島先生が既に来ておられたので、私と政子は挨拶する。
 
「鈴鹿美里ちゃんは?」
「今トイレに行ってるんですよ。すぐ戻って来ますから」と北川さん。
 
そして、その言葉が終わる間もなく、ドアを開けて女の子が《2人》入ってきた。
 
こちらを認めて「おはようございます、鈴鹿美里です」と声を合わせて挨拶する。
 
私と政子はポカーンとして、それから北川さんの方を見る。
 
「左側の黄色いセーターを着てるのがお姉さんの鈴鹿ちゃん、右側のピンクのセーターを着ているのが妹の美里ちゃんです」
と北川さん。
 
「ふたりだったの!?」
「双子!?」
「はい、そうです」と鈴鹿(すずか)・美里(みさと)。
 
背丈も同じで髪型も同じなので、服を交換されたらどちらがどちらか分からなくなりそうだ。でも顔は似てはいるものの微妙に顔つきが違う。姉の鈴鹿の方が少し優しい雰囲気で、妹の美里はきりっとした感じである。
 
「鈴鹿が苗字で、美里が名前かと思っちゃった!」
「あ、よくそれ誤解されます」と鈴鹿。
「美里鈴鹿って並べても誤解されるよね」と美里。
「確かに、鈴鹿にしても美里にしても苗字にも名前にもなるもんね」
 
「写真がなんで2枚送られて来たんだろうと思ったけど、2人だったからなんですね!」
「ええ、そうです。ごめんなさい、私言い忘れたかしら」と北川さん。
 
「プロフィールも同じだったけど」と政子。
「同じ日に生まれて、同じ幼稚園、同じ小学校・中学校に通って、歌謡コンテストもふたりで一緒に歌って入賞したので」と鈴鹿。
「小学校のコーラス部とかも一緒に入ってたし、★★レコードさんから紹介してもらった歌のレッスン教室にも一緒に通ってたし」と美里。
 
「あ・・・声域がG3-A5,D4-E6って書いてあったけど」
「私がソプラノでD4-E6で」と美里。
「私がアルトでG3-A5です」と鈴鹿。
 
「ごめーん! G3-E6出る3オクターブの歌手だと思って曲を書いちゃった。すぐ2人用に修正するね!」
と私は慌てて言う。
 
「あはは、ケイちゃんも? 僕もそれ勘違いしてて、今楽曲を修正している所」
と上島先生。
 
「済みません。本当に私の説明が悪かったみたいで」
と北川さんが本当に申し訳無さそうにしている。
 
「ふたりって顔も似てるし声質も似てるね。それで歌を聴いても気付かなかった。でも・・・二卵性双生児だよね?」と私は尋ねる。
 
「ええ、そうです」と鈴鹿。
「二卵性双生児でも、母のお腹の中で結構遺伝子が混じることあるらしいからそのせいかもです」と美里。
 
「私がこんなんになっちゃったのも、そのせいかも知れないし」と鈴鹿。
「こんなんって?」
 
「あ、済みません。私、戸籍上は男なので」
と鈴鹿は言った。
 
「えーーーーーー!?」
と私、政子、琴絵、仁恵は同時に驚きの声をあげた。
 
「あはは、僕もそれさっき驚いた所」
と言って上島先生は笑っていた。
 

私と上島先生が楽曲の修正をする間、雑談タイム。そして鈴鹿美里への質問タイムとなった。
 
姉(戸籍上は兄)の鈴鹿は物心付いた頃から女の子の服しか着なかったらしい。最初は母親も、鈴鹿には男の子の服、美里には女の子の服を着せようとしていたものの、結局鈴鹿がサイズが同じ美里の服を着て、いつも姉妹のようにしているので、早々に諦めてしまい、鈴鹿にも女の子の服しか買ってこないようになったらしい。それで鈴鹿は幼稚園でも小学校でも女の子の服を着ていて、現在中学校でも女子の制服を着て、美里と一緒に通学しているとのことだった。
 
「下着は別々ですけど、上の服は結構共用してるよね」
「中学の制服とか、うっかり間違って逆に着てることもあるし」
 
「トイレとか更衣室とかどうしてんの?」
「私トイレは女子トイレにしか入ったことないです」と鈴鹿。
「更衣室は一応ひとりだけ別室で着替えてますけど」
 
「でもけっこう女子更衣室に拉致されてって、そこで着替えてるよね」
「うん。毎年春に1度は解剖される」
「鈴鹿、けっこうそれ楽しみにしてる感じだし」
「まあ、私の下着姿は女の子にしか見えないし。さすがにパンツまでは剥がされないから」
「でも小学校の修学旅行でも拉致されてって女湯に入ってたよね」
「絶対見られるもんかって必死で隠し通したけどね」
 
「へー、凄いね」と政子。
「ケイも小学校の修学旅行で女湯に入ったらしいけど、どうやって入ったのか吐かないんだよね」
 
「あはは。まあいいじゃん。鈴鹿ちゃん、女性ホルモン飲んでるの?」
「今は飲んでます。でもそもそも私の睾丸って最初から機能してなかった感じ」
「ああ」
「私、物心付いて以降、一度もおちんちん立ったことないですから」
「へー」
「おちんちん凄く小っちゃいよね。立っておしっこできないくらい」
「立ってしたことないから分からないなあ」
 
「陰毛の中に隠れてしまってるもんね。これなら隠蔽工作しなくても女の子と思われるからそのまま女湯に入りなよって唆したりするんですけどね」
「それはさすがに無理がある」
「私だいぶ悪戯したのにやっぱり立たないし」
「ちょっとちょっと」
「そういう発言は人前でしないように」と北川さんも笑っている。
 
「それで、小学生の頃、男性ホルモンの補充をお医者さんからは薦められたんですけど、そんなの飲みたくない。むしろ女性ホルモン飲みたいって主張して。それで当時随分あれこれ検査されたり、精神科のお医者さんとか臨床心理士の人とたくさんお話もして、検査とかカウンセリングとか1年くらいやった末に性同一性障害って診断書を書いてもらって、それで女性ホルモンを処方してもらって飲むようになったんですよね」
 
「それちゃんとルートに乗ってやるのって偉いよ」
「まあ実際にはフライングしてましたけど。待ってられなかったから」
と鈴鹿。
 
「ああ、やはりたいていそうだよね」
と私は言ってしまったが
 
「やはりケイもフライングしてたのね?」
と政子に突っ込まれる。
 
「えっと、その話はちょっとそのあたりに置いとこうね」
と私は取り敢えず誤魔化しておく。
 

「でも声変わりは来ちゃったのね?」
「ええ。睾丸はほとんど機能してないみたいだから、声変わり来ないでくれると助かるのにと思ってたけど来ちゃいました」
「でも発声練習で乗り越えたんだ?」
「ええ。頑張って練習しました」
と鈴鹿は微笑むが多分かなり大変な練習をしてきたのだろう。
 
「実際には友だちとかで、鈴鹿の男声を聞いたことのある子っていないよね?」
「うん。聞いてるのは美里だけだと思う。親にも聞かせたことないもん」
「頑張ってるね」
 
「ケイは結構男の子の振りしてたから、高1の頃は男声で話してたよね」
「中学の時もだいたい男声で話してるよ」
「ほんとかなー。どうもそのあたり嘘ついてる気がするけど」
と政子はこのあたりの私の話は信じてないようである。
 
「まあ、嘘つきになるのは仕方無いだろうね。雨宮なんか、一番嘘つきなのは自分の身体だ、なんて言ってたし」
と上島先生。
 
「そうですね。でも一生嘘をつき通せば、それ本当になるんです」
と私は微笑んで言った。
 
「やっぱりケイって嘘つきなんだ!」と政子。
「マリだって結構嘘つきでしょ?」と私。
「まあ、そういうこともあるかもね」と政子は少し目をそらして答えた。
 

私と上島先生の楽曲修正が終わるとすぐに練習に入る。上島先生は録音に立ち会っていても、あまり意見を言わないタイプである。それは AYA の録音に何度か参加して感じていたことではあったが、鈴鹿美里についてもそうだった。私は上島先生がおられる場で自分が発言してもいいのかな?とは思ったものの、取り敢えず気になったところを何点か指摘した。上島先生は頷いておられる。それでこちらも、このあたりまで言ってもいいかなという範囲で指導をしていった。
 
ふたりの歌は14歳にしてはとても上手いのだが、それでもやはり技術的にはまだまだ未完成である。こういう段階の子にはあまり高い要求を出して悩ませるよりのびのびと歌わせた方がよいと考え、主として技術的なものを指導した。
 
2時間ほどの練習でかなり良い雰囲気になってきたが、中学生は20時までしか仕事をさせられないので今日はお開きとする。鈴鹿と美里はマネージャーさん、というよりも付き人さんという雰囲気のまだ18〜19歳くらいの雰囲気の女性に連れられて帰宅した。そしてその後、何となくそのまま、上島先生も含めて雑談モードになってしまった。
 
「若い付き人さんですね」と琴絵が言う。
「来月高校を卒業する予定の18歳です。本人も歌手志望で、歌のレッスンに通ってるんですよ」と北川さん。
「へー」
「顔を売るのとこの世界の習慣を覚えるのに誰かの付き人をするのもいいんじゃないかということで、年齢も近いからしばらくお世話してあげてと言われて付いたみたい」
 
「偉いね。鈴鹿ちゃん・美里ちゃんに敬語で話してた」と仁恵。
「この世界は年齢関係無く、先にデビューした方が先輩になるからね」
と上島先生。
「でも鈴鹿ちゃんたちも敬語で話してたね」
「やはりお姉さんって感覚だよね」
 
「あの子、ケイがふたりに指示するのを熱心に聞いてたね」と政子。
「それも自分の勉強にしてるんだろうね。そういう子はいつか芽を出すよ。今は裏方でもいいんじゃない?」
と私は言った。
 
「そういえば最近、サウザンズのマネージャーさんから聞いたんですけど、ケイちゃんってローズ+リリーでデビューする1年くらい前から、この世界で裏方してたんですね」
と北川さん。
 
「それ知ってるのは、サウザンズの人たちとKARIONの和泉だけですよ」
と私は笑って言った。
 
「へー、何してたの?」と上島先生。
「リハーサル歌手です。『歌う摩天楼』という番組の。和泉と組んでふたりでやってたんですよ」
「えー!?」と言ったのは琴絵と仁恵である。
 
「私は柊洋子、和泉は源優子って名前で。私も和泉もレパートリーが広いからリハーサル歌手は天職でした。他にレコーディングの仮歌とかもたくさん歌ってました」
 
「女の子名前だ」と仁恵。
「つまりその頃から女の子歌手だったのね?」と政子。
「私が男の子の格好で歌う訳ないじゃん」と私。
「なんか段々とケイの過去が明らかになっていくな」と政子。
 
「番組がすぐ終わっちゃったのでリハーサル歌手の方は短期間しかしてないですけど、凄い歌手の人たちの歌を間近で聴いて、物凄く勉強になりました」
「確かにそれは勉強になるだろうね」
と上島先生も頷いていた。
 

「あの番組はだいたいいつも新宿のスタジオで録っていたんですけど、1度だけサントリーホール使って、しまうららさんがパイプオルガンの伴奏で『初恋の丘』
を歌ったのとか、凄い感動しました」
 
「ああ、その回は覚えてる」と上島先生は言ってから、ふと思いついたように
「そういえば、ケイちゃん、明日から録音に入るローズ+リリーの曲の中のタイトル曲『言葉は要らない』だけど」
「はい」
 
「スコア見たらパイプオルガンの音色が指定されてたよね」
「ええ。実際にはシンセで演奏しますが」
「本物のパイプオルガンで録らない?」
「えー!?」
「そのくらい予算取れるでしょ? ローズ+リリーの方なら」
「はい、取れます」
 
「じゃ、北川さん、担当外で申し訳無いけど、どこかパイプオルガンのあるホールを確保してくれない?」
と上島先生。
「はい」
と言って北川さんは会社に電話して、手配してもらっているようであった。
 
「都内は無理みたいです」
と30分ほどしてから、会社からの連絡を受けた北川さん。
 
「日本国内どこにでも行きますよ」
と私は言う。
 
しばらくして返事があった。
「札幌のきららホールがちょうどキャンセルがあって月曜日の午前中だけなら確保できるみたいですが、どうしましょう?」
「確保しましょう」と上島先生。
 
「僕も一緒に行くよ」
 
ということで、私たちは月曜日の北海道行きが決まったのであった。
 
 
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【夏の日の想い出・3年生の新年】(2)