【夏の日の想い出・あの衝撃の日】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2012-11-04
ボクと政子は2008年8月から12月までローズ+リリーとして忙しい日々を送っていた。特に9月には突然メジャーデビューまでしてしまい、ボクたちの活動はあくまで放課後と土日祝日限定であったにも関わらず、10月には全国キャンペーンで飛び回り、11月には全国ツアーまでやってしまった。
しかしボクたちは大きな問題を抱えていた。
それぞれの親の承諾を受けていなかったことである。
ボクの場合、男の子なのに女の子の格好をして歌を歌っているということで、そんなことをバラしたら親が怒って承諾なんかしてくれる訳がないと須藤さんは考えて、ではどうするかというので悩んではみたものの、対策が思いつかず須藤さんとしても思考停止していた感じがあった。
「冬の場合、こうしてると見た目、女の子にしか見えないというのが事情を複雑にしてるよね」と政子は言った。
「これが桜坂やっくんとか、慎吾ママみたいに、女の子の格好してても見てすぐ男と分かるようであったらさ、そういうキャラだとファンからも理解されただろうし、かえってお父さんにも理解を求めやすかったかも知れないけど、冬って完璧すぎるんだもん」
「うーん・・」
「だから冬のことがバレたら、ファンも『うっそー!男だったの?』と思うだろうし、お父さんは息子に何て変態的なことさせてんだ?って怒るだろうね」
「一見して男と分かる女装なら良くて、女にしか見えない女装だとまずいの?」
「これだけパーフェクトだと、ジョークと言い逃れできないもん」
「うむむむ」
一方、政子の場合は、春にお父さんがタイに転勤になったものの、政子は難関私立大学の△△△大学に行きたいということを唐突に言いだし、受験勉強で頑張りたいから、日本に留まりたいと言って、ひとり日本に残った。それなのに歌手活動なんてしていたことが知られたら大目玉をくらって、すぐタイに来いとか言われそうということで、親には言えなかったのである。
「結局、マーサとしてはどうする?」
「道は2つだと思うんだよね。勉強を物凄く頑張って、本当に△△△大学に行けるくらいの成績にした上で、勉強も頑張ってるから歌手活動も認めて、と言う道。もうひとつは、やはり私は大学無理だし、性格的にOLとかもできそうにないし、歌手を本業にしたい、と言う道」
「どちらもそれぞれ困難がある気がする」
「そうなんだよねー。さすがに今みたいなペースで歌手活動してたら勉強までする時間が無い」
「と言いつつ、一応成績は上がってるよね」
「うん。深夜、冬と電話つないだまま勉強してるので、けっこう英語とか国語も分かってきたから」
「偉い、偉い」
ただ、ボクたちにしても須藤さんにしても、最初は2008年8月いっぱいの限定的な活動のつもりだったし(ボクなんてそもそも契約こそしていなかったものの他の芸能事務所との関わりで実は音楽活動してたし)、その後期間延長ということにはなったものの、そんなに長く続く活動とは思っていなかった面もある。しかし、このローズ+リリーというユニットは人気が出て、簡単にはやめられなくなり、気がついたら、メジャーデビューして、CDも2枚発売、3枚目も制作して発売予定が決まり、全国ツアーもして・・・・という状態になっていた。
しかしさすがにそこまでなると、ボクとしてもこのままではいけないと思うようになっていた。まずは自分が女の子としての生活も持っていることを父にカムアウトし、その上で女の子の歌手として活動したいということを数ヶ月掛けても父に言い、説得して承認をもらって、あらためてきちんとした契約を結ぶ方向に持っていきたいと思っていた。そのタイミングとしては2月に予定されているツアーの後だとボクは考えていた。
またボク自身が他の芸能事務所との関わりを持っていることについてもきちんと津田社長にも話した上で、向こう側の活動はこれまで通り、コーラスや伴奏など限定的なものにするという条件で、両立を認めて欲しいという話をせざるを得ないかとも思っていた。
ローズ+リリーの全国ツアーは11月30日の東京公演で終了したのだが、12月になると、年末の様々なイベントに顔を出すことになる。ライブハウスには良く出演したし、いくつか賞などももらって、政子とふたりで表彰式に出て行ったりしていた。
11月9日にはBH音楽賞の新人賞というのをもらい、これはちょうどツアー中で札幌にいたので授賞式には出られなかった(甲斐さんが代理で出席した)ものの12月7日のYS大賞新人賞はふたりで授賞式に出て、写真なども撮られた。実はボクと政子の写真が表に出たのは、最初に作った『明るい水』のCD(の初期ロット)以来のことだった。
ボクたちは時間的な制約の問題でテレビには出ていなかった。ボクたちが主として出演していたメディアはラジオ、特にFM放送である。ボクたちのプロフィールにしても、高校2年生ということだけを公開し、住んでいる都道府県なども非公開だったので、ファンの中には実は地方在住なのであまりメディアに露出しないのではという推測をする人たちもいたようである。
ボクと政子がラジオで話していた内容を細かに分析し、ケイは中部地方の出身、マリは九州の出身ではないかと推測していた人もネットで見かけ、すげー!と思ったものである。「ローズ+リリー学講座」の教授に任命したい気分だった。
またボクたちは来年になると、受験勉強に時間を取りたいので、ローズ+リリーの活動量を今より減らして欲しいということも申し入れていた。具体的には4月から夏までは平日は活動しないことにして休日限定とし、9月から来年の3月までは活動休止という線をボクと政子は事務所側に提案し、事務所側もそれに近い線での受諾の方向で話していた。ボクとしても親を説得する時間をその受験での休養期間にぶつけるつもりでいた。
しかし
これらの話合いや計画は、たった1個の週刊誌報道で全て吹き飛んでしまったのである。
12月のある朝、朝ご飯を作ってからみんなが起きてくるのを待ちつつ何気なく朝刊を見ていたボクは、その日発売の写真週刊誌の記事タイトルを見て仰天した。
『ローズ+リリー、驚愕の正体』
何それ〜〜〜!?
ボクは自転車に飛び乗ると近くのコンビニまで走って行き、問題の週刊誌を2部買ってきた。そして中身を見て天を仰ぐ。そこには『ケイの正体は都内の男子高校生・唐本冬彦(17)』と実名が記されていた。盗撮されたっぽい写真も載っている。あはは。未成年の犯罪者の名前は隠すくせに、ボクの名前は実名表記かよ!
そこに姉が起きてきた。
「ん?何見てんの?」
「ねえ、お姉ちゃん、今日は大嵐になると思う」
「へ?台風でも来てんの? こんな時期に」
「いや、これ」
と言ってボクは週刊誌を見せた。
姉は記事を見てキョトンとしている。
「唐本冬彦って、あんたと同じ名前だね」
「ボク本人だよ」
「えーーーーーー!?」
と姉は初めて仰天したような声を出す。
「あんた歌手してたの?」
「成り行きだったんだよ」
「まあ、あんたなら女の子のアイドル歌手になれるよ、なんて私言ったことあったけどさ。へー。ローズ+リリーのケイがあんただったとは知らなかったよ。ねえ、サイン頂戴」
「えっと・・・」
取り敢えずボクはいつも持っている色紙を1枚部屋のカバンから持って来て、サインペンで《Rose+Lily》のサインを書き「親愛なる萌依お姉ちゃんへ」と書き添えたが、こんなことしてていいのか?という疑問が強くなる。
「よし、宝物にしよう」
と姉は何だか嬉しそうである。
「でもさすがだね。ローズ+リリーのケイちゃんが実は男の子だったなんて、全然気付かなかったよ。でもあんた、ケイちゃんみたいに髪長くないし」
当時、ボクはロングヘアのハーフウィッグを付けて、ケイとしての活動をしていた。当時のボクの実際の髪は肩には付かない程度の「女子高生基準」の髪である。
「それでさ、お父ちゃんたち起きてきたら、騒動になると思うんだよね」
「ああ、なるだろね。女の子してたことと歌手してたことの両方の問題だよね」
「そうなんだよ」
「でどうすんの?」
「取り敢えず言うしか無いと思う」
ボクはわざと女の子っぽい服に着替えた。可愛いブラウスを選び、ピンクの花柄のスカートを穿く。髪型も女の子っぽくアレンジを変えて、パッチン留めで留める。
実際ここ数ヶ月、ボクはブラシで髪のアレンジをちょっと変えるだけで、一応男の子である「冬彦」と、女の子の「ケイ=冬子」を演じ分けていた。
そして両親を起こした。
母はボクが父の前で女の子の格好をしていることで、とうとう父にカムアウトするのかと分かったようで、ちょっと緊張した顔をした。父はボクの格好を見て最初ボクだということが分からず
「あ、いらっしゃい、冬彦のお友だちですか?」
などと言った。
「お父さん、私、冬彦だよ」
とボクは女声のまま言った。
父はボクの顔をしばらく見つめてから
「お前、何ふざけてんの?」
と言う。
「私、実は女の子だったの。今まで隠していてごめん」
父はパニックになって、何を言っていいのか分からず、口をぱくぱくさせていた。
母が口を開く。
「この子、けっこう前からよく女の子の格好してたのよ。この子って女の子の服を着たら、こんな感じで、もうふつうに女の子にしか見えないのよね。それで友だちとかと一緒に遊んだり、友だちから借りて学校の女子制服とかを着てたりもしてたよね」
「うん。女子制服ではけっこう出歩いてる」
「中学3年生頃からは、どちらかというと女の子の格好している時間の方が長くなってるよね」
と姉が言った。
「うん、私自身は自分は女の子だと思ってるから。高校出たらすぐに性転換手術もするつもり」
「性転換〜〜〜〜!?」
父にはショックすぎることだろうけど、実は更にショッキングなことが待っているから、まずはこのあたりを言ってしまわなければならない。
「診断書ももらってるんだよ」
と言って、ボクは昨年病院に通ってもらった、性同一性障害の診断書を見せる。
「あ、この診断書は初めて見た」
と母と姉が言う。
「ごめん。そのあたりはもっと後で、ゆっくりと話すつもりだったんだけど、ちょっと問題が起きちゃって」
「ん?」
「実はね、私、8月から歌手をしてたの」
「は?」
「あ・・・。あんた、イベント設営のバイトしてるって言ってたのが・・・・」
と母。
「うん。最初は本当に設営の仕事だったんだよ。ところが、その仕事してた時に、本番に出演する歌手がトンヅラしちゃって」
「うん」
「それで、たまたま現場に居合わせた私と政子がその代役で、トンヅラした歌手の振りして歌っちゃったんだよね」
「いい加減だ」
「それで、そのトンヅラした歌手が8月中に8箇所でイベントすることになってたもんで、私と政子がそのまま結局8月中、その歌手の代役やることになっちゃって」
「なるほど」
と言いながらも母は呆れている。
「でも最初はほんとに8月いっぱいの限定のつもりだったんだよ。私たちにしても事務所にしても。ところが人気が出ちゃってさ」
「へー」
「気がついたら、いつの間にかメジャーデビューして全国ツアーまでしちゃってた」
「あんた、先月何度かバイトの設営作業で泊まり込みになるって言ってたのは?」
「うん。遠方まで言ってて、さすがに東京に戻ってこれなかったんだよ。札幌から福岡までツアーやったから」
父は呆然として声を出ないようである。
「しかし、そんなことしてるなら、ちゃんと事前に親に言いなさい」
と母は厳しい顔で言った。
「ごめん。何かいろんな問題が重なってたから、どれから言えばいいかと私も悩んじゃって」
その時、母はハッとしたように言った。
「あんた、まさかその歌手って、女の子の格好してやってたの?」
「うん。だって私、女の子だもん」
「えーーー!?」と母。
「ちょっと待て。じゃ、お前、今してるみたいな感じの女装で歌手やってたのか?」
と父。
「うん。私としてはこれは女装と思ってない。私、女の子だから、こういう服を着るのがふつうだと思ってる」
父はまた絶句している。
「それでさ、トラブルというのが、これなんだよね」
と言って、そこで初めてボクは週刊誌を見せた。
「なんじゃこりゃ」
と言って、父は雑誌を見てから「うっ」という小さな声をあげた。
「ごめん、お父さん。政子がまだこのことを知らずにいると思うから、学校に出かける前にキャッチしないと。私、すぐに政子のところに行ってくる。この件は今日、帰って来てから、またちゃんと話すから」
「分かった」
と父は言い、政子の所まで行くなら、まだ早朝で道が混んでないから車で行った方が速いといって、車で送ってくれた。買ってきた週刊誌のうち1つを家に置き1つは政子の所に持っていった。
ボクは自分が持っている合鍵で、玄関を開けて政子の家の中に入った。
「マーサ!」
と呼ぶが反応は無い。まだ寝てるなと思い寝室まで行き、ベッドの中ですやすやと寝ている政子を揺り起こす。
「マーサ、マーサ、起きて」
なかなか起きない!
「マーサ、朝ご飯だよ」
と言うと、パッと起きた。
「あ、冬、お早う〜。どうしたの?」
「朝ご飯作ってあげるから、着替えておいでよ」
「うん。私、すき焼きがいいなあ」
「朝からすき焼き食べるの?」
「だって美味しいじゃん」
「そうだけどね」
政子のリクエストなので、ボクは冷凍室からストックしている牛肉のパックを3つ出して解凍し、ありあわせのシラタキと麩、解凍した冷凍うどんなども一緒に鍋に入れ、食卓にIHヒーターを持って来て、ぐつぐつと煮る。
「うー。美味しそう。天国、天国」
などと言って、早速食べ始めている。
「じゃ、今から天国から地獄に叩き落とすから」とボクは言った。
「ん?何するの?」
「バレちゃったんだよ」
と言って、ボクは週刊誌を政子に見せた。
「ん? 『ローズ+リリー、驚愕の正体』? なにこれ?」
「ひどいよね。プライバシーの侵害だよ」
「ケイの正体は都内の男子高校生・唐本冬彦(17)。なんとケイは男の子だったのであるだって。あはは、バレちゃったね」
と政子はこの時点では笑いながら記事を読んでいた。
「マーサの名前も出てるけど」
「ん? マリは同じ高校の中田政子(17)。ちょっとー! 私の名前も出てるじゃん!」
「本人に断りもなく勝手に名前出すなんてね」
政子はボクの方を見て言った。
「ね、ね、この雑誌、売ってるの、日本だけ? タイでも売ってる?」
「タイで売ってるかどうかは知らないけど、マーサのお父さんの耳にも今日中には入るだろうね」
「どうしよう・・・・」
と政子はほんとに困っている様子。
「他人から聞くより、自分で言った方がいいと思うよ」
「えーん。冬、代わりに言ってよ。絶対叱られる」
「これは自分で言うしかないよ。ボクも今、親に言ってきたところ。パニックになってて、まだ叱られてないけど、帰ったら無茶苦茶叱られるだろうね」
「えーん。電話掛ける勇気無い。冬掛けて」
「掛けてもいいけど、代わるから、マーサ、自分で言わなくちゃ」
「ぐすんぐすん。ね、すき焼き食べてからでもいい?」
「いいよ」
政子はちょっと笑顔に戻り、すき焼きを美味しい美味しいと言いながら食べた。ごちそう様、と言ってから、ボクは政子の両親が住んでいるバンコクのアパートに政子の携帯から電話する。(時差が2時間なので、こちらは7時半だが向こうは5時半)
「おはようございます。早朝から大変申し訳ありません。私、政子さんの友人の唐本と申しますが」
「あら、いつもお世話になっています」
とお母さんの声。まだ両親が日本にいた1年生の時にお母さんとは何度か会っている。
「ちょっと政子さんが話したいことがあるというので代わります」
「はいはい」
そして電話を政子に渡す。政子は泣きそうな顔をしていたが、渋々携帯を取ると「お母さん、あのね」と言って、政子はこの数ヶ月のことを話し始めた。
政子が話している間に父からボクの携帯に電話が掛かってきて、今日は学校を休みなさいと言われる。
「うん、そのつもり。それから、今政子がちょっと御両親と話しているから、それが終わったら、事務所の人と連絡を取る」
とボクは言う。
父は事務所の人とも話したいと言ったが、ボクはそれは待ってくれと言う。
「お父さんとしては息子が無断でこういうことをしていたということで怒っていると思う。でも、ボクはこういう報道があったことで、歌手という仕事をしている職業人として、この報道問題自体にまず対応する必要がある。この報道でいちばんショックを受けたのは全国にいるローズ+リリーのファンだと思うんだ。だから、ボクは記者会見を開いて、その問題を全国のファンにちゃんと説明しないといけない。それがこの社会で活動する職業人としての責務だと思う」
「記者会見!?」
と父は絶句したが、ボクが言った職業人としての責務ということについては父は理解してくれたようだった。
「分かった。しかしそれが終わった後は覚悟しておきなさい」
とも父は言う。
「うん。その後はいくらでも叱って」
とボクは答えた。
政子は既にかなり叱られている様子で涙をぼろぼろ流している。お父さんの怒声がこちらにまで聞こえる。両親は緊急に帰国するということを言っていた。その電話が終わった後でボクは津田社長の携帯に直接電話を入れた。
「ああ、良かった。今電話しようと思っていた」と社長。
「こちら、浦中さんと町添さんと話して、可能なら、君たちを出席させて記者会見を開いて説明した方がいいのではという話になっていたのだけど」
「私もそのつもりでいます。どこかで打ち合わせしませんか?」
津田社長は、都内の弁護士さんの事務所を指定した。ボクは政子を連れてタクシーでそちらに向かった。
弁護士事務所には△△社の津田社長と須藤さん、○○プロの浦中部長と前田課長、★★レコードの町添部長と加藤課長、秋月さんが来ていた。
ボクは最初に自分の性別のことで一同に謝罪した。
「私の性別のことをきちんと説明していなくて、本当に申し訳ありませんでした」
とボクは女声で謝る。
「君・・・ほんとに男の子なの?」
「生徒手帳をお見せします」
と言って、ボクは生徒手帳の最後のページにある身分証明欄を見せる。
「服は女子制服を着てるんだ!?」
「氏名・唐本冬彦。うーん。。。。」
「じゃ、君ふだんは女子高生として生活してるの?」
「生徒手帳の写真は、実は手違いでその制服で写ってしまったのですが、学校では一応戸籍通り男子の制服を着ています」
「ああ」
「でもけっこう女の子の格好で出歩いてるよね」
と政子は言う。
「そうだね。生活の半分は女子になってると思う」
「ってか、学校にいる時以外はほとんど女の子だよね」
「そうだね。特にローズ+リリーの活動でそういう感じになっちゃった」
「この中で、ケイちゃんが男の子と知っていたのは誰?」
と浦中さんが訊く。
津田さんと須藤さんが手をあげる。その後、秋月さんが手を挙げたのでボクはえ!?と思った。するとそれを見て町添さんまで手を挙げたのでボクはもっとびっくりした。加藤課長が左右を見て「え?え?」という顔をしている。
「浦中さん、申し訳無い。実は僕は10月末にマリちゃん、ケイちゃんと会った時に、本人たちの口からケイちゃんが男の子だということを聞いてた」
と町添さんが言う。
あの時は町添さんはマリの冗談と思っていた感じだったのだが、あれをボクたちのカムアウトと今解釈してくれたのだろう。そして秋月さんが手を挙げてしまったので、部下をかばうために手を挙げてくれたのだろう。
「じゃ、知らなかったのはうちだけ? ちゃんとそういう話は通してもらいたいな」
と浦中さんが怒っている。
「ただ、僕はその時、性別問題より、マリちゃん・ケイちゃんの芸能契約書に保護者の署名捺印が無いことの方に困惑してね」
と町添さん。
「へ? どういうこと?」
と今度は浦中さんは津田社長の方に訊く。
「済みません。このふたりとはまだ公式の契約書を交わしてなかったんです」
と津田社長が申し訳なさそうに言う。
「なんか問題がありすぎじゃん!」
と浦中さんは呆れるように言った。
「申し訳ありません」
と津田社長と須藤さんが詫びる。ボクも一緒に頭を下げた。
須藤さんは、ボクの方は性別問題があってすぐには両親の許諾が得られそうにないし、両親に知られたら当面の活動停止を申し入れられて、スケジュールに穴が空いてしまうことを恐れて、その交渉を保留していたことを説明する。更に政子についても、両親が海外に在住していて、政子は受験勉強のためという名目で日本にいたので、芸能活動するなどというのは、とうてい認めてもらえる余地が無かったため、そちらの交渉も保留していたと説明した。
「じゃ、そもそもマリちゃんもケイちゃんも芸能活動不能だったんじゃん!」
と浦中さんは本当に怒るように言う。強面の浦中さんが怒るとマジ怖い!
「だけどさ、浦中さん。それでローズ+リリーを諦められる?」
と町添さんが言うと、浦中さんは1-2秒考えてからすぐに
「いや、この素材は絶対に逃したくない。並みのアイドル歌手なら諦めてもいい。でもこの子たちは20年に1度の逸材だよ」
と答えた。
「でしょ?」と町添さん。
「じゃ、どうするよ?」と浦中さん。
その後、ボクたちは話し合い、こうなった以上、一時的なローズ+リリーの活動休止はやむを得ないという結論に至る。そして双方の両親にも謝罪してきちんとした形での契約交渉をあらためてしたいということになった。
「しかし週刊誌にチクったのは誰なんだ? 明日の日の目が見られないようにしてやる!」
などと浦中さんは言っていた。きゃー。怖いよぉ。
とにかくも、今日の午後、★★レコードで記者会見を開くことにし、それにはボクと政子、須藤さん、加藤課長、そして弁護士さんの5人が出ることにした。こういう場には最終責任者は出ない方が良い。
「私も出るの〜?」
と政子が情けない顔をする。
「何もしゃべらなくていいから」
とボクは言った。
「そうする! ケイ、全部私の分までしゃべってね」
「うん。いいよ」
と言ってボクは政子の頬にキスする。
「キスは唇だよ」
「了解」
と言って、ボクは政子の唇にキスした。
コホン!、と津田さんが咳をして、話し合いは継続される。
ボクたちは何は言わなければならないか、何は言った方がいいか、何は言わない方がいいか、などといったことを、法的な問題と、営業政策的な問題の双方から検討した。それからボクたちは、数社、協力してくれそうな新聞社・雑誌社と連絡を取り、一部の情報を渡す代わりに、擁護的に行動してくれることを依頼した。記者会見もひとつのショーであるし、報道側としては情報さえもらえるのであれば、わざわざ★★レコードという大会社の気分を害するようなことはしたくない。特に芸能関係の記者は、★★レコードからたくさん情報をもらわなければならない立場にある。
この数社からはけっこう突っ込んだことも訊かれたが、きちんと説明すると、だったら、この点には触れないようにして、こちらに話を逸らしましょう、などと言ってくれた。この数社には契約書不備問題も話したが、その件は今日は問題にしないで済ませてもらえることになった。
そうしてボクは記者会見などという初めての体験に挑んだ。この様子はちょうど午後のワイドショーの時間帯だったので、全ての民放で同時に放映された。
放送局以外にも、多数の新聞社、雑誌社の記者が来ていたが、当然のことながら例の報道をした雑誌の記者及び、同じ出版社の他の雑誌の記者も入場拒否した。
まずボクたちは今朝発売された週刊誌の記事の内容を大筋で認めた。ただし実名に関しては、未成年でもあり、そもそもプライバシー上、保護されるべきものであり、また写真も勝手に使用することは歌手のパブリシティ権を侵害するものであるとして、雑誌社に強い抗議と、謝罪が無ければ損害賠償を求めて訴える旨の警告をしたことを明らかにした。
しかし報道内容を最初に全部認めてしまったので、その後の記者会見はどちらかというと、なごやかな雰囲気になった。
「じゃ、ケイさんは本当は男性なんですね?」
と記者さん。
「いいえ。ケイは女の子ですよ」とボクはにこやかに言う。
「私の中の人は男子高校生みたいなのですが、放課後になると、魔法の杖で変身して、女子高生アイドルになって、マリと一緒に歌を歌うんです。ですから、私の中の人は男の子でも、ケイはまごうことなき女の子です」
とボクはソプラノボイスで答える。
「ああ、なるほど!」
ボクは秋月さんとあれこれ話して、こういう言い方がいちばんファンの心を傷つけないのではという結論に達したのである。「設定年齢」が実年齢と違う歌手はけっこういるから「設定性別」という論理を持ち出したのである。
「その魔法の杖をお見せいただけますか?」
「杖をくれた魔女との契約で他人に見せてはいけないことになっています」
「おやおや」
「女の子に変身する呪文を教えてください」
「レーナ・ニーセー・コシヨジ」
とボクが発音すると、慌てて記者さんたちが書き留めるが1度では書き留めきれないのでボクはリクエストに応じて、3回発音した。
「どういう系統の呪文ですか?」
「逆から読んでみてください」
とボクが言うと、少しして「なーんだ!」という声と笑い声が起きた。
しかし翌日おもちゃ会社からその「女の子に変身する魔法の杖」を商品化したいといって許諾を求められたのにはボクたちは爆笑した(その程度は別に構わないので許可した。うちの父も投げやりな感じで、好きにしたら?と言った)。
「ケイさんの中の人というのは、ふつうの女装が似合っちゃう美少年なのでしょうか?あるいは女の子になりたい男の子とかなのでしょうか?」
「そうですね。その点に関しては、個人情報ということで、内緒にさせてください。ケイは芸能人なので、いろいろお答えしますが、中の人は一般人ですから」
「了解です」
とここで言ってくれたのは、事前に一部情報を流している新聞社の記者さんだ。
「でもケイさんって、水着姿を披露したこともありますよね? ケイさんは身体的には女性なのですか?」
「ええ。ケイは女の子ですから、ふつうに女の子水着を着れる身体ですよ。でも中の人は男の子なので、女子水着を着るのは困難かも知れません」
「そのあたりも魔法の杖の作用ですか?」
「はい、そうです」
とボクは笑顔で答える。
「しかしケイさんって、こうやってお話していても、ふつうに女の子の声ですよね。声帯の手術とかなさっている訳ではないんですよね?」
「ケイは女の子ですから、ふつうに女の子の声で話したり歌ったりします。こんな感じです」
と言って、ボクはソプラノボイス、アルトボイス、中性ボイスの3種類で、来週発売予定だった『涙の影』の一節を歌ってみせた。
拍手が起きる。「凄い」などと言っている声も聞こえた。
「でもケイの中の人は男の子なので、ふつうには女の子の声は出ません。ただカウンターテナーのような発声法の練習はしているようですよ。手術とかは一切してないです」
と答える。
それで記者さんたちはボクの発声法がカウンターテナーの発声法と同類であることを理解してくれたようである。
ボクたちがローズ+リリーの活動を一時休止するということを発表したことについては意図を訊かれるが
「ケイのプロフィールについて、新たな情報が出たことで、それがファンの間に周知されるまで、いったんお休みした方が良いであろうということになりました」
と加藤課長が説明する。
「2月の全国ツアーのチケット発売が年明けに予定されていますが?」
「発売は取り敢えず延期になります」
「ツアー自体は実施されるのでしょうか?」
「現在それは検討中です。たいへん申し訳ありません」
と加藤課長。
こうして記者会見は30分ほどで、比較的明るい雰囲気で終わった。ただこの時点では、ローズ+リリーの契約に問題があるということは、まだ明らかにされてはいなかったのである。
記者会見が終わった後で、津田社長はすぐにボクの父に連絡し、不手際とこれまできちんと挨拶をしていなかったことを詫びた。そしてそちらにお伺いして話をさせて欲しいと言ったのだが、父は津田社長と会うこと自体を拒否した。
「お父さん、これかなり怒ってるね」
「仕方無いです。では怒られに帰ります」
「うん。頑張ってね」
ということでボクは家に帰ることにした。政子のことが心配だったので、誰か契約に直接関わっていない人(政子の親と対面した時に即喧嘩になる可能性の少ない人)で、誰か今夜一晩政子のそばに付いていてもらえないかと言うと、秋月さんが「私が付いてる」と言って、政子を促して自宅に帰っていった。
ボクが帰宅してから、父の説教はたっぷり2時間続いた。怒った父は真っ先にボクの携帯を取り上げ、最初叩き割ろうとしたが、姉が「壊すのもったいない」
と言うので、データを初期化した。
ワイドショーで報道された記者会見は母と姉は最後まで見たらしいが、父は「もういい」と言って、途中で寝室に行って、終わるまで籠もっていたらしい。
「取り敢えず、その気色悪い格好やめろ、男ならちゃんと男の格好しろ」
と父は言ったが
「私は女の子だから、女の子の服を着るよ」
と言ってボクは譲らなかった。
いつも意志の弱い感じの言動をしているボクが朝から意外にしっかりしたことを言うので、父は勝手が違う感じで戸惑っている風でもあった。
父は2度と女の格好で外を出歩くなとも言ったが、ボクはそれにも反発した。
それでひたすら叱られた2時間の後、3時間くらい、ボクと父は激論を交わした。
母が「お腹すいた」と言って、晩御飯を作って出したが・・・・
「まずい」と父が言う。御飯に文句を付けるのは珍しいが、姉まで
「うん。美味しくない」と言う。
「ごめーん。私、クリームシチューなんて作ったことなくて。冬がいつも作ってくれてるから」と母。
「でもルーを入れたらできるはずのシチューをこれだけまずく作れるのは天才かも」
と姉は言い、更に
「そもそも、これ鍋を焦がしたでしょ?」と言う。
「焦げちゃうのよ〜。どうすれば焦げないの?」と母。
「やっぱり、冬がうちの主婦やってくれないとダメね〜」と姉。
「お父さんのお弁当も毎日冬が作ってくれてるからね」と母。
父が複雑な表情をするが、この御飯の件で、少しだけ父は軟化した。
結局ボクと父の議論は何度かの休憩を挟みながら徹夜で朝まで続いた。姉は途中で寝てしまったが母は最後まで付き合ってくれた。
その結果、何とかボクと父の間で妥協が成立した。
・歌手活動は、大学入試が終わるまでの間しないこと。
・去勢・豊胸・性転換など、身体にメスを入れる行為は、高校在学中はしないこと。
・高校在学中はちゃんと男子高校生でいること。
・「スカートで」外出する時は、父または母の許可を取ること。
最初は「女装外出禁止」だったのを「スカート外出」に譲歩させ、更に親の許可があればいい、というところまで持ち込んだのについては母が感心している風だったし、父まで「お前、営業マンになれるな」と言った。但しボクは
「営業マンじゃなくてセールスレディだね」
などと言う。父はぶすっとしていた。
父としてはかなり不満が残ったようだが、合計15時間以上、ボクと腹を割って話し合えたことで、父としてもこのくらいで妥協してもいいかという気持ちになってくれた面もあったようだ。
実際ボクが父とここまでお互い本音をぶつけあって話をしたのは生まれて初めてのことであった。父はそれまで家庭内のことはいつも母に任せていて、母が何か相談をしようとしても「仕事で疲れている」などと言って聞いてくれてなかった。
そういうツケが全部来たのかも知れない、などとも父は言っていた。
実際この後、父は母とわりとよく話すようになった気がしていた。
ボクとの間では一応の妥協が成立したものの、父はそれでも津田社長とは話す必要は無い、などと言っていた。そこでボクは
「じゃ、取り敢えず町添さんと少し話してくれない?」
と言う。
「町添さんって、うちに今まで何度か電話してきたどこかの社長さんだっけ?」
と父。
「そうそう。社長じゃなくて平(ひら)の取締役だけどね」
「あの人も何か関わってるの?」と母。
「えっと、★★レコードの取締役だから」
「へ?」
「って、私言ってたよね?。昨日私と一緒に記者会見してくれた加藤課長の上司で、★★レコードの国内で制作されるCDの制作販売の最高責任者だよ」
「うっそー!?」
「いや確かにレコード会社の役員だって聞いてたけど、★★レコードの役員さんだったの?」
「と、以前から言ってたと思ったけど」
「え〜〜!?」
「だって、あんなに若いのに」
「あそこは会社自体が若いから。社長もまだ50歳くらいだよ、確か」
「俺は、うちみたいな家に電話してくるなんて、どこか小さなレコード会社の役員さんかと思ってた」
「ローズ+リリーは★★レコードからCD出してるから」
父と母は顔を見合わせていた。
「いや、あの人、すごくいい感じの人だし。あの人となら話してみたい」
と父は言った。
それで父は町添さんに電話した。
町添さんの携帯の番号は昨日怒った父から携帯のメモリーを全消去されて、ボクの携帯(取り上げられたままで、お正月過ぎてからやっと返してくれた)には残っていなかったので、メモで渡した。家電から掛けたが、うちの家電は町添さんの携帯にも登録されていたようで、すぐ出てくれた。
それで父は町添さんと1時間ほど話していた。信頼出来る人と話したことで、父もかなり軟化した。それで、津田さんとも話してみましょうかね・・・などということになった。
父は自分から津田社長の所に電話した。父は、昨日会談を拒否した非礼を詫びた。そして津田さんから、これまでの経緯をあらためて説明してもらい、父はそういう状況なら、仕方無かったかも知れないですね。。。などと言った。ただ、それでも、息子の芸能活動については即時全面停止してもらいたいと申し入れた。また「保護者の署名捺印がされてない芸能活動契約書」についても、こちらは契約拒否する意向であることを伝えた。
津田さんは「やむを得ないですね」と言い、あらためて陳謝した。
しかし父は津田さんがこちらの主張をきちんと受け入れてくれたことで、かなり話し方が穏やかになり、少し落ち着いてから、あらためて会って話したいということを伝え、津田さんも了承した。
政子の方がどちらかというと大変だったようである。
政子の両親は結局、週刊誌報道のあった翌日に緊急帰国した。そしてお父さんが津田社長と会い、いろいろな問題について話し合ったものの、話し合いは決裂に近いものであったようである。ただ、継続的に話し合いを続けることでは合意することができた。
政子は無茶苦茶叱られたようで、年明けにも一緒にタイに行こうと言われたものの、そこだけは頑張った。歌手活動は辞めるし、本当に勉強に専念するから、日本に居たいと主張した。
この政子の抵抗がお父さんには意外だったようであった。
いつもボーっとしていて、何を考えているのか分からないようにしている政子がこの問題については「歌手を辞める」という交換条件とともに、自己主張をした。今までそんな自己主張をしたことのない子だった故に、政子のお父さんも政子の言葉を聞いてもいいかなと思ってくれたようであった。
結局、数日にわたる父との話し合いで、政子は取り敢えず日本に残ることを認めてもらい、お母さんが監視役として高校卒業まで日本に滞在することになった。
12月24日(水)に発売予定であったローズ+リリーの新譜『甘い蜜/涙の影』は発売中止と告知された。★★レコードでは、11月のツアーでの感触が物凄く良かったこと、予約が14万件入っていたことから、50万枚をプレスして週明けに各CDショップに発送する予定にしていたが、作業をいったん中止。50万枚のCD(段ボール5000個)は貸倉庫にいったん保管されることになった。本当に発売できないのなら、倉庫代も馬鹿にならないし、損害発生覚悟で廃棄する所だが(廃棄すれば億単位の損害が出る)、町添さんは、倉庫代を払ってもこのCDがきっと発売できる、という方に賭けた。当時町添さんはこの件の処理に首を賭けていたようである。
一方政子とボクは、突然ローズ+リリーの活動が停止になって、各方面に多大な損害が発生していること、発生しつつあることを憂慮した。
津田社長は日程の迫っていた、ローズ+リリーの出演するはずだったイベントに取り敢えず代替でまだデビュー前であったピューリーズを出演させた。
一方、ボクは問題が発覚した翌日夜にすぐ密かに町添さんと連絡を取り、ローズ+リリーの振り替えとして XANFUS を使うことを検討できないかと提案した。
この連絡をした時町添さんは
「いまだに信じられないけど、君、本当に男の子なの?」と訊いた。
それに対してボクは
「私は自分では女の子のつもりです」
と明言した。
また町添さんからは、ほとぼりが冷めたらまたローズ+リリーをするつもりがあるかと訊かれ、それも「ぜひしたいです」と即答した。
町添さんが、当時社内でかなり責任を問う声があったらしいのもはねのけて強引に行動していった背景には、そのボクの言葉もあったとずっと後に聞いた。
ボクは町添さんに XANFUS を推薦したものの、町添さん自身、それまで XANFUS についてあまり良く知らなかったのだが、ボクの提案を聞いてからすぐに CD を聴き、たまたま行われたライブを加藤さんとふたりで直接見に行き、使えると確信。XANFUSは、ローズ+リリーの代わりに多数のイベントに出演することになって、このあと彼女たちの人気は急上昇する。
ここでXANFUSが使えたのは、何といっても売れてなくてスケジュールが空いていたからである。ある程度売れているKARIONではスケジュールが埋まっていて、ピンチヒッターはできなかったのである。
しかし2月の全国ツアーはさすがに誰にも代替の効かないイベントである。ボクと政子はその金銭的損害に心を痛めたので、津田さんに連絡してみた。
「政子とも話し合ったのですが、私たちが8月から12月までの間に頂いた報酬を全部返上しますので、それで損害の発生するイベンターさんや放送局さん、などに、補償してあげられないでしょうか?」
「それはありがたい申し出だけど、それはやはり君たちの親御さんの了承がないとできないことだよ。でもそもそもこの業界のしきたりは知ってるでしょ?そういうのに補償とかしたことはないし、今回補償することで前例ができるのも困る。主催者もイベンターもこういう時の中止のリスクまで負って、その分の利益も出しているのだからね」
と津田さんは言う。
結局、ボクと政子はそれぞれの父にこの問題を相談し、結局今回のことで様々な交渉をお願いしている弁護士さんに交渉をしてもらった。
その結果、ボクたちが(アーティスト契約した)9月から12月までの間に得た報酬(ふたり合わせて約2000万円)から、税金等として払わなければならない金額を除いた額の半額を、△△社、○○プロ、★★レコードの三者に等分して払うことで合意が成立した(1社あたり約250万円)。
△△社・○○プロは受け取ったお金で各地のイベンターや使う予定だった音響や照明の会社、放送局などに「マリちゃんとケイちゃんの強い要請で行う特例」
と言って補償を行い、これは本当に感謝されて、後にボクたちが活動再開した時、全国各地で暖かく迎えてもらうことになったひとつの要素ともなった。
しかしその三者のうち★★レコードはこの「迷惑料」の受け取りを辞退した。イベンターなどには代わりにアメニティグッズなどの配布で補償する。そして★★レコードは、迷惑料の受け取りの代わりに、12月24日に発売予定だったものの、発売中止になったローズ+リリーのシングル『甘い蜜/涙の影』を今からでも発売させて欲しいと申し入れてきた。
ボクの父と政子の父は話し合いの結果、
・新たにボクと政子が何かの労務(サイン会や放送局に出演しての宣伝など)を負うことがないこと
・PVやTVCMなどは流さないこと
というのを条件に、この発売を認めた。そこでこのシングルはあらためて2009年1月23日(金)に発売されることになった。
町添さんは双方の父に、発売するために、あらためてボクと政子とのメジャーアーティスト契約を結びたいと言った。これまでの4ヶ月間に契約をきちんと結んでいなかったからこそ今回のトラブルが起きたことから、双方の父ともそれを受け入れ、契約書類を弁護士さんにチェックしてもらった上で、署名捺印をした。
それでボクと政子は初めて、正式にメジャー歌手になった!
契約は2009年1月から12月までの1年間で、更改については文面には盛り込まなかった。これは更改を望まない双方の父と、むしろ曖昧なままにしておきたい町添さんの意図がかみあったものである。
また、この契約の際、町添さんはこんなことを言った。
「マリさん・ケイさんのおふたりに新たに歌を歌ってもらったりはしない形で、既存の音源を使った、編集版のCDを作ってみたいと思っているのです。それをこれから半年以内に限って出すことを容認していただけないでしょうか?」
「うーん、まあ娘に負担が掛からないのならいいですよ」
と政子の父は言ったし、
「ええ。新たにスタジオで歌ったりとかでないならいいです」
とボクの父も言った。
そんな感じで2008年の暮れは過ぎて行き、2009年のお正月がやってきた。
ボクと政子はこの時期、外に出ることが困難な状態にあった。ボクの家の近くにも、政子の家の近くにも、記者っぽい人がいつも数人いて、何か動きがあれば、取材できないかと待ち構えていた。姉や母も随分インタビューを試みられて閉口していたようである。私や政子がつかまらないので、私たちはどこか地方の親戚の所にいるのでは?などと勝手に憶測するメディアもあった。
しかしボクたちはずっと家にいたし、特にボクはその記者たちが張っている中を実はこっそり外出していたのである!
2008年12月22日(月)。つまりローズ+リリーの活動が停止してから週明けた月曜日の午前10時頃。KARION の新しい音源制作が木曜まで4日間の予定で始まっていた。
普段は学校優先で放課後に作業をするのだが、今回は年末でイベントが目白押しであり、土日もライブやテレビ出演などで埋まっていて時間が取れないということでメンバーはこの4日間、学校を休むことにしていた。
前回まで制作をしていたスタジオが倒産し、ずっとこれまでエンジニアをしていた麻布さんもニューヨークに行ってしまったので、今回はその麻布さんが推薦した友人の技師、菊水さんという人が勤めているスタジオでレコーディングは行われることになっていた。
今回収録する曲は、前回打ち出した新路線に沿ったものとなる。
タイトル曲は森之和泉作詞・水沢歌月作曲編曲の『優視線』。カップリング曲は、福留彰作詞・TAKAO作曲編曲の『広すぎる教室』および和泉・歌月ペアのもうひとつの曲『恋のクッキーハート』である。
和泉・歌月ペアの曲は、いづれも11月に書いた曲で、この時、ローズ+リリーも KARION も全国ツアーの真っ最中だった。更にボクはこの全国ツアーの間に九州への修学旅行が入っていた! 和泉の方はそこまで無茶では無かったが、KARIONにはローズ+リリーがやってない那覇公演が入っており、どちらの移動距離も凄まじかった。
そんな中で『優視線』は11月9日に書いたもので、ボクは札幌、和泉は神戸にいた。いづれもリハーサルが終わって公演までの待ち時間に書いている。『恋のクッキーハート』は11月16日に書いたもので、ボクは大阪、和泉は那覇にいた(実際には和泉が飛行機の中で書いた歌詞にボクが新幹線の中で曲を付けた)。距離と関係無いメールという通信手段のありがたさを感じた。
「ああ、今回は蘭子は参加できないのね」と小風が言ったらしい。
蘭子というのはKARIONにおけるボクの名前である。
「あの記者会見、お母ちゃんがビデオに録っててくれたの見たけど、凄いしっかり受け答えしてたね。同い年と思えん」
と美空も言ったらしいが、和泉は
「開き直ってるだけだよ」
と一蹴したということだった。
それでも「いないと寂しいね〜」などと言いながら、作業を始めようとしていた時、和泉は自分の学校の制服を着た女の子が入ってくるのを見かける。
「あれ?若葉? よくここ分かったね。何か用?」
と和泉は声を掛けた。
「だって、私、キーボード弾かなくちゃ」
「へ?」
と言った和泉は、テーブルに置いていたメガネを掛けてから、マジマジと今入ってきた女の子の顔をながめる。
「あんた冬〜!?」
「えへへ」
とボクは笑った。
「どうしたの?その髪」
「染めてパーマ掛けた」
とボクは答える。
「若葉に見える〜!」
「ふふふ。あの子のトレードマークだもんね、これ」
若葉は美しい栗色の髪に軽い天パーが入っている。ボクは姉に頼んで若葉と似た髪の色になるよう染めてもらい、更に軽くパーマも掛けたのである(これを両方同時にするのは、とっても髪を傷める)。そして少し髪を切って、ほんとに若葉そっくりの感じにしてもらった。
「若葉にうちに来てもらったんだよ。土日は何人か友だちが来てくれたんだけどね。だからボクの家のまわりで張ってる記者さんたちも、その友だちの出入りを見てる。で今日も朝から奈緒と若葉が来てくれたんだけど、出る時に若葉の代わりにボクが出てきたわけ」
「なんつー・・・・」
「だから若葉はこの4日間、学校を休んでボクの身代わりに家にいてくれるんだ」
「いい友だち持ってるね〜」
「お父さんには内緒だから、夕方までには戻らないといけないけど、日中だけ参加させて」
「もちろん!」
ボクは KARION に関わって活動する時はメンバーから「蘭子」と呼ばれている。蘭子がローズ+リリーのケイと同一人物であることを知っているのは KARION の3人と畠山さんくらいなのだが、畠山さんはボクの変貌に、あっけに取られていたし、バックバンドのリーダーの TAKAO さんなども最初、ボクを認識できずにいた。(TAKAOさんは蘭子=ケイを知らない)
「でもいつも着てた制服と違うね。転校したの?」
などとTAKAOさんから聞かれたが
「ああ。ちょっと事情があって友人のを借りてきたんですよ」
とだけ答えておいた。
しかしこうしてボクはこの KARION の新曲録音に、いつものようにキーボード奏者兼コーラス隊として参加した。
「蘭子ちゃん、なんか凄い力(りき)入ってるじゃん。絶好調じゃん」
とTAKAOさんからまで言われる。
「ええ。ちょっとストレスの大きなことがあったもので、そのストレスを解消させてもらいます」
「へー。そういうふうに持って行けるって、元気だね、君」
「落ち込んでたって仕方無いし」
ただボクはこのようなストレス解消方法を持たない政子のことを心配していた。
「でもさ、今回の君の参加は僕としては大歓迎なんだけど、契約上の問題は大丈夫だろうか?」
と畠山さんは心配する。
「例の契約書を父が拒否しましたので、あの契約書は無効が決定しました。一応年明けから、両者が合意できる形での契約について再度話し合うことにはなってますが、取り敢えず今私はフリーなので、新しい契約ができるまでは何をしても構いません」
「何か開き直ってるね」
「あの1日で私、変わりましたから」
「変わりもするだろうね!」
「自分のプライバシーがいきなり全国に暴露されたら、変わりますって」
と言って私が笑うと、畠山さんも釣られて笑顔になった。
「学校の方はしばらく休み?」
「ほとぼり冷めるまでは休ませてくださいと学校には言いました」
「まあ、それがいいだろうね」
しかし結局、父と△△社の再度の契約に関する話し合いというのは設定されないままに終わった。
ローズ+リリーの活動再開の時期を問われた△△社は、ローズ+リリーの契約が白紙に戻ったことを明かさざるを得なかった。
「マリさん・ケイさん側が契約を破棄したんですか?」
と記者たちに聞かれた津田さんは
「いえ、実はこの契約はそもそも保護者の承諾を得ていなかったのです」
と最大の問題について語る。
「じゃ、そもそも契約が成立していないまま活動していたんですか?」
と記者たちは追求し、津田さんは頭を下げて陳謝した。
テレビ局のワイドショーなどでは、きちんとした契約もしないまま高校生を無理矢理働かせていた、などという言い方をする所もあり、また設営バイトのスタッフに唐突に歌手の代わりをさせたというそもそもの発端についてもそれをさせた須藤さんの倫理問題がかなり叩かれていた。
年明けの音楽制作者の連盟の会議でも、この問題が取りあげられ、かなりきつい非難をする会社もあった。△△社を除名せよとか、莫大な課徴金を課せといった意見もあったようだが、この業界の重鎮の人が弁護してくれたりしたこともあり、結局、次のようなことが決まったことをボクは畠山さんから聞くことになる。
・ローズ+リリーは今までどこの事務所とも契約していなかった。
・ローズ+リリーは従ってフリーのアーティストである。
・どこの事務所も自由にローズ+リリーと交渉して、契約を目指すことができる。
「たぶん、凄い数の事務所が君たちを獲得しようと押し寄せてくるよ」
「ひぇー!!」
週刊誌の報道ではあんまりショックすぎて開き直ってしまった僕もこの話には焦ってしまった。
「でも、そしたらどこかとさっさと契約しちゃった方がいいですかね?」
と言ってから
「ダメだ。うちはいいとしても、マリの父ちゃんは絶対どことも交渉しない」
とボクはその問題に気付く。
「だろうね」
「マリの父が交渉する可能性があるとしたら、津田さんだけかも」
「僕もそう思う。でも、僕も頑張って君とマリちゃんまるごとの獲得目指すから」
「あはは」
その年、ボクたちを勧誘した数え切れないくらい多数のプロダクションの中で最後まで残ったのが、△△社、##プロ(長谷川さんの所)、そして畠山さんの∴∴ミュージックの3社であった。
「近い内に君の家に行っていい?」
「畠山さんなら歓迎です。でもマリが同意できる所としか契約はできません。申し訳ないですけど」
「うん。でも何か理由付けて君の親御さんには挨拶しておきたかったしね」
「分かりました」
「それとね」と畠山さんは厳しい顔をした。
「はい」
「これマリちゃん・ケイちゃんには言ってはいけないことになっているから口外しないで。津田さんとこが今の体制のまま、君たちとの交渉を目指したら、あまりにも有利すぎるということで、△△社は窓口の交替を要求された」
「へ?」
「君たち★★レコードと正式契約したよね」
「ええ」
「★★レコードは今後半年間の間にローズ+リリーのCDを何枚か出すと言ってる」
「はい。そのための契約です」
「その最後のCDが出てから1年後までの期間、須藤君は君たちやその家族・親戚・友人・教師などとの接触を禁止される」
「う・・・・・」
「更にそもそもアーティストのすげ替えをした責任を問われて須藤さん自身、半年間のマネージメント活動禁止」
「あぁ・・・・」
「普通なら永久追放だよ。これまで数々の実績のあるマネージャーだからこそ半年間の活動禁止で勘弁してもらったんだと思う」
ボクは溜息を付いた。
その翌日、ボクは津田さんからの電話で須藤さんが辞職したことを聞かされた。須藤さんの携帯に電話したが「この番号は現在使われておりません」というアナウンスが流れた。密かに自宅にも行ってみたが、既に空き家になっていた。
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【夏の日の想い出・あの衝撃の日】(1)