【夏の日の想い出・多忙な女子高生】(上)

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2008年の夏。ボクはとても多忙であった。
 
この年、高校2年生で、補習は7月に2週間、8月にも1週間行われることになっていた。8月が少ないのは、この時期は予備校の夏期講座なども行われるのでそちらに行く人も多いことを配慮したものである。
 
取り敢えず夏休みに突入するのと同時に補習が始まるので、夏休み自体が存在していない感覚であった。ただ補習は学校の授業ではないということで服装も自由なので、みんな結構リラックスした服装で出てきている子もいた。ボクも普段のワイシャツに黒い学生ズボンではなく、カットソーにショートパンツのような、やや中性的な服装で出て行っていた。
 
「あのさあ、どうせなら、スカートとか穿いておいでよ」
「バイトには女子制服で行くんでしょ?学校でも女子制服でいればいいのに」
 
などと奈緒や詩津紅など、ボクの性癖を知っている子たちには言われたのだがボクは当時ほとんどの同級生たちに自分の性的志向をカムアウトしていなかったので、その程度の服装にとどめていたのである。
 
彼女たちに言われたように、ボクはこの時期レコーディングスタジオでバイトをしていて、そちらには学校の女子制服を着て行っていた。
 
その補習第一日目、講義が終わってから書道部に集まったのがみんな2年生の女子だったので「今日は書道はせずに、町で遊ぼう!」ということになってしまう。つくづく書道をしない書道部である。
 
それで町に出て安い洋服などを物色した後、ハンバーガー屋さんに行ってしばしおしゃべりをする。政子は自分が今買ったばかりの可愛いパーカーとスカートをボクに着せようとして、しばらく攻防した末、妥協してパーカーは着たもののスカートは拒否していた。
 
「ねえ、スカート穿こうよぉ、可愛いよ」
「いや、いいから」
 
やがてメンバーが1人帰り、2人帰りして、ボクと政子だけになり、ちょっと図書館にでも寄ってから帰ろうか、などと言っていた時、花見さんがやってきた。
 
ボクは遠慮しようと思ったのだが、政子が居て欲しいというので結局政子と花見さんのデートに同席などという居心地の悪いことを体験することになる。
 
花見さんは政子をイベント設営のバイトに誘った。目的の半分は、現地まで車で行くことになるので、その途中、政子とふたりきりになったのをいいことに、少しHなことをしたいという雰囲気だったのだが、政子はそれを嫌って、車で行く時はボクを同乗させて欲しいと言った。
 
恋人同士が乗っている車に同乗するなんて、ほんとに勘弁して欲しい役割だが、政子は花見さんに変なことをされないように、ストッパーとしてボクを連れていきたがっていた。そこでボクは政子に同行することを同意し、花見さんもボクの同乗を渋々了承した。
 
そうしてボクは△△社での設営のバイトをすることになった。(ただし原則として車で行くような遠隔地限定!)
 

ボクはこの件でレコーディングスタジオの上司である麻布さんに連絡した。
 
「済みません。どうにも断れない義理で、イベントの設営のバイトをすることになってしまって。多分土日がそちらに取られてしまうと思うんです。夏休みだけということなんですけどね」
「平日はどう?」
「今月いっぱいはずっと補習がありますが、その後夕方からならお邪魔できると思います」
「うん。じゃ平日はできるだけこちらでお願いできる?」
「はい」
「平日に出てきてくれるんなら土日は休んでも大丈夫だよ。なんか最近ちょっと仕事が減ってるしね」
「不況なんでしょうかね」
 
「だよね。でもどこの会社?」
「△△社というところなんですが」
「ああ。○○プロ系の会社だね。社長の津田さんは、○○プロの実質的な経営者・浦中部長の友人の弟なんだよ。資本的な関係は無いけどね」
「へー」
 
「規模が小さい割に、けっこう多数のアーティスト抱えていて、毎年何組かメジャーデビューもさせてるけど、いまだに当たったことがない」
「まあ、そう簡単に当たるもんじゃないですしね」
 
「ほんとほんと。でもヤ○ザとかには関わってないから大丈夫だよ。健全な会社だね」
「そちら方面とは関わりたくないです」
「それは僕も同感。この世界どうかすると、ヤ○ザそのものなんて芸能プロもあるからね」
「怖いですね〜」
 

結局その週は、補習が終わった後、火曜日は政子・花見さんと一緒に△△社に行って挨拶をした後、そのまま都内のデパートでのミニライブの設営をし、水曜日はまた都内の設営だったが、政子だけそちらに行き、ボクはスタジオの方に顔を出した。
 
木曜日は横浜のデパートでのミニライブで政子と一緒に設営に行き、金曜日は都内の設営で政子だけが行って、ボクはスタジオに行った。
 
土日は大宮と千葉で設営があり、花見さんの車で往復したが、日中の作業だったので、ボクは夕方からスタジオに顔を出した。
 
翌週はずっと都内での仕事だったので、政子だけが行き、ボクは連日スタジオに顔を出した。この時期、サウザンズの音源制作中で、ボクはサウザンズの人たちに気に入られてしまっていたので、楽器のチューニングや楽譜の清書などの作業を担当していた。
 
そして次の週末。土曜日は甲府まで花見さんの車で往復した後、日曜日は花見さんが休みだったものの、他に動けるスタッフがいないということで頼まれ、ボクと政子は宇都宮まで電車で出かけて設営作業をした。
 
ところがその日、ボクと政子の運命は変わってしまったのであった。
 

その日、出演する予定だった女性デュオ、リリーフラワーズがトンヅラしてしまったため、ボクと政子は急遽その代理をやらされることになった。女性デュオの代役ということで、ボクは女装させられてしまう。それまで何度かボクの女装を見たことのあった政子はとても楽しそうにボクを見ていた。
 
ライブが終わった後、須藤さんは
 
「冬ちゃん、そんな女の子みたいな声が出るんだ!」
「急増ペアの即興演奏とは思えない、凄い良い出来だったよ」
 
とボクたちをベタ褒めする。そしてボクたちは《ローズ+リリー》というユニット名も付いて、失踪したリリーフラワーズの代わりに8月中、関東で5ヶ所、大阪で2ヶ所のライブをこなすことになった。
 

「いや、参りました」
と「突然のデビュー」の翌日夕方、ボクはいつものスタジオに行って、有咲と麻布さんに昨日の顛末を語った。
 
「ああ、そういう話は稀に良くある」と麻布さんは笑っている。
「ひどい話さ、デビュー直前のバンドでギターの奴がレコーディング当日に来なくてさ」
「はい」
「たまたま通りかかったギタリスト捕まえて、ちょっと代わりに弾いてっていって」
「そのままメンバーになっちゃったとか」
「そうそう」
「きゃー」
 
「冬も、このままメジャーデビューしたりして」と有咲。
「まさかあ。今月いっぱいの限定ユニットだよ」
とボクは言うが、
 
「でも、いい体験じゃん。それにしても君は代役の天才だね」
と麻布さんは笑っていた。
 

「ところで先生、先月分のお給料が金曜日に入ってなかったんですが」
と有咲が言う。
「そうそう。ボクも困っちゃってね。5月にもこんなことあったね。実は7月に出るはずだったボーナスも8月に払いますって話なんだけど、本当に出るのかスタッフも疑心暗鬼になっている。資金繰りの予定がくるったけど、給料は数日中には払うと社長は言ってたんだけど」
 
「スタジオ利用代金の不払い・払い遅れが多発しているみたいですね」
「うん。経営の行き詰まったところもあったしね」
「最近やはり音楽業界も不況だからでしょうかね」
 
「うん。最近ミリオンヒットってのも、なかなか出なくなってるよね。昨年は結局ミリオン売ったのは、秋川雅史『千の風になって』のみ。一昨年もKAT-TUNの『Real Face』のみ。今年はまだ誰もミリオンを達成していない」
「原因は何でしょう?」
 
「ズバリ、スーパースター不在だよ」
「ああ」
「違法ダウンロードが原因だとか騒いでいる奴は本質を見てない。魅力的な商品があれば消費者は買うんだよ」
「でしょうね」
 
麻布さんの言う「商品」とはそのスターのことである。
 
「今、スーパースターになる可能性のある新人アーティストとかいませんかね?」
「Perfumeがちょっと面白いと思ってるんだけどね・・・・セールス的には微妙かな。あとAKB48は意外に化けるかも知れん」
「あ、私、『会いたかった』は好き」と有咲。
「うん。いい曲だよね。地下アイドルにしては意外に歌唱力がある。特にトップクラスの子たちは」
 
地下アイドルというのは表だって宣伝をしない、固定ファンと口コミに支えられたアイドルのことで、数年後のリュークガールズなどは完全に地下アイドルになった。AKB48はこの頃までは地下アイドルだったのだが、その後、メジャーなアイドルに変身していく。
 
「冬たちのKARIONはどうですか?」と有咲。
「うーん。。。」と言って麻布さんは言葉を選ぶような仕草を見せた。
「ここだけの話さ、楽曲提供者が変われば可能性がある」
「えーっと・・・・」
「あの子たちはいい素材だよ。でも渡されている曲が合ってない。作詞者も作曲者も彼女たちの才能や性向を理解していない。でもこんなこと余所では言わないでよ」
と麻布さん。
 
「でもさ、唐本ちゃん、なんでKARIONに正式加入しないのさ?」
「えー、ちょっと色々事情がありまして」
 
「KARIONって『四個で1組の鐘』という意味でしょ? 畠山さんは君の参加を期待してそういう名前を付けたんだと思うね」
と麻布さんは言う。
 
「そうですね」
 
この時期、ボクはKARIONの音源制作では、毎回キーボード奏者・兼コーラス・兼エンジニア助手として参加していた。KARIONは基本的にメンバーの3人+コーラス3人の歌で音作りをしている。コーラス隊は毎回違うメンツなのだが、ボクはこれまで4回(シングル3回・アルバム1回)の音源制作の全部でコーラス隊として参加していた。但しライブには1度も出て行っていない。
 

ボクはローズ+リリーの活動の件に関して、畠山さんの所にもこちらから事務所に赴いて状況を説明して詫びた。
 
「済みません。成り行きで今月いっぱい、歌唱ユニットとして活動することになっちゃいまして」
「うーん。。。。そちらとは契約とかしたの?」
「口約束だけで契約書みたいなのは交わしてません」
「口約束か・・・うーん。微妙だな。口約束でも一応契約の一種だよ」
「ごめんなさい。でも、今月いっぱいの限定ユニットの予定ですし」
 
「しかし、君が歌ったら、きっと人気が出て、今月いっぱいでは終わらない気がするなあ」
 
「えー? そんなに売れるとは思えませんし。そもそもCDさえ無いですし」
「CDなんて作るつもりになったら、1日で出来る」
「そうかも知れませんが・・・」
 
「去年、リハ歌手してもらった時に、芸能契約しとけば良かったなあ・・・。ね、ね、でもさ。歌手活動する気になったんだったらさ、もしそちらのユニットが予定通り、今月で終了したら、うちと契約してよ。KARIONに加入でもいいし、あるいはソロで売ってもいいから」
 
ボクはここまで暖かい言葉を掛けられると「あのこと」を畠山さんにはちゃんと言わなければダメだと思った。
 
「社長、内密にお話ししたいことがあるのですが」
「うん? じゃ、ちょっと会議室に行こうか?」
 
それまでボクは事務所の大部屋奥にある社長デスクの前で話していたのだが、ふたりで会議室に入った。
 

「なんだろう?」
 
事務の女の子が2人分のコーヒーを持って来てくれてから畠山さんは訊く。
 
「実は私がKARIONに参加出来ない理由です」
「うん?」
 
「実は私、女の子じゃないからなんです」
「は?」
 
「私、戸籍上では、唐本冬彦って名前で、男性として登録されてるんですよね」
 
「えーーーーー!!!??」
と畠山さんは事務所いっぱいに響き渡るような声を出した。
 
「ですから、私が KARION に参加していた場合、メジャーデビューとかすればメンバーの個人情報なんて絶対調べられるでしょう」
「うん・・・」
「それで私が男の子と分かったら、大騒動になって KARION の3人にも社長にもご迷惑お掛けすると思ったんです」
 
「うーん・・・って、君ホントに男の子なの?」
「ええ」
 
と言って、ボクは生徒手帳と健康保険証を出してみせた。
 
「この生徒手帳は・・・・」
「写真は女子制服で撮ってもらったのですが、名前はそこに書いてある通りで」
「うむむむむむ」
 
「で健康保険証はごらんの通りです。性別こんなにハッキリ印刷しなくてもいいのに」
「うーん・・・・・」
 

畠山さんはたっぷり2分くらい沈黙した。そして言った。
 
「そういうことであればさ、僕としては君の性別をちゃんとあらかじめ言った上で KARION のメンバーとして入れてもいいと思う」
 
僕は少し悲しい目をして答える。
 
「とてもありがたいお言葉です。でもその件、和泉にも言ったのですが、それをやると、KARION自体が色物として見られてしまうと思うんです。純粋に実力で売れるユニットですから、むしろ清純なイメージにしておいた方が絶対売れると思うんですよね。ですから、私のことは、もし可能でしたら、KARION の影のメンバーということにでもしておいてください」
 
「ああ、影のメンバーか。それはいいかも知れないね」
と畠山さんは和やかな表情で言った。
 
「じゃさ、いっそのこと、君ソロシンガーで売らない? △△社の方の活動が今月いっぱいで終わるなら、その後、来月くらいからこちらで稼働させようよ」
 
「そうですね・・・・。でも実は私、親に自分の性別のことカムアウトしてなくて」
「ああ・・・」
 
「何とか頑張って、今年中か来年の春くらいまでにはちゃんと親にも自分の性別のことを話して、女子高校生として通学するのを認めてもらおうと思っているんです。それまで待って頂けないでしょうか」
 
「分かった。それをボクは待つよ」と社長は言う。
「ありがとうございます」
 
「それとKARIONの音源制作では引き続き、コーラス・キーボード・エンジニアの1人3役、頼むよ」
「はい! 頑張ります」
 

そういう訳で私はこの8月に自分の性別のことを畠山さんにカムアウトした・・・と随分後になるまで思っていたのだが、後にその頃のことを話していたら
 
「何言ってるの? その件はKARIONデビュー前の11月に話したじゃん」
と畠山さんには言われた。
 
畠山さんによれば、当時畠山さんがほんとに熱心に私をKARIONに勧誘したので、それで私が「実は・・・」と言って性別問題を打ち明け、それなら仕方無いかと畠山さんも納得したものの、それでも君は準メンバーとして扱っていくからと言われたのだという。
 
という訳で、この付近の私の記憶はかなり混乱しているようである。
(私のこの年の5月頃から翌年3月頃までの記憶にはあちこち矛盾がある)
 

その週の木曜日にサウザンズの音源制作の収録作業は終了した。後はミックスダウン、マスタリングといったエンジニア側の作業である。ボクは金曜日の日中は都内の戸島遊園地でローズ+リリーのライブがあるのでスタジオには夕方から出ることにした。
 
金曜日、ボクは朝から政子の家に行き、女の子の服に着替えて、一緒に戸島遊園地に行った。この日は《ローズ+リリー》という名前が付いてから初めてのライブであった。8月3日の宇都宮のライブではボクたちは《リリーフラワーズ》を名乗っていたのである。
 
園内の広場に設けられている小さなステージ。そこにボクと政子は駆け上がって
「こんにちは、ローズ+リリーでーす」
と言った。
 
そしてその次の瞬間、ボクはまばらな客席の最前列に座っている女子高生が、こちらをポカーンとして見ているのに気付く。
 
奈緒だった!
 
うっそー! なんでこんなところにいるの〜?
 
気を取り直して、ボクは政子と一緒に最初の曲『七色テントウ虫』を歌い出した。
 

演奏が終わってから控え室に戻ったボクたちを奈緒は追いかけて来たようであった。控え室のドアがノックされ「済みません」との声。すると須藤さんが「あ、こちらは関係者以外立ち入り禁止なのですが」と言ったが、ボクは「その子、良かったら入れてください。ボクの友だちなので」と言ったので須藤さんは奈緒を中に入れてくれた。
 
「いつの間にふたり、歌手になったの?」と奈緒。
「一緒に歌ったのは、こないだの日曜が最初。でも《ローズ+リリー》の名前で歌ったのは今日が初めて」
と答える。
 
「へー。でも冬子ちゃ〜ん。ふふふ。可愛いね〜。見違えちゃう」と奈緒。
「そう言わないでよ」
「いつの間に性転換したの?」
 
「あ、こないだ私が去勢しちゃった」と政子。
「えー? 私の手で去勢してあげようかと思ってたのになあ」と奈緒。
「あはは」
 
彼女には《ローズ+リリー》の最初のサインを書いた。メジャーデビューしてからのサインはアルファベットで《Rose+Lily》なのだが、それ以前のサインはカタカナで《ローズ+リリー》である。この古いサインは後にネットオークションで結構な値段で取引されていたようである。
 
「もうCDとか出してるの?」
「そんなの出さない、出さない。このユニットも今月いっぱいの限定だよ」
「なーんだ。詰まらない」
 

などと言っていたのだが、ボクたちはその3日後に、CDを制作することになってしまった!
 
収録した曲は『明るい水』『ふたりの愛ランド』『七色テントウ虫』
『恋のコンチェルト』『甘い視線』という5曲。伴奏は須藤さんが作ったMIDIの打ち込みで、この5曲をわずか3時間でバタバタと収録し、そのあと30分でジャケット用の写真撮影をした。
 
これじゃ、先月ボクと政子がスタジオでバタバタと録音した自主制作アルバムと大差無い!
 
ローズ+リリーの方のCDはデータを持ち込んだら即プレスしてくれる会社で200枚プレスしたが、レーベルは雀レコードになっていた。ここは△△社と関わりのある○○プロの関連会社である。つまりこのCDは自主制作CDではなく、一応インディーズCDという扱いになっていた。須藤さんはこのレーベルを電話1本掛けるだけで使用してよい権限を持っているらしい。
 
その制作したCDは翌日、水戸で行われる予定だったイベントに持っていき、ライブ会場でサインをしながら手売りした。この時持って行った1箱200枚が全部売り切れてしまい、須藤さんは買えなかった人に「通販しますから」と言って「明日からオープンする公式ホームページ」のURLを印刷した紙を手渡していた。
 
なお、この当時の「公式ページ」のアドレスは、△△社のページのサブページであった。
 
(このページは2009年1月に削除された。それから2010年5月に roselily.netができるまで、ローズ+リリーの情報は★★レコードのアーティストページからのみ発信されていた)
 

そして更に8月16日、ボクと政子は△△社と「暫定的なアーティスト契約」を結ぶことになってしまい、ローズ+リリーの活動は、9月以降も継続していくことになってしまったのである。
 
「ほんとに申し訳ありません」
とボクは畠山さんに電話で詫びた。
 
「やはり、そうなってしまったか・・・。君が歌ったら、絶対人気出るもん。ほんっとに去年の内に君と契約してなかったことが悔やまれる。僕、君のお父さんの承認を得るのに日参して説得しても良かったよ」
「ほんとに申し訳ないです」
 
「でもKARIONのコーラスとキーボードをするのは可能かな?」
「ちょっと難しいかと」
 
ボクは電話をいったん切って、△△社と交わした契約書を∴∴社にFAXした。
 
「乙は甲の専属歌手として、甲の指示に従い、本契約有効期間中、乙の学業と健康に差し障りの無い範囲で、音楽演奏会、ラジオ放送、有線放送、インターネットWebサイトなどへの出演、レコード、ビデオテープ、CD、DVD、ブルーレイ、音楽配信、などを制作するための演奏をする労務を提供する義務を負う。ローズ+リリーの名称に関する一切の権利は甲に属し、乙は甲の許可無く、これを使用して演奏をしたり、音源制作をしたり、またローズ+リリーの名前を使用した商品を販売したりしてはいけない。なるほどねえ。。。」
 
「すみません。やはりそちらでコーラスとかもできない感じです」
「ふーん。。。。これさあ、ローズ+リリーの名前で勝手に演奏したりしてはいけないってしか書かれてないね」
「あ、それはそう書かないと音楽の時間に歌ったり教室で鼻歌を歌ったりもできないからということで、そういう文面になったようです」
「なるほどね。ということは、ローズ+リリーの名前を使わずに、別の名前でなら活動できたりして?」
「えー?そんなのいいんですか?」
 
「まあ、ボーダーラインだね」
「ですよね」
「あと、専属歌手としてとしか書かれていないから、キーボード弾くのはOKだったりして」
「それも微妙な気がしますが」
「うん。微妙。でも、歌ったり楽器演奏できなくても、作詞作曲は禁じられてないね」
「へ?」
 
ボクはあらためて△△社と交わした契約書を見てみる。確かに歌手としての演奏についてしか契約文面には触れられていない。
 
「確かに禁止されてない気がします」
 
「だからさ、今度作るシングルで1曲、書いてくれない? 君、前何度か見せてもらったけど、結構良い曲を書くよね?」
 
「でも、プロで売るレベルの曲が書けるかどうか・・・」
「和泉ちゃんがさ、けっこうたくさん詩を書きためてるんだよ。その中で特に出来のいいのをいくつかそちらにFAXするから、曲を付けてみてくれない?それを今度のCDでカップリング曲として出してみたい」
「分かりました。やってみます」
 
「それともうひとつ」
「はい」
「この契約書さ、契約期間が2008年9月1日から1年間になってるんだけど」
「はい・・・・」
「だから、8月31日までは何でもし放題」
「えーーーー!?」
 

ということで、ボクは、和泉が書いた詩を見て、特に自分のインスピレーションが湧いたいくつかの作品に曲を付けてみた。その中で『水色のラブレター』という曲が畠山さんに気に入ってもらえた。
 
「この曲、結構行けるよ。これさ、ギター・ベース・ドラムス・キーボード、グロッケン、サックス、トランペットの7ピースバンドでの伴奏に編曲してくれない?」
「はい。編曲します。つまり travelling bells 用ですね」
「そうそう」
 
このKARIONの次期CDは2008.09.06(土)〜15(月)に音源制作が行われ、この作業にボクはいつものようにエンジニア助手として参加したのであるが、それに先行して8月27日に既にできあがっているスコアに従って、ボクのコーラス部分とキーボード演奏を録音したのであった。(6〜15日の音源制作中もボクがキーボードを弾いたが、その演奏データは音源制作に使用しなかったので、△△社との契約には違反しない)
 
そして、ボクと和泉が初めて一緒に作った曲『水色のラブレター』には、森之和泉作詞・水沢歌月作曲編曲、というクレジットが付けられた。その後、長らく KARION が歌う曲のソングライトペアとして使用されていくクレジットだが、森之和泉は和泉のペンネームと明かされているものの、水沢歌月というのが誰かというのはずっと非公開のままである。恐らくボクが死ぬまで非公開のままであろう。
 
その正体を知っているのは、KARION のメンバー、畠山社長、エンジニアの麻布さん、そして町添部長などごく少数に限られる。
 
世間では水沢歌月について、坂井真紅の楽曲の作曲者名の「桜島法子」同様、数人の覆面作曲家集団の代表ペンネームでは?と推測しているようである。
 

このようにして、ボクはこの年の8〜9月、補習に謀殺される高校生、スタジオのエンジニア助手、△△社の設営スタッフ、ローズ+リリーの片割れ、そしてKARIONの実質的な準メンバー、更には家庭の主婦! という1人6役の活動をしていたのであった。
 
(この時期、姉は就職活動に必死、母は町内会長をしていて、ボクが朝晩の御飯や父のお弁当を作っていたのである)
 

「ところでさ」と畠山さんは言った。
「FAXしてくれたものって、最終的な契約書?」
「といいますと?」とボクは聞き返す。
 
「君、未成年だからさ、君の保護者の署名捺印が必要だと思うんだけど、これには入ってないよね?」
「えっと・・・実は、例の問題で、そもそもボクが女の子になっているということ自体を親が知らないので、親の承諾をすぐにもらうことは困難です」
「ああ!」
「実はマリも別の事情で親の承諾は絶対に得られない状況でして」
 
「だったら、その契約書は無効だよ。君のもマリちゃんのも」
「ですよね・・・・春くらいまでには何と親を説得して正式な契約を結びたいのですが」
「うーん。。。それまでに問題が起きなきゃいいけど」
と畠山さんは親身に心配してくれているようであった。
 
「ほんとですよね」
とボクもその問題に一抹の不安を感じていた。
 
ただ、この時点で、ボクにしても畠山さんにしても、ローズ+リリーがあそこまで売れるとは思いもよらなかったのである。それは須藤さんもだったであろう。政子なども一種の「課外活動」のようなノリであった。
 

ローズ+リリーのライブは8月中に合計8回あったのだが、リリーフラワーズでアサインされていたライブは9月上旬にも2件入っていた。それが9月5日の熱海温泉と、13日の荒間温泉であった。これにもボクたちはリリーフラワーズの振替として、ローズ+リリーで出演することになった。
 
5日は6時限目が終わってからすぐに電車に飛び乗って熱海まで行く。到着したのが18時頃で、ボクたちのライブは3組出場する中の2番目で19時からであった。
 
日が落ちてからの屋外ライブだったが、温泉街の湯気の熱気でけっこう暖かかったので、ボクと政子は浴衣姿で、自分たちが作ったCDの曲を中心に歌った。
 
ひとつ前に歌っていたアイドルっぽい2人組が下がった後、ボクたちがステージに立つ。オープニングは『恋のコンチェルト』。クリスティアン・ペツォールトの『メヌエット』(通称バッハのメヌエット)に須藤さんが歌詞を付けたものである。メロディーはよく知られた曲なので、ツカミが良い。
 
これで注目を集めてから,CDのタイトル曲『明るい水』、リリーフラワーズの曲である『七色テントウ虫』と歌う。それから『甘い視線』(ベートーヴェンの『エリーゼのために』に須藤さんが歌詞を付けたもの)、『叱らないで』
(マドンナの『パパ・ドント・プリーチ』に須藤さんが日本語詩を付けたもの)、と歌って最後は『ふたりの愛ランド』で締めた。
 
こちらとしては熱唱したのだが、反応はあまり芳しくなかった。本来はボクたちより10歳近く年齢が高くて色気のあるリリーフラワーズの出番だったところだ。ボクたちは若さはあっても色気がまだ足りないので、40代以上が中心の観客にはあまり受けなかった感じだが、そのあたりは仕方無いところか。
 
ボクたちの後にステージに上がった、今日のイベントのトリである30代の女性演歌歌手にけっこうな歓声があがっていたのが、ちょっと悔しい気がした。
 

取り敢えずその晩は熱海に泊まってもいいよということだったのだが、ひとり暮らしの政子はいいにしても、ボクは帰らないと親から叱られるので、21時の新幹線で帰ることにする(家への帰宅は23時)。ボクが帰るなら政子も一緒に帰る、ということで、ライブが終わった19時半から20時半くらいまで1時間ほどが自由時間となった。
 
ボクと政子は旅館の部屋をひとつ割り当ててもらい(同年代の女性だから1部屋でいいだろうと思われたようであった)、お食事も頂いたのだが、政子は疲れが溜まっていたのか、食事しながら眠ってしまった。政子にしては珍しいが、後で聞いたら、前夜ひとばん徹夜で詩を書いていたらしい。
 
政子が眠ってしまうとボクとしては話し相手もなく、その日はパソコンも持ってきていなかったので、何もすることが無い!
 
ということでボクは温泉にでも行ってこようと思って、政子に毛布を掛けてあげた上で、部屋に置かれているタオルとバスタオルを持ち、大浴場の方へ行った。
 
大浴場という暖簾がある。それをくぐると番台があって、そこでチケットを見せるようである。渡されていた入浴チケットを見せ、男湯の方へ行こうとしたら
「待った待った、そっち男湯。女湯はこっち」
と番台のおばちゃんに言われてしまう。
 
あはは。やはりボクはこちらに入らなきゃいけないのか、と思い、知ってる人もいないし、まいっかと思ってボクは女湯の方へ進んだ。
 

温泉に入るのは、半年ぶりであった。でもボクって本当に長いこと男湯には行ってないなと思った。幼稚園の頃は何度か入っているものの、遥か彼方の記憶である。小学校に入ってからは、間違って案内されたり、友だちに唆されたり、あるいは半ば拉致されたりして、女湯にばっかり入ってきた。中3の修学旅行の時はもう完璧に開き直って最初から堂々と女湯に入ってしまった。
 
そんなことも考えながら、のんびりと湯につかっていたら、
「あれ? ケイちゃんだ」
と声を掛ける人がいる。
 
「あ、こんばんは。モーリーさん。お久しぶりです」
とボクは挨拶した。
 
ボクはこの時点でまだこの人が雨宮三森であることを知らなかった。
 
「やっぱり、ケイちゃんだ。なんか少し色っぽくなったね」
とモーリーさんは言う。
 
「まだまだ16歳ですから」
「あんた、誕生日はいつ?」
「10月8日です」
「じゃ来月で17歳か。女の子の色気が出始める頃だね」
「褒めても今日は何も出ませんよ」
「ね、お風呂あがった後、またカラオケ対決しない?」
「ごめんなさーい。私21時の新幹線で帰らないと」
 
「あら、それは残念ね。でもそんな時間に帰るなんて不思議なことするね」
「実は今日の夕方、こちらの広場で歌ったんです。サービスで温泉チケットもらったから入りに来ただけで」
 
「えー? あんた歌手になったの?」
「でもインディーズなんですよ」
「なんて名前?」
「友人とふたりでやってるユニットで、ローズ+リリーって言うんです」
「ローズ+リリーか。。。覚えとこう。CDはどこから出したの?」
 
「雀レコードという所です」
「ああ。じゃ、所属は○○プロ?」
「プロモーションをそちらに委託してますが、所属は△△社という所です。って、なんでモーリーさん、そういうのに詳しいんですか?」
 
「まあ、その方面の知り合いが何人かいるのよ」
と言ってから、モーリーさんは突然ボクのバストに触った。
 
「キャッ!」
と思わず声をあげる。
 
「おっぱい小さいね」
「いきなり、何するんですか〜?」
「食べるもの、ちゃんと食べてないからじゃないの? あんた細すぎるもん」
「おっぱいはこれから成長予定です。その内モーリーさんくらいのサイズになりますよ」
「ふふ。その頃、また触らせてもらおう。でも歌手としても成長予定かな?」
「そのつもりです」
とボクは笑顔で答えた。
 
雨宮先生がバストを大きくしているのかどうかは非公開情報だが、ボクはどうも雨宮先生の生バストがDカップ程度あることを知る、希少な人間のようである。
 

ボクがそろそろ行かないとと言うと、モーリーさんは、じゃ自分も上がろうと言って一緒にあがった。
 
「ね、あんたのCD、1枚もらえない?」
とモーリーさんが言うので、ボクはあまり時間が無いので玄関の所で渡しますと言って、自分の部屋に戻った。政子を起こして帰り支度をさせる。ボクも浴衣から普通の服に着替えた。
 
そして荷物の中に入れていた自分用に確保していたローズ+リリーのCD『明るい水』
を手に取ると、政子と一緒に玄関に行く。そこにいたモーリーさんに
 
「これ、自分用に取っていたものなので開封済みで済みません」
と言って手渡した。
 
(この時渡してしまったので、ボクはこのCDの初版を持っていないのである)
 
「うん、OK。OK。ついでにサインしてよ」
と言われたので、政子とふたりでCDケースの上に《ローズ+リリー》というサインを書いた。
 
「じゃ、またね」
「はい、また」
 
と言って別れて、呼んであったタクシーに乗り、新幹線の駅へ行く。
 
「どなた?」
と政子から聞かれたが
「うん。ちょっと面白いおばちゃん」
とボクは答えた。
 
実際ボクもこの時点ではそれ以上のことを知らなかった。
 
ちなみに政子は人の顔を覚えないたちなので、その日会った人が雨宮先生であることには、後々まで気付いていない
 

熱海に行った翌日から、ボクはスタジオでKARIONの音源制作に入った。(もちろんエンジニアとしての参加である)
 
8月1日に本来支払われるべき7月分のお給料は結局8月12日に支払われた。そして8月分の給料は9月1日に支払われるはずが、まだ出ていなかった。ボーナスもまだ支払われていないらしかった。
 
ボクは麻布さん、助手の人たちや有咲と「なんかちょっとやばいかもね」
などと言い合っていた。そこで麻布さんはこの KARIONの音源制作中、毎日その日の時点でのプロジェクトファイルを、コピーして事務所に持ち帰ってくれるよう畠山さんにお願いした(実際のコピー作業はボクがして、三島さんが持参したハードディスクに入れていた)
 
しかしその週は取り敢えず、スタジオはまだ無事であった。給料は出る気配も無かったが。
 

週末、9月13日の土曜日。ボクは政子と一緒に荒間温泉に行った。
 
この日は、リュークガールズの公演がこの温泉で行われ、ボクたちふたりはその前座を務めるとともに、設営作業、舞台装置の操作などをすることになっていた。
 
単独ライブなら3〜7曲くらい歌うのだが、今日は前座なので1曲のみ
『ふたりの愛ランド』を歌った。そして
 
「それでは本日のメインゲスト、リュークガールズです」
と言って下がり、その後はボクがミラーボールや背景などの操作をする。政子はボクのそばで、ボクがあれこれ操作するのを見ていた。
 
政子にこういう機械の操作をさせると「壊す」というのは既に実証済み!なので、須藤さんはボクに「絶対に政子には触らせるな」と厳命していた。
 
(放出型の人は概して電気製品との相性が悪い。政子が触っただけでPCが突然沈黙して再起不能になったことがあったので、政子は△△社内でもパソコンに触ることを禁止されている。政子は携帯電話も1年に1度は故障させる。後にiPhoneを買いに行った時など、ショップの人が「ちょっと操作してみられますか」
と言って展示機を政子に渡した途端、画面が落ちて、2度と起動しなかった)
 

やがて公演が終わって、後片付けとなる。
 
政子ともうひとり来ていた男性スタッフに舞台の方の後片付けを任せて、ボクは控室に行き、リュークガールズの面々に「お疲れ様でした」と言って、飲み物を配った。人と接するのが苦手な政子にはこういう仕事もさせられない。
 
その時、温泉協会のスタッフの女性が控室に入ってきて
「今日はありがとうございました」
と言って、みんなに温泉の入浴券を配り始めた。
 
そして「あ、前座の方もどうぞ」と言われ、ボクは政子の分までチケットを2枚もらってしまった。
 
するとリュークガールズの女の子たちが
「わあ、温泉入りたーい」
「ここの温泉って、肌がきれいになるって言ってたよね」
「そうそう。アルカリ性だから肌の心身代謝(たぶん新陳代謝のつもり)を促すらしいよ」
などと言い合っている。
 
ボクは微笑んで控室から出て行こうとしたのだが、メンバーのひとりに
「あ、ケイさんも一緒に行きましょうよ」
と声を掛けられる。
 
「あ、いや、私は舞台の片付けもしないといけないから」
と言ったのだが、リュークガールズのマネージャーさんからまで
「そういうのは男の人に任せておけばいいですよ。入りましょう」
などと言われてしまう。
 
こうなると断る理由が無い。ボクは「まいっか」と思い、彼女たちと一緒に温泉の方に向かった。出演者に色々付き合うのもスタッフの仕事のひとつである。
 

受付を通り、長い廊下をリュークガールズの子たちとおしゃべりしながら歩いて行く。この時にボクは彼女らひとりずつの名前を覚えていった。ボクを最初に「一緒に温泉に」と誘ったのが、朋香ちゃんという子であった。まだ16歳ということで、メンバーの中では若手になるようだが、一際存在が目立つ子だ。恐らくやがてはエースになるなとボクは思った。
 
やがて廊下が突き当たり、右が姫様、左が殿様と書かれている。ボクはチラっと殿様と書かれている暖簾を見てから、彼女たちと一緒に姫様と書かれた暖簾をくぐり、脱衣場に入る。
 
ああ・・・また女湯に入ってしまうのか、ボクは。もうこういうの慣れちゃった気がするけど、ボクが男の子と分かったら、やはり痴漢として逮捕されるのだろうか、などと変なことを考えたりした。
 
そんなことを考えてる間にも彼女たちはどんどん服を脱いで行く。
 
「あれ?脱がないの?」などと聞かれる。
「ああ、脱ぐ脱ぐ」
 
と言って、ボクはポロシャツを脱いだ。ブラが露わになる。今日は下から押しあげるタイプのシリコンパッドを入れているので、ブラの上辺には押し上げられた自分の乳房の脂肪がまるで大きな膨らみが存在するかのように見えている。
 
「あ、けっこう胸大きい」などとひとりの子に言われたが
「ごめーん。上げ底」と言って、パッドを片方外してみせた。
「きゃー、すごーい。こんなに上げ底できるものなの?」
と言って、パッドを抜いた状態の胸に触られる。
 
「私、おっぱい小さいのよ〜」とボクは言う。
「あ、それで脱ぐの、ためらったり、温泉に来るのためらったのね?」
「そうそう」
 
と言って笑いながら、ボクはスカートのホックを外して下に落とした。
 
ブラとパンティだけのスタイルになる。そしてブラのホックを外して小さな胸を露出させる。身を覆うのはパンティだけであるが、別にそれも脱いで構わない。
 
「ほんっとにおっぱい小さいね」
「牛乳飲むといいよ」
「納豆とかもいいらしいよ」
 
などと言われていた時、突然
 
「ケイ、いる〜?」
と政子の声がした。
 
げっ。この姿を政子には見られたくない。
 
ボクは慌ててブラの肩紐だけ通し、ポロシャツを頭からかぶり
 
「マリ、どうしたの?」と返事した。
 
政子が脱衣場を覗き込むようにして
「ちょっと急用なんだけど」
と言う。
 
「分かった。行く。ごめんねー、みんな」
 
とボクはリュークガールズの面々に詫び、急いでスカートを穿き、バストパッドはとりあえずスカートのポケットに入れると、政子と一緒に温泉から出た。
 
政子は
「冬、女湯なんかに行ってどうするつもりだったのよ?」
と咎めるような口調で言った。
 
「うん。一緒に入りましょうと言われて、それを何とか断って離脱したかったんだけど、うまい理由が思いつかなくて。どうしようかと思ってた。助かったよ」
と答えるが、我ながらボクって嘘つきだなあと思う。
 
「まあ、マジで急用なんだけどさ。東京に戻るよ」
と政子。
 

その「急用」というのは、唐突にメジャーデビューの話が来たということだった。
 
しかもそのメジャーデビューに際して、上島雷太先生から曲をもらえたというのである。ボクはさすがに仰天した。
 
上島先生は今いちばん旬の売れっ子作曲家である。百瀬みゆき・松浦紗雪・大西典香・mapなど、多数の人気歌手・ユニットに楽曲を提供しているし、この春にもAYA という歌唱ユニット(3人組だったのが、メジャーデビュー直前に2人やめて結局ソロプロジェクトになってしまった)に曲を提供してヒットさせているが、AYAは3人で歌っていたインディーズ時代にも結構なセールスを上げていたし、ライブはいつも満員だったらしい。でもボクらは何の実績も無い。
 
それがなんで曲をもらえるの〜!?
 
とボクは正直、訳が分からなかった。
 

上島先生が書いてくださった曲は『その時』という、切ない片想いを歌った曲である。正直、ボクは譜面に「上島雷太」の文字を見た時も、無名の新人にくれる曲なら、どうせ適当に作った曲ではと思ったのだが、譜面をちゃんと読んでみると、物凄いリキの入った作品であることに、驚いたのである。これはボクらに渡さなくても、AYAとか松浦紗雪みたいな実績のある歌手に渡していい作品だ。
 
須藤さんは、ボクと政子に
「1曲ではCDとして出せないから、カップリング曲をあんたたちで書いて」
と言った。
 
須藤さんという人は、実際問題として相手構わず「ちょっと曲書いてみて」と無茶なことを言う癖のある人である(というのは数年付き合ってみて分かってきた)。しかしボクたちはそんなこととは知らずに、折角与えられたチャンスに頑張ろうと言って、その夜、政子の家でふたりで、結構気合いを入れて新曲を書いた。(政子が《赤い旋風》のボールペンで書いた詩に、ボクが《銀の大地》のボールペンで曲を付けた)
 
それが『遙かな夢』という曲であった。
 
ボクたちが翌日14日の日曜日に譜面を持って行くと、須藤さんは「え?ホントに書いたの?」と驚くような顔をした。どうもボクたちには書けないだろうから自分で書こうと思っていたような雰囲気であった。
 
しかし譜面を見た須藤さんは「これ、いい曲だ! あんたたちセンスいいね!」
とボクたちを褒めてくれた。
 
『その時』と『遙かな夢』はどちらも片想いの少女の思いを歌った曲であるが、どちらかというと消極的な態度の『その時』に対して『遙かな夢』は積極的で、その対比が美しいバランスを作っていた。
 
『その時』は上島先生の相棒ともいうべき下川先生が編曲してくださったスコアが届いていたが、須藤さんは『遙かな夢』もお願いして下川先生に編曲してもらうことにした。
 

15日、月曜日。KARIONの音源制作の録音作業が無事完了した。あとはミックスダウンとマスタリングが残っているが、麻布さんはこれをできるだけ早くすませると言った。そして毎日三島さんに「様子を見に」来てもらい、その時点でのデータをコピーして持ち帰ってくれるように言った。こちらがデータを勝手にどこかに持って行くことはできないが、発注主がデータのコピーを要求するのは自由だ。
 
「社長、ほんとにごめんなさい。私の方のユニット、メジャーデビューという話になっちゃいました」
とボクは畠山さんに謝った。
 
「いや、そうなって当然だよ。逃がした鯛は大きいなあ。でも君のことは応援してるから」
と言ってくれる。ボクはただただ、畠山さんに頭を下げた。
 

 
一方で須藤さんは、その週、新しいCDに入れる曲として更に3曲のカバー曲を用意した。それぞれの曲の作者に連絡してカバーすることを了承してもらった上で、自身で編曲してスコアを作る。ボクと政子は『その時』『遙かな夢』とその3曲の合計5曲をその週は練習した。
 
そして21日の日曜日、○○プロの関連会社が運営するスタジオで、スタジオミュージシャンさんたちの伴奏によりボクと政子はその5曲を吹き込んだ。須藤さんは翌日月曜日に1日でその曲を自らミックスダウン、マスタリングしてCDプレス用のマスターデータを完成させた。
 
普通なら音源制作してからCD発売までは1〜2ヶ月の間を置き、キャンペーンを組んだり宣伝をしたりするのだが、はなっから、★★レコードとしては、上島先生の作品だから取り敢えず出すか、という雰囲気だったし、△△社としては上島先生からせっかく作品を頂いた以上、すぐにもリリースせねば、という感じだったので、このCDは音源制作してから、わずか一週間での発売ということになった。
 
もちろん、★★レコードで何か宣伝をしてくれたりも無かったが、ちょうど発売日の27日に埼玉県のレジャープールで行われることになっていたイベント(複数のレコード会社が相乗りしたイベントでメインゲストは◎◎レコードのELFILIES)の出演者ラインナップにボクたちローズ+リリーを押し込んでくれた。それでそれがボクたちの発売記念イベント代わりとなったのである。
 

ローズ+リリーの録音作業があった翌日月曜日。
 
ボクはいつものように補習が終わってから、いつものスタジオに行った。すると有咲を含む数人のスタッフが玄関前にたむろしている。
 
「どうしたの?」
「まあ、見れば分かる」と有咲。
 
玄関の所に何か張り紙がしてある。
 
『立入禁止。債権者』
 
と、またシンプルな張り紙である。
 
「あーあ。とうとうアウトか」
「そうみたい」
 
しかしボクはこの事態になる前にKARIONのマスターデータが完成していたことに安堵した。マスターデータは先週水曜日の夜完成して、∴∴ミュージックに引き渡されたのである。普通ならもう少し掛かるところを、麻布さんが大学生と専門学校生の助手さんたちに自腹で現金の報酬を渡して徹夜で完成させていた。
 
その場にいた他のスタッフさんたちと
「どうしたもんですかね〜」
などと言っていた時、麻布さんを含む数人のエンジニアさんたちが一緒に難しい顔でこちらにやってきた。
 
「社長とも専務とも常務とも連絡が取れません」
と代表でエンジニア長さんが言う。
 
「私たち、どうすればいいんでしょうか?」
「強制ではありませんが、一緒に行動しませんか? 7月に出るはずだったボーナス、8月分の給料、9月に入ってから働いた分の給料、そして解雇であればもらえるはずの退職金と1ヶ月分の給料。それを団結して要求します」
 
そこでその場に集まっている人だけでもエンジニア長さんが用意したノートに名前を書いた。他のスタッフには個別に連絡を取って意向を聞くことになった。
 

ボクと有咲は麻布さんと一緒に近くの喫茶店に入った。
 
「しかしまあ、参ったね」
 
「私や冬は大した報酬もらってないから、まだいいけど、麻布先生はかなり取りっぱぐれになるのでは?」と有咲。
 
「うーん。まあ、その分これまでたくさんもらってるからいいよ。君たちこそここの給料をいろいろ欲しいもの買うのとかに使ってたんでしょ? まだ出てなかった先月分の給料と、今月ここまで働いた分の給料+解雇ならもらえる1ヶ月分の給料は、ボクが取り敢えず立て替えて払うよ」
 
「それは申し訳無いです」
「いや、ボクが使ってた大学生・専門学校生の助手さん4人にもさっき電話してその分を払うと言っておいたから。君たちも同等だよ。お金については心配しなくていい。充分な貯金があるし、僕は独身で気楽だし」
 
「確かにあの助手さんたちは、学資にしていたみたいだし、無いと辛いでしょうね」
 
「でも先生、これからどうなさるんですか?」
 
「・・・今朝から考えてたんだけどね。今後の経営陣や債権者との交渉はエンジニア長さんがやってくれるみたいだし、下っぱエンジニアの僕は海外に逃亡しようかと思って」
「海外逃亡ですか!?」
 
「ニューヨークにいる、学生時代の友人がね。こっちに来ないか?と誘ってくれてたんだよね。でも仕事が途切れないしと思ってたんだけど、これはいい機会かも知れないなと思ってね」
「へー」
 
「向こうで2〜3年、アメリカのスタジオの仕事の仕方を勉強させてもらうのもいいかなと思っている」
 
「そういうのもいいですね」
「武者修行ですね」
「そうそう。帰国した時に、また君たちと一緒に仕事ができるといいな」
「そうですね」
 
それが、その年の麻布さんとの最後の会話になってしまったが、喫茶店を出て有咲と一緒に取り敢えずマックにでも行こうか、などと話していて、ボクはふと麻布先生に、ボクが政子とやっている歌唱ユニットの名前《ローズ+リリー》を結局伝えていなかったな、ということに思い至った。
 
守秘義務、個人情報保護、プライバシー、といった普段の意識のせいで、お互い、よほどのことがない限り固有名詞を出さないし聞かないという癖が、ボクらには付いていることもあった。
 

ローズ+リリーの発売イベントをプールでするということで、須藤さんはボクたちに水着を着るように言った。当然ふたりとも女子用水着である!
 
元々女子である政子はまあいいとして、男子のボクが女子用水着を着るとなるとあれこれ誤魔化しが必要である。そのテクニックについて調べて、政子はボクに胸にはプレストフォームを貼り付け、お股はタックすればよいという結論を出した。
 
早速翌日、ブレストフォームを売っているお店に一緒に買いに行く。
 
「何カップにしたいですか?」
「どうせだから、どーんとFカップくらいに」と政子。
「いえ、Cカップで充分です」とボク。
 
「じゃ、このサイズかな」
とお店の人がセレクトしてくれる。
 
「経験無いのでうまく貼り付けられないかも知れないから、この子に貼ってあげてくれませんでしょうか? 料金も払いますから」
と政子は言ったが、お店の人は
「作業料金はいいですよ。サービスしておきます」
 
と言い、ボクを促して試着室に入った。ボクはふっと溜息を付くと、ポロシャツを脱ぎ、ブラジャーを外した。
 
「あ」とお店の人が声をあげる。
「えっと・・・・サイズ測っていい?」
「はい」
 
お店の人がメジャーを出して、ボクのトップバスト、アンダーバストを測る。
「アンダー71, トップ82。これ、今付けておられるA70のブラでは小さいですよ。ブレストフォーム付けない時もB70になさった方がいいです」
「そうですね・・・」
 
「ちょっと商品のサイズ換えてきます」
と言ってお店の人は、外に出ると少しして、別のサイズの商品を持って来た。
 
「価格は同じですか?」
「こちらがずっと安いですよ。シリコンの量がとっても少ない分」
とお店の人はにこやかに言い、それをボクの胸に貼り付けてくれた。
 
「済みません。外の彼女には私のバストサイズのことは言わないで下さい」
「ええ。私たちは必要なこと以外は何も言いません」
「ありがとうございます」
 
 
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【夏の日の想い出・多忙な女子高生】(上)