【夏の日の想い出・女子制服の想い出】(2)

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夏休みの間も、補習はお盆の時期以外、毎日早朝からお昼前まで5時間(0時限目から4時限目まで)行われるので、ボクは毎朝ワイシャツとズボンで出て行っては帰りは女子制服に着替えて、図書館を覗いたり、体育館の用具室でピアノを弾いたりしていた。たまに書道部のメンツが集まって若干の活動をしていることもあった。この時期、詩津紅は9月の大会を控えて毎日コーラス部の練習があっていたので、用具室には来れないようであった。
 
ハンバーガーショップのバイトは8月いっぱい(正確には9月2日の日曜日)で終了となった。夏休みが終わると客足も少し少なくなるので、お店側も少しスタッフを減らしたいということと、こちらも2学期が始まると補習が増えて勉強も忙しくなるということで、契約を更新しないことになった。和泉の方も、歌のレッスンの時間を増やしたいということで、やはり9月2日で辞めることになった。
 
ボクは9月になると、平日は特にバイトはせず、土曜日は(バイトではないが)スタジオに顔を出し、日曜日はお昼過ぎから新宿に出て、リハーサル歌手の仕事をしていた。
 

スタジオでは色々な歌手、バンドの人達が録音をしていたが、ボクは時々録音作業の中で、仮歌を頼まれることがあった。
 
ポップス系の人たちは、最初から譜面が比較的固まっていることが多いのだが、ロック系の人たちの場合は演奏しながらアレンジを固めていく感じで最初はかなり曖昧な状況であることも多かった。それで譜面が不安定な状態ではボーカルの人も歌いづらい感じであったのをボクが仮の譜面を見ながら歌ってみせて、それを参考にアレンジを固めていくということをしていた。
 
またアイドル系の歌手には譜面が読めない子が多く、これはマジで誰かが仮歌を歌ってあげないと、どうにもならない感じだった。
 
更に問題なのが演歌系で、この場合、作曲家本人もどんなイメージの曲かよく分かっていないということもあり、ボクが仮歌を歌ってから「あ。ここ思ってたのと違った」などといって曲のメロディー自体に手を入れるなどということがしばしば行われていた。時には作曲家があんまり悩んでいるような場合、「ここ、こんな感じではダメですか?」とボクが少し違う旋律で歌ってみせることもあった。すると「あ、それ採用」などといって、譜面を書くなどという作曲家もいた。
 
そんな感じで、8〜9月頃、ボクはスタジオの専属歌手みたいな感じにもなってきて、毎回3000円程度の「謝礼」をもらっていた。
 
「唐本ちゃん、可能ならもう1日くらい出てこれない?」と麻布さん。
「ハンバーガーショップのバイトが終わったので水曜日の夕方にも出てきましょうか? 水曜は午後の補習が無いので」
「うん。頼む」
 
そういう訳で、ボクは水曜と土曜に麻布さんのスタジオに行き、日曜にはテレビ局の番組収録が行われるスタジオに行く、という生活になった。月曜と木曜は午後の補習(7時間目)が行われていた。火曜と金曜は6時間目で終了であるが、だいたい女子制服に着替えてから、火曜日は体育館に行って(詩津紅はコーラス部の方に行っているので来ないものの)ひとりでピアノを弾き語りし、金曜日は図書館に行って美術史や音楽史などの本をよく読んでいた。
 

ボクは9月に入ってから、冬服の問題について悩み始めた。
 
麻布さんのスタジオの方は、別に普段着で行っても良いのだが、テレビ局の方は制服で行くことを求められていた。10月になると衣替えである。夏服のまま通うことはできない。そもそも夏服じゃ寒い!
 
ボクは冬服を頼むことにした。
 
母に言って、買ってもらうことも考えたのだが、夏服をせっかく買ってもらったのに、実際にはそれで通学していない状況なので、更に冬服を買ってとは言えない気がして、自分で頼むことにした。幸いにもバイト代の貯金がある。
 
土曜日の朝、ボクは夏服の制服を着て、商店街の○○○屋の本店まで行き、あらためて採寸をしてもらった。高校に入ってからの生活の変化で少し体形が変わっている気がしたのである。
 
「あら、春先、4〜5月はどうしてたんですか?」
とお店の人から訊かれた。今の時期に冬服を作る子は転校生くらいだろう。
 
「ええ、先輩から譲ってもらっていたのを着ていたのですが、サイズが合わないので、やはりちゃんと作ろうと思いまして」
「ああ、なるほどですね」
「実はスカート丈も短すぎて」
「あなた背丈あるからね! 短すぎると、服装チェックで注意されるわよね」
「そうなんです」
 
メジャーで身体のあちこちを測られる。
 
「春に採寸した時はウェスト62だっから夏服は64で作ったけど、あなた60になってるわね」
「けっこうバイトしてたから、それで少し痩せたかも知れないです」
「あなた、背があるわりに、胸も小さいしね」
「あはは。バストは成長未熟で」
「じゃ、少し成長することを見込んでバストは余裕を持って」
「あ、はい、お願いします」
 
結局ウェスト61・ヒップ90で作ってもらうことにした。一応アジャスターが付いているので、多少の増加には対応出来る。バストは張り切って86にしてもらった。Cカップくらいまで成長!しても平気である。
 
出来上がった時の連絡先は自分の携帯の方にしてもらった。
 
「もしDカップとかくらいまで成長しても、ブレザーは胸の所は押さえませんから何とかなりますよ」
などとも言われる。
 
「そんなに成長するといいですけど」
「胸って、成長するときは短期間にどーんと成長するんですよ。あなた、今まであまり成長してなかったから、きっと今からその急成長期が来ますよ」
「ああ・・・そうなのかも知れないですね」
 

ボクは帰る途中、洋服屋さんから言われたことを思い返していた。
 
「バストの急成長の時期か・・・・開き直って成長させちゃおうかな・・・」
 
ボクは自分のバストがCカップとかDカップとかある状態を想像し、そんな自分の身体を鏡に映している姿なども想像してみた。
 
ちょっと胸が熱くなってきた。
 
いいなあ・・・それ。
 
もう・・・男の子でいるの、辞めちゃおうかな・・・・生殖能力も・・・無くなっちゃってもいいよね?
 
そんな気持ちが湧き起こってきた。
 
でも子供作れなくなるって親不孝かな・・・などと考えると、ちょっと涙が出た。とは言っても、女の子とセックスするなんて場面は全然想像が付かないし!セックスできないなら、男性能力あっても仕方無いかも知れないな。。。。
 
春先にボクは奈緒に誘惑されてお互い裸にまではなったものの、結局セックスできなかったことを思い出していた。立つことは立ったけど、入れる勇気は持てなかった。彼女との関係はあくまで友だちのままにしておきたかった。
 
セックスしても、友だちという関係は変わらないよ、とは言われたけど。確かにそんな気はするけどね。。。。
 

そんなことを悩みながら、ぼんやりとして歩いていたら、バッタリと若葉と遭遇した。
 
「はーい、可愛い女子制服着た、冬子ちゃん、どこ行くの?」
 
「ね・・・精液の冷凍保存できるとことか、知らない?」
「・・・紹介してあげられるよ。でもどうして?」
「ボク・・・もうこれ以上男性能力を維持できる自信が無くて」
 
「そりゃ、女性ホルモンずっと摂っていれば、生殖能力は無くなるだろうね」
「そうだね。。。」
「ふーん。今日は女性ホルモン摂ってること、否定しないんだ?」
「あ、えっと、注射とかはしてないよ」
「錠剤だよね?」
「・・・・費用はいくらくらいかな?」
 
「アンプル1本につき、1年で1万円の所、コネ特別割引5000円」
「念のため2本くらい取っておきたい」
「じゃ年間1万円だね」
 
「今度連れてってくれない?」
「前回夢精したのいつ?」
若葉はボクが自慰しないことを知っている。ボクの射精はほとんど夢精だ。
 
「先月の15日」
「じゃ、そろそろ次の夢精が来る頃じゃない?」
「うん」
「だったら、もう採取出来るよ。今から行かない? 基本的にはカップルでないと受け付けてくれないんだけど、私、冬の彼女の役、してあげるから」
「え?でも・・・」
 
「私たち、他人じゃないしね」
「えっと・・・」
 

そして30分後。ボクは都内のとある産婦人科に若葉と一緒に来ていた。こんな所に来るのは初めてだ!
 
若葉はボクの年齢を18歳ということで申告した。18歳以上でないと、やってもらえないらしい。更にふたりは婚約者!であるとも言った。
 
「えっと女性ふたりで来られてもどうしようと・・・」
とお医者さんは戸惑うような顔をしたが
「この子、実は男の子なんです。来年高校を卒業したらすぐ性転換手術を受けたいと言っているので、その前に精液を冷凍保存したいんです。私はまだ妊娠できないし」
と若葉は説明したが、来年性転換手術を受けるなんて、ボク自身初耳だ!
 
「あなた、本当に男の子なの!?」
とお医者さんは驚いた様子である。ボクはコクリと頷いた。
 
「そういう事情なら冷凍保存はOKです。生殖が不能になる治療を受ける前の保存は基準に合致してますから」
と先生は言う。
 
「でも、あなたの方は彼が女の身体になってしまってもいいの?」
と若葉に訊く。
「ええ。私、どちらかというとレズなんで。彼女とはふつうの形でのセックスもしますが、インサートはせずにレズ的なプレイをすることの方が多いんです」
などと若葉は答える。ボクはつい赤面してしまった。
 
「彼女、もう既におっぱいはあるんですよね。だから、ベッドの中ではいつもおっぱいの揉み合いっこしてますよ」
などと若葉は更に言う。ひぇー。そんなのしたことないよ−。と思いながらももうこちらは真っ赤になる。
 
「ああ、なるほどね」
と言って先生は納得した様子であった。
 

そういう訳で、ボクと若葉は一緒に精子採取室に入った。
 
「やってあげるね」と言う若葉は楽しそうだ。
「あはは。お手柔らかに」
 
ボクはベッドに横になってスカートをめくり、パンティを下げた。若葉は生理用品入れの中からコンドームを取り出して指に付けた。
 
「それ、いつも持ち歩いてるの?」
「うん。突発的に誰かとすることになった時、無いと困るでしょ?」
「それはそうだけど・・・」
 
ボクはそれを実際に使うことがあるのかと訊くのはためらわれた。
 
「入れるよ」
「はい〜」
 
若葉はボクのあそこに指を入れて前立腺を刺激する。すぐにボクは立ってしまった。
 
「ね、ね、これやってみたいの。していい?」
などと若葉が言うので、「いいよ」と言ってさせる。
 
若葉が楽しそうにそれをつかんで上下させ、ボクはすぐに射精した。容器で受けとめる。ボクはこういう形で射精に至ったのは、久しぶりだったので何だか凄く変な気分になった。しばし放心状態になる。
 
「私、だいぶ男性恐怖症が緩和されたかも」
などと若葉は楽しそうに言っている。
 
「若葉、恋人はできた?」
「ふふふ。恋愛してるよ。実はキスしちゃったんだよね」
「すごいじゃん!相手、女の子だよね?」
「もちろん。セックスもしてみたいなあ」
「別に妊娠の心配は無いし、してみるといいと思うよ」
「うん。頑張ってみる」
と若葉は楽しそうである。女子高に行って良かったなどとも言っていた。
 

ボクは下着を汚さないようにするのに、自分で持っている生理用品入れからパンティライナーを取り出してショーツに取り付けて穿いた。
 
「ふーん。そういうの持ってるのね」
「普通のナプキンも常備してるよ」
「じゃ、コンちゃんも常備しておきなよ」
「そうだね。考えてみる。使うのは多分相手の方だろうけど」
「多分そうだろうね。冬は自分のにかぶせることはきっと無いと思うよ」
 
服の乱れを直して精子採取室から一緒に出る。
 
先生は顕微鏡で精液をチェックしていた。
 
「あなた、女性ホルモンやってるでしょ?」と先生は言った。
「はい」
「精子の運動性が悪い。でも濃縮してから冷凍するから、人工授精に使うのは問題無いです」
「良かった」
 
「あなた、性同一性障害の診断書はもうもらってるの?」
「あ、いえまだです」
 
「診断書を2枚もらわないと性転換手術は受けられないよ」
「あ、そうだったんですか? まだ勉強不足で」
「紹介状書いてあげるから、受診しなさいよ」
「はい、そうします」
 
そういうことで、ボクはジェンダー外来に行くことになった。精子の採取の方は3週間後に2度目をすることにして病院の予約を入れた。
 
「採取前の1週間は自慰はしないでください」
「あ、大丈夫です。自慰はもう何年もしていません」
「ああ!」
 
なお、精子の採取は結局4回することになり、3週間おきに11月まで掛かった。そして、この時期、ボクは精子の採取をしていたことで、結果的に女性ホルモンの量を増やして身体を強力に女性化させるということまではせずに過ごすことになった。
 
出発点は「もう男の子辞めちゃおう」ということだったはずが「その前に精子を保存しようかな」と思ったことで、結果的に男性能力を維持したままということになってしまったのである。
 

少し時間を巻き戻して9月初旬。模試の成績表が学校経由で帰って来た。ボクは試験自体は単独で受けているものの、所属学校には◆◆高校の名前を書いていたので、そちらにまとめて返却されたようであった。
 
ボクの成績は校内で30位であった。6月に受けた校内実力テストでは148位だったので、それからすると大躍進ということで先生に褒められた。自分としては密かに順位1桁の成績を狙っていたので、まだまだ勉強不足を感じたのだが、「女の子の服を着ると点数が変わる」というボクの性格を知らなければ、夏休みに入ってから物凄くよく勉強したと思われるだろう。
 
ボクは当時密かに東京外大を狙っていたので、そのためにはもっと勉強しなければと思った。そこでボクは母に
「進研ゼミを受けたい」
と言った。母は
「勉強する気が出来てきたのはいいことだ」
と言って、即申し込んでくれることになった。
 
「あのね、あのね」
「うん?」
「申し込む時の氏名をね、唐本冬子にしてくれたりしない?」
 
母は微笑んで「いいよ」と言った。
 
それでボクは10月号から、唐本冬子の名前で進研ゼミをやることになった。
 

9月11日・火曜日。ボクはその日午後の補習が無かったので、6時間目が終わってから紹介状を書いてもらった、総合病院のジェンダー外来を訪れた。
 
ボクは最初から自分史とかは書いて行った。そして紹介状には早い時期に性別適合手術を受けたいと希望しているなどと書かれていたこともあり、その日のうちにかなりの検査を受けさせられた。
 
「フライングしてるね?」
「すみません」
 
フライングというのはこの世界では、きちんとした治療基準に従わずに勝手にホルモンを飲んで身体を女性化させていることを指す。でも実際問題として、治療基準に従っていたら、完全に身体が男性化してから女性化の治療を始めることになり、それもかなり身体に負担を掛ける。
 
「あれ。でも君、生殖細胞はちゃんと生きてるね」
などと、睾丸の組織採取をした結果を見て先生は言う。
 
「私、自慰はしないのですが、夢精で出てきた時の精液を自分で顕微鏡で見て精子がちゃんと存在していて活動していることを確認しています。それでホルモン剤を飲む量を加減しています」
「なるほど」
「男性機能は生かさず殺さずです」
 
「君、かなり意志が強い子だね」
「そうでしょうか?どちらかというと流されてばかりで、悪い意味で女の子の性格だよって、友だちから言われますけど」
「ああ、それはあるかもね」
 
その日は検査の他はとにかくいろいろな「お話」をした感じであった。
 
ボクはこの病院には10月の頭まで、合計5回通い、性同一性障害の診断書を書いてもらった。でもこの病院通いで、ハンバーガーショップのバイト代の貯金が2ヶ月分飛んでしまった!
 

9月21日・金曜日。
 
ボクの携帯に「冬服できましたよ」という連絡が入ったので、学校が終わってから、ボクは夏服の女子制服に着替えて、洋服屋さんまで取りに行った。
 
早速試着してみる。
 
「うん。サイズは問題無いですね」
「ええ。気心地がいいです。でもこういう可愛い服を着られるって、女の子で良かったな、と思っちゃう感じです」
「そうね。男の子にこういう服を着せたら、少し変よね」
などとお店の人も笑っている。
 
まだ衣替えではないので、夏服に着替えてから帰宅したが、早く冬服も着てみたいなという気持ちになった。
 

9月23日・日曜日。ボクは午前中、市民会館まで出かけて行った。
 
その日、コーラス部の大会があるので「見に来てよ」と詩津紅に言われたのである。午後からはテレビ局での仕事があるのだが、うちの学校の出番は午前中ということだったので、それなら見られるなと思ったので出て行った。
 
もちろん女子制服で!
 
色々な高校の合唱部がステージに上がって歌を歌っていく。自分が小学校・中学校の合唱部で歌った時のことを思い出す。いいなあ、こういうのってと改めて思う。何と言ってもステージに立って歌うのって快感だ!
 
やがてボクたちの学校の出番が来て、部員たちがステージに上がる。詩津紅もアルトの後部中央に立った。瞬間、ボクは詩津紅と目が合い、ボクは手を振った。向こうも笑顔で応えてくれた。
 
やがて歌が始まる。気持ちが乗っていく。歌詞のひとつひとつ、音符のひとつひとつが頭の中で再生される。ボクは今すぐ自分が出て行って、ステージに立ちたいような気持ちになった。
 
演奏が終わってから、ボクはロビーに出た。
 
ちょっと心のほてりを冷ましたい気分だった。全面ガラスになっているホールの壁を通して外の景色を見ていたら、ひとりの男性に声を掛けられた。
 
「ねぇ、君」
「はい?」
とボクは笑顔を向ける。この地区の音楽協会の会長さんだ。ボクが小学校の時男子トイレを使っていたのを咎めた人である。
 
「君、確か去年、中学の大会で入賞した学校の子だよね?」
「はい。表彰に立たせて頂きました。ありがとうございます」
 
「その制服、◆◆高校だよね。今、歌った?」
「ええ。でも私はこの学校ではコーラス部に入ってないので、今日は見学です。コーラス部に入っている友人に誘われて見に来ました」
「へー。でもどうして入ってないの?」
 
「プロに転向しようかと思っていて」
「ああ!」
「今、スタジオで音源制作の時の仮歌を歌ったり、テレビの番組のリハーサルで歌ったりする、裏方の歌手をしてるんですよ」
「おお! そのうちデビューできるといいね」
「ありがとうございます」
 
「ね。。。これ勘違いなら、御免。君さ、小学校の時も大会で入賞しなかった?」
「会長さんから、表彰して頂きました」
「やはり、あの時の子だよね!」
 
「ええ。もう男子トイレには入りませんよ」
と言ってボクは微笑む。
 
「君、やはり本当は女の子だったの?」
「あの頃は、生活の9割くらい男の子だったんですけど、今は男の子半分、女の子半分って感じの生活になっちゃいました」
 
「じゃ、君やはり男の子なの?」
「そうですね。戸籍上は」
「そうだったのか・・・・でも、君、全然男の子には見えないよ」
「自分でも自分のことは女の子としか思ってません」
「ああ!そうだろうね!」
 

時間にあまり余裕が無かったので、詩津紅には会わないまま、会場を後にして新宿に向かった。いつものようにリハーサルの仕事をする。最初の歌を歌ってから、和泉に訊かれる。
 
「どうかしたの?今日は?」
「私の歌、変だった?」
「ううん。迫力ありすぎたから」
「そうかな?」
「何か物凄くエネルギーに満ちあふれていたよ」
 
更にその日はプロデューサーさんからまで声を掛けられた。
 
「君、今日はなんか凄いね」
「ありがとうございます」
「ね、君、番組本体に出演しない? 今日デビューした新人って紹介するよ」
「それはさすがに無理があるかと」
 
「だって、今日の君の歌は、リハーサル歌手とかの歌じゃない。スーパースターの歌だったよ。本番に出演する歌手たちも、みんな圧倒されてたよ」
 

やがて10月に入る。クラスメイトたちはみんな衣替えで、冬服の制服に戻った。ボクも朝は学生服を着て学校に出かける。
 
「あんた、結局冬服は作らないの?」
と小声で母に訊かれた。
「その気分になったら。まだもう少しいいよ」
「そう?」
 
でも火曜日になると、ボクは校内で学生服から冬服の女子制服にチェンジして体育館に行った。用具倉庫に詩津紅が来る。
 
「久しぶり〜」
「ほんとほんと。おおっ。冬はちゃんと冬服になってる」
「衣替えだもんね」
「6月は男子冬服から女子夏服に衣替えしたけど、今月は女子夏服から女子冬服への衣替えなのね」
「うん。授業には男子冬服で出てるけどね」
「女子制服で授業にも出ればいいのに」
「うーん。もう少し、女子の服に慣れてから」
「これだけ着てて、まだ慣れてないとでも?」
 
ふたりで一緒に『帰れソレントへ』とか『夢路より』とか教科書に載っているような曲、また『千の風になって』『CHE.R.RY』など最近の話題曲も歌う。
 
「あのね。なんか言いづらくて」
「どうしたの?」
「私、火曜・木曜に、あまり来れなくなるかも」
「コーラス部の方、忙しくなるの?」
「そうなの! こないだの大会の後で、部長が2年生の人に交替したんだけど、凄く張り切ってて。練習は毎日やりましょうよ、と」
「いいんじゃない? たくさん練習すればいいよ」
「ごめんねー」
「ううん。ね、もし土日の午前中に時間取れるなら、どこか校外ででも会って一緒に歌わない?」
 
「ああ、土日の午後はバイトって言ってたね」
「うん。土曜日はレコーディングスタジオ、日曜日はテレビ局」
「テレビ局っていいなあ。有名な歌手とかと話したりする機会無い?」
「無い無い。こちらはただのスタッフだもん」
「そっかー。でもそういう世界もいいなあ」
「けっこうどろどろした部分もあるっぽいけどね」
「ありそうね」
 
そういう訳で、このあとボクと詩津紅のデュエットは、毎週土曜のカラオケ屋さんに舞台を移して、2年生の1学期まで続いていくことになる。ボクはもちろん女子制服で出て行っていた。ちなみにボクが自分所有の女子冬服を着ている姿を見ている同じ学校の友人は、詩津紅と奈緒だけである。
 
なお、2年生の夏休みになると、詩津紅は大会に向けての練習で忙しくなり、ボクは△△社の設営のバイトを始めて、結果的に自然消滅となった。でもボクはメジャーデビューした時、メジャー版のローズ+リリー(ケイバージョン)の3枚目のサインを詩津紅に渡した。
 
(1枚目がリナ、2枚目が奈緒、そして4枚目が和泉、5枚目が若葉である。なお和泉からは実はKARION・和泉バージョンの4枚目のサインをもらっている。若葉は同じくKARION・和泉バージョンの5番目のサインをもらっている)
 

10月中旬のある日の夕方。
 
家の電話が鳴ったので、ボクは近くに居たこともあり受話器を取った。「はい、唐本です」と男声で応答する。
 
すると電話の向こうの人は
「こちら進研ゼミと申しますが、唐本冬子さんはいらっしゃいますでしょうか?」
と訊いてきた。
 
うっ。このまま「私です」と言おうかとも思ったが、今自分は男声で受けてしまった!
 
「はい、今代わります」
とボクは男声のまま言って、少し間を置き今度は女声で
「はい、唐本冬子ですが」
と応えた。
 
そばで雑誌を読んでいた姉が吹き出した。母がポカーンとしてボクを見ている。幸いにも父はまだ帰宅していなかった。
 
電話は進研ゼミを新たに受講するようになったので、受講に際して困っているところがないかとか、相談したいことがあった時の窓口の案内とか、そういう話であった。ボクは「あ、はい」「それは大丈夫です」「あ、ネットは今度使ってみますね」などと、ずっと女声で応答して電話を切った。
 
母が呆れた風でこちらを見ている。姉はテーブルをバンバン叩いて笑っていた。
「えへへ」
とボクは照れ笑いをした。
 

夏服ではけっこう学校の中を歩いていたボクだったが、冬服に衣替えになってからは、何となく学校ではあまりその服を着ていなかった。6月の時はそれまで2ヶ月間、男子の服で過ごしていた反動で、女子制服を着たかったというのがあったのだが、女子制服の夏服で6月から9月までの4ヶ月間を過ごしたら、それでけっこう満足してしまった面もあった。更に校内で制服を着なくてもバイト先ではスタジオでもテレビ局でも制服を着ていたから、ボクの心はそれだけでけっこう充たされていた。
 
でもひとつだけ、女子制服で出て行くところが校内にあった。
 
それは図書館である!
 
結局ボクの写真が女子制服を着た状態で撮られているので、図書館で本を借りる時、男子の格好では「この生徒手帳違います」と言われてしまう。それで本を借りるためには、女子制服で行くしかないのである。
 
幸いにもうちの高校の図書館は土日にも開いていた。司書の先生や図書委員の生徒などは出てきていないものの、事務員の人が交替で、カウンターに座っていてくれるので、帯出手続きをすることは可能であった。
 
これは、うちの高校は、卒業後大学受験のために浪人している生徒を「補習科」
という名目で受け入れていて、補習授業を受けられるようにしているので、その子たちの便を考えての制度であった。
 
しかし土日には生徒が少ないので、ボクは本を借りる時はだいたい土日の午前中に女子制服で出て行くようにしていたのである。
 
そのようなことをしていたある日。ボクは図書館でバッタリと奈緒に会ってしまった。
 
「ああ!冬服もちゃんと作ったのね?」
「えへへ。だって10月になったら衣替えだよ」
「でもその服着てるのは初めて見た」
「そういえば、あまり着てないかも知れないなあ。最近は下校時も学生服だし」
「6月の頃みたいに女子制服で帰ればいいのに」
「そうだなあ・・・・女子高生の気分になったら、そうするかも」
 
奈緒はじっとボクの顔を見つめた。
 
そしてまじめな顔で言った。
 
「そろそろ、自分に嘘つくのはやめなよ。ちゃんと自分が既に女子高生であることを心に受け入れよう」
 

10月21日・日曜日。
 
いつものようにテレビ局のスタジオに出て行くと、プロデューサーさんがスタッフ一同に「集まる」ように言い、唐突に
 
「実はこの番組の収録は今日で最終回になります」
と告げられた。
 
「打ち切りですか?」
「まあ、そういうことです」
「珍しいですね。今の時期の改編というのは」
 
「局の決算状況が芳しくなくて、この番組は生の楽団を使ったり、丸一日掛けてリハーサルしてて、費用を食っているもので、もっと安上がりの番組に置換することになるようです」
「ああ・・・・」
 
電話1本、メール1通で予告なく切られるのがこの世界の常である。ボクは和泉と顔を見合わせて「仕方無いね」という表情をした。
 
その日はみんな最後の収録になるということで、物凄く力が入っていた。ボクと和泉もパワー全開で歌った。後でこの最終回の放送を見た人たちからも、番組史上最高の出来でした、などというお便りが来たようである。
 

翌週の水曜日、ボクは麻布さんのスタジオに出て行くと、日曜日のテレビ局の方の仕事が終了したことを言った。
 
「じゃ、日曜の午後もうちに来てくれない?」と麻布さん。
「ええ、いいですよ」
 
ということで、ボクの日曜の午後の行き先はテレビ局からスタジオに変わることになった。スタジオには結局、水曜・土曜・日曜に行くことになる。
 
「これまで曖昧にポチ袋で御礼をあげてたんだけど、ふつうのバイトにならない?」
「ええ。それでもいいです」
 
ということで、ボクは自分の口座を届け出て、給料は1ヶ月まとめて振り込んでもらうことにした。ただ、ボクはこことは正式な労働契約書などは交わしていない。ボクは結局∴∴ミュージックとも契約書を交わさないまま、リハーサル歌手の仕事をしていたのだが、この世界と言わず、世の中には、そのような曖昧な形でバイトをしている人たちが意外に多いのである。
 

11月に入ってすぐ、和泉がボクを呼び出したので、金曜日の午後、ボクは待ち合わせ場所のハンバーガーショップに行った。8月までバイトをしていたお店である。
 
「あのね、冬さ、デビューする気無い?」
「へ?」
「実はね、新しい歌唱ユニットを作って、いきなりメジャーデビューという話が来てるのよ」
「凄っ! インディーズじゃないんだ?」
「そうそう。メジャーなのよ。びっくりした」
「良かったね」
 
「メンバーが私の他に女の子2人までは決まっているんだけど、冬も一緒にやらない? 社長にも話したんだけど、冬だったら絶対欲しいと言われた」
 
「つまり4人組の歌唱ユニットか・・・・」
「うん。私がソプラノで他の2人はアルトだからさ、冬が加わってくれれば、ソプラノ2人、アルト2人で、声に厚みが出ると思うんだよね」
「ああ」
 
「ね、やろうよ。冬って舞台度胸があるから、絶対行けると思うのよね」
 
ボクは和泉と、それとまだ知らない2人の女の子と4人でステージに立って歌う姿を想像した。いいなあ。。。。やりたい。。。。この頃、ボクは結構自分がプロの歌手になるのを、空想とか夢ではなく、現実にあり得る道として考え始めていた。でも、ボクは大きな問題を抱えていた。
 
「ごめん。パスさせて」
「どうして!?」
 
「だって、ボク、絶対性別問題で和泉たちに迷惑を掛けるよ」
「あぁ・・・・」
 
「だって、メジャーデビューとかしたらさ、ボクの個人的な情報って誰かがいろいろ調べるじゃん。それで男だって分かったら、大騒動になるよ」
「いっそ、最初から戸籍上は男の子なんです、というのをカムアウトしてからデビューする手もあると思うよ」
「それやると、ユニット自体が色物と思われちゃうよ。女の子の歌唱ユニットとして売り出すんなら、そういうの無しで、清純的なイメージで売ったほうが絶対良いもん」
「うーん・・・・」
 
「御免ね。ボクが本当の女の子だったら、良かったんだけど」
「私は冬は本当の女の子だと思ってるよ」
「うん。でも日本の法律がそうとは認めてくれないから」
 
「そっか・・・・仕方無いかな」
「でもボクも、高校卒業したら、きっとCDを自主制作して売り出したりとかして、歌手への道を歩き出すかも。売れないかも知れないけど」
「高校卒業ね・・・・そんなに遅くじゃない気もするな」
「そう?」
 
「自主制作CDなら、今すぐ作って持って来てよ。きっとうちの社長、冬が男の子であっても、売り出してくれると思うよ」
 
「ボクね・・・まだ自分が書く曲が、プロのレベルに達してないのを感じてるの。実はこの夏から、何度か物凄く良い作品が出来たんだけど、まだそのレベルの作品をコンスタントに書けないんだよね」
「じゃ、来年中にはCD作ろうよ。遅くても」
「そうだね。来年中くらいには良い作品が貯まるかな。そちらはデビューはいつ頃になりそう?」
 
「多分年明け。今月中に音源制作を始めると思う」
「じゃ、ボクも早くCDとか作れるように頑張る」
「うん」
 
ボクたちは硬い握手を交わした。
 

そして、和泉たちの新しいユニット KARION は、翌週からうちのスタジオに来て音源制作を始めた!
 
畠山さんがボクを見て「君、もしかして、一緒にやってくれる気になった?」
などと言う。
 
「いえ、私このスタジオのスタッフです」
と言うと、「えー!?」とびっくりしていた。
 
あらためて KARION に参加しないかと誘われたが、どうしても個人的な事情で今、あまり音楽活動ができないので、といってお断りした。しかし、それでもかなり口説かれて、結局ボクはこの KARION のデビューシングルに、コーラス隊として参加することになった!
 
スタジオエンジニア助手兼コーラスである! コーラス要員としては∴∴社のまだデビューしてない10代の女性歌手2人がアサインされていたのだが、ボクも加わって3人でコーラスを入れることになる。 KARION 3人とコーラス隊 3人でけっこうな厚みのあるサウンドになる。
 

ところが初日、手違いでバンドの人たちが来ていなかった。
 
「すまん。インペグ屋(ミュージシャンの手配をする会社)さんとの行き違いがあったみたいで、明日からしか来れないみたい」
 
「今日は休みにしますか?」と麻布さん。
 
すると
「ね、冬って、キーボードもギターもベースもドラムスも弾けるよね?」
と和泉が言い出す。
 
「え? まあ・・・でもキーボード以外は素人レベルだよ」
「大丈夫。あとでプロの人たちのに差し替えればいいんだから」
「はは、まさか・・・」
 
そこで結局、最初にボクが譜面を見ながらキーボードでオートリズム付きで吹き込む予定の3曲を演奏して録音し、それを聴きながら KARION の3人には歌の練習をしてもらうことにした。コーラス隊の2人には今日は帰ってもらうことにした(こういう場合は彼女たちに1日分のギャラは支払われる。これを通称「お笑い」と称する)。もっともふたりは勉強したいので見学させて下さいと言って居残った。
 
その後で、ボクはあらためてクリック音を聴きながらオートリズム無しでのキーボード演奏をして録音してもらい、更にギター、ベース、ドラムスも順に演奏して録音した。そしてそれらをミクシングすると、一応バンドで演奏しているかのような音源ができあがる。
 
「すごーい。ひとりでこんなに演奏しちゃうなんて」とKARIONの美空。「ひとりでバンドが組めますね」とKARIONの小風。
「影分身でもしなきゃ、リアルタイム演奏できないよ〜」
 
「私ギター練習しようとしたことあるけど、左でうまく弦を全部押さえきれないのよね〜。どれかが押さえ方緩くなっちゃうから、うまく和音にならない」
などと和泉が言うと、
「私、そもそもギターとベースの区別が付かない」
などとコーラス隊の千代子さん。
 
「糸巻きの数を見ればいいよ。6本あるのがギターで、4本のがベース」
と美空が言うと
「へー!」
などと千代子さんは感心している様子。
 
「糸巻きが片側に6つ付いてるのと両側に3本ずつあるのがありますよね?」
とこちらは少し分かっている風のコーラス隊のもうひとり久留美さん。
 
「うんうん。フェンダーのギターは片側に6本、ギブソンのは両側に3本ずつ」
と美空は解説する。
 
「美空ちゃん、何だか詳しいね」と和泉。
「知識だけですよー。私、ギターは全然弾けない。CとFとG7の押さえ方教えてもらって覚えたけど、それで私の頭の容量は満杯になってしまった」
 
「その3つが弾けたら、結構何でも弾けたりして」
「さすがに無理がある」
 
「美空ちゃん、まさかギターは弾けないけどベースは達人なんてことは?」
と小風が言う。
 
「えへ、えへへ」
「本当に達人なんだ!?」
と一同は驚いた。
 

ともかくもその後はそのボクが作った伴奏音源を聴きながら KARION の3人には歌う練習をしてもらった。
 
「うーん。。。唐本ちゃんは、うちのスタジオの専属歌手かと思っていたが、専属バンドだったのか」
などと麻布さんは楽しそうに言っている。
 
「ベースはまだしも、ギターとかドラムスとか完璧に素人の演奏で申し訳ないです」
 
キーボード・プレイヤーは、感覚で和音の根音が分かるので、実はあまり練習していなくても単純なベースなら弾けるのである。ベースという楽器は簡単に弾けるようになるものの、弾きこなせるようになるには時間の掛かる楽器である。
 
「いや、それを全部プロ級に演奏できたら、凄すぎるよ」
 

そして2日目。やっとバンドの人たちが来て、本来の作業が始まる。
 
と、思ったのだが・・・
 
「あれ?キーボードの人がいない??」
 
慌ててインペグ屋さんに照会するが、そもそもキーボード・プレイヤーはアサインされていなかったことが判明する。
 
「なんでこういうことになってるんだ!」
とさすがの畠山さんも怒っている。手配をした事務所の若い男の子が叱られてうつむいている。
 
「冬って、キーボードはプロ級だよね?」
と唐突に和泉が言い出す。
 
「ああ、確かに昨日の暫定演奏も、キーボードだけは素晴らしかったですね」
と三島さん。
 
「ははは」
「やはり、冬は天性のピンチヒッターだよ」
 
「そういうことになるのね?」
 

ということで、結局この KARION のファーストシングルの音源制作では、ボクはコーラス兼・キーボード奏者兼・エンジニア助手として参加することになってしまったのである!
 
女子高生がキーボードを弾くというので、他のミュージシャンさんたちが少し不安がっていたが、1曲目を軽く合わせてみると、ボクがしっかり弾くので「おお、凄い」「君、上手いね〜」などと言われた。
 
そうしてこの2日目の日曜日に、ボクがキーボードとして参加した暫定的な伴奏音源が完成した。
 
3日目からは平日になるが、KARIONの3人が高校生なので平日は夕方から作業をすることになる。それでボクもこの音源制作中は、毎日学校が終わってからスタジオに行き、演奏に参加することになった。
 
「ここまでどっぷりと参加したら、いっそこのまま KARION 自体に参加しない?」
と畠山さんは笑顔でしつこく勧誘する。
 
「ごめんなさい」
とボクは恐縮して返事をする。
 
このカリオンのデビューCD『幸せな鐘の調べ』(ゆきみすず作詞・木ノ下大吉作曲)は2008年1月2日発売ということになり、12月中旬からさかんにPVが流された。3人のハーモニーがとても美しいので注目され予約が殺到し、いきなり4.8万枚を売るヒットを記録して、KARIONはトップアーティストとして活躍し始める。
 
後に《08年組》と呼ばれることになる、この年にデビューした女性歌手ユニットのトップバッターとなった。
 
(08年組はデビュー順に KARION, AYA, Rose+Lily, XANFUS で、偶然にも全てのユニットのメンバーが全員同学年 1991年度生まれであった。これにやはり同じ08年デビューの女性歌手ユニットとして、スリーピーマイスを加える人もあるが、彼女らはボクらより3つ年上である)
 
ボクは発売前に畠山さんから1枚CDを頂いたが、そのCDを抱きしめて、ボクは自分も和泉と同じ道を歩いて行きたいという思いを強くした。
 

なお、この音源制作でボクは演奏料として10万円、エンジニア助手としての報酬も3万円頂いてしまった。ボクはそのお金とこれまでのバイト代の貯金を使って今まで欲しかったものの買えずにいた DTMソフト Cubase と、それを動かすためのノートパソコンやMIDI入力用のキーボードなどを購入した。
 
そしてこれまで手書きの譜面で書いていた自作曲を入力しはじめたのだが・・・・
 
この時、ボクは夏に政子とふたりで初めて書いた曲『あの夏の日』の譜面が紛失していることに気付く。取り敢えず、記憶に頼って書いてみたものの、微妙に違うような気がする。
 
結局その譜面が出てきたのは2013年の3月のことで、紛失に気付いてから5年4ヶ月も後のことであった。
 

KARIONの音源制作が終了した翌週末、ボクと有咲は麻布さんの勧めで、音響家協会のビギナー向け講座を受講した。音響に関する基礎的な事項の説明から始まり、音響機器の操作まで、実際の機械を使ってレクチャーしていく。
 
そしてこの講座を受講したことで、ボクたちは「3級音響技術者」の認定を受けた。
 
更に月末には、舞台機構調整技能士という国家試験の3級を受験した。こちらは実際に楽器の音を鳴らして何の楽器の音かを当てたりとか、音の大きさの判別など、まるで聴覚の試験のような実技試験だったが、ボクも有咲もきれいに聞き分けることができた。年明けに合格通知をもらい3級の技能士に認定された。
 
ちなみにボクはどちらの試験も「唐本冬子」の名前で受験してしまった。もちろん高校の女子制服で試験場には行った。有咲も標準服で受験していた。
 
そしてこのような体験を通じて、ボクは次第に自分の中で「唐本冬子」としての活動の部分が大きくなって行ったのである。
 

12月に入ってから、うちのスタジオで、これまで見てきた中では最も大物のアーティスト、サウザンズのメンバーが音源制作にやってきた。
 
マネージャーさんがボクを見て「あれ?歌う摩天楼のリハ歌手してたよね?」
と言う。
「はい。でもこのスタジオにも春からずっと勤めているんです」
とにこやかに答えた。
 
「へー! よろしくお願いしますね」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
 
このサウザンズの音源制作では、サポートミュージシャンの手配ミスのような事故もなく、スムーズに制作は進行したが、メンバー間でアレンジをめぐって激しいやりとりが行われたりすることもあり、ボクはこの場に居ていいのだろうか?と悩むようなこともあった。しかし議論の結論が出ると、みんな仲良く演奏しているので、基本は仲良しなのかな? などとも思った。男の人たちのそのあたりの感覚というのは、ボクにはどうにも分からないところだ。
 
学校でもよく男子のクラスメイトが昼休みに殴り合ったりしているが、別に仲が悪い訳ではないようだし、理解できないなあと、仁恵たちと話していた。
 
このサウザンズの音源制作では基本的にボクは有咲と一緒に麻布さんの助手として仕事をしていたのだが、ひとつだけ音源自体に関わる仕事もした。それが楽器のチューニングであった。
 
サウザンズのメンバーは誰ひとりとして絶対音感を持っていない。そしてギターにしてもベースにしてもかなりエネルギッシュな演奏をする。ということで、演奏中にチューニングがどんどんくるって行くのである。
 
普通はチューニングは電子チューナーとかで合わせるのだが、メンバーは「そういう電子の判定は嫌いだ!」というので、では調律の専門家を手配しましょうか?といったら、それも嫌いだ!と言われる。実際彼らはライブではアバウトに音を合わせ、少々のチューニングのずれは構わず、勢いで演奏するようである。
 
ロッカーの性(さが)なのかも知れないが、それでもチューニングが合ってない状態でCDの収録する訳にもいかないと困っていた時(過去の音源制作でも、この点の妥協点を見いだすのに苦労したらしい)、マネージャーさんが
 
「ね、そこにいる女子高生にチューニングさせるってのはどう?」
と言ったら
「そういう若い感性の耳で合わせてくれるならOK」
 
と言うので、ボクがチューニングを担当することになったのである。
 
そういう訳で、ボクはこの音源制作中の2週間は毎日スタジオに顔を出して、ひたすらギターとベースのチューニングをし、更には激しいドラムスワークで調子がおかしくなりやすいドラムスについても、皮の張り具合などの調整をすることになった。
 
「へー、君、ギターもベースもドラムスも弾けるの?」
とリーダーの樟南さんから訊かれたが
 
「ただ音を出せるだけです。本当はキーボード奏者です」
と答える。
 
「ふーん。キーボード奏者? じゃ、この譜面演奏してみない?」
などと言って、いきなり見たこともない譜面を渡される。しかも手書きで字が汚いので、音符がソなのかラなのか判読しかねるところまである!
 
でもボクはにこやかに(ハンバーガー屋さんで鍛えた0円の女子高生スマイルで)
「はい。ではキーボードお借りします」
と言って、その譜面を譜面立てに立てて、オートリズムで16ビートのリズムを選択し、演奏し始めた。
 
音符の高さが判読できない所は、音の流れでどちらかを判断しながら演奏する。メロディーが激しく動く所では左手は全音符弾きをし、逆にメロディーが静かな所では八分音符で弾いたり、分散和音にしたりする。
 
D.S.(ダルセーニョ。セーニョ記号のある所に戻る)があるのに、そのセーニョ記号がどこにも見当たらない!なんてのは、たぶんここかなという所に戻ったりして演奏を進める。
 
そして最後、どう考えてもこれで終われる訳がないという終わり方をしていた譜面の最後に、勝手にコーダを8小節、作曲しながら付加して演奏した!
 
最後、オーケストラヒットで「ダン!」という感じで演奏を終了する。
 
サウザンズのメンバーの人たちがパチパチパチと拍手をしてくれた。
 
「君、凄いね〜」
「初見でここまで弾けるって、凄いというよりクレージー!」
「俺たちだって、あんな汚い譜面、読めねーのに」
「度胸と勢いとハッタリで演奏した感じだ」
「たぶん頭のネジが数本飛んでるから弾けるんだ」
 
などと褒められているのか、けなされているのか、悩むような評をもらう。
 
「今のアレンジ、誰か譜面に書いてよ」
「うん、今のアレンジ良かったからそのまま生かそう」
「コーダも雰囲気良かったね」
 
「あ、それでは私がスコア書きます」
 
と言って、ボクはスタジオにある Protools の入っているパソコンを使い、キーボードとPCを併用して、30分ほどで今自分が演奏したものをスコア譜にまとめあげた。麻布さんと有咲にもチェックしてもらい、少しだけ記憶違いしていたところ、ここはどう考えても和音の勘違いというところを修正する。
 
更に画面上で樟南さんに見てもらい、若干の修正を加えた状態で、プリントしてメンバーに配った。
 
という訳で、ボクはこのアルバムの曲のひとつを編曲してしまったのであった!
 
なお、この曲に関しては、後で編曲料と言われて4万円も頂いてしまった。またJASRACにもこの曲の編曲者として「柊洋子」という名義でボクの名前が登録された。別に印税が入る訳ではないものの、マリ&ケイ以外の名義で、ボクの名前が登録されている、希少なケースである。
 
「柊洋子」というのは、歌う摩天楼のリハ歌手をしていた時の「暫定芸名」で、和泉は「源優子」なのだが、こんな名前を知っているのは、畠山さんや三島さんなど、一部の∴∴ミュージック関係者に限られる。
 

サウザンズの音源制作が終わったのは12月中旬で、その後の火曜日の学校が終わった後、ボクは有咲・若葉・奈緒の3人とドーナツ屋さんで待ち合わせて、しばしおしゃべりをした。
 
ボクは女子制服に着替えて、集まりに行った。
 
「やはり、冬はそういう格好のほうがいいよ。冬って、校内であまりその服を着てないからさ。でも学生服を着てる冬を見る度になんか凄く変な感じがして」
と奈緒が言う。
 
「私は高校に入った後で、学生服を着た冬子を一度も見てない。冬はだいたいいつも女子制服でうちのスタジオに来るからね」
と有咲。
「私はワイシャツ姿を1度だけ見たよ。でもほとんど女子制服でしか会ってないね」
と若葉。
 
「ってことは、もしかして冬って、校内では女子制服を着ずに、校外では着てる?」
「うーん。。。そうかも」
「それ絶対変だ」
 
「ってか、友だち関係で冬子の女子制服姿を見てるのは、私たちだけだったりして?」
「あ、そうかも知れないね」
 
などと言っていたら、突然有咲がこんなことを言い出す。
「ってか、冬子のおちんちんを見たことあるのは、この3人だけだったりして」
 
「あ、それって、すごくレアな体験っぽいよね」と奈緒。
「というか、多分3人とも、冬子のおちんちんをいじってるよね?」と若葉。「というか、ひょっとして3人とも冬子と実質セックス済みだったりして?」と有咲。
 
「うーん。。。」と言って3人は顔を見合わせている。
 
「私たち全員、冬の愛人だったりして?」と奈緒。
「あ、私冬を愛してるよ」と有咲。
「私、冬の婚約者だと人前で言ったことある」と若葉。
「私たちが妊娠したら、冬責任取ってよね」
「ちょっと待って」
 
「冬が男の子だったら、乱れた性生活って感じの所だね」と奈緒。
「でも冬は女の子だから、恋愛成立しないもんね」と有咲。
「まあ女の子同士の疑似恋愛の一種だよね」と若葉。
 
「でも最近、冬は、書道部の女の子にお熱っぽい」と奈緒。
「ほほお、ちょっと詳しく聞きたいね」と有咲。
「あれ?コーラス部の女の子の方かと思ってた」と若葉。
 
「そんなこと無いよ〜。書道部の子とは同じ部だから話すだけだし、コーラス部の子のほうは歌の練習仲間だよ」
 
「その言い方、やはり書道部の子が本命か」と若葉。
「あ、私も今そう感じた」と有咲。
「相思相愛っぽい言い方だったね」と奈緒。
「えっと・・・」
 
「書道部の子に女子制服姿を見せた?」「ううん」
「コーラス部の子には女子制服姿を見せた?」「・・・見せてる」
 
「やはりそうだ」
「書道部の子には、本性隠して親しくなろうとしてるな?」
「そんなことないよ」
 
「彼女におちんちん見せた?」
「見せてない、見せてない」
「おっぱい触られた?」
「えっと・・・触られた」
「あ、分かった。おちんちん触られてなくても、お股触られてない?」
「えっと・・・触られた」
「やはり深い関係になりつつあるね」
 
「そんなこと無いって。おっぱいとか、ここにいる3人とも触りっこしてるじゃん。それに、そもそもあの子、ちゃんと恋人がいるから」
 
「いたって関係無いよね〜」
「略奪しちゃえばいいよ」
などと無茶苦茶言われる。
「コンちゃん1枚あげるから持っておきなよ」
などと有咲が自分の生理用品入れから1枚避妊具を渡してくれる。
「えっと・・・」
と言いながら、取り敢えずもらっておく。
 
「でもボクが女の子に恋愛的な興味無いの、みんな知ってるでしょ?」
とボクは言ったが、
「男女間の恋愛はできなくても、レズにはなれるはず」
と奈緒から言われる。
「うーん・・・」
 
「冬。タロット1枚引いてよ」
と言って、若葉がいつもの《魔女のかばん》の中から、タロットを取りだしてボクの前に広げた。このタロットは知っている。20世紀最大の魔術師・アレイスター・クロウリーが作った『トートのタロット』だ。
 
ボクはこの時期、占いに対して少し複雑な思いがあって、タロットからも遠ざかっていたのだが、引けと言われたら引くしかない。
 
ボクは1枚カードを引いた。
 
開くと『Lust』(愛欲)のカードであった。
 
「おぉ!ダイレクトだ」と奈緒。
「まあ、このカードの解説はするまでもないね」と若葉。
「これって、普通のタロットだと Strength(力) だよね?」と有咲。
 
「そうそう。冬はその女の子と愛し合うようにもなってセックスもするだろうし、また彼女と組むことで、物凄いパワーを手にする。これって、多分どちらにとっても運命的な出会いだよ」
と若葉は言った。
 
ボクはうーん・・・と悩みながら、そのカードを見つめていた。
 
 
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【夏の日の想い出・女子制服の想い出】(2)