【夏の日の想い出・2年生の春】(1)

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2011年3月7日(月)。私はローズクォーツと一緒に回っていた西日本方面のドサ回りライブを前日で終え、東京に戻った。6日に鹿児島県の志布志でライブを終えたあと「さんふらわあ」で大阪まで戻り、そこから花枝の運転する車で東名を走り帰京したのだが、ハードな行程でさすがに疲れてマンションに戻るなり倒れ込むようにベッドで寝ていた。
 
政子がいつの間にか来ていて、ベッドに潜り込んできて少々Hなことをする。私のアレを無理矢理引っ張り出して
「ねえ、これいつ切っちゃうの?」
などと煽りつつ、悪戯して遊んでいる。当時それは私にとって単なる肉塊になっていて、触られて気持ちいい訳でもなかったが、こちらも政子のあの付近を刺激するので、結構濃厚なプレイになっていた。
 
やがて政子が「お腹空いた」などというので、私は起き出して、ストックしている材料でスパゲティ・ミートソースを作り一緒に食べた。
 
そのあとふたりでのんびりとまた少しイチャイチャしながら曲作りをしていたら小学校以来の友人・奈緒から電話が入った。
 

私は電話を取るなり「合格おめでとう」と言った。
 
「ありがとう。え? どうして知ってるの?」
「いや、奈緒なら間違いなく合格すると思ってたから」
「うん。合格してた。ありがとう」
 
奈緒は昨年、東京医科歯科大学の医学科を受験したものの、試験の前日に風邪を引くというトラブルがあり落としてしまった。それで1年浪人して今年また同大学を再受験したのである。
 
「それでさ、合格したんで、このことを両親に話したのよ」
「どうだった?」
 
奈緒は実は浪人していることを両親には隠していた。一応昨年N大学の理学部にも合格していたので、親にはそちらに通っていることにして、一応籍も置いていたのだが、仮面浪人をしていたのである。アパートもN大学のそばに取った、と言っておいて実は医科歯科大の方にむしろ近い場所だった(N大と医科歯科大は距離的にあまり離れていない)。
 
両親がとても浪人することを認めてくれる雰囲気でなかったために取った策であったが、今日無事目的の大学に合格したので、このことを両親に打ち明けたのである。
 
「いやあ、なかなか凄かったよ」
「だろうねぇ」
「とにかくも、医科歯科大に行くことは認めてくれた」
「良かったね!」
「それで、母ちゃんが冬と話したいと言ってるんだけど」
「えー!?」
 
奈緒は親に黙って仮面浪人していたので、その間の予備校の学費や模試などの受験料、そしてそもそもセンター試験や本試験の受験料などの捻出方法がなかったし、生活費もなかった。親にはバイトしながら大学に行ってることにしていたのだが、受験生でバイトなどする時間もなかった。それでその費用を私が支援していたのである。奈緒には、医科歯科大の入学金や6年間の授業料・教材費までも出していいと言ってあった。
 
奈緒のお母さんは、ひじょうに恐縮した様子で私に感謝の意を表した。
 
「でも合格できて良かったです」と私。
 
「いえ、実は私もこの子が実際にはN大学に通ってないんじゃないかという気はしていたのですが、バイトに夢中になって学業放棄してるのかな?くらいに思ってて、まさか仮面浪人だったとは全然気付かなくて」
「奈緒ちゃん、昔から意志が強かったですから。その点、私なんかいつもフラフラしてて」
 
「でもそれでたくさん冬ちゃんに負荷を掛けてしまったみたいで」
「いいんですよ。こういうのは友だち同士、お互い様ですから」
「それで実はとても言いにくいのですが・・・・」
「ああ、返済は出世払い、お医者さんになって研修医期間も終わった後ということにしてますから、気にしないでください」
「はい。本当に済みません。それで実は更にお願いがあって」
 
私はその言い方でだいたい察した。
 
「ああ、入学金と前期授業料も私が立て替えておきますよ」
「済みません! こういうことになってるとは思いもよらなかったもので、全然蓄えがなくて」
「国立といえども、入学の時に払う金額って馬鹿になりませんものね〜」
 
と私は言った。
 

私は速攻で奈緒の口座に入学金と1年分の授業料を振り込んだ。奈緒はその日のうちにN大学に行き退学手続きを取って退学証明書をもらい、入学金も振り込みその振り込み票の控え、退学証明書を持って、医科歯科大の入学手続きをした。そうして奈緒は無事、医科大生となった。
 
最初の1年間は千葉県市川市にある教養部で学ぶことになるので、そちらに新たにアパートを借りて、引っ越すことにし、来週くらいにも現地に行ってアパート探しをすることにした。
 
。。。のだが、実際にはその直後に起きた東日本大震災で千葉方面も大きな被害が出て、このアパート探しはいったん保留になってしまう。そして結局奈緒は、教養部の1年間を文京区のアパートから電車で通学したのであった。日暮里から京成本線を利用するコースである。
 

奈緒の合格を聞いた翌日はJASRACから呼び出しがあり、政子・美智子、そして★★レコードの南・加藤課長・町添部長と一緒に、最近起きたローズ+リリーの海賊版騒動の件できつーいお叱りを受けた。
 
しかしそのことで、ローズ+リリーのアルバムが7月8日までに発売されることが決定した。美智子はそれと同時発売にするローズクォーツのアルバムの制作を急ぐため、作曲作業が遅れているマキに、3月中に頼んでいた数の曲(10曲)ができない場合、もうそこまで出来た曲だけで見切り発車でアルバム制作に入ることを通告した。マキはまだ3曲しか書いていないのである。それでその日の晩に美智子から私の携帯に電話があった。
 
「今回のアルバムは、マキの曲10曲、冬ちゃんたちの曲5曲くらいで考えてたんだけど、あちらがどうもそんなに作れないみたい。悪いけど、そちらで10曲程度書いてくれない? マキが仕上げた曲数次第で少し没にさせてもらうかも知れないけど。本当は冬ちゃんたちの曲を使いすぎると、ローズ+リリーとの路線の違いが曖昧になっちゃうんだけどね」と美智子。
 
「いいですよ。できるだけクォーツっぽいのを書きます。食費は掛かりますが」
「へ?」
 
この頃、美智子はまだ政子の食欲をあまり知らなかったのである。
 

その翌日、3月9日。1年遅れで大学に合格した奈緒のお祝いをするのに友人たちで集まることにした。集まるのは、小学校の時の友人の有咲・若葉・夢乃・初美、高3の勉強会のメンバーである、琴絵・仁恵・理桜・紀美香、そして私と政子である。
 
会場は奈緒の実家に無理矢理みんなで押しかけるということになっていたのだが、私と政子は奈緒の家に行く前に、東京駅で麻央と落ち合った。
 
麻央は昨年東京工業大学に合格して、1年東京で大学生をしていたのだが、大学が春休みなので、同じ高校の友人で東北大学に通っている人を訪ねるのにその日仙台に向けて出発する予定であった。それで、ちょうど時間も合ったので見送りを兼ねて、お茶でも飲もうということで八重洲の地下街で落ち合ったのである。
 
「冬の過去を知ってるお友だちとは私仲良くして色々昔のこと聞き出したいなあ」
などと政子は言うが
「そういうのは、本人から聞き出した方がいいよ」
と言って、麻央はあまり昔のことは話さない。
 
「うーん。。。奈緒と言い、麻央ちゃんと言い、口が硬いなあ」
と政子は言うが
「だって、友だちとかから聞くより、政子ちゃん、冬ととっても親密な関係なんだから、本人にいくらでも聞けるでしょう」
と麻央は笑って言う。
 
「それが、なかなか自白しないんだよ」と政子は言う。
 

やがて30分前になったので、駅に向かう。駅の構内に入り、東北新幹線の乗り場の方に行きかけた時、「よぉ」と声を掛けてきた人物がいる。
 
「あら、佐野君」
「ふたりとも元気?」
「うん。元気してるよ」
「でもまだRPLのCD出さないの? かなり待ちくたびれて来てるよ」
「うーん。まあ、いろいろ事情があってさ。でも7月には絶対出すよ」
「それ、人に言っていい?」
「いいよ」
「よし。広めよう。じゃ・・・って、あれ?小山内がいる」
 
「おっす、佐野」と麻央が男の子式に佐野君に挨拶する。
「あれ?知り合いだっけ?」
「同じクラス」と佐野君と麻央が同時に言う。
「へー!」
 
「でも小山内、このふたり知ってたの?」と佐野君。
「ボク、冬と小学校の時の友だちだよ」と麻央。
「えー!知らなかった」
「佐野は、このふたりとの関わりは?」
「高校の同級生」
「へー!そうだったのか」
 
「で、小山内、どこ行くの?」と佐野君。
「今から仙台」
「仙台?それより、俺、大和と橋中と一緒に飲みに行くんだけど、小山内も来ないか?」
「いや、だからボク、仙台に行くんだって」
「いいじゃん。仙台なんていつでも行けるじゃん」
「そんな! ボク友だちに会いに行くんだよ」
「友だちって男?女?」
「男だけど、ただの友だちだよ」
 
「そりゃ、女なら恋人かも知れんけど、男なら友だちだろうな」と佐野君。「ボク、ストレートのつもりだけど」と麻央。
「そうだっけ? 小山内はレズかと思ってた」
「うーん。レズの経験は無いなあ」
 
「でもただの友だちなら、また今度でいいじゃん。それに小山内までいれば麻雀のメンツが揃うからさ」
「えっと・・・」
「あ、そうだ!その仙台の友だちにこっちに来てもらえば?どうせ春休みだろ?」
「そりゃそうだけど・・・・」
 
「あ、分かった。小山内、今から仙台に行って、明日くらいには帰るんだろ?」
「明後日、11日の夕方に戻ってくるよ」
「じゃさ、その帰りの切符を仙台の友だちに送ってあげて、その切符で友だちにこちらに出てきてもらったら?」
「無茶な!」
 
「なあ、一緒に飲もうよぉ。小山内、一応女だし。女がひとり居ると、華やかになるし、酒も美味いんだよ」
「佐野も、少しはお世辞が言えるようになったんだね」
「麻雀も、俺たち4人、いい仲間じゃん」
「うーん。。。。。でも今から切符送っても明日確実に着くとは限らないし」
 
どうも、麻央は、仙台行きをキャンセルして、佐野君たちと遊ぶ方に傾いている感じである。そこで私は言った。
 
「私、明日仙台に行くけど、なんなら、麻央のお友だちに私が切符を手渡そうか?」
「ほんと? それもいいな。あいつと会いたがってる友人が他にも何人か東京にいるし」
「じゃ持ってってあげるよ」
 
「じゃ、仙台行きやめて佐野たちと飲むか」
と麻央は楽しそうに言って、まずは友人に電話して相手の都合を訊く。向こうはびっくりしていたようだったが、彼は麻央の持っている切符を使い東京に出てくることを了承した。
 
そこで私たちはみどりの窓口に行き、9日の今から東京→仙台、11日夕方仙台→東京の切符を、11日の朝東京→仙台、13日の夕方仙台→東京に変更した。そしてその切符を私が預かった。
 
麻央は佐野君と一緒に山手線の方に行く。私と政子は微笑んで、中央線の方に向かった。
 

奈緒の実家はそんなに広い訳ではない。そこに友人が10人押し寄せると、なかなか狭かったが、それもまた楽しかった。
 
「え?初美ちゃん、なんでここにいるの?」と仁恵。
「私、奈緒や冬と小学6年生の時の友だち」と初美。
「えー!? 全然知らなかった」
「仁恵ちゃんは?」
「私、高1と高3の時の冬の同級生で、奈緒ちゃんとも一緒に勉強会してたんだよ」
「へー」
 
「仁恵と初美って、大学の同級生かなにか?」と私は訊く。
「うん」とふたり。
 
ということで、ここでも思いがけない出会いが生じていた。
 

サイダーで乾杯してみんなで奈緒に「おめでとう」を言った。奈緒は全員とグラスを合わせて嬉しそうにしていた。
 
「みんな、所属は?」と理桜が訊く。
 
「千葉大」と仁恵、琴絵、初美が言う。
「△△△大」と私と政子に若葉。
「4月から医科歯科大」と奈緒。
「筑波大」と理桜。
「産能大に在籍してたんだけど、奈緒と同じく仮面浪人で4月から埼玉大」
と紀美香。
「もっとも私は親も承知の上での仮面浪人だけどね」
と付け加えると奈緒が
「てへへ」と照れ笑いをする。
 
「あ、じゃ、紀美香も合格おめでとう!なんだ」「おお!」
みんなが紀美香にも「おめでとう」を言い、紀美香も全員とグラスを合わせる。
 
「でもそしたら、みんな大学生? 私だけかな。専門学校は?」と有咲。「私も専門学校」と夢乃。
「どこ?」
「**簿記学校」
「すげー!マジメ系だ」
「有咲は?」
「私は**アーツ」
「おお、デザイン系?」
「ううん。音響系」
「おっ、すごい」
 

食べ物はみんなで持ち寄ってきたが、あまり話し合わずに持ち寄ったので、ケンタッキーなどはかぶって大量にあり
「これ食べきれるかなあ」などという声も出たが
 
「あ、大丈夫だよ。政子がいる限り、食べ物が残るということはない」
と仁恵が断言する。
 
「そんなに政子ちゃん食べるの?」と有咲。
「ギャル曽根並みだって言われる」と政子。
「すごー」
 
「でも、政子の大食いは、ギャル曽根やフードファイターの人たちとは違うよ」
と私は笑顔で補足する。
 
「テレビの大食いとかに出てくる人たちって、吸収効率が悪いタイプの人が多いでしょ」
「うんうん」
「政子の場合は食べた分を吸収した上で消費してるんだよ。だからスポーツマンがたくさん食べるのと同じ」
 
「政子ちゃん、何かスポーツとかするんだっけ?」
「政子の場合、脳みそが物凄く消費してるんだよ」
「頭いいんだ?」
 
「本人は天才だって言ってるね」と琴絵。
 
「政子は食べたカロリーを詩を書くのに使ってるんだよ。詩を書くのに物凄い速度で頭脳が働いている。政子の詩を作るための思考ってすごく深いからね。将棋とか囲碁のプロがタイトル戦とか戦うと、何千手・何万手って先を読むので頭脳をフル回転させるから、盤の前にじっと座ってるだけで体重が3kgとか4kgとか落ちるっていうでしょ。あれと同じ。すごく深い所まで心の索が伸びて行って、阿頼耶識(あらやしき)の果てからイマジネーションを拾ってくるから、それに凄いカロリー消費してるんだよね」
「へー!」
 
「確かに脳ってのは身体の中でいちばんカロリーを消費する器官だからね」と奈緒。
「お、医学の専門家の意見」
 
「政子がいい詩を書いた時は、体重がそれだけで1kg減ってたりするよ」
「やっぱり、天才なのか!」
 
「うん。私は天才だもん」と政子は笑顔で言う。
 
「だから、うちの食費って、実は詩を生み出す原料費なんだ」
「へー!」
 
「でも、それ経理では原価として認められないよ」と夢乃。
「お、経理の専門家の意見」
「うん。それは仕方無い。スポーツ選手や囲碁棋士の食費が原価として認められたなんて話は聞いたことないから」と私も言う。
 

翌3月10日は午前中に事務所に出て、明日からの東日本方面のドサ回りの予定や当面のローズクォーツの活動について、打ち合わせした。
 
そして午後からはローズクォーツの4人と美智子でエスティマに乗り、美智子とマキが交替で運転して東北道を走り、仙台まで行った。仙台駅で、連絡していた麻央の友人、多田野君と落ち合い切符を渡した。彼は明日の朝、東京に向かう。
 
そしてその日ローズクォーツは仙台郊外の温泉に行き、東北最初の夜を過ごした。部屋割は男性3人で1部屋、私と美智子で1部屋である。
 
その夜は地元のイベンターさんがその温泉で私たちを歓迎してくれ、一緒に温泉旅館の宴会部屋で酒盛りをした。むろん私は未成年なのでもっぱら烏龍茶を飲んでいた。
 
「秋に来られた時は『大漁唄い込み』を唄っておられましたね」
とイベンターの社長さん。
「ええ。やはりその土地土地の歌を覚えていきたいということで」
「今唄えます?」
「行けますよ」と私は笑顔で言う。
 
「マキさん、太鼓よろ〜」と言って私は『どや節』から唄い出す。マキが慌てて荷物の中から和太鼓を取り出す。
 
「今朝の凪で〜」と私が唄い出すと社長さんが少し驚いたような顔をしながら
「エーーーエ〜エ〜、ヨーイトコラサ」
と合いの手を入れてくれる。この曲はアカペラで唄う祈りのような歌である。
 
やがてマキの太鼓が入り、曲は『斎太郎節』に移行する。
「松島〜の、サーヨー、瑞巌寺ほどの寺もないとエー」
この歌のいちぱん有名な部分である。社長さんは「エンヤートット、エンヤートット」と、バックコーラス(というよりボイスパーカッションに近い)を入れてくれる。
 
唄いながら尺八の音が欲しいなという気分になってくる。やがて私は我慢出来なくなって、荷物からウィンドシンセを取り出し首に掛けると、1コーラス、それで吹いてみせた。音階が尺八とは違うがそこはこの際、勘弁してという所だ。
 
私はウィンドシンセで斎太郎節を吹いた後、『遠島甚句』のメロディーを吹き、それからシンセから口と指を離し、ふつうにこの甚句を
「ハアー、押せや押せ押せ」と唄い始める。社長さんの「エンヤートット」は続いている。この曲は『斎太郎節』以上に賑やかな歌だ。マキも太鼓を叩きながら楽しそうにしている。
 
とても良い雰囲気でこの三曲から成る『大漁唄い込み』を唄い終えた。
 
美智子・タカ・サトが拍手する。
 
「いやぁ、どや節から始めるとは思いませんでした」と社長。
「秋に唄った時は『斎太郎節』から『遠島甚句』につないだのですが、その後偶然仙台の方と話していて、その前に『どや節』があることを知ったんです」
と私は説明する。
「『どや節』自体を唄える人が少ないですから」
 
宴会は楽しく続き、私は『さんさ時雨』『青葉城恋歌』『私の町』『荒城の月』
にベガルタ仙台の応援歌までいくつか歌った。
 
社長さんも上機嫌で
「明日のライブではぜひそういう歌を入れて下さい」
と言っていた。
 

しかし、その「明日のライブ」は来なかったのであった。
 
私たちは日中仙台のFM局にお呼ばれして行っていて、その放送出演中に東北地方太平洋沖地震に遭遇した。そしてその後、巨大な津波が押し寄せ、放送局は直撃は免れたものの、津波にやられた地域にはさまれ孤立してしまう。
 
ようやく夕方くらいになり、道路が復旧して、私たちはその日泊まる予定だった仙台市内のホテルに移動した。地震と津波の影響で、ホテルは営業していなかったが、比較的被害の小さかった部屋をひとつ開けてくれたので、その部屋(シングル)で5人で寝た。
 
凄まじい自然災害の惨状を目の前にして私たちは何かしたくてたまらなかった。しかし、今の私たちには何もできることがない。
 
私たちは後ろ髪を引かれる思いで12日の昼、仙台を後にし、美智子・マキ・私の3人で車を交替で運転しながら、翌日朝、東京に戻った。
 
政子が「マンションにいると余震が来た時、揺れが大きいみたいで怖い」と言って(私たちの部屋は21階である)実家の方にいたので、私もそちらに行って、とにかくその日はふたりで抱き合って、ひたすら寝た。
 

その13日の晩。私は夢を見ていた。
 
私は夢の中でまた大地震に遭って、気がつくとどこかに閉じ込められていた。
 
そばにクーハンがあり、可愛い赤ちゃんが寝ていた。私はそれが自分が産んだ子供のような気がした。
 
脱出しなきゃ・・・・
 
私はそう思うと、クーハンを片手に持ち、脱出経路を探す。どこか建物の地下のようであるが、あちこちで壁が崩れたり、柱が倒れたりしている。私は赤ちゃんを連れて、さまよった。
 
やがて向こうの方に明るい光が見えてきた。あっちだ! 私は嬉しくなって、そちらに歩いて行く。すると広間に出たが、途中が水没していて、壁か何かの上辺という感じの細い通路が向こう岸に向かってつながっている。余震が来たら崩れそうだ。しかしここを通るしか無い。
 
私は慎重にその細い通路を歩いて行った。
 
その時、目の前に女王様のようなドレスを着た女の人が現れた。
 
「ここは通せません」
「通してください。私は脱出したいのです」
「ここを通れるのは2人だけです。あなたは男と女を兼ねているから2人分。それに赤ちゃんがいるから3人になる。赤ちゃんを置いて行けば通れます」
 
私はクーハンの中の赤ちゃんを見た。こんな可愛い子を置いていけるものか。
 
「この赤ちゃんは通したいです」
「だったら、あなたの男か女か、どちらかをここに置いて行きなさい」
 
「私の女の部分だけ通してください。男は置いて行きます」
「では、あなたの身体の中の、男の部分を捨てなさい」
 
そういって女の人は私にナイフを渡した。
 
私はクーハンを目の前に慎重に置き、その場に座った。そして自分のスカートをめくり、ショーツを下げる。昨年手術して作ったもらった割れ目ちゃんがあるが、実はこの中に男の印を隠している。私は指で自分の陰唇を開き、その男の印を取り出す。そしてナイフを当てて、一気に切り落とした。
 
物凄い血が出てくる。
 
「その血はあなたが女になった証の血です」
「はい」
 
女の人は下に落ちた「男の印」を掴むと水の中に放り込んだ。下に沈んでいくのを見たら、自分の身体が沈んで行っている。
 
「あそこに沈んで行っているのは『男のあなた』です」
と女の人は言う。
 
「迷わずに自分の道を歩いて行きなさい」
 
そう言って女の人は消えた。
 
ふと気がつくと、私は屋外にいて、そばにクーハンがあり、赤ちゃんが安らかな顔をして寝ている。私は微笑んで赤ちゃんの頬を撫でた。
 
その時、1人と思っていた赤ちゃんの陰に、もう1人赤ちゃんが隠れていることに気付いた。あれ?
 
クーハンの中で、少し赤ちゃんをずらしてみる。クーハンの中には確かに2人いた!
 
「お前たち、ふたりいることに気付かれなくて良かったねえ」
 
と言って、私はふたりの頬を撫でる。やがてふたりが目を覚ます。
私はふたりを左右の乳房に吸い付かせ、ふたりにお乳をあげた。
 
そこで目が覚めた。
 

私が目を覚ました時、政子が
「どうしたの?」
と訊いた。
「え?私どうかしてた?」
「だって、何か苦しそうにしてた」
 
「うん・・・・私、赤ちゃん産めないかな?」
と私が言うと政子はじっと私の顔を見つめ、
「そうだね。冬なら産めるかもね」
と笑顔で言った。
 

翌14日は大学の友人達でビア・レストランに集まり「経済活動するぞ!」と叫びながら、みんなわざわざ高いメニューを集中して頼んだ。
 
みんな、災害を前に日本全体が喪中状態・沈滞ムードになり、派手な催しなどを自粛するムードになっていたのに反発していた。経済活動しなきゃ、日本は沈む! 東北が動けない今こそ、他の地域でその分まで頑張って、お金を動かして、その利潤が東北復興に当てられるようにしよう! などと私たちは叫んでいた。
 
「経済活動」のため、みんながあんまり高いのばかり頼むので、支配人さんが途中で「あの・・・・今お会計がこのくらいになっているのですが」とメモを見せに来た。すると、ひとりの男子が「現金足りなくなったらこれで払うから」
と言って、真っ黒いVISAカードを見せたので支配人も「失礼しました!」と言ってテーブルを離れた。
 
さすがに私立大学に通う学生ばかりで、お金持ちの息子・娘が多い。私と政子はそれぞれ30万ずつ持ってこの会合に参加したのだが、途中で「大丈夫かな?」と不安になった。
 
最終的な会計は高いお酒を頼んだ人(1人でドンペリ3本開けた奴もいた)はそれの分を個別に出した上で、残りをみんなで割り勘したので、ひとり12万で済んだ(済んだというべきなのか・・・私もステーキに白トリュフを掛けて食べるなんて初めての経験だった)。むろん支払いは全部現金で払った。
 
また、ひとり救援物資運びのボランティア活動をすると言っていた学生に、みんなその場のノリで「支援する」と言って彼の口座に携帯から数十万単位で寄付を振り込んだので、彼の口座には、あっという間に数百万の残高ができて
「俺、このプロジェクト、マジでやるよ」
と彼は真剣な顔で言っていた。
 

そしてその晩、また政子の実家の方で泊まった私は、政子に近日中に性転換手術を受けるつもりだということを打ち明けた。
 
「去年の夏くらいにやっておくべきだったね、冬は」
「うん。自分でもそんな気はしたんだけど、そこまで一気にやっちゃって良いのかなって、少し不安になっちゃって」
「冬はむしろ高校生のうちに性転換しておくべきだったよ」
「うん。そうかもね・・・・」
 

震災後に麻央と話ができたのは、大地震から1週間経った18日のことだった。
 
「何だか慌ただしくってさ」と麻央。
「しなければいけないことはたくさんある気がするのに進まないよね」
「全く」
 
「でも、麻央あの時、佐野君に強引に誘われたおかげで仙台に行かなくて良かったじゃん」
「そうなんだよ! あの時、ボクが泊まる予定だったホテルは地震で崩れたらしいんだよね」
「わあ」
 
「それに、ボクが仙台行き止めたので、代わりに東京に来ることになった多田野なんだけど」
「うん」
「彼のアパートは津波で跡形もなくなってたらしい」
「ひゃー」
 
「ノートパソコン持って東京に出てきてたから、大事な写真とかのデータもそのパソコンの中で助かったって」
「良かったね」
「そもそも、そのアパートにその時間居たら、津波にやられて死んでたかも知れないしね。ボク自身も危なかった」
 
「佐野君、様々だね」
「ほんと。敏春のおかげだよ」
 
私は麻央が佐野君のことを名前で呼んだのをあれ?と思ったが、その点は特に追求しないことにした。
 

2011年4月3日、私はタイで性転換手術を受けた。手術にはコーディネート会社のスタッフの人が付いてきてくれたし、政子も付いてきてくれた。政子はタイ語もできるので、病院のスタッフとのコミュニケーションにも、とても助けになった。
 
私は昨年の春の段階で、外陰部の形成までやってしまっていたが、その時友人たちから「ここまでやるなら、なぜおちんちんも切っちゃわないのよ?」と随分言われたのだが、あの段階では自分としても一気にそこまでやっちゃっていいものだろうか?という迷いがあった。
 
しかし仙台の放送局で体験した巨大地震、そしてその後のとんでもない災厄により、私の心の中で大きなパラダイムシフトが起きた。自分は新しい生き方をしなければならないと思った。そして、1年間にわたって続けて来た性別曖昧な状態をやめて、完全に女になる決断をしたのだった。
 
おりしも私が通っていた大学では4月を臨時休講にすることになり、今年の前期授業は5月6日から開始するという通知がなされていた。私は授業が始まるまで1ヶ月、ゆっくりと休養することができることになった。
 

とは言っても、それは実際には、のんびり休養できる時間では無かった。
 
手術の傷の痛みはさすがに凄まじかった。その上、新しいヴァギナの広さを確保するために「ダイレーション」という作業をしなければならないのだが、これがまた苦痛であった。どこかに逃げ出したいほどの痛さだが、自分が選択した道なので頑張ってその作業をしていた。
 
全体的な体調もすぐれず、帰国してから4月一杯はほとんどどこにも出かけていない。といって何もしないでいると、精神的に滅入るので、この時期はお琴のレッスンを、先生に自宅マンションまで来て頂いて受けていた。
 
政子はずっとマンションに居て私の世話をしてくれたが、大学の同級生小春・博美、都内に住んでいる友人の有咲や若葉・倫代・美枝・麻央・奈緒、静岡の貞子、千葉の仁恵・琴絵なども頻繁にお見舞いに来て、おしゃべりをしていき、それでかなり私も気が紛れていたのである。名古屋のリナ・美佳、そして1年前に性転換手術を受けていた長野の泰世までも来てくれた。
 
「でも、とうとう冬もおちんちん取っちゃったんだね」と麻央は言った。「麻央におちんちんあげられなくてごめんね」と私は返事した。
 
小さい頃、男らしい麻央と、女らしい私とが、よく一緒に遊んでいたので、同じクラスの男子たちから、私のおちんちんを取って、麻央にくっつければいい、なんてからかわれたものである。
 
「そうだなあ。おちんちんって付いてると結構面倒くさそうだから、いいや。ボクも一時期悩んだことはあるけど、自分はFTMではなさそうだし」
と麻央は言う。
 
「やっぱり悩んだ?」
「自分自身の性別認識はけっこう曖昧。人違いで性転換されちゃって男の身体になっちゃったら、男として生きる自信はあるよ。でも積極的に男になりたい訳じゃないし、女としての生活を一応楽しんでるし」
「麻央が男になっちゃったら、佐野君が困ったりして」
「あ・・・えっと、その時は彼とはホモになってもいいや」
「へー」
「男の子って、多分気持ち良く射精させてあげれば満足する気もするよ。冬も女の子の身体になったから、男の子の恋人作るだろうけど、覚えておきなよ」
「ああ」
 
「それに、ボク、女であることで、明らかに男の子たちから差別受けることも多いけど、女であることで得していることも結構あるからね。でも、あまり男女差の無い仕事をしたいなと思ってる。ボクにはどうせOLはできないよ」
 
「やはりIT関係?」
「うん。あの方面は性別より実力の世界って感じがするからね。特に小さい会社ほど」
「だろうね。大手やメーカー系だと、やはり差別されるよ」
「うん」
 
麻央は東京工業大学に在学している。女子の数が少ないので、少ない女子たちとも仲良くしているが、それ以上にふつうに男子の友人を何人も作っていて、彼らと夜通し飲み明かしたり麻雀卓を囲みながら、あれこれ議論などしていると言っているのがさすがである。
 
「男の子たちと話してたら、彼ら猥談するでしょ?」
「ああ、ボクはそういうの平気だし、こちらからもじゃんじゃん下ネタ話すから。何と言っても小さい頃から兄貴たちに鍛えられている」
と麻央は笑っている。
「私は、あれが苦手だったのよね〜」と私は言った。
 
「敏春には冬が性転換したこと、言っちゃってもいいよね?」
「ああ、もちろん彼には言っていいよ」
 
この1ヶ月ほどで、佐野君と麻央は、まだ「恋人」ではないものの、その前段階くらいの仲に進展しているような感じであった。ふたりは私の小さい頃のこともかなりネタにして話している風で、佐野君は
 
「唐本って、そんな昔からそんな子だったのか!」
などと言っていたらしい。そして
「だったら高校はもう女子の制服で最初から通学してれば良かったのに」
などとも言ったらしい。
 

若葉は小学6年の時に同級生になった子で、同じ中学に進学し、陸上部でも一緒であった。高校は私立の女子高に通ったのだが、大学が同じ大学になった。但しこちらは文学部、向こうは理学部で、隣のキャンパスになる(歩いて15分ほどの距離である)。友人間では、小さい頃に男の人から怖い目に遭ったことから男性恐怖症になっている、という噂があったのだが、それなのに大学に入ると同時にメイド喫茶でバイトを始めたので仰天した。
 
「メイド喫茶って男の人にタッチされたりしないの?」
「ああ、うちはそういういかがわしい店じゃないから。お客さんと3分以上話してはいけないことになってるのよね」
「へー」
 
若葉の同僚にMTFの和実がいて、その和実と私はこの2ヶ月後に遭遇して友人になるのであるが、若葉は私にそういう同僚が居ることは話していなかった。また和実にも自分と私の関わりについては話していなかった。
 
若葉という子は、友人の個人情報をむやみに他人に話すことの無い、とても口の硬い子で、それ故に私は彼女をとても深く信頼している。一方で彼女は何やら不思議なコネを多数持っていて(商事会社を経営している伯母がいるお陰とは言っているが、それだけでは説明出来ない)、随分不思議なもののことを知っているし、変わったものを調達したり、普通なら取れないような予約を取ってくれたりもしていた。
 
「ダイレーション大変でしょ?」と若葉は言った。
「そういうの良く知ってるね」
「私、情報だけは持ってるから」
「でもその情報の出処は絶対言わないのが若葉のいい所でもあり使えない所だね」
「ふふ」
「確かに大変。ってか痛いけど、これやらないと手術した意味が無いからなあ」
「頑張ってね」
 
「ダイレーターはどんなの使ってるの?」
「見る?」
「うん」
 
というので見せる。これは政子にもまだ見せてないのだが。
 
「ふーん。こちらはロウ。こちらはアクリルかな? これ入れてる間は動けないでしょ?」
「動いたら痛い」
「シリコン製の使ってみない?」
「・・・・なぜ、そういうものに詳しい?」
「シリコンのダイレーターって、おちんちんみたいな感触で入れやすいよ。私自分のに入れてみたことある」
 
「・・・・よく平気で入れるね」
「まあ別にヴァージンじゃないし」
「そりゃヴァージンの女の子が入れたら、それに処女を捧げてしまうよ」
 
「あと、シリコン製で留め置きできるタイプがあるから、それも調達してきてあげるよ。ずっと入れっぱなしにしておくと拡張にいいよ」
「ほんとに若葉のコネって不思議だ!」
 
「でもやっぱり、この時期になって性転換手術を受けたのは、女として生きていけるメドがついたから?」
 
「それはあるかもね。去年の夏に歌手に復帰したのに、例の事情で自分たちのCDが出せない状況は続いているけど、ソングライターとしてかなり稼働してて、その分の印税がけっこう入って来始めたから、ああ、やはり音楽の道で食っていけそうだな、と思ったのはある。それに若葉のお陰で例の分の収入もあったしね。あれ無かったら正直、経済的な不安から性転換手術受けるのためらってたよ」
「ふふふ」
「去年の秋頃まではホント、私、大学3年になったら背広着て就職活動しなきゃいけないのかな、とかも考えてたんだよね」
 
「ああ、冬は背広着て就職できる訳が無い」
「それ、みんなから言われた!」
 
「でも結果的に、冬は、ローズ+リリー、ローズクォーツ、マリ&ケイ、を学生しながらやってるのね。ひとり4役って凄すぎる」
「うーん。。。。そういうことになるのかな」
 

泰世(やすよ)は長野県内の高校を卒業した後、すぐにタイに渡って性転換手術を受けた。半年ほど身体を休めたあと、昨年秋に松本市内の洋服屋さんに女性店員として就職した。小学5年生の時からずっと女の子として暮らしてきたので、どこをどう見ても女性にしか見えないし、細かいことに気が回る性格なので、あなたほどの人なら戸籍上の性別は気にしませんよ、と言ってもらえたらしい。
 
しかし泰世もいまだにダイレーションの苦痛とは闘っていると言っていた。
 
「辛いよね〜。でもちゃんとやっとおかないと女としての機能使えないもんね」と泰世。「うん。自分で選んだことだから、辛いけど私も頑張る」と私。
 
「それってたとえると、どういう痛さなの?」と政子。
「そうだねー。歯医者さんで毎日3回顎が外れるくらい口を大きく開けさせられて1時間くらい歯を削られているような痛さというか」
「うーん。。。女になるのも大変なんだね」
と政子はマジで同情するかのように言った。
「私最初から女で良かった」
 
「だけど女として勤めさせてくれるところ見つかって良かったね」
「うん。門前払いの所が多くて。でも8件目でやっとOKもらえたんだよ」
 
「私も去年の秋頃までは自分は大学出たらどうするんだろ?なんて思ってた面もあるんだけどね」と私。
「冬ちゃんは歌手・作曲家として活動していけばいいじゃん」と泰世。
「うん。でもそれで生活が成り立つかどうかという問題があってね」
 
「震災の後で、ローズ+リリーの『神様お願い』無茶苦茶掛かってるじゃん。あれ印税が凄いことになってない?」
「あれの印税はね、全額岩手県・宮城県・福島県に寄付する契約」
「えー!? それって数千万円じゃない?」
「たぶん」
「ぎゃー。なんかもったいないような、でも偉いような」
 
「震災で苦労している人たちが放送局とか有線とかにリクエストしてくれてそれで発生した印税が、結局その人たちのために役立つんだから、私たちはそれでいいかな、と」
「やっぱり、冬ちゃんたち偉いよ!」
 

この時期、自分自身は出歩くことができなくても、創作活動の方はけっこう頑張っていた。
 
4月下旬に制作するELFILIESの新曲2曲、花村唯香の新曲1曲、富士宮ノエルと坂井真紅の新曲2曲ずつ、と更に別のアイドル歌手・山村星歌にも新曲2曲を依頼された。
 
とにかく業界全体が3月いっぱい活動停止状態にあったのが、4月になってからやっと動きだし、それで延期されていた制作スケジュールが一斉に動き出したのであった。
 
私自身は4月26日まではひたすら政子の家の居間に置いた簡易ベッドに寝たまま作業をして、MIDIデータの打ち込みなども政子と、手伝いを買って出てくれた春奈にお願いして作業を進めた。特に春奈は譜面を見ながらその場で歌ってくれるので曲調などを確認するのに助かった。(さすがに私も歌えなかった)
 
「でも、ほんと大変そうですね」と春奈。
「春奈ちゃんも、そのうち手術するんだろうけど、この痛みは覚悟しててね」
「思わずためらいたくなるけど、できるだけ早い時期に受けたいです。なんか自分の身体にあんなものが付いていることが、もう我慢できない気分で」
と春奈は言う。
「うん。私もそれが我慢出来なかった」
 
「でも私、ヴァギナを作るべきかどうか悩んでるんです」と春奈。
「作らないと、男の人とセックスできないよ」
「そうなんですよね〜。でも私、あまり男の子に興味なくて。どっちかってっとレズなんですよね」
「ああ」
「レズならヴァギナなくてもいいし。それならヴァギナ無しの簡易性転換でもいいのかなと」
 
「本格性転換と簡易性転換では、簡易の方が傷の治りも早いし、痛みも小さいし、女性器のできあがりもきれい。本格は治るのに時間が掛かるし、ダイレーションでずっと痛い目に遭わないといけないし、仕上がりも簡易ほどきれいにはならない」
「そうなんですよねー」
 
「だけど、後からやっぱりヴァギナが欲しいと思った時にどうしようもない」
「そうなんですよ!」
 
「自分の一生のことだからね。よくよく考えようね」
「はい」
 

4月27日。その春奈たちスリファーズの新曲『愛の祈り』が発売された。性転換前の3月に音源製作しておいたものである。私は帰国以来初めて公の場に出ていき、彼女たちのピアノ伴奏をした。私は終始笑顔でいたが、さすがにトークには参加しきれないので、そのあたりは政子に任せておいた。
 
それでも私がずっと笑顔だったので、後から(スリファーズの)彩夏が
「ケイ先生、もう大丈夫なんですか?」
と訊いたが
「辛い。でも辛い顔する訳にはいかないから頑張ったよ」
と答えた。
 
私が性転換手術を受けたことは、特に親しい友人とUTP関係者(正確には美智子・花枝とローズクォーツのメンバー、および宝珠さん)・★★レコードの一部の人(南さん・北川さん・加藤課長・町添部長・松前社長)以外では、スリファーズの3人と花村唯香、それに上島先生と下川先生くらいにしか話していない。
 
4月28-29日にはELFILIESの新曲録音作業があったので、スタジオに出向いて、制作の指揮を執った。私が体調悪そうな顔をしているので、ELFILIESのハルカが「ケイさん、具合悪そう。大丈夫?」と訊いたが
「ごめん、ごめん。ちょっと体調崩してて」
と言っておいた。彼女たちにも性転換したことはわざわざ言っていない。
 
更に30日・5月1日には富士宮ノエル、2〜3日には坂井真紅の音源製作でも実質的な指揮を執ったが、私の体調を心配した宝珠さん(当時はまだUTPと契約関係は無かったものの、半ばUTP関係者みたいなもの)が来てくれて、細かい技術的な指導をしてくれたので、助かった。しかし6日間スタジオに通い詰めて結果的にはそれで、私もエンジンが再稼働したような感覚があった。
 
4日(水)には徳島、5日(木)には高知でローズクォーツのライブがあった。私はここでステージに立ち歌を歌ったことで、完璧に体調が回復した。お客さんの熱狂が私に力を与えてくれた。
 
それで6日(金)は日中はやっと講義が開始された大学に出たあと、飛行機で松山に入り、夕方からライブをするなどということもそれほど苦痛なくすることができた。7日広島、8日岡山とライブを続ける中、私の体調はどんどん良くなって行った。
 
9-10日には東京で今度は山村星歌の音源製作があったが、ここではもう私はほぼ完璧な体調で制作指揮を執ることができた。なお、花村唯香の音源製作はスイート・ヴァニラズのEliseとLondaが指揮したので、私は4月下旬にちょっと顔を出すだけで済ませてもらった。そして山村星歌の音源製作の後は11日からローズクォーツの初アルバム『夢見るクリスタル』および次のシングル『一歩一歩』
の音源製作に突入した。こちらは制作指揮は美智子が執るので比較的楽だった。そしてローズクォーツの音源製作が終わると、続けてスリファーズの次のシングルの音源製作に入った。
 
一方で、ELFILIES・SPS・富士宮ノエル・坂井真紅・山村星歌の新曲発売が続き、私と政子は音源製作の合間をぬって、これらの発表イベントにも顔を出してきた。
 

こうして私は、4月上旬に性転換手術を受けたのだが、4月中こそ自宅で静養していたものの、その間にも多数の曲を書き、5月にはライブにレコーディング(自分たちのものと、マリ&ケイで曲を提供したアーティストのもの)、そして新曲発表会にと忙しく動き回る日々を過ごした。国内で私の手術の経過をチェックしてもらう病院で、先生から「4月頭に手術を受けた人とは思えない元気さですね」と言われた。
 
そして私は6月には1ヶ月で岩手・宮城・福島の避難所300箇所を巡るという超ハードなツアーを敢行したのであった。その避難所巡りの中で、私は青葉や和実たちと遭遇して「クロスロード」の交流が生まれることになる。
 

私はこの年の5月は、びっちりとレコーディングでスケジュールが埋まっていたのではあるが、私たちは一応学生なので、スタジオに顔を出すのは夕方からで良いことになっていた。
 
5月11日水曜日。震災からちょうど2ヶ月。この日はローズクォーツの初アルバム『夢見るクリスタル』の録音作業が始まることになっていて、クォーツの3人は朝からスタジオに入っていたのだが、私と政子は大学の授業が終わってからスタジオ入りすることにしていた。
 
しかしこの日の早朝、政子は言った。
「ね、大学サボって私に付き合ってよ」
「いいよ」
 

政子はヴァイオリンのケースを持った。そして私にフルートを持っていくように言った。私たちは一緒に東京駅に行き、4月29日にやっと全線復旧したばかりの東北新幹線に乗った(ただしこの時期はまだ減速運転中)。
 
私たちは無言で、福島・宮城の鉄道沿線の風景を眺めていた。私たちは8時半に仙台駅に降り立った。
 
私たちはバスに乗って、市内のあちこちを見て回った。私も政子も無言だった。
 
私たちはやがて公園の芝生の上に座った。
 
「・・・・これって何とかなるの?」と政子は訊いた。
「何とかしなくちゃね」と私は答えた。
 
「演奏しようよ」と政子は言った。
「何を弾くの?」と私は訊く。
 
「まずは青葉城恋歌」
「OK」
 
政子がヴァイオリンを取りだし、私はフルートを取り出す。政子の前奏に続いて私のフルートがメロディーを奏で始めた。政子のヴァイオリンがそれにハーモニーを付けていく。
 
折しもちょうどお昼休みで公園を歩いている人も多い。みんな突然始まった演奏に一瞬足を止め、けっこうこちらを見ながら聴いてくれている人たちがいる。
 
演奏し終わると拍手が来た。
 
私たちはお辞儀をして、その後『荒城の月』『主よ人の望みの喜びを』そして『空も飛べるはず』『神様お願い』と演奏した。『神様お願い』を演奏したので、聴衆の一部が私たちの素性に気付いた感じもあった。私たちはあらためて笑顔でお辞儀をしてから『オー・シャンゼリゼ』を演奏する。ベガルタ仙台の応援歌のひとつである。笑顔で手拍子を打つ人たちがいる。
 
私はフルートを口から離して、『斎太郎節』を唄い始める。政子はちょっと驚いた感じだったが、ヴァイオリンで「ララミミ・ララミミ」というバックコーラスを入れながら所々合いの手的なオブリガートを入れて伴奏してくれた。聴衆の手拍子がそれに付いてくる。
 
「アレワエーエ、エトソーリャ。復興するぜー」と私は唄った。
 
演奏を終えて私は聴衆の前で語った。
 
「つたない演奏を聴いてくださってありがとうございます。ホントに何から手を付けたらいいか分かりませんが、できる所から少しずつしていきましょう。頑張れと言われても何を頑張ればいいんだって感じですけど、1日0.1歩ずつでも、歩いていけるといいですね」
 
と言うと、頷いている人たちがいる。
「マリちゃん、ケイちゃん、アンコール!」
という声が掛かった。
 
私たちは顔を見合わせて笑う。
 
「歌う?」と私は政子に訊いた。
「歌ってもいいよ」
「じゃ、神様お願い」と私。
「OK」
 
フルートで最初の音を出す。そして私たちは一緒に、今回の震災の後、物凄い数のリクエストが来て、とんでもない数のダウンロードがあった、その曲をアカペラで歌い出した。
 
聴衆がじっと聴いている。涙を浮かべている人が何人もいる。私は胸が熱くなってきた。
 
「神様、お願い。ただひとつの」
「頼みを聞いて欲しいのです」
「やれるだけのことはやります」
「あと少し助けてくれませんか」
 
というサビの部分で、私も政子も歌いながら涙が出てきた。そして歌いながら思った。神様、今回だけは「あと少し」と言わず「たくさん」助けて下さいと。
 
歌い終えて、拍手の中お辞儀をする。私たちは楽器をケースにしまうと、立ち去った。去り際、何人かの人にサインをねだられたので、書いてあげた。
 
この件、私は誰かがツイッターとかブログに書くかも、とも思ったが誰も書かなかったので、政子が人前で歌ったことは、その場にいた人以外には知られていない。
 
私たちは仙台駅に向かい、駅弁を5個買ってから、東京行きの新幹線に乗った。窓際の席で駅弁を凄い勢いで食べる政子は少しだけ笑顔になっていた。
 
 
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【夏の日の想い出・2年生の春】(1)