【夏の日の想い出・第三章】(3)

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「記念写真撮ろうよ」「うん」
 
私たちはいったんブレスを外し、一緒に美容室に行って髪をセットした。それから自宅に戻ると、お互いにお気に入りのドレスをチョイスして身に付ける。そしてブレスレットと鈴をつけると、それが見えるようにして、セルフタイマーで写真を撮った。
 
「けっこう結婚写真っぽくなったね」
「振袖で並んだ写真も撮ろうよ。プレスは振袖には合わないから外していいけど」
「うん。じゃ、明日それやろう」
 
私たちは美容室に電話して振袖の着付けの予約を入れた。
 
そして翌20日。朝から美容室に行って振袖の着付けをしてもらった上で、また自宅で記念写真を撮ろうとしていたら、ふらりと姉がやってきたので、これ幸いとカメラ係になってもらい、振袖で並んでいる所を何枚か撮ってもらった。ブレスは付けていないが、鈴の方は付けている。
 
「豪華な振袖だね。華やかだなあ。成人式の写真に追加するの?」
「ううん。結婚式だよ」
「あ、誰かの結婚式に行くの?」
「ううん。私たちが結婚するの。というか、しちゃったの」
「えー!? でも、あんた、正望君はどうすんのよ?」
「彼ともそのうち結婚するよ。そちらとこちらは別」
「重婚か!」
「うん」
「私もそのうち彼氏作って結婚するから、重婚予定」と政子。
 
私がお茶を入れようとしたら「その振袖でするな〜」と姉が慌てるように言い、自分でお茶を入れてくれたので、リビングで九州旅行で見た夢や、その後、夢で見たのと同じような杯・お酒・鈴をもらったことを話す。
 
「不思議な縁で、やはりあんたたちは結ばれているのね」
と姉は感心するように言っていた。
 
私たちは振袖姿を1時間ほど満喫してから、振袖を脱ぎ、またドレスを着てブレスと鈴を付け、姉に再度写真を撮ってもらった。パソコンのモニターで見てみると、昨日撮ったのよりぐっときれいに撮れている。やはりセルフ・タイマーと人が撮ったのは違う!と思った。
 
私と政子が「結婚した」ことを知っていたのは、そういう訳で、琴絵・仁恵と、うちの姉の3人だけである。(さらにもうひとりいるが後ほど記述)
 
「だけど、結婚式の夢でもうひとり鈴をもらった女の子が誰なのか見当もつかないんだよね。私には男性機能は無いから、私と政子の間に何かの間違いで子供ができちゃうようなこともあり得ないし」
 
「そうだねぇ。でも、それきっと冬と政子さんの子供なんだよ」
と姉は言った。
 
「もしかしたら、ふたりが日々作っている歌の象徴なのかもね。あなたたち、まるで自分の子供を作るかのように、歌を作っているでしょ」
「あれ?それって、以前みっちゃんにも似たようなこと言われたことある」
「きっとふたりが作り出す何万曲という歌の象徴がその子供だよ」
 
「じゃ、この鈴は机の引き出しじゃなくてCD棚に入れておこう」
 
私はそう言って、鈴を居間に置いているガラス戸付きのCD棚のいちばん上の段に置いた。この段にはローズ+リリーのCDのみが並んでいる。棚のこの段はまだまだたっぷり空きがある。この棚がいっぱいになる頃に何か起きるのかも知れないな、という気がふとした。
 

姉に私と政子の「結婚記念写真」を撮ってもらった翌3月21日はローズ+リリーの「第1自主制作アルバム」の発売日であった。
 
これは私と政子がローズ+リリーを始める直前、高校2年の7月に、その時までに作り溜めていた曲を、スタジオを3時間だけ借りてふたりで吹き込んだものがベースである。当時の演奏部分は私がMIDIの打ち込みで作ったものであったが、今回発売するにあたり、ローズクォーツ(キーボードは太田さん)に演奏してもらって差し替えを行った。ボーカル部分だけは当時のままであるが電気的な編集でノイズを減らしたり、不用意に混入した雑音などを除去する加工だけ行っている。
 
タイトルは企画段階では「Before 0 year」と呼ばれていたのだが、正式な発売にあたって『Month before Rose+Lily, A Young Maiden』という名前になった。『A Young Maiden』はタイトル曲であるが、発売前にプロモーションでもこの曲をかなり流したので、物凄い反響があった。
 
私たちや★★レコードでも予測していたが「もしかして当時マリちゃん妊娠してたんですか?」という問い合わせが凄まじい数来た。問い合わせてきたのは大半が10代の女の子たちだった。
 
★★レコード・△△社・○○プロ・UTPの、どの窓口でも「マリは妊娠していません。詳しいことはアルバムのライナーノートに書いてあります」と答えた。
 
この曲は私と政子が『JUNO』という映画を見て感動して書いた曲なのである。それは17歳の少女が不用意に妊娠し、出産する過程を描いた映画であるが、生まれてくる子供の里親になってくれる人を探し、その里親夫婦の夫の方からJUNOが誘惑され、結果的にその夫婦が離婚したり、JUNOは子供の父親である同級生の男の子ときちんと話し合うことができるようになったりというJUNO自身の成長の物語でもあった。
 
そのことはライナー・ノートに書いているのだが、そんな所まで読まずに単純に曲を聴いて、これはきっと詩を書いたマリ自身が妊娠して、そのことを書いた歌ではと思い込んでしまったファンが多数いたようであった。
 
中には、この時期マリは婚約していたからその人の子供ではとか、実はマリとケイの子供ではとか、その子供は実は生まれていて今3歳になってるはず、などという勝手な憶測をする人たちまで現れる始末であった。
 
『A Young Maiden』だけの単独ダウンロードもできるように設定していたので、アルバムの売れ行きも凄かったが、この曲単独のダウンロードも凄かった。発売後一週間で『A Young Maiden』単独のダウンロードが50万件を超えたため私たちは緊急に町添さんと話し合い、この曲のシングルカットを決めた。
 
さんざん要望のあった『神様お願い』とのカップリングで発売することになり、発売日は4月18日(水)と定められた。
 

2012年3月22日。『Month before Rose+Lily, A Young Maiden』が発売された翌日。私は町添部長と2人だけで、また都内の料亭でお昼御飯を食べながら、秘密の会談をしていた。主たる話題は、先月スキャンダルを起こして半謹慎中の上島先生のことであった。
 
あの事件の責任を取って上島先生は当面、テレビやイベントへの出演を控えることになったため、その代わりの出演者を確保するのに、放送局やイベント主催者は大変な様子であった。
 
幾つかの音楽イベントで上島先生が審査員やゲストなどとして出演することになっていたもので、私と政子に代わりに出演してくれないかというのを町添さんから打診された。
 
「歌うんじゃないから、マリも嫌がらないと思います。それに色々御恩のある上島先生の代理ですから。そういうのはマリのお母さんも認めてくれるんですよ」
と私は答えた。
 
「助かるよ。これが一応スケジュールね」
と言って部長から見せられる。幸いにもライブなどとのスケジュールの衝突は無いが、レコーディングなどとの衝突はあるので、そのあたりは内部的に調整が必要だなと、私は思った。
 
「しかし『天使に逢えたら/影たちの夜』は凄い売れ行きだね。あと少しでミリオン突破するよ。いや、今日あたりもう突破したかも知れない」
と町添部長が言う。
「ありがたいです。なかなか発売のチャンスが無かった曲なので、日の目を見させてあげられただけでも嬉しかったのですが」と私は答える。
 
この日は『Month before Rose+Lily』の発売翌日だったので、その曲のことは「反響が凄いね」という話だけで終わってしまい、私も町添さんもまさか凄い売上になるとは思ってもいなかったので、その曲の話題はあまり出なかった。
 
町添さんは、ローズ+リリーのCD/DLの売上の数字を、自分のiPhoneの画面でこちらに見せてくれた。しかしさすが大企業の部長さんだけあって、iPhoneにセキュリティ・ケーブルが取り付けてあり、服のベルトとつながっている。
 
「あれ? iPhoneって、こんなケーブル取り付けられる所ありましたっけ?」
「本体のネジ穴を使って取り付けてるんだよ。改造に当たるからメーカー保証は受けられなくなるけどね」
「なるほど! 私のにも付けよう」
「これ、特殊な製品なんだよね」と言って、町添さんはそのセキュリティケーブルを売っている会社を教えてくれた。
 
「それで本題。この数字を見てみて」
 
甘い蜜 105万枚
ベスト 41万枚
After 2 years 54万枚
After 3 years 64万枚
涙のピアス 108万枚
可愛くなろう 68万枚
天使に逢えたら 98万枚
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夏の日の想い出 118万枚
 
「ローズクォーツの方の売上は『夏の日の想い出』を除くと、だいたい10万枚程度がmaxの感じなんだよね」
と町添さん。
「うーん。。。。。」
 
「ローズ+リリーは『可愛くなろう』が80万枚くらいで停まりそうなんだけど、その前後で、『甘い蜜』・『涙のピアス』・『天使に逢えたら』がミリオン。しかしだね」
「はい」
 
「『可愛くなろう』は元々『涙のピアス』と一緒に売る予定だったものだよね。だから合わせると実は200万枚近く売れているんじゃないかという意見もある。すると『甘い蜜』から始まってミリオン3連発なんだよね」
「少し強引ですね」と私は町添さんの言葉に笑った。
 
「更に12月にも言ったけど、『夏の日の想い出』はマリちゃんも加わって制作しているから、これはむしろローズ+リリーの作品と考えた方がいいのではという説も根強くてね」
 
「するとミリオン4連発ですか」
「そうそう。そういう説もある。実際ローズクォーツの『起承転決』は15万枚しか売れてないからなあ。いや、今の御時世に15万枚は充分優秀なんだけどね」
 
「ファンがたくさんいるはずの大物アーティストの作品が数千枚しか売れてないですからね」
「そうなんだよ。今音楽業界は悲惨な状態。その中で★★レコードは、上島ファミリーや君たち、スリーピーマイスやXANFUSに、スカイヤーズと、プラチナディスクを連発するアーティストがいて、何とか勝ち組になっているんだけどね」
 
私は頷いた。
 
「そういう中でローズ+リリーは本当にうちの中核になるアーティストのひとつだから、大きく力を入れていくつもり。担当を南君から氷川君に移したのもね、ローズクォーツはやはり男性的なバンドだけど、ローズ+リリーは女性ユニットでファン層も女性が多いから、女性の感性で売っていかなきゃダメだと思ったからだよ」
「なるほど」
 
「スリファーズもやはり女性ユニットなのに女の子のファンが多いし、そもそもスリファーズの楽曲はケイちゃんたちが作っているから、一緒がいいと思ったし、ローズクォーツはローズ+リリーと分離不能だから、結局この3組を担当させることにした。氷川君は新人だけど、うちの期待のエースだしね」
 
「あの人、楽曲の知識量が凄まじいですね。私が鼻歌で何か歌っていたら、『ああ、○○の◇◇◇◇ですね』なんて、歌手と曲名を即言えるんですよね」
 
「氷川君の家のCDやアナログレコードのライブラリは凄いみたいだよ。お母さんもお父さんもコレクターだったらしくて、お母さんの方は主として1970年代以来のポップス・ロック系のレコードやCDを持ってて、お父さんの方は洋楽とクラシックのコレクションが多いと言っていた。子供の頃からいつも何か音楽が掛かっている家だったらしいね」
 
「へー。凄いですね」
「その代わりテレビは無かったらしい。学校で友達の話題に付いていけなくて苦労したみたいだけどね」
「そういう育て方は充分『あり』だと思います」
「うん。強い子だと問題無い」
「あの人、かなり精神的に強い人みたい。それでいて受容力が大きい」
「うんうん」
 
「しかし、ミリオンが4連発来ていたら、次は絶対ミリオン行かないものを」
と言って、私は私は新しい音源『祝愛宴』を町添さんに聴かせた。
 
「これは・・・・こんなもの聴いたことない!」
 
「音楽大学に通っている友人を通じて、そこの大学の雅楽部の人たちにお願いして演奏してもらって、それにあわせて歌いました。私が最初MIDIで作った音源を持って行ったら、これどうやって作ったの?と逆に向こうから聞かれましたよ。向こうでも雅楽のMIDI化、いろいろ試しているそうですけど、苦労しているみたいで」
「音程が難しいの?」
「確かに音程は難しいです。各楽器がそれぞれ独自の音程で演奏していますから。でも音程だけではなく、他にもあれこれと。私はこれまるでプログラムみたいな記述で書いてるんですよね。このMIDI」
と言って、私はMIDIの記述を見せた。
 
「ほんとにプログラムだね。これ」
「雅楽部の人たちにも参考資料として渡してきました」
「これをタイトル曲で出すの?」
「まさか。さすがにタイトル曲にはできません」
と言って、私はタイトル曲にする予定の『風龍祭』を聴かせた。
 
「安心した!」と町添さん。
「ふつうに格好良い曲ですよね」
「うんうん。『Spell on You』とか『影たちの夜』とかの流れに近い曲だよね」
「はい。最初作ったメロディーから、ある程度《受け》を考えて調整しています。もうひとつの曲はこれです」
と言って、私は『恋降里』を聴かせる。
 
「この3つの曲は先日九州に行った時に作った曲なんですよ」
「向こうでマリちゃん、歌ったんだってね」
「ええ。町添部長の作戦が当たりました。阿蘇で歌いましたし、それから戻って来てから鬼怒川温泉のイベントでも歌いました」
「かなり、やる気になってきているね」
 
「ええ。たぶん、ファンからワーっと騒がれる状況でない所でなら歌えるんじゃないかという気がします」
「そしたら、そういう状況をいろいろ作ってあげるよ」
「ありがとうございます。あと御飯もあるかな。阿蘇で歌った時は牛串をもらって、それで上機嫌になりましたから」
「ほほお。マリちゃんに歌わせたければ食べさせるんだな」
「効果あると思います」
 
「それで、この3曲を聴いてもらって上島先生に書いて頂いた曲がこれです」
といって『夢舞空』を聴かせる。
 
「さすが上島君だ」と部長。
「凄いですよね。一晩でこれ書けるんだから。今回は私もちょっと自信があったんですけどね。それを打ち砕かれました。やはり上島先生は私が永遠に追い越せない存在です」
「そうかな。僕には上島君が凄い曲見せられて、負けてられないと思って必死でピアノに向かった姿が目に浮かぶようだが」などと部長は笑いながら言っていた。
 

年度が変わり4月4日。ローズクォーツの7枚目のシングル『艶やかに光って/闇の女王』
が発売された。私たちは政子と太田さんまで加えた6人で4日から16日まで全国を駆け巡って新曲キャンペーンをした。政子がマネージャー代わりなので美智子は来ていないが、★★レコードの氷川さんが帯同してくれて、4月1日に正式入社になった氷川さんにとっても最初の本格的な仕事になった。
 
このキャンペーンの中で私たちは13日に熊本・鹿児島に行き、14日那覇、15日横浜・埼玉、というスケジュールになっていたのだが、行程では13日の鹿児島が終わった後そのまま沖縄に移動して泊まり、沖縄に2泊して15日朝の東京行きの飛行機で戻り横浜のキャンペーンに行くようになっていた。
 
14日土曜日の沖縄でのキャンペーンは午前中で終了。
 
そしてその日の午後、実はローズ+リリーのシークレット・ライブを行ったのであった。
 
このライブは出演アーティストが誰かというのを伏せたまま全国のFM局で参加者を女性限定(中学生以上)・2人単位の応募で募集した。当選者の最寄り空港から那覇空港までの往復航空券と那覇での1拍(後泊)が主催者側の負担で、最寄り空港までの交通費と食費は本人負担という条件であった。
 
ネットでは、実際の出演者は誰だろうか?というので、その日スケジュールの空いているアーティストで、FMを聴いているような世代に人気の人、という線で予想する人たちがいた。4月14日のスケジュールが空いていて、比較的大物のアーティストとして5組ほどの名前が挙がっていたが、その中にローズ+リリーの名前は入っていなかった。それはそうである。ローズ+リリーはライブ活動を休止中のはずなのだから!
 
このライブに政子を出すため、町添さん・私・美智子の3人で話し合い、作戦を立てた。『天使に逢えたら』が凄まじく売れているので、そのお祝いと称して私と氷川さんと政子の3人で、特選黒毛和牛・しゃぶしゃぶの食べ放題に行った。お金は氷川さん持ちである。目立たないように遅い時間に行ったこともあり、お店ではまさか女3人でそんなに食べるとは思ってもいなかったようで、途中でお肉が足りなくなり、慌てて冷凍ストックのお肉を解凍したり近隣の支店からも食材を転送したりして対応したようであった。
 
たらふく食べてさすがの政子も「おなかいっぱい」と言ったところで、氷川さんが
 
「そうそう。今度★★レコード創立20周年で1年間に7回全国でシークレット・ライブをやるんだけどね。沖縄でやるシークレット・ライブで、マリちゃんとケイちゃん、歌ってくれないかなあ」と打診すると
 
「へー、沖縄か」などと言っている。かなり上機嫌だ。普段なら「パス」とか「歌わないよお」とか即答するところである。
 
氷川さんが「宿泊はラグナガーデン全日空ホテル。外の景色が見えるシャワールーム付きのスイートルーム。ホテルにはプールやフィットネスもあるよ。たぶん御飯も美味しいよ」と言うと
「あ、そこって以前泊まった所だっけ?」と私に尋ねる。
 
「うんうん。1年半前に麻美さんのお見舞に行った時に泊まった所だね」と私もまるで今聞いたかのように言う。
「でも沖縄なら、今回、麻美さんを招待してライブを見せられるといいね。氷川さん、そういうのいいですよね? 私たちのファンで難病と闘っている子なんですけど」と私。
 
「ああ、いいですよ。そのくらいの席の都合は付けます」
と氷川さんも、そういう話を今聞いたみたいに言う。
 
すると政子は頷くようにして
「そうか。麻美さん少し元気になってるって言ってたね。いいよ。歌うよ」
と政子は言った。
 
しかし政子を説得するには食べさせることが一番なんだ、というのを私も改めて認識したが、政子は「じゃ、歌うから、この後、今度は焼肉に行きましょう」
と言って、氷川さんを絶句させたのであった。
 

シークレット・ライブの伴奏は、ローズクォーツとスターキッズの合体ユニットで行われた。B.マキ G1.タカ G2.近藤 Dr.サト KB1.太田 KB2.月丘 Sax/Fl.宝珠 Vn.鷹野 Tp/Perc.酒向 という豪華ラインナップで、これだけの大規模ユニットでの伴奏というのは、めったにないことであった。更にスリファーズがバック・コーラスで入ってくれた。
 
ライブは幕を下ろしたまま、いきなり『キュピパラ・ペポリカ』の前奏から始まり、その前奏で初めて出演するアーティストが分かった観衆から大きなどよめきが聞かれた。その会場にいた人がみな、予想していなかったアーティストであった。ただ4人を除いては。
 
会場の右端ドアのそばに車椅子に乗った麻美さんがいた。付き添いの看護婦さん、そしてお母さんと親友の陽奈さんも含めて、このシークレット・ライブに特別招待されて来ていた。右側ドアのそばに陣取っているのは、万一容態が悪化した場合に、すぐ出られるようにである。念のため救急車も1台、待機させてあった。
 
『キュピパラ・ペポリカ』は本来ローズクォーツのヒット曲である。そこで前奏を聴いて、出演するのはローズクォーツと思った人が多かったようだが、幕が開いてみると、マリとケイが並んでいて、前奏に引き続きふたりで歌い出したので、どよめきはすぐに黄色い歓声に変わった。
(『キュピパラ・ペポリカ』・『夏の日の想い出』はツインボーカルの曲で、元々マリとケイがふたりで歌って成立する曲である)
 
歌い終わったところで、私たちは挨拶をする。
 
「みなさん、こんにちは。ローズ+リリーのケイです」
「御無沙汰しておりました。ローズ+リリーのマリです」
 
「今日のシークレット・ライブは、私ケイとマリのユニット、ローズ+リリーでやらせて頂きます。ネット見てたらXANFUSを予想していた人も結構いたようだったけど、XANFUSファンの方、御免ね−。できるだけみんなが知っているような曲を歌って、誰にでも楽しんでもらえるライブにしたいと思います。伴奏をしてくれるのは、ローズクォーツとスターキッズの特別合体バンドです」
 
私たちはアニメでおなじみの『影たちの夜』、CMで比較的知られている『花模様』、私たちの休養期間の最大ヒット曲である『恋座流星群』、また同じく休養期間中の曲で当時の女子中高生の間で評価の高かった『涙の影』、ワールドヒットのカバーである『長い道』、震災絡みで「隠れたミリオンヒット」となった『神様お願い』と歌っていった。『神様お願い』を歌った時、客席の麻美さんが涙ぐんでいた。
 
ここでバンドのメンバー、そしてコーラスをしてくれているスリファーズの面々をひとりずつ紹介し、私たちふたりはいったん下がる。バンドメンバーも下がって、マイナスワン音源でスリファーズがヒット曲『メルリビオン』と『アラベスク』を歌った。スリファーズがそれを歌ってから、いったん下がったのと入れ替わりに、お色直しした私と政子が再登場。
 
スターキッズのメンバーと太田さんだけが入ってアコスティックな伴奏で『天使に逢えたら』を歌う。私の高音の最高域付近を使っているので、そのハイトーンが会場に響き、みんな静かに聴くムードで手拍子も停止していた。
 
その後ローズクォーツとスリファーズのメンバーも戻って一転してダンスナンバー『Spell on You』を歌うと、リズムを取る手拍子が復活。会場は一気に熱を帯びる。続けて多くの10代女性を泣かせてしまった『A Young Maiden』を歌うと、リズムを打つ人もあるが、動作を停めてしんみりとした表情で聴いている人たちもいる。
 
次に t.A.T.u. のヒット曲『All the things she said』を英語で歌うが、お約束で歌の途中で私とマリがキスをすると、会場は「キャー」という声で満ちた。
 
続いてスイートヴァニラズから提供された『ペチカ』、スカイヤーズから提供された『略奪宣言』、そしてこれも震災絡みでよく巷で流れた『帰郷』と歌い、最後は『夏の日の想い出』で締める。
 
ここで観客がアンコールを求めたので、私たちは(お色直しせずに)再登場してアンコール用としてはおなじみになった『ふたりの愛ランド』を歌うと、会場は熱狂の渦となった。
 
そしてセカンドアンコールは、バンドメンバーとスリファーズが退場し、私がピアノを弾きながら『Sweet Memories』をふたりだけで静かに歌い幕が降りた。拍手が10分くらい鳴り止まなかった。
 
こうして2008年12月13日のロシアフェアのステージ以来、1218日間にわたり(ハプニング的、または気まぐれでの歌唱を除き)観客を前にした演奏から遠ざかっていた政子は、とうとうライブ会場のステージに戻ってきたのである。
 

私と政子はステージが終わると、真っ先に麻美さんたちが戻ったはずの病院に行った。
 
麻美さんはとても元気だった。ステージをアンコールまで全部見てから病院に戻ったし、付き添ってくれた看護婦さんも血圧や脈拍をずっとチェックしているほかは特にすることは無かったようで、容態は安定していたということだった。
 
「私もう感激でした。このまま死んでもいいと思った」と麻美さん。
「だめだよ、死んでは。またそのうち沖縄にライブで来るからね。その時も来てよね」
と政子は言った。自分でまたライブすると明言している!
 
「はい。頑張ります」と麻美さんも言っている。
 
私たちは病室の外で陽奈さんや麻美さんのお母さんに話を聞き、麻美さんの状態が次第に良い方向に向かいつつあり、先月から薬をワンランク軽いものに変えたという話も聞き、お母さんにお母さん自身が無理しないように言った。
 

マリがステージに立ったというのはライブ直後、多くの観客によりネットに書き込まれ、大きな騒ぎとなった。報道各社から「マリはライブ活動に復帰するのか?」という問い合わせが殺到したので、私と美智子のふたりで現地のテレビ局に行って記者会見を開き、見解を述べるとともに質問に答えた。
 
「基本的にはマリはまだライブ活動を休養中です。但し、いつかはステージに戻ってくると本人も言っています。今回は★★レコードさんの設立20周年企画ということで、特別にライブステージに立ちましたが、当面ローズ+リリーのライブツアーなどをやる予定はありませんし、テレビなどへの出演も予定は入っていません。ただ、ラジオ番組ではこれまでと同様、外から見えないスタジオで生演奏をすることはありますし、今回と同様の突発的なライブに稀にマリが出演する可能性はあります」
 
と私が用意していた原稿を読み上げ、そのあと記者さんたちの質問に答えた。
 
今回はあくまで特別なもの、という話で一応ファンたちも納得はしたようであったが、ぜひ何かの機会にライブを、という要望が、★★レコード、△△社、○○プロ、UTPにかなり寄せられ、私が使っている twitter のアカウント宛てにも大量に「マリちゃんとケイちゃんのふたりのステージ見たいです」というツイートが投稿された。
 
「でも、ファンが大量に集まっている所ではまだ歌えないんだよね〜、政子は」
「そこが難しい所だよね」
と私と美智子は事務所に戻ってから、ため息を付きながら語り合った。
 
「でも今回のライブの成功に味を占めて、町添さんは似たような企画をどんどん持ってくるだろうね」
「でも、出演に同意させるために使う食費が凄まじくなる気がする」
 
なお、このシークレットライブの様子はJFNを通じて翌月ほぼノーカットで(スリファーズが歌った2曲も込みで)放送されたが聴取率が凄まじかったようであった。
 

ところでこのローズクォーツの新曲キャンペーンの最中の7日、ローズ+リリーと昔から交流のあったユニットのひとつであるパラコンズがメジャーデビューを果たした。
 
あくまで大阪を中心に活動していくということで、デビューの記者会見は大阪、イベントも大阪を中心に関西地区をメインにやるという方針であったが、私と政子もローズクォーツのキャンペーンの合間を縫って、7日に大阪で行われたイベントに顔を出した。
 
この日はローズクォーツも10時と12時に大阪市内2箇所、14時に神戸で新曲のキャンペーンをしたのだが、その合間の11時に大阪市内でパラコンズのデビューイベントをした。お昼を食べる時間が無くなる!と政子は主張したが、夕食に神戸牛のステーキを食べさせてあげる、というので妥協してくれた。
 
パラコンズのデビュー曲は『彼を取り戻せ/二股はギロチン』で、12月に私と政子で全国をキャンペーンで走り回った時、大阪と金沢で出来た曲である。
 
「パラコンズはローズ+リリーと昔から交流があったんですか?」
とイベントに先立つ記者会見で訊かれた。
「くっくは、私のファーストキスの相手なんです」と私が答えると、記者や観客の間に戸惑うような空気が漂う。
 
「あの・・・恋愛関係にあったのでしょうか?」と記者さん。
 
「いえ。ローズ+リリーがまだメジャーデビューする前、大阪のフェスティバルに参加したことがありまして、多数のアーテイストが出演したのですが、ちょうど、ローズ+リリーの次がパラコンズだったんです。その時、ローズ+リリーが歌って舞台袖に引き上げてきたら、くっくが『うまい!声がいい!』
と言って、その場でいきなりキスされまして」と私が説明すると
 
「くっくは、その筋では有名なキス魔でして被害者多数です」
とのんのが補足してくれた。記者や観客の間に安堵感が広がる。
 
しかしこの『キス告白』のおかげで、記者会見はとても明るくのどやかな雰囲気で進行した。パラコンズのふたりが漫才のようなやりとりをするので、会場は笑いの渦であった。そしてその後、私のエレクトーン演奏にあわせてパラコンズがデビュー曲2曲を歌うと観客は手拍子を打ってくれて、とても盛り上がったのであった。
 
翌日の大阪版のスポーツ新聞には『ケイのファーストキスの相手デビュー』
というのが1面タイトルに書かれていた。
 
しかしその日、twitterの私のアカウント宛に「ケイさんとくっくさんのキスって、それはマリさんとのキスより先だったんですか?」という質問が何通も寄せられた。それに対して私は美智子と政子に承認を取った上で「くっくとキスしたのは2008年8月10日、マリと初めてキスしたのはメジャーデビュー直前の9月24日です」というコメントを返した。この日付が、私たちのあちこちのファンサイトに速攻で転載されていた。
 

沖縄でのシークレットライブから4日たった2012年4月18日。『神様お願い/A Young Maiden』のCDが発売された。ローズ+リリーにしてもローズクォーツにしても「シングル」と言いつつ、4曲から多いものでは7曲くらい収録されていることが多いが、このCDは珍しくこの2曲のみの700円という設定であった。
 
どちらも既に配信では公開されている音源なので(但し『神様お願い』は演奏を再収録したし、『A Young Maiden』はボーカルを今の私たちの声で再録し、伴奏もリミックスを行なった)、聴く人は既にダウンロードしているから、CDとしてはそんなに売れないだろうと思っていたのだが、結構な売れ行きになっているようであった。
 
翌週、4月25日には私と政子が「第二自主制作アルバム」と呼んでいた、『Rose+Lily after 1 year, 私の可愛い人』が発売になった。これはローズ+リリーを始めてから、高校3年の秋までに作り溜めた曲を受検勉強中の2009年11〜12月に録音したものだが、先月発売した『Month before Rose+Lily』同様、楽器演奏部分は、新たにローズクォーツに演奏してもらったものに差し替えての発売である。
 
その後、ローズ+リリーでは、5月23日に『夢舞空・風龍祭』、6月20日に『影たちの夜/天使に逢えたら』のドラマ版、そして8月3日には3回目のメモリアル・アルバムである『Rose+Lily after 4 years, wake up』が発売された。
 
『夢舞空・風龍祭』にしても、『after 1 year』『after 4 years』にしても100万枚には到達しなかったものの、かなりの売上を上げて、あちこちのFM局からもお声が掛かり、私はひとりで全国飛び回ってあちこちのパーソナリティさんと会話をしてきた。
 
8月11日には、また夏フェスが行われたが、主催者側からパンド中心のAステージにローズクォーツ、歌手中心のBステージにローズ+リリーの出演が打診されたものの、政子に聞いてみたところ「私見てる」などというので、ローズ+リリーの方は辞退して、ローズクォーツの方だけ参加することになった。
 

しかし、この夏フェスも関わるのは今年で4回目だ。
 
高校3年の時はただ見ただけだった。大学1年の時は観客として来ていたのにスカイヤーズのボーカルBunBunが出番の直前に倒れて、そのピンチヒッターとしてスカイヤーズの曲を歌った。そして昨年大学2年の時はローズクォーツで正式に出場した。
 
今年も(ローズ+リリーは辞退したので)、ローズクォーツだけの出演になる。
 
出番はAステージ、午後の2番目。ちなみに午後のトップは実力派のバンド、バインディング・スクリューである。今年はスカイヤーズがヘッドライナーで、スイート・ヴァニラズは朝一番のトップバッターである。
 
今回ローズクォーツで演奏する曲目は『あなたとお散歩』『起承転決』『ダイアナ』
『南十字星』『春を待つ』『コンドルは飛んでいく』を予定していた。
 
大ヒット曲『夏の日の想い出』や春にリリースして好評だった『闇の女王』
などを使いたかったのだが、今年から規則が変わってマウスシンクの類が禁止されると共に、コーラスを含めて一部のボーカルや楽器の音を音源を使って流す行為も禁止された。あくまで全て生で演奏しなければならないということになったのである。
 
昨年一部のバンドが、ステージでは全然演奏せずにパフォーマンスに徹して音は全部音源で流すということをしたので「あれはロックではない」という意見が強く出されて、音源使用が禁止されることになった。
 
『夏の日の想い出』は私と政子のツインボーカルの曲なので、昨年は政子が歌っている部分を音源で流して私の部分だけ生で歌ったのだが、そういう演奏の仕方ができなくなってしまった。念のため政子に「一緒に歌わない?」と訊いたのだが「ごめーん」ということであった。
 
しかし昨年夏以降のローズクォーツの歌には、政子の参加が前提となっている曲が多く『闇の女王』など、売れた曲ほどそうなので、政子が歌わないとなると使える曲が限定されてしまい、曲目も軽量ラインナップになってしまった。
 
また、Bステージの午前中ラストにスリファーズが入るが、ローズクォーツはその伴奏も務めることにしていた。Bステージは歌手中心で、ほとんどの歌手が伴奏を音源で流すつもりで準備していたのに、8月になってから音源使用禁止という方針が打ち出されて、どの歌手も伴奏者を確保するのに大慌てであった。強烈な電気的加工をして歌っていたため、生演奏が不能というユニットが出場を辞退する騒ぎにもなった。
 
ローズクォーツは元々スリファーズの音源制作で伴奏をしていたので、フェスでも「時間帯が重ならないし」ということで、スリファーズの伴奏をすることになったのである。
 
今年はローズクォーツ同様にAステージに自分たちの演奏で出て、Bステージに出る歌手の伴奏を務めるというバンドが他にも幾つかあった。
 

私と政子はその日会場に入ると、まずBステージの方に行った。トップにAYAが歌うので(伴奏はいつもAYAのライブで伴奏をしてくれているポーラスター)、まずはそれを見た。ステージ脇で見ていたが、慣れている伴奏者との演奏なので、伴奏者側も歌う側も、気分良く歌っている感じであった。小春がAYAのファンなので呼んで一緒に見ていたが(仁恵たちはAステージを見ている)、AYAが歌い終わった所で私がAYAに、この子がAYAの熱烈なファンと言うと、AYAは小春と握手してあげた。小春はもう大感激という様子であった。
 
そういう訳でAYAは伴奏者とうまくやったのだが、AYAの次に出て来た歌手は、どうも伴奏者との事前練習が不足していたようであった。歌手が歌の出だしを間違ってみたり、伴奏とずれてしまったり(生バンドの音は実はステージ上でとっても聞こえにくい)、更には伴奏している側が譜面の一部を見落として歌手が「え?」という顔をしたりする場面もあった。わあ、可哀想という感じで私たちは見ていた。
 
「私たちはローズクォーツともスターキッズとも、いつも一緒にやってるからどちらかとの演奏なら、問題無いね」などと政子は言っている。
「うん。スカイヤーズやスイート・ヴァニラズとも一緒に歌ったね」
 
「でも知らないバンドの伴奏だったら、私は冬が頼りだなあ。バンドの音は無視して冬の歌を聴きながらなら歌える気がする。だから私、やはり冬以外とのデュエットは出来ない気がするよ」と政子。
 
「冬は音感が凄いから、たぶん誰とでもデュエットできるよね?」と小春。
「ううん。私は政子以外とはデュエットしない。ってか、多分できない」
「えー?なんで?」と小春。
 
「ソロなら、多分どんなバンドとでも合わせられると思うんだよね。でもデュエットって歌を合わせるだけじゃなくて、魂が呼び合ってないと、うまく調和しないんだ。上手な歌手とのデュエットなら音は合うだろうけど、政子以外の人とは音として合っても魂は呼び合わないから、プロ歌手として歌う場面で、私は政子以外とのデュエットはしたくない。お遊びでなら歌うけど」
と私は言った。
 
政子がふーん、といった感じの顔をしている。小春は妙に納得したような様子であった。
 

やがてローズクォーツの面々がBステージ脇までやってきた。スリファーズも先程いったん姿を見せたのだが、控室にいると言って、離れていった。
 
今演奏している歌手の次の次がスリファーズである。
 
その時、Bステージの進行係をしていた★★レコードの吾妻さんが何か焦った顔をして、電話をあちこちに掛けている様子である。吾妻さんとは旧知の仲なので「どうかしましたか?」と声を掛けた。
 
「緊急事態なんです。この次に歌う予定の MURASAKI が、どうもまだ来てないみたいで」
「えー!?」
「伴奏のバンドは来ているけど本人が来ていないのではどうにもならない。今控室のスタッフに連絡して、その次の出番のスリファーズに急いでこちらに来てもらうよう言ったところですが、ケイさん、ローズクォーツの方はすぐスタンバイできます?」
 
私が振り返ると、そばで話を聞いていたサトが頷いてOKサインを出す。「行けますよ」と私は吾妻さんに言った。
「助かります。 MURASAKI 飛ばしますから、この後、すぐスリファーズ withローズクォーツ行きます」
「はい」
 
スリファーズの3人が走ってステージ脇までやってきた。私は3人に水を飲ませて落ち着かせる。慌てたりしてミスってはいけない。
 
「ここで水が出てくるところは、さすがフェスのベテランですね。ケイさん」
などと吾妻さんが言っている。
「そうですね。私ももう3年目ですから」と私は笑顔で言った。
 
演奏していた歌手が終わったところで、司会者がステージに上がり MURASAKIが遅れているようなので、順番を変更して、先にスリファーズが歌います、という案内をする。またこの順序変更のお知らせが、会場内の各所の掲示板に表示された。
 
演奏開始は、その案内を見てこちらにやってくるスリファーズのファンを待つため、10分間の休憩を置いてから始めることにした。その間に前のバンドが使っていた機材を片付け、ローズクォーツが使う機材を設置する。
 
伴奏だけなので、ボーカルの私は入らず、マキ・タカ・サト・ヤスの4人での演奏になる。やがて時間になり、ローズクォーツの4人がステージに上がりスタンバイ。そこにスリファーズの3人が駆け上がった。
 
黄色い歓声が上がる。サトの合図で前奏がスタートし、やがてスリファーズが歌い始めた。
 
吾妻さんは、まだ電話で連絡を取っているようであるが、頭を振っている。
 
「どうですか?」
「MURASAKI、全然連絡が取れません。単純に遅れていて、もうすぐここに到着するなら、スリファーズの次に歌ってもらってもいいんですけどね・・・・」
「大きく遅れた場合は午後に割り込ませるんですか?」
 
「無理です。ABステージの掛け持ちが多いから、順序変更や時間のずれは問題が大きくなります」
 
そんなことを言っていたら、主催者の立木さんと★★レコードの町添部長とが場内カートでこちらにやってきた。
 
「MURASAKI がこのまま来なかった場合はどうしますか?」
「スリファーズのステージは今始まって何分?」
「7分ですね。あと23分です」
「あと8分以内に MURASAKI が来ない場合は、MURASAKIのステージはキャンセル」
と町添さん。
 
「はい」
「スリファーズの後、そのまま昼休みに突入させるしかないね。それでいいですよね?立木さん」
「仕方ないですね。MURASAKIのファンには申し訳無いけど、本人来てないんじゃ、どうしようもない。しかし、Bステージはそもそも少し早めの進行になっちゃったんですね」
 
「そうなんですよ。伴奏者と合わない歌手が続出で。それで演奏時間がみんな短めになってしまいまして。アンコールやったのは最初に歌ったAYAだけ、という状態。純粋な生演奏をバックに歌うのに慣れてないんですよ。今時の歌手って」と吾妻さん。
 
「困ったもんだな」と町添さん。
 
「結果的に今日のBステージ午前の部は11:20で終わってしまいますね」と吾妻さん。「うーん。誰か臨時徴用して、ワンステージ入れたいくらいですね」と立木さん。
 
その時唐突に政子が言い出した。
「ケイって、ピンチヒッター・代役、大得意じゃん。時間の穴埋めに何かパフォーマンスしてあげたら?」
 
私と町添さんは目を丸くして政子を見た。
「確かに、天性の代打要員って、加藤課長から言われたことありますけど」と私。
 
「マリちゃん、どうせならケイちゃんとふたりで代打要員しない?」と町添さん。
「そうですねー。やってもいいですよ」
私も町添さんも、政子のこの答えにはびっくりした。まさか本当にやると言うとは思わなかった。
 
「よし。スリファーズの後にはローズ+リリーを入れる。曲目はケイちゃん、その場で即興で決めながら歌って」と町添さん。
「はい」
 
既にスリファーズのステージは20分が過ぎていた。あと10分で演奏が終わる。吾妻さんが場内の掲示板への情報掲示を指示した。会場各地に設置された掲示板にこのような表示が流れた。
 
「Bステージ、MURASAKIが出演不能になったため、代わりにローズ+リリーの演奏があります。演奏開始は11:20の予定です」
 
場内各地で思わず驚きの声を挙げる人たちがいた。演奏をしていたローズクォーツのメンバーの中でも、サトとタカがこの掲示に気付いた。
 

やがてスリファーズが最後の曲、更にはアンコールの曲まで歌い終わる。割れるような歓声と拍手の中、3人がお辞儀をしてステージを降りた。それを見て、マキとヤスも降りようとしたがそれをサトが押しとどめた。マキが「?」という顔をしている。
 
私と政子は春奈と千秋から「マイクちょうだいね」と言って受け取ると、駆け足でステージ脇の階段を駆け上り、一緒にステージ中央に立った。衣装に着替えている時間が無いので、普段着のままだ。
 
「こんにちはー、ローズ+リリーです」と一緒に声を出す。
 
「MURASAKIさんが何かトラブルで来られないということで、急遽空いたステージの穴埋めを仰せつかりました。もしよろしかったら、しばし、私たちの歌にお付き合いください」
と私が言うと、マキとヤスがびっくりした表情をしている。
 
「じゃ、まず『神様お願い』行けるかな?」と私はマキたちを振り返りながら言う。サトもマキも笑顔で頷いている。私は政子にも「行くよ」と言う。政子が頷く。サトが勢いよくドラムスワークを始め、マキとタカのベースとギター、そしてヤスのキーボードの和音での前奏が始まる。
 
私と政子はこの曲を作った時のことを思い出しながら大ヒット曲『神様お願い』
を歌い始めた。
 

Bステージのキャパは5000人である。高校生時代にローズ+リリーの全国ツアーをした時は最大で3000人規模の会場しか経験していない。4月に沖縄で行ったシークレットライブも、会場は1000人規模であった。私は去年と一昨年にこのフェスのAステージを経験して数万人の観客を前に歌っているので平気だが、政子がこの人数で歌えるか心配だった。しかし、普通に歌っているので、少しほっとした。
 
場内の掲示板を見て、あちこちから人が集まってきたようで、キャパは満杯。けっこう詰まっている上にあふれている感じなので、ひょっとしたら7000人くらいになっているかも知れない。
 
私は1曲ずつ短いMCを入れながら「次○○行けるかな?」とマキたちの方に言っては、政子と一緒にローズ+リリーのヒット曲を歌っていった。
 
『神様お願い』の後は『風龍祭』『花模様』『Spell on You』『恋座流星群』
と続ける。そしてそろそろラストかなというところで『影たちの夜』を選ぶ。
 
政子が笑顔だ。何だか気持ち良さそうに歌っている。私はそういう政子が何だかとても愛おしくなり、間奏部分でそばによって、かなり本格的なキスをした。観客から「きゃー」という声が聞こえるが私はキスをやめない。間奏がもう終わるという間際にやっと唇を離した。
 
私たちは2コーラス目をまた笑顔で歌っていった。観客の手拍子が凄い。やっぱりこの曲って名曲だ!と思う。そしてこの曲って、私と政子が歌うことで完成するんだ! 曲って、単独で存在するのではなく、歌い手もその曲の一部なのではないか。私はその瞬間、そう思った。私たちの歌は、自分たちで作り、そして自分たちで歌って、完全なものになる。
 
やがて歌が終わる。私たちは深々と観客に向かってお辞儀をした。
アンコールを求める手拍子が来る。でも私たちは再度深くお辞儀をし、バンドメンバーにも手を向けて、そしてステージから降りた。
 

ステージ脇で見守っていた春奈が
「アンコールしないんですか?」と訊くが
「だって、ローズクォーツのステージで歌えばいいからね」
と私は答えた。
 
「あ、そうか!」と春奈。
「マリ、ローズクォーツのステージにも出るよね?」と私は政子に訊く。
 
政子は笑顔で頷いた。凄く気持ち良さそうで半ば放心状態であった。
 
町添さんが寄ってきて、まず政子と握手。それから私と握手した。
いつの間にかステージ脇まで来ていた、スイート・ヴァニラズのEliseが私たちふたりをハグした。
 

私とサトは、政子が出てくれることになったことで緊急に演奏曲目を見直した。
 
「『夏の日の想い出』『キュピパラ・ペポリカ』『闇の女王』『雨の夜』この4曲は絶対入れよう」とサト。
「当初予定していた曲の中で『南十字星』と『コンドルは飛んでいく』を残しましょう」と私。
「じゃ『南十字星』と『コンドルは飛んでいく』はCDに収録しているツインボーカル版での演奏だね」とサト。
 
「あ、ちょっと待って。来週発売のCDの曲は1個入れておきたい」とタカ。「あ、そうか。じゃ、『あなたとお散歩』のツインボーカル版を使おう」とサト。もうひとつの『ビトゥイーン・ラブ』の方が本質的なツインボーカルになるが、それだけ技術的に難しいので、こういう時は負荷の少ない曲の方が良い。
 
「じゃ、代わりにどれ外す?」
「悩むな。。。よし『南十字星』を外す。『コンドルは飛んでいく』はラストに演奏したい」とサト。
「了解」
 
「じゃ、譜面を昼休みの間にイベント事務所に行ってプリントしてきます」と私。
「うん。お願い」
 
「ということだけど、いい? みんな」とサト。
「OK」とタカとヤス。
「マキ?OKだよね」
「あ、えっと。いいと思うよ」とマキ。
 
「分かってるのかな?」と心配そうにヤス。
「あ、大丈夫。マキは何の曲でも目の前に譜面を出しておけばそれを弾く」とタカ。「何だかひどい言われようね」と花枝。
 
美智子はイベントスタッフとして参加しているので、私たちのマネージングは今日は花枝が担当している。花枝はお弁当を10個確保してきていた。
 
ローズクォーツの5人、政子、花枝、なんとなく付いてきてしまった小春、の8人で1つずつお弁当を食べていたが「あ、2個残っているね」と政子。
 
「あ、残ってるのは食べていいよ」とサトが言う。
「じゃ、もらっちゃおう」と言って、政子は2個お弁当を取る。
「へ?」という顔をしているヤス。
 
しかし政子は、あっという間に最初に配られていたものまで含めてお弁当3個をきれいに平らげた。
 
政子の食欲を知っている私やサトがニヤニヤしているが、ヤスはこういう場面は初めて見たようで、呆気にとられていた。
 
「マリちゃん、凄い食欲だね。お腹いっぱいで眠くならない?」
とヤスが訊くが政子は
「うーん。まだ食べ足りないなあ。焼きそばか何か買ってこようかな」
 
「あ、私買ってくるよ。政子が食べ物屋さんとこに並んでたら、サインを求める列ができちゃうから」と小春が言うので、買ってきてもらうことにした。
 
結局、政子はお弁当3個のあと、焼きそば3パック平らげて
「うーん。腹八分目かな」
などと言っていた。
 

午後のAステージ。トップバッターのバインディング・スクリューが演奏している間、私たちはステージ脇で静かに出番を待っていた。サトはヤスに話しかけて、あれこれ芸能界の噂話などしている。タカは目を瞑って集中している。マキはただボーっとしている。そして政子は私に身体をぴったりくっつけて、小声でこれから歌う歌の予習をしていた。音が分からないというので、最初の音だけ近くにおいてあったキーボードで弾いて教えてあげる。
 
政子は高校生の頃は最初の音だけ聴かせて自由に歌わせると8小節も行かないうちに2〜3度ずれてしまっていたのだが、あれからたくさん練習してとってもうまくなっている。歌っていても音程がほとんどずれない。政子は本当に上達したんだなと思って、私は微笑ましく見ていた。ここでキスしたいけど、さすがにちょっとまずいかなと思って我慢していた。でも、バインディング・スクリューの最後の曲が始まった所で政子が小さい声で「勇気が欲しいからキスして」と言った。私は周囲の目は黙殺することにして、政子にキスした。
 
唇を離した時、花枝と小春がパチパチパチパチと拍手をした。サトとタカも微笑んでいた。ヤスは少し戸惑っている感じ。マキはまだボーっとしていた。
 
そして出番が来る。
 
スタッフが大急ぎで機材の入れ替えをする。OKのサイン。
 
私たちはゆっくりとAステージの階段を登り、ステージに立った。
 
マキはきりりとした顔をしている。サトは指を折っている。タカはじっとこちらを見ている。ヤスもまっすぐ前を向いている。私と政子はステージの中央に立った。
 
「こんにちは!ローズクォーツです。今日はとっても暑いですが、その暑さを、私たちと一緒に吹き飛ばしましょう!」と私は挨拶した。
 
1曲目『雨の夜』。ふたつのメロディーが独立して進んでいき最終的にひとつにまとまるという曲である。ヤスは政子が歌う方のメロディーに合わせてキーボードを弾く。私はそれと独立の歌を歌っていく。ふつう政子は私の歌を聴いてそれにハモるように歌うのだが、この曲ではそれができない。政子の歌唱力が問われる歌だ。
 
しかし政子はヤスのキーボードの音を聴きながら、しっかりと自分のメロディーを歌っていった。私はかなり安心しながらそれを聴いていた。歌がクライマックスになり、ふたつのメロディーが激しく交錯する。タカのギターが時には政子の方のメロディーに合わせ、時には私の方のメロディーに合わせる。そして最後、とうとう私と政子の音はきれいに三度の音程を取り、そのまま終曲へと進んでいく。
 
手拍子も打たずに少し緊張気味に聴いていた観衆が割れるような拍手をする。私たちは微笑んでその拍手に応え、私の左手と政子の右手をつなぎ、私の右手と政子の左手を高くあげた。
 
続いて『闇の女王』。これは基本的に私と政子のハーモニーで歌う曲なのでさきほどの曲のような緊張感は無い。観衆も安心して手拍子を打っている。その後、昨年の大ヒット曲『夏の日の想い出』『キュピパラ・ペポリカ』を続けて歌うと、客席はかなりの盛り上がりを見せる。そしてその勢いで新曲『あなたとお散歩』を歌う。来週発売の曲だから誰も知らない。しかしここまでの勢いでみんな熱心に聴いてくれている。
 
そして最後の曲『コンドルは飛んでいく』。故郷に帰りたいのに帰れない、という切ない思いを歌った曲である。超有名曲ではあるが、この歌詞では知らない人が多いから、その歌詞を聴いて、手拍子を停め、何かを思うような目でステージを見ている客もかなりいた。
 
その曲が終わったところで、大きな拍手。私たちはお辞儀をして下がろうとしたが拍手が鳴り止まない。進行係の人がアンコールのサインを出している。私はマイクに向かって語った。
 
「ありがとうございます。午前のBステージのローズ+リリーの時は、こちらのステージがあるのでアンコールを遠慮させて頂いたのですが、こちらでもアンコールを頂きましたら、お受けしないといけないですね。それではローズクォーツ・ローズ+リリーの両方で出している曲『あの街角で』」
 
拍手が起きる中、私とサトが頷き合って前奏が始まる。私は自分のマイクのスイッチを切って下に置くと、政子と手をつなぎ、ひとつのマイクに向かって一緒に歌い始めた。
 
高校2年の時、ただ無我夢中で放課後と土日限定でローズ+リリーをしていた時期に書いた曲だ。そして多分、あの頃しか書けなかった曲だ。歌詞にも曲にも、脆さがある。でも、その脆さは今の年齢の自分と政子には出せないものでもある。
 
私たちは静かにその曲を歌いきった。
 
曲が終わってから一瞬の間を置いて拍手。私たちは深くお辞儀をしてステージを降りた。
 
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【夏の日の想い出・第三章】(3)