【夏の日の想い出・君に届け】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-07-24
なぜそういうことになったのか、当時の状況はよく覚えていない。
2013年7月11日、私は、蔵田さん、鮎川ゆま、鈴鹿美里の鈴鹿、の3人と一緒に海上タクシーあるいは漁船に乗り、その島に向かっていた。もしかしたら一緒に居たのは美里の方だったかも知れないが、記憶が曖昧だ。当時のことを本人たちに訊いてみたこともあるのだが、本人たちも
「どちらがどちらか分からないです」
「私たち時々記憶が混線するんですよ」
などと言っていた。この2人は多分、半一卵性双生児だろうと思うのだが、一卵性双生児のように、色々なものがシンクロするらしい。
まだ空が微かに明るくなった程度で、水平線もよく分からなかった。後で確認したのだが、こういう状態が“天文薄明”(astronomical twilight)で、水平線が明確になるくらい明るくなると“航海薄明”(nautical twilight)と呼ばれるらしい。
そして私たちはその島に降り立ち、松原珠妃と鈴鹿美里の美里(もしかしたら待ってた方が鈴鹿かも)と合流したのだが、この時、私は"Between drops and the drop"という曲を書いた。
これを蔵田さんは『海の磯焼き』!というタイトルで松原珠妃に渡したのだが、2013年12月の発売時には『海の真珠』と改題されていた。観世社長もよく分かっている。この年(2014年度)、珠妃は『ナノとピコの時間』が話題になり、各種の賞を受賞したので、この曲は目立たないのだが、これもプラチナディスクになったヒット曲で、珠妃の好きな曲ベスト10とかの投票をすると、ランキングに入ることが多い。
『海の真珠』の原題である"Between drops and the drop"というのは、水平線が判然としない状況の中で、夜空の星たち(drops)の中のひとつが海の中に落ちた(drop)のように見えていたからで、たぶん空の中に物凄く明るい星(たぶん木星)があって、それが水面に反射していたのだと思う。
その時、私は複数のモチーフの発想があり、"Between drops and the drop"の中に入りきれなかったものをまとめて"Star Drops"という小曲をまとめた。その内、追補してアルバムにでも入れようと思っていたのだが、雨宮先生が見て「ちょうだい」というので、自由に使ってもらっていいですよと言って渡した。するとそのモチーフをうまく組み込んで『星の鏡』という可愛い曲がまとめられ、鈴鹿美里が歌ってこれもまたヒットした。ケイ作曲・雨宮三森補作とクレジットされていたが、本当に補作したのは、ゆまか千里だと思う(曲の雰囲気からして毛利さんではない)。
しかし実は私はこの時、もうひとつ、曲にならないような“イマジネーションの塊”のようなものを抱えていた。それはずっと漠然とした“塊”にすぎなかったのだが、1年後の2014年8月、日中に沖縄でKARIONライブをして
夕方からは埼玉県でローズ+リリーのライブをするなんて無茶なことをした時に、那覇から調布までプライベートジェットで飛んでいる最中、沖縄・奄美の島影を見ていて、唐突にその“イマジネーションの塊”が曲の形になって私の頭の中に流れて来た。私はそのモチーフの連続を急いで紙に書き留めた。
それを後日きれいに曲としてまとめたのが『君に届け』という曲なのである。これは鈴鹿美里の鈴鹿が早く相棒の美里に会いたいと言っていたのを聞いて、この海を越えてその思いが届くのを願ったようなイメージが曲としてまとまったものである。
私はその曲の発表の機会をずっと待っていた。
2019年12月上旬今年のアルバム『十二月』の録音作業はほぼ終了した。このアルバムのオリジナルコンセプトだった『Four Seasons』の企画を立てたのが2016年の秋頃だったので、足かけ4年の難産のアルバムだった。これまでに掛かった制作費は4億くらいかなあと漠然と考えていたのだが、会計士さんによるとここまで2億3900万円くらいということだった。どうも『郷愁』の制作費として計上されてしまった分もあるようである。これだと最終的には3億を少し越える程度で収まるかもという気もした。
これまでのオリジナル・アルバムの制作費と販売枚数:−
2013.07『Flower Garden』1億円 290万枚
2014.12『雪月花』3億円 340万枚
2015.12『The City』4億円 195万枚
2016.12『やまと』3億円 320万枚
2018.03『郷愁』8億円 148万枚
2020.02『十二月』3億円(『郷愁』で計上した分を除く)
録音が一段落した後は、則竹さんを中心にPVの制作も進めてもらうのだが、私と政子は『十二月』の海外版の制作(歌唱吹き込み)の作業に移った。英語版・フランス語版・ドイツ語版・スペイン語版・ロシア語版・中国語(北京語)版の6種類を制作するが、英語版のタイトルは以下の通りである。
Jan.The Mirror of Time 『時の鏡』
Feb.Scream of Snow-hag 『青女の慟哭』
Mar.Spring Bird 『うぐいす』
Apr.Dream on the plain 『草原の夢』
May May Queen 『メイクイーン』
Jun.Rainy Friday 『雨の金曜日』
Jul.Tropical Holiday 『トロピカル・ホリデー』
Aug.Mermaids 『泳ぐ人魚たち』
Sep.Sand Castles 『砂の城』
Oct.Tear drops on the Violin 『ヴィオロンの涙』
Nov.Road on the yellow leaves 『紅葉の道』
Dec.Snow changes into Swan 『雪が白鳥に変わる』
この作業をしている最中に、私たちは某テレビ局のプロデューサーから連絡を受けた。
「ものまね番組ですか」
「それで素人の出演者がローズ+リリーのたぶん『青い豚の伝説』を歌う予定なんですよ。それでお正月の時間拡大版でもありますし、その歌の途中で“御本人登場”ということで、ローズ+リリーのおふたりに出て頂けないかと思いまして」
「撮影はいつですか?」
「1月8日水曜日なんですが」
「申し訳無いです。その日は3月の震災復興支援ライブの打ち合わせで仙台に行くんですよ」
「あらぁ。じゃ無理ですよね」
とプロデューサーさんが言った時、横からマリが口を出した。
「私たちの代わりにローザ+リリンの2人に出てもらったらどうかな?」
「え〜〜?ローザ+リリンですか?」
「そもそも、あの子たち、私たちの代理としてローズクォーツのボーカルしてるし。何ならローズ+リリーのサインを書いてあの2人に渡しておきますよ」
「ああ。直筆サインを頂けるのなら何とかなるかも知れませんね」
ということで、結局その日はローザ+リリンが、ローズ+リリーの代役としてものまね番組に出演することになるのである(彼女たちの日程を実質管理している§§ミュージックの美咲瞳マネージャーがぶつぶつ言いながら日程調整した)。
「ローザ+リリンには、私が焼き肉食べ放題に行っちゃったから代わりに出て来ましたとか言ってと言っといて」
「マリさんが焼肉屋さんに行っちゃったというのは何だか説得力がありますよ」
とプロデューサーさんも笑っていた。
12/31-1/01 は福井県小浜市でカウントダウン&ニューイヤー・ライブを実施した。これは5回目だが、春にはマリと大林亮平君の結婚を発表するので、さすがに今回が最後かなとも思った。
2015 安中榛名特設会場
2016 宮城県松島町特設会場
2017 博多ドーム
2018 福井県小浜市特設会場
2019 福井県小浜市ミューズパーク
2018年,2019年は同じ場所だが、前回は臨時施設だったのが、今回は恒久的な施設になっている。もっともこの会場(定員7万人)を満杯にできるのは、私たち以外にはアクアくらいだろう。マリの結婚を発表した後で、来年以降については、ゴールデンシックスかハイライトセブンスターズあたりに声を掛けてみようかなと、この時点で私は思っていた。シアターを使わずに、ミューズアリーナ(max 5万人)なら、座席間隔を空け花道を作ったりして席の総数を減らせば何とかなるかもという気がした。
(この会場の座席が“見やすさ”のためにボーイング787のようなスタッガード(千鳥)配列になっていたことが、この春以降の“騒動”に大きな意味をなすことになるとは、私は想像もしなかった)
カウントダウンが終わった後は、1月1日の朝いちばんに、共演してくれた信濃町ガールズほか§§ミュージックのタレントさんたちを連れて福岡に移動し、アクアの新年ライブと§§ミュージックの新年会をした。
そして最終便の飛行機で東京に戻ったのだが、この帰りの飛行機の中で鱒渕マネージャーは言った。
「ローズ+リリーのシングルを作りましょう」
「ああ」
ローズ+リリーのシングルは昨年7月の『Atoll-愛の調べ』以来となる。鱒渕さんによれば次は30枚目の記念すべきシングルだという。
「何を入れるの?『息子が娘に変わる時』?」
などとマリが言うので、
「却下」
と私は言った。
「『缶コーヒーはバイジェンダー』は?」
「どんな歌だったっけ?」
「ほら、これこれ。こないだ見せたじゃん」
と言って政子はバッグの中から紙を出してくる。整理の悪いマリがこの手のものは素早く取り出すのが凄いと私は時々思う。
缶コーヒーはバイジェンダー
缶コーヒー、あなたはバイジェンダー。
上を見たら、突起が付いてるから、You are a boy.
底を見たら、すっきり平らだから、You are a girl.
そして、液体は突起の付いてる男の子から出てくるの。
「却下」
と私は即答した。
「え〜?いい発想だと思うのに」
「缶コーヒーからこういう妄想ができるマリの頭の中身が不思議だ」
鱒渕さんも笑っている。
「昔の缶コーヒーだと、プルトップが外れていたから、あれはちんちんが取れちゃって、穴だけが残るから、性転換していたね。ステイオンタブになって、ちんちんは取れなくなった」
などと政子はまだ言っている。
「『燃える雪』を使おうかと思います」
と私は鱒渕さんに言った。
「どんな曲ですか?」
「実は『雪が白鳥に変わる』を書いた時に同時に書いていた作品なんですよ」
と言って私はパソコンを開け、譜面を見せて、MIDIの演奏をイヤホンで聞かせた。
「格好良い歌ですね」
「どちらを十二月に入れるか悩んだんですよ。でもこちらは個性が強すぎるからアルバムではなく、何かの時にシングルに入れようと思ったんです」
と私は説明した。
「でもこれはB面の曲ですね」
と鱒渕さんは厳しい指摘をする。
「そうなんですよね。タイトル曲に使うのには、やや弱いんです」
と私はそれを認めた。
「ライブツアーの合間に都内で制作したいです。今月中に何か適当な曲を選んでおいて頂けませんか?」
「分かりました。考えておきます」
と私はその時は返事しておいた。
1月9日、アクアがデビューの年以来、所有だけしていた、父ゆかりのポルシェの試乗をするということだった。
アクアも昨年秋に運転免許を取得して、忙しい仕事の合間を縫って、運転練習を重ねていたようだが、これまで無事故無違反である。今回の試乗には千里が同乗するということだったので、千里が付いているなら大丈夫だろうと思い、コスモスからの連絡を聞いて「問題ないでしょう」と答えておいた。
アクアも良い息抜きになったようである。無事故で中央道・新東名を楽しく走って来たらしい。
アクアはこれまで3人に分裂していたのが、1月5日に唐突に2人に減ってしまったらしい。NがMとFに半分ずつ吸収されたということだった。それで試乗の時はFがNに見立てた『アクア人形』をスカートの膝の上に置いて運転したらしい。
アクアは映画『気球に乗って5日間』の撮影のため、1月下旬にはオーストラリアに行ってくる予定である。ボディダブルが今井葉月だけでは足りないので、姫路スピカも連れていくらしい。
1月上旬、石川県の〒〒テレビの石崎柚布・制作部長さんが、うちのマンションを訪問してきた。
「確か川上青葉が4月から就職するテレビ局さんでしたよね」
「そうなんです、それで川上さんのことで相談がありまして」
と言って、石崎部長は、青葉を使った、作曲者さん紹介番組を企画していることを話した。これは青葉が東京五輪の代表に選ばれることは確実なので、夏までは彼女を報道番組などで使うことができず。日本水連とも話し合った上で、“撮り貯め”ができる、取材番組をやらせようということになったことを石崎さんは説明した。
それで実はその作曲家の一覧(と順序)を見て欲しいということだったのである。
これは確かに難しい問題だと思った。自分を飛ばしたとか、順序が違うと言って怒り出しそうな人もいる。私は石崎さんと話し合い、下記のような順序を決めた。
東堂千一夜(1943) 4/05
東城一星(1954) 4/19
木ノ下大吉(1957) 5/10
東郷誠一(1965) 5/24
山本大左(1966) 6/07
すずくりこ(1966) 6/21
松居夜詩子(1962) 7/05
そして第一回の東堂千一夜さんには自分が付きそうこと(でないと東堂先生の話は24時間くらい続いて、多忙な青葉がダウンしかねない)、また東城一星さんの住んでいる所には北海道在住のチェリーツイン・桃川春美が案内できることを言い、桃川さんには電話して承諾を取った。
1月22日(水)、仙台在住の月山和実が早朝、私のマンションを訪れ、2016年秋にクレールをオープンする時に借りた4000万円を返却したいと言って、銀行振出の小切手を私に差し出した。私は驚いて
「お金大丈夫なの?」
と訊いた。すると和実は意外なことを言った。
「隣にイオンが来るかも知れないというので、いっそのこと仙台市街地にお店を作って、そこの売上で借金をどんどん返していこうかというのも考えてみたと言ってたでしょ?」
「うん。京都で会った時言ってたね」
その時、私は小浜のミューズシアターの工事進捗状況を見にいっていて、帰りに京都駅で和実と遭遇し、東京までの新幹線で一緒に座って話したのである。
「Q議員の逮捕でイオンが来る話は消えてしまったんだけど、仙台市街地への出店は実行しようと思ってさ。あらたに銀行から資金を借りたから、一時的に資金のゆとりができたんだよ。それで政子ちゃんから借りた分はここで返しておこうと思って」
「仙台市街地に出店するんだ!家賃高いのでは?」
「ちょうど売地になっていた土地を買った」
「よく買えたね」
「若葉の知り合いの必殺値切り人さんに4億8千万に値切ってもらったから」
「若葉が絡んでいるのか!」
「幽霊が出るという話だったけど、千里が除霊してくれた」
「千里も絡んでいるのか!」
「実は千里はQ議員とその親戚とかが買い占めていた、イオンとかカジノを誘致するために用意していた土地が、暴落していたところを根こそぎ買って、そこに公園を作ると言っている」
「へー。そんなところにも千里が」
「体育館を建てるらしいよ」
「何のために?」
「建てるのが趣味なんじゃない?」
「体育館建てるなら、ライブができるようにしてもらおう」
「ああ、冬はそういうだろうと言っていた」
「後で連絡しよう。だったら、この件には、若葉と千里が絡んでいるんだ?」
「実は若葉と千里はクレールの主要株主なんだよ」
「なるほどー」
「だから新しいお店のビルと土地も、この3人で出資した会社で所有することにした」
「ああ」
それで私は、この4000万の返済資金もそのあたりから出ているのだろうと想像した。それで私は4000万の小切手を受けとった。
和実は新しいビルの上の階に音楽スタジオを作り、TKRに丸ごと貸すことにしたと言った。私はそのスタジオに勤務する技術者さんを、麻布先生のコネで探してあげるよと言った。また、楽器店を入店させたいが、入店してくれそうな楽器店を知らないかというので、その日私は和実と一緒に仙台に行き、区画整理で移転を迫られていた楽器店を新しいビルに入居させる話をまとめた。
その日は話がたくさんあって、私も、うっかりしていたのだが、東京に戻ってから帳簿を確認したら、和実からは2017年末に500万返却してもらっていたことに気づいた。私は和実に連絡して、500万を彼女の口座に振り戻してあげた。
500万の返却を和実は忘れていたと言っていたが、私も帳簿を確認するまで忘れていたので、あいこである。
1月中、私は『十二月』の発売、その後のツアーの準備などで多忙だったのだが、政子はかなり暇そうにしていた。それで政子にはできるだけ竜木マネージャーを付けて目を離さないようにしておいてもらったのだが、実際には、大林亮平のマンションにかなり入り浸りになっているようだった。
また、ローズクォーツの『Rose Quarts Plays Pops』の海外ポップスの歌詞の日本語訳を自ら買って出て、どれもかなり直訳っぽい歌詞を書いたが、それを歌うローザ+リリンが、かなり嫌がった曲もあったらしい。日本でならわりと婉曲的に表現するものを、洋楽ではけっこう大胆でストレートな歌詞になっているものも多いからなと私は思った。
ローズ+リリーのシングルは現在16連続ミリオンが続いているが、連続ミリオンの記録では、実は12月25日に発売されたばかりのアクア『あの雲の下に/白い翼で』がデビュー以来の17連続ミリオンとなって、抜かれている。シングルを出すペースが全く違うので、彼(彼女?)の記録は、この後、ローズ+リリーよりずっと上に行くだろう。彼に声変わりが来るか、あるいは性転換!?でもしたりしない限り。
そしてさすがにローズ+リリーの連続ミリオン記録は今年中にも終了するだろうと私は思っていた。
私は震災復興イベントの作業もあったが、1月は来月実施予定のローズ+リリーの全国ツアーの準備も進めていた。
演奏者の確保やチケットの手配などは、玄子・竜木の2人のマネージャーが風花と相談しながらやってくれるので、私も楽だし、一時かなりオーバーワーク気味になっていた鱒渕さんの負荷もかなり軽減されているようだ。
なお、担当してもらっている仕事の都合上、玄子さんは§§ミュージックの所属、竜木さんはサマーガールズ出版の所属にしている。
一方で、私は中国で昨年11月頃?発生しておびただしい死者が出ている新型肺炎の情報が気になっていた。中国と日本の間の人の交流は多い。更に悲惨な状態になっている武漢(ウーハン)は国際都市である。多数の外国人が出入りしている。日本に飛び火するのは時間の問題だろうと思っていたら、1月16日にとうとう神奈川県で最初の患者(武漢に滞在していた中国人男性)が確認された。
1月25日は春節(旧正月)である。一部には、春節前に中国との行き来を制限すべきだという主張もあったが、政府は全くの無策を続けた。私は悪い予感が拡大しつつあった。
中国での感染者数は春節前の1月24日、とうとう1000人を越えてしまった。
政府は1月28日、武漢に滞在している日本人を帰国させるためのチャーター便を運航した。この時、日本が武漢の医療機関にマスクなど多数の衛生用品を贈ったことは現地の人たちに喜ばれた。
1月下旬、私は千里・コスモス・丸山アイの4人で緊急会談をした。
「中国の数字は全く信用できない。実際はあの10倍以上だと思う」
と千里は言った。
「私も今自分の情報網を使って調べているけど、ウーハンは既に生き地獄になっている。今まだ死者は数百人だけど、たぶん数千人死ぬ」
と丸山アイは言った。
「日本にも来るよね?」
「避けようがないでしょ。日本でも相当の死者が出ることは覚悟した方がいい」
とアイは言う。
「アイちゃんも、千里も、中国に情報網持っているよね?」
「うん」
と2人とも答える。
「何をしなければならないか、何を準備しなければならないか、多少不確かな情報でもいいから欲しい」
と私は言った。
「濃ゆめの洗剤でマイクとか、テーブルとか、譜面台とか、楽器とか拭くようにして。あとドアノブとか窓サッシのクレセント錠とか、人がよくもたれかかる柱とかも。とにかく人間の手が触れたり、つばが飛びそうな所」
とアイは言った。
「洗剤がいいの?」
「この病気の原因はコロナウィルスの一種だけど、界面活性剤の作用でコロナウィルスのエンベロープが破壊されるんだよ。これはコロナウィルス共通の弱点なんだ。だから、日常的に洗剤での掃除を徹底して。コスモスちゃんも、アーティストやバンドの人とかスタッフさんにも、それを徹底させて。特に応接室とかスタジオは使う度にきちんと掃除。掃除しない内に次の人を入れない」
「分かった」
とコスモスも緊張した顔で答えた。
「あと、大皿での食事はしないようにしよう」
と千里は言った。
「ああ、確かに危なそうですね」
とコスモスも言う。
「食事は個別に食器に盛ったものを。あと対面で人を座らせない」
「へー!」
「向かい合って座る時は、互い違いに」
「分かった。それ早急にまとめて社内に通達を出します。後で文章をメールするからチェックしてもらえます?」
「取り敢えずこの4人で共通のワークスペースを作ろうよ」
「そうしよう」
1月31日、WHOはこの新型肺炎(この時点ではまだ名前が付いていない)についてPHEIC (Public Health Emergency of International Concern)− 国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態−を宣言した。
1月31日、中国での(公式発表上での)患者数は1万人を超えた。1000人を突破してから、わずか一週間で10倍になってしまった。この時点で2012-2015年に全世界で2500人が感染したMERS、2002-2003に全世界で8000人が感染したSARSを既に越えている。
(1/31時点で中国での死者は公式発表でも259人)
その日、推理作家の小坂時郎さんが、わりとうちには常連の大食いタレント・神崎バレンと一緒に、うちのマンションを訪問した。
実はマリがボリュームが“二郎”より凄いことで、一部の人たちに有名な鹿鹿鹿ラーメンで遭遇して、意気投合し
「うちで夕飯でも食べていきません?」
と誘って連れてきたらしい。バレンも近くに居たので一緒に誘ったらしい。
(二郎の倍くらいのボリュームのラーメンを食べた後、よく夕食が入るものだ)
小坂さんも女性のひとり暮らしの家なら遠慮したのだろうが、私がいるだろうと思ったようだし、バレンも一緒なので付いてきたようである。
「小坂さんも“大食い仲間”だったんですね」
と私は牛肉を取り敢えず2kg解凍しながら言った。
「いや、あそこはマリちゃんも常連とは聞いていたし、マリちゃんのサインがお店に掛けてあったのは見ていたのですが、遭遇したのは初めてでしたね」
などと小坂さんは言っている。
「だけど、私、小坂さんの小説好きですよ。『ロボット旅館』でハマッちゃったんですよ」
などとバレンが言っている。
「それは初期の作品からありがとうございます」
と小坂さん。
「でも小坂さんの作品って、ほんとにトリックが凄いですよね。よくこんなの思いつくなといつも思ってます」
とバレンは言っている。
「ああいうのは、だいたい全然関係無い作業してる時に思いつくんですよ。掃除してる時とか、料理作ってる時とか、運転してる時とか」
「ケイも運転中によく曲のモチーフ思いつくというよね?」
「うん。運転している時はわりとそれある。だからすぐ左脇に駐めて書き留める」
「あれ、すぐ書き留めないとダメだよね。5分もしたら忘れちゃう」
と小坂さん。
「そうそう。後で思いだそうとしても、絶対思い出せないんですよ」
と私も言う。
「クリエイターと一般人の差がそれだと思うんですよ。誰でも凄いこと思いつくけど、すぐそれをメモする人だけがクリエイターになれる」
と小坂さんは言っているが
「私はその書いたメモをすぐ無くす」
などとマリは言っている。
「まあマリちゃんは忘れ物の天才だし」
「千里よりまだマシだよ」
などとマリは言う。
「ちさと?」
「作曲家でバスケット選手の醍醐春海ですよ」
「へー」
「あの子、年に3〜4本は傘を無くすというし」
「なんか後を付いていくと、傘を買わなくてすみそうな人だ」
「昨日言ったことも覚えてないし」
「うん。あの子は小さい頃からそんな感じだったらしい」
特に今は分裂してるしね、と私は思った。
「面白そうな人だ」
「車で出かけていて、誰か乗せ忘れてそのまま出発しちゃったこともあったと言ってたね」
「ああ、置いてかれたのは毛利さんだな」
「作曲家の毛利五郎さん?」
「そうです。そうです」
「あの人のマンションにも招待されたことありますよ。凄いマンションに住んでおられますね。ペントハウス付きの豪華マンション。やはり三つ葉で当てたんですかね」
と小坂さん。
「あれは三つ葉のデビューに関する作業が忙しくて、数ヶ月家に帰ることができずにいた間に、テレビ局が面白がって勝手に自宅を建て替えちゃったんですよ。それで自宅に戻って仰天したという」
「そんなのあり?」
ああ、このエピソード知らなかった人もいたのかと私は思った。
「壮大なジョークですね」
「テレビ局も無茶苦茶やるなあ」
「まあ三つ葉のおかげで月20万の家賃を払えるようになったから結果的にはよかったんでしょうけど。建て替え前は月1万の家賃だったんですよ」
「月1万は凄いけど、あのマンションが20万円なら安いんじゃないかなあ」
「広いですよね」
「奥さんも美人だったし、あそこでも夕飯を頂いてしまった」
「あれ?毛利さんの奥さんに会われました?」
「ええ。子供も2人おられて。仲が良さそうでした」
「へー」
実は毛利さんの奥さんは誰なのか?というのが、私や千里を含めて数人の間で話題になっている。そもそも私も千里も毛利さんがいつ結婚したのか全然知らなかった。しかし、子供が2人いるということは、やはりあのマンション建替えの直後くらいに結婚したのだろう。三つ葉は毛利さんにとってラッキーガールだったなと私は思った。
「だけど、同乗者を置いてくくらいならまだいいよね」
などとマリが言う。
「こないだは、うっかりドライバーを忘れて先に出発しちゃってさあ」
「いや、それはあり得ない」
「マリちゃんはやはり面白い。ねぇ、そのネタ、使わせてもらっていい?」
「いいですよー。実は、橘由利香・恵利香姉妹と一緒に出かけていたんですよ。一緒にいたのは、ほかに新島鈴世さんと奥原沙妃さんだったかな」
「雨宮ファミリーだ」
「それで由利香さんがずっと運転していたんだけど、サービスエリアで休んだ後、恵利香さんが運転して、由利香さんが置いてけぼりくらった」
「なるほどー。一卵性双生児だと入れ替わりに気づかないかもね」
と私は言った。
「そのネタももらっていい?」
と小坂さん。
「どうぞどうぞ」
「まあ一卵性双生児は、推理小説ではよくトリックのネタにされますね」
とバレン。
「クローン人間が一般化したら、それが普通に出てくるようになるかも知れないけど」
とマリ。
「それは一般化してほしくないなあ」
と私は言った。
「でも『密林の孤独』のラストで、蓮子がボトルメールを川に流してから力尽きるところ、私、泣いちゃいました。あのボトルメールは誰かが拾ってくれるんでしょうかね」
などとバレンは言う。
「まあそれは読者が脳内で補ってもらうということで」
と小坂さん。
「届くといいね」
とマリが言う。
「ボトルメールというとクリスティーの『そして誰も居なくなった』でボトルメールから真相が分かるというラストになってましたね」
とバレンが言うと
「実はあれのマネなんだよ」
と小坂さんは少し恥ずかしそうに言う。
「そうだったんですか!」
「まあオマージュかな」
と私。
「まあ推理小説はどうしても似たようなパターンが再利用される」
と小坂さん。
「音楽のモチーフも頻繁に再利用されますね」
と私。
「それは音の組合せは有限なんだから仕方ない」
と小坂さん。
「言葉の組み合わせも有限だから仕方ないですね」
と私。
「そういえばこの話知ってる?」
と小坂さんが言う。
「ある時、マーク・トウェインだったかが、講演を聞きに行ったんだけど、物凄くつまらなくて、眠たくなるのをこらえて聞いていた。それで講演終了後に講演者がマークトウェインが居るのに気づいて、声を掛けた。私の講演どうでしたか?と」
「あ、その話聞いたことある」
と私も言った。
「素晴らしい講演でしたね、とマーク・トウェインは言った。でも私は今日の講演の一字一句 every word が書いてある本を知ってますよと。講演者はそんな馬鹿な。そんな本があったら、見せてくださいと怒って言った」
と小坂さん。
「それでマーク・トウェインは巨大な辞書を送ってやったんですね」
と私は落ちを言った。
バレンは
「すごーい」
と言って、笑ったが、マリは意味が分からなかったようでキョトンとしている。それで追加の説明が必要かなと思ったところで
「あ、分かった。うまいね!」
とマリは言った。
「だけど私は蓮子のボトルメールは届くと思いますよ」
とマリは言う。
「届かないと悲しいよね」
と作者自身も言っている。
「あれ?なんか『届くといいね』みたいな感じの曲が無かったっけ?」
とマリは言った。
それで私も思い出した。
「『君に届くように』だったかな。どこかに譜面はあったはず」
と言って探し始めた時、ちょうど青葉から電話があった。
「冬子さん、すみません。政子さんの実家の隣の敷地なんですが」
「うん」
「どうもタヌキか何かが迷い込んで、毒気に当てられて死んでいる感じなんですよ。そのままにしておくとまずいので、便利屋さんか何かにでも頼んで、除去してもらえませんか?」
「分かった!その便利屋さんは大丈夫?」
「敷地内に30分以上留まらないで下さい。どうも最初にカラスか何かが死んで、その肉を漁ろうとして、そのタヌキか何かもやられたのではないかという気がします」
「分かった。明日にも処置するよ。ありがとう」
「いえ。マリさんの家の結界に微妙な障害があったので何だろうと思って探査してて気づいたんですよ」
「マリの家に結界張ってるんだ?」
「でないと、あの敷地の毒気は周囲の家にも影響が出ますから。家が建っていた間はその家がバリアになって、あまり影響無かったんですよ」
「他の家は大丈夫」
「他の3軒は家を崩して再建中で人が住んでいないから、問題ないです。春までにはここまでしなくてもよくなると思うのですが」
「ありがとう。そうだ。青葉、これ別途依頼料払うから、ちょっと捜し物してくれない?」
「何かの譜面ですか?」
「よく分かるね!」
と私は驚いて言う。
「6年くらい前に書いた曲なんだよ。『君に届きますように』とか何とか、そういう感じの曲なんだけど」
「それ沖縄かどこかで書きました?」
「よく分かるね!」
「沖縄の空気の染み込んだ五線紙が、本棚の青いファイルにはさまってます。背表紙には・・・『ドイツ資料』って書いてあります」
「ちょっと待って」
それで私は本棚に立っている『ドイツ資料』と書かれた青いファイルを開いた。その途中に、五線紙はあった。ドイツの各地のソーセージの一覧の写真がファイリングされている。どうも栞代わり!に、はさんでいたようだ。たぶんマリのしわざだ。
「ありがとう。見つかったよ」
「この程度は毎月の顧問料の中で処理ということで」
「そう?じゃ今度何か適当なもので埋め合わせを」
「気にしないでくださいね。では」
「うん。ありがとう」
それで出て来た譜面には『君に届きますように』ではなく『君に届け』と書かれていた。バレンが
「良かったら見せてください」
と言って譜面を見た。
「なんかこれ凄い曲のような気がする」
と彼女は言った。
「今度のローズ+リリーのシングルに使えるかも」
と私もあらためてその譜面を見て言った。
なお、実際には政子の実家の隣の敷地のタヌキ?の死体は便利屋さんに頼むまでも無かった。その日の夜遅く、千里から電話が掛かってきて
「政子ちゃんの実家の隣の敷地に、カラスと犬の死体があっから処分しといたよ」
ということであった。タヌキではなく犬か!
「首輪とか無かったから、たぶん捨て犬か何かだと思う」
「無責任な飼い主のおかげで可哀想なことしたね」
「あそこ冬たちも気をつけてね。人間は身体が大きい分、耐性があるけど、30分程度以上留まらないようにして。霊鎧を身にまとっていない限り、それ以上の滞在は危険だから」
「じゃ11月に処理してくれた時は、霊鎧をまとって作業してたんだ」
「当然。死にたくないからね」
「大変だったね!」
電話を切った後で、私は疑問を感じた。11月にあそこの処理をしてくれた千里は何番で、今電話を掛けてきたのは何番だろうか?と。
(正解は、あの時処置したのは1番、今電話を掛けてきたのは1番と合体済みの3番である。実際には千里が気づく前に千里の眷属が気付き、処分した後で千里に報告したもの)
2020年1月29日(水)、ローズ+リリーの17枚目のアルバム(6枚目のオリジナルアルバム)『十二月(じゅうにつき)』が発売された。当日、私とマリ、氷川さんと風花・七星さんの5人が★★レコードの入っている表参道ヒルズ1階の貸会議室で、発売記者会見をした。当日はスターキッズの伴奏で、アルバムの中から『ヴィオロンの涙』(アコスティック)と『草原の夢』(リズミック)を演奏した上で会見に臨んでいる。
(スターキッズもアコスティック楽器から電気楽器に持ち替えて伴奏してくれた。ヴァイオリンを弾いてくれたのは§§ミュージックの大崎志乃舞(門脇真悠)ちゃん、『草原の夢』の口琴は私の中学以来の友人である、カチューシャの鳥野干鶴子である)
記者たちの反応は概ね良い感じであった。目前のツアーや復興支援イベントについても訊かれるので答えていく。次のシングルの予定、次回のアルバムの企画についても尋ねられたので、次のシングルは3月くらいに発売予定であること、また次のアルバムは、現時点では仮題であると断った上で『across』というタイトルで考えていることを明らかにした。
「『across the universe』の"across"ですか?」
「そうです、そうです。あんな名曲が作れたらいいのですが。最初はtransport, transverse といった感じの trans というのを考えたのですが、trans musicと勘違いされては困るし、マリが transsexual, transgender, といったものをたくさん作りたがるので across にしました」
と私が言うと、記者たちは笑っていた。
新型肺炎の蔓延に対する不安を抱えながら、私たちはローズ+リリーのツアーを開始した。予定ではこのように実施する予定であった。
2.1(土) 沖縄なんくるエリア (10000)
2,08(土) 福岡マリンアリーナ(11000)
2.09(日) 神戸ポートランドホール(6000)
2.11(祝) 札幌スポーツパーク(10000) 2.15(土) 福島ムーランパーク(10000)
2.16(日) 東京 深川アリーナ(9000)
2.22(土) 愛知スポーツセンター(8000)
2.23(日) 石川県・津幡町火牛アリーナ(12000)
2.29(土) 大阪ユーホール(10000)
3.01(日) 大宮スーパーアリーナ(20000)
この後、3月7-8日には仙台郊外の宮城ハイパーアリーナで復興支援ライブを行う。今回は会場のキャパが小さいため、東北各地の数ヶ所の会場でライブビューイングをする予定で中継用の機材や回線などの準備をしてもらっている。
私たちは1月31日朝の便で沖縄に入り、その日はゆっくりと過ごし(マリの食べ歩きは妃美貴に任せておいた)、エステなどにも行ってぐっすりと寝て身体を休めてから、2月1日のライブ初日に臨んだ。
2月2日にいったん東京に戻るが、この日からシングルの音源制作を開始した。今回収録する曲は次の3曲である。
『君に届け』マリ&ケイ
『Burning Snow』マリ&ケイ
『心の手をつないで』マリ&ケイ(松本花子)
『君に届け』は今回の制作にあたり、マリが新たな詩を書き下ろした。『Burning Snow』は、ほぼ原型通りだが、多少マリが歌詞の校正をしている。『心の手をつないで』は、松本花子が書いた曲だが、高校時代の私が書いたような素朴なフォークソングである。松本花子の“ケイ風”の曲を制作しているプログラムは、イリヤ工房のイリヤさんが管理しているらしいが、私の曲のアレンジを10年以上担当してきただけに、私自身以上に私の曲作りを理解しているのではという気がした。松本花子作品は編曲もオートで行われているものが多いのだが、この曲はイリヤさん自身の手で編曲が行われている。
制作においては、例によってMax12(使用する楽器の数を最大12種類にする)の方針で制作している。
Gt.近藤嶺児
Sax.近藤七星
Bass.鷹野繁樹
Dr.酒向芳知
Mar/Vib.月丘晃靖
Tp.香月康宏
Tb.宮本越雄
Fl/Pic/篠笛.古城風花
Pf/KB.近藤詩津紅
Fl/Pic.田中世梨奈
Cla/BCla.上野美津穂
Vn.大崎志乃舞
一応この12名で制作を進めたが、『Burning Snow』には千里(2番か3番かは分からない)の龍笛が入っているし、『心の手をつないで』には、山下ルンバの“割れ目木鼓”が入っている。その分、他の楽器を減らして12種類以内に納めている。
風花は先月、古城美野里の兄・古城羽志夢(こじょう・はじめ)と結婚して、苗字が古城になっている。つまり風花と美野里は義姉妹になった。風花は実は妊娠しており、
「出産前後は旦那に女装させて代役させますから」
などと彼女は言っていた。
女装までは必要無い気がするが!?
風花の夫は、美野里の兄だけあって、ヒアノも(美野里ほどではないが)結構うまい。ピアノ以外では、ヴァイオリンも一通り弾くし、高校・大学時代はホルン吹きだったらしい(チューバも吹いたことがあるらしい)。風花の妊娠中は、彼女はできるだけ在宅勤務とし、うちのマンションに常駐してデスク的な仕事をするのは、妃美貴に代わってもらうことにした。
田中さんと上野さんは青葉の中学以来の同級生で、今回のツアーにも参加してもらっているのだが、大学の方はもう卒論も提出して、授業も放置でいい(と本人たちは言っている)ので、音源制作にも参加してもらうことにした。2人とも4月からは金沢市内の企業に勤めることが決まっており、こういうのに参加してもらうのはこれが最後になるかも知れない。
§§ミュージックの研修生・大崎志乃舞(本名:門脇真悠)は現在高校1年生である。§§ミュージックでは、アクアや西湖もヴァイオリンが上手いのだが、あまりにも多忙すぎて、とてもこちらの制作にまで協力は頼めない。それ以外では、大崎志乃舞ちゃんと桜野レイアがヴァイオリンが上手く、比較的時間が取れそうであった、志乃舞ちゃんにお願いすることにした。彼女は実はヴァイオリンコンクールで優勝したこともある。
彼女は龍虎(アクア)と同じ赤羽のC学園に女子制服を着て通っており、住まいのマンションも、赤羽駅の近くである(ひとり暮らし)。それで(高校生なので)基本的には夜22時までには帰すようにはしているものの、万一遅くなった時も比較的帰宅しやすい(基本的には玄子さんか竜木さんに車で送らせている)。
「え?真悠ちゃん、女の子になっちゃったの?」
「昨年の夏に戸籍上の性別の変更が終わりました。おかげで生徒手帳の性別も無事、女に変更されて名実ともに女子高生になりました。コスモス社長には経過も含めて報告しておいたのですが」
「ごめん。それコスモスから聞いていたと思うけど、私の記憶から漏れていた」
「ケイ先生、忙しすぎますもん」
「あれ?でも未成年なのに、よく性別変更できたね」
「半陰陽だと未成年でも訂正できるんですよ」
「真悠ちゃん、半陰陽だったの?」
「そういう訳ではないんですけどね。去年の春に唐突に性別が変わっちゃったんですよ。びっくりしたけど、これ幸いで病院で診断書を書いてもらって、裁判所に申請して性別の訂正が認められました」
唐突に性別が変わった・・・・。私はそれって、千里1番のせいだな、と想像した。こんな所にも“犠牲者”がいたとは。
「ちなみに男の娘の需要があったら、女装にハマりつつあるうちの弟を高松から呼びますが」
「いや大丈夫」
と私は言ったが、マリがキラキラした目をしていた。
豪華客船ダイヤモンド・プリンセス船内での感染者大量発生が話題になっている中、私たちは2月8日(土)には福岡、9日(日)には神戸で、ローズ+リリーのライブをおこなった。
この福岡と神戸のライブでは、入口に赤外線センサーを設置し、体温の高い人や咳などをしている人の入場をお断りさせてもらった(返金の上、お帰り頂く)。
また公演前に会場を徹底的に消毒したし、入場者全員に入場時に手のアルコール消毒をお願いするとともに、マスクを無料配布した。このマスクは、若葉がインドネシアに所有する工場で生産させたものを輸入したものである(販売の許可は取れないから若葉からの無償提供という形にした。若葉はサマーガールズ出版の大株主なので無償提供しても難しい問題は生じない。また、この両日のイベントでは、立ち上がったり歓声をあげることを禁止し、座って聴いて下さいということにした。歓声代わりに、全員に無料でサイリュームを配り、それを振ってもらうことにした。
またホールの防音ドアを開放し、扇風機を回して徹底的な換気をおこなった。次亜塩素酸水のミストを発生する装置も導入して、ホール内の湿度を50-60%に保つようにした。このあたりは丸山アイからのアドバイスに基づくものである。
その他、物販は、声でのやりとりをしなくていいように、商品ごとのタグを用意し、そのタグに現金を添えて商品と交換する方式とした。売場スタッフには全員マスク着用・ビニール手袋着用をさせた。またPaypayとの契約ができたので(これも若葉のおかげ)、Paypayでの支払い(バーコード払い)を推奨したら、それで払った人が3割ほどいて、これはむしろ好評であった。
福岡公演前の2月7日、私と千里・丸山アイ・コスモス、それに若葉、氷川さん、会場の管理をするイベンター会社の社長さんまで入れて、2月23日の津幡公演について、Zoomによる緊急会議をおこなった。
「下旬にはたぶんもっと酷くなっていると思う。かなり厳しい対策が必要なのではないかと思うんだけど」
「津幡は貸し会場ではなく所有している施設だから、多少の改造もできると思うんだよ。やれることがあったら、23日までの半月でやれるだけのことをしたいから提案して欲しい」
「明日・明後日の福岡・神戸でもやるけど、とにかくドアは閉めずに開放したまま演奏する。そして扇風機で強制換気。次亜塩素酸のミスト発生。立ち上がり禁止、声援禁止」
「改造できるのなら、窓を作ってそこからも換気できるようにできません?体育館にはよく空気取り込み用の小さな窓がたくさんあるじゃないですか」
「今津幡の工事の主力は隣のアクアゾーンの工事に移っているけど、そちらを一時止めても改造作業させていいよ」
「それ頼む」
「あと、中国で営業再開したレストランで、客席と客席の間をビニールシートで隔離しているんだよ。あれは有効だと思う」
と丸山アイが言った。
彼女はその写真も見せてくれた。
「これいいね。客席と客席の間に全部ビニールシートを張ろうか」
「どれだけビニールシートが必要なのよ?」
「どこまで確保できるか分からないけど、できるだけ集めさせる」
「うちの工場でも頑張って増産させるよ」
と千里が言う。彼女が所有している関西の化学工場ではビニールシートも作っているのである。
「トイレが感染の元凶になりやすい。便座はもちろん、ドアノブとかも」
「男子トイレはおしっこする時に飛沫が発生しやすい。小便器にダスキンの飛散防止ドームを入れよう」
「それどんなの?」
「プラスチックの網状になっていて、つまり金属たわしみたいなのなんだけど、おしっこをソフトに受け止めるから飛沫ができない」
「それすぐに手配しよう」
「女子トイレはもっと問題だよね。どこにも触らないようにできないかな」
「トイレの出入口は男子トイレも女子トイレも公演中は開けっぱなしにしよう」
「そうだね。閉める必要が無いね」
「個室のドアは手かざしとかで自動開閉にできない?」
「ボクは手を触らずに開け閉めできるけど」
「それはアイちゃんだけでしょ」
「千里もできるよね?」
「気合い入れたら」
「そういう人は例外だから、普通の人のこと考えて」
(イベンターの社長さんはジョークだと思っている)
「個室のドアは内側から手かざしで閉めてロックできるようにするよ。開けるのも手かざしだけど、便座に座っている間はアンロックされないようセンサーでチェック」
「ああ、それは必要だね。うっかり開けちゃうと悲惨」
「便座は使い捨て便座シートか便座除菌クリーナーを」
「それどちらが使いやすいかちょっと実験してみて決める」
(これは実験の結果、除菌クリーナーの全導入を決める。便座シートはきちんと便座の上に乗らずに結構便座自体と肌が接触することが明らかになった)
「トイレットペーパーホルダーのカバーを撤去しよう」
「ああ、それはいい考えだ。あれ割と気になってた」
これらの改造で、体育館を所有するサマーフェニックスは1億円を播磨工務店に支払うことになる。
彼らは本当にアクアゾーンの工事を一時止めて、この改造作業を大急ぎでやってくれた。若葉が伯母の会社にも依頼してビニールシートをひたすら集め、千里も所有している工場で増産させ、2月20日までには1万席を分離するのに必要なシートを集めることができた。シートを張るための木の枠も播磨工務店・ムーラン建設の人たちが大量人員投入して作ってくれた。千里が所有する2つの製材所ではバイトまで雇って細い材木をたくさん生産してくれたほか、全国あちこちのホームセンターで買いあさった。
状況が刻一刻と変化していくので、対策も公演ごとに進む。2月11日(祝)の札幌公演では、会場側の許可をもらい、男子トイレ小便器に飛沫防止ドームを入れるとともに、ロビーと女子トイレにはアルコールジェル装置(押さなくても手を出すとセンサーで出てくるタイプ)をたくさん置かせてもらった。
またこの日から手拍子も禁止にした。拍手くらいはいいのだが、長時間の手拍子は汗が飛沫化するおそれがあるからである。また手は口や鼻に触って唾液や鼻水が付着している可能性もある。これでもうクラシックコンサートの雰囲気である。もっとも、サイリュームを無料配布しているので、みんなそれを振ってくれた。
札幌では物販で現金払いを原則停止した。基本的にPaypayかクレカで払ってもらうことにした。どちらも利用できないという人だけ別途対応したが、これは100人程度に留まった。
(原則キャッシュレスにしたことで、かえって売上が増えた!)
この日札幌は雪だったので、雪の降る中で戯れる私とマリの映像を撮影し、これをシングルの『Burning Snow』のPVに取り込むことにする。
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【夏の日の想い出・君に届け】(1)